63:流星の夢
夢を見た。
2月の終わりごろの、寒さも雪もこれが最後だろうと思わせる冬の日の夢を。
何の意味もなく通り過ぎた、走りぬけたはずの
* * *
「キルアもゴンも、お疲れ様ー。いやー、2,3か月前まで“念”を知らなかった子とは思えないくらいの圧勝っぷりだね」
ゴンはギドへのリベンジ、キルアはリールベルトとの試合を終えたその日の夕飯時、ソラが改めて二人の“念”の上達っぷりを称賛した。
ゴンの方はもりもりとソラが初勝利……正確に言えばサダソの棄権による不戦勝が初勝利なのだが、“念”を覚え、ウイングからのお墨付きをもらって、初めてちゃんと試合を行っての勝利を祝って作ってくれたご馳走を食べながら、この上なく誇らしそうに笑って「ありがとう!」と答える。
キルアの方はいつものように少し赤くなった顔を隠すようにそっぽ向き、「あれくらい余裕だっつーの」と言いつつも食べるペースはゴンと変わらないし、ソラに言われてそっぽ向いた顔の口角は確かに上がっていた。
対極でありながら同じくらい和む二人の反応を、ソラもにこやかに笑って眺めていたが、そもそも二人がウイングから許可をもらえたとはいえ、本来なら戦闘準備期間最終日を試合日に申し込むはずだったのが前倒しになった理由を思い出したのか、唇を尖らせた。
「それにしても、あの新人ハンターの連中は本当ムカつくわー」
「あぁ。あいつら、俺らやズシにちょっかいかけてきたのも、間違いなくお前がいなくなったのを見計らってたのが小賢しいよな」
ソラが不満そうに言った言葉に、キルアも唐揚げをもしゃもしゃ食べながら同意する。
その同意にソラはご飯をよく噛んでから飲み込んで、怒涛の勢いでさらにどれほどムカついたのかを語りだす。
「そうそう! 君たちの実力を見誤って自分達なんか足元にも及ばないことにも気付けてないくせに、保身だけは一人前なところがマジでムカつく!
第一、“念”に目覚めてない奴か目覚めて間もない奴とだけ戦って白星稼いで、それでフロアマスターになれると本気で思ってんのかね? 10勝はフロアマスターへの挑戦権であって、フロアマスターになる資格じゃねーっつーのに。そんなんじゃ仮にフロアマスターになってもすぐさま引きずり落とされるわ、ど低能が」
よっぽどズシを人質にして自分たちと戦うように脅しただけではなく、ゴンの為「一人一勝ずつやってもいい」と交渉したキルアさえも裏切って、ゴンも同じように脅迫した彼らが許せないようで、ソラは口汚く罵ってからまた無言で丁寧に食事を再開させる。
ソラの食事作法が綺麗なところは美点だが、今ここでその美点を発揮させてもテンポが悪いだけだなとキルアとゴンはやや呆れながらそれを見ていた。
「……でも、結果としては俺たちは予定よりもずっと早く“錬”も“凝”も覚えたし、こうしてソラからお祝いしてもらえたから、ちょっとラッキーとも思ってるよ」
豆腐の味噌汁を啜ってからゴンが少し不謹慎なことを言うが、それはズシが人質に取られてサダソたちに脅迫された時期は、ちょうど所用で闘技場を離れていたことを悔やんでいるソラへのフォローの言葉であることを言われた本人も理解しているので、ソラは微笑んで「それならこちらも幸いだ」と答えた。
「そういえば、お前って今何してんだよ? 何かやたらと宝石集めて自分の血に浸したり、ブツブツ言ってんのは割とマジで不気味なんだけど」
ついでにキルアも、話を変えてここ最近のソラの奇行について尋ねた。
ソラのしていることが「魔術」であることは、説明されなくても想像がついているので、別に本気で不気味に思っている訳ではないが、それでもここ最近のソラは暇さえあれば宝石をいじくっているか、魔力を込めやすい宝石を探して出かけることが多いので、やはり素直には口に出さないが構ってくれなくて不満だった。
