死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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9月1日までのモラトリアム(上)
49:傍迷惑


「師匠、久しぶり! 更年期は治まった?」

「出会い頭にケンカを売るな!!」

 

 待ち合わせをしていたホテルのロビーで出会った瞬間、実にいい笑顔で言い放ったソラをいつものようにビスケが見事なアッパーを決めて吹っ飛ばした。

 そしてこれまたいつものように頭から落ちてもケロッとソラは起き上がるが、これはいつもとは違って床に座り込んだままのソラの前に、衆目を気にせずビスケは腕を組んで仁王立ちで彼女を見下ろしてまずは言った。

 

「あんたって子は、本気であたしを何だと思ってる訳?

 あたしの説教から1ヶ月逃げ続けた挙句に、出会い頭に何を言い放ってるんだわさ? え?」

 

 普段ならソラの師を師と思っていない暴言は、なんだかんだでスキンシップの一環として一発殴る程度で終わらせているが、さすがに今回は相当ムカついたらしくソラの胸ぐらをつかみあげて言うが、当の本人はきょんとした顔でカウンターを放ってきた。

 

「え? 弟と再会したって報告したら、即答で『イケメンに成長してた? 試験終ったら連れてきなさい』って言ってたから、更年期障害の治療の一環でイケメンを見て女性ホルモンを出そうとしてたんじゃないの?」

「どんな解釈してんの!? 第一声がそれだったことは謝るから今すぐに忘れなさい! っていうか、本気で心配すんな!! 軽蔑されるよりいたたまれない!!」

 

 自身の合格よりも先に、そしてこの上なく嬉しそうにソラが自分に電話でしてきた報告に思わず「良かったわね」より先に出てきた本音を持ち出され、さすがに色々と悪いと思ったのかビスケはやや逆ギレ風味だが、珍しく素直に謝った。

 

「いやいや、私の方もごめんね、師匠。心配かけて」

 

 ビスケが謝るとソラの方も謝った。が、謝ったら謝ったで、ビスケの顔が朱に染まる。

 どうやらこの弟子は、ビスケが更年期がどうのこうのという暴言でブチ切れたのではなく、ゾルディック家の跡取りの家出に協力というこの上なく危なっかしいことをやらかす為に、丸々一ヶ月近く音信不通にしていたことに対して怒っていることくらい承知の上だったようだ。

 そして、変な所が照れ屋で素直ではないビスケにとって、その素直な謝罪と自分の本音が理解されていることがたまらなく恥ずかしかった。

 

「べ、別に心配なんかしてないわさ! あんたなら何があっても誰が相手でも図太く生き延びることくらい、こっちは嫌になるほど知ってるんだから、今更心配なんかするわけないでしょ! 仮にしたとしても、あんたのじゃなくてあんたのやらかしたことにあたしが巻き込まれないかの心配だわさ!」

 

 なので、朱に染まった頬を隠すようにそっぽ向いてビスケはひたすらに言い訳をまくしたてた。

 実年齢を考えたら大人げないにもほどがあるが、見た目だけ見れば相応で可愛らしいその反応に、ソラは微笑ましそうに笑って「はいはい、だから心配と迷惑かけてごめんなさいってば」と、ビスケの言い訳も本音もすべて受け入れる。

 

 自分よりはるかに大人な対応をしている弟子がムカついて、八つ当たりだと自覚しつつもビスケはキッとソラを睨み付けるが、ソラは睨まれようが相変わらず微笑ましそうに笑いながら言った。

 

「師匠は本当に元気だね。これなら更年期の心配はまだまだしなくて良さそうだから安心だ」

「もうその話題はやめろ!」

「はいはい、わかりましたよ。あ、でもね師匠。更年期じゃないならこれだけは覚えておいてね」

「何もわかってないだろ、あんた!?」

 

 まだしつこく更年期をネタにするソラに、もう一回本気でビスケはキレかけたが、ソラはビスケを無視していい笑顔で言った。

 

「あのね、師匠。私、師匠のことが大好きだから更年期治療の一環としてイケメンに会いたがるのはまだ許すけど、そうじゃないなら、師匠のことが大好きだからしたくないんだけど、ただの色ボケた理由でクラピカに手を出したら、殺すよ」

 

 花のようないい笑顔と雲一つない蒼天の瞳で、言い切られた。

 完全に本気だった。

 

「……あの、本当に第一声があれでごめんなさい。申し訳ありませんでした」

 

 まさかのもう4年近い付き合いで初めて自分に向けられる本気の殺意に、思わずビスケは敬語で謝る。彼女本人の次くらいにソラのブラコンっぷりは理解しているつもりだったが、自分の理解はまだ甘かったと痛感させられた。

 

「わかってくれてよかった」とソラは瞳の明度を下げて、いつものように晴れ晴れしく微笑み、ビスケの方は逆に彼女の師であるネテロですら見たことがないのではないかと思うくらい、強張った笑みを浮かべていた。

 ビスケに割と本気で死を覚悟させたことに自覚がないのか、ソラはその強張った笑み見て小首をかしげる。

 

「師匠、どうしたの? つーかもう用はない? ないなら私、とんぼ返りしたいんだけど」

「あんた何しに来たの!?」

 

