千葉ラブストーリー   作:エコー

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総武高校卒業後の比企谷八幡と川崎沙希の短編です。




千葉ラブストーリー
ラブストーリーは突然に


 § 千葉ラブストーリー §

 

 

「ヒッキー、セックスしよっ」

 

「……は?」

 

 あれ。こいつ何言っちゃってんの?

 

 ーーふむふむ。

 こういう時は、まずは状況の整理だな。

 

 総武高校を卒業し、俺は東京の大学へ進学した。

 夏休みに入ってようやく実家に帰ることを許されて千葉に戻ったら、その降り立った駅のホームでいきなり昔の同級生にセックスしようなどと言われた訳だ。

 

 ……いやいや、おかしいでしょ。

 まだ昼間ですわ。正確には午後1時ちょい過ぎですわいな。

 

 そういうのは夜コソコソとするもんじゃないの?

 それと、何故それを俺に云うのかね。

 

 少なくとも俺の知る由比ヶ浜結衣は、見た目はビッチだが身持ちは固いはず。

 大学に入ってウェイウェイしちゃって、間違った方向にデビューしちゃった可能性はあるにしても、高々数ヶ月で人の性質まで変化するとは思えない。

 故に、このビッチ発言の裏には何かしらの思惑があるはずだ。少なくとも額面通りに鵜呑みにしてはいけない。

 ま、鵜呑みに出来たとしても、DDTの俺には無理な話だ。

 ちなみにDDTってのは、「ド童貞」の略ね。又の名を「こじらせ童貞」とも呼ぶ。

 俺の中ではね。

 

「よし。まず頭を冷やせ。そして回れ右して帰れ」

「ひどっ! 久しぶりに会ったのに」

「会って第一声で交尾を要求するヤツよりマシだ」

 

 全く。

 企画もののAVじゃないんだから。あーいうのは虚構の世界だから楽しめるのであって、実際自分の身に起きたら絶対引くだろ。実際引いたし。

 

「あれ、もしかしてヒッキー、知らないの?」

「は?」

 

 え、うそうそ。

 ーーはっ、まさか今のは挨拶なのか。ハワイでいう「アロハ」、アフリカでいう「ジャンボー」みたいなものなのか。

 だとしたら。

 いつから交尾を要求するのが挨拶になったの?

 日本はいつからそんなに乱れた国になったの?

 俺が知らないだけ?

 まさか少子化対策の一環としてこないだの臨時国会で……とか。

 ないよな。ないよね?

 

「東京ラブストーリーって、知らない?」

 

「知らん。俺はラブストーリーとは無縁の一匹狼だからな」

 

 そう、俺にはラブストーリーなんて無縁。フィクションなのだ。

 従って、今訳のわからん不意打ちを食らってドキドキしてるのも木の精、もとい気のせいなのだ。

 

「こないだね、大学の友達と初めて漫画喫茶に行ったんだ。そこで読んだ漫画なんだけど、すっごい面白くてーー」

 

 何やら一人テンションをあげて漫画の説明をしているが、要領を得ないせいでちっとも面白さが伝わってこない。

 まあ、面白いといえるのは、必死に身振り手振りを交えて話す由比ヶ浜の姿くらいなものだ。

 

「ーー要はあれか。その漫画でそういう台詞があった、ということか」

 

「そうそう。そんで、その時いた友達に聞いたんだけど、ドラマにもなってるんだって」

 

「へー」

 

「でね。そのドラマもレンタルで観たんだけど、すっごい面白くてーー」

 

 えーと。

 この話、まだ続くんですかね。そろそろ小町が待つ実家に帰りたいのですがね。

 実際待ってるかどうかは別にして。

 

「ーーでさ、まだ返却してないからさ、これから一緒に観ようよ」

 

 うわぁ、めんどくせー。

 

「ちなみに聞くが、一話何分で何話あるんだ、それ」

 

「えーと。45分が11話だったかな」

 

 えーと、1話45分で11話だから、えーと、えーと……。

 

 ……うん。半日も付き合いきれん。てか計算できん。

 

「おう、また今度な」

 

 その「今度」は無いと思うけどね。

 

  * * *

 

 逃げるように由比ヶ浜の前を辞去した俺は改札を抜けて、ようやく千葉の地面を踏み締めた。

 早く、早く小町のメシをーー。

 

「あっ、はちまん」

 

  ん?

