死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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151:千里眼でも見つからない

 マーリンの淡々とした言葉に、カルナは眉根をひそめて問い返す。

 

「? 1年半? どこからそんな半端だが具体的な日数を出してきた?」

「……あぁ。そういえば君も、『彼女』の事は認識してないか。

 気にしなくていいよ。君はそもそもサーヴァント……死者の残影である事を理解して受け入れて、自分の2度目の生に関しては興味も未練もないのだから、タイムリミットがいつだって問題ないだろう?」

 

 カルナの疑問にマーリンは「1年半」というタイムリミットの根拠は答えず、「お前には関係ない」と切り捨てるように言った。

 煽るようなセリフにカルナよりビスケの頭に血が昇って「ふざけんな!!」と叫ぶが、キルアがマーリンに掴みかかりに行きそうなビスケを制止する。

 この上なく癪だが、マーリンのセリフは挑発ではなく優しさである事に気付いてしまったから、マーリンの為ではなくソラの為に止める。

 

「1年半」というあまりに残酷なタイムリミットの根拠を、理解してしまった。思い出した。

「ふざけるな! いい加減なこと言うな!!」と泣き叫んで暴れたいという本音を、その根拠が殺しつくす。

 

 あの、全知だからこそ全能にはなれない万能が頭から離れない。

 諦めるしかない絶望の眼が、殺しつくす。

 

 思い出すのは約半年前の9月。

 飛行船の中で、「彼女」が告げた再会の言葉。

 

 

 

『じゃあね、クラピカ。――――次は、2年後。『方舟(アーク)』で会いましょう』

 

 

 

 それはちょうど、マーリンが告げたタイムリミットと符合する。

 

 * * *

 

 キルアが自分の宣言したタイムリミットの根拠に気付いたことを察したのか、やはり彼は具体的には語らず話を進める。

 

「キルア君は思い出したみたいだね。

 そう、あの『女神』が9月に『2年後』と断言していたから、ソラ君の命は1年半くらい保障されてると言ってもいい。むしろ世界は何が何でもあと1年半、ソラ君を生かすだろうね。

 

 けど、きっとそれまでだ。彼女はどれほど傷ついても、何を失っても1年半生かされて、その後は邪魔者扱いで死ぬのがまだ一番マシかもしれない結末なんだよ。

 ……カルナ。君はそのことを一番理解しているはずなのに、それなのに何故今ここでソラ君を開放してあげないんだい?」

 

 マーリンの発言で、「抑止力」について知らない3人の視線は一斉にカルナに向く。

 しかしカルナには全く、上手く説明できる自信がない。ヨークシンでクラピカに説明したのは、自信がなかろうが教えなければならなかったからこそ語ったのであり、そして相手が理解したのはクラピカの頭の出来が良かったからだと思っている。

 

 なので今ここで説明しても、ひたすら要領得なくて長い話にしかならない、下手すればカルナは説明、3人はその理解に気を取られてマーリンに隙を見せる結果になっては目も当てられないので、申し訳ないと思いつつも彼らの「どういうことだ!?」という視線をカルナは無視して、真っ直ぐにマーリンを見据えて彼の問いに答えた。

 

「マスターが望んでいないからだ」

 

 答えつつ、自らの内側に呼びかけ続ける。

 夢の中に囚われたソラに、目覚めてくれと叫び続ける。

 

 例えその夢こそが、ソラが望む世界そのものであっても。夢の中だからこそ許される、有り得ないが決して高望みでも贅沢でもなかったはずの願い、狂おしいほどに望む幸福を知った後に現実に連れ戻すなんて、死以上の惨い事をしているのはわかっている。

 

 それでもカルナは迷わないし、揺るがない。

 それ以外、カルナに出せる答えなどないから。

 

 ソラがそれ以外の答えを持たない事を、誰よりも何よりも知っているという自負があるから絶対に譲らず、彼はマーリンの言い分から矛盾を見つけ出して、それを盾に跳ねのける。

 

「そもそも、貴様の言い分ではマスターを生かしているのはマスター自身の意思ではなく、『抑止力』という世界そのものなのだから、オレがマスターの人格を食い潰してこの体を奪うことも不可能だろう」

 

 だがそれは、マーリンとって決して矛盾していない。揚げ足取りにはなっておらず、彼は春風のような笑みではなく、酷薄としか言いようのない笑みを浮かべて答える。

 

「だからだよ。抑止は……人理は私なんてかわいく思えるくらいの結果主義なのだから、望む役割さえ果たしてくれるのなら、中身なんてどうでもいい。

 むしろ強力すぎる魔眼と危うい精神を持つソラ君よりも、ソラ君より実力はあるけど反則的な能力はない、もしくは使えなくて、良くも悪くも精神が安定してる君の方が、向こうからしたら使い勝手が良いくらいだろうね。

 

 ……何より、君がその体を使ってくれたら、万が一でも億が一でもソラ君が切り捨てられない可能性をゼロに出来ると言い切っていい。

 それでも君は、ソラ君を開放してやらない気かい? 君のソラ君に生きていて欲しいという願望の為に、その子が本心から望んでいるのに決して手に入らないものを羨みながら、守って傷つき続ける一生を歩ませるのかい?

 それともまさか、彼女の余命が1年半でないとしたら、それこそ彼女が恐れた可能性は、億が一でも万が一でもなくなることも、君は想像できていないのかい?」

 

 最後の疑問というより辛辣な皮肉に思えた発言に、反応したのはカルナではなくキルアだった。

 

「!? 待て! どういう意味だ!? 何であいつが1年半後も生き延びたら……『あの可能性』が高くなるんだよ!?」

 

 キルアの悲鳴のような叫びに、ビスケとマーリンの「ない」という断言で呆然自失になっていたゴンも、「あの可能性?」と反応する。

 顔から血の気が引いて紙のような顔色で、今にも泣きそうなのに涙さえも出ないほどの恐れを露わに問うキルアに、マーリンは微笑みかける。

 カルナに向けられていた酷薄なものではなく、春風のような笑顔に戻ったが、しかしそれは先ほどの皮肉げな笑みの方がよほど親しみが持てるほどに、遠いのではなく薄っぺらいとわかる、上っ面の笑みだった。

 

