――八月三日
九校戦開幕式はつつがなく行われた。
この日から十日間、延べ十万人の観客に加え有線放送での視聴者は、本戦と新人戦の合わせて二十種目にも及ぶ若き魔法師たちの熾烈な勝負を目にすることになる。
本日、一日目の競技はスピード・シューティングの決勝までと、バトル・ボードの予選。第一高校からは優勝候補の二人、スピード・シューティングに七草とバトル・ボードに渡辺が出場する。
司波達也たちご一行と雪ノ下たちは七草の試合を観戦すべく、スピード・シューティングの競技場へ移動した。司波達也と比企谷を中心にそれぞれ別れるように横へ座り、後ろの列には千葉たちが座った。もちろん言わずもがなだが、比企谷は端に座ろうとしていたが逃亡防止と言うことで中心になった。
「お兄様、会長の試技が始まります」
「第一試合から真打登場か。渡辺先輩は第三レースだったな」
「はい」
当然、司波達也の横には司波深雪が鎮座している。
「ねぇねぇ、ゆきのん。これのルールってなんだっけ?」
「……ええ、そうね。また、説明しておくわ」
「……甘やかしすぎだぞ、おい」
そんな比企谷の視線に顔を逸らすと、一つ咳をすると雪ノ下は口を開く。
「スピード・シューティングとは――」
スピード・シューティングとは、三十メートル先の空中に射出された円盤型の標的、クレーを魔法で破壊し、制限時間内に破壊したクレーの個数を競う競技である。いかに素早く、いかに正確に魔法を発射できるかを競う、と言うのがスピード・シューティングと言う競技名の由来だ。
試合には二つの形式がある。
予選は五分間で破壊した標的の数を競うスコア型。
そして、準々決勝以降は対戦型。紅白の標的が百個ずつ用意され、自分の色の標的を破壊した数を競う。
「――と、これくらい覚えておけばいいわ」
由比ヶ浜だけでなく、西条たちも雪ノ下の説明に感嘆の声を漏らした。司波達也も感心するような表情を浮かべ、その後に追加で説明を加える。
「予選では大破壊力を以て複数の標的を一気に破壊するという戦術も可能だが、準々決勝以降は精密な標準が要求されるというわけだ」
追加の説明に雪ノ下が同意するように相槌を打ち、北山は熱心に頷いた。北山はこの中で唯一、新人戦でスピード・シューティングにエントリーしているためその言葉に共感しているようだ。
「したがって普通なら、予選と決勝トーナメントで使用魔法を変えてくるところだが……」
「七草会長は予選も決勝も同じ戦い方をすることで有名ね」
司波達也が言いかけたセリフは、後ろに座っている千葉が横取りした。
「そう、それほどに会長の使う魔法、と言うより会長は魔法を使うのが上手いんだ」
「まぁ、それはなんとなく分かるが、じゃあどんな魔法を使うんだ?」
体を乗り出し西条は問いかける。
「それは実際に見て見た方がはやい」
と、顔を競技場の方へ向けた。西条も、これ以上訊いても答えないと分かったのか乗り出していた体を背もたれに預けた。
それからすぐに開始前のシグナルが響く。
そして、観客席は静まり返る。
選手はヘッドセットをつけているので少々騒いだところで関係ないのだが、これはマナーの問題である。
豊かに渦巻く長い髪に上からヘッドセットをつけ、目を保護する透明なゴーグルをかけ、ストレッチパンツの上にミニスカートと見間違えそうなウエストを絞った詰襟ジャケットと言うユニフォーム、スピード・シューティング用の小銃形態デバイスと相まって、かわいらしさと凛々しさが絶妙にミックスされ、近未来映画のヒロインのような雰囲気を醸し出している。
七草のその実力、その容姿が故に男女問わずファンは多い。それこそ、客席の前列を埋め尽くすほどに。
静寂の中シグナルは進み、開始のシグナルが点る。
軽快な射出音と共に、クレーが空中を駆け抜けた。
「速い……!」
思わず呟いた北山の一言は、標的の飛翔スピードに対するものか、
――それを打ち砕いた七草の魔法に対するものか。
ドライアイス亜音速弾。