  まさかこの幸せを感じヴォイスはーー。

 

「おおっ、大天使トツカエル」

 

「ははは、久しぶり。変わってないね、はちまん」

 

 変わるものか。

 愛は永遠の宝石だぜ。

 

「そういえば戸塚、東京ラブストーリーって知ってるか?」

 

「あー、昔のドラマだよね。セックスしよ、とかいう台詞が有名なーー」

 

 嘘。夢じゃないよね。

 あれ、何故だろう。心がぴょんぴょんしてる。

 

「よし、しよう。今すぐしよう」

 

「ち、違うってば。そういう台詞があったって話」

 

 な、なあんだ、びっくりした。

 てっきり脱DDTしちゃうのかと思っちゃったよボク。

 

「そ、そうか。でもあれだな、有名なドラマなんだな」

 

「うん、僕たちのお父さんやお母さんの世代のドラマだけどね」

 

 ほーん、俺らの親世代のドラマか。

 

「あっ、僕そろそろ行かなきゃ。はちまんはまだ千葉にいるよね? また連絡しても、いいかな」

 

「おう、いつでもドンと恋だ」

 

 決して誤植ではない。だって恋だもの。

 

「はは、じゃーね」

 

 ふう。久々の癒しは骨身にしみるぜ。

 

  * * *

 

 ウキウキウォッチングの心持ちで浮かれて歩いていると、またしても見知った顔が見えた。

 あいつは、川……なんとかさんだな。

 そういえば、由比ヶ浜だけでなく戸塚も知ってるってことは、多分こいつも知ってるよな。

 よしっ、気分も良いし、たまにはフランクに挨拶してやるか。

 

「ようサキサキ、セックスしようぜ」

 

 ……。

 ……。

 ……あり?

 

「は、はあ!? 久々に会っていきなり何いってんの!?」

 

 あ、こいつは東京ラブストーリーを知らないんだな。

 ではこの俺が教えてーー。

 

「ーーじゃ、じゃあ……うちに来る?」

 

  ほえ?

 

「や、やっぱりそういうのは、その、ちゃんと段階を踏まないと……」

 

 うむ。言ってることは正しい。真っ当な論理だ。

 だが何故俺を家に誘うサキサキよ。

 まるっと理解不能、意味不明なのだけれど。

 

 つーかまず東京ラブストーリーについて説明させろ。

 

「だから、まずはご飯一緒に食べよ。で、それから徐々に、ね……」

 

 うん。だからさ。

 何でそうなるのかね。

 

「いや、メシは小町が……」

 

 ポケットの中でスマホが耳慣れない音を鳴らす。

 あ、メールの着信音か。あんまり久しぶりだから忘れてた。

 

『小町ですよー。家にはご飯無いから、外で食べてきて。あ、結衣さんによろしくねっキラリン』

 

 うぜぇ。

 最後のキラリンって何だよ。

 つーか、まさか由比ヶ浜から連絡が行ったのか。

 由比ヶ浜め、俺から小町の愛妹料理を奪った罪は重いぞ。

 

「……小町のメシが無くなった」

 

「なに泣きそうな顔してんの……」

 

「だって、四ヶ月ぶりの小町の手料理だぞ。俺はこの日を待ち侘びてたんだ。ひどい、あんまりじゃないか……」

 

「はあ、どーでもいいけど……とりあえず昼食のアテは無くなったんだね」

 

 どうでもいいって何だよ。俺にとっては一大事だそ。

 大事件なんだぞ。

 

「うるせえ。同時に生きる希望も無くなったわ」

 

「あ、あーごめんごめん」

 

 額にタテ線が何本も入るくらいに本気で落ち込む俺を見てか、少々慌てたように謝る川崎。

 ふんっ、せいぜい慌てるがいいさ。

 

「わかった、わかったから、とりあえず昼食くらいは食べさせたげるから」

 

 え。なに。メシ食わせてくれんの?

