エルザの落ち度を上げるとすれば、少しでもブリジットの危険を減らそうと頑張りすぎた事だった。
天井から倉庫内に侵入し、奇襲を仕掛けたところまでは良かった。四、五人を血祭りに上げた後、何かの不幸か彼女の側に積み上げられていた廃棄資材が崩れたのだ。
常人ならばそのまま押しつぶされて死んでいただろう。
けれども彼女は常人ではない。
義体だ。
咄嗟の判断でその場を飛び退き、即死は免れた。けれども犠牲は大きい。
彼女のその小さい足は資材に押しつぶされて、使い物にならなくなっていた。
1/
エルザの運の良かったところは、彼女と銃撃を繰り広げていた男たちでさえも、突然の出来事に対処しきれなかったことだ。
一瞬、何が起こったのかわからなくなっていた男たちは、自分たちにとっての最大の脅威であるエルザの継戦能力が奪われたことを瞬時に理解できなかった。
だからこそ一瞬の間が生まれた。
その間が彼女の命を少しだけ救った。
「エルザ!」
物陰から飛び出してきた影が、男たちとエルザの間に割って入った。
驚いた男たちの放った弾丸が影に突き刺さる。けれども彼女は苦悶の声を上げながらも、決して怯むことはなく足の潰れたエルザを抱えてその場を飛び退いた。
「邪魔するな!」
鮮血を撒き散らしながらも、影――ブリジットはSIGを抜いて数人を打ち倒す。全ての弾丸を撃ち尽くし、スライドが開ききったそれを捨て、背中に背負っていたHK416を乱射した。だがそれも数発を放ったところで突然動作を停止する。
鉄パイプを受け止めたときに歪んでしまったのか、排莢口に薬莢が詰まっていた。
「こんなときに!」
両手が空いていれば無理にでも薬莢を吐き出させたのだが、エルザを片手で抱えている今はそれも叶わない。
代わりにライフルのストックを握りこんで、進路に立ちふさがった男を殴打した。3.5キロ以上もある物体で殴られた男はボーリングピンのように吹っ飛んでいった。いよいよ駄目になったHK416を男たちにぶん投げ、彼らから逃れるように倉庫を飛び出した。
2/
雨脚は突入時よりも強く、俺とエルザの血を洗い流していた。
これなら血に跡を辿られずに好都合だと、廃倉庫街を駆ける。
何とか落ち着いて通信ができるところまで逃げ切れればこちらの勝ちだ。ここから少し離れたところで張っているトリエラとヘンリエッタが応援に来てくれるだろう。
「ブリジット、あそこ……」
エルザに指さされて、一つの倉庫の中に逃げ込んだ。中にはうち捨てられたコンテナと重機が散乱しており、隠れるにはうってつけだった。
俺は中にエルザを下ろした後、手近なバールを掴んで扉の取っ手に巻き付けた。義体の怪力ならではの籠城方法だ。
「はっ、はっ、くそっ!」
エルザの横に腰を下ろし着ていた上着を脱ぐ。痛みはそれほどないが、両の手で数えられるくらいには銃創を身体に刻んでいた。
特に右脇、背中側の銃弾をどうにかしなければ内臓を傷つけかねない。
装備として支給されていたナイフを取り出し、その刀身をじっと見つめる。
訓練でも座学でも教えられた方法だが、いざ実行に移すとなると恐怖感で手が震えた。
「ブリジット、服を脱いでこちらに背を向けなさい」
そんな俺の迷いを感じたのかエルザがそう提案した。いや、提案といってもそれは殆ど有無をいわせないような口調だった。
彼女は潰れた足を引きずって俺からナイフをひったくる。
「医療用装備はさっきの倉庫に置いてきたわ。たとえ痛みを感じにくい義体でもこればかりは痛いと思う。鎮痛剤も何もないからとんだ荒療治ね」
服を脱いで素肌を晒した俺の背中をエルザが撫でる。
彼女は傷口の周辺をぐっ、ぐっと押し込んで中に食い込んでいる弾丸を探した。
「あった。それほど深くない。いくわよ」
エルザに言われて、俺は脱いだ上着を噛んだ。舌を噛まないためだ。
ナイフの切っ先が人工皮膚と筋肉を突き破り、少しずつ銃創を広げていく。
「んーっ! んーっ!!」
痛みを遮断する脳内物質が効かなくなったのか、この身体になって初めての特大の痛みがやってきた。
ナイフが中を蹂躙し、その感触が吐き気を催す。
そしてとどめといわんばかりに、エルザの小さな手が傷口の中に入ってきた。
「ぎっ!」
思わず飛び退きそうになる激痛。けれどもエルザはもう片方の手で俺の腹をしっかりと押さえ込んでいた。
がっちりとその場に固定された俺は情けない声を出して呻くしかなかった。
「大丈夫! もうすぐ終わる! 弾を見つけたから! 動かないで!」
