死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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39:ソラの魔法

 トランプが突き刺さった挙句に血みどろになったツナギは脱ぎ捨ててショートパンツ姿、上半身に至っては分厚く胸も腹も覆っているので見せブラ姿よりも露出は低いくらいだが、包帯のみのやたら寒そうな格好でソラはキョロキョロと周囲を窺う。

 

「え? ちょっ、マジで何でこんな空気がお通夜なの? 何? 私また、帰ってくるタイミングを神がかって間違えた?」

 

 会場に戻って来た自分にツッコミさえも誰も入れてくれず、呆れるどころかいっそ憐れむ空気を感じたのか、さすがにソラが戸惑いながら周囲に尋ねる。

 しかしソラに訊かれても、神がかって間違っていたのはタイミングよりテンションの方だとか、とりあえず服を着ろだの、突っ込める者はいなかった。

 

 レオリオやクラピカがそんなツッコミを入れる前に、イルミが躊躇なく動いた。

 

『!?』

 

 どこに隠し持っていたのか、いつ取り出したのか、大量の針を無言で唐突にソラに向かって投擲するイルミ。

 そしてソラの方はソラの方で、自分が入ってきたドアをもぎ取ってオーラを纏わせて強化し、そのまま盾にして針の弾丸を受け止める。

 

 しかしイルミはソラがドアを盾にすることも読んでいたのだろう。

 ソラがドアで身を隠して自分の視界を塞いだ瞬間、イルミは駆け出して自分の体からたっぷりオーラを込めた針を抜き出し、それを握ってドアごとソラを串刺しにしようと突き出した。

 

 だが、向こうもそれは想定済み。

 イルミの針が盾にしたドアに触れる前に剣山状態のドアがパズルのようにバラけ、その奥からソラが身を乗り出して青い目でまっすぐにイルミを見据えて、手を伸ばす。

 

 イルミの針は、ソラには届かなかった。

 その前に針を握るイルミの手の甲にソラが握って突き出す、おそらく救護室にあった綿棒がわずかに触れていた。

 傍から見たら悪あがきにしてもひどい武器だが、この女にとって、この目にとって武器はナイフだろうが木の枝だろうが綿棒だろうが、リーチの長さくらいしか違いがないことをイルミは知っている。

 自分が動けば、この女にしか見えない「何か」を自分自身で突き破って、死に至ることを知っている。

 

 だから、大人しく針も身も退いた。

 人形同然だった無機質な顔に、人間らしい有機的な表情、屈辱を露わにしながら。

 そして相手が退くと同時にソラも飛びのき、叫ぶ。

 

「一体何事!?」

「こっちのセリフだ!!」

 

 ようやくツッコミを入れる隙が生まれたので、レオリオが代表して振り付きでビシッ! とツッコミを決めた。

 

 ちなみに、イルミが攻撃してからここまで約20秒。

 受験生はおろか試験官達もこの唐突かつスピーディーな展開について行けず、イルミの投擲からただ眼を見開いて、唖然とするしかなかったようだ。

 その中で例外、何もできずに見ていたわけではなく面白がって止めなかったネテロが今更仕事をする。

 

「ギタラクル選手。おぬしの合格は決定したが、同じく合格が決定している相手ならともかく、合否が決定していない選手を殺せば、おぬしの方が合格取り消しで不合格になるぞ?」

「………………手が滑った」

「体ごときましたけど!?」

 

 もう審査委員会側は相手の正体も本名もわかっているが、登録名が「ギタラクル」なのでネテロが偽名を続行して注意すると、イルミが棒読みで答える。

 いつも棒読みだが、これ以上さらに棒読みと思える棒読みがあったのかと妙な関心が生まれるほどの棒読みの言い訳に、当然こんにちは死ねをさっそくかまされたソラは涙目で突っ込む。

 

 そしてそのまま勢いで、とんでもない発言を投下する。

 

 

 

「っていうか、お前誰!? ギタラクルってモヒカン針男じゃなかったっけ!?」

 

『………………は?』

 

 

 

 ソラのエアブレイクどころではない発言に、今度こそ間違いなくソラ以外の全員が唖然として固まった。

 ソラをイルミから引き離すために駆けよったクラピカも、相変わらずなイルミの殺意をニヤニヤしながら眺めていたヒソカも、どの試合も飄々と観戦していたネテロも、そしてまさかの素顔を晒しても「誰?」と言われた張本人も、思わず「何を言われたかわからない」と言わんばかりの顔をして、フリーズする。

 

「…………お前、……マジか?」

 

 イルミの所為で自我崩壊寸前にまで陥っていたキルアが、思わず逆に再起動してある意味ではイルミに自分の「夢」を語っていた時以上に、悲痛な顔と声で尋ねる。

 

「え? 何、キルアの知り合い?」

 しかしソラはそんなキルアの問いに、青い瞳を丸くして小首を傾げ聞き返す。残念なことにこの女、マジである。

 

 ソラの追い打ちにヒソカもフリーズが解凍されて、その場で腹を抱えて蹲る。

 ヒソカの反応につられたのか、それとも4次試験でも同じように「誰?」と言われたことを知っているのか、試験官も数人吹き出してネテロにいたってはヒソカと同じ反応である。

