死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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153:後悔

《王には人の心がわからない……》

 

「うわー……、トリスタン、ここでそういうこと言うか?」

「いや、こいつ視点でならそう言いたくなる気持ちもわかるけど……」

「あぁ、もう心が痛い。悪人がいないから本当に心が痛い」

 

 TVの画面と、思い思いの感想を口にする友人たちを眺めながらソラは、食後のデザートとしてのリンゴを剥く。

 フラットの悪戯である本入れ替えを手伝ってもらっている最中に何気なくゴンとキルアが、「映画の感想文を書けっていう宿題がある」と言っていたので、ソラが「お勧めがあるよ。DVDがあるから、晩御飯の時に見る?」と言った流れで、夕食時から引き続いて映画鑑賞中なのである。

 

「思ったよりもずっといい出来の映画だな」

 

 ウサギを模して皮を残したリンゴを配ると、ひたすら無言で集中して見ていたクラピカがポツリと呟いた。

 自分が勧めた映画に「思ったより」なんて前置きされて褒められたらむしろ腹が立つだろうが、この場合はそう思われても仕方がない、というかソラだって映画を鑑賞した直後はそう思っていたくらいなので、苦笑しながら「だよね」と同意。

 

「グレイの映画デビュー作だからってだけで観に行ったから私も期待ゼロだったんだけど、いい意味で期待が裏切られたからこそお気に入りなんだ」

 

 グレイとはソラの友人であり、今観ている映画「アーサー王伝説」の主人公を演じる女優だ。

 ……そう、「アーサー王伝説」の「主役」を演じる「女優」。これこそがクラピカはもちろん、友人の出演作でありながらソラが映画の内容に期待していなかった最大の理由。

 

 この映画は、「アーサー王は『アルトリア』という名前の女だった」と設定の元で作られた異色作なのだ。

 

 しかも主人公「アーサー王」こと「アルトリア」を演じるグレイは、撮影当初はまだ10代半ばの実に愛らしい少女だったのもあって、公開前は「設定のインパクトと女優人気のみで客を釣る色物出オチ映画」という扱いだったのが、公開後はその認識と評価が一転する。

 CM等の宣伝映像は序盤のコメディシーンと派手な戦闘アクションシーンのみを使ったものだったので、頭空っぽにして気楽に見れる映画だろうと印象操作されていたが、実際の映画内容は原作の「アーサー王伝説」にかなり忠実なのだ。

 

 もちろん、「アーサー王が女だった」と設定にしているため、苦しいつじつま合わせはある。アーサー王とその姉モルガンとの不義の子、モードレット関係がその代表。

 この映画はR12程度の指定が入っているが、それは戦争シーンがあるからで性関係の描写はかなりぼかしてわかりにくい。

 そのわかりにくい描写を読み取る限り、どうやら本作のモードレットは「モルガンが魔術で男性化しているアルトリアを幻惑して得た精液を使って作った人工生命体(ホムンクルス)」というかろうじてつじつまは合わせたという苦しい設定らしい。

 

 しかし、実は逆に言えばモードレットのこと以外に関してはそこまで苦しいつじつま合わせはなかったりする。

 作中のアルトリアは、自分が女であることを隠して王としての政務を行っているので、基本的に原典通りの展開で進むことが出来るのに加え、アーサー王は性別を偽って国の為に王になった少女にしたことで原作で懐く悪感情な感想の原因がいくつか解決しているもんだから、この映画は原作のファンから苦笑されつつそれなりに好評価をいただいている。

 

「アーサー王を女性にしたことでむしろ後味が悪くなってしまっている部分が多いのに、原作よりも不思議とストレスが溜まらないというか、引きずらないというか……」

「あぁ、わかる。後味自体は悪いけど、胸糞悪い部分が無くなってるんだよなー」

 

 原作の「アーサー王伝説」を知っているクラピカが原作と比べて思った感想を口にすれば、あらすじ程度でなら知っているレオリオも彼の言葉に同意して自分なりの解釈を口にし、ソラは深々頷いた。

 

「アルトリアだと戦犯であるランスロットとギネヴィアの不貞に、同情の余地が大幅に出来るからなー。二人のアルトリアに対する忠誠や敬愛は疑わずに済むのが悲劇的だけど、胸糞悪くならない良い改変だよね」

「ガウェインの結婚のくだりも、女の子だから押し付けてるんじゃなくて本気で困ってて、ただのコメディになってたよね」

「つーかあそこ、男だったなら普通に屑だな。ババアだからって部下に押し付けんなよ」

 

 頷きながら、アーサー王を女性にしたことでなくなった「胸糞が悪い部分」をソラが口にしたら、ゴンとキルアが序盤にあったシーンを思い出して笑った。

 

「それと原作だと円卓が崩壊した原因は、コミュニケーション不足というか報連相がしっかりできていなかったからというか……、とにかくもう少し全員が信頼し合っていれば良かったのでは? という感想だが、この映画だと性別を偽っていることが円卓内のすれ違いの原因と説明がついてしまうのがまた、後味は悪いが観ていて苛つかない理由になっているな。

 

 性別の偽りも女だと王位は得られない、得られたとしても内からも外からも舐められ、余計面倒になるのが目に見えているのだから、偽り続けた事は責められない。

 そして部下たちの方もアルトリアの事情を知らないのだから、彼女に不信感を懐くのも無理はないという悪循環なのが何とも救われないのだが……、『あの時、こうしていれば』というIfの入る余地がないからこそ、もはや諦めの境地で見れて気が楽だ」

 

 何とも後ろ向きな理由で「気が楽だ」とクラピカは言い、ソラは苦笑する。

 そんな理由で気楽になるなよと言いたいが、クラピカの意見は的を射すぎているので苦笑しか返せない。

 

