死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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幕間:迷う者、迷わぬ者

 脳と、そこに連なる眼球が灼熱する。

 

 その熱さと痛みに必死に縋り付く。

 

 この痛みを手離してはならない。

 この痛みから離れてはならない。

 

 手離してしまえば、離れてしまえば、そのまま一直線に墜ちてゆくことを知っているから。

 

 この脳髄と眼球を灼いているのは、無意味な己の悪あがきであることを知っている。

 オーバーヒートなんかじゃない。この体は、この程度の虚無など容易く受け入れるだけのスペックを持っている。

 そんな風に作り替えたからこそ、あの「 」から逃げ出すことが出来た。

 

 だけど、だからこそ、その身に宿る精神が、ソラは拒絶する。

 

 あの最果てを、深淵を、全ての始まりにして終わりの「 」から逃げ出したかったからこそ得たものなのに、そこから逃げ出せていないどころか、そこへの一番の近道が己自身だなんて事実を受け入れられる訳がない。

 

 脳に宿る精神(己の人格)がこの痛みを手離し(受け入れ)てしまえば、自分を構築した、己が生まれ落ちた、この身が繋がる最果てにまた沈んで行ってしまうことを知っているからこそ、どれほどの痛みであってもソラは拒絶し続けた。

 

 自分の眼が何を見ているのかを、自分の体がどこに繋がっているのかを、見てないふりをして、拒絶して、知らないふりをして、悪あがきを続ける。

 逃げ続ける。

 

 逃げ続けながら、自身の「体」を否定しながらも、生き汚く、見苦しく、身勝手にソラは自分が否定して拒絶する体に叱咤する。

 

(……動け! ……動いてよ!!)

 

 しなくてはいけないことがある。行かなくてはいけない場所がある。

 眠っている場合でも、あの深淵に落ちて墜ちて堕ちてゆく暇もないとソラは体に訴えかけるが、精神に拒絶された体はただただ生命活動を続けるだけの肉の塊にすぎない。

 

 この場合、バグを起こしているのは肉体(ハード)ではなく精神(ソフトウェア)であることもわかっている。

「こんな肉体(ハード)は嫌だ」と拒絶しているくせに、その肉体(ハード)のスペックに縋って頼って無理やり合わない精神(ソフトウェア)を起動させようとしているのだから、どちらかが壊れるのは当たり前の事。

 

 自分を受け入れられないまま脳を焼き尽くすか、受け入れて堕ちてゆくしかないことなどわかっている。

 

 わかっているが、納得などしないでがむしゃらに足掻く。足掻きぬく。

 

 だって、どちらを選んでもそれは「死」という終わりであって、未来はない。

 そこから逃げ出すために足掻きぬいたのが今なのに、こんな結末はあんまりだ。

 

 だからソラは、蝋で固めた偽りの翼で羽ばたいた、英雄というにはあまりに愚かな結末を迎えた者と同じように、まだひたすらに足掻く。

 

 灼熱に近づきすぎて蝋が解けて、結局墜落するか。

 それとも灼熱に抱かれて、消し炭さえも残さずに蒸発するかという二通りの結末しかないとわかっていながらも、それ以外の結末に手を伸ばす。

 

 その手を、掴んでくれる者はなどいない。

 

『もうやめろ』

 

 手を掴んでくれる者はいない。

 だけど、その背を抱き止める者がいた。

 

『もうやめろ。頼むから少しは休んでくれ。大丈夫だ。お前の望みは、願いはわかっている。

 ずっと見てきた。ずっとずっと、お前が幸福に生きるという夢を、オレも見てきた。そしてそれは、オレの願いでもある』

 

 ソラを焼き尽くそうとした熱とは違う、あたたかな温もり。

 あの「 」に存在するわけがない、輝き。

 

 陽だまりのように優しい光が、堕ちてゆくソラを抱き止めて、強く、強く、けれどもやっと見つけた宝物のように大事そうに抱きしめて、告げる。

 

『大丈夫だ。お前はもうあそこに……あの最果てになど落ちはしない。その前に必ず、今度こそ受け止めてお前が望む世界へ戻してみせよう。

 ……だから、少し休め。まだオレのことを信じてくれているのなら、オレに命じてくれ。お前の願いをオレに委ねてくれ』

 

 耳朶に響く懐かしい声が、ソラのもがき抗って足掻いていた手足から力を抜く。

 ソラに絡みついて離れなかった恐れが全て安堵にすり替わり、自分を抱きしめる細いくせにしっかりと鍛え上げられていることが良くわかる(かいな)をソラも抱き返し、答えた。

 

「君を疑ったことなんてないよ」

 

 ソラにとっては当たり前すぎる、4年前から変わる訳がない信頼を口にすれば、振り向かなくても相手は少しきょとんとしてから困ったように笑ったのがありありと想像出来る声音で返答する。

 

『……褒美が過ぎる。いつもいつも、お前がオレの願いを叶えてどうする?』

 

 相変わらずのこちらからしたら何気ない、当たり前でしかない言動に対して大げさなくらい恩義を懐き、感謝するハイパーポジティブ具合にソラの方も困ったように、けれどどうしようもなく、懐かしさのあまりに泣き出しそうになりながらも笑って、彼に伝えた。

 

 

 

「お願い。あの子を、クラピカを助けて。――――――」

 

 

 

 己の名を呼ばれたこともまた、身に余るほどの褒美だと感じながら「彼」は応える。

 

 

 

 

 

『任せろ。――――――』

 

 

 

 

 

 * * *

 

 一睡もしていないにも拘らず、クラピカに疲労はなかった。

 正確に言うと、感じていないだけ。

 センリツの念能力(フルート)で多少の回復はしているが、現在のクラピカは感覚の大部分が麻痺しているのをいいことに、無理やり体を動かしているに過ぎない。

 

 そのことに気付いている護衛メンバーたちは、内心ではいつクラピカがぶっ倒れるのではないかとハラハラしながら、彼と真の雇い主であるライト=ノストラードを見比べていた。

 

「なるほど。おおよそのことはわかった」

 

 明らかにやつれているクラピカの様子に気付いていないのか、新人のボディガードなど使い捨てとしか思っていないのか、雇い主であるライトはクラピカの様子に心配するそぶりも一切見せず、鷹揚に答えた。

 しかし、ライトの対応はそこまで薄情なものではない。

 なぜなら彼は、クラピカがウボォーギンと戦ったという事実を知らないからだ。

 

 昨夜、スクワラ達にクラピカは正直にほとんどすべての事を話した。

 さすがに自分のことに関しては「家族を旅団に虐殺された」程度にぼかし、ソラについては「天涯孤独になってから出会って世話をしてもらった、家族同然の恩人」と説明し、ソラ側の事情はほとんど話していない。

 信頼していないのではなく、ソラの方は話せば話すほど信じられないわ、ややこしくなるわで話すメリットが全くなく、クラピカの方は詳しく話して事情を知らせてしまうと、逆に彼らも旅団に狙われる理由に成り得ると判断したからだ。