 

 クラピカも「……面識があるんじゃなかったのか?」と尋ねるが、「え? 4次試験で交戦したくらいだけど?」とソラはやはり何故、周りが自分の発言に対してこんな反応をしているのかがわかっていない。

 その訳の分からない反応に首を傾げながら、こちらを向いたソラの顔をはっきり見て、クラピカは一つの違和感に気付く。

 

 その違和感とソラの不可解な反応を結びつける前に、ようやくフリーズから解凍されたイルミが低く呟いた。

 

「………………殺す」

 

 心臓が弱い者ならこれだけで死ぬと確信できるほど、膨れ上がった殺気をぶつけながらイルミが呟いた瞬間、ソラの肩がビクンと跳ねた。

 さすがにこの殺気に危機感を覚えたと、ソラをよく知らない受験生や試験官達は思うが、この女がそんな素直な反応をするくらいなら、今日だけで散々やらかしたエアブレイクは初めから生まれない。

 

 ソラは何かを誤魔化すように、そして自分の言葉が否定されることを期待するように、ものすごく引き攣った笑みを浮かべて、訊いた。

 

「……えーと……まさかの……もしかして…………イルミ?」

「お前には俺がどう見えてるんだよ?」

 

 * * *

 

 殺気が物理的な攻撃力になるとしたら、間違いなくカルナの「梵天よ、地を覆え(ブラフマーストラ)」と同等の威力を発揮しそうなまま、イルミは答えた。もちろん嫌味で言ってるが、半分は割と素で訊いている。

 が、ソラはその問いには答えず輸血で血色が良くなっていた顔色をまた蒼白にさせて、そのまま数歩後ずさって叫んだ。

 

「!? 何でいんの!? いつからいたの!?」

「は じ め か ら だ」

「ソラ、落ち着け! というか本当にお前の眼にはどう見えてるんだ!?」

 

 目の前の人物が、訳の分からない殺意を向けられていることでヒソカ以上に関わりたくないと思っている相手だったことに気付き、ソラはパニックに陥って火に油を注ぐ発言をさらにかまし、イルミはキルアとの問答での無表情無感情っぷりはどこへやら、苛立ちを露わにしている。

 

 クラピカが何とかソラを落ち着かせようとして声を掛けるが、彼も彼で若干混乱しているのか、イルミが素で思った疑問を彼もぶつけると、ソラはほとんど逆ギレで答えた。

 

「見えてねぇよ!! 私の視界は今、曇りガラス越しだ!!」

「はぁ?」

 

 その答えにイルミがいぶかしげな声を上げると同時に、ほんのわずかだが殺気は薄れた。

 ソラも少しは落ち着いたのか、目を細めてイルミを見ながら改めて気づかなかった理由と、自分の視力が今ひどく低下している訳を語った。

 

「『眼』を使い過ぎる、もしくは消耗しすぎると一時的に視力が極端に落ちるんだよ。私は今、どんなに近づいても大雑把なシルエットしかわかんないから、お前があの化け物じみた針男から素顔に変わってることくらいは髪型とかでわかるけど、顔なんかかろうじて目鼻口の位置がわかるぐらいだっつーの。

 あ、心配はいらないから。もうこれくらいなら、丸一日もすれば自然に元に戻るってわかるくらいに慣れてるから」

 

「眼がほとんど見えていない」という事実を理解して何か言いかけたクラピカを制しながら、直死やオーラのことはさすがに具体的に口にはせずに説明すると、会場内の大半が「あぁ、なるほど」とソラのエアブレイク発言に納得した。

 さすがにイルミの顔をきれいさっぱり忘れていたわけではなく、本当に見えていないからわからなかったらしい。

 

 レオリオが「声でわかんなかったのかよ?」と呆れたように尋ねれば、「私、こいつと会話した覚えほとんどない。だいたいいっつも無言で殺しにかかってくる」と返されて、思わず彼は「……すまん」と謝った。

「殺す」と言われてようやく気が付いたのは、ソラにとってほぼ唯一聞き慣れたというか聞きなじんだというか、とにかく記憶の中のイルミと結び付けられる声と発言だったのだろう。

 

「っていうか、マジで初めからいたの!? だからあの針男はしつこく私に殺気飛ばしてたの!? お前本当に私に何の恨みがあるんだよ!?」

「うるさい、黙れ、死ね、消えろ」

 

 ソラが腰が引けつつも相変わらず出会い頭に殺しにかかる腐れ縁に抗議するが、イルミの方は不愉快そうにシンプルな三つの要求を突き付けてそのまま背を向ける。

 別にソラとしても、イルミの相手をしたい訳ではない。むしろ絶対にしたくないので、もちろん彼の要求はのまないがそれ以上しつこく絡むことなく、彼女の方も興味の対象がさっさと移す。

 

「キルア、何してんの? 試合終わったの? これからすんの? 終わったんなら、こっちにおいでよ」

 

