死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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オリキャラの名前があまりにも思いつかなかった結果、型月好きさんにはすっごく見覚えのある名前や性格や見た目のキャラが出てきますが、並行世界の本人ではなくただのスターシステムです。
「お前かよ!」と笑っていただけたら本望です。


51:犬神遣い

 依頼主は、褐色の肌に豊かな金髪、50代に見えぬほど若々しい男だった。

 ソラの世界で言えば中東系イケメンだった。なのでソラはただそれだけを理由に、心の中で依頼主のことを「石油王」と呼ぶことにした。

 

 かなり疲れた様子が目の下の色濃い隈に現れているが、それでも老けるどころか実年齢より10近くは若く見え、疲労はさすがに隠しきれていないが弱っているようには見えない。

 未だ解決しない連続不審死の渦中にいる一般人と考えたらなかなかの精神力だと、その点においては依頼人をハンター3人は素直に評価する。

 

 しかし逆に言えばそれ以外は評価は何もできない、嫌味で王道な悪役感しかない男だった。

 そんな石油王こと依頼人、アトラム=ガリアスタが苛立ちを露わに第一声に言い放つ。

 

「これまで散々役立たずを送り込んで、やっと『とびっきりの逸材』を派遣すると言って送り込んできたのが、実績はあるとはいえ畑違いの遺跡ハンターと幻獣ハンター。

 挙句の果てに、その二人はあくまで『助手』。副会長が推薦した『逸材』とは、今年ハンター試験に受かったばかりのルーキー……。

 

 いやはや、今回は許可局の役人としてではなく私人としての依頼とはいえこれは、ハンター協会との付き合いを考えなくてはいけないかもしれませんね」

 

 挨拶や名乗るよりも先に、真っ先にぶちかまされた嫌味に3人は曖昧に笑った。

 3人全員、嫌味を言われても媚びを売るために愛想笑いを浮かべるタイプでもなかったが、同時にこの程度の嫌味を気にするほど矮小な器でもない。

 なので3人が笑ったのは、その嫌味は言われても仕方がない酷い組み合わせだということを改めて思い知らされた苦笑であり、割と本心からパリストンの玩具として利用されている依頼主に同情して申し訳ないと思っていた。

 

 が、依頼主は3人のハンターから同情や憐みはもちろん、誠実な謝罪や対応ですら求めていないなかった。

 アトラムが他者に求めているのは、自分に対して有益な行動のみ。

 他者を、特に自分が雇った人間は「金で買った品物」とでも思っており、自分と同じ人間として見ていない、そしてそのことに対して何の疑問も抱いていないアトラムは傲慢に、せめて媚を売るくらいの可愛げを見せろと思いながら3人を睨み付けるが、残念ながら目の前の3人はどいつもこいつもそんな視線は痛くも痒くもなく、ジンに至っては早々に同情もなくしてあくびをしていた。

 

 ジンの行動にアトラムの眉が不愉快そうに跳ね上がるが、何も言わない。

 分野が完全に畑違いだが、3人の中どころかプロハンターの中でも高い実績を誇るジンはまだ期待できる為、「出て行け」と命令するには躊躇い、一度舌を打ってから彼は3人とハンター協会に対して最終警告を出す。

 

「とにかく、協会の顔を立てるのはこれが最後です。

 現に協会から派遣されたハンターたちは3人とも返り討ちに遭い、私個人が雇ったハンターは解決こそは出来てませんが私を守るという仕事は全うしていますからね。見る目がない協会に頼るより、自分の目を信用した方が良いということが良くわかりましたよ」

 

 アトラムの言葉に、彼の後ろに控えていた金髪の長髪だが前髪直線のおかっぱに赤いコートというやたらと個性的で目立つ格好の男が、やや胸をそらして笑う。

 プロだかアマチュアだか知らないが、どうやらその男がアトラムに専属契約をしているハンターらしい。

 

 ソラ達はパリストンが、自分たちの他に彼に対して忠実な協専ハンターでも送り込んでいると思っていたが、予想が外れた。

 信頼を失ってこれ以上は送り込めなかったというより、この辺もパリストンの手の上だろう。

 おそらくはわざと実力不相応なハンターを送り込んで返り討ちに遭わせ、依頼主やその専属ハンターの反感を買い、向こうがこちらに協力体制を取らない、下手したら足を引っぱってくることを期待しているはずだ。

 この計画最大のデメリットである「協会の信用を失う」はパリストンにとってはむしろ望むところなので、同じ効果が期待できるならば自分の息がかかった者を送り込むより、こちらの方が楽だと判断したのかもしれない。

 

 とことんドSでありドM、自滅さえもお望みのままな快楽主義の人格破綻者にソラは出かかった溜息を飲み込んで、まだ名前も知らないハンターにチラリと視線を送る。

 

 行動がいかにも小物臭いが、このどう見ても傲慢で結果主義なアトラムに未だ信用されているということは、元々解決そのものは期待していない、防御方面に優れた能力者なのだろう。そうだとしたら、アトラムが疲れはしても余裕を失っていないことにも説明がつく。

 そしておそらくは、ソラの世界で言えば「結界」に類する能力者であり、そしてその「結界」の範囲が以前にソラが倒壊させた美術館くらいはあるこの屋敷全体を覆って平然としていることを考えたら、確かに相当優秀な部類だ。

 

 結界の範囲の広さや、おそらくは「死者の念」であろう能力からアトラムを守り切っているという事も驚異的だが、ソラが感心したのはこの「結界」が「能力者にすら違和感を抱かせない」ことに長けている点。

 

 さすがに能力者として最高峰レベルのジンと、その弟子のカイト、そして魔力属性の所為か、直死を得る前から持っていた「淨眼」という魔眼の名残か、「ありえざるもの」を捉えることが得意なソラは、屋敷に入ってすぐに「ここは『外』と違う」ということに気付いたが、あまりにもそれはささやかな違和感であり、屋敷の外からでは3人ともここが既に完全に男の結界で覆われた「異界」であることに気付かなかった。

 

「結界」という言葉では所謂バリア的なものを連想するが、極論を言ってしまえば「結界」は「こちら」と「あちら」を隔てる「境界線」であり、一般人相手ならば三角コーンやkeep outのテープでも十分「結界」としての役目は果たせている。

 時と場合によっては、魔術や念能力で見えざる壁という誰から見ても非常識で異常なもので覆ってしまうよりも、常識的な三角コーンの方が有効かもしれない。

 

