死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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143:思い出

「……ありがとう。全部、吹っ切らせてくれて」

 

 兄の脇腹から引き抜いた短剣を落とし、血まみれになりながらもレツは儚げに、寂しげに、それでもどこか清々しく見える笑みを浮かべて言った。

 

 彼女が口にした礼は、ソラであってソラではない、全知万能の女神が気まぐれで断言したこと、その断言がオモカゲだけではなくレツにとっての逃げ場も……、「もしかしたら昔の兄さんに戻ってくれるかもしれない」という期待を完全に捨てることが出来たという意味での礼だったが、ソラは気付かない。

 

 ただ、この世全ての美しいものに匹敵する笑みは、「信じられない」という驚愕と「どうして?」という縋るような悲しみに歪み、けれど諦観に満ちた絶望そのものだった天上の瞳は、レツが捨てたものさえも拾い上げようとしている、強い意思に満ちた蒼玉の眼をしていた。

 女神とは違う、どこまでも人間らしい弱さと強さを共存させた顔で、ソラは呼びかける。

 

「……レツちゃん」

 

 呼びかけつつも、言葉が続かない。

 それはソラだけではなく、ゴン達も同じ。彼らが顔面蒼白なのは不意打ちで現れた女神だけの所為ではなく、レツの行動も理由の一つ。

 だが、彼らにとってレツの行動はさほど唐突でも意外でもない。

 

 ……むしろ、彼らはこの展開を予測できていた。

 それを避けたくて、足掻いていた。

 

「レツ……? 何故……私を……?」

 

 なのに、やはりオモカゲだけがわかっていない。

 クラピカの鎖によって倒れることはないが、口から血を吐き出して、ただでさえ悪かった顔色は蒼を通り越して紙の色になりつつ、ショックを受けているような、心の底から不思議そうな顔でレツに尋ねる。

 

 あれほどオモカゲの節穴具合が何かの間違いなら良かったと思っていたのに、今では……女神によって断言された事実を知れば、本当に節穴であった方が、最初から(レツ)のことなど道具や材料としか思っていなければ良かったと思ってしまう。

 

 愛していたからこそ、その存在を少しでも長引かせる為に自分の善なるものを与え続けた結果がこれならば、愛など最初からない方がマシに思えた。

 それでも、レツは――

 

「僕が生きていたら、きっとこうしていたから……」

 

 兄に対して、はっきりと答えた。

 それはレツ自身の答えでありながら、人形(じぶん)ではない本物のレツの答えであり、そして……兄自身の答え。

 

「もう、兄さんが誰かを傷つける姿は見たくないんだよ……。

 兄さんは『神の人形師』なんかじゃない。ただ純粋に人形作りが好きな、あの頃の兄さんでいて欲しかった。だから僕の手で止めなくちゃと思ったんだ。

 ……それが僕の、『本当』。無理やり命令されている事じゃない。『本当』の気持ちなんだ」

 

 オモカゲから切り離されて、独立した人格であっても、レツの倫理観は兄の「そうであってほしい」と願い、信じたものだからこそ、兄の善性そのものだという断言をもらったからこそ、レツは心のままに行動しただけだと答える。

 ……だから、悲しくはあっても、辛くはあっても、後悔などしないと言うようにレツは笑う。

 

 泣きそうな顔で、けれど泣くのはレツに対しての侮辱だと思っているのか、唇を噛みしめて泣くのを堪えているゴンとキルアに、「君たちが泣くようなことじゃない」と言うように。

 

 全て、自分の気持ちのままに、心のままにレツは行動する。

 

 そんなレツを、淀んだ瞳で力なく見ながらオモカゲは「……飼い犬に手を噛まれるというのはまさにこのことだな」と、レツごと侮辱する自虐の言葉を零す。

 だが、その言葉はレツの笑顔で更に溢れそうになった涙を拭ったゴンによって否定される。

 

「……違うよ、オモカゲ。レツは人形にされた恨みでお前を裏切った訳じゃない。かつては優しい兄だったお前のことを心から止めたかっただけなんだ。

 ……最初からずっとずっとレツは……、お前の心は『神の人形師』なんかよりも、『優しいレツの兄』であり続けたかっただけだ」

 

 救いになるのかどうかは、ゴンにはわからない。

 けれど、レツの行動や思いからして、そして女神の断言からして、これは本当。

 

 レツはオモカゲの心から生まれたから、オモカゲが本心から『神の人形師でありたい』と思っていたのなら、レツも優しい兄に戻って欲しいとは思っていても、『神の人形師』であることまでは否定しなかったはず。

 だからオモカゲも本心では、少なくとも初めはそんな肩書きと妹を天秤にかけて、妹を犠牲にしたことを悔やんでいたはず。

 

 そんな肩書きよりも、妹を取り戻したかった、妹と共に生きたかったが始まりであり、本来の目的だったはずなのに、人形である妹と生きるためにはそんな思いを自分でも気づかぬうちに少しずつ歪ませ、腐らせ、失くしてゆくしかなかったというのは、酷い皮肉だ。

 救いになるとは思えない、事実だ。

 

 それでも、レツはゴンの言葉にはにかむように淡く笑う。

 そして……オモカゲも一度だけ息をついてから、瞼をゆっくりと下ろして、そのまま緩やかに呼吸を止めた。

 

 呼吸の止んだ兄にレツは近寄り、抱き着く。

 それを見てクラピカは、悲しげに、けれど少しだけ安堵したような、何かを許すような複雑な顔で、中指の鎖を消した。

 クラピカの支えがなくなり、オモカゲの息絶えた死体はレツに寄り掛かるが、レツはそれを抱きかかえたまま座り込み、ずっとずっと抱きしめ続ける。

 動かない、熱を失った兄の胸の中で、声を押し殺して泣きながら、抱きしめ続ける。

 

 ……ほんの、ほんのわずか、気の所為と一蹴されても否定できない程わずかでかすかだが、……オモカゲはどこか妹と同じように、何かを吹っ切ったような笑みを浮かべているように見えた。

 

 それがレツの涙の理由かどうかまでは、誰もわからない。

 

 * * *

 

 兄を抱きしめ続けるレツと、妹に抱き着いて見える形で息絶えたオモカゲを見下し続けるソラに、キルアが声を声をかける。

 

「……何も出来なかったとか、また一人で勝手に責任感じるんじゃねーぞ。

 全部全部、オモカゲの自業自得なんだからな。……むしろ、お前の断言のおかげでちょっとはマシになったはずだ」

「え? 私なんか、断言したっけ?」

 

 悲しげだった顔がキルアの慰めによって少し困ったような笑顔になったのは良いが、うっかり口を滑らせたキルアの発言にソラは素のきょとん顔になって訊き返し、他の連中は「……おい、余計なことを言うな」という眼でキルアを睨んで、キルアも自分の失言に気付いて冷や汗を流す。

