死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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132:救ってくれる?

「ソラの……お姉さん?」

 

 信じたくないの一心でゴンが呟くと少女……海は、また髪を掻き上げて答える。

 

「不本意ながらね」

 

 本当に不本意そうに、吐き捨てるように答えた海の背後でキルアは何とか立ち上がり、叫んだ。

 

「……嘘だ!!

 あいつの姉貴は別の世界で10年近く前に死んでるっていうのに、こっちには死体の骨の欠片すらなければ、あいつ以外にあいつの姉貴の顔や名前を知ってる奴もいねーんだよ!!」

 

 パイロのように実は死んでいなかったとしても有り得ない、死者蘇生にしても材料がなくて不可能だと思える、本物である訳がない根拠、他人が本物に似せて作り上げたにしてもおかしい根拠をキルアは叫ぶ。

 誰かが何かの拍子でソラに死んだ姉がいる事を知って、そのことを利用しようとして詳しい彼女の容姿や性格などを知らない、知る訳がない自分たちの前でソラに似せた少女を使って精神を揺さぶろうとしている。

 そう思った。そう思いたかった。

 

 だが、少女は固く目を閉ざしたままキルアの方に振り返り、何の感慨もなく言い返す。

 

「そう思いたければ、そう思っていればいいじゃない。というか、私としてはそう思って躊躇いを無くしてくれた方が助かるわ。

 年下を苛める趣味なんてないのよ。だからせめて、実力はあるんだから対等に戦って欲しいわ」

「たた……かう? ……何で? 何で俺達と戦うって言うんだよ!?」

「私があなた達の『敵』だからよ」

 

 海の答えにゴンは戸惑いながらも再び問うが、今度は振り向いてもくれずに即答された。

 それでも、ゴンは足掻くように「何で!? 俺達が海さんと戦う理由なんてないよ!!」と訴えかけるが、海の答えも対応も変わらない。

 

「私にもないわよ。でも、眼球フェチの変態があなた達から目をもらえってうるさいのよ」

 

 初めからずっと目を閉じていることからしてパイロと同じ状態、つまりは同じ黒幕によって生み出された存在であるという予測を肯定する答えに、更にゴンとキルアの絶望感が増す。

 しれっと言い放たれた「眼球フェチの変態」という辛辣すぎる発言は、何の救いにもならないのに空気だけが完膚なきまでに壊されるので二人はナチュラルに聞かなかったことにして、海の動きに注意を払う。

 

「だから、せめて弱い者いじめにならないようにだけ頑張ってくれない?」

 

 気だるげに一方的な要望を述べながら海はワンピースのポケットから手のひら大の巾着袋を取り出した。

 彼女自身の趣味なのか、服装にはあまり合わないちりめん和テイストの巾着袋を開き、その中身である月と星明りを反射して輝く、色鮮やかなビー玉大の球体と1ジェニー硬貨くらいの大きさと形のものをいくつか掌に乗せる。

 海の掌に転がるカラフルな球体を目にして、思わずゴンとキルアは警戒心を最大限に引き上げて後ろに飛びのき距離を置く。

 

 二人の反応を両眼を閉ざしながらでもわかっているのか、海は少し肩をすくめてからその取り出した球体を一つ摘まんで、二人に見せるように掲げて言った。

 

「あら、私を『嘘』だと思っているのに、これには警戒するのね。

 安心なさい。私が使えるほどの宝石を手に入れる時間もなければ、魔力を込める時間もなかったから、宝石魔術師として恥ずかしながら今の私は残弾がほぼゼロなの。

 これは正真正銘、ただのビー玉とおはじきよ。別にその辺の小石でもいいのだけど、それはあまりにも雅ではないでしょう?」

 

 言われて見れば確かに宝石の目利きなど出来ない二人でも、どちらも加工が難しい割に宝飾品として使うには使い道が限られていそうな形状に違和感を持つが、もちろんその発言をやすやすとは信じない。

 というか、本当にビー玉やおはじきだとしたらむしろそちらの方が意味不明だ。

 

「宝石じゃなくてビー玉だとしたら、何なんだよ? っていうか小石でもいいって、本気で何に使う気だ? それをさっきの毛布みたいに強化して投げ付けるくらいしか浮かばねーよ」

 

 なのでキルアは、挑発を兼ねて率直な感想を言ってみる。

 しかし、この何気ない発言で彼は思い知る。

 目の前の少女は確かに、ソラの姉であることを。

 

「当たり」

「……は?」

 

 キルアの魔術師として有り得ないであろう攻撃方法、というかかなり魔力の無駄使いではなかろうか……と思う程に物理的な方法を口にしたのは完全な挑発のつもりだったのだが、海は無表情であっさり正解だと言い切り、逆にキルアをこの上なく困惑させる。

 ゴンの方も「え?」と、どんな顔をしたらいいかわからないと言わんばかりの顔と声で固まってしまっているのだが、海はそんな少年二人の反応を無視して摘まんでいたビー玉を握り、何やらブツブツと短く呟いたかと思ったら。無造作にそのビー玉を投げた。

 自分の頭上の真上に。

 

「「は?」」

 

 海が何かを呟いた際には、キルアもゴンも彼女の発言からもたらされた困惑を横に投げ捨てて再び警戒を露わにして、目には“凝”、いつでもどのようにでも動けるように足を踏ん張ったのだが、その入れ直した気勢は一気に削がれる。

 警戒した通り、彼女の呟きはあのビー玉にオーラ……彼女の言う所の魔力を込める呪文か何かだったのか、そのビー玉にはオーラが込められていたが、肝心なそのビー玉を宣言通り確かに投げたが、その投げた方向はゴン達ではなく自分の真上……。

 ノーコンにもほどがあるだろう……となまじ本気でキルアは思った。

 

 思った瞬間、声がした。

 

「あいたっ!!」

「!?」

 

 海を挟んで向かい合っていたゴンが、声を上げる。

 声や見た限りの様子からして大したことはなさそう、せいぜい不意打ちで小石が頭にぶつかった程度っぽいが……だからこそ、キルアは顔色を変える。

“纏”状態、それも強化系のゴンに……、生半可な物理攻撃など虫が止まった程度にしか感じないであろう現在のゴンに、「ちょっと痛かった」程度でもダメージを与えられたことを甘く見れる程、キルアは楽観的ではなかった。

 

 何より、彼は向かい合っていたので見てしまった。

 優秀な動体視力と鍛え上げて野生児のゴンと大差ないほどの視力を持つ眼が、捉えてしまった。

 ゴンの後頭部に落ちてきたものを。

 

 そしてゴンも、自分の後頭部を押さえながらあたりをきょろきょろ見渡してから、自分の足元に転がるものを見て、目を見開いた。

 

 そこにあるのは、赤いビー玉。

 先ほど、海が自分の頭上の真上に放り投げたものだ。

 

 * * *

 

 どう考えても、ゴンとキルアの頭上にまで落ちてくるような弧を描くような投げ方などしていない。無造作に彼女は自分の真上に放り投げていた。当たるとしたら彼女自身の頭しかなかったはずなのに、それなのに確かにそれはゴンの後頭部に、まるで「真上から降ってきた」かのごとく落ちてきて、そして今は足元にコロコロと転がっている。

 

 その転がっているビー玉がゴンの爪先に触れる前に、消えた。

 彼の爪先とビー玉の間に、一瞬だけ陽炎のようなものが生じたかと思ったら、その陽炎、空間の揺らぎにビー玉は吸い込まれるように消えてゆく。

 

「……やっぱりあの子、『置換魔術(フラッシュ・エア)』は未だに不得意なのね」

 

 コロコロと転がったビー玉を再び握りこんで、海は言った。

 ゴンの地元に転がっていたビー玉が消えて、海が「どうぞ」の仕草のように上げていた左掌の上に現れた時、思わずキルアはさらに彼女から距離を取り、ゴンは眼だけはなく口までポカンと開いてただ彼女を見る。

 

「……置換魔術(フラッシュ・エア)は下位の基礎魔術だっていうのに、情けない。

 それに下位とはいえ、空間の置き換えはそれこそ極めれば大師父の魔法の一部に……、平行世界への転移に至る可能性があるというのに……」

 

 しかしそんな少年二人の反応をやはり無視して、海は何だか本気で嘆いているような口調で、深い溜息を吐いて愚痴りだした。というか、右手で頭痛を堪えるように頭を抱えているので、彼女は今本気で妹の出来の悪さに嘆いているようだ。

 だが、その嘆きに同調して慰めてやる余裕など二人にはない。

 

