死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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67:モラトリアムが終わる

 6月の終わりごろ。とある駅前。

 

 じゃらりと音を鳴らし、鎖が幾重に巻きついた右手がケータイを取り出して、時間と着信やメールを確認する。

 時刻はまだ待ち合わせに指定した時間の15分前、遅刻や逆に早く来すぎてどこかで時間を潰しているという連絡も入っていないことを確認して、喫茶店やどこかの店に入るほど時間に余裕もないので、クラピカはそのまま待ち合わせ場所である駅の前で待ち呆けることにした。

 

 しかし、どうにも落ち着かずそわそわと辺りを見渡したり、ケータイを何度も確認する自分に気付き、クラピカは心の中で「……遠足前日の子供か、私は」と自嘲する。

 遠足なんて体験したことが無いイベントだが、おそらくは今現在の心境に一番当てはまるのはこの表現だろうと、変な所冷静な自分がそう判断する。

 

 それくらい浮かれている自分が嫌というほどではないが、恥ずかしかった。

 

 3年間の空白には耐えれたのに、再会してしまえば半年に満たない期間でさえもこんなに飢えるほどソラに会いたかった自分は、レオリオや自分の“念”の師に「爆発しろ」と言われても文句は言えないと感じた。まぁ、言われたら反論しないのは有り得ないのだが。

 

 しかし今日会って話をするのは、キルアをゾルディック家から連れ出してそれぞれ別れた時の約束を果たすためなのだから、浮かれている場合ではないことはわかっている。

 今日の話は、ソラがあの時詳しく話してくれなかった「旅団(クモ)について」の情報であり、ヒソカが言った9月1日まで約2か月しかない。

 

 ソラが「話す」と約束した条件通り、ハンターとして、そして旅団(やつら)と戦うために絶対、最低限必要な力である“念”は手に入れた。

 ソラがあの時、“念”の存在も教えてくれなかった理由も、今頃の時期になっても“念”という存在に気付いてなかったり、習得出来ていなければオークション参加は諦めろと言っていた意味も理解できた。

 

 理解した上で、9月1日のオークションに参加して、旅団と直接対決になっても相手が単独ならば渡り合える自信がつくほどの念能力(ちから)も手に入れた。

 ……己の命という代償を払って手に入れた鎖に、クラピカは眼をやる。

 

 この誓約をつけたことに、後悔はない。

旅団(クモ)以外には使わない」という前提条件の所為で、未だにどれほど有効なのかは確認できていないが、命をかけた時点で自分のオーラ量は増幅して他の鎖の強度も上がっているので、全く期待できない性能ということはないだろう。

 

 そしてもう一つ、自分の命を代償に手に入れた能力(ちから)

 

 中指の鎖以上に重い誓約を掛けて得ただけあって、下手すればソラの眼と並ぶほど反則的に有能な能力を手に入れた。

 

 ……だから、後悔はない。けれど、この誓約をソラが知ったら、どんな反応をするのかが不安だった。

「どうしてそんな風に自分の命を軽く扱うんだ!!」と叱られるのが、一番クラピカにとって心が軽くなる反応だ。

 

 それぐらいの叱責なら、もうこの誓約を定めた時に散々イズナビに言われたこと。

 そしてイズナビ相手には口が裂けても言う気になれなかったが、ソラに言われたのなら主張したい思いがあった。

 

 自分の命を軽く見ているのではない。

 死にたくない。生きていたいからこそ、この誓約だ。

 復讐を正当化させて、能力を軽々しく使って、無関係な者さえも犠牲にしてしまえばその時点で自分は、両親が慈しみ、親友(パイロ)と友情を育み、そしてソラが愛してくれた「クラピカ」は死んだも同然だから、絶対に自分が間違わないように、生き抜く為に定めた誓約であることをクラピカは伝えたかった。

 

 だからこそ、一番不安なのは叱責されることよりも黙ってこの誓約を受け入れられること。

 

 ソラなら言わなくても自分の覚悟に気付いてくれそうだからこそ、黙って微笑んで受け入れる可能性が一番高かった。

 ソラが言わなくてもクラピカの覚悟に気付くのと同じように、クラピカはソラが黙って受け入れた場合、彼女がどんな覚悟を決めてしまうかも理解できていたからこそ、不安で仕方がない。

 

 あの自分に対して狂的な献身を捧げる彼女なら、クラピカが誓約で命を落とすことが無いように、そしてクラピカに余計な罪悪感を背負わせないために、自分の手を汚してでも暗躍することが容易く想像ついた。

 どんなに覚悟を決めても、クラピカの誓約では何らかの「間違い」が起こってしまう可能性は低くない。

 万が一旅団に誓約を知られたら、その力はただの弱点になり下がる。

 

 そのことをソラが想像できない訳がない。

 そして、自分が行動に移せばその最悪の可能性が引き下がると思ったのなら、間違いなくあの女は行動に移す。

 自分のしていることの方がどれほど危険だとしても、あの壊れた心はそれを理解しておきながら無視して、どれほどの血と罪にまみれて、死よりもつらい傷を心身共に負ったとしても、彼女は絶対に足を止めず突き進む。

 

 だから、クラピカは自分の能力も誓約もソラには伝えないと決めている。

 特に、中指の鎖はまだしももう一つの能力の誓約だけは、何があっても口にはしない。

 

 彼女なら、「能力を知られたら不利になる。お前が口を割るとは思ってないが、可能性は出来る限り減らしておきたい」とでも言えば深追いなど絶対にしないから、そこに付けこむつもりだ。

 むしろ、ソラの方が念能力は情報を知られたら致命的ということを理解して、自分から何も聞かない可能性が高かった。

 

 この誓約を定めたのは、ただ憎い怨敵を捕える力が欲しかっただけではないから。

 ソラとこれからもずっと一緒にいたいからこそ、ソラと共に生きていたいからこそ、ソラに恥じる自分にはなりたくなかったからこそ定めた誓約だ。

 

 ソラを傷つけて守られる結末など望んでいないからこそ、絶対に告げない。

 

 この誓約に後悔はない。

 けれど、隠さなければソラを悲しませるような誓約しか思い浮かばなかった、そんな誓約を立てないと望んだ力を手に入らなかった弱い自分の存在は悔しかった。

 

「……両極端な奴だな、私は」

 

 誓約のことを思い出して、浮かれていた気分が反転して沈み込む自分をまた自嘲しながら背後の壁にもたれかかって、天を仰ぎ見る。

 梅雨が明け、夏がやって来ることを示すような晴天を見上げることで、少しは最低まで下がった気分の向上を期待した。

 

 浮かれた自分を見せるのも嫌だったが、落ち込んでいる自分を見せるのはもっと嫌だったから、どうせソラ相手ならすぐにばれるとわかっていても、せめて平素の自分を取り繕えるくらいの余裕を取り戻したかった。

