死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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幕間:12月29日・1月7日

【12月29日】

 

 

 

「ある種、冗談のようなあの場の空気に呑まれ、奴の説明を理解しようとすることで頭がいっぱいだった。全く前情報のない状態から奴のペースに嵌れば、おそらく心理的に作動を阻止する手はない……! だからすべて話した。俺がこの島で遭った者の中でおそらく君らが最も頼りになると踏んで……だ」

 

 アベンガネは自分の言っていることの白々しさに、内心で笑う。

 

 爆弾魔(ボマー)の情報、どうして何十人もチームを組んでおきながらゲンスルーにのうのうと逃げられた訳に嘘はないが、全てを話した理由が『この島で遭った者の中でおそらく君らが最も頼りになると踏んだ』は真っ赤な嘘。

 

 頼りにならないとは思っていない。少なくとも選考会に受かった時点で最初期の公募で参加して、現実世界に帰ることを諦めたプレイヤー達よりはずっと彼らの方が頼りになるとは本心から思っている。

 だが、アベンガネが彼らに接触を図ったのはただ単に「磁力(マグネティックフォース)」で会えるプレイヤーがゴン組だけだったという話。

 ニッケス達とチームを組んだ弊害で、他のプレイヤー達と協力や交流をする必要がほとんどなかった為、アベンガネはリスト内で顔と名前と実力が一致している人間がほとんどいなかったから、完全な消去法でゴンを選んだだけ。

 

 だからアベンガネが彼らに情報を渡すのは、「期待は出来ないが、してないよりはマシ」程度の保険。

 豚もおだてりゃ木に登る。彼らが爆弾魔(ボマー)に勝てなくても、窮鼠が猫を噛む一心で爆弾魔(ボマー)に酷い手傷でも負わせてくれたら、自分が掛けられた念の解除をするチャンスが出来るかもしれないから話しているだけだ。

 

「できれば呪文(スペル)のことなども全部伝えたいが、時間がない。残りの時間と呪文(スペル)カードを使ってあと何人かに伝えるつもりだ。

 君達も他のプレイヤーに遭ったら『爆弾魔(ボマー)』についての情報を教えてやってくれ。カラクリさえわかれば対策は立つはず……。

 

 そして、できることなら……俺達の仇を討ってほしい……!」

 

 もちろんこれらも本心ではなく、どうも子供らしく青臭くてお人好しっぽいゴンの良心を煽っているだけだ。

 他の者に情報を流してほしいのも、少しでもゲンスルー達の被害者を減らす為ではなく、やはり念解除の確率をわずかでも上げたいだけ。

 

 そもそも、アベンガネは死ぬ気などない。

 

 彼は除念師。

 森の精霊の力を借り(=森にすむ生物の生命エネルギーを集め)自らの具現化能力と合わせ、他人の放った念能力を喰う(払う)念獣を作り出す能力を持っており、死者の念はいかに念獣といえど食うことはできないが、自分に掛けられた「命の音(カウントダウン)」はアベンガネの見立て通りなら、かなり強力な念能力だが外せるレベルだ。

 

 しかしそれは、自分一人に限っての話。

 あと2,3人程度ならばまだ背負えたかもしれないが、全員は不可能。

 

 アベンガネが生み出す除念の念獣は、大きさや風貌が対象念能力によって異なり、能力の強さ・性質に準じる形態をとる。

 そして喰った念能力の使い手が死ぬか、アベンガネがその念能力の解除条件を満たすまでは消えない為、自分一人ならまだしもニッケス組全員分の「命の音(カウントダウン)」を喰うほどの念獣は、どれほどの凶暴性を持ってしまうかは想像できない。

 それこそ、生み出したアベンガネの命の保証さえできないだろう。

 

 だからと言ってアベンガネは、何人かを選んで助けてやる気もない。

 元々ギブ&テイクでしかない関係と割り切っていたので情など一切ないし、除念してやったところでゲンスルーを殺すか、アベンガネに念解除の条件が満たせる状況を作ってくれそうなほどの実力者はあの中にはいなかったのなら、除念してやったところで自分に全てを押し付けて逃げられるのがオチとしか思えない。

 

 それに自分一人だけなら一斉爆破から逃れて生き残っても、気付かれない可能性が高いと踏んでいる。

 ゲンスルーは最古参メンバーであったにもかかわらず、こんな手段を取っていることからして、自分以上にニッケス組に情などないのは明らか。そんな奴が、ニッケス組の中でも新入りで、今となっては幸だがろくなレアカードを手に入れる事が出来なかったので目立つこともなかった自分など、十中八九覚えてないだろう。

 名前を覚えていないのなら、リストでゲーム参加中の証であるランプがついていても、このリストは一定範囲内に入ればすれ違ってさえいなくても登録されて知らない名前が増え続けるので、そんな顔も知らないプレイヤーの一人にしか思わないはず。

 

 だが生き残る人間が増えれば増えるほど、気付かれる可能性が高くなり、アベンガネのリスクが上がる。

命の音(カウントダウン)」さえ外せば、ゲンスルーに勝てる可能性が極めて高い武道派の能力者がいるのならそれに賭けてみるのも手だが、ニッケス組は現実に帰ることを諦めたプレイヤーよりはマシ程度の烏合の衆。

 戦力に自信がないからこそ、気の長い人海戦術に頼った奴らになど今更何も期待していない。

 

 そんな風に彼は、どのような選択をし、行動に移せば自分にとってメリットが多い結果を出せるかを合理的に考えて行動していた。

 それなりに世話になったはずのニッケス達に同情こそすれど、見捨てることに罪悪感はなく、そして本来なら無関係に等しい子供……ゴン達を自分の都合で前線に送り出す真似をすることにも悪びれない。

 無理やりゲンスルー達の前に突きだした訳でも、大嘘をついてゲンスルー達を弱い、もしくは絶対に戦わなくてはいけないと思い込ませている訳でもないのだから、彼らが爆弾魔(ボマー)と交戦することになっても、それは自分ではなくゴン達の自己責任。

 

 そんな風に思っていた。

 

 だからこれから彼に訪れた物事はきっと、アベンガネがゲンスルーと変わらぬほどに恩知らずで自分本位だった罰なのだろう。

 

 * * *

 

「待って!」

 

 アベンガネがスペルカードの「再来(リターン)」を取り出して、ゴン達から立ち去ろうとする直前、ゴンが引き留める。

 自分の思惑に勘付かれたかと警戒し、アベンガネは「何だ? 悪いが時間が惜しいのだが……」と暗にゴンを拒絶するが、そんな遠まわしな言葉がゴンに通じる訳がない。

 

「うん、わかってる。けどお願いだからもう少し待って! それ、何とかできるかもしれないから待って!!」

「ちょっ、ゴンっ!!」

「!?」

 

 ゴンの言葉にビスケが慌てて制止を掛けるが遅すぎた。

 アベンガネは目を見開いて「それは本当か!?」と食いつき、彼女は軽く頭痛がしてきた頭を片手で押さえる。

 

 アベンガネとしては、それが本当、自分以外の除念師に心当たりが彼らにあるのなら、自分の計画を根本から立て直さなければならないからこそ焦って問い詰めているのだが、なんだかんだで素直ではないが人の好いビスケはアベンガネの真の思惑に気付いておらず、彼が食いついたのはゴンの言葉に希望を見出してしまったからだと思い、懐かなくていい罪悪感を懐いてしまう。

 

 だがゴンは自分の提案に根本的な問題があることに気付かず、彼は晴れやかな笑顔でアベンガネに言い放つ。

 

「本当だよ!!

