死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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119:加害者

「どういう、意味よ!!」

 

 トモリは奥歯をかみ砕きそうなほど歯を食いしばって、叫ぶように問う。

 何もかも意味がわからなかった。

 

 相手の眼の色が慣用句ではなく文字通り変わったことも。

 その眼で見られて背筋に走る悪寒の意味も。

 相手が自分に向ける憐憫も。

 

 この上ない憐れみがこもった、「運の悪い子」という言葉の意味がわからなかった。

 

 しかし、相手は答えてくれない。

 いや、ある意味では真摯に応えてくれた。けれど、相手の言葉はやはりトモリには伝わらない。

 ソラはさらに憐憫を込めて、言った。

 

「それがわからないのが、証拠。君は不幸なんじゃない。運がとてつもなく悪い子だ」

「意味がわかんないわよ!!」

 

 ソラの言葉にトモリの声が更に荒くなり、甲高い金切り声で喚く。

 自分でも頭のどこか冷静な部分が耳障りだと思うヒステリックな声に、その罵声を浴びせられている当の本人はうるさそうではなく、やはり悲しげにトモリを憐れんでいた。

 憐れみながら、彼女は問い返す。

 

「何で、クラピカを諦めないんだ?」

「はぁ?」

 

 トモリからしたらもう終わったはずの話題を掘り返されて、不機嫌と疑問が入り混じった声を上げるが、やはりソラはトモリの態度に反応しない。

 憐みだけを向けて、淡々と彼女は言葉を続ける。

 

「私たちを殺す理由が『口封じ』だけなら、君はあのタクシーに送るまでの間に私たちを殺すべきだったんだ。なのに、見逃した。

 気付かれない、気付かれても我が身かわいさで首を突っ込まないだろうっていう甘さもあっただろうけど、それ以上にクラピカを絶対に殺したかったから、クラピカが獲物の条件全てに合致していると思ったからこそ、2対1でどっちかが逃げられるリスクを背負うより、いったん見逃してクラピカだけは確実に殺せるチャンスを探ろうと思ったんだろう?

 

 ……それこそが、証拠。

 口封じを最優先しなかったこと、口封じより『ブロンド殺し』の獲物を優先したくせに、クラピカが『ブロンド殺し(きみ)』のターゲットに当てはまらないことを知ったら君は、獲物ではなくルールの方をあっさり変えた。

 私の言葉を『無意味』だと判じることこそが、君は『獣』ではなく『人間』……、『狂人』ではなく『正常』であることの証明なんだよ」

 

 憐れみながらも、その眼は真っ直ぐに相手を見据え続ける。

 トモリが何に怯えて、飛びかかるのではなく距離を取ったかを理解しておきながら、トモリから視線を外してやろうとはしない。

 憐れみながらも、冷徹にその眼でトモリを捉え続けながらソラは上半分が蹴り砕かれたドアを開けて一歩前に足を踏み出し、言葉を続ける。

 

「君は無差別殺人鬼なんかじゃない。ある一定のルールを自ら定めて動いてる。

 ……その『ルール』が『君自身にしか意味がないし理解出来ない強迫観念』だったのなら、君は自称通りの『狂人(けもの)』だ。そこに人間としての常識を求めやしないよ。

 でも君は私の指摘を、自分の間違いを『どうでもいい』と切り捨ててそのまま続行しようとしている。……もうその時点で、君は自分が狂っていることを言い訳にしているだけだ。それは狂人でも獣ではない。

 その『ルール』は、どこまでも人間らしい『保身』にすぎない」

 

 その言葉で、何故自分が憐れまれているかをトモリは理解する。理解したつもりだった。

 もはやソラにとってトモリの行いは、バレバレの失敗を誤魔化そうと足掻く子供のように滑稽でしかない、バレバレなのに隠しきれていると信じて疑わないトモリを憐れんでいると思った。

 だから、トモリは頭に血を昇らせて激昂して叫び返し、主張する。

 

「黙れ! 私は獣であっても狂ってなんかないし、狂ってるフリもしてない! ルールだってガバガバじゃない!

 私が自分に課したルールは……」

「ターゲットの名前が、『C』から始まることだろ」

 

 しかしその主張は、トモリが言い切る前にあまりにも涼やかな熱のない声音で叩きつけられる。

 トモリの両目が限界まで開き、何か反論しようと唇が開閉するが言葉は出てこない。

 

世界共通(ハンター)文字の所為で一般的には盲点になってるようだけど、ハンター文字が第一言語じゃない私には君のターゲットはわかりやすかったよ。

 ……だからこそ、『ブロンド殺し』なんて事件を知らなかったことに後悔した。知ってたら、君のことを疑ってなくても絶対に、赤の他人の前であの子の名前なんか呼ばなかった」

 

 憐みだけを込めた眼と言葉に、別の感情の熱がわずかに灯る。

 一度ソラは悔し気げに唇を強く噛んでから、それでもその両目はトモリを捉えたまま、この世界の多くの住人達の「盲点」を指摘する。

 

「昨日のホテルでの犠牲者がの名前はCecily(セシリー)、そして他の犠牲者達は確かCarlotta(カルロッタ)Claire(クレア)Cyndy(シンディー)Carolina(キャロライナ)Carola(カロラ)……。

 被害者の名前は、全員アルファベットに直すと頭文字が『C』だ。だから、Curarpikt(クラピカ)もターゲット認定したんだろう。……私が呼んでしまった瞬間に!!」

 

 掌から血がにじむほどに強く両手を握りしめ、昨夜のことを思い出しながら告げる。

 トモリの『ルール』にして、自分の最大の失敗を。

 

 ソラの言う通り、この世界には漢字もアルファベットも存在するが、世界共通文字として「ハンター文字」というものがある。

 その所為で警察にとっても盲点になってしまっているのか、それとも染めるなりしてターゲットの条件から外れることが出来る「金髪」は広げるべき情報だが、変えることが出来ない「名前」という条件の流布は、市民の不安を煽って混乱を招くという考えから、「被害者の名前の頭文字が、アルファベットのCから始まる」という情報は規制されているのか、ソラが探した限り見つからなかった。

 

 だが、「ハンター文字」はもちろん世界共通文字などない世界の住人であるソラからしたら、ニュースで今までの事件のおさらいとして流れてきた被害者達の名前を聞いた時点で、即座に気付けた。

 だからこそ、ソラは「今すぐに犯人(あの子)を見つけないと」という思いに駆られて動いた。動かないと、トモリを見つけないと、それこそソラは息さえも出来ない後悔に駆られたから。

 

 ソラが、呼んだから。

 あのエレベーターから降りて、見覚えのありすぎる背中を見てとっさに、無邪気に、無防備に呼んだから。

 

『あれ? クラピカ何して……』

 

 獲物を喰らったばかりなのに、もう次の獲物を探し求めていた相手の目の前で。

 彼女にとって彼は、獲物にふさわしいということをソラが教えてしまったから。

 

 だからこそ、彼女は手段を選ばず探し求めて、ここにいる。

 一縷の希望に縋って。

 クラピカは性別がターゲットの条件に合っていないことを告げれば、自宅まで突き止めたソラは自身はともかく、クラピカに関しては「下手に口封じの為に近づいて関わった方がヤバい」と判断することを、もしくは条件に当てはまっていないだけで興味をなくすほど相手が狂っていることを期待していたが、ソラの期待は一蹴された。

 

 だからこそ、ソラは憐れみながらも容赦しない。

 けどそれは、ただクラピカが危険だからというだけではなかった。

 ソラは、憐れんでいるからこそ容赦をしてやる気がない。

 

