提督と初月が雨が降る執務室で過ごす静かな時間。

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初月ロマンス

 新緑が美しい葉桜は終わり、しとしとと雨が降る季節になった6月のはじめ。

 昨夜から降り始めた雨は一向に止む気配はなく、小ぶりのまま今も続く。

 日が昇った午前11時でも気温は低く、冬用の黒い軍服でも少しだけ寒く感じる。

 執務室にある暖炉は、薪からパチパチと爆ぜる音と共に柔らかな火を見せながら燃えている。

 外は薄暗く、窓からだけの光では机の上にある書類仕事が少しやりづらい。

 昼間なのに部屋の明かりをつけると、電気代がもったいないと節約意識が浮かんできてしまう。

 戦場における艦隊指揮がうまくない俺は、艦娘たちの艤装や武器に弾薬といったものを頻繁に修理と補給をする必要がある。

 でもその回数も量も大きすぎて、軍の偉い人から呼び出されては説教されるありさまだ。

 自分の能力が低く、今にも提督をやめさせられるんじゃないかと思って深いため息が出てしまう。

 幸いにも提督の能力として問題とされているのはそれだけで、公私を区別して艦娘たちとの仲がよいことを褒められている。

 多くの提督たちは艦娘を1人の女として愛することが多いと聞く。

 愛はよいものだけど、それでは非情な判断も鈍るからいつも部下である艦娘との恋愛はどうかと考えている。

 恋人にした艦娘が他の男と話しているだけで嫉妬に狂いそうだし、好きな女から頼まれると断りづらくて装備や補給など優遇してしまうだろう。

 俺は、自分が恋をしてもそうはならないと信じているが、もし艦娘の誰かに惚れてしまったら特別扱いをしてしまうかもしれない。

 なんたって艦娘たちは可愛くて美人だからだ。

 日本、ドイツ、イタリア、アメリカといったそれぞれの出身の子たちは全員が魅力的だ。

 俺好みのおしとやかな子だっている。

 ……というよりも男から見れば、好みではない子なんていないのではないのだろうか?

 考えることは恋愛のことで頭がいっぱいになり、遠征予定を組む書類がまったく手につかない。

 まったく、それというのも今日届いた手紙のせいだ。

 『小さい子には手を出さないよ』と自信たっぷりに言っていた親友がジューンブライドな6月の今。

 つい先日に結婚しましたという手紙がなにもかも悪い。

 それも漣という小さい子に。俺と同じ27歳だというのに、年齢差の違いは気にならないんだろうかと強く思ってしまう。

 男という生き物は、寂しくなると本能で女を求めてしまうのだろう。

 ぐるぐると女のことしか考えれなくなった俺は「うあー」という情けない声を出して椅子から立ち上がる。

 そして心を落ち着かせようと窓越しに雨を眺める。

 窓にポツポツとあたる音、ザッーと地面にあたる音、それらが聞こえると不思議と気分は落ち着く。

 3階にあるこの執務室の窓から、落ちてゆく雨を目で追って地面へとぶつかる瞬間を見る。

 それはいつまでもといえるほどに見続けることができる。

 早々に飽きることなんてことはない。

 ぼーっと雨を見ていると、コンコンと扉をノックしてくる軽い音が聞こえてきた。

 

「入っていいよ」

 

 振り向いて扉の向こうに声をかけると、秘書である初月が胸に書類を抱えながら入ってくる。

 

「頼まれた仕事は全部終わったぞ」

 

 落ち着いた様子で返事をした初月は中学生のような少し幼さが残る顔立ちだが、凛としている彼女にはかっこいいという言葉がとても似合っている。

 全体的に首筋までの短くつややかな黒髪。鉢巻状のものを頭に巻いて、わざとなのか前髪をハネさせている。それを見ると獣耳を連想してしまう。

 目は吸いこまれるような深みのある黄色。

 声は低く落ち着いていて、いつまでも聞いていたいほどに安心する。

 服装は首から下の全身は黒インナーを着ていて、その上から秋月型の制服を身につけている。

 露出度の少ない服は、クールで落ち着いている彼女にはぴったりだ。

 そんな初月を見ていると、彼女は執務机に書類を置いて肩がくっつくほどの近さで隣へとやってくる。

 

