死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

55 / 185
46:境界は越えられる

 パドキアにやってきて、ゾルディック家の掃除夫が暮らす山小屋に滞在し、ちょうど20日がたった頃。

 全員が試しの門を一人で開けられるようにもなったので、長らく世話になったゼブロやシークアントに礼を伝えて、ついにククルーマウンテンに向かったのはいいのだが……。

 

「……おい、屋敷どころか山すらまだ遥か彼方なんだが」

「本当にここ、敷地面積がヤバいよね。普通に小さな国くらいはありそう」

 

 レオリオがげんなりと歩きながら呟くと、ソラはおかしげにケラケラ笑いながらあまり笑えないことを語り、クラピカが呆れているのか戦慄しているのかこの上なく微妙な顔で、「……山小屋から屋敷までそんなふざけた距離を、お前は走って往復出来るのか」と呟いた。

 

「……これ、キルアの家に着くまでに何日か野宿しなくちゃいけないかもね」

 まさかの友達の家へ訪ねるのにありえない覚悟をゴンが決めるが、ソラは「いやいや、それはない。大丈夫」と手を振って答える。

 

「大丈夫だよ、途中で執事さんたちの寮的な屋敷がいくつかあるから」

「……一日歩いてたどり着ける距離でないことは確かなのか」

「っていうか、敷地内に寮があるのはもはやいいとして、いくつかっておい……」

 

 ゴンの心配を杞憂だという根拠をソラが説明すれば、クラピカとレオリオが予想外かつ非常識すぎる根拠に突っ込む。

 しかしそんな突っ込みは説明した本人がとっくの昔にし尽くしたことなので、ソラは軽やかに無視して、ゴンに向かって語る。

 

「それよりもゴンは、良く考えておきなさい」

「? 何を?」

 

 ソラが一度ゴンの固い髪をかき混ぜるように撫でながら与えられた忠告に、ゴンは小首を傾げながらきょとんと上目づかいで尋ね返したので、その反応にソラは呆れたようなジト目になり、ゴンを見下ろして答えてやる。

 

「って、コラ。忘れたのか君は、キルアの家族やこの家の執事に言うことがあるんだろうが」

「あ……。わ、忘れてないよ! 本当だよ、ちゃんと謝るし言うよ!!」

 

 ソラに言われて、20日前に自分が守衛室でやらかしたこととソラの説教を思い出し、慌ててゴンは弁解するが、まったくもって説得力がない。

 

 彼の性格からして、あの日の反省や謝らなくてはいけないことを忘れていた訳ではないだろう。

 ただ彼自身が、一言「ごめんね」と言われたら大概のことは一瞬であとくされなく相手を許すタイプである為、おそらくは具体的にどう謝ろうというのを全く考えていなかったし、許してもらえなければどうしようという不安も全く懐いていなかったというのは、簡単に想像がついた。

 

 人の善意や好意、良識を疑いはしないこの純粋さは美徳だ。

 しかし同時に、相手にもその純粋な善意を無自覚に強要しているような、酷く無神経な独善でもあることに、ゴンは気付いていない。

 そのあたりを自覚しろというのも難しいことはソラも良くわかっているので、彼女は困ったようなため息を一度ついてから、再度ゴンに忠告する。

 

「ゴン。前にも言ったけど、君の見ているものも君の信じているものも、間違いなく正しい。けれどそれが、誰にとっても正しいとは限らないことを忘れるな。

 そして、君と同じものを『正しい』と思いながらも、それを選べなかった人もいることも知りなさい。選ばなかったんじゃない。どうしても越えられない境界に阻まれて、血を吐く思いで諦めるしかなかったんだ。……そのことだけは、忘れるな」

 

 ソラの忠告に、言われた本人だけではなくクラピカやレオリオも首を傾げる。

 初めの「自分の『正しさ』が他人にとっても『正しい』とは限らない」という言葉は、言っている意味も何故言ったのかも普通に理解できるが、後半の意味が3人にはよくわからなかった。

 しかしソラはその後半の言葉の意味を特に語ることなく、さっさと歩を進める。

 

 彼女は語らなかった。

 試しの門もミケも、実は関門とすらいえなかったことも。

 真に最初の関門である少女のことを、事前に何も話さなかった。

 

 一度も頼まれたことなどない。それでも、キルアの名前が出た時の、痛みに耐えるような眼差しでソラはとっくの昔に知っている。

 

 ゴンと同じものを見たかったけど、見ることが許されなかった少女のことを、ソラは何も話さなかった。

 

 * * *

 

 半日ほど歩き通してやっと山の麓あたり……、半日かけても麓ではなく麓あたりまでしかたどり着けなかったが、そのあたりでようやく人影を発見する。

 

 周囲を囲む塀というにはいささか低すぎるそれは、実際に試しの門のように外敵を阻むという意味合いはない。

 これはただの、境界線。

 ここまでならば穏便に済ませてやるという、ボーダーライン。

 

 その境界にたたずむ人影が何者であるかに気付き、ソラ以外の3人は思わず呆気に取られる。

 

 仕立てのいい燕尾服を自然に着こなしているが、おそらくはゴンとそう歳が変わらない少女であることがあまりに意外だったのか、3人は目を丸くして固まった。

 しかしソラからすれば勝手知ったる顔見知りなので、一人だけヘラリと笑って手をあげて話しかける。

 

