アルドノアグール   作:柊羽(復帰中)

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Episode.26 多難の陣

水天寺とユキたち5人はひたすらに真っ直ぐに伸びる通路を進んでいた。

 

全身傷だらけの水天寺は一番後方で前後を警戒の目で様子を伺っている。前方には近戦武器の捜査官2人、中間にユキと1人がサポートとして入っている。

 

しかし未だに聞こえてくるのは通路内に響く彼らの足音だけだ。屋敷内とは真逆の明るい空間が故に感覚が狂う。水天寺ほどではないけれども全員傷を負っていた。

 

しばらく歩くと通路が右に曲がっていた。すると再び直進の通路が見えるが、所々で分岐している通路も見える。一番手前にあった右側の通路を見ると、すぐそこに金属製の両開きのドアがあった。赤のメタリックなドアの前で一行はより警戒心の目で立ち止まる。

 

「……開けますか?」

 

「開けないことにはどうしようもないですね。僕らはどこにいるのかもわからないから」

 

若干のためらいを見せながら振り返る捜査官に水天寺はいつも通りの冷静さを取り戻した声で答える。それを聞いて慎重に頷くと、ドアに向き直って縦長の鉄製の取っ手を握る。

 

勢いよくドアを手前側に開けると、そこにはまた一本線の通路が伸び、左右にいくつかドアがついている。しかしこれは先程まで通ってきた通路とは違い、言うなればひとつの巨大な空間に作られたいくつもの部屋に通じる道だ。床もドアを境界線として変わっていて、無機質な白から薄緑の絨毯が敷かれている。天井は通路よりも高く、いくらか抑えられた照明が備えられている。

 

「ここは……」

 

一瞬にして雰囲気の変わった空間に驚きの目を向けながらも水天寺は中へ入っていく。それに続いて全員が入ると、水天寺は左手の一番手前のドアを慎重に開けた。そこに広がるのは両サイドに二段ベッドが置かれた部屋。木製の二段ベッドにはたたまれた布団が残されており、その奥には2つドアがさらにあり、これは調べたところトイレとシャワールームだった。床は先程と同じ薄緑の絨毯が敷かれている。

 

この空間にあった部屋は合計で10あり、どの部屋もまったく同じ造りだった。そして喰種が隠れているわけではなかった。

 

「さっきみたいに、突然現れるかもしれませんからね。油断は禁物です」

 

水天寺は皆に注意喚起をして通路へ戻る。そして今度は少し進んで見えてくる左手のドアに目をつける。こちらは片開きのドアで縦長の取っ手を手前に引っぱる造りだ。

 

皆が構えつつドアを開いた。最初に見えるのは白の長テーブルだった。それがいくつも整列させて置いてある。そのテーブルひとつひとつに丸いすが六つほど下に入れ込まれている。中に入って右側には横長の板が設置され、その奥はシャッターが閉まっている。

 

「ここは、食堂かしら」

 

ユキが入り口の面の壁に"今月のメニュー"と書かれたA4の紙を見つけた。ボードに留めてあったその紙もだいぶ年月が経ったようで若干黄ばんでいる。

 

「そのようですね。で、奥が厨房でしょう。すると、昔の人がわざわざ秘密裏で造られた地下施設で寝泊まりして食事もしていた。そこまでしてする()()()があった」

 

水天寺は顎に手をつけて首をかしげる。他の4人も疑問を拭えないままあたりをちらちらと見まわしている。

 

「もしかしたら、ここは……」

 

「アルドノアの研究をしていた、と?」

 

ユキがふと顔を上げて出した言葉を先読みするかのようにして水天寺が続けた。そしてどうやらその通りだったようで、ユキは水天寺を見て強く頷く。

 

「ここは喰種のアジトと見て私たちはここにいます。そして発見したのは情報にも出てない、いわば存在するはずの無い地下空間。そして生活スペースと食堂がある。ということは、ここで表には出ることの無い研究が行われていてもおかしくありません」

 

「確かに、そう考えることもできますね。しかし、まだ全体を見たわけでは無いのでそれが確実とも言い切れない。ただ単に、昔人が喰種に連れ去られてここで強制労働させられていた、とも……。まぁ、いくらでも出てくるものです」