 そんなことを思いながら、そう思うくらい悲しませたくない、心配をかけたくない大切な人と良く似た蒼天を眺めながら、ケータイをポケットにしまい直した時、同じポケットに詰め込んでいたものの存在を思い出して、幸いなことに自身への無力感や隠し事に対する罪悪感は遥か彼方に飛んで行ったが、同時に不幸なことに平素の自分を取り繕う余裕をクラピカは完全に失う。

 

「……これもあったな」

 

 左手で頭を抱えて俯いて呟きながらも、右手はケータイの代わりにもう一つ詰め込んでいたものをポケットから取り出した。

 

「……どのタイミングで何を言って渡せばいいんだ? くそっ、どうしてあいつは(ひと)の誕生日は覚えていてしっかり当日に祝う癖に、自分の誕生日は綺麗さっぱり忘れるんだ?」

 

 独り言で愚痴りながら、かろうじてラッピングと言える程度にシンプルな小さな包みを睨み付け、ため息をついた。

 そして答えは出ないまま、やや赤い顔でまたポケットの中に突っ込む。

 

 5か月近く遅れた、ソラへの誕生日プレゼントを仕舞い込んだ。

 

 * * *

 

「ごめんごめん。クラピカごめんってばー」

 

 所変わって、駅近隣の喫茶店でソラは向かいに座ってむすっとした顔でそっぽ向き続けるクラピカに、再会して早々にやらかした自分の所業を謝り続ける。

 

 ソラのやらかした所業は、幸か不幸か問われたらクラピカは説得力のない赤い顔で「不幸だ!」と叫ぶようなことだった。

 ソラは出会い頭に飛びつくように、真正面からクラピカに抱き着いてきたのだ。しかも、その抱擁はたっぷり5分は続いた。

 

 3年ぶりの再会は、まるでトイレか所用で数分ほど離れたぐらいの自然さでクラピカの手を取ったというのに、この女もクラピカと同じく、定期的に連絡を取り合っていたにもかかわらず半年ぶりの再会の方が感極まって、人前で抱き着いてきたことをクラピカは「不幸だ」と言い張るが、やはり本音では幸運というか幸福な部類だろう。

 

 ただでさえ平素の自分を取り繕う余裕をなくし、どうしたら今更になってソラへの誕生日プレゼントを自然に渡せるかという命題に頭を悩ませていたのが、ソラのストレートすぎる再会の喜びを表す抱擁によって別の意味で余裕をなくしてテンパったので、ソラに様子のおかしさに気付かれることはなかったし、何よりその5分間の抱擁をされている間中、「離せ馬鹿者!」などと言っていたくせに自分から引き離そうとは決してしなかったのだから。

 

 なので現状のクラピカは、怒っているというよりただの羞恥心の八つ当たりだ。

 離れろと言いながら、自分から引き離そうとしなかった己の正直さが今もまだ恥ずかしくて八つ当たり気味に拗ねているだけなのだが、そのことに気付いていないらしいソラはだんだんと本気で申し訳なくなってきたのか、向かいの席でしょんぼりし始める。

 

「クラピカ、本当にごめんってば。ここ最近、何かと癒されない奴ばっか相手にしてきたから君と再会してなんかもう感無量になっちゃった。

 本当にごめん、反省してます」

「……お前はいったいこの5か月間、誰と何して来たんだ?」

 

 さすがに本音では自分も抱き着いてしまいそうなほど会いたかった相手なので、クラピカが本気で嫌がっていたと勘違いされるのも、その所為で落ち込まれるのも本意ではなく、同時に割と気になること言い出したので、拗ねるのをやめてその気になった部分を尋ねた。

 するとソラはクラピカがやっと反応してくれたことが嬉しかったのか、藍色の瞳を輝かせて顔を上げたが、その問いの答えを思い浮かべた瞬間、目が死んだ。

 

「……なんかね、ヒソカ並みに性質の悪いハンター協会の副会長に目をつけられて、何故かゴンの親父と仕事する羽目になるし、イルミの除念をしたらいつも通り殺されかかるし、あと、天空闘技場にヒソカがいた。目的はゴンだから、私にちょっかいかけてくることはないんだけどめっちゃ視線感じる。超怖い」

「……ものすごく何があったかが気になる人物のラインナップだが、とにかくお前が色々大変だったことはよくわかった。そして、無事で何よりだ」

 

 突っ込みどころが満載すぎて、本当に一人一人のエピソードを詳しく根掘り葉掘り聞きたいところだったが、どれもこれもトラウマ級に大変だったことがその死んだ目でよくわかったので、クラピカはこれ以上聞かないことにした。

 

「うん、そこだけでも理解してくれたら助かるよ。いや、マジでゴンとキルアっていう癒しがなければ私、ストレスで胃が消滅してたかもしれないわ」

「おそらく二人も、色々と心配やら何やらで胃を痛めていただろうな」

「あはは、マジでそうかも。あとで謝らなくっちゃ」

 

 クラピカがいつも通りのやや辛辣な軽口で応じてくれるようになったことに安堵したのか、駅前で再会した時と同じように上機嫌この上ない笑顔でソラは言う。

 

「それにしても、君なら9月までに四大行はクリアできると思ってたけど、まさかここまで“発”を完成させてるとは思ってなかったよ。

 ゴンやキルアは十分すぎるくらいに天才の領域だけど、上には上っているもんなんだね」

 

 言われてまた顔にほんのり熱が集まって、とっさに右手の鎖を隠すように左手で握り込んでクラピカは「買い被りだ」と可愛げのない言葉を吐く。

 実際、自分が天才だなんて思っていない。努力の成果というより、執念の結果でしかないと思っている。

 

 それにこれは、ソラが知ればクラピカの覚悟を正しく理解した上でも悲しませる誓約によって生まれた力だ。

 称賛されるようなものだとは思ってなどいなかった。

 

 なのに、ソラが自分のことのように誇らしげにクラピカの成果を感心して喜び、そして賞賛されたら、現金なことにあの修行の日々がもうすでに何もかも報われたような、あたたかなもので胸が満たされた。

 

 しかし、そのあたたかなものを一瞬で冷ややかに凍らせるのが、自ら定めた誓約。

 ここまで喜んでくれる人を絶対に悲しませる誓いを立てるしかなかった、未熟なくせに身の程知らずな力を欲している自分に酷い自己嫌悪に陥りながらも、ソラに悟られないように飲み込んで、話の主軸を少しだけずらす。

 

「というか、お前は“凝”さえもしないで具現化した『物』か、本物の『物』かわかるのか?」

 

 話を自分の“念”に関してからずらしたかったからこそ上げた話題だが、同時にクラピカにとって重要な疑問を問う。

 まだ何もクラピカは自分の“念”について語っていないのに、「ここまで“発”を完成させている」と称賛したという事は、間違いなくソラは自分の右手の鎖が本物の鎖ではなく、オーラで具現化したものだと気付いている。