「……まぁ、正確に言えばキルア君が思う『あの可能性』とは違うけどね。でも、彼女の血を引く子供が連綿と利用され続けるという結末は一緒。

 違いは利用する側が、人間種の悪性を煮詰めたような人間か、ソラ君と同じ願いをただただ機械的に実行し続ける、世界そのものかというぐらいかな」

 

 まずは何の救いにもならぬ補足と修正を入って、キルアの膝もゴンと同じように崩れ落ちる。

 ビスケは、自分が例えた宝石と同じくらいの硬度を持つと信じて疑わなかった弟子二人の心が折られたことに困惑しながらも、「だから、どういうことなのよ!? わかるように言いなさい!!」とヤケクソで叫んで説明を要求すると、マーリンは薄っぺらい微笑みを続行したままその要望に応えた。

 

 ……カルナは無反応で、ただマーリンを見てその話を聞く。

 自分の敵だと認識しながらも、それでもやはり先入観も偏見もなく平等に見る蒼緋の眼で、何かを探るようにマーリンから目を離さなかった。

 

「希望通り簡単に言えば、ソラ君は本来この世界の住人じゃないのに加えて、魔術回路やら直死の魔眼やらそこのカルナとか、こちらの世界にはないものをたくさん抱え込んでいる訳だから、『世界』にとって彼女は異物だ。

 それだけでも厄介だというのに、彼女は精神性が善性だけど壊れてるのが問題。普通ならかかるブレーキがかからないから、より善い未来を望む精神が今の安寧に牙を剥いて獣に……人間種の敵になりかねない。まぁ、なったとしたらそれは人間の自業自得なんだけどね。

 とにかく、ソラ君という存在は今のところ『世界』にとって無害でも、いつ命を落としかねない腫瘍になるかわからない、癌細胞のようなもの。

 だから『世界』としては最初から取り除いておきたかったところだけど、彼女がもたらした『異物』は『世界』にとっても都合がいいものだったからこそ、彼女は生きている。……生かされているんだよ。

 

 ソラ君以外の『世界』を侵す腫瘍を排除するのに便利だから、彼女は『世界』生かされて利用されている。それこそ、彼女自身が人理の敵になる前に、同じような獣候補と相討ちになることを期待されてね」

 

 抑止力やガイアとアラヤについての説明はさすがに面倒だったからか、それらを「世界」と置き換えて本当にシンプルに告げる。

 マーリンの話をビスケは「まだふざけるか!?」と怒鳴ろうとしたが、声にならない。そんな言葉、自分がそうであってほしいという願望であり、現実逃避であることをわかっているから。

 

 ソラは癌のように、世界すら殺しかねない腫瘍になるかもしれないと言われても、「大袈裟、考えすぎ、非現実的」と一蹴することが出来ないぐらいに、ビスケはソラのことを知っている。

 ソラの異常性を、異端さを知っている。

 

 そもそも規模は違えど、ハンター協会も同じように「危険だけど使える」という打算で、ソラを生かしている。

 戸籍がないソラなど、面倒事を嫌う者によって面倒事が起こる前に秘密裏に処分されてもおかしくなかったが、早い段階で「死者の念に対しての天敵」というメリットを見せつけたからこそ、最悪の事態は免れた。

 

 あまりに自由気ままに生きているのでそうは見えないが、彼女の現状はハンター協会に飼い殺されている。

 ソラのお人好しさが協会の利害と一致しているから、ソラは協会に対してなんだかんだで従順だからこそ今があり、ソラはともかく協会にとって彼女は使えるだけ使って、彼女を起因とする面倒が起こる前に、自分たちが押し付けた面倒と相討ちで潰れてしまうのが一番好ましい結末であることを、ビスケは知っている。

 

 だから未だに一人事情をほとんどわかっていない、理解できていないビスケでも、マーリンの発言は大袈裟ではない事を理解してしまう。

 理解してしまったから何も言えず、けれど奴の言い分に納得などしたくないのか、強く唇を噛みしめて睨み付けた。

 

 その殺意混じりの怒気と、わざとではない、彼女ほどの手練れであっても抑えきれないオーラをぶつけられても、マーリンはやはり春のような笑顔を浮かべている。

 あまりに残酷なソラの真実を、子供に言い聞かせるように優しい口調で、マーリンは話を続ける。

 

「彼女は『世界』にとって優秀な掃除人であると同時に、厄介な異物だ。だから、大きな役目を終えたらすぐさまに処分したいところだろう。

 ……けど、ソラ君が優秀なのは『世界』もわかってる。大きすぎる力で世界の脅威を取り除くとその力がまた別の脅威になるから、その脅威に対して限定で絶対のジョーカー、それ以外にとっては平凡なその他大勢こそが、『世界』にとって都合がいい。

『世界』としては『異世界』の知識や技能である『魔術』を広めたくないけれど、念能力の法則から微妙に外れるからこそ意表をつける『魔術師』は、ちょうど『世界』が求める掃除人の条件に合ってる。

 

 ……だからこそ、彼女は『世界』が望む役目を終えて、すぐ死に至るのは一番マシな未来だ。

 ソラ君の余命が1年半じゃないとしたら……、いやもしかしたらこの『役割』も含めて、余命が1年半なのかもしれないね」

 

 話を続けるが、マーリンは核心的な部分を語らないので、ビスケとゴンがいぶかしげな顔になる。

 だが、キルアにはわかった。ソラが「掃除人」以外にも世界に負わされるであろう「役割」が、何であるかを理解してしまったから、彼は両手で耳を塞いで懇願するように叫ぶ。

 

「言うな!! やめろ!! それ以上何も言うな!!」

「は?」

「!? キルア!」

 

 キルアの狂乱にビスケは困惑し、ゴンがしっかりしてというように呼びかけるが、キルアは耳をふさいだまま子供が駄々をこねるように、癇癪を起しているように俯いて頭を振る。

 そんな彼を、花のような春のような笑顔を浮かべながら、けれど決してキルアの狂乱や嘆きに悦びを見出しているとも思えない、何を考えているか全くわからない眼でマーリンは、カルナに対して言った。

 

「ソラ君という『異物』を『世界』が許容しているのは、彼女が『世界』にとって役に立つから。

 けれど性能が良すぎるのと、その性能に反比例して精神が危ういからこそ、『掃除人』として使い続けるのは危険だ」

 