 ほとんど人の顔が見えていなくても、ゴンがいない今現在ではひときわ小柄なシルエットが誰であるかなど考えるまでもなくわかる。真っ直ぐにソラは青い目をキルアに向けて、いつものように呼びかけた。

 

 呼ばれて、キルアは叱られる子供のように身を震わせて、一歩後ずさる。

 そしてイルミは、やや治まっていた殺気を再び爆発させて、振り返った。

 

 その殺気に気付いていない訳ないだろうに、ソラはイルミを無視する。イルミの方を一切見ないで、真っ直ぐにキルアの方を見て、手を伸ばした。

 

「キルア。おいで」

「いい加減にしろ、偽善者!」

 

 初めてイルミは声を荒げる。キルアでさえも兄がこんな声を出せたのかと意外に思う反応だが、ソラは全く気にした様子がないどころか逆に彼女の方が普段のイルミのような無表情で、ようやく彼に顔を向けた。

 

「キルアに関わるな。余計なことを吹き込むな、偽善者。

 ……試験だから、少なくとも終わるまで殺されないと思うな。今、その眼が見えていないのなら俺にとっても最高の好機だ。お前を殺せるんなら、資格なんか惜しくない」

 

 合理主義の見本、ゾルディック家と仕事を最優先とした行動原理。それがキルアの知るイルミであり、おそらく他の者にとってもそうだろう。

 そんなイルミの根幹を否定するような発言にキルアは言葉を失うが、ソラはやはり動じない。

 

 それどころか、イルミの発言に一瞬だけきょとんとしてから彼女は……笑い出した。

 

「……ふふっ、はははははっ!」

「何がおかしい!?」

 

 眼に手をやって天井を仰ぎ見ながら笑うソラに周囲の者は訳が分からず、クラピカでさえもソラが何に笑っているのかが理解できず戸惑い、イルミはさらに苛立って怒声を浴びせた。

 つい数分前までの、弟に対する人形同然の無機質さはそこにはない。

 

 そんな実に人間らしいイルミに、ソラは言った。

「おかしいに決まってるだろ? イルミ、頭に血が昇りすぎてるんじゃない?

 好機? 好機!? 私の眼が見えないことが好機って、本当にそう思ってるのか?」

 

 挑発や嘲笑と言うより、本気でおかしくて仕方がないという笑いの合間にソラは語り、イルミは再び体に刺さった針を抜き取った。

 それを見てクラピカがソラの前に出ようとしたが、ソラが制して止める。

 止めると同時に、その「眼」が露わとなった。

 

「バカか、お前。この『眼』が私の視力と連動してるのなら、私はそれこそまずはじめにこの『眼』を抉ってる」

 

 蒼天の眼でまっすぐに、イルミを見据えた。

 

 クラピカはようやく、自分が感じた違和感が何に結びついているのかに気付く。

 ソラの眼は、こちらに戻ってきてからずっと青かった。

 彼女の素の眼の色は、暗い藍色。遠目からだと黒い瞳に見えるほど明度の低いミッドナイトブルーなのに対し、先ほどまでの眼もさほど明度は高くないが、遠目から見ても青系統の色だとわかる程度の明度はあった。

 

 ソラの眼の色の変動は、感情ではなくその眼に付属している能力を行使しているかどうかで変化する。

 彼女は死の「線」や「点」を捉えようと目を凝らせば凝らすほどに、瞳の明度は上がって最終的にこの世のものとは思えないほど美しいセレストブルーになる。

 

 だからこそ、ソラの眼は普段は完全に藍色から変化しない。クルタ族並みかそれ以上に不気味がられるか、人体コレクターに狙われやすい挙句に、「死」そのものを好き好んでさらに見たい訳もないので、直死を使用する必要があるからか、それこそよほど視界に入る「死」が気にならないほど怒っていない限り、眼の色を素の藍色から変えるメリットなどない。

 

 なのに、ずっと鮮やかな青い瞳でいたということは、それは変えないのではなく変えられなかったのだと今更理解した。

 同時に、眼の色の明度が上がれば上がるほど直死の性能が上がるのであれば、この目は今、視力をほとんど失っていながらもこの眼は――

 

「よく勘違いされてうっとうしいから教えておいてあげる。

『あれ』はこの『眼』に宿ってるわけじゃない。ただ単に発露の起点がここってだけ。つーか、眼球なんかむしろ邪魔。『あれ』が無節操に溢れ出ない為の防壁みたいなもんだ。

 だから私の視力が低下してるのは、セキュリティが緩んでるってこと。むしろ、他のものが見えない代わりに際立って良く見えちゃうんだよ。

 

 ……だから、イルミ。死にたくないのなら、マジで今の私を好機だとか思うな。それこそ今なら、うっかり手が滑るだけで私は神様だって殺してしまうんだから」

 

 言いながらソラの瞳の明度は徐々に落ちるが、やはり藍色まで暗くはならず、鮮やかで深いブルーの眼でソラは諭すように言った。

 その言葉が屈辱だったのか、イルミはギリリと音がするほど強く歯を噛みしめてつつも、体に刺さっている針から手を離す。

 