 原作だと円卓の崩壊とブリテンの滅亡は、ちょっとしたボタンの掛け違いが積み重なり、決定的にこじれて埋められない溝を作ってしまった結果という印象が強い。

 救いを想像する余地があるからこそ、その些細なすれ違いが読者や観客という立場からしたら許せずに苛立ってしまうのだが、この映画で起こる誤解やすれ違いは「アーサー王は女性であり、周りは基本的にそれを知らない」からこそ起こる避けられない必然としている為、救いはないのだが確かにいっそのこと諦めがついて気が楽になる。

 

 ……ただそれは、観客の視点での話。

 関係のない第三者だからこそ言える、とても無責任な感想。

 

「結末が悲劇で決まっているのなら、頑張らなければ良かったのにね」

 

 きっとこの感想の方が、登場人物を思いやった責任のある言葉だった。

 

 クラピカはもちろん、他3人の男勢は映画の登場人物たちの行いを全否定する感想を言い放った相手に丸くした目をやる。

 ソラも視線こそはそちらに向けるが、彼女の眼に驚きはなかった。非難もなければ、悲しげな諦観もなく、ただただ先を促すような目を、無言でリンゴを食す姉に向けた。

 

 自分で剥いて誰にも渡さず自分一人でしゃくしゃくと林檎を食べる海は5人の視線をものともせず、マイペースに画面を見ながら口の中の林檎を飲み込むまで黙っていた。

 林檎を嚥下して、ようやく彼女は続きを述べる。紺碧の眼は、ただ冷やかに画面の悲劇を見つめたまま。

 

「ランスロットとギネヴィアの不貞はともかく、女になってもモードレットの誕生を防げなかったくらい、ブリテンの滅亡は変えられない運命だったのね。

 そんな運命だと知らず、誰も悪い人間はいない、全員が最善と思える行動を取ったのに悲劇に向かうくらいなら、どう足掻いても結果が変えられないのなら、初めから誰も頑張らなければ良かったのに。

 こんな報われない結果の為の過程に、意味はないと思わない?」

 

 悪人と言える者は誰もいない。アーサー王伝説に「こいつさえいなければ」「こいつさえ倒せば」と思える悪役は存在しない。

 だからこそ、見ている側は諦めの境地に立てても当事者はきっと辛かった。諦めることなど出来なかった。傍から見れば一目でそこにはもう悲劇以外の結末はないとわかるのに、当事者は蜃気楼のような幸福な未来を夢見ていたのだろう。

 

 掴めはしない、存在しない幻想をあると信じて滑稽な程に悲劇の泥沼に沈んでゆく彼らに対して、「初めから期待しなければ良かったのに」という海の感想は、冷酷だが優しさだった。

 

 その優しさに、ソラは一度目を伏せてから答える。

 

 

 

 

 

「思わない」

 

 

 

 

 

 海が「無意味」と断じた過程に、「意味はある」と答えた。

 妹の答えに、海は豊かな黒髪を揺らして妹よりわずかに女性らしい顔を向ける。

 (ソラ)の方へ、無表情のまま。穏やかな凪の海のように、優しい眼で彼女は問い返す。

 

「どうして?」

 

 悲劇が決定づけられた彼らの「過程」が持つ、意味と価値を尋ねた。

 

 ソラは真っ直ぐに姉を、空色の瞳で見据えて答える。

 悲劇という結末の先にあると信じた、「夢」は何かを答えた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「やぁ」

 

 どこまでも穏やかに、爽やかに、春風のように笑ってマーリンは再び現れた4人に応じる。

 4人だけでG・Mを連れて来ていない事を意外に思っている様子もない。少しぐらい移動しているかと思ったが、マーリンは森の外どころかソラが座っていた切株の上に腰を下ろしていたので、むしろビスケとキルアは意外そうに目を丸くする。

 

 だがカルナとゴンは驚いた様子はなく、どこか痛ましそうな眼をしていた。

 彼らにとっては、意外でも何でもなかったのだろう。むしろ、もう「アヴァロン」の中でなくても、どこにも行けなくなっている、己の「罪」に囚われている夢魔に対して憐れんでいるような視線を向ける。

 

 憐憫の視線を向けられても、マーリンは気にした様子はなく穏やかに笑っていた。自分に向けられる感情に気付いていないのではなく、そもそもそのような感情に反応する程の人間味はないのだろう。

 憐憫に対して屈辱を覚え、その屈辱を怒りに変えて立ち上がらせ、歩み出す気力に変えられぬ事をまた更に憐れみつつ、そこまで人間とかけ離れた精神性ならばそちらを利用しようと、カルナは口を開く。

 

「マーリン。マスターを起こせ」

 

 端的にまずは要求を口にする。

 

「それは、出来ない」

 

 そしてマーリンの方も、にこやかに笑いながら端的に要求を却下した。

 あまりの即答っぷりにキルアが一歩足を踏み出して口を開くが、カルナがそれを制して「何故だ?」と問う。

 

「お前の目的は、もうキルアによって達成されない、根本から間違えていたことは理解しただろう。なのに何故、まだマスターを開放しない?

 そもそもお前のしていることは、マスターやオレ達はもちろん、お前自身も個人的には好きでやっている訳ではない事なのだから、今ここでマスターの生を終わらせてやることに、意味もメリットもお前にはない。

 

 なら、お前好みの結末を作るマスターを生かしていた方が、よほど誰にとっても良い選択ではないのか?

