死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

66 / 185


今回も、スターシステムで型月キャラが一人ゲスト出演しています。
話の展開上とそのキャラの都合上、名前は違うから誰かわかりにくいかもしれませんが、「お前か!」と思ってちょっと笑っていただけたらありがたいです。




56:4月の福音

 肩を少し越える長さになった白髪を、風で舞い散った花弁と一緒になびかせてソラは言った。

 

「おぉっ! 絶景絶景!」

 

 山の獣道よりはマシ程度に荒れた道を振り返り、麓を見下ろせばソラの言葉通りの絶景が広がっていた。

 もう完全に日が落ちて、街燈が満足に整備されていない良く言えば昔ながら、悪く言えば田舎な山麓にいくつもの提灯が灯り、まるで地上の星々のように輝いていた。

 

 それだけなら確かに美しい、良い風景だとは思えるが「絶景」というにはまだ少し足りない。

 その「足りない」部分を補うのが、提灯に照らされたいくつもの桜だろう。

 むしろ、提灯はこの夜桜の美しさをさらに際立たせる為の物であることが、全体を見渡してみればよくわかる。

 

 そんな夜桜と提灯という絶景を実に満足そうに笑いながら、ソラはケータイでぱしゃりと写真を取って言った。

「やっぱり、桜は日本人の心そのものだねぇ」

「いや、ニホンってどこだよ?」

 

 ソラの言葉に突っ込みつつ、彼も麓の桜を、その桜を照らす提灯と桜を愛でる為に集まった人々の風景を見下ろして言った。

 

「……まぁ、確かにこの花だけは理屈なく、問答無用にジャポンの人間の心をわし掴んでるよな」

 

 花を愛でるような感性はないはずの自分ですら、この花だけは例外だと認めて黒装束のジャポン人……ハンゾーは麓の桜を眺める。

 が、自分が何で正直言って二度ととまでは言わないが、出来ればあまり関わりたくなかった同期と一緒にいるのか、その理由を思い出して顔を歪める。

 

「……わし掴み過ぎて、怪談の定番っていうのは勘弁してほしいけどな」

 

 言って、今度は見上げる。

 もう少し、おそらく自分たちの足でならあと1時間足らずで到着するであろう山の頂近くにある廃寺。

 そこに植えられた、麓の桜以上に美しく咲き誇る桜の古木。

 ……曰くつきの桜を、ハンゾーは不気味そうに眺めて呟いた。

 

 * * *

 

 ハンゾーのセリフに、ソラは笑いながら同意する。

 

「言えてるね。けど、柳の下よりは不気味さよりも儚さが際立って絵になるからいいよね」

「そういう問題か? っていうか、マジで余裕だなあんた」

「そりゃ私は、プロになる前から評判のゴーストバスターだからね」

「ハンターじゃねぇのかよ! いや、確かにやってることは狩り(ハント)というより殲滅(バスター)だろうけど!」

 

 一通り突っ込みを入れつつ、ハンゾーは改めて自分と同じくプロハンター歴0年でありながら、自分よりはるか高みに存在する女を眺めて、自分の未熟さに軽く凹む。

 

 ハンター試験を終えて、「裏ハンター試験」と「念能力」の存在に気付いた早さは、おそらくは既に念能力者だった例外達を抜けば自分が一番であったという自信がある。

 そして念能力を身に着ける早さも、おそらくは自分がトップクラスだと思っている。

 

 ハンゾーの自己評価は何も間違っていない。実際にソラはハンゾーと再会して、現在“凝”の修業中ということを知らされて「ありえねぇ!」と驚愕したレベルだ。

 1,2か月で精孔を開いて“纏”をマスター出来れば天才と言っていい世界で、まだハンター試験を終えて3ヶ月ほどのハンゾーが既に“発”手前までマスターしているのは、掛け値なしの才能だけではなく努力のたまものだろう。

 

 ソラは素直にそのあたりのことを絶賛したが、ハンゾーは素直にその称賛を受け止めることが出来なかった。

 それは念能力を得たことで、最初からわかっていたものを改めて具体的に思い知らされたから。

 

 同期の中でトップクラスに優秀とはいえ、まだ四大行もマスター出来ていないハンゾーがソラの仕事に同行している理由は、ただ単にソラから連絡があったから。

 試験後、「何かあったら連絡しろ。ジャポンなら案内してやるぜ」と言って渡した連絡先をさっそくソラは活用してきたのだ。

 

 ソラとしては、自分の故郷に一番よく似た文化だが微妙に違う所が多いので、全然知らない国に行くよりも逆に変なことをやらかしそうだと自分を良くわかっていたので、一応連絡を取ってジャポンについてちょっと色々尋ねてみただけだ。

 ハンゾーの同行は、ハンゾーの方が「修行の一環で、念能力者やハンターの仕事をちょっと近くでよく見たいから、負担や邪魔にならないのならお前の仕事に同行してもいいか?」と頼んできたので、あっさりOKを出した結果である。

 

 正直言ってハンゾーは頼むだけなら損はねぇというダメ元だったので、OKされて本人が一番戸惑ったくらいである。

 それぐらい、「死者の念」というものが厄介であることは自分の“念”の師匠から耳タコになるほどすでに教えられている。

 

 だからこそ、その厄介極まりない「死者の念」専門の除念ハンターとして、アマチュアの頃からひっそりとだが確かな実績を積んでいるソラの能力を少しでもこの眼で、以前とは違う“念”という特殊能力の知識を得たうえで、不可視のオーラも可視出来る“凝”という技術を持ったうえで見て、出来ることならばその力を自分も会得したいと思ったのだが、改めて会っただけで自分のその考えは絵に描いた餅よりも非現実的なものだと思い知らされた。

 

 別に何かされたわけではない。ただ、ソラは近況報告と暇つぶしの世間話として、つい最近受けた仕事の話をハンゾーにしただけだ。

 ソラにとってそれは、つい最近やっと後片付けを終えた仕事に対する愚痴でしかなかったが、ハンゾーからしたら百匹単位の犬の死後の念を相手取ったなんて、何の冗談だ? という内容だった為、話を聞いて絶句したのは言うまでもない。

 

 ついでにその話を聞いて、ソラがまだ四大行もマスター出来ていない自分の同行を許可した訳が良くわかった。

 他に仲間がいたとはいえ、それだけの数の死後の念をほぼ一人で相手取って殲滅したこの女が、「この時期になると桜の古木の下に女の幽霊が出る。その女を見ると、2,3日体調を崩す」という、無害ではないがあまりに微細な被害しか出していない幽霊退治なら、そりゃ見学人の一人や二人いても問題ないだろう。

 

 そもそも何故、それだけの実力があってこんな放っておいてもさほど問題なさそうな幽霊退治の依頼を受けたのかをハンゾーが疑問に思い始めた時、ハンゾーが尋ねる前にソラが麓の提灯に照らされた桜と人々を眺めながら尋ねた。

 

「ねぇ、ハンゾー。この祭りって、花火上がる?」

「はぁ? 上がる訳ないだろ。祭りというかこれは、花見客が多いからついでに露天出してるだけで正確には祭りじゃねーし、そもそも祭りと花火と言えば夏だろ」

 

 ソラの唐突な問いに、完全に素で答えるハンゾー。その答えに、ソラも腕を組んで「だよねー」と同意する。

 言ってから、ソラの国では春に祭りと花火がメジャーなのかと思ったが、その反応からしてソラも祭りと花火は夏のイメージらしい。

 なら何故訊いた? と思えば、これもハンゾーが尋ねる前にソラが先回りして答える。

 