「君は狂って壊れてしまった部分があっても、狂人には程遠い。獣なんかじゃない。

 獣は目的に一直線に進む。口封じが目的なら、私たちを昨夜の時点で見逃さない。そして口封じよりも『ルール』が重要な目的なら……君はクラピカを殺せない。

 狂人は理屈に合わない行動を取るから、狂人だと思うか? 確かに狂人は常識の枠から外れたからこそ狂人だけどな、『常識』という安全圏から脱落したからこそ、自分の中の『ルール』こそが絶対になる。それこそ、『ルール』を破れば生きていけなくなるから、死に物狂いで『ルール』を遵奉する。

 

 ……狂人は、強くなんかない。曖昧な何かに耐えきれず、許せないからこそ壊れて、自分にとって確かだと信じたいものに縋ってないと生きていけない弱い生き物なんだ。

 だから、『条件に合ってない』と指摘されても、『どうでもいい』と答えられる君は……狂人(けもの)じゃない。

 

 ただの()()()()()()()()()()()()()()()()()()、無関係な犠牲を出した小賢しい外道(にんげん)でしかないんだ」

 

「!?」

 

 今度はソラは一歩も動いていないのに、トモリは壁沿いに置いてある本棚に背中をぶつけるほど大きく飛びのいて、距離を取る。

 距離を取り、逃げて、けれどもう逃げ場がないことよりもソラの発言に怯え、唇を戦慄かせながら問う。

 

「な……んで……わかる……の?」

 

 トモリの反応に、ソラはやはり憐れむように小さく息をつく。

 ソラはトモリを狂人(けもの)ではないと否定する、そこまでお前の心は弱くないと指摘したが、彼女の心は決して強くもないことを既に理解している。

 

 誤魔化そうと思えば誤魔化せたのに、「何の事?」と恍けるのではなく、何故ソラがトモリの「真の目的」に気付いたのかを問う時点で、この少女の心は弱りきっている。

 それこそ、ソラが語った「自分にしか意味のない強迫観念」に囚われた狂人の方がマシに思えるほどに。

 

 理性を残していることが、トモリは弱ささえ振り切ることが出来ずにいるのを憐れんでいるからこそ、教えてやる。

 

「別に根拠はないよ。今のはほとんどカマかけだ。

 規則性はあるけど被害者達に関連性はない連続殺人なんて、ちょっとミステリを齧ってりゃ『動機の面から確実に自分が疑われる真のターゲットを、無差別殺人の被害者と思わせることで容疑から逃れること』が目的じゃねーかって疑うのが基本になるだけ。

 少なくとも、『若い金髪の女』だけが条件なら、快楽殺人鬼の歪んだ性癖で終わるけど、見てわからないし外見に影響しない『名前』まで条件に組み込んでいるのなら、ターゲットの選定理由はただの加虐趣味なんかじゃない。少なくとも犯人にとっては明確に、その条件じゃないといけない理由があるんだ。

 

 ……それに加えて、君が条件に合ってなくてもクラピカを諦めないことがその疑いを強くした。

 君がクラピカをターゲットから外さない理由は、口封じの為じゃない。被害者に華奢な体格とはいえ男がいればなおさら、あの子以上に華奢で幼い自分が容疑者に上がる訳がないって思ったからだろう?

 被害者の条件が『怨恨による殺人ではなく、異常者による通り魔的なものだと思わせること』なら、性別にこだわる必要はない。むしろ被害者同士の関連性が余計になくなるから、より『動機のある殺人』ではなく『異常者による殺戮』だと思ってもらえるっていう打算が働いたからこそ……君はクラピカを殺すことを諦めないんだろう?」

 

「カマかけ」と告白されても、トモリにはそれに引っかかってしまったことを悔しく思う余裕などなかった。

 むしろ根拠などなかったのに、自分の真の思惑を完全に当てに来ていることが恐ろしくてたまらない。

 

 兄についた悪い虫を以前のように排除したかった。けれど、兄の周りで2度も行方不明者が出たらトモリより兄が疑われると思ったから、今回は隠さずに自分はもちろん兄でも無理があるほど破壊した死体をわざと放棄した。

 それでもやはり自分はともかく兄は疑われてしまうので、兄のアリバイが確保されている時間に、最初に殺した悪い虫と同じ金髪で、同じくらいの歳、ついでに同じ頭文字の女を殺した。

 そしてさらに人数が増えたら、アリバイがあるなし関係なく兄はただの「無差別殺人の被害者の恋人」でしかなくなると思ったから、同条件の人間をフェイスブックなどで見繕って殺してきた。

 

 もう昨日の時点では、最初の犯行を誤魔化す為なのか、この殺戮を楽しみたいだけなのかがトモリ自身にも判別がつかなくなっていたが、どちらにしろ続けていた理由は、止め時を見失っていたのは全てが上手くいっていたから。

 兄の傍から悪い虫はいなくなり、自分も兄も疑われず平和な日常を続けていたからこそ、トモリは獲物を探し求めて駆け抜けることも、獲物を追いつめるために走り抜けることもやめることが出来なかった。

 

 上手くいっていた。全てが上手く、自分が思った通りにことが転がっていた。

 なのに、なのに…………

 

 上手くいっていると信じていた、上手くいくと信じて疑わなかった前提が崩れていくのを感じ、トモリの歯の根が噛み合わずガチガチと寒さに耐えるように鳴る。

 怖くて仕方がない。

 けどトモリにとって今、何よりも恐ろしいのは目の前の女ではない。

 

 怖いのは、怖くて仕方ないのは、走り出したくて、人間の域を超えてまで走り出して走り続けていたいのは――

 

 

 

『いつものことだから、放っておきなさい』

 そう言って、オトウサンは私に命令した。

 

『お父さんも今日は休みだから、ずっと一緒にいよう』

 私の肩を掴んで、私は肩に食い込む指が――

 

 オカアサンを見ても、何も言わなかった。

 のっぺりとした能面みたいな顔が――

 

 ワタシも、いらないやと思って納得して、××を

 

 あの夏の日から、ワタシはずっと――――

 

『トモリ、良い子にしているんだよ』

 

『いつも誰か(お父さん)が見張っているよ』

 

『私たちは仲間(かぞく)だよ』

 

『あの日のことは』

 

『あの日のことは』

 

 

 

 ――――――ずっと、黙っているんだよ。

 

 

 

 

 

「黙れえええぇぇぇぇっっっ!!!!」

 

 背後の教科書や漫画、小説が詰まった本棚を片手でわし掴み、トモリはそのまま投擲する。

 もうそこに「家をなるべく壊したくない」「近所に通報されたくない」という余裕や保身は忘却の彼方。

 ただただ、目の前の女がトモリには許容できない。生きていること、存在していることが耐えられないから、消してしまいたいという思いしかない。

 だが、それでもやはり彼女は獣には程遠い。

 

 自分に向かって一直線に飛んできた中身入り本棚をソラは蹴り砕きながら、やはり憐れみが籠った目で呟く。

 

「何があって、そんなにねじ曲がったんだか?」

 

 その呟きは、トモリが一番恐れているものをソラは知らない、気付いていない証明であることにトモリは気付いていなかった。

 何もしなくても、ソラはトモリが本当に見たくないものを突き付けることは出来ない事に気付けない。

 

 目的に対して一直線には進めない、直視することは出来ないから数多くの言葉と理屈を重ねて眼を逸らし、遠回りすることでその目的を得ようとする無意味としか思えない行いにこだわるのは、獣ではなく人間のもの。