 ソラを生かそうとするカルナに対して、批判的だった言動の理由。

 

「だから『世界(よくし)』は、彼女の胎を利用する。

 強力すぎて世界さえも殺しかねない直死とカルナ(きみ)は1代限りだし、魔術回路はこの世界そのものの魔力(マナ)が豊富だから、失った直死を補う性能に調節は可能だ。そしてこの世界の者の血が入れば、世界そのものが異物扱いして拒絶反応を起こす可能性は低くなり、アラヤとガイアの両方にとってもソラ君を使い続けるよりずっと都合がいい」

 

 キルアが気付いてしまった、ソラの「役割」を口にした。

 

 

 

 

 

「ソラ君の役割は、掃除人だけなら救われる。

抑止力(せかい)』が彼女に求め、強要する役割は間違いなく、『世界』にとって彼女以上に使い勝手が良くて都合の良い掃除人を生み出すための――――『胎盤』だ」

 

 

 

 

 

 * * *

 

 その「役割」というにはあまりに残酷でおぞましい単語が、ゴンとビスケの顔からキルアと同じくらい血の気を引かせる。

 

「……胎……盤?」

 

「母親」ですらない、まさしく「産む機械」扱いの単語をゴンが思わず口から零すと、自分で言っておきながら吐き気が込み上げた。

 吐き気と一緒に、思い出してしまう。

 

 ちょうど1年ほど前に、キルアを迎えにパドキアまでの飛行船内で知った、ソラ自身でさえも自覚してなかった傷を。

 おそらく本質的には女性らしい趣味嗜好の彼女が、その手のものを嫌悪ではなく忌避してしまった原因。

 

 ……わずか10歳で全く同じ「役割」を、実の両親に強要されたという事実を思い出してしまえば、もはや吐き気すら出て来ない。

 胸の内から湧き上がるのは、ソラの世界にも自分たちの世界に対しても懐く恨み言と、何も出来ない自分に対する憤り。

 

「……何で……ソラの『人格(こころ)』が死んで……、カルナがソラの体を使えば……『それ』はないって言うんだよ?」

 

 耳を塞いでいても聞こえてしまった、わかっていたけど聞きたくなかった言葉に、耳をふさいだままその場にうずくまっていたキルアが、絞り出すような声音で尋ねた。

 これだって本当は聞きたくない。だって、聞いてしまうと血迷ってしまうから。

 

 ――ソラを殺そうとするマーリンが正しいのではないかと思いたくないのに、それなのにキルアは縋りついてしまった。

 どうしたらソラを、その「役割」から逃がすことが出来るかを知りたかった。

 

「胎盤」ではなく、ただの「母親」にしてやる方法を求めた。

 

「別にむずかしい理屈はないよ。ただ単に男の人格であるカルナになってしまえば、カルナ自身にそういう趣味はないんだし、敬愛するマスターの体を穢す真似なんてする訳ない。そしてソラ君よりも彼の方が強いのだから、無理やり手籠めにされることもない。だからないって言い切れるだけの話。

抑止(せかい)』も別に、絶対ソラ君の血を引く子を掃除人の後継にしたいとは思ってないし、する必要性もない。いたらすごく便利ってだけだから、そこまで強制力はないよ。

 

 ……ただ、ソラ君ではきっとこの強制力に逆らえない。逆らえば死ぬしかないからじゃなく、彼女は本心でありふれた『夢』を捨てきれていない。『家族が欲しい』っていう願いを、絶対に捨てられない。

 

 その願いに付け込まれることがどれほど残酷かなんて、人外(わたし)より人間(きみたち)の方が想像つくだろう?」

 

 だが、キルアの望みは叶わない。むしろ余計に残酷な可能性を、マーリンは突き付けた。

 

 本当にソラの「願い」に、世界が付け込むのならまだいい。ソラが決めた「そういう風に見ない」という人が現れてくれるのなら、怖くてたまらないはずの可能性が起こらないと彼女に信じさせてくれる人が現れるのなら、それでいい。

 それが自分でなくてもいいと、キルアはもう決めているから。

 

 だけど、マーリンが言う「人理(せかい)」とやらは、マーリンなど可愛く思えるほどの結果主義。結果しか見ない。その結果を生み出す者を立役者として、尊重などしない。

 ソラを「胎盤」としか思っていないのなら、「世界」がソラに付け込むのは、「恋をしたい」という願いではない。

「家族が欲しい」という彼女の傷そのものである切願に、最も醜悪な形で付け込むのが目に見えていた。

 

「――――ソラ君は例え自分がどんな目に遭っても、凌辱と蹂躙の果ての産物だとしても、そして『それ』を産み落とすことと自分の落命が同義だと知っていたとしても、絶対に自分の胎に宿った命を殺さない。

『死にたくない』という願いすら凌駕して、『殺したくない』と望む彼女に間違いなく、『人理(せかい)』は付け込む」

 

 トドメを刺すように、わかっていたけど考えたくなかった可能性を、マーリンは突き付けた。

 その突き付けた言葉に、ビスケは「もう黙れ!!」と叫ぶ。

 悲鳴のような、泣き声でしかない声で叫びながら地面に何度も拳を叩きつける。

 

 同じ女だからこそ、自分の弟子が世界に強制される役割の残酷さを嫌になるほど、そんな絶望を味わうくらいなら、今すぐに死んでしまいたいほど理解してしまった。

 

 そして性知識がどれだけ正確にあるか怪しいゴンでも、ソラの役割は彼女の幸福から程遠いものである事だけは理解しているのだろう。

「……嘘だ」と縋るように呟いて、何かを探すように眼を見開いているが、その視線は地面にしか向いていない。俯いた頭を上げない。

 上げてマーリンを見てしまえば、あの遠い眼ですらソラの幸福も救済も見つけ出せなかった事を思い知るから、上げることが出来ない。

 

 あれほど真っ直ぐに「見つけるから今はなくてもいい」と答えたゴンでさえ、もう眼を逸らすしか出来ない諦観に囚われている。

 