 その愚痴の内容が自分たちも知らない「魔術」に関しての事だけならば、ただのハッタリ、真実味を出すためのそれっぽいだけの出鱈目を羅列しているだけだと思えた。

 けれど彼女は「魔法」まで口にした。

 それも、ソラの師であり彼女たちの家の魔術の本家本元である「大師父(ゼルレッチ)」の魔法に関わるキーワード、「平行世界」を口にしている。

 

 ただでさえ、「魔術」と「魔法」を使い分けている時点で、「ソラが自分たちに話した内容を誰かが又聞きして、聞きかじった内容をハッタリで使っている」可能性は極めて低いというのに、「平行世界」のことまで知っている者など完全に限られている。

 

 そしてそのことを知っている人間が、例え信じてもらえない内容であっても軽々しく他者に情報を漏らすとは思えない。

 そのことからして考えられる可能性は、否定したくて仕方がない、けれど一目見た瞬間から気づいていた最悪に巻き戻る。

 

「……テレポートも出来るのかよ」

テレポート(超能力)じゃないわ、これはあくまで魔術。それも魔術の中でも下位の基礎魔術よ」

 

 流れ出る冷や汗が隠れていることを祈りながら、キルアが精一杯の強がりを口にすれば、海は初めから全く変わらない凛然とした余裕のまま、期待していなかった答えを事もなげに答える。

 

「その名の通り、何かと何かを置き換える魔術。錬金術から派生した基本は劣化交換、良くて等価交換でしかないものよ。

 さっきのは私の頭上の空間の一部、ビー玉の落下位置をそちらの男の子、ゴンの頭上の空間と置き換えただけ。落ちたビー玉を回収したのも同じよ。ちなみに、ビー玉そのものに掛けたのは強化魔術。あなた達が言う所の、『強化系の“周”』とほぼ同じ効果の魔術。

 ごめんなさいね。私の礼装があればもうちょっと魔術師らしい戦い方が出来たでしょうけど、あの子は私の礼装をほとんど知らないから再現できなかったらしいのよ」

 

 キルアが起こった事実と海の発言からなんとなく想像していた通りの理屈を、海は隠す気などさらさらないと言わんばかりに答えた挙句、何故か今更になって魔術を使っているが魔術師らしくない攻撃手段であることを謝りだす。

 このマイペースさにまたソラの面影を感じ取り、その面影を振り払うようにキルアは戦うべきか逃げるべきか、戦うとしたら勝ち目はあるのか、逃げるにしてもテレポートに近い能力持ち相手に逃げ切れるかなどを考えながら、何とか時間を稼ごうと話を続ける。

 

「……ずいぶんと親切だな。妹と一緒で、年下を甘やかす主義なのかよ?」

「まさか。私は基本的に、老若男女関係なく他人に興味なんてないわ。

 話しているのは、先ほども言った通り年下を苛める趣味はないからよ。私は『念能力』の知識を不本意ながら教えてもらったけど、あなた達は魔術の知識なんてあの子を通したものしか知らないのでしょう?

 それはあまりに不平等だから、基礎知識は教えてあげるわ」

 

 そんなキルアの考え、時間稼ぎであることを理解している上で付き合ってやってると言わんばかりに、海は初めて美しい唇を吊り上げて笑う。

 皮肉げに、嘲笑うと言うよりも慈愛を込めた憐憫、強者としての風格を見せつけながら、少女とは思えぬほど艶然と笑った。

 

 その笑みに、ソラとは全く違う真逆の雰囲気にキルアの背筋に寒気が走る。

 頭の中で兄の呪縛(こえ)が「逃げろ」と謳う。勝ち目などないと、実力よりも精神の在り様で突きつけられた。

 

 それでも、笑う膝に爪を立ててキルアはその場にとどまる。

 逃げる訳にはいかない。

 彼女がパイロとその黒幕、ソラの眼を奪った相手と無関係ではないことはもう確定している。

 

 引けない理由があるから。

 ソラをあんな状態にした相手が、許せないから。

 

 だからキルアは自分の首にぶら下がる、ペンダントトップのカーネリアンを握りしめてまだ粘ろうと、足掻こうと口を開く。

 

「………………ソラは?」

 

 しかし、言葉を発したのはキルアではなかった。

 

 ゴンは逃げ腰ではないが、構えを完全に解いた棒立ち、かろうじて“纏”だけは維持しているという状態で、海に問うた。

 

「……他人に興味がないって……あなたはソラにも……自分の妹にも興味がないの?」

 

 キルアが「何してんだ!」と叱責するよりも先に、ゴンは一歩前に踏み出して問う。

 笑顔を消した、無表情だが先ほどまでとは違って冷ややかに感じられる空気を纏った海が、ゴンに顔を向ける。

 

 まだ、敵意の類は感じられない。

 だがあと一歩でそれは敵意となるであろう怒気が、冷気のようにゆっくりと立ち上って来るのをキルアは感じ取り、ジワリと一歩後ずさってしまう。

 

 ゴンも同じものを感じたのは、強張った顔でわかる。

 けれど彼は、その強張った顔で眼に力を入れて、また一歩足を先に踏み出して言った。

 

「違う。あなたは……海さんはソラに興味がない訳ない。だってさっきからちょくちょく、ソラの事を話に上げてる。

 それに……、海さんはソラが好きなんでしょう? 海さん、ソラのことを『あの子』って呼んでるから……。ソラが俺やキルアやクラピカを、ソラが好きで大切にしてくれてる人を呼ぶ時と同じように、すごく柔らかくソラのことを『あの子』って呼んでる!!」

 

 問いかけた答えをゴンは自分で出して、訴えかける。

 女王という呼称がふさわしい威圧感と雰囲気を持っているが人間味が著しく欠けていた少女に向かって、魔術師に向かって、人間らしいと思えた部分を指摘する。

 

 それは、自分がそうであってほしいという願望が思い込ませたものと言われたら、否定できない。その程度のもの。

 それでも、ゴンは信じた。

 

 彼女がソラから目を奪ったパイロと同じ存在ならば、黒幕が一緒ならば、……偽物であってもその心が本物の海のものと同じであるのなら、これが真実だと信じて訴えかける。

 ソラを生かした彼女に、「(ソラ)を愛しているんでしょ?」と訴えかけた。

 

「……そうだとしたら、どうするの?」

 

 その訴えに、返ってきたのは問いかけ。

 肯定はしてくれず、冷気のような怒気が肌を傷つけているのではないかと思う程、周囲の空気で全身がピリピリと痛む。

 海から発せられるプレッシャーに、彼女の背後のキルアは小刻みに震えて泣きそうになっているのを見て、また自分が暴走して迷惑をかけているキルアに申し訳なく思うが、それでもゴンは引けない。

 

 キルアの引けない理由は、キルアだけのものではない。

 自分だって引けないものだからこそ、彼もソラから誕生日にもらった白ヒスイのブレスレットを手首ごと握りこんで答えた。

 

「教えて。どうしてここではない世界で死んだはずのあなたは今、ここにいるのかを。あなたを蘇らせた……生み出したのは誰なのかを。ソラの眼を奪って、クラピカの親友にクラピカを傷つけさせたのは誰なのかを教えて!!

 

 お願い……、海さんもパイロと同じようにしたくないことなのに逆らえないのなら、俺達が解放するから! 海さんがしたくないことなんてしなくていいように、その黒幕を俺たちが絶対にやっつけるから!!

 だから……お願いだ。……ソラの眼を返して。……どうか、ソラを助けて」

 

 ソラを、妹をゴンの思っている通り愛しているのなら、どうか自分たちに力を貸してくれと真っ直ぐすぎる懇願を口にする。

 逆らえないのならば了承できる訳がないという事に、ゴンは気付いていない。彼は相手が了承するしないなど関係なく、今自分で言った事をする気しかなかったのだから気付いていなくても問題はなかった。

 

 ただ、彼は聞きたかったから、知りたかったから答え、訴え、希った。

 

 たとえ逆らえなくても、操られていても、偽物であっても、それでも海が何を思うのかを。彼女の本物の「思い」を、彼女は一体何に怒っているのかを知りたかったから、海を怒らせていることを理解しているうえで訴えかけた。

 

 その訴えに、懇願に、海は静かに答える。

 堅く閉ざしていた目をゆっくりと開きながら。

 

「…………ゴン。あなたはあまりにも純粋で、無垢で、愚かで、そして残酷な子ね」

 

 答えた言葉は、ソラの事ではなくゴンに対しての事だった。

 

「『魔術師』の愚かさも、『人間』の罪深さも知らない、どこまでも純粋でキレイな子。だからこそ、酷く残酷。

 ねぇ、私があの子を愛していると言えばどうするの? あの子が、妹が大切で愛おしくて仕方ないと言えば、あなたはどうするの?」

 

