アルドノアグール   作:柊羽(復帰中)

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Episode.27 全てを打ち消す黒

少しでも動けば見えぬ刃で切り裂かれてしまいそうな冷え切った空間で、両者とも睨み合いが続いていた。伊奈帆たちは眉にしわを寄せた険しい目を向けていたが、黒鬼はというと宗像と会ったからだろうか、小さな笑い声を漏らしていた。

 

「そういえば、あいつはいないのか」

 

「あ?」

 

ふいに投げられた問いに宗像は低い声で聞き直す。

 

「あいつだよ。我らが相まみえたときにいた、あの女捜査官だよ」

 

黒鬼の言葉には怒りと憎しみが含まれていると感じられた。

 

「……マグバレッジ特等のことだな」

 

「名など知らん。そいつは今日、ここにいないのかと聞いている」

 

「いない。この作戦には参加していない」

 

答えをせかすようにして黒鬼が重ねて問うてくるが、宗像は真顔で答える。そしてふいに口角が上がり、黒鬼を嘲笑するかのような言葉が出てきた。

 

「残念だったな。貴様は永遠の敵を討つこともなくここで死ぬのだからな」

 

「つまらない冗談はやめろ。俺に散々叩きのめされたお前に、何ができる」

 

「ハッ、貴様とてマグバレッジ特等にやられていたではないか。それに、今はもう昔の俺ではない。……全員配置に付け」

 

それまで黒鬼との一対一の会話から一転、殺意を滲ませた低い声で皆に戦闘準備を知らせる。それ以前からも警戒を怠らずにはしていたが、皮肉をぶつけ合う2人を見て動揺が体に絡みついていた。彼の声で肌に再び緊張の波が瞬時に行き渡る。

 

「昔の、ねぇ。いったいどれだけ打たれ強くなったか、拝見させてもらおうか!」

 

宗像を嘲笑するように見ながら、両肩から黒い赫子を生成させる。生物のようにうねりながら出てきたそれはすぐに悪魔の翼のように形が整えられ、羽赫特有のトゲを射出してきた。無駄のない最低限のひとふりで捜査官全員の方へ飛んでいく。

 

「……!」

 

クインケで弾いたり飛び退いたりして初撃をかわした。そしてまず飛び出していったのは宗像だった。2本の刃を黒鬼に抜けながら間合いを詰める。

 

宗像の見た目とは思えないほどの素早いクインケの振りを見せつける。しかし黒鬼も見事な瞬発力で宗像の攻撃を見切ってかわしていく。羽赫も使いつつ度々反撃を繰り返すが、それですらも宗像は対応していく。それは見入ってしまうほどに華麗な接近戦だった。

 

しかし宗像ひとりではないことは言うまでもない。黒鬼の背中に向かって不見咲が発砲するが、それもまた羽赫によって弾かれる。

 

だがこれだけでは終わらない。

 

増田が斧型クインケを振りかざす。黒鬼はちらりと一瞬見ただけで距離とタイミングを把握し、羽赫でクインケを防ぐと素早い蹴りを増田に打ち込んだ。そこを宗像が攻め入るが、その程度ではリズムを崩せない。

 

「おいおい、この程度か?」

 

黒鬼が再び嘲笑うように言うと宗像のクインケを両方とも素手で握った。

 

「黙れ」

 

宗像は短く言葉を吐くとすかさず黒鬼の腹部に蹴りを入れる。わざとらしく攻撃を受けたようにも見えたが黒鬼はクインケを離して距離を取った。

 

そこで次に接近したのは伊奈帆だった。オーディンを槍モードの状態にして刃を黒鬼に向ける。その初撃の突きはあっさり避けられたが、こんな攻撃だけではない。前クインケからずっと使用し続けてきたからこそのクインケ捌きが発揮されている。槍は長物だが、伊奈帆は腕を軸にして回したり持つ部分を変えてうまく攻撃方法を変えている。

 

黒鬼の方も羽赫を利用しつつ自身の体術でガードしつつ攻撃を仕掛けるが、伊奈帆のこれまた瞬時に見切ったような動きで双方とも致命的な攻撃は受けていない。

 

と、ここで黒鬼の蹴りをギリギリでかわしたときに、起助も飛び出してくる。丁度黒鬼が背を向けたあたりで起助は菊一文字を振るう。それはまたしても羽赫に阻まれるが、一瞬の呼吸も許さないほどに伊奈帆が追撃を試みる。この2人はアカデミーの同期。ライバルであり仲間。お互いを身近に意識しつつ、共に協力して戦う。一度は対騎士戦で起助は最低まで堕ち、這い上がれるかどうかもわからなかった。でも、カームの言葉により調子を取り戻し、クインケの扱いも動きも力を付けていった。