 

「サキサキ〜」

 

「サキサキいうなっ。ついておいで」

 

 サイゼ? サイゼだよな?

 

「ううっ、ありがとさーちゃん」

 

「さ、さーちゃんもダメっ」

 

  * * *

 

 どうしてこうなった、的な感じで連れ込まれた川崎家。俺はそのリビングのソファーに鎮座している。

 さすがに七月中旬の平日に大学生以外がヒマしてる訳は無い。

 

 即ちだ。

 

 俺は川崎家で川崎と二人きりの状況に置かれている。

 

 やばい。やばいですよおおおお!

 何がやばいって、アレがソレで……とにかくやばいんですぅ!

 勿論俺には害意は無い。無いけれども、ほら。

 どうしても無駄に緊張しちゃう。だって、この家の中には川崎と俺しかいないんだよ。

 久しぶりに再会した男と女がすることっていったらーー

 

 UNOかな。

 

 俺の悶絶級の愚考など露とも知らないキッチンスタジアムの方からは、時折鼻歌が聞こえる。

 楽しそうなのは何よりだけどね川崎、自分の置かれている状況を確かめてみる方が良いと思うよ。

 ちょっとした危機的状況だよ、これ。

 俺に襲われたらどうするのさ。

 

 あ、返り討ちですね了解しました。

 

「はいよ。昨日の残りのカレーだけど」

 

 目の前に置かれたのは、大盛りのカレー、里芋の煮っころがし、サラダ、あとは水滴のついたグラスに入った、麦茶か。

 どれもこれも美味そうである。

 川崎も昼食はまだだったようで、同じメニューが向かい側に並べられている。

 

 それにしても本当に美味そうだ。

 ここにマッカンが揃っていたら、すぐさま婿入りしてしまうに違いない。

 それだけ今の俺は悲しみに打ちひしがれている。

 

「どうぞ、召し上がれ」

 

  向かいのソファーに腰を下ろした川崎が微笑む。

 

「ありがとう、ありがとう……」

 

 悲しみと空腹に耐えかねた俺は、一心不乱にカレーを貪る。

 うめぇ。うめぇよおおお。

 

 里芋の煮っころがしをひとつ摘まむ。

 うめぇ、うめぇよ、おっかさん。

 

 サラダをかき込む。

 うめぇ。うめぇよ農家のみなさん。

 

「そんなに慌てなくていいから。ゆっくり食べな」

 

 うん。うん。

 サンジのチャーハンをかき込むギンの如く、俺は無心で目の前の料理を平らげる。

 

  面目ねェ、面目ねェ……。

 

 あっという間に目の前の器が空になる。手の中のグラスの麦茶も空になる。

 

 ふう。落ち着いたぜ。

 

「すごい食べっぷりだね」

 

「ああ、小町の料理を楽しみにしすぎて、昨日から何も食ってなかったからな」

 

「おかわりは?」

 

「いや、もう満足だ。美味かった。おかげで夜まで小町のメシを我慢できそうだわ」

 

「あんた変わってないね……いや、シスコンは拗らせてるか」

 

 空になった器を片付けながら苦笑する川崎に、急に気恥ずかしくなる。

 

「うるせ。シスコンを風邪と一緒にするな。シスコンは俺の誇りだ」

 

「はいはい、あんたが妹思いなのは知ってるから」

 

 お前だってそうじゃねえか。

 毒虫大志にけーちゃん大好きの、ブラコンのシスコンめ。

 あとロリコンでショタコンなら、めでたくグランドスラムだぞ。

 四大タイトル総ナメだぞ。

 

 だが今の俺には一食分の恩義がある。あえて何もいうまい。

 

「はい」

 

 食器を洗い終えた川崎が俺の隣に座り、目の前に何かをコトリと置く。

 だあっ、近い近い……ん?

