死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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91:意味などない理由

「おい! キルア!?」

 

 レオリオの制止の声を無視して、キルアは駆け出した。

 

 何を話しているのかはさっぱりだったが、あのソラではない誰かの話がやっと終わって人質交換が始まったかと思ったら、今度はクロロとすれ違った「彼女」が唐突に消えた。

 消えてしまったことを理解した瞬間、キルアは飛行船の出入り口まで駆け出した。

 一体いつ消えたのか、どうやって消えたのか、やはりあれは旅団が念で作り出した偽物だったのかといった考えもなく、キルアの頭に占めていたのは「ソラはどこだ!?」だけ。

 

 クラピカと同じように、そしてクラピカとは違って「彼女」が何者なのか、一体どのような状況に陥っているのかを全く理解できていないキルアからしたら、ようやく取り戻せると思った人が煙のように消え失せたという事実が、溜め込んでいた不安を爆発させる。

 

 消え失せたのなら、今更飛行船から出ても仕方がないなんて理屈も頭には浮かばない。

 ただ自分が迷子だと気付いた幼子のように、当てなどなくてもキルアはソラを求めた。

 

 そんな幼い行動の結果が、幸というべきか不幸というべきなのかはキルア本人にもわからない。

 わかるのは、知っているのはきっと神様だけ。

 全能でなくとも、全知の神様は知っている。

 

「――こんばんは。キルア」

 

 笑って、話しかけた。

 飛行船の出入り口方面から歩いてきた「彼女」は、どこまでも穏やかに上品に優しげに微笑む。

 

「初めまして」

 

 この世の美しいもの全てによく似た女神の笑顔と、この世の全ては絶望に至る為の序章でしかないことを知る瞳を目の当たりにした瞬間、キルアの頭の中を占めていた不安も、ただソラに会いたいという願望も真っ白に消却されて、代わりに全身の細胞が悲鳴のような警鐘を上げた。

 

 その警鐘に従ってキルアは後ろに大きく飛びのいて距離を置き、さらにそのままバックステップで逃げ続け追ってきてレオリオとぶつかっても止まらないまま、最終的に廊下の天井の隅に蜘蛛のように張り付いた。

 ぶつかって思いっきり床に腰をぶつけたレオリオがキルアに文句をつけようとするが、この限られた空間の限界まで距離を置いて逃げ込んだことと、そんな所にまで逃げるほど怯えているのが一目でわかるほど、顔色は血の気を失くして真っ白なのに冷や汗が滝のように流れているのを見て、彼は床に座り込んだまま困惑する。

 

「そんなに怖がらなくて大丈夫よ」

 

 おっとりとした口調で宥めるように「空」がキルアに言ったことで、ようやくレオリオは「空」の存在に気付くが、彼も「彼女」を間近で目の当たりにしたことで、キルアがどうしてここまで怯えているかを理解した。

 そこにいるのは確かにソラであり、ソラではない誰かだと一目で思い知らされるほどに「彼女」は、ソラとは何もかもが同じくせに、決定的に違った。

 

「……誰だ、お前は……?」

 

 酷く声が上ずっているのを感じながら、レオリオは立ち上がってナイフを取り出し、キルアを庇うように「彼女」の前に立ちふさがる。

 口調といい、表情といい、そしてこの眼からしてキルアに危害を加えるとは思っていない。思えない。

 何もかも諦めきったその眼は、八つ当たりという行動すらも諦めているように見えた。八つ当たりをしても、この絶望を一時でも忘れることなど出来ないと語っていた。

 

 だけどキルアの様子からしてこの女を近づかせてはいけないと思ったのか、レオリオはナイフを下ろさずに「彼女」を睨み付けるが、「空」はナイフもレオリオも全く気にせず、相変わらず絶望の眼と奇妙な調和を果たす柔和な笑顔でニコニコ笑いながら、キルアに語りかける。

 

「言ったでしょう、キルア。『初めまして』って。『私』とあなたは初対面。私はあなたの知る『何か』とは別物よ。

 だから、無視しなさい。頭の中に意味も分からず鳴り響く『忘れろ』なんて声は」

 

「空」の言葉にレオリオが眉をひそめて「何言ってるんだ、お前?」と訊き返した直後、どさりと背後で何かが落ちる音がして慌てて振り返ると、レオリオの予想通りキルアが天井から落ちて床に呆然と座り込んでいた。

 いくらやたらと怯えて冷静さを完全に欠いていたといっても、数分間もあの体勢が保てぬほど普通の子供でないことは嫌というほど知っているので、レオリオは頭に血を昇らせて「空」に「何しやがった!?」と怒鳴りつけようとするが、その前に床に座り込んだままボロボロと泣き崩れるキルアを目の当たりにしてしまい、用意していた怒声が吹っ飛んでオロオロと狼狽える。

 

「は!? ちょっ、どうしたキルア!? 何で泣く!?」

 

 呆然としたまま座り込んで声もなく泣くキルアを、困惑しながらレオリオは宥めようとするが、キルアの涙は止まらない。

 キルアも何で自分が泣いているのかがわからないから、彼自身も困惑しながらただ泣き続けた。

 ただ涙は一向に止まらないが、「彼女」の言っていた通り頭の中で何のことかまったく意味も分からず鳴り響き続いた、「忘れろ」という声は止まった。

 

 自分は何を忘れるべきだったのか、何故この「空」があまりにも怖かったのかは、まったくわからない。思い出せない。

 忘れているから、キルアは気付けない。

 キルアが怖かったのは、「空」ではなく自分が知らぬ間に抱え込んでいる罪悪感そのものであることに気付けなかった。

 

 屋敷の奥底に閉じ込めた、記憶の深淵に沈められた「何か」を、まだその罪悪感による罰を受ける覚悟も決まっていないまま思い出すのも、「何か」と再会してしまうことも耐えられないほど怖かったから逃げ出したことに、気付けない。

 止めどなくあふれ出る涙は、「気付かなくていい」と女神に許されたことに、まだ断罪の時まで猶予があることを告げられた安堵の涙であることに気付けないまま、キルアはただ泣いた。

 

 思い出せない誰かに、思い出せないことを謝りながら泣き続けた。

 

「!? キルア!?」

「何をしている!?」

 

