死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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139:人間と人形

 ふと、気付いて思う。

 

 そういえば海は、「婿いびり」はふざけて言ったと認めていたが、冗談や嘘だと言って発言そのものをなかったことにはしなかったことに、クラピカは気付いた。

 

(……本当に、無意味な所ばかりそっくりだな。お前たち姉妹は)

 

 そんな事を、現実逃避にもほどがあることを思うクラピカを見下し、海は言う。

 

「ずいぶんと余裕なのね」

 

 余裕などない。

 元々やっと回復したばかりの所に2回もオーラを無理やり奪われて空費させられた挙句、やたらと華麗かつダイナミックなソバットで脳は揺らされ、首を絞められ、トドメに心の一番柔い所までかき乱された。

 

 余裕があるからこんなことに気付いて思っているのではなく、そんなことしか考えられないほど、今のクラピカには何もない。

 

 突き付けられたものと、海の真意不明だった怒りの一端にして全容が、彼女の悪食鯨飲の魔力以上にクラピカから「戦わなければ」という気力を奪い取る。

 

 怒られて、そして殺されても仕方がないと思ってしまったから。

 そうする資格が彼女にはあると思えたから、それほどまでに自分は「何もわかってなかった」ことを突き付けられたから。

 

 そう思った。思って、自分が許せなかった。だから、だから――――

 

「…………どけ」

 

 触れたこちらが火傷でもしてしまいそうな熱の籠った手を掴み、自分の首から引きはがそうともがきながら言った。

 

「戦わなければ」という気力は奪われた。初めから戦いたくない理由しかない相手だったが、より明確に「戦いたくない、争いたくない」と思う理由が出来た。

 けれど、それでも戦わなければならないことを突き付けられたから。

 

 戦わなければ、足掻き抜かなければ、見せつけなければならないから。

 

 彼女の言う通り、自分は弱くて、「普通」を与えてやれないどころか数少ない「普通」を捨てさせる生き方を決定づけた戦犯で、守られてばかりで守ってやれたことなど一度もない。

 だからこそ、足掻いて見せつけなければならない。

 

「……邪魔だ、どけ! 私はソラを……パイロを傷つけられないソラの手助けに行かなくてはならないんだ!! 今すぐにそこをどけ!!」

 

 天秤にかけて迷ったから、奪われた。

 どれほど困難でも、両方を選びたいと思った。

 

 けれど、それでも、選ばなくてはならないのならばクラピカは「沈黙」しない。

 自分の意思で、間違っていようが、永遠に後悔しようが手離さない答えを口にする。

 

 嘲られても蔑まれても失望されても、それでもクラピカは答えた。

 

「私の『一番』は、ソラだ!!」

 

 その答えに海は、「口先だけは立派ね」と嘲った。

 嘲りながらも無表情だった顔が、唇がほんのわずかに綻んでいるように見えた。

 

 その笑みの真意は、まだわからない。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「クラピカ!!」

 

 叫び、駆け寄る。

 パイロと交戦しつつも最大限に警戒していたが、ソラ自身もまさか「結界を張って範囲限定で行使」と思っていた置換魔術を、自分自身をさらなる代償にしてまで駆使してくるとは思わず、自分の見通しの甘さを悔やむ。

 

 クラピカが倒れた時点で駆け寄りたがって逸る心を宥め、パイロの舞うように流れる剣舞を強引に、力づくで突破する。

 しかし二度目、しかもクラピカが倒れたことに反応していた為、パイロはもちろんオモカゲにも今度のソラの行動は読めており、間を置かずにパイロはその背を追って木刀を振り上げる。

 そして、海の方も同じだった。

 

 唐突に海もクラピカの上からどいて、というよりバネでも仕込んでいたかの勢いで飛びのき、そしてやはりもう体がボロボロであるのが信じられないくらいに俊敏に、アクロバティックに距離を取りつつも彼女は向かってきた妹とクラピカに向かって何かを投げつけた。

 

 それをとっさに、クラピカは再びオーラを纏った腕で払い落とし、ソラは無視して自分も姉に投げつける宝石を取り出しながら駆け抜ける。

 が、クラピカが起き上がって払い落としたその宝石から離れるよりも、ソラが自分の宝石を投げつけるよりも海の魔術発動が早かった。

 

獣には富を、人には愛を(そこに意味はない)

 

 投げつけられた黒い宝石らしき石は海の言葉でどろりと溶けて、平面的ないくつもの「影の手」となってクラピカとソラに絡み付く。

 

「なっ!?」

 

 立ち上がろうとした瞬間、オーラを根こそぎ奪う魔力が今度はそれ自体が意思を持つように伸び、動き、クラピカの足にしがみついて絡みついて離さない。

 しかもそれは見た目通り「影」そのものなのか、引き離そうとしても掴むことが出来ず、時間の経過と共に小さくなって薄れはするものの、平面的な影が体を這い回って絡み付き、クラピカから根こそぎ生命エネルギー(オーラ)を奪っていく。

 

 纏うオーラはどんどん弱々しくなり、“周”を施す余裕がなくなった木刀は崩れ落ち、ついには服も徐々に影が触れる部分はやや腐食でもしているように黒ずんで崩れてゆく。

 これがオーラを纏っていない、無防備な生身ならどうなるのかゾッとしながら、蟲のように這い回る腕の嫌悪感と、オーラを奪われる虚脱感に耐えながらも身を守る為にオーラを絞り出す。

 

 しかし、その嫌悪感も虚脱感も唐突に解放される。

 薄れはしていたが消えるまであのペースならもう数十秒ほどかかると思われた影の手が、その手が触れた物と同じように風化するように消えていった。

 

 地面に倒れ込みながら無様に、もがくようにその腕を引き離そうと足掻いていたクラピカの背に、つつくようにかすかにその指先が触れた瞬間に。

 誰が消したかなんて、誰が殺したかなんて考えるまでもなくわかっていた。

 

「ソラっ!?」

 

 半身を起こして振り返り、クラピカは悲鳴のような声を上げる。

 自分と同じように、海から投げつけられて発動した影の手に絡み付かれてオーラを奪われているソラが、そこにいた。

 クラピカとは違い、まだ影の手が彼女の全身を無造作に無遠慮に這いまわって絡み付き、自分のオーラを食い散らされて立ち上がれない虚脱感の中、這いずってクラピカの元まで来て彼にまとわりついた影の手を殺したことは一目で知れた。

 

 自分にまとわりついたものを先に殺した方が、合理的で効率的なのは明確なのに、それをしなかった。

 しなかったことに、理由自体はないだろう。きっとただ単に、彼女は思いつかなかっただけ。下手すれば、自分にこの影の手がまとわりついていること自体に気付きもしていなかっただけだ。

 

