千葉ラブストーリー   作:エコー

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ちょっと暇が出来たので書いちゃいました。

気づけばこの作品もお気に入り登録者様は300人以上。
感謝感謝でございます。


犬のいる風景

 

 ついに始まった。

 何が始まったかと云えば、これしかない。

 夏休み終了のカウントダウンだ。

 つまり、あと数日で俺は都内のアパートに単身赴任となるわけだ。

 今日は俺の夏休み中の最後の土曜日。その今日、俺は公園デートに誘われた。

 ──沙希の妹、京華に。

 

「はーちゃん、さーちゃん、はやくー」

 

 可愛らしい足をフル回転して、とてとてと走るのは沙希の妹の京華。まあ、芝生だから転んでもケガはしないと思うけど、沙希の心配そうに京華を見つめる目で、俺まで心配になってしまう。

 

「やったー、けーか、いちばーん」

 

 え、いつの間に競争してたの。云ってくれたら、もうちょっと無様な負けっぷりを披露出来たのに。

 九月の太陽の下ではしゃぐ京華は、お日様に負けないくらいの笑顔を俺たちに向けてくる。

 

「元気だな、子供って」

「まあね、でも、こんなにはしゃいじゃうと……帰りが大変そうだよ」

 

 沙希の云う通りだろう。

 多少和らいだとはいえ、九月の陽射しは充分暑い。そこへきて、この公園に入った瞬間からダッシュしているのだ。

 あんな小さな身体ではすぐに疲れてしまう。もしかしたら眠ってしまうかも知れない。

 

「ま、いざとなったら俺がおんぶするから大丈夫だろ」

「うん、ありがとね」

 

 芝生に敷いたばかりのレジャーシートの上では、京華が早速飛び跳ねている。

 周囲を見渡すと、結構子供連れの家族が多い。中には大きな白い犬と戯れている子供もいる。

 猫も良いけど、犬もいいなぁ。特に大型犬。ああいう頼もしい犬が側にいたら、子供は心強いだろうな。

 などと考えていたら、その犬がこちらへ走ってきた。その前方にはピンク色のカラーボールが転がっている。

 

「わぁ、ピンクのボールだー」

 

 ボールを見つけた京華も走り出す。

 やばい、あれだと犬からボールを奪うカタチになりかねない。

 そうなったら……京華が危ない!

 

「ちょ、どうしたの!?」

 

 沙希の驚きを捨て置いて京華を追いかける。

 

「けーちゃん、戻っておいで!」

 

 駄目だ。夢中になり過ぎて聞こえてない。

 しゃーない、犬の注意を逸らすか。

 靴を片方脱いで、大型犬の頭上に弧を描く様に放り投げる。狙い通り、白い大型犬は立ち止まって頭上の靴の行方を目で追う。その間に、ボールを拾った京華の小さな肩に両手を置く。

 

「けーちゃんは走るの速いな。そのボールは、ワンちゃんに返してあげような」

「うん。でも……かまない?」

 

 大型犬の視線は京華の手の中のボールに戻っていた。ふんふんと鼻を鳴らしてこちらに歩み寄るたびに、京華の肩がひくんと揺れる。

 ちらっと沙希に目を遣ると、何も言わずに笑って只こくりと頷いた。

 俺も首肯を返して、再び京華に向く。

 

「大丈夫、ほら、ゆっくりボールを転がしてあげて、うん、上手いぞ、けーちゃん」

 

 京華が芝生へボールを転がすと、大型犬は「わふっ」と小さく吠えて目の前に転がされたボールの匂いを嗅ぐ。

 

「すみませーん」

 

 慌てて駆け寄ってきた大型犬の飼い主らしき女性が叫ぶ。

 

「こら惣一郎さん、だめでしょ」

 

 駆け寄って大型犬の首を抱いた女性に一瞬目を奪われた。

 美しい。だが、目を引いたのは容姿ではない。

 まるで春の陽だまりの様な、そんな雰囲気。

 年の頃は平塚先生と同じくらいだろうか。その柔らかな雰囲気は彼女が幸福であることを物語るようで、事実彼女がいた方向には旦那さんと思しき男性と、京華くらいの年齢だろう小さな女の子がいた。

 

「ごめんなさい、うちの惣一郎さんがご迷惑を──」

「いえ、こちらこそ」

 