 重傷を負ってオーラもだいぶ消耗しているが、その程度でろくに準備もなく殺せる相手ではないことなどこの会場内の誰よりも何よりも、イルミが知っている。

 だからこそ、殺せない挙句に資格を失いかねない愚行は犯せない。そんな考えが浮かぶ程度に、イルミがソラを前にして冷静さを残していたのは、「キルアを連れて帰る」という目標はすでに達成しているも同然だったからだろう。

 

 しかし、イルミはまだ甘く見ていた。

 

「――神様も殺せる、か……」

 

 キルアがソラをどう思っていたのか、どれほど心の割合を占めるほどの「夢」そのものだったのかを、見誤った。

 壊しつくしたと思っていた心は、まだ確かに動いていた。

 生きていた。

 

「じゃあ、殺してくれよ」

 

 酷く暗澹とした陰鬱な声音で、彼は言った。

 虚ろな目が、ソラを捉える。

 足音は聞こえなかった。そんなの呼吸同然の癖となって染み込んでいる。

 生まれた時からの拷問と改造と言える修行で得た、人を殺すにふさわしい形に変形した指先を振るう。

 

「キルっ!!」

『!?』

 

 イルミの制止の言葉も、あんなに恐ろしかった声も、今は酷く遠い。

 ゴンやソラを裏切ってまで、見捨てて見殺す選択をしてまで、「死にたくない」と叫んだ心臓の鼓動が聞こえない。

 キルアはただ、終わらせるためにソラの首に向けて、無表情でその凶爪を振るった。

 

 どっちでも良かった。

 あの「夢」を見ることが許されないのなら、イルミに壊されるのではなく諦めがつくように自分の手で壊してしまいたかった。

 けれどそれ以上に、いっそソラの手で、ソラの眼で殺されたかった。

 

 これからずっと、イルミによって生きながらに人間としての自分が殺され続けるくらいなら、ソラの手でどうしようもないほどに殺されて、そして……生きていたかった。

 

 ソラの記憶の中で、ソラの罪悪感として、クラピカにもたどり着けないソラの心の深淵にいることが出来たのなら……

 

 それでいいと、思ってしまった。

 

 けれど、……けれど――

 

 

 

 

 

「まったく、君は本当に素直じゃないのに甘えん坊だなぁ」

 

 

 

 

 

 振るった腕は、指先はソラに掴まれた。

 キルアの爪がソラの柔らかな掌を切り裂いて、血が溢れ出る。

 それでも、彼女はその手を手放さない。

 

 自分より年下で小柄だけど、もう手は自分より大きな子供の手を握りしめて離さず、そのまま自分の方に引き寄せた。

 そして、空いている方の手をキルアの背に回して、抱きしめる。

 

 ……柔らかな声がキルアの耳朶に響く。

 

「大丈夫。お姉ちゃんが助けてやる」

 

 (うろ)に溶けた願いは、掬い上げられた。

 

 * * *

 

「――キルアを離せ」

 

 言葉こそは先ほどと比べて静かだが、今までの殺気がぬるく感じるほどにどす黒い怒りが視覚化して見えそうな殺意を込めてイルミがソラに命じる。

 が、イルミの正体を知って涙目だったとは思えぬほど、ソラはケロッとした顔で即答。

「やだ」

 

 断った挙句に、見せつけるようにソラはキルアをさらに抱きしめる。

 キルアの方はされるがままで、いつものように照れ隠しで暴れることもなく、ただ大人しくソラに抱きしめられていた。

 

 イルミが顔を歪ませたのはソラのそんな態度か、キルアが殺してやりたいほど忌々しい女に奪われたことか。

 

「……キル。そいつから離れろ。こっちに来い」

 

 命令する対象をイルミはソラからキルアに変えると効果は絶大で、キルアはびくりと体を震わせてひどく緩慢だが、ソラから離れようとする。

 

「いやだって言ってんだろーが」

 しかし、あまりに弱々しいそんな抵抗、あっさりソラに押さえつけられ、抱きしめられる。

 その手を力づくで振り払わないこと、ソラの血にまみれても離さない手を、キルアも握り返していることがよほど気に入らないのか、イルミの声は徐々に荒くなる。

 

「キルア、言っただろ。お前に資格はないんだ。友達を作る資格も、そいつと一緒にいる資格も。

 お前はさっき、何をした? 何をしようとした? 一緒にいたいと願った相手を殺そうとしておきながら、まだのうのうと望むのか?

 

 お前は、俺がそいつを殺そうとした時、何をした? 何もしなかっただろうが!