 挙句、他の連中が全力で無視してすっかり存在を忘れていたヒソカが「あぁ♦ やっぱりソラは『彼女』のことを知らないし、自覚もないんだね♥」と更に余計なことを言い出して、ソラの疑問を深めさせた。

 

 ただヒソカに「どういう事?」と訊く気にはなれなかったのか、ソラはヒソカ無視を続行して代わりにかキルアの服の裾を引っぱり、「ねー、私なんか言ったけ? 最後は可能性の話で断言はしてなかったと思うんだけど?」と問うが、もちろんキルアは答えない。

 っていうか、絶対本人が思い出せないし認識も出来ない、何より思い出しても認識してもいけない存在の話など出来る訳がないし、仮に出来たとしてもこちらの正気が疑われるという大変ムカつく結果が想像つくので、キルアは豪快に眼を逸らしながら「何でもねーよ!!」と言い張る。

 

「……ソラ、いいからその左手をいい加減手当てしろ。見ていてこちらが痛々しい。

 あと、希望通り説教してやるからそこに直れ」

 

 誤魔化しにしてはあまりにもひどいがそれ以外にしようがないので、クラピカは仕方なさそうに一度ため息をついてから、ソラが宝石剣の為にやらかしたリストカットを引き合いに出して、話を変える。

 ただ、別にキルアへの質問攻めをやめさせるためだけの口実でないらしく、目はマジだったので今度はソラの方が豪快に眼を逸らす。

 

「おい、気持ちはわかるが今するのは手当てだけにしろ」

 

 だがさすがに兄の死で泣いて悲しんでいる女の子の前で、膝を詰めて説教はエアブレイクにも程があるのでレオリオが止め、クラピカ自身も冷静に考えれば確かに嫌すぎると思ったのか大人しく頷く。

 そしてゴンは、何度か躊躇うように言葉を詰まらせたが、それでも決心したように呼びかける。

 

「…………レツ! あのさ……」

 

 たとえ彼女はもうこれから、残されたオーラを消費して緩やかに消えてゆくしかなかったとしても、自分が生きた人間ではないことを思い知らされながら人形に戻ってゆくしかないにしても、それでもゴンは手を差し伸べた。

 

「一緒においでよ」という、言葉と一緒に。

 

 だけど、その言葉は声になる前に、差し出した手は払いのけられた。

 

「!?」

 

 払いのけたのは、レツではない。レツの両手は未だに兄の背に回って抱きしめ続けている。

 ゴンの手を払いのけたのは……

 

「――――このままでは終わらせない!」

『!!??』

 

 胸に埋めていた顔をレツは跳ね上げて見た。

 どこにも焦点の合っていない眼は、酷く淀んでいる。抱き着いているその体には相変わらず、体温もなければ鼓動も聞こえない。

 間違いなく、死んでいる。オモカゲは間違いなく息絶えているにも拘らず、それは目じりや目頭が割けそうなほど両眼を見開いて、叫ぶ。

 

「人形たちよ! 腐ったドブ川のように生きる人間どもに、死を!」

「きゃっ!?」

「レツ!!」

 

 オモカゲだった残骸の怨嗟と共にドス黒いオーラが噴き出して、オモカゲに抱き着いていたレツと傍にいたゴンを吹き飛ばす。

 ゴンは吹き飛ばされたレツに向かって手を伸ばしたが、その手は届かず逆方向に吹き飛ばされてレオリオに受け止められるが、レツは壁にまで吹き飛ばされて背中を叩きつけられる。

 妹をそこまで吹き飛ばしても、オモカゲの残骸は見向きもしない。

 

 ……女神の言葉は自分たちが思っていたよりも正しかったことを、ソラとオモカゲの本意になど興味がないヒソカ以外が思い知る。

 

 オモカゲの死に顔が、少しは安らかに笑っているように見えたのはやはり自分たちの願望が見せた気の所為、勘違いだったと理解する。

 奴はあの正体など知らなくても本能が知らしめる、「絶対的な強者」による断言ですら耳を貸さない、その言葉でも折れない心を持っているのではなく、折れるほどの理性を既になくしていたのだと、目の前の光景が証明する。

 

 オモカゲの背中から、ずるりと這い出てきたのは二つの人影。

 奴が「人形受胎(ドールキャッチャー)」で取り込んでいた、旅団の人形。フランクリンとフィンクスが具現化し、そしてその二つを吐き出したことで力尽きたのか、オモカゲの死体は糸が切れたようにその場に倒れこんだ。

 

 だが、オモカゲの体から吐き出され、這い出てきた人形は消えない。

 むしろオモカゲの死体が放っていた、禍々しくてドス黒いオーラを取り込み、最初に現れた時以上の威圧感を放っている。

 

「……死者の念!」

「おやおや♠ あの最期なら期待できなかったけど、結構元気の良い悪あがきをしてくれるね♥」

 

 ソラはしてもらっていた左手首の治療を中断してその人形と向き合い、ヒソカはせっかくのご馳走(カルナ)がさっさと消えてしまった所為で欲求不満だったからか、嬉しげに唇を舐めて言う。

 

 そんなヒソカをうぜぇと思いながら、ソラは今度こそ遠慮のいらない相手だから自分の眼でさっさと終わらせるか、それとも「ヒソカガード!!」とか言ってヒソカを蹴りだし、奴に全部任せて自分たちは逃げ出すか、その場合はレツを抱えて逃げるべきかを考えた。というか9割がたソラの計画は後者で固まっていた。

 

 が、幸いと言うべきか今までのシリアスをぶっ壊す作戦を実行する前に「彼ら」は現れた。

 

 

 

廻天(リッパー・サイクロトン)!」

 

 

 

 無言で、ひとまず一番近くにいたゴンとレオリオにフィンクスの人形が飛びかかると同時に、同じように跳びかかってきた相手が、人形の脇腹を殴りつけてそのまま体を上下に二分させた。

 そして殴った拳を握って閉じて調子を確かめながら、拍子抜けを露わに彼は言う。

 

「何だ? 俺の偽物のくせに全然弱っちいじゃねぇか」

「!?」

 

 オモカゲの最期のオーラをたっぷり吸収して強化されていたはずの人形を、一撃で粉砕したのは人形のモデル、ただし変なでかい帽子にゆったりとした白い服ではなく、帽子なしの黒ジャージ、エジプトのファラオ風だった人形とは打って変わってただのヤンキーにしか見えない格好のフィンクスだった。

 

 フィンクスの乱入にゴン達は驚愕と、ヒソカ以上に「敵の敵」とはいえ一時的な味方も期待できない相手だとわかっているからこそ、オモカゲの死者の念よりヤバいと判断して焦る。