 キルアも同じものが、諦観が心に絡み付く。

 だけど、まだ囚われてはいない。まだ諦めていない。諦めることが出来ないから、耳を塞ぐ手で自分の頭に爪を立て、絶望で停止しかける頭を痛みで覚醒させながら考える。

 

 諦める訳にはいかないから、世界そのものに対する憎悪によって灼熱する頭で考え、探し出す。

 絶対に認めない。ソラの幸福も救済も、現実にはないなんて。マーリンがもたらしたものが、ソラに与えられる最大で唯一の救いだなんて、絶対に認めない。

 

 だってそれを認めてしまえば、全てが否定される。

 意味をなくす。

 

 ソラが今まで生きてきたことも。ソラがどれほど傷ついて壊れても手離さなかったものも。

 ソラがくれた全てが、何も出来なかったという結末で終わってしまう。

 そして何より、ソラと築いた「今まで」全てが、マーリンによって作られて見せられている夢に塗りつぶされる。

 ソラの中の「キルア(じぶん)」が、自分ではなくなる。マーリンが見せつける幻影こそが、ソラの「キルア」になってしまう。

 

 今ここにいるキルアが、ソラにとっての知らない誰かになる。意味をなくす。

 それだけは、絶対に嫌だった。

 

(……結局、俺は自分が嫌だから駄々をこねてるだけなのか)

 

 自分がどうして諦めきれないのか、その理由は自覚している。

 決してソラの為ではない。ソラを幸せにしたいという望みは結果論であって、キルア自身の望みの本質は、自己犠牲からほど遠いただのワガママだ。

 

 それでも、そんな自分に嫌悪して死んでしまいたくなっても、たとえ結果論であったとしても、それでもキルアは譲れないから、諦められないから、塞いでいた耳から手を離し、顔を上げて睨み付けた。

 自分など見ていない、どこまでも遠い眼をしている生き物を真っ直ぐに見据える。

 どれほど遠くたって絶対にたどり着いて、あの女神をどこか彷彿させる笑顔を殴り飛ばしてやると決意して。

 

 その決意に応えるように、言った。

 

「マーリン。貴様の目的は何なんだ?」

 

 静かに訊いた。

 今までマーリンが語り、突き付けてきたソラの残酷すぎる可能性に、眉一つ動かさず黙って聞いていたカルナが、再びマーリンに目的を問う。

 今までの話の意味をなくす、最初に戻る問いをされてもマーリンは別に気に障った様子は見せなかったが、さすがにやや困ったように小首を傾げてもう一度答えた。

 

「? ソラ君を救うことだよ」

「違う。オレが訊きたいのは『その先』だ」

 

 しかし、カルナはマーリンの答えに即答で否定し、足りていなかった言葉を補足する。

 マーリンから困惑した様子は掻き消え、春風のような笑顔が浮かぶ。

 仮面に過ぎない笑顔を無視して、カルナは蒼緋の眼でどこまでも真っ直ぐに、どれほど遠くとも見つけ出して射抜くように、マーリンの眼を見て語った。

 

「貴様の『ソラ(マスター)を救いたい』という言葉に、嘘はない。真摯な本音だろう。

 が、それは貴様の『目的』ではない。それは貴様にとって別の、本命の目的のために必要な『手段』に過ぎない。だからこそ貴様は、オレにはよくわからないが確信している『1年半』という猶予が待てなかった」

 

 抜けているというかずれている所は多大にあるが、決してカルナは愚鈍ではない。むしろ常人ではたどり着けない領域へ即座にたどり着けるほどの洞察力があるからこそ、周囲の人間と認識のずれが生じるのだ。

 そしてソラが危険に晒されても、ソラの願いを理解した上でそれを踏みにじる真似を「救済」と言う者に対しても、怒りを懐いていながらそれでも彼の眼は平等だった。

 

 怒りで曇ることなく、どれほど遠くてもカルナは正しくマーリンを見ている。

 彼が春風の笑顔で覆い隠す「何か」は、まだ見えない。けれど、「何か」を隠していることだけは見抜いていた。

 

「貴様はマスターがどのような人物かを理解してる。そしてその人格を好ましいと思っている。だが、その好意は舞台の役者に懐くようなものだ。舞台から降り、役を終えた役者本人に貴様は何の興味も懐いていない。

 

 だからこそ、少なくとも今このタイミングで、このような手段でマスターを『救おう』とするのは、有り得ない。

 貴様はマスターが足掻いて足掻いて足掻き切っても終わるしかないと決定した最期の瞬間に、今まで自分を楽しませた礼として、マスターが望む幻想の夢を与えるのならば理解出来るが、まだ猶予があるこのタイミングでマスターを舞台から引きずり落とすような真似は有り得ない」

 

 マーリンがどのような生き物なのかを理解したからこそ、「有り得ない」と言い切る。

 この生き物は人間にとって好都合な結末が好きなだけで、本質的には人間の味方とは言えない事を理解しているからこそ、現状は本来なら有り得ないと言い切る。

 

 自分好みの結末を作り上げるであろうソラを、途中退場させるなんて有り得ない。

「マーリン」という生き物なら、人間の血は確かに引いているが、決して人間とはわかりあえないほど遠いはずの彼にとって、ソラを想っているからこそ結末が訪れる前に、幸福な夢を見ながら無自覚のまま終わらせてやるなんて手段を取る訳がないと確信していた。

 

 ……だが、マーリンは――――

 

「そんなに、私のしていることや言っていることはおかしいのかい?」

 

 笑顔が剥がれ落ち、カルナに訊き返す。

 春風のような、花のような、穏やかで柔らかくあたたかな笑顔は消え失せたが、カルナに対して非難するようだった冷ややかさもない。

 

 子供のように、幼子のように、本心から不思議そうな顔をして彼は尋ねる。

 

「私のしていることが、ソラ君の望み通りではない事はわかってるよ。ソラ君は、誰の眼から見ても痛々しくて報われない終わりを迎えたとしても、それでも私が与える『夢』を拒絶することはわかってる。

 私がしていることが余計なおせっかいだとは、わかってるよ。『世界』にとってもソラ君自身にとっても、私の介入や干渉は望まれていない、私の身勝手な押し付けである事はわかってるさ。

 

 ……けれど、『僕』は間違えているのかい?」

 

 真摯に、縋るように答えを求める。

 しかしそれは、自分の行いを正当化しているようには思えなかった。

 

