死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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40:流星のような

「キルアにあやまれ」

 

 合格者が講習を受けている会議室に入って、まず初めにゴンはイルミに向かって言った。

 しかし相手は、ゴンに視線さえも向けずに人工音声じみた棒読みで訊き返す。

 

「あやまる……? 何を?」

 

 その言葉にも表情にも、サトツから聞いたような人間味は見当たらない。

 4次試験でヒソカとのやり取りを盗み見ていなければ、サトツの話は嘘だったのではないかと思えるくらい無機質な相手に、ゴンはわずかに悲しむような憐れむような顔をして訊いた。

 

「そんなこともわからないの?」

「うん」

 

 どこか縋るようにゴンは尋ねたが、やはりイルミは揺るがない。

 そんなイルミにゴンははっきりと宣言する。

 

「お前に兄貴の資格はないよ」

「? 兄弟に資格がいるのかな?」

 

 ゴンの言葉でイルミは傷つかない。何を言っているのかを、理解できていない。

 キルアが傷ついたことを理解していても、理解してるからこそ的確に傷つけたくせに、傷つけた自分を本気で悪いとは思わず、兄弟であることは変わらない、変えられないと語るそのあまりに無神経な言葉に、ゴンは静かに、しかしはっきりとキレた。

 

『!?』

 

 受験生たちが驚愕する。

 ゴンが、唐突に右手一本で身長が180超えしているイルミの右腕を掴んで、そのまま投げ飛ばす勢いで持ち上げた。

 もちろんイルミが無様に投げ飛ばされるわけもなく、何事もなかったかのように着地するが、そもそもいくらゴンを全く相手にしていなかったとはいえ、ゴンが敵意を持って現役暗殺者の腕を反撃されず掴めたことが奇跡に等しい。

 

 イルミも顔は相変わらず表情筋が死んでいるが、器用に目だけは「信じられない」と語る。

 

 かなりの快挙を成し遂げたと言っていいことをしたゴンだが、彼自身はそんなことに興味ない。

 ただ、今にも殴りつけたい衝動を抑えて、言わねばならないことをイルミに告げる。

 

「友達になるのにだって資格なんていらない!!」

 

 イルミに理解してもらおうとは思っていない。ただ、知らないままでいるのは許せない。

 どんなにイルミが傷つけてもキルアがイルミの弟であることが変わらないというのなら、自分も例えどれほどキルアに裏切られても、キルアの友達であることを宣言した。

 

 ゴンも、キルアが裏切らないと思ったから好きになったわけではないから。

 ただ彼と一緒にいるのが楽しかったから、勝手に信じて好きになっただけだから。

 

 だから、それだけを宣言してゴンはもうイルミをキルアに謝らせようだの、イルミの考え方を変えさせようと思うのはやめた。

 それよりもやらなければいけないこと、やりたいことがあったから、ゴンは抑えきれない怒りをイルミの腕を握りつぶさんばかりに……、実際すでに骨を折っているほどに強く握ることで発散しながら、彼の腕を掴んだまま背を向けて言う。

 

「キルアのところへ行くんだ。

 もうあやまらなくたっていいよ。案内してくれるだけでいい」

「そしてどうする?」

 

 腕を握力で折られていながらも、やはりイルミの表情筋は仕事をせず涼やかに尋ねると、ゴンは「決まってんじゃん」と言わんばかりの顔で即答した。

 

「キルアを連れ戻す」

「ゴン、ストップ」

 

 しかし、ゴンの意見はイルミではなく意外なところから止められた。

 その声にイルミの鉄面皮が一瞬わずかに歪んだが、彼は聞こえなかったフリをして無視する。

 ゴンは、爆発寸前の怒気を散らしてややポカンとしながら名を呼んだ。

 

「……ソラ?」

 着替えがなかったのか、襟や袖口に特徴的な文様の刺繍が施されたややサイズが大きい、おそらくはクラピカの物と思われるシャツを着たソラが、イルミから一番離れた席から立ち上がって、青い瞳をゴンに向けて言った。

「それ以上はダメ。やめなさい」

 

 その言葉に、ゴンは「何で止めるの? 何でそんなこと言うの?」と言わんばかりに悲痛な顔をするが、ソラはゴンの表情が見えていないからか、それとも見えていても同じなのか、無表情で言葉を続ける。

 

「ゴン、キルアは自分の意思でここから出て行った。ハンターの資格をあきらめて家に帰ったんだ。誘拐されたわけじゃないんだから、連れ戻すとか言っちゃダメだ」

「! 自分の意思じゃない! キルアは操られてたようなものだよ!! 誘拐と一緒だ!!」

「あの子は君が思うほど、殺人を厭ってないよ」

 

 イルミを擁護するような言葉にゴンは反論するが、ソラは淡々とゴンの反論をとんでもない一言で打ち返す。

 ゴンはもちろん、他の受験生たちも絶句してる中、ソラは平然とゴンに語る。

 

「別にキルアはヒソカと違って、人殺しを楽しいとかそんな性癖ないし、倫理や道徳が極端に薄いのはゾルディックという特殊な環境の所為。そのことを責めるのは、もちろんお門違い。子供は生まれてくる家も親も選べないんだから。

