死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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13:思い出せない誰か、失えない何か

「いやー、ハンター試験のナビゲーターなんて初めてやるが、こんな子供も受けるなんて知らんかったわい」

 

 ナビゲーターの言葉で、ただでさえ悪かったキルアの機嫌がさらに悪化する。

「キルア、眉間の皺が凄いぞ。美少年が台無しに……ならねぇな。美少年って凄い」

「うるせぇよ」

(誰のせいだと思ってんだ!!)

 

 本気で感心している隣の女に、キルアは心の中で八つ当たりする。

 そう、八つ当たり。キルアの機嫌が悪い原因と理由は、何故か飛行船で乗り合わせてから行動を共にしている女、ソラの所為なのは確かだが、決してソラはキルアにとってのデメリットとなっている訳ではない。

 むしろ逆に、彼女といて得をしてる方が多い。

 

 今年で12歳。現在絶賛家出中のキルアが飛行船や宿泊施設を楽に利用できるのは、ソラがキルアの「姉」だと名乗って、その設定でキルアの分の手続きもしてくれているからだ。

 髪の色が白髪と銀髪なのと、赤の他人の割に二人は猫のようにぱっちりと吊り上がっている目つきが似ているため、何も言わなくても周りが勝手に血縁者だと思い込み、今のところ誰にも疑わていない。

 

 さらにハンター試験受験者の中に子供のキルアが混ざっていても、多少奇異の目で見られる程度で、変なおせっかいで家に帰るように説得してくる者は、キルアより保護者に見えるソラの方に向かい、子供だと舐めてからんでくるバカがいなくなったのも利点だろう。

 

 それと今現在、試験会場へのナビゲーターを見つけたのも実はソラのおかげだ。

 空港でソラが妻とはぐれて難儀している老人を見つけて、彼の頼みを聞いて妻を探したら実はこれが案内人を見つけるための試験だった。

 

 空港では試験会場であるザバン市直行の最終バスがもうすぐ出る所だったのに、ソラは何の迷いもなく老夫婦を優先した。

 そんなことをしてる暇などないとキルアは止めたが、「乗り遅れたら走って行ってやる! 何ならキルアをおんぶしていってやるさ!!」と言い切ったソラに呆れて諦めて付き合った結果が、現在「妻を探してほしい」と頼んできた老爺に本当のザバン市に向かうバスへと案内されている。

 

 どうもあの空港では、受験者の善意を重視する予備選考が行われていたらしく、ソラとキルアが見つけた老夫婦だけではなく、迷子の子供や無くした荷物を探している人など、様々な「困っている人」に扮したナビゲーターが、受験者に助けを求めていたそうだ。

 その頼みごとを無視した受験者は罠のバスへ、試験より困っている相手を優先したり、時間ぎりぎりまで誠実に対応してくれた受験者には、本当のザバン市へ直行するバス乗り場まで案内するのがこの予備選考の仕組み。

 

「試験会場に辿りつくのも至難とか言われてるのに、直行バスがあるか?」とキルアは普通に直行バスに関しては不審に思っていたが、この予備選考は予想しておらず、自分一人ならクリアできなかったであろうことが簡単に想像がついてしまった。

 キルアなら時間に余裕があっても「面倒くさい」と思い、老人も迷子も「急いでるから」と言って助けを求める声を無視していただろう。それは真剣にハンターを目指すがあまりに心の余裕をなくし、無視したり邪険に扱ってしまった受験者よりも性質が悪いことも自覚している。

 

 そんな自分とソラの器の大きさの違いを見せつけられたような気がして、キルアは一人勝手に酷くムカついていた。

 ソラと一緒にいて、キルアが得することは多くあれど、キルアがソラに何かをしてやった、ソラにとって何かメリットがある訳ではないことが、悔しくて仕方がなかった。

 

 それは別に恩を返したいという殊勝な考えではなく、完全にキルアのプライドの問題。

 背伸びをしたい、大人になりたい、一人前だと認められたいという、思春期らしい願望とそれがままならぬ現実が摩擦を起こして、キルアを酷く苛立たせる。

 