「んー、ただ単に仕事が特になくて暇な時期だから、魔力込めた宝石の補充と充填してストックを溜めてるだけだよ」
グラスで茶を一口飲んでから、ソラは答える。
ハンター試験が終わってから数か月ほど、立て続けで依頼や仕事ではないが関わることが多かった死者の念だが、そもそも死者の念を除念出来るほどの念能力者がほぼいないのは、死者の念が強力すぎるからが第一だが、除念する必要や除念出来る余裕のある死者の念というのがごくわずかで需要が少ないというのもあって、ソラの仕事は基本的に少ない。
死者の念は一般的に「幽霊」や「呪い」と言われているもので、実はそう珍しいものではなく、ほぼ無害と言ってもいいものがほとんどだ。
それは、そもそも根本的に「念能力者」という存在の割合は世界人口の1割あるかないかというのもあって、「死者の念」は念能力者のものより一般人が死の瞬間、火事場の馬鹿力で念を発現させるものの方が多い。
そしてその場合、正しく修行をした訳でなければ才能があった訳でもないので、「死者の念」というブーストが掛けられてもこの世に自分のオーラを留める“纏”状態を保つのが精一杯となる。
これが所謂「幽霊」で、“纏”を保つことで精一杯なのだから9割方は自分が死んだ場所から動くことすらできず、オーラも弱々しくて天然の“陰”状態なので、能力者でも“凝”をしなくてはまず見えない。
稀に波長が合う者、もしくは生まれつき眼の精孔が他人より開き気味で無自覚無意識に“凝”状態である、所謂「霊感」を持つ者には見えることがあり、そういう輩には向こうもちょっかいをかけてくるが、たいていがちょっかい程度であり、よほどの不運が重ならない限りは取り返しのつかない事態に陥ることなどごく稀なので、いつかオーラを消費しきって消えるのを待っていればいいだけの存在だ。
そして「呪い」に関しては、正しく修行したか我流かは問わず死んだ人間の“発”がパワーアップしているパターンなので、こちらはソラに限らず除念師が介入する暇なく終わっている場合がほとんどだったりする。
ソラは「直死の魔眼」のおかげで、多少の条件はあるがたいていの場合は即座に掛けられた念を殺すことが可能だが、死んでも恨みを忘れられぬほど、死ぬほど憎んだ相手に掛けられた念の多くは即効性なため、キヨヒメのように他に目的があるか、もしくはじわじわなぶり殺しを死者が望んでいるかという、長期的な効果を保有している「死者の念」でない限り、依頼される前に普通に相手が死ぬから除念師の出番はない。
そして、やはりキヨヒメやカストロを含む7人の魂が融合していたあの死者の念のように、人としての理性や知性を失って、「目的と手段が入れ替わっている」という本末転倒を起こしていない限り、死者の念は憎んでいた相手を殺すなどして目的を果たせば自動的に消滅する。
おそらくは、「この目的を果たすまで、この力を保たせてくれ!」という末期の願いが制約になっている場合が多いのだろう。
なので、ハンター試験終了から重なった死者の念関係の仕事やトラブルはただの嫌な偶然で、ソラはカストロの件以降もずっと天空闘技場に滞在してくれているのだが、仕事がない代わりに時間が出来たソラはちょくちょく宝石集めに出歩くことが多くなった。
その事情はキルアも改めて説明されなくてもわかっていた。
ソラの武器である宝石は基本的に使い捨てなので、暇があればまず宝石のストックを一つでも多く確保しておくべきなのは当然。
そしてその武器はやたらと値が張るものなので、少しでも質が良いものを安く仕入れる為に、宝石関連の古市を巡ることや、古物商や質屋にコネを作っておくという手間を惜しんではいけないこともわかっている。
が、それでもせっかく一緒にいるのにソラがやはり“念”に関しての手ほどきを全然してくれないことが不満なのか、キルアはでかいから揚げを八つ当たり気味に噛み千切る。