 厭っていないというより、厭うという発想を得ることすら出来なかったという環境だったのは同情に値するけど、同情以上の感情を抱くのは過剰だ。

 

 ゴン。あの子は君と友達になりたがってるし、もう殺し屋も嫌だと思っているのは本当。でもそれは、今までになかった選択肢が目新しいから選んだけの、一時的な感情である可能性だって十分にある。

 少なくとも、あの子は君が思ってるより実家も家族も好きだよ。父親を尊敬して憧れてるし、弟を可愛がってる。だから、よく考えた結果やっぱり家を継ぎたいと思ってもおかしくない。

 君の言ってること、君のしようとしたことは、イルミとはベクトルが真逆なだけで、結局は『キルアに自分の希望を押し付けてる』ってことだ。

 

 君が本気でキルアを思って、キルアの幸せを願って言ってることも、しようとしてることもわかってるけど、キルアを理由に自分の怒りを語るな。

 あの子の幸せも、あの子の未来も決めるのはキルア自身だ。その道を一つでも潰そうっていうのなら、誰であっても私が許さないよ」

 

 ソラの言葉に何か言い返そうゴンは努力するが、ゆったりとした語りだったので途中で自分の言葉をねじ込もうと思えばどこでもねじ込めたのに、結局ゴンは何も言い返せずに、次第にしょんぼりとテンションを落として俯いた。

 

 ソラに言われるまでは、イルミや他の家族によってキルアが無理やり人殺しをさせられていたと考えていたが、トリックタワーのジョネスとの戦いとも言えなかった戦いを思い返せば、彼は何の躊躇いもなければ悪びれもせず、罪の意識もなく相手を殺していた。

 抉りだした心臓を握りつぶす際は、薄ら笑いさえも浮かべていた。

 

 別にヒソカのように好き好んで積極的に誰かを殺そうとしたことはないので、ソラの言う通りキルアに殺人という特殊かつ異常な趣味嗜好はないだろうが、逆に言えばキルアにとって他人の心臓を抉り出すのは、ネテロと行ったゲームとさほど変わらない。

 成功したら満足、失敗したらつまらない。自分から積極的に行いはしないが、仕事や試験だの、もしくは誰かから誘われたら気安く気楽に行える、その程度の認識でしかないのだろう。

 

 殺し屋をやめたいのも罪の意識ではなく、ただ単に今まで見たこともしたこともない目新しい何かに惹かれているにすぎないのも、おそらく事実。

 間違いなく彼の願いも夢も本心ではあるが、それが一生続くものである保証などどこにもない。

 

 何より、ソラの言う通り本当にキルアが家族のことを決して嫌っていないのなら、それこそゴンの言ったこともしようとしたことも、余計なお世話どころか恩着せがましい迷惑でしかない。

 どんなに喧嘩をしても、今はそこにいたくないとしても、彼の帰る場所がそこであるのならば、ゴンのしようとしていることこそが誘拐だ。

 

 ソラの言う通り、自分の考えも自分のしようとしていたことも、それはキルアの意思ではない。「キルアの為」を免罪符にした自分の願望の押し付けで、まさしくイルミがしたこと、してきたことと同じであることを突き付けられ、ゴンは素直に反省し、掴んでいたイルミの腕を離してソラに向かって謝った。

 

「……ごめん、ソラ。俺、間違ってた。俺に怒る資格なんかなかった」

 

 思い込んで決意したらブレーキなしで突っ走るゴンだが、基本は素直なので納得さえすればハンドル操作が容易いのが幸いして、ゴンは怒りの矛を収めて、周囲も緊迫した空気が納まったことにホッと胸を撫で下ろす。

 が、ここで終らないのがソラクオリティ。

 

「いや、怒る資格は普通にあるよ。つーか私が止めたのは、キルアの選択肢を勝手に決めんな、キルアを言い訳に使うなであって、君がイルミに怒るのもケンカを売るのも止めやしないよ。それは君の自由。

 むしろ応援する。さあ! そこの能面を好きなだけボコれ!! ってうおぅ!?」

「えぇ!?」

 

 まさかの、別にゴンVSイルミの一触即発なバトルは全く止める気がなかった、それどころか煽る発言に、ソラの存在そのものを完全無視していたイルミが彼女の方を見もせずに針を一本投げつけ、ソラはその針を目が見えていないことなど嘘のように掴んで受け止め、ゴンはゴンでソラの発言かイルミの行動か、どっちに驚けばいいのかわからず困惑する。

 

「何すんだよ!? キルアが大人しく帰れば殺さないって言う取引はどこ行った!?」

「それぐらいで死ぬようなら、既に1万回は死んでるだろうが」

「ソラ。座れ。そして黙れ。さすがに今のは、お前が全面的に悪い」

 

 針を投げ返してソラが抗議するが、イルミはやはり視線も向けず、しかしゴンと話していた時と打って変わってものすごく苛ついた声で即答し、ソラの隣に座っていたクラピカもソラの頭を押さえつけて、無理やり着席させた。

