パーティーに潜入して1時間ほどが経過した頃、カルトがソラに向かって言った。
「空気、読めたんだ」
カルトにとって、そしておそらく執事や仕事を頼んだシルバ本人も一番の懸念事項であった、ソラがパーティーで他の参加者に対して失言・暴言を吐いて悪目立ちをしないかだったが、意外にソラは大人しかった。
キキョウの手によって極上の美女となったソラに話しかける男全員に、ソラは笑顔で「ごめんなさい。失礼します」で終わらせて、とにかく壁の花に徹していた。
「お気持ちは嬉しいのですが……」などといった相手をフォローする発言はなく、シンプルにそれだけを言って断るので良いあしらい方とは言えないが、彼女のエアブレイカーぶりをよく知っているビスケが見たら「偽物!?」と叫ぶレベルなくらい奇跡的に穏便な対応である。
さすがにそこまで思えるほどカルトはソラの事を知らないが、それでも意外かつ衝撃的だったので思わず口に出すと、ソラは少しだけムッとした顔になって反論する。
「失礼だな。私は空気が読めない訳じゃない。むしろ空気を読み、話も最後までちゃんと聞いたうえでいつも自分がしたいように空気を壊して、話は面白おかしい所だけピックアップして捻じ曲げてボケてるだけだ」
「最低だ」
シンプル極まりない評価を9歳から心底呆れたような視線とともに送られたが、元々「空気、読めたんだ」発言に対して怒ったような様子を見せたのもこのボケの前振りでしかなかったのか、ソラは気にした様子もなくただ笑う。
「……もう大人しくしてるんならそれでいいよ。そろそろ、僕はターゲットに接触するからそのまま大人しくしといて」
「この場で殺るの? さすがに目撃者多数すぎるんじゃない?」
呆れながらとりあえずこのまま大人しくしとけとカルトが念押しすると、ソラがちらりとカルトのターゲット、参加者と談笑中であるパーティー主催者の恰幅の良い初老の男を見て訊いた。
カルトが少し小バカにしたように「そんな訳ないじゃん」と言えば、「一人になった隙を狙うのなら、接触する意味なくない?」とさらに尋ね返す。
その問いでソラはどうも、どのような手順でターゲットとカルトが二人きりになるのかという計画を知らされていないことに気付く。
母親から聞いていなかったのかを尋ねれば、ソラは藍色の瞳でやたらと遠くを眺めながら、「君や君のお兄さんたちの話しか聞いてない」と言われて、思わずカルトは「お母様がなんかごめん」と謝った。
「一人になった隙を狙うんじゃなくて、二人きりになるんだよ。後になれば犯人が僕だって特定されるだろうけどそんなの公表できるわけないから、お前は僕が戻ってくるまでここで今迄みたいに大人しくして、僕が戻ってきたら執事たちの手引きでここから抜け出せばいい」
「二人きり? ……もしかして今回の仕事、他の家族じゃなくてカルトが主体で動くのは……ターゲットはそういう趣味のクズ?」
カルトの最低限な説明に一瞬だけソラが怪訝な顔をしたが、すぐに自己回答したらしく不快そうに顔を歪めた。
「『さでぃすと』な『ぺどふぇりあ』らしいよ。孤児とかだけで我慢してたらいいのに、気に入った子供を誘拐したり、こういう場で薬を使って部屋に連れ込んだりしたから、ついに
カルトの方も自分が言ってる単語の意味をどこまでわかっているかは不明だが、元々知っていたらしく9歳らしからぬ冷めた目で、ターゲットを眺めて冷淡に感想を述べる。
その感想にソラは言葉を返さないで、代わりに意外なことを尋ねた。
「あいつの好みは何歳くらいで、性別にこだわりはある方?」
「はぁ?」
何故かターゲットの性的嗜好に食いついたソラに、カルトは眉間に皺を寄せて振り向く。
子供に下世話なことを訊くなという真っ当な怒りはもちろん、カルトにはない。こういう話題は仕事柄よく聞かされるので、「変なの」以外に抱く感想はない。
ただ自分の仕事に悪趣味な好奇心で首を突っ込まれて、質問されるのが嫌だったらから苛立ったに過ぎなかったが、振り返って見上げたソラの顔を見て、言おうとしていた文句が消え去った。
「我慢の足りないバカ」と感想を口に出した時の自分以上に、あまりにも冷徹な目でターゲットを眺めながら、ソラはさほどカルトからの返答を期待していなかったのか、一人勝手にぶつぶつ呟いて完結させる。
「……まぁ、そのあたりはどうでもいっか。久々で苦手だけど、一般人に一時的なら暗示も失敗はしないだろうし。
カルト。その囮は私がするから、っていうか一緒に行くから」
「はぁ!?」
何故か勝手に決めつけられた結論に思わず出た声はやたらと大きく、暗殺者としては失格なことにカルトは会場内で注目を集めてしまう。
そのことに屈辱と羞恥で顔を赤くさせて俯き、自分に集まった注目が消えてゆくのを待ってから、声のトーンを極限まで落としてソラに怒涛の文句をぶつけた。
「お前は何言ってるんだ!? 誰がそんなこと頼んだ!? お前の仕事は、僕が少しでも目立たなくこの場にいて自然に見えるようにするためだけのカモフラージュだけだ!
