千葉ラブストーリー   作:エコー

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さて特別編は今回で終わり。
セレブ過ぎたクリスマスイブの仕掛人が登場です。



後日談 〜種明かしの夜〜

 

 熱海でのクリスマスから三日。

 沙希に内緒で帰省した俺は千葉市内のとある店に来ていた。

 今日は電車で行動している。何らやましいことがある訳ではないが、万が一街中の駐車場で沙希に見つかる危険性を考慮して、今日は愛車カプチーノは家で留守番だ。

 その為、時間の計算を間違えて約束の時刻の三十分前に着いてしまい、熱いマッカンを頼りに公園のベンチで丸くなっていたのは新たな黒歴史となるのであろうか。

 

 約束の夜八時、ブルースピアと書かれたネオンの下のドアを開けると、既に待ち人はカウンター席に座っていた。

 

「ひゃっはろー、比企谷くん」

 

 雪ノ下雪乃の姉、陽乃さんだ。

 軽く会釈をして陽乃さんの座るカウンター席の隣へ腰を下ろす。

 帰りしなに購入した熱海の土産である温泉まんじゅうを陽乃さんの前に据えて、深く一礼。

 

「……この度は大変面倒なお願いを聞いて頂き、誠にすみませんでした」

 

 カウンターに額がつく寸前まで頭を下げると、いきなり頬を抓られた。

 いたた……あれ、痛くない。

 ちらりと見上げると、そこには笑みを浮かべた陽乃さんがいた。

 

「本当だよ。沙希ちゃんにまたサプライズしたいからって、寂しいイブを過ごす独り身のお姉さんを巻き込むなんて、本当なら許されないんだぞっ?」

 

 はい。ごもっともな言い分でございます。

 ささ、温泉まんじゅうでも食べて気持ちを落ち着けてくださいませ。

 よし、お礼はこれで終了。

 さてさて、後は詰問……もとい質問タイムだ。あと苦情ね。

 と思っていたら陽乃さんから水を向けられた。

 

「で、どうだった? 私のサプライズは」

「完全なるやり過ぎです。あれは何ですか。新手の詐欺ですか」

「でも、そのおかげで沙希ちゃんと甘ーいイブを過ごせたんじゃない?」

 

 ……それについては否定はしない。

 普段とは違う沙希の姿を見て息を呑んだのは認めよう。だが、それも程度の問題である。

 

 十二月初旬、俺が陽乃さんに依頼した内容は、陽乃さんの名前で熱海の旅館に予約を入れてもらう事。そして、俺が旅館に連絡を入れたタイミングでそれをキャンセルしてもらう事だった。

 これは、沙希と外泊をすることに決まった場合、宿が取れない場合の保険として頼んだものだ。

 第一候補は沙希が望む場所。それが無ければ都内近郊の夜景が綺麗な宿泊施設。それらが予約出来ない場合、熱海のあの旅館へ行こうと考えていた。

 何のことはない、要は俺もリア充と同じことをしていたのだ。テヘッ。

 その依頼の為に陽乃さんには予めキャンセル料に相当するお金を渡してあったのだが……。

 

「別のホテルなんて話、全く聞いて無かったですよ。しかもあんなセレブが泊まるような部屋だなんて。預けてあったキャンセル料じゃ到底足りなかったでしょう。不足は幾らでした?」

 

 財布を出して追徴金を支払おうとする俺に目もくれず、陽乃さんは優雅にカクテルグラスを傾ける。

 

「あれは私から二人へのプレゼントだから、気にしなくていいよ〜」

「いや、そういう訳には……」

 

 喰い下がる俺の背中から声が聞こえる。

 

「今回は陽乃さんに甘えとこうよ、八幡。また何かの形でお礼すればいいじゃん」

「いやいや、足りなかった分は払うべきだろう。沙希ならきっとそうする……って、沙希!?」

 

 振り向くと、何故か沙希が仁王立ちで俺を見ていた。

 

「ったく。何をこそこそ企んでたかと思えば……」

「いや、違うぞ。これは……そう、これは陽乃さんが計画したことで」

 

 罪をなすりつけようとした相手である陽乃さんは、愉快そうにグラスの中のチェリーを弄びながら俺を見て笑っていた。

 

「ごめんね比企谷くん。ぜーんぶ喋っちゃった。てへ」

 

 てへ、じゃねぇよ。かわいいなおいっ。

 

「どう? ここまでが比企谷くんへのサプライズでした〜」

 

 だからパチパチパチ〜じゃねぇよっ!