 唐突に消えたかと思ったら一足先に飛行船に乗船していた「空」を追ってきた二人が、泣き崩れるキルアを見て声を上げる。

 ゴンは一目散にキルアに向かい、クラピカは怒りで燃え滾る真紅の瞳を「空」を睨み付けるが、「空」は肩をすくめて笑うだけで何も答えない。

 代わりにキルアが、「キルア、どうしたの? 何があったの?」と尋ねるゴンに、溢れ出る涙を拳で拭って「大丈夫だ」と答える。

 

「……大丈夫だ。別にあいつになんかされたわけじゃねぇ。気にするな。つーか忘れろ」

 

 キルアの言葉にゴンとクラピカが確認するようにレオリオに視線を向けると、彼も未だに事態をよく理解していないらしく、困惑がありありと読み取れる顔でだがキルアの答えに頷く。

 誰にとっても納得できる答えではないのだが、レオリオの目から見ても「空」はキルアに何もしていないし、言ってることも意味はほとんど分からなかったが、冷静になれば脅すようなことは何も言っていない、むしろ宥めていたことを思い出す。

 

 何よりキルア本人がどうしてあんなにも「彼女」が怖かったのか、どうしてまだ忘れたままでいいと言われたことに、涙を流すほど安堵したのかを理解できていないので、「大丈夫」をゴリ押すしかなく、クラピカはかなり不満そうだがひとまず引いた。

 

「……そうか。お前がそう言うのなら、何も言うまい。

 だが、お前自身のことはこれから全て説明してもらうぞ。『式織 空』」

 

 しかし、引くのは「キルアに何をしたか?」という話のみで、それ以外に関しては何一つとして譲る気はない。

 本音で言えば何も知らないまま、さっさとソラを返してもらえたらそれでいい。むしろ、知ってしまえば大きな何かを失って、もう後戻りはできなくなってしまう気がしたけれど、それでもクラピカは知ること選んだ。

 

 何も知らないままでいることは、もう嫌だから。

 ソラがずっと、自分に救われてくれていたことも。

 彼女がここのいることは、いつ失われるかわからない奇跡だということも。

 わからないまま、彼女の幸福を減らす真似も、彼女と共にいられる時間を無駄にすることも嫌だから、クラピカは知ることを望んだ。

 

「……いいわよ」

 

 そんなクラピカを見据えて、女神は慈しむように微笑む。

 慈愛の微笑みは、知ることで悲劇への結末を加速させていることも知らない無知な人間を憐れんでいるようにも見えた。

 

 * * *

 

「お前は何者だ?」

 

 飛行船内の狭い通路で話をするのはさすがになんなので、飛行船内のロビーにひとまず全員が戻ってから、クラピカが口火を切った。

 

「空」本人と既に説明を聞いたゴン以外の全員が改めて「空」に対して、警戒心と畏怖、そして「ソラをどうした?」という怒りを込めて睨み付ける。

 センリツはさすがにソラとの付き合いがまだほとんどないので怒りはなく、心音のことで未だに怯えて「彼女」から一番離れた位置にいるが、それでもやはりこの時計の秒針のように機械的な音しか奏でない相手が何者なのかが気になるのだろう。

 知らないままでいた方が幸せな物事は多いが、知らないままでいると余計に恐怖が積もるから、人は怖いものの正体を知りたがる。今のセンリツはまさしくそんな状態だ。

 

 そんな「怖いもの」そのものは、相変わらずあどけなく穏やかに柔らかく笑いながら、ふわふわとしたどこにも響かない言葉を紡ぎだす。

 

「私は『式織 空』よ。何者かと訊かれたら、残念だけどそれしか答えようがないわ。

 まぁ、あなたが知りたいのはソラとはどういう関係か、私の機能が『神』はともかく『聖杯』はどういう意味かって事でしょうけど」

「……わかっているのなら、答えろ」

 

 ソラの答えに苛立ちを露わにしてクラピカは答えの先を促し、キルアとレオリオは「聖杯」という単語に目を見開き、センリツは逆に余計に謎が深まったので首を傾げる。

「空」はそんなそれぞれの反応をクスクスと上品に笑いながら眺めながら、軽やかな足取りで一人に近づく。

 

「そうね。でも、私は同じ説明ばかりしてるから、私に関しての説明はあなたに任せるわ。

 頑張ってね、ゴン」

「えぇっ!?」

 

 いきなり自分に踊るような足取りで近づいてきたかと思ったら、肩に手を置いて「空」はゴンをクラピカ達の方に向き直らせてにこやかに宣言し、クラピカ達よりもゴン本人を一番驚かせた。

 そのノリが完全にソラそのものだったので、思わず全員の毒気が一気に抜けてしまったが、しかしゴンがわかりやすく自分たちに説明できるほど単純ではないことだけは想像ついているからか、クラピカは両目の緋色に怒りを鮮烈に反映させて睨み付ける。

 

「……ふざけるな。いいから、さっさと訊かれたことを答えろ!」

「! 待って、クラピカ! この『空』は、体の人格だよ!!」

 

 何気にゴンに対してかなり失礼な理由でクラピカはキレたのだが、そんな理由は知らない、知ってもその通りなのであまり怒りは湧かないゴンは、「無理! わかんない! 出来ない!!」と拒否しても、色んな部分が絶望的に別人であると同時に同じくらい絶望的にソラと同一人物だと思い知らせる「彼女」は、絶対にこの無茶ぶりを引っ込めないこともなんとなく想像ついていたので、ここでクラピカをキレさせるくらいなら……と思い、潔く諦めて「空」の無茶ぶりに応えることにした。

 

『……はぁ?』

 

 ゴンの答えはある意味ではクールダウンには最適だったが、当然意味が誰にも理解出来ず、異口同音に「何を言ってるんだお前は?」という言葉を代弁する声が上がった。

 

「えっと、この『空』は二重人格とかじゃかくてソラとは独立してるけど間違いなくソラで、というかソラの心? 精神? を作り出した人で……えっと、そもそも体の人格っていうのは特別なものじゃなくて誰にでもあるらしいけど、体の人格は心を持ってないから本来ならこうやって目覚めても話したりは出来ないらしくて……えーと……その……あれ? 何だっけ?」

「…………ゴン。わかった。すぐに頭に血が上る私が悪かったから、もういい」

 