 

彼らはまだ住居スペースと食堂しか確かめられていない。安易に結論を出すのはまだまだ早いが、少なくともここはただの建物ではないことは確かだ。

 

「さて、ここは以上のようですね。先を急ぎましょう」

 

最後におおざっぱに辺りを見まわすと水天寺は4人に声をかける。ここで考察を延々と喋っている状況ではない。素早く情報収集し、いかにしてここから脱出するかが先決だ。

 

入ってきた出入り口から通路に出て、続く道を左に進み出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

緊張の糸が張ったまま、無音のにらみ合いが続いていた。

 

伊奈帆たちの目の前にいる2体の喰種。一方は2本の鱗赫をゆらゆら揺らし、そこに水色のオーラを纏わしている。もう一方は異常な巨体の喰種。赫子は出していないが、巨大な両手が最早赫子に見えてくるほどだ。

 

伊奈帆は唾を飲み、ほんの少しだけ右足を後ろにずらした。起助も菊一文字を握りなおす。佐々木は睨むような目をさらに細める。

 

2体の喰種も動く気配がない。唸っていた巨体の喰種も静かにしている。それが逆に不気味だった。さらに不気味なのは、ひとつも声らしい声を出さない手足の長い喰種だった。

 

先程2人の捜査官を葬った場所、破壊された壁からまたひとつ、やや小さい破片が崩れて床に落ちた。それが合図だった。

 

まず手足の長い喰種が勢いよく突進してくる。伊奈帆たちは注意を最大限にして構える。両サイドに伊奈帆と起助、真ん中に佐々木が陣取ってイーグルアイの銃口をまっすぐ向け、引き金を引こうとした。

 

しかし手足の長い喰種はそれを見越していたのか、手足の長い喰種は自信の後ろで2本の赫子を接触させた。それによって独自の気流を発生させた。そしてそれを利用して瞬間的に加速した。そのため、伊奈帆たちがめで追う頃には、佐々木に強烈な蹴りを入れていた。咄嗟にイーグルアイで防御を試みていた佐々木だったが、全ては受け止めきれずに後方へ吹っ飛ばされてしまった。

 

「くっ……!」

 

起助がすぐ横に移動してきた喰種にすかさず攻撃を仕掛けるが、鱗赫で見事に受け止められる。その反対側から伊奈帆も仕掛けようとするが、後ろで突っ立っていた巨体の喰種が動き出した。左手を無造作に振り回して壁を削り、破片を飛ばしてきた。

 

「……!」

 

伊奈帆は咄嗟に体を低くして襲いかかってくる破片を避けたが、その隙を狙うようにして手足の長い喰種が起助の攻撃を受け止めた方でない赫子で、低い位置を狙うように振るってきた。それをうまくクインケを縦にして受け止める。

 

が、すぐに手足の長い喰種は赫子を2人から離して一旦下がった。ひょろりと高身長の体を異常なまでに倒して、まるでアメンボのような状態になる。そして2本の赫子を海の中で揺れる海藻のようにうねらせ、その後ろで立つ巨体の喰種は両腕の指の関節を鳴らしていた。

 

その様子を見て伊奈帆はハッとした顔で起助の袖を半ば無理矢理引くようにして後ろに走り出す。

 

「伊奈帆!?」

 

「今すぐどこかに隠れないと。飛ばした破片をアルドノアの力を使って加速させる気だ」

 

「なっ!」

 

起助が意表を突かれた顔をして喰種たちの方を見ると、巨体の喰種が徐々に勢いをつけるようにして腕を振っている。

 

「あそこに通路がある。そこに佐々木上等と一緒に……!」

 

「2人とも、端に捌けろ!」

 

ちょっと走った先に左に折れる道があった。そこに逃げ込むことができればとりあえず助かるだろう。そこで動けなくなっている佐々木を素早く引きずって隠せれば……と伊奈帆が瞬時に考えたとき、倒れていた佐々木が急に起き上がった。そしてその手には彼のクインケが持たれており、バチバチと閃光を帯びていた。

 