 もちろん、そんな理不尽な内心の八つ当たりをソラが読み取れるわけはなく、「マジでどうしたんだよ? お腹でも減ってんの?」と言いながら、ポケットの中からチョコ菓子を出してキルアに渡す。

 明らかな子ども扱いがまた更にキルアの苛立ちゲージを上げるが、バカにしてるのではなくこれも素の善意であることはわかっていた。

 

 だから、ソラからチョコ菓子を受け取って無言でかじりつく。

 善意に八つ当たりするほどある意味素直な子供ではなかったが、好物の菓子を差し出されて「いらない」と言えるほど意地を張れる大人でもなかった。

 

 そんな二人の様子を微笑ましそうに、ナビゲーターの老爺が見ながら言う。

「可愛い弟さんだ」

「でしょう?」

 

 ドヤ顔でもう完全に実の弟のように扱うソラに、またムカついてキルアはソラのひざ裏に軽く蹴りを入れた。

 

 * * *

 

 漫画をちょうど一冊読み終えたキルアが、向かいに座っているソラの状態に気が付き、思いっきり怪訝な顔をして尋ねた。

「何でお前、気配消してマンガ読んでるんだよ?」

 

 ハンター試験会場に案内するナビゲーターの中には、ハンター志望者の実力を測れるだけの力を持つ者もいるが、キルア達のナビゲーターのようにごくごく普通のたまたま試験会場周辺地区の住人だったから雇われた、今年限りのバイトでしかない人間も多い。

 

 もちろん、そんな一般人にいくら正しいルートを教えていたとしても、そのルートから半歩も外れたら罠満載な道程の案内をさせるわけにもいかないので、こういう一般人ナビゲーターは「本当の直通バス乗り場」までの案内で、真のナビゲーターはバスの運転手である。

 

 なので、老爺は街の片隅のあまり流行ってなさそうな喫茶店に二人を案内して、喫茶店のマスターに「砂糖なしミルクを2杯いれたコーヒーに合う食べ物はあるか?」と尋ね、マスターはにやりと笑ってから「それならウチの特製クッキーだな」と答えた。

 

 これが受験者を連れてきた合言葉らしく、ソラとキルアはバスがやってきたらマスターが、「サービスです」といってクッキーを席まで持ってきてくれるので、それを持って喫茶店の外で缶コーヒーを飲んでいる男に話しかけたらバスに乗せてもらえるということを伝えて、出て行った。

 

 そして二人は言われた通り、バスが来た合図のクッキーを渡されるまで、適当に飲み物や軽食を注文して喫茶店内の本棚に置かれていた日に焼けた漫画を読んで待っていたのだが、キルアが一冊読み終わったタイミングで冒頭に至る。

 やたらと古臭い絵柄とストーリーがキルアには逆に新鮮で、暇つぶしの斜め読みのつもりがいつの間にかがっつり読み込んでいたので読み終わるまで気付かなかったが、向かいに座っているはずのソラの気配がないことに気付いた時は一瞬酷く焦った。

 

 が、顔をあげれば普通にソラははじめと変わらず向かいに座って、コーヒーを飲みながらこちらも昔の漫画を真剣に読み込んでいた。

 だが、目の前にいるのにやけに存在感が薄い。別に物音を殺しているわけでもないのに、意識しないとそこにソラがいることに気付けなさそうなくらい、ソラは完全に気配を消していた。

 

 飛行船の件でこの女が十分に戦えることを知っているキルアなので、別に気配を完璧に消す技能があること自体に驚きはないが、なぜ今ここで気配を消して真剣に漫画を読んでいるのかがわからず、思いっきり呆れながら尋ねるたらソラは漫画からキルアに視線をあげ、その瞬間、モノクロ画面がカラーになったように彼女の存在感が復活する。

 

「あ、ごめん。ただの癖だから気にしないで」

「どんな癖だよ?」

 

 気配を戻してソラが答えるが、その答えはキルアの疑問を深めるだけだった。

 ソラは読んでいた漫画を閉じてテーブルの隅に置き、コーヒーを啜りながら再び問われたキルアの疑問の答えを考える。

 どこまで説明しようかを、天井をしばし眺めながら考える。

 