 ソラならあなただけじゃなくて『命の音(それ)』をつけられた人全員助けられるはず!!」

「ぶっっっ!!!!」

 

 思わず、アベンガネは盛大に噴き出した。

 その反応にゴンだけではなくビスケもきょとんとした顔で見つめてくるので、慌てて彼は「す、すまない。あまりにもその……信じられない内容だったもんで……」と言い訳する。

 

 幸いながらその言葉に説得力はありすぎたので、ゴンはもちろんビスケも納得して、アベンガネに浮き出た冷や汗に気付かない。

 アベンガネはそのことにホッとしつつ、カウントが早まるとわかっていても内心で語彙力が死んだ若者のように「やばい」を連呼しながら、心臓が早鐘を落ち着かせることが出来なかった。

 

(こいつら……ソラ=シキオリ(あいつ)と知り合いかーーっっ!!

 やばいやばいやばい! 俺が除念師だと知ってるあいつにこのこと知られたら、俺たぶんブチキレられるぞ!!)

 

 ゴンはまだ「ソラ」としか言っていないが、ただでさえ希少な除念師で同名の偶然など期待出来ない。

 それならいっそこいつらの知り合いの「ソラ」とやらは、あの1年ほど前に出会ってそれっきりな彼女の騙りであることを期待したいが、おそらくそれもない。

 

 そもそも、アベンガネと彼女の付き合いはあの1年前の出会いが全てであり、彼女のことなど何も知らないも同然である。

 だがその短すぎるやりとりの中でも、数少なすぎるが確かな情報もある。

 

 あの白い髪に性別不詳の美貌、そしてその名にふさわしい眼を持ち、念能力だとしても強力すぎて不可解な除念能力を持つ彼女と出会った経緯は、仕事のブッキングではなかった。

 ただの偶然。自分は仕事だったが、彼女はきっと頼まれたわけでもない、ただ自分の意思だけでやって来て、そして全てを終わらせた。

 

 狂った死者の念によって、ある特定の条件を満たしていない限り軽くとはいえ体調不良を起こして入れなくなった山。

 その問題を解決しようと思った理由は、その山を遊び場にしていた子供の為。

 

 そんな経緯での知り合ったからこそ、ソラ=シキオリという人間は自分よりもはるかに情が深くて、そしてきっと子供好きな人間であるとアベンガネは思っているし、おそらくは間違いない。

 だからこそ、この子供ながらにおそらくは純粋な戦闘能力で言えばニッケス組の中で上位に入る彼らが、ソラと何らかの面識を持っていてもさほど不思議はない。下手すれば、彼女がこの子供たちの“念”の師もあり得るとアベンガネは考えた。

 その推測は割と良い所を突いているが、根本が盛大に間違えていることに彼が気付いていないのは幸か不幸か誰にもわからない。

 

 とにかくアベンガネが見た限りかなり情が深い分、敵に対して容赦ないであろう彼女に自分のしようとしていたことを知られたらどうなるか。

 アベンガネには良い方向に想像など出来やしない。

 

 ニッケス達を除念しようとしないことに関して、非難されるなどといった心配はほとんどしていない。

 これは明らかに自分のリスクが高すぎることなのだから、このことを責められてもそれは優秀な者の傲慢さであると自信を持って反論できるし、それに彼女は人が好いからこそ全員の除念はアベンガネの死と同義だと理解すれば、不平不満があったとしてもアベンガネを責め立てはしないだろうと思っている。

 

 だが、ゴン達にしたことは話が別。

 自分に掛けられた念を外してゴン達と協力するのならまだしも、自分も死ぬように語ってゴン達の「助けてやりたいのに何もできない」という無力感を煽って、懐く必要のない罪悪感を負わせ、そうすることでゲンスルー達と交戦する可能性を高める。

 だがそれも、彼らならゲンスルー達を倒せると期待しているのではなく、ただのしないよりはマシとしか思っていない保険。完全な捨て駒扱いだ。

 

 そんな事を、あの子供好きに知られたら…………。

 

 死者の念に対して売り言葉に買い言葉とはいえ、植物の蔦で簀巻き状態にされ地面に転がっていた被害者のアベンガネを「熨斗つけてブン投げるぞ!」と言い出していたことを思い出したアベンガネから、さらに冷や汗が噴き出てくる。

 あのソラという人物は間違いなく善人だが、暴力沙汰を嫌う聖人じみた人間ではない。むしろ、善人だからまだマシと言える、自分の感情最優先で行動する問題児というのがアベンガネが抱く彼女の印象だ。

 

 そんな彼女だからこそ、除念師にしては珍しいやけに戦闘特化な彼女の怒りが、あの時の死者の念に向けられていたものか、それ以上のものが自分に向けられる可能性が高いと考えてしまう。

 さすがに殺されはしないだろうと思いつつも、あの短いやり取りの間に嫌となるほど思い知らされた彼女の人格は、「何をやらかすか全くわからない奴」なので、強力すぎて不可解な能力も合わさって自分に何が起こるか、何をされるかが全くわからない。

 下手すれば、このままゲンスルーによって爆殺される方がマシかもしれないとまで、アベンガネは自分のやっていることを、悪びれてないとはいえ卑劣であると自覚しているのと、かなり半端にソラという人物を知っていることが合わさって、どんどん悪い方向に想像力を暴走させてゆく。

 

「……ゴン。あんた自分がどれほど残酷なことを言い出したかわかってる?

 あんた、どうやってあのバカをここに連れてくるつもりよ?」

「…………あ」

 

 ソラに対して名誉棄損レベルにネガティブなアベンガネの未来予想図にストップを掛けたのは、ビスケの呆れきった声音による突っ込み。

 ビスケに突っ込まれて、ゴンは気の抜けた声を上げてから泣き出しそうなくらい申し訳なさそうな顔をしたが、アベンガネは逆に冷や汗を流しながら硬直していた体の強張りが一気に緩み、安堵の息を吐きかけたのでそれを根性で飲み込んだ。

 

(だよな! あいつ、G.I(ここ)にいないよな!! 良かった! マジで助かった!!)

