死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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92:「 」に夢見る者

 クラピカが触れる「彼女」の顔から、種類はどうであれずっと浮かべ続けていた笑顔が消える。

 そしてどんな種類の笑顔とでも奇妙な調和をしていた諦観の絶望すらも、双眸から消え失せた。

 

 表情と瞳に浮かべる感情が一致する。

 それは別の飛行船で3人に問うた時と、断崖絶壁でクロロに問うた時とよく似ている顔。

 けれどそのどちらよりも不思議そうに、そして意外そうに、目を丸くしていた。

 

 それは、クラピカが良く知る人と同じ顔。

 取り戻したい人そのものの顔で、「彼女」も自分の顔に触れて呟いた。

 

「――私は……()()()()()()?」

 

 * * *

 

「空」のポカンとしながらあまりに今更な言葉に、クラピカ以外の人間がそれぞれ「は?」だの「え?」だの言いながら、彼らも「彼女」と同じように呆気にとられてしまう。

 クラピカだけが今にも泣いてしまいそうだが、それでも確かに泣き顔ではなく笑顔だと言い切れる顔で笑った。

 

「……気付いてなかったのか」

 

「空」に触れていた、そこにいることを、ここで生きていることを確かめるように触れていたクラピカの手が離れ、彼は笑ったまま言葉を続ける。

 神様が初めて見せた、あまりにも人間らしい隙を見て語るクラピカの言葉は普通に考えたら呆れによるものだろうが、その声音に滲む感情は安堵と歓喜だった。

 

 その歓喜に応えるように、「空」も再び笑う。

 相変わらずその眼には、諦観の絶望を刻んだまま「空」は笑った。

 ようやく、待ち望んでいた「正解者」が現れたように嬉しげに。

 終わってしまうことを惜しむように、寂しげに。

 

「ええ。だって、あなたがこうやって指摘してくれる未来は、見落としてしまいそうなほどか細い未来だったもの。

 ふふっ……『シキ』だけじゃなくて『マナカ』の真似事で『私』自身の未来を見ないという制限を掛けていた甲斐があったわ。ありがとう。少しだけ驚くことが出来たわ」

 

「空」の答えに、クラピカの笑みがわずかだが痛ましげに歪む。

 その歪んだ笑みを「空」は両手で包んで、愛おしげに指先で撫でながら相変わらず奇妙な調和を見せる笑みで、空虚な答えを口にする。

 

「私でさえも知らない、新しい可能性を、世界線を作り上げたと思えた?

 残念ね。か細くて小さくてすっかり見落としてはいたけど、初めからちゃんとこの世界はあったわ。これは細かく分岐してもいつか主流に合流する、ありふれた平行世界の一つよ。

 

 でも、その中でもあなたにとって良い未来に至る道筋を太くさせることが出来る世界線だから、そんな顔をしなくていいのよ」

「……トドメを刺されているのか慰められているのか、全く分からんな」

 

「空」の言葉に率直な感想を返しながら、自分の顔を包む「彼女」の手を掴んで離すクラピカは、もはやいつものクラピカだった。

 ソラのわざとなのか素なのかよくわからない言動に付き合わされて、うんざりしながらもどこか嬉しそうなクラピカを唖然としながら見ていた4人のうち、ゴンがポカンとしつつも「クラピカ、どういうこと?」と疑問を口にした。

 良くも悪くも考えることが苦手な為、自分で考えるよりさっさと本人に訊いた方がいいという結論を真っ先に出したのだろう。

 

 そして実際、考えるよりも訊いた方が確かに手っ取り早かったのかどうかは微妙な所。

 振り返ったクラピカはやはりいつものように、ソラに対して呆れつつも彼女を理解していることに対しての喜びを隠しきれないまま、事もなげに答える。

 

「そのままだ。ゴンは『彼女』に心がないということを否定したがっているが、それは否定できない。『彼女』に、この『空』には私たちが定義する『心』や『感情』と呼べるものがないのは事実だろう。

 ……が、そもそも私たちが定義する『無』と『彼女』の定義する『無』は別物だ。だからこそ、私達は『彼女』に心があるように見え、あると思い込んで私たちのものさしで『彼女』を測り、結果として理解出来ずに恐れるなり、怒りを懐くなりしてしまっていたが……この『空』は初めから自分……というかゴンが言っていた通り心がないだけのソラだ。

 ややこしく考えず、心そのものであるソラより出来ることが多い程度に思っておけばよかっただけの話だということだよ」

「「いや、意味わかんねーよ」」

 

 しかしクラピカの返答に、レオリオとキルアが同時に突っ込んだ。

 ゴンもクラピカに答えられたことでむしろ傾げる首の角度が深くなっており、センリツに至っては色んな前提がないため、もはや理解することを諦めてただ苦笑している。

 

 クラピカはクラピカで「何故わからん?」と不満そうな顔をして、その反応に「空」はクスクスと笑う。

 ソラよりも上品で女性らしい笑い方で、眼はやはり絶望したままだが、このタイミングでおかしげに笑うという行為そのものは、確かにソラらしかった。

 何となく、理屈ではなく感覚でクラピカの「答え」に納得してしまいそうな笑みだった。

 

「あなた達にとっての『無』は存在しないということだけど、私にとっての『無』は存在していても意味がないということなのよ。

 私は簡単に言ってしまえば『全て』そのものだからこそ、無数、無限の価値観や意味を持つからこそ、その全てが反発し合って打ち消し合って、結果としてゼロになる。光の色を全て混ぜると白になるようなものよ。

 何もないのではなく、全てであるからこその虚無。それが本来の『 』(わたし)……。

 

 だから、本来なら私が絶望していること自体がおかしいのよ。あなた達の定義であれ、私の定義であれ、心がないのなら絶望だってしないはずなのに、全部諦めて絶望しているくせだいたいずっとニコニコ笑っていたら、『心がないなんてウソだろ、バカにしてるのか?』と思われるのは当然よね」

 

「空」はクスクス笑いながら、笑っていることをクラピカに睨まれても全く気にせず、近くにあったソファーの背もたれに腰掛けて、クラピカ自身にしかわからなかった彼の「答え」を、自分と人間の埋められない溝である、『無』の定義の違いを解説してやる。

 

「無」の定義の違いに関しては、その説明でセンリツも含めて全員が納得する。ついでに、彼女の言動がどうしてあんなにも癇に障ったのかについても納得した。

 だが、納得したからこそ普通に疑問が浮かんだのでそれをキルアが口にした。

 

「じゃあ、結局お前は何なんだよ? 心があるのかないのかはっきりしろ」

「ないわよ」

 

 自分で言ったように、バカにしているようにしか見えない笑顔で即答されてキルアのこめかみに青筋が浮かぶ。

 しかしやはり全知の女神は、キルアが「ふざけんな!!」とキレる前にさっさと回答を続ける。

 

