さて、すっかり定型化された台詞でも云うか。
「──どうしてこうなった!?」
旅館のワゴン車が着いた先は、どうみても一介の大学生には敷居が高いと一目で分かる、高台に立つリゾートホテルだった。
一体全体、どういうことですかいな。
……いかんいかん。最近寒川教授の影響か、時々言い回しが古めかしくなっちまう。
よし、寒川教授にはお土産を買って行こう。あと愛甲教授にも買っていかないと。あとは陽乃さん、か。
──とか今はどうでもいいんだよ。
まずは理由を知りたい。
何故俺たちがこのご立派なリゾートホテルにご案内されたのか。
そんな俺たちの疑問を余所に、ワゴン車の運転手さんはいそいそと俺たちの荷物も引っ張り出してホテルのポーターさんに渡している。
未だ説明も無く、状況が呑み込めない俺たち二人は、ただ茫然と荷物を追いかけてホテルへと足を踏み入れた。
──すげえ。何だよこのホテル。
自動ドアの先にはブルーを基調としたロビーが広がり、まるで異世界に立った様な感覚に陥る。
二階まで吹き抜けの天井には幾つも灯りが吊られていて開放感と明るさを両立させている。
右手側には全面ガラス張りの窓から相模湾が一望。そこにはソファーが何組も設置されていて、現にそのソファーで寛ぐ人達もいるのだが……そこから聞こえる声は日本語では無い。英語とも違う。響きから推測するにスペイン語かポルトガル語だろう。
中には日本人の姿も見えるが、皆一様に上品そうな出で立ちである。
何だよここ。現代に甦った出島かよ。
ふと自分達の服装を確かめる。
沙希は……うん、綺麗だ。
襟の大きなグレーのチェスターコートの下は白いタートルネックのニット、下はデニム地のスキニージーンズと茶色のブーツ。シンプルだが実に似合っている。
左手首にちらっと光るのは誕生日に贈ったソーラー電波時計、右手の薬指にはこれまた誕生日プレゼントに贈ったシルバーのリングが控えめな光を放っている。
さあ、俺の番か。
俺は……黒のダウンにストレートのジーンズ。その下は無骨なマウンテンブーツ。
……わかっていたけど俺は完全に場違いだな。関ヶ原の合戦にジャージで参加しちゃったくらいに場違いだ。
やばい、やばいわ。超帰りたい。
後で協力者に文句を送ってやろう。
「ようこそおいで下さいました」
広いロビーの奥にあるフロントへと目を遣ると、洋風のリゾートホテルに不釣り合いな梅の花をあしらった和服の女性が頭を下げていた。
夏にお世話になった旅館の女将である。
「ほ、本当に……ここ、ですか?」
「すみません、此処しかキャンセルが出なかったもので。あ、お代は当旅館と同じ料金で結構ですので」
「……え?」
おずおずと訊ねるも、どうやらこのホテルで合っているらしい。
つーかこのホテルがあの旅館と同じ料金だって?
いやいや、それは申し訳無さ過ぎるだろ。どう贔屓目で見てもこのホテルは一泊三万円以上するんじゃないのか。
その証拠に、ガラス張りの窓から見える駐車場にはドイツやらイタリアやらの高級車が何台も停まってるし。
本当、カプチーノで来なくてよかった。あれじゃ愛車の肩身まで狭くなっちまう。
それはともかく。
このお高そうなホテルを夏の旅館と同じで良いと言われても素直には頷けない。つーか俺の計画と違う。
固辞し続けると、名案とばかりに女将は両手を叩き合わせた。
「じゃあこうしましょう。モニター価格ということで」
「モニターって……わざわざクリスマスに、ですか」
方便であることは理解しているのだが、やはり申し訳ない。中々納得しない俺に、女将は身を寄せてキラーワードを呟いた。
「──先方のご要望なのですよ」
はぁ……そういうことかよ。やっぱり後でとっちめてやろう、姉のんめ。
* * *
ふかふかの絨毯を歩いたその先のエレベーターに乗る。
と、そこで不思議なものを目にする。
ロビーから乗ったエレベーターの中に光るのは一番上の階のランプだ。
まさか、このホテルの客室って──。
「ち、地下室……ですか?」
「違いますよ。当ホテルは山肌を背にして建てられておりまして、お客様方がいらしたロビーが最上階となっております」
「は、はぁ……」
「お客様方のお部屋は別棟の最上階、テラスルームとなっております」
「は? 最上階……?」
「ええ、そうでございますが、何か……」
「い、いえ……」
おいおい、キイテナイヨ。
ま、まあ、きっとあれだろ。
最上階といっても別棟らしいし、部屋は普通だろ。
その願いはすぐに崩れ去った。
「こちらでございます」
──広い。
部屋へと入った瞬間に飛び込んできたのは広々とした室内。壁の代わりに全面ガラス張りになっていて、その向こうには相模湾。
室内はリビング的な部屋と寝室に分かれているらしく、そのリビングだけでも俺のアパートの面積よりも広い。
極め付けはガラス張りのリビングの外に広がるテラスだ。テーブルや椅子が配置されているそのテラスの奥には、露天風呂が湯気を立てていた。
すげえ、凄すぎる。まごう事無きスイートルームじゃねぇかよ!