 

 さすがにニッケス組を見捨てることに罪悪感を懐いていないアベンガネでも、初めから選択肢が見捨てる一択だった訳ではない。

 ゲンスルーの「命の音(カウントダウン)」がニッケス組全員に取り付けられていることを知り、自分一人で除念は無理だと判断して次に浮かんだのは、自分の名刺と交換で知った彼女の名前と連絡先を使って、ソラ=シキオリに除念してもらう事だった。

 

 死者の念も一撃で倒した彼女なら、死者の念のみに有効といったやけに極端な制約と能力ではない限り、あれだけの人数の除念すら可能どころかさほど負担でもないのでは? と思った。

 仕事として除念の依頼をしたら報酬は膨大なものになるだろうが、ゲンスルーの件さえなければクリアは目前だったので金は何とかなる。それにあのお人好し具合を考えれば、前払いしないと除念しないとこちらの足元を見たことも言い出さないだろうし、むしろ報酬を受け取ってくれるのかが心配なくらいだ。

 

 そして彼女に頼めば、運が良ければ全員助かって彼女と面識があったおかげでソラを呼び出せたアベンガネは、ニッケス達に多大な恩が売れる。

 全員が助からなかったとしてもそれは同じで、「なんであいつを助けてくれなかった」などという逆恨みが起こったとしても、それは自分ではなくソラに向かうだろうから、アベンガネとして損などない。

 

 その考えは自分に都合の良い皮算用ではなく正解なのだが、すぐさまにアベンガネは「無理だな」と判断して今に至る。

 

 理由は単純明快。

 ゲーム参加者でもない彼女に除念してもらうには、彼女をここに連れてくるか、プレイヤー達が現実世界に戻るしかない。

 しかしそれをするには、どちらにしても時間が圧倒的に足りない。

 

 せめて2日ほどの猶予があれば、アベンガネが一旦現実世界に戻ってソラと連絡を取り、バッテラに頼んで彼女の元まで最速でG.Iを届けてゲーム内に入ってもらうという手段が取れた。

 アベンガネ達がゲームに参加した初日の内にプレイヤーが一人爆殺されていたのだから、プレイヤーの枠は最低一つは空いているはずであり、そもそもこのゲームをプレイすること自体に人数制限はない。あるのはメモリーカードの枠だ。

 だから除念の為にメモリーカードなしでこちらに来るだけなら、バッテラ側に損はない。

 むしろ、ニッケス組がクリア目前というのもあって、文句どころか進んで協力してくれる可能性の方が高いくらいだ。

 

 しかしそれでも、時間が圧倒的に足りない。それこそコールドスリープでもして心臓を一時的に止めない限り、自分たちに許された猶予は2日どころかもう1時間もないのだから、ソラが元々G.Iに参加していない限り、希望はない。

 ビスケの言う通り、ゴンの提案は「助かるかも」という餌をぶら下げておきながら、喰らいつく直前にそれが幻だったことを知らせるような、あまりにも残酷なものだった。

 

「ご、ごめんなさい! お……俺、連れてもこれないのに……酷いことを……」

 

 だからゴンは、両眼に涙を溜め込みつつも自分が泣く資格などないというように、その涙を堪えてアベンガネに残酷な期待をさせたことを謝り続けるにので、さすがに彼の乏しい良心も痛む。

 

「い……いや……、気にするな……。

 君たちが嘘をついているようには見えないが、これだけの強力な念を何十人分も除念出来る能力者と言われても信じられないから、未だに現実味がなくて期待はしてなかったから……」

 

 ゴンの純粋さに良心がフルボッコされ、そして彼が罪悪感を懐けば懐くほどに、このことをソラに知られたら……という不安で引いたはずの冷や汗がまた滲んで来るのを感じながら、アベンガネは何とかゴンをフォローする。

 しかしゴンはフォローされたらされるほどに、助けたい人を助けられず、むしろ自分が気を遣われていることに傷つき、余計に彼は罪悪感を懐いているのが見て取れて、アベンガネは自分が悪循環に嵌っていると痛感。

 

「と、とにかく! 君たちの気持ちはありがたいが、気にするな!

 出来れば仇を取って欲しいなんて言ったが、死ぬことも覚悟の上で参加したのだから、君たちが俺たちの死を背負う必要なんかない!!

 いいか! 頼むから無茶や無理だけはしないでくれ!! 俺たちはいい大人なんだから、何があろうが自己責任だが、君たちは子供なのだから自分の命を守ることを最優先にしろ! 君たちを大切に思う人を、絶対に悲しませるな!!」

 

 これ以上何を言っても逆効果であることはわかっていたが、それでもアベンガネは保身100%だが今度こそ本心からゴン達の事を案じて忠告し、逃げるようにというか気持ち的には完全に逃亡で「再来(リターン)」を使って、彼らの元から去って行った。

 

 そしてアベンガネは、この後は念入りに姿を隠して出来ればゴン組には直接関わらないでおこうと決心する。

 勘でしかないが、あの人の好い純粋無垢な子供と自分の知っているソラが本当に知り合いであるのなら、今更であっても彼女は本当にG.Iにやってきそうな気がしたから。

 

 ゴン達に接触して爆弾魔(ボマー)の情報を伝えたのと同じように、それは「念には念を入れて」の保険でしかなかった。

 

 が、アベンガネの人でなしと言って良い所業の罰はもちろん、これだけでは済まない。

 そのことを、彼はまだ知らない。

 

 

 

 ……ニッケス達を見捨てることは、余裕で助けられたのにしなかったのならともかく、そうでないのならソラは彼らの死を悼みこそすれど、アベンガネを責めることはない。

 そしてそれと同じように、彼が誰のどんな“念”を除念しようが、それは仕事なのだから文句などつけない。

 

 だが、アベンガネが「奴」の肩替りに背負った“念”を外すために、「彼」に危害をくわえようとするのなら話は別。

 文句は付けない。ただ、全力でソラは自分の幸福であり救済である「彼」を守るだけ。

 それは彼女にとって仕事以前の、呼吸に等しい生命活動のようなものなのだから、誰にも文句をつけさせないし、ソラ自身も自分を止めることなど出来ない。

 

 おそらくベストだったのは、「ソラの名前が出た時点で全て正直に話して、ゴン達の仲間になること」だったとはつゆ知らず、アベンガネは自ら墓穴を掘り進めていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【1月7日】

 

 

 

 数日間、共に過ごして試験会場付近まで案内してくれた案内人(ナビゲーター)のキリコと別れ、彼からの指示に従ってディスカウントショップの従業員用に偽装されたエレベータで降りてゆき、今年の試験会場にキルアは足を踏み入れた。

 

 去年の食堂の地下と同じように、元からそういう施設があったのか、それともハンター試験の為だけに作ったのかは不明なスペースの部屋を、番号札をつけながら一通り見渡す。

 キルアの番号札は1219番。去年は400人ちょっとだったので、キルアが最後の参加者だとしても3倍の人数である。

 

(今年は去年より人数、多いな。誰か知ってる奴いねーかな)

 

 そんなことを思いながら辺りを見渡し、顔見知りを探すキルア。

 ちらりと視界の端に缶ジュースを持ったトンパが慌てて自分を避けて隠れたのが見えたが、キルアは「本当に懲りねーな、あのおっさん」と思って無視する。

 そして自分が原因で4次試験で落ちた3兄弟に話しかけられたが、こちらは悪気なく本気で忘れているようで、自分に話しかけられているとは思わず、そのままナチュラルスルー。顔見知りを探す意味はあったのだろうか?