 ヒソカの方は取り出していたトランプを残念そうに引っ込めて、「もう来ちゃったかぁ♣」と呟いた。

 

 ソラは一応、ヒソカを蹴りだそうと足を上げたまま、ゴン達と同じように驚愕で目を丸くしているが、焦りはない。というかこの女、たぶんフィンクスを旅団(クモ)だとも気付いていない。

 フィンクスと面識があるのは「空」の方なのと、デカくて変な帽子の所為で人形の顔がよく見えてなかったので無理はないといえば無理はないのだが、この状況で「誰? この眉なしヤンキー」と思うのは場違いにもほどがある。

 

 そんなエアブレイクな疑問を反射でしそうになったが、やっぱり幸いと言えるのかどうかは不明だがそれは言わずにすんだ。

 

 こちらに向かって指先の銃口を向けていたフランクリンの人形に気付いて、ソラが再びヒソカを蹴りだそうとしたが、その前にフランクリンの人形も自分が放つ念弾よりもオーラが高密度な念弾の掃射を受け、体が大きすぎるのが災いして文字通りハチの巣になり、ぐらりと体が傾ぐ。

 

 その巨体が地に伏す前に飛び出てきた黒くて華奢な人影が、追い打ちのトドメに持っていた棒状のもので人形の頭を粉砕。人形でなければ、グロテスクな柘榴が出来上がっていただろう。

 

「このフランクリン、全然手ごたえないなぁ。本物と本気(マジ)でやったことないからわかんないけど」

「……っていうか、俺だと思ってしたのかよ、今の」

 

 粉砕した人形の頭を無表情で見下ろしながら少女は言い、のそのそとオモカゲが空けた壁の穴からやってきた人物が心底引いたような口調で呟く。

 

 その二人には、見覚えがあった。

 そして彼らに続いて現れた人物にも。

 

「ワタシたち一足遅かたね。オモカゲ、もう死んでるよ」

 

 小柄で黒づくめの男が、なまりの強い口調で不満を呟く。

 

「仕方ないだろ? 途中であの子たちに付けてた念糸が切られたんだから」

「物品に残った記憶をサイコメトリーするのは苦手なのよ。というか、何度も繰り返したから頭が痛いわ」

 

 ミニ丈の着物にスパッツ姿の美少女と、胸の空いたスーツを着た鷲鼻のモデル体型美女が、その愚痴に反論する。

 

「まぁまぁ。でも、わざわざオモカゲを始末しにこんな田舎まで来たのになぁ。無駄足だったね」

 

 やや険悪な3人の空気を宥めつつ、ケータイを持った優男が身も蓋もないことを言い出す。

 

 そして、自分の仲間のやり取りなど眼中に入れず、腰の刀をいつでも抜き出せるように手をかけて着流しを着た浪人風の男……ノブナガは話しかける。

 

「……よぉ。半年振りか? 鎖野郎に……ソラ=シキオリ」

「「……幻影旅団」」

 

 もう取り違えやしないと誓った親友の仇にして、(リーダー)を封じる枷である自分たちの天敵を見据えた男に、クラピカは再び鎖を具現化し、ソラも眼の明度をスカイブルーにまで上げる。

 もちろん、他の3人も本物幻影旅団登場に驚きつつ、同じように構えるのだが頭の中はオモカゲの死者の念が発動した時よりも焦りが生じる。

 

 オモカゲの死者の念による人形は、強化されているとはいえ2体しかなく、そしてソラも遠慮する必要のない相手なので、フランクリンがややきついがまだ勝機はこちらが上だった。

 しかし、こちらが満身創痍の中にほぼベストコンディションと思われる本物の旅団員8人はキツイどころではない。

 

 そしてこちらが圧倒的に不利であることを、旅団側もわかっているのだろう。

 なのに、手出しは難しい。

 

 クロロを封じているクラピカを殺せば、死者の念でクロロがむしろ危ういことはわかっている。

 ならソラだけでも……という考えもよぎるが、あのヨークシンでの出来事や、パクノダによって全員が埋め込まれて知ったクラピカの情報からして、そっちの方がまずいのも自明の理。

 ソラを殺した方が確実に旅団への憎悪が深まって、この男は自らの死を代償に己の能力を凶悪無比な呪いそのものに変えて、旅団を壊滅させることが容易く想像ついた。

 

 そしてそれは、ソラ相手でも同じこと。

 クラピカを殺すのならば、奴はクロロや旅団への憎悪より死後もソラを守ることを選んで、クロロや旅団に対しての死者の念は遺さない可能性はそこそこ高く思えるが、間違いなくこの女はクラピカが殺されたらかろうじて残っている人間性や理性を全て捨てて、復讐鬼に成り果てる。

 

 それも標的が旅団に対してのみならまだマシだ。

 この女はまだかろうじての正気を持つ今の時点で、「クラピカを殺す世界なんて、アラヤもガイヤも許さない。そうなったら私は抑止の獣(プライミッツ・マーダー)になってやる」と言い切っているのだから。

 

 そこまで冷静な参謀役のシャルナークだけではなく、短絡的なノブナガやフィンクスでもわかっている。

 が、それでも自分たちの天敵を殺す千載一遇のチャンスを逃すのは惜しいと思っているのが一目で知れる目で、全員がクラピカとソラを睨み付け、しばし場は硬直。

 

 その硬直状態を解いたのは、楽しげな低い笑い声。

 

「くくく……、やめておいた方が良いんじゃないかな?」

 

 殺せなくとも、殺さなくとも、せめて手足の1本でも奪って彼らを不利にしたいとでも思ったのか、じりじりと旅団がクラピカたちの方に距離を詰めて行くのを見て、ヒソカは喉で笑いながら一歩前に出る。

 素で気づいてなかったのか、それともクラピカ達側同様に関わった方が面倒くさいから無視していたのか、どちらにせよしゃしゃり出てきたヒソカに対してノブナガは、不快そうに舌を打ってから「てめぇも後で相手してやるから引っ込んでろ、裏切り者!!」と一蹴する。

 

 が、ヒソカは相手の怒声を無視してニヤニヤ笑いながら旅団に告げる。

 

「キミ達、忘れたの? ソラには最強のボディガードが()()()いること♦

 それと……キミたちにとって最も会いたくない、けどキミたちの団長がご執心の『彼女』がいること♥」

 

「最強のボディガード」でまずは旅団全員がピクリと反応し、そして「彼女」で全員の顔から血の気が引く。

 言われているソラ本人はヒソカの前半の発言はともかく、後半が何のことかわからず困惑する。しかし他の4人が酷く遠い目をしながら「気にしなくていい」とごり押ししてきたので、余計に気になりつつもとりあえず横に置いておくことにした。

 