 ビスケに喧嘩を売るだけ売って、そのままハンター試験で出会った仲間の元に帰りたがる弟子にビスケは先ほどの死に対する覚悟を一瞬で忘れ去って突っ込む。

 が、突っ込んでから別にソラに対して何かしなくてはいけないこと、させなくてはいけないことがあるわけでもないことに気付く。

 

 ソラを呼び寄せたのは、ハンター試験やその後のことでやらかした様々な厄介事に関するお説教という名目だったが、それは本当に名目だけで本気で説教する気はない。

 ソラの性格や事情を良く知るビスケからしたら、彼女が今回やらかしたことは穏便にすませた方だと思っているし、そもそも彼女はいくら説教をしても反省はかろうじてするが、基本的にそれを生かしてはくれないことも嫌になるほど知っている。

 

 だからビスケの本音は、ただ単に実際に会って会話して、ソラが身も心も無事であることを確かめたかっただけである。

 

 そして腹立たしいことだがその本音は、一番知られたくないのにソラはあまりに正しく理解していることも知っている。

 だからこそ、ソラはやっと再会できた(クラピカ)とも、この世で最も敵に回したくない一家と言ってもいいゾルディック家に喧嘩を売るような真似してまで連れ出した(キルア)からも離れて、自分にちゃんと会いに来たことくらい、ビスケの方だってわかっている。

 

 なのでこのまま、「もういいわよ。いってらっしゃい」と言って送り出してやるのが大人の対応だろうと思いつつも、散々心配をかけておいてまた間違いなく厄介事の渦中にとんぼ返りしようとする弟子が無性にムカついた。

 この場合、「心配だから危ない真似はしないでほしい」という親心は残念ながら皆無に等しかった。どちらかというと、「私の心配を返せ! いっそ一回、ものすごい痛い目に遭え!」という心境だった。

 

 なので、ハンター裏試験代わりに“念”に関して何らかの課題でも出してやろうかとビスケが考えたタイミングで、声を掛けられた。

 

「おやおやおや? もしかしてビスケット=クルーガーさんじゃないですか!」

 

 それは絶妙にして最悪。

 声を掛けられた瞬間、その声が誰のものであるかを理解した瞬間、ビスケの顔がまさしく苦虫を噛み潰したとしか言いようのないぐらいに歪む。

 

「! ババア、どうした!? 化粧が剥がれ落ちたぞ!」

「どういう意味だ!?」

 

 ソラの素なのか狙ったのか不明な発言に、ボディーブローを一発叩き込んで黙らせてビスケは声を掛けてきた相手に向き直る。

 出来れば聞こえなかったふりをしてそのまま立ち去りたい相手だったが、自分と相手の立場や関係上、それをやったら後があまりに怖かった。

 嫌味程度に使われるのならば痛くもかゆくもないが、この男はどんなわずかな瑕疵(弱み)も一番最悪の状況で一番効果的に使ってくることを良く知っている。

 

 おそらくはろくな用ではないないとわかっているが、ここでビスケが奴の話を聞かなかったことが後で自分にとっても、自分の師にとっても、ハンター協会という組織にとってもどれほどの痛手となるかはわからないので、出来る限り噛み潰した苦虫を飲み込んで愛想笑いを顔面に張りつけて、振り返る。

 後になって思えば、ソラの暴言で奴に対する苛立ちも八つ当たりでぶつけて少しだけスッキリしたからこそ出来た対応だったが、ソラの発言も発言だったので特に感謝する気は起こらなかった。

 

 そして実際に感謝する必要はない。

 その男は胡散くさい笑顔で、ビスケに腹パンをかまされて悶絶しているソラを一切心配しないで、のうのうと言ってのける。

 

「お久しぶりですね、ビスケットさん」

 

 ビスケに自分が話しかけた理由、真の目的である彼女に今ちょうど気付いたと言わんばかりの茶番を演じる。

 

「おや? もしかしてそちらにいらっしゃるのが、噂のお弟子さんですか?」

 

 だから、感謝しない代わりにビスケは深く同情した。

 

「……どんな噂を聞いているのかは知らないけれど、あなたには関係ないことだわさ。

 で? 何の用かしら? 副会長(パリストン)

 

 * * *

 

 パリストンはペラペラと、ビスケに対するお世辞なのか嫌味なのか、自分自身に関する自慢なのか謙遜なのか、どちらにしてもただひたすらにムカつくことを一方的に語る。

 その言葉の端々に、「偶然こんなところで出会えて光栄だ」と語っているが、もちろんビスケは偶然だとは信じていない。

 

 まず間違いなく、この男はソラに何らかの興味を懐いてソラに会うためにここにやって来たことくらいビスケは百も承知。

 むしろ、ソラがライセンスを取ってプロになってから接触を図ったのは遅すぎるくらいだったし、自分と一緒にいる時にやって来たのは幸運だと思った。

 

 だが同時に、それらも何らかの意図があってこのタイミングでやって来たことくらい想像がついている。

 おそらくはとっくの昔から奴はソラの存在を認知しており、そして自分達には理解できない目的のために権謀術数を張り巡らして、逃げられない、逃げ出した方が最悪の事態を引き起こす舞台を作り上げていることすらも理解している。

 