“絶”を解いたことで見えるようになった「物」の線や点と、“絶”をしてようがしてなかろうが関係なく、3年前からずっと見え続ける「生き物」の……キルアの線や点を見比べながら、「さて、どこまでをどうやって話そうか」と考えた。

 

 が、考えがまとまる前に思考も話も邪魔をされる。

 

 喫茶店のドアベルどころか扉そのものを壊しそうな勢いで、一人の男が入ってきた。

 あまりの乱暴な勢いに驚き、ソラとキルアはとっさに入口に目を向ける。喫茶店のマスターや普通の客、ソラ達と同じ受験生たちも同じく。

 

 柄の悪いスキンヘッドに眼帯、そして左手首から先が義手の男が、露わとなっている右目だけを動かして店内を見渡し、ある一点に視線を向けた瞬間、その眼が細く吊り上った。

「……やっと、見つけたぜ! この、化け物!!」

 

 位置的にキルアの方が男から近いのに、その隻眼はキルアをすり抜けてソラを睨み付ける。

 形だけは笑みを取り繕っているが、その眼に宿る感情は憎悪や憤怒で燃えたぎっており、明らかにソラに対して何らかの私怨を抱いているのが分かったので、キルアは「何しやがったんだ、こいつ?」と思いながらソラに視線を戻す。

 

 キルアが視線を戻したタイミングで、ソラは口を開いた。

「誰?」

 

 きょとんと心底不思議そうに、小首を傾げてソラは言い放った。その様子からして、挑発ではなく素で全く心当たりはないらしい。

 だがこの状況で悪気がないのは、相手にとって何の救いにもならない。むしろ余計に恨みを買うだけである。

 

「てめぇ、ふざけんな! 3年前に人の仲間を全員、わけわかんねぇ力でぶっ殺して俺の眼も手もこんなんにしやがったのを忘れたって言うのか!?」

 

「ぶっ殺した」発言で、一般人であるマスターや客はもちろん、ここにたどり着けたということはここにいるハンター志望者は犯罪者手前や犯罪者崩れではない、良心的な人物ばかりの為か、非難と義憤めいた視線をソラは一斉に浴びるが、彼女は座ったままささやかな胸を張って言い切った。

 

「そんなよくあること、覚えてても『どれ?』ってなるわ! もっと個性的なエピソードもってこい!!」

「どんな逆ギレだよ!!」

 

 ソラの性格を知るキルアなら正当防衛だろうと想像ついていたが、それでも「ぶっ殺した」発言を「よくあること」と悪びれずに言い切ったソラにキルアは突っ込み、周囲の人間はさらに引く。

 ソラに恨みを持つ男の方も、ソラのトンデモ発言に数秒間絶句していたが、「これを見ても思い出せねぇってか!!」と言いながら服の袖をまくり自分の肩を見せる。

 

 その肩の刺青を見て、店内のハンター志望者は目を剥き、ソラもわずかに藍色の瞳を見開いた。

 キルアもその刺青……12本の脚をもつ蜘蛛の刺青を見て一瞬、父親の言葉が蘇ったが、すぐさまこの男が父に「割に合わない仕事だった」と言われるほどの実力がないことにも気づく。

 キルアの想像を、ソラは肯定するように一回手を打って言った。

 

「あぁ! あの時のニセ蜘蛛の生き残りか!」

「ニセじゃねぇ!! リスペクトと言え!!」

 

 ソラと男のもはやコントのようなやり取りに、キルアだけではなく他のハンター志望者たちも脱力する。

 どうもこの男と3年前にソラが「ぶっ殺した」らしい男の仲間たちは、あの悪名高い「幻影旅団」メンバーの証とされる「12本脚の蜘蛛の刺青」を体に入れて虎の威を借りていたのか、本人が言うとおり本気でリスペクトしていたのかは知らないが、とりあえずその刺青を利用して本家と比べたらしょうもない悪行を重ねていたことぐらいまで、もう説明不要なぐらいキルアには想像がついた。

 

