美城常務の犬   作:ドラ夫

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第5話 魅惑の唇を持つ乙女

 一ノ瀬と宮本さんを連れ、成田エクスプレスに乗り羽田を出て品川駅に戻った。そこで新大阪行きの新幹線に乗り換える。出発時間は十五時四十五分。

 元々俺と一ノ瀬しかいない予定だったから、二人分の切符しか買ってない。その為に、急遽新たにもう一枚切符を買う事になった。一人13910円、三人分払うから41730円の出費。これでも安くない給料を貰ってるので、特に問題なく支払える。尤も、俺より一ノ瀬の方が稼いでるだろうが。

 

 新しく買った席は当然、前に買っておいた席とは離れた位置にある。なので一ノ瀬と宮本さんに隣同士で座ってもらって、俺は離れた席に座る事にした。

 

「降りる場所は京都だからな。寝過ごすなよ、マジで」

 

「にゃははは!ダイジョーブ、フレちゃんの首筋をチョットハスハスすれば覚醒するから♪」

 

「うんうん、フレちゃんはお花の匂いだからねー」

 

 そう言って二人はキャッキャしながらじゃれ合った。

 ……まあ着く直前に様子を見に行けばいいか。それになんだかんだ言って、一ノ瀬は自分が面白いと思った事はきっちりやるタイプだしな。

 道中ふざける事はあっても、結局最後にはゴールに行き着く。もしふらっと居なくなったとしても、すぐに現れるはずだ。

 

 一ノ瀬と宮本さんを俺が予め予約しておいた席に案内した後、新たに買った自分の席へと向かう。新しく買った席は二つ並んだ席の通路側で、窓側の誰かと相席らしい。そう売り場で言われた。

 急遽買った席だから仕方がないし、別に俺は気にしない。というより、俺がアメリカにいた頃は、電車で立っている時に互いの距離が少しでも所謂『パーソナルスペース』に入ると、いつも笑顔で会釈されたり話し掛けられていた。基本無口な日本人との相席位可愛いものだ。

 

 むしろ俺が心配しているのは、俺が相手の人に迷惑をかけてしまう事だ。いくら会社に行っていないと言っても、仕事がない訳ではない。つまり、俺はこの後電車の中でひたすら仕事をしなければならない。

 PCのタイプ音が邪魔にならなければいいが……

 例え相席する人に文句を言われても、こればかりは仕方がない。

 

「なんなら、もう一枚切符を買っとくんだったな」

 

 誰だったか忘れたが、新幹線の移動の際は指定席を二つ予約しておいて、気兼ねなく移動するって言ってた人が居たな。確か、タレントの誰かだったと思ったが。俺の記憶が確かなら、前に番組の打ち上げか何かで聞いたはずだ。

 俺が指定席のある車両に入ると、既に相席の相手が座っている事が伺えた。どうやら、女性の様だ。

 

「どうも、こんにちは」

 

「あら、何の用かしら?」

 

 相席の相手は物憂告げな美女だった。

 俺が話しかけると、ナンパとでも勘違いされたのか、少し不機嫌そうに返された。雰囲気的に、ナンパとかそういうの嫌いそうだもんな。

 

「私、ここの席なんですよ。ホラ」

 

 ポケットから取り出した、席番号が書かれた切符を見せた。

 

「……ごめんなさいね、少し嫌な態度を取ってしまって。今の私、怒りと悲しみをミキサーにかけたみたいな状態なの」

 

「いえ、気にしないで下さい。貴女位容姿が整っていると、よく話しかけられるでしょうから。うんざりしていらしたのでしょう?」

 

「そうね、うんざりしていたわ。でもそれは他人にじゃなくて、私自身になのかもしれないわね」

 

 彼女はそう言って、そっと微笑んだ。その微笑みは元々は俳優部門にいた俺でさえそう見た事がないほど妖艶で、憂いを帯びていた。

 その表情をもっと見ていたい。そう思ったが、彼女はその微笑みをすぐに引っ込めてしまった。代わりに、今度は少し悪戯っぽい笑顔を見せた。

 

「私の容姿が整ってるだなんて言って、口説いてるのかしら?でもダメよ。私、未成年だもの」

 

 さっきの妖艶な雰囲気とは打って変わって、今度はクスクスと笑った。その顔はまるで悪戯が成功した子供みたいで、急に彼女が幼く見えた。いや、未成年と言っていたから年相応か。