 トモリは自分が何かを言えば、行動すればするほど自分が獣ではなく人間であることを証明している自覚もなく、彼女は自分が得た「力」を最大限に発揮して、自分が名乗った「芝刈り機」にふさわしいその凶爪をソラに向けて襲い掛かる。

 

 …………何かに警戒するように、一瞬だけ自分の背後を気にしながら。

 

 トモリは、気付いていない。

 自分が得たものは「力」ではなく、大きすぎる「傷」であることに彼女は気付けなかった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 そこらのディスカウントショップで購入した安っぽい黒髪のウィッグにクラピカは自分の金髪を押し込んで被る。服装も特徴的なクルタの民族衣装から、同じ店で購入した何の特徴もないシャツと上着に着替えているので、少なくとも昨夜10分足らずの時間しか接してない相手に遠目パッと見で気づかれることはないであろう変装が完了する。

 しかしこの変装も、スクワラ達から渡されてシャツの下に着こんだ防刃チョッキも、気休めになるのかどうかも怪しい。

 

「ブロンド殺し」の殺害方法からして、“念”の系統は十中八九強化系だ。防刃チョッキなど、厚手の服を重ね着した程度の装甲になればいい方。

 そしてネオンの予知通りクラピカが死に至る原因が「ブロンド殺しのターゲットだから」ではなく、「ソラを庇ったから」ならば、変装に意味はないことを理解している。

 それでも、クラピカに今できる足掻きはそれしかなかった。

 

 数多の後悔に膝を屈しない為に、足掻き続ける。

 

「っち! ……あの大馬鹿者。だから、『私の所為』か!」

 

 その足掻きの中、また一つ増えた後悔に車の中で舌を打ってクラピカは呟いた。

 その舌打ちに怯えつつも、隣りで「ブロンド殺し」の詳細をケータイで調べて読み上げていたネオンが「え? どういうこと?」と尋ね返す。

 

「……被害者の名前を全員読みあげられて気付きましたが、おそらく『ブロンド殺し』のターゲット条件には、『名前の頭文字がアルファベットのCから始まる』も含まれています。

 だからこそ……あのバカは連絡を絶って勝手に行動してます」

 

 前半の名前に関しての共通点には納得して「あぁ!」という声を上げたが、自分が知りたかったクラピカが怒っている理由は結局よくわからないネオンは首を傾げ、車を運転していたセンリツが苛立って余裕を失いかけているクラピカの代わりに補足してやった。

 

「……『ブロンド殺し』の前でクラピカの名前を呼んでしまったのが、彼女なんでしょう。

 彼女は私たちよりも早くその名前についての共通点に気付いたからこそ、自分の失敗、クラピカが『ブロンド殺し』のターゲット条件が揃っていると思わせるトドメの情報を与えてしまったことを後悔しているんだと思います」

 

 センリツの補足にクラピカは内心でもう一度、「大馬鹿者」とソラを罵る。

 自分だって同じ立場なら、同じくらいに後悔して、どんな手段を使ってもソラより先に犯人を見つけ出し、「最悪」が起こらないようにするくせに、だからこそ何度も何度も罵る。

 

 ソラは間違いなく、「こんなにもわかりやすい共通点に気付かず、無防備にクラピカの名前を呼んだ」と思って自分を責めぬいているが、ソラを責める謂れはソラ自身にも本来ならない。

 

 この世界に来て4年たつとはいえ、ソラにとってハンター文字は未だ第一言語ではない。英語より下の立ち位置だ。

 なので、「ブロンド殺し」の名前の共通点に二人目時点で気付き、三人目で「これもターゲット条件だ」と確信できたはず。

 確信していれば、ソラは絶対に人前でクラピカの名前を呼ばなかったし、クラピカ本人に「私は男だ! 条件にそもそも合っていない!!」とキレられて殴られても、それでも本人やその周りにもこの気付いた条件を話して注意を促していた。

 

 それをしなかったのは、出来なかったのは、「ブロンド殺し」はかなりの凶悪犯なのは間違いないが、それでもまだ被害者数は一桁、犯行範囲も他国に及ぶどころか一つの都市に留まっている為、世界的なニュースにはなっていない。

 既に捕まっているのならともかく、容疑者すら浮かんでいない事件を他国に知らしめるのは愚行でしかなく、他国も自国民が被害に遭わない限りはこの時点でニュースに取り上げはしない。

「ブロンド殺し」は自国民なら既に知らぬ者はいないレベルの知名度だが、別の国に滞在していたら、自分から調べない限り知りようがないローカルニュースの類だった。

 

 だから当然、昨日こちらに到着したばかりのソラは知らなかった。

 クラピカはもちろん、彼女を呼んだ同僚たちもソラに何も言わなかった。「ブロンド殺し」なんていう、殺人鬼の話など誰もしなかった。

 ソラが金髪だったら話は別、注意として教えていただろうが、そうでないのならこの話題は悪趣味なゴシップでしかない。そして悪趣味な世界に身を置く立場だからこそ悪趣味なゴシップには食傷気味なのか、雑談にそんなゴシップを話題に上げる奴はいなかった。

 

 だから、ソラが「ブロンド殺し」の存在自体を知ったのは今朝方のはず。

 自分の泊まっているホテルでその犠牲者が出て初めて知って、その殺人鬼の「ルール」を理解して、後悔して、行動に移したことまで、クラピカは理解している。

 ありありと、想像できる。

 

 名前の条件に気付いた時、自分の犯した失敗に気付いた時のソラの後悔があまりにも鮮明に脳裏に浮かんだ。

 気づける訳がない、防ぐことなど出来なくて当然、むしろ今までニュースで見て知っていた自分たちが「ブロンド殺し」の条件に合う合わない関係なく、根拠らしい根拠もないのに「自分は大丈夫」と思い込んでいた無関心から名前の共通点に気付かなかったことを責めるべきなのに、ソラは全部自分一人で抱え込んで駆け抜けた。

 

 クラピカが殺されるかもしれないという可能性に耐えきれず。

 その可能性を排除しないと、ソラは生きてゆけないから。

 

 そこまでわかっているからこそ、クラピカは何度も何度もソラを「馬鹿者」と罵る。

 自責ばかりしてクラピカを責めないことを、クラピカだってソラがいないと生きてはいけないのに、自ら危ない真似ばかりすることが許せず、何度も何度も罵りながら膝の上の地図を睨み付け、センリツに指示を出す。

 

「次の信号で右折してくれ」

 

 地図に穴が開くほど睨み付けながら、薬指の鎖が反応する方向を指示する。

 正直、ダウジングチェーンの原理は当人のクラピカも理解しきれていないが、おそらくはネオンの「予測型予知能力」に近いものなのだろう。なのでさすがにあの「ブロンド殺し」と思える少女の居場所は、彼女との関わりが少なすぎて情報量が足りず、「絶対時間(エンペラータイム)」を使っても探索は絶望的だが、ソラ相手ならばクラピカは緋の眼になる必要さえもなかった。

 どこまで自分は彼女を求めているのだ? と自分の正直な胸の内を表す鎖にやや呆れる気持ちもあるが、今は好都合だとその呆れを頭の端に追いやってクラピカはソラの居場所を探りながら、顔も上げずにネオンに言った。

 

「ところで、『ブロンド殺し』の情報はもう終わりですか?」

 

 好きが高じて占い師になったからか、クラピカのダウジングを興味深そうに見ているネオンにクラピカは冷たく尋ね、ネオンは申し訳なさと怯えと不満が入り混じった顔と声音で、「……ごめんなさい」と呟き、ケータイに視線を落とす。

 そのやり取りにセンリツは一度ため息をついてから、二人に言葉を掛ける。

 

「クラピカ、八つ当たりしない。お嬢様も、体調を悪くしてまで無理しないでください」

 