 キルア、お前は自分からその資格を捨てたんだ! お前は、自分の身が可愛くて他の奴は死んでもいいって望んだ裏切り者だ!!」

 

 イルミのキルアを責め立てる言葉に、クラピカとレオリオが「イルミ!!」と叫び、武器を構えて睨み付ける。

 明らかに長年の洗脳じみた教育でキルアの価値観を歪ませて恐怖心で支配して、脅迫同然に裏切らせた張本人がまたさらにキルアを責め立て、キルアの罪悪感を煽って傷つけて支配しようとするのが許せず、試験を忘れて完全に臨戦態勢に入った二人とは対照に、ソラの方は何故かほとんど見えていない目を意外そうに丸くして、イルミに向かって言い放った。

 

「イルミ。お前って意外とロマンチスト?」

「はぁ?」

 

 ソラの言動は全て無視するつもりだったが、あまりに突拍子もなく、しかも自他ともに一番イルミを表すのに不似合いな表現が出てきて、思わず脱力して訊き返す。

 幸か不幸か、その発言は即座にソラが「あ、違うか」と自己回答で否定される。

 否定して、訂正した。

 

「ロマンチストとか、性善説信望とは違うか。お前はただ単に、『裏切られる』のが怖いだけの臆病者だよね」

「……はぁ?」

 

 今度は意味がわからないほど突拍子がないものではなかったが、意味がわかるからこそ完全にイルミに喧嘩を売っている発言。

 しかし、ソラの方は相変わらずどれほどの殺気をぶつけてもしれっとした顔で、ほとんど巻き添えをくらって怯えるキルアを宥めるようにポンポンと背中を叩いて撫でてやっている。

 宥めながら、当然のごとく彼女は言った。

 

「自分の身が可愛くて見捨てて裏切った? それが何?

 そんなもんでいちいち他者との繋がりを切ってたら、人類どころか知的生命体は何の進化もしないで生まれては滅びるを短いサイクルで繰り返すだけじゃん。

 裏切りなんか人間が人間である限り誰だって持ってるただの原罪だ。それを許す許さないは個人の裁量で好きにやればいいけど、裏切られるのを恐れて初めから裏切られないように、誰とも関わらないって選択は……まぁ、否定はしない。好きにやればいい。けど、私個人としてそれは、ただの臆病者の逃避だとしか思えないし、他人に強要していいもんじゃないな」

 

 キルアを責め立てたイルミの言葉を、あまりにもあっさり根こそぎ否定し尽くした。

 いや、イルミの言い分としてはきちんと個人を尊重して認めているが、そんな気遣いはイルミからしたらムカつくだけで意味がない。

 

「……お前は、本当に反吐が出る偽善者だな!!」

 イルミが忌々しそうに吐き捨てるが、その罵倒すらも「偽善で結構。それが一番楽だし」と認めて受け流す。

 イルミの言い分を全て聞いていながら受け入れていながら、何も意味がない、揺るがない、傷つかない女の全てが、イルミの全神経を逆なでする。

 

「イルミ、お前は臆病者だ。そして私も、お前とさほど変わらない。むしろ私は、独りきりで生きていくことも怖いから誰かを求める、お前以上の臆病者かもな。

 そして、裏切りはあって当たり前だと思ってるけど、やっぱり実際に裏切られたら普通にムカつく。そりゃ、されないで済むならして欲しくないさ。

 だから、私は自分が側にいて欲しい人、好きになる人を選別してる」

 

 見えていないくせに、真っ直ぐにイルミにその目を向けて語るのが異様に癇に障り、イルミは「黙れ」と命じる。

 もちろん、そんな命令をソラは聞かない。

 青い目は確かにイルミの方を向いているが、イルミの思う通り、ソラはイルミなど見ていない。イルミに語っている訳じゃない。

 

 ソラは、自分の腕の中のキルアに言った。

 ソラを見捨てた、見殺した自分の罪に怯えながら、それでも、簡単に離れそうなほど弱々しくとも決してソラの手を離さない弟に、ソラは伝える。

 

「――私は、裏切られてもいい相手しか好きにならない。

 初めから私を騙していたとしても、騙す為に仕組まれた出会いだとしても、何もかもが嘘であったとしても、私がその相手と過ごした日々に懐き、生まれ、思った感情は……、楽しかったとか嬉しかったとか、そんな感情は裏切られたって偽物にも嘘にもなりはしないのだから、私は裏切らないと思える相手じゃなくて、信じたことを後悔しない相手しか好きにはならない。

 

 私はカルナさんみたいな本物の聖人にも善人にもなれないけど、裏切られたら普通にムカつくし傷つくだろうけど、それでも……君のことが大好きだよ。キルア。

 偽善者な私でも好きであり続けたい人を、君のことを好きであり続けることぐらいは出来る」

 

 ソラの発言にイルミはもちろん、ほとんど蚊帳の外となっている受験生・試験官達も絶句する。

 聖人でも善人でもないという発言は、もう嫌味にしか聞こえない。それこそ、彼女のサーヴァントだった槍兵と同じ。

 触媒などなくても、相性召喚で施しの英雄を引き当てても何らおかしくない発言を、何の迷いもなく、何の誇りもなく、ただ当たり前のようにソラは伝える。

 

 傷つくことを認めている。裏切られたくないと望んでいる。

 それでも、たとえ初めから全てが嘘で、偽りに塗り固められたものだったとしても、そこにあったものに価値があることを認め、許していることを伝える。

「君のしたことなど、気にしていない」と、背負いきれない罪悪感に押しつぶされそうな腕の中の弟に。

 キルアに、伝える。

 

「…………ソ……ラ……俺……、俺は…………」

 