 

 このフォルム。

 今はめっきり見なくなった縦長の缶。

 そして、この繊細で奇抜で、それでいて黄色系で統一された見目麗しい色使い。

 

 マッカンだ。

 

「お、お前……」

 

「あんたそれよく飲んでたろ。たまたま冷蔵庫にあったから」

 

 涙が溢れる。

 たかがマッカン、されどマッカン。

 俺の心は鷲掴みにされた。マッカン、いやマッカン様に。

 

「何から何まで、本当にありがとう……」

 

 自然と首が垂れる。

 ソファーに腰掛けたままではマッカン様に対して失礼なのは重々承知だ。

 だからせめて、マッカン様のプルトップよりも低く、深く頭を下げる。

 

「そんなのいいから。冷たいうちにどうぞ」

 

 マッカン様の御神体に触れる。

 約四ヶ月振りの、聖地千葉でのマッカン様。

 ありがたや、ありがたや。

 姿勢を正し、厳かにプルトップを引く。

 御開帳。

 左手で御神体の底を支え、右手で手前に三度回す。

 

「なにしてんのさ」

 

「いや、あまりにも尊くて、つい」

 

 苦笑する川崎の眼前で、マッカン様に口づけする。

 御神体の底を少し持ち上げると、口の中に強烈な甘さが広がる。

 まさに甘露。

 いや、聖水だ。

 聖水って、なんかエロい。デュフ。

 

 喉の奥に絡みつきながら、甘味が胃の中に落ちていく。

 

「そんなに嬉しそうに飲むとはね。買っておいてよかっ……あ」

 

 言葉を切り、口を抑える川崎。

 

「まさか、俺のために……?」

 

「ま、まあ、そうなる……かな」

 

 頬を染めて俯く川崎をじっと見つめる。

 

「そ、そんな目で見るなよぉ……恥ずかしいから」

 

「わ、悪い」

 

 何だよ。いつもよりマッカンが甘く感じちまう。

 これは……夏のせいだな。

 

「それさ、あたしもたまに飲むんだけど、強烈だよね」

 

「ああ、甘さに関しちゃマッカン様がトップオブザワールドだ」

 

「ふ、ふうん。それより甘いものはないんだ……」

 

「俺の知る限りでは、そんなもの存在しない」

 

「あ、あたし……それより甘いものを知ってる」

 

 な、何だと。

 それは聞き捨てならないな。

 

「ほほう、甘さでマッカンを凌ぐものがあるだと? 面白え、あるなら味わってみたいものだな」

 

「あるよ。あたしも話に聞いただけだけどね」

 

「なんだ、作り話かよ。存在証明が出来なけりゃ、マッカン様の地位は揺るがないぞ」

 

「試して、みる?」

 

「ああ。そんなものが現実に存在するならな」

 

「じゃ、じゃあ……」

 

 なんだなんだ。

 隣に座る川崎がにじり寄ってくる。

 動きが伝わり、息がかかる距離になり、体温までもが伝わってくる。

 

 ーー!

 

 ほんの一秒ほどだろうか。いや待て、時間の感覚がわからん。

 

「お、お前……何を」

 

 さっき俺の口に触れた柔らかい存在は、俺の目の前で僅かに震えていた。

 

「ど、どう? 甘かった?」

 

「わ、わからん。そんなことよりどういう……むぐっ」

 

 再び川崎の口唇が、俺の口唇に触れる。

 

  ーーとぅるん。

 

  何かが口唇を押し広げて侵入してきた。

 

  あ、これアレだ。ディープなやつだ……っておいっ!