 他の人間も同じ想像がついたのか、ソラに対して非難めいた視線を送るのはやめて、それぞれが武器を構えて眼帯の男を睨み付ける。

 困っている一般人を助けたからこそ今ここにいるハンター志望者は、やたらと正義感が強い奴ら揃いだった為、旅団を騙っていた集団ならばぶっ殺してもソラは正当防衛だと判断されたのか、それともソラはともかく連れているキルアを庇おうとしたのだろう。

 

「で、何の用? この後予定があるから、手早く終わらせてほしいんだけど」

 しかし当の本人が状況を一番理解しておらず、また小首を傾げて尋ね返し、周囲を脱力させる。

 

「どう考えても、お前にリベンジしに来たんだろうが!!」と、キルアがキレたことで、そのリベンジ志願の男も気を取り直したのか、引きつった笑みを浮かべてまだきょとんとした顔のソラに言った。

 

「……ほう。予定……予定ねぇ……。その予定とやらは、『ハンター試験』の事か?」

「? それがどうしたんだよ?」

 

 怪訝な顔をして尋ね返すソラを見て、男の引きつっていた笑みにやや余裕が出来る。が、余裕が出来たら出来たで、酷くその笑みは歪んでいた。

 その歪みきった、暗い愉悦を浮かべた笑みにソラだけではなくキルアや周囲の人間も怪訝そうな顔をして、警戒しながら相手の言葉を待った。

 

 ソラだけではなく、周りの人間のほとんどがハンター志望者であることを理解していないのか、それとも10人以上のハンター志望者を相手取る自信があったのかは不明だが、ニセ蜘蛛の生き残りはニヤニヤ笑いながら告げた。

 

「可哀相にな、あのじいさん。ハンター試験のナビゲーターなんてバイトしてなけりゃ、短い余命をさらに縮めずに済んだのにな」

『!?』

 

 言いながら男はポケットから取り出したものを見せる。

 まだ新しい、乾ききっていない血で汚れた折りたたみのナイフをソラに見せつけた。

 

 男は喫茶店に入ってきてすぐに誰かを探すように店内を見渡していたので、どこかでソラを見つけたこと自体は偶然でも、この店にやってきたことは偶然ではないことくらい、キルアは想像出来ていたし、ソラもわかっていただろう。

 

 ただ、この店に入るのを見たというのならもっと早くにこのトラブルは起こっていただろうから、いつ頃この男はソラをどこで見かけたのかはわからなかった。

 漠然とハンター志望者だらけの空港で一瞬見かけてすぐに見失って、このあたりを総当たりで探していたと思い込んでいたが、そんな平和な方法を取るくらいならそもそもA級賞金首をリスペクトなどしない。

 

 キルアの脳裏に、自分とソラのやり取りを微笑ましそうに笑って見ていた、ここまで案内してくれた老爺の姿が蘇り、今まで感じたことがない苦いものがこみ上げてきた。

 その苦いものにキルアは、何の名前も付けられなかった。

 罪悪感とも悔恨とも自己嫌悪とも、名付けられなかった。

 

 けれど確かに、ただひたすらに嫌な気分になる。

 

 キルアがひたすらこみ上げてきた苦いものを何とか飲み干そうとしている間に、男の言葉とソラに見せつけたナイフで周囲が騒然としていた。

 武器を手にしていたハンター志望者がそれぞれ、武器を構える。

 私怨を晴らそうとして、たまたまソラと一緒だったところを見かけただけの、何の罪もないただのバイトに過ぎなかった老人に手をかけたことが、この予備選考をクリアした彼らにとっての逆鱗だった。

 

 しかし、その逆鱗をさらに逆なでするどころか毟り取って、逆に周囲を茫然自失させる発言をソラが言い放つ。

 

「そうだね。可哀相だけど、犯罪者と関わったり逆恨みを買う覚悟をしとくべきってハンター協会もバイトに教えとくべきだよな」

 

 カップに残ったコーヒーを飲み干して、淡々と言いきった。

 

 * * *

 