2人が咄嗟に壁端によりながら滑り込み、丁度佐々木がいる場所まで辿り着いた。その瞬間、佐々木が引き金を引くタイミングと巨体の喰種が指を壁に突き刺して破片を飛ばし、手足の長い喰種によって加速させようとしている、その両者が重なった。

 

スピーカーが壊れて耳障りな高音が響き渡るような乱気流に乗って高速で破片が飛ぶ。そしてイーグルアイから放たれた雷撃砲は寸分のずれもなく一直線に飛んでいく。両者が重なり、交わった。はたしてどちらが勝るか。それは言うまでもなく、後者だ。

 

凄まじい轟音が通路内を響き渡り、その雷撃砲は巨体の喰種の胸部に直撃した。いくら巨体といえどもこれほどの威力をまともに受けて立っていられるはずもなく、数メートル先に飛ばされて倒れ込んだ。その衝撃もそこそこで鈍い音が通路内に広がる。

 

「やった……か?」

 

「いや、まだだ」

 

体を起こして起助が通路の先を見つめる。彼よりも素早く立ち上がった伊奈帆は、しかし険しい顔のままだった。

 

「あのアルドノアグールには当たってない」

 

伊奈帆の口にしたことはまさにその通りで、先程の砲撃の影響でライトが点滅を繰り返す空間にゆらりと不気味な立ち上がり方をする手足の長い喰種、アルドノアグール。そして、その奥でゆっくりと起き上がる巨体の喰種の姿があった。

 

「……あれを食らっても死なないのか」

 

佐々木は眉間にしわを寄せて唸るように歯をむき出しにする。彼のクインケで最高火力で打ち出した砲撃を食らってもなお、こうして立ち上がろうとするのだ。悔しさと焦りと絶望が混ざり合って佐々木を襲う。

 

その、巨体の喰種が体を起こしているところを伊奈帆は見たとき、ふと気になったものがあった。それはその喰種が現在進行形で回復している胸部。その傷口が明らかに不自然だと、伊奈帆は感じた。そしてそれはじっと観察しているうちに確信へと変わった。

 

「……そうか」

 

「え?」

 

「あれは、ただの巨体なんかじゃない。あの体は……」

 

ぐちゃぐちゃと、なにかが蠢いている。それはまるでいくつもの足を持つ虫のような不快な動き。そして傷口の奥には決して再生していく肉片は見えない。それどこか、飛び散った血の跡さえ見当たらない。

 

では、あれは……。

 

「あの巨体、全部が赫子なのか」

 

「はぁ!?」

 

伊奈帆が結論づけた事実に起助はあっけにとられたようで口を大きく開いたまま、再び巨体の喰種を見た。その喰種の傷口はもうふさがっていた。遠くの方から聞こえる地響きのように唸って指の関節を鳴らしている。

 

「赫者……ってことか」

 

「あれが、赫者。でも……」

 

「箕国の言いたいことはわからなくもないが、俺らは喰種の全てを知っているわけではない」

 

起助はめいっぱい巨体の喰種を見るが、疑問を残すような顔で傾げる。しかし佐々木は視線を喰種に向けたまま起助に言った。

 

その通りで、人間は喰種のすべてを知っているわけではない。そもそも、赫者というのがすべて似た格好をしているわけでも、攻撃方法が同じなわけでもない。すべて起助の中でのイメージが赫者のすべてでないということだ。

 

ここでアルドノアグールが動き始める。先程とは違ってゆっくりと足を出して前へと進んでいる。2本の尾赫は奇妙な舞を披露している。3人は視線を一度も離さずに構える。次はどうくるのか、一瞬たりとも油断はできない。伊奈帆の頬を伝って汗が一滴流れ落ちた。

 

丁度、アルドノアグールが歩いて通ろうとしていた場所が、まさに先程伊奈帆たちが確認しようとしていた2つ目の実験室の扉の前だった。そこは、伊奈帆たちは気づいていなかったのだが、扉は開いていた。それは偶然開いていたわけではなかった。()()()に開けられていたのだ。

 

「……!」

 