 

 そして、ウボォーギンの末路を聞いて護衛メンバーがライト=ノストラードに話す内容として決めたのは、基本的には事実ありのままだが、ウボォーギンが逃げ出してからは「クラピカが捉えた旅団員と戦って殺したことは伏せて、未だ逃げた旅団員の生死や行方は不明」という、後半は虚偽で塗り固めたものだった。

 

 これに関しては、クラピカやソラを慮ったという意味合いはほとんどない。

 真の雇い主であるライト=ノストラードという男の人格を考慮した上での、護衛メンバーの総意だった。

 

 ダルツォルネほどではないがスクワラやリンセンも先輩なだけあって多少、護衛対象の父親であるライトと面識があり、その少ない機会でだが知り得た彼の性格は、よく言えば向上心の塊、悪く言えば出世と名誉の為ならいくらでも他者を蹴落として踏みにじる人間だということ。

 

 そんな相手に「旅団員を一人始末しました」と素直に報告すれば、間違いなくその死体をコミュニティーに渡して恩を売るように命じる。

 クラピカはもちろん、護衛メンバーが旅団の復讐のターゲットとなって集中砲火で狙われることなど何の考慮もしてくれず、案じるとしたら自分と娘の身だけだろう。下手すれば、娘さえも彼女の予知能力さえ無事ならそれ以外はどうでもいいと思っている、悪い意味で実に裏社会の人間らしい人間だ。

 

 はっきり言って護衛メンバーは誰一人として、ライト=ノストラードにも、その娘ネオンに対しても、個人的な忠誠心や恩義の類は持ち合わせていない。

 単純に金だけが目当てで雇われているか、他に何らかの目的がある者なので、わかりきった無駄な苦労をする気があるものは一人もおらず、この虚偽報告は可決されて実行された。

 

 全員がグルなので報告に矛盾はなく、ライトは全く疑う様子もなく今後の指示を出す。

 

「――で、今後のことだが、まず娘は家に帰すことにする。それでいいね? ネオン」

「……だってしょうがないもん。競売品が全部盗まれてオークションが中止になったんじゃ、ここにいる意味ないし。

 あーあ、行きたかったなーー」

 

 ネオンの方も一番身近だった護衛兼仕事のマネージャーだったダルツォルネが死んでも、競売品にしか関心がなかっただけあって、まったく自分の護衛達の報告に疑問を抱きはせずにただただ膨れている。

 そんな娘に、さほど大きな組織ではないとはいえマフィアのボスが猫なで声で機嫌を取る。

 

「オークションは来年もその次の年もあるさ。気を落とすな。

 それにお前が欲しがっていたものは、必ずパパが盗賊から取り戻してみせる」

「ホント?」

「ああ、約束だ。パパがネオンとの約束を破ったことがあるかい?」

「守ったことの方が少ないくせにーー」

「ははは、こりゃ一本とられたな」

 

 ただの親バカならば呆れつつも「マフィアのボスでもやっぱり人の親か」と、見ていて和めるものになったかもしれないが、傍から見てもネオンはともかくライトのしていることは下心と打算にまみれた懐柔だ。親子のやり取りではない。

 

「センリツとバショウとヴェーゼと言ったかな?」

『はっ』

 

 そんな胸糞が悪くなるだけのやり取りにイラっとしていたところに不意打ちで、クラピカを除く新人3人が名指しされる。

 

「今すぐネオンと侍女を連れて屋敷まで戻ってくれ。

 お前達も大男を拉致した時に顔を合わせているので完全に安全とは言えんが、ハンターサイトに顔写真まで載ってる他の連中よりはましだろう」

「……あの、私は大男の拉致には関わってませんが、セメタリービルで他の連中と関わってしまったのですが」

 

 ライトの指示にヴェーゼが控えめに挙手して補足を加えると、相手もそのことを思い出して自分の髭ををいじりながらしばし思案する。

 

「むっ……そうだったな。大男だけならともかく、他の連中にも顔が既に知られているお前をネオンの護衛にするのは少しリスクが高いか。なら、ヴェーゼ。お前は残れ。バショウとセンリツは念のため不自然ではない程度の変装はしておけ」

『はい』

 

 娘を失うことを親としてではなくマフィアのボスとして恐れている為、ある意味では楽観的な考えをしない所は幸いだろう。

 おそらくダルツォルネからヴェーゼの能力をある程度聞いていたのか、旅団に見つかるリスクが高くなるが戦力としては期待できないヴェーゼを入れるより、一番リスクの低い二人に任せた方がマシだと判断して、ライトは指示を若干修正する。

 

 その指示変更に、ヴェーゼとセンリツ、そしてスクワラの3人が内心でホッとする。

 言うまでもなく、ホッとした理由はライトに報告せず彼女らの部屋で匿う、未だ高熱が下がらないソラに関してだ。女性陣が二人ともネオンに付いて戻るのなら、ソラはもうあの部屋には匿えないし、他の部屋に移動させてもクラピカとスクワラの二人で匿い続けるのは無理があるのは目に見えていたので、特にヴェーゼは恩人への看病を中途半端に放棄せずに済んだことに安堵した。

 

 そしてそのことが少しでも彼の負担を和らげてくれることを期待して、メンバー全員がそれぞれチラリと横目でクラピカを窺うが、クラピカは相変わらずやつれて昨夜よりも幽霊じみた雰囲気で無表情を貫いていた。

 

 護衛メンバーが「こいつ本当に大丈夫なのか?」と、まったく同じ心配をしている事などつゆ知らず、ライトは娘に帰り支度するようにと命じて部屋から退出を促す。

 そしてネオンが部屋を出て確実に話が聞こえない程度に離れたと思えるぐらいの間を開けて、ライトは葉巻に火をつけて改めて「本題」に入る。

 

「オークションは今夜から再開されるそうだ。

 場所も時間も同じだ。コミュニティーにしてみれば、相手が誰だろうが舐められる訳にはいかないんだろう。十老頭は盗まれた二日分の品も必ず取り戻すと言ってる」

「?」

 

 他のメンバーが思っているよりもクラピカはちゃんと相手の話を聞いていたらしく、ライトが語りだした本題でおかしな部分に気付いて、顔を上げて問いかけた。

 

「盗まれた……? 先ほどお話しした通り、捕らえた大男の話によると陰獣の一人に先を越されて盗んでいないと言っていましたが」

「ああ、そうだったな」

 

 言われてライトは、本題に入る前に必要な説明を忘れていたことに気付き、語る。

 

「陰獣は全員やられたらしい」

『!?』

 

 全員が同じように、その情報に驚愕する。クラピカも無表情が崩れて眼を見開くが、彼の場合は驚愕ではなく、旅団が「赤コート」の正体に気付いてしまう可能性が高くなったことに対しての不安からだった。