 

そして今、伊奈帆と阿吽の攻撃をひたすらに続ける。距離を取ろうとするなら宗像と増田が、そして佐々木と不見咲が遠距離からの支援攻撃を行う。まさに少数精鋭の部隊そのものだった。

 

しかし……。

 

「ふむ、流石だな」

 

羽赫を大きくふるってから大きく距離を取った。その黒鬼はいまだ息が切れる様子もなく、首を左右に倒して関節が鳴る。

 

伊奈帆たちは今の段階で決して押されているわけではない。しかし押しているわけでもない。黒鬼はたったひとりでこの6人の攻撃をかわしつつ自分も仕掛けているのだ。がたいのいい肉体から繰り出される予想以上の素早い動きひとつひとつを見て、改めて長らくCCGが手を焼いている相手だと理解できた。

 

「昔とは違う、確かにそのようだ。それに加えて優秀な部下もいる。連携も充分。()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……先程、だと?」

 

その意味深な発言に反応したのは佐々木だった。反応することを予想してわざとほのめかしたようで、押さえ込もうとする愉快な笑い声がマスク越しから響く。

 

「我の相手は貴様らが最初だと思うなよ?落ちてきた輩はいくらでもいる。そして偶然出くわすのだからな」

 

「おい、誰だ。誰と会った!?」

 

「だから、言っただろう。貴様らの名など誰ひとり知らんとな」

 

目を鋭く尖らせて睨む佐々木を宗像が手で落ち着くよう促す。黒鬼の方は最高の皮肉を込めた言葉を出すと、急にこらえていた笑い声を沈ませた。

 

「ただ恐れおののき、お互いを楯にして自分だけは生きようとする姿、まさに滑稽であった。そんなやつらと比べ、貴様らはまさに戦士。強大な敵と立ち向かうにふさわしい心と体を持っている。だからこそ、我は貴様らを完膚なきまで叩き潰すことができる」

 

言うと、黒鬼は下ろしていた右腕を腹部あたりにまで上げる。

 

「これが、アルドノアの輝きだ」

 

彼の言葉とともに右の肩甲骨あたりから3本の触手のようなものがうねるように出てきた。地を這うように黒鬼の腕に絡まるようにまとわりつき、手首を覆うようにそこで融合し、鋭い刃の形になった。

 

そして突如黒鬼を包むようにして現れた水色のオーラ。それはすぐに体全体から右腕の甲赫に集まっていく。それは、まるで……。

 

「抜刀」

 

オーラは甲赫の刃部分を覆ってさらに巨大な刀となった。耳にさわるような不気味な音をたてながら形状を保つ赫子に一同は驚愕の色を見せた。

 

「なんだと!?」

 

「あれは、騎士の……」

 

伊奈帆はあの赫子に見覚えがある。逆に忘れることもできないほどに強烈な記憶が呼び戻される。

 

2体目のアルドノアグールが発見され21区に攻め入ってきた喰種、騎士が持っていたアルドノアの力に酷似、それどこかもはやそのものだ。そして不見咲は思わず口を開く。

 

「あの次の日、無残に引き裂かれた騎士の遺体があった。……まさか、赫子を移植したとでも言うのか!」

 

「な、そんなことができるのか」

 

不見咲の言葉に佐々木は目を引き裂くように開いて黒鬼を見る。しかし当人は答えるそぶりはどこにも見られなかった。

 

「今更そんなこと知ってどうするんだ」

 

嘲笑するように、そして冷酷な声で言い放つと甲赫を大きく縦に振り下ろした。地面を引き裂きえぐるようにして衝撃波が一直線に進んでいく。それに一番近い距離にいた起助は、トラウマのことを思い出していたのか青ざめていたが、すぐに飛び退いて回避していた。

 

誰にも阻まれずに直進し続けた衝撃波はついに壁にぶつかった。轟音と粉砕された壁の破片が飛び散り、巨大な穴を開けた。

 

「さあ、どうする。喰種を悪とし、自分らが掲げる信念を正義としてふるう、小さき戦士たちよ。貴様らが倒した相手の戦法だ、崩せるのだろう?」

 

甲赫をこれでもかとぎらつかせて黒鬼が伊奈帆たちに挑発をする。先程見せたような低く笑うようにして様子を見てくるが、しかし伊奈帆たちはどう動くこともできなかった。

 

