死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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156:夢は終わらない

 何かに引かれるように、遠ざかる。

 ソラの夢から、自分の夢に戻ってゆく。

 

 ソラのことばかり心配していて、ソラを刺してから「そういえば私は自分の夢に戻れるのだろうか?」とかなり遅い不安を抱いたが、その心配は杞憂だったようだ。

 

 ソラが置換魔術の説明で、「本体から精神を切り離して別の体に置換しても、些細な衝撃ですぐに精神は本体に戻る」と説明していたように、体と心はセットであってその結びつきは強い。

 他者の精神に自分の精神を介入させるのは困難でも、他者の精神から自分の体に戻ることはおそらくよほどの事がない限りは、むしろ自動で戻れるものだと解釈して安堵した。

 

 その安堵が余裕を生み、余裕が気づいていたが後回しにしていた疑問や考えを浮上させる。

 しかし、夢の中だというのに瞼が異常に重い。眠ってからそろそろ1時間半は経って、レム睡眠からノンレム睡眠に脳が移行しているのかもしれない。

 

 夢さえ見ない休息を取ろうとしている。そしてその休息を終えたらきっと、別の夢にこの夢は上書きされて、自分の記憶から忘れるか、覚えていてもひどく曖昧なものになる。

 だからこそ、夢の中で瞼が閉じてしまうまでの間、クラピカは考える。

 

 夢は現実の記憶を整理するためのもの。

 忘れるものと覚えてゆくものを整理するためのものだから、この記憶は現実ではないけれど少しでも覚えておけるように、脳に焼き付かせるように反復する。

 

 ソラの胸を、夢魔が擬態していた「点」を貫く際に、何か抵抗や反撃があるかと思ったが、何もなかったこと。

 

 ナイフの刃が全て埋まるまで差し込む時は、さすがに覚悟を決めて迷いがなくとも、見ていたいものではなかったから、目を閉じていた。

 刃が全て埋まってから目を開けたら、自分が刺したはずのソラはそこにはおらず、自分が胸を刺し貫いていたのは、虹色の髪をした花のように美しい……とても寂しげな眼をした男だった。

 

 それが、夢魔だと理屈など関係なく思った。

 ソラを深淵に突き落すために夢の牢獄に閉じ込めた相手が、夢魔が憎かった、許せなかった。

 

 なのに……それなのにクラピカは、何もできなかった。

 ナイフから手を離すことしか、出来なかった。

 

 あのまま腹を掻っ捌いてやることもできたのに、憎悪に任せた行動を取らなかったのはソラと交わした約束があるから……ではなかった。

 どれほど憎くても、あの約束があるからそんなことをする気は端からなかったが、クラピカがナイフから手を離した理由にそれは関係ない。

 

 あの寂しげな眼を見た瞬間、クラピカの中の憎悪が揺らいだ。

 なくなったわけではない。きっと自分は一生、あの夢魔を許さない。

 けれど、憎悪というほど激しい感情ではなくなったことだけは確か。

 

 あの、寂しげな眼に同情してしまった。

 

 クラピカはあの夢魔と会話を交わしていない。

 夢魔がクラピカを見て、寂しげに苦笑したところで視界はホワイトアウトして、何もなくなった。おそらく、そのタイミングでソラは起きたのだろう。

 

 だから何も知らないはずだった。

 なんであの夢魔は、あんなに寂しげな眼をしていたのか。

 どうして自分は、あの夢魔に同情してしまったのか。

 

 その訳は知らないまま、きっと忘れるはずだった。

 同情はもちろん、夢魔を憎んだことさえも。

 

 だけど、クラピカは自分の「夢」に戻ったことで知る。

 きっとあの夢魔も不本意な方法で。

 夢魔を刺した手は、夢魔の血で汚れていた。自分の「夢」に戻ったことでその血は異物扱いなのか、血は泡となってシャボン玉のように浮かび上がって消えてゆく。

 

 血だったはずのものがあの夢魔の髪と同じ虹色の光を放つシャボン玉なって、浮かび上がる。

 

 そのシャボン玉の中に、見た。

 

 

 

『やぁ。初めまして星の開拓者』

 

 

 

 夢魔は宿主に自分の存在を気づかれていないからこそ、宿主の夢を支配できる。脳が休眠しているノンレム睡眠時なら、脳を支配しきって気付かれることなど無いが、レム睡眠時に気づかれてしまえば虫けらのように潰される、無力な存在。

 存在を認知さえしていれば、人間の方が強くて逆らえない。

 

 だから、クラピカが自分の夢の中にまで持ち帰ってしまった夢魔の一部……血が、夢の主であるクラピカの望みに逆らえず、見せる。

 知りたいと思った、あの寂しげな眼の理由。

 クラピカが同情してしまった訳。

 

 夢魔の血だったシャボン玉の中に、夢魔の記憶が映っている。

 それは、一人の青年との記憶。

 一つ一つがあまりに小さなシャボン玉の中に入っているので、ほとんどよく見えなかったけれど、それでもわかった。

 

 あんなに寂しげな眼をしてた理由なんて、本当はこんなものを見なくてもわかっていた。自分が同情した訳も。

 

 ひときわ大きなシャボン玉が、声も再生して見せた。

 あまりに無謀な夢に向かってゆく「彼」に、夢魔が告げた別れの言葉。

 

 

 

『無駄死にしかならないから、やめたら?』

 

 

 

 

 その言葉の真意さえもわかっていたから、クラピカは抵抗しきれなくなった瞼を閉ざし、届かないのはわかっていても、伝えたい言葉を口にした。

 

 

 

「……お前は馬鹿だ。……お前は……ただ…………その『友達』に――――」

 

 

 

 同情した理由なんてわかりきっている。

 ただクラピカはあの目に、『自分』を見ただけ。

 

 親友(パイロ)を喪った自分自身と夢魔を、重ねただけだ。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 クラピカは夢の中でシリアス続行中なのだが、彼と同時進行のソラ達の方はというと……。

 

「あのさ、ソラ君。私が言うのもなんだけど、本当にあの状況であの技はどうかと思う」

「本当にお前が言うな。全部お前の自業自得で、私は悪くない」

 

 不幸中の幸いか、肉体など「一応ある」程度でしかないマーリンは常人ほど深刻なダメージを負わず、去勢拳によって死という笑い話にもしたくない幕引きは起こらずに済んだ。

 むしろ、見ていた男たちの方が精神ダメージを引きずっているし、人の精神活動を糧とするマーリンにとっても、自分の肉体的ダメージよりそっちの方が影響を受けてキツイ。

 

 なので、別に痛みはもうないのだが顔色は悪いままその場に正座をさせられつつ、表情は当初と変わらない腹が立つほど爽やかな苦笑でソラに苦言を零しているが、マーリンの前で仁王立ちして見下ろすソラは彼の言い分を一蹴。

 

 実際、いつものカルナとの人格交代と違って今回はマーリンが夢を見せていた所為で、してないよりはマシ程度の記憶共有もしていないので、ソラは自分が眠っている間に起こったシリアスなど知る由もない。

 そして、ソラが眠る直前の記憶はマーリンによる盛大なセクハラだ。

 この条件下で「今、シリアスやってるから我慢しろ」という言い分の方が、ソラにとって残酷で理不尽。確かにソラの言う通り、実はあのやらかしは正当であってソラは悪くない。

 

 他の連中もそう思っているのか、マーリンと同じように「あれはどうよ?」と言いたいのだが言えずにいるし、良い事なんだがマーリンが逃げ出しも抵抗もしない所為で話と空気の軌道修正が出来ず、ソラが爆砕したシリアスは未だに戻らない。というか、どうやって戻せばいいのか、戻していいのかもわからない。

 

 なのでとりあえずゴンは、事情がよくわかってないであろうレイザーに事情説明をし、ビスケは元の少女バージョンに戻って、レイザーにもらった治癒用のカードで眠気覚ましに負った舌の傷を癒す。

 そしてキルアはソラの傍らで、マーリンがまた何かをやらかさないかを見張る。自分がマーリンに対して何の抑止力にもならないことはわかっているし、そもそもソラに「こいつにホイホイ近寄るな! 学習しろ!!」と言いたいところだが、4次試験のハンゾーに対してと同じ羞恥による怒りでキレているソラに、そんな事を言える勇気などキルアにはない。

 

 それに、実はキルアもソラのやらかしで忘れかけていた、自分がブチキレた最初の理由を思い出したので、ソラが起きたことで自分の計画は失敗したと悟ってマーリンが大人しくなったことをいいことに、ソラのブチキレと吊るし上げを止めなかった。

 

「……つーか、お前そもそも『あれ』やる必要あったのか? さっき、俺達にしようとしたみたいに二重掛けすれば、こいつ普通に寝たんじゃね?」

「キルア君の言う通り、それが一番の安全策だったけど、それだとソラ君は直死を使って思い切りの良すぎる眠気覚ましをしそうだったからね。まぁ、第一は私がしたかったからだけど。とても柔らかくていい感触だった。実に役得だったよ」

「「死ね!!」」

 

 ついでにふと疑問に思ったことをキルアが尋ねてみたら、マーリンは現れた当初と同じ飄々としたテンションで、あれは意図的なセクハラだったことを無駄に正直に暴露してきて、ソラとキルアが同時にマーリンを蹴り飛ばした。