 

 昨夜のウボォーギンの様子と彼の台詞からして、二人ばかりが勘づいているだけで他のメンバーはあまり「赤コート=ソラ」という説を信じていないようなニュアンスだったが、おそらく旅団にとって赤コートの最有力候補だった陰獣が全滅したのなら、「赤コート=ソラ」というの仮説は前よりも説得力を帯びるだろう。

 

 ソラがまた更に旅団から目をつけられるであろうという情報に、クラピカは舌打ちしかけたのを何とか堪えた。

 

「――で、話を戻すが、陰獣が全滅したことで十老頭は旅団の始末をプロに依頼した」

「プロ?」

 

 手短に陰獣の末路を説明して、ライトはさっさと本題に話を戻す。

 

「俺たちマフィアにとって殺しとは威嚇の手段であって、専門分野じゃない。ああいう連中が相手なら、専門家に任せた方が確かに手っ取り早い。

 十老頭は既に優秀な殺し屋を何人かそろえてチームを編成したらしい。これで俺達が何もしなくても、暗殺者(そいつら)が旅団を潰してくれるだろう。

 だが、これはコミュニティーに名を売るチャンスだ。何も殺し屋連中だけに手柄をやる気はない。そこでだ、クラピカ」

 

 その場にいるライト以外の全員が、自分たちの判断は間違っていなかったことを確信する。

 虚偽の報告をしたことは、間違っていなかった。

 だが、意味などほとんどなかったことも同時に知る。

 

「殺し屋のチームに参加してもらいたい」

 

 言葉はあくまで柔らかいが、実質断る権利がないことくらい初めからわかっている。

 組織として大きいとはまだ言えない規模だが、娘の占いでコミュニティーの上層部はおろかトップである十老頭にすらコネがある人物の機嫌を損ねて敵に回せば、プロハンターという立場と念能力者という実力からして死ぬことはまずないが、表世界よりも信用第一なところがあるこの世界ではもう二度と、仕事になどありつけないだろう。

 

 それは、クラピカの悲願である「同胞の眼の回収」という目的にとって致命的。

 

 だから、クラピカは目を伏せて静かに答えた。

 

「――はい」

 

 己の同胞すら言い訳に使う自分を嫌悪しながら、脳裏に焼き付いた光景を、声を振り払う。

 

『――君は……誰も殺さないで』

 

 どれほどの想いを込められた切願だったかなんて、心臓が張り裂けそうなくらい知っている。

 それでも、クラピカは振り払う。

 脳裏に焼き付いた光景から目を逸らし、その声を聞かなかったことにして、「殺したくない」という自分の弱音を押しつぶして、自分の身勝手な殺意を、憎悪をぶつけるはけ口として、雇い主の命令に応じる。

 

 ……応じながらも、その手は己の耳を、そこに揺れる「希望」の名を冠した宝石に触れていた。

 

 脳裏の光景を、声を振り払っても、あの繋いだ手は未だに離せない自分にも気づいている。

 彼女が見た、彼女と見た夢をクラピカはまだ手離せない。

 

『クラピカが幸せになりますように』

 

 答えを出してもやはり後悔ばかりして、迷って、今度は自覚しながらその願いにとっても描いた夢にとっても逆方向に抵抗できず流されるように進んで行きながらも、それでもクラピカは願いも夢も捨てられない。

 諦められないまま、なのにその諦められない夢へと歩めないまま、彼は雇い主の言葉に従って望まぬ戦場に向かう。

 

 その背を、センリツは酷く痛ましげに見送った。

 

「……まるで、『呪い』ね」

 

 二日前まで、あのイヤリングに触れているクラピカの心音はあまりに心地よいものだったのに、今では泣きたくなるほど悲しげなメロディしか奏でない。

 

 彼女の純粋で尊かった祈りは、もはやクラピカにとって「諦めて楽になる」という選択肢を奪い尽くす「呪い」と化していることに、……そうさせてしまったお互いを大事に思い過ぎる二人を、センリツはただ静かに憐れんだ。

 

 * * *

 

 廃ビルの一室に軟禁されて、キルアは膝を抱えて考え込む。

 

 初めは何もかも順調だった。

 旅団のハント以外にも金を稼ぐ方法を見つけ、信頼してもいいと思える目利き業者に出会って契約し、そして肝心な旅団を見つけることも出来た。

 

 しかし今は、ソラの忠告に従うべきだった、ソラと連絡が取れるまで自分たちは動くべきではなかったという後悔が胸を占める。

 旅団を目の当たりにした時点で、「あそこにヒソカが二人座っていると考えろ」と、能天気なゴンとレオリオに忠告したのは自分であり、奴らこそ「誰か」を探して自らを囮にして蜘蛛の巣(ワナ)にまで誘い込もうとしていたことには気付いていたのに、引き際を間違えた。

 

 G.I入手のための軍資金稼ぎにギャンブルで大失敗した時と同じように、欲目を出したから失敗した自分をソラは前以上に怒るのだろうなと思いながら、心の中の泣きそうな顔で「どうして、よりにもよってこいつら相手にこんなバカなことをしたんだ!!」と怒って叱りつけるソラに、キルアは逆ギレる。

 

(うるさい! お前が昨日のバカ発言から連絡がないから、心配になったんだよ!!)

 

 引き際を間違えたのは、金以上に欲しくなって深入りしてしまったのは、何故かゴンのわがまま発言におかしなテンションで吹っ切れて、クラピカも巻き込んで「協力してやる」と言い放ったくせに、あれから全く連絡が取れない彼女の情報。

 ソラが心配だったから。

 

 クラピカのことといい、少しだけ聞いた10か月近く前の彼女と旅団の因縁といい、ソラがここでも旅団と関わって交戦している可能性は低くない。昨日のテンションなら、自分から旅団に喧嘩を売りに行ってもおかしくないとも思った。

 

 初めの内はさほど心配などしていなかった。

 喧嘩を売りに行きかねないとは思ったが、彼女の性格上、側に自分やクラピカなど「守りたい・守らなくてはいけないと思っている対象」がいれば、死にたくないくせに自分の命も盾にして守るだろうが、自分一人なら彼女はひたすらに自分を優先する。

 彼女一人なら、そう簡単にあの「死にたくない」という狂気による回避反応を突破できる者はいないと信じていたし、今もその信頼に揺るがない。

 

 が、奴らが「誘ってる」ということに気付くと、その誘っている対象、探している人物がソラではないかと思い始めた。

 そうだとしたらあの女は旅団相手にどこまで何をやらかしたのかが気になって、胸がざわつき、不安が心臓に絡みついて締め上げた。

 

 死ぬわけがない。生きていると信じながらも、キルアの脳裏に浮かんだのはヒソカのトランプが突き刺さった鮮血の背中や、カストロのゾンビに首を絞められても、自分を案じて手を伸ばした彼女の姿。