今黒鬼に向かって突っ込んでいったとしても、あの刃で切り伏せられるのは誰もが予想できた。防ぎようのない攻撃をかわしつつ攻撃を当てていくしかない。

 

「意気消沈か?蛮勇でさえ現れないか。……つまらんぞ」

 

黒鬼は短くため息をつくと、一気に駆けだした。皆はまとめてやられぬように散開する。そして真っ先に黒鬼が選んだ相手は宗像だった。

 

黒鬼は豪快に甲赫を振るが宗像はそれをよけて、双剣を巧みに扱って攻撃をする。が、これも同様によけられてしまう。遠方攻撃として不見咲と佐々木が発砲するが背中からあたりを監視している羽赫によって阻まれてしまう。

 

そして、宗像が左の方のクインケで攻撃を仕掛けたところ、甲赫によってはじかれた。斬れないものなどないそれは同様にクインケをスクラップにした。宗像の隙を見せない真剣な面持ちが少し崩れ、眉にしわが寄せられた。ここで黒鬼が追撃をしようとしたとき視界に閃光のようなものが映った。それを羽赫で止めて出所に視線を移すと、オーディンをライフル状に変形させた伊奈帆が目だけ鋭く尖らせた表情をしていた。

 

続々と伊奈帆が雷撃弾を発射させると黒鬼は素早くその場から駆けだす。しかし雷撃弾はそのまま直進して壁に激突するのではなく、黒鬼を追いかけるように曲がった。

 

伊奈帆が放った弾丸、これはオーディンのライフルモード特有の性質。最初に放った弾丸を被弾した個体に特殊な磁気がまとわりつき、それを次弾から検知して追尾していくようになっている。

 

黒鬼が羽赫のトゲを使って撃ち落としているが、その隙に佐々木と不見咲からの射撃も加わる。それにしびれを切らしたか、黒鬼は再び円を描く壁に沿って駆けだす。その後ろを弾丸が追尾しているなか、あるタイミングで急に角度を変えて中央に向かい始めた。そこには増田がいる。

 

「……!」

 

増田は構えるが、それを遮るように宗像が飛び出してくる。片方が刃を失ったクインケ2本を黒鬼に向けてこちらも駆けだし、まさに無敵の刃と交わろうとした。

 

しかし、宗像の攻撃を綺麗にかわし、後ろ蹴りで宗像を前に倒れ込むようにした。そしてすぐ前には伊奈帆が放った雷撃弾が迫っていた。宗像は鋭い目のままその弾丸を睨んでいた。

 

「甘い」

 

伊奈帆が冷ややかに呟いた。彼の目に映る光景はまさに彼の予想通りとなっていた。

 

弾丸は宗像を直撃することなく、むしろ宗像を避けるようにして引き続き黒鬼を追尾する。この弾丸は磁気を発しない個体は避けることができる。仲間の巻き添えは起こらない。

 

黒鬼は立ち止まって勢いよく振り返る。見据える先には迫り来る雷撃弾が複数ある。逃げようとも追いかけ、または佐々木たちの遠距離攻撃も忘れてはいけない。たとえ無敵の刃を持っていたとしても、近づかれなければ意味がない。あの時の、対騎士戦と同様に粘り強く耐久戦に持ち込むことができれば伊奈帆たちにも勝機はある。

 

そのはずだったのだ。

 

一瞬にして黒鬼の甲赫からアルドノアが消え去る。水分が一気に吸収されたような早さで、しかし今度は彼の羽赫に宿った。青白いオーラではなく、赤紫色のオーラが羽赫を包み込んだ。それは、そう。これも……。

 

「行け、我が眷属たちよ」

 

黒鬼の呟きを合図にして羽赫2つが同時に体を離れた。憎悪の炎といわんばかりのオーラを纏った羽赫はすぐに雷撃弾を真っ向から消し飛ばしていく。2体はあっという間に伊奈帆たちの頭上を旋回し始めた。

 

「これは……!」

 

「フェミーアンの羽赫と同じだ」

 

不見咲が驚愕の眼で羽赫を見上げる横で伊奈帆は本体、黒鬼の方に目を向けた。案の定彼はこちらに向かって駆けだしてきている。そこで一度ぶつかり合ったのが増田だった。

 

彼の斧型クインケと黒鬼の甲赫がぶつかり合った。金属と金属がかすれる耳障りな音をたてながら数度力比べをするが、しかし増田が劣ってしまう。

 