「何を見ていた?」

「雨」

「……楽しいのか、それは」

「飽きないね」

「そういうものか」

 

 俺を見上げていた初月は納得がいっていない顔をしながら一緒に窓越しの雨を眺める。

 言葉も何もなく雨を見るだけの時間。

 初月が俺の元にやってきてから、何度も過ごした静かな時間がまたやってきた。

 その沈黙に包まれた雰囲気は嫌ではなく、心が落ち着く。

 そして思い出す。初月が俺のところへ来るキッカケになったのも雨が降っていた日のことだったと。

 

 ◇

 

 あれは半年前の去年12月のことだった。

 俺は自分が所属する鎮守府から離れ、2週間ほど別の鎮守府で老齢な提督の元で研修をすることになった。

 そのときに初月と出会った。

 あの頃の彼女は『無能』というレッテルを貼られていて、書類仕事は誤字脱字ばかり。戦闘は対空能力だけはそこそこで他はどれもいまいち。

 かろうじて遠征だけが一人前と言われていた。

 雰囲気がとても暗い初月を、老齢な提督はずいぶんと気にしていたが他の艦娘たちは嫌われているようだった。『役に立ってないのに気にかけられるなんて、ずるい女ね』という妬みの言葉が聞こえてくるほどに。

 俺が初月に話しかけても返事もせず、怯えた表情で逃げていくだけ。一言でもいいから会話がしたくて積極的にしたけど、すべてがダメだった。

 なぜそんなに気になったかというと、言われているほど無能には感じることはなかった。なにより、辛そうな作り笑いがとても気になった。

 人によく気を使い、他の人の邪魔にならないようにと注意力や反射力がいい場面をたびたび見ることが。

 けど、研修最後の夜にチャンスはやってきた。

 宴会の途中で俺は抜け出し、酔った頭を冷やそうと夜の港に出たときだ。

 分厚く暗い雲の間から時々月明かりが差しこんでくる光を頼りに港をうろついていると、岸壁に初月が寂しげな背中を見せて座っていた。

 両膝を抱え、顔をうずめている彼女の隣に俺は距離をあけて座る。

 

「あー……気持ち悪い。九州に住むと誰もが度数高い酒が好きになるのかね。東京住みの俺には辛すぎる」

 

 そう呟き、静かに海を眺める。

 初月とは会話をしてみたいが、ちらりと横目で様子を見るも俺を気にする気配はない。

 それも当然か。

 好奇心だけでちょっかいを出そうとしてくる見知らぬ提督を警戒するのは考えなくても当たり前だ。

 色々と考えてきた話題も優しい言葉も意識の片隅へと放り投げた。

 軽い気持ちではじめ、今では真剣に相談に乗ってやりたいと思っていたけれど不純な動機だった。弱っているところに付け込んで、体をいただこうと思われているに違いない。

 よかれと思って始めたことは大体において悪い結果になる。

 今回もそうだった。もしかしたら変な期待を持たせることになったことを後悔し、隣にいる時間ができただけでもいいかと思って静かに海を眺め続ける。

 それから10分ほどたった頃だろうか。

 体が冷えてきて帰ろうと思ったときに、ぱらぱらと雨が降ってきた。

 隣にいる初月を見ると彼女は動こうともしない。

 このまま雨に打たれると風邪を引くから強引にでも建物へと連れていこうと考え、嫌われることも承知の上で初月のすぐ近くに寄る。

 

「初月」

 

 できうる限り優しい声で名前を呼ぶと、彼女は体を大きく震わせて俺の顔を見上げてくる。

 それは叱られるのが怖いという表情だった。

 叱るつもりなんてまったなくなかったのにそんな表情をする彼女を無理に連れていこうとするのをやめ、ゆっくりと丁寧に彼女の頭を撫でる。

 はじめのうちは体を硬くしていたが、次第に柔らかくなって俺の顔をしっかりと見てくれるようになった。

 