 二人の蹴りを完全無抵抗で受けて吹っ飛び、森の茂みに突っ込みながら大の字になって倒れるが、それでもマーリンはおかしげに、愉快そうに笑っていた。

 

「はははっ、ごめんごめん。まぁ、犬にでも噛みつかれたと思って忘れてほしいな」

「犬に謝れ、この害虫! こっちにとってはナメクジが口に入ったレベルで最悪なんだよ!!」

「え……、そこまで?」

 

 マーリンの軽すぎる謝罪に余計にソラがキレ、自分の唇をゴシゴシとツナギの袖で真っ赤になるほど拭いながら叫ぶと、起き上がったマーリンがさすがにショックを受けたような顔になる。

 ……月よりも遠い眼で、どこまでも人間らしい感情をわかりやすく表している。明らかに今の彼は、嘘こそはついていないだろうが何も本音で話していない。

 

 そのことにキルアとビスケ、そしてレイザーは自分たちが舐められていると感じたのか不快そうに舌を打つなり、眉間に皺を寄せるなりの反応を見せる。

 ゴンは、マーリンがまた遠ざかったこと、本音を隠して見せてくれなくなったことを悲しむような顔をしていた。

 

 そして、ソラは――――。

 

「……けど、そうだな。お前のする事なんか気にし続ける方がバカらしい」

 

 そう言って、背を向けた。

 あまりに無防備に、無関心を露わに、「もうお前には用なんかない」と如実に表してそのままキルアを連れてゴンとビスケの元に戻ろうとするので、思わずキルアが一瞬呆気に取られてから反論する。

 

「……って、待てよ! お前、あそこまで空気を粉砕しといてそれで終わりかよ!!」

「ん? キルアはまだムカついてんの? ならボコるのは協力するけど、あいつに肉体ダメージは見ての通り、あんまり意味ないよ」

 

 本気で彼女自身はもうマーリンに興味はない、彼の動機を知る気もない事を知り、キルアはもちろん他の連中も絶句。

 ただ、マーリンも同じく何も言わずに黙り込んでいるが、彼に驚いた様子はない。

 

 彼だけはソラの反応などわかりきっていたと言わんばかりに……、そしてその反応こそ見たくなかったからこそ相手の神経を逆撫でする対応をしていたのに、それは無意味だったことに子供のようにふてくされて、あさっての方向に顔を向けている。

 

「……お前、マジか? 本気でこいつにもう用はないっていうのか?」

「ないよ」

 

 キルアがポカンとしながらもう一度尋ねるが、答えは変わらない。

 したいことや言いたいことはあるが、何をしても相手には届かない、無意味だとわかっているから諦めているようには見えない。

 悔しげでも、強がるように笑うでもなく、完全に素の無表情。思う事がないからこその無表情でソラは言い放つ。

 

「君たちがあいつからどんな話を聞いたかは知らない。興味ない。私は目覚めただけで十分だよ。セクハラの鬱憤は、去勢拳で晴らしたし。あいつの目的なんか、本当にどうでもいい。

 まぁ、君たちを傷つけたり悲しませたことは許せないし、カルナさんに苦労を掛けたと思ってるし、師匠もせっかく被ってた猫というかロリの皮が剥がれて、君たちにドン引かれているのは申し訳ないとは思うけど、それでも私個人としてはもうあいつに用はない」

「申し訳なく思うなら、なかったことにしろ!!」

 

 さすがに一言で終わらせるのはどうかと思ったのか、ソラは自分の考えを整理するように宙に視線を彷徨わせて補足すると、ビスケは自分の下りで真の姿になっても歯が立たなかった悔しさと、弟子に引かれていた事実にムカついたのか、バインダーを具現化してソラに投擲。

 突き刺さる勢いで角が後頭部にぶつかったので、レイザーが心配して「大丈夫か!?」と尋ねるが、他の連中は全くソラを心配してないわ、ソラ本人もケロッとそのバインダーをビスケに投げ返すので、レイザーはちょっと自分の中の常識を見失いかけた。

 

「いたた……、まぁ、皆が私の事を想ってマーリンを怒ってたり、警戒してるんならその気持ちはありがたいけど、そこまでしなくていいよ。

 どうせこいつはもう、同じ事はしないで大人しく諦めるだろうし」

「……なんでそう言い切れるんだよ?」

 

 ビスケにバインダーを投げ返し、自分の望みと警戒しなくていい訳をまとめて告げると、キルアは不服そうにまた尋ねる。

 気に入らなかった。ソラがもうマーリンを相手にしないのは「好きの反対は無関心」なら、「いや、警戒はしろよ」としか思わない。嫌悪であっても、マーリンにソラの関心が奪われるよりは、危機感がなくても無関心の方がキルアの心は穏やかでいられる。

 

 けれど、ソラは何故かマーリンをどこか信用している節で話している。

 自分が眠っている間の事をまだ何も知らないとはいえ、自分が奴に殺されかけたことくらいはわかっているはずなのに、何故「もう同じことはしない」と言い切れるのかがわからなかったし、気に入らなかった。

 

 しかしこの鈍いのか敏いのかよくわからない女は、キルアの心情には気付いてないのにマーリンという生き物については、不本意だがある程度の付き合いがあるレイザーより把握していた。

 

「私が無事目覚めたから。そして、君たちが眠気覚ましの為の自傷くらいしか負ってないからかなぁ、根拠は。

 こいつと戦ったのならわかるでしょ? こいつ相手じゃカルナさんだって分が悪い。ちゃんと自分の体ならともかく、私の体じゃハンデにしかなってなかったはずだよ」

 

 しれっと、当たり前のことのようにソラは答えた。

 

「こいつが本気で手段を選ばなければ、私達に勝ち目なんてない。それぐらいに次元が違う。

 けど、今ここで全員無事ってのが、なんだかんだで私がこいつを警戒しない理由。

 ……マーリン。お前はここでも向こうでも、起こった出来事が違っていても変わんないな。本当、人間のことは何にもわかってない人外なのに、お前は人間基準で見ても相当なお人好しだ」

 

 自分たちが敵に回した相手がどれほど規格外だったかを教え、そんな相手に眠気覚ましの自傷しか負っていないこと、そのことを改めて強調してからソラは振り返り、マーリンに告げる。

 悪戯がばれた子供のように、そっぽ向いてふてくされている夢魔に対して呆れているような顔と口調で、隠しきれずにいた彼の「本質」を突き付ける。

 

「お前、自分でやってて今回のやらかし、お前自身が一番きつかったんじゃない? 本音で言えば全くしたくなかったから、色々と詰めが甘かったんだよ」

 

 自分たちの勝因を告げる。

 マーリンの敗因は、マーリン自身だと突き付けた。

 

 その答えに、マーリンは何も答えずさらにソラから目を逸らすように顔を背ける。

 彼の反応で、ソラの言っていることが図星である事を全員が察するが、キルアとビスケ、そしてレイザーはそれでも信じられずしばしポカンと口を開けていた。

 

 信じられる訳がない。彼が人間基準で見ても「お人好し」なんて評価は出来ない。そんな評価が出来る要素なんてなかった。彼は「優しい」とは言えるかもしれないが、その優しさは人間には理解出来ない、人外の価値観によるものだった。

 

 優しくても、こちらの事を真摯に思っていてもわかりあえない存在だと思っていた。

 けれど、まだ理解し切れていない、信じられない彼らにソラは振り返って向き直り、語る。

 

「こいつっていうか夢魔は、人間の精神活動を糧にする。つまりは人間の感情が餌だ。

 で、こいつはなんだかんだで人類のハッピーエンドを美しいって思う感性を持ってる。つまり、こいつの好みは感情は、喜びとか幸福とかそういう正の感情なんだよ。

 ……こいつにとっちゃ嫌いな食べ物ぐらいの認識だろうけど、糧だからこそある意味では、人間よりも切実にそれを嫌って、その感情が生まれない為に尽力する。

 

 裏切られた悲しみや、わかりあえない寂しさ、憎悪や無力感、絶望とかいった負の感情は大っ嫌いだから、結果的にこいつは人間の事を何にもわかってないし、わかりあえやしないけど、誰よりも何よりも真剣に悲劇を回避しようとする。……人を助けようとするんだ。

 

 だから、正確に言えばお人好しではないね。どこまでも自分本位なクズだ。

 けれど、他者の感情が自分の都合に直結するからこそ、こいつは人助けに対して真摯だ。結果主義で、誰かの人生を人類のハッピーエンドの為に使い潰すことに罪悪感がなくても、その使い潰された人間の終わりが悲哀なら後悔するし、途中でその人が助けを求めていたら絶対に助けてた。

 

 ……本当にこいつはクズだけど、性格最悪だけど、でもこいつは悪役になんかなれやしない。泣いている子供がいたら、自分の腕を失くしていたとしても手を差し伸べずにはいられないお人好しなんだよ」

 

「夢魔」という人外が何を糧にして生きているのかを改めて説明すれば、呆気を取られていた3人もそれぞれ納得する。

 確かに本質的に言えば自分たちが思っていた通り、マーリンはお人好しなんかではない。

 けれどソラの言う通り、他者の感情が自分の都合に直結しているのなら、確かに人間よりも他者に対して、ある意味では思いやりのある行動を取るだろう。

 本質は人でなしの見本でも、人間基準で見れば確かにマーリンはお人好しだ。

 

