身体が重たい。頭が痛い。
突如覚醒した意識の中でそんなことを感じる。
勢いに身を任せて起き上がってみれば、そこは既に見慣れた社会福祉公社の義体用医療室だった。
はっ、として両の手を見る。痛々しい包帯がこれでもかと巻かれ、同じ惨状は両足にも広がっていた。鈍痛の残る手で顔をぺたぺたと触れば、そこにも特大の絆創膏が貼り付けられていた。
視界が何やらおかしい、と左目の位置を触ってみれば、医療用の眼帯で塞がれている。
まさか、と腹をまさぐればそこも医療用コルセットで直接触れられないよう、封印がされていた。
全身が全身、何かしらの治療を施された役満状態なのである。
「なんだこれ」
からからの喉で発した第一声はそんな言葉だった。
1/
結論から言ってしまえば、俺は助かった。
遠距離から応援として駆けつけていたリコの狙撃によって、残りの男は始末されたのだ。
長時間の音信不通を心配したアルファルドが直ぐさま救援を要請。殆ど瀕死ながらも俺とエルザは無事救助された。
常人ならば死んでもおかしくはない傷と出血量だったが、幸い義体にとって致命傷に至るようなダメージはなく、腹の傷もエルザの応急処置のお陰で見た目よりは軽傷だった。
ただ前回のテロリストの銃撃からくる傷の手術とそれほど間を開けていなかったため、直ぐさま全てのパーツを交換するということは出来ず、撃たれた手や殴られた頭はそのままになっている。
「というわけだ。お前から何か報告はあるか?」
で、その顛末を誰から聞かされたかというと、意外なことにアルファルドではなくジャンだった。
彼は俺が目覚めたと知るやいなや、訓練中のリコを置いてこちらにやって来たらしい。
正直嫌な予感しかしないのは、俺の気のせいだと思いたい。
「いいえ、エルザの報告の通りです」
「そうか。今回は不運が重なったとはいえ、お前達の索敵不足、作戦遂行能力の欠如によってもたらされた失敗だ。次はないと思え」
ジャンの冷たい目線が俺を射貫く。思わず毛布を抱き寄せ、身を小さくしたのは仕方がないことだと思う。
義体を道具としか思っていない男だ。
彼の言うとおり、次にミスをすれば即時解体なんてあり得る話なのだ。
「肝に銘じます」
だから彼に対しては殊勝な言葉くらいしか湧いてこなかった。反論なんてもってのほかだ。
「……退院には暫く掛かる。それまでリハビリに専念し、少しでも公社の期待に報えるようにしろ。でなければあの男の立場も危うくなるぞ」
あの男――。
それがアルファルドのことだと理解した瞬間、さっきまで演じていた健気さは全て吹き飛んだ。
あれほど反抗してはいけないと理性で押さえつけていたのに、アルファルドの名前を出された途端に、内から吹き出す激情を抑えきれない。
たぶん、今の俺はジャンに向けて良い表情をしていない。
殺さんばかりに睨み付けて、今にも飛びかかろうとしているはずだ。
理性ではそんなこと、これっぽっちも考えていないのに。
これが義体だ。これが条件付けなのだ。
「ふん、そのまどろっこしい忠誠心だけは本物だな。いいだろう、それに免じて今回のことは暫く忘れてやる。俺の記憶をそのまま上書きしたければ結果を残すんだな」
だが意外だったのはそれがジャンの機嫌を損ねなかったことだ。
それどころか、先ほどよりも少しばかりこちらに対する態度がマシになっている。
俺の認識が正しければジャンはアルファルドを嫌っているはずだ。その義体に噛みつかれて、好感情など抱くはずがないのだけれど。
「入院中、必要なものがあったらリストにまとめて提出しろ。生活用品はあとでリコに届けさせる」
それだけを告げて、ジャンは病室から出て行った。
思ったよりもあっさりとした幕引きに、正直なところ安堵のため息が漏れた。
これでアルファルドに説教されるなり、心配されるなりすれば、取り合えずの手続きは終わりということになる。
体中の痛みにちょっと眠ってしまおうか、とも考えたが、アルファルドくらいは目覚めたまま出迎えた方が良いだろうと、窓から外を眺めてそのまま時を過ごした。
けれども、その日、彼は現れなかった。