 つまりはパリストンが登場した時点でもう自分たちは、奴の掌の上で踊るしか選択肢はない屈辱にビスケは耐えながらちらりと横の弟子に視線を向けると、ビスケに殴られた腹を押さえてしゃがみこんだままソラは、声を潜めてビスケに尋ねる。

 

「……師匠、誰この鼻フックかましたいエセ爽やかイケメンは」

 

 珍しく空気を読んで相手に聞こえないボリュームで空気を読まない発言をかまし、ビスケは脱力するやらもっと言ってやれと思うやら、何とも言えない気持ちになりながら何故か、「めずらしく『爆発しろ』じゃないのね」とどうでもいい所を突っ込んだ。

 

 ビスケの突っ込みにソラはボリュームを押さえたまま、しれっと答える。

「だってあれ、爆発させたらなんかヤバいこと起こりそう。絶対にあいつ、自分の死くらいなんかの材料にするのも躊躇わないタイプでしょ?」

 

 その返答に、ソラが一目で相手がどのような人物……いや、生き物なのかを理解していることを知り、抜けかかっていた気が引き締められて小声で「当たり」と答えてから、ビスケは弟子に相手が何者かを教えてやる。

 

「あれは、ハンター協会副会長のパリストン=ヒルよ。……ソラ、あんたは余計なことを言わずやらず、貝になっておきなさい」

「了解」

 

 ビスケの指示にソラは何の疑問も持たずに応じて、そのまま指示通り貝のごとく口を閉ざす。

 が、次のパリストンの発言で網の上で焼かれた貝のごとくソラは言い放った。

 

「それにしても、ビスケットさんは相変わらずお歳を感じさせない可愛らしさですが、お弟子さんも素晴らしく美人さんで眼福ですねー。こんな美人師弟が協会員だなんて副会長として僕も鼻が高いですし、こうやってお話させていただくだけでも、両手に花の気分が味わえて実に幸せですよ」

「趣味が悪すぎだろ」

「あんたは何を言ってるんだわさ!? っていうか、その発言はこいつや私どころか、あんた自身もものすごく貶めてるけどいいの!?」

 

 このバカ弟子がどこまでも斜め上であることは、胃に穴が開きそうなくらいビスケは知っていたが、相手の危険性とその危険性の種類を正しく理解しているのならば、この生存本能に忠実すぎて壊れ果てた娘ならば余計なことは言わないだろうと思っていたら、やっぱり歪みなくソラは斜め上だった。

 そんな斜め上なエアブレイカーがビスケの突っ込み程度で軌道修正されるわけもなく、やはり斜め上に突っ走る。

 

「貶めてなんかないよ!

 私は自分が生まれた時から美人なのは知ってるけど、中性どころか両性もしくは無性とか言われる特殊な美人だから、私を好みだと言い出す奴はゲイかバイだとしか思えないし、師匠は見た目が美少女だからこそド直球でロリコンホイホイだし、実年齢知っててホイホイされるなら余計にヤバい性癖持ちじゃん!」

「あんたは自信があるのか自虐的なのかはっきりしろ!」

 

 胸を張って開き直ったソラの頭をどついて、ビスケはとりあえず黙らせる。ただ、いつもより張り倒す力加減がだいぶ易しかったのは、何気にソラの「美少女」という評価が嬉しかったようだ。

 

「悪趣味」と断言されたパリストンはというと、ソラの唐突な発言にはさすがに一瞬呆気に取られていたが、まったく気にした様子もなく最初から変わらない胡散臭い爽やか笑顔で「いやー、本当に噂通りユニークな方ですねー」と言っていた。

 

 そして、イルミとはまた違う意味合いで「張り付けた」としか言いようのない笑顔のまま、怪者(けもの)は言う。

 

「……ここまで噂通りなら、この噂も本当なんでしょうか?」

 

 蛇のように音もなく、ビスケをすり抜けてソラの間近に歩み寄って彼女の顔を覗き込み、昏い瞳にソラを映して彼女の夜空色の瞳を見据えて嗤って尋ねる。

 

「とっても珍しくて美しい、まるでクルタ族の『緋の眼』のような瞳を持っているということと、死者の念まで除念できるというは本当ですか?」

 

 ソラは答えない。今更になって、ビスケの指示通り貝のように口を閉ざす。

 何も語らないまま、ただ彼女も相手の目を真っ直ぐに見据えた。

 

 ブラックホールじみた底なしの目と、確かに光があるのに光源がどこか、何なのかがわからない果てのない夜空の目は、互いに深すぎるからこそどちらも互いを見ていない。

 互いの表層などすり抜けて通り過ぎ、さらにその奥を、相手の深淵を見透かそうするようにしばし二人は無言で見詰め合う……というにはあまりにどちらも無機質な視線を交わし合っていた。

 

「あんたには関係ないでしょ!!」

 ビスケが再び二人の間に割って入り、元々表面上さえも取り繕う気はなかった社交辞令を完全に捨て去って怒鳴る。

 やはりこの男は予想通りのものに、興味を懐いていることに歯噛みしながら。

 

 ビスケはハンター協会運営に関する役員でもなければ、ネテロ直属の部下ともただの遊び相手とも言っていい十二支んでもないので、パリストンとは厳密に言えば上下関係も利害関係もほとんどないが、それでもこの対応が副会長に対して不相応なものであり、彼のシンパである協専ハンターたちが「会長の弟子は礼儀がなっていない。そんな奴にハンター協会の会長を任していいのか?」という攻撃材料になることもわかっている。