 ただの鎖を身に着けているだけでは相手の実力を探りようがないが、その鎖がオーラで具現化されたものであり、普通の鎖に見えるように常時具現化することは決して簡単にではない。だからこそ、ソラは称賛したのだ。

 

 そしてそのことに気付けたのが、ソラの究極的に特別性の「眼」だからなら問題ないが、そうでないとしたら、ある程度レベルの高い能力者なら容易く見破られるものならば、クラピカの思惑はオーラの無駄使いでしかないので尋ねた。

 

「あぁ、安心して。私の眼だと少し“凝”をしたらオーラで具現化した物の『線』や『点』も見えるけど、逆に言えば普段の眼の精度じゃ『線』とかは見えないから、その鎖がオーラで出来たものだってわかっただけ。相当レベルの高い念能力者でも、普通は一般人でも見えるように具現化されたオーラは、“凝”したってその具現化されたものに付加した能力が発動してない限りわからないものだよ。

 だから、常時具現化して操作系能力者だと思わせるブラフは有効だよ。操作系と具現化系だと系統の相性があんまり良くないから、相手が系統を勘違いしてくれたら色々と意表がつけて有利だろうね」

「……そこまで一目で見破られていたら、結局は自信を無くすんだがな」

 

 自分の意図通り答えてくれたのはいいのだが、ついでにそこまでは本当に訊いていない所まで答えられ、クラピカはテーブルに頬杖をついて呆れたような口調で答えた。

 呆れつつも、相変わらず戦術や戦略などに関しての察しの良さにやや慄き、そしてさすがに自分の誓約に関しては気付いていない様子にホッとして、運ばれてきたコーヒーに口をつける。

 

 ソラも同じようにアイスコーヒーを一口飲んでから、さらりと話を本題に移した。

 

「“念”においての戦闘は、相手の情報が大事だよ」

 

 そんな前置きをしながら、相変わらず楽しくて嬉しくて仕方がないと言わんばかりの笑顔で彼女は言う。

 

「私が直接対決したのは二人。師匠が相手にしたのは三人。一応、計五人の情報があるけど……さて、誰から聞きたい?」

 

 浮かれてはいられない話を、クラピカの役に立てるのなら嬉しいと言わんばかりに浮かれたまま話し出した。

 そしてクラピカは、過剰なまでの献身を与えられてばかりである罪悪感を懐いて、それでもソラに少しでも負担をかけずに、自分一人で、自分の力で戦い抜けるために必要な情報だったから、己の無力感を飲み込んで話を聞いた。

 

 弱い自分が嫌だという本音を押し殺すことで精一杯で、気付けなかった。

 

 微笑みながらもソラは、自分の心臓の辺りを見ていたこと。

 誓約のために埋め込んだ、「掟の剣」によって生じた「死点」をソラは見ていた。

 

 * * *

 

 とりあえず、ソラとその師が敵対してしまった旅団メンバーの名前や特徴、わかる限りの能力を教えてもらう前に、いったいどのような経緯で奴らと関わって、そして運よく五体満足で生き残ったのを訊いてみれば、話が進むにつれてクラピカの首の角度が下がって行き、最終的にはゲンドウのポーズになって呟いていた。

 

「……まさか旅団に同情したいと思える日が来るとは思わなかった」

「したいってことは結局、する気はないんだね」

 

 クラピカの正直なコメントに、そんなコメントをする羽目となるようなことをやらかした張本人が、ケラケラ笑ってからコーヒーを飲む。

 ソラの言う通り、最も憎い怨敵相手に同情する気はサラサラないが、何とも微妙な気持ちが消化しきれないのでいっそ出来るのであれば同情したいが、半年ほど前にソラがやらかした幻影旅団のいざこざの顛末に対しての正直な感想だ。

 

「けど、改めて話してみると相手の能力の情報ってあんまないんだよねー。ごめんね、クラピカ。もったいぶった割に、たいしたことが無くて」

 

 さすがにクラピカの複雑すぎる心境を察して空気を珍しく読んでソラが謝って来たので、クラピカもなんとか気を取り直して答える。

 

「いや、気にするな。ソラの師は一人で三人を相手取ったのだろう? ならば、相手が能力を発動させる前に片付けるのが最善手だ。わからなくて済んだのはむしろ幸いなことだ」

 

 話しながら語れるだけソラとビスケが出会った旅団メンバーの情報を明かしたが、ビスケが相手取った三人、マチ、パクノダ、フェイタンはソラもビスケからの又聞きでしかないため情報が曖昧で、何よりクラピカの言う通り、人数の不利を補うためにビスケは、一番戦闘能力が高いと判断したフェイタンを出し惜しみせず真の姿に戻って最優先で吹っ飛ばした為、3人の能力はほとんどわかってなかった。

 

 せいぜい、マチと呼ばれていた女性がオーラを糸のように変質させていたぐらいで、フェイタンは拷問具器具を改造した物と思える暗器を武器に、“周”や“流”といった四大行の応用技しか使用しておらず、パクノダに至ってはほぼ何もしていなかったらしい。

 

 そのことに関してはクラピカも自分で言った通り、一人でも速攻で戦闘不能にさせるのが最善手なので、ソラにとって大切な恩人である師が無事であることに安堵こそすれ、情報がほとんど得られなかったことに関しての不満などあり得ない。

 

「それに、一番情報を得れた相手がリーダーだというのが僥倖だ」

 

 僥倖と言いつつ、クラピカはソラを非難するように睨みつけた。

 情報を明かしてもそこまで痛手にはならないとはいえ、「直死」について自分から話したことを当時のビスケ並に怒っているのだが、ソラはビスケのように「クラピカよりも自分を優先して狙ってきてもらうために話した」とは答えない。

 

 クラピカが自分の誓約を知ってソラが悲しまないように黙っているのと同じように、ソラは「相手がよりにもよって過ぎたから、ちょっと変なテンションになって調子に乗っちゃった」といつものように嘘はついていないが、本当のことを語らずおどけて誤魔化した。

 クラピカよりもずっと、その誤魔化しは堂に入っていて自然だった。

 

 現にクラピカはソラの道化に、「本当にこいつは……」と言いたげな顔をするだけだった。

 これ以上、ソラのやらかしたボケに対していちいち突っ込みを入れていたら時間が足りないと思ったのか、クラピカは溜息をもう一度ついてそこらの話は横に置き、旅団(クモ)に関しての話題に戻す。

 

「……リーダーの能力は、『コピー』か、『借りる』か、『盗む』あたりだろうな」

「そうだね。可能性が高いのは最後の『盗む』かな? 特に『コピー』だと私の最後の一撃で、連鎖的に光球だけじゃなくてあの『本』も死んでた可能性が高かったのに、本自体は無事だったし」

 

 顎に手をやってソラが語った旅団のリーダー、クロロという男の能力を分析し、導き出した仮定を口にすると、ソラも肯定して補足を入れる。

 