 確証が欲しかった。

 探しているのも誘っているのも、彼女でなければそれでいい。

 彼女だとしたら、どうして探しているのか。どこまで交戦したのかを、知りたかった。

 

 その結果が、この様だ。

 状況としては、実はそんなに悪くない。旅団メンバーほぼ全員の顔を知ることが出来たし、彼らが何を、誰を目的にして探して誘っていたかもわかった。

 

「鎖野郎」と「赤コート」を知らないか? とまず真っ先に尋問されたのも幸運だった。

 今はどちらも「クラピカ」と「ソラ」を連想してしまっているが、ゴンはもちろんキルアもいきなりそう訊かれても誰も連想する人物はいなかったので素直に「知らない」と答えれたし、心を読むというという絶対的な説得力を持つ能力者がいたことも今は逆に幸いだ。

 

 特に「赤コート」は「赤いコートを着た黒髪の能力者」とだけ説明されたので、キルアはソラを心配していたからこそ、「黒髪」という時点で変装という発想すら出てこない程に安堵して、「ソラではない」と思い込んでしまったおかげで、こちらがあの二人を旅団が探していることは知れたが、向こうには何の情報も渡さずに済んだ。

 

 そして、何故かやたらとゴンを気に入ったノブナガという男の話が真実ならば、旅団のリーダーの顔も拝めた上で帰れる。

 いくらなんでもまだ自分たち固有の能力を開発さえもしていないゴンとキルアを、メンバーに迎えるとは考えられないので、相手の話が真実ならばはっきり言ってキルア達は得した方だ。

 

 ……しかしこれは、相手の話が真実という前提での幸運だ。

 正直言ってノブナガは嘘を言っていないと思っている。

 いくら思い返しても、自分たちはクラピカやソラのことに関してボロを出していないので、嘘をついて、そして自分たちを生かしてまでここに引き止める意味はまるでない。

 なので、彼の言葉に関しては深読みする必要はない。全て真実だと考えるべきだろう。

 

 しかし、ノブナガがそう思っていても、リーダーが同じように思ってくれるとは限らない。むしろその可能性は極端に低い。

 まず間違いなく、自分たちは団長とやらのお眼鏡には適わない。それは良いことなのだが、そうなると生かして帰してもらえる可能性はあまりに低い。

 

 そもそも、あのゴンとノブナガの腕相撲の後、自分たちを生かして帰すという結論を出したのが奇跡的な幸運だ。

 ここまで連れて来てしまった挙句に、メンバーの顔をほぼ全員知られたのなら、殺して口封じが一番楽なはず。

 帰って来た団員たちと団長が、今度こそそんな結論を出しても何ら不自然ではない。むしろ、現状が不自然極まりないのだ。

 

 だからキルアは必死で考える。

 帰って来て団長とやらに「殺せ」と命じられたら、この男は多少の説得を試みるくらいの期待は出来るが、あくまでダメ元で言ってみるくらいしかしてくれないのもわかっている。

 間違いなく、命じられたら自分たちを殺すことに躊躇いはない。むしろ引き止めた自分の責任と恐らくは慈悲のつもりで即死させてやるために、処刑役を買って出そうな相手だ。

 

 そんな優しさは、キルアもゴンも望んでいない。

 なので、必死になって頭を働かせて考える。

 この場から逃げること、逃げ出す方法を考えて考えて考え抜く。

 

 しかし、いくら考えても何も思いつかない。

 相手は一人とはいえ、場所が悪ければ相手も悪い。間違いなくこの男の実力はヒソカクラスであることを、目の前で座り込みながら全く隙がないという事実で知れる。

 

 いっそ、ゴンや自分を気持ち悪いぐらいに気に入っているヒソカに頼るというのも考えたが、自分の首筋についた傷を思い出してその考えは捨て去る。

 自分達のことを知らないふりをしていたことからして積極的に殺す気はないのだろうが、おそらくは助ける気も皆無に等しいことは、あの殺気で十分に理解した。

 

 そしてふと、思う。

 今更なIf(もしも)を考える。

 

(もし……、ゴンがあそこで致命傷を負わされかけたら……、そしたら俺は、動けたかな)

 

 ヒソカの殺気に怖気付いて動けなかった自分を思い出し、そこから連鎖的に嫌な思い出をいくつもいくつも思い出す。

 

 最終試験で、ゴンやソラを殺すと言われても戦えなかった自分。

 ヒソカの殺気で、真っ先に逃げ続けた自分。

 

 そんな自分に呆れるような声音で、キルアの疑問に答える声。

 

『――できないね。お前は……』

(ちがう!!)

 

 脳裏の兄の声を否定する。

 しかし、耳を塞いでもそれは己の体の内側から、脳髄から染み渡るように響きわたる。

 

『倒せるか倒せないかの方が大事だから』

 

(ちがう)

 

『倒せない』

『答えは出ている』

 

『殺せるか殺せないかでしか』

 

『無理だね』

 

『勝ち目のない敵とは戦うな』

 

(ちがう!!)

 

『友達よりも――』

 

 それでも、キルアは否定して否定して否定して、握りしめる。

 深い真紅の宝石を。

 

『キルアがどこにだって行けますように』

 

 自由を、無限の可能性をくれた人の願いそのものを握りしめて、彼女の願いだけを糧にして頭に鳴り響く兄の声を押さえつけ、立ち上がる。

 

「おっかねぇなぁ……。殺る気満々って面だぜ?」

 

 その石につけられた意味は、「友情」、「不屈」、そして「明晰な思考」だが、今のキルアは現状で最も必要な三つ目が欠け落ちていること、その石を言い訳にして放棄していることに気付かないまま、眼を見開き、顔面蒼白で冷や汗を流して真正面からノブナガを睨み付ける。

 

「先に言っとくが、俺の間合いに入ったら斬るぜ」

「キルア!」

 

 そんな彼を面白そうに低く笑ってからノブナガは忠告し、ゴンも声を掛けて止める。

 ゴンの声は聞こえているのか怪しいぐらい、鬼気迫った形相でキルアはしばしノブナガを睨み続けていたが、彼の居合抜きをどうやっても突破できないと「明晰な思考」が欠け落ちても働き続ける「呪縛」が訴えかけて、結局また動けなかった自分の代わりにすぐ横の壁を殴ることで少しだけ頭を冷やした。

 

「…………まともにやり合うのは無理だ。なんとか……逃げる方法考えよう」

 

 小声でそう言ったキルアに、先ほどよりはマシだがゴンは危なげなものを感じ取り、彼もまたここから逃げ出す方法を考える。

 先ほどからゴンも色々と考えてはいるが、どちらかというと逃げ出すよりもノブナガ正面からやり合う方法ばかり考えていた。しかしキルアの様子を見れば、相手がムカつく、ブッ飛ばしたいという気持ちは吹っ飛んで、とにかくキルアを連れ出してやりたいとしか思えなくなった。

 

