死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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95:幼年期との決別

「やっぱり夜の山の中は冷えるねー」

 

 毛布にくるまって、ソラは白い息を吐きつつ言った。

 クラピカは同じ一つの毛布にくるまりながら、互いの体温で暖を取るようにぴったり寄り添っていることを恥ずかしがってそっぽ向き続ける。

 しかし、こんな山の中で野宿どころか半ば遭難しているのは自分の「わがまま」が原因だと自覚しているので、そっぽ向きつつ彼は何度目かわからない謝罪をもう一度口にした。

 

「……ソラ、すまない。オレがわがままを言ったから」

「だからそれはもういいって。それに現状は確かに遭難だけど、切羽詰まってないんだから気にする必要はないよ。防寒具はある、食べ物と飲み水もある、獣が出たらそれはいっそ狩って食料と防寒具の足しにしてしまえばいいだけなんだから、クラピカが責任を感じる必要なんかないって!」

「そこまでワイルドな覚悟を決める状況は、だいぶ切羽詰まっているだろうが」

 

 クラピカの謝罪は途中で遮られて、ソラの底抜けに明るい声音で「大したことはない」とフォローされるが、クラピカの言う通り獣も狩る覚悟を完了させる状況はかなりヤバい。というかそんな覚悟、むしろ森育ちのクラピカでもまだしていない。

 

 さすがにその発言は、クラピカの気を紛らわせるための冗談だと思うことにする。もう1か月近い付き合いで、クラピカのスルー能力はずいぶんと上がっていた。

 そして実際に、冷静に考えれば現状はあくまで「半ば遭難」という状況であって、ソラの言う通り切羽詰まってなどいない。

 

 クラピカたちは完全に道に迷ってはいたが、探している「目的地」が元々そう簡単に見つかる訳がない所だったので、野宿の準備は用意できる限り万全にしていたし、自分たちが来た道を見失ったと気付いた時点で悪あがきはせずに、目的を「とにかく山から下りる」に変更して、川を探していた。

 川探しの理由は、川を見つけさえすればその流れに沿って歩いて行けばとりあえず山から下りることが出来るし、水源近くなら村や集落がある可能性が高いと二人は判断したからだ。

 

 そして暗くなり始めたら、やはり無理はせずに焚火に使えそうな枯れ木や落ち葉を拾って、暖と獣避けを兼ねた火に当たりながら休息を取っているのが今現在。

 川はまだ見つけていないが、耳を澄ませばさらさらというせせらぎが聞こえるので、明日になれば確実に見つけられる確信はある。

 

 ソラの言葉は慰めではなく事実で、楽観視するのは問題だが悲観的に考えても得はないということはわかっている。

 それでも、クラピカはやはり申し訳ないという気持ちが消えなかった。

 

「……クラピカ」

 

 そんなクラピカの罪悪感など、ソラはお見通しだった。

 

 自分の体の側面に背中を向けているような体勢のクラピカに、ソラは身をねじって彼の背中から腕を回して後ろから抱きしめた。

 ソラに抱きしめられて背中にあたたかな体温と柔らかな感触で、モヤモヤと胸の内に溜まっていたものが色々と吹っ飛んだが、別にそこはソラも狙っていない。

 ただクラピカを逃がさないように、側にいて欲しいと訴えるように彼を抱きかかえて、もう一度彼女は言う。

 

「クラピカ。本当に気にしなくていいんだよ。

 むしろクラピカは『行きたい』とか『探したい』なんて言ってないじゃん。私が勝手に行こうって言って、君を引っぱって来たんだから、君の方が怒ってもいいんだよ」

 

 非は自分の方にあるというソラの言葉に、クラピカは顔を赤らめたまま少し唇を尖らせて言い返した。

 

「……お前がそうやってオレを甘やかすから、余計に申し訳なくなるんだ。

 お前が『行こう』と言い出したのは、オレが興味を持ったから、本当ならば見つけたいと思ったのを察したからであることくらい、オレだってわかってる。

 

 ……お前は『妖精郷』に、何の関係も興味もないはずだろうが」

 

 * * *

 

 この近辺の村に滞在して聞いた、昔話。

 この辺りはどうも妖精の伝承が多く残っており、そして現代でも「妖精」の仕業としか思えない出来事がごくごく稀だが起こっていると聞いた。

 その起こっている出来事というのが子供の行方不明。

 妖精譚の定番である「取り換え子(チェンジリング)」ではなく、一方的に子供が連れ攫われるので日本風に言えばいわゆる「神隠し」である。

 

 何でも山の中に10歳以下の子供が入ると唐突に、子供は姿を消してしまうらしい。

 大概がほんの一瞬目を離した隙に消えてしまうらしいが、中には手を繋いで歩いていたのに、いつの間にか掴んでいるものは子供の手ではなく木の枝になっていたり、目を離していないのにいきなり穴にでも落ちるように親の目の前で消えてしまったなど、真実だとしたら確かに妖精の仕業としか説明のしようがない。

 

 そして行方不明の子供は、9割方戻ってこない。残り1割の帰って来た者の内、やはり9割方が無事ではない。

 外傷はせいぜい擦り傷くらいしか負っていないのだが、程度の差はあれど精神に何らかの異常をきたしている。

 そのような話のほとんどが眉唾物、昔話・おとぎ話としての話なのだが、ここ10年で数件程度は警察沙汰の事実として確かに記録に残っている。

 

 前々からクラピカは思っていたことだが、「妖精」に関わる伝承は可愛らしい名称と外見とは裏腹に、被害が全くもって洒落にならないことが多い。

 ここらの妖精譚はその中でも特に性質の悪いタイプで、思わず「それは本当に妖精の仕業か? 妖怪や悪魔の間違いじゃないか?」という感想をもらしたら、ソラの世界にも伝わる妖精譚も似たようなもので、妖精とは世界も越えて「子供は残酷」を地で行く、無邪気だからこそ割と洒落にならない悪戯をよくする存在であるという、ロマンを肯定しているのか木っ端微塵にしているのか不明な結論が出た。

 

 そしてもう一つ、「妖精譚」についての話を教えてもらった。

 その「妖精譚」の話と、この辺りで子供の行方不明が多発しているのは、山の中に妖精が住まう国「妖精郷(ティルナノーグ)」がどこかにあるという話を聞いて、クラピカはその「妖精郷」を探したい、見つけたいと思ってしまった。

 

 思ったが、口には出さなかった。

 それはクラピカのわがままでしかないから。ソラには何の関係もない、関わる必要などないことだったから何も言わなかったのに、クラピカ自身よりもクラピカの心を見透かしているソラにはすべてお見通しだった。

 勝手に食料などを用意して、クラピカに何の説明もしないままに「行こう」と言って手を引いて山に入って行った。

 

 その手を、振り払うことなど出来なかった。

「やめろ」と止めることも出来なかった。

 彼女と一緒なら、どんな結末も笑って終わることが出来る気がしたから。

 だからクラピカはソラと共に、「妖精郷」を探した。

 

 ……見つからないことを祈りながら、探した。

 

(……ある意味では、願いは叶ったと言ってもいいのだろうな)

 

 膝を抱えて何とか思考をポジティブにしようと試みるが、その試みは成功せずに気分はただひたすらに打ち沈む。

 自分が探したいと望んでおきながら、本心から見つかって欲しくなかったのがまた、クラピカの罪悪感だ。

 

 探したかった。見つけたかった。けれど、見つけたくなかった。そんなものは存在しないという証明の方を見つけたかった。

 

 この山に存在する「妖精郷」が「本物」ならいい。それは妖精の性質の悪さを知って大分薄れてしまったが、それでもまだ少しくらいは本心から純粋な好奇心で見つけたい、行ってみたいと思っている。

「妖精郷」などない、行方不明はこの磁場の狂った山の中で遭難した結果であり、精神の異常も遭難による極限状態から精神をすり減らして生き延びたからこその後遺症なら、良くはないがクラピカにはどうしようもない。