それとも僕が失敗するとでも思ってるのか!? 舐めるな! こんな仕事よりももっと厄介で、あんな太っただらしない素人じゃなくてもっと強い奴らだって殺したことがあるんだ! お前のしようとしてることは余計なおせっかいなんだよ!!」
「うん、それはわかってる」
しかしカルトが涙目で詰め寄ってなじっても、ソラは適当に言い訳して謝ることも、カルトを子ども扱いして自分の提案を正当化しようともしなかった。
ほんの少しだけ困ったように苦笑しながら、カルトの言うとおり「余計なおせっかい」であることを認めた。
だが、ソラは揺るがないし譲らない。
「君に対して侮辱する提案であることはわかってる。でも君がターゲットと二人きりという状況に置かせるのは、ちょっと私には無理だ。だからカルト、私のわがままに付き合ってくれないか?」
「……意味がわからない」
自分を丸め込むための言葉なら想像がついて、それに対する反論も用意できていたが、まさかのおせっかいを認めたうえでそのわがままを押し通そうとするのは予想できず、カルトに言えたのはただそれだけ。
だが、ソラはほとんど負け惜しみで言ったに過ぎないカルトの言葉を真面目に受け取り、腕を組んで首を傾げながら、考え込む。
「意味かー。んー、なんて言えばいいかなー……。
カルト。私はな、基本的に人は殺したくないんだけど、殺人を犯すくらいなら自分が死ぬって思えるほど高潔じゃないんだ。っていうか、自分が危なければたとえ君の護衛を仕事で引き受けていたとしても、私は躊躇いなく君を盾にして君を犠牲にして、自分が生き延びるって道を選ぶと思うんだ」
まったく余計なおせっかいを強行しようとする説明になっていない話が出るが、少しばかり興味深いと思ったのか、カルトは大人しくソラの話を聞いた。
ソラの話を、意外に思ったから興味深く感じた。
彼女は「殺しはしない」と父に念押ししていたので、カルトには理解できない「人道主義」という偽善者なのかと思っていたら、本人を前にして「いざという時は自分の為に君を見捨てる」と言い切ったのが、意外だった。
意外なだけで別にカルトは、「見捨てる」と言われてもショックはない。むしろ親近感を抱いたくらいだったが、やはりこの女はどこまでも「ゾルディック家」とも「カルト」ともかみ合いはしない。
「でもな、私はそれを本当に本当に最後の手段にしたいんだ。本当に本当にどうしようもなくて、本能がむき出しになって『死にたくない』って足掻いた時だけの手段にしておきたいんだ。
だから、ここで君だけ危ない目に遭わせるってのは無理なんだ。君の実力からして問題ないだろうけど、どんな不確定要素があるかわからないから、私が一緒にいれば防げた最悪が起こるのが怖いんだ。
ここで、『私の仕事に関係ないから』って放っておいたら、私は多分、誰かを犠牲にするハードルが大きく下がる。それが嫌なんだ。私は死にたくないけど、ただ死んでないだけになり下がるのもごめんだ。私は、生きていたいんだ」
「……結局、意味わかんないんだけど?」
ソラの説明に、今度は負け惜しみではなく心の底からの感想を口にする。
まったく意味がわからない訳ではないが、やはりカルトには理解できない理屈だった。
ソラ自身も実は自分でもよくわからない、ただの無根拠で他人からしたら何の意味もないこだわりにすぎないことを知っているので、開き直って笑った。
「あはは、そりゃそーだ。まぁ、私個人のこだわりだから、意味はないけど譲らないってことだけ理解して諦めてくれたらいいよ。っていうか、諦めないと私はカルトを抱きしめて離さず仕事の妨害をし続けるから、ぜひとも諦めろ」
「本当に譲る気はないんだな!!」
今にもカルトをハグしようと両手を広げたソラに、抵抗するように構えて突っ込んでから、カルトは深いため息をつく。それは、誰がどう見ても諦観のため息だった。