 ゴンの方も完全に毒気が抜かれたのか、まだ少しあった反感で謝る気がなかったイルミに対する謝罪を、困惑しつつも素直に行った。

 

「……えーと、何ていうか色々とごめん」

 自分の一方的なわがままと怒りの責任転嫁による暴力、あとゴンが謝る必要はないが一応ソラの空気を読まないボケに対する謝罪だったが、どちらもイルミには興味がないらしく、相槌さえも打たずに彼も着席する。

 その辺の反応はすでに予測していたので、ゴンは別に腹を立てず言葉を続けた。

 

「でも、俺のすることは変わらないよ。キルアを連れ戻すなんてもう絶対に言わないけど、キルアに会いに行く。

 そして、キルアがどうしたいかを直接聞く。

 キルアが家に残りたい、やっぱり殺し屋もやめたくないし家を継ぎたいって言うんなら、俺はもう何も言わないで帰るけど、家を出たい、殺し屋をやめたい、ハンターになりたいって言うんなら俺は、誰を敵に回してもキルアを連れだすよ。

 

 それと、キルアの答えがどっちであっても、俺はキルアの友達だ。だから、キルアが俺を嫌わない限り、俺がキルアの家に来て欲しくないと思われない限り、何度だって訪ねるよ。友達の家に遊びに行くのは、普通のことだから」

 

 ゴンの宣言に、イルミは無反応を貫き、ソラは何も言わなかったが笑った。

 笑ってゴンに向かってサムズアップした瞬間、また針が飛んできたのをもはや全員が見なかったことにした。

 

 * * *

 

「ソラ。キルアがどこに向かったかわかる?」

「どこも何も普通に自宅だと思うけど? パドキア共和国って国のククルーマウンテン」

 

 講習が終わって早速、ゴンがソラにキルアの行先を尋ね、ソラの方も普通に即答する。

「ここからなら飛行船で三日ってところかな?

 ククルーマウンテンはともかく、国そのものは一般人でも普通に入国出来る治安や情勢も悪くない国だから、今日の内にでも出発できるよ。どうする?」

 

 ソラの問いにもちろんゴンは即答で、「今すぐ行く!」と勢いよく答える。

 その答えにソラだけはなくクラピカやレオリオも笑って、さっそく飛行船の手続きをするためにPCルームに向かう。

 ゴンやソラだけではなく、ナチュラルにクラピカとレオリオもゾルディック家に向かうのが決定事項となっていることに、突っ込む無粋な者はこの場にいなかった。

 

 代わりに、PCルームに向かう途中でゴンがソラに話しかける。

「……ねぇ、ソラ」

「ん? どうかした?」

 

 本当に目が見えていないのか疑うほど、逆にソラを気遣って歩くクラピカの方がよっぽど危なっかしく感じるほどしっかりした足取りで歩いていたソラが振り返る。

 なんだかいつもよりも純度が高くて透き通り、何もかも見透かしそうなブルーの眼に少しだけ居心地の悪さを感じながらも、ゴンは自分の正直な心情を吐露した。

 

「……俺さ、イルミに啖呵切ったけど、ソラの言うことが正しいってのはわかってるんだけど、……それでもやっぱり、キルアに人殺しなんてしてほしくないのが本音なんだ」

 

 キルアの家が殺し屋で、キルアが既に信じられない数の人を殺していると知っても、ゴンには嫌悪感はない。

 かなりぶっ飛んだ考え方だが、ゴンにとって「殺し屋」や「暗殺者」はそこまで嫌悪感を懐く仕事ではなかった。

 

 それは思春期独特のアウトローに対する憧れとは違い、「人殺しを頼む人がいるからこそ成立する仕事なのに、依頼を受けて実行する人だけを責めるのはおかしい」という、正論なのか極論なのかよくわからない考え方だが、とにかくキルアのことさえなければイルミの考え方も「プロ意識がすごいなぁ」で終わらせるほど、ゴンはソラと同じく基本的にマイペースで、他人の善悪に頓着しない。

 

 頓着しないが、それでもゴンは根っこが「善」の方向性で固まっており、そして「自分さえ良ければそれでいい」というタイプのマイペースではなく、自分の大切な人を自分の延長線上のように共感して心配して共に笑いあう人間だからこそ、彼はそれが自分のわがままであると自覚しても願わずにいられない。

 

「俺はキルアがしたいことをして、いつでも楽しく笑って幸せであってほしい。そこに、俺が邪魔なら、俺が要らないならそれは仕方がないことだから、ちょっと淋しいけどいいんだ。

 ……けど、やっぱりキルアの『したいこと』とか『幸せ』は、人殺しとかそういう絶対に誰かを不幸にすることじゃなければいいと思う。これは俺の勝手な価値観で……俺は、人を何で殺しちゃダメなのかとか、ちゃんと説明できないけど……それでもやっぱり俺は……」

 

 言葉の途中で、ソラがゴンの頭に包帯で包まれた手を置いて、固い髪をくしゃくしゃとかき混ぜるように撫でる。

 説明しきれない、言葉に出来ない何かを何とか形しようとするゴンに、「もういいよ」というように、言葉にしなくてもわかっているというように、彼女は笑って答えをくれた。

 