 か細い声が聞こえた。

 ソラの胸に顔を埋め、今にも溢れだしそうな涙を堪え、消え入りそうなか細く、か弱い声だけど……、それでも確かにキルアが訴える。

 

 イルミに奪われた、虚に溶けたはずの声を絞り出して、訴える。

 

「俺……ソラと一緒に……いたい。……ゴンと……友達になって……普通に……遊びたい……。それは……本当なのに……本当に、……したいことなのに……。

 なのに……、なのに……、俺は……俺は!!」

「お前は、裏切った」

 

 キルアの言葉を、イルミは冷ややかに奪い取る。

 彼がどんな思いで、どれほどのものを失いながらその選択を選ばざるを得なくなったのか、そこまで追い詰めておきながら、イルミはまた人形の面でキルアの罪を告げる。

 

「お前は裏切ったんだよ、キルア。自分の命と、そいつらの命を天秤にかけて。幸せだの楽しかったのが例え本当だとしても、お前が裏切ったという事実も本当だ。

 ……言っただろ、キルア。お前にはもう、資格なんてないんだよ。お前は自分の命が一番大事で、それ以外は何だって見捨てられる。それがお前の『本性』だ」

 

 イルミの言葉がまた呪縛となってキルアの思考を蝕み、諦観と絶望に染め上げていく。

 

 イルミの言う通り、ソラが自分と一緒にいた日々を幸せだと言ってくれても、それを壊したのは間違いなくキルア自身であること、キルアがソラやゴンよりも自分の命を選んだことは、魔法使いでない限りもう変えられない。

 自分がまだ二人と一緒にいたいだの、友達になりたいと望むということは、少なくともソラの、ソラが「偽善」と語る優しさに胡坐をかいて裏切り続けるということ。

 

 キルアがあの時、自分の命を選んだ時点でイルミの言う通り、資格はない。

 ソラが全てを許してくれても、キルア自身が自分を、自分の「本性」を許せなかった。

 

 なのに、それでもソラは揺るがない。

 

「……やっぱりイルミって、実はロマンチストというか、人間に期待しすぎだろ?」

 

 呆れたようにソラはイルミの断罪も、キルアの贖罪もぶった切って否定した。

 どこまでも膨れ上がって上限が見えない殺気の中、それでもソラは穏やかに語る。

 

「自分の命より友達の命を優先しなくちゃ友達の資格ないって、夢を壊して悪いけどそんな人間は少数派だよ、イルミ。

『死にたくない』と望むのは、それはもはや全てが生まれて還りつく『 』から別れ、離れ、生じた瞬間から、万象が持つ原初の思考、……本能だ。そんな抑止力級の願望に勝てる奴なんかそうそういない。

 

 キルア。……君は死にたくなかったけど、私やゴンの命より、自分の命を選び取ったけど……そのことを後悔しているんだろう? 言い訳して、その選択を正当化は出来ないんだろう?

 ……君が本当にしたかったことは、私やゴンや他の誰もかれもを見殺して生き延びることじゃなくて、自分はもちろん、私もゴンも生きて欲しかった。守りたかったんだろう? だからこそ、後悔しているんだろう?

 なら、その選択を選んでしまったのは『本能』によるものであって、『本性』じゃない。

 

 ――大丈夫。君はとても優しい子だ。君が思うほど、その罪は重いものじゃないし、取り返しもつく。私もゴンも、ちゃんとまだここで生きているんだから」

「じゃあ、取り返しがつかなくしてやるよ!」

 

 キルアの頭を撫で、穏やかに柔らかく告げるソラの言葉を掻き消すように、イルミが声を荒げて叫ぶ。

 歯を噛みしめて唇の端から血を一筋垂らしながら、体から針を引き抜いて、もはやハンターの資格が頭にないどころか、ソラが弟を抱きしめていることすら見えていないのか、そのまま投げつけようと構えた。

 

 その暴挙に、クラピカやレオリオ、試験官達はもちろん、ヒソカも表情を引き締めてトランプを一枚取り出した。

 ソラも、瞳の明度を上げてイルミを見た。

 しかし、真っ先に反応したのはキルアだった。

 

 引っかかるようにかろうじてだが、確かに握り返していた手が離れる。

 自分を抱きしめていたソラの腕を振り払って、彼女から離れた。

 そして、叫ぶ。

 

「やめろ、イルミ!! ソラを殺したら、俺の目を抉ってやる!!」

「!?」

 

 ガクガクと足を震わせ、試合中のように冷や汗を流しながら、真正面から向き合って自分の両目に二本の指を突き付けて、今にも突き刺せる状態で叫ぶ。

 

 ソラの前で、イルミから逃げずに、自分自身を人質にして、守った。

 

 * * *

 

 とっさに「眼を抉る」という脅し文句が出たのは、ソラが似たようなことを少し前に言っていたからだろう。

 実際、この脅し文句が一番効果的だった。

 

「死んでやる!」では、イルミはそんな度胸などないと判断して無視していたし、他の部位ならば自分で致命的な自傷をする前にイルミに捕らえられていただろう。

 一番短いアクションで、イルミやゾルディック家が目指す理想の「跡取り(人形)」として致命的な欠陥を与えられるのは、この部位しかなかった。

 