 それは完全に、この山近隣住人たちが対策を練って何とかすべき問題だ。

 

 だが……、もしもここに「本物」でなくとも「妖精郷」が存在しているのなら。

「妖精郷」の存在は真実だとするのなら、それは――。

 

「それにしても、こっちの世界でも妖精は基本、おとぎ話の産物なんだ。珍しいけど普通に存在が認知されてると思ってたからちょっと残念」

 

 唐突に、ソラは話を変えた。

 クラピカが「妖精郷」を探したいことを察したのなら、その理由だってソラは察している。

 察して当然だ。クラピカに二つの「妖精」についての話をしたのは自分自身なのだから。

 

 だからこそ、話を変える。

 

 話題そのものは変わっていない。「妖精」や「妖精郷」の話だ。

 だけどソラが語るのは、クラピカが絶対に見つけたくないからこそ探してしまう「妖精郷」ではない。

 クラピカが1年前、親友と夢見た冒険譚の一つとして登場しそうな舞台、幻想郷にして理想郷の「妖精郷(ティルナノーグ)」に関しての話を始める。

 

「……お前はこちらの世界を何だと思っているんだ?」

 

 また気を遣われたということも、クラピカはわかっている。

 だけど、「妖精郷」のことを考えれば考えるほど嫌になってくるのも事実なので、クラピカは素直にソラに甘えることにして、少し呆れたような口調で聞き返す。

 

「だって、私にとってはとっくの昔に世界の表舞台から消えた幻想種にしか思えない生き物がゴロゴロいるじゃん!

 そもそも人語を操るわ常時二足歩行だわな獣が普通に存在してること自体が私には信じられないし、クラーケンやジャッカロープやケルピーがいるんなら、フェアリーやピクシーとかいかにもな妖精って贅沢は言わないから、ブラウニーとかケットシーくらいは期待したいよ!」

 

 意図としてはクラピカをネガティブスパイラルから脱出させる為だったろうが、妖精の存在を期待していたに関しては本心らしく、ソラは何故かそのまま熱弁し出す。

 

「信じられないと言われても、存在しているものはしている、していないものはしていないとしか言いようがないだろう。

 むしろオレは、なんでソラの世界にはソラがいるのに魔獣の類がいないのかが納得いかない」

「それどういう意味!? 私は幻想種レベルの珍獣ってこと!?」

 

 ソラが自分より幼い面差しで唇を尖らせて訴える言葉に、クラピカは笑いながら冗談半分の言葉を口にする。冗談半分ということは、もう半分は本気の発言である。

 その発言にソラは怒ったように突っかかるが、彼女も笑って言っているので全く気にしていないのだろう。

 

 少しは気にしろと思いながらも、クラピカは毛布の中で手放しがたい温もりに包まれながら、中身などほとんどない、ただこの瞬間だけが楽しいふわふわとした雑談を続ける。

 こんな時間は何の前触れもなく、現実味もなく失われることを1年前に思い知らされたはずなのに、クラピカはこの時が永遠だと信じていた。

 

 無為だからこそ珠玉の時間だった。

 

 だけど、そんな淡い幸福はいつだって音もなく崩れ去る。

 夢から覚めるように、そんなものがあったことも嘘のように、消え去る。

 

『――――――――――』

「!?」

 

 いきなり照れてそっぽ向くのではなく軽く目を見開いて全然違う方向に顔を向けたクラピカに、ソラは一気に警戒レベルを引き上げつつ訊いた。

 

「? クラピカ、どうかした?」

 

 その問いに、クラピカは勢いよく顔の向きをソラに戻したので、ソラはその行動と自分に向けられる表情、そして視線に宿る感情に気付いてやや困惑する。

 ソラの困惑で、クラピカが抱く感情はさらに濃くなった。

 

 クラピカは、ソラではなく自分が気付いたこと、ソラが警戒しつつも間違いなく自分が気付いたものに、聞こえたものに気付いていないことに「信じられない」と思いながら、彼は口にする。

 

「…………子供の声が、聞こえた」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 自分がすっぽり入りこめる木の(うろ)の中で、その子供は泣いていた。

 

『ひっく……ひっく……お父さん……お母さん……』

 

 歩き通した足が痛くて、空腹のあまりにキリキリと腹部も痛み、寒さに震えながらも子供は泣き続けて、両親を呼び続ける。

 自分がもう動く気力もないことに、子供は気付いていない。

 どれほど絶望的な状況なのかも、わかっていない。

 

 幼さ故に自らの絶望に気付いて諦めてしまうという一種の救いすら手にすることが出来ず、子供はただ真っ暗な森の中で独りぼっちだという恐怖に泣きながら、両親が迎えに来てくれることを信じて待ち続ける。

 

 ……どうして自分がここにいるのかという過程も、自分が独りぼっちである理由もわからぬまま、いつから自分がここにいるのかという疑問すら浮かばず、子供はただその場で泣き続ける。

 

 そのすすり泣きが止む。

 ザガザガと草木を踏み分けて進む足音が聞こえてきたから、子供は両親が迎えに来てくれたと思い、木の洞から這い出てきた。

 しかし、それは両親ではなかった。

 

「あ、本当にいた」

 

 子供は思わず四つん這いの体勢のままきょとんと、その人物を見上げる。

 両親ではなく、そして男か女かすらよくわからないがとても綺麗な人が、青い眼で自分を見下ろしていた。

 その傍らには自分より5歳ほど上らしき少年が、綺麗な人の腕に縋るように抱き着いてせわしなくあたりをきょろきょろ見ていた。

 

 子供は待ち望んでいた両親ではなかったことに失望と、ようやく独りぼっちでなくなったことの安心感がいい具合に混ざり合って、堰を切って泣き出すこともはなくきょとんとした顔のまま自分を見下ろす綺麗な人に「あなたはだぁれ?」と尋ねる。

 

 綺麗な人はやはり男か女かよくわからない声で、とても綺麗に笑いながら答えた。

 

「初めまして。私の名前は、ソラ。……魔法使いの弟子だよ」

 

 笑って、手を差し伸べた。

 その笑顔はとても綺麗で、その声はとても優しくて、その手はとても柔らかそうであたたかそうだった。

 

 なのに、子供はその手を取らなかった。

 

 両親じゃないけど、その人の手を取って、抱き着いて、泣いて縋り付きたかった。

 寂しかった、怖かったと泣いて訴えたかった。

 なのに子供は、まだ10歳にも満たないであろう子供はそのどれもしないで、ただ「魔法使いの弟子」を見上げていた。

 

 泣いて縋り付きたかったからこそ、自分を助けてくれると思ったからこそ、だからこそ怖くて仕方がなかった。

 その理由を、子供は考えない。

 

 子供は気付かない。

 先ほどから魔法使いの弟子と名乗った人、ソラの傍らで縋るように離れていかないように、そしてソラをいつでも止められるように腕に抱きついている少年と自分が、一度も目が合っていないことに子供は気付かないまま、小首を傾げて尋ね返す。

 

『……まほうつかい? まほう、つかえるの?』

「弟子だから魔法はまだ使えないな。でも、それと似たようなものなら使えるよ」

 

 子供が差し伸べた手を掴まないので、ソラは手を引っ込めたが柔らかく微笑んだまま子供の問いに答える。

 ソラの答えに子供は目を輝かせて、「すごい」と無邪気にはしゃぐ。もはや自分の置かれている現状をすっかり忘れている。

 

 その忘れている現状を、現実をソラが微笑んだまま思い出させた。

 

「ところで、君はどこの誰かな? お父さんとお母さんはどうしたの?」

 

 ソラの問いで思い出した現実、自分が独りぼっちであること、両親が迎えに来てくれないことを思いだして、子供の眼に大粒の涙が見る見るうちに溜まって、そのまま零れ落ちた。

 涙で視界がにじんで、子供には眼の前のソラすら見えない。ソラが、どんな顔をして自分を見ているのかに、気付かない。

 