「ゴン。私はキルアの幸せや未来に君のわがままを押し付けるなとは言ったが、キルアの為に君の幸せや未来を犠牲にするのもダメだ。

 言えばいいさ。自分の希望を相手に強制するのはダメだけど、自分の希望を伝えることくらい、責められるいわれはない。

 もちろん、それがきっかけで喧嘩になるかもしれない。でも、喧嘩は他人と他人がさらに結びつくために必要なプロセスだ。私たちは全然違う人生を歩んできた赤の他人なんだとお互いに認識して、譲歩できる部分、妥協してほしい所、譲れない何かを探り合って、そうやって関わって生きていくんだ。

 

 ……もしも、どうしても互いに譲れない部分が許容できなかったのなら、それは仕方がない。けれど、それだって嘆くことじゃないんだ。

 そこまで深くわかり合いたい人がいた、それほどその人が好きだったということは、その人をそれほど好きになる何かがあったということだ。それさえあれば、いつかは十分綺麗な思い出という宝物になるさ」

 

 穏やかにソラはゴンの不安を、それでも譲れずに望み願い続けるものを肯定する。

 全面的な肯定ではない。結局のところ、ゴンの望みは独りよがりなわがままであることが前提。

 わがままを美化しないで、厳しくゴンが恐れる破滅さえもあり得ると言っているのに、その言葉はどこまでも優しかった。

 

 それは傷つき分かり合えずに終わるという結末でさえも、それさえも「価値はある」と言ってくれたから。

 

「……それとな、ゴン」

 そして最後はいつものように少しおどけて答える。

 

「君がもしも『自分が友達をやめたら、キルアは独りぼっちになっちゃう』と思って、自分の希望やわがままが言えないという変な遠慮をしているのなら、その考えこそが侮辱だ。

 あの子は家族から溺愛されてるし、使用人からも愛されてる。何より、私は変わらずあの子が大好きだ。

 だから、君たちはどちらも遠慮なく喧嘩して距離を縮めなさい」

 

 ソラの答えにゴンは一度目を丸くしてから、「本当だ。キルアに謝らなくちゃ!」と彼も少しおかしげに笑った。

 もうそこに、「本当に自分はキルアと分かり合えるだろうか?」や、「キルアを一人ぼっちにしたくない」などといった不安の陰りはない。

 もう彼にあるのはただ、「初めて友達の家に遊びに行く」という実に年相応な子供らしい楽しみのみ。

 

 その様子の変化に、クラピカとレオリオも安堵したように薄く笑ってから、再び歩き出しながら何気なくレオリオは愚痴もかねて語りだす。

「にしても……、他の家族がキルアを大事にしてても兄貴があれじゃ色々と不安だな」

「うん、それはマジで思う。あのブラコン、本当に弟離れしたらいいのに」

 

 レオリオの言葉にソラは肯定の形で言葉を続けたのだが、レオリオはもちろんゴンやクラピカは「え?」と言いたげな顔をしてソラを見た。

 眼が見えていないソラはもちろんそんな表情に気付きはしないが、3人が沈黙して自分の方を向いてることにはさすがに気づき、「何?」と尋ね返す。

 

「……あいつ、ブラコンなのか?」

「? それ以外の何に見えんの?」

 代表してレオリオが尋ねると、まだソラは質問の要領を得ないという顔をして尋ね返す。

 

「……私から見たら、奴はキルアの個性や人格を認めず、ただの操り人形にしようとしているようにしか見えないんだが?」

 クラピカが頭痛を堪えるように眉間に指を当てて自分から見たイルミ像を語ると、ようやくソラは自分と3人との認識の違いに納得して、手を打った。

 

「あぁ。まー、あれは個性や人格認めてないというより、ただの過保護とキルアの才能を生かしたいっていう兄バカと、『自分の弟だから、自分の好きなものは弟も好き、自分のしたいことが弟もしたいこと』だと思い込んでる、よくある視野狭窄の方が正確だと思う。

 ……あいつの愛情が歪んでるのはもう一目瞭然だけど、キルアに向ける感情は確かに『愛情』だよ。そこだけは信頼してる」

 

 ソラの発言、特に後半のイルミを擁護する発言にクラピカがわずかに眉間に皺を寄せて、「何故だ?」と尋ねる。

 あからさまに不機嫌になったクラピカに、ゴンは苦笑、レオリオは呆れつつも、二人も同じように疑問に思ったのでソラの答えを待つ。

 キルアの言う通り、出会い頭に「こんにちは死ね」をいっそ清々しいくらいに堂々とやらかす男に対し「そこだけ」と限定しつつも信頼して擁護する理由が、彼らには思い浮かばなかった。

 

 しかし、ソラの方はまたしても意外そうな顔で「あれ? わかんない?」と尋ね返す。

「……ソラ。頼むからそろそろ自分の考え方や視点の方が少数派だと自覚してくれ」とクラピカがやや呆れながら頼み込むが、ソラは「いや、これに関しては私がおかしいというよりたぶん、3人とも一人っ子の所為だ」と答える。