 

 もちろん、ネテロがその程度の嫌味で揺らぐような可愛らしいメンタルではないこともわかっているが、協専はともかくこの男がその程度の嫌味で終わらせるわけがないことも知っているので、自分の言動をさっそく後悔しながらも、それでもビスケは訂正して謝る気もなくただソラを小さなその体で隠すように、庇うために背にやって、パリストンを睨み付けた。

 

「やだなぁ、ビスケットさん。そんな冷たいことを言わないでくださいよ~。

 そりゃぁ僕は副会長としての責務が忙しすぎて、最近はハンターとしての活動は全く出来てませんけど、それでもハンターなんですから自分の分野に関係なくても、あの『緋の眼』並みかそれ以上に美しい眼と言われたら、好奇心が疼きますし、クルタ族の悲惨な末路を知っていればハンターとしても人としても、お弟子さんのことを心配にもなりますよ」

 

 しかしパリストンは、ビスケの怒声も睨み付ける眼も飄々と受け流し、いけしゃあしゃあと下手に出ているようで実は何も謝らずに、自分の言動を肯定して押し通す。慇懃無礼とはまさしくこのことだろう。

 

 そんなパリストンの言動にさらに苛立ちながら、同時に「余計なことを言うなアホー!!」とビスケは心中で絶叫した。

 自分の背後で一瞬だけとはいえ噴き出した殺気に、冷や汗を垂らしながら。

 

 自分で言うのもなんだが、ソラはビスケがいなければ間違いなくクラピカを逃がして別れたあの日に死んでいたし、彼女が世話を焼いてやらなければ結局は野垂れ死にするか、生きている理由も目的も見失って死んでいないだけの狂人として壊れ抜くかしかないと言い切れるので、言動はアレだがビスケをソラは本気で慕っているし、恩義も感じている。自分が多少理不尽な要求をしても、笑って恩返しの一環として即答で「いいよ」と引き受けることを、ビスケは確信している。

 

 そんな彼女が眼の色をガチギレのセレストブルーまでいかなかったとはいえ、その手前のスカイブルーにまで明度を上げてビスケに「殺すよ」宣言するほど、パリストンがさっきから上げている「クルタ族」の生き残りは彼女の最後の正気の礎にして最悪の狂気の源泉。弱点であり逆鱗。時には彼女の骨子である「死にたくない」を超えるほど、守りたい最愛。

 

 別にパリストンの発言内容そのものはクルタ族を侮辱しているものではないが、彼の軽薄な態度で「クルタ族の悲惨な末路」と言われたら、無関係のビスケでも聞いていて気分が良くない。

 ビスケでもそれなのだから、それこそソラにとって彼の発言はソラの逆鱗をかすめるどこかもぎ取るようなものだったのは、さきほど一瞬噴き出した殺気でわかる。

 

 背後の弟子にチラリと視線をやると、ソラはややうつむいて目の疲れを取るように目頭を押さえて自分の瞳を隠している。

 相手の発言が安い挑発であることに気付いており、思ったより冷静な所にビスケはホッとしながら、「頼むから大人しくしておきなさいよ!」と視線で命じる。

 

 だが、もちろんこのバカ弟子はビスケの視線の命令に気付いても素直に聞いてはくれない。

 顔を上げたソラの瞳の色は普段の藍色のまま。こいつに自分の手の内を見せてはいけないと警戒しているのか、それともただ単にクルタ族の悲劇を挑発の材料するような奴には絶対に見せたくないという意地なのかはわからないが、ソラにしては珍しくあの蒼天にして虚空の眼を見せずに、再び口を開いて尋ねた。

 

「除念は?」

 

 自身の眼の話題を無視して、彼女は酷く冷めた顔で尋ね返す。

 

「除念には、何で興味を持ったの?」

 

 シンプルに先ほどまでの話題を完膚なきまでに叩き伏せるように無視して、ソラは話を変える。

 ソラが珍しく、挑発の反撃にあの息がとまるほどに美しすぎて見ていられない、死を引きずり出す眼を開眼させなかった理由を、ビスケはこの返答で察する。

 

 パリストンに対する警戒心でも、自分の意地でもない。

 奴の口から、二度と最愛の弟の誇りそのものである一族の名が出てこないように、その話題が上がらないように、自分の眼を隠した。

 今、この場にいなくても、たとえクラピカ自身が一生知る由がなくても、彼の誇りを他人に嘲弄されぬため、ただそれだけの為に怒りで上がるはずの明度をねじ伏せて、隠し通す。

 

 本心では奴の舌をそれこそこの眼で切り裂いて殺してしまいたいくらいに、パリストンの軽薄な言葉に対して怒りを懐いているが、ソラは相手がどんな人物かをビスケがわざわざ説明するまでもなく気付いている。

 だからこそ、耐えている。

 

 この男は、自分がどれだけ痛めつけられても腹の内では笑っていられる男だ。自分の死さえも材料にして、最大の悲劇をもたらす怪者であることを理解しているからこそ、ソラはビスケと同じように耐えて、そして静かに見つめて待つ。

 

 反撃の余地が生まれることを、息をひそめて待ち続ける。

 