 

 そんな感じで去年とは別ベクトルの生意気さを発揮していたら、試験開始時刻を知らせるブザーが鳴り、1次試験の試験官が現れる。

 去年のやや人間味が薄い不気味なところがあったが、見た目も中身も紳士的なサトツとは真逆の印象、言っちゃ悪いが柄の悪いチンピラのオッサンにしか見えない男が今年の試験官だった。

 

「よく来たな、諸君。

 今年は1489人会場まで辿り着いたそうだが……実は二次試験官から多くとも300人くらいに絞ってくれと言われてな。

 まさかこんなに集まるとは思ってなかったぜ。さぁ~~て、テストはどうしたものかな……。

 ん~~~~~~、お前ら、殴り合うか?」

『?』

 

 そして見た目と違わず、試験官は雑な試験内容を告げる。

 

「とりあえず時間はあるし……そうだな。昼飯まであと2時間……その間に――5人ぶっ倒せ。

 倒した奴のプレートを取って……つまりは5枚プレートを集めたら俺の所へ来い。あそこの非常階段のとこで待ってるからよ」

 

 告げられた試験内容に、受験生たちはざわつく。

 よりにもよって初っ端から体力を大幅に削られることが確定している試験は、これからのどんな内容かわからない試験がまだいくつも控えていると考えたらキツイとでも思っているのだろうが、キルアからしたら幸運極まりない試験内容だった。

 

 それは、去年の2次試験のように自分の不得意分野な試験内容でも、3次試験のように自分に問題はなくても他の誰かに足を引っ張られるものでも、4次試験のように自分の合格は決定事項なのに試験終了時刻がきっちり決まっている為、早抜けが出来ないものではないからはもちろんだが、それ以上に喜ばしいのは――

 

「いいか? 俺があの扉の奥に入って、ドアを閉めたら試験スタートだ」

 

 そう言って、試験官はもったいぶるように非常階段のドアを開けて中に入ってゆく。

 そしてゆっくりとドアを閉める間に、受験生たちはとにかく自分の周囲の者と向き合い、いつでも動けるように臨戦態勢を取った。

 

 ガチャリとドアが閉まった音がした瞬間、掛け声、悲鳴、闘気、殺気がドアの向こうで噴き出し、溢れかえるのを感じながら、試験官の男は非常階段の段差に座り込む。

 

(ま……、相打ちとか考えて二次へ進めるのは150から200ってとこか……)

 

 タバコの火をつけ、だいたいの合格者数を予測しながら彼は嗤う。

 

「全部こういう試験にしちまえばいいんだよな。強い奴じゃなきゃつとまらねーんだからよ」

 

 極論ではあるが、それは正論。

 だが、自分の考えは正論だが本当に極論であったことを彼はこのあと約30分ほどで思い知る。

 

 * * *

 

 駆ける。

 

 跳ねる。

 

 走り抜ける。

 

 キルアは相当広いはずなのに約1500人いる所為でやけに狭苦しく感じるスペースを、縦横無尽に駆け抜ける。

 

 もちろん、ただ受験生の間をすり抜けて逃げ回っているだけではない。

 彼が走り抜けた端から、受験生が続々と倒れてゆく。

 これ以上なく正確に、彼は受験生たちの延髄に手刀を決めて、意識を刈り取り続ける。

 

 とっくの昔に、試験開始から3秒ほどで彼は5人倒しているのだが、キルアは止まらない。止まる気がサラサラない。

 ただでさえ修行も面白くなってきて、そしてそろそろ本格的にゲーム攻略に乗り出そうとしていたタイミングで、自分だけ途中で抜けるのは不満だった。

 そしてキリコと過ごした数日間は楽しかったが、キルアの思いは一刻も早く合格してゴンの元へ帰りたい、ただそれだけだった。

 

 だから、キルアにとってこの試験は好都合この上なかった。

 自分の得意分野であることと、試験官が見張りもしていないし明言しなかったという事は、この試験は5人以上倒してしまってもルール違反ではない。

 さすがにそれを言い忘れるほどマヌケな試験官ではないだろうし、そうだとしても向こうの非なのでキルアに責められる謂れなどない。

 そもそも去年の試験からしてそんなお行儀のいいルールを設定する程、ハンター試験は甘くないことを彼は良く知っている。

 最終試験の「相手を殺したら負け」というルールだって、あれは恩情ではなくより苛烈に覚悟を問うものだったのだから。

 

 だから、キルアはこれ以上ハンター試験に自分の時間を拘束や消費させられることを防ぐために、ここで自分の実力を、成長を見せつける。

 今年の受験生を全員、この試験で狩り尽くす気だった。

 これ以降の試験など何の意味もないことを、思い知らせるつもりだった。

 

 それは、去年の試験で散々おちょくられたわ、最終試験で自分の未熟な部分を自業自得とはいえ突き付けるような対戦順にしたネテロに対しての子供らしい意趣返しでもあった。

 だが、ここまで無茶苦茶な方法で、一刻でも、一秒でも早く合格しようとする動機はネテロへの意趣返し以上に幼い願い。

 

 友達と同じ立場になりたい。早く友達の元に返りたい。

 そして……

 

(あいつはハンター試験初日で合格報告したら、どんな顔するんだろうな)

 

 もう5カ月も会っていない、ゲーム内にいる所為で電話やメールの連絡すら取っていない人に報告したい。

 どうせ彼女は、自分が合格すると信じきっている。

 だから普通に合格しても自分のことのように、キルア本人以上に喜ぶのは目に見えているが、それだけだと何となく不満だったから、どうしても驚かせたかった。

 

 驚かせて、自分の成長を見せつけたいの一心で、キルアはどこまでも軽やかに走り抜ける。

 自分の胸元で揺れる、誕生日プレゼントで送られた石に、込められた願い通りに。

 

 自分はどこにだって行ける。

 なりたいものになれる。

 見る事さえも許されなかった夢が、手の届く距離にある。

 そんな万能感がキルアの胸に満ちて、さらに彼の体は重力からも疲労からも解き放たれて、駆ける(はや)さも、振るう手刀の鋭さも増してゆく。

 

 もはやただの流れ作業と化した動作で、受験生の意識だけではなく自信やプライドを、これまた去年とは違う方向性で刈りつくそうとしていた。

 

 だが、ハンター試験はとことんキルアに、「現実」を突き付けてくる。

 

「!?」

 

 延髄に意識を奪うに最低限、後遺症などが残らないように配慮した力加減と位置を計算して振るっていたキルアの右手が、初めて空ぶった。

 

 並の実力では目視できぬほどのスピードでキルアは駆けまわっている為、傍から見たら突然受験生たちがバタバタと、ガス中毒か何かで倒れているようにしか見えない為、受験会場はもはや試験など大半の受験生が忘れ去ってパニック状態。

 最初は、そのパニック故に逃げようとしたから、キルアも予想外の動きで偶然避けられただけかと思った。

 

 が、すぐさまにその考えは、相手に対して失礼だったと思い知る。

 

 キルアの手刀を、一歩前に踏み出すことで避けた相手はそのまま、踏み出した足を軸足にして回転し、回し蹴りを放つ。

 完全に、背後のキルアに気付いていた。

 蹴りを放ちながら振り返った彼の眼は、確かにキルアを捕えていた。

 

 そして、相手がキルアの姿を捕えているのと同じように、キルアも捕える。気付く。

 相手が身に纏っているものが、何であるか。振り返り様の一瞬で、全身から回し蹴りを放った足に向かって流れるように、その「纏っているもの」の量が変化したことをここ数カ月、体に教え込んで学んだ経験則が捕えて、気付かせる。

 

 相手も念能力者。それも、最低でも自分と同レベル、少なくとも“流”を実践で使えるレベルの能力者であることに気付いた。

 

(腕に攻防60!)