 ゴンを「残酷」と評して尋ね返す。

 冷気のような怒気は霧散してゆく。言葉も淡々としているが冷ややかさはない。どちらかと言うと柔らかくて優しいものだ。

 けれど、それは優しさではない。ゴンを思ってのものではない。

 

 それは、あまりにも愚かで話が通じない幼子を相手にしているようなもの。

 通じることを期待していない、独り言のようなものだという事を、理解してしまった。

 

()()()()()()()

 私を『魔術師としての業』から。『人間種の起源』から私を、解放してくれるの?」

 

 それほどまでに、海は似ていた。

 開かれた双眸にはやはり、話に聞いていたパイロと同じように空っぽで闇だけがそこに埋まっている。

 それなのに、酷く似ていた。

 

 ソラの奥底で眠り続ける、夢さえ見ない夢を見続ける女神に……、諦観に満ちた瞳で笑っていた「彼女」と海はよく似た笑顔で問う。

 どうやって自分を生み出し、妹の目を奪った黒幕から解放してくれるのかではなく、そんなことは眼中にないと言わんばかりに彼女は問う。

 

「魔術師としての業」と、「人間種としての起源」から解放してくれるのか? と。

 

 海はもうゴンに怒ることも諦めて笑っていることをゴンは思い知り、言葉が出てこない。

 自分の言った事の何が悪かったのかもわからない。海が何を言っているのかもわかっていない。

 けれど、自分に何が出来るのかと訊かれても何も答えられないのに、自分の無力さを棚に上げた発言に対して海に、もう怒ることさえも無意味と見限られたことだけはわかったから、だからとっさにゴンは「ごめんなさい」と叫びかけた。

 

 自分は何もできない、無力であることを認める謝罪を吐き出しかけたが、それは口から出てくる前に掻き消される。

 

「黙れ!」

 

 キルアが、叫んだ。

 あれほど海の怒気に怯えていたキルアが一歩、力強く足を踏み出して叫ぶ。

 

「何が『救ってくれる?』だ!! 訊き返すくらいなら、救われたいのなら素直に『助けて』って言いやがれ!!

 そいつが! ゴンが純粋すぎてバカで迷惑でバカで残酷でバカなことくらい、お前じゃなくたって知ってるんだよ! そいつは本当にバカだから、勢いだけでもの言ってなんかやらかして周りに迷惑かけて呆れさせるのはいつもの事なんだよ!

 お前に言われるまでもなく、誰だって知ってるんだよ!!」

 

 海に対してキレているようだが、何故かどちらかと言うとゴンに攻撃しているとしか思えないほどバカを連呼して、キルアは叫ぶ。

 主張する。訴えかける。

 

「そんなバカだからこそ、どうしようもない袋小路にいてもその袋小路をぶっ壊して、こいつはいつだって助けてくれるんだ! 助けに来てくれたんだ!!」

 

 ゴンがどれだけ、飛び抜けたバカかを勢いだけなのに懇切丁寧に訴える。主張する。

 そんなバカだからこそ、救われたと彼は言う。

 

「端から諦めてるんなら、『救ってくれる?』なんて訊くな! ゴンのことを何も知らないくせに、俺達が何も知らないことに勝手に見限って、無力だと決めつけて諦めるな!!」

 

 ゴンも自分で認めかけた、認めてしまいそうになった「無力」であることを否定する。

 諦めた彼女自身が愚かだと、キルアは泣き出しそうな声で訴えかける。

 

「諦めてないのなら、素直に『助けて』って言えばいいんだよ!!

 諦めてるくせに、何も知らないくせに、ゴンを……俺たちのやりたいことを否定してんじゃねぇよ!!」

 

 諦めるなと、言った。

 海にも、そして……ゴンにも。

 

 殺してしまいたかった。何も気づいていない内に、殺してしまえたら楽だった。

 だけど、知ってしまったから。気付いてしまったから。

 クラピカと、そしてパイロに目を奪われた時のソラと同じように、思ってしまったから。

 

 例え自分たちの悲劇を期待して作り出され、利用されて使い潰される宿命(さだめ)の偽物だとしても、それでも本来なら出会えるはずがなかった出会いだから。

 願いが叶うのなら、会いたいと願っていたであろう人だから。

 会ってみたいと思っていた人だから。

 

 だから、どうしたらいいかわからなくても、自分に何の力もないとわかっていても、それでも諦めたくないからここにいるのに、あの女神のように笑う彼女が気に食わなかったからキルアはブチキレて叫んだ。

 女神のように自分たちも知らないこの世の全てを知っているからこその諦観ならまだ許せたが、彼女の諦観は許せない。許せる理由などない。

 

「どんなに優秀でも、お前は全知でも万能でもないのなら諦めてるんじゃねぇよ!!

 ゴンも! お前は自分がバカだってことはわかってんだろ! 何であいつにバカだの何だの言われた程度で止まってるんだよ! いつもの暴走機関車はどうした!?」

「私は愚かや残酷とは言ったけど、バカはあなたしか言ってないわよ」

「お前、いらないとこだけ妹そっくりだな! 空気読め! んな主張、今すんな!!」

 

 キレたキルアの主張はゴンにまで飛び火してきたが、その飛び火した叱責に海は再び目を閉ざして当初のマイペースさを取り戻して普通に突っ込み、キルアは逆ギレた。

 その逆ギレに思わずゴンは、普通に笑ってしまう。

 

 笑って、言った。

 

「ははっ、そうだねキルア。さすがにあそこまでバカって言われたのはちょっと傷ついたけど、どうせバカなら考える方が無駄だよね!」

 

 ゴンはキルアのバカ連呼に傷ついたと言う資格のない結論を出し、両足を軽く広げて踏ん張り、構える。

 オーラを練り上げ、纏うオーラの密度を上げて、そして迷いも後悔も振り切った、どこまでも透明な眼で海を見据えて宣言する。

 

「うん。海さん、俺はあなたを助けるよ。

 あなたに信頼されてなくても、俺一人じゃ何も出来なくても、それでも俺は一人じゃないから! キルアもいるし、今はいないけどクラピカもレオリオもそして……ソラもいるから!

 だから絶対に、あなたを助けるよ!!」

 

 その宣言に、海は肩を小さくすくめて息をつく。

 それはあまりにも向こう見ずで考え無しな言動に、呆れているようにも見えた。

 けれど、これもやはりゴンがそう思いたいからそう見えただけかもしれないが、ゴンには少しだけ自分やキルアの前向きさに……諦めないことに感嘆しているようにも見えた。

 

「……若いって羨ましいわ」

 

 その呟きは皮肉だったのか本心だったのかは、わからない。

 

 * * *

 

 見た目は自分たちよりわずかに上程度だというのに、纏う空気も雰囲気も全てが自分たちどころか現在のソラよりも大人びている所為で、キルアはやや本気で「お前はいくつだよ?」と彼女の呟きに対して突っ込んだ。

 その呟きを無視して海は、掌でビー玉を弄びながら訊く。

 

「それで? 私を助けるというのなら、どうする気?」

「え? えーと………………キルア~……」

「早ぇよ! 俺に頼るの早すぎるわ!!」

「………………うちの愚妹でも、もうちょっと考えてからモノ言うわよ」

 

 海の問いに、「助ける」と言い切ったゴンが目をきょとんと丸くして数秒ほど黙り込み、そして困り果てた様子でキルアに助けを求めて、当たり前だがキルアにキレられた。

 さすがの海でもこれは呆れたのか、もはや皮肉ではなく素の感想らしき言葉を投げかける。

 

 そしてそのあまりの考えなしに同情心でも湧いたのか、また小さく息をついてから彼女は掌で弄んでいたビー玉を巾着袋に直したかと思えば、ブツブツとまた短く、だけど最初よりもやや長く呟いてから提案してきた。

 

「とりあえず、私と戦ってみたらどうかしら? 一応、私はあの変態にとって必要不可欠な駒だから、私が戦闘不能にでもなれば、あなた達が言う『黒幕』が私を回収に来るわよ」

「……ずいぶんと好意的だな?」

 

 海の提案が確かに今の所一番生産的だが、そんな提案していいのかと思ってキルアが訊く。

 答えは当初の「置換魔術(フラッシュ・エア)」について訊いた時と同じくらい期待してなかったし、答えたとしたらやはり強者としての余裕からこそだと思っていたが、予想外に海は力強く言い放つ。

 

「正直に言わせてもらうと、私は本当に本当に本当にあの眼球フェチかつペドフィリア疑惑のナルシストな変態をさっさと誰か殺してくれないかしらって思っているのだから、そりゃあの子の事が好きとか嫌いと関係なく、あの変態の敵には好意的になるわよ」