 

「つーか沙希、いつ知ったんだよ」

「昨日だよ。ていうか、前々からおかしいなとは思ってたんだよ。あんたは十二月に入った途端によそよそしいし、陽乃さんには大学で会うたびに冬の熱海はいいよーとか何回も言われたし」

 

 じっと陽乃さんを見つめてやると、ばつの悪そうな顔を作って言い訳を始めた。

 

「あ、あはは……だってぇ、独り寂しくイブを過ごすんだもの。このくらいの悪戯はしたいじゃん? それにさ、私だって誰かにサプライズしたかったんだよ」

 

 ……その矛先が俺ですか。

 まあ、あんな手の込んだサプライズは陽乃さんくらいしか実行出来ないだろうけど。救いだったのは悪いサプライズじゃないことだな。

 

「つーか陽乃さん、あの日熱海に居ましたよね?」

「ん? いないよ。どーして?」

 

 まったくこの人は……。何故すぐバレる嘘をつくのか。

 

「クリスマス・イブの夜のメールですよ。熱海に雪が降ったなんて、あの日あの場にいなければ知らないことです」

「天気予報で見たかもよ?」

「はぁ……それもあるかと思って全部調べました。あの日の熱海の夜の予報は晴れ時々曇りでした。それに、この時期に熱海に雪が降ったのは数十年ぶりらしいです。ちなみにその日の千葉は晴れでした」

 

 整理してきたネットの情報を並べ終えた途端、陽乃さんは楽しそうに目を細めて笑った。

 

「へぇ、相変わらず優秀だね。大学卒業したらウチに来ない? 私の秘書として」

「お断りします」

「あーららぁ、残念。嫌われちゃった」

 

 その言葉の割りには愉快そうなお顔をしてらっしゃるのが少し腹立たしい。

 

「……また心にも無いことを」

「それは違うなぁ」

 

 カクテルグラスに浮かぶチェリーに軽く口唇をつけた陽乃さんは、艶かしい笑顔を向けてくる。

 

「私は比企谷くんを高く評価してるんだよ。君が高校の時からずっとね」

「あ、あたしだって同じです。ずっと八……比企谷を見てきました」

 

 沙希さん沙希さん。何でこんなとこで対抗意識を燃やしちゃうのかなぁ。

 

「おーこわっ。おめでとう比企谷くん、沙希ちゃんは立派な鬼嫁になりそうだよ」

「よ、嫁……って、え? え?」

 

 顔を真っ赤にしたところを見ると、沙希の耳には「鬼」は聞こえずに「嫁」だけが届いたらしい。

 

「あんまり未成年を揶揄(からか)わないでくださいよ……大人なんだから」

「あらぁ、私だってぴっちぴちの女子大生よ?」

 

 外見はそうだろうな。だが中身は混沌(カオス)だろうが。

 この女狐オン・ザ・ランめ。

 

「よし、今のでチャラね」

「──は?」

 

  突然何を素っ頓狂なことを言い出すのかね、姉のんは。

 

「だーかーらぁ、クリスマスのテラススイートの件は、今揶揄(からか)ったお詫びってこと」

「……お詫びの前払いって、すっげぇ恐いんですけど」

「大丈夫大丈夫、死にゃしないから」

 

 はぁ、食えない人だよ、本当。

 ──あれ?

 もしかして俺、上手く丸め込まれたのん?

 

「……また陽乃さんに借りが増えちまった」

「貸しじゃないよ。プレゼントとお詫びなんだから」

 

 ころころと笑う陽乃さんは本当に愉快そうで、そこには強化外骨格の欠片も無い。

 沙希と顔を見合わせて二人で溜息を吐く。

 

「でも、どうしてそこまで……」

 

 俺も聞きたかったその至極当然の質問を投げかけたのは沙希だ。

 仮にも俺は妹の告白を断って泣かせた男なのだ。そしてその原因と言ったら語弊があるかも知れないが、それが沙希である。

 その二人の初めてのクリスマスに、どうしてここまでしてくれたのか。

 

「んー、そういえばそうね。どうしてなんだろ」

 

 おいおい、理由も分からんのにあれだけのサプライズを仕掛けたっていうのかよ。

 社長令嬢サマの考えることは凡人の俺には理解出来ん。

 

「あっ、二人の行く末を見てみたくなったから、かな?」

「……へえ、そうっすか」

 

 今完全に取って付けたように言いましたよね。だが陽乃さんが一応の解を出した以上、更に追求するのはやめるべきか。

 

「沙希ちゃん、前にも言ったけど……比企谷くんを捨てる時は一声かけてね。お姉さん、すぐ拾いに行っちゃうから」

「ごめんなさい、それは無いです。あたしが八幡に愛想をつかされない限りは、ね」

 

 え?