 

 しかしキルアは、決して自分以外に能力者の受験生がいないという根拠のない思い込みをして、油断しきっていた訳はない。

 ヒソカや自分の兄、そしてソラのようなあからさまかつハイレベルな能力者が、見渡した限りいないと思ってやや甘く見ていたのは事実だが、ちゃんと「受験生の中に能力者がいる」という可能性は、頭の片隅に残した上でこのような行動を取っていただけあって、彼も滑らかにオーラ量を調節して、腕で相手の蹴りをガードする。

 

 そうして、キルアと相手はようやく対面した。

 

 キルアの手刀を避け、そして反撃の蹴りを入れてガードされた相手、受験番号419番は目を丸くしていた。

 キルア自身も、相手程ではないが軽く目を見開く。

 どちらも同じことを思っているのだろう。

「若すぎる」、と。

 

 419番はキルアよりは年上だが、おそらくはクラピカよりわずかに下と思える少年だった。

 

 印象としては、ゴンとクラピカを足して2で割ったような相手。

 クラピカ程ではないが、中性的な整った顔立ちに、どこかゴンを思わせるやけに真っ直ぐな眼が、キルアの中で妙に印象に残った。

 

 そして相手は、印象通りの相手だった。

 

「……お前が、先ほどから受験生を無差別に襲撃している者か?」

「そうだっていうんなら、何なんだよ?」

 

 向き合って、驚きあったのは一瞬。

 419番は、自分の蹴りが決定打になっていないのならすぐさま飛びのき、キルアからやや距離を取って尋ね、キルアは舐めプからマジモードになって、変形させた挙句に軽く“凝”状態の手を振りかぶり、攻撃を仕掛けながらいつも通り、クソ生意気な返答をする。

 

 キルアの方が年下な為、相手の方がより驚いたのか、動きにエンジンがまだかかっていないように感じたから、そのまま押し切るつもりの猛攻だった。

 答えた言葉も、相手の冷静さを奪う挑発のつもりの発言だった。だがしかし、相手はキルアの台詞に不快感を示さず、最低限の動きでキルアの凶爪を躱し続けながら、真顔でキルアへの質問を重ねた。

 

「何故、こんなことをするんだ? お前はもう既に5人倒しているのに、何故わざわざ他の者達まで襲撃するんだ? こんなことをして、何の意味があるんだ?」

 

 その問いだけなら、キルアの行動を去年のヒソカの「試験管ごっこ」と同じようなものだと思って、憤慨しているように思えたが、419番の眼はあまりにも真っ直ぐだった。

 どう見てもキルアの行動を咎めているようには見えない、下手したら自分よりも幼いのではないかと思えるような、本心から不思議そうな顔をして尋ねられ、思わずキルアから毒気が抜ける。

 

 毒気は抜けたが、攻撃は緩めない。

 だけどそうすると、ますますキルアの中から自分の初撃を避けられたことで傷ついたプライドや、今も攻撃を“流”でガードされているのではなく、自分の指先すら相手にかすらず、避けきられている事実に対するムカつきが霧散してゆく。

 

 そんなものを懐くのがバカらしく感じる程、真っ直ぐな目だった。

 自分の親友に、そして自分を認めて欲しい、子ども扱いではなく隣に並び立つ相手として見て欲しい人に似た目と雰囲気で尋ねてくるものだから、思わずキルアは腕を振るい、足を蹴り上げながらも素で答えてしまう。

 

「……さっさと試験を終わらせて帰りたいから、今ここで全員倒すんだよ!」

 

 改めて口に出してみると、脳筋この上ないやり口であるとキルアは思って、何事も理知的に、スマートに済ませることを理想とするキルアは若干、自分で出した結論かつ実行している事なのに、恥ずかしくなってしまった。

 だが419番は、キルアの答えにまたしても目を見開き、そして一拍だけ間を開けて彼は言った。

 

「! なるほど! その手があったか!!」

「……はぁ?」

 

 何故かキルアの雑極まりない、「早く試験を終わらせて帰る方法」に、真顔で納得して感心しだして、キルアだけではなくキルアからまだ襲撃されていなかった受験生たちも唖然とさせる。

 しかし419番は周囲どころか、キルアが割と真剣に引いていることにも気付かず、キラキラした目、そして心の底から感心しているとわかる声音で言葉を続ける。

 

「そうか……。確かに試験官は『5人倒せ』と言ったが、『5人以上倒し、危害を加えると失格』とは言っていなかったな。

 そして戦闘能力を最重視で見ているのならば、ここで全員倒して自分が一番だと見せつければ、運が良ければもう他の試験をする必要などない。少なくとも、複数人とチームを組んで行う試験は不可能になって、受ける試験数自体が減る可能性が高くなるのか……。

 

 お前……いや、君はすごいな、1219番。

 俺も一刻も早く合格して帰りたいと思っているのなら、その為に自ら行動すべきだったのに、俺は試験内容を額面通り受け取って、そんな発想は全く生まれなかった」

「お……おぉう? ど、どういたしまして?」

 

 どうやら419番にも、一刻も早く合格して帰りたい事情があったらしく、だからこそキルアの発想とそれを実行した行動力に本気で感心して、もはやキルアに敬意を懐いている勢いだが、当然キルアの方はその勢いについて行けず、先ほどから困惑しっぱなし。

 困惑していたから。混乱していたから。

 だから、特に意味などないはずなのに、彼は訊いた。

 

「……何で、お前も早く終わらせて帰りたいんだ?」

 

 目の前の相手は、最低でも自分と同じくらい“念”の知識も、技術もある相手。まだまだ実力の底どころか、上辺をかすかに垣間見た程度でそう思わせるのだから、実際はヒソカや長兄レベルの可能性だってある。

 そんな相手でも、もう逃げないと誓ったから。

 だからキルアは、この419番も倒して自分一人が今年の合格者になる気だった。

 

 知る必要なんかない。知らない方がいい。感情移入してしまいそうな「理由」なんて。

 

 そう思っているのに、なのにキルアは思わず頭に浮かんだ疑問を、そのまま口に出す。

 知りたいと思ってしまった。

 自分と同じく、ハンター試験をさっさと終わらせたいと思う理由を。

 

 ハンター試験の先、プロハンターのさらに先に、彼は何を見ているのかを知りたくなった。

 この、自分の人生を丸ごと変えた二人によく似た光を放つ眼に、何が見えているのかを尋ねた。

 