エルザの手が何かを掴む。そして直ぐにゆっくりと彼女は手を傷口から抜いた。
糸を引いた血液の中に、鈍く光る金属片があった。
「大丈夫だから、あなたは死なせない。何があっても、私はあなたを救う」
そういって、エルザは俺の上着を引き裂いて綿代わりに傷口に押し込んだ。義体流の応急処置だ。上から残された上着で縛り上げ、とりあえずの出血を抑えてくれる。
痛みから解放された安堵からか、ぎりぎりのところで踏みとどまっていた嘔吐感が決壊し、吐瀉物をその場へぶちまけた。
けれどもエルザは嫌な顔一つせずに、そっと背中を撫でてくれた。
「大丈夫、大丈夫、よく頑張ったね」
年下の子にここまでやらせた自分がえらい情けなくて、俺は嘔吐とは別の涙をぽろぽろとこぼした。
3/
「無線、通じないね」
二人して装備品の無線を弄くり回す。激しい戦闘の中で何処かぶつけたのか、二人とも無線は沈黙を保ったままだ。
応援を呼ぼうとした試みも、開始早々頓挫した。
「エルザは武器に何を持っている?」
彼女は無言のまま、懐からハンドガンを一つ取りだした。
「サイドアームだから予備の弾倉はないわ。ベレッタ84。総弾数は14発」
彼女の小さな拳銃は正直、武器としては心許ないものだった。これ一つであれだけの男達相手に張り合うのは到底不可能だ。負傷をし、動きが鈍っているのならなおさらだ。
俺のそんな心情を察したのかエルザはため息を吐きながら言葉をこぼした。
「なら籠城戦ね。さすがに一定以上の時間、私たちから連絡がなければラウーロさんやアルファルドさんも異常に気が付くはず。そうすれば応援だって呼んでくれる」
せめてアサルトライフル一つでもあれば違ったのだろうが、贅沢は言ってられない。俺はエルザから借り受けたベレッタをホルスターに納めると、足の動かない彼女を物陰に移動させて、扉が狙えるような高台を探した。ちなみにエルザの応急処置は俺のゲロが収まったあとに行った。
「ブリジット……」
ふと、裾を掴まれる。それはいつかの廊下ですれ違ったときを思い出させる、彼女の行動。けれどもあのときと決定的に違うのは、こちらを見ている彼女の青い瞳が不安に揺れていることだった。心細くなったのか、と「大丈夫。エルザのことは守るよ」と笑ってみせれば「違う」と首を振られた。
「あなたはまだ動ける。ならこの倉庫を抜け出してアルファルドさんたちに助けを求めるべきだわ」
エルザの言葉には正直面食らった。
「馬鹿なことを言わないで。置いてはいけない」
「いいえ、置いて行きなさい。でないと、私はあなたに受けた恩を返せない」
頑なに俺の行動を拒むエルザの意図が正直いってわからなかった。何より彼女に「授けた恩」など身に覚えがないのだ。エルザが知っていて俺が知らない。
ここ数日感じていたこの世界に対する不信がまたもや鎌首をもたげてくる。
俺はこれまでの苛立ちと恐怖を誤魔化すように、エルザを怒鳴りつけた。
「そんな覚えてもいないことでぐたぐだ言われても知るもんか!」
「ええ、でも私は覚えている!」
驚いたのはエルザまでもが声を荒げたことだ。原作では冷静な、大人しい義体として描かれていただけにこれは意外だった。
思わぬ反撃に怯んだ俺は、何も言えないままに視線を逸らした。だがエルザは追撃を止めない。
「覚えていないのなら私が教えてあげる! 私があなたからもらった全部のことを!」
4/
エルザが言うには、その日も今日のような雨だったそうだ。
「あなたが義体として初めて戦う任務の日、バックアップについたのも私だった」
任務内容は極単純な、五共和国派の連絡員一人をローマ市内の地下道で拘束するというもの。
「はっきり言って疎ましかったわ。義体になって数ヶ月も経ってる癖にまともに戦うことのできないあなたが。それに、そんなあなたでも担当官であるアルファルドさんに愛されていたことが。彼はあなたを任務に送り出す最後まで心配していた。私はどれだけ頑張ってもラウーロさんに褒められたことすらないのに」
そこでエルザの表情が曇ったのは見間違いでも、幻覚でもないと思う。
「だから私はあなたに冷たく当たった。怯えるあなたを怒鳴り立てて、任務だからと地下道に追い立てた」
エルザの口から語られるのは俺の知らない記憶。
けれど不思議と、それまで感じていた恐怖感はなかった。なくなっていた。
「馬鹿ね。そんな八つ当たりをしていても仕方がないのに。でも当時は何も疑問に思わなかった。あんなに人から愛されているんだから、それくらい構わないと思っていた。だからかしら、罰が当たったのは」