しかし、ソラがついでに続けたセリフにゴンだけではなくキルアも好奇心が刺激されて、不満は消し飛んだ。
「あと、今ちょっと新しい魔術を開発中」
「「新しい魔術?」」
ソラの魔術は一応、ビスケの指導で念能力方面の技術に修正されているが、やはり別世界の技術なのとソラの体は「魔術回路」という他の人間にはない疑似神経という臓器があるせいで、ガチで体の作りが違うという事情によって念能力では再現しきれない部分があって、普通の人間以上に念能力者から見た方が不可思議なものに思える。
なので、そんなソラの「新しい魔術」というのは、好奇心旺盛な子供にとっては猫にまたたびレベルで興味が引かれるものだったらしく、ソラが上品にポテサラを食べて飲み下すまでゴンとキルアはソワソワしながら待った。
「いや、良く考えたら別に新しくはないか。姉の得意分野をちょっと私流に改造して、再現に挑戦してるところ。
ストック作りよりこっちの方が、時間がないと出来ない事だからね。ただでさえ姉と私じゃ、魔術師の腕以前に魔術属性が全然違うから、完全再現は絶対に無理だけど、まぁ出来る限り頑張ってみてるところ」
「姉?」
「ソラのお姉さん?」
しかしソラがポテサラを飲み込んで述べた続きの言葉は、少しだけ前言を否定して修正する言葉だったが、「新しい魔術」と同じくらいかそれ以上に興味が引かれる情報が出された。
ソラにとってトラウマという程ではないが、それでも未だに心の深い所に居残り続ける死者。
姉の話を自分からすることは珍しかった。
その姉はソラの心にどんな形で今も刻まれているかを二人は知っているため、姉について尋ねてもいいのかどうかを一瞬悩んだが、決して忘れられないけれどやはりトラウマではなくある程度割り切っているのか、あまりにもしれっとした顔をしていたので、いい機会だから相手への思いやりは忘れないが恐れ知らずなゴンは直球で尋ねた。
「そういえば、お姉さんの方が魔術師としては優秀って言ってたよね。ソラのお姉さんって、どういう人だったの?」
キルアが横で「ちょっ、お前! 直球すぎ!!」と言わんばかりに少し焦ったが、ゴンが思った通りソラは気にした様子なく即答した。
「割とアホだった」
「お前がそれを言うか!?」
* * *
返ってきた答えが予想外すぎる断言だったので、尋ねたゴンより先にキルアが突っ込んだ。
そんなキルアに、ソラは真顔でさらに答える。
「キルア。良く考えろ。私の姉だぞ? 昔から男か女かわからんという変な方向性で美人な私とは違って生まれた時から絶世の美人で、魔術師としての腕は魔法使い級だったけど、あの姉は間違いなく私の姉だと幼馴染から断言されたレベルで割とアホだ」
「自分もひっくるめてアホだって言い切るんじゃねーよ!! 納得しちまったじゃねーか!」
ソラの家族が全滅した経緯の話でしかソラの姉の話は聞いたことが無かったキルアは、今まで描いていたイメージが崩れつつも納得してしまったことに対して、理不尽だと思いつつがソラに対してキレるが、ソラの政略結婚すら可愛らしいと思えるほどひどい縁談がブチ壊れる経緯を知るゴンは、ちょっと予想出来てたのか「……実はよく似た姉妹だったんだね」と、苦笑しながら感想を口にする。
「いや、趣味嗜好とか価値観とか、基本は正反対だったんだけど、幼馴染からは『いらない所だけそっくりすぎる』ってよく言われたなぁ」
「……マジでどんな姉だったんだよ?」
「一言で言うなら、高飛車ドS親切」
ゴンの感想にソラはまた幼馴染からの言葉を思い出して、さらに姉に関して謎が謎を呼ぶことばかり答えるので、キルアは完全に呆れて訊くが、やはりその答えも謎しかなかった。
一言ではないし訳の分からない発言だが、確かにソラと似てるが正反対であることだけは良くわかる性格の批評に、もう答えは期待せずただの突っ込みとして「どんなんだよ!?」という前に、ふとソラは思い出したように補足した。