* * *
ホテルの方が辞去した直後、俺はスマホでこのホテルをググり始め、沙希は室内を調べ始めた。
その数分後──俺たちは打ちのめされていた。
「マジかよ……一泊十万以上の部屋かよ」
「……え、二人で二十万、円?」
「ああ、どうやらその様だ」
二人同時に頭を抱える。もしチェックアウトの時に「やっぱり二十万円頂きます」とか言われたら……貯金全額下ろさなきゃならなくなるぞ。
「でも……なら、この広さも、ドレスルームがあるのも、ベッドにカーテンが付いてても不思議じゃないね」
「……は?」
俺の手を引く沙希に付き従うと、まずは洗面所みたいな場所にあるドアが開けられた。中は八畳程の広さの空間だ。
「ここが、ドレスルームみたい」
「え、何する場所なん?」
「着替えたり、お化粧したりする部屋……かな」
「こんなに広いのに着替えと化粧だけの部屋かよ。何ならここに住めるぞ、それも結構広々と」
「だね……あ、あと向こうだよ」
次に開かれたドアの先には……え?
「ほら、あれ……」
沙希が指差す先には、薄いカーテンがある。その中には必要以上に大きなベッド。
こういうことか。
「しかし、でけぇベッドだな……巨人族でも寝るのかよ」
「ここに家族全員で寝られそう……」
思わず零す沙希と目が合う。
そうだ。俺たちは今夜ここに泊まるんだ。
つまり、このだだっ広いベッドに二人で……。
「……ぁうぅ」
沙希も同じ想像をした様で、真っ赤な顔をしてあうあう言っている。
いかん、これ以上は身体に毒だ。早々に寝室を出てドアを閉めた。
「──ま、いざとなったら俺は、このでかいソファーで寝るわ。」
感触を確かめる為、とりあえずソファーに座った。
「おわっ!?」
やべぇ、超優しい座り心地。適度に弾力があるこのふわふわ感。まるで優しさに包まれている様だ。
──いかん。
このソファーは人を堕落させる加護がある様だな。
* * *
未だ初体験のスイートルームに慣れない俺たちは、落ち着かないままに夕暮れを迎えた。
相変わらず俺はきょろきょろと室内を見回している。沙希は全面ガラス張りの窓から相模湾を眺めてぼぅっとしていた。
──部屋がノックされた。
「お召し物でございます」
ころころと運ばれてきたのは、ハンガーラック。そこにはスーツらしき服と、シルクのカーテンっぽい物が掛けられている。その向こうには女性の従業員が三人。
頭にハテナマークを浮かべた沙希と俺を尻目に、女性の従業員たちが部屋に入ってくる。
「沙希様はこちらに──」
その一人は、カーテンらしき物を腕に掛けるとアルミ製の工具箱みたいなアタッシュケースを持ったまま沙希をドレッサーの前へ連れて行ってしまった。
もう一人の従業員はスーツを手に取ってソファーで固まる俺へと歩み寄り、残る一人は笑顔で語り始めた。
「お食事は一時間後を予定しております。お声をかけさせていただきますので、お着替えを済ませられましたら少々のお待ちを」
「ささ、殿方はあちらでお着替えを」
──え、え、どういう状況!?
