アルドノアグール   作:柊羽(復帰中)

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去年の今日、この時間帯からこの物語は始まりました。
飽きること無く続けてこれたのは、アルドノアゼロと東京喰種が未だに大好きだからこそだと思います。
アルグル2年目、今年中に前編が終わり、後編に移れるように頑張ります!!


Episode.20 憎悪の沼

「さて、と」

 

フェミーアン討伐から数日たった。その時に1区にあるCCG本局で特等会議が開かれていた。勿論そこには久保田とマグバレッジの姿もあった。

 

「今回の討伐戦においては、久保田君のところの21区の捜査官、さらにマグバレッジ君の力も加わり見事成功。最近は三件連続でのアルドノアグールを討伐できている……と素直に喜びたちところなんだがな」

 

この1区の局長を務めるエーリス・ハッキネンが微笑から一転、真顔へと変わる。指同士を絡めて机の上に置く。

 

「作戦当日、班分けした捜査官たちはCCG特製のワゴンで移動した。それらは固まらずに時間帯や出発地点も変えた。見た目も一般的なものと変わらない。それにもかかわらず相手の奇襲を受けた。これが意味するものは、作戦内容が外部へと漏れているということだ」

 

句切って、一通りメンバーを見渡す。その目は普段から細く冷たいものを感じさせるが、それが一層に、まるで全員を恐れ疑うようにも感じた。

 

「作戦に参加したのはここに集まってもらった方々のところ。……このどれか、はたまた複数が喰種側に情報を漏らした。さて、自分だと思う人は手を挙げてくれ」

 

案の定、誰も手を挙げない。

 

「ハッキネン特等。無駄だとわかってることなどやる必要はありません」

 

「まぁまぁ、いいじゃねぇか。それとも、水天寺特等。あんたが流したとか」

 

「静かにしてください」

 

ハッキネンの挙手を求める行為に少し眉をひそめながら指摘する2区の水天寺雅彦(すいてんじまさひこ)特等捜査官に、8区の暮宮貴人(くれみやたかと)特等捜査官がニヤニヤしながら冗談をふっかける。その冗談ですら水天寺は真に受けているようで暮宮を睨み付ける。その2人の間を割って入るようにマグバレッジが静止させる。

 

「……とりあえず、だ。各局で予告なしの検査を行う予定だ。RC値等の身体検査もそうだが、身辺調査も行う」

 

「そんなことして本当に意味があるんですか?うまく隠されるかもしれませんよ」

 

「そんなこと言い始めたらきりが無いだろう」

 

「いやいや久保田特等。疑問に思うでしょう。だって各局にはRC値を瞬時に計測できるゲートを設置しているんですよ?あれを今までくぐってきているやつの誰かがスパイとなると、我ら人間の誰かとなる。……それか」

 

暮宮は一旦話を区切って皆の顔を見る。くっきりとした目つきは何かをあざ笑うかのよう。

 

「事前にこの作戦を立てていた俺らの誰かが流した、つまりこの中にスパイが」

 

「いい加減にしろ」

 

ハッキネンの鋭い一言で暮宮は黙った。ハッキネンの眼光には暮宮でも気が引けた。

 

「後日検査の概要を渡す。以上で今日は終わりだ」

 

そう言うとハッキネンは立ち上がって部屋を立ち去る。側にいたのはボディーガードなのだろうか、座っていた椅子の整頓やドアを開ける係など、3人いた。

 

「……はぁ。おっかねぇなぁ」

 

「暮宮特等が勝手な口を開くからでしょう」

 

「そうだぞ。色々疑って慎重になるのもいいが、あまりオススメはしない。誤解を招いて、立場を悪くしたくないだろう?」

 

久保田は暮宮に忠告するかのように言い、彼も席を立った。それに続くようにマグバレッジと水天寺も立ったので、暮宮もため息をつきながら席を立った。

 

彼によって閉められたドアの音は、静かに響いた。誰もいなくなったそこには、飾るように置かれた観葉植物の鉢の裏にある赤く点滅した小型機械の稼働音だけが、ほんの僅かに聞こえるだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

モアトリアムはそれほど長くなかった。上下左右すべて漆黒の空間に、徐々にある音が近づいてくる。籠った音で最初は何の音かわからないがハッキリしてくるうちにわかった。

 

『……あ、目が覚めたか!』

 

ゆっくりとまぶたを開け、まだ朧気な様子で白衣を着た男性を見る。正確に言うと過去の僕が、だ。僕はベッドのすぐ側で立っている。

 