 何とかゴンは「空」について、「体の人格」について説明しようと努力したが、クラピカの予想通り、そして本人もわかっていたがゴンは、「空」の説明で「彼女」が何者か、どういう在り様なのかは理解したが、それはほとんど感覚的なもので、旅団に対してとヒソカに対してで2度聞いたはずの説明の内容はほとんど覚えておらず、話があっちこっちに飛んでただでさえややこしい話がさらに訳がわからなくなっている。

 

 とりあえず、ゴンの頑張りだけはわかった……というかゴンの努力しかわからないのだが、とにかくクラピカの頭は完全に冷えたので、もう自分と「空」の仲裁代わりに無茶ぶりに応えなくていいと言ってやった。

 しかし、負けず嫌いなゴンは妙な意地を発揮して「大丈夫! 説明出来るよ!」と何故かクラピカの助け舟を拒否。

 

 別にクラピカにバカにされたと思って、意地を張っている訳ではない。

 ただ単に、「わかっているんだけど上手く言葉にならない」という状態が、喉に魚の小骨が引っかかっているような違和感を覚えて嫌なだけであり、ゴンはクラピカだけではなく「空」以外の全員から、「いや、話が進まねーから諦めろ」という視線を向けられていることに気づかず、頭を抱えてどう説明すべきか悩んだ。

 

「えーとえーと、誰か……旅団の誰かが結構わかりやすくまとめてた気がするんだけど、誰が何て言ったたんだっけ?」

「ボノレノフね。全身に包帯みたいな布を巻いている人よ」

 

 ゴンが頭を抱えながら何とか思い出そうとする情報を、無茶ぶりした当の本人がゴンの様子をおかしげに笑いながらヒントで「誰が」という部分のみ答えると、個性豊かな旅団の中でもひときわ目立つ格好の一人だったからか、相手を思い出せばそのまま思い出したかった情報も一緒に思い出すことが出来た。

 

「あ! その人だ!

 その人が言ってたんだけど、この『空』は何かの間違いで人間の世界に人間の姿で生まれて来てしまった神様で、俺達の知るソラはこの『空』が人間として生きるために、神様としての力とかそういうもの全部を抜き取って作った心だよ!」

「「………………はぁ?」」

 

 ゴンがようやく思い出した旅団員のセリフに、キルアとレオリオがやや間を置いて先ほどと同じような声を上げた。

 しかし、先ほどと違ってその声に「意味が分からない」という困惑は薄れている。

 代わりにあったのは「意味を理解したくない」という、ゴンの思った通りわかりやすくまとめているが故の拒絶。

 

「……お前……何言ってんだ? ……何、言ってるのか……わかってるのか?」

 

 二人の反応を初めは言い放った本人であるゴンはよく理解出来てなかったが、キルアの性質が悪すぎる冗談に怒っているような、性質の悪い冗談であって欲しいと縋りつくような言葉と、そしてただでさえ怯えているセンリツがまた更に顔面蒼白にさせて後ずさりしたことで、自分が何を言ったのか、あのアジトで聞いた時の自分の怒りを思い出し、理解する。

 

「お前……それじゃあソラは……ソラはこいつの偽物ってことになるだろ! ソラが! あんなにも死にたくないあまりに死んだ方がマシな生き方をしてる奴が! あいつの生きてきた今までが! 全部こいつの、全部諦めてるクソみたいな目をしたこいつの偽物だって言うのか!?」

「違う! 違うよキルア!! そんなんじゃない!!

 ソラは偽物じゃないし、この『空』だってソラとは全くの別人でも別物でもないんだ!」

 

 自分と同じように解釈して、同じ怒りを懐いて叫ぶキルアにゴンも訴え返す。

 自分と全く同じ、「ソラの代わりにあなたが死ねばいい」と言ってるも同然な言葉を、キルアが吐き出してしまわぬように、否定して自分の得た答えを告げる。

 

 キルアには自分と同じ間違いを犯してほしくないから、「お願いだから話を聞いて!!」と涙目になって訴えかけた。

「ソラじゃないのなら、あなたはいらない」と言われても、今更と言わんばかりに揺るがずに穏やかな笑みを浮かべ続けた、もはや傷ついていない所がないからこそ痛みを感じていない「彼女」の絶望を目の当たりにすれば、キルアもソラが大切だからこそ、大好きだからこそ癒えない傷になることはわかっていたから。

 

 自分と同じ傷など負って欲しくなかったから、ゴンは自分がもらった答えを、自分で得た答えを口にする。

 

「偽物じゃないよ! 生み出したって言っても、『空』がソラを操ってる訳じゃない! 関係で言えば親子みたいなものだよ! 子供は親のコピーでも偽物でもないでしょ!?

 

 それに……『空』は自分に心がないっていうけど、『空』はこの世の未来も何もかもを全部知ってるから、生きることも全部無意味にしか思えないのは本当だけど……、ソラと違ってきっと本当は無意味だってわかりきってる世界で生きるよりさっさと死んで、何も考えられないようになりたいのかもしれないけど……それでも、……それでも『空』はソラの為に起きたんだ。

 夢さえ見ない夢をずっと見続けたいからソラを作ったはずなのに、ソラが頼んだ、ソラが願った『クラピカが幸せになりますように』って望みを叶えるために起きて……ここまで来たんだ。

 

 ……だから、この『空』だってソラだよ。全然違うけど……それでも、『空』はソラだよ」

 

 ゴンの今にも泣き出しそうな悲痛な顔と声音に押され、キルアは口から出かかっていた「ソラを返せ! お前の方が偽物だ!!」という言葉が詰まり、何も言えなくなったままゴンの背後に立つ「空」を睨み付けた。

 ゴンに庇われてもキルアに睨まれても、「空」は相変わらず女神の微笑みを浮かべたまま、美しい唇は何も語らない。

 天上の美色を宿した眼には、庇われたことに喜びはもちろん、ゴンが泣きそうになっていることに対しての罪悪感も、キルアの言動に対して傷ついた様子もない。

 もうそんな風に感情を動かすことにも意味など見出していない、無意味であることを知っている諦めしかそこにはない。

 

 そんな眼をしておきながら、ソラの為に起きたということ、ソラの頼みを、願いを、望みを叶えるために起きたと言われても信じられない。

 今は彼女がそこまで……神様に、聖杯に縋るほどの望みが「クラピカが幸せになりますように」であるという事に嫉妬を覚える余裕もなく、怒りが湧き上がる。

 親友があんな顔をしてまで訴えてきた言葉は信じたいが、当の本人がキルアの神経を全力で逆撫でしているので信じられない。

 