「雨が強くなってきたし、戻ろうか」

 

 雨も少しずつ強くなってきたので立ち上がろうとすると、服のそでを掴まれていた。

 とても弱い力だったがそれを振り切ることもできず、また座りなおす。

 それから下着までぐっしょりと濡れるほどに雨の中で座っていた。

 でも初月がくしゃみをしたことによって、俺は立ち上がっては初月の同意も得ずにお姫様抱っこというのをした。

 このままでいると、初月はいつまでもいそうな気がしたからだ。

 そうして雨でずぶぬれになった俺と初月は、翌日一緒に熱を出した。

 帰る日だったが、風邪を引いたので治るまでいてもいいと老齢な提督は言ってくれた。欲しいものがあったら遠慮なく言ってくれ、と言ったので俺は朦朧とする意識で力強く今の望みを伝える。

 ―――あの日から3日後。

 すっかり体が治った俺は、初月を連れていってもいいと言われた。

 本来なら上の許可なく艦娘の移動はできないのだけど、別々のベッドで寝込んだ俺と初月はお互いを心配していたと聞かされた。

 それだけで初月を預かる老齢な提督は『任せろ』と自信たっぷりに言ってくれた。

 そう言われて2時間後には初月は俺の艦娘となった。

 書類と艤装などはあとで送るとのこと。ただし、娘を嫁に出すかのような辛そうな顔をしていたことに大きな責任感を感じた。

 それから初月に俺の荷物を持ってもらい、鎮守府の入り口を出る。

 ここまで一言も言ってこない彼女が気になる。

 表情を見てもじっと見つめ返してくるだけだ。自分が今の所属からいなくなることをどう思っているだろう。もしかしたらいらない子扱いされていると考えているかもしれない。

 そう、俺の頭で考えてしまうと俺は初月に目線を合わせる。

 

「初月。もう言われていると思うけど、お前は俺の部下になった。わかるか?」

「ああ、わかっている」

 

 お互いにまっすぐ見つめあい、俺は自分のことを説明してなかったことに気付く。

 少し考え、かっこいいことでも言おうとしたがどうせすぐにばれると思った。なので隠すこともせず正直に言う。

 

「期待を裏切ると思うけど、俺は能力の低い3流提督だ。そこは我慢してほしい」

「僕はそうは思わない」

 

 彼女の目は力強く、俺に信頼と期待を寄せる目をしていた。初めて向けてくれる無気力以外の顔に俺は驚くと同時に安心をする。

 

「さっき会った艦娘たちは初月を連れている俺をバカにする目で見てきたし、そう言ってくれるのは初月だけだよ」

 優しく頭を撫でると、彼女はかすかに微笑んでくれる。

 

「僕は、そうは思わない」

 

 同じ言葉を繰り返してくれたことに、自分の心が安心するのがわかる。

 俺は笑顔で初月に手を差し出す。

 初月は世話になった提督を思い出しているのか、鎮守府のほうを少しのあいだ寂しそうに見ては頭を深く下げる。

 顔をあげたときにはすっきりとした表情となっていて、そっと俺の手を取ってくれる。

 そして彼女は俺のところへとやってきた。

 

 ◇

 

 自分が所属する鎮守府に連れ帰ったときは怯えていたが、多くの艦娘たちが妹ができたみたいと喜んでいたことが今でもはっきりと思い出せる。

 連れてきてから5か月たった今では、他の艦娘たちとも仲良くなっている。

 戦闘訓練や勉強もよく頑張っていて、『無能』と言われたあの頃とは別人のようになった。

 今では俺を見つけると嬉しそうに駆け寄ってくるし、暇さえあれば俺が仕事をしているだけなのにそばにいてくれたり、もっと役に立とうと考えているらしく料理を練習し始めた。

