IS<インフィニット・ストラトス> IS学園の異分子君 作:テクニクティクス
体育祭の翌日、振替休日の午後を楯無は憂鬱に過ごしていた。
ベッドに寝そべって半分目蓋を閉じて弛緩している。
何とか自身のIS『ミステリアス・レイディ』の修復は完了。
現在国籍を置いてあるロシアから予備パーツ一式に新規武装パッケージが数点送られて来たため
それらを組み込み、調整し、仕上げる作業で午前中は終わってしまった。
だが、そんなことくらいでアンニュイになるほど柔なタイプではない。
(どうしよう……)
彼女の胸の内を締めるのはこの学園での二人だけの男性IS操縦者の片割れ。
借り物競争で一方の幼馴染のみを選ぶことなく両者を連れて行く度量に嫉妬したり
コスプレ競争では猛の半裸を気がついたらじっくり見つめてしまっていたりと(尚写真は別アングルごとに三枚撮ったのを会長権限で独占している)もっともっと彼と触れ合いたい、学年が同じならば一緒のクラスで過ごしたいという気持ちが溢れてしまう。
「はぁ……」
ぐるぐるとまわり続ける思考で胸が苦しくなって、自然とため息が漏れる。
これ以上は止そうと身体を起こすと、不意にドアがノックされる。
「はい?」
気の抜けた声で返事をしてしまったが、外から聞こえてきた声によって一気に意識が覚醒した。
「あの、塚本猛です。楯無さん、今大丈夫ですか?」
「ちょ、ちょっと待ってて!」
心臓が飛び上がるが、驚いている場合ではない。今の恰好は下着姿にYシャツしか身に着けていないのでそんな姿を見せるわけにはいかぬと着替えを探すが
洗濯物も出しっぱなしで散乱している。
同居人の居ない気楽な一人部屋だがこういう時には気を抜いてしまう。
慌てて着替えているためにボタンを掛け違えてしまうし、探していたスカートを踏付けて足を滑らせ思い切り尻もちをつく。
(いっ、いったぁぁぁ――っ! って痛がってる場合じゃないわ、早くしないと猛くんが帰っちゃう!)
青痣になってなければいいとお尻を擦りながら、身だしなみを整えた楯無はやっとのことでドアを開ける。
「だ、大丈夫ですか? 結構どたばたしてたみたいで、凄い音もしましたが」
心配そうにこちらを見つめているのは紛れもなく猛本人。突然の来訪で誰かしらの邪魔は入りそうにない。
これは他の部屋の女子に気づかれる前に自分の部屋に入れてしまうべきだと楯無は考えた。
「だ、大丈夫よ。それより中に入って? お茶淹れるから」
「それじゃあ、お邪魔しますね」
散々いろんなことでからかって来て一時期同居もしていたのに、今は部屋に二人きりだと思うと心臓の鼓動が早くなっていくのが分かる。
もどかしく、じれったくもあるのにどこか心地よさも感じる奇妙な感覚に翻弄され、胸が苦しくなる。
素数か円周率でも数えて気を落ち着かせようかとしている中、申し訳なさそうに声が掛かった。
「えっと……楯無さん、これ落ちてましたが」
猛が手に持っていたのは、仕舞い忘れた洗濯物――それもよりによって以前見せたこともあるお揃いのライトグリーンカラーのブラとパンツのセットだった。
「き、きゃあぁぁあああっ!? か、返しなさい!」
引っ手繰るように下着を回収すると、見えないようにクローゼットの中へと放り込む。
自分から見せたことはあっても、不意に見られることは初めて。
たとえそれが未使用であったとしても恥ずかしいことには変わりない。
淡い想いを抱いている相手だったら尚更だ。
顔を真っ赤にしながら、抗議の声をあげる楯無。
「た、猛くん、責任とりなさい! 責任!」
「えぇ……。洗濯物を見てしまっただけじゃないですか。それに下着類はいろんなところで見ますし」
「え? それ、どういうこと?」
一瞬冷徹な表情を浮かべるが、猛の証言を聞くと少し申し訳なさそうになる。
そう頻繁にあるわけではないが、更衣室のロッカーの中に忘れ物としてブラやパンツがあったりするし、かつての同居人シャルロット、箒ですら時折洗濯物が自分のところに紛れていることがあったのだ。