 声音から読み取れる感情は、わずかな同情。それ以外の感情を、キルアはソラから読み取ることが出来なかった。

 義憤はもちろん、罪悪感も悔恨も自己嫌悪もそこにはない。

 自分の巻き添えで、見せつけのように赤の他人を、罪のない一般人を「殺した」と暗に言われても、ソラが抱く感情は「可哀想」という他人事の同情以外なかった。

 

 ソラが発した声と言葉に含まれる感情を、「同情」のみだと感じたのはキルアだけではないらしく、店内に沈黙が落ちる。

 沈黙を破ったのは、ニセの蜘蛛。

 

「……お、お前、正気か!? お前のせいで、無関係のジジイが死んでんだぞ!!」

「人のせいにすんじゃねぇよ。私が原因でも、私に非や責任はねぇだろ」

 

 ソラの即答に、さらに場の空気が凍る。

 彼女の言うとおり、何の罪もない老人が殺された原因はソラと関わったことだが、ソラ自身に責任を求めるのはお門違い。

 事情はまだ正確にはわかっていないが、十中八九男の怨みは正当なものではなく逆恨み。たとえソラがこの男やその仲間に行ったことが正当防衛ではなかったとしても、ソラ本人ではなく他人にその怨みの矛先を向けたのはこの男自身の意思。

 

 ソラとキルアをここまで案内した老人を殺した罪を負うべきなのは殺した男だけであり、ソラに非も責任もないのは完全な正論。

 だがその正論は、人としての良心からかけ離れたもの。

 

 少なくとも、本人が言うべきではない。それは非も責任もないのに、自分が原因だというだけで重すぎる罪悪感を背負ってしまった人を慰めるために、他人が言うべきセリフであることを周囲の人間は思う。

 責任などないはずなのに、ソラの言葉は他人からしたら完全な責任転嫁だった。

 

 そう感じ取った男は、また歪んだ笑みを浮かべる。

「……ははっ! それがお前の本性か! あぁ、そうだよな! お前は3年前も言ってたな!

 自分が生き残れるのなら、誰を何人でも犠牲にできるってな! はははっ! 今も昔もガキなんか連れて善人面してっけど、お前は所詮、俺とは変わらない生まれながらの犯罪者ってやつなんだよ!!」

 

 男の言葉をソラは無視して、テーブルの端に置いてある砂糖壺に手を伸ばす。

 無視されていることに気付いていないのか、それとも無視されていることを無視しているのか、男はニヤニヤに笑みを浮かべながら一人勝手に語り続ける。

 

「……おい、死にたくないのなら、生き残りたいのなら俺と手を組め。そうしたら、この目と手の代償と、仲間の敵討ちはまぁ勘弁してやるよ。

 お前のあの『力』さえあれば、本物の『蜘蛛』に入団できる……いや! あの幻影旅団を超える存在に!!」

「うるさい」

 

 ソラの発言で「善人面した気に入らない奴」から「自分と同類」と思い、憎しみよりも欲が勝ったのか、テンション高く皮算用を始めた男に一言だけ告げて、ソラは砂糖壺から取り出したティースプーンを振るった。

 その声にはもう、同情すら見つからない。

 ただただ蒼天の瞳に酷く冷めた侮蔑だけをあらわにして、ソラは男の義手を切り飛ばした。

 

 ごろりと転がった義手の中から、銃身も一緒に零れ落ちる。

 キルアから見たら数日前の飛行船の奴らとそう変わらない程度の実力しか持たない男が、何でこんなに自信満々だったのかが不思議だったが、どうもこれが奴にとっての切り札だったのだろう。

 現に一瞬前まで上から目線で語っていたのが一転して、笑みは顔面に張り付いたまま強張り、目はすでに卑屈な負け犬と化している。

 

 そんな男を、ソラは安っぽい銀メッキのティースプーン片手に立ち上がって見下ろす。

 背丈で言えばソラの方が少し低いので見上げているのが正確なのだが、雲一つない真夏の青空のような瞳はどこまでも冷たく、深く、相手を見下しながら告げる。

 