「私の親友が好きだった絵本が、春に祭りをしてたんだ。

 桜が舞い散る春嵐の中で、夜空に大輪の花。それが、作者にとってふさわしい『祭り』のイメージだったんだろうね」

 

 麓の桜を見るのをやめて、懐かしむように夜空色の瞳を細めて山道を上がりながらソラは語る。

 特に興味がわく話ではなかったが、ハンゾーは何も言わずソラが語る「親友が好きだった絵本」のあらすじをただ聞いた。

 何となく、水を差すのが悪い気がしたから黙って好きに語らせた。

 

「ニホン」という、「ジャポン」とよく似ているのに別物の国が、もう二度と帰れない彼女の故郷だということをほんの少しだけ聞いたから、ただ静か聞き続ける。

 語りたいのなら、語らせようと思った。

 

 しかし、ソラの語る絵本のあらすじは「本当にそれで合ってんのか、おい」と何度か突っ込みを入れたくなるものだった。

 

 まず第一の突っ込みどころは、絵本のタイトルが「吸血鬼の涙」なのに主人公は吸血鬼ではなくロボットだという所。

 そしてそのロボットは、自分を作った博士と研究所から逃げ出したところから話が始まるが、逃げ出した理由は特に書かれていないらしい。

 初めは、人間の心を持ったロボットが人間に憧れたから、研究材料として扱われるのに耐えきれず逃げ出したとハンゾーは自己解釈していたが、どうやらそのロボットは別に人間に憧れなど懐いていなかったらしい。

 ただ、逃げ出した先でたどり着いた(まち)の雑多さを美しいと思い、ここなら自分のような外れ者が紛れ込んでも大丈夫だろうと思ったから、人間のフリをして生活するようになったそうだ。

 

 もはやこの時点で、あまり子供向けではない内容だと思ったが、ラストがハンゾーが持っていた「絵本」のイメージから大きく外れていた。

 彼にとって絵本は子供向けの夢物語。リアリティよりも、「正義は必ず勝つし、心優しい者は必ず報われて幸せになる」という終わりが最優先で当たり前だと思っていたが、その物語はハンゾーが持っていた絵本のイメージを完膚なきまでに破壊し尽くした。

 

 ロボットは人間に憧れてなどなかったが、その(まち)に住み続けたことで愛着を持ち、人間らしい心を得るようになる。

 しかし、心は人間のものになっても体はロボットのまま。

 顔や体はいくらでも誤魔化すことが出来たが、血液や涙といったものは手に入らなかった。

 

 そんなロボットが、自分が逃げ出して住み着いた時期に行われる春の祭りで花火を橋の上から眺めていたら、うっかり人に押されて橋から落ちてしまう。

 そのロボットは水が大敵で、触れるだけでもすぐに壊れてしまい、機能はダウンして人間に偽装していた部分も溶けてしまう。

 

 その頃には人間に対して完全に愛着を持っていたロボットは、自分が助かることよりも自分の顔や姿を隠し続けた。

 (まち)から追い出されたくなかったから、(まち)の人間を怖がらせたくなかったから。

 

 ハンゾーがイメージしてた絵本ならば、「そんなロボットを(まち)の人間が助けて、ロボットが「怖くないの?」と訊けば助けた人々は「同じ『人間』なんだから怖い訳あるか」と答えて、ロボットは体を治してもらって、もう人間の見た目に偽装しなくても(まち)の人たちと仲良く暮らしました。めでたしめでたし」が、普通の終わり方だと思っていた。

 

 しかしその物語では、誰もロボットを助けない。

 橋の上からロボットを見つけた人々は悲鳴を上げて、隣人だった人たちはロボットを怒鳴りつけ、ロボットは水底に沈みながら、上手くやって来たつもりだったけど何もかも夢で、結局自分は仲間外れの一人ぼっちだということを思い知る。

 

 そして、ロボットは最期に一筋の涙を流す。

 橋の上で祭りでにぎわう人々を眺めながら流した涙の意味は、語られない。

 仲間に入れてもらえないことが悲しかったのか悔しかったのか憎かったのか、それとも、自分の正体を知られても祭りが台無しになるほどの騒ぎにはならなかったことに対する安堵だったのか、何も語られないまま物語は終わる。

 

 ソラの語りが終わって、まず初めにハンゾーが口にしたのは「本当にそれ、絵本か?」だった。

 

「絵本なんだな、これが」

 腕を組んでいったん立ち止まり、やや遠い目をしながらソラは答える。おそらく、ハンゾーの内心の感想に彼女も深く同意してるのだろう。

 少なくともこれ、子供向けじゃねぇだろと二人は同時に深々と思った。

 

「友達は何でか知らないけど、この話を暗唱できるぐらいに読み込んでたから印象深いんだけど、私は別に好きでも嫌いでもなかったなー。というか、正直言って話の意味が良くわからなかった」

 

 ソラは再び、廃寺を目指して歩き始めながら自分の感想を語る。

 意味がわからないには、ハンゾーも大いに同意した。

 いい年したハンゾーでも、その絵本は割と何が言いたかったのかがわからない。

 

 子供向けにしては救いがあまりにもない暗い物語であるし、大人をターゲットにしているとしたら、ソラがうろ覚えであらすじだけ語った所為もあるだろうが、色々と突っ込みどころがあって整合性がないとまでは言わないが粗が目立つ物語に感じた。

 

 ハンゾーにとってはその程度の物語。

 きっと一時間もしたら、タイトルを「ロボットの涙」だと間違えてしまいそうな程度の物語だ。

 

「――でも……」

 

 ハンゾーにとっては、明日にもなればあらすじの大部分を忘れるであろう、興味も何もない物語だった。

 けど、おそらくこれだけは忘れない。

 

「『とくべつ、人間に憧れていたワケではないのです。

 ただ、あまりにも(まち)が雑多できらびやかだったので。

 自分のような仲間はずれがひとりいても、誰も気にしないだろうと』」

 

 もう一度、ソラは降り返って麓を見下ろして言った。

 脈絡がない言葉。

 おそらくは、先ほどまで話していた物語の一節。ロボットのセリフだろう。

 

 人間に憧れた訳ではなかったのに、いつしか人間の心を得た、人間になりたがったロボットのセリフを暗唱してから、ソラは夜空色の瞳を細め、どこか遠くを、遥か彼方を見ながら呟く。

 

「今でも、あの話の意味はよくわからないけど……、このセリフだけは、この時のロボットの気持ちだけは、今はわかるような気がするんだ」

 

 一人きりでこの世界に流れ着いた異邦人は、自分の故郷によく似た国で、自分の故郷とよく似た風景を眺めて、そう言った。

 

 * * *

 

 ハンゾーはその言葉に、「……ふぅん」という相槌だけを返す。

 それ以外の言葉も浮かばなかったし、間違いなく相手も求めていないだろうから何も言わなかった。

 

 ……ハンゾー自身も、わかってしまったから何も言わない。

 この女のことなどほとんど何も知らないはずの自分でさえ、ソラが暗唱したセリフは絵本のロボットのセリフだとは一瞬思えなかった。

 

 寂しげで、儚げで、そのくせ吹っ切れたような諦観を滲ませたソラの声音と顔を、覚えておきたくもないのに自分の記憶に刻み込まれたのを感じ、ハンゾーは深い溜息を吐いた。

 

 その溜息は嫌な記憶が焼き付いたことに対してか、それとも「仲間はずれなんかじゃねぇよ」と言えない自分に対してかは、わからない。

 