男子校、共学ならトランクス、ブリーフの忘れ物などいじりネタ等笑い話になるが嗚呼、悲しきかなここはIS学園、女子校なのだ。
「えっと……その、ごめんなさい」
「いいですよ、もう慣れました。ヘタに恥ずかしがると逆に良くないみたいですし」
「とりあえず注意喚起はしておくから」
「あ、そうだった。ちょっと生徒会のことで聞きたいことがあって」
本件を思い出した猛は楯無に聞きたいことを伝え、要点を応えていく生徒会長。
一通り疑問点は解消し、軽く息を吐く。
「ふぅ……」
「大丈夫ですか? 昨日の疲れがまだ残っていたりとか」
「平気よ。お姉さんはいつでも万全なんだから。んー、でも気分転換はしたいかなぁ」
「じゃあ、慰労会って訳じゃないですがどこか遊びにでも行きますか」
「いいわねそれ。あと……ちゃんと”私の”名前を呼んで?」
「あ……はい、分かりました、刀奈さん」
「うんっ♪」
◆ ◆ ◆
「えーと、この大帝国ホテルのディナーに行きたいんですね?」
アーケード街を歩きながら、楯無から渡された招待券を見ている猛。
その隣に頬を赤らめながら並んで歩いている生徒会長。
「まだ昼過ぎくらいなんで、どこかで時間つぶさないといけないですが」
「そそそ、そうね……」
「うーん、こういう立派なところだとドレスコードとかあったりするのかなぁ。
変に着飾るよりいっそのこと、制服で行けば大丈夫かな」
「じゃあ、お姉さんが猛くんに合うようコーディネートしてあげる!」
天啓を得たりという風に手をしっかり握りしめてキラキラと目を輝かす。
今まで手を繋ごうとして止めたりと躊躇していたが、自分の手のひらに伝わる温かさに鼓動は激しくなってしまう。
吹っ切れた楯無は繋いだ手を引っ張り、花が綻んだような笑みを浮かべて束の間の恋人同士のようなやりとりを心から楽しむ。
以前服装に対し、いろいろとアドバイスをしたこともあったがその時より一層力を入れて猛の衣装を選ぶ楯無。
高級レストランに入りやすく、尚且つちょっぴりワイルドさも併せ持ったジャケットとチノパンを組み合わせて試着させる。
「うん、なかなか悪くないわ。猛くんの普段着は無難なので固めてるから、パッと見没個性に感じるけど肩幅や身体の作りはがっしりしてるから、結構荒っぽい印象出すと映えるわね」
「そういうものなんですかね。あんまりファッションには頓着しないで、不快感与えなければいいやと思ってるんで」
「んー。だから簪ちゃんやシャルロットちゃんがいろいろ世話焼きたがるのね。素材の良さ引き出すにはコーディネーターの腕が出るから」
とりあえず楯無のおすすめ衣装をセットで購入し、今度は彼女の服選びに付き合う。
冬着にしては丈の短いファー付きのコートを見つけ、身体に当てて猛の方へ向き直る。
「ねぇねぇ、これなんでどうかしら?」
「何か短すぎて寒そうな感じですが、コートとしては微妙なのでは?」
「あら、結構動きやすくていいのよ。まぁロシアでは流石に寒すぎて無理だけれども」
そう言われて、楯無は現在ロシアの国家代表であることを思い出す。候補生ではないのだ。
「ところでロシアってやっぱり一年中寒いんですか?」
「地域に寄ってまちまちって感じかしら。春や夏だと涼しくて過ごしやすい場所もあるわ。
ただ期間が短くてその分冬が長いんだけれど」
ずっとコートにロシア帽をかぶっている印象があるが、現地に行ってみないと分からないことも沢山ありそうだ。
「シャルやセシリアの生まれ故郷とかも、行ってみたらいろんな発見があるんだろうなぁ」
「ふふ、猛くんが行きたいのならロシアに連れていってあげましょうか?」
「え、いいんですか? 是非とも案内お願いします」
「それじゃあ、いつか……かならずね!」
初めての海外旅行に夢を馳せる猛に、二人きりの旅行に行く言質をとってご機嫌になる楯無。