「……わかった。お前を連れ戻すために会場に戻るのは面倒だと思ってたから、お前がターゲットと僕たちを隔離できるのならそれでいいよ。出来なかったら、僕が勝手にやるしお前なんか迎えに来ないけど」
「うん、OK」
カルトの提案をあっさり了承して、ソラはカルトに手を差し伸べる。
会場前とは違い、今度は何の文句もつけずにカルトはその手を握った。姉弟設定であのターゲットに近づくのなら、姉に甘えてべったりな人見知りのフリをしていた方がいいと、冷静に判断したからだ。
そしてそのまま、談笑がやっと途切れて飲み物を口にするターゲットに近づいていく。
その途中で、カルトは何気なく訊いた。
「お前にとって、『死んでない』と『生きる』の違いって何?」
ほとんど理解できないソラの理屈の中で一番意味がわからなかった部分を、本当に何気なく訊いてみた。
カルトにとってその二つは同意語。あえて違いを探すなら、脳死が「死んでない」にあたるくらいでしかなかったから、少しだけ気になった。
「実は私もよくわかってない」
しかしまさか主張した本人が理解できていない事実に脱力して、カルトは転びかけた。何とか踏みこらえてカルトはソラを睨み付けるが、ソラは相変わらず飄々と笑う。
「けど、この意味の分からないこだわりを持つ『私』を、『ソラ』と定めた人がいて、私もこんな『私』が『私』だったらいいなって思っただけ。本当に、私と『あの子』だけにしか意味を成していない、ただのこだわりにすぎないんだよ」
その答えに、カルトは唇をとがらせてそのままそっぽ向く。
もうターゲットは目の前にいたから、そのまま口を閉ざして訊かなかった。
「あの子」とは誰なのか。
その人物はソラにとっての「例外」なのか、そいつさえも本当に自分の身が危なければ見捨てるのかは、訊けなかった。
何故、そんなことを訊きたいと思ったかという疑問も消して、カルトの思考は仕事モードに切り替わった。
* * *
ソラが失敗して警戒されるのはいいが、自分も巻き添えでターゲットに警戒されないかが不安だったが、そんな不安は杞憂となった。
本人いわく空気が読めないんじゃなくて、空気を読んだうえで壊していると主張するだけあって、自分や執事に対してのように頓珍漢なことは言い出さなかった。
人酔いしてしまい気分が悪くなったからどこか休ませてほしいと、当たり障りのないことをターゲットであるパーティー主催者の男に話しかけて、男は自分好みのカルトを連れていたからか、それとも背は高いが顔立ちや体形がどこか幼くて少女じみたソラも十分ストライクゾーンだったのか、表面上は紳士的に心配してる様子を見せて、自分から二人を会場から「休憩できる所」までエスコートする。
思った以上に、下手したら自分一人で接触するよりスムーズに事が運んだことにほんの少しだけ、カルトは面白くないと感じる。
実際のところ、ソラは魔術の初歩である「暗示」を軽くであるが行使していたからこそのスムーズさであるのだが、そんなことはもちろん知るわけのないカルトにとって仕事の大半を取られて、しかも自分より上等な結果であるという事実がプライドを大きく傷つける。
だからこそ、さっさと終わらせてしまいたかった。
鮮やかに手際よく殺すことで、自分の「暗殺者」というプライドを満たそうと思った。早く終わらせて、もうさっさとこの女の側から離れたいと思っていた。
その思考は、獲物を甚振ってから殺すという暗殺者としては致命的に悪い癖を持つカルトには珍しい思考であり、成長であったのは確かだが、あまりに彼は焦りすぎた。
無自覚ながらに、酷く冷静さを失わせていた。
ターゲットに「休憩室」として案内されたのは、パーティー会場からかなり離れた屋敷の奥。
紳士的にエスコートしていたくせに、男は自分でドアを開けずにソラに開けさせた扉の先の部屋は、ゲストルームなどではなく彼の趣味部屋。
