現在、新しい店員が入って2週間が経過した。今では主力と言っていいほどの料理技術を持った珍しい服装の男性である。身長は高く180は余裕で超えているだろう。白い髪に落ち着いた雰囲気を醸し出す青年、シロウ・エミヤと呼ばれる人である。
現在豊穣の女主人にて、テーブルを朝早く1人で磨いている金髪の女性、リュー・リオンはちょっとした考え事をしていたのである。
ちなみに現在は午前6時過ぎ。1時間後には二階から同僚達やミアが起きてくるだろう。本来はリュー自身もその時間に起きるはずなのだが、いかんせん目が冴えてしまったのである。
もともと二度寝するような性格もしていない彼女。ならばできることはやっておこうと寝起きで動かしづらい体を起き上がらして、テーブル磨きを行っていたのだ。
それにしてもここ最近は忙しいと感じているリュー。それを露骨に感じ始めたのは1週間前、シロウの噂が世間に流され始めた時期である。
確かにあの顔の整いは人間にしては珍しい。そして当たり前ではあるのだが、客に対して態度がいい。その中でもイラツキがでない程度の皮肉と、それを許される童顔ときたものだ。酒飲みの男達もそこそこ気に入っているらしいし、何より女性受けが非常にいい。それを妬む男性客もいないわけではないのだが、仕方ないあいつならと浸透し始めている節もある。
端的に言って、つかめない男だとリューは思う。皮肉屋であり優しく、料理スキルはこの店自体がオラリオ少数の有名店でありながらトップクラス。そして立ち振る舞いが多くの戦を勝ち抜けた者のそれであることだ。少なくとも今の時代、ステイタスなしであそこまでの雰囲気を醸し出す人は少ないだろう。他国の傭兵だったとしても、少なくとも噂ぐらいは立つのではと思うほどに。
ザーッと雨が降り続き、雨と土が混ざり合う特有の香りを感じながら、テーブル拭きを終えた彼女は椅子に座る。一度思考を止め、ただただ雨を眺める。
昔から雨が好きだったリュー。見るだけでも心は落ち着き、雨音をBGMとして読書するのも好きだった。少し肌寒くなる感覚も、雨が消え去った後に残してくれる虹も。
頬杖をつき、少しまた眠けが襲ってくるものの、ただ静かに、雨を見続けていた。
不意に、二階から階段で降りてくる足音が聞こえてきた。足を下ろすたびに不自然な音を鳴らす木製の音が空気を揺らし、リューの耳に届かせる。
「おはよう、リュー」
挨拶をよこしたのは先ほど脳内で考えていた男であるシロウ・エミヤその人だった。
眠そうではない姿からして、毎朝起きているのだろうか?ともかく適当に挨拶を返し、疑問をぶつけるか迷った末ーーー
「おはようございますエミヤさん。それにしてもこんな時間にどうしたのですか?」
別に彼女は他人行儀ではない。ただ元々誰に対しても敬語を使う。それだけのことだ。
「ここ1週間は朝食を担当するように言われていてね。材料は昨日確認したから、どのようなメニューにするか悩んでいるところなのだ。そうだなリュー、何か食べたいものがあれば、そちらにしようと思うが?」
まさか質問の答えに質問がおまけつきで帰ってくるとは思っていなかったので、少し言葉が詰まってしまうリュー。
未だ雨の方に体勢を傾けていながらも、シロウの方に顔を向けて話す。
「定食なんてどうでしょう?」
「ならどの食材が欲しいかね?」
「そうですね……焼き魚などどうでしょう?エミヤさんの魚料理は同僚達からも人気ですし、アーニャはきっと大喜びだ」
アーニャは獣人の猫人だ。中には魚が苦手な人もいるらしいがそれはごく少数らしく、基本大多数が魚が大好きな種族である。もちろん美味しければ美味しいほどその料理を好きになるのは当然であり、シロウの焼き魚はこの店の猫人に大人気になった。
「ふむ……ならばそれでいこう。そういえば、確か今日はマスターが弁当が必要と言っていたようだが?」
「ええ、今日は少し遠出するらしくて。夜には帰ってくるらしいですがね」
「ならば同時に作ってしまった方が効率がいい。揚げ物でも作るか。そうだリュー、どうせすることもないのだろう?ならばついでと言ってはなんだが、私を手伝ってはくれまいか」
その言葉をきっかけに、不意に辺りが静まり返り、聞こえるのは雨音だけ。ただリューが返事をしないだけであるのだが。
「どうしたのだリュー?もしや料理店で働いてる身でありながら、料理ができないわけではあるまい」
いまだ返事をしないリュー。なぜならそれは、この皮肉が冗談の類であることを理解していながらも、湧き上がる怒りと羞恥が襲ってきたのだから。