その微笑ましい姿に周囲は羨ましいカップルだなぁという視線を向けていた。
ブティックから出ると、楯無は通りの向かいにあるゲームセンターに気がついた。
「あ、ねえ猛くん。私あそこに行ってみたい!」
「あそこって……ゲーセンですか。いいですよ行きますか」
店内に入ると音と光の洪水に溢れていて日常とは違う印象を受けるが、昔から一夏、鈴と遊びに来ているのでそれほど違和感はないが、物珍しく辺りを見ている楯無に少し意外性を感じる。
「へぇ……、こうなってるんだ」
「楯無さんはゲーセンとか来たことないんですか?」
「当主のこととかいろいろと忙しくて、ほとんど来たことないのよね。ところで猛くんはいつも何やってるの?」
「そうですね……格ゲーやUFOキャッチャーとか、後はリズムゲーとかですね」
ふと目についた場所に、大き目の筐体があり様々な音楽でダンスが踊れるものがあった。
「あれとかよくやってましたね。どうですか? 一回やってみません?」
「ほほぅ、お姉さんの華麗なダンスが見たいってことね?」
財布から硬貨を二枚取り出して、投入口へ入れる。
簡単な説明を楯無にしてから、簡単なものから選曲し音楽が流れ出す。
すぐさまコツを掴んだ楯無はあっさりとノルマを達成してしまう。
「ねぇ、猛くん。もっと難易度高いのとかない?」
「やっぱり楯無さんは何やらせても上手いですね。それじゃあどんどん上げていきますか!」
2曲目、3曲目と高難易度の選曲ですら苦も無くダンスをし、息もピッタリに踊り合う二人。
最後をパーフェクトで締めくくると、うっすらと額に浮かんだ汗を拭ってハイタッチをする。
周りには沢山の観客が集まって歓声を上げていた。
「凄い! あの曲をノーミスでクリアするなんて!」
「しかも二人とも完璧に揃って踊りきってるし、何者なんだ……」
「あ、あの女の子の方、どこかで見た気がすると思ってたら『ISモデルショット』の表紙の更識楯無だ!」
「でも隣に居るのは織斑一夏じゃない……。ってことはもしかして塚本猛!?」
「え!? あの雑誌とかメディアじゃほとんど姿を見かけない幻のもう一人の男性IS操縦者!?」
正体がバレて話が広がっていき、完全に注目の的になってしまう。
サインや写真撮影、SNSの連絡先交換をしようと人が波になって押し寄せてきた。
「楯無さん、逃げましょう!」
「うん。行こう猛くん♪」
自然と手を繋いで駆けだす二人。その逃避行は心をとても躍らせるほどに素敵なものだった。
その後日が暮れかかるまで休日を目一杯楽しんだが、突如『ミステリアス・レイディ』に秘匿回線で連絡が入る。
今まで無邪気に遊んでいた生徒会長の姿はなく、一瞬で暗部に身を置くエージェントになっていた。
「ごめんね猛くん。お姉さんこれからちょっとお仕事入っちゃって行かなきゃいけないの。
今日のお出かけはここまでにしましょう?」
心配をかけないように、おどけてみせるのだがいつもと違い何だか危うさを感じてしまう。
「いや、俺も一緒について行きますよ。この間の襲撃よりハードなんですか?」
「んー、そこまでじゃあないと思うけれど……いいの?」
「乗りかかった船ですし、いろいろ有事の際の経験積んでおけば後で役に立つかもしれないから」
真剣みを乗せた目で彼女を見つめ、根負けしたのか楯無は同行を許した。
IS学園から近い臨海公園で、二人は制服に身を包んでいた。
「もっと重武装でもするのかと思ったら、今回はそうじゃないんですね」
「まぁ、武器は使わないつもりだしこの恰好の方が何かと都合がいいの。あと、危なくなったらISを展開しすぐさま逃げなさい。猛くんの狭霧神なら余程のことがない限り逃げ切れるはずだから」
有無を言わさない雰囲気で告げると、真剣な表情で頷きを返す猛に内心微笑ましく感じてしまう。
適度に緊張感を保ちつつ、しなやかさもある彼にそのうち自分の右腕にしてもいいかもと思うほどだ。