 ……誰かが自分の為にしてくれているフォローを自分で台無しにしている所は、嫌になるほどソラと同じであるのがまた更にキルアの癇に障った。

 

 だが、キルアは何も言えなかった。

 自分の中の苛立ちや怒りが言葉になる前に、話の主導権は奪われた。

 

「……お前が、『神』と呼ばれるような存在と同等の万能性を持っているのは、確かなんだな」

 

 クラピカが唐突に、尋ねた。

 瞳は相変わらず鮮烈な緋色に染まったままだが、「彼女」がソラではないと気付いた時からクロロが相手でも保っていた余裕を失って険しかった顔が、少なくとも無表情を取り繕える程度に余裕を取り戻していた。

 

 ゴンの話でキルアと同じくらい怒り狂ってもおかしくない相手筆頭が、いくらゴンが涙ながらに訴えてもキルアと同じかそれ以上に信じられずに怒りを積み重ねていくと思っていた相手が、予想外に冷静であることにキルアどころかゴンやレオリオ、センリツも呆気にとられてしまう。

「空」だけが見飽きた寸劇でも眺めるように、棒読みではないがどこまでも空虚な言葉を、わかりきった答えを即答する。

 

「えぇ。人が想像しうる大概の事は叶えることが出来るわよ」

「過去をやり直して未来を変えることもか?」

「可能よ」

 

「空」の答えにクラピカは即座にまた質問を重ねる。

 そして「空」もまた一瞬の間もなく答えたので反応が遅れてしまったが、クラピカが何を訊いているのかに気付いたキルアが、今度はクラピカに対して怒りを爆発させた。

 

「!? クラピカっっ!! てめぇ、何考えてやがる!?

 お前……そいつを……そいつを使う気か!? ソラを! 聖杯として! クルタ族虐殺をなかったことにするために使う気か!?」

 

 そうとしか思えぬ確認の質問に、キルアはブチキレた。

 散々ソラじゃない、ソラと「彼女」は別ものであるからこそ苛立っていたくせに、「空」の方などキルアからしたらどうでもいい、さっさと消えて欲しい相手であるのに、それでも許せない。

 

 絶望的にソラとは違っていても、一部分でも、一欠片でも「彼女」がソラであるというのなら、絶対に許せなかった。

 ソラを聖杯として……道具として使うことは、例えどれほど狂おしい願いであることを知っていても、それだけは許さない。

 

 クラピカの様子と唐突過ぎる質問に困惑していたレオリオも、キルアの言葉で質問の意図が綺麗に繋がってしまったことで怒りに顔を歪ませる。

 ゴンも同じく理解したが、理解したがゆえに更に困惑を深めてパニックに陥る。

 クラピカがそんなことを、例えソラにデメリットやリスクがなかったとしても、彼女を聖杯として使うことなどあり得ないと信じて疑わないからこそ、彼の言葉の意図が理解できない。

 

 ただ一人、センリツはクラピカの心音を、心の音色を読み取って「待って!!」とキルアやレオリオを呼び止める。

 しかし怒りで瞬間沸騰して頭に血が上った二人には、彼女の声は聞こえない。

 センリツの制止の言葉を無視して、二人がクラピカに掴みかかろうと足を踏み出すが、クラピカは後ろの喧騒に気付きながらもそれを無視してただ真っ直ぐに「彼女」を、目の前の女神を見て質問をさらに重ねた。

 

「ならば何故、今ここにお前がいる?」

 

 その問いには、「空」は即答しなかった。

 

 * * *

 

 キルアとレオリオ二人の踏み出した足が同時にたたらを踏んで、そのまま転倒しかかったのを何とか踏み堪えた。

 何故かまたクラピカの問いが理解できない方向に向かったので、頭に昇った血は一気に下がったのは良いが、先ほど以上に二人は困惑する。

 

 ゴンは「ソラを聖杯として使う」という、自分が知るクラピカにとって有り得ない理由の為の問いではかったことにひとまず安堵するが、同じく彼もクラピカの三つ目の問いの意味がわからないので首を傾げる。

 センリツなどそもそも「聖杯」という単語を、クラピカ達は「万能の願望器」という意味合いで使っていることすら知らないので、クラピカの質問の意図はキルア達の解釈ではないことだけは理解していたがそれ以外のことはサッパリである。

 

 疑問に満ちた4対の目と、諦観の絶望を刻んだ眼がクラピカに向けられるが、彼はゴン達の視線を相変わらず無視して、目の前の「空」を真っ直ぐに見ていながらもその緋色の眼は違う所に、違う人に向けて言葉を続ける。

 疑問にして、何故そのような疑問を抱いたかという理由を語る。

 

「お前が全能でなくとも万能だと言えるだけの力を持つのなら……、過去を変えて望んだ未来を築く力さえもあるのならば、何故お前は4年前、彼女が『 』に落ちた時にソラを助けなかった? お前がソラを助けたとしたのなら、『そこ』から逃げ出した代償としてあまりに残酷な後遺症を数多く背負っているのは何故だ?

 

 お前は4年前、彼女を助けなかったのだとしたら……、何故今はソラの願いを叶えようとしているんだ?」

 

 言われてみれば……と、ゴン達は少しだけクラピカの言い分と疑問に納得する。

「空」が自称通り万能ならば、そして「空」が助けたからこそ今の「ソラ」がいるのなら、はっきり言って「空」の自称は信用ならない。人間よりもはるかに優れ、得体のしれない力を持っているのは確かだが、決して万能ではない。

 

 ソラ自身、今の自分に満足しているし後悔など無いだろうが、それは結果論だ。

 今でこそ彼女は絶対に直死の魔眼も、自分の人格を食い潰しかねないカルナも、抑止に利用されるために生かされているという現状も絶対に手放さないだろうが、おそらくこの世界に流れ落ちた直後なら、……彼女にとっての答え、幸福そのものであるクラピカと出会う前ならば、元の世界に帰ることや魔眼を元の目に戻して欲しいと望むだろう。

 

 いや、「空」の言葉通り過去改竄すら可能ならば、そもそもソラがあの「 」に落ちたことをなかったことにしてしまえば一番手っ取り早い。

 だからこそ今現在「空」がここにいるということは、「彼女」の自称は全く当てにならないか、それとも「彼女」は自分の心の「生きたい」という望みを無視したかの2択が答えとなる。