「ほら、本気を出さぬと首が飛ぶぞ」

 

「ッ!」

 

苦痛そうに顔をゆがめる増田はこれでもかとクインケを相手にたたき込むが甲赫でうまく防がれてしまう。

 

そうしていると上空から羽赫2つが既に迫っていた。佐々木が地上から撃ち落とそうと試みるがまるで当たらない。宗像と起助が援護しようと走り出すが羽赫の方が格段に速い。

 

羽赫はついに増田を襲おうとした。増田は咄嗟に黒鬼から離れてようとするが逆に黒鬼が反撃に出たために避ける態勢に入れなかった。結果1発目はなんとか回避できたが、2発目は完全にかわせなかった。クインケに接触し、増田はとてつもない力で半ば引っぱられるようにして壁際まで飛ばされる。

 

「くそっ!」

 

宗像は起助よりも先に出て黒鬼に攻撃を仕掛ける。その合間合間で起助も攻撃をするが、よくて浅い傷を付けることしかできない。

 

その間に今度は伊奈帆たちの元に羽赫2体が迫る。軌道をギリギリまで見て定め、飛んで避ける。そしてすぐに伊奈帆は銃口を羽赫を包むアルドノアの発射口に向け、撃つ。

 

しかし当たらずに銃弾は壁に衝突する。

 

対フェミーアンの時では、羽赫は街の通りを縫うようにして飛んでいた。それはつまりそれに沿って、直線的な動きしかできなかった。もっともフェミーアン自身が近くまで近づいてきたことによって最終的には自由自在に操っていた。

 

しかし今の状況では赫子の持ち主がすぐそこにいる。それ以前に行動を邪魔する壁もない。上空から旋回して伊奈帆たちを襲う、厄介なマシーンと化しているのだ。

 

「……しかたがない」

 

伊奈帆はそう呟くと、上空に再び旋回し始める羽赫から佐々木と不見咲の顔に視線を移す。

 

「次の羽赫の攻撃の片方を僕が正面から受け止めます。その隙に二人で発射口から羽赫を破壊してください」

 

「待て、界塚。正面からぶつかれば……」

 

伊奈帆の冷静沈着のポーカーフェイスから告げられた作戦に不見咲は目を丸くした。フェミーアンのときに不見咲もいたからこそわかる、あの破壊力。ただただ赫子が飛んでくるなんて感嘆に言えるものではない。しかし、伊奈帆も同じ。そんなことは重々承知である。

 

「大丈夫です。これがあれば無傷とは言えませんが、二人が羽赫を破壊できるまでの時間は耐えられます」

 

伊奈帆はオーディンを前に突きだしてそう宣言すると佐々木が真っ先に頷いた。

 

「わかった、頼んだよ。僕らも素早く決める。……さぁ、くるぞ」

 

2体が同時に降りてきた。佐々木と不見咲が伊奈帆から距離をとった。伊奈帆は目の前に迫る羽赫を睨み付ける。

 

1体目を佐々木と不見咲が避け、伊奈帆も避けた。そして2体目が迫ってくる。その時に伊奈帆はクインケのギミックを発動させた。ライフルが一旦槍へと戻り、そこから持ち手が中心と左右に割れて平行に伸びる。こちらも3つに割れた槍の刃先を地面に思いっきり差し込むと、骨組み同然のそれを覆うように雷の膜が発生する。刃先にも伝わり、ブレを極限までなくす仕様。つまり、雷の楯だ。

 

羽赫2体目が雷の楯と正面衝突した。雷に触れた音とクインケそのものに赫子がぶつかった音が重なり、それとともに凄まじい衝撃が伊奈帆を襲う。相殺できるはずもなく伊奈帆はオーディンごと後方に押されていく。

 

壁との間でプレスされてしまう前に佐々木と不見咲が全力で羽赫の発射口を狙い撃ちする。二人の技術力とクインケの性能によって素早く発射口に弾丸が入り、アルドノアが消えてついに羽赫が消えた。

 

「伊奈帆君!」

 

佐々木が駆け寄る先にはオーディンを持ったまま地面に倒れこんでいる伊奈帆がいた。

 

「大丈夫かい?」

 

「ええ、なんとか」

 

伊奈帆は詰まった声で返事を返す。あの衝撃にもかかわらずオーディン自体は壊れていなかった。しかし、これは伊奈帆自身も想定内ではあるが、身体的ダメージは免れていない。

 