「お前本当にそいつに逆らえねーのかよ!?」

「逆らえたら今ここで言うまでもなく、私が自分の手で()ってるわよ」

 

 本当に海にとって自分が黒幕に生み出されて逆らえずにいることが不本意だというのがよくわかる程、「本当に」を強調して連呼して言い切り、思わずキルアはまた反射で突っ込んだら海はその突っ込みに被せ気味で主張してきた。本当に、心の底から嫌なようだ。

 

「わ、わかった! 海さんに怪我とかはさせたくないけど、そういう事ならやるよ!」

 

 海が本当にソラの姉なのだなと、ゴンは狼狽しつつも深く納得して海の提案を受ける。

 しかし提案してきた側は、ローテンションで「そう」と答えて気だるげに忠告した。

 

「私個人としてはあなた達を応援したところだけど、これでも私はあの変態に逆らえないから頑張ってね」

 

 言いながら、ザラリと無造作にビー玉やおはじきがいくつも詰まった巾着袋を逆さまにした。

 口は開いているので、重力に従って十数個のビー玉と数十枚のおはじきが地面に落ちてゆくが、それらはいつまでたっても地面に到達しない。

 

「いっ!?」

「げっ!?」

 

 その理由を目の当たりにして、ゴンとキルアは改めて自分たちの相手が何者かを思い知る。

 

 相手は、魔術師。

 それもソラは姉の事を「自分なんて足元にも及ばない、魔法使い級の才能と実力を持つ魔術師」だと言っていた。

 

 それは決して、身内のひいき目でも亡くした姉に対する罪悪感や憧れが重なったフィルターでもない。

 海自身が研鑽し続けてきた、実力そのものであり武器どころかもはや兵器レベルの礼装である宝石がなくとも、基礎中の基礎、下位と言い切った魔術の組み合わせだけでも、最大限の効果を発揮してくる真の実力者であることをゴンとキルアは思い知る。

 

 海の周囲を包むように、壁のように、海が無造作に落としたビー玉やおはじきは全てヒュンヒュンと音を立てて落下し続ける。

 この女、自分が落としたビー玉等の落下位置の空間と自分の周りの空間を繋げて落下距離を伸ばし、さらにまたそこからの落下位置の空間をその真上に繋げ、落下をループさせやがった。

 海の周りでビー玉とおはじきが落下している高さは1mほどなのだが、ループしているという事はそのループ数だけビー玉とおはじきの落下している距離が伸びているという事。

 

 つまりは100もループすれば100mの高さから落とした並のGがかかった威力のビー玉とおはじきになるという事を、キルアだけではなくゴンも理解したのはその青い顔色と引き攣った表情で明らかだ。

 

 そしてそれだけでもえげつない威力の魔弾と化しているものに、海は追い打ちなのか忠告なのかよくわからない事を付け足すようにしれっと言う。

 

「あと、これに付加しているのは強化だけじゃなくて重力増加……私が落とされた時に私自身に掛けた魔術と逆効果のものを掛けたから、本当に気を付けた方が良いわよ」

「鬼かお前は!!」

 

 本心からのキルアの突っ込み兼、海に対する評価が合図となる。

 海の周囲を壁のように囲ってループしていたビー玉とおはじきが、弾けるように四方八方を飛び交った。

 

「「ぎゃあああああぁぁぁぁっっ!!」」

 

 ゴンとキルアは悲鳴を上げて、練り上げたオーラを放って“纏”の密度を上げつつ、小柄ですばしっこい子供の利点を生かしてひたすら逃げ回る。それしかない。

「肉を切らせて骨を断つ」戦法で、まだ習って間もない“堅”で飛び交うビー玉等を受け止め、海へと間合いを詰めようかとも二人は考えたが、そこらのコンクリートの建物にビー玉が当たるとボウリングの球でも投げつけたかのような音と、めり込んでもひび割れすらしていない小さなおはじきを見たら、キルアはもちろん無鉄砲なゴンでも「それは最終手段!」と心に決めた。

 

 海の「ビー玉等の落下位置の空間を別の空間に繋げる」という単純極まりない攻撃手段は、強化系の肉弾戦と同じく単純だからこそ対処が困難を極めた。

 

 しかも海は最初の「試し」としてゴンの頭に落とした時のように、そして落下距離を伸ばしてGを掛ける為にしていた時と違って、今度は繋ぐ空間が「上」とは限らない。

 もはや十分すぎるほど加速してGをつけられたビー玉とおはじきは、横や地面に空間が繋げられても拳銃で発砲された銃弾のようにそのまま勢いよく飛び出してきては、またその発射先の空間がどこかに繋がり、多少は周りの壁や地面にめり込むことで数は減るが、勢いはさらに増してゆく。

 

 天空闘技場にいたギドという男の独楽を思い出させるが、あれよりも殺傷能力がはるかに高く、しかも空間を出鱈目に繋げている所為でどこから飛んでくるかわからないという、神経をひたすらにすり減らす攻撃だけでも厄介なのに、海はキルアの評価通り本気で鬼だった。

 

「ガンド」

「まだ飛び道具増やすか、てめぇは!!」

 

 置換魔術によるビー玉とおはじき乱舞だけでも避けるのに精一杯だと言うのに、この女は合間合間にソラもお得意のガンドをぶっ放す。

 不幸中の幸いは、ソラのガンドは“凝”状態でも陽炎のように空間が歪む球体という見えにくさに対し、海のガンドは黒い球体なので夜だがもうとっくに眼が慣れている、そもそも野生児&元暗殺者という環境ゆえに夜目が効く二人には、それを避けるのは飛び交うガラス片と同じくらいの難易度だった。

 

 が、海に悪気があるのかないのかは不明だが、本当にこの女は鬼である。

 

「そうそう。言い忘れてたけど私のガンドはあの子と違って正当派なフィンの一撃……、心停止の呪いよ。

 まぁ、魔力(オーラ)でガードしているあなた達なら一撃くらい喰らっても即、心停止はしないと思うから大丈夫よね?」

「やっぱ殺す! この鬼姉やっぱ殺す! ソラも許してくれるよなこれ!?」

「落ち着いてキルア! ソラも確かに許しちゃいそうだけど、落ち着いってぎゃーっ! ガンドまで空間繋げて飛ばしてこないでーっっ!!」

 

 海の殺傷能力が高すぎる効果と期待できない気休めの言葉に、迷いや躊躇が吹き飛ぶほどにキルアはブチキレて、ゴンは必死で彼を宥めて止めようとするが、海は遠慮なしにガンドまで同じように空間を繋げてあさっての方向から飛ばしてきて、割と本気でゴンを泣かしにかかる。

 

「……これ、収拾つくのかなぁ?」

 

 思わず、キルアによって破られた窓からゴンが飛び降りてから実はずっと見下ろして見ていたレツが、困惑しながら呟く。

 殺意が色んな意味で高い状況なのだが、飛び交うのが色とりどりのビー玉とおはじきと黒い球、それをギャーギャー騒ぎながら避けまくる子供は、傍から見ると緊張感がまるでない。

 最初の言い合いの方が緊迫していて不安だったが、今は正直言って海に遊んでもらっているようにしか見えない。

 

 そしてレツと同じことを彼女も思っていたのか、海は呆れたような息をつき、逃げ惑う子供たちに向かって歌うように言った。

 

「―――『神よ、願わくば私に、変えることの出来ない物事を受け入れる理性を、変えることの出来る物事を変える勇気を、そしてそれら二つの違いを常に見極める叡智を授けたまえ』」

 

 強化と重力増加の魔術が施されたガラス片とガンドの乱舞はもちろん手を緩めないまま、海は自分の座右の銘を……妹も覚えていた、それはもはや座右の銘ではなく彼女自身を表していると言っていた「ニーバーの祈り」を口ずさみ、尋ねる。

 

「私が『変えることが出来ない』と受け入れた物事を、あなた達は『理性』ではなく『諦観』だと言うのなら、あなた達の選択こそが『二つの違いを見極める叡智』だと言うのなら、……あなた達はどうして私に『変える事が出来る物事を変える勇気』を見せてはくれないの?」

 

 閉ざしていた目を開き、空っぽの、伽藍堂の眼で告げる。

「逃げまわるだけか?」と。

 

 その言葉が、彼らを奮い立たせる。

 

 * * *

 

「キルア!」

「あぁ、許してやるよ! もう一緒にソラの自分を棚上げした説教くらってやるよ!!」

 

 ゴンが今まで以上にオーラを全身から放ちながら、キルアを呼び掛ける。そしてキルアもその声に応じる。

 打合せなどする必要はない。彼が何をしようとしているのかなんて考えるまでもなくわかっているし、考える必要もないくらいに簡単なことしかしない。

 そして自分がすべきこともわかっている。それを、ゴンだって言うまでもなく期待していることだって。

 