 言われて、クラピカは少しだけ顔を上げてネオンを見てみると、車内でケータイの小さな画面で文字を追っていた所為かネオンの顔色は悪かった。

 車酔いをしている相手に情報の催促と、「着いて来たからには何かしろ」という嫌味はさすがに大人げがなさ過ぎたと反省したのか、クラピカはネオンに「申し訳ありません」と素直に謝る。

 

 ネオンがクラピカにどういった人物像を懐いているのかは不明だが、自分の非を自覚したらとてつもなく素直な彼が意外だったのか、彼の謝罪に狼狽しながらもセンリツの言葉に甘えて先ほどから感じる自分の不調を口にした。

 

「へっ!? べ、別にいいよ。っていうか、あたし三半規管は強い方だから車酔いしてないよ。

 ……でも、ごめんなさい。なんかこの『ブロンド殺し』の記事を読んでたら、どんどん頭が痛くなってきた。割れそうとか横になりたいって程じゃないけど、地味にじんわりと痛んでくる……」

 

 車酔いではないが頭痛がすることを訴えると、クラピカは屋敷で一度キレてからずっとネオンに対してあった言葉の棘を落として、それ以前と同じように優しさはないが冷たくもない淡々とした様子で返答する。

 

「……半端に情報を詰め込んでいる所為で、脳に過剰な負担を掛けてしまっているのかもしれませんね。すみません、考慮が足りませんでした。少し、お休みください」

 

 その言葉の中の反省も気遣いもは本心だが、ネオンを連れて来て失敗だったなと身勝手にも思ってしまうのも本心。

 

 ネオンの「悪魔」を外す方法は、実はソラに頼る以外にもクラピカは既に思いついている。

 この「悪魔」は操作系よりの能力だが、ネオン自身の系統は特質系だ。

 なら放出系の能力に関しては強化や変化よりマシだろうが、得意分野とも言えない。

 この「悪魔」は十中八九、ネオンから遠く離れても長時間維持できるものではない。どれくらいの距離が必要かまではわからないが、ネオンとクラピカが離れたら離れただけ「悪魔」からの影響力は薄まる可能性が極めて高い。

 

 だから、焼け石に水でもネオンを屋敷に置いて来た方が本当は良かった。

 ネオンが自分の視た悲劇を回避したいと願っているのなら、どこでもいいからひとまずクラピカから離れるようにと指示すれば、意味がわからず困惑はするだろうがそれでも逆らいはしなかっただろう。

 

 そこまでわかっていながら、クラピカはネオンの「連れて行って」という希望に応えた。

 それはもちろん、ネオンがさらに情報を収集することでより精密な予知を視てもらい、その予知の情報を参考に悲劇を回避しようという思惑が第一だが、それだけではない。

 

 クラピカは、あれほど人体蒐集家の前に出したくなかったソラをネオンに会わせたくなった。

 

 おそらく本質的にそうではなかったと昨夜語ったとはいえ、それはクラピカが個人的に思ったことでしかない。

 確証など無く、クラピカの思い込み、勘違いかもしれないのに、わずかでもソラを脅かす可能性に彼女を関わらせたくなどないのに、もう一度ネオンをソラに会わせてみたくなった。

 

 会わせて、ソラがネオンに何を見て、何を語るのかを聞いてみたくなった。

 この少女を憐れむのか、自分と同じように憎悪するのか、それとも……昨日のように失望するのかが知りたくなった。

 

 しかしそんなクラピカの好奇心なのか、「答え」を得るために切実に必要な疑問なのかよくわからないものの為に、自分の死の可能性を引き上げる真似が愚かであることもわかっている。

 

 だから協力者として頼んで連れてきたのは、その優れ過ぎた聴覚で奇襲を察知できるセンリツ一人だ。

 さすがにいくら今のクラピカがノストラード組の生命線とはいえ、同僚全員に協力を仰ぐのはクラピカのわがまま、クラピカの死を避ける為ならソラと関わるのをまずやめろと言われて当然なので、彼は最低限の人員で自分の未来を変えるために、今ある情報をもとに思考を続ける。

 

「……それにしても、クラピカさんが出会った相手が『ブロンド殺し』なら、どうやって殺したのかな? “念”って私と同じくらいの女の子でも、こんな殺し方が出来るものなの?」

 

 しかしクラピカが今どれほど余裕がないのかわかっていないのか、ネオンはセンリツとクラピカの言葉に甘えてケータイを仕舞ってから、呑気に疑問を口にした。

 クラピカは自分の能力が『ブロンド殺し』に通用するか、ソラのサポートに役立つかを考えるのに忙しいのはわかっていたので、その疑問に答えたのは運転席のセンリツ。

 

「うーん、念能力者(わたしたち)の視点で言うと、驚く点は歳くらいですね。

 念能力には法則があって決して万能でも無敵でもないですけど、能力そのものは何でもありの世界ですし。それにあの殺し方は10代の女の子がやってるとは考えたくないですが、典型的な強化系能力者ならそれこそ何の小細工もなしに出来ますね」

 

 昨日の内にソラからの「“念”を教えた方がいい」という忠告に従って、最低限の“念”についての知識を教えていたので、ネオンはセンリツの説明を理解出来た。

 そして理解出来たからこそ、更に浮かんだ疑問を子供らしい不思議そうな顔で問う。

 

「でもさ、修行とかもなしにそこまで強くなれるものなの? 被害者はあなたたち能力者と違って普通の人とはいえ、殺されるってなればそれこそ死に物狂いで抵抗もするじゃない。

 たぶん、隠れて殺人鬼してる以外はその子、普通の子なんでしょ? 修行とかしてないとは限らないけど、ちゃんとした能力者ならむしろ出会った時に気付けた可能性が高いってクラピカさんも言ってたし、“念”をちゃんとコントロールできてないのなら返り討ち……はなくても悲鳴とか上げられて目撃されそうなのに、よく今まで誰にも見つからずに6人も殺せたよね」

「……その疑問の答えは、あなた自身が割と体現してますよお嬢様」

 

 ネオンの問いにセンリツが苦笑気味に答えると、ネオンは「あ」と納得の声を上げてから、彼女も気まずげに苦笑する。

 センリツの言う通り、“念”についての知識を学び、師を得て修行らしい修行を行った者でないと強くなれない、精度の良い能力にならないのならば、ネオンだってクロロに盗まれた能力を得られる訳がない。

 

「そっかー。そういえば言ってたよね。“念”は『好きこそものの』が実現する世界だって。

 ……けどそう考えると、『ブロンド殺し』は救えないよね。……だってその理論で言うと、その子にとっての『殺し』はあたしの『占い』で……好きでやりたいと思って、やって、上達したものなんだから」

 

 納得し、それからだいぶヨークシン前と同じテンションに戻っていたネオンは再び最近のネオンに、卑屈そうで陰鬱な雰囲気に舞い戻って、俯きながら呟いた。

 それは「ブロンド殺し」に同情しているようにも、嫌悪しているようにも聞こえた。

 

 そしてセンリツは、ネオンの胸の内にある「ブロンド殺し」に対する感情は両方が正解であることに気付いている。

 ただ、嫌悪に関しては同族嫌悪だ。

 ネオンは「ブロンド殺し」の惨たらしくて悪趣味な殺し方に、金に物を言わせて人体を買い漁っていた頃の自分を見ている。

 

 クラピカと同じ推測、ネオンは本質的に人体に魅力を感じる感性はない、ライトが娘と向き合わなかった所為で取り返しがつかない所まで勘違いしてしまった被害者であると思っているセンリツは、フォローの言葉を掛けようかと思ったが、思い浮かんだ言葉はフォローにならないことに気付いてやめた。