 ソラの問いかけに、パリストンは貼りつけた笑みのままに答える。

「それは、興味を持ったというよりも本当だったらぜひともお願いしたい仕事があるんですよ」

 

 笑みそのものは最初と変わらず、仮面と表現するには有機的だが、本音を全く見せないこの上なく胡散くさいエセ爽やかスマイルだったが、底なし沼のような昏い瞳に光が宿る。

 この男も、ソラが内心で何に耐えているのかを理解しているのだろう。

 

 無邪気だからこそこの上なく残酷な、子供のような喜悦の光を燈して彼は言った。

 

 その眼の輝きが何を意味しているのか、正しく理解したビスケがカッと血が昇った頭に浮かんだ感情のまま言葉を発する。

「! 誰が受けるか! 今すぐに帰りなさい!!」

 

 完全にソラをネテロ同様に「遊び相手(おもちゃ)」認定したことを理解し、弟子を守るためにパリストンを全力で拒絶する。

 しかし当のバカ弟子はどこまでも、絶望的なまでに退屈を嫌う享楽主義なパリストン好みの斜め上だ。

 

「え? 私は別にいいけど? っていうか、受けるよ」

 即答でビスケの拒絶を否定してあっさりと仕事を引き受けると宣言したソラに、ビスケは「あんたは黙ってろ!」と一蹴するが、もちろんソラは黙らない。

 

 いつものように、空気を読まずに相手にも聞こえるように彼女は気だるげに言う。

 

「師匠、冷静になりなよ。どう考えても受けない方が、こいつ好みのカタストロフィが起こりそうじゃん?」

 

 ビスケを見もせず、パリストンを見据えたままソラは言い切った。

 

「心外ですねぇ。むしろ僕は少しでも被害が抑えられるよう、痛ましい結果にならないように、藁にもすがる思いでお頼みしていますよ」

「縋ってんのが藁な時点で、お望みの結末は悲劇だろうが」

 

 いけしゃあしゃあと本当に心外だなんてどう見ても思っておらず、むしろあまりにも楽しそうに反論するパリストンに、ソラはさらに揚げ足取りで言い返す。

 そして、ツナギのポケットの中から安物のボールペンを取り出し、くるくる回しながら唇の端を吊り上げて宣言する。

 

「一つ、忠告。

 私は、正確に言うと除念師じゃない。念を外してるんでも、無効化してるんでもない。私が出来ることは、完膚なきまでに殺し尽くすことだけだ」

 

 ソラが自分の能力を馬鹿正直に話し始めたが、ビスケは口出ししなかった。

 瞳の色を変えていないことから、別にキレて冷静さを失った訳ではない、ソラにはソラなりの自分には理解できない斜め上にきりもみ回転した何らかの考えがあって言っていると思ったので、今回はその考えを信頼してやろうと思い沈黙を続ける。

 

 まぁ、同時にちょっとした期待から黙っていたのも大きいが。

 

 この、人を食ったようなという表現の見本のように、自分に関わる全ての人間をおちょくり挑発して怒らせて自滅に追いやるのが親愛の挨拶に過ぎない人格破綻者に、どこまでも予想が出来ない言動をぶっ放す弟子が何を言うのか、その弟子に対してもこの男は余裕を保っていられるのかが、気になったからビスケは黙ってソラの言葉を聞いていた。

 

「仕事は引き受けますよ。乗ってやりますよ、どんな悲劇の舞台でも。

 だからそちらも、これだけは覚悟しておいてくださいね?」

 

 くるくると廻していたボールペンを、ナイフでも持つように構え、そして騎士の剣のようにパリストンに突き付けてソラは笑って言った。

 もう、怒りを押し殺して何かに耐えていた、作り上げた無表情ではない。

 反撃の余地を見つけたから、笑っていられるのではない。もはや彼女は、そんなものを待っていたことすら忘れている。

 

 ソラにとって、もうパリストンは眼中にない。奴がふわふわとろくに計画を立てずにちょっかいを掛けられたらソラにはどうしようもないが、お膳立てされてもうそこを歩くしかないレールを敷かれてしまったのなら、逆にソラからしたら好都合。

 

 未来は決まっていないから、未確定だからこそ無敵。

 確定されてしまえば、それは簡単に壊せることをソラは知っている。

 

 だからソラは笑って宣言する。

 相手が作り上げた舞台の結末が、レールの行く末が悲劇だと確信しているからこそ、それを切り裂いた先にある自分の勝利を、自分の行き着く先であるハッピーエンドを実に楽しみにしながら笑顔で、ソラは勢いよく啖呵を切った。

 

「その舞台も用意していた台本も、私によってぶっ殺されることを」

 

 ソラの宣戦布告に、パリストンとビスケは同時に吹き出した。

 

 * * *

 

「ビヨンドさん? とりあえず、ソラ=シキオリに仕事を依頼しておきましたー。

 いやー、本当に噂にたがわぬ斜め上でしたよ! 会話がかみ合わないことかみ合わないこと!