もっと言えば、それから三日間、彼は伝言一つ寄越すことなく、まるで俺のことなんか忘れたみたいに、姿を見せなかったのだ。
2/
「何をしている」
電灯が切られ、昼の日差しだけが差し込んでいる薄暗い廊下。
そこで立ち尽くしている一人の男がいた。声の主はその男ではなく、背後から歩みを進めてきたもう一人の男だった。
長い乱れた髪と無精ひげを蓄えた彼は名をラウーロという。
「いや、何でもない。用事を思い出していたんだ」
そして誤魔化すようにかぶりを振った――廊下に立ち尽くしていた男はアルファルドだった。
整った顔たちは疲労に塗れ、いつもしっかりと着こなしているスーツは皺が付き、袖が撚れていた。
ラウーロはその場から立ち去ろうとするアルファルドをしばらくじっと眺めていたが、やがて少しばかり侮蔑するかのように言葉を吐き出した。
「……お前の向かう先はそちらではないはずだ」
アルファルドの足が止まった。
「ジャンから聞いた。お前はまだ、あの人形に会っていないそうだな。どうした、怖じ気づいたのか?」
ラウーロの言葉はアルファルドの心を抉り刺すナイフそのものだった。何も答えられないアルファルドはたた震える拳を握りしめて、その場に立ち尽くす。
「道具に情を注ぐからそうなる。消耗品だと割り切らないから、痛めつけられたときに冷静でいられなくなる。無様だな、アルファルド。お前はお前が下した命令によって彼女が傷つき、悲鳴をあげる様を見守る覚悟がない。自身の命令が引き起こす結末を受け入れる覚悟がない。はっきり言おう。お前は担当官に向いていない。今すぐ身分証を返納してやめてしまえ」
「……そんなことをしたら、あの子はどうなる」
ようやっとアルファルドが絞り出したのは、そんな言葉だった。ラウーロは一瞬だけ虚を突かれたような表情をするが、直ぐに鼻で笑ってこう言った。
「担当官のいない義体など、ただの木偶人形にすぎない。ならば処分されるだけだろう。だが、お前のような軟弱な担当官に殺されるくらいなら、その方が幸せかもな」
激昂はできなかった。
怒りが瞬間的にわき上がったものの、何故かラウーロの言葉がすとんと胸の内に落ち着いて毒気を抜かれてしまったのだ。
そうだ、ラウーロの言うとおりだ。
俺が不甲斐ないから、俺が彼女を支えられないから、彼女が傷つき苦しむのだ、と。
「ふん、噛みつく気概さえ持ち合わせていないか、とんだ見込み違いだよお前は」
ラウーロの言葉はそれで最後だった。
アルファルドの隣を興味なさげに歩いて行った。
そして、彼の進む方角が、エルザとブリジットが入院している病棟であることに、アルファルドは最後まで気がつかなかった。
3/
それは三日目の夜だった。
三日目というのは、俺が意識を取り戻してから三日のことだった。
そしてアルファルドと会わずしてむかえてしまった三日目でもある。
――正直に話そう。
もう、限界だった。
義体としての愛情なのか、それとも俺自身の不安なのかわからないが、アルファルドに会わない三日間は地獄そのものだった。
水を得られなくなった花のように、心は渇き、思考は絶望に塗り固められている。
理性ではそんなことはないとわかっていても、自分は見捨てられたのだ、義体としてまともに任務を遂行できないから捨てられるのだ、と余計な自問自答を繰り返している。
ベッドの上でシーツを握りしめて、怯えた子鹿のように身を縮こませて震えている。
無様だとわかっていながらも、震える四肢を制御することができないのだ。
食事には一切手をつけられず、汚物入れに吐き出すモノは胃液しか残されていない。
さすがに心配した医師たちが、俺の右腕につないでいった点滴だけが、生命線だった。
時計の針が病室に音を刻んでいる。
時刻は夜中の十一時過ぎ。もうまもなく日付が変わろうか、というころだ。あの針が、長身が12を刻んだ瞬間、アルファルドと会わずして迎える四日目となる。
もしそうなれば俺の心はどうなるのだろう。
条件付けという洗脳を前に、俺のちっぽけな自我は対した抵抗もできずに壊されてしまうのだろうか。
目の前に唐突に現れた破滅が、怖い。
担当官に見放されるという事態に、精神が砕かれることが怖い。