『こ……こ、は?』

 

『大丈夫、心配するな。ここは地下施設だ』

 

過去の僕はあたりをゆっくりと見回した。天井から吊されているカーテンは開けられていたが他にベッドらしきものは見つけられない。

 

『あの、僕は……いったい』

 

『……』

 

どうやらまだ頭がまわっていないようだ。自分が何故ここで寝ていたのかさえ理解出来ていない様子だ。しかし、その理由さえその男性は答えられない。やせ細った頬をかきながら答えあぐねている。

 

『……えっと』

 

『あぁ、いや、そのね。……うん、話した方がいいのか。ここで隠しててもしょうがないか』

 

男性は自分の中で決心を付けたようで、ふらふら数歩歩き回った後に改めて過去の僕に振り返った。

 

『もうかれこれ君は3日眠っていたんだ。その3日前、君は喰種によって殺されかけたんだ』

 

『……!』

 

一瞬で顔色が変わった。目は大きく見開かれ、手は描け布団を強く握る。ここら辺はなんとなくだが覚えている。喰種というワードで大体を思い出していた。

 

『その時に一緒に君の母親も襲われてね……。残念ながら、助からなかった』

 

『……え』

 

僕でさえ、自然と拳に力が入る。あの時自分が、アーデルを心配して涙した母をなんとかして安心させよう、助けてあげようと思っていた。でも、もうそれは叶わない。それどころか、会うことすら出来なくなってしまった。母は、死んだのだから。

 

『そのすぐ後に、アーデルさんが来たんだ。あの人も重傷で、再生しきれないないほどだった。そして、もう自分は助からないからって言って、せめてスレインだけは助けてくれって』

 

『なん……で』

 

『それほど、君に生きてほしかったんだよ。……だから、そうすることにした。けれど、その時の君は瀕死状態。あの場で適切なオペなんて出来なかった。それに、アーデルさんの要望で……』

 

そう言って男性は句切った。その様子からわかることは、躊躇いだ。何か、これから言うことが僕にどういう影響を与えるか計りかねている様子だ。

 

そりゃそうだ。今の僕が今でも鮮明に覚えている、絶望の言葉だ。

 

『君にアーデルさんの赫子を移植した』

 

『……は?』

 

案の定、過去の僕は固まった。理解が追いつかず、口が開いたままになっている。

 

『君にアーデルさんたちが研究していた技術を使って、君に赫子を入れたんだ。それも、その……()()()()()()()()()()、だ』

 

『い、いやいや。何言ってんですか。人間が喰種になんてなれるわけないじゃないですか』

 

『それが、できるんだ。アーデルさんたちの研究チームが開発した技術だ。そうでなきゃ、君の体の再生ができないんだ。人間のそれでは到底無理だからだ』

 

『でも!だからといって、なんで僕が喰種にならないといけないんだ!』

 

過去の僕は立ち上がって男性の胸ぐらをつかむ。

 

『どうして……僕は喰種になってまで、お母さんを殺した喰種になってまで!僕は生きなくちゃいけないんだ?!おい、何か聞いてないのかよ。お父さんから何か聞いてないのかよ!』

 

目からは明らかな怒りが滲み出る。一心に睨み付けながら男性を前後に振る。当時中1だったが、喰種になってしまったが故の力で男性も危うく倒れるところだ。

 

『わ、私は聞いていないんだ。その場に立ち会っていないんだ。いた人たちは別の場所にいるんだ』

 

『そん、な……』

 

返ってきた言葉は絶望を増幅させるだけだった。意気消沈した様子で掴んでいた手をおろした。そして自然と下を向いたときに自分の腹部を見る。今の僕がハッキリと覚えているんだ、彼も鮮明に覚えているに違いない。確かに俺は一瞬にしてあの喰種に攻撃された。それは上半身に受けたものだろうとは記憶している。過去の僕はゆっくり、しかし怯えながら触ってみる。そしてすぐに戦慄の表情をうかべた。来ていたもののボタンを外してみても、そこには傷1つなかった。

 

『嘘……だろ。僕が、喰種?』

 

手は震え、わなわなとした顔を覆い被すように手をおいた。髪を無造作に掻きむしると彼はベッドから飛び降りて、知りもしない建物内を駆け回った。部屋をグルグルまわっては出入り口から別の場所へと行く。何回もベッドなどの置物にぶつかっては倒れ込む。それでも奇声を発したまま走る。途中で何人かとぶつかる。その全員が彼を止めようとしたが、無駄だった。僕は彼を追うことなく、とある部屋へと移動する。後にここに行き着くと知っているからだ。