 ソラの傍らの少年が、どんな顔をしているのかを子供は知らない。

 酷く酷く、痛ましげな顔をしていたことを知らない。

 

 気付かないまま、知らないまま、何も見えていないまま、子供は泣きじゃくる。

 両親に会いたい、迎えに来て欲しいと泣きながら望む。望んで、思い出す。

 

 山の中で、両親と山菜取りを兼ねたハイキングをしていた。

 都会で生まれ育って自然にほとんど触れたことがないその子供にとって、そこは何もかもが新鮮だったからはしゃぎまわっていたが、両親の言いつけを守って決して勝手に走って行ったり、危なそうなところには行かなかった。

 

 なのに……なのに……両親は、子供の両親は――

 

『どうして……どうして……お父さんもお母さんも、ぼくを置いていったの?』

 

 綺麗な花を見つけたから、両親に見せたくて大声で呼んだのに、二人は振り返りもしなかった。

 それどころか両親は子供を置いて、大声で呼んで必死で走って追いかけて服や手を引いても煩わしそうに、乱暴に振り払って、そのままどこかに行ってしまった。

 

 両親が道などない茂みや薮の中をかき分けて入って行ったので、子供も泣きながら走ってついて行った。

 どうして自分を置いて行くのか、呼んでも返事をしてくれないのかが理解できないまま、両親を追って必死でついて行ったがすぐに見失って、そして来た道もわからなくなってそのまま子供は今に至る。

 

 思い出してしまった。

 自分が今、どうしてこんな目に遭っているのかを。

 どうして自分がこんな山の中、森の中で痛い思いをして、怖い思いをして、独りぼっちでいるのかを子供は思い出す。

 そして、理解してしまう。

 

 理解と同時に、子供はぴたりと泣き止む。

 涙を溢れさせていた不安や寂しさが癒えた訳ではない。ただ理解してしまったことで、それらは絶望に塗り替えられた。

 

 人形のような何の感情も見当たらない顔で、子供はぽつりと呟いた。

 

『……ぼく、捨てられたんだ』

「それは違うよ」

 

 子供の絶望は、あまりにもあっさりと否定された。

 

 涙の膜が取り払われた視界でもう一度見たその人は、魔法使いの弟子は笑っていた。

 誰よりも何よりも安心できて大好きだった、今でも大好きな両親が自分に向けてくれていた笑みと、それは似ていた。

 

 * * *

 

「違うよ。君は捨てられてなんかいない」

 

 ソラは微笑んで、答えてやる。

 目の前の、子供ぐらいの大きさの不定形な靄のようなものに。

 

 幽霊の類の中でも最下層、幽霊なんか見慣れているソラでも見ようと意識していない限り見つけられないほど不安定なそれに、ソラは教えてやる。

 教えたってそれはもう手遅れ。悲劇はとうの昔に始まって終わって、これはその残滓でしかないことはわかっている。

 それでも、教えてやる。

 

 この悲劇の残滓を利用されて、さらに悲劇が続くのを防ぐため。

 そして何よりも、手遅れであっても、もうとっくの昔に終わっていたとしても、それでも確かにあったものを騙されて見失って間違えてしまわないように。

 ソラは、子供に尋ねる。

 

 まだ思い出せていない、真実を思い出させる為に。

 

「ねぇ、君のお父さんとお母さんは本当に、君を置いて行ったの? 君のことをいらないって言って、この山の奥に置いて行ったの?」

 

 かろうじて人型っぽい靄が、小首を傾げるような動作をする。

 子供は、ソラの言っていることの意味がよくわからない。よくわからないが……その質問は、その問いの答えはなんだかとても大事な気がした。

 

「ねぇ、よく思い出して。

 君の両親は、どんな顔をして、何を言いながら君を置いて行ったのかを思い出して」

 

 ……森の木々が、木の葉が風もないのに揺れる。

 ざわめくように音を立てて、ソラの言葉の邪魔をする。

 子供が考えることを、思い出すことを邪魔する「声」が聞こえる。

 

『騙されないで』

『信じちゃダメだ』

『大人なんか、信じちゃダメだ』

 

 子供の声が、いくつもいくつも輪唱する。

 高くてかわいらしい声でありながら、憎悪に滾った声で子供に……そしてソラの腕に抱きついて離れないクラピカに、大人を、ソラを信じるなと訴え続ける。

 

「……ソラ」

 

 黙り込んでいたクラピカが、ソラの名を呼ぶ。その声は、ソラの腕にしがみつく彼の両手と同じくらい震えていた。

 何十もの子供の怨嗟の声に恐れているのではない。確かにそれも恐ろしいものだが、クラピカにはもっと恐ろしいものがあった。

 年齢的にクラピカはギリギリ条件に合わない可能性が高かったのだが、この声が聞こえているということは自分もターゲットとして認定されている。

 

 だから、クラピカは酷く怯えながらもソラから離れない。

 ソラに頼りきって全てを任せるのは、この上なくみじめで情けなくて死にたくなるが、それでも離れない。

 自分の命が惜しいからではない。

 

 この「妖精」達によって、自分だけではなくソラまでも絶望させないために、クラピカはしがみつく。

 

 例えソラが既に「妖精」の術中にいたとしても、クラピカは――

 

「大丈夫」

 

 クラピカの手に、ソラの手が重ねられる。

 ソラの視線は変わらずクラピカには何も見えない、何もない地面に向けられたままだが、ソラはクラピカの手に自分の手を確かに重ねて、握って言った。

 

 クラピカが「ここ」にいることを理解して、クラピカを見失っていないと告げる。

 

 そのたったの一言ともう二度と手離さないと決めた体温が、クラピカの恐れを溶かす。

 恐れるものがなくなった。

 だからクラピカも、言ってやる。

 

「妖精」達への宣戦布告。そして、自分には見えないが確かにそこに存在している、あまりに憐れな妖精の……いたずらではなく明確な「悪意」により被害者が奪われた、忘れてしまった真実を口にする。

 

「思い出せ。

 君の両親は君を無視して、君を振り払って見捨てたのではなく……君の名を叫んで、半狂乱で探し回っていたことを」

『あ――――――――』

 

 何かに気が付いた、目の前にあったのに気付かなかったものを唐突に気が付いた、幼くて気の抜けた声だけは、クラピカの耳にも確かに聞こえた。

 

 ソラの問いと、クラピカの言葉で子供は思い出す。

 霞ががかってよく思い出せなかった、曖昧だった記憶が急に鮮明に頭の中で蘇る。

 

 自分の両親は、いくら自分が泣き叫んで呼んでも振り返ってくれなかった。自分に気が付いてくれなかった。

 泣きながら走って、転びながらも追いかけて追いついて手や服の裾を掴んでも、自分の方を見向きもせずに振り払って走って行った。

 獣道すらない茂みをかき分けて、枝葉で傷つきながらも両親は必死で探していた。

 

 ……自分の名を、何度も何度も自分と同じように泣きながら叫んで探していた。

 

 子供は思い出す。

 自分は捨てられたのではない。置き去りにされたのではない。

 

 自分の姿が両親には見えなくなって、声も聞こえなくなって、手や服を引っぱっても気付かれなくなってしまっただけで、両親は自分をずっとずっと探してくれていたことを思いだした。

 

 思い出す。両親に確かに愛されていたのに、それなのにどうして自分が捨てられたと思い込んでいたのか。

 どうして、泣きながら自分の名を呼んでいた両親のことを思い出せなくなっていたのかを――

 

『裏切り者!』

『裏切り者!』

『裏切り者!』『裏切り者!』『裏切り者!』

 

 子供達の声がさらに甲高くなって、罵り続ける。

 罵倒の対象はソラだけではなく、クラピカと思い出した子供にも向けられる。

 

『せっかく仲間に入れてやろうと思ったのに!』

『余計なこと言いやがって!!』

『大人は皆、敵だって教えてやったのにどうして!!』

「黙れ」

 

 ソラが見つけた子供の姿は見えないし声も聞こえていないが、こちらの子供達……「妖精」の声は初めから聞こえていたクラピカが、ソラの腕にしがみついたまま片耳だけ手で塞いで言い返す。

 

「お前たちは間違いなく被害者で、お前たちを『妖精』にした大人は憎むのは当然だ。

 ……だが、もうとっくの昔にお前たちのような『妖精』を……、妖精に攫われたことにして幼子を殺して捨てる口減らしなんてなくなっているのに、お前たち自ら本当に子供を攫って自分たちの仲間に引き入れた時点で、お前たちにもう同情の余地なんかない!!