 ソラの語った能力だけで考えれば、クロロはクラピカと同じく具現化系であり、ソラによってその「影から念獣を具現化させる」という能力は既に殺されて警戒する必要はないと思えるが、本当にあの能力がクロロ自身の能力ならばいくつもの疑問点が生じる。

 その疑問点を解決させる仮定が、「コピー」「借りる」「盗む」という三つの可能性。

 

 そもそも、クロロという男は分厚い目録のような本を具現化させていたらしいが、ソラが話した通りの能力ならば本を具現化する意味などまるでない。

 ソラに能力を殺されて完全無効化されても、そのことに驚くだけで焦っていなかったのも、いくらもう一人仲間がいたとはいえさすがにおかしい。

 

 このことから考えて、少なくともクロロは複数の能力を持っていたことは間違いないだろう。

 そうでなければ、自分の能力が殺されても、珍しいものを見たことに対する喜び程度の感情しか抱かないなどあり得ない。

 しかしソラが殺した能力から考えて、あれが殺されても痛手にならないほどに強力な能力を複数持っているのは、それはもはや天才ではなく怪物の領域である。

 

 というか、仮にクロロがそんな化け物であったとしても、そもそも念能力は本人の心の在り様に大きく影響される為、念能力は本人の思い入れが強いものを現している場合が多い。

 なので、なくなっても痛手にならないような能力でも、長年の修業の成果であり自分の思い入れそのものなのだから、失ったらショックを受けるか怒り狂うのが普通の反応だ。

 

 複数の能力。思い入れなどない能力。

 それに加えて具現化した目録のような本が揃えば、クロロ自身の能力はあの「具現化した本」であり、他の能力は「クロロのものではない」と考えるのが妥当。

 クロロ自身の能力は、他者の能力をコピーするか、もしくは借りる、または盗むなどしてあの本の中身に収めて、任意で引き出すという能力なのだろう。

 

 これならば、自分の能力が殺されても反応が薄かったことにも、容量(メモリ)が大きすぎる能力を複数持っていることにも説明がつく。

 そしてコピーならば、複製しているとはいえ「自分の能力」となるので、ソラの言う通りソラが「死点」を突いた時点で、連鎖的にクロロ本人か能力の起点である「本」が死ぬのが自然だったのにノーダメージということは、コピー能力よりも他者の能力を借りるか盗むかして使っている可能性が高い。

 

 他者の能力を借りる、もしくは盗んでいるのであれば、あの本は能力の起点ではなく能力の倉庫でしかない為、ソラの「直死」で連鎖的に死に至るのはクロロではなく本来の能力者の方だろう。

 そして、「念能力は能力者の思い入れが強く影響を与える」という定説と、奴の職業を考えたらもう十中八九、クロロの能力は「他者の能力を盗む」に至る。

 

 コピーでも借りるのでもなく「盗む」が奴の能力ならばそれが一番性質が悪いので、クラピカは忌々しそうに眉間に皺を寄せてソラに尋ねる。

 

「……ソラ。お前は確かその眼で『除念』が出来るはずだな?」

 

“念”について知らない頃、別れ際の会話で以前にもヨークシンのオークションに仕事で参加していたと語っていた話で、彼女はその仕事を「曰くつきの品物の呪いを解く」と語っていた。

 その時はそのまんまの意味で聞いていた。ソラのおかげというべきか、所為というべきかはわからないが、呪いなど何だのというオカルトはフィクションでもファンタジーでもなく、この世に普通に存在するものということを思い知らされているので、特に詳しく訊こうとは思わなかった。

 

 が、自分の“発”で対象に掛ける念能力というものを作り出すと同時に、「他人に掛ける“念”があるのなら、他人に掛けられたもの、もしくは能力者自身の“念”を外したり無効化するものもあるのではないか? そしてそれこそがソラの『仕事』ではないか?」と思いついた。

 そしてイズナビに尋ねてみればクラピカの考えはビンゴだったが、その「除念」という能力はクラピカが思うよりもはるかに希少な能力であり、正確には除念でないことはわかっているが、ソラの規格外と非常識ぶりに改めて頭が痛くなったのは割と最近の話。

 

 そんな経緯で知った「除念」について尋ねると、ソラは相変わらずな察しの良さを発揮して、一足飛びでクラピカが真に訊きたかったことに対しての答えを与える。

 

「……コピーや借りるって能力なら、相手に“念”をかけてる状態だろうから何とかできる可能性が高いけど、盗まれた場合は多分盗まれた本人に“念”は掛かってないから、クロロの方をどうにかしないといけなくて難しい所だね。

 けどあいつの能力が盗むでも、別の二つであっても、そう簡単に相手の能力をコピーしたり奪えるようなもんじゃないのは確実だろうから、戦闘中に自分の能力を奪われる可能性は考えなくていいと思うよ。

 っていうか、簡単に奪えるようなら間違いなく私の『直死』を奪おうとしたはずだし」

 

 ソラは数か月前の戦闘でのやり取りを思い出しながら、クラピカに告げる。

 クラピカとしては今すぐに膝を詰めて説教をしてやりたい暴露だったが、結果としてはただでさえソラの眼に執着していた上でそんな情報を暴露されても盗もうとさえしなかったという行動が、クロロと戦う際の有益な情報となってしまっている為、文句を言うのは諦めて「そうだな」と返答した。

 

「とりあえず、私が思いつく限りで話せる情報はこれくらいかな?

 後なんか、訊きたいことってある?」

 

 残り少なくなったアイスコーヒーを飲み干してから、ソラが言い忘れたことはないか頭の中の記憶を確認するように中空を眺めながら尋ねる。

 クラピカもしばし考えてから、「いや、今のところはこれで十分だ」と答えると、ソラの表情が急に明るくなった。

 

「じゃあ、重苦しい話はこれで終わりか。クラピカ、この後はどうする? 時間があるのなら、ゴンとキルアにも会いにおいでよ! 二人とも喜ぶよ」

 

 あれだけ浮かれた様子を見せていたのに、あれでも一応は「浮かれていられる話題ではない」と思っていたのが良くわかるほど、旅団についての話が終わり、やっとクラピカと完全なプライベートな時間が取れることを喜んでいる笑顔に、クラピカは思わず俯いて顔を隠す。

 

 とっさに、「あぁ、そうだな」と言ってしまいそうなぐらい、ソラの笑顔は嬉しそうに期待していた。

 そしてクラピカ自身もソラと共にひと時の休息を楽しみたいのが本音だったが、その本音を飲み込んでクラピカは俯いて赤くなった顔を隠して答えた。

 

「……すまない。明日には斡旋所に向かうつもりで、あまり時間を取ることは出来ない」

「……あぁ、そっか。そりゃそうだね。もうオークションまで2か月もないんだから、雇ってくれるところがあるのかどうかも怪しい時期だもんね」

 

 言っている間に顔を隠している理由が、羞恥から隠しきれずきっと表情に現れ出ている本音を隠すために変化する。

 