 惣一郎さん、って……。

 犬の名前かよっ。

 犬に「さん」付けって、どんだけ家庭内ヒエラルキー高いんだよ、このもさい犬。

 

「お姉ちゃん、ワンちゃん、こわい?」

「惣一郎さんは優しい犬だから、こわくないわよ」

 

 京華の目が輝いたと思ったら、首が取れそうな勢いでこちらを向いた。

 

「はーちゃん、ワンちゃんに触りたいっ」

「そか、ちょっと待ってろ」

 

 飼い主の女性の方へ目を向けると、リードを手に巻きつけながら優しく微笑み、首肯を返してくれた。

 

「よし、けーちゃん。まずは匂いを嗅いでもらおうか」

「匂い? くんくんするの?」

「ああ、そうだ。ゆっくりゆっくり、手の匂いを嗅いでもらうんだ」

「──うん、やってみる」

 

 京華がゆっくりと差し出す手を、惣一郎と呼ばれた犬は匂いを嗅ぎ始める。

 ふんふんふん。ぺろぺろぺろ。

 

「きゃは、くすぐったい」

 

 さっきまでの恐怖心は何処へやら、京華は犬に手を舐められながら、けらけらと笑っている。

 ふと気になって沙希を見ると、その光景を見ながら優しく微笑んでいた。

 

「沙希、お前も来いよ」

「え、えっ? あ、あたし……も?」

 

 沙希の表情が少し固くなった。そこへ京華も追い討ちをかける。

 なかなか出来た妹さんですこと。

 

「さーちゃん、ワンちゃんかわいいよー」

 

 すでに京華は大型犬の背中や頭をわしゃわしゃと触りまくっている。

 

「あ、あたしは、いいよ……」

 

 俺も大型犬の頭をひと撫でして、沙希を見る。

 うん。明らかに怯えてる。その姿を見て、俺の中の嗜虐性が少しだけ首をもたげてしまう。

 

「何だ、犬も苦手か?」

「う、うるさいね。ちょっと大きいから……ううっ」

 

 ほーん。やっぱり恐いのか。よしよし。

 さあ京華、大型犬。

 出番だぜっ。

 

「よし、けーちゃん。さーちゃんにもワンちゃんと友達になってもらおう」

「え? え? ちょ、ちょっと……」

 

 じりじりと近づく京華と大型犬。後ずさりする沙希は、すでにレジャーシートの端っこだ。

 

「うんっ、そーちちろー、いくよ」

 

 なんか名前が若干違うけど、まあいい。飼い主の女性も笑っているし。

 

「わ、わ、わ、わぁ!」

「ほら、さーちゃん」

 

 嫌がる沙希に笑顔の京華が迫る。一瞬悪い顔をしたのは見なかったことにしよう。

 

「可愛い女の子ですね。うちの春香と同じくらいかしら」

 

 あ、この人勘違いしてる。残念ながらウチはご家族連れじゃありませんのですよ。

 

「いや、あの子はあいつの妹で……まだ保育園ですよ」

「まあ、奥様の妹さんでしたのね」

 

 奥様って──。

 

「いや、まだ俺たち大学生なので」

「そう、落ち着いてらっしゃるけどお若いのね」

「は、はぁ」

 

 生返事を返しつつ視線をスライド見させると、沙希は大型犬にのしかかられていた。

 ぎゃーぎゃー言いながら大型犬にぺろぺろされる沙希。

 うむ、何ともエロいな。

 

「ママー!」

 

 向こうから女の子が走ってくる。立ち上がった男性はそれを制止しようとするが、そんな事お構い無しなのが子供だ。

 案の定、女の子は足をもつれされて転びそうになる。

 それを地面すれすれでキャッチすると、女の子はきゃいきゃいと笑っていた。

 

「重ね重ねすみません」

「いえ、大丈夫です」

 

 女性がぺこぺこと頭を下げてくるのを言葉で制止すると、腕の中の女の子は女性に飛びついた。

 

「春香、気をつけなさいね。ほら、ちゃんとお礼を云って」

「うん、ありがとー」

 

 云うや否や、女の子は大型犬に飛びついた。京華も一緒になって飛びつく。

 堪らないのは沙希だ。

 大型犬が上に乗り、その上から女の子二人がダイブしたのだから。

 慌てて沙希を救出に行くと、すでに涙目だった。

 