そして何より、一応は信頼していた男に裏切られたと理解してしまうのが怖かった。
ぽたぽたとあふれ出す涙を拭うこともせずに、俺はベッドの上で膝を抱えた。
ふと、物音を耳が捉えた。
どれだけ心が乱されていようとも、義体の鋭敏な聴覚はこちらに近づいてくる足音を見逃さなかった。
ただその足音がアルファルドでないことを一瞬で理解してしまった。
体重が、重心の移動が、歩幅が、何から何まで違う。アルファルドとは違い、少し右足を庇ったような歩き方。
靴もアルファルドのような品の良い磨き上げられた革靴ではない。どちらかというと少し履きつぶした、ソールの柔らかい革靴だ。
警戒心が、一段、また一段と上昇していく。
まさか敵ということはないだろうが、善意の味方であると楽観できるほど、俺の精神は健全な状態ではない。
摩耗し、ささくれ立っていると評するのが適切か。
ノックが三回。
その音は医師たちが行うような小綺麗なものではなかった。むしろ少し殴りつけるような、作法としての義務を果たしたといわんばかりのような音色。
もちろんこちらの返事など待ってはくれない。
やや乱暴に解き放たれた扉の向こうには、見慣れない男が立っていた。
けれどもその男は決して初対面というわけではなかった。
思わず声がこぼれる。
「ラウーロさん……」
そう、病室に現れたのはエルザの担当官であるラウーロその人だった。
4/
俺が彼について知っていることはほとんど何もないと言っても問題がなかった。
ラウーロというファーストネームはともかく、ファミリーネームは謎のまま。
同僚の担当官相手には普通の人間関係を築き、それなりにフランクな態度で応対するが、俺たち義体にはあくまで道具として向き合う割り切った性格。
それぐらいしか、彼について評することができない。
端的に言えば、得体の知れない不気味な相手だった。
そんな男が、自分の病室に居座っているという状況がとても居心地を悪くさせている。
一人でブルーに浸っていたときよりも、目深にシーツをかぶり直して、彼とは決して目線を合わせられなかった。
「なあ……」
長い長い沈黙を破ったのはラウーロの方だった。まあ、俺の方から声を掛けることなんて何もなかったので、当たり前と言えば当たり前か。
「いや、この切り出し方は良くないな。単刀直入に言おう。エルザのこと、お前には随分と世話になった。感謝している」
言葉の意味が、最初はわからなかった。
何故彼がこちらに頭を下げているのか、何故彼がそんなことをするのか、咄嗟の内に理解できなかった。
ただ、ことの重大性だけは嫌というほどわかってしまい、俺は大層狼狽えることになった。
「い、いえ。彼女も仲間ですし、友人ですし、義体同士は助け合うのが常なのでなにも特別なことはしていません」
わけのわからない、小汚いイタリア語だったと思う。けれどもラウーロには伝わったようで、彼は真っ直ぐこちらを見据えてこう続けた。
「馬鹿を言うな。助け合うことが当たり前だと思うな。あそこは命のやりとりをする場所だったはずだ。ならばエルザを見捨てる選択肢だってあった筈だ。だがお前はそれを選ばず、彼女の命を救った。もしもそれを特別なことだと考えていないのならば改めろ。いきすぎた謙遜は自己の可能性と思考を破壊する。二度と、己の行いを大したことがないと言うな」
感謝されたら説教されていた。俺は何が何だかわからないまま、ベッドの上で目を回していた。
「それともなんだ、俺がエルザの事で礼を述べることがそんなに可笑しいか」
もっと冷静な思考をしていればそのラウーロの問いに否と答えるべきだったのだろう。
けれども混乱の極みにあった俺は、何も考えないまま「ええ」と答えていた。後の祭りだと思ってももう遅い。
ラウーロから飛んでくるであろう叱咤に怯えて、俺は彼から視線を外した。
けれども、いつまでたっても怒声は聞こえず、恐る恐る彼の方を見てみれば、酷く疲れ切ったような表情で俯いている男がいた。
「……最初は何でもない理由だ。若気の至りで金が必要になった」
ラウーロは俯いたまま、こちらを見ないままに言葉を続ける。