 

 お前たちのしていることは復讐ですらなく、自分と違って愛し愛されている親子両方を妬んで八つ当たりで絶望に叩き落としているだけだろうが!!」

 

 嘘であってほしかった、ソラが語ったもう一つの『妖精譚』によって至った推測だったもの。真実だと確信してしまったものをぶちまけた。

 

 周りにふわふわと浮かぶ、蛍のように発光するテニスボールくらいの何かに。

 被害者にして、加害者。

 妖精に攫われたはずの、妖精になってしまった何十もの子供の霊にクラピカは子供達と同じくらいの憎悪を双眸の緋色に滾らせて叫んだ。

 

 * * *

 

 ソラから魔術師として「妖精」の存在を肯定した事実としての話も教えてもらったが、「妖精」の存在を否定して現実的に分析して解析した話も彼女は教えてくれた。

 

 たとえば妖精譚の代表格である取替え子(チェンジリング)は、取り替えられた妖精の赤子は大抵が醜くかったり、知能が低かったりすると言い伝えられているが、これはただ単に生まれてきた子に何らかの障害があっただけという可能性が高い。

 そして取り替えられた子供を取り戻す術は、妖精の子供を水攻めにしたりかまどであぶったり、棒などで叩きのめすなどといった暴行である場合が非常に多い。

 前述の「妖精の子供」の正体を考えれば、それはただの言い訳であることが簡単に予想づく。

 

 労働力として期待できない、無駄飯ぐらいと判断されてしまったのだろう。

 自分の子供ではない。本当の子供は妖精に連れ攫われた。だから子供を取り戻すためにやった。

 そんな言い訳を重ねて、実子を殺した両親、実の両親に殺された子供は一体何人いることやら。

 

 実際にソラの世界に我が子を虐待死させておいて、そのように供述して罪から逃れようとした親が存在したらしい。

 

 妖精譚の多くが、悪戯の範疇を超えた洒落にならない被害が出るものであることは、人間の身勝手な悪意を架空の存在に全て転嫁させたものだと考えたら、妖精の性格よりも筋が通る。

 

 ……この山の妖精譚の真実も、妖精に罪を着せた口減らしの話だったはず。

 自分たちが生き延びるために子供を殺すという選択を取った癖に、自分たちのしたことから目を背けるために、「妖精に攫われた」ということにしていたのだろう。

 それがいつしか、本物になることも知らずに。

 

 そうやって親に殺された、騙されて山の中に置き去りにされて死んでいった、捨てられた子供たちの霊が何体もここにいる。

 ここにいて、自分を殺した、自分を裏切った憎い親を、殺しておきながらその罪悪感を「妖精」に転嫁して、子供を攫われた悲劇の親としてのうのうと生きていることが許せなかった。

 

 そしてそれ以上に、彼らは許せなかった。憎くて憎くてたまらなかった。何もかもを壊してしまいたかった。

 

 ……自分たちと違って飢えることもなく、親に見捨てられて殺されることもなく、愛されて大切にされている子供という存在が、子供を慈しんで守る親という存在が、自分たちを殺した自分たちの親よりも許せなかった。

 

 そのあまりに幼い、癇癪としか言いようのない怒りが、被害者であった子供たちを「妖精」という加害者に変えた。

 子供がどんなに泣き叫んでも縋り付いてもしがみついても認識できない、急に消えたようにしか思えない暗示に掛けて親をパニックに陥らせることで子供を引き離して、そしてそのまま子供は遭難して死体さえも見つからないまま、自分が死んだことに気付かないまま、親がどれほど心配して子供を探し回っていたのかを忘れさせて、親に捨てられたと思い込ませて、妖精は子供を仲間に引き入れる。

 

 何の意味もない、信じていた人に裏切られたと思い込んで泣く子供を、最も大切な存在の死体さえも見つけることが出来ず嘆く親を嘲笑う為だけに繰り返す。

 この山にいたのは、そんな悪意そのものの妖精だった。

 

『うるさい』

『お前に何がわかる?』

『大人に守られてるお前に何がわかる?』

『死ね』

『お前も、死ね』

『この山の中で彷徨って死ね』

『飢えて飢えて土を食べて岩をかじって飢えて死ね』

『獣に生きたまま全身を食べられて死ね』

 

 クラピカの非難に子供たちは、妖精たちは周りをびゅんびゅん飛び交いながらまた甲高く怨嗟の声を、今度はクラピカに集中して向けて喚きたてる。

 

 頭に血が昇って思わず怒鳴ったことをさっそくクラピカは後悔するが、その後悔は自分に幽霊と対抗する術など何もないからソラの負担を増やしてしまうことであって、妖精となった子供たちを罵倒したことに悔いはない。むしろ、まだ言い足りないくらいだ。

 

 確かに彼らの言う通り、クラピカには彼らの気持ちはわからない。

 クルタの集落があった森は恵みが豊かで、そうそう飢えるようなことはなかった。両親に、周りに愛されて大切にしてもらっていたことを、クラピカは知っている。

 

 親に見捨てられ、そして自分の死すら「ごめんなさい」とも思ってくれず、妖精に責任転嫁されてしまったことにどれほど絶望したかなど、クラピカには一生かかっても想像つかない。

 もう、クラピカにはそんなことが起こらない、そんな目には合わないことが1年前に、もっとも残酷な形で決定してしまったから。

 

 この妖精たちが何の罪もない、たまたまこの山に遊びに来ただけの親子に対してやったことのように、身勝手な悪意による行為と同じように何もかもを奪い尽くされたから。

 だから絶対に、この妖精たちは許せない。自分よりも幼いことも、非業の死を遂げたことも関係なく、彼らと同じく八つ当たりに等しい怒りだということを自覚しつつもその怒りを抑えることが出来なかった。

 

 自分一人でこの憎悪を、大切な人全てを奪われた憎悪を抑えることなど出来はしない。

 けれど……

 

「クラピカ」

 

 柔らかな声がする。

 妖精たちの怒りからして彼女も既に術中に、クラピカがすぐ横で腕にしがみついているのにそれを認識できない、声も聞こえないという状態になっていても何らおかしくないはずなのに、ソラは真っ直ぐに青い瞳で、その瞳の明度をさらに上げてゆきながらクラピカを見た。

 

 もしかしたら、本当は見えていないし声も聞こえていないのかもしれない。

 それでも真っ直ぐにクラピカと目を合わせて、何の不安も見当たらない顔しているのは、ここにいることを彼女は信じているからか、それともクラピカの姿は見えずとも同胞の面影を見た蒼天の瞳は、クラピカの姿は見えずともクラピカの「死」は見えているからか。

 

 後者だとしたら、気が狂いそうな、狂っていないと耐えられない視界だというのに、なのにソラは相変わらず柔らかく、優しげに笑って言った。

 

「『妖精郷』を滅ぼすよ」

 

 クラピカの怒りが聞こえていたのかいなかったのかは、わからない。

 どちらにせよ、ソラはお見通しだからどっちでもいい。

 

 クラピカがこの悪意の妖精を許しはしないことを、ソラは知っている。

 そしてソラも、この妖精が集う妖精郷が気に入らなかった。

 

 一人では憎悪を抑えられない。

 けれど、彼女がいればそれは自分も周囲も傷つけるだけの憎悪にはならない。

 憎悪を抑えつけて押し殺すのではなく、間違った方向にはいかない、正しいと思える道に導いてくれる。

 だからクラピカは、悔やむのはやめてソラの腕にソラの腕にしがみつくのもやめて、けれどソラの右手を握って離さない。

 握りしめたまま、彼は駆け出す。

 