「…………待たせている人がいるんだ」

 

 キルアの零れ落ちた疑問の声に、419番は答える。

 彼はこの場に、この状況に最も合わない表情を浮かべて答えた。

 

「プロハンターになることが、ゴールじゃない。プロになってやっと、俺はスタートに立てる。

 それぐらい遠くにだが……それでも、10年でも100年でも千年でも一万年でも待つと、言ってくれた人がいるんだ。俺が必ず、必ず帰ってくると信じているから、わかっているから待っていられる、待つのは辛くないと言って、笑ってくれた人なんだ。

 

 ……だから俺は、一秒でも早く帰りたいんだ」

 

 419番は照れくさそうに、年相応の少年らしいはにかんだ笑みを浮かべて、答えた。

 

 その答えにキルアはもう一回、呆気に取られてから彼は、ハチミツを一樽分くらい飲み干したような顔になって言い返す。

 

「……まさかハンター試験で、赤の他人の惚気話を聞かされるとは思ってなかったわ」

「! ……惚気では……というか俺は、その人が女性だとは……」

「あの顔で惚れた女のこと以外を話してる方がキモイわ!!」

(まったくだよ!!!!)

 

 キルアの突っ込みに、その他受験生一同の突っ込みが内心で唱和された。

 なお、キルアと419番のやり取りは先ほどからずっと、交戦しながら続けられている。端的に言って、カオス極まりないやり取りと状況である。

 

 しかしキルアに突っ込まれたからとて、軌道修正はされない。

 というか、これくらいで軌道修正出来るのなら、たぶん彼はキルアの言葉に感心しても、声には出さない程度の空気を初めから読んでいる。

 

「そういう君はどうなんだ!? 何の為に、1500人を敵に回しても、一秒でも早くハンターを目指す!?」

 

 空気は読めてないがさすがに恥ずかしくなったのか、419番はやや赤らんだ顔で、キルアに蹴りと一緒に質問を投げつける。

 その蹴りを軽やかに避けながら、キルアは答えた。

 答えてしまう程に、キルアは彼が発する空気に毒されていた。

 

「俺がいねーと、どこに突っ走っていくかわかんねー奴らがいるんだよ! 本当、イノシシ並に走ることをやめねーし、曲がることも出来ないバカばっかりだから、せめて俺がハンドル握ってやっとかねーとどこまでも暴走するから、さっさと帰ってやらねーといけないんだよ!!」

 

 相手のどこまでも真っ直ぐで、諦めることを知らなすぎて痛々しいくらいなのに、目が離せない眩さに大切な人の面影を見てしまったから、そんな眼で問われたから。

 だからキルアは、オーラを込めた拳を振り降ろしながら答える。

 

 真っ直ぐに相手を見て、何の躊躇も迷いも怯えもなく、早く帰りたい理由を。

 一緒にいたい理由を。

 1年前、本能に負けて手放したものを、今度は手放しはしなかった。

 

 笑って、彼は堂々と答えたから、だから419番は眩いものを見るよう、わずかに目を細めて言い返す。

 

「……なんだ。君も俺とそう変わらないじゃないか。大好きなんだな。その人たちの事が」

「こっぱずかしいことを言ってんじゃねーよ!!」

 

 419番の方は、本気でキルアの答えが微笑ましかったのだろうが、キルアからしたら挑発で言っている方がマシな発言にキレて飛び蹴りをかますが、その蹴りはオーラで覆われた足でガードされる。

 

 いつしかキルアの一方的な猛攻から、互いに攻撃し合い防ぎ合う接戦になっている。

 

 どちらにも余裕などない。おそらく、実力はどちらも同レベル。一瞬の隙が勝敗を決する程に均衡し合っているのに、勝率は高いとは言えないのに、なのに、なのに、キルアも419番も互いに笑っていた。

 

 それはまるで、対戦ゲームをしている子供。

 キルアはゴン以外に自分と互角で渡り合える相手との遭遇に、419番は自分より年下でありながら自分と同格と思える相手と出会ったことに、闘争本能が熱を持って彼らの体も心も昂らせる。

 

 互いに相手を殺す気はサラサラないことを感じ取っているからこそ、「自分と互角の相手との戦闘」に楽しみを見出している二人は、どちらも実力は飛び抜けているくせに、精神面ではおそらく受験生の中で一番子供だった。

 だからこそ二人は残酷に、キルアの襲撃から逃れた周囲の受験生たちの自信やプライドを根こそぎ奪い、破壊しつくしてゆく。

 

「早く帰りたい」の一心で受験生全員に襲い掛かっていたくせに、キルアの発想に本気で感心していたくせに、今の二人はおそらく自分たちの目的を忘れている。

 今がハンター試験だという事を、覚えているのかどうかも怪しい。それぐらい、お互いだけを見て演舞じみた接戦を繰り広げ、そのハイレベルさを他の受験生たちに見せつけて、今度はキルアだけではなく419番も自覚はないだろうが、根こそぎ刈り取る。

 

 意識ではなく、彼らの「ハンターになる」という気概を、「ハンターになれる」という自信を根こそぎ刈り尽くしながら、二人はもはやオーラの消耗など度外視して、応戦し続ける。

 

 自分一人が、今年の合格者になるつもりだった。

 ヒソカやイルミレベルの相手がいなければ、それぐらい“念”を覚えた今はもちろん、去年でも楽勝だった自信はあったのに、世界も現実もそんなに甘くないと、今年もハンター試験はキルアに現実を突き付ける。

 

 キルアが受験生たちを見て思った、「自分が一番強い、自分に敵なんかいない」なんて自惚れを、完膚なきまでに叩きつぶす。

 世界の広さを、人の無限の可能性を見せつける。

 

 自分の視界はずいぶん広がったと思っていたのに、まだどれほど狭かったのかを知らしめる。

 

 去年の試験で出会った人たち以外にも、こんなにも「楽しい」と思える事が出来る相手がいることを、キルアは知った。

 

 知っていたはずなのに、光そのもののような親友と、終わりに繋がっていながら、誰よりも何よりも優しい眼をした人に教えてもらったはずなのに、自分はまだちゃんと理解していなかった、知らなかったことを思い知らされる。

 

 世界は生きているだけで、目覚めているだけでこんなにも楽しいことを、キルアは知った。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

「…………1219番、どうしたんだ? 君の意図通り1次試験のみで合格したのに、何故落ち込んでいるんだ?」

「…………うっせえ。黙ってろ。っていうか俺に構ってる暇があるんなら、お前はさっさと『待ってくれている人』の所にでも帰れっつーの」

 

 試験開始から約一時間後、そして試験終了から約30分後。

 試験会場だった地下の片隅で体育座りになり、抱えた自分の膝に額を押し当ててじっとしているキルアに、419番が小首を傾げて尋ねたが、キルアは顔も上げずに突き放すような返答をする。

 

