ブリジットという名の少女【Re】   作:H&K

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第二話「神の御技(Sin Of Humans)」

 それは一年前のことだった。

 その年の春は異常気象のせいか、やけに肌寒く感じられた。地域によっては積雪すら記録しており、ニュースでは連日その模様を放映し続けている。

 スプリングコートに身を包みながら、一人の男――アルファルドは愛車である白いBMWを一人乗り回していた。

 ローマの市街地を抜け、のどかな草原が広がる郊外。

 カーラジオを弄ってみれば異常気象のニュースに加えて、ここ数日の間に嫌というほど聞かされた一つの事件の顛末が語られた。

 

『……先日まで行方不明とされていたフォン・ゲーテハルト家の次女、ヒルデガルトさんがローマ近郊にて遺体で見つかった事件で、父親である内務省長官補佐、アゴスティーノ氏が今朝、会見を行いました。氏は会見の中で、 ゲーテハルト家は深い悲しみに包まれている と述べ、拉致監禁、および殺害を実行したとされる赤い旅団との対決姿勢を……』

 

 カーラジオは最後まで言葉を紡がない。アルファルドが不愉快そうにチャンネルを切り替えたからだ。

 続いて流れたのは地方の音楽番組。

 聞き慣れないヒットチャートをBGMに、彼は車を走らせた。向かった先はローマ郊外に築かれた政府運営の社会福祉施設。

 福祉施設にしては厳重すぎる警備を通り抜け、車をある建物の前に乗り付ける。

 ドアを開け、地に足をつけた瞬間、複数の人員に囲まれていることに気がついた。

 目線だけ素早く走らせれば、完全装備の警備員が五人。それぞれが安全装置が解除されたライフルを肩から吊していた。

 

「職員証明証を提示して下さい」

 

 物腰こそは丁寧だが、目は一切笑っていなかった。もしもここで余計な動きを見せてしまえば、関係者といえども即刻蜂の巣にされるのだろう。

 大丈夫だと頭でわかっていながらも、少し緊張した面持ちで職員証明証を提示する。

 手にした端末で職員証のICチップを読み取った警備員は、耳元の無線でどこかに連絡をした。

 すると背後に控えていた建物の自動扉がゆっくりと開閉した。

 鋼鉄製の扉が鈍重な音を立てて動いている。

 

「どうぞ、こちらです」

 

 まるで地獄の門のようだ、とアルファルドは一人呟いた。

 

 

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 外の鋼鉄製の扉からは考えられないくらい、建物の中は真っ白で清潔だった。

 陳腐なホラー映画のような、血で汚れた病室を少しばかり想像していただけに、妙な居心地の悪さを感じる。

 途中から警備員たちは姿を消し、数人の医師がアルファルドを先導していた。

 彼らは一言も言葉を発することなく、ただ機械的に廊下を進んでいく。アルファルドも積極的に会話をしようとは思わなかったので、無言のまま廊下を突き進む不気味な集団ができあがっていた。

 沈黙を破ったのは正面からこちらに突き進んでいた一人の医師だ。

 

「ビアンキだ。ドットーレ・ビアンキと呼ばれている。お前が新しい担当官か」

 

 それまでの沈黙など知ったこっちゃない、と言わんばかりに彼はアルファルドに握手を求めた。

 周囲の医師がそんな彼の態度に眉を顰めているあたり、彼は医師団の中で浮いているのだろう。

 けれどもアルファルドはそんな彼の態度に何処か好感を覚えていた。

 突き出された手をしっかりと握り返し、アルファルドは口を開く。

 

「アルファルドだ。今月付で作戦二課に配属された。前は軍警察で勤めていた。できる限り君とは長い付き合いになることを祈っているよ」

 

 

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 次に通されたのは窓の一切無い、地下室にいるような錯覚に陥る病室だった。

 室内に木霊するのは一定のリズムで刻まれる心電音。それが誰のものなのか、アルファルドは薄々思い至っていた。

 

「ここが……」

 

「そうだ。ここが彼女の病室だ」

 

 アルファルドの疑問に先んじてビアンキが答えた。彼は室内に備え付けられていたアルコールで手指を消毒すると、そっとベッドに歩み寄った。

 ベッドには人が横たわっている。様々な生命維持装置が備え付けられたのは一人の少女。

 浅い呼吸を繰り返す彼女は、ベッドにその美しい黒髪を広げるようにして横たわっている。真っ白な顔をアイマスクで覆われているため、容姿の全貌を伺うことはできないが、アルファルドがこれまでの人生で見てきた女性の中で、一、二を争う美しさであることは容易に想像ができた。

 