 

『ああああ……ああぁぁ、あああ』

 

開いたままのこの部屋に入ってくる。涙は流れ、ぐしょぐしょの顔が部屋に置いてあるものをとらえた。そこにはひとつのテーブル。掃除はされていないようで、所々汚れがついたままのテーブルの上には荷物があった。そしてそれはあの日、母が背負っていたバッグだとわかると一目散に飛びついた。中を開け、無造作に手をつっこんで中身を引っ張り出す。しばらく帰ってはこれないだろうと見越して、母が入れていた携帯食がそこにあった。彼の目は長年探していたものをようやく見つけたような、そんな風に輝いていた。パッケージを開けて1つ取り出す。それを口に入れた。

 

『……うぅおえええぇぇぇぇ!!!』

 

途端に彼は吐き出した。人間誰もがそれを、少なくとも不味いとは思わない携帯食のビスケットは、とても食べられるものじゃない。過去の、このときの僕にとっては嘔吐するほどのものだった。それは期限が何年も過ぎているとかではない。もう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

『う……ううぅうぅう。なんで、だよ……。僕は……僕はぁぁ……』

 

悔しくて、辛くて、そのどちらもが混ざり合って涙が溢れ出てくる。頭を床に付けたまま彼は動かなかった。手にはまだ携帯食の袋を握っていた。先程の男性が入ってくる。彼を見つけると、近くまで寄ってしゃがみ込み、肩に手を置いた。彼は、泣き続ける。残された、最悪の置き土産を握りしめて。

 

 

 

 

 

もう、ここからは絶望の連続だった。僕はひたすらそこで赫子を出す練習や戦闘訓練を永遠とさせられた。基本をちょろっと最初に教えられただけで後はひたすら実践のみだった。そんなすぐに覚えられるはずがなかった。すぐに叩きのめされ、血だらけになる。それではい休憩になるはずもなく、強制的に立たされては続けた。そんな日々を送れていたのは自分の体は喰種となったからだと実感してしまったが故に、余計に辛かった。その実践でかなりのダメージを食らったり、周期的にきてしまうために、人の肉を食わなければいけない時もあった。最初は拒絶した。なんで僕は人の肉なんで食べなければいけないのか、と。それに対して言われたのは

 

『何言ってるんだ。お前は喰種になったんだから、当たり前だろ』

 

僕の口に強制的に肉がねじ込められた。必死に抵抗しても最終的には僕の喉を通ってしまった。それによって体の内側から満たされていく感覚には怒りさえ覚えた。なぜ、こんなことで僕は快感と思っているのだ、と。怒りにまかせて僕は自らの舌を噛みきった。それを見たまわりのやつらは何もしなかった。それは当然であった。すぐに止血され、再生した。僕は悔しかった。

 

結局、僕をアーデルの赫子を移植して喰種へと変えたやつらは、僕を喰種として鍛え上げた。それしか行っておらず、用の無いときは与えられた小さな個室で過ごしていたためか、この団体が"ヴァース"と名乗っていたことは後になって知った。

 

そんなある日、訓練終わりに歩いていた研究所内の廊下で、僕はアセイラム姫と出会った。

 

『……あの。あなたが、スレインですか?』

 

『え?あ、ああ。うん』

 

僕は最初気づいていなかった。僕の後ろを歩いていたようで、自分の名前を言ったときにはかなり驚いた。

 

『やっぱり、そうなんですか。私はアセイラム・ヴァース・アリューシアと言います。あなたのことはあなたの父、アーデルさんから聞いてます』

 

『え、会ったことがあるんですか?』

 

『ええ。私はアーデルさんたちがいた研究所にいましたから。その研究員のひとりが私の父です』

 

こんなに幼い喰種さえも、アーデルの研究所にいたのかと驚いた。そしていったいどんな研究をしていたのかと余計に気になった。

 

『その、アーデルさんのことも聞いています。そして今現在のあなたのことも。……心中お察しいたします。ですが、頑張ってください。あなたの父が命をかけて守ったんですから』

 

そう言い残して先ばやに立ち去っていった。その少し後ろを歩いていた男性が僕の横で立ち止まった。僕は首をしっかりと上げないと顔が見れないほど、身長が高かった。

 

『……貴様、以後アセイラム()に対しての態度を慎みたまえよ』

 

『姫、なのですか?』

 