 そんな彼らのそれぞれの反応を実に楽しそうに眺めながら、ヒソカは旅団にトドメを刺す。

 

「『彼女』、さっき一瞬だけど出たよ♠」

 

 その言葉は本来なら、脅しになどならない。

「彼女」が現れるのに条件などない。全てが女神の気まぐれ。先ほど出たからといって、ソラや彼女の大切な人の危機的状況に助けに出るとは限らないのが「彼女」だ。

 

 脅しになどならない。だが、旅団としては楽観的にもなれる訳がないことを突き付けられ、思い出された。

「彼女」の目覚めは気まぐれだからこそ、予測などつかない。おそらくは出ない確率の方が高いのだろうが、どのような状況でも現れる可能性を消すことはできない。

 そして現れた際に、「彼女」は何をするのも全く想像がつかない。

 

 つかないのに、トドメはもう刺されたというのにヒソカはまだ追い討ちをかけてきた。

 

「その一瞬でものすごく性格の悪いことを言ってたから、わかってるだろうけど『彼女』にソラの優しさ(あまさ)を求めない方が良いね♣」

 

 全部わかってたくせに、クロロの念能力が封じられていることを話さず、ヒソカの悲願は叶わないことを教えてくれなかった、ナチュラルに性悪な女神を思い出したのか、ヒソカさえも若干遠い目をしていた。

 もちろんヒソカの無駄骨だった災難に同情する者はいないが、このMっ気もあるので罵られたり自分が不利な状況に追い詰められても悦ぶ男でさえ、「もう関わりたくない」と思っているのは凄まじい説得力だったのか、ノブナガはもう一度舌打ちしてから問う。

 

「……ヒソカ、あのクソ女神が言い出した『ものすごく性格の悪いこと』っていうのは、オモカゲに対してか?」

 

 ノブナガの問いに、ヒソカは無性に殴りたくなるほどにこやかに笑って「もちろん♥」と答えると、ノブナガは刀に掛けていた手を下ろして、“円”も解く。

 

「……俺らの目的は、ウボォーの墓を荒らして眼を奪った挙句に、あいつを人形にしてその人形を『最悪の失敗作』だとか言ってぶっ壊した……ウボォーの全てを侮辱したオモカゲへの復讐(リベンジ)だ。

 が、肝心のオモカゲはもう死んでやがるのなら、目的は果たしたことにしてやる。……あのクソ女神が何言ったか知らねェけど、あれなら確かに俺らが満足するくらいにオモカゲを殺しに殺しつくしたんだろうしな」

 

 今日の所は大人しく引き下る旨の発言をするノブナガに、血の気の多いフィンクスとフェイタンは不満そうな声を上げるが、それをマチとシャルナークが止めにかかる。

 

「よしなよ、こいつらと争っても一文の得にもなりはしないんだから」

「そうそう。むしろ『あれ』の事がなくても、『死者の念』を組み込まれた自決覚悟で向かってこられたら、俺たちの方が不利だし」

 

 全員が満身創痍という状況はチャンスだが、やはりクロロの除念が完了していないのに彼らと戦うのはリスクの方が大きすぎるというのを改めて突き付けられ、二人は不服そうだが引き下る。

 

 そんな旅団の、こちらなどほとんど見ずに話を進める、お情けで見逃されているような状況に屈辱を懐きつつも、実際に奴らと戦うのならば死んで「死者の念」になることを前提にしなければ、おそらく団員の一人さえも倒す余裕などないことはわかっているので、クラピカは奥歯が砕けそうなほど歯を噛みしめて、その屈辱に耐えた。

 

 同じく、ゴン達も勝手に話を進めるわ、しかもクラピカとソラ以外は戦力に数えなくていいと言わんばかりに見てないわな旅団に怒りを覚えるが、クラピカが耐えているのだからと思って彼らも歯を食いしばって、拳を握って耐え忍ぶのだが、やっぱり彼女だけは耐えてはくれない。

 

「勝手に死ぬことを前提にすんな」

 

 シャルナークの言葉を、否定する。

 もうオーラなどほとんど残っていない体で、半神の英雄でも、全知万能の女神でもなく、壊れ果てても歩みを止めない、弱くて愚かな人の心のまま、スカイブルーからセレストブルーにまで引き上げた眼で旅団を見据えて言った。

 

「私たちは、生き抜く気しかない。

 勝ち目がないのならどれほど無様でも、逃げて逃げて逃げて、生き延びてやる。未来を、絶対に手放しやしない。私たちは死にたくないから、生きていたいから、これからもずっと足掻き続けるんだ。

 

 勝手に、死ぬことを前提にすんな」

 

 本当に死にたくないのか? と訊き返したくなる言葉だ。

 この状況でそんなことを言えば、せっかく宥められたフィンクスあたりがまた頭に血を昇らせて、殴り掛かりに来てもおかしくないのに、本当にどんなに無様でも生き延びたいのなら、ここは大人しく黙っていれば、旅団の判断に甘んじていればいいものの、わざわざ口出ししてくるソラはむしろ自殺志願者にしか見えない。

 

 だけど……、クラピカもキルアもゴンもレオリオも知っている。

 彼女は「死にたくない」だけではなく「生きていたい」ことも。その為には、ここで甘んじて沈黙することなど出来ないことを。

 

 ソラは……自分はもちろん自分の大切な人達も生きて欲しかったから、生かしたかったから、ただ死んでないだけの存在になどしたくなかったからこそ、シャルナークの言葉を否定したことを知っている。

 

 だから、「余計なこと言うな!」と叱責しかけた言葉は消え失せ、代わりに彼らも旅団を見据えて口々に言い出す。

 

「お前らが逃げる理由に、私たちの『死』を使うな!」

「そーだそーだ! 俺達が死ぬとは限らないじゃん!!」

「てめーらが勝手にビビってるだけだろーが!」

「つーか、俺らを無視してんじゃねーよ!!」

 

 なんか急に活気づいた連中に、旅団の中で冷静なメンバーは呆れ、血の気の多い奴等はイラッと来たようだが、そのイラッと来ている血の気の多いメンバーも「なら、やっぱここで()ってやろうか!?」にはならなかった。

 

 もう取り違えやしないと決めたはずのノブナガも、そしてそんな予知など出ていなかったはずの他のメンバーも、やはりわかっていたが見てしまったから。

 

 自分から不利と思えることをやらかして、それでも勝ち残って、生き残って来ていた自分たちの仲間。

 今、自分たちがここにいる理由。

 

 どこまでも真っ直ぐで単純バカな強化系の典型に、ソラに、ウボォーギンの面影を見てしまったからこそ、戦う気が完全になくなってしまったからこそ、彼らは自分たちに向けられる言葉を無視して背を向ける。

 