 自分にもクラピカと同じものがまとわりついていることに、気付きもしなかった。

 オーラを奪われても、走ることはおろか立ち上がることも出来ない虚脱感に襲われても、心はただひたすらに駆け抜けた。その心のままに、這いずってでも手を伸ばして、殺しただけ。

 

 自分のことよりクラピカを優先して助けた理由なんて、ただそれだけ。

 ただ気付けなかった、自分のことなど天秤の秤に乗せる事すらしなかった。自分自身のことなど「そんなこと」と切り捨てて、クラピカを優先した。それぐらい、大切だったから。

 

 ソラにとってクラピカが「一番」だから、たとえ愚かな行動であると理性ではわかっていてもそれしか出来なかった。

 

「……本当、バカな子」

 

 妹の行動に対し、海は吐き捨てるように言った。

 吐き捨てるように、吐き捨てないと泣いてしまいそうなほど震えた声に聞こえたのは、クラピカの気の所為かどうかの確認など取れない。

 

 何もかも、クラピカを待ってはくれない。

 

「っっ! ごめん! クラピカ! ソラさん!!」

 

 パイロはソラの姿の痛々しさか、それとも親友の前で親友の最も大切な人を傷つけなければいけない罪悪感からか、唇が切れるほど強く悔しげに噛みしめ、血を吐く思いが見て取れる声音で謝罪を告げて、倒れているソラに木刀を振り下ろす。

 

 しかしクラピカにまとわりついていた影を殺せば、さすがに自分に絡み付いている影を無視する理由もないので、クラピカにしたのと同じようにソラはさっさと自分の分も殺して、食い散らされて絞り出す気力すらもないのかオーラを纏ってない生身の足を横たわったまま振り上げて、パイロが振り下ろした木刀をエンジニアブーツの厚い底で弾く。

 

 ソラは迷わない。どんなにバカで愚かで、意味などないとしか思えぬ行動でも、足掻き続ける。止まることが出来ないから、立ち止まってそのまま歩くのをやめてしまうことなど無い。

 

 そして、どんなに自分の命を軽んじて無駄にして、自殺志願としか思えない行動を取ったとしても、それは見ている側が弱いから、すぐに諦めてしまうから、いつだって妥協点ばかり探しているからそう見えるだけ。

 この女は自分の命を軽んじてなどいない。死にたくないの一心でこの世界にたどり着いたのに、その命を軽んじる訳がないのだ。

 

 だからどんなに自分の命を軽んじているように見えても、自分の命を対価にして何かを得ようとしているように見えても、そうじゃない。

 そもそもこの女は、そこまで殊勝な人間なんかじゃない。彼女はもっともっと、呆れる程に図々しい。

 自分の命を対価に何かを得ようとなどしない。彼女はいつも、自分の命ごと何かを捕えて離さない。諦めない。

 

 だから、だから……彼女が怒ったことを知っている。

 他人扱いしてないと、きっとレオリオの前で泣いてしがみついて怒鳴って責め立ててしまうとわかっていたからこそ、彼女はあんな態度だったことくらいわかっている。

 

 クラピカが自分の寿命(いのち)を代償に、「絶対時間(エンペラータイム)」という能力を得たことを許せなかったソラは、自分のことを棚上げなどしていない。

 怒って許さないソラが正しいとクラピカ自身も思っているし、こんな能力にしたことを、彼女との時間を結局は犠牲にしていることを後悔している。

 

 けど、後悔ばかりで足も思考も止めてしまえば、それこそ自分のしてきたことはすべて無意味になるから。

 それしか思いつかないから、それしか出来ないから。

 

 だからせめて、自分が切り捨てても得たものに意味を、価値を求めて、自分が意味もなく捨てただけで終わらせない為に、クラピカはまた自分を差し出した。

 生き抜く為に傷つき続ける彼女が最も望まない手段を、彼女とよく似ていながら対極の姉と同じように。

 

 紅蓮の瞳で自分の命を食い潰しながら、クラピカは宣言通りの「一番」を守る為に選び、迷いを振り払って切り捨てた。

 

「邪魔を! するな!!」

 

 戦いたくなどなかった。彼女の「真意」を知りたかった。自分が気付いた彼女の怒りの一端にして全容が、本当に合っているのかどうか確かめたかった。

 そしてその「答え」をソラに与えたかった。

 

 それらも全部、図々しくとも手に入れたかったものだけど、それは図々しくどころか思い上がりに過ぎないものだと気付いたから、切り捨てる。

 

「答え」をソラに与えたかったなんて願いは、おこがましい。

 彼女自身が「それは自分が得ていいものではない」という答えを出しているのに、どんな面を下げてその「答え」を与えるのかが、自分で思ったことながらクラピカにはわからない。

 

 だから、クラピカは散々奪われて残り少ないオーラを練り上げて増幅し、それで形作って振り向きざまに叫びながら海に撃ち出した。

 

 具現化した鎖が繋がる先は、人差し指。

 ヨークシンではイズナビの助言に従ってこの指の鎖だけはまだ何も能力を付属させず、ただクラピカの意思で動いて長さや大きさが変わる以外は、普通の鎖と変わらないものだった。

 

 だが、自分が出した答えによって自業自得とはいえ攻撃用と想定していた小指の鎖は、殺傷能力が高すぎて使い道をほぼ失った事で、彼は無色だった人差し指の鎖に新たな「攻撃用」として使える能力を付加した。

 忌々しく業腹だが、自分が知る中で一番応用力に優れ、例えその能力を使わなくても口先でブラフをいくらでも作れる、攻撃にも交渉にも後方支援にも使える万能型として、クロロ=ルシルフルの能力を参考にして、作り出したもの。

 

 海はクラピカと同時にまたしても鴉の羽根をダーツのように投げつけ、互いに投げつけられたものを避ける。

 しかしクラピカが撃ち出した鎖はクラピカの意思で重力等の物理法則を無視して動き、追尾するものであった為、さすがに負担が大きい置換魔術を使う余裕はもうなかった海は逃げ切れず、鎖の先端である注射針のような針が彼女の細い肩に突き刺さる。

 

(まだ完成には程遠いが、奪われたオーラを多少回復することと動きを少しでも止めることくらいは出来るだろう!)