 答えろ、マーリン。貴様は何故、未だにマスターを開放しない?」

 

 感情でものを語れば、同じ結末を美しいと思いながらも、どうしても生物として根本的なずれが生じる相手である事はもうわかっているから、損得勘定でカルナは語って問う。

 相手がここでソラを殺すメリットはないことに気付いていない、そのことを指摘して気付けばこちらの要求を呑むのではないかなんて甘い期待はしていない。

 

 むしろそれくらい相手もわかっていると確信しているからこそ、未だソラを夢の中に閉じ込め続けている真意がわからなかったからカルナは問うたのだ。

 

「そうだね。私としては、このままソラ君が生きてくれている方が退屈せずに済む。そっちの方がメリットだ。

 ……けど、人理(せかい)にとってはそうじゃない」

 

 その問いに切り株から立ち上がってマーリンは答える。

 

「あの子は抑止力の代理人であると同時に、『獣』の卵でもある。

 ……なんてひどい皮肉だ。彼女は世界や人類を愛するがゆえに、自分と同じくらいの愛に満ちた者を、その愛に目覚める前に殺さなくてはいけない。そして、殺せば殺すほどに彼女は愛しているからこそ、人類に失望して、絶望して、いつかきっと『第四の獣』に堕ちる。

 

 ソラ君は、抑止に負ければ女性として人間としての尊厳全てを奪われて踏みにじられて、彼女が守りたいであろう『家族』すら道具として使い潰される。

 けれど、彼女が抑止に勝ってしまっても、そこに希望なんてない。それこそ、彼女は自分の手で未来を剪定して切り捨てることになる」

 

 その答え、マーリンが話している事の意味はほとんど誰も理解出来なかった。

 けれど、月よりも距離を感じる遠い眼でありながら、月の光と同じくそれは届く。その目に宿る感情だけは、彼は彼なりに本気でソラを憐れみ、彼女を想っている事が理解出来た。

 

 それはわかるのに、ソラを想っている、彼女の幸福を望んでいるのはこの人外でも確かだとわかるのに、それでもマーリンはゴンやキルア、ビスケ、そして自分と同じく人外の血を引くカルナにさえも理解されない。

 そのことはわかっているからこそ、マーリンは春風のような微笑みで彼らの困惑を、理解しようと歩み寄る彼らを拒絶する。

 

 そんな歩み寄りで近づけるような距離にはいないから、マーリンにとっては全てが無駄。

 ハッピーエンドに至る為ならどれほど面倒くさいことも苦ではないが、無駄なこと、無意味なことを面倒くさがるマーリンは笑顔で宣言する。

 

「キルア君、ありがとう。なんだかんだで吹っ切れたよ」

 

 まずは笑顔で、キルアに礼を言う。それは本心だった。本心からの言葉であることを誰もが理解していた。

 だからこそ、続いた言葉に悪寒が背筋を走った。

 

「私が、人としての答えを望むなんて愚行もいい所だ。

 人外(わたし)人外(わたし)らしい『答え』を貫かせてもらう。

 ……だから君たちは人間らしく、物語の英雄のように人外(わたし)を討ちなさい」

 

 交渉の余地はないことを宣言し、彼は杖で地面を軽く叩く。

 同時に世界が塗り替わる。

 鬱蒼とした森が、百花繚乱の花に満ちた楽園に。重い曇天が、最果てに落ちてしまいそうな蒼天に塗り替わる。

 

 * * *

 

 警戒はしていたが、彼が世界そのものを夢と現実の狭間に置き換えることを防ぐことは出来ない事は、全員がわかっていた。

 発動させる前にどうにかすることは初めから諦めていたからこそ、それぞれがめいめいにマーリンの「アヴァロン」対策を取り出し、マーリンは少し感心したように「へぇ」と呟いた。

 

 ゴンはその辺で拾ったと思われる石、ビスケはアイスピックらしきもの、キルアはおそらく充電用の違法改造済みなスタンガンを取り出して、睡魔に襲われる前にそれをそれぞれ自分の体、目が覚めるほどの痛みを与えつつ戦闘への支障は最低限に済む場所に刺すなり打ちつけようとしたが、その直前にカルナが「待て!」と止める。

 

「落ち着け。これは『アヴァロン』じゃない」

「……あはっ。正解。けど騙した訳じゃないよ。教える前に思い切りのいい眠気覚ましをしようとしたから、むしろ私は焦ったよ」

 

 ビスケがでかいピアスホールでも開けるつもりで耳、ゴンはそこで本当に良いのか? と問い詰めたいこめかみあたりを石で殴ろうとしていたが、幸いながら主の体を傷つける気がないから、気力だけで耐えるつもりだったカルナに止められて、無駄に怪我する羽目にならずに済んだ。

 

 言われて確かに、風景こそは最初に閉じ込められた異界と同じ花園だが、あの異常な心地よさの睡魔は襲ってこない。

 そのことに気付いてビスケは、ちょっと自分のしようとしたことが恥ずかしかったのかやや顔を赤くして、「何のつもり!?」とアイスピックをサーベルのように突き付け問うと、マーリンはおかしさと苦笑が入り混じった笑顔で答える。

 

「いや、私は私が出した答えを撤回する気はないけど、ソラ君の事を想う君たちの事を、これでも本気で讃えているんだよ?

 だから、私にばかり都合の良い空間で一方的にあしらうのも、時間切れまで逃げ回るのもさすがに無礼すぎると思って、余計な横槍が入らないよう、一時的に現実を遮断しただけだよ」

 

 アヴァロンに似た世界を作り上げ、維持しながら平然としているマーリンが、どれほど念能力者として驚異的で規格外かを、ビスケが一番理解している。

 だから、彼女が突きつけるアイスピックの先が震えている。自分が敵に回した者に慄いているのを、如実にそれは表していた。

 

「……それは、こっちを舐めに舐めた舐めプをするっていう宣言?」

 

 それでも、彼女は武器を降ろさない。目を逸らさない。

 当初の寝ぼけた発言は嘘のように、強い眼差しと上っ面だけでも大人の余裕を保って、ゴンやキルアが不安を懐かないように戦意を示し続けるビスケにマーリンは、眩いものを見るように瞳を細めて言葉を続ける。

 

「舐めているつもりはないよ。けれど、君たちが私より弱いのは事実だ。だからこれは、私なりの誠意とそれから……、浪漫という奴かな?