「あぁ。今思えばちょっとイルミに似てるかも」
「……はぁ? 兄貴に?」
家族の中で一番苦手な長兄を出されて、ソラの命を助けたということで、会ったこともないのにそれなりの好感を抱いていた相手イメージが、一気にキルアの中で下がった。
が、ソラの「似ている」と感じた部分の説明で下がった好感度は元に戻る。
「基本的に表情筋が動かなかったところと、何考えてるかわかんない所が似てるわ。ついでに、髪もあんな感じで腹立つくらいサラサラストレートだった」
別に性格に関してではなく、ほとんど外見に関しての類似で、ただ単にソラの姉の外見がイメージしやすくなっただけなので、キルアは心の中で兄に似ているという情報だけで、勝手に嫌ったことを謝っておいた。
もちろん、兄には謝らない。
「あはは、確かにソラと真逆なのに変なとこだけ似てる人だったんだね」
思った以上にソラは別に姉に関して話すことを苦痛に感じる訳でもないことに安心して、ゴンは笑いながらさらにソラの姉の話をねだる。もはや普通にソラの姉を笑い話にしているのは、ゴンが酷いのか実の妹が酷いのか、それとも姉の自業自得なのかは誰にもわからない。
とりあえず実の妹は全く姉をフォローする気はないらしく、姉を「割とアホだった」と断言するエピソードを思い出そうとしたタイミングで、今は亡き姉にとって幸運なことにソラのケータイが鳴った。
「ちょっと失礼」と言いながら、ソラは椅子から立って少し離れて電話を取ろうとしたが、その着信が誰であるかに気付いて、少し怪訝な顔をした。
その様子に気付いたゴンとキルアが、「どうしたの?」「誰からなんだ?」とそれぞれ尋ねたら、ソラは怪訝そうな顔のままキルアに顔を向けて答えた。
「……なんか、シルバさんから電話なんだけど」
「は? 親父?」
自分の父親からだと言われて、思わずキルアは自分のケータイを確認するが、自分のケータイにはメールも不在着信もない。間違いなく、「キルアと連絡がつかなかったので、ソラに連絡してみた」という訳ではなく、ソラ自身に何か用があるのだろう。
家業が家業なのとどういう意味で父親がソラを気に入っているかを良く知るキルアは、不穏そうにソラのケータイを睨み付けて「貸せ。俺が出る」と手を伸ばすが、ソラが「いきなり父親相手に喧嘩腰になるなよ。ヤバそうな内容ならちゃんと自分で断るし、正直に何を言われたかは君に教えるよ」と言われ、渡してもらえなかった。
そのことを不満に思いながらもソラの言う通りなので諦めて、ゴンと一緒に食事を続行しながら聞き耳を立てることにした。
思いっきり二人が盗み聞きする気満々なのは気付いているが、ソラも後で内容は教えるつもりなので気にせず、少し長いこと放置してしまっていた電話にやっと出る。
「はい、もしもし。どうかしましたシルバさん? キルアなら元気にモリモリとご飯食べてる最中ですけど?」
《そうか。それは何よりだが、キルアの話はまた後に頼みしたい》
互いに挨拶抜きで行われるやり取りに、初めてシルバの声を聞くゴンはともかく、ソラとキルアは電話越しのシルバが少し疲れているようなかなり珍しい声音であることに気付き、さらにソラは首を傾げて、キルアの方は事態の不穏さを感じて強くケータイを睨み付ける。
そして、キルアの感じた不穏な予感を的中させるセリフをシルバは吐き出す。
《……ソラ。除念の依頼をしたい》
シルバの依頼に、思わずキルアは立ち上がってソラからケータイを奪いそうになった。
父親の様子とソラへの依頼は、嫌な想像しかキルアにもたらさなかった。
2か月ほど前のカストロのゾンビに襲われるという事態が、自分の家で起こったか、家族の誰かが襲われたという想像が頭の中で駆け巡る。
家出をしたとはいえ、喧嘩ばかりしていたとはいえ、自分が本当に望むものを何もわかってくれず、遠ざけてばかりだったけれど、それでもキルアにとって大切な家族だから、失うのも奪われるのも嫌だった。