 そして考えようによっては、本質が自己中心的な人でなしだからこそ、この先に危険性はないという信頼も出来る。

 本心からの善意で行っていたのなら、例えキルア達に一生恨まれてもマーリンは自分の選択を諦めなかったかもしれないが、こいつは全部自分の都合で行って、そして自分の都合で自滅したのだから、むしろまだ続ける理由がわからない。

 

 だから、納得しても良かった。むしろ、このまま納得して一刻も早く、彼女をマーリンから引き離すべきだと冷静な思考が訴える。

 それでも、キルアは尋ねずにはいられなかった。

 

「……だから、許すっていうのかよ?」

 

 このまま、どうして自分を殺そうとしたのかを訊こうともしないで、えげつなかったがマーリン相手ではさほど意味がなかった報復で自分にしたことを許して、奴を無罪放免にしようとするソラに訊く。

 

 ソラがマーリンに何の興味も懐かず、このまま奴と関わらずに去っていくことがベストだとはわかっている。

 彼女は自分が想定している以上に、逃げ場のない運命であること。おそらくはあと1年半ほどしか、命の保証がないことを知って欲しくない。

 そんな事を知ってしまえば、それこそソラが歩み築く「結果」への「過程」すらも死刑執行日までのカウントダウンでしかないものに、絶望になってしまうから。

 

 けれど、それでもキルアには問わずにはいられない。

 自分の問いでマーリンの動機に興味など懐いて欲しくないのに、マーリンのことなどなかったことにして欲しいのに、それでもマーリンを許して欲しくなかった。

 

 彼女が許したら、自分の懐いた怒りも、やっと顔を上げて見つけ出し、掴んだ答えも偽物になってしまう気がしたから。

 だからキルアも、ソラの為ではなく自分の為に、自分の都合で自己本位で訴えかける。

 

「いや、許す気はこれっぽっちもないよ」

 

 その訴えに、「この子は何を言ってるんだろう?」と言わんばかりの顔で、ソラは答えた。

 キルアの「許すな」という訴えに、応えた。

 

「……あぁ。マーリンに対して甘すぎるって、私を怒りたい訳ね。

 そう思われても無理ないことしてるけど、甘いつもりはないよ。私は私自身のこと、あいつが何を思ってやらかしたのかはどうでもいいけど、君達を不安にさせてカルナさんに迷惑をかけたことに関して、あいつを許す気はないし。

 ただ、これ以上あいつを責めてもどうせ理解出来ないから無駄だし、それならさっさと引いた方がこっちにとっても都合がいいから引くだけだよ。ハンゾーの時と同じ」

 

 ソラの即答にまた言葉を失うキルアだが、ソラは一人勝手にキルアが何故「許すな」と訴えかけてきたのかを合点して、再び説明する。

 キルアの失っていた言葉は、その説明の最後で取り戻す。オウム返しで尋ねる。

 

「ハンゾー?」

「うん。私は良心に付け入ってるだけだ。

 こいつの場合、良心とは言えないものかもしれないけどね」

 

 何故かいきなり出てきた彼女と同期であり、ある意味ではマーリンと同じく忘れたい方面で因縁のある相手を出されて戸惑うキルアに、ソラは悪戯っぽく笑って答える。

 その答えでようやく、ソラの意図に気付いた。

 

「という訳で、マーリン。私達は自分たちが選んだ道を一歩も引く気はねーから、バッドエンドが嫌ならその覗き趣味をやめるか、……今度こそ私たちの価値感に合わせて助けろよ?」

 

 悪戯っぽい笑顔のまま、もう一度振り返って彼女はマーリンに言ってみせた。

 4次試験でハンゾーの良心に付け入って、キルアやゴン達、自分の大切な人達に何かあったら助けて欲しいと「お願い」したように、ソラはマーリンに付け入る。

 

 良心ではなく、マーリンが「夢魔」であることを利用して、付け入って自分たちを助けろと図々しく言い放つ。

 その言葉に、その言い分に、見たくないから背けていたはずの顔を、逸らしていた目を向ける。

 軽く目を見開いて、マーリンはソラと向き合った。

 

 自分を見るマーリンのその目に、ソラは見覚えがあった。

 だから、彼が何を言うのかなんて想像がついていた。

 

「……君は、本当に僕好みな物語を築いてくれるね。……でも、僕は君の一番のファンである自信があるけど、君の事、すごく苦手だな」

「それも自業自得だ、バーカ。そもそも、苦手なのは『私』じゃないだろ?」

 

 想像ついていたから、ソラは即答で言い返す。

 一方的に迷惑な好かれ方をされた挙句、また一方的に振られたのだからソラに言う権利はある。

 振られた理由、苦手意識の理由にソラ自身が原因でないのならなおの事。

 

『君の事は好きだよ。可愛いし、面白いし、見てて飽きないし、僕が望んだ結末にだいたい全部持って行ってくれるから。

 けど、同時にすごく苦手だ』

 

 同じ目をして、同じ様な事を言った。

 

 ソラが自分の世界で、妖精郷の塔の中で永遠に幽閉されている……己の犯した罪に囚われつづける夢魔は、今のマーリンと同じ酷く寂しげで……、けれどとてつもなくソラを慈しんでいる眼をしていた。

 距離などない、眼だった。

 ただただ、あまりの懐かしさに涙しそうな眼をしていた。もう再会出来ない人とまた出会えたような、けれどそれは決して再会したい人ではない事をわかっていたから、だからとても寂しげに、悲しげに笑って、花の魔術師はソラに言った。

 

『だって君は、僕に人生を使い潰されてもきっと最後は――――笑って、礼を言うんだろ?』

 

 マーリンがただ見たかったハッピーエンドの舞台装置としてソラ自身が使い潰されても、その結末が自分も夢見た幸福な終わりだとしたら、マーリンを嫌いつつ、クズだの人でなしだの罵りながらも、笑ってその結末に導いてくれたことへの礼を告げるであろうことを予測して、勝手に苦手意識を懐いていた。

 

 それを聞いた時のソラの率直な感想は、「なんじゃそりゃ」一択だ。

 だってその感想は、その苦手意識にはソラなんて一切関係ない。

 

「お前は私が苦手なんじゃなくて、私に誰かの面影を見てるだけだろ。苦手なのは私じゃなくてその『誰か』だし、その苦手意識も自業自得の後悔だろうが」

 

 きっぱり、「私に責任転嫁すんな」と言い放って今度こそソラは、キルアを連れてマーリンから背を向けて離れて行ってしまう。

 

 その背を眺めながら、……あまりに懐かしく、けれど全くの別人だと思い知らされながらマーリンは苦笑した。

 泣くのを我慢するような、苦笑で呟く。

 

「……あぁ。そうだね。……全てが僕の自業自得だ」

 

 わかっていた。それでも、見ずにはいられなかった。

 それほどに鮮烈な面影だった。どうして、そんなところが一緒なんだと泣きたくなるぐらいに。

 

 ソラは似ていた。同じだった。

 わかりあえない事を理解していながら、それでも自分に関わってきた人に。

 

 マーリンが人でなしの夢魔であること、わかち合えない人外「でも」ではなく、人外「だからこそ」一緒にいることを求めた「彼」と、ソラはあまりにもよく似ていた。

 

 * * *

 

 ソラがマーリンから離れて、ゴンやビスケ達の前に来たところでいきなり、マリオネットの糸が切れたようにがくりと膝をつく。

 キルアとゴンが慌ててソラが倒れないように支え、ビスケとレイザーはマーリンを睨み付けて臨戦態勢を取るが、彼は緩く首を横に振った。

 

「あー……、待って。今のはマジであいつは関係ない。カルナさんがオーラ使いすぎたせいで、体の方が限界でマジで眠いだけ……」

「あんたはどんだけ寝る気なの!?」

 

 またマーリンと一触即発になりそうだったので、ソラはゴンとキルアにもたれかかりながら、ビスケ達に彼の所為ではない事を伝え、ビスケは照れ隠しなのかちょっとキレてソラの頭を引っぱたいた。

 ビスケに叩かれてもソラは「あー……ごめん」と覇気のない生返事しか返さない事で、冗談抜きで限界であることをビスケは察し、「……いいわよ、説教は起きた後にしてあげる」とだけ言ってやる。

 

「……お手柔らかに、お願いします」

 

ビスケの言葉に寝ぼけているからか馬鹿丁寧に要望を出して、そのままソラの体から力が抜けて完全に二人へ体を預けて眠りに落ちた。

 夢魔の前で、あまりに無防備に再び眠りつく。

 

「……限界だったのはわかるけど、ここで寝るか? お前」

 

 抱きかかえながら、キルアは呆れたように言った。

 好きな相手か、信頼している者の前でしか見せないと言っていたソラの寝顔を見つめながら、やっと取り戻したことを喜ぶように笑って。

 

 キルアのその微笑ましさにからかってやりたい衝動に駆られるが、ここでそれをやったら弟子の事をエアブレイカーだの何だの非難できなくなるので、ビスケは視線を弟子たちからレイザーに移して言う。

 

「とりあえず、あたしたちの目的は達成したから、後の事はG・M(あんたたち)に任せてもいい?」

「あぁ。俺達の方はそれで構わないが……むしろお前たちの方は良いのか? こいつがやらかしたことについて、結局ソラは何も知らないままだぞ?

