千葉ラブストーリー   作:エコー

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超恥ずかしい「午後の駅前公然イチャイチャ事件」の現場から逃亡した八幡と沙希。

逃げ込んだ公園で一時の幸せを噛みしめる二人に迫るのはーー

そして、二人の運命やいかに。


愛が止まらない

 

 夕刻である。

 何処かで(ひぐらし)の雨が降っては止み、止んではまた降る。

 あと数日もすれば暦も捲られて長月だと云うのに、残暑はまだまだ衰えを知らない。

 ()しかしたら、このまま年末までも熱射の脅威に晒されようものなら、それは甚だ迷惑な話だ。

 有りもしない事を思いつつ八釜(やかま)しい蜩の降る中、麦茶を啜った。

 

 ーーこほん。

 

 脳内でのエセ文豪ごっこを終えて、冷たい麦茶を啜る。

 さてここは、エアコンの効いた比企谷家のリビング。

 うん。涼しいねえ。

 やっぱり夏はエアコンが効いた部屋で、麦茶を飲みつつ正座するに限りますなぁ。

 で……なんで正座なのん?

 

 リビングのソファー、その横の床の上、俺と川崎沙希は並んで正座の真っ最中である。

 向かいには、同じく正座した小町が俺たちを見据えている。その後ろ、麦茶片手に床にへたり込む疲労困憊な風体の大志は、勿論俺的に安定のスルーだ。

 つまり、正座三名、行き倒れ一匹。リビングに四人もいるのにソファーは誰一人として座らないという、ともすればソファーが自分の存在意義を失いかねない状況なのである。

 

「まずは小町の番ね」

 

 小さくもはっきりと言を放つ小町は、幾許かの決意を目に灯して沙希の前へとにじり寄る。

 

「……沙希さん。本当にごめんなさいでした」

 

 膝頭を揃えた小町は川崎沙希へと深々と頭を下げる。土下座では無い。手は両膝の上で強く握られている。

 頭を上げることもせずに小町は続ける。

 

「小町のせいで、小町が余計なことばっかりしちゃったせいで……沙希さんに……お兄ちゃんに」

 

 その声は次第に水気を帯びていき、ついには嗚咽に変わった。

 小町の涙声に困った顔を向けてくる沙希に首肯で応える。

 小さく頷き返した沙希は、膝を立てて向かい合う小町へと手を伸ばし、両の(かいな)で包み込む。

 立て膝の沙希の胸に顔を埋める形となる小町。

 羨ましくはあるが、何より微笑ましくある。

 

「ーーあんたも相当なブラコンだね。あたしと同じだ」

 

 くすっ、と声音優しく笑いながら引き寄せる沙希に、逆らう事なく身を任せた小町の顔は、その豊かな胸元に深く埋まる。

 

「……ひっ、ひぐっ」

 

 嗚咽は次第に加速し、やがて号泣へと至る。沙希は小町の髪をゆっくりと慈しむ様に撫でていく。

 さすがは弟妹の扱いに長けている沙希と云うべきか、次第に小町がしゃくり上げる間隔が延びていき、少しずつだが息は穏やかになる。

 

「……もういいから。あんたはさ、あんたなりに駄目な兄の為に頑張ったんだろ?」

 

 駄目な兄、か。肯定したくは無いが否定も出来んな。

 

「で、でも……小町が、小町が悪い、んだもん」

 

 言葉をひとつ吐く毎に、再び小町は嗚咽を強める。

 

「お互い様だよ。ちゃんとあんたに報告しなかったあたし達も悪かったんだ。おあいこさ」

 

 男気溢れる、男前な沙希の柔らかい胸に顔を埋めながら繰り返し謝る小町を、包む様に優しく抱きしめる沙希の姿は、母の様な姉の様な慈愛に溢れている。

 

「比企谷、あんたもこれ以上この子にあーだこーだ云うんじゃないよ」

「分かってるさ。千葉のお兄ちゃんの業の深さをなめるなよ」

「ーー言葉の意味は良くわかんないけど、それならいい」

 

 俺の言葉に、沙希は笑みを浮かべて応えた。

 

 さて、である。

 外では相変わらずしんしんと蜩の控え目な合唱が続いている中。

 

「ーーふへへ、柔らかいなぁ。ふわふわふかふかだぁ、いいなぁ」

 