 私は人間(きみたち)のハッピーエンドメイカーになれなかった。そしてこの答えは私の答えだけど……、私が望んで納得した答えとも言えないのは事実。

 だからせめて、私を間違いだと断じるならば、君たちは英雄のように、物語の勇者のように私を倒して欲しいんだ。

 私が望んだ、見たかったハッピーエンドはこの世にないのなら、それでも諦めない君たちの手で引導を渡してもらうのも一興かな? と思ってみたんだよ」

 

 その答えに、ビスケは今度はきょとんと目を丸くして絶句。

 ゴンは酷く痛ましいものを見るような顔になり、何か言いたげに口を開きかけるが、結局言葉は何も出来てこない。

 

 自分たちにチャンスは与えられたが、それはあまりにネガティブな浪漫。諦観に満ちた、せめてもの夢である事を思い知らされる。

 ヨークシンで出逢った女神のような眼が、マーリンはもう何もかもを諦めきっているという事実が、ゴンの胸に痛みを訴える。

 

 その痛みが、今も足掻いて探し求める。

 なくたって見つけると誓ったもの。ゴンが本心から、ソラだけではなくマーリンにも見つけてやりたいと願うもの。

 彼が諦めて、いつかどこかで失ってしまった、手遅れだと気付いてしまったものは何か。

 そしてそれは本当に手遅れで、もう彼は手に入れることはできないものだとは思いたくない。

 

 自分と彼は、わかりあえない。それでも、いやだった。

 わかりあえないから、人間ではないから殺して、それがおとぎ話の英雄のような扱いになるのは嫌だった。

 おとぎ話の「悪い怪物」でマーリンという存在を終わらせたくなどなかった。

 

 けれど、終わらせずに済むために必要なものは何なのかすらゴンにはわからない。

 だから、したいことはあるのにだからこそ袋小路に陥ったゴンは何も出来なかった。

 

「何が、一興だ!」

 

 それは、ゴンの意図など何も汲んでいない。

 ただ彼自身の個人的な不満と怒りの発露でしかない。

 

 それでも――

 

「てめぇが死にたい理由に、他人(おれら)を使うんじゃねぇ!!」

 

 叫びながら、足元の花を焼き払いながら全身に紫電をほとばしらせてキルアは駆け、躊躇なく重さ50kgの特注ヨーヨーをマーリンに向けて投げつけた。

 

 彼はカルナの制止を、忠告を、この空間はアヴァロンではない、自らを傷つけても追い払い切れない睡魔など襲ってこないという言葉をちゃんと聞いていたが、それを無視して自分にスタンガンをつい先ほどまで押し当て続けていた。

 キルアだけが、それはただの眠気覚ましの手段ではなかったから。他の二人は自ら傷を負うというハンデを背負わなかればならなかったが、キルアの場合はハンデではない。

 その痛みは、痛みでありながら前に進むために必要なもの。

 

『君は凄い子だ』

 

 彼女が教えてくれた、彼女が讃えてくれたものを使って、キルアはひたすら自分の神経を逆撫でし続ける笑みが貼りついた顔面に向かって、バチバチと放電しているヨーヨーを投げつける。

 しかしマーリンはカルナの言うことを無視してスタンガンを自分に押し当て続けて充電していた事に気付いていたからか、持っていた杖で再び地面を軽く叩く。

 

 高電力・高電圧と思われる電気を纏ったヨーヨーを、さすがに最初のように自分の杖で防ぐ気はなく、マーリンの杖が叩いた地面から高速再生するように木が生えて、動物のようにうねりながらキルアのヨーヨーを絡め取り、電気によって焼き爆ぜてもその端から芽吹かせて枝が伸び、またしてもヨーヨーごとキルアを投げ飛ばそうとする。

 

 が、キルアの方も同じ失敗はしない。今度は輪を手首にしっかり嵌めるのではなく、掌で握るようにしていたので、掌を開けばヨーヨーは簡単にすっぽ抜けて、キルアは自由の身。

 そもそも、元からこのヨーヨーは囮のつもりで動いていた。

 

「! へぇ、さすがだね」

 

 感心したような声音をマーリンは上げながら、キルアを見上げる。

 関心しているということは、そこまで自分を下に見ていた、相手にしていなかった事の証明である為、さらにキルアは苛立ちながら、その苛立ちを思いっきり全力でぶつけた。

 ヨーヨーを離してそのままキルアは高く跳び、自分のヨーヨーを絡め取った樹木も飛び越えてマーリンの頭上から、充電した分のほぼ全部をそのまま放出して撃ち出し、落とす。

 

 しかしマーリンは至近距離からの雷にも動じた様子はない。

 マーリンからしたら多少は意外だったが、予測できぬほどの行動ではなかったのだろう。

 

 今度は杖ではなく足踏みするように、一度地面を軽く踏むと、マーリンを囲んで鳥籠状に木が生え、マーリンの代わりにキルアの放った電撃をその鳥籠状の樹木が受けて焼き爆ぜる。

 

 自分の奇襲は結局奇襲になっていなかった。

 そのことを思い知って舌を打つが、キルアは止まる気がない。

 着地してすぐにまた、スタンガンを取り出して自分に押し当てようとするキルアに、今度は本当に意外だったのかマーリンは目を丸くして言った。

 

「恋の力は偉大だね。今は君を縛るあの声も聞こえてないんだ」

「なっ!?」

 

 おそらく挑発などのつもりのない、悪気がないからこそ性質が悪い下世話なセリフにキルアは顔を赤くして、スタンガンを取り落とす。

 

「何言ってんだ、てめーは!!」

「あれ? もう開き直って認めてたと思ってたけど、まだ意地を張るんだ?」

 

 キルアが顔面トマトのまま怒鳴り返すと、今度は悪気という程ではないが完全なおちょくりモードになってマーリンは恍けるので、キルアはさらにキレてとっさに能力の生命線であるスタンガンを投げつけようとするので、ゴンとビスケが慌てて止めた。

 

「マーリン。下世話な悪趣味はやめろ。ただでさえお前とふがいないオレの所為でマスターが危険で余裕のないキルアに、悪意のない戯れとはいえその想いを軽んじて甚振ることは許さん!」

「今! 俺が許さねーのは! あいつよりてめーだよ!!」

 

 挙句、カルナが少し本気で怒ってキルアを庇うように前に出てマーリンを咎めるが、ヨークシンの時よりマシだがマーリンが具体的には上げなかった「誰」に対する思いかを、この男はまたしても暴露しだして、キルアはソラの体である事を忘れてカルナの背中に跳び蹴りをかます。

