アルドノアグール   作:柊羽(復帰中)

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Episode.23 Welcome to Vers's hideaway

久保田の作戦開始の合図が内線に響く。それを合図に一斉に捜査官たちは動く。建物の正門前で待機していた部隊は既に開いていた鉄製の門をくぐり、玄関前まで一気に走り抜ける。左右に見えるのは既につるやサビで埋め尽くされた噴水、手入れがされずに放置された草木。夜空の月によって照らされたそれらは一瞬巨大な喰種にさえ見える。そうなってしまう捜査官たちの心にはやはり拭いきれない喰種、特にアルドノアグールへの恐怖がある。それでも、彼らは突き進む。

門から玄関まで地面に長方形に整えられた石が埋め込まれていた。捜査官たちの走りに合わせて靴と石が当たる音がやけに大きかった。捜査官たちの何人かはクインケを展開して警戒しつつ走っていたが、喰種の陰さえ見かけない。そうこうしているうちに最初に動いた部隊16人は玄関前に辿り着く。二手に分かれてドアの両端に寄り、呼吸すらも慎重にする。この部隊の隊長が皆と目を合わせる。ドアの正面すぐ右で彼は刀型のクインケを展開し、目の前にいる捜査官をとアイコンタクトをし、頷いた。

見た限り頑丈な作りなドアもクインケにかかれば紙同然だった。振り下ろされたクインケでドアを破壊し、捜査官たちが迅速に中へ入る。大きなホールになっていて、大理石をはめ込んだ床が一面に広がる。奥には2階へと続く階段が見える。途中で二手に分かれて左右に緩やかに曲がっている。吹き抜けになっているせいか、上の方に設置されている細長い窓から月明かりが差し込む。ガラクタと化したドアの破片を踏んだ音が次々と鳴る中、ここまで来てもなお相手の姿は1人も見かけない。捜査官たちの頭に装着された小型ライトを点灯する。光源が差し込む月光なため奥の方は闇に包まれていた。部隊全員が慎重に中へと進み、1人がその方向に向かってライトを当てる。

 

「……ん?」

 

「どうかしたか、鞠戸上等」

 

その人物、鞠戸が何かを発見した。すぐ横にいた部隊長が気づく。

 

「何かがあるみたいなんだ。その、階段の奥に」

 

鞠戸の警戒する視線の先を皆が見つめる。ライトのおかげで、横幅がかなりある階段の裏に、床の大理石とはまったく異なるものが見えた。気を緩めることなくその場所に近づいてみる。

 

「なによ、これ」

 

同じくこの班にいるライエがそう呟いた。おそらく皆がそう思ったに違いない。彼らは一層強ばった表情で()()()()()()()()()()

 

彼らの目の前には巨大な穴があったのだ。2階へ続く階段より左に寄っている。直径は見る限り10メートル近くあるだろうか。大理石の床を力ずくで掘ったようにえぐられている。目下は大小様々な骨組、さらに微かに最下層の床が見える。彼らは、予想外のことに驚いていた。

 

「おいおいおい、こんなの知らねぇぞ」

 

『どうしたんだ、川島准特等』

 

無線に久保田の声が聞こえてきた。小型無線に内蔵されたGPSがこの場所で一向に動かないのを不審に思ったのだろう。

 

「ええ、それが、地下につながる巨大な穴を発見しました」

 

『地下……だと』

 

資料を探しているのだろうか、紙がすれる音が少しした後、久保田が再び話す。

 

『入手した資料だと地下は無いはずだぞ』

 

「そうなんです。僕も設計書は確認しました」

 

『なら、喰種たちが作ったと言うのか』

 

「それか、元々の持ち主が隠れて作らせたか、とか」

 

鞠戸が口を挟む。

 

『うむ……。まあ、今はそんなことを考えている場合ではない。ひとまず作戦通りに動け。すぐに第二、第三部隊が行くはずだ』

 

「了解」

 

通信は切れ、一端の静寂が訪れる。そしてすぐに隊長である川島が皆の方に振り返る。

 

「今はあくまで作戦中だ。あれこれ考えても仕方が無い。我らは我らの役目を果たす」

 