 何かを隠したい、守りたい場合に有効なのは、分厚く強固な壁よりも敵に感知も認知もされないことだ。敵が攻撃対象を見つけられない、もしくは攻撃対象の存在そのものを認識できなければ、対象に自衛手段がなくても、壁そのものは紙装甲でも問題ない。攻撃のされようがないからだ。

 

 神秘が公になって開拓されてしまえば致命的な魔術師にとって、こういう隠蔽・隠匿特化の結界や暗示の魔術は常識であり基本なのだが、こちらの世界では初めて見るタイプの能力かつ、魔術師としても優秀な部類の結界なので、結構いい目の付け所をしているなとソラは素直に感心した。

 

 だが、やたらと個性的な髪形と室内でも着用した赤コートと赤いシルクハットがどうしても目について、その感心は長く続かなかった。

 ソラは石油王に引き続き、名も知らぬハンターに「工場長」と勝手に命名したあだ名を送る。由来は、赤コートとシルクハットがソラが子供の頃に流行った、児童書原作の映画に出てくるチョコレート工場の工場長をやたらと彷彿とさせたから。

 

「はい、そう思われるのは仕方がないのでそれで結構です。で、お聞きしたいことがあるんですがいいですか?」

 

 そんなアホなことを考えつつ、珍しくソラは常識的な対応を取った。その理由は、仕事に対する情報を知れば知るほど元々皆無に等しいやる気がなくなって、帰りたいのならさっさと終わらせるしかないから。

 普段のソラを知る者からしたら、奇跡的なまでに穏便で礼儀正しい対応なのだが、アトラムからしたら結局無能3人引き続き、畑違い2人とルーキーがやって来たことに対する謝罪を口にせず、自分の嫌味や皮肉をのうのうと相手せず受け流す小娘は目の前のコーヒーカップを投げつけたいほどに不愉快な存在だった。

 

「何ですか? もう散々、話はしたと思いますけど。まぁ、あなた方に話をするのは確かに初めてですけど、情報の連携すら協会は取れていないんですか? それとも、今までのハンターたちは私から聞いた話を報告する前に死んだんですか?」

 

 さすがにそんな行動を取れば、自分の方が非常識でヒステリックな小物でしかないということはわかっていたのか、熱々のコーヒーが入ったカップではなく嫌味を投げつける。

 もちろん、自分に対しての嫌味でも怒るのが面倒くさくてスルーするソラにとって、まだ特に恩恵も受けていないハンター協会や面識もない返り討ちに遭った3人のハンターに対する侮辱の皮肉は痛くも痒くもない。

 ただ少しだけ同情しながら、アトラムの嫌味をほぼ無視する形で彼女は尋ねた。

 

「何故、『2年前に死んだ妻の祟り』だと思ってるんですか?」

 

 * * *

 

 ソラの問いに、アトラムは表情を消した。

 苛つきながらもソラ達を傲慢に見下し続けて、良くも悪くも余裕があった様子が一転し、不自然であることも承知の上で自分の感情が相手に悟られぬように、完璧に表情を消して見せた。

 

 もちろんその反応だけで何か後ろめたい心当たりが膨大にあることくらい、心を読む必要もなくソラ達は理解する。

 だからソラはアトラムの反応を無視して、言葉を続ける。

 

「奥さんが死んだ直後にこの不審死が始まったのならば、特に恨まれる心当たりがなくても関連付けてしまうのは、まぁわかります。だけど、不審死が始まったのは今から半年前でしょう?

 きっかり奥さんの死後1年後とかならやっぱり関連付けるのは普通の発想ですけど、1年半っていう微妙に長くて脈絡もない空白期間があって何故、あなたは『自分の妻の祟り』だと思ったんですか?」

「礼儀知らずもいい加減にしろ。貴様は雇い主を疑うのか?」

 

 ソラの重ねた問いに、アトラム専属のハンターが苛立ったように片眉を上げて逆に尋ね返すが、意外にもアトラムが止めた。

 

「よせ、アルバ。

 ……あぁ、なるほど。確かに傍から見たら不自然だな。しかし理由は簡単だ。不審死が始まる前に何度か、妻を見たのだよ。私に向かって陰気で恨めしげな顔で、『恩知らず』だの『あなたの為にやったのに』と恨み言をぶつけるあの女をな。

 だからまず初めに彼を、アルバを雇って保険のつもりで自分の身を守っていたら、連続不審死が始まって今に至るというだけだ」

 

 まずはあっさりとアトラムが「妻の祟り」だと思った理由を語ったことと、その「祟りだと思った理由」にジンとカイトは少しだけ驚いたように間を丸くする。

 しかしアトラムがいかにも不愉快そうに、自分の妻の話を表面上だけだったとはいえ敬語の体裁も投げ捨てて吐き捨てるように語るのを見て、ジンは白けたような目になり、カイトはアトラム以上に顔を不愉快そうに一瞬歪めた。

 

 明らかに彼の表情や口ぶりからして、そこに「妻への愛情」は皆無だった。

 亡くなって2年も経つことや、不審死の原因だからあったはずのものが枯渇したようにも見えず、妻が生きていた頃にでさえ愛情があったのかすら怪しいほどの印象を与えた。

 

 そして実際、彼は妻を愛してなどいなかったのだろう。

 

「……その恨みごとに、心当たりは?」

 

 ソラは無表情でさらに問う。カイトのようにアトラムの言動に不愉快さを感じているのか、ジンのように相手の小物っぷりに憐れみさえも込めて白けているのかわからない、アトラムよりもはるかに優秀に表情から感情を掻き消して訊いた。

 

 もしかしたら本当に、何とも思っていないのかもしれない。

 何故なら、アトラムの答えはあまりにもソラからしたら懐かしいほどに身近なものだった。

 

 アトラムは嗤って答えた。

 

「あの女が生前にやらかした『呪い』のことじゃないか?」

 

 ジンとカイトが先ほどのアトラムの答え以上に眼を丸くするのを見て、答えた張本人は悪戯が成功した子供のように、……ただし可愛げのある悪戯ではなく性質の悪い悪意に満ちたものを成功させたかのように、邪気たっぷりに愉快そうに、後ろに控えるアルバも一緒になって嗤った。

 

 そんな二人の反応を無視して、カイトは目を見開いたまま訊いた。

 