 羽交い絞めして止めていたゴンとビスケも、これはカルナを擁護しきれなかったので普通にキルアを開放したし、カルナに向かって「何故言ったし」と言いたげな遠い眼をしている。というか、カルナはちょっとゾルディック兄弟に一回ほど殺された方が良いかもしれない。

 

 そのやり取りにマーリンは腹を抱えて爆笑し、もはや当初のピリピリした空気は皆無。

 いざという時のフォローは頼んだが、一緒に来ていたらマーリンを余計に警戒させ、逃げられるかもしれないからということで、マーリンとの戦闘を現段階では見守るだけのG・M勢も、まさかの展開に頭を抱えていた。

 

 だが、シリアスをぶっ壊した本人がその自覚があるからか、笑い過ぎて出た涙を指先で拭いながらも話を戻す。

 

「ははは、別にいいじゃないか。どうせソラ君以外にはバレバレだったんだし。そしてソラ君にも、もうばれちゃってるんだし。

 というか、私は本気で感心しているんだよ? 未だに、君が私の選択を否定することも。君がソラ君の為に、私に向かってこれたことも」

 

 ソラの体である事を忘れているのか、ソラの顔で言うからこそ余計にムカついているのか、カルナの胸倉を掴んで揺さぶって、「てめーは何でそう余計な事しか言わねーんだよ!!」とブチキレていたキルアが手を離して、マーリンと向き合う。

 羞恥による顔の赤みは消えているが、両眼の温度はさらに向上しているのがわかる。クルタ族なら、地獄の業火を思わせる灼熱の真紅になっていたと思えるほど、その目には怒りが滾っていた。

 

「……てめーはどこまで知ってるんだよ?」

「多分ほぼ全部。君の知らない事も、私は知ってるよ」

 

 マーリンと向き合いながら、今度は奇妙なほど冷静に思える様子でキルアは問い、マーリンは相変わらず余裕綽々に答える。

 その言動にキルアは不愉快そうに一度眉を跳ね上げたが、先ほどのように年相応な子供の反応はしない。

 

 そんな余裕などないほど、キルアは怒り狂っていた。

 

「……いや。お前は何もわかってねぇよ」

 

 先ほどの強襲が出来た訳、キルアの頭に響く呪縛の対象である、「勝てない敵」だとわかりきっていたのに向かえた理由は、キルア自身まだ自覚のない能力による効果。

 充電してオーラそのものを電気に変えたキルアは、自らの体を動かす電気信号をも操った。操作系と相性が一番悪い変化系のキルアでも、自分の体と自分のオーラで作った電気なのだから、それだけは無意識でも無自覚でも出来た。

 

 マーリンに対して頭に血が昇っている状態でなければ、自分の動きがいつもより各段にキレが良いことに気付いて、自分の能力と電気信号の関連性に気付けたかもしれないが、今のキルアにその余裕はない。

 だから気付いていない。自分のオーラが、電気信号が、体に命令を下すシナプスが、脳に埋め込まれた兄の針とそのオーラよりも早く、自分の体に自分の本当にしたいことを送り届けていた事に気付いていない。

 

 操作系とはいえ、自我を、脳を壊さぬ程度のオーラしか込められていないイルミの針では、キルアの全身に駆け巡る電気に変えたオーラに、キルアの心そのものに追いつけなかったことに気付いていない。この事に気付いていたら、彼はこの時点で自分の脳に埋め込まれた針の存在にも、気付いけていただろう。

 

 キルアは気付けない。

 今、ここで兄の声が聞こえていたら、先ほどは何故聞こえなかったのかに気付けていたかもしれないが、キルアの頭に昇った血は、灼熱の怒りは冷めるどころか天井知らずに上がっているからこそ、気付けない。

 

 先ほどの奇襲は、それが出来たのはキルアの能力の想定外のメリットだが、今の充電した分を使い果たしたキルアの頭の中に響く、「勝てない敵と戦うな」という声を無視できている、そんな声が脳裏に響いていることにすら気付けていないのは、その声を振り払って焼き払う程の怒りが頭を占めているから。

 

 だから、その怒りのままにキルアは告げる。

 

「お前は何もわかってねぇ。お前が何を知ってようが、お前の選択なんて俺は絶対に認めねぇ」

 

 人外だから、遠すぎるからと言って「理解出来ない」と言い訳にして逃がすことは許さない。

 自分が何に対して怒っているのか、どうしてマーリンなりの誠意である選択を認めないのか、許せないのかを告げる。

 ソラが何を恐れてあんなに泣いて謝ったのかを知っているからこそ、マーリンのしたことはソラが望まなくとも、騙されていることに気付かぬまま終わらせてやることが出来たら、一番幸福だとキルア自身も思っている。

 けれど、それでもキルアは認めない。

 認められない。

 

「勝手に決めつけてんじゃねぇよ。俺が、()()()()って」

 

 キルアのその言葉に、マーリンは心底不思議そうに小首を傾げた。

 その反応で自分の言葉は、被害妄想でないという確信を得る。

 

「俺がお前の選択を認めない事を感心してるってことは、意外に思ってるってことは、お前は俺が後悔してるって思ってるんだろ? 今はしてなくても、いつか必ず……ソラと出会ったことを後悔するってお前は思ってるんだろ?

 ソラと出会ってあんな思いをしたのも、あんな思いをあいつにさせたことも後悔するって思ってるから、お前はお前なりの優しさのつもりで……ソラだけじゃなくて俺への優しさのつもりで今、ソラを誰も傷つかないで幸せになれる夢を見せて、殺す気なんだろ!!

 ソラが生きているから、俺が見苦しく未練ったらしく諦めきれないで後悔し続けるからって、勝手に憐れんで決めつけて、ソラさえいなければいいって思い込んでるんだろうが!!