 俺がお手上げ、と言わんばかりに両手をあげると、彼女はより一層楽しげに笑った。

 

 

 

   ◇◇◇◇◇

 

 

 

 俺が席に着き、電車が出発した後、お互い軽く自己紹介をした。

 彼女の名前は速水奏、歳は驚くべき事に17歳だという。趣味は映画鑑賞らしい。俺も映画はかなりよく見るし、実は何作か作った事もある。

 しかし、最高傑作が三浦あずさ主演の『隣に…』に興行収入で負けて、その年のトップを取れなかったから速水さんにその話はしない。あれは俺にとって、人生で最も悔しい出来事の一つだった。

 

「でも、何故一人で京都に?」

 

 17歳と言うと、高校生だ。旅行が趣味な訳でもない女子高生が一人で京都に行くなんて、中々ない話だ。

 

「失恋したのよ。その傷を癒そうと思って。古い都に行けば、私の胸のうちも古びて行って、風化していく。そう思ったのよ」

 

 『怒りと悲しみをミキサーにかけたみたいな状態なの』さっき速水さんが言った言葉を思い出した。速水さん位美しくて、頭の良い人が失恋する。芸能界では良くあることだが、普通ではそうそうない。よほど特殊な状況が無ければ。

 

「ああ、勘違いしないで。失恋したのは私じゃなくて、私の友達よ。いえ、私が友達だと思っていた人、かしらね」

 

 『向こうはそう思ってなかったみたいだけど』そう後に続くような気がした。速水さんは賢くて、優しい人だ。だから他人が傷つくと、それを全て背負い込んでしまうのだろう。

 そういう器用だけど不器用な人を、俺は一人だけ知っている。だからだろうか、何故だか放っておけなくなった。それにちょうどよく、今はアイドルを探している最中だ。

 

「それでしたら速水さん、アイドルやりませんか?」

 

「アイドル?何の冗談かしら」

 

「申し遅れましたが、こういう者です」

 

 胸ポケットからアイドル候補生に渡す用の名刺を取り出して渡す。みなみに、この名刺入れも美城さんから頂いた物だ。

 

「『346プロダクションアイドル部門統括プロデューサー』……。貴方、随分偉い人だったのね」

 

「何とかやらせていただいてます」

 

 そう言って、微笑んでみせた。速水さんほどではないが、俺もそこそこは笑顔を作るのが上手い、はずだ。

 

「……さっき、友達だと思っていた人が失恋したって言ったでしょ?それ、私のせいなの。あの子が好きな人が、私の事を好きだったんだって」

 

「……」

 

「あの子が怒鳴りながら私に文句を言うのを聞いて、『またか』って思ってしまったの。実際、私は良く誰かの想い人を奪ってしまう事が良くあったの。でもね、あの子にとっては一大事なのよ。それなのに、私は『またか』って思ってしまったの。私、残酷よね。それに気が付いたら、急に世界が色褪せてしまった」

 

 そこで彼女は、一旦話を切って絶妙な“間”を作った。

 

「私はまた世界に色を付けたいの。そう、綺麗な蒼い色をね。貴方が示したアイドルという道は、私の願いを叶えられるかしら?」

 

「叶えられますよ」

 

「……へえ、即答するのね」

 

「色々複雑な経緯はありましたが、今の私はこの仕事に人生を賭けてます。言ってしまえば、アイドルに人生を賭けてるような物です」

 

 今度は、俺が話を止めて“間”を作った。

 

「貴女がアイドルになるなら、私が人生を賭けて貴女の世界に色を付けます」

 

 彼女の黄色い目が俺を射抜いた。『目を見ればわかる』何てドラマやアニメだとよく使われるが、実際のところそんな事はない。目を見たって嘘かどうか判断出来ないし、覚悟があるかどうかもわからない。

 しかし、彼女にはそれが出来る気がした。彼女の目には、そう思わせる不思議な魔力が込められていた。

 やがて彼女の視線は俺の目を離れ、徐々に下がっていった。そのまま視線は鼻を通り過ぎ、俺の唇に止まった。彼女は俺の唇を、穴が空くほど凝視した。

 そして永遠とも思えた彼女と俺の“間”が、ついに幕を下ろした。

 

「今日の私、可笑しくなっちゃってるみたい。いいよ。そんなに言うなら、付き合ってあげる。その代わり、いま、この場で──キスして?」

 

 そして俺の視線もまた、彼女の唇に釘付けになった。


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