コンクリートがむき出しの床や壁の大部分が、赤黒くて錆くさい汚れで染まっている。
床に散らばる拘束具に拷問器具と、かろうじて息はしているが眼球はガラス玉のように虚ろな子供数人も、同じ汚れに染まっている。
その子供を見てカルトが思ったことは、「あぁ、これも『死んでない』にあたるかな」だけ。同情など欠片も湧き上がらない。こんな光景、こんな末路はすでに何度も見てきた。
そんなありふれたことより、こういう部屋は普通なら声や臭いが簡単にはもれない地下室に作るのに、何故1階にあるのかという方がよっぽどカルトは気になったが、妙に高いおそらく吹き抜けになっている天井とやたらと高い位置にある窓を見て納得する。
届かない出口を見せつけることで、絶望を煽っていただけ。
疑問が解消されたところで、カルトは振り返る。
下種な笑みを浮かべて、想像を絶する部屋に連れてこられて思考停止しているソラとカルトの背を押して、素早く内側から鍵をかける。ターゲットの計画はそんなところだったのだろう。
しかしカルトもソラも、この程度の光景で思考停止するほど常識的な世界で生きてはいない。
カルトはさっさと仕事を終わらせたいの一心で、振り返って即座に腕を伸ばした。
「! カルト!!」
ソラの叱責に近い声が飛んだが、無視した。
父や兄たちのように、綺麗に心臓をえぐり取るのが理想的だが、カルトのまだまだ小さな手でそれは難しく、仕方なく手刀で心臓を突き破る。
男は下種な笑みが驚愕に変わる前に、何とも中途半端な表情で息絶えた。
それで、仕事は終わり。
後は手を拭いて、ソラと一緒にさっさと会場から抜け出してゴトー達が待つ車に戻ればいい。
これで何もかも終わったつもりだった。
カルトにとってこの場に存在する人間は、自分とターゲットとソラしかいなかった。
壊れた子供など、眼中にもなかった。
だから、男の胸から自分の手を引き抜いた時に感じた悪寒が、自分に向けられた殺意が誰から発している物なのかがわからなかった。
一瞬、自分の叱責が無視されたソラからなのかと持って視線をやると、彼女はカルトの肩に腕を伸ばし、そのまま自分の方へ抱き寄せた。
直後、パァァンッ! と風船がはじけるような音が至近距離から響いた。
「……わがままを押し通してよかったけど、なんつーかよりにもよって最悪の事態を本当に引いたね、カルト」
ここに来る前からずっと変わらない、軽い口調でソラはカルトを抱き寄せたまま言うが、声音は明らかに硬い。
カルトには理解できなかった。
自分が何故、ソラに庇われているのか。ソラの左腕が何故、ズタズタに切り裂かれて血まみれなのか。
自分の長兄が時折見せる、呼吸さえも出来ない、今にも逃げ出したい薄気味悪い「何か」とよく似た、けれど長兄のものとは比べ物にならぬほどの敵意と殺意に満ちたものの正体がわからない。
ただ、これが誰から発せられている物なのかだけはわかった。
「――オトウサン……」
壊れた子供達の中の一人、カルトとソラの真向かい、真正面からターゲットの死を見た子供が呟いた。
* * *
虐待にせよDVにせよ、被害者が自分を責めて加害者を庇うというのはよくあること。
その理由は共依存やら洗脳やら違いがあれど、傍から見れば加害者以外の何物でもない相手を被害者が神のように崇め、加害者が殺されても自分が解放されたとは思えず、神を失ったと言わんばかりに絶望するか、神を奪った相手に憎悪を向ける。
そんな反応も、カルトにとっては珍しくなかった。
だから向かいに座り込む、裸同然なのに少女か少年かも区別がつかないほど壊された子供の怨嗟に、驚きはない。
本人に自覚はないが、傍から見ればカルトも同じようなもの。
どんなに痛めつけられても、決定的に相手と思いがすれ違っていても、ただそうであってほしいという自慰のような願望であっても、その子供にとって男が「父親」だったのは確か。