多少のずれがありながらも捜査官たちが返事をする。これも作戦通りに第二部隊、第三部隊が入ってきた。

 

「ここには今のところ喰種はいない。だが油断は禁物だ。我らと第二部隊は上、第三部隊はこのまま奥を」

 

「了解」

 

「了解だ」

 

後に返事をしたのは暮宮だった。普段のおちゃらけた表情はどこかへ行き、真剣その者だった。けれどほんの少し、これからの戦いを待ち望んでいたかのようにも見える。

 

鞠戸とライエを含む第一部隊と第二部隊は階段を駆け上がり、第三部隊は巨大な穴を横目で見つつ、奥にある廊下を突き進んでいった。

 

 

ここの建物は鞠戸たちがいる本館の他に建物が3つ。上から見下ろすようにすると本館が丁度南側に入り口を向け、そこから縦に長い建物の北側から通路らしきものが上と左右に伸びる。そこを辿って行き着くのが東館、西館、そして演奏などが行えるホールがある。東館と西館は本館ほどの大きさはないが、それでも普通の民家よりは遙かに大きい。本館は3階建てとなっているが、そもそもの各階層が高い造りになっているようで、もはやそれ以上あるように見える。そういった造りで東館と西館は2階、ホールは1階と上に屋上が備えてある。

 

西館に入った部隊の中に伊奈帆と佐々木、起助がいた。逆に東館に韻子とユキ、ホールには増田と不見咲がそれぞれ編成されている。生憎マグバレッジは他国に喰種討伐を協力しているために、今回の作戦には参加していない。彼女がいればもっと余裕だというのに、と愚痴をこぼす者も少なくなかった。

 

 

 

 

 

そして場所は移って西館。こちらは入り口が通路を通らないと見えてこないため、壁外に向けられている大きい窓から強引に乗り込むしかなかった。東館も同じ方法だ。西館の第一部隊隊長が窓を割って中に入る。隠密部隊のごとく音を最小限に抑えて着地すると、ここもまた静寂に包まれている。天井付近に備えられた天窓から入ってくる月明かり以外に光源のない空間は闇が占領している。右側に通路から続く出入り口が見える。ここは1階のホールで、本館ほどの大きさはないが床一面にしかれた真っ赤なカーペット、左手には2つのドアが並んでいる。壁は白を基調としていて、複雑な流線型の模様などが彫ってある。そして正面に2階へ続く階段がある。ライトをつけて見回すが喰種の陰は見受けられない。

 

隊長のジェスチャーを見て隊員たちも中に入る。こちらの第一部隊にあの3人はいた。

 

「何の気配もない」

 

「でも油断はできない」

 

辺りを見回す起助に伊奈帆は小声で注意する。彼らが一筋縄に倒せる相手ではないとわかっているからだ。

 

まもなく第二部隊も入ってくる。第一部隊はこのまま作戦前に何度も地図や流れを確認した通り、階段を上っていく。もう建てられて何十年と経っている屋敷だからだろう、一歩一歩踏む度に階段が軋む。捜査官たちが素早く駆け上がっていく中、伊奈帆は立ち止まって上を見上げる。ライトで照らされた箇所には天井の模様がうっすら見える。全体像をしっかり見ないとどんなものが描かれているのかがわからない。いや、そんなのはどうでもよかった。見たかったのは……。

 

「おい、伊奈帆」

 

踊り場のところで起助がこちらを見て急ぐように促す。伊奈帆もそれ以上見ようとせずに急いで階段を上がる。そこにはちょっとしたダンスショーでもできるくらいの広さがあり、左側にこれまた2つドアがある。奥には縦長の窓が5つあり、それら一つ一つにカーテンが備えられている。この距離からではその色は判別できない。

 

「ここにもいないのか」

 

ここの部隊長が斧型のクインケを持ってゆっくり見回すが、喰種の気配さえしない。他の捜査官たちも警戒するが彼らの足音しか聞こえない。となれば、

 

「あの部屋しかない」

 

佐々木が銃型クインケ"イーグルアイ"を強く握りつつドアの方を向く。今だ様子がわからないのはこの部屋のみ。下の方は他の部隊に任せているのでそこからの報告待ちだ。

 