 泣き止んだ小町は、現在顔を蕩けさせて沙希の豊かな胸を堪能中である。時折沙希は、ぴくっと身を捩るが、それは気にしてはいけない。

 気にしたら負けだ。

 好きな女の子と実の妹がゆるゆり状態だとしても、それすら看過してやるのが千葉の兄の度量だ。

 でもな大志。

 お前は見るな。見るんじゃねぇ。

 沙希の反応や小町の惚けた顔は、暫定で俺だけのものだ。

 とは云うものの、そろそろ止めないと沙希がやばいな。こいつ結構敏感だし。

 助け舟を出してやるか。

 

「ーーところで小町ちゃん」

 

 ほえ? と間抜けな声で返す小町に問う。

 

「なんで俺たちがあの公園に居るって分かったんだよ」

「あ、それだよ。なんで大志も一緒だったのさ」

 

 続けて沙希も問うと、小町の雰囲気が変化する。

 名残り惜しそうに沙希から身を離した小町は、もう一度対面にて居住まいを正す。

 

「沙希さん。いや、沙希お姉ちゃん」

「ん?」

「小町は、許してもらえたんだよね?」

「うん。全然怒ってないよ」

 

 苦笑混じりの沙希の返答に、小町の目が妖しく光り始めた。天使が悪魔にジョブチェンジする予兆である。

 

「ーー良かった。これでやっと小町のターンだねっ」

「……は?」

 

 どおゆうこと?

 

  * * *

 

 やっとソファーの出番が回ってきた。

 活躍の場を与えられて意気揚々のソファーに並んで腰掛けるのは、項垂れる沙希と俺。その眼前には、腕組み仁王立ちの小町がニヤリと笑っている。

 

 どうしてこうなった。

 

 さて、それを説明するには時計を二時間ほど巻き戻さねばならない。

 

 事の発端は昼過ぎの駅前での出来事である。

 今回の旅行の主旨を知っていた小町は、大志を誘って俺たちを駅まで迎えに来ていた。

 目的は、別れを経験した兄や姉を一人っきりにしない為だと云う。

 

 その心遣いは有難い。有難い限りなのだが。

 しかし。

 小町と大志が見た光景は思い描く別れの光景では無かった。

 

 駅を出た所で背中合わせになり、反対方向に二人が歩き始めたと思ったら中々進まず、それどころか二人同時に振り返って旅行の荷物をぶん投げて、互いに走り寄って舗道に寝転び、女性上位の態勢で抱き合って白昼堂々のキス。

 公衆の面前でやりたい放題やった挙句、急に逃げ出したーー。

 

 唖然としていた小町と大志は我に返ったあと、走り去った俺たちを追いかけ探し回ってあの公園に辿り着いた。

 大志がへろへろなのは、俺たち二人分の荷物を抱えて全力疾走したせいらしい。

 という訳だ。

 

「……なーにが『という訳だ』なんだか。こっちは走ったり恥ずかしかったり……そりゃもう大騒ぎだったんだからっ」

 

「す、すまん」

「……ごめん」

 

「まったく……お兄ちゃんお義姉ちゃんがあんな目立つ所であんな破廉恥なコトしてくれちゃったんじゃ、小町恥ずかしくて学校行けなくなっちゃうじゃん。小町的にポイント激低だよっ」

 

 さらっと「お義姉ちゃん」呼ばわりされたことに反応することも出来ないくらいに、完全論破された。

 

「いや、本当にすまん」

「ごめんよ、小町……」

 

 平身低頭で詫びる俺たちを見据える小町の目が、更に光を増した。

 うわ、こいつ何か企んでるよ。そういう目だよこれは。だって口元がにやけてるもん。

 

「と・こ・ろ・で♪」

 

 やけに声を張った小町が、にかっと笑う。

 

「面白い動画があるんだけど、お二人も一緒に見ようよ」

 

 小町がくいと顎を動かすと、へばっていた大志がささっと跪いてスマホを差し出す。なんか動きが悪の手下っぽい。

 

「さあ、沙希お姉ちゃんもお兄ちゃんも、とくとご覧あれ〜」

 

 小町がスマホの画面をこちらに向ける。

 映っているのは……。

 

『ーー嫌だ嫌だ嫌だ』

『ーーセック……ぜ!』

 ……。

 ……。

 ……俺らじゃねーかっ!

