千葉ラブストーリー   作:エコー

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最初で最後の旅行を終え、再会の場所に着いた川崎沙希と比企谷八幡。
彼と彼女は背中合わせになり、それぞれの道を歩み出す。



……はずだったのだが。


恋をとめないで

 

 午後二時過ぎ。

 

 俺と川崎は、それぞれ大きなバッグを抱えて駅の改札口を出る。

 

 ここで始まり、ここで終わる。

 

 打ち合わせたように川崎が振り向く。

 俺は川崎を、川崎は俺を見つめる。

 

「今まで本当にありがとう。じゃあ……ね」

 

「ああ」

 

 川崎沙希が背中を向ける。それを見届けた俺もーー背中を向けた。

 

 これから俺たちは別々の道へ向かう。

 

 もう二度と、二人の道が交わることは無いだろう。

 

 一歩。

 一歩。

 歩を進める度に、長いようで短かく、その短い日々にぎっしり詰まった夏の記憶が甦る。

 

 足が思う様に動かない。次の一歩が、遠い。

 三歩目が踏み出せないまま、時間だけが過ぎていくーー

 

 背を向けた川崎は、もう遥か遠く、手の届かない場所まで歩いてしまったのだろう。

 何なら、どこかの路地に入ってしまったのかも知れない。

 そう考えると、まだ数歩すら歩けない俺の方が未練タラタラなのかもな。

 決して荷物が重い所為ではないのに、足と心が異様に重く感じる。

 

 情けない。

 腹立たしい。

 浮かれていた自分が恥ずかしい。

 

 思い返せば反省ばかりだった。後悔ばかりだった。

 

 ふと考える。

 今、後ろを振り向いたら……。

 

 やめよう。

 もう終わったのだから。

 

 視界が滲む。

 ああ、これでまた歩みが遅くなる。

 でも、やっと十歩ほど歩けた。

 十歩だけ、川崎沙希から離れることが出来た。

 

 あと何歩くらい歩いたら、この後悔は、感情は過去になるのだろう。

 

 ーー。

 

 ーー嫌だ。

 ーー過去になんかしたくない。

 

 そうだ。片思いでもいい。

 ずっとずっと、気の済むまで川崎を好きでいよう。

 決して交わらなくとも、この気持ちにだけは素直でいよう。

 

 この辛さは俺の罪の証であり、勲章だ。

 幾多の黒歴史とトラウマで出来上がった俺の心の中で、唯一無二の輝きを放つ漆黒の勲章だ。

 それを胸に、生きていこう。

 

 そしてまた、俺は一歩を踏み出す。

 

 漸く二十歩ほど足を進めた時、背後で車のクラクションが鳴り響いた。

 

 反射的に振り返る。

 

 ……!

 

 目に映ったのは、さっきと変わらない景色。

 その中で、変わっていなければおかしいものに目を奪われる。

 

 川崎……沙希。

 

 とうに立ち去ったとばかり思っていた彼女は、俺の背中を、二十メートルほど向こうで見つめていた。

 

 まさかあいつ、あの場から一歩も動いていないーーのか。

 

 もう会えないはずの彼女。終わってしまった関係。

 

 その、夏の思い出を寄る辺にして生きていく。

 そう決めたばかりなのに。

 もう振り返らないと決めたのに。

 

 その場に佇む川崎沙希を見た瞬間に去来した感情は、動揺。

 その次に湧き上がるのは、衝動だった。

 

 頭の中。がちゃりと、何かが外れる音がした。

 

 

 

 ……こんなんで終われるかよっ

 

 

 

 この場を離れなければ。終わらせなければ。

 その思考に逆らって身体が動き出す。

 足が、身体が、勝手に振り返り、二十メートルの距離を隔てて川崎沙希と正対する。

 

「川崎っ」

 

 気がついたら叫んでいた。周囲が俺を好奇の目で見るが、どうでもいい。

 もう止まらない。

 さっきまで重かった足が嘘のように軽やかに回る。

 

「……比企谷っ」

 

 前方から叫び声が聞こえる。

 見ると、川崎沙希も俺に向かって走ってくる。

 俺も負けずに全力で走る。

 川崎の速度も上がる。

 俺も更に加速する。

 

 ーーあと何歩だ。

 

 あと何歩走れば、あの場所に戻れるんだ。

 運動不足の足が、肺が、悲鳴を上げる。

 旅行の荷物が詰まったバッグを放り出す。

 回転を上げ過ぎた足がもつれる。

 たたらを踏みながらも立て直して、更に加速を試みる。

 

 速く。

 少しでも早く。

 あの場所へ。

 再びあいつと出会う為にーー

 

 眼前、川崎が飛んだ。

 

 ーー!