 単純なのか複雑なのか、慎重なのか大胆なのか、臆病なのか勇敢なのかさーっぱりわかんない人でした! ジンさんに似てるかなーと少し思いましたけど、ジンさんより面白ければそれでよしな人でなかったですね。そこが少し残念でしたけど、でもそれを上回って面白い子でしたよ!」

 

 ホテルを出て真っ先に電話で今は他人、いつか近い将来「共犯者」となる男へとパリストンは、実に満足そうに笑いながらテンション高く報告する。

 

《予想はしていたが、お前に気に入られるとは災難な女だな。で、能力の方はどうだ?》

 

 電話の向こうの男……ビヨンドは、パリストンのテンションの高さにやや辟易し、割と本心からの感想を言ってからさっさと本題に入る。

 しかしその本題は、予想はしていたがほぼ空振りだった。

 

「さすがにこの時点じゃ、能力どころか目の色が変わるのも見せてはくれませんでしたね。至極残念です。

 けど、少しだけどういう能力かを明かしてくれました。やっぱり、正確には除念じゃないみたいですね」

《……掛けられた念能力を外すでも効果を無効化するでもなく、『殺す』能力か?》

 

 ビヨンドの上乗せで問いかけられた疑問に、パリストンは口角を吊り上げて笑い、答える。

 

「……えぇ。そう、自称してました。だから、僕が用意した舞台や台本もぶっ殺されるのを覚悟しておけと啖呵切られちゃいましたよー。

 どうしましょう、ビヨンドさん?」

《知るか》

 

 実にうれしそうに楽しそうに語るパリストンの話をぶった切って、電話口で男は少し思案するように唸る。

 今回、パリストンを通してソラ=シキオリに依頼した仕事は、彼女の噂では念能力かどうかも疑わしい異能が、どこまで本当かを知るために用意したもの。

 ただでさえ死者の念も無効化出来る除念師は、ビヨンドの立てている計画に直接は何の関係も必要もないが、仲間に引き入れて損はないので前々から興味を持っていた。

 

 初めはその程度の思惑だったが、情報を探って行けばいくほどにあの女の能力は除念どころでは収まらないことを知った。大げさかもしれないが万象を破壊し、死に至らしめることが可能ではないかと思えるほど、強力無比である可能性が高くなった。

 本当にそんな異能ならば……、神すらも殺しうる力を持っているのならば、彼女はビヨンドにとってまさしく喉から手が出るほど欲しい人材だ。

 

 彼女さえいれば、ビヨンドが、先達者たちが、人類が屈した5つの厄災はもちろん、新たな脅威すらも「ただの厄介な敵」程度に格下げが可能かもしれないのだから。

 

 しかし、ソラ=シキオリについて情報はハンターサイトはもちろん、合法非合法問わずに無節操でありながら信用できる筋から得たものだが、それでも彼女に関わる出来事はどれもこれもでたらめすぎて、なおかつ何をどうやってそのようなことを起こしたのかがわからないものが多すぎるので、彼女の能力については「非常識すぎる」こと以外、信憑性がない。

 なので、パリストンを通じてソラ=シキオリについての確実な情報を得ようと思ったのだが、予想していたがやはりパリストンがやたらと彼女を気に入ってしまったことが頭痛の種となる。

 

 そんなビヨンドの頭痛の種が、彼が今まさに頭を抱えていることを理解した上で実に楽しそうな声でさらに報告する。

 

「それからビヨンドさん、残念なお知らせですけど彼女を正攻法で仲間に引き入れるのは多分不可能です。

 彼女、未知とか未到とか冒険とかそういう類は嫌いではないでしょうけど、命をかけてまでそういうのを探求したいタイプではない、それどころかこれは噂通り自分の命を最優先にしてる人ですから、真正面から誘ってもいくらお金を積んでも即答で、『絶対にヤダ』って断るのが目に見えましたよー。

 

 ……まぁ、正攻法でなければいくらでも付け入る隙はありそうでしたけどね。例えば、彼女の可愛い『弟』さんたちにもお願いを申し入れるとか」

 

 パリストンの報告で、さらに頭が痛くなるのを感じる。

 それはソラ=シキオリが簡単には手に入らないことを知らされた落胆ではなく、彼女の「付け入る隙」を見つけたパリストンの声が、喜悦・愉悦の色が電話越しにも見て取れるような声音だったからだ。

 

 ソラ=シキオリは能力と同じくらい、彼女の生存願望に関しての異常さも、性格が非常識の塊であることもビヨンドはわかっていた。

 前者に関しては確かに仲間に引き入れるには厄介な要素であるが、獲物が難しければ難しいほど捕えることに血沸き肉躍るのがハンターというものなので、ビヨンドは特に問題視していない。

 後者の性格に関しても、父親と同じく面白ければよし、自分の期待や想像を裏切る出来事が大好きなビヨンドとしては問題ないどころか歓迎する要素である。

 

 問題なのは、パリストンも同じような人物を好み、そしてこの男自身も自分の期待や予想をことごとく裏切ってくれて退屈にさせないが、その裏切る方向性はいつも最悪の方向だ。

 ビヨンド個人としてはそれも面白いと思っているからこそ彼と組んでいるのだが、自分の半世紀近くかけて立てた計画の邪魔立てはさすがに許容できず、彼は無駄だと知りつつも念押しの言葉を掛ける。

 

《パリストン。ソラ=シキオリはもちろん、そいつの『付け入る隙』も壊すなよ》

「いやだなぁ、ビヨンドさん。そんなもったいないことするわけないじゃないですかー」

 