水平線の先を扇子で指し示しこれから向かう場所の説明をする楯無。
「ここから数十キロほど離れた場所に停泊している米国籍の秘匿空母。これからそこに向かうわ」
「それ、入国許可とかは取ってないですよね」
「だからこのIS学園の制服がいざという時、役に立つのよ」
全ての国家や組織に所属しないIS学園だからこそ、国際的な問題にはならないと言う建前にはなる。
ぐずぐずしていて余計な事態になる前に潜り込みたい。ならばとISを展開しようとした猛に扇子で頭を軽くはたく。
「こらこら、いきなりISを展開しようとしないの。すぐさま察知されて日本とアメリカ両方の部隊に囲まれるわよ」
「それじゃあどうやって向こうまで行くんですか?」
にっこり笑った楯無は猛の手を掴み、一緒に海面へと飛び込む。
制服が濡れて中のISスーツが透けてみえ、髪から水が滴りちょっぴり色っぽさがある彼女に少しどぎまぎする。
「さ、頑張って泳ぎましょうか」
「あははー。数十キロ先の空母まで遠泳ですか。まだ冬じゃないとしてもとんだフロッグマン体験ですな」
「あら、珍しい言い方知ってるのね」
「好きな漫画で描かれてたんで。今回潜入する先に
「なら猛くんは古代遺跡を護るトップエージェントになるのかしら?」
軽口を叩きながら空母へと泳いでいく二人だった。
びしょ濡れの髪をかき上げながら周囲の気配を探る楯無。
無事潜入が成功し現在二人は空母の調理室内にいる。
まったく息を乱さぬ楯無に対し、流石に軽く呼吸が弾んでいる猛だがこういった荒事にまったくの素人にしては悪くない状態だ。
「でも、意外に猛くんってタフな感じよね。ちょっと遠泳して空母をよじ登り、潜入したけど初めてにしては動けなくなるほど疲れていないし」
「まぁ、日ごろ鍛えてますから……。ふぅ、ところで楯無さんこれだけあっさり忍び込めるのはいいことですか?」
「いえ……普通哨戒する者が少なからず居るはずなんだけど。一人も出くわさないなんてことはまずないわ」
つまり運がいいのか、最悪な状況にあるのか。それは後者だったと今になり分かった。
「おーい、腹減ったぞ。何か作ってくれ……って、ん?」
サバサバした口調で調理室にやってきた、米国代表IS操縦者イーリス・コーリングが侵入者を見つけた。
咄嗟に身を隠した楯無と、初動が遅れてばっちりと姿を見られてしまった猛。
「何だ、お前?」
「いえ、沖合でヨットが転覆してしまってどうしようかと思っていたところ、ここに入ってみたんですが迷ってしまいまして」
「ふぅん、お前漂流者か」
「はい。それじゃあ失礼します」
「……って秘匿されてる空母内にしれっと一般人がいるか!!」
投擲されたナイフを首を傾けて躱すが、容易く壁に刺さったのを見ると冷や汗が流れる。
「ん? ……その顔、どこかで見たことあるな。おお、そうだお前『塚本猛』か!」
報道にはほとんど顔を出さないとはいえ、貴重な男性操縦者だ。各国のIS操縦者で知らない者は居ない。
「てめぇ、こんなどうやってここに入りこんだ? 通常空母ならまだしも、イレイズド所属の秘匿艦だ。救助者なんでいるはずがねぇ……。ははん、他に誰かもう一人いやがるな?」
手を組み、わざと音を鳴らしながら好戦的な笑みを浮かべて近寄ってくるイーリス。
ホールド・アップをしていてもまったく遠慮してくれる気はなさそうだ。
しかし、コツンと何かが足先にぶつかったのでイーリスは視線を何気なく移すと驚愕の表情を浮かべる。
「なっ!? 手榴弾だと!」
円筒状の物体のピンは抜けられていて、一瞬のうちに閃光と巨大な轟音が調理室を満たした。
専用IS『ファング・クェイク』をすぐさま展開したため気を失うことはなかったが猛の姿を見失ってしまう。
更にはそこらじゅうにスモークグレネードが置かれていて視界も悪くなっている。
「ちっ、舐めたマネを! つか、何だこれ! センサー系が役に立たなくなってやがる!