 針を投擲しかかったイルミは、キルアが見たこともないほど人間らしく、驚愕と怒りと迷いで顔を歪めていた。

 おそらくキルアのセリフなど、イルミは本気にしていない。だが、感情が昂っている今のキルアなら、勢いで万が一のというのがある。実際に、本来なら起こるはずのなかった「ソラに攻撃を仕掛ける」を既にやらかしている。

 

 ソラを前にして冷静さを失い、集中力が酷く欠けている今現在では、キルアも知らないイルミが施した針による洗脳で、思考の誘導は上手くいかないことを今回でイルミは思い知らされた。

 人形ではとっさの判断力や応用力が皆無に等しいので、キルアに埋め込まれている針はキルアの人格を保ったまま、正常な思考を保ちながらその方向性を、イルミやゾルディック家が望む方向に誘導して歪める為のものであるため、込められたオーラは酷く微弱で、イルミの集中力が少しでも欠くと至近距離でも上手く操作ができないらしく、キルアは怯えながらも本来ならありえない「イルミへの反抗」を行い続ける。

 

「……イルミ、このままソラやゴン達に手を出さないって約束するんなら、俺は今すぐにでも家に帰ってやる!

 けどな、お前がこいつらを殺すって言うんなら、俺はお前が望む『跡取り』としての俺を殺してやる!!」

 

 怯えながらも優秀な頭が素早く回転して、一番効果的な脅し文句を交えながら、交渉する。

 こんな所で教育の成果を発揮する優秀な弟に、イルミは舌を打った。

 

 いきなりの物騒すぎる脅し文句に絶句していた周囲だが、レオリオはイルミが反論できずにいるのを見て、「よっしゃ、キルア!! もっと言ってやれ!!」と煽り、クラピカは一触即発の空気を勢いで煽るレオリオをとりあえず殴って黙らせる。

 試験官たちはじりじりと輪になってイルミを囲み、いつでも取り押さえられるように構える。

 

 そして、ソラの方はというと自分自身を人質にするキルアを、見えていないはずの目をきょとんと丸くさせてから、笑った。

 イルミの神経を逆なでして、何よりも癇に障る笑みを見て、「冷静になれ」という自分の思考は吹っ飛んでまた頭に血が昇る。

 そんなイルミの苛立ちに気付いているのかいないのか、彼女は自分の前に立ちはだかって守ろうとする、今度こそ自分の本能に負けぬように、自分の「したいこと」を貫き通そうとするキルアの肩に触れて、耳元で告げる。

 

「キルア。気持ちは嬉しいが、その交渉は成立しない。イルミは君を帰らせたら、簡単に連絡が取り合えないことをいいことに、すぐにその約束を反故にしてゴンはともかく私を殺す。

 ……だから、カルトと連絡を取り合いなさい。カルトは私のケー番もメアドも知ってる。私の生存報告をカルトから受け取りなさい」

 

 キルアの交渉の欠点を指摘し、その欠点を補う助言を与え、その言葉にイルミは奥歯が少し割れる程強く噛みしめて怒声を散らす。

「お前はあんなことさんざん言っておきながら、キルアの目が潰れてもいいって言うのか!?」

「言うよ。知ってんだろ。私が死にたくないことくらい」

 

 キルアを守るためにイルミを敵に回しておきながら、キルアの犠牲を止めもせず平然とソラは即答した。

 

「けど、出来れば私だってキルアは五体満足であって欲しいからこそ、カルトから私の生存報告をもらえって助言してるんだよ」

 

 悪びれもせず割と図々しいことを言い出すソラに、ハンゾーとの試合のゴンを思い出したのか、イルミとソラ以外の全員が、……キルアも含めてやや呆れたような顔になる。

 

 例外のイルミだけ、視線で殺せるものなら殺してやりたいと思えるほど、ソラに憤怒と憎悪を込めた眼で睨み付けるが、反論の言葉は浮かばない。

 浮かばなくて当たり前。ソラは基本的にイルミの言い分に、反論していない。受け入れている。

 例え正論でも、どこにも矛盾しない理屈が通らないおかしくない部分などないのだから、付け入る隙がある。正反対の意見が出れば、正しい方ではなく声の大きい方が勝つのはその所為。

 しかし正反対の意見どころか全肯定した上で、こちら側の「付け入る隙」に自分の意見を滑り込ませられたら、そこを否定するということは自分の押し通したい意見を撤回しなければならない。

 

 何も言えずにいるイルミを見て、クラピカがもうこの勝敗が決まってしまった無意味なやり取りを終わらせるために、口を挟む。

 

「……ソラと会話をしなかったことが、裏目に出たな。彼女に口先で勝とうなんて、それこそ自殺志願同然だ」

 

 クラピカの発言にイルミは不愉快そうに舌を打ったが、それでも彼は視線をクラピカの方には向けない。彼など眼中にもない。

 ただ、足はまだガクガクと今にも崩れ落ちそうなぐらいに震わせて、冷や汗も止まっていないのに、ソラの言葉でわずかに笑っているキルアと、キルアを支えるように肩に手を置き、自分を真っ直ぐに見据えているソラだけを睨み続ける。

