死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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ヨークシン編、開始です。
ついでに良い機会だったので、タグをちょっと整理して編集しました。

この連載で一番書きたかった部分なので、読者の皆さんも楽しんでいただけますように。


ヨークシン編
68:運命の夜が始まる


 9月1日、早朝。

 

「うわー! 早朝なのにすごい人だよ!!」

 

 ヨークシンの一般人観光客向けな市場を見渡し、ゴンが実に楽しそうな声を上げるが、その斜め後ろをついて歩くキルアは対照的にややつまらなそうな顔をしていた。

 彼自身も実はゴンとどっこいどっこいな世間知らずなのに無邪気にはしゃぐことが無いのは、単純にキルア個人の性格というのもあるが、この場合は関係なかった。

 

 二人がこのヨークシンに訪れた理由は、キルアを連れてククルーマウンテンから降りた日、ハンター試験を共にした仲間たちと一端別れた日に交わした約束の為だけではない。

 

 天空闘技場でゴンがヒソカに3次試験でのリベンジを果たしたが、試合は見事に遊ばれて敗北した後、くじら島に帰省して得た彼の父、ジンへの手がかり。

 それは、「グリードアイランド」というハンター専用のゲーム。

 

 それがどのような手がかりなのかは、ゴン達もまだ全く分かっていない。セーブデータのROMカードが彼の肉声テープと一緒に入っていたが、テープの音源を念能力で消す周到さからして、もしかしたらこれはブラフの可能性すらある。

 

 だが他に手がかりらしきものは何もないというのもあって、ゴンたちはその「グリードアイランド」入手を当座の目的に定めたのは良いが、定めてすぐにぶち当たった壁は何とも世知辛い「予算不足」という現実だった。

 

 ただでさえ定価が50億以上というゲームとして法外どころではない金額だというのに、調べて一番手に入りやすいと思われたヨークシンオークションの最低落札価格は、当然だがさらに金額が跳ね上がっていた。

 二人はほぼ最短でファイトマネーがもらえない200階まで駆け上がってしまったが、それでも天空闘技場の闘士だっただけあって12歳という年齢からは有り得ない財産を持っている。

 しかしそれでも「G.I」の落札価格からしたら雀の涙、焼け石に水というレベルだ。

 

 もちろん、だからといって諦める二人ではなかったが、しかしながら二人はあらゆる意味で規格外な子供だったが、「商売」や「売買による駆け引き」に関しては完全に年相応な子供だった。

 オークションの存在を知り、付け焼刃の知識を得たことで「自分達も『売る側』で参加して、元手を増やせるんじゃないか?」という真っ当だがあまりに愚かな浅知恵を実行した結果、8億という預金は数日で一千万ちょっとにまで絞り取られた。

 

 その際、ゴンとキルアで喧嘩が勃発。

 預金の大半を失った責任のなすりつけ合いではなく、いかに自分が提案した方法の方がもうかったかという、健全で微笑ましい喧嘩だったのが幸いだが、ゴンもキルアもタイプは違うが強情である所はそっくりなのと止める者がいなかったのも災いして、さらに元手の一千万を二分して9月1日までの2週間でどちらがどこまで増やせるかという勝負をやらかした。

 

 その結果が、現在。

 勝者がゴンであることは二人の表情を見れば明らかであり、そしてキルアの敗因はキルアのぼやいた独り言で判明する。

 

「あ~あ、4コーナーでムームーダンスがこけなきゃ12倍で入ってたんだよな~」

 

 このガキ、よりにもよってギャンブルに手を出して一時は2億ほどまで稼ぎ出したが、引き際を誤って全額失うという自業自得過ぎる結果を迎えたのだ。

 それなのに未だ反省が薄いキルアのセリフに、ゴンは「また言ってる」と言いたげな目で見て、もうすでに数回はしているお説教をもう一度繰り返す。

 

「バクチで一発当てようとするのがまず間違い。

 ソラも言ってたじゃん。『賭け事はなくしても惜しくない額しか使わない自制心と、負けても楽しめるメンタルの持ち主が遊びでするもの。このうちのどれか一つでも欠けてる奴がしたら、時期が早いか遅いかだけで結末は破滅一択』だって」

 

 昨日の夜、勝敗の結果が出てほぼ日課となっていたソラとの電話でそのことを報告した際に、彼女がもう怒るのもバカらしいと言いたげなテンションで伝えた忠告をゴンが繰り返すと、さすがにキルアは決まり悪そうな顔になって、ヤケクソ気味で言い返す。

 

「っせーな! お前こそ2週間で1万5千!? ソラも俺がやらかしたこと以上に驚いて絶句してたじゃねーか! 路上で空き缶置いただけでもそれよりは稼げるぞ!!」

「勝ちは勝ちだもんねー」

 

 キルアの言う通り、今回の勝負の勝者はゴンであるがこれはキルアの自爆のおかげで、キルアが真っ当に金稼ぎをしていたら十中八九ゴンは負けていただろう。

 どうもこちらの場合は、ほぼ騙し取られる形で8億を失ったことでやけに慎重派になってしまったらしく、堅実に稼いだのは良いが堅実すぎて子供のお小遣い程度にしか稼げなかったらしい。

 

 それでもゴンからしたら満足な結果らしく、彼は右腕のブレスレットを掲げて見せながら、誇るように晴れやかに笑って言う。

 

「それにソラも確かに絶句してたけど、その後に『冷静に悪い点を反省できるようになって何よりだ』って言ってくれたもんねー」

「……それ、どちらかというと皮肉じゃねーの?」

 

 ゴンの言葉にキルアは唇を尖らせながら言い返すが、自分で言っておきながらそんなんじゃないことは良くわかっている。

 自分のように失敗したのならともかく、どんなに微々たるものでも成功した者に対してそんな皮肉でしてきたことを否定して、やる気をそぐような人ではないことなどわかってる。