「私に心がないのは、どうしたって変わりないわ。でも、私はこの通り『体』という形を得てしまった。容量に限界がある存在になってしまった時点で、もう私は全てであって何もない虚無……『 』ではなくなってしまっているのよ。私は『 』からあらゆるものを引き出せる入口、『 』という海に繋がる蛇口であり、海から水を吸収して吐き出すスポンジだと思ってくれたらいいわ。

 

 そして、ソラという『心』は私が引き出す『 』の蛇口についた濾紙……スポンジが吸い込んでしまった色だと考えてくれたら、あなた達が私に『心』があると思ってしまった理由になるわよ」

 

「空」の回答で、一番苛立っていたのにやはり聡いキルアが一番最初に理解して、目を丸くする。

 そしてその丸くなった目はすぐに拗ねたような、簡単なことに気付けなかった悔しさを誤魔化すようなジト目になって、「そーゆーことかよ」と言いながら舌を打つ。

 そんなキルアにゴンだけではなくレオリオも、助けを求めるようにして「空」の答えの意味を視線で乞うので、ゴンはともかくレオリオはもう少し頑張れと思いつつ、確認もかねて彼は自分が出した答えを言葉にした。

 

「……容量が限られる『体』っていう形を得た所為で、お前は全部知ってるけどその知ってる全ては必要な時に必要な分だけしか引き出せない、そうしないとすぐに容量オーバーになってぶっ壊れるってことだろ?

 しかも、ソラっていう頭がおかしいけど俺たち人間が理解できる価値観を持つ心に引き出されたものが影響されてるってことじゃねーの?

 

 だからお前は本当なら自分や俺たちはもちろん、世界が滅びてもどうでもいいのに、『ソラ』っていう心の価値観の所為で『俺たちが傷ついて悲しい』って感情を打ち消すはずの何かは知っててもソラがせき止めて引き出せねーし、お前にとっては何も思うことはない『俺達が傷つく』っていう無色だった事実に、ソラの価値観が『悲しい』って色を付けるから、本来なら何でも引き出せるから打ち消し合って何でもなくなってるお前にソラの価値観っていう『偏り』が生じて、『心がある』ように見えるって話だろ?」

「正解」

 

 キルアの答えに「空」は笑顔で即答してぱちぱちと手を鳴らすが、彼女の在り様を知った今ではそれが予定調和であることも知っているのでまったく嬉しくない。

 なのでキルアは「空」に「うぜぇよ」と言って睨み付けるが、そこには当初の恐れや不審、ソラに対して害するものではないかという猜疑による怒りはない。

 

 ソラがふざけている時、ソラにからかわれている時と同じ、不満だけがそこにあった。

 

「『ソラ』という人格を生み出したのは私だけど、私という『体』を作り出して育んだのはソラという心。だから私自身に心がなくても、感情がなくても、この『体』はソラが刻んだ感情を表す。

 

 私にとってはこの世のあらゆる希望も期待も打ち消す事実を初めから知っているから、初めから期待なんか何もしていないから諦めることさえもしない。けど、ソラは自分の見つけた希望や期待を見つけた瞬間に叩きつぶされても諦めきれない、期待をしてしまうからこそ、諦観の絶望という矛盾を懐く。諦めること、絶望することこそが最後の救済であることを知っているからこそ諦め、けれどその諦観を打破する何かをいつも期待している。……だからこそ、私は絶望の眼をしながら『笑っていた』のでしょうね。

 そこに、私の意志なんかないわ。だって初めからないのだもの。あるのは、この体を育んだソラという心の名残。彼女がこの情報を得たらこうなるだろうという反応をしていただけ。それは私にとっては熱いものに触れたら手を引くという反射反応と変わらないもの。

 

 だからこそ、私の反応は全て『ソラ』のもの。私が楽しそうに笑ったのなら、私は楽しくも何ともないけどソラにとっては楽しいことだった。嬉しそうに笑ったのなら嬉しい、憐れむように笑っていたのなら憐れんでいたということよ」

 

 キルアの答えにさらに補足を加えてから、『空』は相変わらず心がないとは信じられないほど自然に笑いながら、だけど心があるとは思えぬほど空虚に言葉を続ける。

 

「それにしても……絶望していることはわかっていたけど、絶望していながらまだ笑えるほど期待も希望も諦めていなかったことは、さすがに予想外だったわ。『私』の未来を見ないという制限を掛けていたとはいえ、これは全能どころか全知という自称も返上すべきかしら」

 

 言っていることは心外そうだが、この上なく楽しそうに、嬉しそうに、「空」は言う。

 わかりきっていた、見飽きた、予定調和だった寸劇が予想外の展開を迎えたことを、子供のように無邪気に笑いながら喜んでいた。

 

 しかし、その双眸は変わらない。

 クラピカに語ったように、あまりに可能性が低くて見落としていた、あることをすっかり忘れていたのだろうが、完全な予想外ではなかった。一瞬びっくりするが、「あ、そういえばこれもあったな」で終わる程度の意外さでしかなかったことも如実に表す諦観の絶望。

 

 ソラがする訳がないと思っていた、それでも確かにソラのものである絶望だと知れば、その眼より笑顔に痛ましさを覚える。

 諦めてしまえば、絶望してしまえば楽になれる、それが最後の救済であるというのに、それでも諦めきれない、希望も期待も手放さない笑顔は、最悪や絶望という言葉でも足りない悲劇だ。

 

「……そんな顔しないで。

 安心なさい。私が眠れば、ソラは私のことなんか何も覚えていない。私のことを一欠片でも認識してしまえば、それこそ4年前の二の舞、また精神死してしまうから彼女は絶対に思い出そうとはしないわよ。だから、この諦観の絶望だって忘れる。

 こんな救いを忘れて、彼女はあなた達と同じように私にとっての『無意味』に揺るがない、譲らない『意味』を見出して、『死』のさらにその先を期待して希望を抱いて生きていくわ」

 

 ソラにはどこまでも救いがないことに気付き、酷く痛ましげに、自分の無力さを悔やむように黙り込んでいたクラピカ達に「空」は優しげに……、ソラは微笑んで告げる。

 笑って告げる。

 

 ゴン達に問い、答えられなかった彼らに寂しげな、意味などないことを肯定したクロロに失望したような笑みを浮かべた問いの答え。

「 」としては、この答えも何の意味もない、何の価値もないものでしかない。

 けれど「空」としては、唯一無二の答え。

 

 女神は自分が引き出した自分自身の答えでありながら、ソラが決して手放さない、意味などなくても生きてと願って、生きたいと願った理由を答えた。

 

 

 

「生きていくわ。例え、どれほど足掻いても結局は『死』という終わりを迎えても、それでもソラは生きていくわ。

 あらゆる苦難にも、悲劇にも、絶望にも足掻いて足掻き抜いて悪あがきを続けて、そうして終わりを迎える。終わって欲しくないと願いながらも、この終わりで良かったと思える終わりを求めて足掻き抜いていく。