 

 胸に衝撃を受け、次に背中に衝撃が走った。

 

 

「……いてぇ」

 

 歩道の上。

 

 体当たりで突き飛ばされて尻餅をついた。

 そしてそのまま後ろに倒され、歩道の上で仰向けにされた。

 俺の上にのし掛かるのは、かつて感じたことのある心地良い重み。

 

 川崎……沙希。

 

 もう諦めていた。

 さしたる抵抗もせずに終わらせようとしていた。

 それが俺の罪に対する罰だから、と自分に言い聞かせて。

 無理繰り自分を納得させて。

 

 だが。諦めていた温もりが、今また俺の上にある。

 途端、目頭が熱くなる。

 臨界点を超えた感情は涙となって次から次へと溢れてくる。

 ついでに鼻水も出るが気にしてはいられない。

 川崎沙希がいるのだ。

 その事実に、二週間かけて構築した俺の決意はあっさりと崩れた。

 

「沙希っ」

 

 中空に向かって叫ぶ俺の頬をくすぐる、青みがかった長い黒髪。

 

「嫌だっ」

 

 背をつけた歩道の熱で汗だくのTシャツの、その胸に置かれた、少し冷んやりした手。

 その横に、沙希の目から零れた雫が落ちる。

 

「嫌だ嫌だ嫌だ、嫌だっ」

 

 誰にも渡してなるものか。

 手遅れ。責任。

 構うものか。

 こうなったら、足掻けるだけ足掻いてやる。

 格好悪く、無様に、思い切りじたばたしてやる。

 

 困らせたっていい。

 これ以上嫌われたくないなんて打算はやめだ。

 綺麗な想い出で終わろうなんて、虫唾が走る。

 困らせて困らせて、川崎が根負けするまで困らせてやる。

 

 覚悟しろよ川崎沙希。

 恥も外聞も関係無く徹底的に足掻いてやるから、それが嫌なら徹底的に俺を拒絶しろ。

 

「嫌だ!」

 

 誰に見られても構わない。

 通報されたって構わない。

 するならしてみろ。逮捕くらいなら甘受してやる。

 

「沙希がいないのは……嫌だっ」

 

 いつか、この目の前の泣き顔が笑顔に変わるなら。

 俺はそれを見届けた後で、気色悪く笑いながらトラウマの海に沈んでやるさ。

 

「もう離れたくないっ」

 

 理屈なんかどうでもいい。

 湧き立つ衝動のまま口を動かすだけだ。

 まるで駄々っ子。

 聞き分けの無いガキ。

 それの何が悪い。

 今は本音を、本心をぶちまけるんだ。

 

「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ、嫌……あ!?」

 

 ふわり。

 

 俺の髪が手櫛に梳かされる。

 ああ……なんて心地良い。

 歩道の上、仰向けに寝転んで駄々を捏ねる俺の髪を撫でるのは、優しい手。

 ちょっと冷んやりしていて、優しい手。

 

「あんた……顔ぐちゃぐちゃだよ。鼻水やら涙やら、汚いったらありゃしない」

 

 苦笑する川崎の目から零れた雫が、矢継ぎ早に俺の頬に当たる。

 

「知るかっ、ぐちゃぐちゃだろうが、汚かろうが、みっともなかろうが……お前がいりゃ俺ぁそれでいいんだっ」

 

 一粒、さらに一粒と、川崎の雫が、みっともなく叫ぶ俺の頬に落ちる。

 

「……もう、馬鹿じゃないの?」

 

 尚も川崎の流す雫は俺の頬を打ち据える。雫が頬を打つ度に、未知の痛みを覚える。

 

「馬鹿で結構、そんな事は百も承知だ。愛してる。愛してる。愛してるっ」

 

 自分の中の心を必死に言葉に変換しようとする。

 駄目だ。足りない。

 全然足りない。

 言葉に変換し切れない。

 心が言葉を置き去りにしていく。

 どんどん追い抜いていく。

 あー、もう!