 言われて、3人がそれぞれ顔を見合わせた。見合わせた顔は、何も言わなくてもあまりに如実に語っていた。

「え? マジで?」と。

 それだけでわかる。ソラの言う通り、3人が自分の他に上にも下にも兄弟がいない一人っ子であること、そしてそのことをソラに話した覚えはないということも。

 

 そんな3人の驚愕を相手にせず、ソラはもったいぶらずに答えてやる。

「イルミはキルアを溺愛してるよ。そうじゃなきゃ、そもそもあいつは絶対にキルアを連れて帰ろうとはしない。あんな『眼を潰す』なんて脅しに折れたりしない。

 だってあいつは『家が一番大切な長男』で、キルアは『一回り年下の跡取り』なんだから」

「「あ……」」

「?」

 

 ソラの言葉で、クラピカとレオリオは同時に納得したような声を上げるが、ゴンだけが未だによくわからず首を傾げていた。

 そんなゴンに、ソラはさらに補足を加えてやる。

 

「ゴン。イルミの歳はたしか今年で24。キルアが生まれた頃がちょうど、今のキルアや君くらいの頃だ。そして最低でもその歳まで、下手すればつい最近まであいつの方が『跡取り』って立場だったんだよ」

「あ…………」

 

 そこまで言われて、やっとゴンも納得した。

 ソラがイルミの何を信じて、彼の愛情だけは擁護するのかを。

 

「キルアがいつから『跡取り』と決められたのかなんて知らないし、イルミがそれをどう思ったかも知らない。案外、あいつは面倒事を弟に押し付けることが出来たと思っているのかもしれないけど、あいつのゾルディック家至上主義っぷりを知ってたら、その可能性はかなり低いんだよねー。

 

 だから、普通なら今回はむしろ絶好のチャンスのはずなんだ。『跡取り』って立場を取り戻す為ならキルアの家出は願ったりかなったりだし、実力差や精神的な力関係を考えたら事故に見せかけて殺すことだって出来た。キルアが自分から目を抉って『跡取り』としての性能を台無しにしてくれるなんて好都合この上なかったはずなのに、あいつはキルアを無傷で連れて帰ることを選んだ。

 

 それどころか、あの通り洗脳じみた教育でとにかく死なないように、危険を避けるようにって教え込んでるし。

 仕事柄、危険が多くて当たり前なのに、蹴落とそうと思えばいつだって蹴落とせるような仕事なのに、あいつは私の生存願望並みにキルアに死んでほしくないって思ってるよ。

 ……な? 溺愛してるだろ、あのブラコン」

 

 今度はソラの言葉に、3人は頷くしかなかった。

 ソラの言う通り、イルミは間違いなく自分の家を、家業を誇りに思っている。

 そんな人間が最低でも12年間、「跡取り」として期待され厳しく育てられ、自分もその期待に応えたい、家を継ぎたいと思っていた時に実の弟にその立場を奪われた挙句、弟本人は「そんなのいらない」と言って逃げ出したのなら、家業が「殺し屋」なんかじゃなくても弟相手に殺意が芽生えるのはさほどおかしな話でもない。

 

 キルアは悪くない。欲しくないものを勝手に押し付けられただけなのだから。

 けれど、自分が欲しくて努力していたものを奪われたのに、「こんなのいらない」と簡単に捨てるキルアを恨むなというのも理不尽な話だ。

 

 ……それでも彼は、弟を傍に置くことを選び、望んだ。

 それは自分には叶えられなかった夢を、弟に託すような身勝手なものかもしれない。もちろんこれは褒められるような行為じゃない。真っ当な愛情ではなく、ただの自己満足だ。

 

 けれど、イルミは決して「家を継ぐには重大な欠陥」があったからこそ、「跡取り」から外されたわけではなく、キルアには殺し屋として「重大な欠陥」である甘さが露見した。

 その時、「キルアを跡取りの座から蹴落とせる」という悪魔の囁きがあったのか、なかったのかはわからない。

 

 どちらにせよ、イルミが選んだのは「キルアを無傷で連れ戻す」だったのだから。

 

「……あいつがブラコンってのは納得したけど、今度は逆に何でその条件で弟を溺愛出来んのかが謎だな」とレオリオが呟くと、ソラはフッと遠くを見るように目を細めて、答える。

 

「……『家族』だからで十分じゃないの?

 嫌いになることにはたいてい理由はあるけど、好きになるのに理屈はあんまり必要ないよ。それこそ、『家族』で十分だ」

 

 レオリオの疑問に答えるというより、独り言のように。

 彼女は見えていない目で、『そんなこともわからないの?』と泣きながら笑った姉の最期を見て、少しだけ何かを惜しむように笑った。

 

「けど、あいつの愛情が屈折してんのは見ての通りだからさ。私に八つ当たりしてヘイトぶつけてストレス発散して、キルアにはなんだかんだで愛情を向けてくれるんなら、私も八つ当たりのされ甲斐があるんだけどねー」

「待て、そこで何故お前が出てくる」

 

 自分の独り言を誤魔化すように、ソラが続けた話にクラピカがソラの意図通り突っ込んだ。

 