「こっちだ!」

「OK! ほら、君もおいで!!」

 

 どこまで見えているのか、聞こえているのか不明だがソラは勢いよく返事して手を握り返し、ついでにクラピカには見えない子供……まだ妖精の仲間入りをしていなかった、大人に対して憎悪をしておらず、愛されて育った子供を妬んでもいない子供の霊の手でも掴んで、一緒に駆け出した。

 

『逃がさない』

『逃がさない』

『逃がさない』

『お前らは絶対に、逃がさない!!』

 

 クラピカを見失わず、そして仲間にならず思い出してしまった子供も見捨てないソラが相当気に入らないのか、キンキンと耳鳴りするような声でわめきたてながら妖精が、光球があたりを飛び交ってクラピカ達の行き手を阻む。

 妖精譚では親に子供が認識できなくなるという暗示を掛けるぐらいしかわかっていないので、クラピカは眼の前で飛び交う光球に、子供の悪霊そのものに一端怯んでしまう。

 暗示をかける以外何もないのかもしれないが、さすがに得体のしれない光球の中に生身で飛び込むほど無謀にはなれなかった。

 

 その判断は正解。

 この妖精たちは本当に、「大人が大切な子供を認識できなくなる」という暗示をかける以外の能力を持ち合わせていなかったが、光球は妖精となった子供の魂……オーラそのもの。

 死者の念とはいえど、一つ一つはただそこにいるだけで何もできない最下層の幽霊であり、能力も数で質を補って維持しているので、念能力者ならよほどの初心者か修行不足でない限り、“纏”さえしていたら何ともない程度だが、精孔すらろくに開いていない一般人が何十ものこの光球にぶつかればただでは済まない。

 

 クラピカの判断は正解だ。しかし、行く手を阻まれたらそれだけでクラピカはなす術を失ってしまう。

 他力本願だがソラの「直死」に頼りにしても、彼女は両手が自分と子供の霊でふさがっている。

 ソラが子供の方の手を自分から離す訳がないので、自分が手を離して彼女の片手を自由にさせるべきかと考えるが、しかしソラが妖精の術にかかっていないとしても、この視界が最悪な夜の森で分断してしまうのは悪手に思えた。

 

 自分の手を離すべきか、それとも手を繋いだままクラピカが先陣を切って光球によるリスクを受け持つか、クラピカは一端怯んで足を止めて考えたが、ソラは足を止めなかった。

 ソラに手を引っぱられ、とっさにクラピカは自分の手を離そうとしたがソラはしっかり握ったままでその手は離れない。

 

 ソラはクラピカも、掴んだ手を払いのけられることを恐れて、差し伸べた手を取ろうとしなかった子供の手も離さないまま光球の中に突っ込んでゆき……

 

「邪魔だどけこの自己中責任転嫁のクソガキ!!」

 

 何の躊躇もなく光球にトゥーキックをぶっ刺した。

 ソラの爪先が刺さったところがその光球の「点」だったのだろう。崩れるように、溶けるように光球が一つ消えるのを見て、他の光球たちの動きが一斉にぴたりと止む。

 

 どうもクラピカが思っていた以上に、年下には甘いソラでもこの妖精たちはクラピカと同じくらい許す気などなかったらしい。

 

 

 

 * * *

 

 

 

『お前にとって幽霊って蹴るもんなの!?』

「うん」

 

 レオリオ・ゼパイル・キルアの同時突っ込みにソラは真顔で即答した。

 その返答と心音にセンリツは「本気だわ、この子……」と呟き、ゴンも反応に困ったのでとりあえず苦笑しておく。

 

「けどソラにしては意外だね。ソラは相手の正体が子供なら、『眼』は使わないと思ってた」

「誰かを傷つけてる、殺してしまってるって自覚もなく能力が暴走していたり、正気を失いかけているんならともかく、会話が成立する程度の理性を持ったまま、意図的に騙して傷つけて共犯者を増やしてたクソガキに遣う気なんかないよ」

 

 当時のクラピカと同じく、年下には無条件で甘いと思っていたソラにしては意外なほど躊躇も容赦もない行動にゴンが感想を口にすれば、ソラは割と身も蓋もないことを言い出した。

 別にソラが子供相手でも「殺した」ことに関して、ゴンはもちろん他のメンバーも誰も気にしていない。ソラの言う通り間違いなく被害者であったのに、あまりにも身勝手で残酷な逆恨みの八つ当たりで神隠しを行うようになった「妖精」は、自ら同情の余地をなくしている。

 

 むしろ口ではそう言いつつも、本心から気を遣う気はなかったとしても、それでも彼女は自分が負った罪に対して言い訳はせず、何一つ手離そうとしないで抱え込んで背負い込むから、だからこれ以上ソラが気に掛けないようにキルアが、「それで? その後お前は何をぶっ殺したんだよ?」と話を先に促す。

 

「私が何か殺したのは決定事項なんですね……。まぁ、その通りなんだけど。

 そのまましばらく突っ走ったらちょっと整備された登山道に出て、その脇に子供の石像があったんだ。素人よりはマシって人が作ったような、よく言えば味がある子供の石像が。

 

 攫われる子供の代わりになるように、そういう石像とか人形とかを用意するのはどこの国でもよくあるおまじないなんだけど……、逆効果になっちゃってたんだよね。

 たぶんあの子供の霊たち、初めは虐待児みたいに親を恨むんじゃなくて自分が悪い子だから捨てられたとか思って、自分の内側にネガティブな感情が全部向かっていたのが、表向きは妖精の被害を防ぐため、本当は口減らしに捨てた子供の墓としての石像だから、お参りに来た親たちの本心、自分たちが飢え死にしない為に子供を殺したっていうこととと、自分たちが妖精に攫われたことにされていることを知って、ネガティブな感情が外に向かうと同時に、大量にいるけど一人一人は脆弱すぎる幽霊が協力し合って作り上げる念能力のイメージとして、全員が共通して強く思い描いたのが『妖精』だった訳」

 

 あの山にいた「妖精」たちは全員が子供。

 ゴンやキルアのような天才児ならともかく、普通の子供は死者の念というブーストを得ても念能力としては弱々しいものにしかならない。

 

 仲間と協力しても大量にいたのが逆に災いして、明確な共通してイメージする能力がないと融合していないだけマシだが天空闘技場の死者の念と同じように、複数の系統が反発し合って上手くはいかないだろう。

 何より、子供だからこそ具体的なイメージを作り上げるのは難しい。子供は想像力が豊かだが、細部のリアルなイメージには観察力や人生経験が伴うものだ。

 子供の念能力者はそれなりにいるが、能力が確立しているものが非常に少ないのはその所為。

 

 だから本来ならあの子供の霊たちは、夜の山中で見かける鬼火くらいの怪談にしかならなかったはずだが、子供を殺した親たちが罪悪感から逃れる為、子供の為の慰霊碑ではなくあくまで妖精の仕業だと主張する石像を設置したことで、彼らに明確なイメージを与えてしまった。

 

 普段は、子供が勝手に山の中に入らないようにするための躾としての脅し文句で、子供たちは散々聞かされていた。

 だからこそ、見捨てられて殺された子供たちが共通して強くイメージできるモチーフとして、「子供を攫う妖精」はふさわしかった。

 彼らの獲物である、自分たちを見捨てた親よりも憎くてたまらない相手に対しても、そのイメージは都合が良かった。

 

「だから、そのイメージのきっかけで大元の石像をぶった切ったら、『妖精』たちの能力は無効化された。

 あの妖精対策の石像があるからこそ、『この山には子供を攫う妖精がいる』って逆説的に証明していたから、私が石像ごと石像の存在理由を殺してしまえば、あの霊たちも自分たちが何をイメージしていたのかがわからなくなって能力は維持できず、妖精はただのよっぽど霊感があるか波長が合うかしないと見えもしない、か弱くていつか自分が人間であったことすら忘れて消えてしまう浮遊霊に戻ったよ」