アルドノアグールはなにかに気づいて止まり、左を向いた。直後に頬と肩、足から血が出てくる。瞬時に赫子を前に出して衝突させて突風をドアに向かって放った。

 

「……え?」

 

佐々木が漏れ出すようにして出た言葉をかき消すようにもうひとつのドアが開け放たれる。そこから4人ほどが一斉に現れる。どの後ろ姿も伊奈帆たちには見覚えがあった。

 

「大丈夫ですか、皆さん」

 

「増田一等!」

 

ひとりがこちらを振り向いた。口だけは笑っている顔で声をかけてきたのは増田だった。ということは……。

 

「丁度良かった。死んでいないか?」

 

低い声で冗談交じりに言葉をかけるのは宗像准特等だった。視線は喰種に向けられたままに簡単な状況説明を始めた。

 

「今の攻撃は不見咲に行わせた。他2人とあの中だ。そしてあの部屋、実験室のようだが、おそらくお前さんたちも見ただろう」

 

「はい」

 

「特に得られるデータ等は見当たらなかった。しかし、ここで何かしらの研究をしていたことは確かだろう」

 

宗像の言葉を聞きながら佐々木が短く返事をする。宗像たちがとなりの研究室を調査していたのだとすぐに把握した。

 

「あとは、こいつらの処理だ」

 

宗像が自信のクインケを握りなおす。アルドノアグールは一旦下がって横からの狙撃を回避する。あの程度のダメージではまだ意味がない。すでに傷跡は無くなっている。

 

「やつの能力は2本の尾赫を接触させることで自身の思うままに気流を発生させることができます」

 

「ああ、そのようだな」

 

「加えてここは分岐の通路がいくつかありますが、すべて直進した通路で全てが構成されています。つまり、気流は真っ直ぐに流れてくる。そして逃げ道は分岐路しかありません」

 

「ああ」

 

「そして、やつが尾赫を接触させて気流が発生する、その間にほんの僅かなラグがあります」

 

今度はアルドノアグールの情報説明を伊奈帆が始めた。にらみ合いの対峙をし続ける宗像だったが、最後の一言に反応してちらりと目だけ伊奈帆を見る。

 

「……そのクインケ、敦也のだな」

 

「……はい」

 

「なら俺に考えがある」

 

宗像がそう言うと伊奈帆は小さく頷いてから立ち上がる。伊奈帆が近寄ると宗像は耳打ちを始めた。そして伊奈帆が改めて頷くと宗像は今度は起助を呼び寄せる。同じように耳打ちをする。

 

「……そ、そんなことが!?」

 

「ああ、そうだ。あいつはこの分野でも鬼才ぶりを見せていた。これは一部の人間にしか知られてないが、安心しろ。嘘は言わない」

 

宗像が真顔で「嘘は言わない」と言うほど不気味で恐怖を覚えるものはない。とはいえ、この作戦に起助も乗る以外の選択肢はなかった。

 

宗像の班にいた近戦型クインケ持ちの捜査官2人と起助がある程度前に出て構える。どの武器もすべて2体の喰種に向けられる。それでもその2体はピクリとも動かず、こちらをジッと見つめている。

 

そして3人のすぐ後ろで伊奈帆が立つ。クインケの持ち手部分を操作し、槍の刃先をアルドノアグールに向けた。それ以外が若干後退する。

 

「おそらくこれは一度きりだ。失敗は許されない。……行け」

 

宗像の鋭い声が一旦途切れる。そして一際力がこもった声で合図を出した。羽赫組3人は一斉に走り出した。両壁に沿うようにして前に2人、その後ろで真ん中を走る起助が一気にアルドノアグールへと迫る。

 

それを見極めてアルドノアグールは鱗赫を素早く動かして2本を接触させる。その瞬間だった。

 

敵味方の動きを見極めた伊奈帆はギミックを作動させていた。以前のフェミーアン討伐で壊れてしまった自身が持っていたクインケ、スレイプニールと同じように刃先だけが射出し、ワイヤーとともに起助たちの間を縫うようにして飛んでいく。それはアルドノアグールが2本の鱗赫をぶつけ、いまにも気流が発生しそうな瞬間。

 