出てこい塚本猛! お前を土産にすりゃあナターシャがご機嫌になるんだ!」
まるで暴風のように暴れまくるイーリスだが、気配すら感じさせないため調理室から出ると手当たり次第に部屋や通路を探し始めた……。
艦内に響き渡る轟音を遠くに聞きながら、楯無はいぶかしげに表情を張り詰める。
これだけの騒ぎが起きていながら誰も出てこないのだ。
おそらく何者かの手によって無力化されているのだろう。
極秘データが集積されているセントラル・ルームに急いで向かいつつ熱源センサーを起動させる。
人間の反応は感じられず、分かるのは若干探知しにくいイーリスと彼女に付かず離れず居る猛の光点のみだ。
「……猛くん、本当にスプリガンとかじゃないわよね?」
そう呟いた楯無だが突如鳴り響く自沈シークエンスが聞こえると表情を引きつらせる。
秘匿艦とはいえ米国の空母を沈めるのだ。本格的に対テロ部隊を動かすことになるが、隠密を主とする『亡国企業』がやるにはそぐわない。
おそらく、組織そのものを取引に使っているのか……。
それからも一切妨害が入らずに目的の場所まで辿り着けてしまったが、今は時間が惜しい。
情報端末をハッキングして欲しいデータを抜き出していく。
「これは……」
スコール・ミューゼル。亡国企業の実働部隊のリーダーの情報が何故米国の秘匿艦に存在するのか。
その情報が米軍の死亡者リストにあり、十二年前に亡くなっており検死結果より今現在の方が外見が若い……。
食い入るように画面を見つめている楯無は、背後に火球が浮かんでいることに気づかない。
嫌な予感がして背後を振り向いた瞬間、その姿は爆炎に飲み込まれた。
沈みゆく空母を眺めながら『ゴールデン・ドーン』を身に纏い漆黒の夜空に浮かんでいるスコール。
「流石に死んだかしら? さようなら更識楯無」
その背後へ向けてミステリアス・レイディを展開した楯無が槍の一撃を放つ。
もはや国際問題がどうと言っている場合ではない。ここで何としても捉えなければ危険だと本能が訴える。
「もう逃がさないわ! スコール・ミューゼル!」
「無駄よ。貴女のISでは私のゴールデン・ドーンは倒せない」
余裕たっぷりに言い放つスコールの言う通り絶対的に相性が悪すぎる。
楯無の攻撃は熱線のバリアを貫くことが出来ず、逆に水のヴェールを容易く貫通する高温度の火球に晒されてじりじりと押し込まれ、焦りの色が見え始める。
「負けられない、逃がさない。そんな心ひとつでどうにか出来るほど私は甘くないわ」
距離を離して逃げる楯無を無数の火球が追いすがる。
闇夜に幾度も閃光が瞬き、逃げるばかりではじり貧だとガトリング・ランスを振るい残りの火球を消し飛ばし、瞬時加速で一気に彼我の距離を詰める。
が、その行動は読まれていたのか巨大な尾の先端が大きく咢を開けて待ち構え、楯無を捕食した。
らしくもなく暴けて拘束を解こうとする楯無の様子に、加虐的な笑みを浮かべたスコール。
「その焦りよう……あの空母に誰か居るのね。おそらく織斑一夏か……塚本猛ね」
「ッ!!」