「……それはどういう意味だ? やっぱりお前が……」

「カイト」

 

 しかしカイトが最後まで言う前に、腕を組んだままアトラムを睨み付けるように真っ直ぐに見据えるジンが止めた。

 何故止める? と言いたげな弟子の方を見もせず、彼は一言だけ言い放つ。

 

「証拠がない」

 

 その言葉に、アトラムはさらに口角を吊り上げる。

 それをカイトは悔しげに見ながら、黙るしかなかった。

 

 ジンの言う通り、アトラムは自分の邪魔者の不審死や行方不明、精神を病んで再起不能になったことは偶然ではなく自分の妻の仕業であることを認めた。

 が、それだけだ。

 

 小賢しいことに奴は、「あの女がやらかした」と言った。自分がしろと命令したのではなく、妻が勝手にやったと言い訳できる言い方をした。

 ここであっさり告白したのは、誰に何を言われようとも「妻が勝手にやったことで、当時は何も知らなかったし自分は何も関わっていない」という主張を貫き通せる自信があるからだろう。

 

 そもそも今現在の連続不審死はともかく、自分の邪魔者に関しての不審死は妻がいた時期とピッタリ一致しているのだから、疑われることくらい初めから想定済みで対策もしっかり初めから取っていた。妻の死こそがその対策である可能性が高いのだ。

 ここで妻がしたこと、そしてその妻の死を糾弾しても無意味、ただこちらの立場も気分も悪くなるだけだということは考えるまでもなくわかったので、カイトは膝の上で拳を力いっぱい握って耐える。

 

 ジンも不愉快そうに鼻を鳴らす。内心、チャンスがあればこいつを殴ろうと息子そっくりだが息子より直情的でないだけ厄介なことを考えながら、アトラムを睨み付けていた。

 

 どちらもいい年でハンターになってから長い二人にとって、このような小賢しい外道など飽きるほど見てきたが、見慣れはしても心は慣れない。

 

「……ふぅん。じゃあ、最後に一つ」

 

 大の大人であり男である二人でもそうなのに、まだ二十歳そこそこでしかも女性であるソラからしたら、妻を利用するだけ利用した挙句におそらくは殺して、さらに死後は自業自得な恨みを買っているくせに妻一人に未だ罪をすべて被せているこの男は、不快どころじゃないだろうとカイトやジンは思っていた。

 ゴンのことについてジンにかました、ストレートすぎる突っ込みと同じようなことを言い出すかもと思い、カイトは止めるべきかどうか悩み、ジンの方はむしろソラの斜め上を期待していた。

 

 しかし、意外にもソラは相変わらず無表情で淡々と次の質問に移る。

 その対応に、ジンやカイトだけではなくアトラムやアルバの方まで拍子抜けしたような顔になり、そしてソラも全員の反応に無表情から不思議そうな顔になる。

 

 ソラにとっても、不快な話だ。決してそう感じる心は麻痺しない。

 しかし、表情にいちいち現れ出るほどではない程度に、心は慣れていた。

 ジンやカイトにとって見慣れたものを、ソラはもっと見慣れている。

 自分の目的の為ならなんだってする、他者など利用されるだけその存在価値を認めているということなのだから感謝しろと傲慢な考えが当然な人間など、生まれた時からずっと見てきた。

 

 魔術師によく似た価値観と小賢しさ、そして愚かさを持つ相手に対してソラが思うことは何もない。不快さなら初めから持っているが、それらはこの予想通りの答えを返された程度で今更変動なんかしない。

 だから、全員に拍子抜けされていることに対して少しだけ戸惑いながらも、ソラは気にせず最後の質問をぶつけた。

 

「『犬神』って知ってます?」

 

 その質問に、アトラムだけではなくアルバも顔色を変えた。

「何故、妻の祟りだと思っている?」という問いでもあからさまな反応だったが、それでもアトラムは自分の内心を悟らせないように無表情を作り上げていた。アルバに至っては、アトラムを疑っていると思われた言葉には反応を示したが、質問そのものにはしれっとした顔で何の反応を示さなかった。

 

 が、この質問は全くの想定外だったのだろう。

 二人は同時に血の気を一気に顔から引かせて、金魚のように数回口を開閉させただけで言葉が出ない。出てこないが、何が言いたいかは誰でもわかる。

 

「何故、それを知っている?」で間違いない。

 

 ジンとカイトはその二人の反応にまたしても目を丸くしてから、ソラを見た。

 車の中でソラが呟いた言葉。

 その意味をもちろん気になりはしたが、屋敷に到着するほぼ直前だったので時間がなかったことと、「詳しいことは後で話す。確証ないし」とソラに言ったので後回しにしていた。

 

 おそらくはこの不審死の犯人である「首だけの犬の念能力」の正体をあまりにも雄弁に肯定されたことで、ソラは疲れたような溜息をつき、項垂れて目頭を押さえた。

 

 また、あの車内のように思わず眼に集まったやり場のない自分の感情を何とかほぐそうと、ソラは目頭を何度も揉む。

 殺してやりたいと思いながら、その対象が見つけられないことに対する苛立ちを何とか抑えながら、ソラは誰も見もせず、アトラムやアルバから質問の答えを言葉で受け取る前に自分の結論を勝手に語った。

 

「あーはいはい。もういいです。もうわかりました。奥さんが『犬神遣い』だったんですね。

 ……なら、話は簡単だ」

 

 誰も見たくなかった。

 自分の妻を一番最低最悪な道具として扱っていた依頼主も、それを知った上で楽しげに嗤う同業者も、様子がおかしい自分を不器用だけどあからさまに心配して、戸惑いながらも気遣おうとしているジンやカイトすら、ソラにとっては失礼で八つ当たりだが目障りだった。

 

 どいつもこいつも、それはやはり7年前の焼き写し。

 

 ジンやカイトは、自分を心配して一緒に着いて来て事件解決に協力してくれた友人二人に。

 アトラムとアルバは、「彼女」の復讐の対象だった魔術師達に、性格や性別はともかく役割があまりにも似通っている。

 まるで自分の過去を台本にして創り上げた舞台のように感じて、そんな舞台をソラの過去など知らなくてもわざと作り上げたことだけは間違いない元凶(パリストン)の、ある意味で神がかった性格の悪さにいっそ尊敬さえも覚えながら、眼を開ける。