「そうだよ。私は以前も言った通り自分が生き残れるなら誰だって犠牲にするし、自分が原因でも自分に非が無けりゃ罪悪感なんて感じない、生き汚い最低な奴だ。

 けど、誰がお前と一緒だ。『生まれながらの犯罪者』であることを免罪符にして、『だから、犯罪を犯すのは当たり前』を言い訳にして自分の罪からも向き合えない惰弱と一緒にすんな。

 

 お前なんだよ、殺したのは。何の罪もない、お前と同じ生きていたかった人を殺したのは、間違いなくお前なんだ。それは神様にも裁けない、お前だけがいつかその重みに潰されるまで背負っていく罪なんだ。

 お前の仲間を、私が生きていたいがために殺したのと同じようにな」

 

 ティースプーンを男の顔に突き付けて、不規則にスプーンをまるで何かの「線」をなぞるように動かしながら、ソラは相変わらず淡々と語った。

 

「失せろよ、何もかも安っぽい偽物。私はお前が自分の罪で潰れる前にお前を終わらせて、お前の死を自分の罪として背負ってやるほど、ボランティア精神が旺盛じゃない。

 むしろ二度と私に関わってそのへったくそなショボ蜘蛛を見せられないように、左手だけじゃなく残った手足全部切り落としてだるまにしたいくらいなんだよ」

 

 最後の忠告と同時に、ソラの持つスプーンの先が男の肩に一瞬触れた瞬間、男は縊り殺される鳥のような雄たけびを上げて、腰を抜かしたまま這いずって出て行った。

 男が出て行っても、誰も何も言わず何もしない。殺人の自白同然の事を言ったはずの男を、善人ぞろいのハンター志望者が捕まえに行くことはなく、ただその場にいる全員がソラを見ていた。

 

 信じられないものを、化け物でも見るような目で見ていた。

 

 その視線の根拠、彼女を化け物として見るのは、何の変哲もないスプーンでおそらくセラミック製の義手どころかその空洞に仕組まれていた銃身までも滑らかに切り裂いたことか、それとも、責任転嫁ではなく自分自身の正当防衛すら認めない凄絶な覚悟を聞いたからか。

 

 キルアも、ソラを見ていた。

 ただ、見ていた。

 

「……ごめん、キルア。変な迷惑に巻き込んで」

 数秒の沈黙を破ったのは、ソラ本人。

 キルアに向き直って苦笑しながら謝った彼女の瞳は、蒼天から夜空に戻っていた。

 気のせいや光の加減では済まされない、明らかな変化。そして、もう何度か既に見た異能。

 そしてその笑顔に、困ったような笑顔に、キルアは見た。

 

『お兄ちゃん』

『キルア』

 

 思い出せない誰かの、引き離されて封じられてそのことすら忘れさせられた、けれど決して失えない誰かの面影を……「何か」の面影を見た。

 

 * * *

 

 思い出せない。面影を見たことすら、キルアは自覚できない。

 それは知覚する前に、忘れさせられる。脳に埋め込まれた小さな針(歪んだ愛)が「不必要」と判断して、頭の一番使わない片隅に仕舞いこむ。

 

 それでも、どんなに誘導されても抗う心が彼を動かした。

 

 ソラを見ながら、初めのように非難めいた視線を送りながら何もしない。ソラの異能に恐れて怯えているくせに、ソラの覚悟を聞いたくせに、それでも「良い人」でありたいが為、ただの自己満足の為に誰かが呟いた声が聞こえた。

 

「あんな危ない奴が、ハンター志望かよ」

 

 面と向かって非難する勇気のない、ただソラを、自分には理解できない異端を排除したくて呟いた他人の声と、その直後のソラの笑顔。

 悲しそうではなかった。

 ただ、何かを諦めたように寂しげだった。

 

 同じ笑顔をキルアは数年前に、確かに見た。

 キルアの脳裏に浮かび上がる前に、それは再び記憶の奥底に押し込められて潰されて閉じ込められて封じられる。

 けれど、支配しきれない心には確かに届いた。

 

 玩具で埋め尽くされた部屋の中に独りきりで、二人ぼっちで幽閉される「妹/弟」が、何重もの分厚い扉越しに手を振っていた時の、別れの笑みを見た時のどうしようもない無力感と後悔が蘇った。