 

 ただ石像を壊すだけなら、とっくの昔にイメージは強固なものになっていたので意味などなかっただろうが、彼女の持つ眼は形がなくてもそこにあるのなら、物質として存在しなくても概念として確立しているのなら殺せる、終焉の眼。

 

 彼女だからこそ解決に至れた物語は終わるが、その後味は決していいものではなかった。

 

「……子供たちの霊は、結局どうしようもなかったんだな」

「そうだね。私じゃ殺してやることしか出来ないから」

 

 レオリオは苦々しそうな顔で呟くと、ソラはあっけらかんと答えた。

 笑いながら自分が何も出来なかった、石像を壊す以外、最初に邪魔をした妖精以外は殺していないことを告げる。

 やはり彼女は妖精たちに同情も容赦もしなかったが、魂さえも死ねばいいとは思っていない。

 

 出来れば親に捨てられた憎しみを忘れて、安らかに成仏して欲しいと願っていたことくらい、まだソラのことを良く知らないゼパイルでさえもわかっている。

 レオリオは「……すまん」と、どうにか出来たのであれば初めからやっていることを今更蒸し返したことを謝った。

 

「……けど、石像を殺して能力を無効化させたらそれだけで成仏できた妖精もいたから、私としては後悔はないよ。

 口減らしとして捨てられて殺された子供たちじゃなくて、その子供たちによって殺された被害者たちは、そいつらに騙されて恨む必要がないのに大人を恨んで、愛されている子供に逆恨みをすることであの山に縛り付けられてた訳だから、能力がなくなればみんなちゃんと愛されていたことを思いだして、そこに留まる意味を失くしたから」

 

 レオリオの謝罪にソラは何も答えない。

 代わりに、ほんのわずかな救いを口にして重く沈んでいた空気が少し和らいだ。

 

 一番救われて欲しい、逆恨みによって偽りの絶望を与えられた子供たちは今も山の中を彷徨っているのではなく、真実を思い出して本来いくべき世界へ旅立ったことは、あまりに些細だがこの話にとって唯一で最大の救い。

 

「……それにしても、『妖精』の話は色々とショックだな」

「まぁ、本来はきっと『危ないから山の中に入っちゃいけません』っていう躾の為の話だったんだろう。悪いのは、子供を守る為の話を利用して歪めた大人だ」

「そうね。それに、妖精にはちゃんといい話もあるわよ。家に住み着いて家事や子守を手伝ってくれる妖精の話も結構多いし」

 

 ゴンがソラの締めくくりに安堵しつつも、ファンタジーな話を「本当にあるかもしれない」と期待して探し求めるロマンあふれる彼からしたら、この「妖精」の正体は本当にショックだったらしく肩を落として凹む。

 そんなゴンをゼパイルとセンリツがフォローしてやり、フォローに出遅れたレオリオはちょっと気まずげに視線を彷徨わせると、キルアが何故か顎に手をやって考え込んでいた。

 

 そういえばさっきから彼は何も言っていないことにもレオリオは気付き、「どうしたんだよ?」と話しかけたら、キルアはまだ考え込んでいる様子で口を開く。

 

「……なぁ。……どうしてクラピカがその石像の元までお前を案内したんだ?」

 

 キルアの問いにソラ以外の全員がしばし間を置いてから、「あ」と一斉に声を上げた。

 ソラの容赦ない足癖の悪さに気を取られて、スルーすべきではないおかしなところをすっかり見逃していたことに気付く。

 

「お前ら、あんまり心配する必要はない状況だったとはいえ、道に迷って遭難してたのにどうして登山道にクラピカが迷わず向かって行けたんだよ?

 お前が見つけた子供が案内したんならまだしも……っていうか、そいつは弱いしクラピカと波長も合わなかったからクラピカには見えてねーし声も聞こえてなかったんだよな? 妖精の方はいくらお前が規格外だってことを知らなくても遭難させたいのなら、やっぱり登山道なんか絶対に教えないだろうし……」

 

 思い返せば思い返すほどにおかしな部分、説明できない部分が出てきて、キルアはそのおかしな部分を次々と上げてゆきながらクラピカとソラを交互に見た。

 クラピカの未だに眠り続けているので当然無反応だが、ソラはキルアの疑問にニヤニヤ笑ってから言った。

 

「キルア。私がクラピカと山の中を探索して、まだ騙されていない子供を見つけたのはクラピカが『子供の声が聞こえた』って言ったからだよ」

 

 チェッシャ猫のような笑みにムカついて、キルアは「それがどうした?」と言い返そうとしたが、その前にまた更に彼はおかしな部分に気が付く。

 クラピカが初め「子供の声が聞こえる」と言って、その声が「子供が泣いてる。迷子の子供が泣いてる。助けてあげて」と言っていたから、ソラとクラピカはその「迷子の子供」とやらを探していたと言っていた。

 

 当初は本物の妖精に関わった話だと思っていたので、そこに不思議はなかった。

 しかし妖精の正体を知れば、クラピカが聞いた声は有り得ないと言い切れる。「迷子の子供を助けてあげて」は絶対に本心じゃないし、それはソラとクラピカを引き離す為の虚言にしても、彼らの目的は自分たちと同じ「親に捨てられた」という絶望に叩き落とすことだ。

 それなら今まで通り、クラピカの存在をソラが認識できなくすればいいだけだ。わざわざそんな嘘をついて引き離す必要も意味もない。

 

 何より妖精の正体が霊ならば、クラピカより先にソラが間違いなく気付く。

 ソラの方が圧倒的に、そういう存在と波長が合いやすくて見つけやすい眼を持っているのだから、クラピカが気づくまでソラが無反応というのはまず有り得ない。

 

 なのに、ソラは気付かなかった。

 声が聞こえていなかった。

 

「それにさ、そこの山の妖精譚で行方不明になって戻ってこない子供は9割だって言ったでしょ?

 稀にだけどさ、戻ってくる子もいるんだよ。行方不明になってから数年後に、行方不明になった当時のままの姿で戻ってきた子とかもいるらしいよ」

 

 また更に忘れていた話を、ソラは掘り返す。

 妖精の正体が口減らしによる子捨て・子殺しならば、その被害者による逆恨みの八つ当たりならば、絶対に有り得ない「子供の帰還」が事実あったと、彼女は語る。

 

 ソラが指摘し、付け加えられた情報によって導き出される「答え」に、キルアや大人組は「マジで?」と言いたげに引き攣った顔になり、そしてゴンは目を輝かせてソラの言葉を、結論を待つ。

 

「……私の眼は特別性だし世界の違和感を見つけるのは得意だけど、そこに存在するのが当たり前でなおかつ『死』という概念を持たない存在は、さすがにお手上げ。

 それに、子供にしか見えない聞こえない、子供の前だけにしか姿を現さないはこの手の話の定番だしね」

 

 自分には見えなかったわけ、聞こえなかったわけを語りながら、ソラは眠り続けるクラピカの頭を一度撫でててから笑ってあっけらかんと答えた。

 

「クラピカ、本物に気に入られたんだろうね」

 

 

 

 * * *

 

 

 

「……ソラ。負担と迷惑ばかりかけてすまない」

「クラピカ。君は謝るのが好きなの?」

 

 月と星明りを頼りに二人で山を下りながら、また謝ったクラピカにソラは少しだけ呆れているような口調で言った。

 

「君が謝る必要なんかないよ。適材適所って奴だ。私だってあんな胸糞が悪くなる妖精譚も、とっくの昔に加害者になってるくせにいつまでも被害者面した妖精も何もかも終わりにしたかったんだから、君が気にする必要なんかない。

 君がいなくちゃ何にも解決なんかしなかったんだから、むしろ私が君にお礼を言うべきか」

 

 せっかく歩道に出たので、もう少し野宿しやすい開けた場所を求めてテクテクと山を下りながら、ソラはクラピカのネガティブスパイラルをぶった切って、笑いかける。

 