 

 ……確かに“念”は、ネオンに教えた通り「好きこそものの上手なれ」が実現する世界だが、それが全てという訳ではない。実際にクラピカは鎖マニアという訳ではなく、その能力の根幹は憎悪だが、高い精度を誇っている。

 自分の精神が大きく影響するから、自分の好きなものを能力にしたら効率が一番いいというだけの話であり、能力に使用しているものや能力効果そのものが能力者の好きなものとは限らない。

 

 そして、修行なんてものは極論で言えばいかに自分を痛めつけるかだ。

 痛めつけることで己を頑丈に、あるいは強靭に、あるいは俊敏に、あるいは鋭敏に、あるいは麻痺させて何も感じなくさせることで強くなることを「修行」という。

 

 効率の良い修行や練習なんてものは、自分自身がその痛みに気付かせない、痛みだと認識せずに行えているものに過ぎない。

 痛めつけること、痛めつけられることで学習させていることには変わりなどない。

 

 そして………………、無自覚な子供の念能力者の大半は、親からの虐待や学校等で苛められていたという子供が占める。

 虐待児のいる家でポルターガイストやラップ音などの怪奇現象が起こるのは、虐待によって精孔が開いて能力者として覚醒した子供の能力が暴走しているパターンがほとんどだ。

 

 好きだからこそ、そういう能力になった訳ではない。むしろその能力は、その子の「傷」だ。

 その傷をさらに痛めつけられたから、痛み続けたからこそ、それが過酷な「修行」となって強い「力」となってしまうパターンも多い。

 

 そういう話をしようかと思ったが、センリツは何も語らない。

 語る意味がないどころか、それはネオンの「傷」を余計に深めることに気付いたから。

 

 今になってネオンの能力を思えば、彼女の能力だって「好きこそものの」だけではない。

 あれは、懇願と悲鳴だ。

 

『パパ。あたしを見て』

『あたしを愛して、パパ』

 

 自分をないがしろにし続けた父親の愛情を信じて求めたネオンの叫びこそが、「占い」という能力であり

 

『もうパパもあたしもどうでもいい』

 

 その信じて期待していたものを諦めて絶望した嘆きこそが、「悪魔」なのだろう。

 

 ――ネオンは「好き」が高じて覚醒した能力者ではない。

 痛めつけられることで目覚めて開花した被害者であると突き付けることは、センリツには出来なかった。

 

「……センリツ。何か聞こえないか?」

「え?」

 

 ネオンをフォローする言葉も、空気を換える話題も浮かばない自分に落ち込んでいたセンリツに、クラピカが話しかけてきた。

 バックミラー越しに見たその顔は、ネオンとセンリツとの会話を全く聞いてなかったのか、それとも聞いた上でこの空気よりも気になるのか、彼は頭痛に耐えるような渋い顔をしていた。

 

 その顔とギュンギュンという音が鳴りそうなほど高速で回っている鎖の反応で、センリツだけではなくネオンでさえもだいたい察する。

 

「…………だいぶ近づいてきたというのもあるのだろうが、鎖の反応が妙に激しい。

 あのバカ、昼間から住宅地で何かやらかしているのかもしれな……」

 

 クラピカも女二人にもう勘付かれていることに気付きながら、諦めたように言葉を続けたのだが、それは最後まで言えなかった。

 センリツでなくても聞こえる破壊音と悲鳴が響き渡り、車内の三人がその音がした方向……というか、車の進行方向、つまりは真正面を見る。

 

 真正面には上を見上げている人々がいたので、3人も目線を少し上げる。

 およそ1キロほど先に煙が上がるマンションの一室がまず見えて、そのままさらに視線を上げていくと崩れて抉れ、何室かの最上階の部屋が少し見えるようになってしまった屋上があり、そしてその屋上で何かが二つ飛び交っている。

 

 一つは、理性による保身にしても悪足掻きなことにシーツらしきものをマントのように被って顔や体格を隠しているせいで、遠目からでは人間どころか生き物かどうかの判別もつかない。

 しかしもう一人の方は、遠目からでもはっきりと人間だとわかる。

 

 白い髪の人間が、シーツを被った何かと屋上で飛び交って格闘していた。

 

「……念能力って、鍛えたら空を飛べるの?」

「飛べる者もいるかもしれませんが、あれは確実に『バカと煙は』という奴です」

 

 ポカンと、屋上で繰り広げられているワイヤーアクションのような攻防戦を見上げるネオンにクラピカはきっぱり言い切り、センリツは苦笑しながらアクセルを踏んだ。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 シーツで姿を隠しているので、トモリは片手を使っていない。シーツを掴んで押さえつける為に塞がっている。

 それなのに、ソラは未だにトモリに決定打を与えられていない。むしろ、彼女の方がトモリの凶爪によっていくつか傷を負っている。

 

 それはソラの子供に対しての甘さと、トモリが逃げようとした時や自分たちが派手にやらかしていることで集まって来てしまった野次馬に被害がいきそうになった時、自分の身を守ることより優先してそれらを防いだからでもあるが、何よりも大きな負傷の理由は単純にトモリが強すぎるから。

 

「まいったな……。さすがにパワーはあの脳筋ゴリラ(ウボォーギン)に負けてるけど、スピードがパない。っていうか、“流”が上手すぎだろ君」

 

 被害者達の惨状やタクシー運転手の口封じの方法からして相手が強化系だとは予測していたが、無自覚な念能力者としては有り得ないほどの実力に、ソラは素直に感嘆した。

 パワーはさすがに元々の体格といいキャリアといい、強化系最強格と言ってもいいウボォーギンには全く敵っていないが、彼女自身もパワーファイターになる気はあまりないからか、トモリは強化した筋力をパワーではなくスピードに回している。

 

 小柄な体格も相まって、その判断はベスト。

 更に隣り合って相性の良い変化系を応用し、腕に纏ったオーラを鋭利な刃に変質させ、それを強化した腕で殴りつけて切りつけるという、優秀すぎて凶悪すぎる芸当をかましてくる。

 

 それだけでもう十分すぎるほど、「“念”のことを知らない、無自覚素人な能力者じゃないだろこいつ!?」というレベルの高さなのに、ソラの言う通りトモリは、オーラを体のどの部位にどれくらいの量を纏わせるか、そしてそれをいかにスムーズに他の部位に流すように移し替えるという技術である“流”が、ソラよりも格段に上手い。

 

 ソラの場合は「魔術回路」の弊害で、肉体の構造的にどうしても回路のない胴部にオーラを回すのが不得手、代わりに回路のある手足と頭部になら得意という奇妙な技術の持ち主なのだが、トモリの“流”はソラの得意分野な手足への“流”より上回っている。

 オーラ量はソラやクラピカといった、ちゃんとした能力者と比べると少ない方。にも拘らずソラと交戦出来ているのは、彼女はその少ないオーラを一切無駄にせず、“流”で的確に最低限のオーラを回して、最大限に部位を強化して使用しているからだ。

 

 それは全て、天才と言っていい技量だ。

 負傷しながらも、交戦しながらもソラが感嘆するのは無理もない。

 

 しかしソラが感嘆しつつもその眼でトモリに向ける感情は、やはり憐れみだけ。

 

「――本当に、不運でかわいそうな子だ」

「黙れって言ってるでしょ!!」

 

 ソラの憐憫がこもった言葉に、トモリは甲高い声で叫んで跳びかかる。跳びかかりつつも、トモリはその直前に拾い上げていた、自分か相手が蹴り砕いた屋上の一部、赤ん坊の頭くらいはあるコンクリ塊を投げつけた。