それが、七草が使用している魔法である。自身の周囲にドライアイスを生成し、亜音速に加速させてぶつけている。言ってみればただそれだけなのだが、ここで重要なのは魔法発動スピードでも反復回数でもなく、命中精度である。
三十メートル先を飛ぶクレーは、有効範囲内に入るたびに次々と破壊され細かい破片になって落ちていく。三十メートル、と言葉だけで聞けば短い距離だと感じるかもしれないが、実際に体験してみると意外と遠い。
それほどに離れていて、ここまで取りこぼしなく正確にクレーが破壊されていくのは、司波達也と比企谷が感心するに値する脅威だと言えよう。
そこでもう一つの魔法、遠隔視系知覚魔法『マルチスコープ』というレアスキルを七草は併用して使用している。ただ、この魔法を使用していれば命中精度が上がるというわけではなく、物体をマルチアングルで知覚する、例えるなら監視カメラの映像を見ている感覚だと言えばいいだろうか。
マルチスコープで得た視覚情報を処理し、そのうえで命中率100%を維持している七草真由美は十師族と言う才能をまざまざと見せつけていた。
「……パーフェクトとはね」
「……怖ぇな」
五分の競技時間が終了しゴーグルとヘッドセットを外した七草は、客席の拍手に笑顔で応えていく。そんな姿を見ながら二人それぞれが呟いた。
バトル・ボード
人工の水路を長さ一六五センチ、幅五一センチの紡錘形ボードに乗って走破する競技だ。ボードに動力は付いておらず、選手は魔法を使ってゴールを目指す。他の選手の身体やボードに対する攻撃は禁止されているが、水面に魔法を行使することはルールの範囲内である。
コースは全長三キロの人工水路を三周し、途中には直線、急カーブ、上り坂や滝状の段差が設けられている。
平均所要時間は十五分ほどで、最大速度は時速五十五キロ~六十キロに達する。
比企谷達は渡辺のレースが始まる前にはスピード・シューティングの会場からバトル・ボードの会場に移動した。席順はさっきと同じように座り、既にスタートラインにたゆたう四人の選手に目を向けて開始の合図を待っていた。
他の選手が膝立ち、または片膝立ちで構えている中、渡辺だけは真っ直ぐに立っており他の選手をかしずかせている女王様のように見えた。
「うわっ、相変わらず偉そうな女……」
千葉の渡辺摩利嫌いは健在のようで、左右に座る西条も柴田も聞かなかったことにしていた。
空中に飛行船で吊るされた大型ディスプレイに、四人の選手がアップで移される中、ただ一人渡辺だけが不敵に笑っていた。それは、負けることなど微塵も思っていない自身に満ちた笑い顔だった。
レース前の選手紹介が始まり一人ずつディスプレイ映されていき、渡辺の名前が呼ばれた瞬間、黄色い声援が客席を――時に最前列付近を――揺るがした。
「……どうもうちの先輩たちには、妙に熱心なファンがついているらしいな」
「つか、うるせぇ」
熱狂度では、七草のファンの少年たちよりも、こちらの方が数段上だろう。
「分かる気もします。渡辺先輩はかっこいいですから」
「ええ、私も深雪さんに同意するわ」
司波深雪と雪ノ下は揃って相槌を打つ。その時の雪ノ下の表情に、どこかしらの尊敬とあこがれの感情が見えたような気がした。
『用意』
スピーカーから、合図が流れる。
空砲が鳴らされ、競技が始まった。
「自爆戦術?」
呆れ声で千葉は呟いた。
司波達也は呆れて声も出なかった。
比企谷は心の中で少し笑った。
スタート直後、四高の選手がいきなり、後方の水面を爆破したのだ。
おそらく大波を作ってサーフィンの要領で推進力に利用し、同時に他の選手をかく乱するつもりだったのだろうが、使用者自身がバランスを崩してしまうほどの荒波となってしまった。
そんな中、渡辺だけは大波の混乱に巻き込まれずスタートダッシュを決め早くも独走態勢に入っていた。
水面をなめらかに進むボートは、無駄という言葉を知らないかのように直角の曲がり角を鮮やかにターンし、滝状の段差をそのまま空を飛んでいきそうなほどの滑空をみせる。ボードと身体が一体化しているんじゃないかと思うほど、他の追随を許さないほどに。