アルドノアグールにも予想外だったようで反応に遅れ、刃先は見事に腹部に刺さった。

 

「ロック」

 

その左右対称の刃先が外側に向かって開くように動き、細かい突起がさらにアルドノアグールの腹部にめり込む。そして、ここまで来た瞬間に気流が生まれ、捜査官たちをなぎ倒していく。3人と後方に1人がいたためアルドノアグールはより警戒をしてきた。先程よりも強い気流だったため、伊奈帆も飛ばされる。これは、宗像の予想通りだ。

 

伊奈帆は石突に足を掛け、両手でしっかりクインケを握った。そこからワイヤーを通して刃先も繋がっている。つまり、アルドノアグールも引っぱられてしまうのだ。そのため、アルドノアグールは気流発生のポイントまで体が出てしまい、急激な速度で飛ばされた。

 

「上出来だ」

 

3人の捜査官が派手に転がり伊奈帆も倒れ込む、その目の前の光景には目もくれず、斜め上で伊奈帆によって一本釣りされたように浮くアルドノアグールだけに全てから恐れられるような、獣のような目を向けている。

 

アルドノアグールは体勢を立て直そうと鱗赫を動かそうとした瞬間、左右に宗像のクインケ――カザキリ――が刺さっていた。両壁にまで貫通するほどの双剣によってアルドノアグールは吊された状態になった。

 

「撃て」

 

宗像はクインケを投げ終えた瞬間捜査官たちに次の合図を出した。後方で待機していた佐々木たち羽赫クインケ組3人が一斉に銃口を向けた。

 

「……!」

 

流石にこの状況では慌てるのか、アルドノアグールは長い手足をばたつかせ始める。しかしただ空をかくだけで何も起こらない。持ち手付近に返しのような刃がついているクインケのために鱗赫から抜くこともできない。その逆、クインケを手で握って抜くという選択肢もあった。長い手があるのだから、むしろそれが最善策だということは言うまでもない。しかし、()()()()()()()()()()()

 

ほぼ同時に3人がアルドノアグールに向かって撃ち始めた。エネルギー弾と対喰種専用の弾丸が休むことなく発射され続ける。重なる発砲音にかき消されるようにアルドノアグールがもがき苦しむ。しかしそれを巨体の喰種はたすけようともしなかった。それどころか、先程からあの場所を一歩も動こうとしない。

 

既に鱗赫に纏っていたアルドノアは消えていた。それらは全て体の再生に回されているのだろうが、しかしそれが結果を残すことはなかった。

 

手加減の弾数の加減も知らない捜査官の発砲で真っ赤に染められたアルドノアグールは、徐々に動きが鈍っていた手足の動きがついに止まった。同時に鱗赫もボロボロと枯れ葉のように崩れていった。支えを失った屍は地面に落ちる。赤い水が落ちた衝撃でビチャッと音を立てて周囲に飛び散る。

 

「……呆気ないものだ」

 

劣等種を見るような冷たい目で宗像は屍を一瞥すると、今度は巨体の喰種の方に顔を向ける。

 

「あいつ、全然動きませんね」

 

起助がクインケを構えつつ小さく呟く。他の捜査官も今だ険しい顔を巨体の喰種に向けて警戒を怠らない。そして一番伊奈帆たちから近い出入り口から不見咲たちが出てきた。そして不見咲は言われずとも羽赫クインケで天井付近を撃ち、宗像のクインケを落とした。

 

「……ふふふ」

 

宗像がクインケを拾った、まさにその時だった。どこからともなく声がした。年の若い少女が純粋に笑うような、綺麗な声。しかしその声を発するような人物は捜査官の中にはいない。

 

「ふふ、ふふふ」

 

またしても聞こえるその声。笑い声が通路に響く。また別の場所に喰種が潜んでいるのだろうか。しかし、その笑い声が聞こえてくるのは、伊奈帆たちの前方からだった。まさか……いや、そのまさかだった。

 

「やはり手慣れた方たちが集まるとあっという間ですね。まぁ、彼の力はたかが知れてましたけれど」

 