 

 終わることを惜しんでも、惜しまれても、終わることや終わり方を嘆くことも、嘆かれることもない、予想外じゃなくてもいい、ありふれたもので構わない、ただただ良い終わりだったと誰もが思える大団円(グランドフィナーレ)を迎えるために……ソラは当たり前のように生きて当たり前のように死んでいくという悪あがきを続けたいんですって」

 

 

 

 自分の答えに、いつかその大団円が必ず来たることを疑わず無邪気に楽しみにしている笑みを浮かべていた。

 その笑みに、諦観の絶望はやはり奇妙に調和する。

 絶望していながら、諦めていながらも、それでも期待を、希望を失わないその笑みこそが、「彼女」が語り、ソラが手放さない結末のように見えた。

 

 死にたくない、終わりたくないと願いながらも、自分の子供や友人や大切な人に別れを惜しんでも悲しんでほしくない、自分が死んだ後の世界など、自分が知覚も干渉も出来なくなった世界なんて自分と同時に滅ぶのと同意なのに、それでも「その後」を期待してた託すという、意味など誰も説明できないのに手離せず望む結末。

 

 それは確かに、足掻き抜かなければ手に入れることは出来ない、当たり前でありきたりでありふれた大団円(グランドフィナーレ)

 

 そんなものを大事そうに、愛おしそうに「彼女」は語り、自分の身を抱きしめる。

 その結末に至るまでの大切な、自分が生かして自分を生かす「(パートナー)」を……ソラは宝物のように抱きしめた。

 

 * * *

 

「……そうか」

 

「空」にして「ソラ」の答えに、まだ瞳から痛ましげな様子を消しきれはしないが、それでもクラピカは再び安堵したように笑う。

 自分が出した答え通り、「彼女」は間違いなくソラであるということ。

 少なくとも「彼女」が浮かべる微笑みは間違いなく、ソラが足掻いて足掻き続けて手放さない、大切に抱え込んで守り続けているものであることを確信し、安堵したから笑う。

 

 取り戻したい人は、目の前にいるのに手が届かない訳ではなかった。

 手を伸ばせば届くところに、触れられるぐらい近くにまでやっと取り戻せたと実感できたから、クラピカは笑い、その笑みに応えるように「空」も淡く笑って、また言葉を続ける。

 

「それじゃあ、そろそろ本題に入りましょうか?」

「本題?」

 

「空」の言葉に思わずクラピカは素でオウム返しをしてしまい、「空」におかしげに笑われる。

「空」と「ソラ」を別物と考え、警戒して恐れて不安でいっぱいだったのと、蘇生を果たしているとはいえソラが一度完全に死亡していたという衝撃的な事実を知らされた所為で、「彼女」が今ここにいる理由をクラピカ含めて全員が忘れていた。

 

「あなたにとって『私』は本当に、神様でも聖杯でもなく『ソラ』でしかないのね。

 言ったでしょう? 私はね、あなた達に知らなくても良かった、本来なら知るはずがなかった私やソラのことを教えるために起きた訳じゃないのよ。私は、あなたの願いを叶えに来たの」

「……今までのこの流れで、私が何か願うと思っているのか?」

 

 言われて思い出したクラピカが、すっかり忘れていたことが恥ずかしいやら、ソラが無自覚だろうが4年前に「 」から逃げ出す時と同じくらい本気で「神様」に縋って自分の幸福を望まれたことが照れくさいやらで、顔を赤らめてややぶっきらぼうに「いらない」と答える。

 

 反応はほとんど八つ当たりの照れ隠しだが、答えは本音。

「空」に対して「願いを叶えて使い捨てられる『聖杯』としてなんかもってのほか」も完全な本音なので、自分の願いを叶えることにソラに何かリスクがあろうがなかろうが、彼女を「聖杯」として使う気などさらさらない。

 

 そんなクラピカの想いを知った上で今までの張り詰めていた空気の反動か、レオリオは「もったいねーな。お前が何も願わないなら、その権利俺にくれ」と本気ではないただの悪乗りで野次を飛ばし、ついでにゴンも別に願いはどうでもいいが素で気になったからか、「ところで何でクラピカだけなの?」と質問しだす。

 

「彼女」に害はない、彼女の言うことすることは人間には理解できない視点や感性の領域なのは確かだが、そこに「ソラ」という心がかすかでも色づいているということを理解したら、もはや彼らに警戒心はないらしい。

 そこまで安心できる状況になったのはいいことなのだが、まだもう少し気を抜かないで欲しいとクラピカは心の底から思った。

 

 ちなみに、特に野次も飛ばさず質問もしなかったキルアはクラピカの要望通り気をまだ抜いていないのではなく、今更になってこの「空」は「クラピカの願いを叶えに来た」という事実に拗ねているから黙りこんでいるだけであり、もはや詳しく「空」のことを理解するのは諦めているセンリツは、その可愛らしい嫉妬の心音に和んでいた。

 

 クラピカ自身にも言えることだが、緊張感のきの字もほとんど残っていない現状に、初めから皆無な「空」は相変わらずおかしげに笑いながら、ゴンの問いに答える。

 

「だってソラはクラピカが大好きで、クラピカの幸せがソラの幸せだもの。だから、ソラの叶えたい願いはクラピカの願い。ソラの権利はクラピカのものよ」

 

 相変わらずの回答集でも読み上げるような即答に、この中でまだ気を完全には抜いていなかったはずのクラピカが見事に轟沈し、顔を真っ赤にさせてその場にうずくまる。

 さすがにここまであっけらかんと言い放たれるのは予測できず、キルアも嫉妬を忘れて……というか普通にクラピカに同情した。人前でこんなことを言われるのは、嬉しい以上にただただ恥ずかしくて死にそうだと、割と似た性格なのでクラピカの現在の心境を一番よく理解してしまい、同情がライバル心を上回った。

 

 キルア程でなくても、クラピカの気持ちは誰だって想像できる。羞恥で死ねるのなら、間違いなくクラピカは今死ねる。オーバーキルもいい所である。

 しかしクラピカの心境も心情も知ってはいるが理解はしていない「空」は、同じように自分もしゃがみこんで「クラピカ? 願い事は決まった?」とソラよりも酷いエアブレイクをかます。ただでさえぶっ壊れている空気を、何故まだ壊すかこの女神は。

 

 この状況で「願い事」と言われたら「黙れ」しか思い浮かばないのだが、羞恥で半泣きになったクラピカが顔を上げてしまえば、それさえも言えなくなる。

 しゃがみこんで、自分に視線を合わせてクラピカからの「願い事」を待つソラは、相変わらず大きな何かを諦めた絶望に染まった眼をしているくせに、幼子のように夢ばかりを追いかける期待に満ちた笑顔をしていたから。

 