 が、ゴン自身も自覚があるが、基本的に考えること、頭を働かせることが大の苦手分野であるゴンは、割と早々に考えることが脱出手段からキルアの様子をどうしたら元に戻せるか? に変化していった。

 元々、キルアが心配だから早く逃げ出したいと思ったので、脱線はしてないと言えばしていないが、キルアが知れば腹が立つくらいのマイペースっぷりである。

 

「……暗くなってきたね。……レオリオの方はどうなってるかな? うまくゼパイルさんと合流出来てるといいけどね。

 …………キルア? 大丈夫?」

「――――――ああ」

 

 幸か不幸かキルアはいっぱいいっぱいなのでゴンのマイペースっぷりに気付かないまま、彼の小声での雑談を生返事で答え続ける。

 そんなキルアに根気強く、ゴンは話しかけているとふとしたことを思い出した。

 いや、正確に言うと思い出せなかったからキルアに素で尋ねた。

 

「あれ……? ゼパイルさんに教えてもらったのって、ヤキヅケとヒラキと……あと何だっけ?」

「……忘れた」

 

 キルアは本当に忘れたのか、ちゃんと聞いていないだけなのか、相変わらず生返事しか返さないので、諦めてゴンは自分の記憶を掘り返して思い出そうとする。本格的に、思考が脱線し始めていることに彼は気付いていない。

 

(ヨコヅケ……だっけかな。なんか違う気がするな。

 昔の接着剤を熱して溶かして、もう一度着けるのがヤキヅケで……)

「ゴン」

 

 しかし、その脱線した思考はすぐさま引き戻される。

 

「俺が囮になる」

 

 相変わらず顔面蒼白で冷や汗を流しながら、まるでそうしないと死ぬとでも言いたげな程に切羽詰まった様子でキルアは言った。

 

「その隙にお前だけでも逃げろ」

「何言ってんの?」

 

 キルアはノブナガに聞こえないことを期待した小声だったが、ゴンは素の声量で言った。

 本気で彼からしたら、キルアが何言ってるのかがわからなかった。

 

 そしてキルアの期待は、意味などなかった。

 

「全くだ。やめとけ。

 ()の力量がわからねぇほど未熟でもあるめぇ。隙なんか作らねぇよ」

 

 しっかり聞き取られていた、作戦とも言えないただの神風特攻宣言。

 そう、これは囮どころかキルアが犠牲になることが大前提の作戦。

 

 相手の居合抜きは確かに強力無比だろうが、刀という得物からして複数人を相手取るのは不利。

 一人が死を覚悟して特攻すれば、必ず隙は生じる。そしてその隙を、ゴンならば突破できると信じて、キルアは立ち上がり、歩を進めようと足に力を入れる。

 

『無理だね。お前には……』

 

 しかし、その足を竦ませる声がまた、鼓膜の奥から響き渡る。

 だからキルアは、ノブナガよりもその呪縛の声に対して言った。

 

「うるせぇよ。

 やってみなきゃわかんないだろ?」

 

 縋るように、ペンダントトップを握りしめながら。

 彼女のようになるんだと、決意しながら。

 彼女が一番求めていない結論であることに、気付かぬまま。

 

 そんなキルアの様子を見てゴンは彼が何を考え、何を望んでいるのかを理解したのだろう。

 理解しつつも、認めたくなくて彼はキルアの腕を掴んで止めるが、彼はその腕を振り払ってヤケクソとしか思えない声音で叫ぶ。

 

「キルア! 何考えてんだ?」

「あいつの初太刀は俺が死んでも止めるから、その間に逃げろっつてんだよ!」

 

 なので、遠慮なくゴンは殴った。

 キルアの頭にスコン! と拳骨を一発叩き落とすと、キルアは数秒間、何が起こったのか理解できなかったのか呆然とフリーズして、それから一気にキレてゴンの胸倉を掴みあげる。

 

「何しやがるんだてめぇ!!」

「勝手なこと言うな!!」

「ああ!?」

 

 きょとんとしているノブナガを尻目に、いきなり始まった喧嘩。

 ここでも、ゴンは歪みなくゴンであることを証明する名(迷?)言を言い放つ。

 

「死ぬとか簡単に言うなって言ってんだ!!」

「んだとぉ!? おめーだってさっき言ってただろが!」

「俺はいいの!! でもキルアはダメだ!!」

 

 逆ギレでも責任転嫁でもない、これ以上ない見事なわがままに思わずキルアだけではなくノブナガも絶句した。

 しかもゴンは、昨日のソラの問いに対する発言とは違って今回はキレている真っ最中というのもあり、自分のわがままであることを認める気も撤回する気も一切ないのか、強い意志を宿した眼でキルアを睨み続ける。

 

「~~~~~~~~~!」

 

 理屈などないめちゃくちゃなわがままだというのに、キルアはその眼に睨み付けられると何も言えなくなる。

 何故、何も言えなくなるのか、その理由はノブナガが実に楽しそうに、おかしげに笑いながら答えてくれた。

 

「くっくっくっく……。強化系バカにゃ理屈が通用しねーんだよなぁ」

 

 全くもってその通り。

 キルアもキルアで理屈ではないことをやらかそうとしていたが、本物のバカ相手にはまだ甘かったとややおかしな反省をしながら、キルアは掴みあげていたゴンの胸倉を突き飛ばすように離しながら、意味がないと理解しつつ怒鳴りつける。

 

「死ぬ気でやんなきゃこっから逃げられねーーんだよバカ!! 人の気も知んねーで勝手なこと言ってるのはどっちだ!!」

「あー、知らないねバカだもん!! でもキルアの方がバカじゃん! キルアは俺のことを助けようとしてるんじゃなくてソッ「黙ってろバカ野郎!!」

 

 キレたキルアにゴンも買い言葉に売り言葉で言い返すが、その最中にゴンが何を言いかけたかを理解して、キルアは割と遠慮のない腹パンをブチ込んで強制的に黙らせた。

 さすがにキルアの結構本気な攻撃にノブナガが「ちょっ、おまっ!」と焦ったような声を上げるが、素で頑丈な上に強化系のゴンはしばし腹を押さえて倒れ込む程度で済んだ。

 

 そんなゴンの前にキルアはガラ悪くヤンキー座りで座り込み、今度こそノブナガに聞こえない声量でゴンに先ほど以上にブチキレながら言う。

 

「名前を、出すな。バカ野郎」

「あ…………」

 

 ゴンの方は未だに「赤コート」がソラのことだろうとは思っていないが、旅団のリーダーがソラの眼に執着していることは聞いていたので、ここで彼女の名前を出すのがどれだけ危ないことなのかを今やっと気づいたらしい。

 そのことに気まずげに眼を逸らしていたが、ノブナガが「おい、何だっていうんだ?」と訊いてきたのをいいことに、先ほどの腹パンはまさしく自分が悪いので気にしてないが、キルアの自殺志願同然の提案に関してはまだ怒っていたので、腹を押さえたまま仕返しに叫ぶ。