 もっと彼女と一緒にいたい。大切な仲間であるゴンやキルアにも会いたい。

 けれど正直言って、今も天空闘技場でソラと一緒に過ごしているゴンとキルアに嫉妬している。

 

 自分の同胞を慰み物にしている人体蒐集家に媚を売るような真似などしたくない。

 何の目的がなくても、何の意味もなくても、4年前のたったの一月のような日々を、ソラと無為に時間を、あまりにも愛おしい日常を過ごしたい。

 

 そんな本音を隠してクラピカが歩むと決めた道を口にすると、ソラはクラピカを責めるのはもちろん、「残念」という自分の感想さえも口にせず、ただ静かに納得した。

 それはクラピカに罪悪感を与えない為の、ソラらしい気遣いだったことくらいわかっている。

 けれどクラピカの身勝手な子供の本心が、酷い八つ当たりを喚く。

 

(お前が『一緒にいたい』と言ってくれたら、オレは何もかもかなぐり捨てられるのに)

 

 それはソラの望みを叶えているのではなく、何もかも捨てる言い訳にソラを使っているだけ、最低な責任転嫁であることなど百も承知。

 ソラが絶対にそんなことを言わないからこそ、心の中で叫ぶバカな願望。

 

 そのあまりに愚かな願望をクラピカは押し殺して、どこまでなら許されるか、どこまでなら自分を許すことが出来るのか、どこまでならそれは「わがまま」ではなく自分を奮い立たせる「希望」になるのかを考えた。

 

 どこまでなら、ソラに自分は何を望んでいいのかを考えていた。

 

「クラピカ」

 

 しかし、その考えは何一つ纏まることが無いまま中断される。

 

 いつの間にか席を立ち、向かいから自分の隣の席に移動して座ったソラにクラピカは面食らう。

 そんなクラピカを少しだけおかしげに笑ってから、彼女は両手を伸ばして触れる。

 クラピカの左耳に、何かが取り付けられた。

 

「これ、あげる。2ヶ月……いやもう3ヵ月近く遅れたけど」

 

 それはやけになじんだ感触。半年ほど前まで常に身に着けていたので、返却してしまってからしばらくは酷く違和感だった、やっとこの耳に「それ」がぶら下がっていないことに慣れたのに、ソラはまた与えた。

 

「17歳の誕生日おめでとう、クラピカ」

 

 今度は「貸す」のではなく、姉の形見でもなく、ソラはクラピカへの「祝福」として贈った。

 空青色の小さな宝石のイヤリングを。

 

 * * *

 

 右耳用のもう一つのイヤリングを見せて、ソラはポカンとしているクラピカに語る。

 

「あれ? もしかして忘れてた? 今度会ったらちゃんとした誕生日プレゼント贈るって言ってたじゃん」

 

 正直言って忘れていた。というか、そもそもクラピカからしたらきっちり当日に祝いのメールをくれたこととあのソメイヨシノの写真、そして少しだけ遅れて届けられ、イズナビと大喧嘩する元凶でありながらしっかりバックアップも残して保存しているソラの写真とたった一言のメッセージが十分すぎるプレゼントだと認識していたので、全く気になどしていなかった。

 

 しかし思い返せば、確かに初めのメールでそのようなことを書いてあったことを思い出し、クラピカはどうしたらいいのか、どんな顔をしたらいいのかもわからないまま、ただ浮かび上がった言葉をそのまま口にする。

 

「……本当にお前は自分のことに関しては無頓着なのに、他人のことばかり良く覚えてるな」

「他人じゃなくて、君だからだよ」

 

 クラピカの言葉にソラが少し唇を尖らせて言い返し、また手を伸ばしてくる。

 その返答にか、それとも右耳にも同じようにソラが自分の手でイヤリングをつけようとしたことにクラピカはいつものように照れて、「何をする!」と怒った。

 

「いや、こういう贈り物は贈り主が相手につけてやるのが醍醐味でしょ?」

「そういうのは相手の許可をもらってからしろ!!」

 

 いつものように照れるクラピカを実におかしげに、そして愛おしげに笑うソラに、相変わらず彼女の掌の上だということに歯噛みしながらクラピカは怒鳴って、ソラから送られたイヤリングをひったくるように掴む。

 からかわれたことに腹を立てながらも、突き返す気には決してなれない自分がまた嫌だった。

 

「……ところでこれは、なんという宝石なんだ? 贈ってくれたのはありがたいが、あまり高価なものだと身に着けていて落ち着かないのだが」

「そう言うと思って、その辺のパワーストーン屋で買えるような石だよ。宝石の一種なのは間違いないけど、純度は高くないし研磨も雑だから、私から見たら宝石じゃなくてただの綺麗な石でしかないね。魔力もほとんど込められるようなものじゃないから、それは本当に『お守り』でしかないよ」

 

 照れ隠しに、クラピカは改めてソラがくれたイヤリングを見て尋ねてみると、クラピカの性格を良く知っているソラはしっかり「これほど高価なものはもらえない」と突き返されるのを先回りで封じていたが、同時に宝石魔術師の彼女らしい贈り物だった。

 

 クラピカが“凝”でそのイヤリングを見てみれば、ほんのわずかにうっすらとほぼ“陰”状態だが確かに、留め具からぶら下がる青い宝石にはオーラが籠っている。

 しかし、何気なく隣のソラを“凝”のまま見て見てみると、彼女の武器庫であるウエストポーチには今まさに破裂しかねない程に強力なオーラがたっぷりと充填されているものがいくつも詰め込まれているのがわかったので、その違いからしてソラの言う通り、このイヤリングにも彼女の魔力(オーラ)を込めているが、本当に気休めになるかならないかのお守り程度にしかオーラは込められなかったようだ。

 

 クラピカから見たら全くどのあたりが悪いのかはわからない、小粒だが十分に美しい宝石だが、下手な宝石商よりもはるかに宝石に関しての目が利くソラからしたら、それは「ガラス玉のイミテーションよりはマシ」程度でしかないらしい。

 それでも、クラピカにとってその石はあまりに美しいと思った。

 

 それはその石の色がソラの眼に、あの日、同胞の面影を見た眼によく似た色だったから。

 蒼天の色をした、石だった。

 

「それは、アマゾナイトだよ。別名『ホープストーン』」

 

 突き返すでも、自分のもう片方の耳に取り付けるでもなく、ただその石を眺めるクラピカにソラは語る。

 どうして、自分がクラピカへの誕生日プレゼントにこの石を選んだのかを。

 

「宝石言葉は『穏やかな心』。

 宝石言葉と別名の通り、精神面に強く働きかけ、心のバランスを整えて前向きにして、夢や目標に突き進む力をくれるとされてる石だよ。

 まぁ、私は宝石魔術師のくせにというか、宝石魔術師だからこそパワーストーンの効能ってあんまり信じてないんだけどさ……、これは、本当だったらいいなって思ったんだ」

「……すまんな。頭に血が昇りやすい向こう見ずで」

 