「硬化魔法の応用と移動魔法のマルチキャストか」
魔法式の解析ではなく、水上を走り去る姿、ボードの上の姿勢とバランスのとり方で、渡辺がなにをやっているのかを司波達也は見抜いた。
「硬化魔法? どこに使ってるんだ?」
自分の得意魔法だけに、西条は無関心でいられないのだろう。
「ボードから落ちないように、自身とボードの相対位置を固定しているんだ。さらに渡辺先輩は、自身とボードを一つの『もの』として移動魔法をかけている。しかも、コースの変化に合わせて持続時間を設定し細かく段取りしているな」
自分の得意魔法が故に、それがどれほど高度な技術なのか西条は理解できた。
「へぇ……」
だから、西条は素直に感嘆を漏らした。
その一方で、
「面白い使い方だ……」
技術者の性か、司波達也は思考の海へと沈んでいった。
レースはまだ一周目の半ばだったが、渡辺の加速魔法と振動魔法の併用、常時三種類から四種類の魔法を絶妙に組み合わせにより勝利は決定したも同然だった。
本日のバトル・ボードは予選のみ。あとは昼食後に第四レースから第六レースが行われるだけだ。午後はスピード・シューティングの準決勝と決勝を観戦することにして、司波達也は一旦、皆と別れた。それに便乗しようと比企谷も姿をくらまそうとしたが、そうは問屋がおろさず雪ノ下と由比ヶ浜に捕縛されていた。
「比企谷君、どこに行こうとしていたのかしら?」
「ヒッキー、どこに行こうとしてたの?」
「あ、いや、ほら、トイレに……スイマセン」
経験から無駄だと悟った比企谷は素直に謝ると、雪ノ下たちについていった。
「それで雪ノ下、由比ヶ浜、自信はどうだ?」
全員で昼食をとっている最中、比企谷は二人に訊ねた。
「ん~いっぱい練習したし、自信は凄くあるよ!」
「そうね、私も自信はあるわ」
無邪気に返答する由比ヶ浜と、いつものように雪ノ下は冷静に返した。
「えっと、結衣はたしかクラウド・ボールで、雪乃はアイスピラーズ・ブレイクだったよね」
「うん! すっごい頑張って練習したから本番の時は応援してね!」
「ええ、司波さんと北山さんと一緒よ」
そこから新人戦の話題に流れ、出場する五人を中心に話しが回っている途中、
「あ~悪い、ちょっと用ができた」
と、端末を取り出した比企谷が立ち上がった。
「姉さん?」
「ああ。ちょっと行ってくるわ」
どうやら雪ノ下陽乃からの呼び出しがあったようで、比企谷はその場を後にする。
「比企谷君、どうも本気できな臭いわよ」
「あ~やっぱりですか。俺としては働きたくないんですけどね」
雪ノ下陽乃の言葉に、比企谷は深くため息をついた。
呼び出された比企谷は今、雪ノ下陽乃の部屋に来ていた。そこには比企谷だけではなく、材木座、戸塚、川崎の姿もあった。
「八幡よ、敵は無頭竜でよいのか?」
「ああ、無頭竜で間違いねぇよ。だとしても俺だけで充分だろ」
それに、どうやら一〇一が控えているみたいだからな、呟く。
「まぁ、お前らは九校戦を楽しんどけよ。せっかく選ばれてんだから」
「で、でも、それじゃ八幡が楽しめないんじゃ」
戸塚は心配そうに比企谷に顔を向けるが、当の本人はヒラヒラと手を振って心配するなと応える。
「そう、じゃあ、あたしは楽しませてもらうよ。ただ、なにかあたしたちに言っておくことはあるかい?」
「あ~そうだな、んじゃ、優勝してこい」
どこか期待を込めた眼差しを向ける川崎の言葉に、少し悩む様子を見せた比企谷は当たり前のことを言うかのように、優勝しろと口にした。
「「「了解」」」
三人からすればその言葉は信頼の証である。これほど嬉しいことは無いというほどに。だから、こんな時でも三人は三人とも嬉しさを押さえきれず笑顔であった。
そんな光景を見て雪ノ下陽乃も少し口元に笑みを浮かべていたが、すぐに表情を引き締めざるをえなかった。
「だから新人戦が終わっても手を出すなよ、全部俺が片付けるんだからな」
そこには静かに時を待つ、鬼がいた。