朝五時、いつものジョギングを終え、軽くシャワーを浴びる。いつもならこの後朝食を作るが、今日は昨日買っておいたケーキを食べた。お弁当も作らない。
何故なら、今日は一年間で最も大事な会議があるからだ。この会議では多分に頭を使う事になる。だから今日は甘い物を少し摂る程度に留めておいた。満腹感は思考を鈍らせるからだ。
パソコンを開いて今日の会議でやらなくてはならない事を確認する。もう何十回と確認して暗記したが、念の為だ。
「いや、何かしてないと落ち着かないのか」
ふと見ると、体が震えていた。どうやら俺は緊張しているらしい。和久井さんや美城さんなんかは緊張をそのまま集中力に変えられるが、俺は緊張したら悪影響しかない。
「……そろそろ行くか」
だから俺は、ライブや会議の前は大分早く現場に行く。現場に長くいることで、そこを俺のパーソナルスペースにしていく。今日もこの戦法を使う予定だ。
ケータイを見ると、既に俺の家の前に車を停めてある旨のメッセージが和久井さんから来ていた。
昔は毎朝各方面からの連絡の処理追われたものだが、和久井さんが俺の秘書になってくれてからは和久井さんが全てやってくれている。俺の元に届くのは和久井さんが必要だと判断しものだけだ。それにしたって、彼女が分かりやすく纏めてくれているから、少しの時間で処理できる。
そんな有能な和久井さんはいつも俺が出社する一時間前に出社している。前にそんなに早く出社しなくていいと言ったけど、彼女のこだわりだそうだ。だから彼女をあまり早く出社させないために、毎朝五時に出社していたのを七時出社にした。まあ、仕事自体は家でしているが。しかしそのおかげで今まで寝るだけだった家に少しばかり生活感が出た。
なんだか、そのうち私生活まで和久井さんに頼りそうで怖い。そしてもっと怖いのは、和久井さんならそれが出来そうなことだ。
そんな考えもそこそこに家を出て、エレベーターに乗った。そのまま歩いてマンションを出ると、和久井さんと車が待っていた。
和久井さんは今日白いスーツをビシッと決めて、助手席のドアの前に立っていた。そんなハリウッドのセレブを待つみたいにしなくていいんだけどな。しかし俺がそう言っても彼女が聞いてくれない事は、過去に検証済みだ。
「おはよう、和久井くん」
「おはようございます、高木統括」
和久井さんが挨拶をして、車のドアを開けてくれた。
車は会社が保有してるセダン。運転手も会社が契約を交わしている人だ。名前は確か、原田さん。
俺は右ハンドルの車にはあまり慣れてないから、基本的に運転は人に任せてる。テレビ局で駐車に失敗して他の社の人間の車にぶつけたら、なんて考えるととてもじゃないが……
そのまま車で揺られること約20分、961プロダクション本社ビルに着いた。
お察しの通り、今日の会議は346プロダクション内での会議じゃない。今日の会議はアイドル業界の重役が一同に会してアイドル業界の行く末を決める会議、通称『アイドルサミット』だ。
俺が、というか346プロダクションがこの『アイドルサミット』に参加するのは初の事。緊張しないわけがない。
俺以外の参加者はTV局長五十嵐幸夫さん、1054プロの東豪寺さん、876プロの石川社長、961プロの黒井社長。そして765プロの高木社長……
まあ誰が参加しようがすまいが、俺のやる事は変わらない。346の利益になる様、最善を尽くすだけだ。
◇◇◇◇◇
ところで、みなさんは『白の巨塔』というドラマをご存知だろうか?唐沢寿明さん主演で2003年に放映された大ヒットドラマだ。とても面白いので、知らない人は是非見て欲しい。再放送も何回かされているしね。
そのドラマの中で唐沢さんが演じる主人公、財前五郎教授が『財前教授の総回診です』というアナウンスと共に大勢の医師や研修医を連れ、病院内を闊歩するシーンがある。
誰もが一度は憧れた?シーンだと思うが、あのシーンが今現実に、俺の前で起きている。
「ウィ。久しぶりだな、小僧。モデル・俳優業界に甘んじてればいいものを、このアイドル業界にまで手を出しおって」
「お久しぶりです、黒井社長。今日はお招きいただき、ありがとうございます。よろしくお願いします」
961プロ本社ビルに入ってすぐ、出迎えてくれたのは黒井社長だった。第一秘書の三条馬さんをはじめとして、数多くの秘書や部下を引き連れてだ。
961プロにはプロデューサーというものがない。ではどうしてるかというと、アイドルがセルフプロデューサーして自分で仕事を取ってきている。うちでも城ヶ崎さんなんかは偶に自分で仕事を取ってくるが、961プロのアイドルは全てを自分でこなしているというのだから驚きだ。どんな教育をすればそんなアイドルが出来上がるのか、是非とも教えて欲しい。