「義肢・サイバネティックス試験体XA14-04。ここで四番目に作られた義体だ。来たるべき第二世代のテストヘッドとして全身の整形手術を行っている。素体から体型も声も顔も、全部別物だ」

 

 ビアンキはそう言って、少女に掛けられていたアイマスクに触れた。アルファルドが外してもいいのか、と問うがビアンキは答えることなくアイマスクを取り外した。

 そしてアルファルドをじっと見据えてこう告げた。

 

「脳地図がこの子の覚醒を指し示している。強心剤を投与してやれば目を覚ますだろう。つまり、あとは君の覚悟次第だ」

 

 

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 銃声がする。

 けれどもそれは戦いの証ではない。

 アルファルドは訓練場に設けられた櫓の上から双眼鏡を使って眼下の様子を伺っていた。

 

「ブリジット、HK416は頑丈なライフルだ。もっと振り回してもいい。それとも君には重たいか?」

 

『いえ、軽いくらいです。問題ありません』

 

 感度のあまり良くない無線機越しに、鈴が鳴るような声が聞こえる。

 彼女――ブリジットとアルファルドが対面したのは丁度一年前。春だというのにとても肌寒く、ともすれば冬と錯覚してしまいそうな気候の中だった。

 一年経った今としてはそうでもないが、当初は我が目を疑うようなことばかりだった。

 最初はイタリア国民に知らされていない、影の諜報機関に所属したという認識だった。実際、社会福祉公社に勤めて数ヶ月は公安の真似事ばかりしていた。それがたった一枚の辞令で「担当官」という、義体の管理、運用を行う人員に飛ばされた。

 義体が何かも、最初はわからなかった。

 ただ、もう表の世界では生きていけない少女たちを殺人サイボーグとして再利用していくことだけ聞かされていた。 

 嫌悪感がないわけではなかったが、それでも人生を別の形でやり直せるのならば少女たちにとってそう悪いことではないだろうという認識だった。

 その認識が間違っていると理解したのは一瞬だった。

 覚醒したブリジットが泣きじゃくっているのを見たとき、「さいあく」とこの世界に対する怨嗟をはき出すのを見たとき、初めて自分たちの行いの罪深さを知った。

 ブリジットの生前の境遇は知っているつもりだった。彼女がどんな辱めを受けて殺される寸前までいったのか、資料の上では全て聞かされていた。

 けれどもその爪痕の深さを垣間見たとき、アルファルドは彼女を殺してやることができない大人たちの浅ましさを目にした。

 言葉では、きっと言い表すことのできない罪悪感が、彼女に触れるたび沸き上がってくるのだ。

 

『アルファルドさん。ターゲット全て破壊しました。もう一度最初からやり直しますか?』  

 

 気がつけば訓練終了を告げるブザーがブリジットの手によって鳴らされていた。アルファルドは手元のノートパソコンを使って、彼女のスコアを一つ一つ確認していく。

 特に問題は見当たらないため、アルファルドは静かに、出来るだけ穏やかにブリジットに告げた。

 

「いや、その必要は無いさ。今日はもう終わりだ。シャワーを浴びて俺の車のところまで来てくれ。今日はローマでカフェを楽しもう」

 

 

3/

 

 

 何かとても辛く悲しいことがあって、まだまだ生きたいと思って、けれども力及ばなくて――。

 死ぬ直前の光景は全く覚えていないけれども、そのときの心情だけは嫌と言うほど覚えていた。

 死因なんて何一つ思いつかないのに、死ぬときの絶望だけは忘れられない。

 

 

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 俺が「GUNSLINGER GIRL」の世界に生きていると気がつくまで、そう時間は掛からなかった。

 時折聞こえてくる「義体」や「担当官」、「フラテッロ」という言葉。何より社会福祉公社という組織に属し、義体としてイタリアのために戦っているのが何よりの証明だ。

 最初は悪い夢だと思った。

 前の世界でとても死にきれなくって、たまたま覚えていた創作の世界に現実逃避しているものだと思った。

 だから何度も夢から醒めようと努力したし、大暴れしたこともある。

 けれどもいつまで経っても夢の終わりはやってこなくて、何だかんだ一年もこちらの世界で過ごしてしまっていた。

 ここまでくればもう半ば諦めに近い心境だけれども、目が覚めることなら覚めて欲しいと願っている。

 

「ブリジット、ここの店はね、ジェラートとココアの組み合わせが美味しいんだ。きっと君も気に入ると思う」

 