 だからこそ、どちらも盛大に呆れられたがゴンは褒められ、自分は叱られたという事実が気に入らず、八つ当たりで自分の胸にぶら下がるペンダントトップを指ではじいた。

 

 ゴンが掲げて見せたブレスレットも、キルアのペンダントも、どちらもソラからの誕生日プレゼント。

 どちらも、ソラからの「願い」が込められたものだ。

 

 純粋で寛大な心を持つが、その良くも悪くも単純でシンプルすぎる心根が冷静さを見失わせるゴンの欠点を補うために、冷静沈着さを保たせると言われる白翡翠を。

 

 冷静だからこそ、勝率を計算して「したいこと」とよりも「避けたいこと」を優先してしまうキルアが、あの最終試験のような後悔をしないようにと、迷いの心を断ち切るカーネリアンを。

 

 それぞれ本人が一番望む未来を得られるように、得られることを願って、祈って、望んだからこそ贈られたのに、ゴンはやや空回っていたとはいえソラが願った通りに成長しているのに対し、確かに迷いは断ち切っていたがソラどころかキルア本人も今となっては「違う、そうじゃない」と思う方向での断ち切り方をしている為、キルアは自業自得と自覚しているがそれでもやはり面白くなかった。

 

 キルアがまたふてくされているのを見て、ゴンは苦笑する。

 苦笑にしてはちょっと楽しそうな苦笑だが、そこにキルアを見下して嘲る空気は一切ない。

 ただ単に、何かと自分より大人びてしっかり者なキルアの、稀に見れる自分と同い年らしい子供っぽい失敗が見れたこと、そのことでまた距離が縮まったように感じるのが純粋に嬉しいのだろう。

 

「そのかわりオークションの裏話やコツとか駆け引きなんか、かなり詳しくなったよ!」

「そーゆー自称中級者が一番、痛い目あうんだよ」

 

 なのでこれ以上勝負のことをゴンは口にしないで、話を少し変える。本当は負けた方が勝った方の言うことを何か一つきくという賭けをしていたのだが、ゴンからしたらキルアのこういう部分を見れただけで十分なのだろう。

 そんな風に思われていることをキルアも気付いているのか、何か言いたげな顔をしつつも彼もさらに話を勝負から離れたところに誘導する。キルア自身も、もう勝負に関してのことは綺麗さっぱり忘れたいらしい。

 

「ところで、リオレオとクラピカはどうだって?」

「レオリオは午後に着くって。クラピカはソラと一緒で昨日からもう来てるらしいけど、仕事中だから時間が取れないかもってさ」

 

 ナチュラルにレオリオの名前をまた間違えているが、これが特に意味のない悪ふざけだと理解しているので突っ込みを放棄して質問に答えるゴン。

 ゴンの答えに、キルアはまたちょっと拗ねたように鼻を鳴らす。

 

「……ソラとクラピカって、まさか同じ仕事してんじゃねーだろうな」

 

 本人は絶対に認めないだろうが、ソラを取り合う第一のライバルであるクラピカと同じ時期に既にヨークシン入りして、そして同じく「仕事で時間が取れないかも」と連絡を入れたことに対しての疑念をキルアは口にするが、ゴンはあっけらかんと「違うと思うよ」と即答。

 

「俺もそうかと思ってクラピカに訊いてみたけど、クラピカはそんな訳ないって言ってたし、むしろソラも仕事だってことに驚いてたよ。

 第一、ソラは仕事だって言った時すっごく面倒くさそうな声してたじゃん。クラピカと一緒ならソラは多分どんな仕事でもはしゃいでると思うけど?」

「……まぁ、そうだよな」

 

 ゴンの言葉には色々言いたいことやら気に入らない部分もあったが、それを口に出すのも癪なのでとりあえずキルアは矛を収めて納得する。

 ソラの仕事は、ソラが去年も関わったような「曰くつきのお宝」の呪いをあの眼で殺すこと。今年はたまたま……というか、おそらく自分たちの天空闘技場での修行に付き合っていた所為で時間が取れず、事前にそういった物品の呪いを解くのではなく、現地で直接という形になったのだろうと解釈して納得した。

 

 毎日のように連絡をくれたから。

 その声音は、いつもと変わらぬどこまでも晴れやかに笑っていることが鮮明に思い浮かぶ声だったから。

 

 だから、二人は納得して、信じて、詳しいことなど聞かなかった。

 

「ソラもクラピカも、時間が空きしだい連絡くれるって」

「オッケ。んじゃ電源オンにしといて――って、お前もケータイ買えよ!! ハンターの必需品だろが!!」

「あ、そ-だった」

 

 そのことを後悔することなど、二人はまだ知らない。

 

 

 

 

 

 運命の夜まで、あと15時間。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 露店が並ぶヨークシンの雑踏。

 その片隅に腰掛けて、昼食らしき軽食を食べる者などこの時期では珍しくも何ともないが、その3人組はさすがに異様だった。

 

 一人は眼鏡をかけた10代半ばの、可愛らしい顔立ちの少女は何ら問題ない。

 そして一人だけ昼食を食べず、何やら先ほどからもぞもぞと自分の服の裾やら袖を確認している全身黒づくめでやたらと目がつり上がった子供並に小柄な男も、怪しいと言えば怪しいが表の顔役も裏の顔役も集まるこの時期のヨークシンなら、まだ許容範囲内だ。

 

 問題は、最後の一人。

 巨漢という言葉を体現するような体格だけでも、そこらの観光客は畏怖するというのに、顔面にはいくつもの傷痕が走り、お世辞にもあらゆる意味で良いとは決して言えない人相が、強面という言葉では足りない迫力を醸し出して、マフィア等の裏の世界の住人でも関わりは積極的に避けるであろう人物だ。

 

 そんな何の繋がりも見当たらない3人組だが、誰もその3人に注目などしない。

 気付いているが明らか堅気ではないのが一人いる為、さわらぬ神に祟りなし精神を発揮させているという訳でもない。

 しかし、さほど目立たないし、通行人の邪魔にならない雑踏の片隅だからといって道行く人々が誰もこの3人組に気付けないほどの奥まった場所にいる訳でもない。

 