 

 クラピカとしてその鎖の能力は、クロロの能力の下位互換。

 条件を満たしている限り無限大に盗めて、同じく条件を満たされない限り永続的に相手から奪い続ける「盗賊の極意(スキルハンター)」とは違って、一度自分が使用したらすぐに相手に戻るという形で相手の能力を奪うという能力を想定して、制約等の調節を行っている最中の為、自分の能力ながら実は効果はまだ未知数だった。

 

 しかし、「相手の能力を盗む」というのはまだろくに制約も決めていないので発動しない可能性が高い、というかそもそも海が念能力者ではなく魔術師というのもあってそこはまったく期待していないが、その付属効果である「相手のオーラを奪って、強制“絶”」という中指の鎖の効果を応用したものなら現段階でも効果が期待できた。

“絶”は無理でも、対象のオーラを奪うことは既にノストラード組の仲間に修行を付きあってもらって成功しているので、自信はあった。

 

「っ……くっ! 挿して搾り取るなんて、童貞の癖にやるじゃない? あ、むしろ童貞だから?」

「軽口にしても他に何かないのか!?」

 

 クラピカの期待は決して自信過剰ではなく、想定通り海から魔力を、オーラを奪い取ってゆき、海は初めて苦痛を表すような声を一瞬上げるが、すぐに見た目とのギャップが凄まじい、妹が聞いたら泣くのではないかと思える軽口を叩き出す。

 しかしその軽口は今までと違ってやや早口で言うので、虚勢の色合いが強い。

 

 そのことに気付いているクラピカは、彼女の軽口に応じて突っ込みながらも行動に移している。

 クラピカの人差し指の鎖を引き抜いて、また鴉の羽根や宝石を投げつけ、呪文を唱えて発動させるよりも先に、今度は自分が発動させることが叶うと確信していた。

 

 海の軽口に応じた時にはすでに具現化していた。

 新しく人差し指に能力を付加した鎖をつくる原因となったはずの、無用長物となったはずの小指の鎖を。

 

 その鎖を撃ち出し、突き刺すつもりだった。

 人形なので心臓に撃ち込むのは無理だろうが、それならこの鎖を海の実に少女らしい華奢な全身に絡ませ巻きつかせればいい。

 そして、何でもいいから自分たち側に有利になるルールを定めればクラピカの勝ちだ。

 破れば全身に絡んだ鎖が、その体を破壊するまで締め上げる。これなら、心臓がないであろう人形の海でも、この鎖で殺せると踏んだ。

 

 ……「殺す」という手段に、胸の奥が痛んだ。

 彼女の願いが、あまりに多くのものを失いながらも守ろうとしてくれたもの、手離さないでと自分に希ったものを思い出す。

 

『――君は……誰も殺さないで』

 

 その願いにクラピカは言い返す。

 殺してない。自分が今から鎖を撃ちこむ者は人形であり、死者である。これは「殺人」には当たらないと言い聞かせ、言い訳をしてクラピカは「律する小指の鎖(ジャッジメントチェーン)」を海に……

 

「――――殺すの? 私を?」

 

 オーラを奪われる虚脱感に抗って、肩に刺さった鎖を引き抜きながら海は静かに、無防備なぐらい不思議そうに問う。

 最初から固く堅く、縫い付けられたように閉ざされていた双眸が、開く。

 

 そこには何もない。空っぽの眼窩。闇だけが詰まった伽藍洞。

 それは、あの日の彼女と、あの夢の、あったかもしれない悲劇と同じ空っぽの――――

 

 

 

「あの子じゃなくて、私を殺すの?」

 

 

 

 撃ち出したはずの小指の鎖が、海に届く前に風化するように崩れて消える。

 それは、誤魔化すことなど出来ないクラピカの「答え」だった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「ソラ!? クラピカ!?」

 

 影の手によって倒れた二人を目にして、キルアは声を上げる。

 

 ソラが海の置換魔術を行うための結界を殺したことと、彼女が「海の体は既にボロボロだ」と指摘していた為、何とかなるだろうと楽観的に考えていたのが間違いだと思い知らされた。

 むしろ何故、楽観的になれたのかが今になってはわからない。不得意分野を命令でやらされていた昨夜であんなに鬼だったのに、もうその不得意分野にこだわる必要などない、得意分野を思う存分に使えるのならば自分たちの方が不利であることくらい想像ついても良かったのに、それが出来なかった自分のふがいなさが悔しかった。

 

「よそ見してる余裕があるのか?」

 

 そしてそれ以上に、二人の元に援護に行けない、未だ人形のイルミの翻弄され続けている自分が情けなくて仕方がない。

 

「ぐっ!」

「キルア!!」

 

 とっさにソラの元へ駆け寄ろうとしたキルアを、イルミは退屈そうな無表情で先回りしてまたしても蹴り飛ばして元の位置まで戻し、キルアの無力感を煽る。

 

「まだわからないのかい、キル? お前じゃ俺に勝てないって」

 

 蹴り飛ばされ、眼が見えないゴンに心配されて労わられる弟に対して失望したように、イルミは何度も言い聞かす。

 自分には勝てない。お前は人殺し。友達を作る資格なんてない。

 その言葉に未だ、心は抉られて酷く痛む。

 イルミが放つ禍々しいオーラに冷や汗は止まらないし、どんなに腕で押さえつけても、膝は正直に恐怖で笑う。

 

 けれど、それは全部自分が生み出したもの。

 間違いなく本物のイルミも同じことを言ってやるだろうが、けれど今、目の前にいるイルミの言葉は本物のイルミのものではない。

 

 それは全部、弱くて身勝手な自分自身の言葉であることを知っている。

 

 レツに対しての事でオモカゲを非難する資格など、キルアにはない。

 これが決して「本物のイルミ」の完全コピーではない、キルアがイメージするイルミであり、キルア以外の人間から見たら、本物とは似ても似つかないものであることを知り、理解した。

 

 このイルミの言葉も行動も、それは全部自分のもの。

 自分がゴンを、友達を、仲間を、手離したくないと思っているものを自分の保身の為に裏切る為に使っていた言い訳でしかない事。

 自分は友達を裏切る言い訳に、イルミを盾にしてきたことを思い知った。

 

 イルミに言われたから、イルミにそう躾けられたから、イルミが怖かったから。

 それは事実。自分の足を竦ませて、思考を逃げの一手に固定させる原因であることに間違いはないが、けれどキルアがゴンを何度も裏切ったのは間違いなく自分の意思。

 ゴンとの友情と自分の保身を天秤にかけて、自分を優先させたのはキルア自身であることをもうキルアは知っている。

 

 なのに、それなのに……

 

「違う! お前なんかにキルアの事がわかってたまるか!」

 

 人形のイルミにゴンが啖呵を切って言い返す。

 ゴン自身が、「あれはキルアのイルミだよ!」と指摘してきたくせに、こいつはあのイルミの言葉がキルアの保身であることに気付いていない。

 

 ゴンを何度も見捨てたキルア自身であるイルミは、ゴンの反論なんか無視して言葉を続ける。

 

「友達ができたとしても、お前は殺したくなる。何故ならお前は根っからの人殺しだから」

 

 そう言って、言い訳していた。

 何度も何度も友達を裏切る言い訳に、自分が生きていたいから、死にたくないから、ただその為にゴンを裏切って、そのくせ自分は綺麗でいたいから、ゴンを裏切った罪を全部イルミに押し付けていた。