 訓練が終わってしばらく。

 アルファルドによって街に連れ出された俺は、どこかのカフェテラスでデザートを楽しんでいた。

 そう、目の前のこの男がブリジットという義体の担当官であり、相方でもある。

 彼が過去を語ることはあまりないが、それでも堅気の仕事だったかどうかは疑わしいと思っている。けれども性格自体は誠実そのものなので、一定の信頼は置いていた。

 何より、彼に逆らうと耐えようのない嘔吐と頭痛に襲われるよう調整されているので、従順に振る舞う他ないのだ。

 そう、俺の身体は義体として様々な調整がなされている。

「義体」というのはイタリア政府の極秘機関である「社会福祉公社」が制作した殺人サイボーグのことだ。

 瀕死、もしくは何らかの事情で表の社会を生きていけなくなった少女たちを、義体という人工の身体に置き換えて、殺人の命令を聞くように洗脳したものだ。おそらくブリジットというこの身体も、何らかの事情で「社会福祉公社」に引き取られた少女を改造したものなのだろう。

 ところが神の仕業か、悪魔の悪戯か。

「俺」という前世の記憶がある意識が乗り移ってしまって、ブリジットとして完成してしまった。

 周囲の人間には気づかれていないものの、それでも少し変わった義体として俺はこの世界で生きていくことになった。

 

「ええ、甘さも控えめで、甘いものが苦手な私でも美味しくいただけます」

 

 この身体は多くの機能が特別製だ。人を簡単に殴り殺すことができる身体能力。双眼鏡いらずの驚異的な視力。銃声を正確に聞き分ける聴力など。

 ただ、味覚だけは普通の人間なので、こうして嗜好品を楽しむことができる。

 甘いものが苦手、という前世の嗜好を引き継ぐくらいには平凡なものだ。

 

「はは、それはよかった。君は酸味の強いオレンジジュースか水しか飲まないからね。ジェラートも酸っぱいものが好きとくれば、いよいよ大人っぽいな」

 

 コーヒーを傾ける優男を尻目に、俺はジェラートをスプーンで切り崩す。こうした食事作法もいつの間にか洗脳としてこの身体に刻まれていた。

 銃や殺人の技術も言わずもがな、だ。

 ただ技術が刻まれていても、経験はそうではない。だから戦闘訓練は毎日のようにさせられるし、ジェラートも上手に食べることができなくて、口の周りを汚してしまうこともある。

 

「おっと、じっとしなさい。折角クラエスに化粧もしてもらったんだろう? 乱暴に拭いてしまっては駄目だ」

 

 ハンカチを取り出したアルファルドがこちらに身を乗り出してくる。逃げようと身を捩るが、「条件付け」と呼ばれる洗脳のせいで身体が言うことをきかない。

 何より、こんな優男の仕草が愛おしいと思ってしまう自分に吐き気がする。

 担当官に逆らうことがないよう、義体は担当官に好意を抱くように調整されているが、意識そのものは「俺」なので違和感がどうしても払拭できないのだ。

 これが嫌で嫌でたまらなくて、アルファルドをボコボコにしたことだって、一度や二度ではない。

 そんな俺をまだ気遣ってくれるあたり、この男は優男かつ優しい男なのだろう。

 

「よし。綺麗になった。美人な顔がばっちりだ」

 

 いや、前言は撤回だ。こいつはただの優男。もしも許されるのならば、もう一度くらいはボコボコにしてやりたい。

 

 

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 行儀良くジェラートを頬張るブリジットを見て、アルファルドは彼女と初めて会ったときのことを思い出していた。

 目が覚めた彼女を見たとき、彼が抱いた感想は「神の御技を見た」というものだった。

 けれども彼女がすぐさま呟いた言葉。

 深い絶望を称えて吐きだした怨嗟の言葉がそんな感想を吹き飛ばしてしまった。

 

「さいあく」

 

 神の御技は悪魔の、いや、人の罪だった。

 人間のどうしようもない薄汚れたエゴの塊がそこにあったのだ。

 アルファルドは何も言えなかった。目を覚ました己の義体に掛けようと思っていた言葉は全部忘れ去っていた。

 ただおもむろに、その小さな細い身体を抱きしめて、暴れた彼女に殺されそうになった。

 

 そのときに比べれば随分と心を開いてくれているように見える。

 少なくとも殴られることはなくなったし、怨嗟の言葉を吐かれることもなくなった。

 

「ねえアルファルドさん」

 

 声を掛けられる。見ればジェラートを食べ終わったブリジットがこちらを見て笑っていた。

「どうしたんですか?」と無邪気に笑いかけてくる少女に、ベッドで絶望を呻いた少女が重なる。

 

「いや、君の偏食はどうすれば治るのか考えていたんだよ」

 

「なんですか、それ」

 

 少し立腹したようにブリジットがココアを口につけた。彼女がまだまだこちらに心を開ききっていないことはわかっていても、こうして同じ時間を過ごすことができることが、アルファルドにとっての小さな幸せだった。

 


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