 なのに誰も気付けないのは、この3人はあまりにも自然に気配を殺しきっているから。

 

 追われている自覚などない、見つかったら返り討ちにすればいいだけと考えているが、それでも仕事前に一悶着あるのは面倒だから避けたい。

 

 3人……幻影旅団のメンバーである、シズク・フェイタン・フランクリンが“絶”で気配を殺している理由などその程度に過ぎなかった。

 

「今夜の競売って何時からだっけ?」

「午後9時からだよ」

 

シズクが昼食のサンドイッチをもくもくとリスのように齧りながら尋ね、シズクとは対照的に一口でサンドイッチ一個を口の中に放り込んで飲み込んでから、フランクリンは答えた。

 

「そっかー。じゃあまだまだ時間はあるね。……どこ回ろうかな?」

「? どっか行きたいところでもあるのか?」

 

 フランクリンの答えにシズクは納得してからサンドイッチを食べるのを再開するが、フランクリンの方はただ仕事の開始時間を忘れたから尋ねただけではないと思える独り言が気になって、尋ね返した。

 

 シズクの言う通り時間はまだまだたっぷりあるのだから、仕事の時間までにオークション会場であるセメタリービルに戻ってきてくれるのであれば、どこで何をしようが咎める気はない。

 ただ、シズクは一度忘れたことは絶対に思い出せないので、さすがに仕事そのものを忘れることはあり得ないだろうが、オークション開始時刻をまた忘れたり、会場の場所を忘れる可能性は大いにあった。

 

 シズクは能力柄、今回の仕事には必須の人材なのでフランクリンは見た目にそぐわない面倒見の良さを発揮して、自由行動するのならどこに向かうのかを把握し、絶対に連絡だけは取れるようにしておくつもりで訊いたのだが、シズクはどうも「個人」としての自由行動をする気はなかったらしく、あっけらかんと答えた。

 

「ううん、違う。ただ、時間があるのならちょっとくらい探しておこうかと思っただけ。団長が一目惚れした相手は、私もちょっと見てみたい」

「「シズク、違う」」

 

 シズクの答えにフランクリンはもちろん、我関せず昼食も食べずに隠し持っている暗器のチェックをしていたフェイタンも反射で否定しておいた。

 しかし二人に否定されてもシズクは不思議そうな顔で小首を傾げ、「何が違うの? 団長も探せって言ってたじゃない」と訊き返す。

 その質問にも二人は、「そうじゃない」と突っ込んでから内心で団長こと自分たちの幼馴染であるクロロに同情した。

 

「……シズク。団長が暇があれば探せって言ってたのは事実だが、一目惚れは違う。してない。団長、これ以上ないくらいに即答で否定してただろうが」

 

 さすがにフェイタンは否定のツッコミはしてくれても、シズクの勘違いを正してはくれず、しょうがないのでフランクリンが訂正を入れるが、一度忘れたら思い出さない女は強情だった。

 

「え~、嘘だ~。だって団長、シャルやマチに反対されてもその……ソラ? だっけ? その子も獲物だって押し通してたし、その子がヨークシンにいるって情報を掴んだって話すとき、見たことないくらいに眼をギラギラさせてたよ」

「……お前、忘れるんならいっそ、そいつの存在自体を全部忘れてやれよ」

 

 細かい所は覚えているのに肝心な団長の即答を綺麗サッパリ忘れているシズクの答えに、フランクリンは頭痛を堪えるように頭を抱えて、「……もうそれでいいわ」と彼女の認識を正すことは諦め、心の中でクロロに謝っておいた。

 謝りつつも、改めて考えると確かにクロロの執着はシズクが言う「一目惚れ」と解釈した方が筋が通ると思ったが。

 

 前日、三年ぶりにメンバーが全員集合し、そしてメンバーを集結させるに相応しい大仕事、「地下競売(アンダーグラウンドオークション)のお宝、丸ごとかっさらう」という計画を聞かされた後、それと並行してクロロは宣言した。

 

『ソラ=シキオリを今度こそ捕らえるぞ』

 

 どうやら、ヨークシンのオークションに関しての下調べをシャルナークがしている最中に、10か月近く前に交戦し、団長が異様なほど執着している異能を操る異色の眼を持った女がここ、ヨークシンに訪れるという情報を得たらしい。

 

 心なしか地下競売のお宝よりもクロロはソラ=シキオリがヨークシンにいることを喜び、期待しているように見えた。

 おそらく、クロロ個人としては地下競売のお宝よりもその女の方を優先して手に入れたかったくらいなのだろう。

 

 だが、シャルナークとマチが何故かその女を捕らえることに関して積極的に反対しているので、妥協して仕事として計画を立てて取り組むのではなく、メンバーに「暇なら探せ」程度の命令を下していた。

 シズクはその命令を律儀にこなすつもりらしいが、フランクリンはどちらかというとシャルナークやマチと同じく、その女には関わりたくないと思っていたので、どうすべきかしばし悩む。

 

 ソラ=シキオリに興味があるかないかと言えば、大いにある。

 クロロが散々愚痴った斜め上の言動は、正直ちょっと怖いもの見たさで見てみたいと思っているし、クロロがあそこまで執着する「緋の眼」以上と言い切った蒼天の眼、そしてその眼に付属しているであろう異能も気になった。

 

 しかし、それ以上にフランクリンが気にしたのはシャルナークとマチの反対だ。

 旅団(クモ)という集団には一応、「頭」と「手足」という上下関係は存在するが、元々は幼馴染の寄せ集めである為、手足であるメンバーは頭であるクロロに心酔・盲信しているという訳ではない。

 それでもやはりクロロは「頭」であるだけあって「この男についてゆきたい」と思わせるカリスマ性があり、ほとんどのメンバーは多少の理不尽な命令でも文句は言いつつ従うだろう。