 絶望するしかないほどの結末を知っているくせに、それでもその結末を覆す新しい可能性を期待して手放さない、神様の機能を持つ、聖杯の機能を持つ、それでもあまりに弱くて、神様よりも強い彼女の笑顔を見てしまえば、「願い事なんか叶えて貰わなくていい」という当初の考えは簡単に撤回された。

 

「…………この、大馬鹿者!!」

 

 絶望の眼をしながら、のほほんと当たり前のように期待して笑う「空」に、とりあえず逆ギレなのか正当なのかよくわからない怒りを言葉とアイアンクローでぶつけてから、ゴン達に止めに入られる前にヤケクソ気味……ではなく完全なヤケクソでクラピカは言い放つ。

 

「じゃあ、まずはお前が幸せになれ!」

 

 クラピカの半泣きかつ耳まで真っ赤になって言い放った「願い」に、止めに入ったゴン達が一瞬フリーズする。

 羞恥の限界で頭に血が昇っているのか、背後の反応に気付かないままクラピカはキレながら、半泣きのまま「空」の頭を締め上げつつさらに叫ぶ。

 

「お前の言うことはそのまま全部お前に返す! いくらお前がオレが幸せだったら何もいらなくても、お前の痛みや苦労の上で胡坐をかいて幸せになれる訳ないだろ!!

 オレを幸せにしたいのなら! オレの願いを叶えたいのなら! 少しは自分を大事にして、オレに頼って、幸せになれ!! この大馬鹿者!!」

 

 泣きそうになりながら、自分を大事にしろと言ってる人の頭を締め上げながら、クラピカは本音をぶちまける。

 

 叶えたい願いなら、奇跡に、神様に、聖杯に縋り付きたい願いならある。

 クルタ族虐殺という過去をなかったことにしたい、家族や親友を蘇らせたいのはもちろん、自分の誓約による寿命のこと、ソラが「抑止力」としての役割を終えた後のことなど、なりふり構わず叶えたい、後先や犠牲など考えずに縋りたい願いなど両手の指では足りない程にあるのに、ソラを「聖杯」として使いたくないというのも本心。

 

 クラピカが願いを口にしなかったのは、叶えて貰わなくていいと言ったのは、一つでも口にしてしまえば抑制できる自信がなかったからでもある。

 だから口にしなかったのに、情けない所も醜い所も見せたくなかったのに、それなのにあまりにも無邪気に、絶望を知りながらクラピカの願いが叶うことが、幸福が楽しみで仕方がないと言わんばかりの笑顔を見ればもう堪えることは出来ない。

 

 恥ずかしかろうが、情けなかろうが、縋りつきたくなった。

 聖杯にではなく、奇跡にではなく、幸福そのものに。

 ソラに願いを叶えて欲しくなったから、クラピカはキレながら希った。

 

「幸せになりたい」と「幸せになって欲しい」という、切り離せない同一の願い事を口にした。

 

「……あはははははっ!

 そっかー。『聖杯』としてではなく、『ソラ』としてあなたは願うのね」

「『空』! 笑ってないで少しは抵抗して! なんかミシミシって音がしてるけど大丈夫!?」

「おめーもその願い事が本心なら、そろそろ離せ!! この頭をかち割りたくなる気持ちはわかるけど離せ!!」

 

 クラピカにアイアンクローを決められたまま、彼の願いを聞いていた「空」がアイアンクロー続行中でも平然と笑い出し、その様子にゴンは率直に引きつつも心配して、キルアはまだ同情しつつもライバル心も戻って来たのか、クラピカの頭を引っぱたいて止めた。

 

 クラピカの方はただでさえ羞恥で無駄に心臓が爆発しそうだったのに、勢いだけで色々叫んだことで呼吸が乱れに乱れて過呼吸気味になり、レオリオとセンリツが背中をさすってやっているが、骨が軋むような音が聞こえるアイアンクローをかまされていた当の本人は、これも神様としての機能なのかそれとも素でソラが頑丈なだけなのか、ケロッとした顔で微笑んでいる。

 

「ふふっ、確かにそうね。あなたの性格じゃ、自分だけが幸せになるなんて出来る訳がないわね。

 ……じゃあ、私からは一つだけ『答え』を教えてあげる。あとは、あなたが頑張ってソラに叶えてもらいなさい」

「「……答え?」」

 

 なんだか願いを叶えてもらうはずのクラピカが色々と可哀想なことになっているので、もうそろそろ本気でソラに戻って欲しいなと思い始めたゴンとキルアが、「空」の言葉にオウム返しする。

 先ほどの全力での惚気じみたクラピカの願い事に、何の答えが必要なのかが素で疑問だった。

 まさか、ゴンはともかくキルアもまだライバル心や嫉妬を上回って、「クラピカが可哀想」と思う羽目になるとは思わなかった。

 

「空」はおっとりと、まだゼイゼイと荒い呼吸を繰り返しているクラピカに向かって告げる。

 

「クラピカ。

 クロロは、ソラという『(カラ)』を通して『 』(わたし)を求めたわ。

 そしてあなたは、『 』(わたし)という空っぽの中に、『ソラ』という夢を見た」

「?」

 

 まだひどく赤い顔で、少しだけマシになった呼吸で、彼もゴンやキルアと同じように「空」が何を言い出しているのかわからず、いぶかしげな顔で振り返って言葉の続きを待つ。

 

「これは私の言葉じゃなくてとある童話作家の言葉なんだけど、ソラの好きな言葉よ」

 

 そんな彼に、女神はやけにいい笑顔で言った。

 

 

 

 

 

「『愛は、求める心。そして恋は――夢見る心』」

 

 

 

 

 

 女神が語る、童話作家の受け売りの言葉が飛行船内に残響する。

 いや、部屋の作りからして音は響きなどしない。残響しているのは、クラピカの頭の中だ。

 

 しばし、その残響する言葉の意味が理解出来ず、意味どころかただの音の羅列にしか思えなかった言葉は時間がたつにつれて言葉と認識し、そして意味を理解するにつれてマシになっていたはずの顔の熱が高まってゆく。

 

 耳どころか首まで真っ赤になったクラピカに、「空」は教え子に諭す教師のように穏やかに、先ほど轟沈させた言葉以上のトドメをおっとりとぶっ刺した。

 

「いい加減、自覚しなさい。

 あなたは『ソラ』を愛して、そして恋していることに」

 

 * * *

 

「――――な、な、な、な…………」

 

 たっぷり一分近く真っ赤になったままフリーズしていたのがようやく回答されたかと思ったら、まだ頭の中はパニック継続中のクラピカは、意味のある言葉を紡げずにひたすら「な」を連呼。

 おそらく言おうとしている言葉は「何を言ってるんだ!?」あたりであることなど全知の女神でなくてもわかったのと、このままクラピカの言語中枢が回復するまで待っていたら飛行船がヨークシンに到着してしまいそうなので、クラピカが最大級に可哀相な現状の元凶は、おっとりとだが強制的に話を進める。