 正直な答えなど、言える訳が無い。

 元々謎のテンションで出した、「さっさと試験を終わらせる方法」自体が脳筋この上なくて、少し冷静になれば恥ずかしいのに、何故か途中から……、(419番)と関わってからさらに意味不明なハイテンションになって、「さっさと合格して帰る」という目的も忘れ、419番とステゴロをやってたという事実が、今更になってキルアに羞恥として襲い掛かっているなんて。

 

 ちなみに、試験は419番の言う通り合格した。

 だが、419番に勝った訳ではない。

 

 下手に彼らの横をすり抜けようとすれば、互いしか見えていない彼らの接戦の巻き添えを喰らいそうだったのが、お互いが“纏”もろくに維持できなくなってきたことでわずかに隙と余裕を見つけた受験生の一人が、非常階段で待っているはずの試験官を呼びに行った。

 非常階段でうたたねしていた試験官がたたき起こされて見たものは、キルアと419番以外の受験生は気絶しているか逃げ出したか、彼らのハイレベルバトルで戦意喪失しているという惨状。

 そんなとんでもない試験結果をようやく把握したことで、試験官はケータイで去年の2次試験の様に最高責任者へ指示を仰いだ。

 

 その結果、ネテロはこれ以上試験をしても仕方がない、十分すぎるほどに合格基準に達しているし問題ないとのことで、ある意味キルアの意図通り合格が言い渡された。

 

 キルアと、419番の二人が。

 

 去年の試験で合格確実だったはずのキルアと、オーラが底尽きかけるまで互角に戦い抜いたことが評価されたのだろう。

 419番も本人の希望通り、最短でプロ資格を得た。

 

 なのに、何故か他の受験生は帰るなり、出番がなかった他の試験担当官たちに運ばれるなりしてもう誰もいなくなった地下に、キルアが立ち上がるのを待つように彼も、その場に居残っている。

 その忠犬じみた様子がまた自分の親友を彷彿させて、キルアは被害妄想であるのはわかっているが、自分の見られたくないカッコ悪い所をゴンに見られているような気がして、イラついた。

 

 だからこそ突き放すような返答なのだが、怒鳴りはしない。怒鳴ることは、出来なかった。

 その理由もまた、イラつく原因と一緒。

 親友にやけに似ているから、嫌われても構わないというやけっぱちな対応までは出来なかった。

 

 故にキルアは相手が去るまで立ち上がるどころか、顔を上げることすら出来ないというのに、いつまでたっても419番はキルアの前から立ち去らない。

 だからキルアは諦めたように膝の中で息をついて、「……俺になんか用があんのかよ?」と尋ねてみた。

 

 その問いに、しばし考えている空気を感じるが、キルアは顔を上げない。

 

「…………俺は、数年前まで『人殺し』の道具として生まれ、育ち、生きてきた」

 

 しかし、さすがにどこから出てきたのか、自分の質問が奇跡的な聞き間違いと勘違いのすれ違いを起こしたのではないかと思える答えを返されたら、キルアも丸くした目を、ポカンとした顔を上げる。

 

「その生き方を、嫌だと思ったことはなかった。思う余地すらなかった。

 けれど……俺を『人間』として扱い、守り、共に生きることで笑ってくれる人たちと出会ったことで、自分のしていたことがどれほど罪深いものだったのか知った。俺はもう、誰も傷つけたくないと思った。

 ……が、その願いを貫くに俺は弱すぎた。俺は俺を守ってくれた人を守るためには、結局たくさんのものを犠牲にして失って、誰かを傷つけることしかできなかった。

 

 ……それが嫌だからこそ、誰も傷つけたくない、失ったものを取り戻したい、そして何より願いを諦めたくないからこそ、俺は強くなりたいと望み、プロハンターをめざし、今まで修練や鍛錬を積んできた。

 ……傷つけたくないからこそ、戦う術だ。だから俺は、戦うことを楽しいと思ったことはなかったし、これからだってないと思っていた。

 

 ――――だけど、君との『戦い』は『楽しい』と思えたんだ」

 

 キルアがようやく顔を上げたことが嬉しいのか、彼は少しだけ笑いながら話を続ける。

 笑いながら話すような内容ではない、やたらと重くてダークな生い立ちを語ってキルアを引かせにかかっているが、キルアに引く資格はない。彼も去年、二次試験後の飛行船内で、ゴンに対して軽い愚痴と笑い話ぐらいのテンションで、自分が暗殺一家のエリートであることや、家族を刺して家出したことを話して、地味にゴンに引かれていたのだから。

 

 だからキルアは、引くのではなく気付くべきだった。

 419番の生い立ちと環境が、自分に似ていることに。

 自分と似た扱いをされて育ってきたのに、彼はあまりにもゴンに似た目をしているということに。

 

 ……「あいつみたいにはなれない」と心のどこかで諦めて、最初から求めないでいようとしていたものを、自分とよく似ている過去を持っている419番が得ているということに、キルアは気付けなかった。

 気付けないまま、それでもただ彼は静かに聞いていた。

 

 道具だった少年が、人間になった少年が、人になった上で得たはずの価値観からさらに得たものを、キルアは聞いた。

 

「君を傷つけたかった訳ではない。怪我がなくて心から安心しているくらいだ。

 ……なのに、君の強さを理解すればするほどに、心臓の奥が昂った。自分が思ったように動けない事を歯がゆく思いながらも、自分にまだ強くなる余地があることを知れば、嬉しくなった。

 …………本当に、何故だろうな。傷つけたいわけでも、傷つきたいわけでもないのに、俺は間違いなくあの瞬間を楽しんでいた」

 

 理屈ではない。間違いなく誰かを傷つけることは嫌なのに、そんなことを楽しめないのに、なのに先ほどの戦いを間違いなく「楽しい」と思えたことに彼は戸惑いつつも、それでも彼は自分が抱いたものを、手に入れたものを大切に抱えて……、キルアにも手渡す。

 

「俺は、今までの『戦いたくない』と思いながらの修業より、君との数十分の戦闘でより強くなれた気がする。そしてこれからも、強くなれる気がするんだ。

 だから……その……なんだかこの流れで言うと君を利用しようとしてるようだな。そういう訳ではないのだが……」

「……お前はさっきから、マジで何が言いたいんだよ?」

 

 訳の分からない、唐突にもほどがある話を自然体で語っていたくせに、何故か今度はいきなり歯切れが悪くなった事で、キルアはジト目で突っ込む。

 キルアの生意気な突っ込みに相手は気を悪くした様子はなく、むしろ「その通りだな……」と同意してから、腹をくくったのかもう一度彼はキルアを真っ直ぐに見返して、言った。

 

 キルアの「俺になんか用があんのかよ?」という問いに対しての答えを、長く重くややこしい前置きが終わって彼は、ようやく口にする。

 

「その……こういう誘い方をするものなのかどうかは分からないが、……俺と、友達になってくれると嬉しい」

「……………………はぁ?」

 

 キルアに「惚気話」と指摘された時のように、やや赤らんだ顔で乞われた言葉が、今までの彼の発言で一番理解出来ず、キルアはやや長い間を開けても間抜けな声しか出せなかった。