「や、カナリア。今日もご苦労様」

「こんにちは、ソラ様。お元気そうで何よりです」

 

 カナリアと呼ばれた少女はソラに対して深々と頭を下げて、実に丁寧なあいさつを交わす。

 そのあいさつで緊張や警戒が解けたゴンが話しかける前に彼女は頭をあげ、固く冷たい無機質な声音で言い放つ。

 

「出て行きなさい」

 

 ソラへの挨拶も人間味があふれる、親しみを込めたものとはとても言えなかったが、それでもまだマシだったと思い知らされた。イルミや番犬であるミケを連想させるほど機械的な声音で彼女は、ソラ以外の3人に向かって淡々と警告する。

 

「あなた達がいる場所は私有地よ。断りなく立ち入ることはまかり通らないの」

「ちゃんと電話したよ。試しの門から通ってきたし」

 

 さすがに20日前と違ってカナリアの言うことが正論であることを理解しているのと、相手が女の子だからかゴンは、以前と違ってケンカ腰にはならなかったが、それでもやはり不満が隠しきれない声音で抗議する。

 実際、出来る限り常識的な手段を事前にした上で、それを全て門前払いされたのだから、不満に思うのは仕方がないと思っているのか、今回に関してソラは何も言わなかった。

 

 ソラは何も言わないが、もちろんカナリアがゴンの抗議に納得して譲歩するわけがない。

「執事室が入庭を許したわけではないでしょう?」と、またしても正論でゴンの言い分を叩き伏すが、めげずにゴンは尋ねる。

 

「じゃ、どうしたら許可がもらえるの? 友達だって言っても繋いでくれないのにさ」

「さあ? 許可した前例がないから」

 

 嫌味ではなく素で疑問だったゴンの問いに、カナリアはいけしゃあしゃあと答えになっていない返答をする。

 さすがにこの答えには腹が立ったのか、ゴンは少し強い口調でソラを指さして反論する。

 

「ソラがいるじゃん!」

「ソラ様はゾルディック家ご子息の婚約者候補。初めからあなた達と立場が違うのよ」

「いやその立場、私は捨て去りたいんだけど! いいんだよ、私も侵入者扱いしても! っていうかいっそして!!」

「ソラ様すみません、しなくていいのなら私たちはあなたを敵に回したくありません!」

 

 ゴンの反論に即答したカナリアに、ソラも即答で否定とおかしな懇願をしだすが、カナリアは無表情をやや崩して、力強くさらに即答で却下した。

 そのとっさに零れ落ちた、年相応な人間味にゴン達3人は少しほっとするやら、この雇い主の命令ならば自決さえも躊躇しないとソラが言い切っていた使用人にすら、「出来れば相手にしたくない」と思われていることに戦慄するやら、何とも微妙な顔をする。

 

 カナリアの方も、侵入者である3人に微妙な同情らしき視線を向けられていることに気付き、一度咳払いで気を取り直し、また表情を人形じみた無表情に取り繕い、固い声音でもう一度警告する。

 

「……とにかく、ご当主であるシルバ様や、奥方のキキョウ様直々に訪問や面会の許可が出ているソラ様はともかく、あなた達3人はただの不法侵入者よ。ソラ様のお連れだからということで、試しの門付近までは見逃していたけど、ここからはもう温情はありません。

 そしてソラ様。あなたお一人ならばいくらでも、ご自由にお通りください。歓迎いたします。

 しかし、いくらあなたのお連れであっても、彼らはこのゾルディック家に訪問、滞在、そしてキルア様への面会許可は下りておりません。なので、ここを一歩でも越えたら、実力で排除します」

 

 シンプルだが宝石のような石をグリップに埋め込んだステッキを構え、3人とソラに向かってカナリアは宣言する。

 もうそこに、一瞬だが垣間見えた12歳前後の少女らしい人間味は見当たらない。

 そこにいるのは、ゾルディック家の執事。

 ソラを敵に回したくないという泣き言が嘘のように、ソラが無理やりにでも3人を連れて入るのならば、それこそ彼女に攻撃を仕掛けることも躊躇しないと、カナリアはすでに覚悟している。

 

 冷たいロボットじみた忠誠心と、揺るぎない人間的な覚悟を矛盾なく調和させているゾルディック家の執事教育に、ソラは純粋に感嘆してから笑って言った。

 

「うん。知ってるよ」

 

 そう言って、彼女は軽く背を押した。

 ゴンの背中を押して、促す。

 

 行け、と。

 

 その行動に3人はもちろん戸惑うが、一番驚いたのは実はカナリアの方である。

「ソラ様、何を!?」と叫びかけたのを何とか堪え、表情も無表情を貫きながらも、内心では「どうして?」とソラに問いかける。

 

 ソラが自分の本心に、キルアがこの家から出て行って、普通の子供らしく生きることが望みたと気付いていないのは、仕方がない。そんな望みや本音を話したことがないのだから、気付く方が異常であることなどわかっている。

 

 それでも、天敵であるイルミどころか、それこそソラを擁護するシルバ達からも敵認定されてしまうかもしれない、「キルアの友達」を連れてきてくれた彼女なら、自分の本心など関係なくゴン達が無駄に傷つくようなことはさせないと思っていた。

 

 カナリアの宣言は、覚悟は、自殺志願同然だった。

 数年前のあの日、キルアの望みを叶えてあげられなかった罪の償いとして、自分の命を代償に通行権を譲る覚悟だった。

 ソラに殺されるつもりで、今日のカナリアはここに立っていた。

 

 なのに、ソラは動かない。

 背中を押されたゴンは、唖然としながら振り返ってソラを見る。

 何が何だかわからないと言いたげな少年に、ソラは相変わらず笑っている。

 

「どうしたんだい? キルアに会うんだろ?