 

 ……。

 

 頭の中に、帰郷直後に聞いた或る台詞が浮かぶ。

 ああ、なんだってこんな時にこんな場違いな台詞が浮かぶんだ。俺はどんだけ変態なんだよ。

 だけど浮かんでしまった。

 きっと、これも俺の本心なのだ。

 脳内のフィルターはとうに馬鹿になっている。言って良いこととそうでないことの判断がつかない。

 

 ……こうなりゃ、力の限り叫んでやる。

 (さら)け出してやるーー

 

 

「サキサキ、セックスしようぜええええっ!」

 

 

 ーー。

 

 

 喧騒が消えた。

 

 

 俺が叫んだその瞬間、川崎の両手は俺の耳を塞ぎ、その口唇は俺の鼻水塗れの口を塞いでいた。

 耳を塞がれた所為で、口内で舌が触れ合う水音は逃げ場を失い、頭蓋骨全体に反響しながら脳を揺さぶる。

 な、なんだこれ……。

 お返しとばかりに俺も川崎の耳を塞ぐ。

 

「ーーんふぅん!?」

 

 川崎の口内から唾液が溢れて、その奔流は俺の口内に沁み渡ってゆく。

 川崎の目から落ちる涙は俺の涙や汗、鼻水と一緒くたになって濁流となり、顔を伝って髪の中へと流れてくる。

 

 白昼堂々、駅前の歩道に横たわっての口づけ。

 

 長く、永い口づけ。

 

 脳に直接響く水音の終焉とともに口唇は離れ、耳を開放される。

 

「また……出会っちゃったね。もう、絶対離れてやんないから。覚悟しな」

 

 数センチの上空、川崎沙希が小さく呟いた。

 

 その途端。

 沈黙が一転。駅前の歩道で繰り広げられた珍妙で奇異な光景に、タクシー待ちの行列から一斉に歓声が上がる。

 同時に笑い声も聞こえてくる。

 

「ーーえ」

「ーーあ」

 

 周囲を見ると、何か知らんが盛り上がっていた。ガサツな輩が器用に指笛を甲高く鳴らす。

 もう完全に、フェスティバっている。

 

 ーー。

 

「ほ、ほらっ、逃げるよっ」

「あ? あ、ああ……」

 

 川崎の合図で俺たちは走り出す。どっちに走るかなんて決めていない。方向さえ解らない。

 何処をどう走っているかなんて知らないし、どうでもいい。

 荷物なんか放り出したままだ。

 きっとこれは、この夏、千葉で一番間抜けな逃避行。

 

 俺は川崎……沙希の手を握りしめたままで無闇矢鱈(むやみやたら)に走り続けた。

 

  * * *

 

「はあ、はあ、はあ……」

 

 体力の限界を迎えた俺たちは、いつの間にか公園の中にいた。

 川崎はベンチにもたれ掛かり、俺はその隣に這い蹲ったまま地べたに足を投げ出している。

 

 あれ。

 

「ーーここは」

「ーーうん」

 

 衝撃的な再会を果たしてしまった一週間後に、再び川崎と出会った、あの公園だ。

 ただ夢中になって走っていたつもりが何のことはない、しっかり家路を辿っていた訳だ。

 俺らの帰巣本能すげぇな。伝書鳩に勝てるかも。

 

 まあ、とにかくだ。

 駅前から三キロ近く走り続けた俺は抜け殻同然である。幽体離脱の半歩前だ。

 思えば、最後に運動したのは高校でのマラソン大会だった。

 自転車通学もやめ、大学では運動らしい運動をしなかった俺の身体が鈍っているのは、至極当然のことである。

 

 喉が渇いたな。

 脳や身体の糖分も足りない気がする。

 こういう時はマッカン様の出番なのだが、如何せん御神体のおわす自販機は、遥か百メートルの彼方だ。

 俺の残存エネルギーでは辿り着ける訳も無い。

 

 諦めて天を仰ぐ。

 あー、空が青いぜ。

 頭がぼーっとするぜ。

 

 ふと、頬に冷たい金属質の物体が触れる。

 驚いて顔を引いて、ぐりんと向ける。

 

 視界がオレンジに近い黄色に染まる。そして目に入るM、A、Xの文字。

 マッカン様だ。

 マッカン様が我の危機をお救いになるために降臨なされたのだ。

 おお……何と神々しい。

 ん?