「ゔゔっ、ちょっと怖かった……」

 

 目を潤ませる沙希に、飼い主の女性は何度も詫びる。

 

「す、すみません、すみません」

 

 悪気が無いのは沙希も分かっているので、涙目で懸命に笑顔を作っていた。

 

  * * *

 

 昼飯の頃合いとなった。

 俺たちのレジャーシートには、いつの間にか大型犬とその飼い主の家族が座っている。

 

「あまり上等なものはありませんけど」

 

 そう前置きして広げられた三段の重箱には、俵むすびや玉子焼き、煮物などが並んでいる。

 対する俺たちの弁当は、沙希のお手製サンドウィッチだ。

 玉子サンド、ツナサンド、ハムとチーズのサンドが詰まったバスケットを広げると、まず女の子が飛びついた。

 

「サンドイッチだー」

「どうぞ召し上がれ」

 

 すっかり笑顔が戻った沙希は、柔らかな声音でサンドウィッチを勧める。

 

「子供たちは、サンドウィッチの方が良いみたいですわね」

「そうですね」

 

 ……ん?

 ちょっと待て。

 今、旦那さん、奥さんに敬語だったよね。

 もしかして、複雑な関係なのか。

 

「もうっ、敬語はやめて。他人行儀じゃないですか」

 

 そう云う奥さんも敬語なのは、突っ込むべきなのだろうか。

 だが、そんな軽口を言い合う夫婦は穏やかな空気に包まれていた。

 

 それからは、すっかり仲良しになった二人の女児と一匹を眺めながら、まったりと過ごした。

 ご家族は、東京から来たという。その理由が、たまには家族だけでゆっくりしたい、と云うのが良く分からないが。

 そんな会話をぽつりぽつりと交わしながら過ごすうちに、だいぶ日は傾いてきた。

 

 ご家族は去り、俺たちもそろそろ帰り支度を始める時間だ。

 レジャーシートの土を払い、トートバッグに仕舞い込む。沙希は京華を抱っこしながら器用にバスケットを持ち上げた。

 

「代わる」

「ん、ありがと」

 

 トートバッグを差し出して、京華を受け取る。

 おお、こないだよりも少し重いか。

 

 公園の駐車場、川崎家の車に京華を寝かせ、シートベルトを装着させる。

 後ろの荷室に荷物を積み終えた沙希は、エンジンを掛けて呟いた。

 

「素敵なご家族だったなぁ」

「ああ、まったくだ」

 

 それは俺も激しく同意だ。

 ちょっと旦那さんが頼りなく見えたけど、それを大学生の俺が云う資格は無い。

 彼は家族を養っている。家族の笑顔を守っている。

 それがどれだけ凄いことか、俺はぼんやりとしか分かっていなかった。

 

「──奥さんも綺麗だったし」

「ああ、まったくだ」

 

 つられて同意した途端、頬をつねられた。

 

「ふーん、やっぱり。あんた、鼻の下が伸びてたもんねぇ」

「ば、そんなんじゃねぇよ」

「どうだかね」

 

 ぎゅむっと、最後に力を込めた沙希の指が頬から離れる。

 いてぇ。つーか家族連れに嫉妬するんじゃねえよ。

 頬をさすりながら運転席の沙希を見ると、すでに微笑んでいた。

 

「一刻館か、今度行ってみたいね」

「ああ、何よりあの家族の住む環境を見てみたい」

 

 どうしたらあんな笑顔でいられるのか。

 どうしたらあんなに幸せでいられるのか。

 俺は知りたかった。

 

 そりゃ時には怒ることもあるだろうし、泣くこともあるだろう。八方塞がりになって絶望することだってある筈だ。

 だけど、ほんの一瞬、家族で同時に笑える時があれば──俺は、頑張れるのだろうか。

 

 俺たちは、後ろのシートで寝息を立てる京華に悟られないように、静かに口唇を重ねた。

 

 

 




お読みいただき、本当にありがとうございます。

ちょっとほのぼのとした話を書いてみたくなりました。

ほぼ「撮って出し」の状態での投稿の為、もしかしたら大幅に加筆修正するかもしれません。

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