「ん~、キルアと出会ってからそう思い始めたんだけど、イルミが私に対して殺意全開なのは、あいつ、私にキルアの気に入らない所を見てるんじゃないかなーって思うんだ。

 私の眼は暗殺者からしたら欲しくてたまらない性能なのに、その眼を全然有効活用しないなんてまさしくキルアと一緒でしょ?」

 

 言われて、クラピカとレオリオは「あぁ」と納得の声を上げる。

 実際のイルミを見るまでは、ソラがいつものエアブレイクをやらかしたから嫌ってる程度に思っていたが、あの男はそれぐらいで動じるような人間味はないと思い知らされた。

 だからこそ「キルアの嫌いな部分をソラに見ている」という推測は、あまりに綺麗な形で腑に落ちて納得する。

 

 が、ゴンだけが4次試験のヒソカと彼の会話を思い出し、微妙な顔をする。

 おそらくソラの推測も当たっているだろうが、あの会話の様子を見る限りイルミは――

 

 * * *

 

 ゴンが4次試験のことを話そうか言わない方が良いのか悩んでいたら、突然ソラが勢いよく振り返ってゴンだけではなく他二人も驚かせるが、同時に何かを右手で掴んだ。

 それは針というより鋲と言った方が正確なぐらい太くて長い、イルミの針だった。

 

「勝手なことほざくな」

「いつからいたんだよ!?」

 

 本当にキルアとの取引を守る気があるのか、ソラの後頭部に針を投げつけておいてまったく悪びれず、むしろ不愉快そうに舌打ちしてから言い捨てたイルミに、ソラは針を投げ返して突っ込む。

 そしてゴンは、クラピカやレオリオと一緒にソラを守るように前に出ながらも、「話さなくて良かった」と心の底から安堵した。

 

 投げ返された針を受け止めて自分の体に刺しながらイルミは、ソラのツッコミ兼疑問には答えず、自分の要求のみを一方的に言い放つ。

 

「思い上がるな、バカ女。お前がキルアに似てるわけないだろ。お前に対する殺意に、キルアは関係ない。二度とそんな妄想を口にするな」

「ちょっと待て! マジで違うの!? 違うのなら、お前の殺意はマジでどこから来てんの!?」

 

 やっと意味不明だった殺意の源泉が何かわかったと思ったら、本人からの全否定にソラは割と本気で訊いた。

 訊いたところでイルミは無視して答えないか、「お前の存在そのもの全てが大っ嫌いなんだよ」とでも言われると思っていたが、意外なことにイルミは少し眉間に皺を寄せてソラに尋ね返した。

 

「お前は、俺と初めて会った日を覚えているのか?」

「は? ……えっとそれは何月何日何時何分何秒、どこの大陸の国の町の何丁目何番地のどこそこレベルで?」

「そんなの俺も覚えてねぇよ」

 

 訊かれた問いに思わずソラは呆気に取られて訊き返すと、イルミは眉間の皺を深めて言い返す。どうやら、別に嫌がらせじみた問いかけではないらしい。

 だが、そうでないとしたら余計にソラには何故、そんなことを尋ねるのかが不思議だった。

 

 散々イルミの変装に気付かなければ声にも気づかず素ボケをかましてきたが、ソラの記憶力は別に悪くはない。

 そう簡単に忘れるほどありふれた出会いでもなければ、まだ1年ほどしか経っていない覚えていて当然の過去なのだから、ソラは首を傾げながら即答した。

 

「去年の2月の終わりぐらいに仕事で敵対した時だろ? 私がボディガードしてた依頼主が、お前のターゲットで……っておうっ!?」

 

 言い終わる前にまた、イルミが針をブン投げた。しかも今度は3本ほど同時に。

 しかしやはり目が見えていないのが信じられないことに、ソラは3人が反応できなかった針を両手で3本とも受け止めて、半泣きで抗議する。

 

「何すんだよ!? 私なんか間違ってた!?」

「あぁ、そうだよ。間違ってるよ。お前と俺が初めて会ったのは、その前日だ」

「…………は?」

 

 完全に想定外だったことを言われて、ソラは目を丸くしてしばしフリーズ。

 3人からそれぞれ、「ソラ?」と声を掛けられるまでフリーズしていたというのに、珍しくイルミは無視して立ち去ることも、攻撃を仕掛けることもなく、眉間に皺を寄せたまま腕組みをしてソラの反応を待っていた。

 

「え? ちょっ、嘘でしょ!? っていうか、変装してたら私わかんないよ! あの時お前の変装を見抜けたのは、完全に偶然なんだけど!」

「素顔だ」

「なおさら嘘でしょ!?」

 

 フリーズが解凍されて、テンパりながらソラは「会ったけど気付けない可能性」を口にするが、その可能性をイルミは一言で両断し、ソラはさらにパニくる。

 それを冷めた目で見ながら、イルミは自分の髪を指さして続ける。

 

「お前、ちょうどその日の夜にでも髪を切っただろ?