しかしキルアがソラからケータイを奪い取って、「親父、どういうことだ!? 誰に何があったんだよ!?」と問い詰める前に、シルバが深い溜息をついてから誰の除念をしてほしいかを告げれば、キルアはソラのケータイを奪おうとしたポーズのままぴたりと一時停止して、聞いていたゴンも目を丸くして固まり、ソラも「はぁ!? あいつが!? 何で!?」と驚愕の声を上げた。
《……カルトを庇って、代わりに念能力を受けてしまってな》
「え? でもそれなら、その能力者本人捕まえて能力解除すればいいんじゃないんですか? あいつなら操作系なんだし出来るでしょ?」
《それが……攻撃をくらってすぐ、何故か即座に殺してしまったんだ。だから、死者の念化している可能性が高い》
「ちょっと待って! あいつどうしちゃったの!?」
驚愕して絶句したソラが、なぜそこまで驚いているのかはシルバ本人が良くわかっているので、一応除念が必要な念能力を掛けられてしまった経緯を簡単に説明したが、掛かった経緯は納得してもソラを必要とする理由には納得いかずさらに尋ねると、相手の性格を知っていれば知っているほどに信じられない事情が暴露される。
《掛けられた能力柄、直接的な殺傷能力はない嫌がらせじみた能力だが、どうもその『嫌がらせ』が実に効果的なようでな、冷静さを保てなかったようだ》
「……あいつ、私相手でも最終的には理性で損得勘定してますよね? それが我慢できず、死者の念になるリスクも忘れて殺すって、どんな嫌がらせですか?」
シルバが細く説明すればする程にどうしてそんな事態になったのかが理解できず、ソラが困惑しきってさらに問うが、その質問にはシルバの大分疲弊したため息しか返ってこなかった。
《それが全く、口を割らなくてな。ソラに依頼して除念してもらうか提案したら、嫌がって少しは口を割るかと思ったが、お前に情けを掛けられるくらいなら死んだ方がマシだと叫んで抵抗して拒絶したが、それでも今なお続く『嫌がらせ』は絶対に口にしなかったくらいだ。
それほど言いたくない内容なのか、それともお前の手以外で外せるものではないことがわかっているからこそ言いたくないのかはわからんが、とにかく今までにない事態で手を焼いている》
ソラに現状を語りながら、シルバはため息をついた。
いざとなれば「アルカ」という手段があるとはいえ、あの「何か」を使うのはあまりにリスクが大きい。
今現在保留されている、「ミルキの『お願い』に対しての『おねだり』」程度なら、よく訓練された執事なら難なく達成できるだろうが、イルミに掛けられた念が死者の念化しているのならば、その念を外した後の「おねだり」はリセット狙いでも厄介極まりない。
犠牲になる人間を慎重に選ばないと、その犠牲になった人間と親しくなくとも「一緒に過ごした時間」がアルカの「『おねだり』失敗の道連れ」の条件に当てはまってしまい、こちらも問答無用にあの念能力だとしても不可解で惨たらしい死を迎える。
だから、対価が金銭で済むソラが一番ゾルディック家にとって都合がいいのだが、ソラにとっては不都合この上ないこともゾルディック家の誰もが良く知っている。
断られてもプロ失格と責めることも出来ない、むしろこちらがプロ失格と罵られるような事情であることを良く理解しているが、それでも歴史ある暗殺一家にして念能力者のエリート家系でも、死者の念を除念出来る除念師の心当たりは彼女しかいない。
だからシルバは出来る限り自分の誠意が伝わるように願って、頼み込む。
《ソラ……。正直言ってお前が受けたくないと思う理由はすごくよくわかるが、どうか頼む。息子を助けてくれ》
電話越しの疲弊した声に、ソラは即答する。
「良いですよ」
《!? 本当か? もちろんこちらで抵抗や反撃などしないように手を出来るだけ打つが、それでも危険がないとは言い切れんぞ?》