 

 何も見たくなかったが、眼を閉ざしていると脳があまりにも鮮明に一番見たくない人を描き上げるから、眼を開けて言った。

 

「……殺せば、いいだけだ」

 

 全身の幻痛を無視しながら、ソラは語る。

 幻痛だ。あの時の傷は、友人や過保護な姉弟子の治癒魔術のおかげで、後遺症はおろか傷痕も残っていない。

 全身が頭部のみの犬の亡霊に噛みつかれ、生きながらに咀嚼されるような激痛は、ただの感傷。

 

 だから、ソラはもう今更どうしようもない過去の痛みを無視して、宣言した。

 

「殺してやりますよ。亡霊でも、神様でも、何でも。生きているのなら、何だってね」

 

 ソラははっきりと告げた。

 依頼主のアトラムや、彼の専属でありこの仕事では先輩ハンターであるアルバにではなく、眼を開けたって消えやしない、泣きながら自分に犬神を襲わせた「彼女」の幻影に向かって。

 

過去(おまえ)なんか殺してやる」と、何もできなかった頃の自分に言ってやった。

 

 * * *

 

「……最近は不審死は起こっていない。代わりに、夜になると『犬神』が屋敷の周りを覆い尽くすくらいに湧いて出てくる。おそらくは私の結界が緩む瞬間や、アトラム(ボス)が結界外に出てしまう瞬間を狙っているんだろうな。

 君たちの仕事は、その『犬神』を殲滅させるか、ボスに取り憑くあの女の……死者の念を除念するかだ。

 

 ……今までの経験上、『犬神』は日が沈んでからでないと活動しないことは確かだ。だからそれまではここにいたまえ。屋敷内はあまりうろつかないでほしい」

 

 アルバが早口で説明なのか命令なのかよくわからないことを慇懃無礼に言い捨てて、客室のドアを開ける。

 十分に豪奢な広い客室で大きなベッドも置かれているが、そのベッドは一つだけであり、他の部屋に一応、紅一点であるソラだけでも案内する様子はない。

 3人が談笑する程度に使うなら十分だが、仮眠はもちろんしばらくここに滞在しなければならないとしたら酷い扱いだ。わかっていたが、やはりソラ達は信用も期待もされていないし、歓迎する気もないらしい。

 

 いや、もしかしたら初めは一人一部屋、少なくともソラは別室に分ける程度の配慮はするつもりだったのかもしれない。

 ソラの余計な確認の言葉によって、「期待できない無能」から「油断できない余計な邪魔者」という認識に変化した可能性の方がはるかに高い。

 

 現に、妻のことを訊かれても余裕を失わず饒舌だったアトラムは、ソラの問いと「殺してやる」という宣言以降、やけに引き攣った笑みを貼りつけて「それは頼もしい」と空々しいセリフを吐いたら、後のことはアルバに任せて自分は早々に席を外した。

 

 アルバも同じように顔を引き攣らせながら、開き直ったのかヤケクソ気味でソラ達に仕事の内容を説明する際、「犬神」という言葉を使いながら、何度もソラの反応を窺っていた。

 本当にこの娘は、「犬神」という念能力がどのようなものかを理解しているのか、理解した上であの「殺してやる」発言は本気なのかを確かめているようだったが、ソラはいくら「犬神」を連呼されて強調されても、どこを見ているのかわからない目で「ふぅん」と覇気のない相槌しか打たなかった。

 

 その反応にアルバは舌を打ち、遠まわしに反応を見ることは諦めて最後はストレートに尋ねた。

 

「君は、本気で『犬神』が何であるのかをわかっているのかい? わかった上で、『殺す』と言っているのか?

 殺す? あれを? どうやって? あれを、貴様は『もう一度』殺すというのか!?」

 

 質問というよりは嫌味であると同時に、否定の言葉を期待して望んで縋っているように聞こえたのは、ジンとカイトの気のせいではないだろう。

 ソラの発言からして、勘の良い二人は既に「犬神」の正体に感づいている。アルバの「もう一度」という発言が、その想像が事実であると後押ししていた。

 

 だからこそ、否定が欲しいと望む気持ちは理解できた。

 自分達の想像通りなものが「犬神」の正体だとしたら、それは戦うのも除念も厄介どころかごめんこうむるものだからこそ、それを「殺す」と言い切れる彼女が、彼女の異能が恐ろしかった。

 

 しかしソラはもちろん、そんな彼らの期待に応えてやる無意味なサービス精神を持ち合わせてはいない。

 彼女は自分で「犬神」を話題にあげてから初めて、アルバの方に夜空色の眼を向けて答えた。

 

「殺せるよ。

 この世に存在している限り、動いている限り、実体はなくても概念という確定している存在なら、私は神様だって殺せる。特に、死霊や亡霊、不死者(アンデッド)の類は遠慮が要らないから得意分野だ」

 

 もはや表面上の礼儀すら取り繕うのが面倒になって、素の口調で淡々と言い放つ。

 その内容だけでもありえないのに、ソラの言い草は今日の天気でも呟くようにただ当たり前のことを口にしただけと言わんばかりだったことに、アルバは驚異と屈辱、妬みと疑心、そして恐れを複雑に入り混じった表情を浮かべつつも、ハンターとして、優秀な念能力者としての誇りと意地が何とか笑みの形を取り繕う。

 

「……そうか。それは実に頼りになるよ!」

 

 ソラの発言を本気にしていない、本気にしたくない強がりの嫌味を吐き捨てて、アルバは乱暴に客室のドアを叩きつけて閉める。

 それを見てソラは、「雇い主の家なのに、あんな乱暴にしていいのかなぁ?」と嫌味なのか本気で言っているのかわからないことを呟き、良くも悪くもカイトの張り詰めていた気をいくらか抜かせた。

 

「お前はどこまでが本気なんだ?」

「? 私は大概のことはいつも全部本気だよ」

「…………いっそ全部ふざけている方がマシだな、それは」

 

 ジンも面倒くさそうで機嫌が悪かったのを一転して、ソラの言動に対しておかしげにくつくつ笑いだす。

 そしてほぼジンの独り言だった疑問にソラはしれっと真顔で即答し、カイトは戦慄すべきなのか呆れるべきなのか反応に困って、とりあえず正直な感想を口に出した。

 

 弟子の感想に、「言えてるな!」とジンは腹を抱えて爆笑。

「あんたは人のこと言えない性格だろうが」とソラからもっともな突っ込みが入ってもお構いなしに一通り笑った後、ヒーヒーと苦しげな息をしながらも彼は言った。

 

「あー、笑った笑った。で、笑っといてなんだけど、その『本気』の根拠をそろそろ教えてくれねーか?