 

「…………キルア?」

 

 気が付いたら、目の前のソラはきょとんと眼を丸くしていた。

 自分の前のテーブルは粉々に粉砕されていて、拳に木くずがついてることでようやく、自分がいきなりテーブルを叩き壊したことを思い出す。

 

 蘇った無力感と、泣き叫びたいほどの後悔は何が起因しているのか全くキルアにはわからない。

 けれど、何故か混乱することはなかった。

 したいことだけは、はっきりとわかっていたから。

 

 ソラと出会った日からずっと、その「答え」だけは手放さなかったから。

 

「俺は、キルア=ゾルディック。暗殺一家、ゾルディック家の三男だ」

 

 唐突な名乗りで、またしても周囲が騒然とする。

 ソラでさえも、「え!?」と声を上げた。

 

 そのどの反応も無視して、キルアは宣言する。

「危ない奴? 俺の方がよっぽど危険人物だっつーの!! そんなまさしく『生まれながらの犯罪者』な俺でも、合格さえすればあらゆる特権をもらえるのが『ハンター試験』だろうが! むしろそんなんもわからずに、ハンター志望者やプロハンターは聖人君子揃いだと思ってたのかよ!? 平和な脳みそだな!

 

 どんな事情でも人殺しを許せないんだったら、あの腰抜かしたニセ蜘蛛を捕まえろよ! 俺やこいつに正面から言いたいこと言えよ!

 その程度の『覚悟』もないなら黙ってろ!

 っていうか、ソラ! お前も何なんだよ!?」

「え? 私にも矛先が向かうの?」

 

 さすがに特技がエアブレイカーなソラでも、キルアの唐突過ぎるブチキレが理解できずに素で訊いた。

 その問いに、キルアは即答する。

 

「当たり前だろ! お前、何諦めてるんだよ! あんな結局何も言えないできない弱いクズの言葉にあんな顔で笑うくらいなら、いつものように空気読まない正論で相手の顔を精神的にも物理的にもぶっ潰せよ!」

「いやだって、怒るのってめんどくさくて疲れるじゃん?」

「何でお前は、このタイミングで空気をぶち壊す!?」

 

 狙ったのか素なのか不明なエアブレイクがまさかのタイミングで発揮されて、キルアが突っ込みながらかなり本気でソラをぶん殴る。

 椅子に飛び乗って頭をぶん殴ったが、16トンの扉を開けられるキルアに殴られても、ソラは「痛いっ!」で終わらせた。

 強化系念能力者とはいえとことん頑丈な女は、殴られた頭をさすりながらやはりいつものように悪びれずに言い切る。

 

「ごめんごめん。でも、怒るのって本当に疲れるだけだから、私は怒らないんじゃなくてその前にめんどくなるだけなんだよ。そんなんだから、誰かが自分の事で怒ってるのを見るのも苦手。めんどくさくてやらないことを、人に押し付けてるみたいで申し訳なくなるからさ。

 だからキルア、せっかく怒ってくれたのにぶち壊してごめん。

 

 でも、私の為に、私の代わりに怒ってくれて嬉しかったよ。ありがとう」

 

 クシャリと、ソラはキルアの頭を撫でる。

 もう何かを諦めたような寂しげな笑顔ではなく、腹が立つぐらいに晴れ晴れとした、キルアの幼いわがままも意地も誇りも、何もかもを認めて受け入れるいつもの笑顔でそんなことを言われたら、もうキルアは何も言えない。

 顔に集まる熱を隠すようにソラの手を払って、「そんなんじゃねーよ! 俺がムカついたから言ってやっただけだ!」といつもの意地を張る事しか出来なかった。

 

 もう、キルアの心の中に無力感も後悔もないことにキルアは気付かない。

 思い出せない記憶だけど、心のどこかにずっとあり続ける愛しい誰かの笑顔が蘇ったことなど、キルアは知らない。

 

 傷ついた鳥を治して、それが飛び立つのを見送った時の笑顔とソラの笑顔がダブって見えたことなんて、誰も知らない。

 

 * * *

 

「……そういやさ、訊かないの?」

「何をだよ?」

 