 それが犬に懐かれているみたいで微笑ましく思う。

 雨を見ながら、昔と今のことを思い出してにやけていると初月が不審な目で見てくる。

 

「何を笑っているんだい?」

「雨を見て、思い出したんだよ。初月とのあの出会いを」

 

 初月は恥ずかしくなったのかすぐに顔をそむけた。

「誰とも仲良くしたくないという雰囲気を出していると逆に興味を持ってね。あぁ、今の初月も可愛いよ」

 そういって初月の首筋から腰までをゆっくりと撫でる。彼女は頭よりもこっちのほうが気にいっているみたいだから。

 しばらく気持ちよさそうに撫でられていたが、ふとしっかりした目つきになり俺を見上げる。

 

「提督、仕事はしないのか?」

「やらなきゃいけないんだけどね」

 

 初月から離れ、今日来た友人からの結婚すると書いてある手紙を初月に渡す。

 すぐにそれを読みはじめ、顔がにやけたり悲しくなったりする。

 ……悲しむ要素はどこかあっただろうか?

 

「周りが結婚をはじめると俺も結婚しないと、なんていう焦った気持ちになってしまうね。いや、焦って結婚しても良いことはないんだけど」

「提督も結婚したいと思っているのか?」

 

 不機嫌になった初月は乱暴に手紙を俺の胸へと押しつけてくる。俺は初月の疑問に考えながらその手紙を受け取ると机の上に置き、窓の前にいる初月の隣へと戻る。

 そうしてまた考える。

 俺は提督してはそう能力が高いわけでもなく、でも大きな失敗はしていないというどこにでもいる男だ。

 だから軍人たちの派閥に招かれることもなく、お見合いの話なんてのはない。自由恋愛が認められている状態になっている。

 

「嫁にするなら、胸が大きくて優しくて同じ歳ぐらいな女性の人をもらいたいね。そして軍をやめて―――」

 

 そう言った途端、初月は窓を勢いよく開け放つ。

 突然のことに頭が追いついていない俺は、初月に力強く掴まれて上半身を窓の外へと放り投げ出そうとしてきた。

 だが、危ないということだけに気付いて必死に両手で窓枠を掴んで俺は抵抗をした。

 けれど、初月によって窓枠を掴んだ手を強引に離され、あっさりと上半身が窓の外へ投げだされる。でも腰はしっかりと抑えられ、落ちることはない。

 目に映る光景はアスファルトの地面。3階のここから落ちてしまえば俺は死んでしまうだろう。

 死ぬかもしれないという状況なのに頭だけは落ち着き、自分の心臓の音が妙にはっきりと聞こえる。強くなってきた雨が体にぶつかるが、そんな冷たさは気にはならない。

 自由に動けないが首だけを動かし、初月の顔を見る。

 その表情は何の感情も浮かべてはいない。

 俺が何をした? 

 何か変なことでも言ったか? 

 死の恐怖よりも、頭の中は彼女を心配することでいっぱいだ。

 

「なぜ笑う?」

 

 どうやら自然と笑みが出てしまっていたらしい。

 

「初月はどうしたいんだ?」

 

 その言葉の返しを想定していなかったらしく、初月は眉をひそめている。

 しばらく待つが何の行動も言葉もやってこない。

 

「僕は……、僕は提督と一緒にいれるだけで」

 

 そのあとの言葉はとても小さくなり聞きとることができなかった。

 じっと見つめていると、慌てて俺の体を勢いよく引っ張ってくる。

 俺はその勢いで部屋の床へ受け身も取ることができず叩きつけられた。

 落ちる心配がないとわかると、途端に恐怖と寒気が一気にやってくる。

 呼吸が荒くなり、服も濡れていてただ倒れているだけでも辛い。

 俺の精神が落ち着くまで初月には待ってもらうかと考えていると、初月は執務机の引きだしを開けたりして何かを探している。

 そのうちに目的のものは見つかったらしく、初月は俺の目の前にやってきて両膝をついて膝立ちの姿勢になった。

 手に持っているのは果物ナイフ。

 初月は刃の切っ先を自分の首元へ向け、下から突き上げる。

 大切な子が目の前で自殺をする。俺はそんな瞬間を見たくはない!