ぐぐぐ、と巨体の喰種の胸部から腹部にかけて縦に裂け目ができた。開かずの扉が開くような、重々しい赫子が割れてできた闇から、明らかに体格差が合わない喰種がでてきた。背丈は捜査官たちの中でも低い方の伊奈帆よりも小さい。不気味なマントを羽織り、フードを深く被っている。そして両手足には1ミリの肌の露出も許さないほどに包帯が巻かれていた。その顔も包帯で巻いたようだが、マスクのデザインとも考えられた。

 

「でも、もういいわ。私の仕事はこれで終わり。あとは()()()に任せればいいわね。そもそも、あの人が言い出したことだし」

 

「なんだ、お前は」

 

捜査官たちが目を丸くして口をあんぐり開けて立ちすくむなか、睨み付けるように宗像が口を開いてクインケの片方を前に突き出す。その喰種はくるりと180度まわって立ち去ろうとしていたが、顔だけこちらに振り向いた。そしてその未知なる目は、伊奈帆の目と合ったようだった。

 

「また、会いましょうねー」

 

すぐに顔を戻して楽しそうに跳ねながら立ち去ろうとするが、また止まってこちらを振り向いた。仮面で見えるはずもない顔、目。その目が先程とは違って、殺意が混じった視線に伊奈帆は感じられた。

 

「でも、全然仕事してないって言われるのもアレよね。……だから」

 

そして何気ない力で物を運んだりする感じで赫子を出した。しかしそれは尾赫とも鱗赫とも甲赫とも羽赫ともとれない、見たこともない形の赫子だった。それは、つまり見たままで言うと左腕だけ巨大化した、ということだ。巨体の喰種とはまた違ったかぎ爪型の腕で実験室の壁にあたる部分を一部強制的にはぎ取った。

 

「……!」

 

「ごめんなさいね」

 

本人は悪気が無いような、無責任さしかない軽い声で壁の一部を放り投げた。しかしそれはとてつもない質量のものであって、簡単にキャッチすることさえ叶わない。ましてやあの背丈でこれほど巨大なものをいとも簡単に、かつかなりの速さで放り投げている時点で、並外れた力を持っていると確信できる。

 

しかしそうやってゆっくり考えている暇なんてなく、電車が横を過ぎていくように壁の一部が伊奈帆たちがいる地点の壁に激突した。避けきれずに4人ほど巻き込んで大破した壁の一部が、壁に穴を開け、残りの破片がまわりに飛び散って伊奈帆たちを襲う。

 

破片がライトにも及んだようで完全に停止していた。一定範囲が停電した下でゆっくりと伊奈帆たちは立ち上がる。伊奈帆は痛みが走った左頬に手をやると、赤い血がぬるっと出ていることに気づく。

 

「みんな立てるか?」

 

先程の喰種は霧に紛れるかのように消えてしまっていた。真っ先に立ち上がる宗像がまわりを見渡す。それに答えるように巻き込まれた4人以外は全員立ち上がった。そして瓦礫の下に巻き込まれて赤い池に浮かぶ屍を見下ろす。

 

「4人……かなり減りましたね」

 

「……先を急ごう」

 

目を細めて悲痛な顔を浮かべる不見咲を尻目に宗像は一歩を踏み出した。その視線に映る先は先程の衝撃で開いた通路だった。

 

「む、宗像准特等。そちらに行かれるのですか」

 

不見咲に問われると宗像は一旦足を止めてこちらを振り返る。

 

「どっちに行こうが俺らにはわからない。どこへ行けば地上に出られるかを知っているなら話は別だがな」

 

そう言って宗像は前へ向き直って穴の奥の道へと進んでいく。伊奈帆たちもお互いに顔を合わせて頷き、宗像の後を追った。

 

この通路は左右に伸びていて、宗像はそれを左に進んだ。そうして歩くと途中で小さく右に折れるところがあった。それは先程の巨大な実験室のような重々しいドアが取り付けられている。灰色の表面に鈍く光る鉄製の取っ手。こちらは左右に開く仕様だがどちらも閉まっている。そして実験室よりも、さらに不気味な雰囲気が醸し出されている。

 

「……開くぞ」

 