エルザは足の痛みに耐えるように息を吐いた。
「連絡員は一人じゃなかった。二人いたのよ。そのうちの一人があなたから逃げてこっちにやってきた。普段なら何てことはなかったんだけれども、運が悪かったのか、それとも私が油断しすぎていたのか、私はそいつと揉み合いになった。しかも銃まで取り落として状況は限りなく悪かった。まあ、ナイフの一発くらい食らっても死なないし、逆に殺してみせる自信はあったからそれほどは焦らなかった」
矢継ぎ早にそう告げてエルザがこちらを見つめた。
「そんな時よ。あなたが私と男の間に割り込んできたのは。大した戦闘能力もないくせに、さっきまであんなに怖がっていたのに、あなたは男のナイフから私を守る盾になった。まあ、おかげさまで男を無傷で拘束することはできたけど」
彼女の瞳に宿るのは呆れと、俺の勘違いでなければ感謝。
「ありがとう。臆病なお姫様。あの時は傷ついて倒れるあなたに罵声しか吐けなかったけれど、今ようやっとお礼が言えた」
「もしもそれが本当だとしても、お礼を言われるようなことじゃないよ」
俺の言葉にエルザはゆっくりと首を横に振る。そして彼女はその小さな手で俺の頬をしっかりと掴んだ。
視線と視線ががっちりと噛み合う。
「いいえ。あなたの献身と勇気はあなたが考えている以上のものを私にくれたわ。誰にも愛してもらえない。道具としてしか見てもらえないという、世界に絶望していた私に希望をくれた」
その時になって初めて、俺は彼女の笑顔を見た。それは、見惚れるほどに綺麗な笑みだった。
「あなたは知らないかもしれないけどね、当時の私は自殺すら考えていたの。ラウーロさんを道連れにすることすら考えていた」
5/
エルザの告白は最後まで続かなかった。
何故なら倉庫の扉を押し叩く音が鳴り響いたからだ。咄嗟にエルザを物陰に押し込み、俺は銃を取って立ち上がった。
「ブリジット、早く逃げなさい」
「嫌だ」
「ここであなたまで死んだら意味がない」
「そんなの関係ない。ここでエルザを見捨てる方が嫌だ」
「分からず屋! もうこれ以上あなたから助けて貰いたくない! これ以上受け取ったらもう返せない!」
「返さなくてもいい! そんなものどうだって!」
扉がこじ開けられた。男が四人見える。俺はその中心に飛び込んだ。
まさかここにきて奇襲を掛けられると思っていなかったのか、そいつらは目に見えて狼狽えた。
「しぶとい化け物め!」
一人目をベレッタ84で撃ち倒す。初めて使った銃だが不思議と手に馴染む。リコイルの感触がもしかしたらあっているのかもしれない。
「うおっ!」
二人目は三人目をハイキックで牽制してから銃弾をたたき込んだ。一発目が急所を外したので、二発目、三発目と胸に撃ち込む。そして掠ったハイキックに驚いている三人目を近距離からのヘッドショットで殺した。
残るは一人。
大丈夫。弾は残っている。この距離なら外しようもない。義体特有の瞬発力と反射神経を活かして最後の一人に狙いを定める。
振り向きざま、銃の射線が男に重なった。
あとは引き金を引くだけ――
「ブリジット!」
エルザの声が聞こえたのと、視界に星が飛んだのは同時だった。不意に感じた衝撃に耐えきれず、俺は無様にも地に転がった。視界が真っ赤に染まり継続的な痛みが思考を支配する。
「くそっ、悪魔め。お前のせいで大勢が死んだ!」
ああ、もう一人いたのか。
俺の血で汚れた鉄パイプを持った男を見て、失敗したな、と思った。もう少し、もう少しだけでも注意深く敵を観察するべきだった。
「おい、こいつを連れ出せ。兄弟たちの仇だ。楽には殺さねえ」
身動きが取れない身体を、二人の男に抱えられる。倉庫内から外に放り出され雨粒が頬を打った。
視界の隅で、男たちが銃を準備しているのが見える。おもむろに一発。右足に撃ち込まれた。
「やめてっ! やめなさい!」
エルザの叫び声が雨音に混じって聞こえる。次に一発。今度は左の手のひら。
ああ、本当に嬲り殺すつもりなんだ、とどこか他人事のような感想が漏れた。痛みは既になく、雨があふれ出る血を洗い流していく。
「おい、もう弾がないぞ」
「こっちはあと一つだ。ちっ、まあ良い。こいつの他には足の潰れた死に損ないだ。始末は難しくない」
目には見えないが、銃口が頭部を狙っているような気がした。恐らくそれは間違っていない。
あまりにも呆気ない終わりに、正直拍子抜けだがこんなものなのだろうか。
せめて一撃で殺してくれと、俺は瞳を閉じた。