「衝撃で体全体が痛いですが……戦闘には加われます」

 

「そうか」

 

心配さが残るがひとまず安堵のため息をついた佐々木は宙を見据える。ひとつめの羽赫がぐるぐると上と飛びまわっている。また再び降下してこないともかぎらない。注意は怠らない。

 

「……ほう、そうしてフェミーアンと潰したのだな」

 

黒鬼は関心したふうに声を漏らすと、たちまち動きが速くなり、僅かな隙を突いて宗像と起助を蹴りで飛ばした。

 

すると羽赫がタイミングを見計らっていたかのようにして黒鬼のもとへ来て、背中でくっつく。そして赤紫のアルドノアは蝋燭の火を吹き消すようにして見えなくなった。そして再び彼の右の甲赫に水色のアルドノアが現れた。

 

「ころころと変えおって……」

 

「これが、我の新しい力よ」

 

宗像が皮肉めいた言葉を投げるが黒鬼は動じずに嘲笑する声を返してきた。アルドノアを纏った甲赫を動かす度に不気味な音がする。

 

「そんな、他から貰った力を、まるで我が物同然で振るうなどと……、自分は結局弱いと言っているようなものだぞ」

 

「はっ、いまさら挑発的な発言をしても無駄だ。それに、そんなことは関係ない。我が力を貰おうと、その力を使いこなせるのであれば、かまわない」

 

黒鬼の声は次第に低くなり、そして決意が籠っていった。宗像も少々疲労が溜ってきているようで、若干肩が上下している。

 

「あのとき、我は無力だった。貴様らの襲撃にいち早く気づき、赫子で返り討ちにしようと試みた。しかし、死ぬ寸前まで追い詰められた。それもとある人物に一瞬で、だ」

 

黒鬼はふと頭上を見上げるようにして語り出す。こんな状態は隙を見せているようなものである。しかし、ここで手を打ったとしてもいまある最大の刃によって防がれてしまうのは誰もがわかっていた。その存在で表している力と圧力によって、伊奈帆たちは動けず、彼の話を聞くほかなかった。

 

「我らはたった3人の捜査官にやられた。我らは20人はいた。なのにかなわなかった。割れに続いてあっという間にやられてた。そして、最後に、最後に……」

 

その声音は震えていた。それは恐怖を表しているのではなく、怒りなのだろう。左の拳も力に任せて強く握られている。

 

「我が愛する女性が、最後にやられた。彼女は、チームの誰よりも強かった。彼女は赫者であった。それ故に追われる身でもあった。けれど、()()()はさらに上を行った」

 

「あいつ……」

 

その言葉だけは黒鬼は力強く言った。敵を目の前にしているような荒々しい口調は、彼の憎悪を物語っている。

 

「それが、マグバレッジ特等、か」

 

「……マグバレッジ特等が使っているクインケは、そういえば赫者だったな」

 

佐々木が気になったあいつ、それはつまるところマグバレッジに行き着く。戦闘の前に黒鬼が彼女はいないのかと問うてきていた。

 

クインケ、そして赫者という宗像の言葉に反応して黒鬼の視線が宗像を貫く。マスク越しでは確認できないその目も、怒りと憎しみで染まった赫眼としているのだろう。見えることのない殺気がひしひしと伊奈帆たちにも伝わってくる。

 

「我は、けっして忘れることはない。あの日、あの瞬間。彼女が目の前で赫子を剥がされ、胸を突かれるあの光景を。そして、突いた者の顔を。

それからずっと考えていた。どうやったらあの者に勝てるのか。否、その問いは不要だった。答えはもう出ている。力、それだけだ。我は力が無かったから、彼女も、みんなも守ることができなかった。だから、我は力を欲した。過去は変えられない。皆はもういない。なら、彼らの無念を晴らすためにも、我はあの者をこの手で葬り去る」

 

「だから、そのためだけに今までアルドノアグールを世に送り続け、多くの犠牲者を出していたのか!」

 

黒鬼にも、ぶれることのない確かな信念があった。しかしそれは敵討ち。恨みを生みだした元を絶つためにある存在。そしてそれは新たな恨みを生む可能性すら抱えている、どこまでいってもつきることのないループ。

 

――――殺す理由があったから、殺した。

 

ふと、そんな台詞が伊奈帆の頭をよぎった。これは、そう、あの時の……。

 

黒鬼の言葉を振り払うように不見咲が叫んだ。しかし黒鬼はさして興味のないふうにして首をひねる。

 