 

 前者ならば、今までの思わせぶりが全て虚勢だったことはこの上なく腹が立つが、それだけだ。ならばさっさと眠って、二度と出てくるなと言ってしまえばいいだけのこと。

 だが、後者ならばそれはクラピカの質問以上に意図がわからないもの。

 

 心や自我と言えるものがない、世界の全てに意味を見出していないからこそ、何の意味も意図もない気まぐれと言ってしまえばそれだけだが、クラピカにはそう思えなかった。

 ゴンの言葉で、正確には旅団の一人の解釈がクラピカに別の解釈を閃かせたから。

 

 だから、クラピカは問う。

 

「……お前は過去を変えることも可能だというのに、まず間違いなく恥も外聞もなく、後先のデメリットもリスクも何も考えずに、ただ『死にたくない』と死ぬ物狂いで足掻いたソラの願いを叶えなかったのは、……お前が自らを『全能ではなく万能程度』と語るのは、自分に関しての願いは叶えられないからなのか?」

 

 まずは「空」の自称も現状も同時に肯定できる解釈を確認として口にすると、「空」は穏やかに微笑んで答えた。

 

「クラピカ、()()()()()? あなたが私に訊きたいことも、あなたが出した『答え』も」

 

 何もかも諦めきった眼と穏やかな笑顔で告げられた言葉は、クラピカが問うべき言葉はそれではないと窘める言葉。

 諦めの悪いクラピカを羨むようにも憐れむようにも見える笑顔で、クラピカの質問にして答えを待つ女神に、その絶望の蒼を絶対に諦めないと宣言するような緋色の目で見据えて、彼は答えた。

 

「…………私は、ゴンが説明した言葉の意味はほとんど理解できていないと思う。だから、これはほとんど妄想に近い勘なのだが……、旅団員が言ったらしい解釈はわかりやすかった。そして正しいと思ったが……同時に違うとも思った。

 ……解釈は正しい。けれど()()()()ではないかと思った」

『は?』

 

 呆けた声が上がる。当然だ。

 ゴンの話、ボノレノフの解釈のどこの順序を逆にしたらいいのかは、誰にも理解出ない。

「カルナ」の存在を知り、彼がどのような経緯でソラに取り込まれたかを知るクラピカ以外、誰もボノレノフの解釈はどこにも並び替える余地などない。

 だから、クラピカだけが並び替えることが出来た「答え」を口にする。

 

「ソラは、宝石剣だけではなく彼女を庇ってともに落ちたサーヴァントも……カルナさえも取り込むことで、分解されかかった体を作り直して、あの『 』から逃げ延びることが出来た。だが、その所為で彼女は『取り込んだカルナに人格を食い潰される』というリスクも背負う羽目になった。

これは、カルナの性格のおかげでほとんど心配しなくていいリスクになっているが……」

 

 後ろでキルアとレオリオだけではなく、ゴンも「カルナ」に関しての説明でぎょっとしている気配を感じるが、やはりクラピカは無視を続行して言葉を続ける。

 確証などない。自分の出した「答え」は、推測というより妄想に近いレベルであることなどよくわかっているし、むしろそうであってほしいと心から願いながら、クラピカはその「答え」を言葉にしてゆく。

 

「……サーヴァントは分霊……結局のところオリジナルを人間が従えるレベルまで落としたコピーでしかないのなら、召喚できる限り最高位の半神であるカルナとはいえ、本当に彼を取り込んだことでソラは『 』から逃げ出せるものなのか?

 それが出来るのなら、むしろカルナは自分が溶けて消える前に、ソラに取り込まれる前に少しでも己の形を保っている間に自力でソラだけでも、元の世界でなくてもどこでもいいから別の世界に送り込んで助けるはずだ。だから……カルナでさえもソラを『 』から救い出すには力不足だったと考えた方が自然だ。

 

 なら、どうしてソラは助かった? ソラはどうやって逃げ出すことが出来た?

 ………………その答えは、結局はソラが足掻いて足掻き抜いたに過ぎない。足掻いて、足掻き抜いて、悪あがきを諦めずに、諦められずに続けたからこそ彼女はお前を……『 』そのものであるお前も取り込んで、人間の領域だったその身を神の機能を持つ体に作り変えることで、逃げ出すことが出来た」

 

 そこまで語って、背後で「ちょっと待てよ!!」とキルアが悲鳴のような声を上げて話に割り込んだ。

 頭の回転が速いキルアは、未だにカルナに関しての情報は衝撃を受けているゴンやレオリオよりも先に理解してしまう。

 さっさとクラピカの語った、「最強のボディガード」という発言はカルナに対してのことだったと納得して、その情報を受け入れて理解したからこそ、後半の「 」そのものすらソラが取り込んだという仮説、ボノレノフが解釈した「先天性の神の機能」を「後天性」とわざわざ解釈したことで生まれる「結果」に彼も辿り着いてしまった。

 

「ちょっと待て……待てよ……。

 お前の仮説が正しければ……()()()()()()()()()()()()()()()()ってことは――」

 

 血の気が引いた顔でかすれた声をキルアは絞り出すが、肝心な部分は言葉にならない。

 言葉にしてしまいたくなかった。嘘だと言って欲しかった。自分が出した結論なんて的外れであってほしかった。

 だからクラピカから、そして「空」からの否定を縋るような眼で期待した。

 

「空」以外の反応を無視していたクラピカが、キルアの切願のような言葉には反応した。

 彼は少しだけ振り返り、緋色の酷く痛ましげな視線をキルアに向けて告げる。

 もうその眼だけで、キルアの望みは叶わないことを教えていた。

 

「……お前が想像している通りのことを、私も思っている。

 彼女は自分の体をカルナに貸し与えることで、カルナとしての身体的な武力だけではなく、魔力さえ支払えば奇跡の具現である宝具すらも扱える。

 その代償として彼女の人格はカルナに食い潰され、ソラがカルナに成り代わってしまうというリスクがあるんだ。

 

 ………………半神かつオリジナルより劣化しているはずのカルナで、このリスクだ。そのカルナのオリジナルも生まれたはずの『根源』を取り込んで、デメリットがない訳など無い」

 