 

 そもそも地下競売を狙うという今回の仕事も、世界中のマフィアを敵に回すのだから長期的に見ればデメリットが多い。下手すれば、マフィアと蜜月関係な流星街(故郷)すらも敵に回りかねないというのに、そのことに関して喜ぶ筋肉バカはいれど、反対する者などいなかった。

 

 なのに、ソラ=シキオリに関してはたったの二人だけとはいえ、激しく反対する者がいるというのは旅団(クモ)にとっては結構な異常事態だ。

 だから、フランクリンは訊いた。

 何故、そこまでして反対するのかを。

 

 マチの反対意見はいつも通り「勘」だった。

 しかし彼女の勘は、実は念能力による予知ではないかと時々思うくらいによく当たる。だからこそ、クロロは自分の意見を押し通さず、妥協したと思われる。

 

 そしてクロロ以外で唯一ソラ=シキオリと直接関わったシャルナークは、彼独特の張り付いた胡散臭い笑顔を消し去って、吐き捨てるように言った答えをフランクリンはよく覚えている。

 

『……あれは、無理だ。

 捕らえるとか殺すとか、そういう問題じゃない。正直言って俺は、もう二度とあれと関わりたくはない。本音で言えばクロロにあれがいることを報告すらしたくなかったよ』

 

 何だかんだでクロロに対して「忠臣」「腹心」と言えるような立ち位置のシャルナークが、意図的に情報を握りつぶそうと思ったほど、彼はクロロとは逆にソラ=シキオリを忌避していた。

 

 その理由は、シンプルな一言で説明された。

 

『――あれは、化け物だ』

 

 たった一言、それだけを語ったシャルナークの瞳に浮かんでいたものは、「恐怖」だった。

 シャルナークの役割は後方支援が主だが、能力はシズクやパクノダのような代わりを探すのが困難なレアものではなく、操作系としてスタンダードなもの。

 なのでいざという時は自分やウボォーギン、ノブナガなどと同じく替えの利かない能力を持つ仲間を守るための肉壁であり特攻役でもある。

 

 旅団メンバー全員に言えることだが、その中でも死ぬことに関して何ら思うことが無いはずの彼が、いつもの胡散くさい笑みを貼りつける余裕もなく、本気で怯え、畏怖し、忌避しているという事実が、フランクリンの背筋に悪寒を走らせた。

 

 だからこそ、フランクリンもマチやシャルナークと同じくソラ=シキオリという女を捕えるのはもちろん、探すのも積極的にはしたくない。

 

「……師の方が一緒じゃないのが残念ね」

「けど、弟子の方を捕まえたら師匠の方も出てくるんじゃない?

 フェイタンをブッ飛ばしたのも、弟子の方を心配してそっちに向かおうとしてたからだったみたいって、パクやマチが言ってたし」

「黙るね、シズク。どうしてお前は、余計なことだけは無駄に覚えてる?」

 

 しかし、どうやらシズクだけではなくフェイタンの方も仕事の時間までソラ=シキオリを探すつもりらしい。

 彼の場合、その女に興味がある訳でもクロロの為でもなく、彼が相対してそして能力を発動させる隙も暇もなく文字通り吹っ飛ばされた、ソラの師であるハンター、ビスケット=クルーガーに対してリベンジがしたいだけだろう。

 弟子を捕えて人質にして呼び寄せ、もしクロロが許すのであれば弟子に趣味の拷問をかけ、その師に壊されきった残骸の弟子を見せつけて、そして今度こそビスケット=クルーガーを殺して10か月前の屈辱を晴らしたいというサディストの見本のようなことを考えているのは、長い付き合いなので考えるまでもなくわかっている。

 

 そして、自分の言葉でその欲求を抑えるほど聞き分けがいい訳ないのも同じくらいわかっているので、フランクリンは深いため息をついてから言った。

 

「……時間はあるとはいえ、そこまで遠出は出来ないぞ」

 

 シズクもフェイタンも、自分と比べたら代替が難しい能力の持ち主だ。

 だからこそいざという時の為、シャルナークに根源的な恐怖を刻み付けた「化け物」と相対した時の盾として、自分は二人に追随すべきだと判断した。

 

 仲間の為。

 幻影旅団(クモ)の為。

 それが自分の役割だと、フランクリンは当然のことのように思っていた。

 

「生かすべきは幻影旅団(クモ)

 

 クロロが旅団を結成する際に宣言した理念通り、彼は動く。

 自分はもちろん、いざとなれば(クロロ)さえも切り捨てて、それでも代替を見つけて生き続ける「永遠」を信じていた。

 

 

 

 

 

 運命の夜まで、残り9時間。

 

 

 

 

 

 * * *

 

《俺だ。様子はどうだ?》

 

 いつも通り傲慢そうな声音にやや疲れの色を見つけ、クラピカは「あぁ、ボスが暴れたんだろうな」と思うが、思うだけで同情心は一切湧かない。

 旅団(クモ)と同じくらい憎悪する人体蒐集家の娘と、それに(こうべ)を垂れてご機嫌窺いをするハンターなど本心では口を利くのも耐えられぬ相手だが、クラピカは自分の目的の為、たどり着きたい未来のために憎悪も屈辱も飲み込んで、耐え忍ぶ。

 

 自分の耳にぶら下がる、「願い」に触れて心を落ち着かせながら彼は事務的に答えた。

 

「異常なし」

「外からは変化なし」

 

 共に正面口監視をしているセンリツの言葉をそのまま伝えると、ダルツォルネも短く「そのまま監視を続けろ」と命じたので、「了解。何かあったら連絡を入れる」と事務的どころか機械的な定型文でクラピカは応じて、通話を切る。

 

 そして先ほどまでと同じように、競売参加者とスタッフ、そしてコミュニティー専属警備員以外が入ることが許されない範囲のギリギリ外であるビルの屋上から、双眼鏡を使って監視を続行。

 だがさすがに無言でただ正面口を見張るだけでは、いくら集中力があっても足りやしない。

 