 

 青い瞳は、イルミの憎悪も殺意も全てのみ込んですり抜けて溶かすように、真っ直ぐにイルミを映しながら、ソラは告げた。

 

「――イルミ。私は死にたくないし、キルアも傷ついてほしくない。そして、お前に死んでほしい訳でもなければ、お前から弟を奪いたいわけでもない。出来れば私は、皆が幸福になって欲しいと思ってる。

 イルミ。これが私の『本性』だ」

 

 静かに、あまりにも甘くて現実味のない、キルアよりも子供じみた「夢」を告げる。

 その言葉に対する答えは、一つだけ。

 

「偽善者」

 

 それだけを答えて、イルミは針を構えていた手を下ろす。

 そしてやたらと長い間を開けて、キルアに言った。

 

「…………………………わかった。

 キルア。もう他の試合に出る必要もない。今すぐに戻れ。…………そうしたら二人を、お前がハンター試験で関わった奴らを殺さないと『取引』してやる」

 

 自分の指を突き付けている目をキルアは丸くする。

 ゾルディック家にとって「取引」という言葉は、絶対。そこに家族だから、兄弟だからという恩情や甘えといった曖昧な部分はなく、完全に仕事として嘘偽りなく、相手が裏切らない限り果たし続ける契約。

 

 それを酷く忌々しそうに、不満この上なさそうとはいえ自分から提案してきたイルミに、自分で脅して突き付けていたキルアが信じられず唖然としていると、イルミが苛立ちを露わにしてキルアに言う。

 

「どうした? 俺を見張ってないと殺されると思ってるの? お前に見張られてても、お前をねじ伏せて殺すなんて簡単だ。俺がいない方が、それこそキルはこいつらが殺された時に自分の眼を抉りやすいだろ? そんなこと、本当にする度胸があればの話だけど。

 

 信じる信じないはお前の勝手だけど、俺はこの条件からこれ以上譲る気はないから、あと1分以内にそれから離れないのなら、取引不成立ってことでそれを殺すけど?」

「! わ、わかった! こっちもそれでいい!! 今すぐに帰ってやる!!

 ……けどな、イルミ。俺は本気だからな」

 

 言われてキルアはソラから離れる。ソラも素直にキルアの肩から手を離し、彼が出口に向って行くのを見送った。

 試験官がそれはちょっと困る、すぐに棄権していいのでせめて試合だけは出るようにと口々にキルアとイルミを説得するが、兄弟はその意見をガン無視。

 クラピカとレオリオは、一人で歩いていくキルアの背を見送りながら、何かを言いかけて口を開くが、結局何もいう事が思い浮かばず、黙り込む。

 

 結果としては、最善の方向に向かったのは確か。

 死人は出ず、イルミによって壊れかけたキルアの自我は保たれた。

 ……けれど、結局は一人きりで望まぬ家に戻るしかないキルアに何か言ってやりたかった。

 

 しかし、「迎えに行く」も「助けに行く」も何かが違う。少なくとも、それはクラピカやレオリオの口からキルアは聞きたいわけじゃないことくらいわかっているから、言えなかった。

 キルアがその言葉を望むのは、ゴンかもう一人だろう。

 

 そのもう一人は、そんなこと言ってはくれなかった。

 代わりに、彼女は言った。

 

「キルア。……君に魔法をかけてあげる」

 

 ソラがドアをもぎ取った会場の出入り口で、キルアは立ち止まる。

 イルミは何故か、何も言わない。二人の方さえを見もせず、他人事のように無視し続けるのをいいことに、ソラはキルアの爪で血まみれになった手で指をさし、クルクルその指を回す。

 ゴンにしたような、魔法をかけるような動作をしながら彼女は言ってやる。

 

「君は、大丈夫」

 

 キルアを指さし、断言する。

 

「君は強くなる。どこにだって行ける。何にだってなれる」

 

 それは、ただの言葉に過ぎない。

 

「だから、大丈夫」

 

 ただ、何の根拠もなく言ってやってるだけに過ぎない。

 

「君は、大丈夫」

 

 それでも、彼女は

 ソラは――

 

「……何が、大丈夫なんだが」

 

 震えた声で、振り返りもせずにキルアが言った。

 いつものように可愛げが一切ない小生意気さに笑いながら、ソラは答える。

 

「大丈夫に決まってるだろ?

 私は、多くを認めた第二魔法の使い手、可能性の魔法使いだ。そんな私が君に無限の未来をあげたんだから、ちゃんと自分で選んで歩きなさい」

 

 その答えに、キルアの方も笑って振り返る。

 

 堪え続けていた涙を溢れさせて、ボロボロと泣き崩れながらも彼は笑っていた。

 どうしようもなく嬉しそうに、幸せそうに笑って彼は言い捨てる。

 

 

 

 

 

「お前はまだ弟子だろ、バーカ!」

 

 いつものように、これがこれからも「いつも」であり続けるために、キルアは選んだ。

 逃げ続けた家族(もの)と、向き合うことを。


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