 あの子に会って、あの子がどうしたいか、どこで誰と何をしたいかを訊くんじゃなかったの?」

 

 笑って、ゴンに尋ねる。

 

 その言葉にゴンが一瞬、何かに気付いたように眼を見開いて、そして表情を引き締めて答えた。

「……うん」

 

 そして、今度はまっすぐにカナリアに向き合い、そのまま歩を進める。

 カナリアから見て、今までの侵入者の中で一番隙だらけのまま、武器を構えるでも、自分と戦おうとするでもなく、本当にただ友達の家を訪ねるだけといわんばかりの自然体で、こちらに向かってくる。

 そんな普通だからこそ異常な少年の行動を目の当たりにし、表面上カナリアは見習いとはいえゾルディック家の執事らしく、ステッキを構えたまま無表情。

 だが内心では、彼の行動もソラのしていることも理解できず、混乱する。

 

 キルアの友人を傷つけたくないと強く願いながら、カナリアはソラに視線を向けるが、ソラは夜空色の瞳でカナリアを見据えて微笑んだ。

 ゴンがボーダーラインを越えたらどうなるかをわかっていながら、彼女は微笑ましそうに平然と笑い、カナリアの背筋に悪寒が走る。

 

 ゴンを殴り飛ばしたのは、もはや自己防衛の反射以上に優先すべき行動として体に覚え込ませた職務ゆえか、それとも脊椎に走った悪寒(本能)に忠実に、「近寄らないで!」と拒絶しただけなのか、カナリアにはわからない。

 ソラ本人ではなくても、彼女の仲間という時点で恐ろしくなるほどに、こうなる結果をわかっていながら、あんなにも美しく微笑んだソラの真意が何もわからなくて、恐ろしかった。

 

 カナリアには、わからない。

 ソラの真意も、ゴンが何を思ってあんなにも真っ直ぐに、無防備に歩いてきたのかも。

 そして他の2人も、顔面を殴られて吹っ飛んだ少年の名を呼んで、「大丈夫か?」と心配しているのに、彼が起き上がってどう見ても大丈夫じゃないのに、「平気、大丈夫」と言い張ってまた歩いてくるのを止めない理由がわからない。

 

「手を出しちゃダメだよ。俺に任せて」

 

 そう言って、ゴンは殴られて出た鼻血を拭ってもう一度、歩いてくる。

 誰も止めない。

 ゴンより全員が年上なのに、誰も止めずにただじっと彼の行動を見守る。

 

 その異様な光景に、理解できない行動にカナリアの背にまた悪寒が走る。

「やめて!」と心の内で泣き叫びながら、カナリアはもう一度、ゴンを殴り飛ばす。

 

 そして、ゴンはもう一度起き上がって、彼女に伝える。

 

「った~~。俺達、君と争う気は全然ないんだ。キルアに会いたいだけだから」

 

 ……カナリアは知らない。

 自分の本心など、カナリアが望んでいることなど、話したことがないのだからソラにわかるわけないと思っているが、ソラはとっくの昔にそんなことお見通しであることなんて知らない。

 

 そして彼らも、ゴン達3人も気付いていることを彼女は知らない。

「キルアに会わせない」と宣言した時、ゴンが「キルアに会いに来た」と言った時、顔こそは人形のように無機質な無表情だったが、瞳があまりに有機的に、人間らしく揺れたことに3人は気付いていた。

 

 ソラが語った「越えられない境界に阻まれて、選びたかったのに血を吐く思いで諦めた」のが、この少女であることに気付いていることを、カナリアは知らない。

 

 だから、ゴンは反撃も防御もせずに無防備に歩み、そして殴られるを繰り返す。

 それ以外に、出来ることなど何もなかったから。

 彼女がそれだけの思いで諦めて守ろうとした人を、別の方法で、同じだけの覚悟で守るという意志を表すには、こんな方法しか思い浮かばなかった。

 

 そしてそれを、ソラ達3人は黙ってただ見続ける。

 止めることはゴンにとっても、カナリアにとっても、二人の覚悟の侮辱に他ならないことをわかっているから。

 

 カナリアだけが何もわからないまま、泣き出したい気持ちでただ、ステッキで殴打し続けた。

 

 * * *

 

 起き上がり、歩む。

 

 殴り飛ばす。

 

 起き上がる。

 

 歩む。

 

 近づく。

 

 踏み入れる。

 

 殴る。

 

「もう……やめてよ……」

 

 カナリアの「ゾルディック家使用人」としての仮面がひび割れて、怯えるような懇願を唇から漏らす。

 

 幾度、同じことを繰り返したのだろう。

 もうゴンの顔面は、人相が変わり果てている。

 かろうじて右目が開いているという有様で、それ以外の全てが腫れ上がり、顔面を赤黒く染め上げている。

 

 それでも、彼は決して退かない。

 挫けない。

 屈しない。

 諦めない。

 

 何度も何度も立ち上がって、歩み寄り、境界を踏み入れるくせに、それなのにゴンはそれ以外の行動は取らない。

 カナリアの殴打を受け止めるそぶりもなければ、避けようともしない。むしろ、自分からその攻撃を甘んじて受けている印象すら与える。

 

 カナリアの懇願を無視して、そのくせ顔面でカナリアの攻撃を、「ゾルディック家に対する忠誠心」を受け止め続けるゴンの行動が何一つ理解できなくて、彼女はゴンとの意思疎通は諦めて、彼の後ろに控え、無言で見守る3人に懇願した。

 

「いい加減にして!! 無駄なの!! わかるでしょ!!