 重くなっている体を強引に動かし、首元に果物ナイフが刺さらないように手を伸ばしながら初月へと体当たりをした。

 

「うぁ!」

 

 小さな可愛らしい悲鳴の声が聞こえたときには倒れた俺の腕の中に初月がいた。

 

「なにやってるの、お前は」

 

 怒る気持ちはなく、怪我をしなくてよかったと安心をする。

 でも初月はそうではない。

 涙目になり、顔には恐怖の色が浮かんでいる。

 彼女の視線の先には、俺の手首に果物ナイフが突き刺さっていた。

 特に考えもせずにそれを抜くと、予想に反して血がどんどんと流れ出てくる。

 そうして自分で血を見ていると、刺された痛みがようやくやってきた。

 

「初月」

「ごめんなさい! 僕は提督とずっと一緒にいたいだけなんだ! 殺す気なんてのはないし、傷つけるだなんて!」

 

 いつも落ち着いている初月の口調や言葉の抑揚は乱れ、俺の腕の中から出ようともがいている。

 

「何をしているんだ?」

「こんな僕はもう生きていても仕方がない。恩を仇で返してしまうなんて。だから離してくれ提督! 僕はもう死ぬしか―――」

 

 混乱している初月の頬を思い切り叩く。

 

「初月は大事な子なんだから勝手に死なれては困る」

 

 痛みのなか、微笑みを作ると初月は俺の胸に顔を埋めて涙を流しながら大声で泣き叫ぶ。

 そんな初月に俺は優しく背中を撫でる。

 部屋には開いた窓から雨の音と初月の泣き声だけが聞こえる。

 俺は意識が朦朧としながらそんな静かな時間を過ごす。

 そうしていると執務室の扉が勢いよく開かれ、艦娘の誰かの叫び声が聞こえた。

 誰かが来たことに俺は安心し、気を失ってしまった。

 

 ◇

 

 ―――あとで聞いたことだけど、俺が倒れたあとは大変な騒ぎになったらしい。

 暇だからと遊びに来た艦娘が見た光景は、雨と血に濡れた俺と、俺にすがりついて泣き叫んでいる初月の姿。

 開いていた窓から誰かが襲ってきたと判断し、鎮守府内は騒然とした。

 でもそれはすぐに収まった。

 いっぱい泣いて落ち着いた初月がすべてを喋ったらしい。

 でもこれで一件落着、とは行かない、

 病院の個室で目を覚ました俺はベッドで寝かされていた。

 護衛なのか、そばには艤装をつけた艦娘が3人もいた。

 初月はどうなった? と聞くが誰も返事をしてくれない。

 そして3日がたった。

 片腕が使えない俺に、艦娘たちが熱心に世話をしてくれたおかげで順調に怪我は治ってきた。なのに初月のことは教えてくれない。

 最初の日の検査だけで充分だったが、せっかくだからということで2日間ほど余計な検査をさせられた。

 そんな検査に疲れた日の午後。

 仕事もさせてもらえず、ベッドの上でぼーっとしていると、手錠をつけられた初月が俺の前へとやってきた。

 部屋にいた艦娘たちに頭を下げ、ベッドから体を起こした俺は初月とふたりきりになれた。

 

「すまなかった。提督が軍をやめると言った瞬間、僕は僕を抑えれなかったんだ。今の僕がいるのは提督の、あなたのおかげだ。ここでは誰もが僕を対等に扱ってくれている。僕はとても楽しかったんだ」

 

 辛そうな顔の初月を見るのが辛い。

 そんな顔を見ていられなくて、隣に来いと言うが彼女は首を振る。

 