 様子が一転したマーリンに、キルア達は戸惑い、面食らう。

 マーリンの眼を見てしまうのが怖いと思っていたゴンも顔を上げてポカンとしているが、マーリンは彼らの存在を頭から忘れ去っているように、ただ自分と対峙しているカルナに向かって問いかける。

 

「ソラ君が望んでいても、それは『世界』が……アラヤが! 人理が求めるハッピーエンドだとしても! それでも彼女が自分の命をなげうっても、『これだけは』と思ったたった一つのものだけしか守れずに、傷ついて奪われて失って壊れ果てて終わるしかないとわかっているから、例え嘘でも! 幻想でも! 彼女を騙しきって幸福に終わらせてやりたいと思うのは間違いなのか!?」

 

 言葉に熱が帯びる。

 癇癪を起した子供の、泣き声じみた声音だった。

 

 まだ遠い。けれど、月よりも遠く見えた人が同じ星の上に立っていると思えるくらいに、今のマーリンは近く感じた。

 手を伸ばすくらいじゃ届かないけれど、いつかはたどり着けると思えるぐらいの距離でマーリンは答えを求めた。

 

「……教えてくれないか、私と同じ人外と人間の混血児。

 ……救われないのをわかっていても、本人が望んだ通りの生を歩ませる事と、望んでいなくとも、少しでも安らかな終わりを与える事。そのどちらが……『人が人に望む答え』なのかを」

 

 真摯に求める。

 今はもう自分の千里眼でも見つけることが出来ない、見つけることを拒んだ、通り過ぎた過去。

 なのに未だ色褪せない、眼を閉ざさなくとも鮮やかに視界を、世界を塗り替えて蘇るあの日の光景の答えを。

 

 

 

『君は自由に、本当に美しいものを見ておいで』

 

 

 

 そう言って、送り出すつもりだった。

 送り出せると思っていた。

 

 だけど……マーリンは――――

 

 

 

 

 

「ふざけんな」

 

 

 

 

 

 マーリンの問いに答えたのは、マーリンと同じく人の血を引きながらも人間と同じ視点には立てない、半神のカルナではない。

 どれほど特殊な家に生まれ、特別な教育を受けて育っても、「人間」であることは決して変わらないキルアが、怒りを滾らせた眼で見据えて答えた。

 

 人間だからこそ、答えた。

 

「それが……お前の『目的』か。……お前は、お前なりにソラを助けたいと思ってやってるんじゃなくて、お前がその『答え』を知る為にソラを利用して、ソラの人生を今ここで全部使い潰そうとしてるのか!?」

 

 自分の自己嫌悪など吹っ飛んだ。それほど、マーリンの「答え」は、「目的」は許せなかった。

 

 カルナのような「貧者の見識」がなくとも、ゴンほど本能的に鋭敏な勘がなくとも、キルアだってわかっている。

 マーリンは好きで、ソラを殺そうとしている訳ではないことくらい。利用しているのは事実だろうが、ソラの生をここで終わらせようとしているのは、それしか見つけてやれなかったからそうするしかないだけであり、この手段自体はマーリン自身も望んでいない、ただ選択の余地がなかっただけであることくらい、わかってる。

 

 使い潰すことは目的ではない。世界を見渡す千里眼ですら、ソラの救済を見つけてやれなかったから、ここで終わらせてやることしかマーリンには出来なかったから、結果的に使い潰してしまうだけ。

 決して悪意があった訳でも、怠慢の結果でもない。

 

 彼なりの誠意と善意の結果であることくらい、わかっている。

 

 それでも、許せない。

 だからキルアは、突き付けた。

 答えてやるのも癪だったが、このままにはしておけない。マーリンが気付いていない、決定的で根本的な「間違い」を突き付ける。

 

「お前はお前なりに人間を理解しようとしてるのかもしれねーけど! お前は歩み寄ってるつもりなんだろうけどな!!

『人』に近づく為に、歩み寄る為に『ソラ(ひと)』を使い潰して踏みにじるっていう手段に何の疑問も懐かなかった時点で、お前がどっちの答えを選んでも『人としての答え』じゃねーんだよ!!」

 

 その言葉が相手に響くことなど、期待していない。そんな期待が出来る相手ならば、そもそもこんな指摘をする羽目にはならなかったと思っているから。

 何も知らないままでいるのは、答えてやること以上に癇に障ったから突き付けただけ。

 

 ……理解されず、きょとんとした顔で小首でも傾げられると思っていた。こんな指摘は、自己満足でしかないと思っていた。

 

 なのに――――

 

「え?」

 

 先ほどまでの勢いが霧散して、呆けた声をキルアが上げる。

 理解出来なかった。今までの言動の中で一番、その反応が理解出来なかった。

 

 同じくキルアほど即座に反応出来なかったが、全く同じことを思っていたビスケも、理解出来ずに目を丸くしている。

 

 理解出来る訳がない。だってそんな反応をするのなら、こんなやり取りはまず有り得なかったはず。起こらなかったはず。

 

 しかし二人と違ってマーリンの問いを静かに黙って聞いていたカルナ、そしてゴンは痛ましげに眼を細めた。

 あれほど、ソラの救済がこの現実(せかい)にはないことを知っている眼が怖かったはずなのに、ゴンは真っ直ぐにマーリンを見て、痛みに耐えるような顔をした。

 

 キルアの指摘に、突き付けられたものマーリンは、「人としての答えを出せない者」だと自ら証明したはずの夢魔は……

 

『!?』

 

 だが、マーリンの反応は一瞬だった。

 すぐさまに、元の春風のような爽やかな笑みの仮面を取り繕った訳ではない。ただ単にマーリンだけではなく全員が別の事象に気を取られ、それどころではなくなった。

 

 目には見えない、けれどあまりに近くから響いた、何かを叩きつけるような轟音。

 その直後、花が散るように世界が崩れていく。

 雲一つない、空に落ちてゆきそうな晴天は、厚い雲に覆われた曇天に。

 百花繚乱の花園は、鬱蒼とした森の中に。

 

 マーリンが塗り替えていた世界が、作り上げていた「異界(アヴァロン)」が破られる。元の世界に、現実に戻ってゆく。

 