 だからキルアはヤケクソ気味で許可を出し、許可を出されたゴンは「待て」から「よし!」と言われた犬のように、真っ直ぐ走り抜ける。

 さすがにガンドは当たった時の効果がオーラでガードしていてもどうなるかわからなくて怖いのと、ビー玉等よりは数が少なくて勢いもないので回避するが、それ以外、360°からのマシンガン掃射に近いほど乱舞する強化と重力増加されているガラス片は避けるのではなく、「最終手段」である最大出力の“堅”でガードしながら真っ直ぐに、最短距離で海へと距離を詰める。

 

 そんな愚直な手段で「勇気」を見せるゴンに、ほんのわずかだが海の表情がほころぶ。

 

「素直な子ね。けれど、あなたは『敵』である私を信用し過ぎよ。

 まぁ、嘘はついてないけれど。言ったでしょ? 私の残弾は『ほぼ』ゼロだって」

 

 しかし、ゴンの行動を褒めるように喜ぶようにほんのわずかに口角を上げつつも、黒幕の命令に逆らえないからか、それとも彼女自身の素の性格なのか、この少女は本気でどこまでも、相手が誰であっても容赦はなかった。

 ビー玉やおはじきが入った巾着袋を出したポケットとは反対側のポケットから、彼女はゴンに皮肉げな言葉を告げつつ取り出し、嫋やかな指先で摘まんで見せつけたのは、ウズラ卵大の赤い赤い宝石ひとつ。

 

「げっ!?」

 

 見比べたら素人のゴンでもわかる、明らかにその辺を飛び交うガラス片とは違う鉱石を確認してゴンは思わずビー玉やおはじきがぶつかっても耐え続けた声を上げる。

 

 嘘は確かに言っていない。

 彼女は「残弾がほぼゼロ」「ソラが知らなかったからほとんど再現できてない」と言っていた。決して、「ゼロ」や「再現できなかった」と言い切りはしていない。わずかなら持っているというヒントをむしろ与えてくれていた。

 

 そのヒントに気付けなかったゴンに海は少しだけ残念そうな息をついて、けれど自分が持つ宝石を見て顔は引き攣っても、ガラス片の掃射を浴びながら自分に向かうことを諦めない、見えていなくてもわかる消えない光をその眼に灯し続ける彼に口元をほころばせつつ、握りこんだ赤い宝石をゴンに向かって親指で弾いて起爆の言葉を告げる。

 

「焼き穿て」

 

 妹と同じくシンプル極まりない起爆の言葉だが、その効果や魔術そのものの精度は確かにソラよりはるかに上。

 ソラの宝石魔術の効果は火属性ならそのまま燃え出すか爆発するという、たった一つの効果しか込められていないのに対し、海は槍のように「刺し穿つ」という効果を火に付属された宝石は炎の槍となり、そのまま真っ直ぐ正面のゴンに向かって灼熱の切っ先を伸ばす。

 

「うわっ!!」

 

 そしてさすがにその灼熱の槍はガンド以上に当たりたくない物、というか“堅”どころか直撃位置に“硬”でガードしても効果が期待できないものだと感じとったので、ゴンは間一髪で前方に飛び込むようにして炎槍を避ける。

 

 彼が避けたことに気付いているのか、海の唇はまだわずかに笑っていた。

 見えていなくても気付いているのだろう。ゴンの眼から光が消えていないことも、彼が「これは想定外だったけど作戦通り!」とでも思って笑っていることも。

 

 そんなの、海の方だってお見通しだ。

 

「凍て捕えろ」

 

 だから海は半身をひねり、赤い宝石と一緒に取りだしつつも握りこんで隠していた青い宝石を放り、同じく起爆させる。

 

「!?」

 

 青い宝石に込められた氷の魔術が、蔦のように地面を張って“絶”で気配を消していたキルアの足を捕える。

 ゴンがオーラを放出して真っ直ぐ突っ走る事で海の気を引き、キルアが気配を薄め、消し、ガンドとガラス片が乱舞していた空間から逃れてそのまま海の背後に回って奇襲という作戦は、最初から読まれていた。

 

「甘い」

 

 だから海は、厳しく率直に評価を下す。

 が、海の延髄に手刀を落とそうとした体勢のまま、氷の蔦に束縛されたキルアは不敵に笑い、自由な口を動かして言い返す。

 

()()()()!!」

 

 背後で、自分と同じように気配を“絶”で消して、ギドとの最初の試合のように己の純粋な反射神経と集中力のみで乱舞する独楽を避け続けた時と同じように、海の置換魔術によるガラス片とガンドを避けてやってきたゴンが、拳を振るう。

 

 作戦は、ここまでだ。キルアだって宝石魔術は想定外だが、初めからゴンを囮にした程度で海のマークから自分が外れる期待なんてしていない。

 最初から囮は自分。自分が奇襲をかけると思わせることで、ゴンを海のマークから外させることが目的だった。

 

 キルアの言葉で、海は勢いよく振り返る。

 そしてその勢いのまま腰をやや下ろして体勢を少し低くしつつ右手を突きだして、自分に向かって殴りかかろうとしていたゴンのみぞおちに掌底をカウンターで決めて、ゴンを吹っ飛ばした。

 

「………………は?」

 

 海に気付かれないように兼、オーラを込めた攻撃だと肉体はおそらく普通の少女であろう海が気絶では済まないと思ったのか、“絶”状態のままだったのでゴンは自分で出した勢いをそのまんま海に返されて、気持ちいいくらいポーンと後ろに吹っ飛ぶのを、キルアは目を丸くして見送ってしまう。

 

 そんなキルアに振り返り、海は言う。

 

「だから言ったでしょ。甘いって」

「何でお前ら姉妹、魔術師の癖に肉弾戦も得意なんだよ!?」

「知らないの? 護身術は美人の常識。格闘技は淑女の嗜みよ」

「知らねーよ! お前らの世界の美人で淑女は全員アマゾネスかよ!?」

 

 正直、本命がゴンであることも読まれていたことに関しては悔しいがまだ想定内だが、“絶”状態とはいえ実戦慣れしているゴンを一撃で吹っ飛ばすほど、魔術師としてではなく素の身体能力も高いという想像は見かけと言動に騙されて全くしていなかったので、キルアは未だ氷で束縛されたままキレる。

 しかしキルアの言い分を、海は腰に手をやって胸を張ってドヤ顔で切り捨てた事で、キルアは本当にこの女がソラの実姉であることを思い知る。

 

「誰がアマゾネスよ。せめてヴァルキリーあたりに例えなさい」

 

 キルアの正論に海は図々しいのだが容姿的に妥当な要求をしつつ、パチンと指を弾き自分の背後でまだゴンや周囲に命中せずに飛び交い続けていたガラス片を最初のように空間を繋げ、ループさせて加速させる。

 

「それで? これで終わり? ならばあなた達の見せたものは結局、『勇気』ではなく『蛮勇』だったことになるけれど、いいのかしら?」

 

 今度は、キルアは何も言い返せなかった。

 思ったより強力な魔術ではないのか、キルアがオーラを放てば自分を拘束する氷の蔦がひび割れていくのを感じるが、それでもこの拘束を解くにはあと数十秒は掛かると判断している。

 自分が拘束を解くよりも、海があのガラス片を今度はキルアに集中砲火する方が確実に早いし、その攻撃に耐えれたとしても、運が良く拘束が先に解けて回避することが出来ても、おそらくはもう海の間合いに入り込む隙はない。

 あったとしても、その前に自分もゴンもオーラが尽きるのが目に見えていた。

 

 キルアの理性が、「万策が尽きた」と諦める。

 頭の奥で(イルミ)が、「だから言っただろ?」と失望の眼と言葉を向ける。

 

 そして、目の前の海がわずかにほころんでいた、笑っているように見えたその顔をまた人形のような、無機質な無表情に戻して言う。

 

「……どの口が、『諦めるな』と言うのかしら?」

 

 無表情で、兄のような人形じみた顔で、それでもソラによく似ている顔で失望を露わに海は呟き、再び指を鳴らす。

 

 海の背後でループを続けていたガラス片の半分ほどが消え、そしてキルアの目の前が陽炎のように空間が歪む。

 

(――だめだ! ()られる!!)