畳み掛けられる言葉の意味が理解出来ないまま一人寝室に押し込められる。
目の前には絹の様な光沢を放つグレーのスーツがある。
「……これに、着替えろってこと、だよな」
協力を仰ぐ相手を間違えたと悟るも時既に遅く、文句どころか出るのは溜息ばかりである。
そりゃ、初めてのクリスマスを二人で過ごしたいとは思ったけどさ。別に分不相応な贅沢をしたい訳じゃないんだよなぁ。
メールで「どういうことですか」とだけ送ってみる。
するとすぐに返信が来た。即レスかよ、ヒマ人め。
『いいのいいの、お姉さんに任せなさい』
──はぁ。
仕方なくスーツを手に取る。
あれ、これスーツじゃ……ない。まあいい、毒を食らわば皿までだ。
後でしこたま文句を言ってやればいいだけの話。今は乗っかって置こう。
それからおよそ一時間後、寝室のドアがノックされた。
「お食事でございます」
* * *
寝室のドアを開けると、そこにはレストランがあった。
二人で使うには広いテーブルには純白のクロスが敷かれ、その上には対面になる様に皿が、その両脇には銀に輝くナイフやフォークが何本も置かれていた──。
様変わりし過ぎの室内に呆気に取られていると、洗面所のドアが開いた。
天使。否、女神と評するべきか。
イブニングドレスというのだろうか。薄紅色のタイトなシルクのドレスに身を包み、肩にレース編みのショールを掛けた沙希が、歩きにくそうに足元を見ながら歩み寄る。
見ると、その足には深紅のハイヒールが履かされている。
そういえば……沙希のハイヒールを見るのは初めてだな。
足元に視線を送り続けていると、その歩はぴたりと止まった。
「あ、あんまりじろじろ見ないで……」
「え、あ、いや……悪い」
ハイヒールを履いた足って、すげえ。
ただでさえ細く長い沙希の足が二割増しで綺麗に見える。
しかし、本当に特筆すべきはその腰だ。
踵が浮き上がったせいか、腰から足のラインが際立っている。要はヒップアップの効果が抜群な状態。ついでに破壊力も抜群、どうしてもそのラインに目が行ってしまう。
「すげぇ、本当にすげぇな……お前」
「あ、あんただって……」
我に返って己の服装を見る。
スーツ、背広、ブレザー、何れとも言い難い襟付きのグレーの上着とズボン、それに同じ色のベスト。
シャツは襟が立ったもので、こちらは純白である。ネクタイは着け方がよく分からなかったのでしていない。
足元には光沢のある黒い革靴。
正式な呼び名はわからんけど、とにかく凄い格好をしていることは事実である。
「あらぁ、ノーネクタイもワイルドな雰囲気でお似合いですよ。でも」
沙希の後に着いてドレスルームを出てきた女性従業員は、笑みを浮かべながら俺の前に立ち、アルミ製と思しき工具箱のようなケースを開ける。
「少々失礼を」
得体の知れないクリームを指に取り、掌に移す。それを少しずつ指先に付けながら俺の髪を弄っていく。
「──はい、完成ですっ」
向けられた手鏡の中には、見たこともない、別人のような自分がいた。
「特徴的でミステリアスな目をしていらっしゃるのでワイルドな髪型にアレンジしてみましたが、如何でしょうか」
物は言いようだな。この腐った目をそんな風に表現されたのは初めてだ。
さすがプロの接客は違う。
女性従業員が問い掛けているのは沙希だ。だが沙希は俺の顔を見つめたまま固まって、見る見る間に顔が朱に染まってゆく。
え、どしたの。血圧上昇?
「ん、上々な反応ですわね。では素敵なディナーをご堪能下さいませ」
ドアが閉じられて二人きりの空間が出来上がる。
淑女といっても過言ではない沙希に、馬子にも衣装状態の俺。
椅子やソファーに座るのも憚られて、立ち尽くしたままでお互いを眺める。
「に……似合ってるよ、八幡。すごく、素敵」
「お前だって……絶世の美女みたいだぞ」
だからこれ何のプレイだよ。まあ一種の羞恥プレイには違いはないけどもさ。
だってサキサキの顔ったら、リンゴみたいに真っ赤なんですもの。
「あ、あとでさ……写真、撮ってもいい?」
「……写るなら二人で、だぞ。一人だけ恥ずかしいのは御免だからな」
だから互いに立ったまま感想を述べ合うって、どんなバカップルだよ。
特別編第3話は、端的に言うと「どうしてこうなった」の一言で片づくお話でしたw
このセレブな状況を演出した協力者とは、一体誰なのか。
誰ノ下誰のんなのかっ!
うーん、謎ですねー(白目)
さてさて、次回はクリスマス・イブの更新となります。
一緒に過ごす相手が決まっていたり、クリパが予定に入っているリア充さんたちはどうぞ楽しんできてくださいコンチクショー!
ではまたイブに☆