 あんた達も……ソラ様も止めてください!! 仲間なん……」

 

 しかしその言葉は、途中で途切れる。

 3対の目が真っ直ぐに、カナリアを見据える。

 

 2対の眼は、レオリオとクラピカの目は、カナリアに問う。

 カナリアが被っていた、今は見る影もない人形のような無表情を彼らも被り、ただ眼だけが言葉にするよりも鮮烈に、彼女に問いかける。

「その程度か?」と、彼女の覚悟を問う。

 

 侵入者に自分の覚悟を裁定されるような目で見られるというだけで、カナリアからしたらまったく理解できない状況だというのに、もう一つの眼はさらに彼女の理解の範疇にはなかった。

 

 ミッドナイトブルーの眼は、ソラの眼は相変わらず笑っていた。

 微笑ましいものを見るように、彼女だけがどこまでも穏やかに笑っていた。

 笑ったまま、その微笑みにふさわしい柔らかな声音で、彼女は問いかける。

 

「どうしたの?」

 

 それは、カナリアに問うたのか。ゴンに問うたのか。

 

「ねぇ、どうしたいの?」

 

 どちらへの問いかけかは、わからない。

 ただ、答えたのはゴンの方だった。

 

「……なんでかな」

 

 殴られ続けて1時間近く経ち、ようやくゴンが口にしたのは疑問。

 

「友達に会い来ただけなのに……」

 

 理解できない不条理に対する怒りとやるせなさを込めた疑問を口にする。

 

「キルアに会いたいだけなのに……」

 

 ただただ、彼の顔と同じくらい悲痛な願い。

 それが叶わないことよりも、叶わない理由がわからないことの方が悔しくてたまらないと言いたげに、彼は叫ぶ。

 

「どうして……()()()()こんなことをしないといけないんだろう」

 

 同じものを見たかった、同じ願いを懐いているはずなのに、20日前の電話で会話を交わした執事と違って、彼女とは間違いなく分かり合えるはずだったのに……

 

「なんで、こんなことをしなくちゃいけないんだ!!」

 

 互いに一番したくない方法を取らなければならない不条理が、無性に悲しくて、悔しくて、やるせなくて、腹が立って、自分たちをそうさせた「境界」が許せず、初めてゴンは拳を振るった。

 

 ……カナリアにではなく、彼女の傍らの石柱に。

 自分達と彼女のいる場所を隔てる、境界の一部を破壊する。

 

 ゴンの行動が唐突なのか、ようやく起こした当たり前の行動なのかも、カナリアにはもう判別がつかない。

 もう、自分が何をすればいいのか、何がしたかったのか、自分は何を覚悟していたのかがわからない。

 何もわからなくなったまま、縋るようにステッキを握りしめるカナリアに、ゴンは声を掛ける。

 

「ねぇ……もう、足……入ってるよ。……殴らないの?」

「あ……」

 

 ゴンに指摘されてようやく、カナリアは彼が境界に踏み入れていることに気付く。

 気付く。

 気付く。

 気付いている。

 

 ……なのに、ステッキを振れない。

 ゴンを先ほどまでと同じように、殴り飛ばせない。

 

 答えを出せない。

 

 ソラの「どうしたいの?」という問いの答えも。

 ゴンの「どうしてこんなことをしなくちゃいけないの?」という疑問の答えも、カナリアは答えられない。

 出せない。

 

 だって、カナリアは……

 彼女の答えは――

 

 

 

「君はミケとは違う」

 

 

 

 ゴンが答えた。

 

「どんなに感情を隠そうとしたって、ちゃんと心がある」

 

 何も言えない、何もわからなくなっているカナリアの代わりに、本人だけがわからなかった、彼女以外の全員が、初めからわかりきっていた答えを教えてやる。

 

「キルアの名前を出した時、一瞬だけど目が優しくなった」

 

 その答えに、カナリアの心が決壊する。

「ゾルディック家執事」として作り上げていた心の城壁が崩れ、ただ一人の少女、「カナリア」としての願いが、答えが涙と一緒に零れ落ちた。

 

『なんだよー。いいからさー、俺と友達になってよー』

 

 あの日、叶えたかった願いを見捨てることしかできなかった自分に残された、ただ一つの贖罪(ねがい)を祈るように懇願する。

 

 

 

「お願い……、キルア様を助けてあげて」

 

 

 * * *

 

 パンッ! と何かが弾けるような音がした。

 その音を認識すると同時に、気付く。

 

「~~痛ぁぁぁっっ!」

 