 さすがに、『犬神』っていうのが俺たちが想像してる通りの能力なら、たぶん俺たちはほとんど手も足も出せねーし、お前さんの『殺せる』って自信だけが頼りなんだよ」

 

 本当にソラだけが頼りな絶望的に近い状況であると思っているのか怪しいほど……、実際にソラだけでなく弟子のカイトも、「あんたなら絶対に何とかできる隠し玉の一つや二つ持ってんだろ」と思われるほど余裕しか見えないジンに、ソラは少しイラッとする。

 年下には鷹揚で心の広い女だが、年上に対しては実は割と狭量な所がソラにはあるせいか、少し苛立った感情のまま彼女は、ジンの問いに答えず逆にまずは訊き返す。

 

「そもそもジンは、『犬神』でどんな想像をしてんの?」

 

 ソラの問いに、ジンはしれっと即答した。

 

「『犬神』ってのは犬の死後の念そのもので、『犬神遣い』っていうのはその犬の念を操作する能力者のことだろう?」

 

 ソラとアルバの言葉の端々から導き出して、ほぼ確信している答えをジンは口にするが、ソラは明後日の方向に目をやって何とも気が抜ける答えを返した。

 

「うん、たぶん正解」

「「たぶん!?」」

 

 思わずジンだけではなくカイトもソラの答えの一部を復唱して突っ込む。まさかあそこまで堂々と言っておきながら、言いだしっぺが確証を持っているわけではなかった。

 しかし、確証が持てなくて当然の話だ。なんせ、ソラが「犬神」や「犬神遣い」に関わったのは、この世界ではなく向こうの世界にいた頃の話なのだから。

 

「いや、7年くらい前に同じ名前で同じように犬の首だけの死霊を操る能力者に関わったことがあるから、たぶんそれから派生した奴かなんだろうなーと思っただけで、悪いけど確証は初めからないよ。

 私が関わった奴と派生した奴ならジンの想像通りで間違いないだろうけど、もしかしたらその能力をヒントに作り上げた能力で、本質は全くの別物の可能性もあるね」

 

 さすがにここで、ゴン達に話したように「異世界から来ました」と言う気はサラサラなく、ソラは嘘はないが本当のことは全部言っていない説明で言い訳する。

 別にソラとしては話しても良かったのだが、カイトはともかくジンに話せば間違いなく面倒くさいことになると確信していたので、とりあえず今は話さないことにした。

 

 この男、絶対に「異世界」なんて非常識な話に対する反応は、疑う信じないバカにするのではなく息子と同じくすんなり信じて、そして食いつく。好奇心のままに食いついて、この胸糞悪い仕事のことは綺麗さっぱり忘れて本題に戻れないことは、あまりに容易く想像がついた。

 

 ソラの言葉にやや脱力していた二人は、「あぁ、なるほどな」と気を取り直して納得する。

 血筋で継承する魔術と違い、個人で生み出して誰にも受け継がせず自分一人で研鑽して完結するのが念能力なので、念能力は強化系の肉体強化以外に全く同じ能力を持つということは基本的にない。しかし念能力も理屈だけで言えば特質系の能力ではない限り、他者と同じ能力を覚えることが可能だ。

 

 もちろん精度や能力の細部はオリジナルとだいぶ異なるだろうが、オリジナルとオーラの系統が同じであればオリジナルと同等レベルの能力になる可能性は十分にあり、下手すればオリジナル以上にその能力との相性が良くて向上する場合もある。

 

「それなら、犬の生首は犬の亡霊じゃなくて悪趣味だが普通の念獣の可能性があるが、その場合は大丈夫なのか?」

「私にとっては生きた人間が生み出した念獣だろうが、犬の亡霊だろうが、オーラの量くらいしか違いないからさほど問題はないよ。死者の念に効果的ってだけで死者の念専用の能力って訳じゃないから、私と相性がいい相手だってことは変わんないよ」

「……お前はマジで何者なんだ? 念能力者に対する死神か?」

 

 ソラの言い訳に納得したらしたで浮かび上がった疑問をカイトが口に出すと、ソラはしれっと念能力者の常識をぶち壊す発言で答え、やっぱりカイトの反応を困らせた。

 しかしカイトは、それ以上の追及はしてこない。「本気の根拠を教えろ」と言ったはずのジンも同じく、何も訊かなかった。

 能力者がペラペラと自分の「奥の手」を晒すわけがないことくらい常識なので、おそらくジンは本当にソラがそのあたりのことを話すとは期待しておらず、初めから「犬神」の話が本題だったのだろう。

 

 カイトも同じ判断をして、ソラの能力に関する疑問は横に置き、ややずれていた話題を本題へと戻した。

 

「まぁ、確証がなくても話してくれ。お前が関わった『犬神』がどんなやつだったのか。名前と見た目と効果が似てるんなら、全く無関係でもないだろうから」

(いや違う世界の話だから、ほぼ確実に無関係なんだけどね)

 

 内心でそんな突っ込みを入れながらも、ソラはベッドに腰掛けて7年前を思い出しながら語る。

 脳裏のあまりにも儚い、何もかもを諦めた「彼女」の微笑みを無視しながら。

 

 * * *

 

「とりあえず、私が知ってる『犬神』はさっきのジンの推察通り、犬の亡霊を使役する操作系能力だったよ」

 

 降霊術系魔術というのをこちらの世界風に言い直して、ソラは「犬神」についての説明する。

 と言っても、ソラは実はやっぱり「犬神」について詳しいわけではない。

 

 魔術……というか「神秘」は知られていないから、解析・開拓されていないからこそ力を発する「奇跡」だが、同時に人々からの「信仰」が力を増幅させるという性質も持つため、一番重要な儀式部分はその魔術を扱う一族しか知り得ないが、魔術の名称や効果、それと表面的でインパクトがある儀式の一部分のみなら他の魔術師たちはおろか、一般人にすら知られているということが少なからずあったりする。

 

「犬神」は世界で見ればマイナーだが、日本ならばその典型と言える魔術。

 魔術師でなくとも、少しホラーやオカルト関連に興味を持つ人間ならば、一度は聞いたことがある類の呪い。

 