皆がクインケを構えてより一層の注意を目の前にある扉に注ぎつつ、ドアを引いた。そして見えてきたのは、またもや通路。しかしドアを挟んで床の造りが変わっている。無機質な白の床から黒々しい灰色の薄汚れたものになっている。そしてその通路は見るからにして左右に緩やかにカーブしているようだった。ドアを抜けてそのまままっすぐに行くと、そこは巨大なだだっ広い空間になっていた。天井もかなり高く、通路ほどではないが大きい光源となるライトがある。

 

捜査官たちがあたりを見まわしてすぐにわかった。この空間は円、というよりも天井も含めて言うならば半球状になっているようだ。ならば緩やかに曲がっている通路もここに沿って円を描いているのだろう。

 

「実験室の次はなんだ?闘技場とでも言うのか?」

 

不見咲が頭上を見上げながら目を細める。闘技場、という表し方は確かに頷けた。こんな無駄に広い空間で物もなにひとつ見当たらない。ただ、空っぽな空間があるだけだ。はたしてここで何が行われていたのか、伊奈帆がそう考えつつまわりをぐるりと囲む壁を見ていたときだった。

 

「ああ、その通りだな」

 

突如として空間内に響く声。それは広く滞りなく響くしっかりとした声。しかし、こんな感覚を二度も味わうとは思っていなかったが、この6人の中でこの声を持つものはいない。声の出所に視線を移すと、入ってきた出入り口の真正面にある反対側の出入り口から人影がひとつ現れる。ゆっくりと足音を立てながら中へと入ってくる人物は、赤紫のマントを羽織っている。そして顔には鬼をモチーフにした兜のようなマスクを被っている。

 

とん、と足音を鳴らして止まった瞬間、2つある出入り口が上から降りてきた鋼鉄のプレートのようなもので塞がれてしまった。鈍い音とともにプレートが落ちた衝撃で地面が微かに揺れる。

 

「貴様……」

 

全員が警戒態勢へと移行する。緊張の面持ちで鋭い視線を喰種一点に集める。宗像は眉間にしわを寄せながら喰種を睨み付けた。その顔は、決してただ喰種を見るようなものではなかった。例えるなら、まさに因縁の相手を見つけたような顔だった。

 

「ハッ、まだ捜査官をやられていたのですか。そろそろ引退なされては?」

 

「喰種のくせに人の心配とは笑わせるな。その喉、再生できなくなるまで斬るぞ」

 

彼らの、たった1回のやりとりで想像以上の因縁があるのだと結論づけられた。それ以前に、伊奈帆たちもあのマスクには見覚えがあった。未討伐の喰種資料にその姿が映った防犯カメラ画像、そして通り名、赫子、レートが記されていて、その喰種はかれこれ20年近くCCGの手から逃れていたのだ。

 

通り名は"黒鬼"。レートはS~レート。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暗黒を包んだ空はもう霞んで消えてしまった。空はいくらか日の光が混ざって水色がさらに薄くなったような色をしている。建物の陰に住むようにスレインはゆっくりと歩を進める。決して目的地を目指して前に進むような、そんな歩調ではない。それどころか、自分がどこに向かって歩いているのかさえもわからない。

 

当然だとスレインは思っていた。あの場所に、橋の下にまだアセイラムが隠れているなんてことはありえない、と。それでもスレインは確かめられずにはいられなかった。

 

あの時スレインは言った。確かに言ったんだ。ここで待っていてくれ、と。必ず戻ってくる、と。

 

しかし、アセイラムはいなかった。あのマントを羽織った姿はどこにもいない。存在が消えてしまうように……。

 

もうアセイラムとともに行動した場所はあそこで終点を迎えている。もうスレインは当てがない。通りすぎに見つけた捜査官たちを殺してから微量に吹く風に流されるようにここまで歩いてきた。喰種になってから歩き回るだけでは滅多に疲れを感じなくなった。それなのに今は徒労感が体の半分以上を侵食してしまっている。この感覚は久しぶりすぎてスレインは懐かしさを覚える。

 

そして他にも喰種になってから備わった能力があった。気配の感知である。

 