 

「き、キルアは俺を助けたいんじゃなくて、キルアが好きで好きでたまらない大好きな憧れのおねーさんみたいになりたいからやってるだけの癖にーーっ!!」

「おいコラてめーーっっ!! 黙ってろって言ってんだろうが!!」

 

 ゴンの名前を出さない代わりに、余計に恥ずかしくなったセリフで更にブチキレたキルアが、顔を真っ赤にさせてまたしてもゴンに掴みかかり、ノブナガはそのセリフとやり取りに腹を抱えて爆笑する。

 何気にノブナガが不審に思ったキルアの行動を、「ただの照れ隠し」と解釈にしてもらえたファインプレーなのだが、もちろんゴンはそんなことを考えていない。ただのキルアに対する嫌がらせである。

 

「かっかっか! あーそうかいそうかい! 惚れてる女がそんなに男前なら、そりゃそんぐらいの意地を張らなきゃ男が廃るわな」

「惚れてねーよ!!」

 

 勝手に納得して爆笑するノブナガに、キルアは全く説得力のない否定をして更にノブナガを笑わせる。

 そしてノブナガはたっぷり2分は笑って、笑い過ぎで出た涙を拭ってから、改めて話し始めた。

 

「やっぱお前ら面白ぇわ。

 なぁ……悪いようにはしねぇ。大人しくしとけ。おめぇが本気なのはよくわかってる。ムダ死にすんな。団長が戻るまでの辛抱だ。そこで団長の御眼鏡に適わなきゃ帰してやるよ。

 だが、ここで逃がすくれぇなら斬る……! 俺に刀を抜かせるな。俺が抜けば、お前らは死ぬ」

 

 ノブナガの言葉に、キルアは内心で「お前の言う通り、確実に生きて帰す保証があるのなら大人しくしてやるっつーの!!」と毒を吐くが、ゴンは全く違う部分のみ耳に残った。

 

『俺に刀を抜かせるな』

『俺が抜けば』

 

 その、あまりに何気ない言葉が全く関係のない情報を繋げる。

 

「あ!!!」

「「!?」」

 

 いきなり無邪気な声を上げたゴンに、キルアとノブナガは同じきょとん顔になってゴンを注目するが、彼は無邪気に楽しそうに笑いながらキルアに向かって「思い出した!! ヨコヌキだよヨコヌキ!!」と、訳の分からないことを連呼する。

 

 初めの内はキルアもノブナガと同じく、ゴンが何を言っているのかを理解できず同じ顔をしていたが、「ヤキヅケとヒラキともう一つがヨコヌキ!! キルアが壺の謎を解いたヤツ!!」と言われて、一瞬の間を置いて彼も納得したような声を上げる。

 

「あ」

「思い出した?」

「あ、……ああ! 思い出した思い出した!!」

「ね!! こんな簡単なことに気付かなかったなんて!!」

「? ?」

 

 今度はノブナガ一人置いてけぼりにされて、子供は実に無邪気に二人ではしゃぎ合う。

 仕舞いにはノブナガは「……箸が転げてもおかしい年頃なんだろう」と結論を出しかけたが、その解釈も正しいが彼らは子供であると同時に、戦う覚悟を決めた者達だった。

 

 急に笑うのをやめたかと思ったら、二人そろって同時にノブナガを見た。

 ただ無理な特攻だとわかっていながら、死の恐怖をねじ伏せて、見ないふりをして睨み付けるのではなく、その眼には強い意志が光を放っている。

 

 帰ってこない、信じたくないが本当はわかっている、今は亡き親友によく似た二対の眼がノブナガを射抜くように見据えて構えた。

 

「すっきりしたとこで」

「行くか」

 

 初めに親友の面影を見て気に入ったゴンはもちろん、面白いとは思うが慎重なのか意地っ張りなのかよくわからない行動を取るキルアも、今度は絶対にうまくいくと確信しているのか、自信に満ちた眼をしていることに嫌な予感を覚えるが、それをノブナガは頭から振り払う。

 いくらなんでもまだ固有の念能力すら得ていない子供に負けるほど耄碌していないし、そしてその程度の子供だからと言って油断するほど青くもない。

 

「本気か? 死ぬだけだぞ!!」

 

 尋ね、そして最後の忠告を告げる。

 

「こちとら居合切りを手加減する程、器用でもお人好しでもねーぞ!」

 

 しかし子供二人はその言葉を無視して、同時に一直線に突っ込んできた。

 居合抜きという技の特性上、同時に動けば何とかなるという浅知恵を働かせたかと思い、ノブナガは「馬鹿が!!!」と本気で愛弟子に対しての失望やその才能が潰えることを惜しむような気持ちになって罵り、刀の柄に手を掛ける。

 

 が、その瞬間二人は別れた。

 ノブナガの間合いを見切って、その手前で同時に左右に分かれてそのまま壁に向かってダイナミックお邪魔します!!

 

「こいつら、壁を!!?」

 

 ノブナガの何気ない言葉から思い出した情報。

 

「ヨコヌキ」

 

 密閉された入れ物の、本来の接着口とは別の部分に穴を開けてそこから中身を取り出し、偽物とすり替えて穴を塞ぐ贋作の手段。

 

(出口が塞がれてるなら)

(別なとこから出ればいい!!)

 

 そんなただの雑学に過ぎなかった情報を、あまりにも大胆な形で応用して、二人はひとまず小部屋からの脱出に成功した。

 

 * * *

 

「女三人寄れば姦しい」という言葉を体現するように、楽しげに化粧品やらファッションのことで盛り上がるネオンとその侍女二人。

 その横で、護衛役のセンリツとバショウは半ば死んでいた。

 

 しかし飛行船の搭乗時刻まであと数十分なので、これでもう黙って荷物運びに専念するだけでも拷問じみた買い物の時間はもうないのが救いなのか、二人はぐったりしつつもホッとしていた。

 

「……あたしもトイレ行ってくる。荷物ちゃんと見ててね!」

 

 怪しげな人物や害意がある者が周囲にはいないことを確かめて、センリツ達はネオンが目の前から数メートルほどしか離れていない女子トイレに入っていくことを見送る。

 本当はセンリツあたりが一緒に入るべきなのだろうが、あまりに仰々しい護衛だとそちらの方が目立ち、ネオンもそこまで行動を見張られるのは嫌がったので、護衛二人は侍女と一緒に大人しくトイレ前のベンチで待つ。

 

 そしておそらくネオンは興味がないだろうが、もし聞かれて父親の方に断片的でも耳に入ったら厄介な話を、ちょうどいい機会なのでバショウは持ち出した。

 

「……クラピカの奴、あのままで平気かね」

 

 バショウの問いに、センリツはしばし沈黙して「体の疲労の方はあたしの笛で少しは回復したと思う」とだけ答えた。

 バショウが聞きたいのは、そんな肉体的な話ではないことを知りながら、自分から話そうとはしなかった。

 