 色んな意味でモヤモヤとした気持ちを抱え込むハンゾーとは裏腹に、彼にそんなものを抱え込ませた元凶は、相手が軽く鬱状態であることに気付きもせず、無邪気な声を上げる。

 

「ハンゾー、ほら見えてきたよ! ついでに感じる? まだここは噂の桜の下の幽霊のテリトリーじゃないけど、既にやーな感じがしてる」

 

 そこに先ほどまでの寂しさや儚さ、諦観が一切ないことに少しだけホッとしたが、それ以上にハンゾーは普通にムカついた。「お前、自分で生み出した空気の責任くらい取れ」と思いながらソラを睨み付けるが、ソラはハンゾーが何故睨んでいるかもわかっておらず、首を傾げつつも話を勝手に進める。

 

「たぶん“円”の範囲内に入った人間の効果が作用するタイプだね。『体調不良にさせる』なら放出系だけど、『オーラが吸収された結果、体調不良になる』タイプなら特質だ。

 あんまり強力じゃなさそうだから良かったけど、気をつけろよ。効果によってちょっとオーラ多めの“纏”でガードか、“絶”でオーラを渡さない方がいいのか、対応が真逆になるから」

「わかってるっつーの!」

 

 苛立ってやや逆ギレ気味に言い返すが、さすがは今期ハンター試験トップクラスの期待枠。言われるまでもなく、とてもまだ四大行をマスターしきれていないとは思えない程、自然にオーラを体に留めながら眼にはやや余分にオーラを集めて、“凝”状態であたりを警戒する。

 ソラが言った「オーラを奪う」タイプの特質なら逆効果だが、相手の能力がわかっていない内から無防備になる“絶”の方が危険と判断したのだろう。

 

 ソラの言動や実際の被害からして、本当にここの幽霊はさほど強力な「死者の念」ではないのだろうが、それでも被害の軽微なのは今までの相手が一般人だったからで、念能力者だと知られたら相手も本気を出してくる可能性がある為、ハンゾーは警戒を緩めない。

 

 ソラの方もいつも通りポケットからワンコインショップのボールペンを取り出して、クルクル回しながら言葉通り眼の色を変える。

 ミッドナイトブルーの眼を、鮮やかなスカイブルーに変えてソラが朽ち果てた山門に踏み入れた瞬間、声がした。

 

『……誰、ですか?』

 

 実に柔らかな女性の声だった。

 獲物がやって来たことに対する喜びはなく、まだテリトリー外だからかもしれないが侵入された怒りもその声音からは感じられない。

 そこにあるのは純粋な戸惑いだけのように感じ、思わずハンゾーも一瞬困惑する。

 

 そして、ハンゾーが感じ取ったものを肯定するようにその声は言葉を続けた。

 

『……好奇心の肝試しなら、今すぐお帰りになった方が良いですよ。よほどの長時間ここにいない限り死にはしませんが、体調は確実に崩しますから』

 

 まさかの、体調不良の原因からそのことに対する忠告をもらい、思わずハンゾーは「はぁ?」と声を上げる。

 ソラの方もさすがに予想外なのか、目を丸くしながらある一点をじっと見つめていた。

 

 ソラが特定の場所のみを見ていること、それが枯れ果てたいくつもの木々の中に一本だけ満開に咲き誇る桜、間違いなく「幽霊が出る」と噂の桜の古木であることに気付き、ハンゾーはさらに目にオーラを集めてみる。

 すると、“念”を覚えるまで信じていなかった幽霊らしき人影が、ハンゾーにもはっきりと見ることが出来た。

 

 そして、その人影がはっきりとした人の姿になって、思わずハンゾーは心の中で「こんちくしょう!」と叫んだ。

 淡い桜色の着物に臙脂の袴を履き、ソラと同じ白髪を黒いリボンでポニーテイルにした15,6歳の何とも可愛らしい、幽霊というより桜の精と言った方が正確なほどの美少女に、ハンゾーは心の底から「生きてる頃に会いたかった!」と思う。

 

 そんなハンゾーの切実な願望などもちろん少女は知る由もなく、ただ二人がばっちり自分を見ていること、見ているのに自分をガン見する以外の反応がないことにさらに戸惑って狼狽えた。

 

『え? えっと、あの……な、何か御用ですか?』

 

 戸惑いながらもこちらに用件を尋ねるその姿は、微細とはいえ人に危害を加えている存在とは思えず、ハンゾーは嘆くのをやめてこちらもどう反応すればいいのかわからなくなったが、ソラはそのセリフで何かを吹っ切ったかのようにいきなりずかずかとテリトリーに踏み入り、早足で少女の方まで歩み寄った。

 

『ええっ!?』

「ちょっ、おい!? 何してんだお前!?」

 

 今の所は思った以上に害はなさそうだが、それが演技ではないという保証はない。悪意などない弱々しいふりをして、油断させてから本格的に襲うタイプかもしれないとハンゾーでも思いつく可能性をまさかわかってない訳はないと思いつつ、あまりに無防備な接近にハンゾーは手を伸ばして止めるが、もちろんソラは止まらない。

 

 幸いながら、少女の言動は演技ではなく素だったのかソラが目の前にやってきても危害を加える様子もなく、何故か首を傾げながらさらに自分をガン見するソラを、ポカンとしながらこちらもガン見。ただ単に呆気にとられて、眼をそらせないだけともいう。

 

 そんな少女に、ソラは何度か首を傾げてから困ったような半笑いで言った。

 

「……えっと、まさかの……グレイ?」

「『は?』」

 

 何故かいきなりソラが尋ねた問いの意味がどちらも理解できず、同音異口に首を傾げる。

 一体何を見て思って、「灰色(グレイ)」だと思ったのか二人にはまったく理解できなかったが、そんな二人をよそにソラは遠慮なく少女の顔を両手で挟み込むように掴み、さらにジロジロと何かを確認・点検でもするようにまさしく穴が開くほど少女の顔を見続けた。

 

『え? えぇっ? えっと……あの……』

「……おい、お前マジで何やりたいんだよ? こんな幽霊困らせる女、初めて見たわ」

 

 そもそも幽霊を見たこと自体が初めてだが、おそらく幽霊以上に見る機会が少ないであろう現状に呆れながらハンゾーは突っ込むが、ソラはそんな突っ込みを全く気にせず観照を続ける。

 その観照は1分ほど続いたが、じっくり見て一人勝手に納得して手を離し、ソラは結論を口にしてようやく少女とハンゾーはソラの言葉の意味と奇行を理解した。

 

「うん、ごめん。やっぱり他人の空似か。

 そりゃそうだよね。顔はヤバいくらいに似てるけど、グレイは白髪じゃなくて銀髪だったし。あとグレイなら桜の木の下より墓地にいるだろうしね」

「お前……幽霊の知り合いでもいるのか?」

「グレイは墓守なだけでちゃんと生きた人間の友達ですけど!?」

 

 ソラのセリフで、「グレイ」は「灰色」ではなく人名だったこと、自分の知り合いそっくりだったから目を丸くして驚いていたことを理解したのはいいが、ソラが「他人の空似」と判断した理由の後半が不穏すぎて、ハンゾーがドン引きながら尋ねたら慌てて補足を加えた。

 補足をされて少しホッとしたが、よく考えたらあまりホッとして良い職業ではない。類は友を呼ぶとはこのことかと、ハンゾーは妙な納得をする。

 

『……そんなに、私とその人は良く似てるんですか?』

 