「……てめぇらとはいずれきっちり片を付けてやるから、覚悟しとけ。

 そん時は……地獄以上の苦しみを味わせてやるからな」

 

 吐けたセリフは、その程度。そしてそれは、仇であるソラではなくノブナガが自分自身に言い聞かせているに近いものだった。

 親友の仇であり、影である女を苦しめて死なせることなど出来ないなんて自分が一番わかっている。だからせめて、口先だけでも意地を張った。

 

 そうしていないと、仇であることを見失ってしまいそうだから。

 だから旅団はこれ以上、戻ってこない面影に縋らぬように立ち去った。

 

 * * *

 

「これにて一件落着だね♥」

「お前が今すぐ死んでくれたら、文句なしに同意してやるよ」

 

 旅団が立ち去ったのを見て、いけしゃあしゃあと言い放ったヒソカに蒼玉まで明度を戻した眼でソラが睨み付けながら言い捨てる。

 ヒソカの口出しは自分たちを庇ったように見えるし、実際に庇っていると言えるが、それは自分たちを思ってのことではない。こいつのしたことは2,3年前、旅団に入団するためにオモカゲと戦い、偽物だとわかっていても見逃したのと同じ。

 自分が眼をつけた獲物は全部、自分が美味しく頂きたいからにすぎない。

 

 そして今回の件はこの男の意地汚さが遠因なので、ソラはもちろんこの場の全員がヒソカを恨みこそすれ感謝などする気はなく、ソラの暴言を誰も咎めはしない。

 しかしソラの発言も、「酷いなぁ♠」と相変わらず傷ついたようには見えず、むしろ嬉しそうに嘯くヒソカに、ソラだけではなく全員が疲れたような溜息を吐いた。本当に、何でもイケル変態である。

 

 だが、認めるのは癪だが確かにこれで一件落着と言える。

 ヒソカの存在がウザいが、奴の趣味嗜好からして満身創痍だからこそ自分たちが奴に襲われる可能性は皆無に等しいので、脅威は全部去ったと言える。

 だからあとは、ヒソカを無視して帰れば良かったはずだった。

 

「……あれ? レツ?」

 

 ゴンが気付く。

 いつの間にか、オモカゲの死者の念によって壁まで吹っ飛ばされたはずのレツがいなくなっていることに。

 

 一瞬、もう人形の素体に戻ってしまったのかと思って焦るが、彼女が吹き飛ばされて激突した壁の床に20cmほどのデッサン人形のような素体はない。

 ならばどこに? とヒソカ以外の5人が心配そうにあたりを見渡すと、バルコニー状になっている2階で何かを引きずって動く小柄な人影を見つけた。

 

「レツ!」

 

 ゴンが呼び掛けると、レツは振り返って淡く微笑んだ。

 

 ゴンは「何してるの? 降りておいでよ!!」と無邪気に呼びかけるが、キルアはレツがろうそくの灯った燭台を持っていることに疑問を懐いた。

 普通なら暗いから懐中電灯代わりに持っているで終わるのだが、レツには眼がない。灯りなどあってもなくても変わらないはずの視界だ。

 

 それなのに、何故かわざわざ燭台を持っていることにキルアだけではなくソラやクラピカ、レオリオもいぶかしげな顔をして下から彼女を少し観察する。

 ゴンだけが、その持ち物に疑問を懐かなかった。

 

 が、彼は持っているものではなく鼻に届いた臭いで「異常」に気付いた。

 実はずっと前からしていたのだが、徐々に徐々に濃くなっていたことと、イルミや旅団の人形、オモカゲと戦っていたので「それ」の匂いに鼻は気付いていたが、頭は「それ」が何であるかを認識して知覚する余裕がなかったから、後回しにしていたものにゴンはようやく気付いて叫ぶ。

 

「!? レツ、何をっ!?」

 

 ゴンが叫ぶと同時に、レツは燭台を持つ手とは逆の手が引きずっていた入れ物を蹴倒すと、「それ」はこぼれ出て2階から1階まで滴り落ちる。

 中身が零れたら、ゴンほど規格外な鼻をしていなくても気付けた。

 

 レツが引きずって持ち運んでいたもの……、蹴倒したものはポリタンクで、その中身は……灯油であることに。

 

『なっ!?』

「レツ! 危ないからろうそくの火を消して!!」

 

 滴り落ちる大量の灯油にそれぞれが焦りの声を上げ、ゴンが悲鳴のようにレツに懇願する。

 灯油はガソリンほど気化しないので、火種を持っているだけで爆発するように燃え移りはしないが、火がむき出しのろうそくは危険極まりない。だから必死でゴンは頼み込んだ。

 

 だが、レツはゴンの頼み通りろうそくの火を吹き消してはくれなかった。

 ただ相変わらず寂しげに、儚げに、けれど肩の荷が下りたように清々しく、嬉しそうに微笑みながら彼女は告げる。

 

「ゴン……、僕を『友達』だって言ってくれてありがとう。……キルアも、諦めてた僕に『本当を言え』って言ってくれてありがとう。

 ……本当に、本当に嬉しかった。君達に会えて、良かった……」

 

 燭台を両手で持って、レツは感謝の言葉を告げる。

 本当に嬉しそうにはにかんで、レツは笑って言ってくれた。

 

 けれど……その言葉の続きなど、彼女が選んだ「結末」が何であるかなど、そしてそれはゴンが望んだものでないことなんてわかりきっている。

 わかっているけど認めたくなくて、ゴンはレツに向かって手を差し伸べて呼びかける。

 

「レツ!!」

 

 ゴンの呼びかけに、レツは微笑む。

 微笑んで、兄に奪われて言えなかったはずの自分の「本当」を伝える。

 

「本当に……君たちに会えて良かった。……友達になれて、良かった。

 ……大好きだよ。君たちのことがすごく、すごく大好きだ」

 

 オモカゲのものではない、そして本物のレツのものでもない、人形のレツだからこそ得た友人に対してのありったけの想いを伝える。

 ……だが、レツはそこから降りてはくれない。

 ゴンの手を取ってはくれなかった。

 

「……だけど、……ごめんな」

 

 レツは自分が選んだ結末を、少しだけ寂しげに、申し訳なさそうに微笑んで告げた。

 

 

 

「兄さんと一緒に還るよ。思い出の中に」

 

 

 

 そう言ってレツは、笑いながら、……空っぽのはずの眼から透明な涙を零しながら持っていた燭台から手を離す。

 

「レツッッッ!!」

 

 叫び、火に包まれるレツの元へ駆け寄ろうとするゴンの腕を、キルアは掴み、引く。

 海に連れ攫われたレツを助けようとした時と、同じように。

 違うのは、ゴンが振り返るとキルアは真っ直ぐにゴンを見て、唇を悔しそうに噛みしめて首を横に振ったこと。

 