 しかしバショウもそれで引くのなら、そもそも話題に出さなかったこと。

「暗殺の話はお前、どう思う?」と核心をついてきたので、センリツは深い溜め息をついて語り始めた。

 

「あたしじゃなくても、見ればわかるでしょう? 全然納得も同意もしてないわ。本心ではあの子を連れ出して、今すぐヨークシンから逃げ出したいところでしょうね。

 ……でも、彼の『殺したくない』は本心だけど、『殺してやりたい』というのも間違いなく本心よ。50:50じゃなくてどちらも100。割合が変わりようのない、相反する本心からの願望を抱えているからこそ、彼自身の意志じゃなくて周囲の空気や流れがどちらかの願望を表に引きずり出して、クラピカの行動に強く影響を与えてるって感じかしら」

 

 センリツの言葉にバショウは、「優柔不断な奴だな」とシンプルな結論を出すが、センリツはその評価に訂正を入れる。

 

「優柔不断とは違うわよ。彼は選びたい答え、行き着きたい結末自体はもう既に決めているわ。

 ……だけど、その答えを選び取っていい権利が自分にはあるのか、その結末に自分がたどり着いてもいいのかという罪悪感を抱え込んでいるからこそ、答えが決まっているのに彼を迷わせているんでしょうね。

 

 本来なら自分が手を汚すはずだったのに、誰よりも何よりもそれをさせたくなかった人、その人を何の負い目もしがらみもなく抱きしめたかったからこそ『殺したくない』と思ったのに、その人に殺させてしまったことが、クラピカが『自分はこのまま幸せになってはいけない』という強迫観念になっているけど、それこそ彼女が何のために手を汚したのか、彼女が罪を犯してでも自分に与えてくれたものの意味を失わせることだっていうのもわかってるからこそ、彼は同じ罪を犯して堕ちてゆくことも出来ないのよ。

 

 ……皮肉ね。どちらも相手の幸せの為なら、どれほどの苦難さえも笑って乗り越えることが出来るからこそ、相手の幸福を誰よりも何よりも祈っているからこそ、その『祈り』こそが相手の罪悪感を増幅させて幸せになれない、なのに幸せになることを諦めさせてくれない『呪い』になっているなんて」

 

 バショウはあまりにも息苦しい生き方をする少年に、同情しているのか、それとも呆れているのかわからない、深すぎる溜め息を吐き出した。

 

「ダルい生き方だな……。そんだけあの子が大切で全てだっていうんなら、それこそあいつは三千世界の烏を皆殺してでも逃げ出すべきなんだ。自分を殺して何の意味がある?」

 

 母国の有名な都々逸(どどいつ)俳句に例え、クラピカのあまりに愚かな生き方を非難する。

 今度は訂正も否定もセンリツはせず、ただ静かに同意した。

 

「この仕事が片付いたら、その金で俺は世界をバイクで回る。人生を楽しまないのは罪だぜ」

 

 バショウのシンプルだがきっとそれが一番正しいであろう人生観を、クラピカにも、そして自分達がホテルを発つ頃になっても未だ熱が下がってなかった彼女にも聞かせてやりたいとセンリツが思っていたら、バショウがふと結構長く話し込んだというのに、未だネオンがトイレから戻ってきていないことに気がついた。

 

「…………だが、遅いな」

「混んでるのかしら?」

「ちょっと見てきます」

 

 二人の言葉で侍女も気が付き、一人がトイレの中に入っていった。

 そして1分もしないうちに着物で走りにくいがそれでも懸命に走ってきて彼女は報告した。

 

「誰もいません!!」

「「何ィ!?」」

 

 バショウもセンリツも、出来る限りの警戒はもちろんしていた。そしてセンリツの能力なら、あの距離でもトイレ内の会話くらい盗聴は可能だった。

 しかし当然、そんなことを何の意味もなくするほど彼女は悪趣味ではない。

 

 そして何よりも、オークションハウスを襲った盗賊は自分の護衛が3人も死ぬような相手だと知らされていながら、その場で変装の為の服装を用意して、トイレで赤の他人に一時的とはいえ協力を仰ぐという、計画的なのか行き当たりばったりなよくわからない行動力をネオンが見せるとは、護衛や侍女はおろか、父親でさえも想像していなかった。

 

(いいもん。一人で行ってやる)

 

 そしてその愚かな思い付きがどのような結末を迎えるのか、無知な未来視は何も知らないまま蜘蛛の巣へと飛び込んで行った。

 

 * * *

 

「はっ!? 逃げ出した!? あのバカガキ、何考えてるんだ!? 自分の未来占えないんなら、なおさら警戒して動けっつーの!!」

 

 ネオンが逃げ出した報告を、ネオンの侍女にして自分の恋人であるエリザから報告を受け、雇い主がいないのをいいことに、絶対に聞かせられない暴言をスクワラは吐き出した。

 暴言を吐きつつも、さすがに古株なので行動が早い。

 

 スクワラはとりあえず、オークションが行われるセメタリービル周辺、許可証なしに自由に行き来できる範囲内を探せと自分の愛犬たちに命じる。彼女の護衛となって長いので、今更ネオンの持ち物の匂いを嗅がせる必要性はなく、犬たちは一斉にホテルから飛び出した。

 

 さすがにセメタリービル前の検問を強行突破するほどのバカでも、小賢しく検問を突破できるほどもの知恵もないと判断し、父親に頼んで検問内にまで犬を入れてもらうように頼む必要はないと考えた。

 しかし、それでも検問の外周辺となると範囲が広すぎる。

 

 なので、更なる人海戦術に頼ることにして、スクワラはヴェーゼに電話を掛ける。

 

「おい、ヴェーゼ。今、大丈夫か?」

《あら、どうしたの?》

 

 部屋で匿っている恩人の看病をしているはずのヴェーゼが、思ったよりも軽い調子で答える。

 何をしても全く熱が下がらないことに、クラピカと同じだけ青い顔をしていたのを見てきただけあって、スクワラがその様子にちょっと困惑しつつも、ネオンが脱走したこと、彼女の念能力でネオンを探して見つけだし、確保できる人材を作ってくれと頼んでみたら、「絶妙なタイミングね」とヴェーゼは答えた。

 

《ちょうどついさっき、急にこの子の熱が下がり始めたのよ。息も苦しそうなのが普通の呼吸になってきたし、そろそろ四六時中見てなくても大丈夫そうねって思ったところよ》

 

 言ってからヴェーゼは「せっかく休憩出来ると思ったのにー」と軽口を叩くが、その声は安堵に満ちている。

 スクワラも、クラピカと自分を重ねたから反対しないで味方してやっただけに過ぎないのだが、それでもやはりあの死んだ方がマシではないかと思わせるほど苦しげだったのが回復してきたと知れば嬉しくなるし、彼女が少しでも回復したのならクラピカの死にそうな様子もマシになるだろうと考えたらホッとする。