 ……何より、情けない話だがG・M(俺たち)はあいつをこの島に捕え続けていられる自信はない」

 

 後片付けや面倒事をレイザー達に丸投げして、ひとまずゆっくり休めるようにどこかの町に戻って宿でも取ろうと考えながらビスケが言うと、レイザーは丸投げは了承してくれたが戸惑いながら本当にこのまま、マーリンを放置していいのかと念押しする。

 

 一応、この後マーリンはカードの呪文(スペル)を使って監視と行動や念能力に制限を付け、このままG・I内に幽閉するつもりだ。追放も考えたが、この島を奪ったのは自分たち側という罪悪感を抜いても、この男を野放しにした方が危険であり無責任だと考えて、むしろマーリンを島から出れないようにした方が良いという結論をG・Mたちは出した。

 

 だが、いくらG・M全員の念能力を総合した相互協力(ジョイント)型でも、本当にマーリンを拘束し続けることなど出来はしない。

 効果があったとしたら、それはマーリン自身にその念能力を解く気がないだけ。この男は、きっといつでも好きな時に自分を拘束するものなど無効化して、逃げ出すなりまた余計なちょっかいを掛けることだって出来るはず。

 

 そのことをわかっていたから、尋ねる。

 ソラの言い分は理解出来たし、癪だが納得もしたが、それでもレイザーはマーリンを信用しきれない。

 だから、自信はなくとも彼らが望むのであればもうそんな心配のしようがないように、今ここでマーリンを始末する覚悟を持っての言葉だったが、ビスケは面倒くさそうに顔をしかめて手を振って答える。

 

「あぁ。いいのいいの。ぶっちゃけあいつの動機はこの子が知らない方がいいもんだから、興味ないのなら好都合なぐらいよ。

 あと、うちのバカ弟子こそお人好し過ぎて迷惑なくらいのアホだけど、生存本能が凄まじいからまだあいつが殺す気なら絶対に気付くし、警戒を解かないわよ。

 

 ……この子の言う通り、あれはもう手出しする気はないと思うわさ。だからあたし達も、もう終わりよ」

 

 ソラが何も知らない方が好都合と言い切られ、レイザーは反応に困るが事実である。

 この女は自分の未来が悲劇を知っても絶望するどころか、それを阻止する為にただでさえ暴走機関車なのが更に暴走するのが目に見えているので、本当に知らない方が誰にとっても都合がいい。

 

 そしてお人好しだが優先順位は意外と厳密につけるからこそ、マーリンに対して同情や憐れみを懐いていても、自分たちに危害を加えてくるかどうかという判断に甘さは生じない。

 ビスケにはよくわからないが、ソラはソラなりの客観性で見て論理的に判断したのだろう。

 危険が薄いどころか完全にないと確信してない限り、一度はしてやられて痛い目を見た相手にこの女は、あんなに無防備に背を向けない。

 

 そのことをよく知っているからビスケは「大丈夫」と言い張り、レイザーの方もこれ以上の説得は自分の実力がマーリンの足元にも及んでいない事を告げるだけなのはさすがに嫌だったのか、もう何も言わなかった。

 

「……なら、こちらも構わない。むしろ俺たち側の不備で迷惑を掛けた。

 さすがにゲームの攻略や展開を優遇はできないが、ゲーム外でなら今回の件の詫びとして出来る限り力になるから、いつでも頼って来てくれ」

 

 そう言って、レイザーは早速ビスケたちに「同行(アカンパニー)」と、ビスケの怪我を直すのに使っていたG・M専用の治癒効果の呪文(スぺル)カードを3人分譲渡してやる。

 

「治癒用のカードは今日一日しか使えないから、ゲーム攻略に使おうと思うなよ」

 

 レイザーに注意されて、ほぼ無傷に近いソラとキルアの分は取っておこうかと考えていたビスケは舌を打ってから、それでもちゃんと礼は言った。

 礼を言って、さっそく「同行(アカンパニー)」を使ってテキトーな街に戻ろうとしたが……

 

「……待って!」

「!? ゴン!?」

 

 ソラをキルアと一緒に支えていたゴンが、キルアにソラを任せて飛び出した。

 飛び出し、マーリンに歩み寄るゴンにキルアだけではなくレイザーとビスケも叱責のような声で呼びとめるが、ゴンはその声に心の中で「ごめん」と謝り続けながら、それでも未だに地面に座りこんだままのマーリンの前に立って言った。

 

「……ねぇ、マーリンさん。……一つだけ、教えて」

「……なんだい?」

 

 どうしても訊きたいことがあった。

 問い返すマーリンの笑みは最初と同じく、どこまでも穏やかだが酷く遠い。ソラに対して泣きだしそうになりながらも、懐かしんでいた距離の近さはもうない。

 人外と人間との距離を如実に表す眼と、上っ面だけの友好を表現した笑顔だった。

 

 きっと、マーリンは本当の事を言う気などなかった。ゴンが訊きたいことが何なのかを想像ついていたからこそ、煙に巻く気しかなかったのはゴンにだってわかっていた。

 

 それでも、どうしても知りたかったから。

 だから、訊いた。

 

 

 

「……マーリンさん。あなたが……出会ったことを後悔していない人って……俺の身内?」

 

 

 

 虚を突かれたように、マーリンの顔から微笑みが消えて目は軽く見開いた。

 その見開いた眼で、何かを探すようにゴンを見る。

 ソラに見た面影を、彼にも探すように。

 

「……最初はジンかなって思った。……けどマーリンさん、ジンについては普通に話してた。俺が指摘しただけで世界が崩れそうになるほど、後悔してないのに後悔してる人の事を、自分から上げた話題でも普通に話せる訳ないよねって思ったら……ふと思い出して、気付いたんだ。

 マーリンさん、俺に対して何度か『フリークス家』て言ってた。ジンのことを思い出していたのなら『ジンの息子』って言えばいいのに、もっと大枠の『フリークス家』でくくってたから……だから、マーリンさんはもう一人くらい『フリークス』を……、俺にもジンにも似ている俺の身内と親しかったんじゃないかって思えたんだ。

 

 ……その人が、マーリンさんにとって後悔したくないからこそ、大きな後悔になってしまってる人なんじゃないかなって思った」

 

 本当にゴンが知りたかったことは、その「誰か」と何があったか。

 どんな別れだったから、それはマーリン自身が本来ならする訳がない、大きな悲劇を避ける為に小さなバッドエンドを先に行って終わらせるなんて手段を取るようになったのかを知りたかった。

 

 けれどそれは、きっと自分では触れてはならないものだと思えたから。

 だからそのことには尋ねず、ただその「誰か」が「誰」だったかだけを訊く。

 

「……訊いて、どうするんだい?」

 

 笑みが消えたマーリンは、またしても目を逸らして顔を背けて無表情で問い返す。

 眼を逸らし顔を背けているのも、無表情なのもゴンに自分の感情を悟られたくないからではなく、きっと彼自身が自分の感情に気付きたくないのだろう。

 

 それは諦観ではなく、そうなることを期待していながら諦めきれない足掻きであることくらいゴンにはわかっていたから、迷いなく答える。

 

「探して、見つける。見つけて、言うんだ。『マーリンさんが会いたがっていたよ』って」

 

 ゴンが正確に知りたかったのは、自分の身内かどうかではなく、その「誰か」を探し出せるだけの情報。

 自分の身内かと訊いたのは、マーリンの話からそう思えたからと、身内ならミトやひ祖母に尋ねれば何かわかるかもしれないという期待からであって、別に身内でないのならそれで構わない。

 

 ただ、マーリン自身が自分の罪に囚われてどこにも行けないままならば、自分が代わりに見つけて伝えたいと思った。

 

 どんな別れだったかも知らないけれど、マーリンとその「誰か」はまだ終わっていない。

 まだ「結果」ではなく「過程」の途中だと信じているから、マーリンが自分からその「過程」を途中で切って終わらせて欲しくないから、代わりに足掻くと告げる。

 

 そんな子供に、子供の余計なおせっかいに、マーリンの為ではなく単に自分が嫌だからというだけの理由で……、マーリンそっくりの自分本位なワガママで誰かのハッピーエンドを心から望んで足掻こうとする子供に、彼はやはり目を向けずに答えた。

 

「300年前の人間を?」

 

 しれっと、もう生存など絶望的どころではない年月が経っていることを告げる。

 それで、終わらせたつもりだった。無神経なおせっかいは、子供が描いた淡くて優しい夢物語は、残酷な現実によってもうとっくの昔に終わっている事を知らしめたつもりだった。

 

 なのに、ゴンは……。

 

「うん。探すよ」

 

 即答した。

 意地になって後が引けないからヤケクソで言った訳ではなく、ゴンはむしろマーリンの答えに安堵したように笑って即答して、思わずマーリンの視線はゴンに戻る。

 ゴンとマーリンのやり取りをハラハラと見守っていた他の連中も、安らかに眠っているソラ以外絶句している。

 

 ソラよりもぶっ飛んだことを言い出してドン引かれているゴンだが、そのことに気付きもせず彼は言った。

 自分が笑って、安心して即答で来た訳を。

 

「そんな風に言うってことは、マーリンさんはその人と別れてからどうなったかを、全然知らないんだね。もう死んじゃってるっていう確証、マーリンさんにもないんでしょ?