「しかし徹底してるわね。コミュニティー専属の警備員以外は会場の半径500m以内に近づくこともできないってのは」

「そうしないと、あの周り中が強面だらけになってしまうからだろう。ここで悪事が行われてますよと宣伝しているような物だからな」

 

 なので、監視がおろそかにならない程度にセンリツとクラピカは雑談を交わしあう。

 何かあったときはいつでも切り上げられるような他愛のない、意味などない、お互いにわかりきってる事象をただ口にするだけの雑談に過ぎないはずだった。

 

「…………一つ訊いていいかしら?」

 

 しかし、そんな話のネタは早々に尽きる。いや、尽きていなくてもセンリツは尋ねた。

 これこそ、先ほどの雑談以上に意味などない。知らなくてもいいはずの話であり、好奇心は猫を殺すことを己の身を以て知っている彼女だが、それでも知りたかった。

 

 彼の「あの心音」の理由と意味を、知りたいと思った。

 

「緋の眼」

 

 クラピカの表情は、ピクリとも動かない。初めて出会った時、面接時と同じく妬むのもバカらしいほど女性のように整った顔立ちは、涼やかな無表情。

 だけど心は、心臓はあまりに正直だ。

 その一言で、穏やかだった心音が急激に速まった。

 

「――ってあなたにとって何?」

「……聞いてどうする?」

「別にどうもしないけど、好奇心よ」

 

 面接時に自分の能力の一端を見せていたおかげか、クラピカにとって「緋の眼」が重要なものであることを気付いているセンリツにも、ただの好奇心の質問であることに対しても思うことはさほどないらしく、彼の心音は緩やかに元の穏やかな音色に戻っていく。

 

 センリツに対してや尋ねられたことに対しては別に、不快感も怒りもない。

 だからこそ、「その音色」がどれほど彼の心に深く刻まれた傷であるかを、センリツは理解していた。

 

 センリツは思い返す。

 ミーティング時のスライド、そして面接時に渡されたリストを見ていた時の彼の鼓動を。

 

「スライドでその画面を見せられた時のあなたの心音(メロディー)すさまじかったから。

 ……底知れぬ深い怒り。そんな感じの旋律」

 

 センリツの答えにクラピカは一度、嘆息する。

 初めからわかっていたが、嘘が通用する相手ではない。

 だから一つの覚悟を決めて、……その覚悟に何度も何度も謝りながら、無意識に手はまたイヤリングに触れて話し始めた。

 

「私はクルタ族だ。我々の瞳は普段、茶に近いが興奮すると赤みが増す。そこで悟られぬ様に黒のコンタクトをしている。

 同胞の奪われた目を探している。仲間の元へ……………………どんなことをしても取り返す」

 

 さすがにあまり細かいことを話すつもりはなく、端的に説明を終わらせて尋ねる。

 

「ダルツォルネに報告するか?」

「…………やめとくわ。殺されたくないからね」

「……そこまでわかるのか」

 

 クラピカの表情は相も変わらず変化はなく、涼やかに整った無表情。

 しかし心音は正直に、センリツの答えに安堵の音色を刻む。

 

 自分に嘘が通じないから話すという選択をしたと同時に奏でていた、自分の意思に殉ずる人の覚悟の旋律。

「話すなら恨みはないがしかたない」と口封じを、本当は絶対にしたくない手段を心臓が軋むほどの痛みに耐えて選んで奏でていたことを知っているから、センリツはあまりに優しく、その優しさにそぐわない場所にいる、まだ少年というべき年頃の同僚を放っておけなかった。

 

 話さないという選択を選んだのは、ただ「死にたくない」と願っただけではなく、そんな理由があったから。

 そんな痛々しい旋律ではなく、穏やかな音を聞いていたいと思ったから。

 

 穏やかなメロディーを奏でるクラピカの心音に少しだけセンリツも安堵して耳を傾けていたが、自分の心音をヒーリングソング代わりにされているとも知らず、クラピカもセンリツに尋ね返す。

 

「君はなぜ、この仕事に?」

 

 正直に話してくれたクラピカには悪いが、センリツは自分のことを話す気はあまりなかった。

 そう簡単に信じられるような内容ではない。見せれば一瞬で信じてもらえる物証はあったが、それはあまり見せたくない、出来ればセンリツ自身が一生目を背けておきたいものだった。

 

「……聞いてどうするの? どうせデタラメ言うかもよ」

 

 だからそう言って誤魔化したつもりだったが、クラピカの心音は穏やかなまま、そして初めて彼は仮面じみた無表情を緩ませた。

 

「目を見ればだいたいわかる」

 

 微笑みとは言えない。けれど、心音と同じく穏やかなその顔にセンリツは少しだけほだされてしまった。

 

「あたしもプロのハンターよ。ミュージックハンターというとこかしら。

 ――ある楽譜を探しているの」

「…………嘘はついてないが、肝心なことは隠してる目だな」

「あはははは、まぁ、当たったことにしておいてあげる」

 

 軽口を叩きつつ、実際にかなりいい所をついているクラピカの言葉で、センリツは正しく自分がこの手の仕事に就く動機を語り始めた。

 

「あたしが探しているのは『闇のソナタ』。

 魔王が作曲したとされる独奏曲。ピアノ・バイオリン・フルート・ハープのための4つがあり、人間が演奏したり聞いたりすると恐ろしい災いが降りかかるとされているものよ」

「……何故、そんなものを探しているのだ?」

 

 クラピカの問いに、センリツは思わず軽く目を見開いて彼を見た。

 尋ねたクラピカの方は、何故相手がそんな反応をしているのかがわからないと言いたげに、不思議そうに首を傾げている。

 先ほどまでの大人びた無表情からは信じられない程年相応な反応と、あまりに平常な鼓動を刻む心臓にセンリツはやや脱力して、逆に尋ね返す。

 