 イルミはキルア自身の意思や望みなんて叶えてくれないし、奴の愛情は歪んでいて迷惑なのは確かだけど、それでもイルミはきっとゴン達と同じくらい、自分のことを死んで欲しくないと思っていることは知っているのに。

 イルミからの唯一と言える素直に受け取ってもいい愛情(ねがい)すらも、キルアは身勝手な言い訳に使ってきた。

 

 そんな自分が今は、いやでいやで仕方がない。

 自分のことが大嫌いで仕方がない。

 

 なのに、それでもゴンは声を張り上げて主張する。

 

「キルアは人殺しなんかじゃない――!」

 

 何度も裏切ったのに、だからもうそこにはいられないと思ったのに、それでもゴンはキルア自身の罪悪感さえも「知ったことか」と言わんばかりに否定して、言い切った。

 

「俺の一番の友達だ!」

 

 ただ自分が好きだから、傍にいたいから、いて欲しいから。

 それはイルミの一方的な過保護や教育とさほど変わらない、ゴン自身の幸福を最優先してキルアに自分の願いを押し付けているワガママに過ぎない。

 むしろイルミより、どこまでも純粋無垢だからこそ余計に性質が悪いくらいだ。

 

 けれど、それでも……キルアにとってそのゴンのワガママは……、ゴンが自分の眼よりも優先して守ってくれた、手離したくないと思ってくれたものは……

 

「ふうん……」

 

 ゴンの主張にイルミは興味なさそうな半目で気の抜けた相槌を打つ。もちろん、このイルミにゴンの主張は届いていない。

 だからその興味なさそうな半目での視線さえも、ゴンには向けない。ゴンの背後で蹴られた腹を押さえてまだ座り込んでいる弟に向けて、もう同じことを何度も言うのはうんざりと言わんばかりに、それでも意外と根気よくもう一度、キルアに言い聞かせる。

 

「勝ち目のない敵とは戦うな。そう教えたよね」

 

 肉体に、本能に、魂に刻まれたと言ってもいい、ゾルディックの、イルミの教育の基本。

 イルミに逆らえない、最大の理由。

 この呪縛(おしえ)を解き放って克服できる日が来るのかはわからない。そもそも、この教え自体は間違ってもいなければ悪いものでもないので、克服していいものかどうかもキルアにはわからない。

 

 だけど、今の自分が「この」イルミに対して返す答えだけは決まっていた。

 

「勝ち目がないなんて、そんなことない!!」

 

 キルアは蹴られた腹を抑えて、笑う膝に力を入れて、卑屈に俯いてしまいそうな顔を上げて反論する。

 本物にイルミに対して、同じ啖呵が切れる自信なんて皆無だけれど、このイルミには、自分が作りだした自分の卑怯で弱くて最低な自分自身の象徴には言い切れた。

 

 勝ち目がないとは、思わない。

 

 だから、「大丈夫?」と心配そうに、自分が蹴られたかのように痛ましげな顔をしているゴンに答える。

 

「問題ねぇよ! ゴン! 力を貸せ! 次こそはあの能面をブッ飛ばすぞ!!」

 

 キルアが最大のトラウマの前で啖呵を切って立ち上がったことか、それともプライドの高い彼が自分に協力を求めたことか、もしくは両方か。

 キルアにはその理由はわからなかったけれど、ゴンは包帯で大部分が隠れた顔でもいつものように天真爛漫に、純粋無垢だからこそ酷く残酷なくらい嬉しそうな笑みを浮かべて、応えた。

 

「うん!!」

 

 腹が立つくらいに自分を信じきった笑顔に、キルアは眩さのあまりにうっすらと涙をにじませながらも、自分も笑う。

 笑って、練り上げたオーラを一気に放つ。

 後先のことなど考えない、修行中だった「オーラを電気に変える」という“発”も未熟なのを自覚しているので使わない。親友と同じく、シンプルに自分のオーラを全てただ単純な「力」に変えてキルアは前を、イルミを見据える。

 

 イルミはそんなキルアの「決死の覚悟」さえも、無表情で眺めながら無造作に右手にオーラを集めて構える。

 その余裕がいつもならキルアの不安を煽った。昼間は、その不安に自ら屈した。

 

 けれど、今はイルミから目を逸らさない。

 いつしか冷や汗も、膝の震えも、そして頭の中で鳴り響いていた警告、イルミの「勝ち目のない敵とは戦うな」という呪縛の言葉が止んでいた。

 

 それは本来ならイルミの人形などキルアの実力で十分に勝てる相手だったが、相手の姿がイルミというだけでキルアが戦意喪失してしまった事で誤報のように鳴り響いていたものだったから、認識が正されたことによって鳴りやんだのか。

 それとも――

 

「おおおおぉぉぉぉっっ!!」

 

 キルアの隣でキルア以上に丹田に力を入れて、声を張り上げて、練り上げたオーラをゴンは解き放つ。

 オモカゲに、イルミによって目と一緒にオーラの大部分も略奪されて、本当ならここまで一緒に来るのもゴンほどの体力バカでも辛かったぐらいなのに、ゴンは自分の体に残されたオーラをこの一撃で使い果たすつもりで、絞り出す。

 

 そこまでしないと倒せないと思っているからの覚悟ではない。

 ただ単に、彼はそこまでの力を出してぶん殴りたいだけだろう。

 自分の親友を傷つける相手を許せないから、ただそれだけでゴンはあまりにも軽く命を懸ける。

 

 軽くて当たり前だ。彼は信じて疑わないから。

 キルアと一緒ならば勝てると、だからここで力を全部使い果たしても問題ないとでも思っているのだろう。

 

 そんな親友の他力本願を察して、思わずキルアは笑ってしまう。

 笑いながら、言う。

 

「いくぞ! ゴン!!」

「うん!」

 

 全力で放出したオーラを纏ったまま、二人してイルミの間合いに、懐に突っ込む。

 イルミは一瞬、二人を見比べるように視線を彷徨わせてから、キルアから視線を外してゴンに向かってキルアがハンター試験時に見せた、筋肉の収縮で猫のように爪が飛び出して見える凶器と化した右手を振りかぶった。

 

 死体の眼より生きたまま抜き取った方が良いらしいので、既に目を奪ってオモカゲにとって用済みなゴンを先に始末しようと思ったのか、キルアに対してはおざなりに左足を鞭のようにしならせて蹴りつけようとしているだけだった。

 

 その蹴りだしたイルミの長い脚に、キルアは飛び乗ってそのままゴンめがけて振り下ろす貫手に横からしがみついて防ぐ。

 

「!?」

 

 イルミが自分の右手にしがみついてきた弟を、「信じられない」と言わんばかりに眼を見開いて見る。

 キルア自身も、信じられなかった。

 自分が兄に対してこんな行動がとれることも、兄の人間らしい驚愕の表情も、そして何より自分の記憶よりもはるかに遅くて単純な動きしかしていないこの人形に、あんなにも怯えていた自分が今は信じられない。