 瞬間移動でもしたのか、いつの間にかカナリアの傍らまで移動したソラがちょっと涙目になって、どこかに思いっきりぶつけて痛みを紛らわせるように右手をブンブン振っている。

 状況が理解できず、ソラ以外の全員が目を丸くして彼女に注目していたら、「あら、ソラさんごめんなさい」と、どこか金属質なイメージのある声が降りてきた。

 

 その声がした瞬間、カナリアの顔から色が失せて、ソラの方は少し赤くなった手を摩りながら、非常に面倒くさそうな顔になる。

 二人の女がほぼ真逆の反応をしていることに気付かず、警戒心をあらわにゴン達3人は声がした方、山の斜面に視線を向け、そしてまた目を丸くする。

 

「けれどソラさん。貴女がお優しいのは知っていますし、そんな優しい子が義理の娘になってくれたらこの上なくうれしいですけど、使用人、それも見習いなど庇わなくてもよろしいのよ?

 全く、使用人が何を言ってるのかしら。まるで私達がキルをイジメてるみたいに。ただのクソ見習のくせして、失礼な」

 

 山の中に12歳ほどの燕尾服の少女も、なかなか場違い感が半端なくて違和感の塊だったが、それ以上に違和感の塊がそこにいて、思わず3人はどんな反応が正しいのかわからず、言葉を失ってただそこにいる人物を眺める。

 

 貴婦人の見本と言わんばかりに豪奢なドレスを着た女性と、女児用振袖を着こなしたおかっぱの、少女にしか見えない少年。

 もうこれだけで、現実なのに出来の悪い合成写真じみた違和感の塊であるが、何より違和感なのはドレスの女性が顔につけているもの。

 女性の顔は毒々しいくらいに赤い唇、そして形の良い高い鼻でおそらく美人だと思わせるが、断言できない。

 唇以外は包帯で顔全体が覆い隠されているうえに、包帯の上からやたらとごついモノアイのスコープを装着してるからだ。

 

 森だのドレスだの関係なく、たいてい誰がどのような状況で装着していても違和感でしかないものをナチュラルに、もはや体の一部ですが何か? と言わんばかりにつけている女……、ゾルディック家当主の妻、キキョウに対してソラは面倒くさそうにため息をついてから、彼女の言葉に対して意味はないと知りつつも、顔面蒼白で怯えるカナリアを庇うように背にやって、反論する。

 

「私は優しいんじゃなくて、カナリアが好きだから庇っただけですよ。って言うか、使用人だからって問答無用で鉄拳制裁はパワハラですよ、キキョウさん」

「あらあら、相変わらず謙虚な方ですね」

 

 予想通り話を聞いているのに聞いていないキキョウに、ソラはもう一度ため息をつく。

 この家でソラにとって一番の天敵はイルミで間違いないが、実は一番関わりたくないのはイルミよりキキョウだったりする。

 防戦と逃亡に全力を注げばこちらに分があり、会話そのものも向こうにする気があるなら成立するイルミより、敵意がない分ソラも本気で逃げ出せず、そして会話が成立しない彼女の方が、ソラからしたら精神的に色々削られるから苦手な人物だ。

 

 ソラが呆れているのか諦めているのか、自分でもよくわからない感情をこめた溜息をついていると、ゴン達がそれぞれ小声で「ソラ、あの人誰?」と尋ねる。

 

「……キルアの母親のキキョウさんと、末っ子のカルトだよ」

 ソラが答えてやるとキキョウはキュイン! と音を立てながら、モノアイの照準をゴンにあわせ、カルトの方は不愉快そうにゴン達3人とソラを睨み付けた。

 カルトは睨み付けたまま何も言わないが、キキョウの方はしばしゴンを眺めてから穏やかに、けれどイルミの母親であることを表すような、無機質な声音で彼に語りかける。

 

「あなたがゴンね。イルミから話は聞いてます。3週間くらい前からあなた方が庭内に来ていることも、キルに言ってありますよ」

 

 キルアの名前が出て来て、ゴンはかろうじて腫れがマシな右目を見開く。

 そのまま、キルアが今どうしてるか、キルアに会わせてほしいという質問や懇願をゴンが口にする前に、キキョウは表面上穏やかなまま、一方的に言いたいことを言い捨てる。

 

「キルからのメッセージをそのまま伝えましょう」

 

 

 

『来てくれてありがとう。すげーうれしいよ。……でも、今は会えない。

 ごめんな』

 

 

 

 伝言を聞き、3人の顔は一気に険しくなる。

 おそらく、伝言そのものは事実だろう。もしもこの家の住人が勝手にキルアの伝言を捻じ曲げたり、捏造をしているのならば間違いなく、「うれしい」などという言葉はない。

 ただただゴン達を傷つける内容になっていることが、目に見えている。

 

 だからこそ、これが本当にキルアが口にした言葉であることを確信したから、許せなかった。

 

 キルアは自分たちに会いたくない訳じゃない。

「今は、会えない」という言葉で、それが痛いくらいにわかる。

 

 どれほどの痛みに耐えて、諦めて、けれど諦めきれなくて、いつになるかわからなくても必ず会いに行く。会いたいという思いが込められているのかが、わかってしまった。

 