「……ずいぶんあっさりと信じるのね? 普通、こういうのは怪談の類だと思うものじゃない?」

「…………正直言ってそう思いたいところだが、幽霊を物理的に蹴り飛ばして切り殺す人間が実在するのだから、災いをもたらす楽曲くらいあっても驚きなどない」

「待って。その幽霊を物理的に蹴り飛ばして切り殺したって話ちょっと詳しく」

 

 センリツの問いに何故、彼女があんな反応をしたのかを理解したクラピカがやや遠い目になって答えると、割と素でセンリツはクラピカが「闇のソナタ」の存在を信じる根拠に食いついた。

 別にクラピカとしてはもはや笑い話に近い、ソラと出会った当初、一緒にいた4年前の一幕なので話しても良かったのだが、さすがに仕事中に切り上げどころが難しい長話はやめておこうと判断し、センリツの要望は流した。

 

「……まぁ、君のことはまだよく知らないが、その楽曲を使って人に危害を加えようとしている訳ではないことくらいわかる。

 …………だから、余計なお世話かもしれないが、もし君がその楽曲の『災い』を受けたから、その『災い』である呪いを解く為に探しているのであれば、良ければ先ほど話した幽霊を物理的に殺した『除念師』を紹介しよう。

 かなり特殊な方法で除念をする所為か、死者の念に関しては無敵に近いが、他の念に対しては有利に働かない時も多いらしく、君の呪いが解ける保証は残念ながらないが、それでも彼女なら仕事柄、その手の情報も集まりやすいだろうから、会って損はないと思うが?」

 

 クラピカの言葉にセンリツはもう一度、今度は先ほどよりも大きく目を見開いてしばし固まる。

 雪男より見つけることが困難とされている除念師の知り合いがいること、そして紹介出来るほど懇意であることに驚いているのだろうとクラピカは思ったが、それ以上にセンリツはクラピカの心音からその「彼女」との関係を読み取っていた。

 

 眼を見開いて固まった数秒後、センリツは優しげに眼を細めて答えた。

 

「……えぇ。お願いするわ。というか、除念師じゃなくてもぜひとも会ってみたいわね」

 

 少しおかしげにくすくす笑って答えるセンリツを、クラピカは何も気にしていなかった。

 そりゃ、死者の念である幽霊を物理的に除霊したと話されたら、普通に気になって会えるものなら会ってみたいくらい思うだろうとしか考えなかった。

 

 なので、次に発せられたセンリツの問いはクラピカからしたら予想外すぎる爆弾だった。

 

「その除念師の『彼女』は、あなたの恋人なのかしら?」

「!?」

 

 思わず、正面口監視のために使っていた双眼鏡を屋上から落としそうになったのを慌てて受け止め、クラピカは隣のセンリツに目を向ける。

 ……仮面じみた無表情は今度こそ完全に剥がれ落ちていた。

 

 心の内を知っていれば痛々しさしかなかった涼やかな無表情の下にあったのは、17歳らしい少年の真っ赤になって照れて狼狽している顔。

 

「なっ……なっ…………!?」

「あぁ、違うみたいね。でも、その子が大好きなのは本当でしょ? 少なくとも、その耳を飾るイヤリングの贈り主は間違いなくその『除念師の彼女』でしょう?」

 

 クラピカの様子を少しだけ意地悪く笑いながら、センリツは飄々とクラピカの語りたくない、隠しておきたい心の内を指摘する。

 その指摘にクラピカは歳よりも幼い表情、拗ねた子供のように赤い顔でセンリツを睨み付けて、「……心音でそこまでわかるものなのか?」と悔し紛れに尋ねる。

 

「そうね。けど、あなたにとってその『彼女』がとても大切な人であることはすごくわかりやすかったわよ?

 ……あなた、ミーティングの時のスライドもそうだし、面接時でリストを見てた時も、憎悪で燃えたぎる心を落ち着かせようとするように、耳のイヤリングに触れてたわよ。で、実際にそのイヤリングに触れたらあなたの心音、緩やかだけど明らかに心が落ち着いていってたから、そのイヤリングは大切な人からもらったものなんでしょうねって思ってたわ。

 

 穏やかなのに、何かに期待するような高鳴り。それがあなたがイヤリングに触れているときの鼓動。そして、『除念師の彼女』を語っていた時の鼓動よ」

 

 そこまでセンリツが語ると、クラピカは屋上の転落防止柵に真っ赤になった顔を突っ伏して隠し、「……頼むからもう勘弁してくれ」と懇願しだした。

 懇願しつつも、やはり落ち着かなくなった時の癖になっているのか突っ伏しながら指先は自分の耳にぶら下がる空青色の宝石をいじっているのを見て、センリツはちょっと吹き出してから「はいはい」と応じてそれ以上は何も言わなかった。

 

 クラピカがその「彼女」を想う時に奏でる鼓動が、なんという名のメロディーなのか。

 その答えをセンリツは口にしない。

 

 他人である自分が口を出して教えるのは、余計なお世話どころではない野暮なことだから。

 なのでセンリツは、自ら破滅に向かって歩いているようにも見えた少年が、破滅など望んでいない、それを飛び越えた先の希望を目指していると知ったことに安堵することに留め、悶絶する若人が気を取り直すきっかけを与えてやる。

 

「……時間よ。地下競売が始まるわ」

 

 

 

 

 

 運命の夜まで、あと10分。

 

 

 

 

 

 * * *

 

「すげェ面子だな。ほとんど組の幹部以上、親分が自ら来てるトコもあるぜ」

 

 地下競売開始まであと数分を切ったところで、競売初参加のヴェーゼが周りを見渡して呟く。

 

「意外だわ」

「何がだ?」

 

 独り言のつもりだが、ノストラード組代表として共に参加しているシャッチモーノ・トチーノが訊き返してきたので、ヴェーゼは遠慮なく自分の疑問を口にした。

 

「たかが競売でしょ? 別に代理を頼めばいいじゃない」

 