 俺が会った時は肩を少し超えるくらいで毛先の数センチが黒かったけど、次の日仕事で会った時は今より短かった」

「えっ!?」

 

 言われてソラは自分の頭を両手で押さえ、クラピカも眼を見開いた。

 レオリオとゴンは「毛先が黒かった?」と不思議そうな顔でソラを見る。

 

 ソラの髪はあまりに綺麗に色のない白髪なので、普通に傍から見れば限界まで脱色したのではなくアルビノの一種だと思われるが、これは生まれつきではなく「 」から逃げ出した代償のようなもの。

 しかしこちらに来て生えていた髪の色が抜け落ちたわけではなく、普通に老人のように伸びて生えてくる髪が白いという状態だったので、彼女の髪はつい1年ほど前までイルミの言う通り黒と白のツートンカラーだった。

 

 眉やまつ毛が黒いので、元は黒髪だったことくらいは想像つくかもしれないが、たいていがゴンやレオリオのようにその色の違いに気付かず、ソラの髪を先天性の天然ものだと思い込む。クラピカのように、昔を知っていないとなかなか気付けない。

 

 ましてやちょうど、ツートンカラーから白一色になるように髪を切った時期。

 なので言われるまで忘れていたが、言われたら思い出す。確かにイルミの言う通り、ソラが「初めてイルミと出会った」と認識していた前日の夜に髪を自分でテキトーに切ったことを思い出し、ソラの顔色は蒼白となる。

 

「え? 嘘っ!? マジで!? え? ご、ごめん!!

 っていうか、何やった!? 私、本当に何したの!? 何か言ったの!? どうしよう、全然思い出せない!!」

 

 間違いなく前日にイルミと出会っている、少なくともイルミは知っている証拠をあげられて、ソラは頭を抱えながら何とか思い出そうとするが、どう記憶を漁ってもこのなかなか特徴的な能面じみた美形は出てこない。

 さすがにここまで恨まれるようなことをしておいて、きれいさっぱり忘れているのは本気で申し訳なく思ってソラは何度もイルミに謝るが、イルミは不機嫌そうに「うるさい」と一蹴して、そのまま背を向ける。

 

「って帰んのかよ!?」

 

 最後の最後にソラが大パニックに陥る発言だけかまして、結局ソラをあそこまで嫌って殺したがる訳を明かさないイルミに、レオリオは突っ込んだ。

 もちろん、相手にしていないレオリオに突っ込まれて話すくらいなら初めから話している。

 だからイルミは、振り返って置き土産に一言だけ告げて歩き去る。

 

「思い出したら、お前を殺すのを諦めてやるよ」

「待って! お願いもうちょっとヒントちょうだい!!」

 

 ソラの切実な悲鳴は、もちろん無視された。

 

 * * *

 

 廊下の曲がり角で割と堂々と盗み聞きをしていたヒソカが、低く笑いながらイルミに言った。

 

「片思いはつらいね♠」

「殺すよ」

 

 見もせずそれだけ言い捨ててイルミは立ち去るつもりだったが、何の気まぐれかヒソカがニヤニヤ笑いながら尋ねた問いに、イルミは立ち止まって答えた。

 

「で、実際はソラと何があったんだい?」

 

 言われて、脳裏によみがえる。

 

 雪降る夕暮れ時の雑踏。

 あまりに自然な動作で外された視線。

 肩が触れそうで触れることなどない距離で、すれ違った時の横顔。

 一度も振り返らなかった背中。

 それをずっとイルミは――

 

「何も」

 

 わざわざ立ち止まって、ヒソカの方を見て言いきったことにヒソカは少し面食らう。

 もちろんイルミはそれ以上は何も話してくれないので、ヒソカは「頑なだなぁ♦」と苦笑して話を終わらせる。

 

 ヒソカは気付かない。

 本当に珍しくイルミは、ごまかしたのではなく正直に話したことに気付かない。

 

 何も、なかった。

 イルミとソラは確かに、ソラが認識してる「初めて出会った日」の前日、仕事で敵対した日の前日に出会っているが、何もなかった。会話さえも交わしていない。

 

 ただあの日、あの雪降る夕暮れ時に街中の雑踏ですれ違った。

 ただそれだけだ。

 

 拷問の耐久訓練のおかげで暑さも寒さも割と平気だが、結局は「我慢できる」でしかないのでイルミにとっても雪が降っていれば寒いし、雪が溶けずに積もる程の寒さではなかった為、足元は雨のぬかるみに近くズボンの裾が汚れるのを嫌ってつい、周りの一般人と同じように足元ばかりを見て歩いていた。

 もちろん、足元しか見ていなくても周囲への警戒は緩めない。むしろ、いつもよりやや過敏になっていたのかもしれない。気が付いたのは、その所為かもしれない。

 

 前方から「念能力者」が歩いてくることに気付いていた。

 一般人とは違い、オーラを垂れ流すのではなく身にまとうようにして体に留める“纏”をマスターしている。さすがに“円”をしていなければ、気配だけではその程度しかわからなかった。

 が、相手に殺気の類もこちらに対して警戒している様子などは何も感じられなかったので、自分を狙っている賞金首(ブラックリスト)ハンターの可能性はほぼ皆無だった。

 

 いつもなら気付いても意識しない、その程度の出来事だ。

 よくあると言えるほどの頻度はないが、めったにないと言えるほど少なくもない、たまにある何の関係もない念能力者とすれ違う。その程度の認識だった。

 だから、無視してそのまますれ違えば良かった。

 