 ソラから解放された少女も、自分の顔をペタペタ触りながら尋ねる。

 どうやらこの少女は自分の目の前にいる女が自分を退治しにやって来たハンターだとは思っていないのか、何とも無防備で呑気な問いに、ある意味で一番楽観的な気持ちでやって来たはずのハンゾーが思わず脱力する。

 

「うん。歳は君より少し年上だけど、初めて会った頃はちょうど今の君くらいだったな。

 そうだとしたらおしいなー。ここまでグレイにそっくりさんなら、君も20代くらいの姿ならバインバインだったかもしれないのに」

 

 退治される側が立場をわかっておらず無防備なら、退治する側も退治する気が本気であるのか、やたらとフレンドリーに笑いながら同性にセクハラ発言をかまして、見学者であるハンゾーを「何だこの状況……」とさらに脱力させる。

 

 が、意外なことにセクハラされた本人は、その発言に怒ったりドン引きしたりといった反応は見せなかった。

 困ったように薄く笑ったが、その苦笑は寂しさや諦観を多く含んだ笑みだった。

 ハンゾーに忘れられない、煌びやかな春の(まち)に焦がれたロボットのセリフを刻み付けたソラの笑顔とそれは良く似ていた。

 

『……それは、たぶん無理ですね。……私には、子を生す機能がありませんから』

 

 舞い散る桜の花弁の中で、少女は淡く、儚く微笑んだ。

 生物として決定的な欠陥の告白にハンゾーは何も言えなくなるが、ソラの方は同じように……けれど今にも春霞にまぎれて溶けて消えてしまいそうな少女とは違い、ここに存在していることを苛烈に主張するように、強く笑って答える。

 

「だろうね」

 

 何故か、ソラは言われるまでもなく少女の欠陥に気付いていたらしく、ハンゾーはさすがに本人を前にして「どういうことだ!?」とは言えないので目で訴えるが、それは春のそよ風のように爽やかにナチュラルスルーされた。

 少女の方は、ソラの答えに目を丸くしてからまた笑う。

 やはり桜が良く似合うほど淡く儚い笑みだが、その笑みから寂しさと諦観は薄れ、本心からおかしそうに笑ってから、少女はあどけなく尋ねる。

 

『あなた方は……私を殺しに来てくれたのですか?』

 

 * * *

 

 今更な問いを、歓迎するように微笑んで尋ねる。

 その問いにソラが答える前に、ハンゾーが我慢できずに逆に問い返す。

 

「……お前は、何なんだ? 何がしたいんだ?」

 

 思えば、初めからこの幽霊は奇妙なことばかりしている。

 

 体調を崩して2,3日寝込む程度の被害しか出していないとはいえ、忠告したということは自分のしていることに自覚があるということだ。

 だから初めは、この寺や桜の木に思い入れがあるので他人に入って欲しくない、荒らされたくないが傷つけるつもりもないから、軽い脅しのつもりでやっているのかと思ったら、自分を退治しに来たハンターだと思っても強く拒絶しないどころか歓迎するような態度。

 

 こちらの油断を誘っているにしても、あまりに無防備な言動は本気で自分の死を願っているように見えた。

 そして、ハンゾーの考えは当たっていた。

 

『……私は、私を殺してほしいのですよ、忍者さん。私のしていることを、もう終わりにしてほしいんです』

 

 淡く、儚く、寂しげに、けれどいっそ開き直ってすっきりしたような諦観を含んだ笑みで少女は言った。

 

『私は、初めから子を生せない、一人きりで生きて、一人きりで死ぬのが決まっていました。

 けれど、私は長い間そのことに気付きませんでした。ただ、他の仲間より体が弱いだけだと思っていました。

 

 ……自分の事実に気付いた時は、私は悲しみました。自分は何のために生まれてきたのかがわからなくなって、仲間と違って子孫に何も託せない、何もできないまま一人きりで終わるしかない自分の命が悲しくて、虚しくて、毎日毎日嘆き悲しんで、……私は愚かな願いを懐いてしまいました。

 

 子を生せないのなら、未来を託す相手がいないのならば、私が永遠になればいいのではないかと思ってしまったのです』

 

 最後の言葉は、子を為せない自分に絶望した先に行き着いた答えは、あまりにも暗澹陰鬱な声音で、どう考えてもその考えに至った本人ですらそれは「希望」ではなかったことを理解している、そんな声音で彼女は語ってから自嘲気味に薄く笑う。

 

『……今思えば愚か極まりないことだとわかるのですが、その時の私には本当に、本物の、唯一の希望に思えたのです。そもそも私は子が欲しかったわけではなく、ただ仲間はずれが嫌だっただけですから。

 ……私は、仲間が好きでした。ずっと一緒にいたかった。けどそれが不可能であることがわかっていたから、私は自分の子と仲間の子が私と同じようにずっと一緒にいてくれることを期待して、託したかったのです。

 

 それさえも無理ならば、私自身が永遠となればいいと思いました。仲間は私と違って永遠になれずとも、仲間の子が育つのを見守り続けることが出来るのであれば、それで満足だと私は思っていました。

 

 ……でも――』

 

 二人に背を向け、少女は桜の古木に縋り付くように額を押し当てて、言葉を続ける。

 自身の愚かさを悔いるように、自らの罪を懺悔するように。

 

『……私が『念能力』というものを得たのは偶然にすぎません。私には詳しいことは良くわからないのですが、念の修業は悟りを得るための修業に似ているそうなので、門前の小僧習わぬ経を読むという奴でしょうか。

 気が付いたらいつしか私はその力を得て、そして私の間違えた『希望』を実現させてしまったのです。

 

 ……私は、本当に愚か者です。対価を支払わずに何かを得ることなどできないことを、私は理解できていませんでした。

 ……私の『永遠』は、他者から命を僅かばかりとはいえ吸いあげて吸収していくことだということに、またしても長い間気が付かなかったのです。……このような愚かな希望を抱いてしまう程、一緒にいたかった仲間の命を奪い尽くすまで、私は自分の愚かさに気が付きませんでした』

 

 一度、少女は拳で目元をぬぐう動作をしてから振り返る。

 振り返った少女は、もう笑ってなどいなかった。

 外見こそは相変わらず儚げで可憐な少女そのものだが、そこに立つ少女はあらゆる甘えや期待を捨てて、覚悟を決めた者の眼をしていた。

 

 ――死を覚悟した者の眼だった。

 

『私は仲間の命を奪って、永遠を得たのです。そして、仲間は誰も私を責めてくれませんでした。

 

 自分達は子を生した、未来を託せたからいつ死んでも良かった。お前はそれが出来ないから、永遠を望むのは仕方がない。

 だから、お前の永遠の一部になれるのならば、私達も後悔はない。

 

 ……仲間はそう言って、皆その命を枯らしてゆきました。私に、そのような価値などなかったのに。私があまりに愚かなだけだったのに、……なのに皆、未来などない私に自らの命を託して去ってゆきました。

 仲間がいなければ、私の永遠に何の意味もなかったのに……、仲間が託した『未来』である子供たちは、私の手には届かない所で生きているから、本当に私が生きる意味なんてなくなってしまったのに……』

 

 違和感を、覚えた。

 黙って少女の話を聞きつづけていたハンゾーだが、少女の話にどこかが引っかかった。

 

 嘘の矛盾を見つけた訳ではない。

 忍びとして戦闘能力はもちろん、洞察力や読心術も叩きこまれているハンゾーが見て分析する限り、少女は何も嘘をついていない。

 