 自分でも何でこんなことをしたのかがわからないという顔をしていなかった。今度こそキルアは、間違いなく自分の意思でゴンを止めた。

 それはゴンの方がレツより大事だからか、それともレツの選んだ選択を否定したくなかったからか……。

 

「……ゴン。火が回る。急いで出るよ」

 

 キルアは選んだのに、きっと本当はキルアだって「一緒に来い」と言ってやりたいのに、あの火の中に飛び込みたいと思っているのは、痛くなるくらいに自分の腕を掴む手でゴンはわかっているのに、選べないゴンにソラは言った。

 

 一緒に来て欲しい、と。

 レツを見捨てることに罪悪感があるのなら、そう言った自分に責任転嫁していいから。

 

 そう言ってるように、思えた。

 

 もう一度、ゴンは振り返った。

 火に包まれたはずのレツを探して辺りを窺うと、レツは二階から降りて兄の死体の傍らに座り込んでいる。

 火に包まれて、もはや人間の姿をしているのか、ほとんど人形に戻っているのかも分からない。

 

 それでも、レツは兄の傍から離れない。

 だけど、ゴンの嗅覚と同じくらいに優れた聴覚が聞き取った。

 

「こうして消えていくのが僕の『本当』――」

 

 違うと叫びたかった。

 けれど、否定する権利はゴンにはない。

 

 レツが、自分たちより兄を……オモカゲを選んだことは、「本当」なのだ。

 それと同時に、証明する。

 

「――でも、悲しくなんてないよ。……彼らに会えたから」

 

 兄と共に消えてゆくことを選びながらも、その心に「友達」と出会った喜びを懐いて、だからこそ悲しくなんてないと言ってくれた。

 だから……だから……、ゴンも選んだ。選ばなくてはならなかったから。

 

「…………うん」

 

 頷き、キルアに手を引かれて燃え盛る屋敷から走り去る。

 誰かにこの後悔(きず)を預けはしない。

 彼女との思い出を全て忘れないと、誓いながら。

 

 * * *

 

 おそらくはゴン達がイルミやパイロ、海の人形と戦っている時から、レツは自分の眼が埋め込まれている人形の確保だけではなく、どのような結末を迎えようが最期はこうするつもりで屋敷内に灯油でもまき散らしていたのだろう。

 

 異常な速度で火が回り、元々古かったのもあって崩れ落ちてゆく屋敷を、脱出した5人はただ無言で見つめ続ける。

 ちなみにヒソカはいつの間にかいなくなっていた。おそらく彼は、遅くてもレツが燭台を落とした時点でとっとと立ち去っていたのだろう。

 

(本当に自分は、レツを行かせて良かったのかな――)

 

 ……今度こそ自分が選んだ選択なのに、キルアの胸の内は後悔と迷いでいっぱいだった。

 そんなキルアの内心を察したのか、それともゴン自身も自分一人で抱え込むのは辛かったのか、ぼそりとキルアの傍らで呟いた。

 

「……レツは、……悲しくないって言ってたよ。……俺達と会えたから……悲しくないって……」

「…………お前は悲しくなくても、こっちはそうはいかねーんだよ。バーカ」

 

 レツの最期の言葉に、キルアは憎まれ口で返す。

 レツの死を、レツという喪失を悲しんでいることを認めて、もう思い出の中にしかいない彼女を悼んだ。

 

 そんな二人を慰めるように、炎が起こす風に髪をなびかせてソラが言った。

 

「……悲しいのなら、悲しいって訴えた方が良いよ。

 悲しみを消化しきれずにいたら、それは今を生きて未来の糧になる『思い出』を、過去から動けなくなる『妄執』へと腐らせるから」

 

 強がる子供たちは、悲しんで、泣いていいと告げられてゴンとキルアの涙腺は一気に緩むが、まだ完全に決壊はしなかった。

 ソラの言っていることが正しくて、彼女の「泣いていい」という許しが嬉しかったのは本当だが、まだ意地を捨てきれなかった。

 

 だってその言葉は、全部丸ごと、そっくりそのまま言い返せるから。

 その言葉は……、泣いていいという許しは――――

 

「お前がそれを言うか?」

 

 呆れたように、クラピカが言った。

 

「……何が?」

 

 クラピカの言葉に、ソラは笑って恍けた。

 その返答が気に入らなかったのか、クラピカは眉間にしわを寄せてツカツカとソラへと距離を詰めて、もう一度言った。

 

「お前が、それを言うか?」

 

 真っ直ぐに、ソラの眼を見て尋ねる。

 髪を少し掻き上げて、サイドの髪を耳に掛けて見ながら。

 ……ソラがくれた、空青色の宝石がぶら下がる耳を、……ソラの姉の形見とよく似たイヤリングを見せつけて。

 

 その言葉と行動……、見せつけたものにソラは一瞬言葉を詰まらせてから、……怒っているようにも、拗ねたようにも見えるけど、それでも彼女は強がって淡い笑みを浮かべて、絞り出すように言った。

 

「――――いじわる」

 

 か細く、クラピカを罵ってソラはいきなりクラピカの胸に頭突きする勢いで頭を、額を押し当てて、クラピカの服にしがみついて…………泣き出した。

 

「っっっっっっぅぅぅぅうううううあああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 子供のように、声を上げて泣きじゃくる。

 泣きじゃくりながら、思い出す。

 

 潜り込んだ姉のベットの中でまどろみながら語った、自分の「夢」を。

 諦めるのではなく、受け入れて選んだ「夢」に対して、夢うつつの中で見たはずの姉の笑顔を。

 

 ちょっとした雑談のつもりだったのに、姉の機嫌を損ねて首を絞められたこともあった。

 けれど姉はすぐに、それこそ絞められた時間など10秒もなく離したのに、それなのに姉は自分の手を、ソラの首を絞めた手を「信じられない」と言うような目で見ていた。

 手を離してすぐに、声はなかったけど唇が「大丈夫?」と言っていたことを、覚えている。

 

 ……父親に殺されかかった時、姉は父にトドメを刺すことよりも優先して、血まみれで倒れ伏していたソラに向かって駆け寄って、助け起こしてくれた。

 殺しきれていなかった父の反撃を許す隙は、それだった。

 それでも姉は、自分の体を盾にして、言ってくれた。

 

 もう何カ月も口を聞いてなかった妹に向かって、泣くような声音で「逃げて!!」と叫んだ。

 

 仲の良い姉妹だなんて思っていない。

 だってソラには、姉に好かれる理由なんて思いつかないから。

 出来が悪くて、面倒くさくて、魔術師として理解出来ない価値観に囚われている俗物で、それこそオモカゲの言っていた「材料」扱いに納得したくらいなのに……。

 