ではアイドルが自分で仕事を取ってくるのなら、他の社員は何をしているのか?答えは目の前にある通り、黒井社長の補佐だ。言ってみれば、社員全員が黒井社長の秘書の様なもの。意味の分からない業務形態だが、それで上手くいっているというのだから驚きだ。どれだけ有能なんだ、この人。
「それでは私は忙しいので、失礼するとしよう。会議室はそこの男が案内する」
黒井社長がアゴで指すした先には、凄く真面目そうな若い男がいた。彼が案内する、という事だろう
「ありがとうございます」
「ウィ」
そう言うと、黒井社長は踵を返して歩いって言った。そして二、三歩進んだところで、おもむろにこちらを振り返った。
「……わかっていると思うが、今日は高木も来る」
「お気遣いありがとうございます。ですが、私と高木社長の間には確執の様なものは有りません」
「ふん、それなら構わん」
今度こそ黒井社長は、大勢の部下を引き連れて去っていった。
◇◇◇◇◇
「おはよう、諸君」
俺の挨拶に、アイドル達が多種多様な返事を返してくれた。挨拶一つとっても個性が出ている。
『アイドルサミット』から二日後、今日は『プロジェクト・クローネ』のアイドル達に会議で話し合われた事を説明しようと思う。
昨日他のプロデューサー達には説明したから、今頃武内くん達も担当アイドル達に説明している事だろう。
「諸君が出場する『アイドルアルティメイト』だが、去年度までの大会とは型式が大きく変わる事になった。
去年度までは予選を勝ち抜いたアイドル達が最後の本戦にて同時にオーディションを受け、一人の王者を決めていた。しかし今年度は、予選にて十六組のアイドルを選出した上で、本戦はトーナメントになる事が決まった」
そもそも、『アイドルアルティメイト』は伝説のアイドル日高舞のために作られたものだ。かつてこの業界にあったありとあらゆる賞を総なめにした彼女は、もう取っても嬉しい賞がなくなってしまっていた。その彼女ニアイドルの頂点である証を、という事でアイドルの頂点を決める『アイドルアルティメイト』が発足した。
最後の本戦にて残ったメンバー全員で競い合うのは、他の有象無象を日高舞がバッタバッタと薙ぎ倒す演出をする為だ。日高舞全盛期時代、ファン達は無双する彼女が見たかったんだ。
しかし今はアイドル戦国時代。群雄割拠の今は一人のアイドルが無双する事じゃなく、多くのアイドルが際どい接戦をいたるところで繰り広げる事が望まれている。
だが今までは765プロ以外の大手プロダクションは、Aランクアイドルはいるものの、人材が薄くトーナメントにする程のアイドルが確保出来なかった。そこで振興で有りながら人材が豊富に揃っている
「尤も、今の君達では本戦に出場する権利すらない。この中で一番アイドルランクが高い城ヶ崎くんでさえBランクだ。本戦の心配ばかりして、予選で足元を掬われない事を祈っている。質問は?」
手を挙げたのは速水さん一人だ。
「私達はどういった形で参加するのかしら?クローネとして全員が一つのチームになるのか、それともユニットごとなのかしら」
「すまないが、まだ何とも言えない。君達がデビューしてからの様子を見てからだ。当然の事だが、全てのユニットが同じ様に人気が出るとは限らない。中には不人気なユニットが出てくる可能性もある。
しかしいくらユニットが不人気だとしても、それは君達に魅力がないという事にはならない。仮に君達の人気が出なければ、それはこちら側の落ち度だ。君達を手放す気はない。故にもしもの時の救済措置として、ソロへの転換や他のユニットとの合流などを考えている。
つまり本戦までにユニットが変動する可能性がある。理解してもらえたかな?」
「ええ、分かったわ。つまり私たちの頑張り次第って事よね?人気が出ればある程度は望み通りに出来るし、出来なかったらプロデューサーの意向に沿って軌道修正していくしかない。別に私は、プロデューサーに従う事に不服がある訳ではないけど、ね」
「その通りだ。しかしそこに囚われ、人気を出す事だけに拘らない様に。君達は自然体のままで十分に魅力的だ。不自然なキャラ付けは、良くない結果を招く」
俺の言葉に、木村さんが大笑いをした。
「高木さん、アタシ達が人気を気にして自分を曲げる様なたまだと思うか?」
木村さんの言葉に他のアイドル達が同意した。俺も言葉には出さないが、完全に同意だ。というか思ったより個性派過ぎて美城さんが帰った時に唖然としないか心配だ、マジで。