 彼女は本気で、この「他者のオーラを奪う」という能力を浅慮で得てしまった悔やんでいる。

 そう考えたら、最初の忠告も自分を殺しに来た相手を歓迎するのも、筋が通る。

 能力を解除しないのは、ちゃんと学んで得た能力ではないから暴走に近い形で常時発動してしまっているのだろう。解除しないのではなく、出来ないのだ。

 

 少女の話に少なくとも今の所は矛盾は見当たらず、少女の仕草に嘘をついている者に見られる違和感もない。

 だけど、少女の話そのものにどこかしら引っかかる感覚が消えない。

 おそらくは少女もハンゾーやソラを騙している意図はない、ただ単に自分が気づいていないだけの「何か」だとハンゾーも思っているが、そこまでわかっていても肝心なその引っかかている「何か」がわからなかった。

 

 なので、さらに用心深くハンゾーは少女の話を聞きいる。

 少女の仕草に不自然な所はないか、話の内容に矛盾はないかを探るように聞き続けるハンゾーとは対照に、ソラはちゃんと聞いているのかどうかも怪しいほどどこか気だるげな雰囲気だった。

 

 そんな対照的な二人がおかしかったのか、少女は少しだけまた笑う。

 笑っても、やはり彼女はもう「永遠」どころかこの先一秒たりとも長い生を望んでいるようには見えなかった。

 

『私の能力がそんな身勝手なものだと知ってすぐに、私はこの力を呪いました。こんな能力、いらないと願いましたが、一度得た能力は消えることがありませんでした。

 もしかしたら、無意識に私は能力を失うのを恐れていたかもしれませんね。だって、仲間も命を奪ってまで得たのに、あっさり捨ててしまったらそれこそ私の仲間は何のために死んだの? と思ってしまったのでしょう。

 

 ……幸いながら、私は積極的に誰かを殺したかったわけではないので、私の能力は初めに言ったようにすぐに命を吸い尽くされて亡くなることは有り得ません。私から離れればいいだけなので、私の仲間はともかく普通の人間ならば、まず死に至ることはありませんでした。

 

 ……だから、私はずっとずっとここで、仲間の命を糧にして一人きりで生きてきました。これが私の浅慮の結果であり、罰だと思って』

 

 ハンゾーが思った通り、能力は解除しないのではなく出来なかった。能力を失えない理由も、ハンゾーが予測していた範囲内だった。

 少女の言葉や答えは、全てハンゾーの想定内。

 

 なのに、自分の考えが肯定されても、違和感がやはり募る。

 明らかに、彼女の話は何かがおかしい。そう感じているのに、ハンゾーはその違和感を見つけられない。

 

 ハンゾーが違和感の正体を掴めないまま、少女の話は、懺悔は、そして「永遠」という希望が絶望に変わってから、代わりに懐き続けた希望を口にする。

 

『けれど、それも今日で終わりなんですね。

 もっと私は長く苦しむべきだと思いますが、私がいたら迷惑ですもんね』

 

 自らの処刑を望む、永遠だった少女は笑う。

 永遠どころか刹那で、今にも消え入りそうなほど儚い、それでいながらやっと楽になれることに安堵するような、今にも泣き出しそうな笑みで少女は細く白い首をソラに差し出して、希う。

 

『さぁ、どうぞ。どうか私に、引導を渡してください』

 

 ハンゾーはその言葉に、ソラに何かを言いかけてやめる。

 何を言おうとしたのかが自分でもわからなかったから。

 

 少女の話に違和感があるから。

 違和感の正体がつかめないから。

 

 だからまだ少し待ってほしいという気持ちは確かにあったが、そんなことで人の仕事の邪魔をしていいわけがない。

 この仕事の同行は完全にハンゾーのわがままで、ソラの厚意によって許可されたものだ。

 いくら危険がなさそう相手でも、自分が何か要望を言える立場じゃないのはわかっている。

 

 それでも、ハンゾーは何か言いたかった。

 このまま、ソラに殺してもらって終わらせるのは嫌だった。

 

 そこに少女が美少女だからという下心はない。

 理屈ではなく、ただただ嫌だった。

 

 ――そしてそれは、ソラも同じだった。

 

「いいよ」

 

 言いながら、彼女が掴んだのは少女の細い首ではなくそれ以上に細い嫋やかな手首。

 ソラは少女の手を掴んで、駆けだした。

 

 

 

「引導を渡してあげる。けど、その前に君は見るべきだ。君が望んだ『永遠』を」

 

 

 

 少女の手を引き、いきなり駆け出してソラは困惑する少女に向かって命じる。

 

「ほら、気合い入れて“円”の範囲を広げる! 私と接触してるんだから、私からオーラ吸い上げたらそれぐらいできるだろ!」

「『ええぇっ!?』」

 

 何故か「引導を渡す」と言いながら、やっていることは完全に真逆な行動に思わずハンゾーと少女が盛大にハモる。

「お前マジで何がやりたいの!?」とハンゾーが叫べば、振り向いたソラがきっぱりと言い放つ。

 

「こんな能力なくったって、彼女が望んだ『永遠』は叶ってたってことを見せるんだよ!」

「はぁ!?」

 

 やりたいことはわかったが、何をどうしたらそうなるのか、そんなものがどこにあるのかがハンゾーにはさっぱりで余計に謎が深まった。

 もちろん、少女もソラの言っている意味がわかっておらず、ソラに腕を引かれて転びそうになりながら山門に引きずられるように連れていかれる。

 そうやって引きずって連れて行きながら、ソラは語る。

 

「君は、“円”の範囲内でしか行動できないんだろ? だから、見た事がなかったんだね。

 言っとくけど、私がしようとしてることは君を今ここで殺すこと以上に残酷な『引導』だ。……それでも、君は見るべきなんだと私は思う」

 

 制御出来ていない能力が、ソラのオーラを少しずつだが吸い上げて、“円”の範囲を広げてゆく。

 山門まで届かなかった“円”が広がり、ソラは少女の手を引いてその門を、境界を超える。

 

「ほら、見てごらん」

 

 境界を越え、少女の手を離し、振り返って見せつける。

 

 山頂の廃寺から見下ろす絶景。

 

 提灯に照らされた満開の夜桜と、それを愛でる人々をソラは両手を広げて見せつけて言った。

 

「これが、『永遠』だ」

 

 何十本もの咲き誇る桜並木を、まん丸く目を見開いて茫然と見下ろす少女に断言し、ソラは少女の名を呼ぶ。

 

「そうだろう? ――ソメイヨシノサクラ」

 

 * * *

 

 ソラが呼んだ名に、真っ先に反応したのは本人ではなくハンゾーの方だった。

 

「あーーっ!! それか! 違和感の正体はそれか!!」

「何事!? っていうか、気付いてなかったんかいお前は!!」

 

 ハンゾーの叫びに、ソラがややキレながら突っ込んだがハンゾーはそれどころではなく、自分の髪がない頭を掻き毟って、こんなにわかりやすかったのに気づかなかったことを悔しがる。

 

 わかりやすかったが、気付かなかった。

“凝”をしなければ見えなかったし、あまりに儚いその雰囲気がイメージに合っていたし、何よりもその前提がなければソラに依頼されなかったであろう仕事なのだから、大前提すぎてその前提が間違えているとはつゆにも思わなかった。

 

 ハンゾーの第一印象が正しかった。

 この袴姿の少女は、幽霊ではなく桜の精と言った方が正しい存在。

 

 念能力を得て、自分のオーラを人間の姿に具現化させることを可能にした桜……、彼女が現れると言われた桜そのもの、樹齢50年以上のソメイヨシノだったのだ。

 