 何者かの手がマッカン様のプルトップに伸びる。

 かしゅっ。御開帳の音だ。

 や、やめろ。やめてくれ。

 マッカン様は俺の為に御降臨遊ばせたのだ。

 そんな俺の意思など知るかとばかりに、しなやか指は無慈悲に御神体を持ち上げる。

 あ、飲みやがった。

 くそ。よくも俺のマッカン様をーー。

 

 不意に仰向けにされ、首が持ち上げられる。

 そして。

 口唇に押し当てられた柔らかな物体から、仄かに冷たく強烈に甘ったるい液体が流れ込む。

 紛れもなくMAXコーヒーだ。

 ああ、マッカン様が五臓六腑に染み渡る。

 こくこくと二度ばかり喉仏が動く。

 

 あれ、もう終わりか。

 

 甘い液体の流入が止まると、それを追う様に触手が侵入してくる。

 こ、これは……タコの足か?

 いやそんな訳あるか。違うな。これはーー

 ちゅぽん。

 弾ける音と共に触手が去り、口唇の感触が消える。

 

 川崎沙希だ。

 

 こいつ、口移しで俺にマッカン様を飲ませやがった。しかもその後、思いっきり舌入れてかき回しやがって。

 畜生、今までで一番美味かったじゃねえか。

 ……。

 駄目かな。

 無理かな。

 いや駄目もとで云うだけ云ってみようかな。

 ……ふむ。

 ここは思い切ってお代わりを所望してみよう。

 

「も、もう一度……」

 

 けらけらと笑う川崎から、ふいと顔を背ける。

 

「あんた、駄々っ子みたいだね」

「うるせぇ。もう一度」

「ふふっ、はいはい」

 

 もう一度、口移しで甘露を頂戴する。

 そのまま川崎の首の後ろに手を回してがっちりロック、その柔らかな口唇と舌を蹂躙する。

 

 なんて自分勝手。

 なんて自分本位。

 でも構わない。

 俺は川崎沙希が欲しい。

 それが俺の……望みだ。

 

  * * *

 

 午後の木洩れ陽が降るベンチ。俺は川崎沙希に膝枕をされている。

 暑く、熱い。

 頭を撫でられる度に沙希の指が俺の髪に通され、その度に涼やかな風が熱くなった頭皮を冷やす。

 思わず顏が緩む。

 この時間が永遠ならば、どんなに幸せだろう。

 だが、得てして幸せというものは長くは続かないのが世の常らしい。

 

「ところで」

 

 冷たい声音の川崎が俺の頬をつねり上げる。

 

「いでっ、でででーー」

 

 な、な、なんだ急に。

 

「人前であんな恥ずかしいこと云うんじゃないよ、もうっ!」

 

 あれ。俺、何を言ったんだ?

 

「……え、なに?」

 

 息も絶え絶えに聞き返すと、たちまち川崎の顔が真紅に染まる。

 

「あ、あんた……覚えてないの!?」

 

  や、やばい。怒ってらっしゃる。

 でも、いくら怒られたところで夢中で喚き散らしてたから、何を云ったかまで覚えて無いんだよな。

 

「だから、何のことだよ」

 

 ちょっと待ってね。いま脳に酸素が足りないから。大至急ヘモグロビンをロット単位で大量発注するから。

 

「セ、セックスしよう、って……」

 

 え? 誰が?

 

「セックスしようって言ったの、あんたは!」

「はあ、はあ……あ? そんなビッチみたいな恥ずかしい言葉を言うなよ。昼間だぞ」

「あんたがさっき言ったのよっ」

 

 頬をつねる指に力がこもる。だから痛いって!