 

「そんなに恥ずかしがらなくていいじゃない。ほら、ここにいる皆も、驚くどころか『うん、知ってる』って顔してる人しかいないわよ」

「なっ!?」

 

 しれっと自分の自覚していなかった、目を逸らしていた、名前なんかなくていい、ただの愛情であれば、ずっと傍にいられる理由になりさえすれば何でもいいと思っていたものを「恋」だと断言して暴露した「空」は、さらにクラピカにとって聞き捨てならないことも暴露し、クラピカは周りを見渡す。

 

「空」の言う通り、クラピカのフリーズやパニックが長すぎて驚き等の衝撃が薄れたのではなく、呆れているというか白けているというか、むしろクラピカのパニックぶりに……未だ無自覚だったことに驚いているような、何とも微妙な顔を全員、例外なくしている。

 確かにその顔が表す心境は、「うん、知ってる」が的確。というか、それしかないほど微妙な顔なのに如実に表していた。

 

 ここまで完全に自分の自覚していなかった、名付けていなかった想いが全く隠れていなかったことにまた顔の熱が上がるが、同時にこの場にもう一人気付いている可能性がある人がいることにも気づき、その可能性がクラピカの顔色を今度は青くさせる。

 

 さらに顔が赤くなるのは予測していたが、青くなるのは想定外だったのでゴンやレオリオがクラピカの様子に心配しだすが、クラピカが何に気付いたかなど最初からわかっている「空」が、彼の肩に手を置いて教えてやる。

 

「大丈夫よ、クラピカ。

 ソラは恋に恋し(夢み)てるからこそ、潔癖すぎて恋をよくわかってない。好意や愛情には敏いけど自分に向けられる恋にも自分が抱く恋にも鈍いから、ソラは全く何にも、あなたのこともキルアのことも気づいてないわよ。

 というか、ソラがあまりにも鈍くて気付かないから、あなたの方が自覚して行動に移さないと100年たってもあなた達はソラにとって『弟』だからこそ、この忠告よ」

「フォローじゃなくてトドメだろうがそれは!!」

「おい! 何で俺も引き合いに出した!?」

 

 クラピカの言う通り、一応は一番気付かれて欲しくない人には気付かれていないという事実に若干安堵はしたが、それはそれで自分は恋愛対象として眼中になかったという事実なので、「空」の発言はフォローよりトドメの割合が多い。

 そして本当に何故か、とばっちりで流れ弾をぶち込まれたキルアが「恋してる」と指摘されたクラピカと同じくらい真っ赤になって自分は違う、自分は関係ないとゴンに羽交い絞められながらも否定するキルアを見て、「……私は傍から見ればあんな感じだったのか」と今更クラピカは自分を客観視して凹む。

 クラピカも、キルアに関しての指摘で思ったことは「うん、知ってる」だけだったようだ。

 

「……つーか、お前。何でここでそれを言う? そんなん当事者たち以外全員初めからわかってるっつーの」

「「悪かったな!! というか、違う! 恋なんかしてない!!」」

 

 喚くキルアと凹むクラピカに対して、苦虫ではなく砂糖をキロ単位で食べたような顔をしているレオリオが突っ込むと、「空」ではなくクラピカとキルアが往生際が悪く全く同じことを言って否定する。

 その様子をゴンとセンリツは困り果てた様子で苦笑し、そして元凶は相変わらずおかしげに、他人事のように笑っていた。

 

「言ったでしょ? 私はクラピカの願いを叶えに来たの。でも、クラピカは『私』にではなくソラに願うから、ソラの幸福を願うから、その願いが叶うためのアドバイスくらいはしてあげようかと思っただけ。

 クラピカ。あなたは知っているでしょう? あの再会した日の空の上、飛行船でソラが手に入らないと諦めていたけど、手に入れることが出来ると知って、けれど魔術師としての歪みの所為でどうしたら手に入るかがわからない袋小路に陥りながらも、焦がれるものを。

 彼女が夢見る、甘くて儚い、当たり前のように現実に破れる幸福が何であるかを」

 

 おかしげに笑いながら、楽しげにクルクルとゆっくり舞うようにして「空」はクラピカに対して悶絶級の指摘をした理由を、ソラが望み、欲する「幸福」が何であるかを告げる。

 その言葉がまたクラピカの顔に熱を集める。

 今度は、ただただ恥ずかしいからではなく、集まる熱と比例するように鮮明に蘇る記憶が心臓を高鳴らせるほどに愛おしいから。

 

 抱き寄せた彼女は、自分とさほど変わらないと思っていたその身は、あまりにか細くて柔らかくて、些細なことで壊れてしまいそうな、間違いなく自分よりか弱い女性のものだと知った。

 良くも悪くも他者に何を言われても基本的に傷つくことが無い、強すぎる精神性にコンプレックスを懐いていたが、その心はあまりに多くの残酷な傷が今も癒えずに血を流し続けていた。

 

 大人だと思っていた。

 自分はいつまでたっても追い越すどころか並び立つことも出来ない程、正しくて強くて迷うこともなく前を向いて突き進む人だとずっと思っていた。

 そんな彼女をあの日初めて、「可愛い」と思った。

 

 追い越せないはずの歳の差が並んだような錯覚をするほど、あの日の彼女は、ソラはあまりに幼くて無垢で少女らしくて可愛らしかった。

 

 名前なんかなくていい、その愛情がどんなものであれ、彼女と一緒にいれる理由になるのならそれでいいと思っていたのに、彼女をはっきり女性と意識した時から、決して自分の助けなど必要がないほど強い人ではないと知った時から、……甘くて儚くて幼くて脆いけれど、あまりに優しくて穏やかで愛おしい「夢」を懐いていると知った瞬間から、それは芽吹いた。

 

 彼女の見る「夢」と同じ夢を見たいと、思ってしまった。

 彼女の「夢」を、その日からクラピカは見続けていた。

 

「……別に私はこれ以上、口出しする気はないわよ。あなたが抱くその『夢』を口にするか、秘めたままにしていつか『憧れ』でも『親愛』でも何か別の名に変えてしまうかは、あなたの自由。

 ただ、ほとんど自覚しているくせに眼を逸らして半端な距離感でいつづけることは、あなたの願いが一番酷い形で叶わなくなる可能性が高くなるからこその忠告よ」

 

 顔を真っ赤に染めてまた黙り込むクラピカに、「空」は舞うように近づいてきて突き放す。

 淡く儚い「夢」のまま、「夢」を見ていることも自覚しないまま、確信できずにいたものをいきなり突きつけてきたくせに、その突き付けたものを抱え込ませたままクラピカを突き放した。

 