 しかし自分の世界を破られても、マーリンは全く焦った様子もなく、爽やかに笑いながら相手を称賛した。

 

「へぇ。外からは見つけ辛い分、内側よりは破りやすいとはいえ……。また腕を上げたようだね、レイザー」

 

 実に楽しげに、おかしげに彼はタンクトップに短パン角刈りの筋骨隆々とした細目の男に話しかける。

 この時にはもう、どこにもキルアに突き付けられたものの名残はなかった。

 

 自分が取り返しのつかない事をしたと気付いてしまった、後悔と絶望の顔なんてどこにも残ってなどいなかった。

 

 * * *

 

「……マーリン。お前は何をやってる?」

 

 笑っているような細い眼だが、その声にも叩きつけるように放っているオーラにも滲ませた怒気が、決して笑っていない事を証明する。

 レイザーと呼ばれた男はバレーボール大のオーラ球を作り上げ、それを実際にボールのように手の上でポンポンと軽く跳ね上げながらマーリンに問い、そして細く開かれた眼でチラリとゴン達を見て言った。

 

「……君たちはプレイヤーだな。俺は、このゲームの責任者、G・M(ゲームマスター)の内の一人、レイザーだ。

 今の内に逃げろ。これはゲームのイベントじゃないし、こいつはゲームに何の関係もない。……こいつのやらかしたことはG・M(おれたち)が責任を取るから、今すぐに逃げて離れろ」

 

 ポカンとしている4人に最低限の自己紹介と、どうしてG・Mがここにいるのかを、何をしようとしているのかを説明して逃げるよう、離れるようにレイザーは命じるが、もちろんその善意をカルナが善意だと理解した上で、悪気なくぶった切る。

 

「それはできん。というか、むしろオレ達側の問題だから手を出すな」

 

 事情はわかってないとはいえ助けに来た人物に向かって、邪魔者、足手まとい扱いしているとしか思えない発言、相変わらずの言葉の足りなさを発揮するカルナにビスケは、「え? 何でこいついきなりこんな冷たくあしらってんの?」と言わんばかりに呆気に取られ、キルアとゴンは頭痛がしてきた頭を抱える。

 しかし幸いながらレイザーはカルナの発言よりも、カルナの存在自体に気を取られ、笑ったような細目のまま、器用にきょとんとした様子を見せてかすかに首を傾げた。

 

「……? お前がもしかして、……ソラ=シキオリか?」

 

 その特徴的な容姿でジンとイータが言っていた人物だと気付けたが、それにしてはおかしい部分にも気付いてしまい、レイザーは困惑する。

 容姿自体は確かに二人が言っていた通り、両性にして無性という特異すぎる美貌なのだが、今のソラはカルナ人格の為、声はもちろん言葉使いも立ち振る舞いも雰囲気も全てが男性的で、性別不詳の美人と言うより、中性的な美男子に見えるのだろう。

 

 そして何より一番の特徴である蒼い眼が片目だけになっており、もう片方はクルタ族を連想させる真紅のオッドアイが、なおさらレイザーを困惑させる要因。

 

 レイザーが困惑している事とその理由に気づいたカルナは、彼の疑問点を端的に説明する。

 だが、ただ単にマーリンを逃がさない為に目を離さないだけなのだが、結果としてレイザーに背を向け、彼に対して見向きもせず言い捨てるようになってしまった。

 

ソラ(マスター)と面識があるのか? 詳しく話す暇はない。

 オレはマスターに憑く亡霊で、今マスターはこいつの所為で死にかけているとだけ理解して、オレ達の邪魔をするな」

「カルナ。言葉を吟味する余裕がないのはわかるけど、それだとせっかくの味方を敵に回すよ?」

 

 まさかの敵であるマーリンから若干呆れられた様子でフォローされ、余計にレイザーは状況もカルナが何者なのかも理解出来なくなって混乱する。

 しかし混乱しつつも、G・Mとしての責任感や矜持が彼を動かす。

 

「いや、確かに俺は君たちがどういう事情でこいつにちょっかい……それも『アヴァロン』を使われる羽目になったのかは知らないが、こいつの事はG・M(おれたち)の問題だ。

 それに、こいつは正攻法で何とかできる奴じゃない。後で事情は聞くし、埋め合わせは必ずするから、ひとまずこいつを排除させてもらう」

 

 言って、レイザーはG・M専用呪文(スペル)カードである「排除(エリミネイト)」を取り出す。

 それを見てマーリンは、わずかに苦笑。

 

「うわ、それ使う気? ただでさえ呪文(スペル)カードは相互協力(ジョイント)型だから、効果の相殺や無効化もとっさに出来ないのに、詠唱も私のよりはるかに短いから私がすごく不利になるんだけど?」

「だからこそ使うんだろうが」

 

 しれっと「効果の相殺や無効化」というとんでもないことを「とっさに出来ない」、つまりは「とっさでなければ出来る」と言い出すマーリンに、レイザーは舌を打ってから相手の不満など切り捨てる。

 不利だと言われても、罪悪感どころか優越感だって起こらない。むしろ湧き上がるのは劣等感。

 それはあの「相殺や無効化」が軽口ではなく事実であるを、この島に訪れた10年以上前の時点で知っているから。

 

 あの頃よりはるかに念能力を鍛え上げ、実力をつけた自信はあるが、それでもレイザーだけなら未だこの人外に手も足も出ない事はわかってる。

 そもそも、マーリンが作り上げていた異空間である「アヴァロン」を外から破ったのだって、レイザー単独の実力ではない。

 

 まずマーリンの、内側は楽園のような花園を作り上げ、外からは生物の眼はもちろんデジタル機器すらも騙しぬいて、「誰もいないその場の風景」という幻覚を見せる10m四方の“円”を見つけたのは、プレイヤーの人数や名前、ある程度の動向を把握し、ゲーム内のリスト情報を整理・更新するイータだ。

 

 彼女はその役割から、基本的に新規プレイヤーやゲーム内に戻ってきたプレイヤーがいない時は常時G・Iのマップを見張っているため、森の中でマーリンが発動させた“円”に気付いた。

 さすがにプレイヤーの動向を事細かく見張っている訳ではなければ、プレイヤーの行動に基本的に制限を掛ける気もないので、本来なら“円”が発動されたことには気付いても気にも留めなかったのだが、マーリンの“円”は10m四方の正四角形という大変珍しい形なので一目で気付けた。