 

「お、おいーー」

「ほらそこっ、腐った目を背けないっ」

 

 慌てて撮影を開始したのか途中からではあるが、そこには俺と沙希の恥ずかしいシーンがバッチリ録画されていた。

 

「ほんっとーに恥ずかしかったんだからね!?」

 

 ならなんで撮影なんかしてんだよ。

 恥ずかしいのはこっちだよ。沙希を見ろ。

 頭から湯気立ててるし顔面は真っ赤、白目を剥いてへたり込み、口からちょっと魂抜けかけてるんだぞ。

 

「……でもさ」

 

 膨らませた頬を緩めた小町は、再び目に涙を溜めて天使の微笑みを向けてくる。

 

「本当に良かったよ。お兄ちゃんたちがお別れしなくて」

 

 そう呟いた小町は、少しだけ大人に見えた。

 

「本当によかった……よかったよ……」

 

 再び小町が崩れ落ちて泣き出す。

 小町の手を引いてソファーに座らせると「大丈夫」とだけ呟いた。

 直後、涙を振り払ってニカっと笑う、天使なのにどこか男前な小町。その後ろで「くう〜っ」と男泣きするのは毒虫大志、別名地獄大使である。

 

「さーて、今日から三日三晩、夜通しでお祝いしなきゃだねっキラリンッ」

 

 ありがとうな小町。

 少しウザいけど、本当にありがとう。

 我が愛する妹よ。ついでに大志もな。

 

 あと川崎沙希さん、早く魂を戻しなさい。

 ホントに抜けちゃいそうだから。

 

  * * *

 

 愛車カプチーノに沙希を乗せて海へ向かう。

 旅行中とは違う、柔らかな風。

 その風に沙希のポニーテールが靡く。

 

「さて、着いたらメシを食うぞ。小町の命令だからな」

「あんた、本当にシスコンだね」

「うるせえよ。お前なんて仮性ブラコンで真性シスコンじゃねーか」

「あ?」

「いや、違うな。お前の場合は家族全部を溺愛だから……何て云うんだ?」

「知るかっ」

 

 いつもの海に停めた車の中、互いの膝に載せられたのは熱海駅で買ったままだった駅弁だ。

 バッグごと放り投げたせいで多少ひしゃげてはいるが、中身は無事なようだ。

 これは小町に与えられた罰である。

 

『ちゃんと二人で駅弁を食べてくること。それまでは旅行は終わりじゃないんだからね』

 

 何なんだ、その「家に帰るまでが遠足」みたいな言い回しは。

 学級委員みたいな妹だな。超こえぇ。

 まあ罰でも何でも、せっかく小町が気を利かせて二人にしてくれたんだ。今は弁当と共に幸せを噛み締めよう。

 しかし金目鯛の煮付けが一切れだけなのは少し寂しかったな。

 

 二人で駅弁を平らげた俺たちは海を眺めていた。

 遥か向こうの街に沈む夕陽を浴びながら、俺は右肩に乗せられた幸せの重みを噛み締める。

 

「比企谷、その……ごめん」

「なんの話だ」

「その……わ、別れるなんて云っちゃって」

「本当だぞ。めちゃくちゃ焦ったわ。この世の終わりかと思ったぞ」

 

 正直な話、あれから生きた心地がしなかった。

 経験値に乏しい俺が、本物の失恋の恐ろしさをリアルに体験させられたのだから、まあ当然と云や当然か。

 

「あたしさ……自信が無かったんだよ。由比ヶ浜みたいに可愛くないし、雪ノ下ほど美人じゃないし、それにーー」

 

 川崎沙希は語る。

 とある天使な人物から俺の帰郷の報せを受けた沙希は、俺に好かれるように、嫌われないようにと、普段読まないような雑誌を読み漁って恋愛の研究をしていたらしい。

 その結果、いきなりキスしたり抱きしめたりという、川崎沙希らしくない暴走めいた行動をとってしまったという。

 まったく。恥ずかしいやら面映いやら。

 てか、何の雑誌を参考にしたんだろ。まさかエロい雑誌じゃないだろうな。凄く気になる。

 

「ーーだから、いつも比企谷の様子を窺ってた。比企谷に喜んでもらえてるのかな、比企谷はあたしとくっついたりするの本当は嫌なのかな、ってさ」

 

 語り続ける川崎の顔は朱に染まりながらも清々しく思えた。

 

「そこに……あの光景を見ちゃってさ。やっぱりあたしじゃダメなんだ、雪ノ下が良いんだ、って……自信無くしちゃったんだ」

 

 なんだよ、俺と同じかよ。そう思ったら、がっくり力が抜け、笑いが込み上げた。

 

「くっくっく……あーはっはっはっーー」

「な、何さ、そんなに笑わなくてもいいじゃないの」

 

 ぷんすかと頬を膨らます沙希が軽く放った肩パンチを食らう。

 

「わ、悪い悪い。でもお前も俺と同じような事をしてたとは思わなくて、つい、な」

 