 

「んんんー!?」

 

 さっきよりも長く深く、セカンドキスは俺の口内を蹂躙していった。

 

 お父さんお母さん、そして愛する小町よ。

 ぼくはオトナの扉をこじ開けられてしまいました。

 

 でも不思議なのです。

 

 思ったよりも、いや、全然嫌ではなく、むしろ気持ち良くなりそ……っておいっ!

 

「ーーはああ!? 何してんだよ川崎っ!」

 

「何って……試食?」

 

 それ、どっちがどっちをだよ。確かに川崎の口唇とか舌の感触とか知っちゃったけどさ。うわぁ、また感触が蘇ってきちゃうじゃねーかよ、コンチキショー。

 

 当の川崎は、目をとろんと潤ませている。

 とろんと、といってもカナダの都市ではない。

 

 うわっ、今頃になって心臓が踊り出した。

 鼓動が強く速くなって、時折変拍子を刻んでくる。

 

「よ、よくいうじゃない。ファーストキスは蜜の味……ってさ」

 

「言わねえよ初耳だわ何だそれ。大体だな、大事なファーストキスを俺なんかに……」

 

「あんただからあげたんだよ。文句ある?」

 

 何なのこいつ。急に開き直りやがった。

 でもそれって。もしかしたら。もしかして。

 

 いや、ないない。

 俺なんかが……。

 

 俺なんかで、いいのか……?

 

「あたしが勝手にしたことだから、あんたは気にしなくていいよ」

 

「いや、そういう訳にはいかんだろ」

 

「ま、飼い犬に手を噛まれたと思ってとっとと忘れな」

 

 それ喩えおかしいからね?

 そもそも川崎を飼い犬にした憶えはねぇし。

 つーか、ここまでされて不慮の事故で済ますほど俺はアホではない。

 いや、やっぱアホか。

 

 頭の中で言葉を整理して居住まいを正し、川崎へ顔を向ける。

 しかし、俺が言葉を発する前に川崎が語り出した。

 

「……二年のときの文化祭」

 

「あの時から、ずっとあんたのことが好きだった」

 

「ずっとあんたのことを見てた。何度も声を掛けようと思った。でも、あんたの周りはいつも奉仕部の二人がいて……」

 

 川崎のすすり泣きが耳に響く。

 尚も川崎は言葉を重ねる。

 

「見てるだけしか出来ない自分が歯痒くて、もどかしくて、情けなくて……」

 

「卒業式の後、決めたんだ。もしこの先、偶然でもあんたに再開する日が来たら、絶対に想いを伝えよう、って」

 

 重い。

 とてつもなく重い。

 だが不思議と嫌ではなく、その途切れ途切れの言葉の持つ重さは、心地良く俺の心にのしかかる。

 

「だから、さっきのはあたしの自己満足。あんたは気にしなくていいよ」

 

「いや普通に無理だから」

 

 言い返した途端、川崎の表情が曇る。

 そうじゃねえ。そうじゃねえんだよ。

 

「あ、いや、その……お前ばっかり自己満足して終わらせようとすんじゃねぇってことだ」

 

「どういう、こと?」

 

「あーもー、ちくしょう!」

 

 腹は決まった。

 言葉も組み立てた。

 あとは、それをぶちまけるだけ。

 だが、口から出た言葉は、考えた内のどれでも無かった。

 

「お前、卑怯だよ。こんなことされたら、もう勘違いと片付ける余地がねぇじゃねーか」

 

 頭の中が真っ白になる。だが、裏腹に口は止まらず、整理のつかない、主旨すら定まらない言葉を吐き続ける。

 

「もしかしたらずっと前から心の何処かにあった気持ちなのかもしれない。だが、明確になったのは今だ。つまり、その、なんだ……」

 

 息を深く吸い込む。

 きっと、この言葉を発したら、全てが終わる。

 

「たった今、川崎沙希に惚れました。以上」

 