珍しいことでもなかったから、ここでターゲットを殺せば子供に恨まれるかもしれないことはわかっていたが、部屋の中の子供はどれもこれも精神はもちろん、体もかろうじて人の形と言えるくらいに壊されていて、どう考えても自分の敵にはなり得なかった。
だから、やはり場所を変更させる等の行動、もしくは子供の方を先に始末する必要性を感じなかったから、そのまま即座にターゲットを殺した。
カルトの判断は、間違ってなどいない。
ただ、カルトはもちろんシルバ達にとっても予想外だったのが、壊された子供のうち一人は偶然にも、男による虐待と拷問が“精孔”を開く一種の訓練じみたものになっていたこと。
開きかけていた“精孔”が「父親の死」をきっかけとして一気に開き、同時に粗削りだが一足飛びで“発”にまで昇華したということなど、“念”について何もまだ教えてもらっていないカルトには知る由もない。
何も理解できないまま、カルトはソラの腕の中で硬直する。
“念”を知らない者、“纏”さえもまだ出来ないカルトにとってこの殺意と憎悪のオーラに満ちたこの場は、裸で極寒の中にいるようなものだ。
これでもカルトはまだマシな方だろう。下手すればオーラをぶつけられただけでショック死してもおかしくないほどに、子供が放つオーラは禍々しい。
「オトウサン……オトウサン……オトウサン!!」
口の中で砂でも噛んでいるようなかすれきった声を張り上げて、子供は父を呼ぶ。その呼び声に呼応するように、オーラが増幅されていく。
カルトからしたら息も出来ない、ビリビリとした嫌な空気にしか感知できないが、ソラからしたら“凝”をしなくてもわかるぐらいに苛烈なオーラが渦巻いていた。
おそらく子供の系統は放出系なのだろう。子供の身体から湧き上がるオーラが球状に、ポンポンと分離して浮き上がっているのを見ながら、ソラは呟く。
「……厄介だけど、ある意味結果オーライかな?」
カルトをしっかり抱きしめながら、ちらりとソラは初めにカルトに向かって飛んできた球から庇って傷を負った腕を見る。
傷が多いので出血は派手だが、傷の深さ自体は全て大したことはない。問題はとっさでもしっかり“凝”でガードしたはずが、その装甲を貫通した攻撃力。
自覚があるのかどうかは不明だが、おそらくは命をかける制約でも課して威力を底上げしているのは間違いないだろう。
たったの一つのオーラ球でこの威力なら、今なお増える数十個のオーラの塊がぶつけられたら、カルトはもちろんソラさえも命の保証は難しい。
ソラのガンドは嫌がらせとしては優秀だが、威力そのものは硬球をぶつけられた程度しかなく、宝石魔術は残弾である宝石が少なすぎる。
「直死の魔眼」は使おうにも、片腕が負傷していてもいなくてもこれだけの数のオーラ球を殺しつくすのは不可能だとソラは判断する。
焼き切れても稼働し続ける、狂った思考回路が語りかける。
子供の狙いは、憎悪の対象はカルトだけだ。カルトを見捨てて逃げればいい。
その結論にソラは同意する。
同意したうえで、ねじ伏せる。
(まだ、このハードルは飛び越えられるんだよ!!)
子供の体から湧き上がるオーラはもう、絶に近いほど少なくなった。命を燃やし尽くしてオーラを絞り出し、そのオーラ全てを怨敵であるカルトにぶつけるつもりの子供に、ソラは血まみれの手を伸ばして子供に告げる。
「今ならまだ間に合う。諦めて、生きることを選べ」
その言葉を聞いていたのか、聞こえていたのか、聞こえていなかったのか、聞いた上での拒絶だったのかはわからない。
「■■■■■■■■■■■■!!」
声というより咆哮としか表現できない叫びが、砲撃の合図となった。
だが、子供の殺意は「死にたくない」と「生きたい」という二重の狂気で生かされている女には遅すぎた。
子供が咆哮の為に息を吸った時には、もうソラは言葉にしていた。
「来いよ!