 

 ……ふざけてんじゃねぇよ。人の事なんにもわかってねぇくせに、勝手に俺が後悔するって決めつけんな!!」

 

 ソラの為だけを想っての選択なら、認めないし許さないが、ここまで怒り狂う事はなかった。

 キルアの怒りはソラの為なんかじゃない。自分の為だけに、自分が気に入らないから彼は怒っているだけだ。

 

 そんな自分に、なんだかんだで他者の為に行動しているマーリンと違ってどこまでも自分本位な自分に嫌悪しながらも、それでもこれは、これだけは譲れない。

 

「理解出来ない」と逃がしはしない。

 

「俺は! 俺の人生は後悔ばっかりだよ!

 過去に戻れるのなら戻ってやり直したいことばかりで、家族だって好きだからこそこんなつらい思いをするくらいなら、生まれる前からやり直してゾルディックじゃない、暗殺一家なんかじゃない普通の家に生まれたかったって思ってるよ!!

 

 ゴンと出会って友達になったことに後悔なんかないけど、俺の所為で、俺の家の所為でこいつが傷つけば絶対に後悔する! それをなかったことにしたいし、それが絶対に出来ないのなら、ゴンが好きで大切だからこそ、いっそのこと出会わなければゴンの為になったかもしれないとか考えて後悔するような、自分に自信のない後ろ向きなネガティブだよ!!

 

 けどな……けどな! そんな後悔ばっかりだからこそ俺は絶対に、ソラと出会ったことを後悔なんかしない!」

 

 自分の想いはあまりに残酷な形で、キルア自身よりもソラを傷つける形で現実に破れた。

 それでも、まだ終わっていないものがあるからこそ、キルアはマーリンの選択を許せない。

 

「全然違う家に生まれて、全然違う育ち方をしたとしても、何度生まれ変わっても何度やり直したとしても、俺は絶対に1年前のハンター試験で、あの飛行船でソラに会うんだ!!

 同じようにここであいつを傷つけて、俺がバカだったことを思い知って現実に破れても! それでも! それでも俺はソラからもらったものを一つたりとも取りこぼしたくないから、何度だって同じバカをやってやるよ!!」

 

 心の奥に大切に仕舞いこんでいた記憶が、失いたくないものが溢れて脳裏に鮮明に蘇る。

 

『君は十分、手段も方法も選べるぐらいの実力があるんだから』

 

 そう言ってくれのは、自分が相手よりすごいと見せたかった子供の意地、殺す必要なんかなかったのに、ただそれだけの為に殺そうとしたバカな自分を諌める為だった。

 

『……君は、好きになりたい人を好きになればいいんだ。その為に、ちゃんと向き合いなさい。キルア』

 

 家族から逃げ出したからこそ、彼女の傷に触れることができた。彼女の傷を、見せてもらえた。

 向き合えることができた。

 だから、好きになりたい人を好きになった。

 

『「罪悪感」は「良心」だ。そして「良心」は「罰」なんだよ。

 その人が犯した罪に応じて、その人の価値観が自らに負わせる重荷。それが、「罰」だ』

 

 ゲームに勝てなかった、どう足掻いても勝てないほど実力に開きがあったことに気付きもせず、無関係の通りすがりに八つ当たりをした自分に、教えてくれた。

 この時に、見限られても仕方なかったくらい最低なことをしたのに、それでも彼女は「おいで」と言ってくれた。

 

『まったく、君は本当に素直じゃないのに甘えん坊だなぁ』

 

 4次試験では殺気などない、悪戯心程度の気持ちで投げつけた小さな木の実を、自覚もあるのか怪しいくらいに自然に受け止めたくせに、キルアの攻撃は避けずにそう言って、キルアの手を取って離さなかった。

 

『大丈夫。お姉ちゃんが助けてやる』

 

 殺そうとした。彼女に殺されたかったし、殺してしまいたかった。

 奪われるくらいなら、自分の手で壊して諦めたかったから振るった手なのに、彼女は自分の手が傷ついてもキルアの手を受け止めて、そのまま抱きしめてくれた。

 

『キルア。……君に魔法をかけてあげる』

 

 一人きりで帰るしかない自分に、『絶対に大丈夫』という魔法をかけてくれた。

 強くなると言ってくれた。どこにだって行けると言ってくれた。自分が欲しい未来を、あの可能性の魔法使いはあると断言してくれた。

 

『12歳の誕生日おめでとう、キルア』

 

 ずぶぬれになって、妖怪にしか見えない登場の仕方をして、それでもいつも通り誰よりも何よりも、世界で一番綺麗に笑って言ってくれた。

 自分が危険な目に遭っても、キルアの誕生日をその日のうちにちゃんと祝おうとしてくれた。キルアの意思を汲んでではなく、彼女自身の意思で。

 

『キルアが、どこにだって行けますように』

 

 そんな願いを込めた石を贈ってくれた。

 自分の夢が叶うように。したいことすらないキルアに、それでもキルアの夢が叶うように、その願いを込めるに相応しい石を探し求めてくれた。

 

 そして……そして――

 

 

 

『……キルア。私は、君の傍にいてもいい?』

 

 

 

 どれほど、傷ついたのかは想像もつかない。

 夢が破れたキルアよりも、きっとキルアの夢が叶うことを願っていた彼女の方が、その夢が叶わない事を告げなくてはならなかった時、どれほど辛かったのか。

 どれほど恐れて、罪悪感にまみれて、それでも傍にいることを願ってくれたのかを、今更になって理解する。

 

 自分が馬鹿だったから、数えきれないほど彼女を傷つけた。

 思い返せばいつ見限られてもおかしくない事ばかりしてきたのに、それでも彼女はずっと一緒にいてくれた。

 馬鹿な事をしたからこそ、数えきれないほど愛おしいものをもらった。

 

「……あいつを傷つけたくねーよ。あいつに守られてばっかりはごめんだ。あいつを守ってやれるように強くなりたい!! けれど、強くなって過去をやり直したいなんか思わねぇ!!

 俺は何度だってバカやったからこそ、全部手に入れたんだ! 俺がバカじゃなけりゃ、あいつを傷つけてなければ手に入らなかったのなら、あいつを何度傷つけても同じものが欲しい!!