 ビヨンドの言葉にやはりパリストンは、飄々と軽薄に嘯いた。いや、しない理由を「もったいないから」と答えるあたりは正直で誠実かもしれないが、それらは何の美徳になっていない。

 

 ビヨンドはその答えにうんざりとした気分になるが、それ以上はソラに関してのことは何も言わない。この男は、念押しすればするほどにやるなと言っていたことは嬉々として行うタイプであることもわかっているので、しつこく言い聞かせるのは逆効果にもほどがある。

 なので、今後の計画についての話を少しかわして電話を切った。

 

 通話を切った携帯電話を片手に、パリストンはホテルの出入り口の片隅で口を押えて笑う。

 押さえていないと周囲から全力で引かれる勢いの高笑いになってしまいそうなので、しっかりと口元を押さえて彼は笑いながら呟く。

 

「えぇ。しませんよ。そんなすぐに壊すような真似なんか」

 

 パリストン=ヒルの価値観と感性は歪んでいる。

 いや、反転していると言った方が正確かもしれない。

 

 彼は、愛する者に愛されて大切にされたいという願望を持っていない。愛する人を守って慈しみたいとは思えない。

 彼は人から憎まれた時に幸福を感じ、愛する人を傷つけて壊したいと望んで実行する、一般的な価値観や感性とは反転した愛情表現を持っていた。

 

 サディズムとマゾヒズムのハイエンドに行き着いたような感性の持ち主は、そんな自分の愛情は一般的ではない、マイノリティだということは自覚しつつも、「それってそんなにおかしいことなのかな?」と素なのか開き直りなのか、どちらにせよ恥じることも遠慮することも思い悩むこともなく、今日も自分が愛したい(壊したい)人を、自分の退屈を吹き飛ばしてくれる出来事を探し求めて、行動している。

 

 そんな彼が、前々から目を付けていたが同じく自分の未来の「共犯者」も必要な人材として目を付けていたので、そう簡単にはさすがに手を出せなかった相手にようやく、様子見程度でしかないが手を出せた。

 

 そして絶対に自分が気に入るであろうとはわかっていたが、想定していた以上にパリストンはソラを気に入ってしまった。

 正直、自分がビスケットの方に話しかけた時の師に対する暴言の時点でかなり笑えて気に入ったのだが、「今すぐ壊すのはもったいない」と思うほど、今もなお笑いが止まらないほど気に入ったのは、もちろんあんなわざとか素なのか不明なボケではない。

 

 今年のハンター試験で得た、彼女の情報。ソラ=シキオリの付け入る隙。弱点にして逆鱗。

 

 それは、試験で特に親しくしていた4人の仲間。

 特にその内の一人、クルタ族の生き残りである青年こそが彼女のアキレス腱であると同時に「人間」から「死神」に切り替わるスイッチであることは、残念ながら仕事と悪巧みの都合で観戦することが叶わなかった最終試験の死闘で明らかだ。

 

 だからこそ、わざとパリストンはソラの眼の例えに、クルタ族と「緋の眼」を出した。

 さすがにあからさまな侮辱をしてこの段階でソラの反感を大いに買ってしまっては、ソラだけではなく彼女を仲間に引き入れたがっているビヨンドの機嫌も損ねる。

 

 それはパリストンからしたら望むところだが、短絡的な目先の楽しみでもっと大きな楽しみを失うのはバカらしいので、今日のパリストンはこれでも様子見に徹していた。

 直接的にバカにするような発言はせず、神経を逆撫でする程度のことしか言わなかった。

 

 そんなパリストンからしたら会釈程度に過ぎない挑発に乗って、機嫌が悪くなるどころか協会では上から数えた方が早い実力者であるビスケットに冷や汗をかかせるほどの殺気を一瞬とはいえ放たれた。

 もちろんその殺気はパリストンにとっては逆効果この上なく、「今日は良い日だなぁ」とヒソカみたいなことを考えていたが、パリストンが壊したくて仕方がないのにもったいないと思えるほどに気に入ったのは、さらにその後。

 

 それだけ怒りながらも、その怒りを表に出さずに堪えたのは、自分がどのような生き物かを相手は初見で理解していたから。

 仕事を即答で引き受けたことといい、その引き受けた理由といい、出会って初っ端で「何か胡散くさくて気に入らない」と思われるのはいつものことだが、ここまで正確に自分の歪みや異常を理解されたことはなかった。

 

 そして、それらを理解した上で、余裕ぶってではなく本心から楽しそうに笑って、自分がお膳立てした舞台を「殺す」と宣言されたのも初めてだった。

 彼にとって今現在一番のお気に入りであるネテロでさえも、自分の無茶に心底楽しそうだが同時に心底困って笑うというのに、彼女は何も困っていなかった。

 困ることなどないと言わんばかりに笑っていた。パリストンなど、眼中になかった。

 

 パリストンがもたらすであろう悲劇など、自分の手で「殺せる」と確信して笑って進もうとする彼女を見て、決めた。

 彼女はこの手で、必ず壊しつくそうと。

 

 自分が唯一嫌いになりそうな人物が言う「構ってちゃん」という評価は、やや不満だが自覚している。

 パリストンは自分がソラの眼中からいなくなったと確信すると同時に、ソラが自分に対して興味をなくして楽しげに笑った瞬間、どうしようもなく彼女を愛おしく感じた。

 