 

 せめてもの抵抗にオーラを全力で発しながら、キルアはとっさに目を閉じる。

 その瞬間、キルアの全身に衝撃が走り、自分を拘束していた氷の蔦が割れて消えてゆくのを感じながらキルアは後ろに倒れ込む。

 

 衝撃は受けた。

 けれどそれは自分が予測していた、覚悟してたよりもはるかに小さいものだった。

 どうしてその程度で済んだのかは、考えるまでもない。

 

「うぐっ!!」

「!?」

 

 自分に飛びかかるように抱き着いてきた温もり、その温もり越しの衝撃。

 動けない、逃げられない自分の盾になってくれたから。自分の代わりにその衝撃を全部引き受けてくれたから。

 

 全部わかっているのに、けれど信じられずにキルアは目を開けて、目の前の光景が嘘であることを願って自分に覆いかぶさる親友を呼び掛ける。

 

「ゴンっ!!」

 

 海からの攻撃を“堅”でガードしながらとはいえ突き進みながら受け続け、そして無防備な腹にカウンターで一撃を喰らってブッ飛ばされたはずのゴンが、キルアを庇った。

 彼も“堅”をしていただろうが、もう既にだいぶオーラを使っている事と、海からの無防備だったところに決められた一撃のダメージで最初ほどの強固な“堅”は出来なかったはずだ。

 だからこそ、今のゴンは立ち上がることも出来ず痛みに呻いている。

 

 それでも、ゴンは自分を抱えるキルアを見上げて言った。

 

「キルアは……逃げて……!」

「え……?」

 

 キルアよりはるかにボロボロに傷つきながら、呼吸すら辛そうなのに、彼は呼吸よりも優先してキルアに自分の望みを伝える。

 

「早く!」

 

 せめて彼だけでも、逃げて欲しいと。

 出来る訳ないのに、したくないのに、それなのにゴンはどこまでも純粋に、無垢に、愚かに、残酷に願った。

 

「……本当に、酷い子」

 

 そんな二人を、残酷な願いを乞うゴンと、その願いを叶えられずに泣きそうになっているキルアを、目を閉ざしたまま海は見下ろして、キルアの胸の内と同じ評価を呟く。

 人形の面が、わずかに悲しげに歪む。

 

 その表情は、今までで一番ソラに似ていた。

 ソラによく似た顔で、彼女は右手を掲げて指を鳴らすと、今度こそ自分の背後でループさせていたものを全て消えて、自分たちの頭上の空間が歪む。

 

「ゴン! キルア!!」

 

 ホテルで観戦していたレツが、もうお遊びでは済まなくなっているのを感じ取ったのか悲鳴のような声を上げるが、キルアの耳には届かない。

 

 届いたのは、色とりどりの魔弾と化したガラス片の雨の中聞いたのは、悲しげな謝罪。

 

 

 

「――――ごめんなさいね。……空」

 

 

 

 自分たちにではなく、妹に向けられた謝罪を確かに聞いた。

 

 * * *

 

 確かに、もう既に数キロに達するほどの落下を続けて加速したガラス片の雨が降り注いだはずだった。

 だがそれは、ゴンの残酷な懇願と海の失望に重ね見てしまったソラの面影によって、逃げることはおろかゴンのように“堅”で彼を庇ってやることも出来ず、ただ呆然と座り込んで見上げていたキルアの元には届かなかった。

 

「!」

 

 届く前に、その前に海の顔が悲しげな失望から何かに警戒する険しい顔になり一度手を叩くと同時に、キルア達に降り注いでいた凶悪な魔弾は、また空間の揺らぎに飲み込まれて消えていく。

 そして消えたガラス片を、今度は振り向きざまに横から放出して撃ち出す。

 

 海の背後に、キルアやゴン以上の精度で気配を殺した「何者」かに海は気付き、警戒して攻撃の矛先を変えた。

 

「ちっ!」

 

 気付かれたのは想定外だったのか、相手は舌打ちしながらも歩を緩めない。

“絶”から切り替え、体の内側で練り上げていたオーラを解き放ち、走り抜けながら、獲物に手を掛けて抜いた。

 

 自分に向かって真っすぐに飛び出してくる、どれもこれも小石程度の大きさでありながらボウリングの球をライフルで撃ち出したかのような威力となっている魔弾を、最低限の動きで避け、オーラを込めた刃で切り払い、全弾無効化して駆け抜ける。

 

 いかに空間を出鱈目に繋げても、半径4m以内ならばそれは自分の支配下。

 足を止める必要はない。止める理由はない。

 駆け抜け、走り抜け、自身の“(テリトリー)”に少女が入った瞬間、そのか細い首めがけて刃を振るう。

 が、ゾワリと背筋に走った悪寒に反応して、神速の域に達していたはずの居抜きが止まる。

 

「あら、残念」

 

 止めて正解だ。

 全く残念そうには思えない棒読みで、海は言う。

 彼女の首の少し手前の空間を置換し、相手の首にその刃の切っ先を突き付けながら。

 止まらなければ、止めることが出来なければ自らの手で自分の首を切り飛ばしていたという事実に冷や汗が一筋流れ落ちる。

 

 止まったのは一瞬だが、その一瞬で十分だった。

 海は棒読みで「残念」と言いながら後方にふわりと軽やかに、妖精のように華麗に跳んでそのまま空間の揺らぎの中に飲み込まれて消える。

 

 逃げられたことに舌を打つが、それは逃げられた悔しさよりも相手の厄介さを思い知っての舌打ちだ。

 空間を繋げるという能力は先ほどのガラス片の掃射でわかっていたからこそ、その空間が繋がった時に起こる陽炎のような揺らぎを注視していた。

 だから、よほどのギリギリにその空間の揺らぎが発動しない限り、その置換された空間を抜刀の軌道をずらして避けて切り払えた自信はあった。

 

 その、「よほどのギリギリ」をあの少女はやってのけたのだ。それも、一切怯えもしなければ焦りもせず、呼吸をするような自然体で。

 偶然などではない、完全な実力だと理解しているからこそ悔しげに舌を打ち、彼はそこに残っている子供二人に視線を向ける。

 

「ちっ! おい、何なんだあのクソ恐ろしい嬢ちゃんは」

 

 その問いの答えは返ってこず、代わりにようやく金縛りが解けたキルアと痛みがだいぶ引いたゴンが目を丸くして声を上げた。

 

 

 

「「ノブナガ!?」

 

 

 

 いきなり乱入してきて海を退かせたのは、着流しを纏った浪人風の男。幻影旅団の団員、ノブナガだった。

 

「あぁ、そうだよ。それがどうした。知らないなら知らないでいいから、質問に答えろ。

 っていうか、マジで何者だあの嬢ちゃんは。変な気配を感じるが、いくら歩いても探ってもグルグル同じ場所を回らさせたってだけでも反則的なのに、あんな細かいテレポート連発できる能力者なんて聞いたことねぇよ。それも、おめぇらより少しばかり年上の嬢ちゃんだなんて、何の悪い冗談だ?」

 

 質問に答えない、今更過ぎる反応を返す二人に苛立ったのかまた舌打ちをしつつも、別に彼らに危害をくわえる気はないらしく、敵意や殺気を引っ込めてノブナガは二人の元に近づきながら、一方的に話しだす。

 そして彼の質問なんだか愚痴なんだがに応えたのは、やはりまだ現状把握が出来ていない二人ではなかった。

 

「ご光栄な評価ね。けど、あなたも十分凄いわよ。あの居抜きを直前で止めることといい、私の人避けの結界を一部壊して入り込んだことといい」

 

 声がした方に視線を向けると、ゴン達が止まるホテルの対面の建物の屋上に立って海は3人を見下ろしながら言った。

 どうやらノブナガの間合いからは離れただけで、逃げ出す気はまだないらしい。

 

「やっぱあの壁に彫られてた変なマークが原因か」

 

 海の言葉にまた舌を打って、ノブナガは一人で愚痴る。

 言われて、あれだけ派手に自分たちが騒いでいたのに、真夜中であるのを引いても誰も出てこない、騒がない、野次馬が飛び出してこないことに今更だがキルアは気付く。

 おそらくは海の言う通り、自分たちの部屋に忍び込む前に周囲に人避けの結界を張って、それをたぶんノブナガの“円”が結界の一部、魔力(オーラ)を込められた何かに気付いて破壊したことで、彼は切り離されて異界と化していたここまで辿り着けたのだろう。

 

「正解。とても精度が良いのね、あなたの“円”というのは。もう少しで『固有結界』の域にまで達するかもしれないから、そのまま精進したらいいわ」

 

 見つけられて破壊されるのは本気で予想外だったのか、海は本心から感心した様子で語るが、14歳ほどの少女から上から目線で感心されても癇に障るだけである。

 なのでノブナガは再び殺気を吹出しながら睨み付け、言った。

 