 なんでそんな話になってるの?

 

「──だってさ、比企谷くん?」

 

 若干意地悪な光を灯した流し目の陽乃さんの艶やかさに動揺するも、何とか態勢を立て直して明言する。

 

「じゃあ可能性はゼロですね。俺も沙希に捨てられない限りはずっと一緒にいるつもりなんで」

 

「はぁ、熱い熱い。マスター、キンキンに冷えたビールちょうだい。あと暖房も切っちゃって」

 

「そんなことしたら他の客が凍っちゃうよ。陽乃ちゃんの冷気でね」

 

 流石は年の功と云うべきか、マスターは笑顔で切り返す。

 こういうのをウイットに富んだ大人の会話と云うのだろうか。

 普段話す大人が源氏物語の異訳に半生を費やす寒川教授だけの俺には、まったく解らない世界だ。

 まあ、何はともあれ。

 

「陽乃さん、どうもありがとうございました」

「いえいえ、私も楽しんじゃったから……あ」

 

 何かに気づいたように俺と沙希を見つめて、陽乃さんは置かれたばかりのビールのジョッキを持ち上げる。

 

「比企谷くん、沙希ちゃん」

 

「遅くなったけど……メリー、クリスマス」

 

 はい、メリークリスマス、でした。

 

「あとね、実はあのホテル、お父さんが予約してたのをこっそり頂戴しちゃったんだ。だから気にしないで」

 

 ──気にするわいっ!

 

  * * *

 

 店を出て駅に向かう夜道での話題は、当然陽乃さんの件だった。

 

「陽乃さんってすごいね。昔からああいう人だったの?」

「いや、そんなに古い付き合いじゃねぇから。でも、そうだな……昔からあんな感じだな。面白いと思った事にはすぐに手を出して、決して手を抜かない……厄介な人だよ」

「そうなんだ。でも、あたしは嫌いじゃないな。お節介なお姉さんが出来たみたいでさ」

「そうやって油断してると寝首を掻かれるぞ」

「でも、そん時はあんたが守ってくれる。違う?」

「まあそのつもりだけど……っておい」

「ふふっ、頼りにしてるよ」

 

 あ、あれ?

 俺っていつからこんなに丸め込まれやすくなっちったの?

 横で沙希はけらけらと笑ってるし。

 しかし。

 千葉の街を沙希と歩くのは久しぶりな気がする。あの時は夏真っ盛りの、互いにまだ虚勢を張っていて素直じゃ無かった時期だったな。

 それが今はどうだ。

 二人の手は恋人繋ぎでしっかりと握られていて、そこだけが真夏の様に暖かい。

 繋いだ手、沙希の親指を自分の親指で軽く撫でる。

 それを合図に沙希が寄り添ってくる。

 沙希の頭を肩に乗せたままゆっくりと歩き、街灯の路地を曲がったところでダウンのポケットを探る。

 

「沙希、これ持っておけ」

 

 差し出したのは、来宮神社で買った二つの御守り。

 

「何の御守りなん……あ」

 

 渡したのは「酒難除け」と「邪虫除け」の御守りだ。渡された手の中の御守りと俺の顔を幾度か往復した沙希の視線に少しだけ影が落ちる。

 

「勘違いすんな。別に深い意味はないからな」

「でも……気にしてるんでしょ?」

 

 恐る恐るといった感じで、沙希が問う。

 馬鹿か俺は。また虚勢を張ってしまうところだった。

 もう自分を偽る真似は沙希の前ではしない。例えそれがどんなに間違っていても。

 ──そう決めた筈なのに。熱海の来宮神社で、日本武尊(やまとたけるのみこと)に誓ったばかりなのに。

 成長しねえな、俺は。

 

「ああ、めちゃめちゃ気にしてるさ。お前がまた危ない目にあったら……なんて考えただけでも血の気が引くわ」

「……うん、ごめん」

「沙希が悪い訳じゃねぇよ。悪いのは、見えないからって心配になって疑っちまう……弱い俺だ」

「そんなことない。だって、あたしも同じ……だもん」

 