「知らぬ。そんなことをしてなんの意味がある。我の相手は永遠に同じ」

 

「なら、なぜ……」

 

「ふむ、貴様らは知らないほうがよかったと思うことだってあるのだぞ」

 

重ねて問おうとする不見咲をあざわらうかのようにして黒鬼が言う。その言葉、ふと出た言葉にしては裏が深すぎる。伊奈帆には、いや皆が気づいた。けれど、垣間見るだけでも背筋をなぞられるような悪寒がした。

 

「もうよい。貴様らをいたぶってもてあそぶのも終いにしよう」

 

そう、黒鬼が宣言したときだった。天井がごごごと地響きのような音をたてて開き、黒鬼がいる部分を隔てるようにして壁が落ちてきた。丁度この空間を四分の一だけ分断させる巨大な壁は異質な雰囲気を醸し出している。

 

『み、皆さん、大丈夫ですか!?』

 

突然の事態で視線が壁に行っていた伊奈帆たちは首を巡らした。表面的にはどこにもスピーカーらしきものは見つからないが、確かに聞こえる。そしてこの声の主も知っていた。

 

「韻子か?」

 

『そう!今、扉を開けてみるから、速く脱出して!』

 

少し大きめに声を上げると、どうやらこちらの声は拾うことができるようだ。途切れ途切れに韻子は答える。

 

韻子はあの場所で目を覚ましたあと、やっと決心をして行動を始めた。全方位に注意を広げながら通路内や見つけた部屋などを見ているうちに、とある部屋に行き着いた。

 

入るとどうやらなにかの監視室のようだった。モニターがいくつも並べられ、その前には機器類がずらりとあった。韻子は辺りを見まわして、ぐしゃぐしゃに書類が置かれた中にマニュアルを偶然見つけた。それに従ってボタンを押してみると、電源がついた。いくつかのモニターには丁度伊奈帆たちがいる巨大空間を映すカメラ映像があった。

 

伊奈帆たちと対の位置にいる黒鬼。それを見て韻子はけっしてこちら側が好調ではないと悟った。慌ててマニュアルをかき回すように見直し、特殊なシステムを使った。

 

どうやら、黒鬼の発言でもあったように、闘技場として使われていたようだ。そのためのものなのかは定かでないが、韻子が使用したような壁の他に円形の檻や上空から撃ち下ろす機関銃などが備えられている。

 

そしてマニュアル通りに操作して黒鬼によって閉められていた扉がふたつとも開いた。宗像は佐々木とともに倒れている増田の方へ向かった。皆は最初黒鬼が入ってきた方から出ようとしたときだった。

 

重厚な壁が一部吹き飛び、破片がいたるところに飛び散る。鋭利なものや鋭いものがあり、各々はクインケなどではじかなければならなかった。

 

「ぬるいぞ。そんなおもちゃで我の攻撃は防げん」

 

怒りよりも呆れた様子でそう吐き捨てると、視線を伊奈帆たちから別の方に向ける。伊奈帆たちが入ってきた入り口と正反対の壁に彼は向き直った。

 

「そこだな」

 

黒鬼はアルドノアを纏った甲赫をその方向に向けた。刃を水平にして構える。韻子はどこにいるか伊奈帆たちにはわからない。しかし、ここは黒鬼たちのアジトである。どこにどんな部屋があるのかを知っていてもおかしくない。

 

不見咲はとっさに叫んだ。

 

「網文、避けろ!」

 

その悲痛な叫びをかき消すように青白い衝撃波が射出された。水平の刃はあっというまにその方向を飛び、壁を破壊した。重厚な壁をぶち抜いた以上の衝撃音と破片がそこら中に飛び散った。一瞬スピーカーが耳をつんざく高音を出してからぶつりと切れた。

 

「そん……な」

 

不見咲が地の底に落ちるような力の抜けた声を出すと、宗像は皆の前に立った。

 

「お前らは先に出ろ。俺が足止めをする」

 

「しかし、准特等」

 

「今はできるだけ多くここから脱出することが肝心だ。どうあがいてもこいつには誰も勝てない。なら……」

 

目を大きく開いて動揺する佐々木を落ち着かせるようにして宗像はゆっくりと口を開いた。そして黒鬼を改めて正面で見据える。

 

「それに、あれがやつの本気ではないだろう。まだ隠し持っている。あのとき、俺とお前は戦ったのだからな……俺は知っているんだぞ。忘れてはない。お前が()()だということは」

 

「……!」

 