「僕は恩を仇で返してしまったダメな艦娘だ。僕はすべてをあなたにあげるつもりだ。だというのに、いなくなったことを考えると頭が真っ白になったよ。ひどいことをしてしまった。僕を救ってくれたことは一生感謝する。……ごめん。僕は本当に嫌われるだけの存在だったみたいだ」

 

 言いたいことを言った初月は満足したらしく、弱々しい笑みを向けたあと部屋を出ようとする。

 俺はそんなのには納得できない。

 自分で言いたいことだけを言っていなくなろうとする初月もだが、俺は初月を嫌ったことなんて1度もない。

 そりゃ、今回のことで驚きはした。したが、それだけだ。

 俺にとって初月は大切な存在。最初は憐れみで自分の部下にしたが、今では愛情がある。物事を教え、そのたびに嬉しそうな笑顔を見せてくれる彼女が好きでたまらない。

 ここで気づいた。

 相手が小さくても子供でも、その人に向ける感情は年齢では変わりはしないってことに。

 

「初月」

 

 立ち上がって優しい声をかけると、初月は振り向いてくれる。

 俺は彼女の肩を掴み、勢いよくベッドの上に連れていって仰向けに倒す。

 

「頑張っている君をどうして嫌いになるだなんて思う?」

「だって、だって僕は迷惑かけてばかりで……」

「迷惑だなんて言ったことはない」

「嘘だ、そんな優しいことを言っても心の中で無能な僕をバカにしているんだろう?」

 

 俺は深いため息をつく。

 この子はわかっていなかったのか、それとも心の奥底で怖がっていたのだろうか。

 

「あのね、優秀じゃないことは前からわかってたじゃないか。それでも俺は君が良かったんだ。この意味、わかる?」

「わからない。どんなことを言われても僕は理解なんてできない」

「あのなぁ」

「だから、どうかその想いを行動であらわして欲しい」

 

 顔を赤くした初月はそういうと静かに目を閉じた。

 俺は初月の肩に手を置いて、ゆっくりと近づく。

 そして、おでことおでこをコツンとくっつける。

 

「……キスは?」

 

 唇がくっつきそうなほどの近い距離で、初月は不思議そうな声を出す。

 

「初月はえっちだなぁ」

「え、あれ、え!?」

 

 俺は初月の頬を優しく撫でて体を離した。次に倒れた初月の体を抱き起こし、お姫様抱っこをする。

 そのまま俺は部屋の出口まで歩き、外にいるであろう艦娘を呼ぶ。

 扉が開いてやってきた子に、抱いたままの初月を渡そうとする。

 でもその前に言っておきたい言葉を言う。

 

「初月。退院したら、また一緒の時間を過ごして欲しい」

「提督!」

 

 渡す途中、初月は俺の腕の中で暴れる。

 その時に俺は態勢を崩してしまう。

 

「僕のすべては提督の物だ」

 

 ほっぺたにささやかな唇の感触がし、明るい笑顔になっている初月。

 呆然としている俺の腕の中から、艦娘の1人が微笑ましげな笑顔で彼女を引き取っていく。

 扉が閉まると、廊下からは他の艦娘たちの楽しげな黄色い声が聞こえてきた。

 部屋には自分1人だけになり、その途端に一気に精神的疲労がやってくる。

 初月の過剰な想いは今までの反動なんだと思う。

 俺と出会うまでは誰も彼女のことを理解しようとしなかった。

 不器用すぎて、あのクールすぎる表情や話の受け答えもあって生意気に見えたかもしれない。でもそういう態度は自分の弱さを隠したいだけのものだった。

 俺も彼女についてまだまだ理解しきれていない。そもそも人が人を理解なんてできるわけがない。

 ただ理解し続けることが大事だと思う。

 臆病で周りが見えていない子だけれど、そのぶん可愛く見える。

 話の発端になった結婚だけれど、俺は当分のあいだそんな予定はないつもりだ。

 今度会ったときはそのことを言わないといけない。

 そうしないといつまでもあの子は不安がるだろうから。



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