「……りです」
「ふむ?すまないがもう一度言ってはくれまいか」
「……その通りです。私は料理ができません」
現在、厨房にて。
只今シロウとリューは先ほどまでの惨状を目の当たりにし、その結果の残骸を見ていたのである。
その惨状とは、辺りに散らばる油と、何故か衣をつけないで揚げた唐揚げが真っ黒焦げで皿の上に乗っかっているためである。素揚げというなればまだしも、この炭と題しても不思議ではない代物と油がはね散った現状を見て、シロウはため息を溢す。
正直に言って、シロウは先ほどのリューの言葉をめんどくさがったが故の冗談ととっていたため、それが本当だとわかって後ろめたさや申し訳なさが少々表に出てしまった。それだけのことである。
「何故このようなことに……」
それはただ正しいプロセスを踏んでいないだけだといまだに理解していないリュー。何故ここまで私は料理ができないのか本当に理解できない、そんな顔を出している。一度サンドイッチを作るときに黒焦げにした実績を誇る彼女である。
ただ、これには一応少しの言い訳はあるのだ。
彼女は至極真面目だ。基本自分の趣味を持っていないということもあるが、ほぼほぼ毎日仕事、接客業をこなしている。
一度同じ料理をした時、全く同じことをこの店に初めて来た時に行い、そこから接客業の話に持って行かれたとか、ミアや料理担当の店員達は完全に感覚系の料理人であったために他者に仕事を教えるのができなかったのである。
接客業に関しては親友であるシルと呼ばれる少女、このエミヤに1番最初に対応した銀髪の少女に教わったために対応できた。因みに、何故かコーヒーだけは旨く入れられるという謎の偏った能力の持ち主である。
はねた油をとりあえず拭いて、シロウはエプロン姿に着替えて準備を始めた。ガタイがいい割にはエプロン姿がやけに似合うその格好は、面白みはあるものの、笑うことはできない代物だった。
「リュー、まずは手本を見せてやる。淑女たるもの、一つは料理を覚えるべきだからな」
その言葉に、むっと思うリューであるが、実際問題料理をできないのは事実。言い返せず黙って頷く。
「まずは油を温める。180度くらいまでにだ。菜箸に衣をつけ、一度油に落とす」
真ん中ぐらいに落とした衣は、スーッと静かに油の音ともに浮かび上がる。
「だいたいこれが180度くらいだ。一度に全部を入れてくれるな。油の温度を下げないためにも、少しずつやるんだ」
その後、実際に2度揚げやら、成功例を見せ続けていく。綺麗に揚げられたそれは輝いていて、仄かに香るジューシーな肉汁の香りが辺りを漂う。食べてみれば揚げたてのために熱さが尋常ではないものの、塩が肉の味を際立たせ、最高の一品と呼べるものになっている。
「では、やってみろ」
リューはシロウから菜箸を手渡しされ、油と残された鶏肉の前に立たされる。
静かに、積み木を高く積み上げる子供のような真剣な表情で、鶏肉を一つずつ、丁寧に、言われたプロセスを守って揚げていった。
ワンセットを作り終えたところで、安堵の声を漏らしながらリューは一度唐揚げが盛られた皿に菜箸を置く。
流石に一度ではシロウのような美しい揚げ方はできなかったものの、きつね色に上がったそれは充分に食欲をそそるものであるのには相違ない。
それを見て任せられると安心と確信を持つことができたシロウは、リューの肩に手を置く。
「では私は他の料理を始める。あとは頼むぞ」
手を離しシロウは他の料理を始めるための準備を行う。丁寧に食材や調理器具を扱うシロウを少しの間見つめてしまうリュー。因みに、リューは聞いていたのだが、シロウがこの店の採用試験をしていた際、ミアも見ていたらしいのだ。ミアはその時、丁寧に食材などを扱うところを見て、たとえ料理が基準に満たさなくても採用するのは吝かではなかったらしかったということを。
とにかく、彼女は少し単純かなと思ってしまうほど、初めて成功した料理に楽しみを抱き始めていた。現在6時半。できる限り揚げてしまおうと残りの肉を丁寧に揚げていく。鼻歌を歌いながら。
雨音と、油の音と、シロウが作り出す包丁の音と、リューの子守唄。自然と調理が生み出す四重奏が作り出す心地よい雰囲気がふたりを包む。
リューは、気づかない。それはただ料理に新たな感情を抱き始めていただけなのかもしれないし、自然すぎて理解が追いつかなかっただけなのかもしれない。
ただ、シロウに触られたとき、エルフ特有の嫌悪感を抱かなかったことは、純然たる事実だ。
頑張りましたがひどい出来ですねぇw気になったところは順次直していきます。