「よし、行くぞ」

 

部隊長と他1人がドアの両サイドに立つ。他の捜査官たちはいつでも戦闘に移行できるように構える。部隊長がドアノブに手をかける。金属製の丸いドアノブ。ゆっくりと時計回りに回してドアを開けた、その時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

場所は東館。暗闇をかき分けるように部隊は窓を割って突入した。ここに配属されていた韻子とユキは緊張の面持ちでクインケを持つ。ここの担当の2部隊は同時に潜り込む。というのもこちらは部屋の数が多いのである。東館は西館とさほど変わらない大きさではあるが構造がまったく違う。東館の場合はホールに窓がないので別の場所から入る。目の前に飛び込んできたのはまず長いテーブル。それも10メートルはあるだろうか、そのテーブルには椅子が備えられている。背もたれが細長く、金属製の先端がくるりと丸まっている手すりがある。それがまるで今日まで誰かが綺麗に整頓していたかのようにきっちり並んでいた。テーブルには豪華な赤と金のマットが敷かれている。

 

「ふん、喰種でも綺麗好きがいるのですかね」

 

この部隊の隊長である水天寺特等は鼻であしらうように見渡す。テーブルを挟んで窓と正反対の位置に扉がある。注意して出てみるが廊下があるだけだった。奥に行けば行くほど闇が濃くなる。左を第一、右を第二が進む。左は入り口ホールから二階へ、右側はまだ奥にある2部屋へ。

 

「喰種どもはどこにいるんだか……」

 

水天寺がまた愚痴るように言う。彼は真面目という印象があるが、喰種を心の底から嫌う。それ故苛立つように独り言を言う癖があるということは前々から韻子は聞いていた。しかしこれほど言うのにも少し理解はできる。まるでお化け屋敷に入ったかのような気持ちだ。最初っから喰種たちが待ち構えていて戦闘になる、と予想していたのだが一向に姿を見せる気配がない。むしろここには誰一人いないという雰囲気が強い。先程の場所のように、()()()()()()()()()()()()()()()()、そう思えてならない。

 

「ここからは2階へ向かいます」

 

彼の指示によりホールに着いた一行はL字に曲がった階段を上る。捜査官たちの足音と共に階段が軋む。踏んだ途端に底が抜けないか心配になりつつ韻子は駆け上がる。その時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああああああああああ!!!!!」

 

 

 

 

 

その叫び声は北のホール内にいた部隊にも充分聞こえた。それと同時に何かが崩れ落ちる音も聞き取れた。ここは造りの関係で潜入可能な窓等が無いため通路をクインケで破壊した。ドアには鍵が掛かって折らず、難なく入れた。中は本館ホールよりも遙かに広い空間が存在していた。一面に赤い絨毯が敷かれていて、見た感じで2、3階あたりに相当する高さに縦に長い窓があり、正面奥には舞台上が見える。こちらは紅色の垂れ幕が下がったままだ。

 

「今のは……」

 

咄嗟に捜査官たちが後ろを振り返る。後ろには一直線に伸びる通路。その先には本館が夜の町外れにひっそりと立っている。

 

「早速出たのか、アルドノアグールが」

 

「でも何の連絡も入ってきてない」

 

「そもそも本館なのか?西館か東館かもしれんぞ」

 

「今は他の心配をする場合じゃねぇ」

 

個々の部隊長がおもむろに話し始める捜査官たちを一喝した。彼はただ一直線に前を見つめる。五十後半の部隊長は細くつり上がった目をさらに細めた。そしてポケットから何かを取り出して握りしめる。横にいた不見咲からはそれは破壊した通路の破片に見えた。部隊長は軽く振りかぶって投げた。弧を描くようにして破片はコトリと落ちた。何回か跳ねて転がっていき、ついに6,7メートルほどで止まった。

 

「あの、宗像(むなかた)准特等、いったい何を」

 

「……おかしい」

 

「え?」

 

部隊長である宗像正治(せいじ)准特等捜査官は表情を緩めずに小さく言う。

 

「音が違うんだ。ここに入ったとき、足を踏み入れたときの音が違う」

 

「それは、どういう……」

 

