ブリジットという名の少女【Re】   作:H&K

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第四話「分岐1(Brigit's Flag )」

 CFS症候群を患い、先天的に四肢が麻痺していた少女は両親が17枚の書類にサインしたことによって救われた。

 いや、正確には両親が17枚の書類で売ったと言うべきか。

 年の初めに、内閣がひっそりと募集した、身体障害者の社会参加プログラム。

 生まれてこの方、病室のベッド以外の世界を知らない彼女は、11歳の誕生日に自由に動く手足を手に入れた。

 少女――、リコは毎日目が覚めるたびに、己の手足が意思通りに動くことを確かめる。

 四肢が思い通りに動くことが、何よりも嬉しい。

 端から見たらそれはきっと些細なことだが、本人にとっては生きることよりも大切なことだった。

 

 

1/

 

 

「何度教えればできるようになる。出来損ないの道具は必要ない」

 

 いつも通りの訓練を終えた昼下がり。満点のスコアをアルファルドに褒められていた俺とは対照的に、リコは担当官であるジャンから罵倒を受けていた。

 社会福祉公社に所属する義体運用チームは千差万別。

 ジョゼやヘンリエッタのような兄妹のようなフラテッロ。

 ヒルシャーやトリエラのように教師と生徒のようなフラテッロ。

 そしてリコやジャンのように、道具とその使用者のようなフラテッロ。

 俺とアルファルドはどんな関係か、例えることが難しい。

 けれどもそれぞれがそれぞれの個性を表した関係性を築いていることは確かだった。

 

「相変わらずの才能だ。こちらからは殆ど注文のつけようがないが……あえて指摘するのなら指切りの頻度が多い。弾の予備はいくらか持たせているはずだから、もっと撃ち切るつもりで構わないよ。頻繁な指切りはジャムの可能性を高める」

 

 アルファルドがなにやら講釈を垂れていたが、正直言って殆ど聞いていなかった。

 彼の背後で、ジャンに叱責されるリコの事がどうしても気になってしまったからだ。

 とかいって、集中していないことを悟らせるような真似はしない。いかにも理解した、という風を装って頷き、もう一度ライフルを構えた。

 

「次にバーストで10秒間だ。見ているからやってみなさい」

 

 言われてセミオートからフルオートに切り替える。後は的に銃口を向けて引き金を引くだけ。連続した銃声は聴覚保護のヘッドセットを付けていないと非常に五月蝿い。けれどもそれで外すようなことはしない。

 この身体の性能はいい。いつでも当てたいところに弾を当てられた。

 

「どうやらそっちの義体は射撃については完璧らしいな」

 

 いつの間にそこにいたのか、アルファルドの背後にジャンが立っていた。ヘンリエッタの担当官であるジョゼとリコの担当官のジャンは兄弟であり、ジャンが兄だ。また、義体を使った実働部隊のリーダー的存在でもある。

 彼は義体を個人的な復讐の道具として見ており、決して人間扱いはしない。

 そのあたりはジョゼやアルファルドとは正反対の人間だ。

 彼のそのスタンスについてこちらから何かを言うことは決してないが、個人的にはあまり好きにはなれない人物だ。この後の彼や、彼の生い立ちを考えればいろいろと複雑なのだが、今はそこまで考えている余裕などない。

 

「ブリジットの努力の賜物だ。ここに来た頃はハンドガンひとつ扱うのに苦労していたからな」

 

 そしてアルファルドもジャンのことを快く思ってないらしく、返事の仕方も他に比べてぞんざいだ。ついこの間に聞いた話だが、二人はもともと軍人時代の同僚らしく、その時から中々険悪な関係だったらしい。

 

「そうか。ならその才能を少しでもリコに分けて貰いたいものだな」

 

 俺の前に立ったジャンは少し眉根を寄せて俺を見下ろしてきた。俺は睨み返すわけにいかず、いかにも戸惑っているという感じに表情を形作った。

 彼の勘は恐ろしく鋭い。

 もしも俺がイレギュラーな義体であること、他とは違う精神構造の義体であることが見破られてしまえば、命の保証は無い。

 従順な義体を演じることがこの世界における処世術だ。

 

「まあいい。それよりアルファルド、次の作戦の日取りが決まった。訓練は中止だ。直ぐにブリーフィングルームに来い。ブリジットにも出張って貰う」

 

 ジャンが視線を外すことでプレッシャーから解放される。代わりに仕事の話が彼の口から告げられた。アルファルドは面倒だ、という心情を何一つ隠さず、やれやれといった風に「了解」と返した。

 

「ブリジット、先に帰って休んでいてくれ。HK416の分解清掃はこんど教えよう。それは管理部に返却しておいてくれ」

 

 わかりました、と返事を一つ。身につけていた聴覚保護のヘッドセットを取り外して撤収の準備をする。

 すると視界の隅で鼻血を垂れ流したリコを見つけた。彼女は血を滴らせたまま、俺と同じように銃器の片付けを行っている。

 おそらくジャンに殴られたのだろう。けれども怒った様子もなく、彼女は何でもないかのように振る舞っていた。それが余りにもあれなので、俺は咄嗟にハンカチで彼女の顔を拭っていた。