 もう一人の代表者、イワレンコフの言葉で思った疑問らしい。

 確かにヴェーゼの言う通り、いくら欲しいものがあったとしても自分たちのボスのように悪趣味とはいえ子供ならば、「自分の手で競り落としてみたい」という意味のない行為にこだわるのもわかるが、いい歳した大人ならむしろこんな3人一組でしか入れない、武器・記録機器・通信機器の携帯も許されないような競売になど参加したがらないだろう。

 

 しかしヴェーゼの疑問は本当に素人考えだったらしく、「何だ、そんなことか」と言わんばかりの顔をしてトチーノは先輩らしく説明をしてやる。

 

「ここは面子争いの場でもあるのさ。

 高く落札すればその価格の5%が手数料としてコミュニティーに支払われる。まぁ、いわば上納金になるわけだな。自分たちの経済力を示せると同時に、全国のマフィアに名を売り、株を上げる絶好のチャンスっていうことさ。

 その所為で散々競ったあげく高額で落札しちまって、破産した組もあるって話も聞く程だ」

 

 トチーノの説明に納得して最後のオチに少し笑っている間に、会場全体にマイクからの声音が響いた。

 どうやら、地下競売の時間になったようだ。

 

《皆様、ようこそお集まりいただきました》

 

 マイクの声音に反応して、ヴェーゼ達はもちろん会場内のマフィアたちはオークションが行われる壇上に目を向ける。

 そこに立つのは、子供の様に小柄で細い吊り目の男と、その吊り目がさらに小さく見えるような巨漢。

 大男の顔にはいくつもの傷痕が走っており、どう見ても堅気ではないのだがそもそもこの場に堅気などいる訳もない。

 なので参加者はその男を競売進行役(オークショニア)だとは思わなかったが、稀に起こる目当てのものが競り落とせず逆上した参加者を制圧するためのボディーガードだと解釈していた。

 

《それでは、堅苦しいあいさつはぬきにして――》

 

 この場合、一般人だった方が異常事態が起こっていることに気付けただろう。

 顔面傷だらけの大男など現れたら、ごくごく普通に生きてきた人間ならまず間違いなく近づかないし、怪しむ。

 堅気を完全に排除したことが、裏の世界の住人たちの寿命を縮める結果となった事は数秒後に明らかとなるが、そのことに気付ける数秒の余命があった者は少なかった。

 

 

 

《くたばるといいね》

 

 

 

 競売進行役(オークショニア)に扮したフェイタンが独特の発音で終わりを告げると同時に、フランクリンが凶悪に笑い、後ろで組んでいた両手を広げて見せつける。

 第一関節の辺りで切断して、鎖で繋げている指先。異形の両手。

 

 そしてそこから連射される、念能力者以外には不可視の散弾。

 

 

 

俺の両手は機関銃(ダブルマシンガン)!!〉

 

 

 

 まず、会場内で壇上近くにいたマフィアたちが全身に念弾の掃射を浴びて、即死どころか粉々のミンチとなる。

 幸いながらヴェーゼ達は壇上より出入り口近くにいた為、第一弾の念弾掃射は他のマフィアたちが肉壁となり届かず、トチーノが能力を発揮する隙が与えられた。

 

「俺の背後にふせろ!! 風船黒子よ、俺をガードせよ!!

 縁の下の11人(イレブンブラックチルドレン)!!」

 

 しかしそれはあまりにも惨く、そして意味のない時間稼ぎに過ぎなかった。

 

「!?」

 

 11人という人数。そして、人間ではなくオーラそのものだというのに、フランクリンの念弾はやすやす盾である風船黒子を打ち抜いて、トチーノの全身も削ってゆく。

 この時ばかりは、念能力者故に戦闘時、非常時こそ“纏”を無意識にしてしまうという癖が最悪の仇となる。

 半端に上げられた防御力の所為で即死は叶わず、だからと言ってフランクリンの「指を切り落とす」という制約で得た念弾の威力を相殺出来る訳もなく、結果として彼は逃げることも出来ず嬲られる。

 

 それでも、小金目当ての契約ハンターと揶揄されても、そんな職業でもそんな職業なりの意地も誇りもある。

 念弾に全身を削られ、嬲られながらも彼は自分が守った仲間二人に叫び、託す。

 

「逃……げろ!! そして外に非常事態を知ら……!!」

 

 全てを言い終わる前に、念弾がトチーノの頭に命中し、体の大半を失っていたトチーノの“纏”では威力を消しきれず、彼の頭の3分の1は吹き飛んだ。

 それでも、何が言いたかったか、何を託されたかなどヴェーゼもイワレンコフもわかっている。

 

 だから二人はトチーノが稼いだ時間、命を盾にしてくれたことを無駄にせぬように勢いよく扉に体当たりするようにしてぶち開けて、外に出る。

 

 外に出た瞬間、イワレンコフの意識は途切れる。

 意識が途切れても彼は仲間の遺志を守ろうと手足を動かしたが、その動きはあまりに憐れなほどに意味などない。

 床にぶちまけられた脳漿がそのことに気付ける訳もなく、彼は心臓が止まってもまだかすかに残る命の灯が消えるまで、筋肉による痙攣で地を這う虫のように手足を動かし続けた。

 

 その光景にヴェーゼは舌打ちしつつ、履いていたハイヒールを脱ぎ捨てて全力疾走する。

 走りながら、必死で頭を動かしてこの事態を打破する方法を考えるが、何も思いつかないことに泣きたくなった。

 

「どうして私の能力はよりにもよって『キスした相手を一定時間操作する』なの!?」と自ら定めた能力でありながら、遠距離からの攻撃を得意とする放出系と、掃除機という奇抜だがリーチが長い武器を持つ具現化系という相手では、相性最悪で何の役にも立たない能力であることを悔やみながら、全身からオーラを発して少しでも脚力を強化して速く走れるように、少しでも攻撃されてもその威力を相殺出来るようにと悪足掻くが、操作系の彼女はやはり強化系であるそれらが不得手で上手くいかない。

 

 そんな死ぬ物狂いで逃げるヴェーゼを、どこかぼんやりとした無表情で眺めながら、イワレンコフの頭を叩き割ったシズクが自分の武器であり相棒である凶悪掃除機「デメちゃん」を構え、一足飛びで迫る。

 

 必死で走ったのに、その距離は一足で追いつかれる程度の物であったことに絶望しながら、それでもヴェーゼはもはや仕事の為でもトチーノの為でもなく、自分の為、決して手放せない原初の願い、「死にたくない」の一心で足を動かしながら、心の中で絶叫した。

 

 

 

 

 

(誰か、助けて!!)