「ありがとう、クラピカ」

 

 その笑みと言葉でクラピカは赤みが差した顔をそっぽ向かせて、「オレは大したことなんかしていない」といつものように可愛げがないことを言う。

 しっかりと、ソラの手を握ったまま。

 

「……それに、礼を言うのはオレの方だ。

 ありがとう、ソラ。オレのわがままを叶えてくれて。……君のおかげで妖精を見つけることが出来た」

 

 そっぽ向いたまま、クラピカはひたすら自分を責めるのはやめてソラと同じように、ソラのしてくれたこと、したことを肯定して礼を伝えるが、横目で見たソラは自分と同じように自分の礼には喜んでくれなかった。

 ソラは少し悲しげに、悔やむような顔をしていたから、クラピカは意地で背けていた顔をソラの方に向けて、彼女を見上げて「どうしたんだ?」と尋ねる。

 

 おそらくはソラと同じくらい、クラピカも悲痛な顔をしていたのだろう。

 ソラはクラピカに微笑みかけながらも、また更に夜空の瞳に悔恨の色深くして彼女は言った。

 

「あぁ、ごめんごめん。気にしないで。

 ただちょっと……本当に君の為になってたのかな? って思っちゃって」

 

 ソラが何に対してこんなにも悲しげな瞳で悔やんでいたのかは、それで十分すぎるほどにわかってしまった。

 

「ソラは……、オレに『妖精』の話をしたことを後悔しているのか?」

「……そうだね。私がロマンも何もない、後味が悪いだけの話をしなければクラピカは今日みたいな危ない目にも遭わなかったし、……これから嫌な思いもしなくて済んだから」

 

 そんなことはないと、クラピカは言いたかった。

 ソラに「後味が悪いだけ」の妖精についての話を……、本物の話ではなく人間による責任転嫁の結果生まれた話を教えてくれとねだったのは、クラピカだ。

 だから嫌な思いをするのは、クラピカの自業自得。

 

 ……自分の一族、クルタ族も『妖精』でありクルタの集落は『妖精郷』だったのではないか? という考えに至ったのは、ソラの責任ではないと言いたかった。

 

「鬼」や「魔物」と呼ばれる存在の正体は、その土地では一般的でない身体的特徴や宗教、独自の文化を持った者で、彼らを自分たち「人間」とは違うと凶悪で凶暴な生き物だと決めつけて迫害し、人里から離れた山や森の奥地に追いやったという話が、「鬼退治」「魔物退治」の真実だということは珍しくない。

 

 きっとクルタ族も、同じように「赤目の化け物」という退治される側として、どこかで物語が語り継がれている。

 それだけなら、良かった。

 悲しくて悔しくて、「どうして?」という気持ちがあの日、石を投げられて「出ていけ」と罵られた日からずっと消えなかったが、けれどそれはまだマシだったと思い知らされた。

 

 クラピカなどの例外を除けば、「外は差別と偏見ばかり」がクルタ族の共通認識。

 まるで、クルタの集落にもクルタ族そのものにも差別と偏見なんてないという言い分は、今では笑わせる。

 むしろクルタ族自体が差別と偏見の塊であったと、クラピカは思ってしまう。

 

 ただ、目の色が変化するというだけで迫害されたのなら、確かにクルタ族が被害者だ。

 だが……本当にそれだけか? 本当にそれだけで、「赤目の化け物」と呼ばれて、あそこまで恐れられるものか?

 

 ……妖精による子供の誘拐は、戻って来る者も稀にいると聞いていたので、妖精の正体が口減らしという行為だとは初めは思っていなかった。

 妖精郷が本当にあるのではないかと、思っていた。

 クルタの集落のような、迫害されて追いやられた者たちが身を寄せ合って暮らす隠れ里こそが、「妖精郷」ではないかと考えた。

 

 もしもそれが真実ならば……、おそらくはクルタ族も許しがたい罪を犯している。

 

 狭い狭い集落、周りの人間はみな何かしらの血縁者。

 閉ざされた社会で外から人間が入ってこなければ、たとえ何人子供を産んで人口を増やしても、血はどんどん濃くなっていく。

 数代目には婚姻が許される親族関係でも、血の濃さは実の親兄弟と変わらないほど濃くなってしまうはず。そうなれば、遺伝病などのリスクが跳ね上がる。

 

 血が濃くなれば濃くなるほど、その血に流れる毒も濃くなることに気付いた閉じた社会の人間たちは、外から毒を薄めるために他人の血を求めるだろうが、迫害されて追いやられた者が素直に、他の村や町の者に婚姻を申し出るだろうか?

 申し入れても、受け入れてもらえるだろうか?

 

 子供が攫われるのも、赤子が取り替えられるのも、大人より攫いやすくて自分たちの都合の良いように物事を吹き込めるからだとしたら……。

 稀に見つかる者は死ぬ物狂いで逃げ出したからか、それとも役目を終えたから、もしくは役立たずと思われたから捨てられたか……どちらにしろ、精神に異常をきたして当然だ。

 

 ……最初はきっと、被害者だった。あの子供たちのように。

 けれど、それを行ってしまったらもう被害者だと名乗る権利はない。

 どれほど酷く虐げられていたとしても、それは犯罪を犯していい理由にはなり得ない。そしてその対象が、虐げてきた本人に向かうのならともかく、全く関係ない相手に向かえばそれはもう、復讐でも逆恨みですらない、ただの言い訳だ。

 

「……クルタも人や子供を攫って無理やり、『同胞』にしていたのかもな」

「クラピカ。確証もないのに、そんなことを言っちゃダメだ」

 

「そんなことはない」と言っても、ソラの顔はきっと晴れない。それぐらいわかるほど、もう彼女のことは知っているから言い出せず、俯いたクラピカはソラから教えてもらった『妖精譚』の裏、人間が犯した罪の責任転換を聞いてから抱いていた疑惑を口にすると、ソラに窘められた。

 ソラの言う通り、確証はない。もう二度と、確証は得られない。

 

 だからクラピカは、そんな可能性から眼を逸らしていれば良かった。

 

 少なくともクラピカ自身はそんな罪を犯していない、そんな罪とは無縁なのだから、知らなかった頃と同じように自分の一族に誇りを持っていればいい…………とは思えなかった。

 

「なら、お前も勝手にオレの気持ちを決めつけるな」

 

 クラピカは軽くソラの足を蹴飛ばして、拗ねたように上目づかいで睨んで言った。

 

「そんなことない」と否定しても、「お前は悪くない」と言ってもソラは納得しない。

 だから逆に、「お前が悪い」と言ってやる。

「勘違いするな」と、言ってやった。

 

「勝手に決めつけて、思い込んで後悔するな。

 ソラの言う通り、クルタがそんなことをして血を絶やさずに生き延びてきたという確証はない。けど、だからと言ってその可能性があることからすら眼を逸らしてなかったことにしたら、そんなの心当たりがあるから恍けているのと同じだ。

 

 クルタは確かに迫害されていた。けどそれが本当に、緋の眼だけが原因ではなかったかもしれないと思えたことは、間違いなくオレは知って良かったと思っている。

 オレたちにも、クルタにも罪があるかもしれない、もしかしたら迫害されて追いやられたのではなく、クルタが勝手に目の色が変化しない者達を嫌って、関わらないようにひきこもったのが始まりかもしれない。

 クルタは決して洗練潔白な一族ではなく、差別や偏見に満ちた、外の世界が悪で自分たちが善だと何の根拠もなく思い込んでいたのは間違いない。

 何故、差別されるのか、何で恐れられるのかということをちゃんと考えなかった、目という自分たちではどうしようもないこと以外が原因かもしれないと全く考えなかったことは、確かなクルタの罪だ」

 

 語りながら、クラピカは一度目を伏せる。

「赤目の化け物」とクラピカを罵った、クラピカからならず者を助けようとしていた老婆が脳裏に蘇る。

 もうその老婆に対して懐く思いは、「どうして?」という納得できない疑問と一方的に拒絶されたやるせなさではない。

 