 沙希はぶんぶんとポニーテールを横に振りながら否定する。否定してくれる。

 

「あたしも、すごく不安。あんたさ、どんどん格好良くなってくし、あたしだったら放って置かないよ」

 

 それに関しては大丈夫だろう。

 この俺を格好良いなんていう珍妙な審美眼を持っているのは沙希、お前くらいだからな。

 あと戸塚もか。でゅふっ。

 

「ま、その俺が放って置かれなかった結果が、今の状況なんだがな」

「──あぅ」

 

 揶揄いついでに額の真ん中を人差し指でくりくりと押してやると、もの凄く嫌そうな顔をされた。

 

「もうっ、あたしの身体で遊ぶんじゃないよっ」

「その台詞、聞きようによっては超エロいからね?」

 

 本当飽きないな。なんなら一生こいつで……もとい、こいつと遊んでいたいまである。

 

「エ、エロくて悪かったね」

「お、自覚ありか」

「だって、いつも触りっこだけでめちゃめちゃになっちゃうし……否定出来るだけの材料がないもん」

 

 こ、こいつ……また欲情する様な、じゃなくて、けしからんことを。

 

「ま、自覚がありゃそれで結構、だがそのエロさは俺以外には見せるな。その為の御守りだ」

 

 ぽかん。

 沙希は阿保面よろしく口を半開きで目を丸くする。

 

「そ、そ、それって……もしかして、嫉妬、なの?」

 

 いきなり図星を突いてきやがったか。相変わらず情け容赦の無い奴だ。

 だが残念だったな。俺は陽乃さんへの報告とお礼の場に沙希が潜んでいたことに憤慨しているのだ。

 沙希め、開き直った小者を見くびるなよ。

 

「……くっ、ああそうだ。悪いか。誰だってお前みたいな可愛くて美人でスタイルが良くて可愛くて優しくて料理が上手くて可愛くて可愛くて、すっげぇ可愛くて──」

「も、もういいって、恥ずかしいってばっ」

 

 立て板に水とばかりにつらつらと矢継ぎ早に褒め称えると、真っ赤になった沙希がギブアップの宣言をした。

 

 おしっ、勝った。だがこんなもので許すものか。という訳で、更に追い討ちをば。

 

「とにかくだ。本来なら可愛いお前をずっと金庫にしまっておきたいくらいなんだよ。お前の可愛さを誰の目にも触れさせたくないんだよっ」

 

 駄目押しの一撃を加える。

 どうだ、もう降参だろ。おーおー、真っ赤になって下向いちゃって。

 沙希さん初心(うぶ)だねー。

 ちなみに今現在の俺の激しい脇汗は考慮しないで頂きたい。

 

 さあ。さあさあっ。

 俯く沙希の反撃をまだかまだかと待っていると、上目遣いプラス潤んだ瞳がアッパーカット気味に飛んできて、その破壊力に少しばかりたじろぐ。

 

「め、珍しい……ね」

 

 あれ。まったく予想していなかった言葉だ。ふむ、少しやり過ぎたかな。

 

「ん?」

「いや、あんたがさ、そんなことを言うなんて……さ」

「はっ、幻滅したか。俺は嫉妬深くて器の小さい男なんだよ。どうだ、嫌気がさしたか」

 

 何故胸を張っているかは不明だが、今まで言えなかった言葉を勢いで言ってしまった俺は誇らしげに沙希の眼前に立っている。

 さあどうだ。文句があるなら言ってみろ。最大限の譲歩はするぞ?

 束縛とも解釈出来る俺の吐露を聞いた沙希は、意外な反撃に出た。

 

「──ばっ、馬っ鹿じゃないのっ」

 

 おおっ、サキサキから久々のヤンキー臭がっ。恐いけど可愛い。こわいい。

 

「嫌な訳……ないじゃないのさっ」

 

 とすん、と軽い衝撃が胸に当たる。沙希の前頭葉付近が当たった衝撃だ。

 攻守交代、そのまま額をぐりぐりと幾度か押し付けた後、擦れて赤くなった額はそのままに手提げの紙袋から何かを取り出した。

 

「なら、あたしも堂々と渡すよ。はい、邪虫除けの御守り。それと──」

 

 続いて取り出したのは、マフラーだった。沙希にそのマフラーを首に巻かれた瞬間、ふわりと良い香りがした。

 

「あ、あ、あたしの家の柔軟剤の香り付きの……マフラーだよ」

 

 理解出来ずに茫然としていると沙希が身体ごと擦り寄せてくる。するとその香りが一層強くなった。

 

「あんたに悪い虫がつかないように……魔除けだよ」

 

 いやぁ、俺に限ってその心配は無いと思うけどな。しかし、(たで)食う虫も好き好きっていうし、万が一、いや億が一の可能性はあるのかね。

 その場合、俺は蓼か? 虫か?