 

 だから、キルアはしがみついたイルミに力任せに振りほどかれて、その勢いで壁に背中が激突しても笑っていた。

 もう、不安なんて何もないからキルアはずっと笑っていられる。

 

 キルアがしがみついて、イルミがキルアを振り払うまでの時間など5秒程度。

 十分すぎた。

 

「ジャン! ケン!!」

 

 ゴンがイルミの懐に、ゼロ距離にまで潜り込むのにはおつりが出るほどに十分だった。

 

「グーッッ!!」

 

 ゴンの全力で放出していたオーラを右こぶしに集中して纏った、高密度の“硬”がイルミの人形の胴体にぶち込まれた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「くっ!」

 

 パイロの頭でもかち割るつもりで振り下ろされた木刀を、ソラは地べたに仰向けで倒れたまま足を跳ね上げてエンジニアブーツのゴツイ底で弾いて防ぐ。

 そのままごろごろ転がって、ある程度距離を取れたらその転がる反動で立ち上がった。

 

 行動自体はいつも通り。相変わらず、無様で隙が決してない訳でもないのに殺されない、怪物染みた反応速度である。

 が、いつもだってそれを余裕で行っているどころが、自分の正気を犠牲にして一杯一杯で行っているのに、今はいつも以上に余裕など皆無だ。

 その理由はもちろん、先ほどくらった海からの攻撃。偽物にして強力無比な悪食鯨飲、何も生み出さず奪うだけ奪って消える虚数属性の魔術に、ソラは自分の魔力(オーラ)を半分以上奪われた。

 

 あの魔術は「他者の生命力を奪って吸収」ではなく、ただ単に自らの消滅に周囲の生命力を巻き添えにしているだけなので、こちらがくらったからといって術者である海が回復・強化される訳ではないのが唯一の救いだが、ただでさえ余裕がないソラにとって、この魔力の空費は痛手過ぎた。

 

 そしてそれは、パイロにとっても同じ。

 

「……もう、いいよ。……ソラさん、もういいよ!」

 

 空色の瞳に涙を浮かべ、パイロは再び木刀を振りかぶって連撃を繰り出してくる。

 全く躊躇も手加減も見当たらない攻撃に反して、自分が痛めつけられているような悲痛すぎる顔と声音。

 どちらが本心で本意かなど、彼がオモカゲの人形だと知らなくてもわかるくらいパイロは痛々しい懇願を口にする。

 

「もういいよ……。ソラさん、もういいから……、僕に手加減なんかしないでいいから!」

 

 自分に手加減などしなくていい、自分の攻撃を防いで捌くだけではなく攻撃していい、攻撃して欲しいとパイロは泣きながらソラに懇願した。

 しかし、ソラは応えない。

 最初から変わらず、よく見知ったその太刀筋を最低限の動きとオーラで避けて防ぎ続けながら、ただ困ったように淡く微笑んだ。

 

 今にも消え入りそうな儚い笑みだった。

 そんな笑みは、見たくなかったから。

 だからなおさらパイロは、声を張り上げて叫んだ。ソラだけではなく、クラピカにも聞こえるように。

 

「ソラさん! あなたはわかってるんだろ!? 僕は……僕は『パイロ』じゃない! 僕の記憶だってそれは『パイロ』のものじゃない! クラピカのものだ!!

 

 僕は……パイロの魂が人形に宿った訳でもなければ、本物のパイロを基にした同一人物同然の偽物でもない! 僕はクラピカの記憶の中の、クラピカがイメージする『パイロ』でしかないんだ! 『パイロ』として生きちゃダメな『偽物』だってこと、わかってるはずでしょ!?」

 

 自分の、オモカゲの人形の「正体」を暴露する。

 いや、この「真実」についてオモカゲはほとんど隠していない。かなり早い段階、「他者の心に潜り込み、その人の執心から人形を作りだす」というオモカゲの能力の最低限の概要だけでも十分に気づける余地はある。

 

 人形の材料は、あくまで「誰かの執心」であってその人形の基となった人間は何も関与していない。一片たりとも材料になっていない。

 空っぽのその眼窩に、人形のモデル本人の眼球を得たら話は別かもしれないが、少なくとも現在のパイロにその仮定は意味がない。当てはまらない。

 

 だから、パイロが基となった人間、本物のパイロと完全な同一体になるとしたらそれこそ封印指定をくらった人形師と同じ、「神」の領域と言える。

 

 しかし残念ながら、本人が決して認めないだろうが、オモカゲは決してその領域ではない。

 彼の人形は決して、「基となった人間と完全同一」なんかではない。その証拠は既に多く上がっている。

 

 先ほど指摘したイルミの人形はもちろんのこと、パイロもその証拠を無意識か、自覚があるからこそ気付いて欲しくて言ったのかは不明だが、彼は自ら口にしていた。

 

 何もかも覚えていると慟哭しながら、彼は言ったのだ。

 

 長老のことも、美しい森だけが世界の全てだった頃のことも、そして……()()()()()()()のことも全部覚えていると彼は言った。

 自分の両親ではなく、彼は親友の両親を真っ先に「覚えている」と言った。

 

 それはよく考えなくても、不自然だ。

 パイロに親がおらず、クラピカの両親に育てられただとか、両親と不仲だったというのならともかく、そういう訳ではない、パイロにはちゃんと両親が揃っていた、愛されて大切にしてもらっていたし、クラピカも良くしてもらっていたことをソラはクラピカから聞いている。

 

 なのに彼は、自分の両親ではなく親友の両親のことを話に上げた。

 

 それは……、彼が持つ記憶も、懐く思いも、基となっているのはパイロ本人ではなくクラピカのものである証拠。

 どれほど親しくしていても、クラピカにとって印象深いのも忘れ難いのも、親友の親より自分の親であるのは当たり前。だから、「何もかも覚えている」と言いつつもパイロは自分の親のことを主張できなかった。

 

「……だから、だからもういいんだよ、ソラさん。手加減なんかしないで、僕を『殺したくない、救いたい』なんて思ってくれなくてもいいんだ……。

 僕は『クラピカのパイロ』だから……、クラピカの願望のパイロだから……、僕を『親友(パイロ)』として扱うのは本物のパイロに失礼だってことはちゃんとクラピカもわかってるから……、僕が『パイロ』として生きちゃダメなことをちゃんとわかってるから……もういいんだ。

 

 それに僕はどう足掻いてもオモカゲの人形だから、オモカゲと完全に切り離されたら今この体に残ってるオーラを使い果たしたら消えるような、中途半端な存在なんだから……だから、だからあなたが傷ついてまで僕なんかを助けようとしなくていいんだ!」

 