ソラの言葉で思わずカルトはソラに抱きしめられたまま背後の出口や天井近くにある窓に目を泳がせた。
誰か、自分や執事達も感知できなかった彼女の仲間が、援軍がいるのかと誤解した。
だから、カルトはよく見てなかった。
何が起こったかを、きちんと見ることが出来なかった。
「世界を、穿て!!」
子供の咆哮と同時に、彼女が何かを命じることでそれはもう終わっていた。
まだ精孔が開いていない、“念”を覚えていないカルトでも視認できる白熱した光球、オーラの塊が自分たちの方に撃ち出されたものが、ソラの血にまみれた左腕の一閃によって、光の斬撃がその光球を全て切り裂くのをカルトは見た。
思わず現在の状況を忘れて、カルトは見惚れた。
光の斬撃が光球を切り裂き、光球は火の粉のように小さな光の粒子へと分解されて消えていく光景に。
光球だけではなく壁まで破壊してその先に開けた、満天の星と漆黒というには青みある夜空に。
そして、瞬く間に消えてしまった、目の錯覚だったのではないかと思うほど一瞬しか見えなかった、ソラが振るった武器が、あまりにも綺麗だった。
表現するなら、こん棒が一番近かった。
けれどカルトには、「剣」に見えた。
宝石で出来た剣に、見えた。
* * *
「傷の方は本当にいいのか? 腕のいい医者を紹介するぞ」
「大丈夫ですよ。傷の量が多かったから出血がヤバかっただけで、神経とか動脈は無事でしたし、この程度の治療なら自力で出来ますし」
包帯が指先から肩にかけて全体に巻かれた左腕を掲げてそう言ってのけるソラに、シルバは若干申し訳ないような残念そうな微妙な表情になる。
「そうか。痕が残ったら遠慮なく言ってくれ。全身全霊をかけてゾルディック家で責任を取らせてもらおう」
「お宅の嫁になるのがゾルディック家流の責任なら、後遺症残っても絶対に言わねぇ……」
カルトとの仕事を終えた翌日、ソラはゾルディック家当主に玄関である試しの門まで見送ってもらうという破格の待遇を受けながら、雑談を交わす。
ソラとしてはそういうのはどうでもいいから、早く帰ってイルミという命の危険から安全を確保したいのだが、予想外だった念能力者の攻撃からカルトを助けたことがゾルディック家で当たり前だが高評価を得てしまい、逆にさっさと帰りづらくなってしまった。
「それは残念だ。今回の件で口には出さなかったが不満を持っていたらしい執事たちも賛成するようになったから、丁度いいと思ったんだがな」
やっぱり隙あらば息子の嫁にする気満々だったシルバに、もう何を言っても無駄だとソラは判断して、「長男は余計に謎の殺意を募らせていそうですけどね」と反論できない切り札を使って、話を切り上げる。
が、「それじゃあ、お世話になりました」と言って帰るタイミングで、試しの門が開いてソラの腰に弾丸のような勢いで飛びついてきた子どもが一人。
「ソラ! もう帰っちゃうの!?」
頑なに車内やパーティー会場ではソラの名前を呼ばなかったカルトが、ごく普通の子供のようにソラの腰にしがみついて、素直に「帰らないで」や「一緒に遊んで」などは口にしないが、唇を尖らせてひたすら上目遣いで睨み付ける。
どうも助けられたことで、ソラの好感度が上がったらしい。
そのことを嬉しく思う気持ちはもちろんあるが、“念”を知らないで試しの門を一つだけとはいえ余裕で開けられる9歳児にソラは普通に引いていた。
「あー、うん。これ以上ここにいたら、また長男にこんにちは死ねをされるから、そろそろね」
イルミの話題を出されてカルトは一瞬怯んだが、それでもまだ諦めきれずに、ソラの包帯が巻かれた手を小さな手で掴んで言った。
「ソラ。お前は、人殺しだ」
末息子の唐突な断言にシルバは眼を一瞬丸くさせ、ソラも同じような反応を見せる。
目を丸くさせるだけで、何も言わなかった。
その眼を真っ黒で大きな瞳が見返して、言葉は続く。
「人を殺したくないとか言ってたけど、うちの仕事の手伝いをしてる時点で共犯だ。あの子供だって、結局殺したのはソラだ」
ソラの罪を、真っ直ぐにカルトは言葉にする。
シルバはその言葉を止めようかと思ったが、ソラの顔を見てやめた。
カルトの断言に不快感を示さず、傷ついた様子もなく、ミッドナイトブルーの眼でただ静かにカルトを見下ろすソラを見たら、それは余計な世話でしかないと思えたから。
「……それでも、大事?」
カルトはソラを見上げて、訊いた。
「人を殺したお前を『ソラじゃない』って言う奴が、大事なの?