 ソラの言葉に返した言葉は、自嘲の皮肉や嫌味ではなく素だった。

 自覚しているがどうしても直せない悪癖を心から思いやってくれたことは素直に嬉しくて、同時に心から申し訳なかった。

 彼女に心配ばかりかけて、何も返せない自分が本当に申し訳なくて嫌だった。

 

「うーん、それはちょっと違うかな?」

 

 しかしソラは、クラピカの自嘲を、自己嫌悪を否定する。

 そんな理由でこれを贈ったのではないと語る。

 イヤリングを乗せたクラピカの手を、両手で包み込んで握って彼女は言った。

 

「――クラピカが、幸せになれますように」

 

 自分が何を、望んだのか

 

「クラピカが、幸せになることを諦めませんように。幸せになることに罪悪感なんて、抱かなくなりますように」

 

何を願い、何を祈って、この石に、「ホープストーン」に託したのか

 

「どれだけたくさんのものを諦めても、幸せになることだけは諦めませんように。

 クラピカの幸せを願い、望み、祈る人間がいることが、君の罪悪感を減らしてくれますように。

 クラピカの生きる道が輝ける幸福に……、どれほど傷ついても、何度後悔しても、涙が枯れる程泣いても、……それでも、その全てが尊くて何もかもが報われる幸福になりますように」

 

 もう一度、ソラは自分の「願い」をその石に込めて贈る。

 

 

 

「クラピカが幸せになりますように」

 

 

 

 泣きたくなるほど、その「幸せ」の形は目の前にあった。

 

 * * *

 

 クラピカが心配だから、クラピカの悪癖を何とかしたかったからではなく、痛々しいほど純粋に幸福を願って贈られたことを知り、またクラピカは俯いた。

 

「……お前は、本当にバカだ」

 

 零れ落ちそうな涙を隠したが、声は酷く震えていて全然隠せていないのはわかっている。

 それでも、伝えた。

 

「そこまでして願わなくても、叶えてみせる」

 

 何もかも捨てたい責任転嫁ではなく、心からそうでありたいと思った。

 幸せになりたいと思った。

 それがソラの願いそのものであるのなら、なおのこと。

 

 ソラはクラピカの素直ではないけど、それでも罪悪感や責任感という自縄自縛ではなく、ただの17歳らしい意地の強がりを薄く被った宣言に微笑んで、握っていた手を離す。

 

「えぇ、どうせ私は奇跡のバカですよーだ。……だから、君はそんなバカに気を遣ったりするな。それこそバカらしい」

「うるさい、バカ」

 

 バカを二人で連呼しながら、クラピカは瞳に溜まっていた涙を拳で拭って、そしてポケットから何かを取り出してソラに突き付けた。

 

「……気を遣う必要がないのなら、お前も受け取れ。もらいっぱなしは、施しを受けているようで癇に障る」

 

 いきなり突き付けられた小さな紙袋と言っていいのかも微妙な包みを、ソラは目を丸くしてとっさに受け取りながら、当然訳がわからないので尋ねる。

 

「え? うん、別にいいけど、何で? というか、何これ?」

 

 掌に収まるくらい小さな包みで、中身も軽くて柔らかい。別におかしなものをクラピカが自分に渡す訳がないと信頼しているが、ソラからしたら何もかもが意味不明だったので戸惑いながら問うと、クラピカは少し拗ねたように唇を尖らせて、さらにソラの謎を深めさせた。

 

 本気で自分に渡されたものが何なのかをわかっていないソラに、クラピカはまだ少し涙が浮かんでいる目で睨みつけ、呟くように言った。

 

「……お前と同じだ」

「はい?」

 

 言っても意味を理解出来ていないソラに、半ばどころか9割方八つ当たりでクラピカは言った。

 

「お前が、バレンタインデーなんてこちらにはない行事は覚えていて、わざわざ菓子を作って配ったのに、その二日前の自分の誕生日は忘れていたんだろうが!

 だから、今渡す! お前も頼んでないのに渡したのだから、黙って受け取れ!!」

 

 言っていて、ソラの世界ではバレンタインというイベントだった日に、ソラが作ったガトーショコラをおやつに食べながら、ゴンやレオリオ達と祝日や祭日に関する雑談に興じた際、サラッと『そういや、私の誕生日二日前だったわ。忘れてた』と語られた怒りが蘇ってきたのか、かろうじて周りの迷惑にはならない声量でクラピカはキレた。

 

 そのクラピカのキレ具合にソラは目を瞬かせていたが、「え? あ、あぁ、そっかー……」と納得し始めたら今度は、目を細めて実に嬉しそうに笑う。

 

「……そっかー。クラピカ、私の誕生日を祝ってくれるんだ」

「……出来れば、当日にちゃんと祝いたかったんだがな」

 

 幸いながら、クラピカが押し付けるように渡した包みは変な遠慮で受け取り拒否されることはなく、ソラは大事そうに胸に抱えて実に嬉しそうに笑うので、クラピカも怒りの矛先をこれ以上向ける訳にはいかず、でもまだソラがしてくれたようにちゃんと当日、「誕生日おめでとう」と言えなかった八つ当たりに、軽い皮肉をぶつけた。

 知っていれば、プレゼントは用意できずとも直接祝いの言葉なら言えたのにという思いが、どうしてもその祝福を与えたい人に八つ当たりの思考を向けてしまう。

 

 しかしその本人は、クラピカに八つ当たりで怒られても、この上なく嬉しそうなまま笑っている。

 

「あはは……、えっと、ありがとう。クラピカ。

 二十歳過ぎたら誕生日なんか特にめでたくもなんともないものだと思ってたから、全然意識せずにマジで素で忘れてたんだけど……」

 

 5か月前も、「なんでもっと前に、せめて当日に言わなかった!」と怒ったクラピカに対して答えたことと同じことをソラは言う。

 笑いながら、クラピカがキレながら渡したものを大切に大切に抱えて。

 

「誕生日を祝ってもらうっていうのが、こんなにも嬉しいものだってこともすっかり忘れてたよ。

 ……ありがとう、クラピカ。祝ってくれて。それから、思い出させてくれて」

 

 待ち合わせの駅前でクラピカを見つけて抱き着いた時も、旅団の話が終わった時も、嬉しくて仕方がないと言わんばかりの笑みだったのに、まだこれ以上に自分の心臓を握りしめて揺さぶるような笑顔が出来たのかと、一瞬クラピカは感心しながら赤くなった顔を隠すようにそっぽ向いた。

 

 そんな反応をやはりソラはいつものように微笑ましげに笑いながら、「開けていい?」と尋ねるので、クラピカは逆ギレ気味に「勝手にしろ」と答えた。

 答えつつ、顔はそっぽ向いてソラとは逆側の窓の外に向けつつ、窓ガラス越しにソラの様子を窺った。

 