足を止めた。夜明けの薄い光で照らされた道路に1人、誰かが立っていた。その人物はスレインと対峙するように歩いてきて、ある程度の距離で止まった。赤紫のマントを羽織り、そこから伸び出る手足はすべて包帯が巻かれている。そして顔の方にも包帯が巻かれたようで、目の部分だけ開けられている。フードも深く被られた顔であるのに、なぜか笑っているように感じられた。

 

「こんにちは。いえ、おはようございます、の方があってるかしら。時刻からして」

 

「……あなたは、誰ですか」

 

「ふふふ、おわかりでない?」

 

雲がほとんどない今日の空のように明るい声で挨拶をしてきた。しかしスレインは目の前の人物、おそらく喰種であろうが、に心当たりがなかった。若干の警戒心を顔に出しているとその喰種は首をかしげた。

 

「この声でわかると思ったんだけどな。何年か前になっちゃうけど、クルーテオと来たじゃない。スレイン・トロイヤード君」

 

自分の知っている人物の名前。そして自分自身の名前を出されてスレインは余計に目を細くさせて相手を睨んだ。それと同時に頭の中で記憶をたぐり寄せる。今いる人物の声、おおよその体型……。

 

そしてスレインはハッとした。目の前の喰種とは明らかに違う格好をしているのだが、思い当たる人物が一人いた。それも確かにクルーテオに同行したときだ。

 

「あなたは、レムリナ……様」

 

「そう、正解」

 

名前を言い当てると嬉しそうにその喰種、レムリナはくるりと一回転する。

 

「忘れられてたんじゃないかと思ってたけど、よかったわ」

 

両手を胸元において一呼吸つくと、

 

「アセイラム姫を探してたんでしょ」

 

「!」

 

唐突に出た言葉にスレインは動揺してしまう。決して宣言してきたわけでもないその目的をなぜ知っているのか。スレインはしかし考えて、アセイラムが失踪したとクルーテオが隠していたが、スレインが殺したあとにタイミングよく他の手下たちからか漏れ出したのだろうか、と意味のない仮説を作った。

 

「心配しないで。もうあの20区のところの処理は済んでいるわ。そもそも、あなたが手を下さなくても私たちが処理する予定だったし」

 

「……」

 

そう、だろうなともスレインは思えた。ヴァースにとって貴重なアセイラムの失踪。それがうまく隠し通せるわけがないだろう、と。

 

「私たちの手間を省いてくれたのと、私の名前を覚えていてくれたお礼に、2つ情報をあげるね」

 

右手の人差し指と中指を出すとさらにレムリナはスレインとの距離と縮める。

 

「ひとつ、アセイラム姫は今、CCGに捕われている。ふたつ、今夜16区で大規模な喰種討伐をCCGが行おうとしている。その場所はザーツバルムがいるアジト」

 

「……!」

 

レムリナから提示された2つの情報。それはスレインにとって最重要なものが含まれていて、しかもそれをどうやって手に入れたのかが不思議に思えた。その思考はすぐに疑問、彼女の証言の真偽が気になった。

 

「安心して。嘘なんてつかないわ。そんなことしても私にはなんの特にもならない。それに、私はあなたの味方なんだから」

 

スレインの心を読むようにしてレムリナはさらに言葉を加えた。ふふっと笑った声がマスク越しに聞こえた。

 

「16区への道はあっちよ。途中にある地図でも見ながら進みなさい。それじゃあね」

 

スレインの左にある道を指さすとレムリナは颯爽と走り出して建物の陰に消えていった。スレインは後を追いかけたが、既に彼女の姿はなかった。

 

「……」

 

スレインは無言でその場所を見つめると、きびすを返してレムリナが指した方向へと歩き出した。そこにアセイラムがいるなどと言っていなかった。でも、それでも、なぜかそこに行くべきだと思えた。それは見えない力で、唐突に湧き出た義務感によって体が動かされているように感じた。

 

その後ろ姿を、レムリナは見ていた。

 

「いいわね、あんな風にどこまでも探しに来てくれる人がいて。さぞかし幸せでしょうね、お姉様は」




この作品も一区切りついたら月一、それ以上の間隔で投稿になります……え、大して変わらない?まぁそうかも

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