「生意気な口を聞いてんじゃねぇ、オモカゲの操り人形が……!」

「オモカゲ?」

 

 ノブナガの怒気が籠った言葉の中に出てきた名前に反応して、キルアの肩を借りながら立ち上がったゴンがオウム返しするが、ノブナガはヨークシンではあんなにお気に入りだったゴンの言葉も耳に入っておらず、彼は海を見上げながら話を続ける。

 

「つーか、マジでてめぇは誰だ? ……ウボォーはどうした? あいつを利用するために、あいつの墓を暴いたんじゃねぇのかよ?」

「? ウボォー? ……あぁ、思い出したわ。あの変態が、『最悪の失敗作』と喚いて八つ当たりして壊していた人形の元となった人の事ね」

「……『最悪の失敗作』だと?」

 

 もはやゴンやキルアを置いてけぼりにして話は進んでいく。

 二人の眼中にもない、放っておいても問題ないと思われていることに悔しさを感じながらも、それでもゴンは諦めていないからこそ今は回復のチャンスだと言い聞かせ、オーラを体に巡らせ回復に専念し、キルアも二人の話から情報を少しでも抜き取ることに集中し、余計な口は挟まない。

 

「えぇ。彼、あの子の眼で、よりにもよって人間の器で出せる最高精度で殺されたから、あなたの『心』から作り出しても姿と記憶、性格は再現できても『念能力』は無理だったのよ。それはもう誰の手にも届かない深淵に溶けて沈んだものだから。

 そこで諦めたら良かったのに、あの変態は彼の墓を暴いて奪った彼の眼球を人形に与えた結果、……完膚なきまでに殺された本物の一部なんか与えちゃったものだから、そこから連鎖的に人形としての彼も死んでしまい、今度こそ誰の『執心』を材料にしても、もう形だけしか作れない、動き出すことはないものにしちゃったのよ」

 

 海が何を言っているのかはほとんどわからない。

 だけど、ノブナガが何故この場にいるのか、彼の殺気は何が原因なのかだけはわかった。

 ヨークシンの時と同じく、彼は親友の為にいることだけはゴンもキルアも理解出来た。

 

「……ちっ! 『あの子』って、ソラ=シキオリの事か? マジで何もんだよ、てめぇ……。だが、あいつにウボォーが利用されずに済んだってとこだけは、あの女に感謝だな」

 

 ノブナガの方は海の説明で全部理解出来たのか、ボリボリ頭を掻いて呟く。

 先ほどからおそらくは「オモカゲ」という男の事を「変態」としか言っていないことから、彼も海自身が「オモカゲの操り人形」であることを不本意に思っていることを察したのか、海に対しての殺気は薄まってゆく。

 

 だが、あくまで薄まったのは「海に向ける殺気」である。

 

 だからノブナガは本来向けるべき相手に、爆発寸前の殺気を向ける。

 海ではなく、その背後に視線をやって叫んだ。

 

「元旅団(クモ)の分際で、ずいぶんと舐めた真似をしてくれたな……。

 いるんだろ? オモカゲ!!」

 

 ノブナガの言葉の直後、彼が睨み付けていた空間が揺らぎ、そこから一人の男が現れる。

 背は高いが病的に痩せた体に纏うのは、奇妙なデザインの外套。月と星の灯りに頼るしかない夜でもわかる程青白い顔に、長い銀髪。

 遠くて顔は良く見えないが、それらの特徴はすべて一致していた。

 

 ソラがパイロの視界と共有してみたという、おそらく「黒幕」と思える男の特徴と。

 

「クククク……」

 

 低く笑いながら海の傍らに男は立ち、そして3人を見下ろす。

 海と同じ、空っぽの、伽藍堂の、闇だけが埋まっている眼窩で、禍々しいオーラを立ち昇らせながら。

 

 その禍々しいオーラに気圧されそうになりながらも、キルアとゴンは男を強く睨み返す。

 すると男はまるで見えているかのように恍惚とした様子で、笑いながら語り出した。

 

「うふふ……。どこまでも透明な瞳、闇を湛えた純粋な瞳、……そして親友を侮辱された怒りに燃える瞳……。

 どれもこれも素晴らしい! 君達3人の眼は、一晩中愛でていたい宝石のようだよ!」

 

『……………………』

 

 男の発言に、思わずゴンとキルアだけではなくノブナガも黙り込む。正直、外見よりも両眼がこいつもない事よりも、この発言で間違いなくこいつはソラが見た男だと確信できた。

 が、その確信できた理由を言える勇気……というより空気をぶっ壊す勇気は彼らにはなかった。

 

 しかし、勇者はいた。

 

「……眼球フェチで、ペドフィリアで、ナルシストで、挙句の果てに自分の性癖を他人にカミングアウトして引かせて悦に入るって……、あなたはよっぽど変態の世界代表に選ばれたいようね」

「君は本当に空気を読まないな!! あと、ペドフィリアは本当にやめろ! 誤解だ!!」

「それ以外は認めるのね。自覚のない変態は最悪だけど、自覚あって開き直る変態は害悪よ」

「揚げ足を取るな!!」

 

 ゴンとキルアとノブナガが言いたかったことを、彼らが言いたかったセリフより9割増しぐらいに辛辣に言い放ったのはもちろん、海である。

 シリアスを一瞬で木端微塵に爆発四散させてオモカゲにマジギレされているが、海は一人シリアス続行中と言わんばかりに涼やかな美貌で凛然と、更に容赦のない言葉を返す。

 

 そんな彼女の反応にノブナガは数秒、呆気に取られてから彼は海を指さし、横のゴンとキルアに訊いた。

 

「……なぁ、もしかしてあの嬢ちゃんは、ソラ=シキオリの身内か?」

「ソラのお姉さん」

「10年近く前に死んだらしい実姉」

「そうか。納得だ。嬢ちゃん! もっと言ってやれ!!」

 

 この空気爆散兵器具合にソラの面影を見たのか、ノブナガは二人に確認を取ってから、何故かそのまま海の方を応援しだし、海も海で「任せて!」と言わんばかりにノブナガ達に向かって親指を立てた。

 

「何を了承してる!? 余計な口を叩くな! 私に話が進まないとイヤミを言っていたのはどこのどいつだ!?」

「あなたがいきなり特殊性癖暴露なんて自慰行為しなければ良かっただけでしょう?」

 

 まったく悪びれずに海は言い返すが、それ以降はオモカゲが能力を駆使して海の発言に制限をかけたのか、それとも実際に話が脱線どころか横転させている自覚はあったからか、それ以上は余計な口を挟まずお人形のように黙り込む。

 

「……話が逸れたが、改めて自己紹介しておこうか。

 初めまして、ゴン、キルア。私は、オモカゲ。元はそこのノブナガと同じ、幻影旅団の一員だった『神の人形師』だ」

 

 海が黙ったので気を取り直し、わざとらしく咳払いしつつ何とか空気を戻そうと努力するオモカゲをゴンはやや同情するような目、キルアとノブナガにいたっては白けたような目で見ていたが、ちゃっかりしているキルアは「『神の人形師』?」と聞き流さない方が良さそうな情報を拾い上げて呟く。

 ちなみにその自称を名乗った時、横にいる海は何も言わなかったが明らかに鼻で笑っていた。

 

「こいつの自称だ。だが、そう名乗るだけあって厄介な能力だ」

 

 横の海の反応に気付いていないのか、ノブナガはキルアの呟きに反応して意外なことに説明をしてくれた。

 そしてオモカゲの方も、知られても困らない程度にしかノブナガに情報はないことを知っているからか、止めもせずニヤニヤ笑いながら眺めている。

 その気味の悪い笑みに苛立ちつつも、せっかくの情報を逃すのは惜しいのでキルアはもちろんゴンも黙ってノブナガの話を聞いた。

 

「オモカゲの念能力……他人の記憶の中から人形を作り出して配下に加える能力は、基本的に制限ってもんがない。

 自身のオーラを人形の素体にいったん分け与えさえすれば、後は本体のオーラとは無関係に半永久的に動き続けるからな……。その気になりゃ何十体何百体と人形を操ることだって可能だ」

「!? 制限なし!?」

 

 現れたのが海一人でパイロは現れなかった為、作り出せる人形にストックはあっても今の海のように動かし、操れるのは一体だけだと思っていたキルアが、その反則過ぎる性能に悲鳴のような声を上げる。

 

 多少は懐いていた疑問……、何故ソラの姉である海を人形にすることが出来たのか、そもそもソラの眼を「異世界の魔眼」と言っていた時点でおかしかった謎は、ソラの心から作り上げたからこそ彼女しか知らない海を作りあげ、そして作り上げた海から「異世界」のことを知ったのだろうと解明されたが、それ以外は絶望感を煽る情報だけしかノブナガからは得られず、その事実にキルアは悔し気に奥歯を噛みしめる。

 

 だが、そんな彼の肩をゴンは「大丈夫」というように強く掴んだ。

 そして顔を上げ、オモカゲの不気味極まりないオーラをぶつけられても臆せずに叫ぶ。

 

「ソラの眼を奪ったのはお前なのか!? もしそうなら、ソラの眼を返せ!!」

 

 そんなゴンの言葉、反応にオモカゲはやはりニヤニヤした笑みを浮かべたまま、ゴンの言葉には答えず一人勝手に悦に入って語りだす。

 

「ククク、良い目をしている。君達のような真っ直ぐな瞳は『彼女』に適合する可能性があるからね……。やはり、君達の眼は私のコレクションに加えねばなるまいね」

(……『彼女』? 『適合』?)