 だからマーリンさんは、後悔してないのに後悔し続けてるんだ。自分の後悔を挽回できるかもしれないのに、それがもうないかもしれない事を思い知るのが怖いんでしょ?」

 

 ゴンを突き放す為に告げた「300年前の人間」という情報から読み取った、マーリンの本音。

「もう死んでいる」という終わりを告げなかった、告げられなかった訳を見抜いていた。

 

「マーリンさん自身も、期待してるんでしょ? 300年たっても、それでもまだ『その人』が世界のどこかにいることを。死者の念とか、自分の記憶や人格を念能力で保管してあるとか、そういう可能性なら十分にあるから、期待が捨てられないんでしょ。

 

 なら、その期待を俺に預けてよ。俺が、代わりに探して見つけてくるよ」

 

 ゴンの言い分にキルア辺りが「無茶言うなよ」と突っ込みかけたが、思ったよりゴンは現実的な可能性でものを見て言っていた。

 確かに、300年前の人間がまだ生きている事は妄想にしても馬鹿げているが、死者の念を含めると存在し続けている可能性はある。

 もしかしたらその「誰か」の念能力は、他者や何かに人格や記憶を引き継げるもので、そのことをマーリンが知っているのなら、彼が未だ期待を捨てられない事にも説明がつく。

 

 もちろん、マーリンが否定してしまえば終わりの仮定だ。

 だけど、マーリンは否定しなかった。肯定もせず、結局はその「誰か」の名前もゴンの身内かどうかも答えず、またふいっと目を逸らして黙り込む。

 

 やはり、自分の言っていることは無神経で余計なお世話だったとゴンは思ったのか、申し訳なさそうに眉を下げて「……ごめんね、マーリンさん」と謝り、キルア達の方へと戻って行った。

 謝りはしたが、何も諦めないまま。

 期待を預けてもらえなくても、自分がしたいから勝手にやろうと決心して、ゴンはマーリンから離れる。

 

「……君に、君達に一つ、僕は嘘を吐いた。それだけは、謝るよ」

 

 マーリンはゴンの問いに答えず、彼に期待を預けやしなかった。

 けれど、隠し通したかった嘘を捨てて、真実を告げた。

 

「ソラ君の幸せを、世界を全て見渡して探したけどなかったっていうの、あれは嘘だ。

 ……僕は世界全てなんか見ていない。せいぜい、半分だけ」

 

 ゴンの「なくてもいい。見つけるから」という答えを否定する根拠だった言葉は嘘だったと告白する。

 

「……見たくなかったから、見なかった。300年前からずっと、僕は千里眼を半分塞いでいるようなものだ。

 ……だから、もしかしたらその『世界の半分』には、あるかもね。ソラ君が傷つかず、奪われず、幸福になれる未来が」

 

 その告白は、ゴンが語った仮定の肯定にも聞こえた。

 世界全てを見渡せる眼を持つからこそ、知ろうと思えば答えは知れたはず。なのに未だ「300年前の人間」がどうなったかをわからない、「死んだ」とは言い切れなかったのは、彼が見ようとしない世界の「半分」にその答えがあるから。

 

 全てを見た訳ではないのに、ソラの幸福はこの世のどこにもないと言い切ってあの暴挙を犯したのは許しがたいが、ゴンだけではなくビスケも、キルアですらマーリンを責める気にはなれない。

「見たくない」と語りながらもマーリンの眼は、どこまでも遠く、遠くの果てを見ようとしているような眼だったから。

 大切なものを忘れてしまわないように、壊れないように守り抜く為に、そうするしかなかった事はわかってしまった。

 

 眼を逸らすこと、見ない事で何が守れているのかは全くわからないのに、その眼はただの逃避による弱くて卑怯な目ではなかった。

 そんな卑怯な真似が出来るのなら、あんな痛々しい眼などしていない。

 あの夢の中の幻痛のように、痛みを覚えるような眼だったからキルアの頭に昇った血はすぐさまに降りて、何も言わなかった。

 

 ゴンは、言った。

 

 マーリンの痛々しい目を見て、泣きだしそうに一瞬顔を歪ませたが、それでも彼は笑った。

 笑って、手を振って告げた。

 

「……うん! わかったよ、マーリンさん! ありがとう!!」

 

 真実を話してくれたこと、可能性でしかない話なのにそれでも「ソラの幸福」があると信じて疑わず、彼は礼を言って去って行った。

同行(アカンパニー)」を使って去って行った4人を見送り、レイザーはマーリンに掛けるはずの呪文(スペル)カードを手で弄りながらしばし間を開けてマーリンに話しかける。

 

「……なぁ。マーリン。……お前、初めて会った時にジンに言われたのって……」

「言わないし、聞きたくないよ」

 

 最後まで言わせず、マーリンは子供のように体育座りをした自分の膝に額を押し当てて、耳を塞いで言った。

 

「君が僕を傷つけるつもりで言うのなら、迷惑を掛けた慰謝料として聞くのはやぶさかではないけど、……同情や憐憫なら言わないし聞きたくない」

 

 そう言われてしまえば、レイザーの方も何も言えなくなったので、彼は諦める。

 イータから聞いても信じられなかった、この島に来て最初の出会いにして殺し合い。

 その殺し合いがどうして、ジンの勝利で終わったのか。

 

 ジンが何を言って、マーリンが何に気付いて絶望したかという答え合わせを諦めて、レイザーは呪文(スペル)を唱える。

 

 もう、こんなものに意味はないとわかっていながら。

 こんなものがなくてもマーリンはどこにも行けない事など、何の理屈もなく理解出来ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やぁ。初めまして、星の開拓者」

 

 関わったのは夢魔(じぶん)からだった。

 

 美しいものが好きで、自分が美しいと思えるものは、自分の糧を生み出す人間にとっても好都合なものだったらしい。

 だから、共存自体は簡単だった。けれど、自分にとって人間は必要な存在ではあったけど、仲間ではなかった。

 

 人の営みが、幸福と言えるものを美しいと思い、味覚などないけどあるとしたらそれを美味だと思っていた。けれど、何故そう思うのかなど言語化出来なかった。

 ただ、それが自分に一番馴染んだからとしか言いようがない。

 

 だから、自分を人と同じだと勘違いをして近づいて、頼り縋り付く者はいたけれど、大概が勝手に抱いた期待を勝手に裏切られたと思い込んで離れて行った。

 稀に最初から、自分という生き物を理解している者にも出会ったけど、そういう者こそ自分とは関わろうとはしなかった。自分が手助けして、何を与えても、自分が美しいと思った感情を与えてはくれなかった。

 

 そのことを残念には思ったけど、それは大目に食べられると思った好物を食べ損ねたくらいの残念さ。自分に向けられるものでなくても、糧としては十分だった。

 それに、自分は当事者として人間の営みに関わる気などなかった。

 

 現在を見渡す自分の眼。千里眼で見た世界は、一つの大きな絵画のようなもの。

 その絵画にどう手を加えたら、より美しくなるかを考えるのが楽しかった。だからこそ、当事者にはなりたくなかった。いつだって、一線を引いていた。

 

 少し距離を置いて見ないと、全体図は見れない。距離が近すぎたら一部しか見えず、その一部だけ美しくとも全体で見れば歪なものは、興ざめだから。

 

 だから、より美しくなるように手を加えながらも、その手を加える作業だって人任せ。

 自分の手を汚さず、全体のバランスの為に至近距離で見たら醜い部分もわざと作っていた。

 そうやって描き続かれる絵画を、少し離れた所からずっとずっと見ていた。

 

「彼」と出会うまで、ずっとそうしていた。

 

 * * *

 

 別の世界の自分は「王」の物語に傾倒したらしいけれど、自分はあまり「王」の存在に惹かれなかった。

 それはこちらの世界は魔力(マナ)が豊富で、神秘と文明が緩やかに融合しながら移り変わっていったから、枯れかけた神秘に縋りついて必死で生き足掻くような国も、その為に自分を殺した健気で清廉な王も必要なかったからかもしれない。

 

 自分が惹かれた物語は、世界を変える「星の開拓者」の物語だった。

 

 この世界は神秘から文明の移り変わりが緩やかすぎたから、文明を一気に進める「星の開拓者」の物語こそが自分にとって一番わくわくする物語で、彼らが見つけ出して生み出した結果こそ、自分にとって美しい絵画だった。

 例え、開拓者自身が誰からも理解されないまま生を終えても、自分や家族を犠牲にして得た結果であっても、人類の幸福に繋がるのなら問題なかった。

 何とも、思わなかった。

 

 だから、反対なんかせずに応援した。

 たった一人で人類の箱庭(メビウス湖)から飛び出して、その沿岸部を探検しようとしていた青年の前に現れたのは、ただそれだけ。

 後は、「外」から彼が持ち込みかねない危険性を少しでも排除するため。

 

 人間がいなくなっても、「外」に帰れば糧は得られた。人間と同等かそれ以上の知的生命体なら「外」にもいたから、別に糧と言うだけなら彼らの精神活動でも良かった。

 けれど、彼らはこの箱庭より過酷な環境で生きているだけあって、知能は人間以上であっても思考は動物的な大ざっぱで、糧としての精神活動も食事と言うより餌のように思えてしまう。

 

 純粋な夢魔ならそれでも良かったかもしれないが、人間と混血で一応これでも純血よりは精神面も人間に近い自分には耐えられないと思ったから、文明を進めてくれるのは大いに結構だが、箱庭を壊しかねない厄災を外から持ち込まれるのは困る。