皆は驚きの顔で黒鬼を見る。そう言われれば、確かにそうだろうと伊奈帆は思った。

 

彼がこの戦闘で見せた赫子。甲赫と羽赫。それは両者とも以前戦った相手の赫子と同じ、そしてアルドノアも同じ。

 

騎士の一件で赫子が抜き取られた死体が発見されている。それが目の前で現れたのなら、移植をしたのだろうと考えられる。それを濁すような発言をしたのだ。

 

なら、彼は今この瞬間まで()()()()()()()()()()()()()()()()。赫子が出せない先天性のものならともかく、彼は以前に宗像と戦っている。その彼が言うのだから間違いない。黒鬼は甲赫、羽赫、そして鱗赫をもつことになる。

 

「三種の赫子をもつなど、聞いたことがない」

 

「前例はないからな。お前らは帰ってデータに追加しておけ」

 

宗像は皮肉めいた発言を振り返らずにするとクインケを構える。

 

「さぁ、今のうちに。そしてお前は俺が相手だ」

 

「……くくく」

 

宗像をまた嘲笑するようにしてから黒鬼は首をかしげた。

 

「鱗赫、ねぇ。ああ、そうさ。だが、生憎もう出してる」

 

「は?」

 

わざとらしく黒鬼が言う。その意味がわからず宗像は低い声を漏らした。その瞬間だった。

 

地面から勢いよく垂直に出てくる()()()が丁度宗像の腹部を貫通した。背中から顔を出したそれは鋭い先端をしていて、途中で引っかかった宗像は足の裏が地面から離れ、空中に浮かされた状態になった。

 

「がはッ……!」

 

腹部と口から滴り落ちる赤い液体。彼を貫いた鱗赫にも龍脈のように血が流れ落ちる。

 

「宗像准特等!」

 

「壁を落としてきたときにあらかじめ地面から入れておいたんだよ。

だからいったでしょう。そろそろ引退しろ、と。これを避けられないのならあなたはここが限界なんでよ」

 

震え、クインケを握ったままの手で傷口を押さえようとする宗像を舐めるように黒鬼は言う。

 

「貴様ぁぁぁ!!!」

 

不見咲は我を忘れたようにクインケを連射するが、アルドノアを纏った甲赫ですべて一掃される。そして反撃とばかりに黒鬼は羽赫で伊奈帆たちに攻撃を仕掛ける。

 

飛ばそうとする羽赫のトゲは2本でないために少ないと思っていたが、黒鬼が見せた態勢は甲赫のアルドノアの衝撃波を飛ばすものだった。

 

トゲを飛ばすほぼ同時の瞬間にアルドノアの衝撃波を飛ばした。それによって羽赫のトゲはありえない軌道や加速をして、なおかつ衝撃波も同時に伊奈帆たちを襲った。

 

先にはやく到達したのはトゲだった。読めない、見切れない軌道に入った者を容赦なく攻撃した。佐々木の両足と脇腹、起助の腕、伊奈帆の肩をかすめた。

 

そして衝撃波がやってきた。それは非常にも動けない佐々木の目の前まで来ていた。

 

「……!!」

 

彼が悟り、目を閉じたとき、なにか横からの衝撃で佐々木は肩から転がった。それと同時に聞こえてきた異様な衝突音、そして衝撃波が壁に当たったのであろう爆発音。

 

目を開けると、自分の血ではない、明らかな別の人物の血がそこら中にあった。その先には、見るに堪えない増田の体()()()()()()が血の湖に浮かんでいる。

 

「ああ、ああああ」

 

「増田、一等」

 

声の出し方を忘れてしまったような、そんな佐々木の嘆きの叫び。空虚な声で彼の名前を呼ぶ不見咲。伊奈帆は、ただ呆然としゃがみ込んだまま増田の方を見ていた。

 

「圧倒的な力の前で絶望して死んでいくのを見るのは、心地が良い。あのとき俺が得た苦痛を貴様らが味わっているようだ。……いや、彼らの痛みの欠片程度だ」

 

哀れな、そして怒りを滲ませた低い声で宗像の耳に囁いた。

 

そしてシュッと高速でなにかが動いた音。宗像の折れたクインケが黒鬼の胸に突き刺さっている。

 

「……最後の最後、まで、気を抜くな。クソ喰種が」

 

吐血で赤く染まった歯を見せつけるように宗像が笑った。それを黒鬼は無言のまま左手でクインケを抜いた。

 

「貴様の仲間の無残な死とともに、そして皆の無念を身にまとって死ね」

 