「でも俺は運があった。社会福祉公社というコネがあったし、そこで働く能力もあった。なかったのは、業務内容に対する覚悟だけだ」
やっとこちらを向いた彼の瞳は、底の知れない闇だった。
「俺がエルザを一人の個人として認めてしまった瞬間、彼女が人を殺すという業を誰が背負ってやれるんだ? あの子を道具としていれば、俺だけが地獄に落ちることで話は片付くんだ。けれどもあの子が自我のある一人の少女だとしたら、その罪の全てを俺が背負ってやることはできなくなる!」
気がつけばラウーロの顔が目の前にあった。彼の大きな手が俺の両肩を掴んでいる。
義体の身体ならば決して痛みは感じないはずなのに、掴まれた部位が酷く熱く感じた。
「盲愛だってそうだ! お前たち義体は担当官を盲愛するように作られている! 命令違反を抑制するためだというが、それに何の意味がある! 誰がお前たちに愛されたいと願った! いつ俺がお前たちに頼み込んだ! 何故、お前たちは俺を憎まない! お前たちに安全圏から人を殺せ、と命令する俺たちを何故殺そうとしない! 憎まれればいっそ、仕事だと割り切れるのに!」
最後の方は縋り付くように告げられた。ラウーロは俺の前で頭を垂れ、荒い息を吐いている。
掴まれていた両肩は赤く腫れ、どれほどの握力で握られていたのか教えてくれていた。
俺は反射的に、何も考えないままに、彼を突き放すように答えた。
「でも私たちはそう生きるよう、定められました。今更それは変えられません。ならば、せめてこちらを見て。答えて、罵倒でも叱咤でもいい。それだけで私たちはあなたたちを愛していられる。それが担当官と義体。フラテッロなんです」
そして、言わなくてもいい言葉を、いや、決して告げてはならなかったことを口走ってしまう。
「だいたい、あなたが苦悩しなくても、あなたはいつかエルザに殺される。答えてくれないあなたに悲観した彼女があなたを殺すわ」
沈黙が病室を支配した。
ラウーロの息も、俺の心音も、全てが止まってしまったかのような静寂が訪れた。
ぴたりと制止したまま、ラウーロは動かない。
俺は己の犯した罪の重さを今更になって思い知った。余計なことを口走った己を呪い、このようなことを告げさせたラウーロを呪った。
「……そうか、俺は彼女に殺されるのか」
言葉は不気味なほどに落ち着いていた。そこには絶望も、怒りも、何もなかった。
気持ちが悪いくらい、無色透明な声色。
「それが、お前の結論か。お前から見た俺たちか」
彼の言葉の意味がわからなかった。最初は、ラウーロが壊れてしまったのだと思っていた。
だがそれは直ぐに間違いだと悟る。何故ならば、顔を上げたラウーロの、こちらを見ていた瞳が、異常なほどにぎらついていたからだ。
「どうりであいつがお前に懐いているわけだ。お前は他の義体と違う。お前は俺たち担当官に媚びへつらい、顔色をうかがう人形なんかじゃない。もっと別の、下手をすれば俺たちには到底御しきれない何かだ」
ラウーロが立ち上がった。
彼はそれまでの慟哭がなかったかのように、驚くほどあっさりと俺から離れた。
「少しばかり脅してやれば人形らしい何かを見られると思ったのだがな、まだまだ俺の演技力が足りなかったか」
彼が何を言っているのか、わからなかった。演技、脅し? 一体どういうことなのか、とラウーロを問い詰める。
すると彼はこう答えた。
「エルザが余りにもしつこく俺に言うんだ。ブリジットは普通の義体とは違う。彼女は特別なんだ、と。あんまりにもしつこいから、うんざりして俺自身がこうして確かめに来た。たしかに、あいつが言うとおりだ。あいつは男を見る目は壊滅的だが、友人を見る目だけはあるようだな」
彼は乱れたジャケットを手早く整えると、足下に置いていた紙袋のようなものをこちらに投げて渡した。
何事か、と驚けば、「見舞いの品だ」と答えた。
「エルザから聞いている。甘いものが好きなんだってな。ローマの有名なパン屋のクッキーだ。退院してから精々楽しむと良い」
今までのやりとりが嘘だったみたいに、ラウーロはあっさりと帰り支度を整えてしまった。
そして、もうこちらには用がないと言わんばかりに、背を向けて病室から出て行く。