 そのくれたものと同じくらい、あいつにとってかけがえがなくて、大切に思えるものを返してやりたいから、あいつを傷つけた倍以上の幸せを返したいから! あいつが……ソラが幸せになって欲しいから、だから一緒にいるって決めたんだ!!」

 

 あれほど傷ついても、それでも一緒にいることを望んでくれたから。

 夢が叶わない事を思い知らされながらも、それでも手離したくなかったから。

 未来のことなど何も見えていなかったけれど、今は確かに続いている、これからも続いていくことが嬉しかったから、だからこそ辛かった。苦しみ続けたのだと訴える。

 

 後悔しているから苦しかったのではない。

 自分が進むべき道を見失っていたのに、過去の記憶を改変して夢想する後悔さえも出来なかったからこそ、苦しんだ。

 苦しんで苦しんで苦しみ抜いて、そしてまた器から水がこぼれかけて、失いそうになって、後悔したくないから、後悔できないものを、やっと見つけた、ずっとずっと抱え込んでいた手離せない答えをキルアは告げる。

 

 何もわかってない人外に、弱い自分自身に突き付けた。

 

 

 

「俺は後悔してるから、その後悔を挽回したいからここにいるんじゃねぇよ!

 後悔できねぇから! まだ好きだから! ずっとずっとこれからだって俺は、ソラの事が好きだから! 好きになったことを後悔できねぇから、だから一緒にいるんだ!!

 どれだけ傷ついたって、どれだけ傷つけたって、それでも俺が歩んで築いた過程は幸せだったし、まだ結果なんか出せてねーんだから、てめーのやることは全部余計な世話なんだよ!!」

 

 

 

 見て見ぬふりをして、なかったことにして、たくさんの後悔を抱えながら、今までのぬるま湯な関係を続けていたのではなく、続けるのではなく、傷ついても傷つけても自分のワガママを貫き通すと言い切った。

 傷つけば、傷つけたらやり直したいと何度も願うだろうけど、その「やり直し」をしてしまえば今まで築いたもの、もらったもの、与えられたものが台無しになってしまうのなら、「やり直し」など求めない。

 

 それぐらいに、キルアにとってソラとの日々は掛け替えのないものだから。

 

 いつか必ず、あの夢が破れた日も掛け替えのない何かになると信じているから。

 信じさせたいから。そうであろうと誓って傍にいる。

 

 それは自分のことしか考えていないワガママなのは確かでも、そんなワガママを貫き通して結果として最善を導き出す親友(じつれい)を知っているから。

 自分と同じワガママを……、同じ「好き」なのに全く別の「好き」だから傷つき合うしかないのをわかっているのに、それでも「一緒にいたい」と同じワガママを彼女は言ってくれたから。

 

 だからもう、迷いなく貫き通せる。

 端的に言うと、「お前らがやってるんだから、俺もやってもいいだろ?」的なヤケクソともいう心境だが、それでも迷いは振り切った。

 

 過程と結果はセットではなくても、それでも幸福な過程を経て幸福な結果を出したいからこそ、ここで終わらせたりはしない。

 

 ソラを、死なせはしない。

 

 * * *

 

「キルア……。うん! キルアなら絶対にこれからも後悔しない道を進めるよ! 俺はクラピカよりキルアを応援するから、頑張って!!」

「っていうか、あんたマジでマンドレイクの件で何があったの……。あのツンツンツンデレがツンギレしながらもデレるなんて……」

「マスターは果報者だな。クラピカだけではなく、ここまで想ってくれる者がいるなんて」

「てめーらは今すぐその辺の石使って、記憶消せ!!」

 

 マンドレイクの一件から自分の中で溜め込み続けた迷いを振り切ったのは良いが、勢いだけで全部叫んで本音をぶちまけすぎたキルアは、外野の反応でそのことに気付いて今更また顔を赤くして、背後の三人に無茶ぶりを吹っかけた。

 

 それからやや涙目ですぐに、マーリンと向き直る。

 自分の懐く思いを無視して、あさっての方向の余計なお世話を焼かれたことにキレたが、いくら言葉を尽くしてもどうせこの人外に自分が「後悔しない」訳は、理解されない。そんな期待は出来なかった。

 だから後ろの、ビスケは怪しいが少なくともゴンとカルナには悪気はないのに、十分アレな事を言われているので、性格が悪いと言い切れるこの夢魔は、自分の言いたいことは伝わってないくせに突っ込まれたくない部分ばかり理解して、そこをおちょくられるとでも思ったのだろう。

 

 ……だが、知れば知るほどこの男はわからなくなる。

 向こうが逃げるのではなく、歩み寄って距離を詰めたつもりなのに、空間の繋がりが狂っているように遠ざかる。

 そんな風にキルアは思った。

 

 

 

「……嘘だ」

 

 

 

 

 ぽつりと、マーリンはそれだけ呟いた。

 何かを祈るように、縋るように。

 

 何かに怯えるように、彼は両手で自分の項垂れた頭を抱えて、ただ自分自身に言い聞かせるように呟く。

 

「嘘だ……。後悔がないなんて……」

 

 キルアの言葉を、どれほど傷ついても傷つけても、貫き通したいものを否定する。嘘であることを望む。

 けれどその言葉に、キルアは反感を懐かなかった。むしろ今までの怒りが戸惑いに変換されてしまう。

 

 それはどう見ても今のマーリンはキルアの言葉を、「後悔していない」という事実を理解出来ないから、嘘ということにして切り捨てようとしているのではなく、嘘である事を心の底から望んでいるように見えた。

 項垂れて抱える頭、両手の隙間からわずかに見えるその眼の距離はわからない。

 ただ、その目はそれが事実であることを認めたら、息さえも出来なくなると訴えるような、怯えた眼に見えた。

 

 何かに怯えるような、その何かはあの時、キルアに「どちらも人間としての答えではない」と突き付けられた絶望以上の何かである事だけは想像ついて、それに怯えている幼子同然だった。