 今度は俺が、自身が抱いていた思考と気持ちを吐き出す。

 最初は、ネットで調べた一般的な恋人の振る舞いを心掛けていたこと。

 それが次第に川崎に嫌われないようにするだけの思考に変わっていったこと。

 川崎に何か云ったりしたり、その度に自己の言動に対して評価、反省をしていたこと。

 それは、俺に経験と自信が無かったからであること。

 まあ、昨日の夜、熱海で話した独り言の補完だ。

 

「ーーなんだよ。結局あんたもあたしと同じだったってことか……」

「ま、そういうこったな」

 

 笑い話で片付けて良いのかは判らない。

 だけど俺も川崎沙希も、恋愛に関しては初心者なのだ。

 互いが互いのことを思って、勘繰って、拗らせて、その挙句に失敗した。

 つまり、俺も川崎も、自分では上手くやっているつもりが、実はダメダメだったってことだ。

 

「あたし達って、そういうの経験して来なかったからね」

「ああ、俺もその手のスキルは皆無だな」

「じゃあ残る手段はひとつだね」

「だな。俺たちのやり方を作っていくしか無いだろ。不器用なりにな」

 

 二人して思わず噴き出してしまう。

 ひとしきり笑いが収束した頃、夕陽を見つめながら川崎が呟く。

 

「あの熱海のレストラン、またあんたと行きたいな」

 

 ほう、奇遇だな。俺も熱海にはまた行きたいと思っていた。まだまだ文豪所縁の店はあるからな。

 しかし、あの依頼以外で沙希の願望らしい願望を聞いたのは初めてだ。

 今までは「あんたと一緒ならどこでもいい」だったし。

 川崎の小さな声に、同様に応える。

 

「ああ、今度は小町や京華も連れてってやろう」

「殴るよ。大志を置いていく気?」

 

 ああ、久しぶりだこの感じ。

 再会する遥か以前、まだお互い高校生の時分に少しだけこんな遣り取りをした、そんな淡い記憶が甦る。

 

「じゃあ、大志だけ旅費は自腹な」

「上等だよ。大志の分はあたしが出す」

「じゃあ好きにしやがれブラコンめ」

「黙りな、シスコン」

 

 心地よい軽口の叩き合い。

 言葉のひとつひとつが音符となって、心の五線譜の上で旋律を紡いで弾む。

 やっぱりこいつだ。

 こいつだけだ。

 

「あー、その……さ、川崎」

「な、何?」

 

 苗字で呼ばれて身構える沙希に伝えるべく、頭の中に充満する言葉を抽出して纏める。

 ーーよし纏まった。

 

「熱海の花火な。今年中にあと何回かあるんだが」

「ふーん。それで?」

 

 淡白な反応はさて置き、概ね予想どおりだ。

 あとは沙希をもう一度花火に誘って、そこでもう一度……。

 

「あーもう、焦ったいね。早く云いなってば」

 

 うるせえ、急かすな。かき集めた言葉がどっか行っちまうだろうが。

 息を吸う。覚悟を決める。

 

「か、川崎、結婚しよう……」

 

 ……。

 

 あり?

 

「……はぁ!? は、は、花火の話はどこいったのさっ!?」

 

 しまった。

 完全に途中をすっ飛ばした。

 目の前で動揺する沙希への言い訳を必死に紡ぐ。

 

「え……あ、いや、今の無し。忘れてくれ。フライングだ。これは本来ならば然るべき手順を踏んでだな、然るべき場面で伝えるべきーー」

 

 沙希は弾けた様に笑い出す。

 

「あーはっはっはっーー」

 

 足をバタつかせ、腹を抱えて笑う川崎を見ながら己の失敗を悔やんでいると、悪い笑顔を浮かべた川崎が俺を射竦めた。

 

「ーー駄目だね。もう聞いちゃったから」

 

 はあ、ダメか。

 再び熱海を訪れて、花火を見ながらもう一度告白。そしてサプライズで指環を差し出してプロポーズ。

 その考えは脆くも崩れ去った。

 しかも、いろいろすっ飛ばしてのフライングゲット。いや、ゲットはしてないか。

 

 畜生、なんて間抜けなプロポーズだ。

 雰囲気も脈絡も何もありゃしない、ただ先走っただけ。

 本心を曝け出すって、こんな間抜けなことなのかよ。

 ちらっと目を遣ると、意地悪く笑う川崎沙希の顔は真っ赤に染まっている。

 

 沙希の左手が伸びて俺の右手を取る。

 その手を胸に……。

 あ、手の甲が当たった。

 ちょっと埋まった。超柔らかい。

 って、ええええっ!?