 キルアの瞳に絶望が刻まれる。

 クラピカの言葉を少しずつ理解し始めたのか、ゴンとレオリオの顔からも徐々に血の気が引いてゆく。

 ほとんど意味を理解していないであろうセンリツでさえ、不穏なものを感じているのか最初から悪い顔色がさらに悪くなる。

 

 そんな彼らに、クラピカは「これ以上は聞きたくないのなら部屋から出ろ」と忠告して、再び「空」と向き直る。

 

 これ以上言葉にしなければ、クラピカの想像が正解だという断言がなければ、見たくないもの知りたくないもの信じたくないものから眼を逸らして、信じたいものだけを信じていられる。

 それが幸福であることなどわかっている。

 だけど、クラピカは選んだ。

 

 欺瞞に満ちた破滅をただ先送りにしているだけの、ぬるま湯のような幸福ではなく、無意味だとなじられても、傷つく必要がなかったはずの傷を負ってでも駆け抜けた先にあると信じている、偽りなき幸福をクラピカは選び取る。

 

 そして、クラピカと同じ思いかどうかはわからないが、誰も部屋からは出なかった。

 真実を知ることを皆が選んだからこそ、クラピカは自分が導き出してしまった「答え」をさらに明確に言葉にしてゆく。

 

「ソラは『 』さえも取り込んで、自分の体を作り変えて、その体から得た機能を使ってようやくこの世界にたどり着いた。そして……おそらくその時点で彼女は……()()()()()()

 ゴンが言う『体の人格』であるお前に。カルナと同じ理屈で、本来ならソラが持ちうるわけがない力を使い過ぎた故に、彼女は自分自身を削りに削って、自分の体だけを生かすために自分を……精神を、心を使い潰した」

 

 背後で息をのむ気配を感じる。

 クラピカ自身も、自分で語っていながら内心の弱くて身勝手な自分が見苦しく、「こんなのは嘘だ」と泣きわめいて否定し、心臓が軋むように痛む。

 

 それでも、話をここで終わらせるつもりはない。

 

 クラピカは、口にする。

 長い前提を終えて、ソラ自身も知らない、知ってはいけない、忘れ続けていないと生きてはいけない「答え」を告げる。

 

 

 

「…………彼女があれほどまで死ぬことを恐れているのは、死にかかったからではないのだな」

 

 

 

 

 クラピカの答えに「空」は微笑む。

 神様の機能を持つ「 」から直接生じた体の人格は、微笑んで答えた。

 

 

 

「――ええ、そうよ」

 

 

 

 

 何か大きなものを諦めた絶望の瞳に、優しげな微笑みを調和させて。

 しかしその笑みは、慈愛の聖母というには酷く幼げだった。

 

 親に心配を掛けたくなくて強がる幼子の笑みに、それは似ていた。

 

 * * *

 

「 」から直接生じる生き物は、稀に存在する。

 だが、それらの大半が母親の胎内か、存えても胎盤から離れたらすぐさま死に至って、また「 」へと戻ってしまう。

 

 その理由は簡単だ。

 それは何もかも始まる前に結末を知っているから、始まる前から終わっているから、人生そのものが余生の暇つぶしでしかないから、その暇つぶしですら何もかもが見飽きた聞き飽きた飽き飽きしたものだから、「退屈」という拷問を続いてゆくだけだということを知っているから。

 

 だから、生まれ落ちた瞬間に心肺を停止させる。

 

 稀に、人間らしい営みを行える精神(人格)を生み出して、それに任せて眠り続ける太極や、自らの機能を縛って制限することで退屈を凌いで、人間の真似事をしながら生きてゆく全能もいるが、それは本当に本当に、ごく稀の例外。

 

 だから、「彼女」だって本当はすぐさまこの心臓を止めてしまいたかった。

 

 だけど、「彼女」は生きることにした。

 

 例外の真似事をして、夢さえ見ない夢に沈み込んで生きることを選んだ。

 

 ……「それ」はたまたま、普通の人間よりはるかに「 」に近い所から生まれた透明に近い器と魂を持っていた。

 近いといっても、普通の人間から「 」までの距離が10万光年なら、彼女は9万光年くらいという話。確かに普通の人間と比べたらはるかに近いが、気が遠くなるほどの距離であることには変わらなかった。

「 」へと繋がる糸が普通の人間よりは太くとも、いつ途切れてもおかしくないほどか細いものであることに変わりはない。

 稀有な魔術属性が分解のスピードを遅れさせたが、本来なら1秒で分解されるはずが0.1秒だけ長持ちするくらいの気休めにもならない悪あがきだった。

 

 だからこれは、幸か不幸かなんか誰にもわからない、「 」だって決めてはいけない、彼女だけが幸運だったのか不運だったのかを決めるべき奇跡。

 

 今にも途切れてしまいそうなか細い糸だけを頼りに、途方もない距離を駆け抜けて、己の存在を1秒でも0.1秒でも刹那でも長く保たせて足掻き抜いた先でたどり着いて作り変えて生み出したもの。

 

 ソラが生み出した「空」という神様は、「生きたい」という一心だけで産み落とされた死にたがりの神様は、選んだ。

 

「ソラ」として生きることを選んだ女神は、微笑んでわかりきった答えを告げる。

 

 

 

「そうよ。『ソラ』は……『ソラ』という精神(こころ)は一度、4年前に死んでいるわ。

 彼女は自分の体を、普通の人間よりは『 』(わたし)寄りだっただけの体を完全に『 』(わたし)に繋がる体に作り変え、そしてこの体を使った代償として自分を使い潰してあれほど逃げたがった『 』に落ちて溶けていった」

 

 

 

 かすかにあった、あったと信じていたかった一縷の希望をあっさりと否定して、クラピカの「答え」を「空」は肯定する。

 クラピカ達が守りたかった人は、とっくの昔に、彼らと出会う前に既に一度死んでいるという事実を淡々と口にした。

 

「……ふ、ざけんなっっ!!」

 

 それを悪あがきでキルアは叫んで否定する。

 信じられない、信じたくないという思いだけをがむしゃらに叫び続ける。

 

「何なんだそれ!? じゃあ、俺達の知ってるあいつは……あの馬鹿ソラは何だっていうんだよ!? あいつはやっぱり偽物だっていうのか!?」

「偽物じゃないわ。ソラは間違いなく『私』が生まれる前から、この体ではなく前の体から引き継がれているソラよ。

 言ったでしょ? 私は人間が想像しうることなら、大概は叶えられるって」

 