 それに当たればよし、逃げられてもその逃げ場は既にトモリが塞いでいる。今度こそ、今度こそ自分を憐れむこの女の首を掻っ切れる。あの眼を塞ぐことが出来るとトモリは確信する。

 

「いやだって言ってんだろうが!!」

 

 しかしその確信が勘違いだと、即座に思い知らされる。

 ソラは逃げないどころか反射で一瞬目を閉じることもなく、自分の顔面を西瓜割りのごとく粉砕するために投擲されたコンクリ塊を、“凝”を施した右手で殴って逆に砕き、その右手が人さし指を立ててトモリを指す。

 

「ガンド! ガンドガンドガンドォォッッ!!」

「きゃあっ!!」

 

 空中で何とか身をねじって連射された魔弾をいくつか回避するが、シーツ越しに不可視の硬球のようなものがトモリの体にいくつかめり込み、撃ち落とされる。

 やはり天才的な“流”でガンドが当たった部分にオーラを回して、ダメージは最低限、嫌がらせとして優秀過ぎる免疫力が強化されたせいで起こる軽いアレルギー反応による痒みも防ぐが、ソラの方もあれで終わる期待などしていない。

 

 だからソラは、ガンドを連射していた時にはもう動いていた。トモリにガンドが当たって、撃ち落とされる予測落下位置まで走り出し、落下する自分をソラがひっ捕らえようと手を伸ばしていることに気付いたトモリは、悲鳴を上げる。

 

「来るな来るな来るなぁぁぁっっ!!」

 

 叫びながら空中でソラを蹴りつけて落下位置を若干ずらし、受け身も取れずに落ちたがその痛みを無視して、トモリは自称した「獣」にふさわしい反射反応とスピードで、ソラの蹴りを猫のように避けて距離を取る。

 

 やはりソラは、トモリに決定打を一切与えていない。

 だがソラの攻撃や行動の一つ一つがトモリに中に蓄積されてゆき、余裕を奪う。

 

(何で!? 何で何で何でこいつは死なないの!? 何で私はこいつを殺せないの!?)

 

 肉体面のダメージはもちろん、蓄積されて深刻なのは精神面でのダメージ。

 最初の不意打ちを予知していたかのように避けて、攻撃まで仕掛けてきた時点で今までのようにうまくはいかないのはわかっていた。

 それでも、奇襲を避けられて奇襲をやり返されたのに、それを回避出来た自分にトモリは自信を持っていた。

 厄介だけど殺せない相手ではない、自分の方がスペックが高いと思っていた。

 

 実際、トモリの思っている通り念能力者としてのスペックは、トモリの方が高い。

 なのに、殺せない。

 姿こそトモリはほぼ無傷、向こうが満身創痍だが、そんなの何の救いにもならない。

 殺す気で仕掛けた攻撃を、傷は負ったが致命傷を避けられた時点でトモリのプライドはズタズタだというのに、その傷だってお情けで喰らってくれたようなもの。

 

 先ほどのようにトモリが積極的に攻撃を仕掛けた場合、ソラはダメージを負っていない。

 全部全部、完封されて反撃されて、トモリが自分のスペックを全て回避や逃避に回して、ようやくソラの間合いの外まで距離を置けているだけ。

 

 ソラが攻撃を防ぎきれなかった時はいつも、トモリがソラを殺すのを諦めて逃亡しようとした時か、自分たちの戦闘の余波で野次馬に被害が出そうな時にだけ、この女は自分の身を盾にしてもそれを防いだ。

 防御よりそちらを優先したから喰らっただけだ。本来ならやはり完封出来たことなど、もう泣きたくなるくらいトモリは理解している。

 

 トモリは憐れな程に子供だった。

 自分が井蛙であることを知らなかった。

 

 トモリが相手にしている女は、実は念能力者として優秀とは言えない。

 前述の通り魔術回路の所為で、どれほど鍛えても妙な偏りが生まれてしまい、優秀とは初めからなり得ない生き物なのだ。

 その弱点を理解しているからこそ、この女は能力者としては優秀になり得なくとも、能力者としての戦いに関しては優秀であることなど、トモリは理解出来なかった。

 

 トモリは知らない。

 この女はこちらの世界の「非常識(念能力)」だけではなく、別の「非常識(魔術)」の使い手でもあることを。

 この女の眼は、どの世界においても「化け物」の領域にあることを知らない。

 

 トモリは知らない。

 奇襲なんか通用しない。彼女こそが常に奇襲を行っていることを。

 この女は常に一秒先の、無数の死を撃ち砕くという地獄の中にいることも、そうしないと呼吸さえもできないほど壊れ抜いた「狂人(けもの)」であることを知らない。

 

 トモリは、知らない。

 

 自分が相手にしている女は、自分以上の化け物で、獣でありながら、それらに、自らが得たスペックに慢心せず鍛え続けた……、弱くてちっぽけだが、足掻きに足掻き抜いて数多の神を科学という文明に引きずり落とす、「人間」そのものであることを知らない。

 

 トモリは能力者としては天才といえる。

 しかし彼女は、けっして怪物ではない。獣にもなれなかった。

 人間として幼くて弱いままのトモリの前に現れたのは、怪物と獣と人間のハイブリッド。

 

 それらはどれも、天才の領域には至らない。無敵には程遠い。

 怪物は英雄に、獣は人間に、人間は怪物に殺されるのが摂理。

 トモリにも相手を殺す余地ならあった。

 だが、トモリには圧倒的に足りなかった。

 

 いかに天才といえど、走り始めていきなり最高速度を出すことなど不可能。

 たとえ相手が天才と言えなくても、それでも鍛え続けて今も進化をし続ける、焼き切れても止まらぬほど加速し続ける流星相手に、トモリの初速で追いつける訳がなかった。

 

 ……「天才」でも初速では適わないのなら、トモリに敵う訳などない。

 トモリが最高速度に至る前に、叩き潰されるのは自明の理。

 

 そもそも、トモリは「天才」とは言えないから。

 彼女のスペックは決して、すべてが「才能」ではない。

 

 だからこそ、ソラはそこに付け入る。

 憐れみながら、同情しながらもソラは自分が生きる為に、幸福に生きるという夢の為に、目の前の少女を、トモリを切り捨てた。

 

「ねぇ、君は……一体何をそんなに()()()()いるんだい?」

 

 そろそろこのやり取りを終わらせる為にソラは、トドメの前準備として尋ねる。

 

“流”が天才的に上手くて、オーラを最効率の燃費の良さで回しているとはいえ、今の調子なら基本的にソラが回避とダメージ蓄積目当てのちまちました反撃を続けていれば、トモリの方が先にガス欠を起こすと思えたから、それでもソラは良かった。

 だが、真昼間からマンションの屋上でCGなし、ノーワイヤーでのアクション映画並みの交戦という派手な騒ぎを起こしてしまっているので、クラピカがソラや周りの言葉を無視してワーカーホリックしてない限り、さすがにそろそろ情報が入るだろう。

 

 下手したらホテルでの「ブロンド殺し」をニュースで見て、ソラと全く同じ推測にたどり着き、もうとっくの昔にソラがどこに向かって何をしようとしているのかも理解して、今向かっている最中である可能性も低くはない。

 そうだとしたら、時間がない。

 

 おそらく今のトモリは、クラピカのこと、何でソラが自分の前に現れた理由すら忘れている。

 それぐらい、ソラに追い詰められている。

 

 元から彼女に余裕などなかった。なかったからこそ自分がソラと戦う羽目になったことすら、トモリは理解出来ているのかどうかも怪しい。

 