「ソラは『恋』を知らないと同時に、『愛』もよくわかっていないわ。ただひたすらに一緒にいたい、片時も離れたくない、あらゆる苦難から守り抜きたいという強い思いが『恋』なのか『家族愛』なのか、その区別だってつかない。

 だってソラの『家族』は誰もそんなことを教えてはくれなかった。教えることも出来ない、教える必要性が理解できないほど、彼らも『家族に向ける愛』なんて知らなかったから、あの子は誰かと一緒にいたいと思う気持ちは、家族としてか、恋をしているかなんてわからない。ソラは、友人としてならまだしも家族としての距離感が全く分かっていないのよ。

 

 だから、あなたが自分の『恋』を『家族愛』と言い換えてしまえば、ソラは何も疑わない。彼女は家族とあまりに距離がありすぎた所為で、本来の家族ならどこまで近いのか、どこまで許していいのか、どこで線引きすべきなのか、そういう距離感が全く分かってない。性に対しての価値観も家族によって歪みに歪みきっているから、それさえも『家族愛』で言いくるめてしまえるわ」

 

「空」が酷薄に、嘲るように笑いながら言い出した言葉に、クラピカは何かを叫びかけるが怒りのあまりか言葉が出てこない。

 卑怯や卑劣という言葉では足りない、あまりに残酷なソラの無知にもはや「恋」とは言えないただの愚かで醜い劣情を付け入ることが出来ると言われて、怒りで瞬間沸騰したがすぐさまそれはクラピカに対して「したければすればいい」という意味で言っている訳ではないことにも気付いて、余計に言葉を失う。

 

 これも、忠告。

 一番、彼女の無知に付け入って彼女が大切に大切に夢見て守っているものを最低な形で壊せるのはクラピカだろうが、別にクラピカでなくても、誰でもそれは可能だと「空」は言っているのだ。

 彼女が嘲っているのは、クラピカでもそんな卑劣極まりないことをやりかねない男でもなく、何も気づかないまま壊されて失って絶望するであろうソラ自身に対しての嘲り。自嘲の笑みだった。

 

「……だから、自覚しろというのか」

 

 忠告だとわかっていながらも、ソラが自分で自分の自覚していないあまりに無知で危うい自分を自嘲しているとわかっていながらも、決してその無知はソラの所為ではない、ソラは生まれてすぐに捨てられた方がマシだったと思えるほど、愛情などない魔術師という家に生まれたことで、自覚さえもさせてもらえず傷つけられ続け、歪められた被害者だからこそ、「空」の嘲りが許せずに睨み付けていたクラピカが言葉を絞り出した。

 

 その言葉で、少しだけ「空」は安堵したように笑みを嘲笑から柔らかいものに変化させて頷く。

 

「そうね。自覚して、距離感をソラに教えてあげなさい。『家族』という立場に甘えて踏み込み過ぎれば、彼女はそれが当たり前の距離だと思い込んで付け入られる隙になる。『家族』と名乗っていながら、異性としての意識でソラを傷つけたくないあまりに距離を置けば、大切な人が遠すぎるという寂しさがを埋めるために、残酷で身勝手で醜い『恋』を騙る現実によって、彼女の『夢』は踏みにじられる。

 

 だから、あなたは自分が生みだして育んだその想いと向き合って、考えなさい。そして、選びなさい。

 その想いに名を付けなさい。現実に儚く破れる『恋』か。現実さえも歪めて打ち勝つ『愛』か。

 それらは似ているようで全くの別物だからこそ、混同すると苦く、痛く、壊れて終わって消えてゆくから……後悔しないように向き合いなさい」

 

 空虚な言葉で、けれどあまりにも正しい、クラピカの願いを叶えるに必要なこと、ソラの幸福、夢を守る為に必要なことを、母親のような慈愛の微笑みで語り終えた「空」に、まだゴンに羽交い絞めされたままだったキルアはしばし間を置いてからぼそりと言った。

 

「……いいこと言ってるけど、『現実に儚く破れる』って何気にお前、ソラが振ること大前提で語ってね?」

「気付いていたが、今それを指摘するな!!」

 

 キルアもキルアで、指摘されて暴露されて恥ずかしいやら、けれど改めてソラの残酷な傷を突き付けられて、自分のプライドだけで半端な距離を取ることがどれだけ危ういことなのかを思い知らされて色々と考えていたが、あまりに自然体に「恋」は「現実に破れる」ことが当然の前提として「空」が語っていたことに気付いて思わず突っ込んだ。

 そしてクラピカもクラピカでちゃんと気づいていたようだが、でもそのことを気にしたらそれこそ自覚させられたばかりの「恋」が粉砕されるので聞かなかったことにしていたらしく、キルアの指摘にキレる。

 

 キレたクラピカに、色んな意味でこの現状に同情していたが、やっぱり気に入らないとキルアなりに向き合ったクラピカに対するライバル意識からか、「向き合えって言われてるだろーが!」とさらにキルアは余計なことを言って、互いに取っ組み合いの大人げ皆無な喧嘩が起こりかけたが、ゴンがさらに力を込めてキルアを拘束し、クラピカもレオリオが羽交い絞めしてセンリツが宥めてたおかげで、かろうじて勃発はしなかった。

 

 ちなみに元凶は、わかっていたがどちらも止めずにただ優雅にニコニコ笑っていた。

 この女神、やはり心がないくせに性悪である。

 

 女神など古今東西、性格が悪いものだと証明するように「空」はクラピカとキルアの喧嘩は止めなかったくせに、ブチキレたクラピカを羽交い絞めして止めたレオリオが抗議するように睨んで、「おめーは焚きつけたいのか、トドメ刺したいのかはっきりしろ」という言葉には、穏やかな笑顔で当たり前のことを言うように即答する。

 

「どちらでもないわよ。私はただ事実を言っているだけ。

 けれど、キルア。私はソラがクラピカはもちろん、あなたを振ることを前提になんか語っていないわよ。私はただ、恋は現実によって破れると言っただけ」

「どう考えても振られること前提だろそれは!」

 

 レオリオの質問というより嫌味でしかなかったセリフに、嫌味だとわかった上で答えながらまたしてもキルアに流れ弾をぶち込む女神に、キルアもまたキレた。

 しかしいくらキルアがキレても、女神はソラと同じく彼の照れ隠しの怒りなんか可愛いものとしか思っていない笑顔で、言葉を続ける。

 

「これもある童話作家の言葉なんだけど、キルアとゴンは特に覚えておいた方がいいかもね」

 

 何故かクラピカではなく今度はゴンを引き合いに出して、前置きして「彼女」は語る。

 愛に絶望し、恋に妥協しなかった、人間嫌いの童話作家が語った、とある三すくみを。

 

「『恋は現実の前に折れ、現実は愛の前に歪み、愛は、恋の前では無力になる』

 

 良かったわね。ソラが今、恋しているのは恋という夢そのものにだけど、ソラはあなた達のことを誰よりも何よりも愛しているから、あなた達の『恋』に勝ち目は結構あるわよ」

 