 

 そして、奴の“円”である異界「アヴァロン」の効果を知っているイータにとって、それは放置できる状況とは思えなかった。

 その“円”の中に、奴が目をつけていたソラがいると知ればなおの事。

 

 だから、レイザーに至急連絡を取ってその場に向かってもらった。

 レイザー単独なのは、状況がまだよくわからなかったのでひとまず担当イベントが発生してない為、手が空いている彼に様子見してもらいたかったのと、最悪の事態を想定すれば多人数でマーリンと接触するのは避けるべきとG・Mの総意で判断したから。

 

 最悪の事態……マーリンが敵に回るとしたら、多人数で奴に挑むのは愚行この上ないことを、この島にやって来た当初のやり取りで嫌になるほど思い知らされ、レイザー達は学習している。

 だから、レイザーの役割は言ってみれば炭鉱のカナリア。奴が何のつもりで、プレイヤーに「アヴァロン」を発動させているのか、何のつもりでG・Iというゲームを破綻させかねない事をしようとしているのかを、場合によってはその命すら材料にして探る役目。

 

 そんな危険性が高いこの役目にイータ達は申し訳なさそうだったが、レイザー自身は納得済だ。

 他のG・Mもレイザーに押し付けているのではなく、単純に手が空いていないだけだとわかっているし、担当イベント進行中、ゲームのシステム管理の合間にこちらの様子を窺って、フォローの用意は万全にしてくれているのだから、不満など有る訳がない。

 マーリンの“円”を破った一撃だって、「排除(エリミネイト)」と同じくG・M専用呪文(スペル)カードで仲間のオーラを供給してもらって、効果を底上げしたからこそだ。

 

 だからこそ引かない。

 ここは元々は彼の島で、自分たちが身勝手な略奪者だとしても、マーリンにはマーリンなりの、人間には理解出来ないが決して「悪」ではない何かがあったからこその行いであっても、ジンが作った世界を奴の都合で台無しにすることだけは許せない。

 

 だから、マーリンの「本気で怒ってるね。私を島から追放する気かい?」という言葉に対し、吐き捨てるように返答する。

 

「俺としては最初から、そうしておきたかったからな」

 

 その返答に焦った声で反応したのは、追放されるはずのマーリンではなかった。

 

「!? やめろ! こいつを逃がすな!!」

 

 自分を相手にしていないと思っていたカルナが、酷く焦った顔と声音で振り返ってレイザーを止める。

 カルナだけではなく、他の三人も眼を見開いて口々に「やめろ!」と叫ぶ。

 ソラがどういう状況か全くわかっていないレイザーからしたら、厄介すぎるマーリンをひとまずどこでもいいから遠く離れたところに追放してから、事情を聞いて埋め合わせをするのがベストだと思ったのだが、それはカルナ側からしたら最悪どころではない悪手。

 

 ある意味マーリンはすでに目標を達しているのだから、G・I(ゲーム)から追放されたら、そのまま行方をくらますのは確実。

 距離を置けば、もしくは時間経過で効果が薄くなってソラが解放されるのであればいくらでも追放して欲しいのだが、そうでなければカルナがどんなに足掻いても、ソラは永遠に眠り続けて夢の檻からは開放されない。

 

 なのでかなり切羽詰まって全員がレイザー止めにかかったことで、レイザーは発動させるつもりだった「排除(エリミネイト)」をとっさに使えなかった。

 それが、わざわざ「自分でも防げない」ことと「追放」を口にしたマーリンの狙いであったことに気付いたのは、マーリンの思惑通り彼の掌の上で踊ってから。

 

 カルナが目を離したこと、レイザーの意識がマーリンから自分を止めるカルナ達に移った瞬間、マーリンは何も持っていなかった右手に一振りの杖を顕現させ、歌うように言葉を紡ぐ。

 

「星の内海。物見の(うてな)

 

 それが何であるかなど、レイザー以外にわかっている者などいなかった。

 だが、自分たちにとって都合がいいものでない事だけは理解出来たから、カルナと同じくレイザーに「余計なことすんな!」と食って掛かっていたキルアとビスケ、そしてゴンがマーリンに向かってゆく

 

 意味は分からない。だけど、おそらくはソラの宝石魔術の発動キーワード、ゴンの掛け声のような制約だと判断したから、少なくともこの歌のような言葉を、詠唱を中断させるべきだともはや思考より先に体が判断して動いた。

 その判断は正しい。だが、彼らは3人とも思い違いをしていた。

 見た目とソラが語った「花の魔術師」という肩書が、前提を大きく間違えさせた。

 

「楽園の端から君に聞かせよう。祝福はここに満ちていると」

 

 歌うように詠唱を続けながら、マーリンは自分に向かって飛んできた重さ50kgという特注のヨーヨーを杖に絡ませて防ぐ。

 そしてそのまま、キルアとそう変わらぬほどの重さに耐えるだけのワイヤー強度と指ではなく手首に付けていたのが仇となり、マーリンはヨーヨーが絡んだ杖を振り回して、ハンマー投げの要領でヨーヨーと繋がっていたキルアをゴンにぶつける。

 

 そして弟子二人を囮に使って間合いに張りこんできたビスケに、眼で「ごめん」とでも言うように苦笑してから杖に仕込んでいた短剣を抜き、彼女の首……頸動脈に突き付けて動きを止める。

 

 子供とはいえ、現実世界に戻る事を諦めたプレイヤーとは比べ物にならないほど優秀な能力者3人を瞬時に制圧する、相変わらずの見た目と肩書きに対して詐欺と言いたい武道派ぶりに、レイザーは舌打ちしそうになったが、それよりもカードを発動させることを優先する。

 

「『(エリミ)っ……!?」

 

 だが、目の前に鶏卵ほどの大きさの石が飛んで来て、さすがに反射的に言葉が詰まり、それを避けることに意識が割かれる。頭に向かって飛んできたのなら頭部にオーラを多めに回して、そのまま避けずに呪文(スペル)を唱えることを続行していたが、さすがに文字通り自分の目に向かって一直線に飛んできたものは、理性ではなく反射で体が動いた。