 ザバン市直行バスに揺られながら、ソラが隣のキルアに尋ねるが逆にキルアが訊き返す。

 バスの乗客は、ソラとキルアを除けば2,3人。

 あの喫茶店まで辿り着き、バスを待っていたハンター志望者の大半が、バスには乗らなかった。

 

 試験を諦めたのか、他のルートやナビゲーター頼りに会場まで行くつもりなのかわからない。

 バスに乗らなかった理由は、正体不明の異能を持ち、人を殺す罪の深さを理解したうえで「自分が生き延びるために殺す」という覚悟を決めているソラを恐れたのか、自称とはいえゾルディック家のキルアを恐れたのか、それとも二人の言葉のどれかに何か思う所があったのかもわからない。

 

 ソラもキルアも、そんなことはどうでも良かった。

 気になるのは、知りたいと思う事はもっと別の事。

 

「私の変な力とか、過去とかだよ」

 あのニセ蜘蛛が現れるまで、自分の眼の事をどう説明しようか悩んでいたことを思い出し、あの時の「気配を消して本を読む癖」を気にしたくせに、それ以上に気になる情報を小出しされても何も尋ねないキルアが、ソラには不思議だった。

 

「……別に、知っても知らなくても同じだなって思っただけだ」

 バスの窓に頬杖をついて、流れる景色を見てるふりしてそっぽ向くキルアだが、窓ガラス越しにソラが真っ直ぐに自分を見ていることは知っている。

 

「同じ? 何が?」

 無意味な意地でそっぽ向き続けて、キルアは答える。

 向き合った心が、出した答えを。

 

「お前の変な力も、過去も、何を知ったってソラはすっげー変な女だってことは変わんねーからさ。いちいち不思議に思って訊くのが面倒くさいだけだ」

 

 知るのが怖いわけじゃない。何を知っても変わらない。絶対に、手放さないと決めた。

 だから、話したいと思えたら話してもらえるまで待つ。話したくないのなら一生訊かないという答えを出したが、それを素直に出す気は毛頭なく、いつものように小生意気な嘘ではない答えを出しておく。

 

「あぁ、そりゃそーだ! それが賢明だね!」

「納得すんなよ!!」

 

 しかしやはり自分の生意気な言動は、いつもの笑顔で受け流されて受け入れられる。

 キルアの本音など見透かされているようで、その笑顔はどこか居心地が悪いのに嫌いになれないのが苛立った。

 

(……覚えてろ。いつか絶対に、面倒くさいとか疲れるだけとか思う隙間もないくらいに怒らせてやる)

 そんな子供でしかない幼い目標を立てながら、目的地到着まで軽く寝ようと思ったが、「あ、待てキルア、寝るな! もう一つ言いたいことがあったの思い出した!」と言いながらソラが、勢いよくキルアの首を自分の方向に向ける。

 

 ぐぎっと嫌な音がして鈍痛が走る首を押さえてキルアが文句をつけようとしたが、その前にソラがキレた。

 

「君ん家の長男、どうにかしろーっ!!」

「いきなりなんだ!? っていうか、長男ってどういうことだ!? 知り合い!?」

「知り合いじゃねーよ! 会った3回中3回とも『こんにちは死ね』されたんだよ!!」

「ちょっと待て! マジでどういう関係なんだよお前とイルミは!!」

 

 まさかのキルアがほとんど関係ない所でだが、結果的にキルアの自己紹介で面倒くさいだの疲れるだの思う隙間なくソラがブチキレさせることに成功したが、そのことを嬉しく思う訳ないが嬉しくないと思う暇もなく、前言撤回してとりあえずソラと自分の家の長男、イルミとの関係を問いただす。

 

 約15分かけてソラが自分の義姉あるいは義妹、もしくは自分の嫁になる可能性がある人だと知ったキルアは、バスがザバン市に到着するまでゲンドウのポーズで項垂れ続けた。




ソラとキルアの珍道中は一応終了。
けど、原作沿いにはまだ入りません。ごめんなさい。

原作沿いに入る前に、ちょっと入れておかないと支障が出そうな話が次回です。

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