「わかってますよ。あいつが私に恩を感じることがないことだって、ファーストコンタクトで嫌になるほど知ってますし。ん? ファーストじゃなかったんだっけ? まぁ、いいや。
あいつはともかく、カルトを庇ってそうなったんならカルトは責任感じてるんでしょう? カルトの為なら、動いてやりますよ」
《……あぁ。恩に着る》
ソラの即答での了解が信じられず、シルバはせっかく了承した仕事をキャンセルしたくなる念押しをするが、そんなことはソラもわかりきっていたのですごく嫌そうな声音を隠さず、それでも仕事を受ける意思は変わらないと言い切り、その断言にシルバは礼を伝える。
そのまま二人は少しだけ報酬について話したが、一国の観光資源になるレベルで有名な暗殺一家なので、ソラが逆に引くほどの報酬を余裕で提示してきて、交渉自体はかなりスムーズに終わる。
シルバとの電話を終えて、未だに自分から電話を奪おうとしたポーズのまま固まっているキルアに、聞こえていただろうがソラは改めてシルバからの仕事の依頼内容を教えておいた。
「えーと……、なんか……イルミが変な念能力を掛けられたみたい」
「兄貴ざまぁ」
まだ驚愕した顔のまま、頭に思考が昇る前に心の底からの本音がキルアの口から飛び出てきた。
* * *
「んー……、ゴンやキルアがいない部屋で寝るのは久しぶりって訳でもないのに、寝付けないなぁ。やっぱ、自分の意思で予定立てて出かけたのと、割といやいやなおかつ急な出来事だからかなぁ」
飛行船の個室で枕を抱きかかえ、ベッドの中でごろごろ何度も寝返りを打ってソラは独り言を呟き続ける。
シルバの依頼を受けた後、さすがに食事はそのまま続行して取ったが、その後すぐに飛行船のチケットを取って、ソラはパドキアのククルーマウンテンまで直行することにした。
キルアは「別に明日でいいじゃん。なんなら三日後くらいでも」とかなりひどいことを言い出していたが、そういう訳にはいかない。
イルミが受けて、未だに効果が切れない「嫌がらせ」のような念能力は、イルミが決して口を割らない所為でどのような効果は具体的にはわからないが、とにかくあの鉄面皮が嘘のように冷静さを保てず錯乱するほどのものらしく、イルミ本人より周りが危ないらしい。
本人は頑なに「大丈夫」「こんなの無視すればいい」と言い張るらしいが、「死者の念」になってしまうリスクを忘却して相手の能力者を殺してしまったように、自宅で雑事を任せる執事たちを数人、発作的としか言いようがないタイミングで既に殺害しているだけではなく、自分を庇ったせいでと責任を感じて謝りに来たカルトですら、とっさに攻撃しかけたそうだ。
さすがに愛は歪んでいるが可愛がっているからこそ庇った弟にすら、八つ当たりで攻撃してしまいそうになったのは自分でもショックだったのか、イルミは自分に掛けられた能力が消えるまで独房に閉じこもることを自分から提案したが、そこまでしても彼はその「嫌がらせ」の内容を語りはしなかった。
キルアも大っ嫌いな兄なので、死ぬ心配はしなくていいのなら少しは苦しめ、いい気味だと本心から言い放っていたが、使用人や弟まで被害が及ぶようならさすがに面白がって長引かせろなど言えるはずもなく、渋々だがソラを送り出した。
一応、ソラが即答で仕事を了承してくれたことに関しては「ありがとう」と言ってくれていたので、別にイルミに死んでほしいとまでは思っていないだろう。
というか、キルアの「ありがとう」という礼は「カルトに責任を感じて欲しくない」という思いゆえの可能性が高いとソラは踏んでいるが、さすがにガチで実兄に対して「死んでもいい」と思っていると考えたくないので、ソラはキルアの「ありがとう」の真意については深く考えないことにした。