「『犬神』っていうのは、生きた犬をまずは首だけ出した状態で埋めて、届きそうで届かない位置に餌を置いて、極限まで、発狂するまで飢えさせる。で、その飢えと憎しみが頂点に達した瞬間に首をはねて殺して、その首を祀り上げて作るらしいんだけど、この『首を祀り上げる』ってくだりは具体的に何するか知らない。まぁ、その『祀り上げの儀式』がおそらくは制約かなんかになってるんだろうね。

 そうやって本来なら自分に襲いかかるはずの犬の亡霊の憎しみや飢えの対象を、他人に移して襲わせるのが『犬神』っていう能力だったね。少なくとも、私が関わったのは私が知ってる限りそんなんだった」

 

 ソラの簡単な説明に、ジンとカイトは「ふぅん」や「……そうか」とやや気のない相槌を打つ。

 二人とも動物を友のように大切に慈しむ人間なため、思った以上に外道な「犬神」の作り方に気分を害したようだ。

 しかしプロハンターである二人は、胸糞悪い話で腸が煮えくり返っていても頭の中は冷静にソラから得た情報を整理して、さらに組み立てる。

 

「……なるほど。憎悪そのものを消さずに他人に移すのなら、死者の念でも操作は可能だろうな」

「にしても、ただでさえ犬とはいえ死者の念ってだけでも厄介なのに、その能力者本人も死んでさらにパワーアップしてんのか。そりゃ普通の念能力者はもちろん、並大抵の除念師でも歯が立つ訳ねーな」

 

 ジンとカイトがそれぞれ、その辺の椅子に腰かけて思い思いのことを呟いているとソラがジンの呟きに割って入ってきた。

 

「そうそう、そういや一つ気になったことがあるんだけど、訊いていい?」

 訊いていいかと許可を求めながらも、ソラは答えを待たずにジンとカイトに向かって尋ねる。

 

「『念能力』ってさ、全然修行とか何もしてない、精孔を開けてもいない素人相手に継承とか遺伝って出来るもんなの?」

「は?」

 

 いきなり何故、そのような疑問が浮かび上がったのかが理解できず、カイトはまずいぶかしげな声を上げる。

 上げつつも、心底不思議そうにきょとんとした顔をして答えを待つソラを見ていたら、「何でそんなことを訊く?」と質問返しするのもなんとなく悪く思い、その質問は後回しにしてまずは疑問に答えてやった。

 

「いや、普通に無理だろ。継承ならまだ、オーラの系統さえ同じなら精度の差異はあっても可能だろうが、それでも精孔が開いて四大行はマスターしていないと、能力行使自体がまず不可能だ。

 たまに生まれつきか何かの拍子に精孔が開いて、四大行もすっ飛ばして無自覚に何らかの能力を生み出して使ってる奴もいるが、それは大体本人の資質に大きく影響されて一つの分野に関して特化してるピーキーな能力だから、他人が同じ能力を得るのはそれこそ修行しても不可能に等しい。

 遺伝に至っては、オーラの系統は血液型じゃないからなおさら不可能だ。親子なら同じ系統になりやすい傾向はあるらしいが、親子兄弟全員違う系統も珍しくないし、稀に後天的に系統が変わる場合もあるからな」

 

「…………いや、一つ例外がある」

 

 戸惑いつつも、カイトは実に丁寧にソラの質問に対して「まず有り得ない」と説明してくれたが、その説明が終わった直後にジンは否定した。

 ジンは自分の答えに目を丸くするカイトはもちろん、問いかけたソラの方も見ず、考える人のポーズで独り言じみた答えを語りだす。

 

「『寄生型』って呼ばれるタイプの念能力がある。珍しくて使いどころもあんまりないから、お前らが知らなくても無理はねーな。

 具現化系か操作系の能力で、その名の通り自分のオーラで作り上げた物、もしくはオーラを込めた物に特定のルールや条件を組み込んで、その組み込んだルールや条件を満たす相手に寄生する。そんで、能力発動のために消費するオーラは能力者本人じゃなく、寄生した相手のオーラを吸い上げるってタイプだ。これなら、精孔が開いてる開いてないも関係ない。どんな人間でも、精孔が全部完全に閉じて天然常時“絶”状態って奴はまずいねぇからな。

 持ち主が次々死んでいく呪いのナントカとかあるだろ? あれの正体は大概これだ。

 

 で、寄生型の念能力は大抵、寄生された相手に危害を加える為のもんだけど、たまに『相手を守る為』ってタイプも存在する」

 

 カイトが思った「何でそんなことを訊く?」という疑問は、ソラではなくジンから答えられる。

 

「……ソラ。お前の知る『犬神使い』はそのタイプか?」

「…………いいや。むしろ自分が買った犬たちからの恨みを、子孫に丸投げして逃げるためのものだよ」

 

 ジンの答えにして質問に、ソラは藍色の瞳を少し細めて皮肉気に笑って答えた。

 自分の思考の端に垣間見る、「丸投げされた子孫」の末路を無視する。

 

「……私の知ってる『犬神使い』は血筋で継承するもんだったんだよ。そんで、この屋敷の周りを覆い尽くしそうなぐらいの犬神って時点で、その奥さんが自分一人で作り上げた能力じゃない可能性が高い。

 カイトの言う通り、憎悪をなくすんじゃなくて矛先を他人に逸らすってのは操作系なら可能だろうけど、それでも死者の念を操るのがそんな簡単な訳がないことくらいは想像できるだろ?