 それほど自分たちと会うことを望んでくれているのに、伝言をそのまま伝えるくせに、その言葉の本意を全く理解していない、していても叶える気がない母親に、ゴンは何とか内心の不平不満を堪えて、質問した。

 

「キルアが俺達に会えないのは、なんでですか?」

「独房にいるからです」

 

 即座に返された答えに、もう何度目かわからないが、またしても3人は言葉を失う。

 3人のドン引きにキキョウは気付いていないのか、気にしていないのか、やはり彼女は会話そのものは成立しているのに、意思疎通はどこまでも全く成立しないまま、淡々とゴンにキルアの現状を伝える。

 

「キルは私を刺し、兄を刺し、家を飛び出しました。しかし、反省し自ら戻ってきました。

 今は、自分の意志で独房に入っています。ですからキルがいつそこから出てくるかは……! まぁ、お義父さまったら!! なんでジャマするの!? だめよ!! まだつないでおかなくちゃ!」

 

 いきなりまたモノアイがキュインと音を立てて動いたかと思ったら、キキョウがヒステリックに叫び出して3人は更に困惑する。

 そんな3人にソラは疲れたような声音で、「あのスコープはたぶん屋敷の監視カメラとかと連動してるから、独房の様子でも映ったんじゃないの?」と説明する。

 

 ソラの説明で納得はしたが、キキョウはソラが説明していることに気付かず「全くもう、なんてことを」と、義父に対しての不満をぶつぶつ言いながらスカートをつまみあげて翻し、やはりどこまでも無機質にいけしゃあしゃあと、一方的に言い捨てる。

 

「私、急用が出来ました。では、これで。また遊びにいらしてね」

 

 本当に遊びに来て欲しいわけではないだろう。どこまでも空々しい言葉に反感を覚えながらも、それでもゴンは耐えて、キキョウに呼びかける。

 

「待ってください。俺達、あと10日くらいこの街にいます。キルアくんにそう伝えてください」

 

 さすがに無視はしなかったが、キキョウは早く話を終わらせてすぐさま屋敷に帰りたいと言わんばかりの早口で応える。

 

「わかりました。言っておきましょう。それでは……」

「キキョウさん」

「あら。なんでしょうか、ソラさん」

 

 しかしソラが話しかけると、機嫌良さそうに翻していた体をこちらに向きなおして応じる。

 歓迎している客人としていない侵入者の違いを露骨に表す相手に、ソラはまたうんざりとしたため息をついてから、通じなくても言っておきたいことをこちらも彼女と同じように、一方的に言い放つ。

 

「いじめは、被害者が『いじめだ』と認定するものだ。加害者側がどんな感情をこめていても、それが正しく伝わっていないんなら意味なんかない。何もしない方がマシなくらいだ」

 

 ソラの言葉に、笑みの形を作っていた唇が強張った。

 その反応を無視して、ソラは言う。

 夜空色の眼を、徐々に蒼天に変化させながら。

 

「キキョウさん。私、キルアのこと大好きだから、好きで好きでたまらないから……だから、気を付けてくださいね。

 ――あの子の敵は、誰であろうとも例外なく私の敵だ」

 

 ゾルディック家から気に入られて、例外的に歓迎されているのに、それらが完膚なきまでに壊れてもおかしくない宣言を言い放つ。

 

 数秒、沈黙が落ちる。

 ソラ自身が今すぐにキキョウから敵認定されても仕方がない発言だったので、つい先ほど起こったヒステリーがいつ彼女に向けられるかわからず、ゴン達だけではなく、カナリアもカルトも「どうして今、そんなことを言った!?」と叫びたいのを我慢して、ソラとキキョウ、二人の女のお互いの出方を見計らう。

 

「……ふふっ。ありがとうございます、ソラさん。そこまであの子を大切に思ってくれているのなら、安心だわ」

 

 沈黙は、キキョウのどこかのんきな発言で破られた。

 自分がソラからほとんど敵認定されていることに気付いていないのか、それとも気付いた上での発言か。

 気付いているのならば、自分を殺してみろという挑発なのか、それとも暗殺一家当主の妻を敵に回しても、自分の息子を守ろうとしていることが本気で嬉しいのか、全く分からない。

 

 実の息子も横で「は?」と言わんばかりの顔をしているのだから、当然ソラもこの反応は予想外らしく、青い眼のまま「もう本当にヤダ、この人」と言いたげな顔で「……どーも」と、適当極まりない相槌で締めくくった。

 

「それでは、皆さまごきげんよう」

 割と本気で機嫌良さそうにキキョウはそんなあいさつをして、そのままあのやたらと重そうなドレスで走り去る。彼女も暗殺者としてのエリートなのだなと、妙な感心を覚えさせるほど、静かでありながらすさまじいスピードだった。

 

 嵐のように立ち去って行ったキキョウを、ゴン達は茫然と見送ってしまう。

 イルミの話で強烈な母親であることはわかっていたが、ソラでもペースを保てないどころか乱される人物だと考えると恐ろしい。

 3人がそんなことを考えていたら、「ソラ!」という女の子のように高い声で、まだ一人そこに残っていることに気付く。

 

「カルト」

 