 泣きながらパイロはソラに「もういい」と訴えかけながらも、オモカゲの意思に操られた手足は手加減などなく、パイロ自身の体の負担も無視して木刀を振るう。

 その木刀を、最初よりもはるかにキレの悪い動きで、荒い呼吸で、それでも最初から変わらず全く反撃をせずに避けて受け流し続けるソラは、困ったように笑って言った。

 

「……それでも、君の『心』は……君が生み出して懐く『思い』は本物だよ」

 

 パイロが「クラピカの願望に過ぎない」と言って否定する思いを、「パイロ(きみ)のものだ」と言って譲らない。

 

「確かに……本物のパイロがクラピカをどう思っていたのか、最期に何を思ったのかなんてもう誰にもわからない……。そして君が、クラピカの願望によって生まれた側面が強いのも事実だ。

 ……けど、パイロ。君がクラピカの事が好きなのも、『パイロ』として生きたいと願ってしまうのも……それはきっかけがクラピカの願望だったというだけで、今では全部丸ごと君のものだ」

「……違っ……何で……そんなことを……」

 

 パイロの言い分を肯定しながらも、ソラは引かない。

 

「……君だって、本当はわかってるんだろう? 『彼女』を見ていれば、わかるだろう?

 

 君はその器を得た時点で既に、クラピカの心から切り離された。君はもう、クラピカの願望やイメージ通りに動いて変動する曖昧なものじゃなく、君個人の人格を確立してるんだ。……だから、例えクラピカが『パイロはきっと自分を恨んでる』と思い込んでも、君はクラピカの事が大好きなままだ。……それはもう、クラピカの『そう思って欲しい』っていう願望じゃなくて、君自身の本当の気持ち……。

 だから……本心じゃない望みなんか口にするなよ」

 

 パイロは確かに、イルミと同じくクラピカ以外に彼を知る者から見たら、似ても似つかない偽物かもしれない。

 パイロの言う通り、クラピカはそれを理解したのなら、そしてこのパイロ自身がオモカゲからの解放を……死を望んでいるのならば、断腸の思いで自分自身の願いを切り捨てて殺しただろう。

 

 そうしないと、自分は親友の尊厳を自分自身の身勝手な願望で踏みにじることになる。

 本物のパイロとの思い出を、ただ自分の都合の良いように歪めているかもしれないイメージで塗りつぶすような真似が出来なかったからこそ、彼は同胞を失ってから5年間、一人生き残った罪悪感に苛まれ続けたのだ。

 

 それでも、ソラは彼の思いだけは否定しない。本物だと言い張り続ける。

 クラピカの願いから生まれた存在で、本物とは似ても似つかなくても、それでも彼が懐くクラピカへの友情は本物だと、ソラは逆にパイロに訴えかけた。

 

「……それに、そんなんじゃないんだよ。私が助けたいのは、君じゃなくてクラピカなんだ」

 

 パイロの「もういい」と訴える、パイロに攻撃をしない理由を否定する。

 

「君がクラピカの心から切り離されて独立しても、それでもクラピカの事が大好きだから……。そのことを知ればあの子は救われるんじゃないか……、あの子が背負い続ける『生き残ったこと』に対する罪悪感が薄れるんじゃないかって期待してるから……、だから……私は…………」

 

 救いたいのはパイロではなくクラピカだと語るソラに、ソラの言う通りクラピカから切り離されても、それでもクラピカを案じ続けたからこそパイロは余計に泣きそうな顔になって、木刀を横に薙いだ。

 胴や頭、そしてソラの体に走る線を狙うのではなく、動きをまず封じる為に体勢を低くして木刀でソラの足元を払う。

 

 しかしその足払いも、ソラの死の夢想は計測済み。

 予知していたかのように左足が上がって避けたかと思ったら、勢いよくその足を下ろしてパイロの木刀の一刀を踏み砕いて破壊した。

 

 死の夢想は、計測していた。

 しかし、体の方はその計測に、加速を続ける思考演算についていくことが出来なかった。

 

「あっ……」

 

 パイロの木刀を踏み潰して破壊したが、横薙ぎしていたものを踏みつけたことと、海によって魔力を、オーラを、生命エネルギーを奪われて疲労困憊だったソラはそのまま足を踏ん張ることが出来ず、自分で破壊した木刀に滑る形で後ろに倒れる。

 

 そんなソラを知る者からしたら有り得ない隙を、オモカゲは見逃しはしなかった。

 

「! いやだ……。やめて……、お願い……」

 

 パイロのか細い悲鳴のような懇願をパイロ自身の体が無視して、倒れたソラの体に馬乗りになり、破壊されなかったもう一本の木刀を振り上げる。

 自分で武器破壊しといてそれを踏んで滑って転んだ挙句にマウントを取られるほど、体は思考に追いつかないほど疲弊していた。

 けれど、マウントを取られても腕が自由ならばソラは不利ではない。むしろパイロの方が愚かな獲物と言っても良かった。

 

 今の彼女は、誰も何も殺さないようにするには優しく触れることにすら細心の注意が必要な程、視界は「死」に囲まれているのだから。

 

 だから、疲れ果てているはずの体を「本能」が動かした。

「死にたくない」と叫び続けて走り抜ける本能が、ソラの腕を上げてパイロの胸にある一番近くて大きな「点」にその指先が死神の鎌となって貫く……はずだった。

 

「……どうして?」

 

 ソラの眼で、空色の眼で泣きながらパイロは尋ねる。

 ソラから噴き出した「死」の気配にオモカゲが怯んだわずかな(じゆう)に、出来たことはそれだけ。

 そしてソラも、その(じかん)に費やしたのは、パイロを殺すことでも逃げる事でもなく、答えることだけだった。

 

「……ごめん、パイロ。……本当は、クラピカの為でもないんだ。私は、殺さないんじゃなくて殺せないだけなんだ」

 

 本能で上げたはずの手は、力なく床に落ちる。

 諦めない、足掻き続けるはずの、そうしないと生きてゆけないほど壊れ抜いているはずのソラの手が止まった。

 包帯に包まれていても泣いているとわかる顔で、泣きながら……困ったように笑いながら、ソラはパイロの「どうして?」に答えた。

 

 

 

「……たとえ切り離されて独立してても……クラピカの心を殺すなんて、出来ないよ」

 

 

 

 

 その答えに、パイロは一瞬だけ目を丸くしてから、彼も困ったように笑う。

 

「……そっか」

 

 本能を捻じ伏せるほど強く、親友を想う人を羨むように、眩いものを見るように眼を細めて、彼は自分の視界に走る「線」目がけて木刀を振り下ろした。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ヨークシンの時の、ウボォーギンの時と同じように「律する小指の鎖(ジャッジメントチェーン)」はクラピカの本心に忠実に従って、形が保てずそのまま崩れ落ちて消える。

 

 殺せない。殺す訳にはいかない。例え彼女は人形であり、死者であり、彼女を「殺す」という事は「殺人」には当たらない行為だとしても、それは「自分自身を殺す権利」を失う行いではなかったとしても。