 愚考で沙希の攻撃を凌いでいると、更に沙希が深く抱きついてくる。

 おい、人気(ひとけ)の無い夜とはいえ、まだ路上だぞ。

 

「もっと匂いを擦り込んでやる」

 

 服を擦り付ける度に柔らかい二匹の悪魔が肋骨の辺りの神経を侵食してくる。

 まだだ、まだ負けんよっ。勝負はパンツを脱ぐまで分からないのだ。

 巻かれたマフラーに鼻を当て、その匂いを記憶して沙希の首筋に顔を埋める。

 すんすん──あ。

 

「──本当だ。すっげぇお前の匂いがする」

「……あんたのその言い方も大概エロいからね」

 

 軽い意趣返しを達成した沙希と視線がぶつかり、見つめ合う。

 そしてそのまま……二人同時に噴き出した。

 

「なんだかね、あたし達って。二人して邪虫除けの御守り持って道端で抱き合ってさ」

「まったくだな。こりゃもう傍目から見たら、バカップルどころかただの馬鹿だぜ」

「馬鹿でいいさ、あんたと二人ならね」

 

 俺の腕の中で、沙希が微笑む。

 何度も諦めてきた。

 何度も自分に言い訳してきた。

 だけど、今の俺には諦めも言い訳も必要無い。

 沙希がいる。

 その事実が俺の人生に色を与え、見慣れた街の景色までも塗り替えた。

 

 沙希はどう思ってくれているのか。

 それを確認しようとは思わない。

 だって、沙希のその笑顔に嘘は無い。

 そう信じたいから。

 ずっとずっと、この笑顔を見ながら生きていけると、そう信じたいから。

 

「八幡……顔貸して」

 

 マフラーを引っ張る沙希に背を屈めて応えると、口唇が触れ、その隙間から白い吐息が漏れる。

 その口唇が離れる瞬間、沙希は呟いた。

 結果、俺の顔は火がついたように熱くなったのだが何を言われたかは語らない。語りたくない。

 俺が、俺と沙希だけが知っていればいいだけのことだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー、突然だけどな」

 

「二年生になったらだが、引っ越そうと思ってる」

 

「へ?」

 

「船橋にな、安い部屋を見つけたんだよ」

 

「……うん? なんで船橋?」

 

「なんと2LDKで五万だぞ」

 

「それ、今の所よりも高い……え、2LDK!?」

 

「ん? 何か可笑しなことを言ったか?」

 

「い、いや、一人で住むには広いなぁ……って」

 

「誰が一人で住むって言った」

 

「じゃ、じゃあ、誰と──」

 

「お前しかいねぇだろ」

 

「は、はあああぁ!?」

 

「船橋からなら互いの大学まで同じくらいの距離だし……」

 

「ちょ、ちょっと待って……深呼吸させて」

 

「事後承諾になって申し訳ないが……お互い無事に進級出来たら、一緒に住まないか?」

 

「──あたしで、いいの?」

 

「むしろお前以外はお断りだ」

 

 まだ冬は長く、寒さは益々厳しくなるだろう。

 だが、それでも俺たちは春に向かって歩き出す。

 

『進級出来たら一緒に住もう』

 

 その言葉が留年フラグにならないことを祈りながら。

 

 

  了

 




特別編「聖夜に降るキセキ 〜Winter Song〜 」は、
これにて幕引きとなります。

この特別編、簡単に言っちゃうと……
沙希にサプライズを仕掛けようとしてはるのんを味方に巻き込んだら、自分がはるのんにサプライズされちゃったテヘペロ☆、というお話でしたw
もしまた八幡と沙希のクリスマスを書くことがあったら、アットホームな鍋パーティーにしたいなぁ。
と思いを馳せつつ。

ここまでお読みくださった皆々様、本当にありがとうございました。
それでは、良いお年を☆

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