宗像の言っていることが理解出来ず不見咲は首をかしげたままだ。説明を求めようとすると、突然宗像が何かを察知したようで後ろを振り返る。先程とは正反対のように目を見開いていた。

 

「入り口から離れろ!!」

 

それとほぼ同時に闇の中から何かが凄まじいスピードで落ちてきた。地面に落ちた衝撃で金属音がホール内に響き渡る。地面からも衝撃が感じ取れるほどで立っていた不見咲たちもよろけたり倒れ込んでしまった。幸いにも衝突した場所に捜査官はいなかったため、死者はいない。同じくここに加わった増田も無事である。それによる安堵のつかの間、突如として空間の闇が振り払われた。入ったときには気づかなかったランプが次々と光り出した。中にある真っ赤な炎がユラユラと燃え、舞台場に向かって明るくなっていく。そして全てがついた時、その先に1人の姿があった。

 

「ようこそ、喰種捜査官の皆様」

 

「!!!」

 

その姿を見るやいなや捜査官たちは身構える。こんな場所に、少なくとも一般人がいるとは考えられない。彼らとの距離はかなり離れているがその人物、()()は動こうとはしない。

 

「いやいや、皆さん本気で攻めに来たと見えますね。しかし、滑稽ですなぁ」

 

「何だと!?」

 

不見咲が苛立つように声を出す。宗像は落ち着けと言うように手を不見咲の前に出す。

 

「当たり前だろう。相手の陣地内に乗り込んできた。それも、何の調査もなく」

 

「ここの建物についてはあらかじめ調査は行っている。設計されたのはおよそ100年前で、地主は……」

 

「ハハハ!いつの話をしているんだ」

 

その喰種はわざとホール内に響かせるように笑った。その笑い声は捜査官たちを徐々に苛立たせた。歯を食いしばり、クインケを持つ手にも力が入る。

 

「その領主は今どこにいる?もういなくなっている。じゃあ誰が今使っている?……そう、我々だ。つまり、()()()()()使()()()()()()()()()()

 

黒いマスクをしているため、どんな表情をしているかはわからない。全身を覆う赤紫色のマントを羽織っていて、フードを深く被っている。その喰種が見下すように言い放った。その直後、部屋全体から何かが軋み、動き出す音が聞こえてくる。それは徐々に大きくなり地響きが足から伝わってくる。歯車がかみ合う音、と言った形容が思い浮かべられる。

 

「こ、これは」

 

「いったい、何が起きてるんだ!?」

 

一同が慌て出す中、宗像は真っ先に入り口に向かう。先程落ちてきたもの、それは巨大な金属板。全長5メートルはいくであろう代物が丁度入り口を塞ぐようにして立っていた。自身の持つ双剣型クインケ"カザキリ"で怒濤の斬激を繰り出す。が、びくともしない。刃がはじかれた金属音がむなしく機械音にかき消されていくだけだった。

 

「無駄な抵抗はよせ。赫子産だ、そう簡単に壊れぬぞ」

 

なおも喰種は笑う。そしてついに音が間近に迫ってきた。彼らがいる5メートル先あたりから、地面が彼らとその先を分ける境界線のように割れ始める。それは左右に開くドアのように持ち上がっていく。ほぼ垂直にまで上がったと同時に、捜査官たちが立っている地面が部隊場に向かってスライドし始めた。初動でバランスを崩しかけながらも持ちこたえた捜査官たちだが、もはや驚きの連続でどうすることもできなかった。ついに足場が開いた部分の三分の一あたりまで動いたところで止まった。先程よりは喰種の姿がハッキリ確認できる。そのマスクはまるで、戦国時代の鬼のような兜だった。

 

「クソがぁ!!」

 

何人かの羽赫クインケ持ちが発砲し始めた。だがそれはむなしく喰種の赫子によってはじかれた。肩あたりから生えているため、羽赫だとわかった。

 

「さて、皆さんをもてなして差し上げましょう。改めて、我らのアジトへようこそ」

 

最早皮肉った言い方のような彼の言葉に食ってかかろうとしたが、それは叶わなかった。彼らの足場が入口方面に急激に傾いたのだ。まわりには引っかけられるものなど無い。天井もまたしかり。彼らはそのまま、抵抗できずに深い闇へと転落していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今のって……」