 

 ただでさえ、犬を生き埋めにして飢え死にギリギリまで追いつめて発狂した直後に首をはねるなんて、場所も時間も手間もかかる前準備をしてから、さらに自分に恨みを持つ犬の亡霊を『犬神』にする儀式もしなくちゃいけないんだから、そうそう量産できる能力じゃないはず。

 奥さんはたしか享年が20後半だったから、そんなバカげた数の犬神を一人で作ったと考えるより、この人も私の知ってる『犬神遣い』と同じように、親か誰かから受け継がれて代々少しずつ増やしてきた犬神を操ってるって考えた方が自然なんだよ。

 

 で、この考えが当たりなら、この家を呪ってる『犬神遣い』は奥さんじゃないどころか、その『真犯人』は自分が『犬神』で人を呪い殺してることすら無自覚な可能性もあるんだよね」

 

 そう。ソラの考えが正しく、この世界の『犬神』があの家と同じく血か何かで継承されるものならば、死者ではなく生者の仕業の可能性が十分あり得た。

 

 アトラムが言った「妻の幽霊を見た」というのは、「犬神」という情報を隠したかったからこその虚言という可能性が高い。

 不可視の獣に生きながら食い殺されるという情報だけでその不審死を妻の「犬神」と連想するのは自然だが、アトラムは2年前の不審死は妻が勝手にしてきたことで当時はもちろん、今現在も詳しくは知らないという体裁を取っている。

 だから、「妻の祟り」と思う根拠に「犬神」を語る訳にはいかなかったからこそ、「妻の幽霊を見た」と嘘をついた可能性が十分にあった。

 

 そしてこの「妻の幽霊」の話が嘘で、そんなものが存在していないのならば、「犬神遣い」は生きた人間だという可能性がそう低くはない。

 むしろ自覚して「犬神」を使っているのならば、こちらの方が半端な空白期間は受け継いだ「犬神」を使いこなすのにそれだけ時間を費やしたという説明がついて自然になるくらいだ。

 

「奥さんは天涯孤独らしいけど、戸籍の上では他人でも血が繋がっている誰かがいてもおかしくないし、私の知ってる『犬神』と違って血筋じゃなくて他の条件や、もしくは任意で継承させられるものかもしれないから、実は奥さんの関係者が意図的か無自覚かは知らないけど、呪ってるかもしれないんだよねー。

 そんで私的には、奥さんの死後の念よりもこっちの方が実は厄介」

「何でだよ? お前にとっちゃ死後の念もただの念獣も、オーラ量くらいしか違いがねぇのなら、犬と人間の死者の念二乗より、能力者が生きてる方がまだマシじゃねぇのか?」

 

 ソラの「厄介」とういう発言に、ジンは心底怪訝そうな顔をして尋ねる。

 その疑問にソラは中空を見上げて、どう説明しようか悩みながら口にする。

 

「……私の能力、正確に言うと除念じゃないんだよ。念を外してるんでも無効化してるんでもなく、本当に比喩表現じゃなくて『殺してる』んだよ。

 だから……多分『犬神』は操作系能力だから大丈夫だと思うんだけど…………、なんていうか、死ぬ可能性が結構高いんだよね。能力者本人が連鎖的に」

「「はぁ?」」

 

 思った方向とは別の意味で「厄介」と言った理由と、思った以上に物騒すぎる答えに尋ねたジンだけではなく当然カイトも呆気にとられてた。

 そんな反応はすでに予測済みなため、ソラは男二人の反応を無視して話を続ける。

 

「念というかオーラは生命エネルギー……、その人の『命』そのものでしょ? 操作系や放出系みたいに自分からオーラを切り離してるタイプなら大丈夫な場合が多いけど、オーラが直接本人と繋がっているんなら、私が念能力を『殺す』と、その『死』がその本人に繋がったオーラを辿って本人の『命』にまで辿り着いちゃって、連鎖的に能力者本人を死なせてしまう場合があるんだよ。

 

 ただの念獣なら『線』で切り裂けばいいんだけど、『犬神』なら切り裂くだけじゃダメージは与えられても、それこそ動かなくするには細切れにしないとダメだろうね。確実に殺すなら『点』を突くべきなんだろうけど、『犬神』が継承されたことを自覚して、意図的に呪ってるんならともかく、継承したことも知らず『あいつを殺してやりたい』程度の気持ちが『犬神』を暴走させて、本人は何も知らないんだったらさすがに問答無用で殺すのは後味が悪いから、どうしようかなーって今思ってるところ」

 

 直死の魔眼について何の説明もしてもらえていない二人は当然、「線」や「点」が何の話だか分かっていない。

 ほとんど何もわからないことを言われたが、しかしこれだけはわかる。

 

「お前の能力、どんだけ反則的なんだよ。化けもんかお前は」

「私はジンのことよく知らないけど、あんたにだけは言われたくないなー、そのセリフ」

 

 カイトも思いはしたがさすがに気を遣って言わなかったことを、ジンが躊躇いもなく率直に言い放ち、ソラも即答で言い返した。どちらもその通り過ぎて、両者ともに言う資格がないと思ったカイトが一番正しい。

 思いつつ、「誰が化けもんだ、誰が」「ゴンの父親という時点で、割と人間かどうか怪しい」と変な言い合いになっている二人に間に割って入って宥める。

 

「ジンさん、大人げないにもほどがありますよ。あとソラは、気持ちはわかるがゴンに謝れ。

 いいから、ジンさん」

 

 何気にカイトも、ジンにもゴンにも失礼なことを素で言いながらケータイを取り出して、ジンにも促す。

 ジンも弟子のナチュラルにひどい発言に「おいコラ」と文句を付けつつ自分もケータイを取り出して、二人の行動をポカンとして見ているソラに向かって訊く。

 

「ソラ。お前の知ってる『犬神遣い』は血縁者以外に継承される条件って何かあんのか?

 とりあえず、その死んだ嫁が本当に天涯孤独だったか、特に親しい人間がいたかどうか、情報に強い知り合いに探ってもらうぞ」

 

 その発言に、ソラはさらに目を丸くする。

 尋ねているのは、「犬神」を継承する者の条件のみ。

 その継承された「犬神遣い」を探すことは、決定事項だった。

 

 本当に「犬神」が継承されている保証などないのに、されていたとしてもその継承される条件がわかっていないのならば、それは砂漠で一粒の砂金を探すようなことであることくらいわかっているはずだろうに、ジンもカイトもあまりにも自然に彼らは「犬神遣い」を探す。

 

 ソラの「連鎖的に能力者が死ぬかもしれない」という話、そして「問答無用に殺すのは後味が悪い」という言葉を聞いて、彼らはそれ以上は何も聞かずに聞いてくれた。

 ソラの「出来れば殺したくない」という、甘えに過ぎない願いを当たり前のように叶えようとしてくれた。

 

 そのことを理解して、ソラは笑って答える。

 

「ありがとう」

 

 質問の答えではなく、彼らの行動に対しての自分の気持ちをまっすぐに、正直に答えた。

 その答えにカイトは淡く笑って、「気にすんな」と軽く流す。流しているようで、ソラに余計な気を遣わせないカイト自身の気遣いがその笑みではっきりとわかる。

 