 それぐらいに、余裕がない。

 自分の余裕が何故、奪われたのかもわからない。気付いてはいけない。気付きたくないからこそ、頭に余裕があれば気付いてしまうからこそ、トモリは余裕も理性の大部分も投げ捨てて、ソラを殺そうとしている。

 

 そしてソラは、トモリ自身が見たくないから投げ捨てたものを拾い集めて、突き付ける。

 自分で投げ捨ててしまったからこそ、眼を逸らす余裕すらなくなってしまったトモリに、見せつけた。

 

「君……、気付いてる? 自分に、()()()()()()()()があることに」

「……はぁ!?」

 

 憐憫の視線にもはや屈辱を覚える余裕もない、トモリの返答は、虚勢に過ぎない。

 初めからずっと、虚勢だった。

 

「君は、私から逃げようとした時だけじゃなくて、私と戦っている時でさえも、真正面に私がいるっていうのに後ろを何度か気にしてた。

 戦っている時だけじゃない。昨夜の時点で、ホテルからタクシー乗り場までの道のりでも、君は何度か後ろを気にして振り返ってた」

 

 初めからずっとずっと、トモリは怒りでソラに襲い掛かっていたのではない。

 それは猫を噛む窮鼠と同じ。追いつめられたやけっぱちに過ぎない虚勢。

 

 そのことにソラは気付いていた。

 

 トモリの過去など何も知らなくても、気付けた。

 その癖が何を意味するかを。

 だからそれを、突き付ける。

 

「ねぇ、君は――――」

 

 もうクラピカなど眼中に入らないように。自分だけを見るように。

 クラピカが自分や彼女にたどり着く前に、クラピカがこの件に関わる前に終わらせる為に。

 逃げることも出来なくさせて、早急に片をつける為にソラはトモリをさらに追い詰める。

 

「誰に追われているの?」

 

 ソラの問いに、トモリは眼を限界まで見開き声を上げる。

 

「黙っ――――――――」

 

 しかしその声は最後まで言葉にならなかった。

 ひやりと、トモリの首筋に何かが触れる。

 その感触に息をのみ、とっさに振り返った。

 

 振り返って、見た。

 

 自分の背後に、背中に、おぶさるようにへばりつく「悪魔」を。

 

 悪魔というより子供が描くお化けのような、首がなくて胴と頭が一体化して、腕はあっても足はないフォルム。悪魔らしいのは背中ではなく、頭部についたコウモリっぽい翼のみ。

 鼻はないように見えるほど低く、目も糸のように細い。ただ厚ぼったい唇だけが、妙に生々しくて気持ち悪い。

 

 そんな()()()の「悪魔」が、トモリの背中にべったりとしがみつき、ただでさえ追いつめられていたトモリの精神を、驚愕と恐怖でさらにぐちゃぐちゃにかき乱す。

 

 そして悪魔は、唇を戦慄かせて告げる。

 

 ソラも知らない、気付けなかった、トドメの一撃を突き付けた。

 

 

 

『…………トモリ、助けておくれ――――』

 

 

 

 かすれているが、痰が喉奥に絡んでいるのか酷く粘着質にも聞こえるその声は、

 

 寝たきりの要介護で、両親にとっての重荷だった、10年前に死んだ

 

 あの夏の日

 

 兄と一緒に、母方の田舎に預けられていた夏休み

 

 父と、母と、たまたま予定より一日早く、預けられていた田舎から帰って来た自分が

 

 自分が

 

 自分が

 

 自分(ワタシ)が見殺しにした、祖父の声だった。

 

 

 

 

「「きゃあああああああぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっ!!!!!」」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 幸いながらまだ警察等は到着していなかったが、野次馬が既に相当集まってマンション前まで車では行くことが出来ず、マンション少し手前の公園前にいったん車を止め、そのままクラピカが飛び出しかけた所でセンリツが制止する。

 

「クラピカ! 落ち着いて! 大丈夫よ、今の所ソラちゃんは無事。というか、あの子だいぶ余裕あるわ」

 

 ソラと「ブロンド殺し」の少女が交戦しているマンションから公園までは2,300mという程度の距離だが、マンションの階数はおそらく10階前後。

 そのマンション屋上で戦っているソラの心拍すらも聞き分けているセンリツの言葉で、少しだけ頭に昇っていた血が下がったクラピカが車の外で足を止め、「すまない」と謝った。

 

 ひとまず話を聞く耳は持ってることにセンリツは安堵して、自分も車から出て提案する。

 

「クラピカ、あなたはやっぱりソラちゃんの側に行かない方がいいと思うわ。

 あの『ブロンド殺し』、今はだいぶ興奮してて余裕がないから、その状態の『ブロンド殺し』の前にあなたが現れたら、いくら変装してても危ないわよ。

 行くなら、あたしがいくわ。戦闘向きじゃないけど、あたしだって自分の身は自分で守れるくらいの力はあるし、放出系だから遠距離の攻撃手段もある、音である程度の先読みも出来るから心配しないで。それにほら、お嬢様を一人で車に残す訳にもいかないし」

 

「ブロンド殺し」が興奮しすぎてて余裕がないのは事実だが、実際のところ今の「ブロンド殺し」は無差別に誰かを殺傷するどころか、例え変装していないクラピカが屋上に現れても気付けないのではないかと思う程に余裕がないことを、センリツは気付いている。

 そして妙に落ち着き払ったソラの心音と、「ブロンド殺し」に向ける言葉からして、ソラがどのような思惑でわざと「ブロンド殺し」の余裕を奪ったのかも想像がついていた。

 

 だがそのことを正直に話すと、クラピカはソラを想うからこそブチキレて。予知の内容を忘れて屋上まで駆け上がるのが目に見えたので、クラピカの自分に向けてくれる信頼を利用して軽く嘘を吐き、何とかここに留めようと説得した。

 クラピカもセンリツの軽い嘘には気付かなくても、センリツがクラピカをソラの元へ向かわせない理由はわかりきっているので、頷きはしないが唇を強く噛んで思案する。

 

 予知の内容からして、クラピカがソラを庇えるほどの距離にまで近づいてしまうのが危険なのはわかっている。

 もちろんクラピカが傍にいなければ、ソラが庇ったクラピカの代わりに死ぬという未来に転ぶ可能性が高まってしまうが、そもそも認めるのは癪だが、クラピカがとっさでも庇う余裕があるような攻撃なら、たぶんソラはクラピカに庇われる必要もなく、自力でどうにかできるともクラピカは思っている。

 

 ネオンの予知は、そんなクラピカがする必要などなかったのにただの自己満足で自爆する、自業自得な末路だとしたら、クラピカがこれ以上関わらない方がベストだとはわかっている。

 第一、旅団ではない相手にクラピカが戦闘で使える能力は皆無に等しい。拳銃等の遠距離用の武器なら、まだダウジングチェーンで攻撃を防ぐことが可能だが、相手はバリバリの肉弾戦専門だ。そのようなタイプには、チェーンジェイルがなければ無理だということは、9月のヨークシンで思い知っている。

 

 だからセンリツの言う通り、戦闘向けではないとはいえ、まだ遠距離から攻撃なり援護なりが出来る彼女に向かってもらうのが、今のベストであるとわかっていながらもクラピカは、「頼む」ということは出来なかった。

 自分の腕にしがみつく「悪魔」の誘導かとも思ったが、それもまた違う気がした。

 

 それは、「自分がどうにかしたい」という意地だけではないから。

 むしろその意地を食い潰すほど、クラピカの胸の内に「不安」が渦巻いている。

 

 クラピカは自分がベストを尽くしたとは言えない、むしろ愚かなことをしている自覚はあるが、それでも出来る限りのことをしたつもりだ。

 センリツの提案が、現状のベストであることを認めている。

 少なくともまだ自分たちはソラと「ブロンド殺し」から相当距離があり、しかもどちらにも気付かれていないのなら、今すぐにネオンが視た未来が起こるような状況ではない。

 

 なのに、何かが気持ち悪い。違和感を覚える。

 ボタンを掛け間違えているような、そういう根本的な何かを見落とし、はき違えているような気がして、決断が出せずにいる時……。

 

「あの……、その前にちょっと外に出てもう一度、あの戦ってる二人を見ていい?