 

「……あたしね、自分が思ってたよりもずっと嫉妬深くて、これからも些細なことであんたを困らせるかも知れない」

 

 俺の手を握る川崎の力が強くなる。それに応えるべく俺もその手を強く握り締める。

 

「本当のあたしは思ったより甘えん坊で……あ、あんたを幻滅させるかも知れない」

「その辺は確認済みだけどな」

 

 苦笑すると、川崎沙希の顔が更に朱に染まる。

 

「……! あ、あと、まだまだ色んなことで迷惑かける、かも……」

「ああ、どんとこいだ」

「だから、だから。そんなあたしでも良ければ……むぐっ!?」

 

 手で川崎の口を塞ぐ。

 

 やっぱりこいつも間違えてるな。ぼっちの悪癖だ。

 川崎沙希で無ければ俺は駄目なんだよ。

 俺の心をかき乱していいのは、こいつだけだ。

 そう決めたんだ。

 

「……やっぱさっきのは無しだ。ちゃんと云う。一度しか言えないからよく聞け」

「な、なによ……」

 

 居住まいを正す。頭を下げる。過給機がエンジンへと圧縮送気する如く息を吸い、肺から脳へと酸素を送る。

 大丈夫。ちゃんと言えそうだ。

 

「これから先、きっと俺はまた間違える」

 

 下を向いた視界の中、沙希の手がきゅっと握られる。

 

「多分、いや確実にお前を怒らせるし、悲しませるだろう」

 

 握りしめられた沙希の手に、俺の手を重ねる。

 

「だからその度に怒ったり叱ったり、時には責めて、俺を正して欲しい。きっと俺は、その度にお前に惚れる」

 

 頭を下げたまま、偽らざる気持ちを、出来るだけ真っ直ぐに、言葉に変換する。

 今は、今だけは、いつものように捻くれている場合ではない。

 

「幸せにするなんて大風呂敷は広げられない。今はそんな自信は無い。だから協力してくれ。一緒に二人の幸せを作りたい。だからーー」

 

 長ったらしい前口上を喋り終えた俺は顔を上げ、川崎沙希の目を見つめる。

 もう、迷わない。

 

「川崎沙希の人生をください。代わりに俺の人生をやるから」

 

 俺の目を見つめ返したままの川崎沙希の瞳から、ぽろぽろと涙が零れた。

 

「……あんた、ずるい」

「な、なにが?」

「普段しない、真剣な目でそんなこと云われたら……」

 

 川崎沙希の表情が緩む。涙はまだ溢れ続ける。

 

「答えは……ひとつしか無いじゃないのさ」

 

 完全にふやけて、まるで子供の様に、ぐしゃぐしゃの泣き顏の川崎沙希。

 その涙の源流を指で拭ってやると、川崎沙希はその指を両手で包み込む。

 冷たくて温かい手の向こう、涙を湛えた沙希は満面の笑顔を放つ。

 

「ーーあたひを、もらってくだしゃい」

 

 ……大事なとこだぞ。噛むなよ。

 ま、こういうのも初心者の俺達らしくて良いか。

 釣られて俺も泣いてしまったのは超トップシークレットだ。

 

  * * *

 

 大学一年の夏の出来事。

 偶然の再会から始まった、一編の物語。

 

 それは、過去の俺が散々小馬鹿にしていた、くさいドラマのようなラブストーリー。

 最後は泣いて喚いて鼻水まで垂らして、何とも間抜けで締まらない結果だったけれど、そんな風になってしまった件は、恥ずかしい勲章として黒歴史の中に大事にしまっておこう。

 そのお陰で手に入れることが出来たのだから。

 

 料理上手で家族思い。

 ぶっきらぼうで早とちり。

 あと……

 手が冷たくて、

 ちょっと猫っ毛で、

 面倒見がよくて、

 本当は甘えん坊で、

 俺の匂いを嗅ぐのが大好きな、変な女の子。

 

 川崎沙希さん、これからも愛しています。

 比企谷八幡。

 

 

  了

 




今回までお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
これにて「千葉ラブストーリー」の本編は終了となります。

思えばこの物語は、仕事で訪れたお客様の所で耳にした、
「ラブストーリーは突然に」
という曲を元に短編を書いたことが始まりでした。

そこから続きを書きたくなって、慌ててコンセプトとプロットらしきモノを作ったのですがーー
中々思うように書けなかったのが本音です。
そんな色々と足りなかった物語に30000ものUAを頂き、恐縮しきりです。

まあ、言い訳や反省は数多あるので、そのうち活動報告などに零すかもしれません。
兎に角、この経験を糧にあらためて修業を積み直し、また次回……番外編などでお会い出来たら幸いです。

最後に、ここまで拙作を読んでくださった方々へ。
本当に、心から、伏して、感謝致します。

ありがとうございました。
エコー

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