 あーあ、 言っちまった。

 ついに言っちまった。

 取り返しのつかない言葉を。

 俺が二度と口にしないであろう、言葉を。

 さすがに川崎の顔を見ては言えなかったが、情けないことにそれが俺クオリティだ。

 

 顔を上げると、川崎は呆然としていた。それでいて、涙だけが双眸から溢れ出している。

 

「で、でも、由比ヶ浜は……雪ノ下は……?」

 

「確かにあいつらに惹かれていた。だけど、あいつらは……仲間だ。恋とか愛とか、そんなんじゃねぇ」

 

「せ、生徒会長……一色は?」

 

「ちったぁ可愛げはあるが、めんどくせー後輩だ」

 

「じゃ、じゃあ……」

 

「もうやめてくれ。他の女の名前を出すな。出していい名前は小町と戸塚だけだ」

 

 うっかり戸塚の名前を出してしまったが、悲しいけどそれも俺クオリティ。

 マッカンの残りを一気に煽り、強烈な甘みで喉の渇きと緊張を緩和させる。

 

「川崎沙希さん、俺なんかで良ければーー」

 

 くに。

 

 突然、川崎の指が俺の両頬をつまみ、左右に広げてきた。

 

「は、はひふ……」

 

「ーー馬鹿じゃないの? あんたが自分を卑下するってことは、あたしの気持ちも卑下することなんだよ」

 

 眉根を寄せた川崎の顔は、真剣に俺を責めていた。

 

「あんたじゃなきゃ嫌なの、あたしは。だから」

 

 両頬から指が離れ、代わりに掌が添えられる。

 少し冷んやりとしていて、暖かい手だ。

 

「あたしを好きでいてくれるなら、他はいらない」

 

 俺は、川崎に三度目の口唇を奪われた。

 

  * * *

 

 思えば、今日川崎と再会したのは単なる偶然だ。

 だがこいつには、川崎沙希にはその偶然を必然に変える力があった。覚悟があった。

 俺は、その覚悟に絆されたのだろう。

 

 今の時刻はごご三時半を少し過ぎたあたりだ。

 あれから川崎は俺の肩に寄り掛かって時を過ごしている。

 時折俺は、その川崎の長く艶のある髪に指を通す。

 

 なんだこれ。

 至福の時間じゃねーか。

 

 神様。

 今まで信じてなくてすみませんでした。

 貴方は俺に不幸ばかりを届けるものだと決めつけていて、すみませんでした。

 でも、やっぱり俺は貴方が嫌いです。

 こんな不意打ちを仕掛けてくる貴方が嫌いです。

 

 今回は許してあげますけど。

 

  * * *

 

「で、どうだった?」

 

 言葉が川崎の頬から俺の肩に振動となって伝わる。

 おお、これが宇宙でノーマルスーツどうしを接触させて喋る、あの原理か。

 

「何がだよ」

 

「キス……MAXコーヒーより甘くなかった?」

 

 いやいや、甘いなんてもんじゃなかった。

 こいつの口唇は、どんな甘味料よりも甘くて、どんな美味い料理よりも幸せを感じられた。

 

 だが川崎沙希よ。

 俺は捻くれているのだよ。

 小町曰く、俺のは捻デレらしいけど。

 

  だから俺はこう返すんだ。

 

「いや、カレー味だった」

 

「ーーバッカじゃないの……あっ」

 

 川崎の言葉を遮って、俺はその肩を抱き寄せる。

 顎の下に手を添えると、抵抗感なく持ち上がる。

 

 そして。

 

 四回目は、俺が奪ってやった。

 味は、甘くてとろけるカレー味だった。

 




久しぶりの投稿。
そして、初めてのスマホからの投稿です。
やはりスマホでの執筆は慣れないとペースが遅いですね。
仕事の合間に書いたこともあり、たった7000文字に足掛け二日かけてしまいました。

という感じで、
今回は八幡とサキサキの短編でした。
感想、評価など頂けたら嬉しいです。

はぁ……
俺ガイル12巻、早く出ないかなぁ。

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