 ソラが呼びかけると、カルトは唇を尖らせて、「ふん!」と鼻を鳴らした。

 ソラから少し話を聞いていた、ゾルディック家の末っ子。ソラ曰く「可愛い黒猫の子猫」な少年は、確かに髪の色やさらさらとした真っ直ぐな髪質からか、第一印象はイルミによく似ている。特にキキョウと一緒に現れた時の無表情は、まさしく日本人形そのもので、全員の正直な感想は不気味としか言いようがなかった。

 

 だが、今現在のソラに対して拗ねるように少しだけ頬を膨らませて睨む、年相応の子供らしい反応や表情は、キルアによく似ていた。

 カルトはゴン達を完全に無視して、ソラを睨み付けながら口にする。

 

「ソラ……お前は……お前は!!」

「ん?」

 

 小さな拳を握りしめて、何かに怒りながらソラを問い詰めようとするカルトに、ソラはきょとんとした顔で小首を傾げる。

 彼女のその仕草に、自分が何に怒っているのかを全くわかっていないことが気に入らないのかカルトの頬が紅潮するが、結局彼は自分の怒りをソラにぶつけることが出来なかった。

 

「カルトちゃん、何してるの? 早くいらっしゃい!」

「! はい、お母様」

 

 もうとっくの昔に姿は全く見えなくなったキキョウが、ようやくカルトがついて来ていないことに気付いて呼びかけ、カルトは慌てて返事する。

 そしてカルトは一度、まずはゴン達3人を睨み付けてから、ソラに向かって「ソラの馬鹿!!」と実に子供らしい理不尽な罵りをして、去って行った。

 

 母親同様、嵐のように去って行った末っ子に思わずクラピカが、「……何だったんだ?」と、小さな背中を見送りながら呟いた。

 ゴンやレオリオも同じことを思っていたのか、クラピカの呟きに思わずうなずいていた。

 ソラは、いつの間にか藍色に戻った目を細めて、ただ見ていた。

 その横顔をカナリアは見上げながら、悟る。

 

 ソラはおそらくカルトが何に対して怒っていたか、何が言いたかったかをわかっていない訳ではなかった。

 彼女の意図など何もわからないが、何かしら思うことがあって恍けていたのだろう。

 それくらいはカナリアにもわかる。

 

 声はなく、ただ唇を動かしただけ。

 けれどカナリアにはそれが、「ごめんね」であることがわかった。

 

「言っちゃなんだが、薄気味悪い連中だな。キルアが『自分から』ってのもウソくせぇ。

 ゴン、このまま戻るのは癪だぜ。ムリにでもついていかねーか?」

 

 数秒間、茫然と見送ってからレオリオがようやく現状の認識に整理がついてゴンに提案するが、ゴンはちらりとカナリアに視線を向けて首を振る。

 

「うん……でも、そうするときっと彼女が責任を取らされるような気がするから……」

「あ、そうか」

「というかソラ! 手は大丈夫なのか!?」

 

 ゴンの言葉であの時、カナリアが本音を吐き出した直後の不可解な音は、キキョウがカナリアに対して「仕置き」として放った攻撃か何かを、ソラが手で弾いて庇った音であることにクラピカが今更気づき、カナリア含む全員がソラに怪我の有無を尋ねるが、本人は「あー平気平気」と、既にアザどころか赤みさえもない手を振って見せる。

 

「私より普通にゴンが重傷だよ。大丈夫?」

 

 ソラが改めてこちらも今更なことを尋ねると、ゴンは顔面の9割方がボッコボコなのにもかかわらず、朗らかに笑って「大丈夫だよ!」と言い切り、むしろカナリアの罪悪感を増幅させる。

 しかし全く説得力のない顔で、説得力満載の表情で言い切ったゴンがおかしかったのか、ソラを筆頭に3人がまず吹き出して笑い、それにつられてカナリアも少しだけ笑ってしまう。

 

 ゴンは自分が笑われた理由がわからずきょとんとしているのがさらにおかしいのか、ソラは涙がにじむほどに笑いながら、彼の頭をクシャリと撫でた。

 

 撫でて、笑いの合間に言った。

 

「ゴン。よく我慢したね」

 

 一瞬、何のことかはわからなかった。

 数秒ほど考えて、それがキキョウとのやり取りであることに気が付いた。

 

 キキョウの言い分が許せなかった。「キルアを返せ!」と叫びたかった。

 その発言こそが「許せない」と思っている奴らと同じ、キルアをまるで自分の所有物のように扱う発言であることはわかっているけど、そんな気持ちでいっぱいだった。

 

 それでも、耐えた。

 ゴンからしたら何も理解できない、キルアを傷つけるだけの酷い言い分でしかなかったけれど、キキョウにはキキョウの、キルアの母としての愛情で、キルアの幸せを願って守ろうとしていると思ったから。

 それは決して、非難も否定もしてはいけないものだと教えられたから。

 

 分かり合えなくても、目指すところが同じならば、妥協や譲歩出来るかもしれないから。

 それをしてもらうには、こちらの誠意が必要だから。

 

 ソラに叱られて教えられたことを忘れず、取りこぼさずに実行できたことを、ソラは褒めた。

 晴れやかな、雲一つない蒼天のような、彼女の名にふさわしい笑顔で褒められて、ゴンも笑う。

 

 顔が痛むのも本気で忘れて笑い、ソラに抱き着いて彼も言う。

 

「ソラ! 俺が言いたかったことを言ってくれてありがとう!!」

 