 正直言ってクラピカは、ソラに何を贈れば喜ぶかがさっぱりわからなかった。

 出会った4年前の一か月も、ハンター試験で再会してからも、ソラは自分に対してはもちろん、誰に対しても面倒見が良くて、誰かに何かを与えてばかりで、基本的に何かを欲することはない。

 

 欲しいものはなくても好きなものを渡せばいいだろうとも思ったが、一般的な感性の持ち主なら迷惑にしかならないものでも、この女は面白ければそれでよしなところがあるので、普通に大概の物は喜びそうで何の参考にもならなかった。

 というか、そこまで「好き」の範囲が広い相手に渡して喜んでもらえなかったら、かなりショックだと逃げの思考が入った。

 

 実用品で考えたら真っ先に浮かぶのは宝石なのだが、クラピカには宝石の良し悪しはほとんどわからない。

 ただでさえ宝石の価値をよくわかっていない上に、どうも「宝石」として上質なものと「宝石魔術に使う宝石」として上質なものはまた別らしいので、どのような宝石をソラが求めているのかおそらく直接尋ねても、クラピカにはわからなかっただろう。

 

 ついでに言うと、宝石魔術は基本的に使い捨て、充填された魔力を解放して魔術を解き放てば、風化したように崩れて消えさってしまうもの。やはりクラピカの個人的な感情としては、なるべく長く持っていてほしいので、色々内心で言い訳を重ねて却下した。

 そんな言い訳を重ねなくとも、ソラなら例え魔術に使うのに上質な石であっても、人からの贈り物を使い捨てにはしないだろうという信頼もあったが、それはそれで恥ずかしいので、やはり見ないことにした。

 

 そうやって、自分で選択肢の幅を狭めた選んだ結果のものだ。

 喜んでもらえるように本気で何日も悩んで、この上なく期待できない相手だったがイズナビにも相談して(結果、「爆発しろ」としか言われず何の役にも立たなかった)、羞恥心と戦いながら女性向けの店をいくつも回って選んだものだが、喜んでもらえる自信は皆無だった。

 

 だってそれは、「ソラが喜ぶかも」と思って選んだものではない。

 クラピカが、「これでソラが喜んでくれたら……」と思って、選んだものだ。

 

 そんなソラの贈り物とは全然違う、あまりに身勝手な思いしか込められていない贈り物を目にした、ガラスに映った鏡像のソラは……

 

「――え?」

 

 まずは戸惑った声を上げた。

 そして、鏡ではなくガラスに映った鏡像でもわかるくらいに、顔を赤く染め上げた。

 

 その反応に、クラピカが目を丸くして固まった。

 しかしクラピカの困惑など可愛らしいくらいに、ソラの方が困惑していた。

 

 赤い顔だった。

 それは、再会したの日の夜の飛行船で、クラピカがソラに「少女らしくて可愛い」と告げた時と同じ顔だった。

 

 そんな顔でクラピカからのプレゼントを凝視して、自分の髪の毛先を……だいぶ伸びたポニーテイルの毛先を少し弄ってから、ソラは笑った。

 この上なく照れ臭そうで、どうしたらいいのかわからないと言わんばかりに、困ったように眉を下げながらも、クラピカが見ていられなくなったのに、ずっと見ておきたいと思わせるぐらい嬉しそうに笑った。

 

 鏡像のソラを見て、意気地なしな自分をクラピカは後悔した。

 そっぽ向かず、ちゃんとソラの方を向いてみておけば良かったと後悔するほど、クラピカの身勝手な思いを、願いそのもの笑顔だった。

 

 そんな笑顔に完全に見惚れていたクラピカと、鏡像のソラの眼があった。

 ソラはガラスに映った自分をクラピカがしっかり見ていたことに気付いて、さらに顔を赤くさせて両手でその顔を隠した。

 

「!? な、何で見てるの!? ちょっ、お願い……。今は見ないで……。絶対に変な顔してる……。もう人に見せられる顔してないから……勘弁して」

「ふざけるな可愛い」

 

 今更になって恥じらう、しかも何が恥ずかしいのかわからないポイントを恥ずかしがっているソラにそっぽ向けていた顔を戻して、クラピカは真顔で言った。

 完全に無意識で、心の中で思った言葉が時差ゼロそのままダイレクトに声となった。

 

 幸いながら羞恥の最高潮にいるソラには、クラピカの正直すぎる本音は聞こえていなかったらしく、ソラはテーブルの上に突っ伏して完全に顔を隠してしまった。

 隠しながらも、それでもソラは言った。

 

「……あの、クラピカ。……ありがとう。……すごく、嬉しい」

 

 聞こえていなかったとはいえ思わず飛び出した自分の本音とソラの反応に、こちらもどうしたらいいのかわからなくなって、赤い顔で「大したものじゃない」と可愛げのない返答をしてしまう。

 

 けれど実際、ここまでこんな反応をしてもらえるようなものじゃないと思っていた。

 

 ただ、自分の言葉で彼女は嬉しそうに言った。

 そしてその言葉から2か月後の写真は、有言実行していたから。

 

 だから、その髪に飾ってもらえたのなら……と思った。

 

 

 

 ソラが大事そうに握りしめるものは、そんな思いしか込められていない。

 金糸で刺繍が施された赤いリボンは、そんなクラピカの「わがまま」に過ぎないものだった。

 

 

 

 * * *

 

 ただの、クラピカ自身のわがままに過ぎないものだった。

 それなのに、ソラは顔も上げられないくらいに恥ずかしがっているくせに、あまりにも大切そうにそのリボンを握り締めて、突っ伏したまま語った。

 

「……クラピカ。……髪には魔力が宿るから……特に女の髪には魔力が宿りやすいから、魔女は……女性魔術師は、基本的に髪を伸ばすんだよ」

 

「髪を伸ばしたらどうだ?」とクラピカが提案したきっかけの話題を、ボソボソと語る。

 髪飾りを贈っておきながら、さすがにいきなりこの話題を持ち出したことが理解できず首を傾げながら、突っ伏しているのと羞恥で小声な所為で聞き取りにくい声を聞き逃さないように、クラピカは少し突っ伏すソラに顔を寄せる。

 

「……だから、魔術師にとって髪飾りは……一種の礼装なんだ。……魔力が自然に宿るんだ。

 ……まぁ、意図的に礼装として作ったものじゃないのならたかが知れてるんだけど……、それでもさ、命そのものである魔力が宿って、……いざという時の命綱になるかもしれないものなんだ。……だから…………」

 

 やっと何故この話題を上げたのかが、なんとなくわかる話になって来たタイミングでソラは首を動かして、少しだけ隠していた顔を見せる。

 まだ顔はだいぶ赤く、眉も困り果てているように下がっている。

 口元は見えない。目元だけを見せて、目元だけでも笑っているのがわかる、柔らかな光を帯びた瞳でクラピカを見て、ソラは言った。

 