 それでも、「もしかして……」と縋る思い出が確かにある。

 姉の真意はどうであれ、当時は姉がいることが当たり前で、会話することがなくても、直接関わることがなくとも、それでも一緒にいることが当然だと思っていたから自覚なんて何もなかったけれど……、興味なんてないと思っていたけれど……、ソラが姉のことを好きなのは、それだけは今でも確かだから。

 

 だから……、例え本物の姉でもなくても、もう一度会えたことは嬉しかったのに、こんなにも短く、そして自分がトドメを刺したも同然のあんな終わりでまた失った事が悲しくて、悲しくて、悲しくて…………

 

 ソラはクラピカにしがみついて泣いた。

 自分の言葉通り、今を生きて未来の糧にするために、「思い出」を腐らせてしまわないように、ソラは悲しみを全部吐き出すために泣きじゃくる。

 

 いつも張っていた「年上の意地」をかなぐり捨てて、クラピカに縋り付いて泣きじゃくるソラを見て、キルアはいつものようにちょっとムッとしながら「だっせ!」と憎まれ口を叩き、ゴンはキルアの素直ではない八つ当たりに、「ダメだよ」といつものように窘める。

 

 お互いに決壊した涙をボロボロ零しながら。

 

 ソラが悲しんでいるのに、悲しんでいるのはわかりきっているのに、それでも自分たちを思って笑うからこそ泣けなかった、捨てきれなかった意地も壊れてなくなり、堰を失った涙が……「友達」を亡くした涙があふれて止まらない。

 

「っっっああああああっっ! レツ! レツっ!! 何で!? まだ……まだ生きれたのに……生きて欲しかったのに、どうして!?」

 

 ゴンは本音では納得なんかしていない、レツの選択に対して「どうして?」を繰り返す。

 キルアは俯いたまま、なるべく声を押し殺しながら、それでもゴンと同じようにレツの最期に納得がいかないのか、それとも自分自身の選択に納得していないのか、泣きながら何度も地面を蹴りつける。

 

 そんな彼らを見て、再びレオリオはここまで自分の仲間にして友人たちを傷つけたオモカゲを許せないと思うが、燃え上がる炎を見ていたら、この炎に呑まれたレツという少女、オモカゲの良心そのものを思い出してしまい、その怒りもただもの悲しいものに変わり果てる。

 

「……泣け泣け。思う存分泣いて……それから生きようぜ」

 

 失った人を惜しんで泣く3人に、レオリオはそう呟いて眼を閉じる。

 瞼の裏には、金銭という現実に阻まれて救えなかった友人が笑っていた。

 

 また会いたいと思っている。生き返って欲しいという願いは否定できない。

 けど、過去に戻りたいとは思えない。

 

 自分の「今」に至った理由にして、目指す「未来」の原動力は確かに、悲しみを吹っ切った思い出であることを思い知りながら、レオリオは少しだけ今回の件で会えたかもしれなかった友人に会えなかったことを残念に思いつつ、瞼の裏の友人に笑いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(――――すまない、パイロ)

 

 泣きじゃくるソラの肩を抱き、その涙を受け止め続けるクラピカは心の中でパイロに謝った。

 彼の最期に選んだ言葉を、伝言を伝えることが出来ない事を謝罪する。

 

『海さんは…………()()()()()

 

 最初は意味がよくわからなかったが、今では理解している。

 だからこそ、言えない。ソラに伝える事が出来ないあの「海」の真実をクラピカは胸に秘め、沈黙を守った。

 

 違和感は数多くあった。

 最初の疑問は、ソラの心から生まれたにしてはソラ自身も想像がつかない斜め上を散々やらかしたこと。

 けれどこれは、人形の体を与えられた時点で人格は独立することと、ソラ自身が「姉は自分の想像つかないことをやらかす」という確固なイメージがあったからでまだ説明はついた。実際に、ソラは姉の行動を予測は出来てなかったが、していること自体に違和感を覚えず「こいつならやる」と納得していた。

 

 次に違和感だったのは、ソラは「そうであってほしい」程度の答えしか出せていなかったはずなのに、オモカゲは「海は妹を『材料』としか思っていない」と断言したこと。

 そして、その答えに矛盾する海のどう見てもソラを溺愛しているとしか思えない言動の数々。

 

 けれどこれらに関しても、ソラの心から生まれたからこそ「そうであってほしい願望」と「本当はこうなんじゃないかなという不安」が入り混じり、あの二律背反する姉を生み出したのではないかという仮説で説明がつく。

 

 だが、あれだけは説明がつかない。

 ソラの心から生まれた、ソラのイメージする「海」だとしたらまず絶対に有り得ない発言を彼女はした。

 

 

 

『……本当に良かったわね。あの子、死にたくないくせにそれ以外は全部、平気で他人に渡しちゃうから』

 

 

 

 クラピカの首を絞めながら、彼女は悔やみに悔み抜く顔で言った。

 

『……母が、父が、死霊どもが、魔術師(ボンクラ)どもが、…………私がそうやってあの子を育てたから。全部全部、お前の持つものを、持って生まれたものを、お前をよこせって言われて、それだけを求められて、奪われるためだけに育てられて、育ったから!!』

 

 ソラの自己犠牲が過ぎる献身を、「自分の所為だ」と言って後悔していた。

 ……それは、ソラの心から生まれた存在ならば有り得ない。

 

 何故ならソラは、自分がそんな自己犠牲精神と献身が過ぎる人間だと爪の欠片程も思っていないからだ。

 そして実際に、彼女のしていることは自己犠牲というよりただのワガママ。思い切りが良すぎるので、傍から見たら自分を顧みない自己犠牲にしか見えないことばかりやらかしているが、カルナ曰くあれはノリと勢いのノーブレーキで突っ走ってるだけだし、彼女は手離したくないものはどんな状況でも、誰を犠牲にしても手離しはしないだろう。

 

 そしてそんな人間なので、姉に対して「そんな風に思っていてほしい」という願望だって有り得ない。

 だからあれは、あの発言は絶対に有り得ないのだ。

 

 ソラの自分を顧みない所は、他者から奪われることを強要され続けて育ったことが原因というのは、事実かそうでないかは関係ない。

 ソラ自身が自分を顧みない人間だという自覚がないのだから、ソラの心から生まれた存在がソラをそんな風に評するのは、有り得ないのだ。

 

 なら、あの「海」は一体何なのだ? という疑問は浮かばなかった。

 

 それはあのヨークシンで知ったソラの異常性、眼だけではなく体も異常中の異常、「無色に限りなく近い(から)の体」であることを知っていれば……、あの体は()()に繋がっているのかを知っていれば、さほど難しいものではない。

 