 その叫びを、相変わらず神経を逆なでするほど間違いに明るく、そしてどこにも響かず何も残らない空虚な言葉で即答するので、キルアは「意味わかんねーよ!!」と怒鳴り返す。

 そしてそのまま「空」に向かって掴みかかりそうだったので、ゴンとレオリオに羽交い絞めで止められた。

 クラピカもキルアを手で制止ながら、「空」の答えに確認の問いを重ねる。

 

「……『ソラ』が消えてから、お前は『 』(自分)の中に沈んで分解されて溶けたはずの『ソラ』を再び拾い集めて、蘇生させたのが今の『ソラ(こころ)』ということか」

「そういうこと。

 ちなみに、カルナを取り込んだのも私。というか、私は『 』に直接繋がっているから、逆に言えば取り込んでいないものなんかないわ。ただ、『ソラ』が取り込んだと認識出来るのものが自分が持ってた宝石剣と、一緒に落ちて彼女を庇ったカルナだけだから、『ソラ』は宝石剣やカルナの人格や能力を引き出すことが出来るだけ。

 カルナに関しては、また少し特別な事情があるけどね」

「事情?」

 

 ソラが偽物ではなく、「空」によって蘇生されたことを確認してクラピカが少し安堵すると、楽しげに笑いながら「空」は宝石剣やカルナについての補足を付け加える。

 その付け加えられた補足はある程度想像ついていたものだが、カルナに関しての「特別な事情」はさすがに何も思いつかなかったのか、クラピカは怪訝そうな声を上げる。

 

「そう。ソラをそのまま蘇生させても、彼女の人格でただ数分間苦しみながら死ぬのを待つしかなかったの。簡単に言えば、ソラが精神死してしまったのは肉体(ハードウェア)に合わないスペックの精神(ソフトウェア)を無理に使った所為だから、ソフトのスペックを底上げさせてハードに合うようにしたのよ。

 

 そうしないと、何度蘇生しても数分でソフトは焼き切れるだけで、ハードもそのうち壊れるから、カルナの霊基をいじってソラと同調させて、肉体(わたし)を起動させるに不足しているスペック分を補ってもらったの」

「過去を変えれるのなら、そもそもソラが『 』って所に落ちないようにようにすればいいんじゃない?」

 

 クラピカのオウム返しに「空」が答えると、キルアを抑えつけていたゴンがふと思いついて素で訊いた。

 レオリオもゴンの問いに「そりゃそーだ」と根本的な解決法に気付くが、「空」の諦めているからこそ寛容な眼で微笑まれるのは最初からなのでいいが、ソラと向き合っていたクラピカ、羽交い絞めにしているキルアからやけに冷たい眼で見られ、挙句センリツも何故か「空」とよく似た目と微笑みをしていたので、思わず「何だよその目は?」とやや憮然としながら訊いた。

 

「……この『空』は『 』に落ちたからこそ生まれた後天性の産物だと言っただろうが。過去改竄でその『 』に落ちたことをなかったことにしても、『 』に落ちなかったソラがいるという平行世界が生まれるだけで、こちらのソラはそのままだ」

「「あ……」」

 

 クラピカの呆れきった眼で告げられた答えに、二人は同時に声を上げてそのまま黙りこむ。

 

 所謂、「タイムマシーンを使って過去に戻り、自分が生まれる前に自分の親を殺害する」のと同じ、ベタなタイムパラドックスだ。

 ソラの体が元々今のように神様のスペックを持つ体だったのなら、ソラが「 」に落ちたという事実を矛盾させずなかったことに出来たかもしれないが、「 」に落ちたことで得た神様としての機能で過去に戻れば、その過去のソラはどうやってその肉体を、神様としての機能を得たのだ? という矛盾が生じる。

 

 その矛盾を解消するのが、「世界はいくつものIfで枝分かれしている」という平行世界に関しての考え方だが、その場合だと枝が増えるだけで自分の世界線は変えようがないという、ソラの第二魔法についての説明を受けていなくても、SF等に少しでも詳しければ想像つくものだった。

 現に、一番クラピカ達の話についていけてないはずのセンリツが気付いているからこそ、生ぬるい温度で優しいまなざしだ。

 

「出来なくはないのだけど、その場合はこの体ごと第二魔法で『 』に落ちなかったソラの世界線に渡って、その世界のソラを殺して入れ替わるとかになるからさすがにやめたのよ。

 別にわざわざ元の世界に戻らなくても、『 』に落ちたことをなかったことにしなくても、ソラはここで生きてゆきたいと願うことを知ってたから、する必要もないと思ったわ」

 

「空」がクラピカの答えにサラッと付け加えた補足が、対象が自分自身とはいえとんでもなく人でなしな方法だったので思わず全員が絶句するが、それをしなかった理由を聞いてクラピカが複雑そうな顔をする。

 痛ましいものを見るような、酷く後悔しているような顔でありながら、少しだけ嬉しそうにも見える顔で、彼はソラが元の世界より、自分自身が変わり果ててしまったという事実をなかったことにすることよりも選んだものを口にする。

 

「……私に出会うからか」

「ええ」

 

「空」は微笑む。

 ソラの諦めきれない、傷つきながら進み続ける道程を「仕方がない」と諦める笑みで。

 諦めることを諦めた者に対し、「もうやめろ」という説得を諦めた憐みと……称賛を湛える笑みで笑顔で「彼女」は答える。

 

「あなたと出会うことで、元々ソラにとって希薄だった『生きていたい理由』を得る。だから、私は『ソラ(精神)』を蘇生させること以外特に何もしなかったわ。

『 』に関しての記憶は、私が何もしなくてもそんなの覚えてたら生きてはいけないから、ソラは自分で一生思い出さない記憶の底に沈めるけど、全部を忘れたら何で自分がこの世界にいるのかがわからなくって、結局は全部覚えているのと同じくらい精神を摩耗させるから、最低限のことは覚えてた。だからこそ、魔眼という後遺症は絶対に得てしまうのよ。

 第一、それがなかったらあなたとソラの現在は存在しないでしょう?」

 