 

 それでも、クラピカは殺せない。

 

 そんな問題ではないことなんて、本当は初めからわかっていた。

 クラピカ自身が目の前の彼女を、「人形」とも「死者」とも思えなかった。「殺人」ではないという言い訳など、自分自身が一番信じられなかった。

 

 そして何より、クラピカはもう既に失っている。

 いつか自分自身の最後の瞬間に自分を殺してやる権利を、手離した。

 共に生きる為に、共に死ぬ約束を交わすために突き刺し、突き落とすことで捨てた。

 

 そうやって悲しませて、傷つけて、それでも生かしたかった、生きて欲しかった、生き抜いて欲しかったから。

 だから、彼女の願いを叶えてやれない代わりに自分で決めた。

 

 自分が殺すのは、生涯でただ一人。

 ソラだけだと、決めた。

 

 ただ一度きりの権利を使って捨ててしまったのなら、もう他に何人殺しても同じだと開き直ることは出来なかった。そんな風には思えない。

 何より、そんな考え方は自分が殺した彼女にこれから自分が背負うべき罪を、「お前を殺した所為で」と言って押し付けるようなものだ。

 

 だから、クラピカには殺せない。

 式織 海を、殺せない。

 

「それでいいのよ」

 

 そんなクラピカに、人差し指の鎖を引き抜き鴉の羽根を取り出した海が言う。

 クラピカの決めきれなかった覚悟を、ヨークシンの焼き写しでしかない現在を肯定する。

 皮肉ではなく、眼球のない顔にソラに似ているが違う、晴れ晴れしい青空ではなく穏やかな凪の海のような笑みを浮かべて、彼女は言った。

 

「あなたが約束を破って私を殺すのなら、それこそ私が全身全霊をかけてあなたを殺すところだったわ」

 

 妹を殺す相手の、妹だけを殺すという選択を肯定して笑った。

 笑いながら、その華奢な体は鴉の羽根を、悪食鯨飲の魔力を撃ち出す前に横手に吹っ飛ぶ。

 サッカーボール大のオーラの塊が投げつけられ、それに海は吹っ飛ばされた。

 

「っっの、バカヤロー!!」

「!? レオリオ!?」

 

 海の宝石で、氷の蔦に囚われていたレオリオがオーラを撃ち出したというか投げつけたようだ。

 彼はまだ裏試験に合格していない、“発”未収得者のはずだが、火事場の馬鹿力という奴と彼自身の系統が放出系だったのも合わさって、まだ素人と言える彼でも扱えるシンプルさと十分に戦力となる威力を持つ一撃を放てたらしい。

 

 そして海は、キルアの話や自分がくらったソバットの威力からして信じられなかったが、「肉体そのものは見た目通りの性能」というのは嘘ではなかったらしく、かなりの距離を吹っ飛ばされて転がった挙句に、置換魔術の代償とクラピカに魔力(オーラ)を略奪されていた為、起き上がろうとしても手足に力が入らず、体を起こしてはその体勢が崩れて地に伏せるを何度か繰り返す。

 

 自分の駒がそのような状態なのはオモカゲにとって不利なはずなのに、彼はニヤニヤ笑って眺めているだけで、他の人形に加勢を命令する、海に自分のオーラを供給してやるといったフォローをしてやらない。

 彼女に散々、煮え湯を飲まされた恨みをここで晴らしているようだ。どこまでも陰湿陰険な小物である。

 

 しかしオモカゲが小物だったおかげで、時間が出来た。

 その時間を使ってレオリオがしたことは、海に追い打ちやトドメを与える事ではない。

 ひとまず海を吹っ飛ばしたレオリオは、ずかずかと大股でクラピカに近づいてくる。

 言っちゃなんだがおそらく彼のことを素で忘れていた為、ちょっと呆気に取られているクラピカの胸倉をレオリオは掴みあげ、怒鳴りつけた。

 

「てめーは何でいつもいつも一人で思い悩みやがるんだ! んなとこはあのソラ(バカ)に似なくていいんだよ!! っていうか、あいつは俺らの中で最年長だから、誰にも頼ろうとせずに一人でしょい込もうとするのはまだわかるけどな、てめーはあいつより、そして俺より年下なんだから一人で抱え込むな!!」

 

 キルアの時と同様に、さほど拘束力が強くないものだったのでオーラを放出して拘束を解いたのだろうが、キルアと比べたらまだまだ修行不足で未熟、オーラ量も多くないレオリオにとっては2分ほどであの氷の蔦を破壊するのは至難だったのだろう。

 現に拘束を何とか外しただけで、彼の体にはまだ氷の蔦の欠片が至る所に張り付いており、その蔦が直接素肌に触れている部分は赤くなって、凍傷を起こしている。

 

 それでもレオリオは、そんな事を気にもかけずにクラピカを怒鳴りつけて叱りつける。

 殺せたチャンスを捨てて海を殺さなかった事ではなく、本意ではないことばかりしているクラピカを叱った。

 

「てめーの一番がソラ(あいつ)だってことなんざ、わかりきってんだ! そんで、俺の一番はあいつでもてめーでもねぇ!!

 けどな! 一番じゃなくてもてめーらが大切なのは変わりねーんだから、こっちはいつだって全力で力貸すっつーのに、てめーは何でいつもいつも自分が一番したくない、傷つくことを一人でやるんだ!! このっ、大バカヤローがっっ!!」

 

 海を殺したくないくせに、けれど海を早く倒してソラの加勢に行きたいのに、そのくせ誰にも手伝ってくれとも助けてとも言わず、自分が一番したくないことをしようとしていたことに、……自分に頼ってくれなかったことにレオリオは本気でキレて、怒って、怒鳴りつける。

 

 その説教を、胸倉を掴みあげられて爪先立ち状態のクラピカがポカンとした顔で聞きながら、やはり彼は素で答えた。

 

「……すまない、レオリオ。頼らなかったのではなく、普通にお前の存在を今まで忘れていた」

「こんな時に正直になってんじゃねーよ! あのアホ姉といいお前といい、あいつと関わると空気読めねぇボケが感染すんのか!?」

 

 まさかのバカ正直な懺悔に、レオリオはまたさらにキレてクラピカの頭を一発引っ叩く。

 おそらくは強化系よりの放出系能力者であり、素の肉体で唯一ゾルディック家で試しの門を2の門まで開けた筋力をもつレオリオの一撃は、海のソバット並にクラピカにとって痛烈な一撃だったが、海のとは違ってその一撃でクラピカの頭や胸の内をぐるぐる掻きまわしていたさまざまなものは晴れた。

 

 だからクラピカは殴られた頭を本気で痛そうに押さえながらもう一度「すまない」と心から謝って、そして顔を上げる。

 