怒りさえもなく、抑揚のない声が、宗像の最期の聞いた声となった。黒鬼が甲赫を振り下ろし、宗像の首をはねた。

 

断面から際限なく流れ落ちる赤い滝。それを興味もなく眺めるようにして黒鬼が視線をおろすが、すぐにそれは伊奈帆たちに移された。

 

不見咲は今も口が開いたままだった。虚ろな目は潤み涙を垂れ流していた。肩をふるえさせて力なく首を傾けている。

 

「さて、終焉だ。小さき戦士たちよ」

 

宗像の死体を放り投げ、鱗赫を自信の体と結合させた。首を左右に倒して鳴らす。甲赫を上げて構えたところで、伊奈帆が立ち上がった。

 

佐々木と起助、満身創痍の不見咲を庇うようにしてクインケを楯に切り替える。

 

「2人は不見咲准特等を抱えて先に」

 

「馬鹿野郎、伊奈帆なにを……」

 

「宗像准特等は正しい。誰もあの喰種には勝てない。なら誰かが残って時間稼ぎをしてでも一人でも多く脱出できる可能性を広げる」

 

「でも……」

 

痛みで腕を押さえる起助は伊奈帆の戦闘服の裾を引っぱる。声は震え、彼の瞳は恐怖で染まり潤んでいる。それを伊奈帆は見ても、首を振った。

 

「でも、伊奈帆のほうが優秀じゃ、ないか!伊奈帆を失うなら僕を失ったほうが戦力的にはいいはずだ!」

 

「それは違う。起助も充分に強い。それに……」

 

伊奈帆は優しく起助の手を取った。伊奈帆はいつになく優しく微笑んでいた。

 

「僕は時間稼ぎをするために残るといった。だから、僕は死なないよ」

 

起助の瞳から涙がこぼれ落ちる。歯を力一杯食いしばり、起助は振り返って佐々木とともに不見咲の肩を支えて出入り口から脱出していく。

 

「……さて、感動劇は終わったかね」

 

黒鬼は退屈そうに言うと、再び甲赫を構えた。

 

すると、それを待たずして伊奈帆は全速力で駆けだす。方向は言わずもがな、黒鬼だ。

 

「はっ、蛮勇だな」

 

黒鬼はあざ笑いながら甲赫を振り下ろす。しかし伊奈帆はそれを避けて楯極まで黒鬼の体に近づけた。

 

「カウンター」

 

楯を形成する雷の膜が急激に膨らむ。黒鬼が反撃する前にそれは弾けて凄まじい雷撃を生みだした。その衝撃で黒鬼は後方に吹っ飛ばされる。それは自身にも多少受けるようで、伊奈帆も数メートル後方で倒れ込む。

 

「ほう、そんなものを隠し持っていたとはな」

 

まともに受けた黒鬼は体の表面をビリビリとさせながら立ち上がる。伊奈帆も力を込めて立がる。

 

しかし黒鬼は怯むことなく衝撃波を水平に打ち出す。伊奈帆はギリギリでしゃがんで避けると、その場から駆けだす。黒鬼も追い、甲赫での攻撃を緩めない。

 

ひたすらに伊奈帆が避ける、一方的な戦い。そんなものを長時間行えるとは到底無理だった。

 

羽赫のトゲを発射し、それが運悪く伊奈帆の足首あたりに刺さる。そのまま伊奈帆は地面にこすりつけるように倒れ込む。

 

「鬼ごっこは終わりだ」

 

黒鬼は冷徹な声音で伊奈帆に終焉を告げる。アルドノアが揺れる。青白い甲赫を振り上げ、黒鬼は衝撃波を繰り出す態勢になる。

 

伊奈帆は激痛に苦しみながらも壁に手を掛けながら立ち上がり、楯を構えた。冷や汗が幾度も垂れ、呼吸が荒くなっている。普段のポーカーフェイスも面影すらない。

 

「そんな楯など、無意味だ。……さらばだ、小さき戦士よ」

 

黒鬼は斜めの、かつ威力増の衝撃波を放った。これまでよりも数段上の不気味な音をたてて一直線に伊奈帆に襲いかかる。それを伊奈帆は真正面から睨み、電流層を最大限まで上げていた楯をギュッと握った。

 

そして、衝撃波と電流がぶつかったことによる爆発音が空間中を駆け回り、衝撃波は壁どころかその先の施設までをも破壊した。その場は人影もなく、瓦礫まみれとなり、すぐに崩壊して開けられた穴はふさがった。


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