 

東館にいた捜査官たちは今困惑して顔を見合わせていた。突如として聞こえた叫び声。それは幾重にも重なっていて、直ぐさま追撃のごとく何かが崩れ落ちた音がした。ここは建てられてかなり古いため、足場が壊れたのだろうか、いやここは喰種の襲撃を食らってしまったのか、などなど絶えなかった。

 

「落ち着いてください。今は我々のやるべき事に集中してください」

 

水天寺は捜査官たちに言い聞かせ、前進する。階段を上った右手には木製の丸テーブルと椅子が4つあった。汚れがこびりついた灰皿もテーブルの上に無造作に置かれている。そして奥には右に3部屋、左に4部屋ある。捜査官がそれぞれライトをつけてあたりを確認する。

 

「半分にわけて、一部屋ずつ確認しましょう。班編制は事前に確認したとおりに」

 

「了解」

 

直ぐさま捜査官たちが2つのグループに分かれ、慎重に左右それぞれの手前の部屋まで近づく。水天寺の方に韻子とユキが加わった。水天寺のガンブレード型クインケ"ヘルメス"を構える。捜査官の1人がドアノブを握り、回した。反対側の班もほぼ同時にドアを開けた。軋んで開いたアドあの先には、空っぽの空間が広がっていた。入って左にドアが1つある以外にこれと言って特徴的なものはなかった。開いた瞬間に息を止めいた韻子はふっと安堵した。

 

「がああああああ!!」

 

反対側の部屋からだった。直ぐさま振り返る韻子たちだったが、もう既に手遅れだったようだ。一番その部屋に近かった者たちの顔から腹部にまで何か液体が飛んできた。3箇所ほどに設置されている天窓からの月明かりがそれを照らした。頬を触ってみる。ヌルッとした感触の後に、赤が見えた。それはつまり、血である。その部屋の入り口から、捜査官の屍の手が見える。

 

「て、敵襲!」

 

その言葉とほぼ同時に何か触手状のものが入り口から姿を現した。避ける間もなく2人同時に串刺しにされた。捜査官たちは慌てて階段の方へ走る。

 

「ここは狭い。ホールまで引き返せ!」

 

水天寺は捜査官たちに指示を飛ばし、赫子と入り口に向かって数発発砲した。同時に無線を下の階にいる第二部隊に連絡をとる。焦りと恐怖で歪みきった顔の捜査官たちが駆け下りる中、ユキはまだ冷静だった。先に1階に辿り着いた捜査官たちに声をかける。対する韻子は恐怖で引きつった顔で階段を駆け下りていた。心臓の鼓動が高鳴り、呼吸がしづらい。クインケを持つ手に力が入る。それなのに振り返る事ができない。赫子の攻撃が飛んでくるかもしれないのに、注意して階段を降りられない。恐怖が韻子を支配していた。

 

「ハァッ!」

 

水天寺が発砲するも、何本もの赫子にはほぼ意味がないようだった。避けるのに精一杯のまま後退していく。銃口の下にあるブレードの部分で赫子をなぎ払うと、一気に降下する。奥の廊下から第二部隊が走ってくる。第二部隊の隊長に水天寺が状況説明する。水天寺は息を切らしていないが、真面目の一言で説明が付く表情には若干の険しさが窺える。その視線の先は2階に向けられている。そして、先程の赫子の持ち主と思われる喰種が現れる。

 

「あっ」

 

咄嗟に韻子は声を漏らす。その喰種には見覚えがあったからだ。半分が白、もう半分が黒のマスク。今は赤紫のマントを羽織っているが、この喰種は対騎士のときに突然現れた喰種だ。

 

「あなた、騎士を連れ去った喰種ね」

 

「うおっほぉ!覚えてくれてたんだねぇ、うれしいや」

 

その喰種は両手を広げてくるりと一回転した。表情は見えないが喜んでいるのか、捜査官たちからしたら不愉快でしかない。

 

「まぁ、あの時はさぁ、任務があってみんなと遊べなかったけど。今日はたんまりと遊べるよ」

 