 ただ素直に、「ごめんなさい」と思う。

 

 老婆が恐れたのは緋色の瞳ではなく、もう自分が被害者だと言えないほどに相手を痛めつけていたクラピカ自身。

 自分の考えなしな行動が、クルタに対する偏見を事実にしてしまった。

 恐れられて、罵られて、拒絶されて当然だったと、クラピカはようやくあの日の出来事を納得することが出来た。

 

 苦い思い出であることは確かだが、それは納得できていなくても同じ。

 納得できただけ、胸の内でモヤモヤとわだかまっていたものが消えただけで十分だから。

 クルタが清廉潔白でなかったということにショックはあるが、同時に自分で背負っていたクルタ族の誇りというプレッシャーは軽くなった。

 正しくなどない、間違い続けた一族であることも知ったから、だから自分が間違うのも当然だという開き直りに過ぎないけれど、それでもプレッシャーに負けて潰れるよりはずっといいだろう。

 

 クラピカは再び目を開けて、ソラを見上げて言葉を続ける。

 クルタだったかもしれない妖精を見つけて、そこから得た自分の答えを勝手に決めつけようがないように、はっきりとソラに伝えた。

 

「だから……ソラ。オレは嫌な思いは確かにしたが、後悔なんかしていない。

 君のおかげで、オレはクルタの罪を知ることが出来た。そして、希望だって抱けた。

 ……迫害の理由が『緋の眼』以外にもあるのなら、クルタが遠い昔に罪を犯していたのなら、それがこれからオレが清廉に生きることで償えることが出来る罪ならば……、クルタ族に対する差別と偏見も、クルタ族が抱いていた差別や偏見もきっとなくすことが出来ると思えたから……、だから、ソラ。

 

 オレの礼に不安がるな。ちゃんと受け取れ」

 

 クラピカの言葉を黙って聞いていたソラは、軽く見開いていた目を柔らかく細めて笑い、クラピカと手を繋いでいない方の手で彼の髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜるように撫でて、答えた。

 

「なら、君だって素直に受け取ってよ」

 

 自分の最後の要望がそのままブーメランとなり、クラピカはまた顔を少し赤らめて「……努力する」とだけ答えると、ソラはおかしげに笑ってから「なら、私もそうするよ」と言った。

 少しはソラをやり込めたと思えたのに、結局やり込められるのは自分であることにクラピカが拗ねると、鈴の鳴るような可愛らしい声が「すねた?」「すねちゃった」と面白おかしげに囃し立ててきたので、思わずクラピカは「うるさい!」と怒鳴ってしまう。

 

「あれ? もしかしてまだいるの? ずいぶん気に入られたんだね」

 

 クラピカの唐突なマジギレに、もうソラはさほど驚かずクラピカの周囲に視線を彷徨わせるが、それはクラピカの周囲を飛び回る、子供の霊の光球よりも小さくて淡く光を放つ「何か」から外れている。

 彼女の眼でさえも捕えられないその「何か」、虫にも鳥にも人にも似ているようで何にも似ていない気がする「それ」を、クラピカは本心からうっとうしそうに眺めて答えた。

 

「……なんというか本当に、本物は道理がわかっていない赤ん坊のような存在だな。悪気は全くないとわかっているのが、正直言って余計に癇に障る」

「まぁ、純粋=善良ではないよね。確かに。でも一応その子たちのおかげで解決したんだから、お礼は言っておいたら?」

 

 クラピカとソラの言う通り、何故かクラピカにだけ見えるおそらくは本物の「妖精」は、純粋ではあるがそれは無知な赤子の無垢さであり、別に善良ではない。

 クラピカにまだ洗脳され切っていない子供の霊がいることを教えたり、あの偽物の妖精を無効化させるための石像まで案内をしてくれたが、それはクラピカ達の為でも子供たちの為でもない。

 ただただ純粋であるが故、悪意という淀みを嫌ったから自分たちの都合で掃除をクラピカ達に頼んで押し付けたにすぎないことを、この妖精たちはやはり純粋に何も隠しはせずに言っていた。

 

 また別の意味で本物なのにロマンを粉砕する存在であることを思い知らされてたクラピカは、当然懐かれても嬉しくはない。

 だがソラの言う通り、解決したのは確かにこの本物のおかげなのでクラピカは「ありがとう」と伝えたら、嬉しげにその光る何かはまたクラピカの周りをふわふわクルクルと飛び回る。

 

 飛び回りながら、彼らは言う。

 

『うれしい』

『たのしい』

『すき』

『あそぼう』

『こっちにおいで』

『いっしょにいよう』

『ずっとずっと』

『えいえんに』

 

 無邪気に、話の繋がりも脈絡もなく妖精たちは口々に言いながらクラピカを誘う。

 自分たちの国へ。

 悪意や責任転嫁によって生まれた欺瞞まみれのおとぎ話ではなく、本物の「妖精郷(ティルナノーグ)」へ。

 

 ……始まりは、真実だった。

 悪意ではなく、責任転嫁でも、誘拐ですらなかった。

 本当に子どもはこの無邪気だからこそとてつもなく残酷な妖精に誘われて、何を失うかを知らないままついて行ったからこそ生まれた、本物の妖精譚だった。

 本心から子供を心配して。子供が連れ攫われないことを望んで伝わった話だったことが、今では救いなのか余計に後味が悪くなるのかわからない。

 

 ただ、彼らの誘いの答えだけは初めから決まっている。

 

「いやだ」

 

 きっぱりと断って、クラピカはソラの手を強く握りしめたまま歩いて行く。

 山から、森から、異界から離れてゆき、人間の世界に戻っていく。

 

「……いいの? たぶん、クラピカにとって生きやすいのはこっちよりあっちだと思うよ」

 

 ソラには聞こえていないはずなのに、ソラはクラピカが何を拒絶したかを聞くまでもなく理解して尋ねる。

 もうこれは過去の記憶の再現か、それともクラピカが自分で作り上げた偽りの記憶なのかもわからない。

 どちらでもいい。クラピカの答えは決まっているのだから、どちらでも変わりなどしない。

 

「いいさ。どうせ()はもうすぐに見えなくなるし、聞こえなくなる。彼ら好みの純粋な子供じゃなくなるから、すぐに追い出されたらいい方だな。

 それに…………」

 

 もうクラピカは、世界はチェスのように()()で二分されているとは思っていない。

 誰もが灰色であることを知ったから……、幼年期はもう終わってしまったから、きっと妖精はもうすぐ見えなくなる。

 だから彼らの国に行っても、すぐに追い出されるか適応できずに心を崩壊させるという未来しか浮かばない。

 

 それも大きな理由の一つ。

 だけど、それは後付けに近い。

 

 クラピカが『妖精郷』に魅力を感じない、そこに行く気がない本当の理由はただ一つ。

 

 いつの間にか見上げるのではなく、視線が同じ高さに並んでいることにクラピカは気付かず、照れくささを押さえつけて彼は答えた。

 

「君がいない世界になど、意味はない」

 

 羞恥に耐えて言った甲斐があった。

 クラピカの答えにソラは白い髪に映える赤い顔で「ぴゃっ!」と小鳥のような短い悲鳴を上げてから……笑った。

 

 笑って、言った。

 

 

 

 

 

「私も!」

 

 

 

 

 

 夢を見ていることすら気付けない、淡い幼年期(ゆめ)は終わる。

 

 けれども夢はまだ終わらない。

 

 夢だからこそ、終わらない。

 夢だからこそ、どこにだって行ける。

 

 世界だって、越えられる。

 

 君がいなかった世界が、君のいた世界に塗り替わる。






 ――(ゆめ)の話をしましょう。

 過去と思い出は別物よ。
 過去はただ昔あった出来事という事実。
 思い出とは昔の夢。

 思い出は間違いなく真実だけど、事実だとは限らない。
 それはあなたの中にしかない世界。

 もしも話と変わらない、儚い夢の世界こそが思い出よ。



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