 

「鼻は折れてないけれど、冷やした方がいいかもしれません。一緒に医療棟にいきましょうか」

 

「うーん、でもジャンさんに銃の手入れをしろと言われているから今度でいいよ」

 

 何が今度なのか、という突っ込みを何とか飲み込む。

 そう、このリコというボーイッシュな少女はヘンリエッタ以上の担当官至上主義だ。ジャンの命令とあれば、死ねという命令ですら享受する、本当の意味でのお人形。

 もちろん、彼女は原作が進行するにつれ徐々に人間らしく成長していくのだが、今の段階では見る影もない。

 その無邪気さと純粋さがとある一つの悲劇を招くのだが、今の俺にどうこう出来ることはない。

 

「そうですか。ならトイレに行ってそのハンカチを冷やして当てときなさい。それくらいなら別に構わないでしょう」

 

 これ以上、好意を押しつけても無駄だとわかっているので、俺はそれから何も言わずに訓練場を去った。

 リコが応急手当をしようが、しまいが、変えられる未来など、何もないのだ。

 

 結局私が、それを願って何もかもを失ってきたみたいに。

 

 

2/

 

 

 彼女は私には無いものを皆持っている。それは黒の綺麗な長い髪であったり、身長だったり、或いは人を殺す技術だったり。

 訓練場で一人残された私は彼女から受け取ったハンカチを見た。

 私の血で汚れたそれは、間違いなく彼女の優しさの証。

 けれども私はそれの受け取り方がよくわからないから、お礼も言えないままこうして一人立ち尽くしている。

 

「ブリジット」

 

 彼女の名前を呼ぶが、それで彼女が振り返ることはない。

 ただ一言「ありがとう」と言いたいだけなのにそこから私の足が動くことはなかった。

 

 

3/

 

 

 アルファルドは公社の屋上でタバコを咥えていた。どれくらいそうしていたのかはわからないが、そろそろ戻ろうか、と考えたとき、ふと声を掛けられた。

 

「お姫様が嫌うから禁煙したんじゃなかったのか」

 

「……ヒルシャーか。咥えタバコだ。問題ない」

 

 そう、彼に声を掛けたのはトリエラの担当官、ヒルシャーだった。彼はアルファルドの隣に立つと、ぽつりぽつりと言葉をつないだ。

 

「サッサリ・カソリック急進党のマスカール下院議員、彼が手に入れた政治スキャンダルの抹消が次の仕事か」

 

「スキャンダルだけで終われば良かったんだがな、依頼主の大物政治家は議員そのものを消してしまいたいらしい」

 

 苛立ちを抑えきれないのか、アルファルドはその場で地面を蹴飛ばした。

 ヒルシャーはそんなアルファルドに眉一つ動かすことなく、むしろ穏やかな調子で続けた。

 

「アゴスティーノ・フォン・ゲーテハルト。今回の依頼主だ。やはり気になるのか?」

 

「ヒルシャー、それを本気で言っているなら今すぐお前を病院へぶち込んでやる。症状は何が良い?」

 

 タバコを吐き捨て、アルファルドがヒルシャーに掴みかかった。

 元軍人でもあるアルファルドは素手でも人を殺す術を身につけている。だがヒルシャーは臆することなく答えた。

 

「冷静になれ、アルファルド。お前の苛立ちは間違いなくあの子に見破られる。そんなところからボロを出すのが、お前の望むことなのか」

 

 言われて、目に見えてアルファルドの怒気がしぼんだ。彼は一言「すまない」と呟くとヒルシャーから手を離し、力なく屋上の柵にもたれかかった。ヒルシャーはそんなアルファルドを非難せずに、すかさずフォローを入れた。

 

「気持ちはわかる。アゴスティーノはブリジットの父であり、彼女を公社に売り飛ばした張本人だ。そんな男の薄汚れた依頼を、あの子にさせるのが耐えられないのは当然だ」

 

「いや、耐えなければならないんだ。そうじゃなきゃ、あの子が明日を生きる術はない。俺さえ抑え切れれば、あの子はこれからも笑っていられる」

 

 目元をその大きな手で覆い、アルファルドは空を見上げた。

 

「そうだ、俺が守ってやらなければならないんだ」

 

 

4/

 

 

 リコはジャンから任務の内容を聞かされた。

 ホテルで政治家の暗殺を行うらしい。五共和国派のテロリストがやった、という筋書きだ。

 暗殺の担当はリコ。バックアップにブリジットとヘンリエッタ。そして哨戒役としてエルザという組み合わせだった。

 任務実行の前段階として、リコはホテルの偵察を命じられた。

 彼女は銃の入ったアマティの楽器ケースを抱え、脱出経路にもなっているホテルの裏手に向かった。

 

 

5/

 

 