「舐めた口聞くんじゃねぇよ」

 

苛立ちが伝わってくる口調で水天寺が銃口を向ける。

 

「まぁまぁ、怒らないでってー」

 

「ほざけ!」

 

水天寺が苛立ちに任せて連射するが、喰種の前に出現した細い赫子が幾重にも重なった壁によってはじかれる。これも以前見た赫子の使い方だ。

 

「今日の僕はさぁ、どこにも逃げないよ~」

 

今度は逆に壁を崩して赫子をこちらに伸ばしてきた。捜査官たちはすぐさま避ける。しかし避けても別の方向から飛んでくる赫子は厄介だ。すでに2人が刺されている。1人刺されたらそれを他の捜査官にぶつけてくる。そこで生まれた隙を突いて2人目……という、あのおちゃらけた喰種に似合わない何本もの赫子の正確な操作は目を見張るものだった。

 

避けるだけでなかなか攻撃に移れないもどかしさは一瞬の油断さえも生み出す。迂闊に攻撃してもはじかれる。そもそも今の状況は、捜査官たちが一階にいて喰種が二階にいるのだ。つまり羽赫クインケなどの遠距離攻撃でないと届かない。近戦武器は階段を駆け上がっていかないとならない。しかしその間にあの無数の赫子の餌食になることは確実だった。こんな状況を覆すことができるのは、やはりユキのクインケしかない。

 

彼女のクインケ"アーマチュア-β"がカギになり得るだろう。今までの戦闘データなどをかき集めてα版からさらに改良を加えられた。見た目のフォルムは変わらないが指定箇所をより正確に動かせるようになった。これを使って喰種がいるところに石柱化させた地面を衝突させればある程度流れが変わるかもしれない。しかし、これもある意味賭けである。この古い屋敷の中でそのようなものを生成してぶつける、そんなことをして持ちこたえることができるのか。また、それが成功したからと言って、相手を一撃で殺せるわけではないだろう。

 

それでも、何か可能性が変わるのなら……とユキは発動するタイミングを伺っていた。しかし厄介な赫子がなかなか攻撃に移行させてくれない。サブウエポンとして持つ短剣ではじいたりするが、これは消耗戦で負けると確信できた。それは水天寺も既に感じ取っている。秀才さを見せつけるような冷静な表情はもうどこにもない。

 

「ここは私が引きつけます。その間に皆さんはそこの入り口から撤退してください」

 

「!」

 

水天寺が苦し紛れに指示を出す。また1人……と数が減っていく状況を見かねて。捜査官たちの後ろには本館へと続く通路がある。そのドアを開けて、もしくは途中で通路を破壊すれば中庭に出ることができる。

 

「ですが!」

 

「いいから早く!」

 

声を荒らげると水天寺は赫子を避けつつヘルメスのギミックを発動させる。ブレード部分がさらに増えて3つになり、エネルギーを充填していく。銃口を覆うようにまとう青いエネルギーは満タンと同時に発射された。これはクインケ本体がオーバーヒートしてしまうかわりに、レベル1から5まで設定できる威力の衝撃波を撃つことができるのだ。今回は場所の関係もあってレベル2に設定したが、それでも特等の鍛えられた体でさえ反動で後方に押されるほどの青い衝撃波は全ての赫子を一気に吹き飛ばした。階段も喰種がいた場所の手すりや壁もヒビが入る。この屋敷がまるごと揺さぶられるようにさえ感じた。

 

「うおおおっっっっと!!……逃がさねぇよ」

 

後方に吹き飛ばされそうになった喰種は右足を下げて踏ん張り、衣服から小型のリモコンらしき物を取り出した。そのスイッチ部分を親指で押す。すると東館全体がぐらぐらと揺れ始める。

 

「今のうちに!」

 

捜査官たちは一斉に入り口の扉に駆け寄った。一番近い場所にいた韻子が丸い金属製のドアノブに手をかけようとしたときだった。あと数十センチメートルのところで急に前につんのめるようになった。刹那、浮遊感が韻子を襲う。そこから間もなくして重力の力によって真下に引き寄せられた。韻子は何が起こったのか理解ができなかったが、みるみるうちに視界が上へ上へと動いていくうちにやっとわかった。