 

 が、悠長に喜んでいる場合ではないので、スクワラはヴェーゼに適当な人間に能力を使ってとにかくネオンを見つけて確保しろと命じる。

 

 いくら熱が下がって回復してきたとはいえ、まだ眠りっぱなしで眼も見えない状態であろう、未だ名前も知らない彼女を一人で部屋に残すのは不安だったが、センリツが言うには昨日、クラピカが抱きかかえて連れてきた時はあれでも意識はあったらしいので、自分が今いる場所や置かれた状況くらいは理解しているだろうとスクワラもヴェーゼも考える。

 

 それだけ把握しているのなら、起きてもパニックは起こさないだろうと判断し、探索等で役に立つ能力を持たないリンセンに待機とたまにでいいから彼女の様子を見ることを頼んで、スクワラとヴェーゼはホテルから出て行った。

 

 クラピカが連れてきた「赤コート」を匿うことに反対していたリンセンだが、さすがに見捨てたいわけでもなく、事情を聞けば彼女のおかげで旅団の11番を倒し、クラピカが戻ってこれたのなら、少しくらいは協力してやろうという気にはなっていた。

 

 しかし、その後ネオンはどうやったのかセメタリ―ビル内に入り込んで気を失っていたという連絡が入るわ、そのセメタリ―ビル周辺で派手な騒ぎが起こるわと予想外な事態が連続して起こり、ホテルに待機して護衛メンバーやライトからの連絡のまとめ役となっていたリンセンは思った以上に多忙が極まり、彼がスクワラとヴェーゼから頼まれていた様子見を思い出して行えたのは、それから3時間後のことだった。

 

 3時間後。

 彼は部屋の鍵はかかったままだったが、ガラスと窓枠を外されている無人の部屋を見つけることとなる。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 甲斐甲斐しく看病をしてくれていたヴェーゼが部屋から出て行って、十数分後。

 

 熱が人並みにまで下がった身体を、ベッドから起こす。

 そして、何かを確かめるように左掌を握ったり開いたりを繰り返しながら、両目に巻かれた包帯をほどいた。

 

 包帯をほどき、両目を開いてベッドから降りる。

 靴が見当たらなかったので、スリッパを履く。自分の「身体」なら気にも留めなかったが、今から外を歩くのにこの「身体」を素足で歩かせるわけにはいかなかった。

 

 そして、スリッパを履いたらドアと窓を見比べてから、窓を選んで開けた。

 ドアから出ないのは、見つかったら事情を上手く説明できる自信がないからと、上手くできたとしてもその説明をしている時間が惜しいから。

 

 しかし、部屋の窓は換気目的の隙間しか開かないタイプのものだったので、しばし窓の前で悩んでからガラスごと窓枠を外してしまう。

 

 10階未満の部屋だが、その高さはロープの類を使って降りるにしてもそのような訓練をした者でないと身が竦む。もちろん何も使わずに飛び降りるのなら、自殺志願でしかない高さを見下ろしながら、「彼」は言った。

 

「――案ずるな」

 

 白い髪をビルとビルの間を吹き抜ける風でなびかせ、窓枠を外してもはやただの壁の穴となった縁に足を掛けながら「彼」はその身の内側で眠る人に告げる。

 

「必ず、今度こそお前の願いを叶えてみせる。だからどうかそこで、幸せな夢を見ていてくれ。

 ……ああ、オレと同じように夢を見るのなら、お前が見る夢はオレの現実か。……ならば尚更に、オレは気が抜けんな」

 

 言葉だけ聞くと面倒くさそうにも、プレッシャーを感じているようにも聞こえるが、その(かんばせ)はどこまでも穏やかな淡い微笑み。

 自分の行いがそのまま、「彼女」に見てもらえること、それがもしかしたら「彼女」の幸福に繋がるかもしれないことが、この上なく光栄で喜ばしいことだと思っていることが一目でわかるほど嬉しそうに笑いながら、「彼」は何の躊躇もなく飛び降りた。

 

 そしてまるで重力の枷から解き放たれているかのごとく、猫のように音も立てず軽やかに地面へと降り立った。

 もちろん、その身体にオーラを纏い肉体も身体能力も強化していたからこそできた芸当ではあるが、何より凄まじいのは着地の際に衝撃を全て受け流して逃がす技能だろう。

 

 大切な「体」だから傷つけるつもりは毛頭なく、「彼」は自分の持てる限りの技能を使って守った。……そう思うのならそもそも飛び降りるという手段を使うなという正論は、若干どころではない思考のずれを持つ「彼」にはちょっと通じない。

 

 なので「彼」は、自分がしたことを何ら疑問に思わないまま、そのまま気配を消して歩き出す。

 

「彼女」の願いを必ず叶えると言っておきながら、実は具体的にどうしたらいいのかは全く何も考えついていない。

 自分はどこにいけばいいのかすら、わかっていない。

 

 だけど、あのまま無意味に焼かれて消えてゆくか、力尽きて沈み、溶けてゆくのを見ているだけというのは耐えられなかった。

 

 故に、「彼」にとって今は最高に幸福な時だった。

 どれほどの傷を負っても、その身を削りに削って壊れ果てても歩みを止めなかった人が、やっと自分の腕の中で休んでくれたこと。

 そして、その人のために出来ることがある。出来ると信じてくれたことは、先払いにしてもあまりに過ぎた褒美だった。

 

 だからこそこの褒美に、この幸福に報いる為に彼は迷いなく歩く。

 根拠は特にないが、匂いたつような悪意を放つ地はすぐ近くにあるので、そこを目指して。

 オークション会場であるセメタリ―ビルにまで歩きながら彼は、もう一度「彼女」に伝える。

 

「お前の最愛(幸福)は必ず、オレが守り抜く」

 

「彼女」に見せたい、そして自分も見ていたい「夢」を必ず守り抜くことを。

 与えるのでも、見つけるのでもなく、守ることを選んだのは、その「夢」はすでに彼女は初めから手離さないものだから。

 

 自分が未だ手離さない、手首に赤いリボンが巻かれた右手の甲に浮かび上がる、星と月と太陽、空に輝くものを組み合わせた刺青のような紋章、絆の証と同じように。

 

 その絆を、自分を守るために払ってくれた令呪を逆の手の指先で撫でながら穏やかに微笑み、彼は告げる。

 

 

 

 

 

「だからどうか……良い夢を。――――マスター」

 






正直、ゴンとキルアのシーンはやってることも心情もほとんど原作沿いなので書く必要なかったんだけど、どうしてもキルアの腹パンと、ゴンの仕返し暴露が書きたくて書いた。

あと、「彼」が本編登場するかもしれないけど、するとしたら今現在の王位継承編あたりだと言ってたな。
当時は本当にそのつもりだったけど、いつの間にか嘘になった。
……何でだ?

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