 表通りから外れた裏路地にはホテルのゴミ捨て場があった。

 生ゴミが捨ててあるのか、どこか鼻を突く匂いがする。日も一日中差さないのか表通りより寒く感じられた。

 人影は無い。

 リコはいざという時の脱出経路に使われる裏口の位置を確認すると、できるだけ早く表通りにいるジャンのもとに戻ろうとした。

 けれども、不運なことにその裏口から出てきたホテルのボーイの少年に彼女は見つかってしまった。

 

「あ……」

 

 義体の身体能力ならば咄嗟に逃げだすこともできたのに、リコはそのまま立ち尽くして少年と向かい合う形になってしまった。

 リコの姿を見定めた少年が怪訝そうに伺う。

 

「ん? 何か用? ここは従業員用だから来ちゃだめだよ」

 

 少年はホテルのゴミ袋を持っている。きっと捨ててくるように誰かから命じられたのだろう。背丈はリコと同じくらいで、年ももしかしたら同じかもしれなかった。

 少年がリコに一歩近づく。すると彼はおもむろに楽器ケースに眼をやった。

「あ」とか「えと」と言い訳を探していたリコを気にした様子もなく、少年は笑った。

 

「ひょっとして楽器を弾けるところを探していたの? ならここで弾いて構わないよ。どんな曲か聞かせてよ」

 

 少年が楽器ケースに興味を持っていることに気がついて、リコは内心慌てた。楽器ケースの中には銃が収められていて、楽器なんか最初から入っていない。弾いてもいいと言われても彼女にはどうすることもできなかった。

 リコができたのは口下手に誤魔化すことだけ。

 

「私、まだ上手く弾けないからこれは駄目なの」

 

 リコはおそるおそる少年の顔を見る。

 怒らせてしまったのだろうか、それとも失望させたのだろうか、彼女は少年の反応が怖くて身を強張らせた。でも、少年から返ってきた反応は思っていたものとは違っていた。

 

「そっか、まだ見習いなんだ。僕と同じだ」

 

 少年がにこにこと笑っている。

 リコは少し呆気にとられて、どういった顔をすれば良いのかわからなかった。

 

 

6/

 

 

「僕の名前はエミリオ。君は?」

 

「リコ」

 

 日の当たらない、ホテルの裏口の前で少年と少女が肩を並べて座っている。少年は赤毛でホテルボーイの制服を、少女はプラチナブロンドの髪にベージュのコートを羽織っていた。

 

「変な名前だね」

 

 少年は良く話した。少女にとって同世代の異性と話すのは初めてのことで、どうしても会話は後手に回っていた。でも少女は不思議と嫌にはならず、少年の話す事にきちんと受け答えをしていた。

 

「親父が失業して飲んだ暮れだからさ、早く一人前になって働くんだ」

 

 少年が父親のことを話すのを聞いて、リコは自分の両親のことを思い出す。

 彼らはいつも動けない自分のことで喧嘩をしており、リコはそれが悲しくて両親のことを余り好きにはなれなかった。

 

「それでさ、リコのお父さんは何をやっているの?」

 

 きっと父は自分が生まれるまでは幸せな日々を送っていたのだろう。母も同じだ。自分が今のように自由に動く手足を持っていなかったからこそ、彼らは自分を手放した。

 リコは顔を伏せて、握った楽器ケースを見つめた。

 

「多分……多分市の水道局というところにいる」

 

「多分? リコは家族と一緒に暮らしていないの?」

 

 少年はいぶかしんだ様に問う。

 

「何年も離れて会っていないから」

 

「リコは寂しくないの?」

 

 リコは再び少年を見つめ、その後自身の体を抱いて目を細めた。

 彼女は今の公社での生活を思う。

 そして少し考えた後、彼女はこう言った。

 

「わかんない」

 

 それから暫らく二人は取り留めのないことを話した。好きな食べ物のこと、嫌な上司のこと、そして友人のこと。

 二人の談笑に終わりを告げたのは少年の方だった。どうやら彼は休憩も兼ねてゴミ捨てに来たようで、余り長い時間ここでサボっていると上司に怒鳴られてしまうらしい。

 

「またここで会おうよ。リコ。僕、待っているからさ」

 

 少年はボーイの帽子を被り直しリコに言った。リコは少年に何かを答えるということはしなかったが、少年の顔を見つめている。

 少年は「じゃあ」と裏口から戻ろうとしたが、何かを思い出したようで一瞬足を止めた。そしてリコの方に向き直り、懐から黄色のセロファンで包まれたキャンデーを取り出した。

 

「これはあげるよ。今日はとても楽しかった。次は演奏聞かせてくれよ」

 

 ばいばい、と手を振る少年にリコは同じように手を振り返した。

 少年が消えていった裏口をリコは黙って見つめる。受け取ったキャンデーをポケットに入れてみれば、ブリジットからこの前借りたハンカチに触れた。そう言えば、また返せていないや、とリコは眉尻を下げる。

 

 作戦開始、2日前の出来事だった。


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