 少女の話で感じていた違和感の正体は、彼女が幽霊だとしたら彼女はいつ死んだのだ? という部分だ。

 彼女の能力だと逆に彼女はそう簡単には死ねないはずなのに、彼女が幽霊であるということが当然の前提だったのと現に今も“凝”をしなければ見えない少女がいることで、まったくその一番の疑問点が頭に浮かばなかった。

 

 少女が自分の正体のことを言わなかったのも、ソラが気付いているようだから言う必要がないと思われたのだろう。

 

 少女である桜の木が生きているのなら、そもそも彼女が人間でないのなら、彼女の話で細々とした他の違和感や疑問も全て筋が通って解決する。

 まだ15・6歳にしか見えない外見でありながら、やけに子供ができないことを気にしていると思ったが、植物ならばそりゃ「種の保存」が自分の存在意義と考えてもおかしくない。

 

「仲間」の話もそうだ。

 彼女の話では「こいつの仲間ってどんな聖人君子だよ?」と思っていたが、間違いなくその仲間とやらは人間ではなく彼女自身と同じように、寺の境内に植えられていた木々のことだろう。

 そうだとすれば、子孫を残せたのならそれでよしとし、残せない欠陥を抱えた彼女に同情して命をささげたのも、人間どころか動物ですらないのなら、確かにそこまで自分の命に固執しないだろうと納得できる。

 というか、存在の在り様が遠すぎて本当に植物ならどう思うのかなど想像ができないので、植物である少女本人がそう言うのなら……と納得するしかない。

 

 色々と腑に落ちたのはいいが、本当に気付こうと思えばすぐに気付けても良かったことに気付かなかった自分が悔しいやら恥ずかしいやらで、ハンゾーはその場にしゃがみ込んで頭を抱え続けるので、ソラはハンゾーの相手をするのをやめて、少女の方に話しかける。

 

「……見えるだろ? あれは、全部君だ。君の子孫じゃなくて、君自身だ。ここだけじゃない。君は、ジャポン全土に、海外にも存在する。

 君は子を生せない代わりに、接ぎ木でここまで増やされた。ただただ、君にとっては意味が無いはずの花を愛でる為だけにね」

 

 麓の桜を、ソメイヨシノを見下ろしながらソラは語る。

 ジャポンと日本は微妙な差異は多いがやはり大部分が同じ文化を持ち、同じ文明の発達を遂げていた。

 その代表例が、ソメイヨシノという桜。

 

 この桜は、野生種のエドヒガシという桜と、日本……こちらで言えばジャポン固有種のオオシマサクラの雑種との交配で生まれた園芸品種であり、本来なら一世代だけ、子孫を残すことが出来ないはずの樹木だった。

 正確に言えば自家受粉という、人間でいう近親婚を防ぐための自家不和合性というものが高すぎて、同種のソメイヨシノ同士では種子がほぼ確実に発芽しないのであって、別種の桜とならば受粉した種子の発芽は可能だ。

 ……しかし、それはもう「ソメイヨシノ」ではなく別物の種である。

 

 人間にはわからない感覚だろうが、植物の彼女にとって「種の保存」が最優先されるべきという価値観である為、別種の桜との間に生まれた雑種の桜は完全な赤の他人だったのだろう。

 

 そして、人間にとってもそうだった。

 他の品種ではダメだった。

 人間は、「ソメイヨシノ」という桜に魅せられて、この桜をもっと長く観賞したい、もっと多くの人に見てもらいたい、もっとどこででも見れるようになってほしいと願った結果、ソメイヨシノは「接ぎ木」という最も古い形であろう「クローン技術」によって、他の固有種を押しのけて日本を、ジャポンを代表する「桜」となったのだ。

 

「……それは、完全な人間のエゴだ。君自身の意思なんか、当然考慮されてない。

 歪な命の形……と言われたら否定できないよ。実際、これを人間に置き換えたら外道なんて言葉じゃすまない所業だし。

 

 ……でもさ、……子孫を残せないっていうのは確かに生物としては致命的な欠陥だけどさ……、そのたった一つの欠陥で、『何のために生まれてきたの?』って思うこと、思わされることだって間違いだと思う」

 

 淡々とソラは隣の少女に語り続けるが、少女は答えない。

 ただ、彼女は見続ける。

 両手で自分の口元を、顔の下半分を隠すようにして、自分の分身である桜の木々を、そんな自分を愛でるために集まった人々を、ただただ食い入るように見続ける。

 

「生まれてきたからには、生きるべきだと思うんだ。例え、他の皆が持っているものを持っていなくても、逆に持っていないものを持って生まれても、それだけで生まれてきた意味や、生きる意味を無くす理由にはなりはしないと思うんだ。

 

 ……だから、たとえあなたは望んでいなくても、人間(私たち)のエゴを恨んでいたとしても、どうかこれだけは知っていてほしい。恨んでも憎んでもいい、許さなくてもいいから、それでもこれだけは『君』に知っていてほしいんだ」

 

 一陣の風が吹き、桜の花弁を舞い散らせる。

 春の雪のような花吹雪の中で、ソラは間違えた「永遠」を求めた桜の木に伝える。

 

「君の命に、意味はある」

 

 沈黙を続けていた少女……ソメイヨシノの唇が開き、言葉を紡いだ。

 

『……本当に、残酷な引導ですね』

 

 彼女の言う通り、「子が生せないのなら」という理由で間違った「永遠」を望んだものに、少し動ける範囲を広げれば見ることが出来た「永遠」を見せつけたこと、そして死を希ったものに対してその生に意味があったと伝えることは、あまりに残酷な引導だ。

 

 けれど――

 

『でも……ありがとうございます』

 

 彼女は、ソメイヨシノは笑った。

 自らの花によく似た、淡くて儚い笑顔ではなく、くしゃくしゃに泣きながら彼女は笑う。笑って、伝える。

 

『……恨みませんよ。

 私は、仲間が一番でした。ここのお寺に人がいた頃は人間にほとんど興味はなく、毎年毎年、私が花を咲かせたら私の下で騒ぐのをうんざりしていたぐらいでした。

 ……でも、仲間を失って、お寺の人もここを訪れる人もいなくなって、私の花を見る人もいなくなったら……ひどく、虚しくなりました。

 ただでさえ何も生み出せないのに咲かす花に意味はないと思っていたのに、それを見てくれる人もいないのなら、それこそ私は何のために生きているのかがわからなくなっていました。

 

 ……だから、私は人間を誰も恨みも憎みもしません。私は人間に、感謝します。

 私に意味と価値を見出してくれて、一人きりで死んでいくしかなかった私に、私自身とはいえたくさんの仲間をくれて、そして私が仲間の子孫を見守ることを出来るようにしてくれて……私が望んだ『永遠』を正しく形にしてくれた人間(あなたたち)に、感謝します。

 

 本当に……ありがとうございます――』

 

 くしゃくしゃの泣き笑いの顔で、どうしようもないほどの、抱えきれないほどの喜びを露わにしながら、彼女は感謝を伝える。

 自分の生に、何も生さないはずの花に、意味を見いだせなかった自分自身に意味があると言ってくれたこと、その証拠を、「永遠」を見せてくれたことを感謝して、彼女は……ソメイヨシノは消えていった。

 

 まさに春霞としか言いようがなく、儚く、桜吹雪にまぎれるように、溶けるように、ソメイヨシノそのものだった少女は消えて、いなくなった。

 

 寺全体を覆っていた“円”の気配もなくなった。

 範囲が今まで通りに狭まったのではない。完全に、なくなってしまった。

 