 

 

 

 

 

「え?」

 

 シズクが自分の真後ろで、場違いなまでに呑気な声を発したことにさえ気づいていなかった。

 ただ、自分の背に振り落とされる斬首台の刃のごとくの掃除機が発する死の気配から、ヴェーゼは逃げることで精一杯だった。

 

 だから初めは、何が何だからわからなかった。

 

 自分の真後ろでした、「スコーンッッ!!」というやけにいい音も。

 急にあれほど自分を追いつめていた死の気配が消え去ったことも。

 会場内で叫んだ「シズク!?」という声も、全てが何も理解できなかった。

 

 だが、死の気配がいきなり消えたことで張り詰めていた糸が切れたのか、ヴェーゼの足はもつれて転んでしまったことで少しだけ冷静さを取り戻し、すぐに起き上がりながらも現状把握のために振り返った。

 

 振り返った先でまず見えたのは、赤い背中。

 赤いフードつきのロングコートを纏った人物が、ヴェーゼを庇うように立っていた。

 ヴェーゼを庇うように背を向けて立っているのと、フードを目深にかぶっているので顔は見えず、またややサイズが大きめのコートの所為で体格も良くわからないので、性別も不明な人物がぐったりした人間の首根っこを掴んで佇んでおり、そのぐったりしている人物に気付いてヴェーゼは一瞬、現状認識の限界を超えてフリーズした。

 

 赤コートが掴んでいる気絶した人間は、イワレンコフの頭を叩き割り、自分を追ってきていた掃除機女だった。

 完全に気を失っている女のこめかみは血で滲んでいたので、おそらくヴェーゼが聞いたやけにいい音はこの赤コートの人物が蹴り飛ばした音なのだろう。

 

 この女……シズクは持っていたものからしてまず間違いなく具現化系能力者なので、ヴェーゼと同じく強化系のオーラ運用は不得手なはず。

 この赤コートが何者かは全く分からないが、オーラの系統が強化系かそれに近い放出・変化系で足先にオーラを集めて蹴り飛ばせば、蹴った位置が位置なので強化系が苦手な相手なら“纏”をしていても脳震盪くらい起こすのは不思議ではない。

 

 直前までヴェーゼはともかく、シズクに気配を悟らせなかったということは本当に攻撃直前まで“絶”状態で気配を消していたのだろうが、そんな状態から瞬間的に足先へ“凝”ができるものだろうか? と考える余裕はさすがにヴェーゼにはなかった。

 

 会場内でフランクリンとフェイタンがシズクが反撃されてやられたことに気付き、フランクリンは片手をこちらに向け、フェイタンは全身にオーラを巡らせて発する。

 しかし、攻撃はしかけてこない。混乱して隙だらけのヴェーゼはともかく、赤コートの方に隙がないのと、その赤コートが気を失ったシズクの首根っこを掴んで離さないので、攻撃のしようがなかった。

 

 シズクという人質のおかげで向こうが動けないのをいいことに、赤コートはシズクを掴んでいる手とは逆の腕を上げて、無言で指さす。

 出口の方に指差す赤コートに、ヴェーゼは立ち上がって「……逃げろって事?」と尋ねると、赤コートは少しだけ振り返って頷いた。

 

 振り返っても、顔の確認は出来なかった。

 フードを目深にかぶっているだけではなく、赤コートはバイク運転時にでも着用しそうなゴーグルをつけて顔を隠していた。

 わかったのは、そこまで顔を隠していてもこの顔の造形は相当整っているということと、フードからこぼれる髪の色が黒だということくらい。

 

 結局、性別さえもわからないまま、それでもどうやら自分に危害を加える気はないし、戦え、手伝えと言う気もないらしい相手に、ヴェーゼはやや強張っているがそれでも笑みを浮かべて本心からの言葉を口にした。

 

「……誰だかわからないけど、ありがと。お礼のキスをしたいから、あなたも必ず生き延びてね」

 

 そう言われて、赤コートは少しだけ困ったような苦笑いを口元に浮かべる。

 その唇を見てヴェーゼは少し思うことがあったが、確認する暇もないのでこの赤コートが必ず生き残ることを信じて、再会を信じて彼女はまた駆け出した。

 

「キス」が能力発動条件であるくらいのキス魔、唇フェチのヴェーゼだからこそ、唇を見てその色艶や形からしてあの赤コートの正体は「女性」ではないかと思えたが、さすがにそれ以外に関してはもっとわかりやすくても、気付く余裕などなかった。

 

 フードからこぼれる黒髪は、近くで見たら明らかに人工的なものであったことに、ヴェーゼは気付かないまま外に助けを求めて駆け抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 運命の夜が、始まる。






ヨークシン編は全体的に、「空の境界」の「殺人考察(後)」をオマージュした感じにしようと思っています。
このあたりはまだ、殺人考察どころか空の境界っぽさだって影も形もありませんけど。


あと、ここで告白というか懺悔。
ヨークシン編の全体的な構想はもう連載当初から決めてたし、半年前くらいにはかなり細かい所まで完成してたけど、……2週間くらいまでヴェーゼが生き残る予定はありませんでした。
何か、気が付いたら生存してました。

こんな計画的なのか行き当たりばったりなのかよくわからない作者が書いてる物語ですが、これからもお楽しみいただけると幸いです。

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