 もしかしたら、近くでちゃんと見たらまたはっきりとした予知が出来るかもしれないし」

 

 車のウインドウを下ろして、ネオンが提案した。

 意味があるのかどうかはわからないが、ここで何もしなければ、それこそ自分が何しに来たかがわからないから提案したのだろう。

 

「あぁ、そうですね。お嬢様がしてくださるというのなら、どうぞ」

 

 ネオンの提案に、センリツはダメ元だがやって見て得はあれど損はないと判断し、後部座席のドアを開ける。

 そしてネオンは、近づきすぎて車の中からでは見れなくなっていた二人の交戦を公園から、下から見上げる。

 それをクラピカは、黙って見ていた。

 

 不安がざわざわと騒ぎ、うなじに火花が散るような感覚が走る。

 頭の奥で誰かが、他人のような自分が叫んでいる。

 気付け。今なら間に合う。掛け違えているものを、はき違えているものを、根本からの間違いに今気付かないと手遅れだと警告している。

 

 しかしその警告を塗りつぶすように、「悪魔」が嘲笑う。

 

 もう、手遅れだと告げるその嘲笑と共に、ネオンの目から生気が抜け落ちた。

 

 

 

 

「あ――――――」

 

 

 

 

 

 見えたものは、走り抜けて、駆け抜けて、ボロボロになって、泣きながら両手をがむしゃらに振るう少女の姿。

 

『何で!? どうして私ばっかり! 何でいつも私一人だけこんな目に遭うの!?

 ずるいよ! ずるいずるいずるいずるい!!』

 

 自分の境遇を嘆き、相手を責めたて、泣きじゃくりながら疲れ果てた手足をがむしゃらに動かして、切り裂き、引き千切り、切り刻む。

 そしてその切り刻んだ相手が、もはや元は人間であったのがかろうじてわかるぐらいの肉塊になったことで、脱力したように相手をミンチにしていた腕を下ろしたかと思ったら、荒い呼吸が落ち着いた頃に自分が何をしたか、その相手が誰であったかを思い出し、少女は真っ青な顔で絶叫する。

 

『……え? ……何で、私……こんな……いや……いやっ!! いやああぁぁぁぁっっっっ!!』

 

 自分のしたこと、そしてあまりにも今更になって駆けつけてきた警察(おとなたち)に怖気づき、少女は再び駆け出した。

 だけど、少女は追いつめられた。

 ずっとずっと逃げてきた、あの夏の日からずっと逃げ続けてきたものがついに少女の背中に――

 

『何で!? どうして!? 何で私ばっかり――――』

 

 誰にも助けてもらえなかった少女の背に、いくつもの銃弾が突き刺さる。

 もはや彼女を「捕まえる」意思は、誰にもなかった。少女は人間にとって、早急に「排除」すべき害獣でしかなかった。

 

 だから、誰も少女の声を聞かずに、少女を「死」という終わりに突き墜とす。

 少女は、誰かに伝えたかった、聞いてほしかった言葉を最期まで言えないまま、誰にも知ってもらえないまま、泣きながら、恐怖に歪みきった顔で力尽きる、「死」へと墜ちていく少女(トモリ)の姿が脳裏に映像として流れ込み、その映像が終わってネオンの意識が現実へ戻ってきた時、ネオンは悲鳴を上げた。

 

「「きゃあああああああぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっ!!!!!」」

 

 少女の絶叫が、二重に響き渡る。

 

 ネオンと「ブロンド殺し(トモリ)」の悲鳴が同時に上がる。

 

 ネオンには何故、トモリがこの状況からあの結末に至るのかわかっていない。

 それを理解してしまうと脳がオーバーヒートを起こすから、意識の表層に上がってくるのはいつだって「結果」だけ。

 彼女が叫んでいた、伝えたかった、知って欲しかった言葉は何なのかわからない。だけど、トモリが絶望しながら死んでいくことだけはわかってしまった。それだけは、自分のもののように追体験してしまったネオンは、悲鳴を上げる。

 

 その悲鳴に反応して、トモリは足にオーラを込めて踏み出した。

 この時のトモリは、ソラに否定された「獣」そのものだった。

 

 踏み出した理由は、戦っていたマンション屋上から他の建物と木々を飛び移って、最短距離でネオンに向かってきたのは、ただ単に聞きたくなかったから。その声を、自分と同じ絶望に嘆く悲鳴を消し去りたかったから。

 そこにねじまがった面倒くさい言い訳などない。彼女は、自分を絶望を突き付けた「悪魔」が彼女の能力であることすら気づいていない。本当に、ただ聞きたくなかったから、聞こえた瞬間に反射的に体が動いて、真っ直ぐに向かっただけ。

 

 ソラに追い詰められていたことで余裕をなくして、初速からギアが入ってトモリは最高速度で駆け抜け、振るう。

 

 トモリ以上の怪物なら、トモリと同じ獣なら追いつけたかもしれないが、人間にはトモリの最高速度に追いつけなかった。

 

 ソラの手は空を掻き、トモリの凶爪は人肉を抉り、切り裂き、血雨を降らす。

 

(あぁ、そうか――)

 

 墜ちてしまいそうなほど澄んだ蒼天と、降り注ぐ鮮血の雨を見上げながら、クラピカはようやく気付く。

 自分たちが「悪魔」に誘導されていた、勘違いしていた「根本」に。

 

(初めから、言っていなかったではないか……)

 

 ネオンの予知を、彼女が言っていたことを思い出す。

 

『……クラピカさん、飛び出して、庇ってた。

 …………盾になって……庇ったから……死んじゃうんだ』

 

 ネオンは、言っていなかった。

 クラピカの死の場面に白い髪の人物、ソラがいるとは言っていたが、「ソラを庇う」とは断言していなかった。

 

 断言しなかったのは、本当にそこだけがわからなかったからだろう。

 彼女の「自分の未来は視ない」はクロロに盗まれた「天使の自動書記(ラブリーゴーストライター)」への制約ではなく、ネオンの予知能力そのものの制約……、脳と精神に負担をかけ過ぎないようにするための制御弁だったのなら、今も有効のはず。

 

 わざとではない。

 だが、これも含めて「悪魔」の誘導だ。

 

 けれど、それでもクラピカは譲らない。

「悪魔」の誘導があっても、これは間違いなく自分の意思で選んだ選択であることを。

 

「く、……クラ……ピカ……さん?」

 

 クラピカが、ソラではなくネオンを庇ってトモリの爪に切り裂かれたことに、悔いはあっても迷いなどありはしなかった。






ほぼ行き当たりばったりのぶっつけ本番で書いてた弊害で、伏線が今回は全然張れてなくて申し訳ない。
犠牲者の名前、ちゃんと前回に入れたかったんだけど、自然に入れるタイミングが見つけられませんでした。

そして前回の重要な伏線部分が初期の台詞のまま直ってなかったのに気づいた時は、マジで吐くかと思った……。
何というか、本当にごめんなさい。


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