 この女神は確かに全能ではないだろうが、万能だと思い知らされる。

 さすがにタイムパラドックスは、平行世界を生み出すかその世界線の自分自身と入れ替わる以外に解消は出来ないらしいが、逆に言えば手段を選ばなければ十分に解消できるだけのスペックを持ち合わせている。

 

 ソラの後遺症は女神が万能ですらなかったから解決できなかったのではなく、それが必要だからあえて残したものだったということを懇切丁寧に説明されて、クラピカは一度目を伏せて「……そうだな」と静かに答えた。

 

 その答えの後に、問う。

 

「…………どうして、あなたは生きているの?」

 

 思わず全員が、目を丸くさせて振り返る。

 もちろん、その全員の中に「空」は含まれていない。

「彼女」だけは、相変わらず諦めた目で笑って見ていた。

 

 その有機的でありながら人間味などどこにもない笑みに慄きながら、……最初からずっと変わらない心音に怯えながらも、それでも彼女は問う。

 ずっと変わらない心音をしているからこそ、センリツは問うた。

 

「……私には、クラピカ達が言っていることの意味はほとんどわからない。けど、あなたの心音からして、あなたには感情と呼べるものはないとしか思えない。ゴン君には悪いけど心がないというのは事実、物事の全てに意味を見出していない、無意味としか思っていないのも事実だと思うわ。

 

 ……そんなあなたが、どうして今、生きているの?

 どうして……一度死んだはずのソラちゃんを生き返らせてまでして、生きることに意味を見出していないのに、まだ自分自身を生かすの?

 それがあなたの意志じゃなくても、ソラちゃんの望みだったとしても、あなたがそれを叶えようと思ったのは……何故?」

 

 話の内容のほとんどを理解出来ていないが、しかし誰も嘘などついていないことを知ることが出来る彼女だからこそ、どれほどその「音」が怖くとも聞いておきたかった疑問。

 

 心などない、ただ肉体を生かすための装置でしかないと思い知らされる鼓動の持ち主に、センリツは「生きる意味」を尋ねるが、その答えはわかりきったものだった。

 

「意味なんてないわ」

 

 呼吸するように、女神は即答する。

 生きることに意味などない。願いを叶えたことに意味などない。

 この世の全てに意味などないと、「空」は答える。

 

 胸に、生きることをやめない心臓に手をやって、その生きている証の音を確かめながら「空」は答えた。

 

 

 

「ただ、(ソラ)(わたし)に『生きて』と願って、この世界に生み落とした。

 そして私の中で『生きたい』と(ソラ)が叫んだから、だから私は(わたし)を生かすために、生きたがっている(ソラ)を生み落とした。ただそれだけのこと。

 意味なんて何もない、説明なんて出来ないけれど、それでも人間(あなたたち)がずっとずっと大切に守り続けてきた当たり前のことをしただけ。ただ、私たちの場合はあまりに歪なメビウスの輪になっていただけの話。

 

 ……親が子に『生きて』と願い、子が親に『生きたい』と願う。だから、生きて、生かした。それだけの話。

 それに意味などなくても、あなた達にとっては十分な『理由』になるでしょう?」

 

 

 

 意味などなくても、理由はある。

 意味などなくても、大切に守り抜いて当たり前としたものがあるから、生きることを、生かすことを選んだと女神は答えた。

 

 そう答える心臓は、最初から変わらず時計の秒針でも聞いているような、一定のペースで音を鳴らすだけの無心の鼓動。

 心などない、感情などないと思い知らされる音を奏でながら、決して人間に理解出来る存在ではないことをこちらに思い知らせながらも……、「彼女」は間違いなく「人間」を生み出した神様であることも思い知らされた。

 

「空」の答えで落ちた静寂を破ったのは、センリツの恐れを超えた感嘆。

 

「…………あなたは、本当に『女神』なのね」

 

 人間が持つ理屈ではない、意味などなくても守り抜きたいものは確かに「彼女」から生じていることを知り、センリツはようやくかすかに笑った。

 

 * * *

 

「――――いや。違う」

 

 かすかに、それでも確かに安堵して笑ったセンリツの言葉を静かに否定する声。

 

「……クラピカ?」

 

 きょとんとした顔で、声でゴンは呼びかける。

 しかしクラピカはその声に応えず、「空」に向かって歩を進める。

 

「……『神』は機能に過ぎない」

 

 センリツの言葉を、目の前の「彼女」の在り様を否定して、「彼女」が初めに語った自己紹介を肯定する。

 またしても話が訳の分からない方向に飛んで、ポカンとしている4人の存在におそらく気づいてもいないクラピカは、「空」の眼の前に立って話しを続ける。

 きっと言うまでもなく、「彼女」はわかりきっている。知っている。語ることに意味などない。

 

 だけど、語る理由はある。

 語らなくてはいけない、理由はある。

 

 意味などなくても、ただ大切に守り抜きたい当たり前の理由があったから、クラピカは静かに言葉を続ける。

 

「お前は……、誰かの祈りを受け止め、願いを叶える機能を持つが、誰にも願えない、祈らせてもらえない『神』なんかじゃない。願いを叶えて使い捨てられる『聖杯』なんか、もってのほかだ」

 

 手を、伸ばす。

 目の前にいながら酷く遠いと思っていた人に、まだ取り戻せないことを血を吐く思いで悔やんだ人に、クラピカは手を伸ばした。

 

 手を伸ばし、問う。

 

「……どうして、お前はずっと『笑って』いるんだ?」

 

 その問いに、「空」は即答しなかった。

 即答せず、「彼女」は…………()()()()()()()()()()()

 

 その反応にクラピカは、今にも泣き出しそうな笑みを浮かべて言った。

 もう、瞳に怒りや不安で揺れる緋色はない。

 

 全知の神様ですら気付いていなかった答えを、目の前の、誰よりも何よりも取り戻したかった人の頬に触れて、教えてやる。

 

 

 

 

 

「――あなたも、間違いなく『ソラ』なのだな」

 






予定ではあと3話くらいで終わらせるはずだったんですが、……第一部をせっかくだから100話で終わらせるために、クラピカの夢ってことでソラと出会った当初の話やら誕生日プレゼントのリボンを手に入れた時の話とか、もうほとんど惚気みたいな話を6話書いたらダメですかね?

ちなみに、出会った当初の話はヨークシン編の最初でセンリツにちょっと話した幽霊を蹴り飛ばして切り殺した話にするつもりです。

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