 キキョウの愛情そのものは否定しなかったが、ばっさり「意味が無い」と切り捨てた。

 こちらが誠意を表しても、何一つとして譲歩も妥協もせず、キルアの意志を無視して自己愛同然の愛情を押し付けるつもりなら、こちらも強硬手段を取る。

 

 そう宣言したソラの言葉は、まさしくゴンが言いたかったけれど怒りで頭がグチャグチャになって、うまく言葉にまとめられなかった、言葉にならなかった思いそのもの。

 

 ソラは抱き着いてきたゴンの頭を、笑顔のまま撫でた。

 20日前は、ゴンの勘違いだった。

 けれど今回は、正しかった。

 

 ソラはキルアとゴンの為に言ってくれた。

 

 * * *

 

「あそこよ」とカナリアが指さす方向にある屋敷に、思わずソラ以外の3人は絶句する。

 どう見ても普通に豪邸と言い切っていい屋敷を、彼女は指さした。

 ……そこが執事用の住まい、寮みたいなものだと彼女は言った。

 

 結局4人は町に戻ることもしなければ、キキョウを追ってゾルディック家本邸に向かうでもなく、カナリアの提案である、「執事室まで行って、屋敷直通の電話を使う」という手段を取ることにした。

 カナリアとソラ曰く、キルアの祖父にあたるゼノという前当主が、ゾルディック家の中で比較的気さくで話しやすくキルアにも甘いので、彼に電話が繋がれば交渉が可能かもしれないらしい。

 

 キキョウの唐突な独り言でも、独房からキルアを出したのはそのゼノらしいので、確かに可能性はありそうだと判断してゴン達は向かうが、そのゼノはともかく他の家族や執事達がどう思っているのかが不安なのか、レオリオが「いきなり執事全員から襲い掛かられることはねーだろうな」と、ソラに訊く。

 

「キキョウさんのあの様子だと、君たちからしたらムカつくかもしれないけど、ほとんど相手にしてないから、たぶん何の命令も出してないんじゃない?

 執事さんたちの個人的感情はわかんないけど、さすがに命令なしで私を敵に回す奴はいないと思うし」

「そうですね。間違いなく命令なしでソラ様を敵に回す者はいないと思います」

 

 ソラの言葉にカナリアは即答で深く同意して、クラピカがやや怒ったように「ソラ。お前本当にここで何をした?」と尋ねれば、「……私は悪くないもん。イルミの奴が悪いんだもん」と、豪快に目を逸らしてソラは言い張る。

 

 実際にそうなのだが、詳しくは語らず誤魔化す気満々なソラをクラピカが問い詰めるようとするが、その前に全員が人の気配に気が付いた。

 

 執事用の住まいと言われた屋敷の前に5人、人が立っていた。

 ソラの予想が外れたのか、それともキキョウが帰ってから何かがあったのか、とっさに3人とカナリアは、執事達に敵認定されたのかと思って身構えた。

 

 しかし、殺気や敵意に敏いソラからしたら、彼らが出迎えた理由は自分さえも敵に回して、侵入者を始末するためではないことなど一目瞭然だった。

 だから彼女は、遠慮なく突っ走って突っ込んだ。

 

「ゴトーッ! 歯ぁ食いしばれ!!」

『!?』

 

 屋敷前で待ち構えていた5人の執事を見た瞬間、とてつもなく不吉な前置きをしながらソラは、ゴン達3人やカナリアが止める間もなく弾丸のような勢いで走って行き、そして見事に決めた。

 

「だらっしゃっぁーっ!!」

 

 並び立って待っていた執事のうち、中央に立っていたリーダー格、眼鏡の男の胸に見事なとび蹴りを決めてふっ飛ばす。

 とび蹴りを決められた男……ゴトーの方も、彼女がたかだか20日程度で、あそこまで怒って予告していた言葉を忘れる訳がないと思って覚悟をしていたのか、それとも諦めの境地だったのか、さすがにオーラで体全体の防御力を底上げはしていたが、特にガードもせずに甘んじてとび蹴りを受けて吹っ飛び、屋敷の壁に激突した。

 

 その光景を、ゴン達はもちろんゴトーほど本気で覚悟も予想もしていなかった執事も唖然として固まるが、やらかした張本人は一仕事終わったことで実にすっきりとした顔になって、笑顔で振りむいてゴンに言う。

 

「ふぅ。あ、ゴン。この人が電話で『キルアに友達はいません』って言った奴だから。言いたいことがあるならどうぞ」

「ソラが何かごめんなさい!!」

「あれっ!? 謝る内容私のことだっけ!?」

「今のを見てお前のやらかしたことについて謝らない方が気まずいわ!!」

 

 ゴンが思わず自分が20日前に言い出したことより先に、ソラのとび蹴りについて謝ったことにソラが突っ込むと、クラピカが割と本気でキレながらさらに突っ込み返す。

 が、屋敷の壁にひび割れが出来るほどの勢いで吹っ飛ばされたゴトー本人がケロッとした顔で立ち上がって、「いえ、これは私があまりに主人に対して無礼な発言をしたからであり、当然の報いなのでお気になさらず」とソラをフォローされて、3人は言葉を失う。

 

 初めからわかっていたが、やはりゾルディック家(この家)には普通の人間はいない。そして基本的に突っ込み不在の魔境であることを思い知らされた。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。