 ……きっと、オモカゲも気付いていなかっただろう。

 これはオモカゲが意図した結果ではない。そして誰にでもできる訳ではない、むしろソラにしか出来ないことだが偶然の産物という訳でもない。

 相手がソラだから、そしてオモカゲの能力で人形に出来る相手が……ソラが懐く「執心」は海だったからこそできたこと。

 

 ソラの心を内包する体に、オモカゲの能力が入り込んだ時……そこには確かにソラの「心」はあるが、その体はそれ以外も内包している。

 全てが生れ落ちて返りつく最果て、根源の渦、深淵、「 」に繋がっている。

 

 そこに繋がる体に「執心」を求める手が無遠慮にかき乱していた時、「向こう」もその手を見つけたから掴んだのだ。

 他の者なら、自分の心に住まわせられる他人は自分の思い出の中の他人。その人本人はどんなに望んでも、住まわせることなど出来ないはず。

 だけど……ソラの体は「彼女」が還ったはずの最果てにも繋がっている。

 だから、ずっとずっとそこにいた。

 

 掴んだのは、オモカゲではない。

 オモカゲではなく「彼女」が……、ソラの執心ではなく忘れないで欲しいと願ってソラの心の奥底に住み着いた亡霊が、妹に会いたくてたまらなかった……「本物」がそのチャンスを見つけて、手を伸ばして掴んだのだろう。

 

 パイロが言った、「僕らとは違う」の意味。それは――

 

 

 

 

 

(……あなただけは、『本物』だという意味だったんだな。……海)

 

 

 

 

 

 海だけは、人の執心から生まれたその人以外から見たら一目で「偽物」と知れるイメージではなく、人形の体に本物の『式織 海』がいた。あの人形の中身を満たし、動かしていたのは本物の海の魂だった。

 彼女だけは、本物だった。彼女の言動は、全て本当だった。

 

 そうだとしたら違和感は全て説明がつく。

 ソラの心から生まれたのではないのなら、本人ならソラが想像し得ないこともやるだろう。

 

 二律背反していると思えたソラに対しての思いも、むしろイメージで作り上げられた人格ではなく、本物の魂だからこそと考えたら、矛盾なんてあって当たり前だ。

 ソラが言っていた、それなりに可愛がられていたのか、嫌われていたのかわからないという扱いだって、その二つが二つとも本音だとしたら説明がつく。

 

 何より「材料」扱い以上に海のソラに対するシスコンぶりがソラのイメージから生まれたものにしては、本当に溺愛のし過ぎで有り得ないと今になってクラピカは思う。

 もしかしたらあの姉の斜め上っぷりは、9年ぶりに最愛の妹と会えたことによるはっちゃけではないかとクラピカは疑っている。正解である。

 

 それはともかく、そうだとしたらソラはクラピカに、そしてパイロに罪悪感を……自分の心がクラピカの心であるパイロを殺したという罪悪感など、懐かなくていい。懐く必要などない。

 あの海はソラの心ではない。本物だからこそ彼女のしたことは全て、ソラではなく海自身が背負うもの。

 

 だからこそ、パイロは伝言を頼んだことはわかっている。

 だけど、クラピカはそれを伝えない。伝えることが出来ない。

 

 クラピカの心から生まれたとはいえ、パイロの人格を作るのにソラに関しての知識など必要ないからか、それとも自分と分離して独立した人格を得ていたことから知識があっても、そこまで考えつかなかっただけなのかはわからないが、パイロの伝言はソラを想うからこそクラピカには伝えられない。

 

 教えられない。ソラの体がどこに繋がっているかなど。

 ソラ自身もある程度は察しているのだか理解しているのだかな節はあるが、どこまで理解しているのかをクラピカは把握していない。

 ソラの「身体の人格」と同じように、下手に教えてソラはこの世界にたどり着く前に、この世界にたどり着く為に、その心が死に果てていることに気付きかねない情報は、何も教えられない。

 

 自分よりもソラの方がこの手の知識に詳しいのだから、どこまでの情報なら大丈夫かなんて自己判断は当てにならない。

 だから、クラピカは自分の(パイロ)が望んだことでありながら、ソラが負わなくていい罪悪感を背負わせていることを知っておきながら、沈黙を続けるしかない。

 

 その情報はソラにとって救いになるかもしれないが、それ以上に大きな破滅になり得るから。

 だからクラピカはソラを苦しめておいて救えないという罪の意識を抱え込み、苛まれながらも唯一言えることだけを告げる。

 

 この言葉がほんのわずかでも、彼女の救いになることを祈りながら。

 

「……ソラ。……彼女は、……海は、…………君のことをとても好きだったと……、彼女なりに愛していたように……私には見えたよ」

 

 海が本物であったことを断言しないまま、ソラが望んだ「本当」を肯定する。

 その言葉に、さらにソラはクラピカの胸に頭を押し付けるようにしてしがみつき、泣きじゃくりながら問い返す。

 

「……本当?」

 

 縋るような問いに、本心から答えた。

 

「――――本当だ」

 

 その言葉は本当だから。

 例え海が本物であったという確証など無くても、そう思えたのは本当だから。

 だからクラピカは、自分に本気で怒り、妬むように言われた忠告を思い出し、それに答えた。

 

 

 

(……向き合おう。

 あなたが死の果てから蘇る程に、己の誇りよりも優先して逢いたかった最愛の妹との時間を割いてまで私にしてくれた忠告なのだから……無駄になどしない)

 

 

 

 ソラの中に今も昔も、これからだってずっといるであろう彼女に、妹以外に見向きもしてくれないとわかっていても誓う。

 

 クラピカが夢見る未来、「弟」ではない家族の名。

 そこに至った先に、生まれる可能性。

「魔術回路」が生み出す悲劇の可能性と、向き合うことを誓った。




「緋色の幻影」編、これにて終了です。
次回からG・I(グリードアイランド)編に入りますが、G・I編は2部構成で前半は原作1割オリジナル9割の指定カード攻略イベントの短編が数回と、どうしても入れたかったオリジナル中編、後半は基本原作沿いなレイザー戦・ボマー戦の予定です。
……つまりは皆さん大好きなヒソカの例のシーンはまだまだ先です。たぶん来年になります。楽しみにされている方はすみません。
っていうか、下手したら来年初っ端の更新がその回になる可能性があるのが嫌だ……。

それから活報に、G・I編終了後に時系列上起こったらしい映画第2作目の「ラスト・ミッション」編をやるか、それとも私が「ラスト・ミッション」のノベルスを手に入れる前まで考えていた映画2作目代わりのオリジナル長編(型月キャラがスターシステムではなくガチで登場して共演する話)をやるか、それとも両方やるか、どっちもいらないからさっさと蟻編に進めるかというアンケートを設置しましたので、よろしければお答えお願いします。

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