 

「言ったっ、確かに言ったっ。何なら叫んでたっ」

 

 頬をつねり上げられたまま、俺は記憶を遡る。

 夢中で走り始めて、飛んできた川崎を受け止めて、それからどんどん感情が溢れてーー

 

「ーーあ」

 

 思い……出した。

 

 言った。確かに言ったわ。いやぁ、勢いってコワいね。

 反省反省。

 

 いや、まずは謝罪か。

 体を起こして咳払いをひとつ、川崎沙希に顔を向ける。

 さて、このまま地べたに這い蹲れば、比企谷八幡お得意の五体投地ショーの幕開けだ。

 

「……あ、あたしで良ければ、よろしく、お願いします」

 

 俺が土下座を敢行する前に口を開いたのは、川崎沙希。

 

「……えっ」

 

 まったく意味が解らない。

 何をよろしくお願いされたんだ。

 何をよろしくすればいのでしょうか。

 よろしくといえば、やはり哀愁なのかな?

 だから世代が違うって。

 

「だっ、だから、その、セ……」

 

 せ?

 セ、セパタクローでしょうか。

 あ、セミの抜け殻かな?

 なんて無粋な勘違いはいくら俺でも出来ない。

 つまり。

 

「……して」

 

 瞳を潤ませて近づく沙希にたじろぐ。

 

「ちょ、ちょっと待て川崎」

「……沙希でいいよ。あんたもさっき叫んでたし、今更でしょ」

「え、ええっ……」

 

 身を引く。引いた分だけ距離を詰められる。

 俺が引く。川……沙希が寄る。

 引く。寄る。引く。寄る。

 引く……前に頭を掴まれた。

 

「何、嫌なの?」

「いや、全然嫌ではなく、むしろ大歓迎……じゃやくてっ」

 

 やばい、まだ本心が滲み出てる。

 ベンチの端まで、あと十数センチ。

 崖っぷちの俺に川崎沙希がにじり寄る。

 

「……だめ?」

 

 このタイミングでその潤んだ瞳は卑怯だわ。逆らえないじゃんかよ。

 

「だ、駄目じゃない。駄目じゃない、けど」

「なら、して」

「そ、そのうち……な」

「……けち。臆病者。優柔不断。八幡」

「ちょっと。最後のは違くない?」

 

 思わぬ名前呼びに動揺していると、さらに川崎沙希の顔が近づく。

 触れる口唇。

 重なる口唇。

 まるで今朝までの渇きを取り戻すように、互いの口唇を潤す。

 口唇って言葉がゲシュタルト崩壊しそうなほどに、俺たちは互いの口唇を求めた。

 川……沙希の口唇はあの日と同じで、仄かにマッカンの味がした。

 

 そのまま沙希は俺の首の後ろに手を回し、鼻先をTシャツの肩口に当てる。なんか懐かしいな。

 つーか、全力疾走の後で超汗臭いと思うんですけど、よろしいか?

 

「比企谷の匂い、久しぶりだぁ……ちょっとくちゃい、でもすき」

 

 よろしい様だ。

 くんかくんかと俺の肩や首筋に鼻の頭を擦り付けて、ぽしょりと呟く。

 すっかり甘えモードに突入してしまった沙希に対する敬慕の念と、少々の劣情が生じてしまう。

 うわぁ。もう、超抱きしめたい。

 さっきしたばっかだけど超キスしたい。

 えーい、俺からしちゃえっ。

 

「んふっ……ふぁ……ん」

 

 ぱきっ。

 

 互いの口唇を貪る中、不意に木の枝が弾ける音がした。

 ーーはっ、殺気!?

 いいところなんだから邪魔するなよ殺気。

 あ、殺気と沙希って似てるよね。こわっ。

 

「ーーったく、何してるんだか」

 

 口唇を交わし続ける俺の耳に、ぼんやりと懐かしい声が響く。

 

「探したよ、お兄ちゃんっ」

 

 声に振り返ると、耳まで真っ赤になった小町が立っていた。

 




今回もお読みいただき、誠にありがとうございますっ。

……こんなオチになってしまいましたm(__)m

私が思うに比企谷八幡という人物に足りないのは、脇目も振らず突進する懸命さ、でした。
そして、川崎沙希に足りないのは、自信だと思います。
今回は、そんな彼らが形振り構わず一心不乱に互いを求める場面を書きたかったのです。

……長かった。
この話を書く為に八幡や沙希、ゆきのんにも辛い思いをさせてしまいました。

そして、この物語も次回で最終話となります。

明日19時、またここでお会い出来たら嬉しいです。

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