虚を突かれて一瞬睨みつけてしまった彼女に冷酷な笑みを浮かべつつ、両腕を掲げて今までで一番大きな火球を生み出す。
機体と体が悲鳴をあげるのも構わず、強引に口を押し開いていく楯無だが――
「やめなさい! そんなことはさせない!!」
「残念♪ もう遅いわぁ」
拘束を抜け出すことが出来たがそれよりも火球が放たれる方が先だった。
もう止める事が出来ない剛炎が空母へと向かう。
「あ、あぁ、あ……!」
「ふふ、あと少し早かったら止められたのにね。本当に残念」
『――刀奈! 躱せッ!!』
専用回線に飛び込んできた叫びに咄嗟に身体を捻り、回避行動をとる楯無。
晩鐘のような荘厳な音が静かに一度響き、漆黒の夜を一筋の白い線が縦に走り巨大な火球を跡形もなく消し飛ばす。そして――
海が割れた――。
◆ ◆ ◆
地響きのような音を立てている足元の大きな瀑布。
分かたれた大海原がゆっくりと元に戻ろうとしている。
打ち上げられた海水が霧雨のようになって三人の上へと降り注いでいる。
狭霧神は楯無を庇うように斜め前に陣取り、その手には十束が握られていた。
「……まさか、ここでモーセの神話再現を見るなんて思わなかったわ」
仮面に隠されて本当の表情は分からないが、口元に笑みを浮かべているスコール。
左肩口から先は綺麗に消し飛ばされ、その断面図には機械部分が露出していた。
「ねぇ、塚本猛くん? 私たちの元へ来る気はない?」
あまりに気負いなく出た言葉に、一瞬呆気にとられてしまうが、語気を強めて言い返す楯無。
「ふ、ふざけないで! そんな国際的犯罪組織へなんて行かせないわ!!」
「まぁ私たちがやっていることは褒められたものじゃないわ。けれど、あなたたちの方が絶対に正しいとは言えないんじゃないのかしら?」
その問いに対し、ぐっと歯噛みをして反論を飲み込む。
暗部に身を置いている楯無だ。人の悪意など腐るほど見てきた。
むしろ表立って正義を名乗る輩の方が吐き気を催すようなことをしていることも――。
「いやぁ、スカウトは嬉しいですが今そちらに行くメリットが俺の方にはないので辞退させてほしいんですが」
気安い言い返し方に、楯無はつい力がふっと抜けてしまう。スコールもくすくすと笑い声をあげている。
「あら残念、フラれちゃったわ。けれどもいいのかしら? 実際国家とか奢った権力者の方が陰惨渦巻いていること多いわ。あなたの大切な人たちが、取り返しのつかないことになってから後悔しても遅いわよ?」
「今起こってもいない未来のことに不安を抱えても仕方ないですよ。……ま、もしそうなって他に手段が無ければプライドなんて捨てて、土下座でもして貴女の元に行きます」
お互い肩をすくめて息をつく。
「今回は引かせてもらうけれど、私直々に引き抜きたいと思える男性なんて今まで居なかったわ。それだけあなたは魅力的ってこと、忘れないでね。それじゃあ」
そう言い残し多数の火球を散りばめて追ってこれないようにしつつ、スコールは戦域を離脱。
幾度もの爆風が収まった時にはもうどこにも姿は見えなかった。
「……帰りましょうか、楯無さん」
「ええ、そうね」
こうして今回の潜入ミッションは幕を閉じた。