僕なら……僕は人殺しでもソラを『ソラ』だって言える。僕だけじゃなくて、父様もお母様も、イルミ兄さんだってきっとソラが気に入らない理由は人殺しなのに、殺さないって言う所だ。だから……、もうそんなことを言わなかったらイルミ兄さんだってソラを殺さない。
絶対にソラは、外なんかよりここにいた方がいい!! 『殺さない』なんて変なこだわり、なくした方がいい!!」
「カルト」
黙ってカルトの話を聞いていたソラが、ようやく口を開く。
「君はさ、私が『殺した』からそんなことを言うのか?」
相変わらず怒った様子も不快感もなく、彼女は笑っていた。
少しだけ困ったような苦笑は、子供のわがままに付き合ってやってる大人そのもので、その表情だけでカルトは自分の言葉が彼女の「こだわり」に、「我」にひっかき傷すらつけられなかったことを悟る。
「違うだろ? 君は、私に『生かされた』から私を肯定してくれるんだろ?」
どうしようもない壁を、カルトは思い知る。
同じだけの年月を重ねても到達できるかどうか保証がない、大人と子供の壁。
カルトの素直ではなく、隠した気持ちなど何もかもソラにはお見通しだった。
「君の言葉は嬉しいよ。でも、だからこそ私は『これ』だけは捨てられない。
私は君の言う通り、結局のところ人殺しで、『殺したくない』なんて偽善もいいとこだ。それでも、私は誰かを殺すより生かす方がいい。100人殺して一人しか助けられなくても、それでも私は誰かを生かすことを目的に生きていたいんだ」
自分の罪を認めたうえで、自分のこだわりなどもう何度も失敗していると理解していながらも、それがカルトからしたらただひたすら辛いだけの意味のない生き方でしかないというのに、ソラはそこに意味を見出して笑った。
何度失敗しても、今は意味などなくても、それでも貫いたその先に輝けるものがあると信じて期待して子供のように笑う顔を見て、カルトは自分の胸の内にあった苛立ちの正体を知る。
(あぁ、そうか……。ソラは、キルア兄さんに似てるんだ)
自分と2歳しか変わらないのに、何もかもが自分より優れている、なのにイルミとは違って親しみやすくて優しい兄は、いつもどこか家族とは違うものを見ていた。
血だまりの闇ではなく、どこまでも暖かな日だまりにいつも焦がれていたことを、カルトは知っている。
カナリアが屋敷に来た頃、自分と歳の近い子が来たことに喜んで、「友達になれるかな?」と期待していた笑顔と、ソラの笑顔はよく似ていた。
キルアもソラも、きっとカルト以上の血にまみれていながらも、光を求めて歩いていく人なのだと、闇の中でしか生きられない、闇こそが心地よいと思うカルトとは別物であることを思い知らされた。
「――やっぱり、お前なんか大っ嫌いだ」
唇を噛みしめて、涙を瞳に浮かべてカルトはソラにそれだけを言い捨てて、また勢いよく門を開けてそのまま帰って行った。
(嫌いだ嫌いだ! 大っ嫌いだ!!)