 自分を無視できないくらいに痛めつけて何もかもを奪いたいと望んだ。

 もう一度あの殺気を、今度は一瞬ではなく生きている限り永遠に自分にぶつけて欲しいと願う。

 そして、誰よりも何よりも彼女に憎まれて恨まれて、絶望させて壊したい。

 

「ふふふ……、こういうのを『恋』っていうんでしょうか?」

 

 一瞬にして彼女のことだけしか考えられなくなったパリストンは、自分のその状態を彼以外の誰もが一番そう表現してほしくない単語を使って機嫌よくケータイを操作する。

 どんな方法が、どんな手段を用いたら、一番彼女に効果的な絶望が与えられるかを考えながら、まずは手始めにソラに依頼した仕事の「手伝い」として同伴させると言った自分の子飼いの協専ハンターに連絡を取る。

 

 もちろん、手伝いなんて名目だけ。実際のところは、ソラの能力がどのようなものかを知るための生きた記憶媒体にすぎない。

 ソラに会った今となっては仕事を放りだして自分が同伴したいくらいだが、それをやったら勢い余って今すぐに壊してしまいそうなので自重する。

 

 代わりに、彼女の能力がどの程度使えるのかを知りたいからと適当に言いくるめて、同伴させるハンターがわざと足を引っぱるように指示を出そうと思った。

 そんなことをしてしまえば、ソラはともかくその協専ハンターは死ぬ可能性が高い仕事であり、協専ハンターが死ねば同伴させた意味どころかソラに仕事を依頼した意味すらなくなる可能性が高いのだが、もはやパリストンにとってはソラの能力なんてどうでも良かった。

 

 万物を殺しうる力を持ちながら、自分が生き残る為には誰を犠牲にしてもいいという狂気を持ちながら、誰も殺したくないという真っ当だからこそ相容れない狂気も抱える彼女にとって、自分の足を引っぱった相手とはいえ、守れず死なれたら相当後味は悪いだろう。

 ……足を引っぱられ、自分が生き残る為に相手をその手で殺してしまえばなおのこと。

 

 パリストンは誰かの血で穢れて生き残って、後悔と自己嫌悪にまみれて泣くソラの姿を想像して、恍惚としながら電話を掛ける。

 

《よう、パリストン》

 

 数コールで繋がった電話から聞こえた声に、数秒前までの笑みは一瞬で消え失せる。

 笑顔こそはかろうじて残ったが、その笑みに余裕の色はない。今度こそ仮面じみた無機質な笑みを貼りつけて、彼は電話に出た相手の名を呼ぶ。

 

 最悪の博愛主義である自分が、唯一嫌いになり得る人物の名を。

 

「……ジンさん」

 

 どうしてお前がその電話に出る? という問いかけはバカらしい。

 その原因を突き止めるのはもう遅い。今すべきことは、考えること。

 相手がどこまで何を知っているか、どこまでお膳立てされて、自分はもう既に相手の敷いたレールの上を歩いているのか、それから外れることが出来るのか、そのレールを逆に利用し返すことが出来るのか。

 

《悪いな、パリストン。ちょーっとドジって、このケータイの持ち主を怪我させちまったんだよ》

 

 飄々と、電話の向こうで軽薄に嘯く相手。

 散々自分が誰かにしてきた対応をそのまんまやり返されて、いかに効果的だったのかを実感させられながら、その自分がしてきたことを棚に上げて、内心で舌を打つ。

 

《命とかに別状がある怪我じゃねーんだけど、しばらく動けそうにもねーからさ。俺が怪我させた責任を取って代わりに仕事をしてやるよ》

 

 訊いてもいないことを、彼は一方的にペラペラ説明する。

 もうこの電話にこの男が出た時点で、パリストンにはわかりきっていること。

 

 自分の立てた計画に、割り込んで食い込んで手綱を奪って自分が最も望まない結果にするために動くという宣戦布告であることなんかわかっている。

 

 ソラにされたものと似たようなことなのに、何故かこちらは楽しみどころか無性に不愉快極まりないのは、相手が何をやらかすかわからないソラと違って、こちらはある程度ならば理解できる似た者同士だから。

 いくら挑発しようが、まったく自分の遊びに乗ってくれないくせに、自分の楽しみを邪魔され続けたから。

 

《つーわけで、よろしくな副会長。なーに、大船に乗ったつもりで任せろよ。新人ハンターのお守りくらい、な》

「…………えぇ。あなたがついてくれるのなら、確かに何の心配もいらないでしょうね」

 

 互いに白々しい言葉を交わし、表面上だけ穏やかに仕事について語り合う。

 仕事の話をしながら、パリストンは心の中で心にもないことを思う。

 

(ビヨンドさん、ごめんなさい。勢い余ってジンさんごと、壊しちゃうかも)




パリストンのキャラが難しすぎて、ものすごく難産でした。

当初は、あくまで「ソラのことを少し気に入った」程度のはずが、ヒソカとはまた別の意味でドSかつドMで構ってちゃんなパリストンの性格と、ソラの割と「好きの反対は無関心」を地で行っている性格や対応を考慮したら何かやたらと気に入ってしまったんですが……、ソラ、マジでごめん。

というかソラさん、イルミといいヒソカといいヤバい年上ばかりに好かれてるな。

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