 

 だから、彼の探検を成功させるためのフォローをしてやるつもりだった。

 どこまでも自分の都合でしかないが、そこに悪意は間違いなくなかった。成功を心から望んでいたのは本当。

 ただ、自分でもフォローしきれなくなったら、箱庭へ戻る前に厄災ごと彼を排除しようとは思っていた。

 

 それでも、確かに利害は一致していた。

 なのに……、「彼」は……

 

「誰だよ、てめぇ。胡散臭い奴だな」

 

 まずはそう言って追い払おうとした。

 その反応は珍しい方だったけれど、今までなかった訳ではない。一目で自分の本質に気付いた人間ならいた。

 むしろ自分の本質に気付いてくれる者ほど、自分の千里眼に似た先を見通す目を持っていたから、たとえ自分自身を毛嫌いされても、自分の助言が正しくて自分の言う通りに動くのがベストだと理解してくれたから、好都合だと思っていた。

 

 自分が蛇蝎のごとく嫌われることに、思う事などなかった。

 その結果、美しいものが見れたらそれで良かったから。

 だけど「彼」は、今まで出会って関わってきた人間とは全然違っていた。

 

「なるほど。確かにそれが一番危険性がなくてベストだな。けど、断る。

 理由? てめーの思い通りに動くのが癪だからだよ」

 

 自分の助言が理解されない事は少なくなかった。助言が正しいと理解されても、信用されてないから受け入れてもらえなかったこともあった。

 信用がないのなら、少し痛い目に遭えば自分という人外の本質を信用することは出来なくても、自分の言葉は信用した方が良いと学習してくれたから、「彼」もそうだと思った。

 

 けれど、違った。

「彼」は本当に自分の言葉通り動くの癪だったのか、自分が言わなくてもそうしていたはずの予定もあまのじゃくに変更して、厄介事を引き起こした。

 しかも、自分の助言に従うのは癪なくせに、自分に頼ってくることに躊躇はなかった。

 

「やべー! マジやべー!! 何だあの球体全裸マン!!」

「だから近づくなって言っただろ!! っていうか、無害だとしてもよくあんな全裸マンに近づいたね、君は!!」

「うっせー! いいから何とかしろ!! おらっ! バリアー!!」

「僕を盾にするなーーっ!」

 

 何度忠告しても、それを全部破ってくる奇跡の馬鹿だった。

 

「……尾が二尾ある蛇がこの辺りにいるらしいよ。焼いて食べるとすごく美味しいし、不老長寿の効果もあるらしいから、ぜひとも探して捕まえたらいい」

「へー。おっ、これの事か! よし、さっそく焼いて食おうぜ!!」

「何でこういう時ばっかり素直なんだ、君は!?」

 

 しかも、破られるのなら逆にしてはいけない事を勧めてみたら、妙な勘の良さを発揮してそれは素直に従うような、迷惑極まりない馬鹿だった。

 

「……言っておくけど、僕にも助ける術なんてないよ。君がどうにかするっていうのなら、別に止めないけど」

「…………わかってるし、何もする気はねーよ。

 あれはもうダメだ。あの獣から引きはがしても死ぬだけだし、あれに飼われ続けるよりそうしてやった方が救いだとか言うのは、こっちの自己満足だ。……あれはきっと、あのままが誰にとっても幸福なんだろうな」

 

 けれど、自分が見捨てようと思うギリギリのラインは越えない奴だった。

 

 だから、離れるタイミングを完全に見失ってしまった。

 気が付いたら絵画全体が見える位置から、そいつのやらかすことしか見えない位置にまで近づいていた。

 あくまで自分は助言をするだけだったはずなのに、いつしか自分も絵画の制作者になっていた。

 

「彼」と一緒に、彼が夢見たものを描いていたんだ。

 

 * * *

 

 今まで自分と関わってきた人間は、自分の本質が人間とはわかりあえない、かけ離れたものだと気付いていない者は自分にべったりと依存してきて、気付いた者は遠巻きにしながらも自分の助言には従っていた。

 

「彼」はただ自分が気に入らないからというだけで、正しいとわかっているものをひねくれて従わず、そのくせ自分に頼ることに躊躇しなかった。

 自分の意地を優先してより危ない事をやらかす「彼」に呆れて、自分のしたことが自分だけではなく故郷にまで被害が及んだらどうする気だと忠告した時もあった。

 

 その時の答えを、忘れない。

 

「は? その為にてめーがいるんだろ?」

 

 自分以上に呆れた様子で、「今更、何を言ってるんだお前?」と言いたげな顔で言い切った。

 それが当たり前の前提だと。

 

「彼」は今まで関わった誰よりも何よりも、夢魔(じぶん)の事を理解していた。

 理解して、受け入れていた。

「彼」が自分に一番求めて、頼っていたのは、正しくて効率のいい結果を出せる助言でも、自分のミスのフォローでもなく……、最悪が起きた時の後始末役だった。

 

 自分が何をしても、守りたい世界を守ってくれると「彼」は、信頼していた。

 

 その答えを得た時、自分がどう思ったかなんて知らない。

 感情なんて、人間から借りて使い捨てるだけのもの。だから、その時に懐いた感情は自分のものではないと思った。

 あの言葉が忘れられない理由なんて、考えたことがなかった。

 

 それも、考えるまでもない「当たり前」のことだったから。

 

 わかりあえないのに受け入れられたから、少しは取り繕っていた人間のフリをやめた。

 人間の事を理解しているし、仲間だと思っているという姿勢を見せて、自分の助言を信じてもらおうという努力は、「彼」に対しては実に無駄で無意味であったことを思い知ったから。

 

「うおっ! 何だこいつら!? どんどん集まってきやがる!!」

「あはは、すっごく懐かれてる。モテモテだね」

「嬉しかねーよ! 何とかしろよ、てめぇ!! ガス状だから、力づくで引きはがすこともできねーんだよ!!」

 

 取り繕うのをやめたら、「彼」に振り回される機会も減って楽になった。

 だから、やめただけだと思っていた。

 その時、懐いていた感情は「楽」でしかないと思っていた。

 

 ……「楽しい」と思っていたなんて、自分の事なのに一番自分がわかってなかったんだ。

 

 何もわかっていなかった。

 だから、あの別れは必然だった。

 全ては自業自得で、後悔なんてする資格なんかない。

 

「君は自由に、本当に美しいものを見ておいで」

 

 そう言って、送り出すつもりだった。

 

「外」から箱庭に帰ってきた彼は、もう半分の「外」も探索する気だった。

「外」からもらってきた病に冒された体で、自分でもきっと今度は帰れないとわかっていながら。

 

 妻子がいたにも拘らず、その妻子から、友人から、「彼」が「外」から持ち帰ってきた成果を讃えた者たちからも反対されたけど、「彼」は聞く耳を持たなかった。

 世界に果てがないことを知った、未知を知ることに魅入られた「彼」にとって、もはや彼らはしがらみだった。

 

 けれど、決して彼らを疎んだ訳ではない。聞く耳を持てば、自分の覚悟が揺らぐからこそ聞きたくなかった。それぐらい、「彼」にとってこちらの箱庭だって大切だった。

 だから、自分に残るように頼んだ。「彼」に切羽詰まった時以外に頼まれたのは、頼られたのは初めてだった。

 

 この箱庭に残って、この箱庭を守って欲しいと言った。

 言われなくとも、そうするつもりだった。

「彼」の物語は、自分が当初予定していたのとは違って酷く歪つになっていたけど、完成形は美しかった。

 

 そう。

 もう自分が求めた「彼」の物語は完成していた。

 だからあとは余談。

 自分にとっても、人類にとっても好都合だった。病に冒された「彼」がこの箱庭に留まるより、「外」に出て帰ってこなくなる方が良かった。

 

 だから、あの言葉は美しいものを見せてくれた「彼」に対する、最後の手向けの言葉だった。

 もう戻ってこない「彼」に対して、自分なりに真摯に願っていたはずだった。

 なのに、……自分の口から出た言葉は……、「僕」の言葉は――――

 

「無駄死にしかならないから、やめたら?」

 

 自分でも驚いた。

「彼」も一瞬、きょとんとしてから食って掛かった。

 

「無駄とは何だ、無駄とは!!」

「事実だろう? 僕がいなくちゃ東側の探索だって三日も持てば良かった方なのに、一人でだなんて自殺志願としか言いようがないね」

「うるせーよ! てめーが余計なこと言わなきゃ、俺だってもっと慎重に進んでたっつーの!!」

 

 伝えるはずの言葉は、送り出すはずの言葉は出て来なかった。

 ただひたすらに「彼」の無力さを、矮小さを、弱さを指摘して、彼の夢は叶わない事を告げた。

 

「……あー、そうかよ! お前に少しでも期待した俺がバカだった!!」

 

「彼」の最後の言葉は、自分に対する怒りと失望と……何かを酷く悔しがるもの。

「彼」が自分に何を期待していたのかは、知っていた。

 

「彼」は自分のしたい事の為に、決して疎んでいる訳ではない、嫌っている訳ではない、むしろ大切で仕方ないものさえも切り捨ててしまったから、だからせめて……僕くらいには肯定して欲しかった。

 