けれども、最後に。
本当に、最後の最後に彼はこちらに振り返ると、こう言った。
「ああ、そうだ。一つだけ訂正しておく。俺は彼女を道具として扱うが、道具には道具の矜持があり分別もある。そして道具を扱う以上、それに向き合うことも、問いかけることも、メンテナンスすることも、俺の義務であり信念だ。それを疎かにしたことは一度もないし、また彼女に対する信頼と愛情は確かにある。どうやら、そちら方面の演技力はお前を騙すだけのものがあったみたいだ。だから、勘違いしたままでいてくれるなよ」
そして扉を閉ざす瞬間、
「だが、俺にも限界というものはある。これからも、エルザの良き友でいてくれ。彼女はあれで義理堅い尽くす性格だ。きっと君の好意にもすぐ答えてくれるだろう」
5/
一人残された俺は、とても横になろうとは思えずこっそりと病室を抜け出していた。
もしも誰かに見つかれば叱責だけでは済まないだろうに、何故だかそうさせるような何かが俺の中にあった。
足取りは意外なほど軽く、あっという間に病棟の屋上にいた。
社会福祉公社という組織は、こちらの想像もつかないようなハイテクノロジーの持ち主だが、こうした周辺設備は意外とアナログだ。
病棟も廊下は監視カメラで監視されているが、その数は少なく、死角をつくことはそう難しくないし、屋上に至ってはなんの防犯設備も施されていない。
義体に対する安心感があるからなのか、それとも単純に懐が寂しいのかわからないが、今の俺にとっては有り難いことだった。
夜風に身をさらしながら、先程のラウーロとのやりとりを振り返る。
彼は、想像していた人物とはおよそ違う男だった。
もっとエルザとは上手くいっていなくて、それどころか全く関心がなくて、だからこそ、原作のような悲劇を引き起こすのだ、と考えていたが、それは間違いだった。
彼はエルザの事を見ていた。原作の無関心が嘘のように、エルザを見ていた。
そしてそれが、ただの偶然でない確信が俺にはあった。
だって、そうだろう。俺の命を守ろうと、必死に足掻いてくれたエルザが原作のエルザと同じ訳がない。
俺の知っているエルザは原作とは全く違うエルザなのだ。
ならば、何故そのような変化が訪れているのか。
これは考えるまでもなかった。間違いなく、俺という存在の起こした現象だ。
エルザは言っていた。俺が初陣の時、俺が彼女を庇ったことに心が動いたと。
もちろん今結論づけるには余りにも早すぎる仮説だが、そう的は外していないように思える。
だって、あれだけの短い間だったけれども、彼女との間にあった友情は間違いなく本物だった。
余り俺が覚えていないのが惜しむべき事だが、確かにエルザは俺に友情を感じてくれていたのだ。
今まで自分という存在が好きではなかった。
この世界に生まれた、シミのような自分が大嫌いだった。
一人だけ他者とは違う思考、運命を背負っている自分なんか、消えてなくなれと思っていた。
けれども、エルザがラウーロとそれなりの関係を築くことができていると知ったとき、少しは救われたような気がした。
自分という存在が、この世界に生まれた意味をちょっとばかり考えられるような気がした。
まだまだ前向きに考えるには早計かもしれない。
神の御技か、悪魔の所行かわからない現状も健在だ。
だが、悲観し尽くすほどには世界は厳しくなくて、ちょっとは自分を認めてやれるくらいには、明るい材料も確かにあった。
心地の良い夜風が頬を撫でる。
風の音に混じって、扉が開けられる音が聞こえた。
先程の、ラウーロに感じた不安はもうない。
ただそこにいる人物の聞き慣れた足音に、思わず笑顔が漏れて、自身の条件付けの単純さに笑ってしまった。
できるだけ笑顔に、できるだけ明るく振り返る。
何故なら。
この件で一番心を痛めているであろう男が、死にそうなほど悲痛な表情をしているのが、容易に想像がついたから。
今の自分なら、少しだけ己を認めることができたブリジットなら、きっと彼の表情をほぐすこともできる。
そう考えた俺は振り返ったときと、同じような明るさでこう告げた。
「こんばんわ。アルファルドさん」