 童話作家の言葉を引用した女神の言葉に、今度こそ恋する(夢見る)少年たちは撃沈した。

 

 * * *

 

 どちらも床に手を突き顔を上げられなくなっているのを、可哀想だと同情しながらもとりあえず大人しくなったことにゴンは安堵して、ついでに少しでもこの空気を変えたかったのと、素で気になった部分を『空』に尋ねる。

 

「ところで、何で俺も今の言葉を覚えておいた方がいいの?」

 

 何故かクラピカではなく自分を引き合いに出したのが、普通に疑問だった。

 自分も恋愛沙汰に敏い自信はないが、例え自覚してなくとも自分もキルアやクラピカと同じ気持ちをソラに対して抱いているのなら、たぶんこの女神は悪気はないが善意でもなくただ事実だからというだけで暴露しそうなので、おそらくは全知の女神から見てもゴンのソラに向ける好意は好意でしかないのだろう。

 

 しかしこの考えが正しければ、何故わざわざ自分を引き合いに出したのかが全く理解出来ず、小首を傾げてゴンが尋ねると、「空」は「意味はないわよ」と身も蓋もない答えを返す。

 

「覚えておいても、忘れても、元々知らなくても、この言葉自体にあなたの運命を変えるほどの意味なんかないわ。ただ、後になって謎だった部分に納得が出来るかもしれないというだけよ。

 この言葉自体が運命の分かれ道になるのは、あなたじゃなくて憐憫の獣になり損ねた王様よ」

 

 尋ねても結局意味が全く分からなかったが詳しくさらに尋ねる気にはなれず、ゴンはまた首を傾げつつも「ん~……じゃあ、とりあえず忘れないように努力するよ」と答えた。

 ゴンの答えに「それが良いわ」とだけソラも答え、そして視線をゴンからまだ床にのたうち回りたいほどの羞恥でいっぱいいっぱいなクラピカに向けて言う。

 

「それじゃあ、そろそろソラを返すわね」

 

 言われて、クラピカは顔を上げる。

 まだ顔の赤みは全く納まっていないが、それでも羞恥のあまりに怒っているのか泣きそうなのかという顔が、別れを惜しむような、やっと焦がれた人に会える安堵のような、相反している感情が入り混じった何とも言えない顔で「空」を見る。

 

「私の忠告も、ソラに頼まれた役目ももう終わり。

 だから、私はそろそろこの体をソラに返して眠るわ。夢さえ見ない夢……、全てだからこそ何もない、何の意味もない『 』(わたし)の中で眠り続けるわ」

 

 クラピカの相反する感情が入り混じった顔とは違い、「空」は対極の感情を何の違和感もなく調和させて別れを告げる。

 諦めきった絶望の眼をしながら、無限の未来に期待する柔らかな笑顔で彼女は「夢」を見ると告げた。

 

 夢さえ見ない、何もない、期待などしない、だからこそ絶望などしない「夢」を見ると語る女神に、クラピカは、「夢」を見ていると指摘された少年は最後に一つ訊いた。

 

「――あなたに、『願い』はないのか?」

 

 女神に、「願い」はないかと尋ねる。

 

「あなたが望み、願うものは何かないのか?」

 

「夢」を見ない女神に、見たい夢はないのかと尋ねる。

 

「それは――私には叶えられぬものだろうか?」

 

 神に対して、「願いを叶えてやる」という傲慢な言葉を重ねた。

 

 女神は答えない。

 笑っていると指摘した時のように、笑顔も絶望も忘れてきょとんとこちらを見返しもしない。

 クラピカの言葉など「彼女」にとって予定調和、ありきたりでありふれたものでしかなかった。

 

 けれど――「空」は答えた。

 ありきたりで、ありふれていて、独創性も面白味もない言葉でも、それでも「空」は嬉しそうに笑って答える。

 

「あるわ」

 

 神様の機能を持つ、けれど決して神様なんかじゃない、願われ、縋りつかれ、祈られて、けれど誰にも願うことも縋ることも祈ることも許してもらえない神様ではないという証明のように、「彼女」はクラピカに叶えて欲しい「願い」を告げる。

 

「生きて」

 

 ありきたりで、ありふれていて、独創性も面白味もない……意味などないと「彼女」自身が誰よりも何よりも知っている、誰よりも何よりもその意味を知りたがっている、ただ一つの願い事。

 自分の中から生まれる、逃れられない終わりを知りながら、その終わりに向かって走り抜けることしか出来ないと知りながら、それでも生まれることを望む元始の願い。

 

「彼女」自身から生まれた「彼女」自身の願いでありながら、「彼女」には決して理解できない、「彼女」を置いてけぼりにする意味などない理由を、願った。

 

「あなたは――、あなた達は、生き抜いて。

 いつか必ず終わると知りながら、それでも足掻いて、足掻いて、足掻き続けて、足掻き抜いて、悪あがきを続けて、当たり前のように生きて、当たり前のようにいつか終わって。

 

 そうして……どうか『私』にもいつか、最後の最後で良いから教えて。

 あなた達がどうしてそこまで『生きたい』と望んだか、その理由を。あなた達が生まれてきて、生き抜いた意味を。

 

 いつか必ず来たる、全ての可能性が、世界線が収束して辿り着く終わりの時、……終わることを惜しみ、惜しまれることはあっても、終わることも終わり方も嘆き、嘆かれることなんかない、良い終わりだったと思える大団円(グランドフィナーレ)を……いつか必ず、『 』(わたし)に見せて。

 

 これが、『私』があなたに、あなた達に願い、望むこと。私には絶対に出来ないから、期待することよ」

 

 全知だからこそ、足掻くことさえもできない。

 全能など程遠い無力の万能は、だからこそ足掻くことしか出来ない者に願いを託す。

 

 自分という空っぽの中に、甘くて儚い、脆くて幼い夢を見る、夢を見つけた、空っぽの中身を「夢」で満たそうとしている少年に、「空」は希う。

 

「――あぁ。わかった」

 

 その願いを、受けとめる。

 

「生き足掻こう。

 最期の瞬間まで、『 』(あなた)に還りついても、そこに『意味がある』と言えるように」

 

 クラピカは少しだけ照れくさそうに笑って、約束する。

 自分の願いを叶えようとしてくれた、もうとっくの昔に叶えてくれていた、……幸福そのものを生かしてくれた女神の機能を持つただの、空っぽの「ソラ」の願いを受け取った。

 

 ただ、最期の時まで「生きたい」と足掻き続ける当たり前を、当たり前であり続けるというだけの夢を見る。

 ただそれだけの、約束だ。

 

 だけど、たったそれだけの約束に「空」は嬉しそうに笑った。

 

「そう。……楽しみにしてるわ」

 