 その怯えが伝播するように、色の洪水と言えた空間に変化が現れる。

 

 マーリンの足元の花が徐々にだが、目視できるスピードで萎れて枯れてゆく。

 空の色も雲はないのに、雲ではなく空自体がパレットの上で様々な色を混ぜ合わせたような濁った暗褐色が滲んでいって徐々に塗り替わる。

 

「え? ちょっ、今度は何?」

 

 ビスケも目をぱちくりしながら問うが、自分の発言が元凶であること以外何もわかってないキルアは、「しらねぇよ!」としか返せない。

 

「この空間は、マーリン自身の心象風景なのだろう。どうやら思った以上に、キルアの言葉がマーリンの柔い部分を突いたようだな」

「どこだよ、それ! こいつの地雷、わかんねーよ!!」

 

 不自然な色の移り変わりをする頭上の空を仰ぎ見ながら、マイペースにカルナが言ってキルアはキレる。

 だがキルアにキレられても、カルナは相変わらずマイペースを続行して、オッドアイを空からマーリンに移す。

 

「……マーリン。オレは、キルアの言葉に同感だ。

 貴様が死ぬ理由に、マスターはもちろんオレ達を使うな」

 

 カルナの言葉に、「嘘だ」を呟き続けていたマーリンが黙り込んだ。

 それは話を聞く姿勢ではなく、むしろ拒絶であることくらいカルナは理解している。ソラに召喚される前のカルナなら、「聞きたくないのなら」と変な気遣いをして、結局は何も言わなかったかもしれないが、今のカルナは余計なことも何もかも全て言い切る。

 

 今のマーリンに対しては珍しく、「それ以上は何も言わない」こそが正しい気遣いだったことに気付かない。気付いていたとしても、沈黙したかどうかは怪しい。

 ソラの事だけでも珍しく彼は怒っていたが、ソラの事は関係なく、カルナはマーリンに対して少し怒っていた。

 

「貴様が一体、いつ、誰に対してどのような『取り返しのつかない事』をしたのかは、俺にはわからん。そして、知ろうとも思わない。

 ……その『取り返しのつかない事』を思い知ったから、勝手に絶望して死にたがるだけでも不快だというのに、『それ』を認めてしまえば貴様の絶望の前提が崩れ、新たな希望が見つかるかもしれないが、今以上の覚悟していない絶望を勝手に恐れて、見て見ぬふりをするためにキルアの覚悟を軽んじるな」

 

 キルアの「お前が死ぬ理由に他人を使うな」は、怒りのあまり勢いだけで言った言葉。

 だけど、ゴンと違ってマーリンに同情などしていない、彼の為に何かをしてやる気のない彼だからこそ、最初の突き付けた「取り返しのつかない事」と同じくらい、マーリンの真意を見抜き、突いていた。

 

 キルアが見抜き、突いて傷つけることでできた隙間からカルナが「貧者の見識」というスキルに昇華する程の洞察力を発揮して、更に奥底を見抜いて曝け出す。

 しかしそれは、カルナでなくとも見破れるものだった。

 

 それぐらいにその隠していたマーリンの上っ面はとっくの昔にボロボロで、隠し通せるものなんかではなかったことに一番気付けていなかったのは、マーリン自身。

 

「……ねぇ、マーリンさん」

 

 それを突き付けたのは、カルナではなくゴンだった。

 マーリンの為に何かをしたかったからこそ気付けなかった彼が、キルアによって傷つけられた隙間から見つけ出し、掴み取って曝け出す。

 

 マーリンにとって認められない、嘘であってほしいほど怖いものを突き付けた。

 

 

 

 

 

「あなた()、後悔はしてないんでしょ? 『誰か』と出会った過去そのものを」

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

『君は自由に、本当に美しいものを見ておいで』

 

 

 

 そう言って、祝福して送り出すつもりだった。

 けれど、自分の口から出てきた言葉は 

 

 

 

『無駄死にしかならないから、やめたら?』

 

 

 

 本音だった。そうなるとしか思えなかった。

 そんなこと言ったら、怒って余計に意地になるのはわかっていた。

 そんな事を言えば、それこそ無駄死にさせる、死期を早める事はわかっていた。

 

 だから、言った事を後悔した。後悔し続けた。

 

 けれど……けれど――――

 

 

 

 

 

『やぁ。初めまして、星の開拓者』

 

 

 

 

 

 あの出会いそのものを後悔できたら、この後悔はなかったことを知っている。

 後悔をしていないから、あの取り返しのつかない別れの言葉を悔やみ続けている事なんてわかってた。

 

 後悔していない過程だからこそ、その過程が生み出した結果を見たくない、結果を知ったことで過程を後悔で否定したくない。

 だから拒み続けた結果が今であることくらい、本当はわかってた。





更新がだいぶ開いてすみません。ある意味ではバレンタインに相応しい内容になったけど、ただの偶然です。

そしてついでにご報告。
モチベは回復してきたのですが、仕事が多忙なので更新はこの先も不定期かつ遅れ気味になると思います。
さらに言うと4月から職場が変わるので、ストレスが溜まって休日は全部創作に費やさないとやってられないとでもならない限りは、更新がしばらく激減すると思います。

エタらないようにだけは努力しますが、どうか読者の皆様方、気長にお待ちいただけたら幸いです。




上記であんなこと書いといてなんですが、チラシの裏に「死にたくない私の悪あがき」の番外編、「ホラーが日常な人とその周囲の温度差の話」を投稿しています。
タイトル通り、ソラの日常に周りの人がドン引いてる話です。作中ではもう書く機会はないであろう本編以前(HxH世界・型月世界含めて)の話を不定期にネタが浮かんだら載せてゆくつもりなので、興味がありましたらどうぞ。

ただ、本編の「ソラのホラーなどない除念編」あたりのホラークラッシュ話系を書きたいなと思って始めたつもりが、今のところわりと普通にホラー系の話ばかりです。
その内ちゃんと(?)幽霊に同情するホラークラッシュ話も書くつもりなので、それも気長にお待ちください。

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