光になど焦がれたことはないけど、兄の闇にはそぐわない優しさは確かに、どうしようもなく好きだった。
そんな兄と同じように、近いのに、同類なのに、同じ罪を負っているのに、同じ闇の中で生きる者のはずなのに、自分には手が届かない光の下に、兄のように自分を置いて行ってしまうソラが、どうしようもなく嫌いだった。
好きになりたかったのに、傍にいてくれないソラにカルトはただひたすらに、「嫌いだ」と心の中で罵り続けた。
……カルトの心の中でも、ソラは困ったように笑っていた。
カルトの心の中でさえ、彼女はカルトの言葉に傷ついてもくれなかった。
* * *
「カルト」
屋敷に戻ってからひたすらストレス発散なのか、自分の部屋で黙々と趣味の折り紙や切り絵をひたすら量産していた末息子に、シルバが声をかける。
カルトが振り返ると、父親は小さな紙切れを自分に渡す。
電話番号とメアドらしき文字の羅列が書かれたその紙切れと父を交互に見ながら、「父様、何これ?」と尋ねれば、少し困ったように彼は笑って答えた。
「ソラの連絡先だ。本人から許可ももらってある。好きにしろ」
シルバの言葉にカルトは目を見開く。
いくらソラがカルトの恩人でも、嫁候補であっても、所詮は他人であるソラの連絡先を自分に与えるなど、信頼関係は家族間のみで完結し、友人を作ることを許さないゾルディック家では信じられない事象であり、カルトの反応は当然だろう。
「厳しくし過ぎたせいで、キルアが家出なんかしたからな。まぁ、ソラなら大丈夫だろう」
驚愕のあまり、「何で?」「どうして?」ともいえないでいるカルトに、シルバは苦笑しながら答える。
シルバとしては、鞭ばかりではいけないという反省は嘘ではないが、ソラの連絡先をカルトに渡した理由の割合としてはかなり小さい。
理由の大半が、長男が原因で敬遠しているゾルディック家に少しでも慣れて欲しいから、比較的好意的に思っている相手との関わりを増やしたいからでしかない。
門前の会話でソラをこちら側に迎え入れる困難さを思い知ったが、同時にカルトは光ではなく闇を居場所と定めていることは知れて、そしてソラは自分が持つこだわりは意味がなくとも貫き通すが、それを他人につき合わせても同じ考えを強要しない、殺人さえも「本人がいいのなら」と許容するドライモンスターであることも理解した。
だからカルトに連絡先を渡したのは、「まぁ個人的な付き合いが出来ても支障はない」と判断した結果にすぎない。愛情は確かにあるのだが、こちらもソラのことは言えないドライモンスターぶりである。
そんな大人の思惑など、カルトは知らない。
そんな大人の思惑など、カルトには関係ない。
ただ、カルトは渡された紙切れを穴が開きそうなぐらいに見て思う。
生きる世界が違っても
見ている先が真逆でも
決して越えられない隔てる境界が存在しても――
(……関わって、繋がって、話すことはできるんだ)
それは何の打算も裏もない、幼くて真っ直ぐな望みだからこそたどり着けた真理。
* * *
「あぁ、カルト。そういえば、1月の初めは電話に出れないだろうから、連絡するならメールにしてくれと言ってたから気をつけろ」
カルトが父に礼を言った後、ふとシルバは連絡先をもらった時のソラのセリフを思い出して伝言する。
「何で? 仕事?」
別にカルトとしては支障がないので普通に頷いたが、少しだけ気になったので父に尋ね返すと、シルバはこともなげに「ハンター試験を受けるらしい」と答えた。
その答えに納得してから2秒後、ある事実に気付く。
「……父様」
「? どうした?」
部屋から出て行こうとしていた父親に呼びかけると、不思議そうな顔をして振り返る。その様子からして、父はどうやら失念しているらしいことに気付き、カルトはソラに同情した。
「イルミ兄さんも、今年受験だよ?」
「……………………あ」
ソラが出した「クソジジイ」こと、例のあれはどこから出したとかの説明はそのうち、多分ハンター試験中にやりますので気長にお待ちいただけるとありがたいです。
「直死にこの武器持ちってチートにもほどがあるわ!!」と思うでしょうが、一応パワーバランスを考えて、武器に関してはかなり使い勝手が悪くなっています。少なくとも簡単に取り出せるものでも、連発できるものでもないです。
さて、ソラのキャラや設定の説明回のようなものだったオリジナル回はひとまず終了して、次回からハンター試験編に入ります。
楽しみにしていただけら、幸いです。