 もう、誰かの命を奪う「永遠」はそこにはない。

 そこにあるのは枯れ果てた木々の中で咲き誇る、桜の古木だけだった。

 

 * * *

 

 ソメイヨシノの少女と、彼女の“円”が消えたことを感じ取り、ハンゾーがようやく立ち上がってソラに訊く。

 

「……まだ、死んだわけじゃねーよな」

「当然。仲間を殺しちゃった罪悪感で逆にやめれなくなってたのが、こんなの続けていくことこそ意味が無いって気付けたから、花が咲いてる時期の常時発動が納まっただけ。

 彼女は、……この桜はまだちゃんと生きてるよ」

 

 寺の境内に戻り、桜に歩み寄って幹を優しく撫でながらソラはハンゾーの質問に答える。

 そして、ハンゾーが何か言う前にソラは相手を安心させるように振り返って笑う。

 

「もちろん、私も殺す気はないよ。彼女がもう誰からもオーラを奪わないのなら、そんなことする意味はないからね」

 

 その答えに、ハンゾーは安堵する。

 理屈はない。ただ嫌だった自分の気持ちを、彼女も理解していたのだろう。

 

 花を愛でる趣味などないはずの自分でさえも毎年の楽しみにしている、もはや心の一部と化しているこの花を殺さなくてはいけないというのは、理屈なしに酷く悲しくて出来るのであれば避けたいものだったのは、ソラも同じだった。

 だから、彼女はこの寺の境内から彼女を連れ出して、引導を渡した。

 

 死ではなく、能力を自ら封じてまだ生きろと、そんなさらに残酷な道への引導を。

 

 残酷だが、それでも彼女はその道を選んだ。

 

 所詮は人間のエゴにすぎない行為でも、自分に意味を見出してくれたことを泣いて喜び、その意味をまっとうしようと思ったのだろう。

 今度こそ、人から愛でられる桜になりたいと思ったのだろう。

 

 それも、ハンゾーがそうであればいいという願望に過ぎないものだということはわかっている。

 それでも、エゴであっても願った。

 

 桜を美しいと思う気持ちに、その桜を見て理屈ではない幸福感は嘘ではないからこそ、この人間のエゴでたった一世代だけだった存在を増やし、伸ばした命に幸福があらんことを願った。

 お互いが幸福であって欲しいと思う気持ちに、嘘などなかった。

 

「……お前がこの仕事を受けたのって、もしかして受けた段階で幽霊じゃなくて桜そのものだってことに気付いてたからか?」

 

 麓の桜とは違い月と星灯りのみに照らされる桜を見上げながら、何気なく初めから気になっていたことを尋ねてみると、ソラはあっさり否定した。

 

「いや、さすがにその段階では無理。見たらすぐわかったけど、見なきゃわかんないよ。私も普通に見るまで幽霊だと思ってたし」

 

 逆に言えば見るだけで死者の念かそうでないかは一目でわかるという発言に、それはそれですさまじいとハンゾーは思った。

 やはり、彼女の除念能力を自分も得られるのではないかという期待は、絵に描いた餅どころか妄想の餅レベルだということを思い知るハンゾーに、ソラはさらに言葉を続けた。

 

「この仕事を受けた理由は、桜を……ソメイヨシノを絶対に見せるって約束したからだよ!」

 

 誰に? と訊く気は起こらなかった。そんなの、訊くまでもなく候補は4人に絞られる。

 特に可能性が高いのは、自分を散々「エロガッパ」と言って罵ったクソガキか、試験終了後に4次試験で何があったのかをわかっていないくせに、何の躊躇いもなくハンゾーを殴った金髪の男女だろうと考えるハンゾーに、ソラは自分のケータイを放り投げ、彼に渡して言った。

 

「ハンゾー! せっかくだからこの桜と一緒に私を撮って!

 今、送ればちょうど時差で4日の朝に届いてるはずだから!!」

 

 * * *

 

 朝、ケータイのメールを見るまでクラピカはその日が自分の誕生日であることに気付いていなかった。

 

 9月のヨークシンオークションまでに旅団と戦える力を求めるクラピカは、“念”の修業に明け暮れてすっかり日付の感覚を失いかけていたし、自分の誕生日なんてとっくの昔に嬉しいものではなくなっていたから、忘れていた。

 祝ってくれる人はもう誰もいない、全て奪われたと思っていたから、眼をそらし続けていた。

 

 その眼をそらし続けていたものを、突き付けられる。

 

『クラピカ、17歳の誕生日おめでとう! 直接お祝いが出来なくてごめんね!

 ちゃんとしたプレゼントは今度会った時に渡すよ。君が今どこにいるのかは、国しかわかってないしね(笑)

 

 だから、プレゼント代わりにこれを送っとく。

 昔、約束しただろ? 桜を、ソメイヨシノを見せるって。

 写真だけど、とりあえず今年はこれで許して。来年こそは、一緒に見よう。その時は今度こそ直接、君の誕生日を祝いたいし』

 

 あまりに真っ直ぐすぎる祝いの言葉に、過去の何気ない約束を覚えていてくれたことに、そしてクラピカも望む未来への約束を与えてくれたことに目頭が熱くなって、添付された画像をしばらく見ることが出来なかった。

 

 数分間、与えられた祝いの言葉を噛みしめて何とか涙腺を締め直したクラピカが添付された画像データを開くと、今度は素直な感嘆の声が上がる。

 

 地上の星のように光を燈す提灯に照らされた、薄紅色の海。

 ソラが今から4年前に、クラピカに見せたいと言っていた桜……ソメイヨシノの写真を見て、まずは当時を思い出して「……よく覚えていたな」と呟いた。

 

 同時に、自分が言っていた言葉も思い出す。

 実はクラピカは、この花に、ソメイヨシノに良い印象を持っていなかった。

 

 花そのものが嫌いなわけではない。そもそも、この花が咲いているのをちゃんと見たのは、この送られてきた写真が初めてだ。

 良い印象がないのは、このソメイヨシノが人工的に生み出された品種であり、本来なら一世代で消えるか弱い雑種に過ぎなかったのを、接ぎ木で増やしてソラの故郷である日本を、そしてこちらの世界のジャポンを代表する花になったという所。

 

 悪印象というより、クラピカはソメイヨシノに同情していた。

 ただ「美しい」という理由で、自らの体の一部を材料にしてクローンを制作して愛でられるという、人間のエゴによって自然からかけ離れた在り様にされたその花に、クルタ族を、緋の眼を連想してしまったからこそ、クラピカはソメイヨシノという花の存在を避けていた。

 

 そのことをソラに悪いと思いつつも正直に語れば、ソラは笑いながら同意して、それでもクラピカに言ったのだ。

 

『……うん。確かに人間のエゴに過ぎないよ。酷いことをしてるし、花に意思があるのなら恨まれても仕方ないんだろうね。

 でも、自然の在り様だとソメイヨシノは何の意味もなく花を咲かせて、生きて、そして一人きりで死んでいくことになる。

 

 ……生まれてきた命に意味や価値がないとは言いたくないなぁ。こんな意味や価値なら、ない方がマシかもしれないけど、それでも……その花を、ソメイヨシノという存在を愛していることに嘘はないから、生きてて欲しいと願ったことに悪意はないから、だからできればお互いに幸せであってほしいなぁ』

 

 その言葉に、クラピカは反論出来なかった。

 

 自分達クルタ族の眼を、緋の眼だけに価値を見出して、物のようにその眼を抉り取って虐殺した旅団はもちろん、その眼を虐殺の結果だと思わず宝石のように歪つでおぞましい愛で方をするコレクターどもも反吐が出る存在であり、そんな輩にこの眼の意味や価値を語られるくらいなら、無意味で無価値の方がよほど喜ばしいと思っている。