 

 オモカゲの話の通じなさにうんざりしつつも、その中に気になった部分を見つけてキルアはいぶかしげな顔をする。

 一瞬、「彼女」は海の事かと思って海にも視線をやるが、海はお人形さんのようなすまし顔を続行していたので、おそらく違うと判断する。

 先ほどからのオモカゲに対する辛辣っぷりを考えたら、オモカゲの恩に着せるようなあの言葉に彼女は絶対、不愉快そうな反応を示すとキルアは確信していた。

 

 そもそも、海が散々「眼球フェチ」と言っているのでその眼球に対するこだわりと執着は筋金入りだろうが、だからと言ってソラやクラピカのように特殊な能力や特徴がある訳でもない自分達の目にも執着していることにキルアは疑問を懐く。

 基本的に人に頼らないソラが自分たちに協力を求めたのも、「ゴンやキルアの眼ならそこまで執着して狙う理由はない」と判断していたのに、どこまでも透明な瞳だの、闇を湛えた純粋な瞳だのといった主観による印象の眼、その持ち主が生きているから、その人間の眼窩に収まっているからこその眼を、ただの眼球フェチが欲しがるか? と思った。

 

「コレクションって……俺達の眼も奪い取るつもりなのか!?」

 

 なので、キルアはまだ何か情報を落とすことを期待して叫ぶ。

 おそらく奴は、海の言葉通りの眼球フェチなだけではなく、自分たちからしたら珍しくも何ともない眼でも欲する理由がある。

 それがこの不気味で反則的な能力を持つ男の付け入る隙になることを、キルアは期待した。

 

「そうだ。出来れば今すぐにでもその眼を奪い取ってやりたいところだが……、海」

 

 しかし残念ながら、それ以上有益な情報をオモカゲは落としてはくれない。

 本心から今すぐに自分達の眼を奪えないことを惜しむような顔で、横の海を呼び掛ける。

 

「メインディッシュを奪う手はずはまだ整っていないのでね……。ここは退却させてもらうことにしよう」

 

 海は心底嫌そうに、気だるげに「はいはい」と返事をしながら指を鳴らし、自分たちの背後にまた陽炎のような空間の揺らぎを発生させる。

 またしても空間を置換させて、今度こそ逃げる気であるのは明らかなのでノブナガが腰の獲物に手を掛けて、その空間に飛び込む前に重力をもろともせずに建物を駆け上がって、切りつける気でいたが、海はやはり心の底から不本意なのを隠しもせずに、だからこそ疑わしかったが本当にオモカゲに逆らえない証明に、彼を庇うようにオモカゲの前に立つ。

 そして右手を背中にやって、おそらくはシスター服のような大きな襟の後ろに仕込んでいたものを取り出した。

 

 海が取り出したものを目にして、ノブナガはオーラを広げて居抜きの構えを取り、ゴンはキルアの肩を借りるをやめて自分の足で立ちながら精一杯、今出せるだけのオーラを放って身に纏う。

 キルアもゴンを気遣う余裕などなく、同じく“纏”を維持しつついつでもどこでもどのようにでも動けるように構えた。

 

 海が取り出したものは、刃渡り15センチほどの豪華絢爛な短剣。

 海が握りこんでいるのでよく見えないにも拘らず、その柄部分には豪奢だが決して悪趣味にはならないバランスでいくつもの宝石が埋め込まれて飾られている。

 ただし刀身は硝子のように透き通っているので、普通に考えたらちゃんとした刃物として使用できるものではない。ただの装飾品、実用品だとしても華美なペーパーナイフにしか見えないものだった。

 

 しかし彼女が、式織という家がどのような魔術を受け継いで研鑽して栄えてきたのかを知っているゴンとキルアからしたら、あれをただの装飾品やペーパーナイフだと思える訳がない。

 そして式織家どころか魔術の事すら知らないであろうノブナガでも、本能が「あれはヤバい」と直感する。

 

 その直感に、海は少しだけ感心したように唇を綻ばせるが、すぐ横でオモカゲも自分の事のように笑っている気配を感じ取ったのか、あからさまに機嫌を下降させつつ言った。

 

「何というか……お互いに不運よね。私としてはこんな『失敗作』を出すのは恥ずかしくて今すぐに叩き折りたいくらいなのだけど、あの子はこれくらいしか私の礼装は知らないからこれしか再現できなかったのよね。

 そして、私の世界ならこれは世界の害悪……、下手すれば抑止力案件なのだけどこちらの世界は魔力(マナ)が豊富だから、こんな『失敗作』でも使い道があるのが……ほんとお互いにとって不運」

 

 ノブナガはもちろん、ある程度「魔術」のことを知っているゴンやキルアからしてもよくわからない事を言われたが、それを「何のことだ?」「どういう意味だ?」と問う余裕どころか思う余裕すらすぐさまなくなる。

 言ってすぐに、調子を確かめるように海がその短剣を軽く素振りすれば、短剣は膨大な黒いオーラを纏った。

 

 明らかに持っている海が放出して注ぎ込んでいるにしては膨大すぎるオーラを纏う武器……、それはゴン達はもちろんノブナガにも見覚えがあった。

 何故、自分たちが本能的にその「剣」を警戒した理由を理解する。

 

 彼らが何を理解したかを知っているオモカゲは、愉悦をその陰気な顔に刻んで嗤いながら悠々と海が繋いだ空間に、見せつけるようにゆっくりと身を沈めながら、高らかに挑発と嘲りの言葉を言い捨てる。

 

「それでは、今日の所はこの辺りで失礼させてもらうよ。だが安心したまえ。すぐに会えるし、君たちの眼は例え『彼女』に適合しなくとも、私が大事に、大切に愛で続けよう……。

 ソラ=シキオリの魔眼のように、ね」

 

 挑発だとわかっていても、その最後の発言を無視することは出来なかった。

 

「!! てめぇっっ!!」

 

 ソラの眼を、意味はわからないが「彼女」に「適合」しないとわかっていても返す気などない、ただ物として身勝手に愛でるという宣言にキルアはブチキレて一歩前に出たタイミングで、オモカゲは甲高い哄笑を上げながら置換された空間の中に消えてゆき、代わりに海が膨大なオーラを纏った短剣を振り上げた。

 

「ごめんなさいね、本当に趣味の悪い変態で。

 それから、『これ』は大師父の作り上げた『本物』とは似ても似つかない、雅さなんて欠片もない下劣なものだから、ちゃんと避けてね」

 

 まるで保護者のようにオモカゲの言動に対して海は謝りながら、挑発ではなく本心から望んでいるとわかるほど申し訳なさそうにその「剣」を評し、注意して彼女は呟く。

 

「――星よ、差し出せ」

 

 それは、ソラが奇跡の生き残りを使用する際の言葉と似ていた。

 

 頭の中で警鐘が鳴り響く。天上の美色が顕現した時と同じように、自分たちの中で「死」が噴き出し、生存本能が「逃げろ」と絶叫しているのを感じ取り、3人はとっさに海が振り下ろす短剣の軌道から逃れる為に横手に、自分たちの出来る限界にまで脚力を強化させて跳んだ。

 

 ただの偶然か、オモカゲに逆らってもそのタイミングを見計らってくれたのかはわからないが、海がその「剣」の名を告げて振り落とされたのは3人が横手に跳んだ瞬間だった。

 

 

 

 

堕天細工(キシュア・ゼルレッチ・シュバイン)宝石剣(オーグ・オルタナティブ)

 

 

 

 

 

 ソラの偽物にして決して本物に劣りはしないと証明する奇跡の欠片が放つ光の刃とは違う、漆黒の刃が撃ち出された。

 






海にとってのオモカゲは、たぶんソラにとってのヒソカ。
一応これでも、海お姉ちゃんのオモカゲに対する毒舌は初期よりマシにしてある方。

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