 

「きゃああああ!!」

 

彼女がその瞬間いた場所、入り口がある壁から約3メートルの床が消えたのだ。と言ってもその部分が部屋の中心に向かってスライドした。それによって韻子の他2人が真下の暗闇に落ちていった。この仕掛けは入り口と反対側の方面も同様に作動していた。

 

「韻子ちゃん!」

 

ユキの叫びもむなしく古風の壁に吸収されていくよう。そのあと耳障りな笑い声が聞こえてくる。

 

「はっはっは!残念でしたね~」

 

喰種は笑いながら右手にリモコンを握ったまま手を叩く。表情どころか顔の部位がない仮面から出てくる笑い声はやはり苛立ち、そして不気味さを感じる。ユキはめいっぱいの睨みをきかせる。その後すぐにまた床がスライドしていく。2回目で屍と化した2人が空しく落ちていった。捜査官の1人が羽赫クインケを撃つが毎度のごとく赫子ではじかれる。

 

迫り来る前後からの崩壊。ここからの遠距離攻撃は通じない。近戦はそもそも近づけないどころか、床の消失によって階段にさえ飛び乗らないとたどり着けない。仮に行ったとしても無数の攻撃を防ぎつつ近づいて一撃を食らわす、そんなことができるのだろうか。焦り思考がぐちゃぐちゃになっている。今になってアーマチュア-βは使えない。さらに床が消失していく。もういっそのこと窓から脱出しようと誰もが思っただろう。しかし、できなかった。()()()()()()()()()()()()()()()。詰みである。徐々に狭まる安全地帯はもう5メートルもない。水天寺は崩れるような憎悪の目で喰種を見ていた。歯をむき出しにして噛みしめる。自分が嫌う喰種にここまで追い詰められたとなれば相当の悔しさだろう。

 

「クソがっ!」

 

水天寺は左の耳を手で覆う。無線を作戦本部に繋げて、事の状況を伝えようとしている。もはや想像を超えた事態、まさか乗り込んだ場所がカラクリ屋敷だったとは夢にも思わず、本部のことをユキは忘れていた。

 

「こちら東-1!相手喰種と接触、死者16名……」

 

「おい、どうした」

 

第二部隊隊長が訝しんで水天寺の顔を見る。彼の目は何処を見ているのかわからないくらいに呆然としている。真っ青になった水天寺からは、決していい知らせがくることはないと悟ってしまった。

 

「内線が、通じない」

 

「何だと!?」

 

「くははははは」

 

また喰種が笑う。なおも水天寺は呆然としている。まわりの捜査官たちも確認するが、本部とつながらないことがすぐにわかった。

 

「無駄だよ、無駄無駄。残念だったねぇ」

 

おかしい、とユキは率直に思った。電波環境は悪いはずはない。チェックもしてあり、故障がないかも確認した。なら、何故通じないのか。

 

「そんな……。本部が、やられた?」

 

絶望の前触れ。確信はできないものの、明らかに不自然な状況にそう思わざるを得ない。まだ作戦開始から1時間も経っていない。それなのにここまでやられているのなら、はたしてCCGの勝利はあるのか。

 

そんな中、床がまた消える。もう皆が立っている場所もかなり狭い。と、これが最後の縮小だったのか、床は今度は真っ二つにするように少しだけ感覚が開く。それらは同時に、かつ山折りにするようにして傾いた。もう立っていることは叶わなくなった。立っていた場所によって違う方向に捜査官たちは落ちていった。

 

ナオ君……。

 

ユキは咄嗟に浮かんだ自信の大切な弟の名前を呟きながら、韻子と同じ方へ落ちていく。

 

全員を地下に送り終えた床は何事も無かったように元のように戻り始める。歯車がまわるような、何かと何かが擦れ合うような音をしながら、やがて止まった。

 

「うぇるかむとぅー、あわーあじと!」

 

誰もいなくなった空間に、喰種の無邪気な子供のような声は空気に溶け込んだ。




このカラクリ屋敷、もろに綾辻行人さんの館シリーズに影響されまくってます

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