「……だから、一生大事にするよ」

「!? …………………!!」

 

 またしても、「ふざけるな可愛い」と本音が飛び出しそうになった。しかも今度は、力いっぱい叫びそうになった。

 しかしそれ以上に、ここまで喜んでくれたことの嬉しさや、ソラの滅多に見せないし自覚もない少女らしさと可愛らしさ、そして愛おしさで胸がいっぱいになって、心からの言葉が詰まって、幸いながらこの場で唐突なソウルシャウトはせずに済んだ。

 

 クラピカにとっては幸いだが、現在の色んな意味で余裕がないソラからしたら、急に顔をしかめて黙り込んだクラピカは、自分の発言の重さに引いたように見えたのか、赤かった顔から急に血の気が引いて起き上がり、今度は泣き出しそうな顔で、「え? ご、ごめん! 変なこと言った! 重すぎてごめん!!」と謝りだす。

 

 クラピカの方も慌てて、「いや、違う!! 引いてない! そこまで大切にしてもらえたら本望だ!」と訂正を入れて、何とかソラの誤解を解いて落ち着かせた。

 しかしソラが落ち着いたら落ち着いたで、今度はクラピカが落ち着かない。

 

「髪の長いソラを見てみたい」という望みを叶えてくれたソラが、自分が贈った髪飾りを喜んでくれたら……、という自分の望みが、自分が思っていた以上の叶い方をして、むしろクラピカは酷くいたたまれない心地に陥り、「……しかしそれは本当に大したものじゃない。既製品の安物だ」と自嘲気味に言うが、メンタルが回復したソラはいつものように笑って即答する。

 

「贈り物の価値がその物の値段じゃないことくらい、君だってわかってるだろう?

 私には十分すぎるくらい、嬉しいよ。……うん、本当に嬉しい。私が似合うのかな? とか、可愛すぎない? とか思って不安だけど、でも本当に嬉しいし気に入ったよ。

 特にこれは、色がいいね。金と真紅っていう組み合わせが……クラピカみたいですごく嬉しい」

 

 贈ったリボンの「色」を「クラピカみたい」だと言って、しかもそれが嬉しいと語られたことで、今度はクラピカが撃沈してテーブルに突っ伏して、ソラをまた別の意味で焦らせた。

 

「どうしたクラピカ!?」と心配するソラに、「……大丈夫だから、頼むからしばらく放っておいてくれ」とクラピカは頼み込み、ソラも先ほどまで似たような状態だったので、戸惑いつつもその頼みを了承する。

 心配して狼狽しているソラに悪いと思いながらも、クラピカはしばらく顔を上げることが出来なかった。

 

 ……クラピカが贈ったリボンは、まったく同じ刺繍のデザインで、色違いがもう一つあった。

 深い青、群青のリボンに銀糸の刺繍が施されたリボンの方が、ソラの眼や髪に合っていて似合うのではないかと思った。

 

 思いつつ金糸に真紅のリボンを選んだのは、プレゼントに髪飾りを選んだ理由以上の、完全なクラピカのわがままと独占欲だ。

 

 自分も自分を連想させる色の組み合わせを選んで贈っておきながら、そのことをあまりにも純粋無垢に「嬉しい」と言われて、完全に自爆してしまったクラピカが思わず、強く拳を握りしめた。

 その握りしめた自分の拳の中に痛みを覚え、自分がソラから送られたイヤリングの片割れを、未だ握りっぱなしだったことを思い出す。

 

 それと同時に、ソラの言葉も思い出した。

 

 思い出せば、もうここまで自爆もしてしまえばいっそ突き進もうというヤケクソが働いたのか、クラピカは起き上がって、握り込んでいたイヤリングを右耳につけながら言い出した。

 

「ソラ。そのリボンを貸せ」

 

 まだ赤い顔のまま、回復した訳ではないことが一目でわかるちょっとふてくされた顔のクラピカに、ソラは小首を傾げる。

 そんなソラに、意趣返し1割、ただ自分もしたいという願望9割の言葉をクラピカは続けた。

 

「こういう贈り物は、贈り主が相手につけてやるのが醍醐味なんだろう?」

 

 断られても良かった。

 ソラに飛行船上で「可愛い」と伝えた時と同じあの顔を、鏡像ではなく正面から見れただけでクラピカにとっては満足だった。

 

 けれどソラは、赤い顔で目を逸らしてクラピカへ、大事そうに抱えていたリボンを差し出して渡し、座ったまま彼に背中を向けて言った。

 

「……えっと、……じゃあ……お願い」

 

 背を向けて、ソラはポニーテイルにしていたヘアゴムを外して髪を下ろす。

 真っ白な髪が背中に垂れるのを見て、クラピカは少しだけ「失敗だったな」と思った。

 

 髪の長いソラを見たいと言った。

 ソラのポニーテイルは良く似合っていた。

 

 だけど、今よりも短いけれど、あのソメイヨシノと一緒に撮られた写真のソラは、あまりにも美しかった。

 

 髪を下ろしたソラを正面から見る機会を失った自分の判断を失敗だと思いながら、クラピカはきつく結っていた所為で出来た癖をまずは手櫛で梳きながら、心に決める。

 

 オークションが終わったら、どんな形であれ蜘蛛に関しての一つの区切りがついたら、今度こそ素直に言ってみようと、あまりにささやかな予定を立てる。

 

 ……自分を奮い立たせる、未来への「希望」を見つけた。

 

「……私の手先に期待するなよ」

「いいさ。どんなのでも。君がしてくれるのなら」

 

 まだうなじまで赤いままのソラに、自分が結った髪の出来の悪さに予防線を張れば、それこそ嬉しさで上手く手が動かせなくなりそうなことを言い返される。

 こんな日常を、オークションが終わった後もあることを祈り、望み、願った。

 

 そして、その日常の中で今度こそ真っ直ぐに彼女を見て、素直に言おう。

 

 

 

 

 

「髪を下ろしたソラが見てみたい」と。




明日からしばらく予定があるので、ちょっと早めに更新しました。

モラトリアム(下)の本編は今回で終了ですが、7月7日にキルア誕生日話を更新します。
それまで更新なしも寂しいので、来週の初めにまた溜めこんでたコピペ改変ネタを番外として投稿してから、幕間にキルア誕生日話を投稿する予定です。

それが終わったら、ついにヨークシン編!
色々書きたいネタがたっぷりあるので、作者も楽しみです。
連載再開したことでモチベは最高潮ですし、この調子で更新していけるよう頑張りますので、これからもお付き合いよろしくお願いします。

※7/15追記
本日発売されたジャンプでなかなか衝撃的な設定がぶっ込まれたので、若干内容を修正しました。
クラピカ、ソラの事を何も言う資格ねーわ。お前の方が自分を大事にしろって、マジ泣きのソラに殴られたらいいわ。

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