しかし、何か考え事をしていないと寝付けないどころか嫌な事ばかり頭に浮かんでしまうので、ソラは「あー」だの「うー」だの唸りながら、寝返りを繰り返して何か自分の気を紛らわすことを考える。
が、自分が今現在ゴンやキルアから離れて飛行船でククルーマウンテンまで向かっている理由が理由なので、どうしても思考は考えたくない方向にばかり向かう。
「……何で私は除念対象にこんなにも戦々恐々しなくちゃいけないんだ?」
改めて、何故助けるはずの相手に殺されるかもしれないと不安がる自分がバカバカしく思えてきたが、これは決してソラの被害妄想ではないことが確かなので、ソラはもう何度目かわからないうんざりとした溜息をついた。
別に恩を着せるつもりはさらさらないが、せめて「利用価値がある」程度に思ってくれないかと期待をしてみようかと思ったが、それも無理な相談であることをソラは良く知っている。
「利用価値がある」とビジネスライクに思って、嫌いつつも当たり障りのない付き合いが出来るのであれば、もうとっくの昔にしている。
ソラは1年前に一度、イルミ相手に「除念」をしている。
恩を着せるつもりも、助けたつもりもない。ただ、そこにいたからしたとしか言いようがない感覚でしただけだが、利用価値を見積もるには十分な出来事だったはずなのに、イルミはそれから何度会っても「こんにちは死ね」という塩どころか劇物対応に変化はない。
さすがに恩に着せるつもりはなくても、何故あそこまで全力で殺しにかかってくるのかがソラにはさっぱりわからずムカついていた所だが、ハンター試験後のイルミが語った話で、今はちょっとだけ反省している。
しているのだが、やはり不満は山ほどある。
忘れている自分が悪いのだろうが、それでもやはり自分とイルミが出会ったのは、仕事で敵対したあの日の前日だというのが納得いかない。
いくら自分のことが嫌いだからと言って、わざわざそんな嘘をつくとは思わないし、嘘ではない証拠としてソラの髪がツートンカラーだったことを指摘していたが、それでもやはりいくら思い返してもソラは、あのやたらと特徴的な能面じみたイケメンの記憶はない。
「つーかさぁ、本当に前日に会ってたんなら翌日に会っても気付くだろ。あんな特徴的な顔してんだから」
枕をぎゅっと抱きしめながら愚痴りつつも、もう何度目かわからないがソラは1年前の記憶を、自分とイルミの出会いであった日の前日の記憶を反復する。
「思い出したら殺すのを諦めてやるよ」というイルミの言葉が真実になることを期待しながら、ソラは記憶を掘り返していくうちに微睡み、夢に意識を引っぱられて沈んでいく。
瞼の裏の光景が、1年前の記憶なのか、ただの夢なのかをもうソラには判別することは出来なかった。
* * *
「……もうそろそろ、3年経っちゃうんだ」
寒さでホットの缶コーヒーをカイロ代わりにしながら、ソラは雪を降らせる分厚い雲の隙間から見える夕暮れを眺めながら呟いた。
それはソラがこちらの世界にやってきてからの年月であると同時に、こちらの世界で出会った最愛と別れてからの年月。
もうとっくの昔にその最愛と一緒に過ごした日々より、彼がいなくなってしまった日々の方が長くなってしまったのに、埋まらない空白を抱えながらソラは歩く。
何の根拠もない、根拠を得られるほど彼のことを知ることすら出来なかったけれど、それでもソラは自分の最愛と、血の繋がりも紙の上での関係ですらなくても大切な家族である弟と、クラピカと再会することを諦めず、自分が出来る限り、思いつく限り行動に移して彼を探し求める。
この町に訪れたのも、明日からボディガードという仕事を受ける理由もその一環。
そうでなければ、自分の性格にも自分が持つ目の機能にも合わないボディガードなんて仕事を受けるはずがない。
……その依頼主が、人体蒐集家などという反吐が出る人種ならばなおのこと。
ソラの目的は、その依頼主が彼の同胞のあまりに残酷な形見である「緋の眼」を所有しているかどうかを確かめること。