 

 ……けれど、ソラに自分の眼を「綺麗だ」と言われたのは嬉しかった。

 ソラが全く緋の眼に興味を持たなければ少しさびしく思っただろうし、有り得ないが気味悪がられたらそれこそクラピカは生きていけなかっただろう。

 

 緋の眼は自分を、クルタ族を不条理な差別や迫害で苦しめて滅ぼした原因であるのだから、きっと無くなった方が良かったとも思う。

 けれど、もしも自分の眼を普通の眼に、色が変動しないごく普通の眼に変えることが出来たとしても、クラピカは緋の眼を手放さないことが容易に想像できる。

 

 それはもう、失った同胞と自分を繋ぐものがそれしか残されていないからというのが大きいが、クラピカ自身、生まれ持ってきたものを「自分を不幸にしかしない、意味がないもの」とは思いたくないからでもある。

 人間のエゴと醜い欲望の慰みものになるくらいなら、無意味で無価値で良いと思いながらも、本当に意味も価値もなくしてしまうのは嫌だった。

 

 それは、自分自身を構成する大切な一部だから、それが欠けてしまえば別人になってしまう気がするから、それを捨ててしまえば今までの自分の人生そのものを否定している気がするから。

 

 だから、ソメイヨシノという桜の在り様を人間のエゴだと思って嫌悪感を懐きつつも、避けていたはずのその花を見たいと望んだ。

 そこまで、人々に「毎年、この花を愛でたい」と思わせた一世代の永遠を見ていたいと願った。

 

 その花が生まれてきた意味を、肯定したくなった。

 

 そんな4年前の何気ない、ささやかな約束をソラは叶えてくれた。

 

 写真の桜並木は、山の上から撮ったのか俯瞰のアングルなため、まさしく薄紅色の海としか言いようがない。

 これだけの数の桜全て、同一の存在、クローンであることはやはりどこか歪みを感じる。

 それでも……確かにその花は、一世代だけで終わらせることはあまりにも惜しいほど、生きていて欲しいと願う程に美しかった。

 

 例えエゴに過ぎなくても、生物として致命的な「子が生せない」という欠陥だけで、その命に意味はないと一蹴など確かにしたくなかった。

 ここまで心を掴む問答無用の理屈なき美しさに、意味を、価値を見出したかった。

 

「……確かにこれは、出来ればお互いに幸福であってほしいな」

 

 ソラの言葉を思い返しながら、当時は言えなかった、言えるほどその桜の荘厳な美しさを知らなかったから願えなかった言葉を呟く。

 

 出来ることならば、歪つな命の在り様を定めた人間を恨まないで欲しかった。

 そこに自分の一族の全てを踏みにじった輩と同じ、おぞましくて醜い欲望はないのならばなおさらに。

 

 クラピカは少しだけ同情していたはずの花を羨ましく思っていると、ケータイが着信を告げる。

 ソラからもう一通、メールが届いた。

 

 件名が「あ、ごめん。忘れてた」だったので、クラピカは記憶を掘り返して他に何か約束をしていたか、何か頼みごとでもしていたのか、それとも自分が何か頼まれていたのかを思い返そうとしてみたが心当たりはなく、メールにはまた画像が添付されていたので、ただ単にまだ送ろうと思っていた桜の写真を送り忘れただけかと思って、そのメールを開いてみて……その場にうずくまる。

 

「おーい。どうした? まだ寝てんのか?」

 

 珍しく、眠るのも惜しいと言わんばかりに修行に明け暮れているバカ弟子がいつまでたっても出てこないことに気付いて、クラピカの師匠であるイズナビがクラピカの寝室にとあてがった山小屋の一室に入ってみたら、弟子が何故かうずくまって悶絶していた。

 

 気を付けていたが、ついに自分の忠告を破って勝手にハイペースな修行をして体調を崩したのかと思って一瞬焦って駆け寄るが、よくよく見てみればうずくまって顔を隠しているが、クラピカの耳は真っ赤になっており、師匠が心配して駆け寄ったことにも気付いた様子もなく彼は、「……どうしてこいつはこういうことを恥ずかしげもなく……」と訳の分からないことをブツブツ呟き続けていることに気付き、イズナビは率直に言って引いた。

 

「……おーい。クラピカー。どうしたんだ、マジで?」

 

 しゃがみこんで呼びかけても、クラピカはやはりうずくまって赤くなった顔を隠しながら、訳の分からない愚痴らしき言葉を呟き続け、そろそろ殴って再起動させようかと思ったタイミングでイズナビはクラピカがケータイを持っていることに気が付く。

 どう考えてもこれが弟子の奇行の原因だと思い、何の躊躇もなくイズナビはクラピカの手からケータイを抜き取ってその中身を、メールの内容を見た。

 

「!? なっ!? か、返せ馬鹿者!!」

 

 ケータイを奪われたことでようやく師匠の存在を認知したが、クラピカは相手が自分の師匠であることをすっかり忘れて赤い顔のまま罵るが、イズナビはそれを無視してクラピカに届かないようにケータイを掲げて、それから苦虫をダース単位で噛み潰したような顔になる。

 

 そんな顔にもなるだろう。

 

 イズナビが見たのは、短い本文のメールと、一枚の画像データ。

 月明かりに照らされた、桜の古木をバックに一人の女性が振り向きざまに笑っていた。

 

 髪が伸びたからか、ハンゾーの写真撮影技術が何気に良かったからか、それとも楽しくて嬉しくて仕方がないと言わんばかりの笑顔の所為か、その写真に写るソラは珍しく誰が見ても一目で女性だとわかった。

 誰が見ても、絶世の美女と言い切って良かった。

 

 そんなソラが映る写真が添付されたメールに書かれた本文。

 ソラがクラピカの誕生日を祝うメールに書き忘れてしまったけど、絶対に伝えたかったことはたったの一言だった。

 

 

 

 

 

『大好きだよ、クラピカ』

 

 

 

 

 

 イズナビの顔を見て、クラピカはやはりまだ顔を紅潮させたまま師匠を睨み付けて「……何だその顔は? 何が言いたい?」と尋ねる。

 尋ねているが、言いたいことはわかっている。間違いなく、レオリオにさんざん言われてきたことを言われるに違いないとクラピカは確信していた。

 

 そしてクラピカの予想は、予知と言っていいほどに正しかった。

 

 

 

「てめぇ! 今すぐに爆発しろ!!」

「断る! いいからさっさと返せ!!」

 

 この日、師弟の実にバカらしいケンカは昼ごろまで続いた。






今回のゲストは、桜セイバーこと沖田さんでした。

ちなみに、作中で沖田さんそっくりさんのグレイをバインバインだと勝手に書いてますが、これはグレイが「人為的にアルトリアそっくりにさせられた」のと、「別にグレイは聖剣持ってないから不老不死じゃない」ということで、彼女は20代になれば乳上のようになるんだろうなーと勝手に思ったからです。

あと、いきなり季節が4月にとんでるけど、ゴンとキルアはどうした? という突っ込みはあると思いますがそれは次回に説明が入ります。

という訳で、「9月1日までのモラトリアム(上)」は今回で終了。
次回からしばらく天空闘技場編が始まります。
一応原作沿いの部分ですが、大部分がオリジナル回になると思います。

皆さんに楽しんででもらえる話になるように精進しますので、お楽しみにしていただけると幸いです。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。