 そんなときめきそうなほど自然な心遣いが出来る弟子に対して、ジンはそっぽ向いて「いいから質問に答えろよ」とそっけなく言い返す。

 その反応に、「こういう反応は、ジンよりカイトの方がゴンに似てるね」と正直な感想をソラが口にすると、ジンは地味に傷ついたような顔をして、カイトは気まずそうに笑った。

 ジンの誰得かよくわからないツンデレな親バカっぷりにまた少し笑ってから、ソラは質問の答えをようやく返す。

 

「私が関わった家と継承する条件が一緒なら、『犬神遣い』は女性だよ。母系遺伝で、女は強制的に生まれた時から『犬神遣い』って決定づけられる。

 というか、『血縁者』を条件にするのなら、そうするしかないんじゃない?」

「? 何でだ?」

 

 ソラの答えに、ジンが即座にまた尋ね返す。

 そしてその質問に対してソラの方が意外そうに、「何で尋ね返すの?」と言わんばかりに目を丸くした。

 

 ジンも同じ疑問を浮かべたカイトも、ソラの反応が理解できずにこちらも目を丸くするが、しばし目を丸くしたままだったソラが何故か一回噴き出して言い放ったセリフに、二人はさらに首を傾げる。

 

「あはっ! ジンって思ったより良い奴だね」

「どういう意味だ? っていうか、お前の中の俺ってどんだけ評価が低いんだよ?」

 

 首を傾げつつも、褒められたのではなく割とひどいことを言われたようなものだということだけはわかったのでジンが睨み付けながら言うが、ソラは笑いながらその問いは無視して初めの問いの方を答える。

 

「あのさ、ジン。念能力の制約と誓約って結局のところは、『こうしたら強くなりそうな気がする』っていう自分ルールによる自己暗示じゃん? 要は思い込みの強さで威力が変わるんだから、逆に言えば思い込みで威力がダダ下ったりすることもあるでしょ?

 

 ……なら、『寄生型』の念能力で『寄生』させる対象の条件も、実際はどうかなんかよりもその『思い込み』の方が大事。だからこそ、血縁者に能力を受け継がせたいのなら条件は『親から子へ』でも、『父から息子へ』でもなく、『母親から娘へ』が確実なんだ。

 だってさ、代理母じゃない限り母親の産んだ子が自分の子供じゃないってことは有り得ないでしょ?」

 

「「あ……」」

 

 ソラの言葉を、答えを理解してジンはソラから豪快に目をそらす。

 その反応に弟子は苦笑し、ソラはニヤニヤ笑って眺める。

 

 魔術の場合は「魔術回路」と「魔術刻印」の所為で、魔術の継承に「血縁」はほぼ絶対条件。ソラが関わった「犬神遣い」が女性と限定されていたのは全く別の事情だが、念能力の場合は逆に血縁は条件にしにくいからこそ、「母から娘へ」という母系にするしかない。

 少なくとも、現代ならともかく数百年前から受け継がれてきたものならば、ソラの言う通り母系で受け継がせるのが確実に「血縁者」に受け継がせる方法だ。

 

 現代ならばDNA鑑定があるが、それがなかった頃の父親は自分の妻への愛情以外にその妻が生んだ子を自分の子だと信じる根拠はなかった。

 女性からしたら、特に根拠もなく自分が産んでいないからというだけで不貞を疑われるのは不愉快極まりないが、どうやっても胎を痛めて育ても産めも出来ない男からしたら切実なものなのかもしれない。

 

 そのため、「これはそうである」という自己暗示が重要な念において、「父親から子へ」という父系による継承にしてしまうと、実際の血縁関係こそ関係なく、父親が疑った時点でその継承は途切れてしまう可能性が高い。

 ただ能力の継承が途切れるだけならさほど問題はないが、「犬神」は自分に向けられた憎悪を他者に逸らすという能力なのだから、継承が途切れた時点で「犬神」の憎悪は正当な対象である自分たちに向かうのは確実だろう。

 

 だからこそ、「犬神」を利用し続けるためには「もしかしてこの子は自分の子じゃないかも」という不安を抱くことがあり得ない、「母から娘へ」という母系・女系で継承をするしかないとソラは考えたのだが……、女のソラよりも男であり、そして子持ちのジンなら理解しやすい心理であったにも拘らず、ソラに説明されるまで全く想像も出来ていなかったジンをニヤニヤ眺めながら、ソラは言った。

 

「ジンってさ、親バカなだけじゃなくて嫁もちゃんと好きだったんだね。見直したし安心したよ」

「うるせぇ! バーカ!!」

 

 息子そっくりの純粋さを息子にまったく似ていない意地で隠そうとして悪態をつくジンを、ソラだけではなくカイトも爆笑する。

 実年齢よりもはるかに大人びているゴンと比べて、ジンはあまりにも大人気なくて言動そのものはまったく似ていないのだが、その顔だけは怒って拗ねたゴンにそっくりだった。




更新がめっちゃ遅れてごめんなさい。先月に引き続き今月も忙しすぎました……。
これからちょっとマシになると……思いたいです。とりあえず、週一更新のペースに戻せるよう頑張ります。

そして前書きに書いた通り、「オリキャラのしかもテンプレ悪役の名前なんて読者さん覚えなくて眼が滑るだろうなー」と思って名前が思い浮かばなかったところで、「空の境界」と「ロードエルメロイⅡ世の事件簿」が目に入った結果、アトラム&アルバがスターシステムで登場です。

アトラムの年齢がだいぶ上になっているのは、魔術師ではなく普通の人間で高い地位にいるのならこのくらいの年が妥当かなと思ったからです。
初期のキャスターのマスターの設定に近くなった感じかもしれませんね。

アルバにいたっては、もうほぼ全部まんまですね。能力だけ人形から結界に、アラヤに近くなってますけど。

今回、スターシステムを利用してみて思いましたが、オリキャラよりもこっちの方が読者さんは確実に「名前が覚えられなくて眼が滑る」という事が少なくなるので、これからハンターのキャラ以外が出張る場合は、型月キャラをスターシステムで出そうと思ってます。

ハンターしか知らずに読んでいる読者さんには結局わかりにくいかもしれませんが、これもクロス作品の醍醐味という事で、メタ的に楽しんでもらえたら幸いです。

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