 自分の夢を肯定して、楽しみにしてほしかったんだ。自分のすることが、不幸だけを生む行為になって欲しくなかったから、だから本質的に人間なんかどうでもいい、ただ自分の楽しみの為だけに人の人生を使い潰す僕なら、……どんな非業の死を迎えても、それ以上の絶望を味わっても、そのことに感情移入しないでただの物語として見ていられるから、自分の人生を楽しみにして欲しがっていたんだ。

 

「彼」はどこまでも自分を……僕を、夢魔という人外の事を理解して、受け入れていた。

 夢魔だから、人とはわかりあえない存在だからこそ、その存在価値を認めて必要としていた。

 

 だけど、自分はどこまでも人とはわかりあえなかった。

 彼が望んでいた言葉を与えてやれなかった。

 

 人の精神活動を糧にしていながら、感情を理解出来ない、どこまでも客観的に見て合理的に動く存在だからこそ、「彼」のしようとしている事が無意味にしか思えないからこそ、呆れて言ってしまった。

 

 ……そう、思っていたんだ。

 あれは、「夢魔」としての言葉だと信じて疑わなかった。

 

 あの日、「彼」によく似た「彼」の子孫。

「彼」と同じ夢を懐く、「彼」と同じ星の開拓者になるであろう人間に出会うまで。

 

 * * *

 

 千里眼を使わなくなったのも、一つの島を世界から隔離して引きこもったのも、「彼」との日々があまりにも無茶苦茶だったから、さすがに少し疲れたから休息のつもりだった。

 少し休めばまたすぐに、他の誰かを、星の開拓者を探していつも通りハッピーエンドに向かう手助けをするつもりだった。

 

「彼」の時とは違って、少し離れた位置から。自分の手は汚さず、製作者になんかならずに。

 いつものように。いつものように……。

 

 なのに、気が付けば300年経っていた。

 300年経っても、千里眼を使う気にはなれなかった。箱庭内ならともかく、「外」を見る気にはなれなかった。

「外」に人間はいないから、見ても意味なんかないと思ってた。そう、自分に言い聞かせていた。

 

 島の外にすら出る気がしないのは、自分好みの物語を作ってくれそうな人間がいないから。そう言い聞かせた。

 千里眼で見てもないのなら、そんなの探し出せないことくらいわかっていたくせに、自分の言い訳を真に受けていた。

 

 そうやって、目を逸らし続けたものを突き付けられた。

 悪意ではなく、善意でもなく、「彼」のように。

 あまりに今更で、今更過ぎて驚くしかないと言わんばかりの顔で彼は……ジン=フリークスは僕に言った。

 

「お前、それただ単にそいつの事が心配だっただけだろ?」

 

 彼はきょとんとした顔でそう言った。

 僕が何気なく問うた言葉に、即答した。

 

 島なんかあげても良かったけれど、久しぶりの侵入者とあまりに懐かしい面影を持つ者だったから調子に乗って遊んで、ふと思い出したから雑談のつもりで、遊びの片手間で尋ねた。

 

「なんであの時、あんなこと言ったのかな? 言わなくても当たり前すぎて言う必要なんかなかったのに」

 

 夢魔としての本音を何であの時、言ってしまったのか。いくら呆れていたとしても、言わなくても良かった余計なことを言った自分が理解出来なかったから、答えなんか期待していなかった、本当に彼を、ジンを見ていたら思い出したから独り言同然で訊けば、彼は傷の痛みに、自分が僕に敵わない事を思い知って歪んでいた顔を、「何言ってんだ、こいつ?」と言わんばかりの顔にして答えた。

 

 

 

「お前、友達が自分を置いていくのが寂しかっただけじゃねぇの?」

 

 

 

 考えるまでもない答えだと、言った。

 僕の言葉は、彼が聞く耳を持たなかった、聞いてしまえば覚悟が揺らぐ人たちの言葉と同じだったと。

 僕の言葉はただの客観的な事実の指摘ではなく、「だから行かないでくれ」と希う言葉であったことを突き付けられた。

 

 その突き付けられたものが、目を逸らして見ようとしなかったものを全て鮮明に照らしつけて見せつけた。

 

 わからなかった。わかってなかった。

 見たくないから目を逸らしていたくせに、本気で僕はわかってなかったんだ。自分の感情というものを、わかっていなかった。

 

 言えなかった。送る言葉なんて言える訳がなかった。

 僕を置いて一人勝手に行ってしまう「彼」に、腹を立てたんだ。

 病に冒された「彼」を心配してたんだ。なのに、何の反省もせずにまたあの人間の領域ではない外に飛び出そうとしたことが許せなかった。

 

 彼の行動を肯定なんか出来なかった。

 肯定して欲しいのなら、言って欲しかった。

「お前も来い」、と。

 

 だから言ったんだ。「彼」の覚悟が揺らぐように。こちらに留まるように。

 けれど「彼」にとって僕は「夢魔」だから、そんなことを思う奴ではないから、そんな期待をせずに「夢魔」である全てを受け入れて、だからこそ価値を見出して信頼していたからこそ、「彼」には通じなかった。

 

「彼」が僕に懐いていたものを、台無しにしたのは僕自身だ。

「彼」はきっと人間同士が懐くものと比べたら、あまりに歪つであっても……それでも確かに「友情」と言えるものを懐いていたはず。

 

 だけど、僕はそんなものを懐いてなかった。僕は「彼」に何の期待も懐いていなかったと思われたんだ。

 だから、「彼」はあんなにも悔しそうに去って行った。

 

 僕との友情が一方通行だったと思って、今までが思い込みだったとしてもそれを失う事を、あんなにも悔やんでくれていたんだ。

 

 千里眼を使わなくなったのも、世界から隔離した島に引きこもったのも、見たくなかったから、聞きたくなかったからだ。

 自分を置いて行った、誰にも期待されないで、「彼」を大切に思い、「彼」自身も愛していた皆を悲しませるだけだとわかっていても飛び出した「彼」の結末を見たくなかった。

 

 見たくなかったけれど、信じていたかった。

 捨てた方が楽になる期待を、見ない事で失われない可能性にしたのは、量子力学の猫箱に閉じ込めて守り抜いた期待は、「彼」への懺悔と手向け。

 

 人間のようなワガママで「行かないで欲しい」と願ったくせに、「彼」が僕にくれた優しさを理解出来ず踏みにじった罰。

 自分の為だけではなく、置いてゆく僕への「楽しみ」のつもりだった君の夢を「無駄」だと言った贖罪。

 

 期待を捨てないのは、僕が捨てたくないからだけではない。

「彼」が懐いた夢を、歩んで築き上げた「過程」が「何にも結果を出せなかった無様な結末」にさせない為に、「まだ終わっていない」という可能性を守り抜くにはもう、これしかなかったから。

 

「彼」が僕に懐いた友情は、もうこんな形でしか表せないから。

「彼」と同じ夢を見続けるには、何も見ないという愚かな選択しかもう残されていなかったから。

 

 ……あぁ、でも今でも僕はどうしようもない「夢」を見る。

 

 もうどう足掻いたって叶わない夢。夢見る資格などないのに、無様に足掻いて見た夢。

 その夢の所為で、僕好みのハッピーエンドを目指し、作る人達をたくさん傷つけた。

 

 ごめんね。けれど、期待してしまったんだ。

 もしもあの時、僕の言葉を「彼」が……あいつが、「夢魔」としてのものではなく「人」として、そうではなくても「夢魔」より「人」に近いものだったことに気付いていれば……

「人」として、もっとらしい言葉で伝えていれば……

 

 あれは「僕の言葉」だったことに気付いていたら、あいつはあんな悔しげな顔はしなかったんじゃないかと、夢見るんだ。

 どうせ、僕の本意に気付いてもあいつは僕を置いて、勝手に出ていく。喧嘩別れで終わることは、きっと初めから決まってる。

 

 それでも……聞く耳は持ってなかったけれど、自分を案じて「行かないで」と願う言葉に罪悪感を懐きながらも、そこまで思ってもらえていることを素直じゃないけど喜んでいた奴だから……

 

 夢魔としての言葉で送り出せないのなら、人としての言葉で留めようと足掻いていたら……

 

『へー、てめーにそんな可愛げがあったなんて知らなかったぜ。まぁ、そこまで言うなら約束してやるさ。絶対に帰って来てやるって』

『それを期待してないから、行くなって言ってるのが何故わからない?』

『うっせーな! てめーなんて俺がいなくなって寂しさで待ちぼうけくらっとけ! 300年後くらいにひょっこり戻ってきてやるから、首を洗って待ってやがれ!』

『君は人間をやめる気?』

 

 こんな風に笑って別れることが出来たのではないかという夢を、僕は捨てられないんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……本当に、バカだなお前。……何のために長生きしてんだよ?」

「誰のこと言ってるんだよ?」

 

 自分で何を呟いているのかもわかってないまま口にした言葉に、突っ込みを入れられる。

 その言葉に意識が急浮上して、瞼が反射で開いた。

 意識が現実に戻ることで、記憶は薄れて失われれる。

 

 自分の中に潜み続けていたからか、自分の中に残っていた夢魔の残滓。

 その残滓が見せた、過去(ゆめ)

 

 美しい結末だけを愛する、感情もろくに動かない人外がただひとつ見た夢。

 人でなしの人外に意味と価値を見出して、必要としてくれた美しい(カタチ)に夢魔は夢を見た。

 