 イルミが翌日の仕事を受けたのは、たまたま他の仕事が終わってちょうどターゲットがいるその町に滞在していたから、その日の夜急に「ついでにこいつも殺しておけ」と父親から言われて入った仕事だった。

 だから、何の意図もなかった。

 

 ターゲットが雇ったボディガードかもしれないなんて、仕事が入る前だったその時に思えるわけがない。

 念能力者だからといっていちいち顔の確認なんかしない。する意味がない。

 

 ……そんな意味のないことを何気ない、理由なんかないに等しい完全な気まぐれで起こした。

 顔を上げて、見た。

 

 全体は真っ白なのに、毛先数センチだけ墨汁で染めた筆のように黒い髪は、肩を少し超えるセミロングだった。

 イルミのあずかり知らぬことだが、「たまには女らしい恰好をしなさい」と言われて誕生日にビスケからもらった、比較的女性らしいデザインのコートを着ていた。

 なので珍しく一目で女性とわかる格好だった相手も、おそらくはイルミと全く同じように、「念能力者がいる」ということに気付き、何気なくそちらに目を向けた。

 

 彼女と、……ソラ=シキオリとほんの一瞬、目があったのはそんな偶然。

 どちらも、ほんの少しの何の理由もない気まぐれを起こしたから、起こっただけのあまりに小さくて些細な出来事。

 

 だから、ソラはすぐに眼をそらした。

 特に意味などない、確認のつもりもなく「あぁ、いるなぁ」と思ったから反射で何気なく顔を上げて見たら満足して、即座に脳の一番使わない片隅に放り込んで忘れる。

 その程度の出来事だった。

 

 だから、あまりに自然な動作で視線を外し、そしてそのまま通り過ぎた。

 ほんの数センチ横にずれたら肩がぶつかる程の距離ですれ違い、そのまま一度も振り返らず、立ち止まらず歩き去った。

 

 

 

 ――それをずっと、イルミは見ていた。

 

 

 

 ソラと同じように、確認したらもう視線を外してしまえば良かったのに、目が離せなかった。

 自分の隣をすれ違う時も、目は彼女を追っていた。

 あの背中を、その場に立ち止って人波に埋もれてしまうまで、ただ見ていた。

 

 何を考えて見ていたかなんて、覚えていない。

 数十秒という暗殺者では有り得ないほど長い、思考の空白。

 

 そこに埋まる記憶は、すれ違っただけの名前さえも知らない女ただ一人。

 

 それはまるで、何気なく夜空を見上げたタイミングで流星を見つけたようなもの。

 ただの偶然にすぎない。そんなものに運命などを妄想するのは実にバカらしい。

 

 けれど……それでも、それはあまりにも、息が止まるほどに、思考が止まるほどにそれは――

 

 

 

 

 

 そこまで思い出して、不愉快になってきたので思考を止める。

 それ以上は、考えない。

 

 本当は、考えるまでもなくわかっている。

 どうしてあの女があんなにも気に入らないのか。

 どうして、一度も振り返らなかったあの背中が、あまりにも自然に視線を外したあの眼が気に入らないのか。

 どうして、出会い頭に殺したくて仕方がないかなど、わかってる。

 

 自分は目が離せなかったのに、相手は気付きもしないで去っていたのが、殺してやりたいくらい気に入らないから。

 殺しにかからないと、それぐらいしないとあの眼は自分を見ないから。

 

 ……その「理由」は、考えない。

 説明できる理屈もなく、経緯もなく、それこそ流星が降って来たかのようにあまりに唐突な結果を認めない。

 

 合理的ではない思考も感情も好きではないから、イルミは自分の中であの日から切り離せないものを、頑なに無視し続ける。

 理屈ではない感情など、「家族」に対するものだけで十分だと言い聞かしながら、何気なく振り返る。

 

 嘘。何気なくではない。明確な理由があって振り返った癖に自分で自分に言い訳しながら、イルミは振り返って見る。

 未だに自分の言葉に困惑して、必死で思い出そうと頭を抱えているソラを見たら、この1年近く募っていた苛立ちがわずかに治まり、溜飲が下がる。

 

 どうせ思い出さないのはわかってる。これで思い出せるのなら、4次試験は声でイルミだと気づけただろう。

 

(だから、せいぜい悩みぬけ)

 そんなことを思いながら、自分が目の前にいなくても、自分が殺しにかからなくても、イルミの事だけ考えて頭を悩ませているソラを、黙って見る。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 カシャ、とシャッターが下りる音がして、音のした方にイルミが顔を向けると、ヒソカが目を丸くしながらケータイを自分に向けていた。

 

「……何してんの?」

「…………いや、あまりにも珍しいものを見たから思わず」

 

 無言でイルミはヒソカのケータイを奪い取って、握りつぶした。

 そんなことしなくとも、ヒソカの撮った写真は既にいつもの鉄面皮で、わずかに、けれど確かに上がった口角など写っていなかった。





今回で、ハンター試験編終了です。
ちょっとだけ間を置いて、ゾルディック家訪問編に入りたいと思います。

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