 もう迷わないと決めた意思が宿る、迷いを振り払った暁の眼で彼はレオリオに告げる。

 

「――頼む。力を貸してくれ」

 

 レオリオの言う通り、自分の一番はソラで、あの老婆に出されたクイズのように選ばなくてはならぬ時が来たらきっと自分はいつだってソラを選ぶけれど。

 だけど、他の者がどうでも良かった訳ではない。そんな訳はない。本当に選びたい答えは、掴み取りたい答えは守りたい人達を、大事な人達を一人たりとも取りこぼさずに守ることなのは確か。

 

 けれどそれが出来ないことをわかっていたから、見捨てるかもしれない人たちに助けを求めることは不誠実極まりないと思って、自分一人で何とかしようと足掻いてきた。

 

 でも、それは間違いだと叱られた。思い知らされた。

 全てはレオリオの言う通り。

 

 自分がレオリオの一番だと思ったことなど無いし、期待もしたことない。あの老婆のクイズのような究極的な状況で、レオリオが自分の一番を救うためにクラピカを見捨てることを選んでも、それはわかっていてもショックかもしれないが、傷つきはしても恨みを懐くという想像がどうしてもつかないぐらい、それは自分たちの関係で当たり前だった前提。

 

 けれど、そんな関係でも、決して一番ではないし、一番になることはないとわかっていても、そんな期待をしていなくても、自分に「助けてくれ」と頼るレオリオを不誠実だとは思わない。もちろん、求める助けの内容にもよるのだが、クラピカはきっと二つ返事で「任せろ」と応える。

 彼は自業自得な悪行から逃れる為に助けを求めることなどしないという信頼こそが即答で応じる理由だが、それと同じ理由にしてそんな信頼を懐く理由そのものが、ただ単純にレオリオが、彼の人柄が好きだから。

 

 一番でなくても、掛け替えなどないくらい、自分の意思で見捨ててもそのことを一生後悔し続ける事がわかりきっているくらい大切な友人であり仲間だから。

 そんな人たちに助けを求められることは誇らしくて喜ばしくて、逆に一人で何でも背負い込まれたら、自分の価値を見失ってしまいそうだから。

 

 ……自分ならそう思うのに、自分の大切で愛おしい人達がどうして同じ思いを懐かないと思っていたのかが今は不思議で仕方がない。

 

 そしてクラピカの心の中の自嘲に、レオリオは「今更過ぎるわ」と言うように笑って言った。

 

「任せろ!!」

 

 クラピカが想像した自分自身の答えよりも、軽やかに、力強く、即座に応えてくれた。

 

 そんなレオリオの答えにクラピカは泣き笑いしそうになったが、彼らがこんなことを言い合えた時間があったのはのは運が良かっただけ。

 現実が彼らに追いつき、幸福を噛みしめる時を奪う。

 

「あっ……」

 

 さほど大きくないどころか、囁くような声だった。それでも、クラピカの耳には届いた。

 焦りはその声にはなかった。けれどそれがむしろ、クラピカにとって悪い予感を膨らませた。

 焦ることすらもう無意味だと諦めたような声に聞こえたから、とっさにクラピカはその声がした方向に……パイロと交戦しているはずのソラに視線を向ける。

 

「ソラっ!?」

「!? やべぇ!!」

 

 パイロの武器である木刀を自ら踏み潰しておきながら、その所為で後ろに転んで倒れるというマヌケな窮地に陥っているソラを見てクラピカが悲鳴のような声を上げ、レオリオが駆け出す。

 起こっていることはマヌケとしか言いようがないが、普段の彼女ならば絶対に起こり得ないその事態が、ソラ自身の体の負担を物語っている。

 

 だけどまだ、事態は最悪ではない。

 そう言い聞かせて絶望を捻じ伏せ、クラピカは倒れたソラの上に馬乗りになったパイロにどかすため、タックルでも決めようと突っ走ったレオリオの後に続く。

 

 正直、レオリオ自身が動くより海にぶつけたようにオーラの塊をパイロに放ってぶつけた方が早かっただろうから、レオリオの行動の非合理さに理不尽だがややクラピカは苛立った。

 しかしそれをしないのは、先ほどの攻撃はやはり火事場の馬鹿力、狙ってやったものではないことと、レオリオ自身がだいぶ焦ってそんな方法は頭から吹っ飛んでいることも察しているので、ひとまずレオリオの行動は放っておいてクラピカは人差し指の鎖をパイロに使用しようしたが、鎖を撃ち出す前にうなじにゾワリと走った悪寒に気付いて反射的に振り返る。

 

「麗しい友情は後で育むべきだったわね」

 

 立ち上がることさえもできなかったはずの海が、回復などしていないだろうに、それでも先ほどまで地に伏していた姿が嘘のように、二本の細い脚でしっかりと立って皮肉を投げつけた。

 同時に、高密度の魔力球も一緒にふわりと舞うような動きで軽やかに、優雅に、可憐にその場で一回転して投げつける。

 

 まだ素人に近いレオリオでも出来たのだから、海だってこんな単純極まりない、置換魔術よりも初歩の初歩であるただの「魔力放出」が出来ない訳がない。

 悪食鯨飲の魔力でも、ガンドでもなくそれを使ったのは、見た目ほどの余裕などない海にとってそれが一番負担が小さく、なおかつ高威力の魔術だったからだろう。

 

 そこまで海を追いつめた時点で、彼女を知るソラあたりから見たら十分すぎるほどの快挙なのだが、そのことに喜ぶどころか気付く余裕などクラピカにはない。

 

 一瞬、パイロと海のどちらを優先すべきか考えて、クラピカは既にレオリオが動いている、マウントは取られたが手足の動きは完全に封じれていない、体格からしてソラがパイロを跳ね除けることが出来ない訳がないと判断して、海を優先して具現化した鎖を再び彼女に撃ちだした。

 

 しかし、既に海の手からテニスボール大の高密度な魔力球は放たれていた。

 そしてそれは速かった。

 クラピカの鎖よりも、そしてレオリオよりも。

 

 魔力球は、クラピカを狙った訳ではなかった。

 それはクラピカが避けるまでもなく横を素通りしていく。

 何を狙っていたのかを、自分を素通りしたことで気付き、クラピカは自分の鎖のコントロールも投げ出して、振り返り叫んだ。

 

「ソラッ!!」

 

 選んだ「一番」の名が響くと同時に魔力球は着弾し、くりぬいたかのような綺麗な円を描いて胴体に穴を開ける。

 

 しかし、それでも「彼」は幸福そうに、安堵したように笑って呟いた。

 

 

 

「………………良かった。ここで僕の名前を叫んだら、怒るとこだったよ」

 

 

 

 途中まで振り下ろされていた木刀が、力の抜けた指から離れて床に落ちる。

 海の魔力球に貫かれたのは、レオリオでもソラでもなく、パイロだった。


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