 しかしその声やキルアの呆気に取られた顔をどう解釈したのか不明だが、419番はキルアの反応に対してしょぼんといきなりテンションが落ちた。

 

「…………いや、やっぱり忘れてくれ。照れくさい」

「……お前の『照れくさい』が俺にはわかんねーよ」

 

 今の発言が照れくさいのなら、キルアとの交戦が楽しかったことの話も十分恥ずかしいし、それ以上に「待ってくれている人」の話はもっと恥ずかしいものじゃないのか? と思いながらキルアが突っ込んだら、どうやら彼は鈍くて天然が入っているようだが羞恥心は人並みの感性であるらしく、今までの自分の発言を思い出したのか、頭を抱えてその場にしゃがみ込んでしまった。

 

 そんな彼を見て、また一拍間を置いてからキルアは笑った。

 

「……っはは! お前さ、実は俺よりガキなんじゃねーの? 勢いだけで全部話してねーか?」

「……そうだな。俺は自分の実年齢もよく知らないから、もしかしたら発育が良いだけで、君より年下かもしれない」

「ちょっ、おい、マジか。そこは冗談でしかなかったんだけど?」

 

 キルアが噴き出して言った軽口に、419番は頭を抱えたまま大真面目に答え、キルアを気まずくさせる。

 が、すぐにまた彼はおかしげに笑って立ち上がる。

 立ち上がって、言った。

 

「お前、名前は?」

 

 今度は419番が、顔を上げる。

 つい数分前とは逆の体勢と立場。

 今度はキルアが、相手が立ち上がるのを待つようにして尋ねる。

 

「俺は、キルア。キルア=ゾルディック」

 

 自分のフルネームを名乗ると、相手は軽く目を見開いた。説明するまでもなく、悪名高い我が家の事を知っていたようだ。

 けれど、彼は目を逸らさなかった。

 真っ直ぐにキルアの眼を見て、離さない。

 自分の居る場所を陽だまりにしてくれた光そのものの親友のように、「痛い」を教えてくれた青い彼女のように、キルアを「キルア」として見ている眼に、笑顔のキルアが映る。

 

「俺は俺に面倒ばっかりかけるバカの相手で忙しいからさ、さっさと帰らなくちゃなんねーし、これからだって時間が取れるかどうかもよくわかんねーんだよ。

 ……それでも良ければ、お前も名前を教えろよ」

 

 笑いながらも、最後は少しだけ目を泳がせる。

 何が「良ければ」なのか、どうして419番の名前を知りたがっているのかを言わない、意味などない意地が捨てられないキルアは、やはりまだ子供だろう。

 

 けれど、それで良かった。

 素直に言えなくても、その差し出された手はあまりに正直だったから。

 その差し出した手に込められた思いが、自分と同じであることだけは、言葉の裏側を読むことが不得手な彼でもわかったから。

 

「……十分だ。俺も人の事が言えないからな。だから……とても、嬉しい」

 

 だから、彼は差し出されたその手を取って、立ち上がる。

 

「俺は……ジーク。よろしくな、キルア」

 

 

 

 

 

 試験会場の入り口だったディスカウントショップから駆け出して出てきたキルアは、走りながらケータイを操作して呼び出す。

 ゴンはG.Iなので電話が通じない為、連絡先は一択。

 

 呼び出し音の1コール1コールがやけに長く感じたが、苛立ちはなく楽しみで仕方がなかった。

 

 ハンター試験初日で合格したことを報告した時の反応はもちろん……、ゴンも彼女もいない時に、ゴン以外の友達が出来たことを報告した時、彼女がどんな声音で何を言ってくれるのか……

 

 どれほど喜んでくれるのかが、キルアには楽しみで仕方がなかった。

 目覚めているだけで、キルアは幸福で楽しくて仕方がなかった。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「ほっほっほ、その必要はあるまいて。

 そやつの実力はもう証明されとるし、……419番もそやつと並ぶ実力ならば、問題ないじゃろ」

 

 今年の一次試験官が泡食ったように連絡をしてきて、ネテロは「今年も波瀾万丈じゃのう」と本気そう思っているのか怪しいくらい呑気に電話に出たかと思ったら、やはり呑気に言い切った。

 

 試験官は本当に一次試験で合格者をこの二人のみと決定させてよいのかと念押しするが、ネテロからの答えは変わらず「問題ない問題ない」と軽く答える。

 その軽さ故に試験官は納得しきれていないのはわかっていたので、仕方なくネテロはめんどくさがってしなかった「問題ない」の根拠を、ようやく答えてやった。初めから言え、ジジイ。

 

「1219番……キルア=ゾルデックは去年も試験に受け、実力だけなら合格間違いなしだった逸材じゃ。

 合格を逃した理由である心の弱さも……、初めの襲撃した受験生はもちろん、交戦した419番に酷い手傷も負わさず、そして他の受験生たちを巻き添えにしなかったのならば、それは十分に克服されとるという事じゃ。そんなあやつにこれ以上試験を受けさせるのは、お互いにとっても時間の無駄じゃろう」

 

 キルアの合格を「無問題」と言い切った理由に試験官は、電話の向こうから納得し、続いて419番の合格理由を尋ねる。

 

「419番……ジークに関しては、キルア=ゾルディックと互角という時点で、戦闘能力には文句はないじゃろう? おぬしに報告してきた受験生の話によると、キルアを最初に止めたのも彼なら、心根の部分にも問題はない。

 それと、こやつはプロハンターを師事して、アマチュアとして3年前から活動しておる。そしてその師事しているプロハンターは……」

 

 キルアの合格理由に納得出来たのなら、ジークの合格理由もだいたい想像できていたので、試験官が問うたのは一応の確認でしかなかったが、ネテロの口から出てきた「ジークの師匠のプロハンター」の名に、彼は一瞬絶句してからかすれた声で応える。

 

《……納得といえば納得ですけど、……ある意味そいつの弟子が合格は心配なんですが……》

「……うむ。気持ちはわかる。

 全く、あやつは弟子といい息子といい、まともなのはカイトくらいしかおらんのか。あの不動の馬鹿は」

 

 

 

 

 

 試験官の言葉にネテロが同意したのと同じタイミングで、どこかの辺境でバカやっている不動の馬鹿ことジン=フリークスは、「てめーに言われたくねぇよクソジジイ!!」と、やけに器用で流暢なくしゃみをぶちかました。






アベンガネの再登場、ソラとの縁が本編でどうなるかを期待されていた方、ごめんなさい。
ソラは年上に対する扱いが雑なので、アベンガネについてはほぼ忘れてます。
さすがに顔を見れば思い出しますが、バインダーのリストからでは普通に名前を見落とします。
なので、アベンガネ関連の話はこれで最後になる可能性大。

というか、原作でもアベンガネの出番は少なくて、クロロを除念してからどうなったのかが不明な為、正直言って書きようがあまりないので、今後原作で新たな情報が出たり、何らかのネタが浮かんだら出しますが、そうでない限りはマジでこれが最後かも……。



余談ですが、ジーク君の受験番号はそのまま419(しいく)で取りました。

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