 

 同時に、元はマーリンへの牽制用にと用意していたバレーボール大のオーラ球も、ボンっ! と破裂するような音を立てて雲散霧消。

 自分の目を狙ったものからわずかに間を置いて、自分が避けた所を計算して投げつけられたオーラの籠った小石によってオーラ球まで破壊されたことが、レイザーの思考からさらに冷静さや余裕を奪い、大きな隙を作り上げる。

 

 その隙を突かれ、カード持っていた手首に遠慮ゼロと思える蹴りがピンポイントで決まる。

 実際の所、遠慮も手加減もしていたがそれは「勢い余って手首そのものが千切れて吹っ飛ばないように」レベルの力加減で蹴られ、レイザーの右手首は骨が折れるどころか粉砕されたのではないかという音と同時に、「排除(エリミネイト)」を落としてしまう。

 

 もちろん理性では対処できないであろう眼を狙って石を投げつけたのも、バレーボール大のオーラ球を、こちらもオーラが籠っているとはいえ小石で破壊したのも、手首の骨を粉砕する蹴りを決めたのもカルナだ。

 彼はマーリンが見た目と「花の魔術師」という肩書に合わぬほど実戦向きの武道派であること、ゴンやキルアはもちろんビスケにも荷が重い相手である事に気付いていたが、それでもやはりマーリンよりも事情を知らず善意とはいえ、奴を逃がしかねないレイザーの行動阻止を優先するしかなかった。

 

 それもマーリンの狙いであること、奴の詠唱を完成させるまでの時間稼ぎに協力していることにも気付いていながらも、そうするしかなかった。

 

「――――罪なき者だけ、通るが良い」

 

 だから本来ならカードを始末したかっただろうがそれは諦めて、レイザーの手からカードが落ちた瞬間に身を即座に翻してマーリンと向き直り、駆ける。

 だが、間に合わない。全てはマーリンの掌の上だった。

 

永久に閉ざされた理想郷(ガーデン・オブ・アヴァロン)

 

 世界が再び、塗りつぶされて塗り替わる。

 だがその直前、レイザーは落とした「排除(エレミネイト)」を拾い上げるのではなく、もう一つ用意していたG・M専用の呪文(スペル)カードを無事な左手で取り出して発動させた。

 

「『脱出(エスケープ)』、オンッ!!」

 

 それは予備の「排除(エリミネイト)」ではなく、それを防がれた挙句に危機に陥った時という最悪の事態、もしくはマーリンから今すぐプレイヤーを引き離さなくては危険と判断した際に使うよう用意していたカード。

 

 効果は「同行(アカンパニー)」と「離脱(リープ)」の複合。カード効果範囲内にいる複数人のプレイヤーを同時に、イータの妹であるG・Iの出口担当、エレナの元まで移動させるものだ。

 

 マーリンはカード保管のバインダーを具現化する指輪を持っていないのでプレイヤー認定されず、彼以外の全員がおそらくは呪文(スペル)カードの効果も遮断するであろうあの異界へ、再び囚われる前に脱出することが出来た。

 

「……あーぁ。行っちゃった」

 

 蒼天の下、楽園のような花園の中に独り。マーリンだけが取り残される。

 退屈そうに、留守番に飽きた子供のように呟く。

 

「……もうやることはやったから、いっそ島から出てしまうのが一番いいんだろうね」

 

 誰も聞いていない、誰にも聞かせる気のない言葉をマーリンは零し続ける。

 

「……なのに、どうして私は『ここ』から動けないんだろうね?」

 

 何が言いたいのかなんて本人もわかっていない。その答えを誰よりも知りたがって求めているのは、きっとマーリン自身。

 

「……感情なんて、『僕』にはないと思っていたよ。

 君達に見せるものなんて、夢魔として夢の中で集めた『心の機微』を燃料にして作った使い捨てだ。……人間ならこう思うんだろうなっていう想像で作ったまがい物であって、『僕』個人のものじゃない」

 

 自分が人間ではないことなど、最初から知っている。

 人間でありたいとなど、思ったこともない。

 

 人間でありたいとは思わない。けれど、純粋な夢魔でありたかったとも思っていない。

 人間と夢魔の混血だからこそ、マーリンは見つけた。出逢った。

 

 とても、とても、息も出来ぬほどに美しいと思えたものに出会えたから。

 だから、自分はこれでいいと信じていた。

 なのに……、それなのに――――

 

 

 

『「人」に近づく為に、歩み寄る為に「ソラ(ひと)」を使い潰して踏みにじるっていう手段に何の疑問も懐かなかった時点で、お前がどっちの答えを選んでも「人としての答え」じゃねーんだよ!!』

 

 

 

 キルアに突き付けられた「答え」が、頭の中で蘇る。

 マーリンは今、自分がどんな顔をしているかもわからぬままに不満をぶちまけた。

 

「……嘘つきだなぁ。……キルア君の言う通りじゃないか。『僕』でもわかるよ。どっちを選んでも、『僕』は人としての答えなんて出せてないじゃないか」

 

 笑って、送り出すつもりだった。

 

『君は自由に、本当に美しいものを見ておいで』

 

 そう言って、祝福して送り出すつもりだった。

 本当に本当に、そう言いたかった。そう言って送り出す自分しか想像できなかった。

 

 なのに、それなのにあの日……、マーリンの口から出た言葉は――――

 

 

 

 

 

『無駄死にしかならないから、やめたら?』

 

 

 

 

 

「彼」が望んだ、祝福の言葉で送り出すことが出来なかった。

 その言葉が、永遠に忘れられぬ傷になるなんて想像できなかった。

 

 ……傷である事すら長い間気付けなかった夢魔は、使い捨ての感情ではなく純粋に自らの「心」だけを燃料に、材料にして作り上げた感情を……不満をただ零す。

 

「……ジン。君は嘘つきだ。…………『私』に『人』としての感情なんてないよ」

 

 大切にしていた宝物が壊れ、二度と元には戻らない事を知った子供のような顔で零す不満の言葉は、後悔の涙に似ている事すら夢魔は気付けない。

 どれほど「人間らしい」ことをしているのか気付けぬまま、ただ独り楽園の端でどこにも行けない夢魔は立ちつくし続けた。






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