『そうだ。あの方が持つ神々しい力について、研究を行っている。アセイラム姫しか使えない力だ、無礼なまねをしたら、ただでは済まんぞ』

 

半分殺意を込めた睨みをきかせながら男性は立ち去った。その目に恐怖を覚えながらもその後ろ姿を見つめる。男性の先にいる、先程の少女。僕は、もう、アセイラム姫に一目惚れしていた。

 

それ以降の厳しい実践や、人肉を食うときなども、また彼女に会えることだけを希望にして乗り切っていた。そして、後にアセイラム姫の実験の様子を窺える機会があった。絶句だった。僕とは違う、絶望の光景が広がっていた。彼女も戦っていたのだ。そこから僕は、アセイラム姫を守ってあげたいという気持ちが一層強くなった。それから、あの時僕に警告をした男性であるクルーテオの手下となり、アセイラム姫の側に付けるようになった。そして……現在に至る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「は……あああ、ああああああ」

 

体は意図せず震え、呼吸も落ち着いてすることが困難になっている。スレインの手足の指には生々しい後がくっきりと残っている。何度も切り離されたところから色が変わっている。幾度も再生した指は真っ赤だった。

 

「いい加減に、吐いたらどうだ」

 

退屈そうにほおづえをつきながらクルーテオは椅子に座っている。その目には哀れみも含まれていた。

 

「そんなボロボロになってまで口を割らない気か?もう何日も経ったぞ。自分の方が大切じゃないのか」

 

「……らな、い」

 

「聞こえんぞ」

 

スレインが微かに言った言葉はあまりにも小さかった。クルーテオは立ち上がって顔を近づけた。

 

「……僕は、僕は知らない。何も知らない。アセイラム姫がどこにいるかなんて知らない。本当に知らない」

 

震えた声で必死に訴えた。自分は何も知らない、だから僕をこれ以上拷問しないでくれ、と。そうクルーテオは受け取った。

 

「あああああああ!!!」

 

再びスレインの指が切り落とされる。もうここまでどれだけ彼の指が落とされたのか。それをクルーテオはイカれているのか、全て残さずバケツの中に入れていた。指ばかりが入ったそれは、まるで寄生虫の集団にさえ見えるほど、気味が悪かった。

 

「さぁ、また切ったぞ。数えろ、今は何だ?」

 

「……ご、57、4」

 

「ハッハッハ!まだ数を覚えているとは、さすがにやりおるなスレイン。まったく、死んだ両親が喜ぶぞ」

 

クルーテオは大きく笑った。部屋に響くその笑い声は、不快だった。そして何より、母を侮辱した。それに耐えきれず、スレインは顔を上げた。鋭い目をクルーテオに向けた。

 

「……何だ」

 

「お前に……何がわかるんだ。何もかも失った僕の……何がわかる。ましてや、アセイラム姫の力を利用して、自分の地位を上げようなんて……くだらないことを考えているお前なんかに、アセイラム姫は渡さない」

 

「……ほう」

 

スレインが放った言葉を受け、クルーテオは真顔になった。おもむろに持っているリモコンを操作し始める。

 

「私にも多少の優しさはあってだな。貴様が話せる程度にまで加減していたのだが、それはいらないようだ」

 

何かを回したようで、カチカチッとリモコンから音が出た。

 

「電流の強さを最大にした。さて、今のうちに吐くことを進める。さもなければ、死ぬ」

 

クルーテオはリモコンを突き出す。それをスレインは見ただけで、口を開こうとはしない。クルーテオの蔑んだ目はスレインを捕えた。

 

「ああああああああ!!!!!」

 

先程よりも強い衝撃。全身を太い針で強く、早く、何度も刺されるような痛み。逃れたいのに逃れない。その様子をクルーテオは笑みを浮かべて見ている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なるほどねぇ」

 

先程渡された資料を見ながら背もたれに寄っかかる。眼鏡の位置を直して耶賀頼はため息をついた。見ていた資料は先日決まった検査についてだった。それの開催日時等々が書かれていて、ここの医療部門でも耶賀頼と数人の医師しかまだ知らない。

 

ドアのノック音が聞こえた。どうぞと言うと、礼儀正しく挨拶をして一人の捜査官が入ってきた。

 

「やぁ、伊奈帆君」

 

促して目の前の回転椅子に座ったのは伊奈帆だった。相変わらずの無表情のまま肩にかけていた鞄を横のかごに入れる。

 

「今日も、お願いします」

 

「はい、わかってますよ。でも、偉いですね。僕だったら面倒ですっぽかしちゃいそうです」

 