 その夢の結末を、ソラは忘れ去る。

 あまりに愚かな、まだ終わっていないのに、終わらせていないのに「希望(ゆめ)」を「妄執(ゆめ)」に腐らせかけている夢を覚えておくほど、ソラの記憶力に余裕などないから。

 

 だから夢を終わらせて、彼女の意識は現実と向き合う。

 

「……キルア?」

「……寝過ぎだ。バーカ」

 

 視界にまず真っ先に入ってきたのは、ベッドの傍らの椅子に座って自分を見下す子供。

 心配げだった顔が安堵に緩んで、いつも通り可愛げが一切ないからこそ最高に可愛いツンデレを発揮する。

 自分を真っ直ぐに見て、いつも通りの、今まで通りの事をしてくれる彼に思わずソラは罵られながらもこの上なく嬉しそうに笑った。

 

「……おはよ。キルア」

「……ん。もう、大丈夫なのかよ?」

 

 周りを見渡して、どうやら宿屋の一室らしきことを確認してからソラが体を起こして挨拶を交わすと、罵っていたくせにキルアはソラを気遣う言葉を掛ける。

 

「あぁ。もう大丈夫だよ。っていうか、他の皆は?」

「あいつらも休んでるよ。俺は……怪我もねーし特に疲れてもないし、暇だったからちょっと様子見といてやっただけだ。ありがたく思えよ」

 

 キルアの謙遜なんだか恩着せがましいのかよくわからない言葉にクスクス笑って、ソラは「はいはい」と応じる。

 ソラにはマーリンと彼らに何があったのか、どんなやり取りがあったのかは全くわからない。

 ただカルナが魔力(オーラ)をヨークシンの時以上に使ってしまった所為か、体は疲弊しきっていることからして、穏便な話し合いだけで終わった訳ではないことくらいはわかる。

 

 キルアの「怪我もないし疲れていない」は嘘であることも。

 だから、ソラは手を伸ばす。

 もう一週間近く触れていなかった柔らかい猫っ毛、触り心地が良い銀髪に。

 キルアの髪に触れ、頭を撫でて告げる。

 

「キルア。ありがとう」

 

 何の礼かは聞かない。そして、その手から逃げようともしなかった。

 キルアは大人しくソラの手を受け入れて、撫でられながら少しだけ目を逸らす。

 それは痛みから逃げようとしているのではなく、いつも通りの照れ隠しだったから、ソラは遠慮なくキルアの髪を両手を使ってグチャグチャに掻き混ぜるように撫でまわして、キルアは「何しやがるんだ、てめーは!」とキレてソラの手を引きはがした。

 

 そして、二人して笑う。どこまでもいつも通りなやり取りに、今までのぎこちなさがバカらしくなって笑うしかない。

 

 二人して腹を抱えて笑って、キルアは目に涙を浮かべながら笑ったまま言った。

 

「ははっ……、おい、ソラ。覚悟しろよ」

 

 唐突な宣言に、「何の事?」とは尋ねない。

 ソラは笑い過ぎてベッドに倒れ込んだまま、キルアを見上げて続きを待つ。

 

「俺は絶対に、強くて誰よりも頼りになる、そこらの奴にゾルディックと聞けば暗殺一家じゃなくてプロハンターの俺の事が真っ先に上がるような男になるし、……お前の不安なんか全部一蹴出来るようになってやるよ。

 そんないい男になるのを、お前は一番近くで見とけ。そんでもって、オレを振ったことを後悔する覚悟をしとけよ」

 

 ソラを見下して、宣言する。

 あの日、ソラが願った「傍にいていい?」という望みに対する答えを。

 まだ諦めていない。諦められない。

 夢を手離すことは出来ない。だからこそキルア自身も願う夢の続きを語った。

 

「今」が続くことではなく、なりたい自分を、「未来」を夢見て傍にいることを宣言すれば、ソラは軽く目を見開いてから噴き出した。

 その反応が気に入らず、キルアは椅子に腰かけたまま足をベッドに上げて、ソラの腹の上に割と手加減のない踵落としを決め、ソラは一瞬静かになった。

 ソラを悶絶させておいて、さっきまで彼も笑っていたのが一転して不機嫌になったキルアが、「何がそんなにおかしいんだよ?」とふてくされながら尋ねる。

 

「ごほっ! かはっ! はは……ごめんごめん。でも、笑うしかないよ。

 だって、絶対に私は後悔しない自信しかないんだもん」

「笑って言う事か、それは! さすがに泣くぞ!! 俺が!!」

 

 むせて咳き込みながら、それでも実にいい笑顔のまま言い放ったソラの宣言に、キルアは普通にキレた。

 が、ソラは笑ったまま起き上がり、拗ねて逆方向を向いて椅子の背もたれに抱き着くキルアの肩に顎を乗せて答える。

 

 自分が絶対に、後悔しない理由を教える。

 

「ふふっ……だってさー、私が後悔するってことはその時のキルアにはもう、私じゃない別の誰かを想ってるって事でしょ? 君が好きになる人だもん。絶対に、素敵な子に決まってる。だから後悔しないよ。君がそんな子に出会えたことを、私の見る目の無さと臆病だったことを理由に、否定なんかするもんか」

 

 キルアが夢見た未来に、さらにその先の未来を夢見て、「後悔しない」と言った。

 自分の幸福を信じてくれること、その幸福を絶対に否定しないでいてくれることは嬉しかったけれど、今のキルアに「別の誰か」との幸福を夢見られるのはむしろ癇に障った。

 だから、ソラが肩に乗せた頭を頭突きで落として言う。

 

「……ただ単にてめーの事を嫌いになってるだけかもしれねーだろ」

「それは私の自業自得だし、そうならないように努力し続けるつもりだから、やっぱり後悔する気はないよ。

 ……君がどんな未来を歩もうが、君が笑ってくれているのなら私に後悔なんかないさ」

 

 しかしキルアの意地の皮肉は、あっさりと男前な答えを返されて終わり。

 なりたい自分にはまだまだ遠すぎることを実感しながら、悔しげにキルアは舌を打ち、いつも通りの照れ隠しで目をあさっての方向にやりながら、それでも彼は言った。

 

「……俺だってそうだ。お前が笑っているんなら、どんな結末を迎えても後悔なんかしねぇよ。

 だから…………絶対にお前は、諦めるな。……『選んだ』なんて言い訳すんじゃねぇよ」

 

 マーリンに啖呵を切った、「後悔しない」は全てが本音という訳ではない。

 やはり、あのマンドレイクの所為でやらかしたことは全部なかったことにしたいと思っているし、きっと彼女が自分以外の誰かを選んだら、しても仕方ないIfを夢想して後悔する。

 

 けれど彼女が笑わない未来より彼女が笑ってくれる未来の方がいい、後悔が少ないのはわかりきっているから、彼女が笑ってくれるのなら、その後悔もいつかは自分が笑うために必要だった「過程」になると思えたから。

 だから、告げる。

 

 精一杯の意地を張って、「後悔しない」と言ってやる。

 ソラが別の誰かに、「恋」することを諦めるなと言ってやる。

 

「……キルアは強い子だね」

 

 けれど、ソラはキルアの言葉に「うん」とは言ってくれなかった。

 簡単に「うん」とは言えないほど、彼女は傷ついて怯えて恐れ続けている事はもう知っている。

 だからこれ以上は、何も言わない。求めない。それに、まだ「うん」と応えられない方がキルアにとって都合がいいから、実は少しだけホッとした。

 

 ……まだ、誰も「そういう対象」に見れないままなら、あと数年そのままでいてくれたら、自分が「そういう対象」に見れるぐらい成長するかもしれない。

 追い越すことも並び立つことも出来ないけれど、5年もしたら視界に入る程度にはなれるから。

 

 後悔したくないし、させたくないから。

 だからもう少しだけこのままで、誰のものにもならないで欲しいと、悪あがきで望み続ける。

 

「……キルア。大好きだよ」

 

 自分の背中に額を押し当てて呟くソラの言葉に、キルアは「知ってる」とだけ応じる。

 その言葉にいつか、「俺も」と返せることを望みながら。

 ソラの言葉に「俺も」と同意するのではなく、ソラが自分の「俺も」に変わることを夢見ながら、今は穏やかで無為だからこそ珠玉の時間を過ごす。

 

「そういえばお前、どうやって起きたんだよ?」

「……えーと、起きてすぐにまた寝た所為で記憶が曖昧だけど、何か海に頭を蹴り飛ばされて、クラピカに殺された気がする」

「お前の夢の中、どうなってんだ!?」

 

 くだらない話も、全てがいつかの結末が幸福になる為に必要な「過程」として、作り上げる。

 

 

 

 

 

「……ハッピーエンドってやつかな?」

「そうなんじゃない? あー、心配して損した」

 

 

 

 

 

 部屋の外、扉の向こう側の廊下で様子を窺っていたゴンとビスケが出した結論は、間違いなんかじゃない。





これにてマーリン編はひとまずというか一旦終了。

ソラ達側は元々マーリンが一方的にちょっかいかけてきた出来事なので解決してるけど、マーリン側の問題は解決してないのは仕様。
マーリン側の解決は、蟻編で予定してますのでどうか気長にお待ちいただけるとありがたいです。

さて、次回から原作沿いに戻って「一坪の海岸線」編に入ります。
つまりはあれだ。ソラが「 」に墜ちた時並のトラウマが確定する回だ。
……もはやこの章の見どころってここがマジでメインかもしれない。

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