ソラは依頼主を本気で守ってやる気などさらさらなかった。クラピカの家族である「緋の眼」を所有しているのであれば、どんな手段を用いてでも奪っていつか必ずクラピカの元に帰してやるつもりだった。
そして何より、あの自罰的な弟は間違いなく自分の心を殺してでも、同胞の眼を取り戻すためなら蜘蛛の次か同等に憎い人体蒐集家に取り入ろうとするのは目に見えていたから。
だから、クラピカと同じくらいそんな外道という言葉も生ぬるい下種と言葉を交わすのも嫌だけど、それでもソラは同じように取り入ることを選んだ。彼がそんな輩と関わる機会を一度でも、一人でも減らすために。
心を殺すのではなく、生かすために。生きるために、最愛との再会という希望のためにソラはクラピカと同じくらいかそれ以上に、人体蒐集家の前に出ることは危険な容姿であることを自覚した上で、それさえも利用して取り入った。
……その人体蒐集家のコレクションの中に、自分の最愛が並べられている可能性は見ない。
その可能性に気付けない程、平和な頭など持っていない。珍しい魔力属性なら実の子ですらホルマリン漬けの剥製か、自分たちが使うための礼装の材料にすることが普通の価値観である魔術師という狂った家に生れ落ちて育ったソラが、こんなにも残酷だが簡単に想像がつく可能性に気付けない訳がない。
それでも、ソラは無視する。
その可能性を直視してしまえば、それこそ自分が死に至ることもわかっているから。
それが真実であるかどうかなど関係なく、そんな可能性があるというだけで自分は生きていけなくなるから。
生きている理由をなくして、死んでいないだけの存在になるから。
だからソラは、あえてどうでもいいことばかりを考えて思考がそちらに向かわないようにする。
飲み干した缶コーヒーが一発でゴミ箱に入ったら明日は良いことがあるだの、髪がだいぶうっとうしいので今夜にでも切ろうだの、美容院や床屋を探すのも面倒だからコンビニではさみを買おうだの、本当にどうでもいいことしか考えていなかった。
そんなどうでもいいことと同時進行で、狂って、壊れて、焼き切れて、それでも思考は加速して動き続けていた。
自分の「死」を退ける為の詰将棋。
自分の1秒後の「死」を何十通り、何百通りも仮想して、夢想して、それをどのようにすれば回避できるかという狂った演算機構。
あまりに機械的にそんな「未来」を計算して導き出すという行動は、自分の横を通り過ぎる人々がいつ、自分に向かって刃物を振り降ろすかという狂った仮想を常に続けている彼女にとって、ただの反射の行動だった。
道行く人々の中で、一番敵に回ったら厄介だと感じた相手だったから、だから無意識に、無自覚に顔を上げてどんな相手かを確かめた。
そしてすぐに視線を外す。
思考は相変わらず、自分の死を想定しながらそれを打ち砕いてゆくが、1秒ごとにめまぐるしく変化する自分の死とその勝率を計算する頭は、通り過ぎた「自分の
覚えているが決して思い出さない深淵に、それは沈んでいく。
だからソラは気付かない。
自分が顔を上げて相手の顔を確かめた自覚すらないのだから、覚えているのに気付けず何度もその記憶を通り過ぎる。
自分と目があった人がいたことなど、気付かない。
その人の横を通り過ぎる際、相手は自分を目で追っていたことも知らない。
自分の背中を人波にまぎれてしまうまで、立ち呆けていたなんて考えつかない。
気付けはしない。
自分と目があったその人が、あまりにも人間らしい顔をしていたことなどソラは知らないままに通り過ぎた。
生まれて初めて流星を見た、子供のような顔をしていたことなど知らない。
だってこれは、何の意味もない日常の一幕。
ただ自分の目的のために、自らを燃やしてでも走り抜けて駆け抜けた一瞬に過ぎないのだから。
ただ一瞬を通り過ぎて駆け抜けた、流星の夢だった。