 言いながら、笑いながら彼女は右手で自分の両目を覆い隠す。

 その所為で、その笑みただただ純粋に、嬉しそうに、幸せそうに笑っているように見えた。

 

「あなたが約束してくれるのなら、『これ』はそのお礼。

 じゃあね、クラピカ。――――次は、2年後。『方舟(アーク)』で会いましょう」

 

「どういう意味だ?」とクラピカが問い返す前に、ぐらりと体が傾いだ。

 慌ててクラピカが床に倒れ伏す前に抱き留めて、「おい!? 大丈夫か!?」と尋ねれば、彼女はかすかに呻きながらゆっくりと顔を上げる。

 

 上げられた顔を見て、クラピカは息をのむ。

 

 

 

 

 

「……うぅん…………あれ? ここは…………って、え? ……クラピカ?」

 

 

 

 

 

 数回、瞬きをしてもまだぼんやりとした目で…………諦めも、絶望もない、死に満ちた、死だけしか見えないはずの天上の美色ではない、まだ青みは強いサファイアブルーだが、それでも最果ての空の色ではない眼が、クラピカを見上げる。

 

 その体が育んだ条件反射による本物でありながら空っぽの感情ではなく、自分が見て、聞いて、感じ取ったものから生まれた感情を露わにして、……わかりきった物事に退屈するのではなく、心から状況が理解出来ずに驚いて目を丸くさせて、彼女は言う。

 

「え? 何で……ここに? あれっ? っていうか、視力が何でだいぶ戻ってんの? というか、ここはどこ? 旅団はどうしたの? ゴンやキルアは――」

「――――っっっこの、大馬鹿者!!!!」

 

 目が覚めた……「空」からソラに戻ったソラが、当然現状を理解出来ずにクラピカに抱き留められたまま、抱き着いたまま混乱していたら、ポカンとしていたクラピカが見る見るうちに泣き出しそうな顔になってソラを怒鳴りつけた。

 

 怒られる心当たりなら山ほどあったが、それでもさすがに状況説明もされないまま怒鳴られるとは思っていなかったらしく、ソラが面食らって「は? えっと、バカでごめんなさい?」と逆効果この上ない謝罪をして、起きて早々通常運転なソラにゴン達はやや脱力しながらも安心する。

「空」も間違いなく「ソラ」であるとわかってから少なくなっていたが、「本当にソラはちゃんと戻ってくるのだろう? 人格が戻っても、余計なことを覚えていないだろうか?」という不安が消しきれずにあったので、相も変わらず歪みないソラを見てようやく心から安堵することが出来た。

 

 そしてそれは、クラピカも同じ。

 

「ああ、本当にそうだ! お前はどうして本当に奇跡的な大馬鹿者なんだ!?」

 

 ソラの頓珍漢な謝罪に、クラピカもヤケクソ気味にソラのバカさ加減にまた更に怒って、状況がわかってなくても、むしろわかってないからこそ自分のペースに持っていくためのマシンガントークが得意なソラでも口がはさめない程に困惑させる。

 そしてさらにクラピカは、ソラの困惑に追い打ちを掛ける。

 

「お前は本当に本当に本当にバカだ! 昨日、言っただろうが! 許さないと!

 お前を一生、(はな)さないと言っただろうが!!」

 

 女神がいい笑顔で言い放った、自分を轟沈・撃沈させた指摘と同レベルの墓穴を掘りながら、ポカンとしているソラを力いっぱいにクラピカは抱きしめる。

 後で絶対に自分の言葉も行動も後悔して、羞恥で死にたくなるのも、はちみつでも飲み干したような顔をしているレオリオに「爆発しろ」と言われるのも、またキレ始めてゴンに止められているキルアとケンカになることも、センリツやゴンから生ぬるい眼で見られ続けることも、全部全部わかっていたが、今はそんなの全てがどうでも良かった。

 

 今は、ようやく取り戻したこと実感するソラの体温だけがあれば良かったから、クラピカは強く強く、縋りつくように、もう二度と手離さないように抱きしめ続ける。

 

 ……あの「空」も間違いなく「ソラ」だと思った。

 心がなくて、空っぽで、全てだからこそ何もない孤独な「彼女」にクラピカは確かに、「ソラ」を見た。

 それは、ほんの些細なものをこじつけで繋ぎ合わせるような「夢」でしかないかもしれないけれど、それでも確かにクラピカにとって「彼女」も「ソラ」だ。

 

 だからこそ、道具のように願いを叶えるために使うなんてことはしたくなかった。

 だからこそ、「彼女」の願いを叶えてやりたいと思った。

 

 だけど……それでも、クラピカにとって「彼女」は取り戻したい、当たり前のように生きて、当たり前のように死んでいく、その当たり前の中に組み込みたい、共に生きることを当たり前にしたい人ではなかった。

 

 クラピカにとって、当たり前のように生き足掻く「夢」はこの腕の中のソラだけ。

 ありきたりやありふれた生き方には程遠い、それでも誰よりも何よりも純粋な当たり前を、元始の願いを、「生きたい」という足掻きを続ける彼女だけだった。

 

 だから、ようやく取り戻したソラを抱きしめ続ける。

 もう何を言えばいいのか、何が言いたいのかもわからない。

「空」の「想いに名前を付けて、正しい距離感を測れ」という忠告もさっそく守れていない、クラピカ自身もこのは離れがたい想いは「恋」なのか「愛」なのかもわからないまま、ただただもう二度と離れてゆかないように、誰にも奪われないように、自分の恐れのあまりに抱きしめ続けた。

 

「……クラピカ」

 

 ソラからしたら起きて早々、唐突にキレて訳の分からないことを怒鳴り散らしたかと思ったら、おそらく痛みを覚えるほどきつく抱きしめて何も言わないのは、訳がわからないにもほどがある。

 だから、明らかにまだ戸惑ったままの声音で呼びかける。

 

 クラピカの背に、自分の腕を回して。

 抱き返して、何にもわかっていないくせに、何もわかっていないからこそ、彼女はただ自分が言いたいことを言った。

 

 

 

 

 

「ただいま」

 

 

 

 

 

 

 自分が帰って来たことを、自分が帰ってくる場所はここだと告げた。

 その言葉によって、ソラの意志など関係なくただ彼女を閉じ込める檻と化していたクラピカの腕から力が抜ける。

 力は抜けたが、まだクラピカは手離さない。

 どうせ一度離してしまえばこの女は、人の気も知らないで勝手気ままに飛んでゆくのを知っているから。

 

 だからせめて、もう少しだけ。

 

 そんなことを思いながら、願いながら、……淡い夢を見ながらクラピカは言葉を返す。

 

「――おかえり」

 

 君が帰ってくる場所はここだと告げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長い長い夜が、終わる。






ヨークシン編の本編と言える部分は、今回で終了。
次回から長めのエピローグ。
せっかくなので、100話で第一部が終わるようにしようと思います。

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