「一応書類を出さなくてはいけませんし、しょうがないです」

 

そう言って伊奈帆はあらかじめ出しておいた一枚の紙を耶賀頼に手渡す。上には、"アルドノアのよる人体への影響の記録観察"とあった。

 

フェミーアン討伐後から今日まで、伊奈帆はこういった検査を行っていた。それは当然のものだと伊奈帆も考えた。未知なる力を持ったアセイラムを手元に置くことに成功した。そこから様々な情報を聞き出せるだろう。けれど、その力で伊奈帆の傷を治すことができた。それによる影響はないものなのだろうかと疑問視するのも納得がいく。そこで、伊奈帆の検査が始まったのだ。

 

検査といっても、血液検査や聞き取りが主だ。長時間はかからない。

 

「うーん、今日も特に問題はないね。RC値も正常だ」

 

今日の結果を報告する。今まで何も異常が起きていないからと言って、今日も大丈夫とは言えないのだが、流れからして問題はなさそうだ。アセイラムからも人間での実験は成功していると聞いている。

 

「ありがとうございました」

 

「いえいえ、仕事ですから」

 

記入し終えた紙を伊奈帆に渡す。耶賀頼は机に肘を付けてほおづえをする。

 

「それにしても、あの日は驚きましたよ。なにせ変な要求をしてくるもんですから」

 

フェミーアン討伐後、伊奈帆と鞠戸、不見咲たちはここを訪れていた。

 

『耶賀頼先生、急ですがひとつお願いがあります』

 

『はい、いいですよ』

 

『非常に難しいのですか、彼の体に()()()()()()()()調()()()()()()()()()()

 

『……はぁ。で、伊奈帆君は、何か不調なところとかは……』

 

『ありません』

 

『……はぁ』

 

何か異常があって来るのが普通だったので、流石の耶賀頼も唖然とする敷かなかった。後に、少しではあるが事情を聞き、検査項目の検討をした。

 

「このまましばらくは検査が続くと思います。すみません」

 

「いえいえ、気にしないでくださいってば。あなたたち捜査官の健康をサポートするのが僕たちの役目ですし」

 

耶賀頼は優しい笑顔で胸を張った。そしてすぐに視線は伊奈帆から外され、机の上あたりに移った。

 

「……鞠戸上等の様子はどうですか?」

 

「鞠戸上等、ですか。今日もいつも通りでしたけど」

 

「いや、ここ最近で何か変化はあったかな、と」

 

「うーん。僕は、あまり人の内面を見極めるのは得意ではないですが……。でも、前より、頼りになった感じはします」

 

「はははっ、今までは頼りないダメ上司でしたか」

 

堪えきれず、耶賀頼は手を額に当てて笑う。

 

「いえ、そういうわけではなくて。何というか、その、自分が先頭にたつのを避けていたと言いますか……」

 

「ええ、はい、なるほど。そういうことですか。……すいませんね、変な質問して。彼は、ずっと悩んでいましたから」

 

「……はい、僕も聞いていました」

 

鞠戸だけが、あの日生き残った捜査官だった。"光を放つ喰種"の討伐のために立ち向かった捜査官は鞠戸を除いて全員死亡した。その指揮に鞠戸も加わっていたのだ。

 

「最近会えていなくねて。次会ったら、またここに来るように伝えてください」

 

「わかりました。伝えておきます」

 

伊奈帆は立ち上がり、鞄を肩にかける。一礼をしてから部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は、度重なる実践により、心は疲弊した。それを癒やす時間も無く、それを理解してもらえる人もアセイラム姫以外いなかった。その彼女もいつでも会えるとは限らなかった。日々疲れて、辛くて、泣きたくて、死にたくて。こんな日々になるなんて思ってもみなかった。僕はただ、母が笑ってくれる、そんな日々を送りたかった。アーデルと3人で、一緒に暮らしたかった。これは本音である。

 

それなのに。彼は喰種だった。僕は許した。母が愛していたのだ。それでよかった。けれど、今はもういない。母も殺され、アーデルも死んだ。僕だけが生き残った。それも、人間としての僕は死に、新たに"喰種としての僕"がいた。今でも僕はなかなか決心がつかない。どこか、少なからずあった人間としての記憶がある限り、人間としての僕は生きているのではないか、と。

 

その思いでも苦しんでいる。もう充分苦しんだ。でも、これから一生ついて離れないのだ、この運命は。

 

嘘つきだ。大嘘だ!どんなことがあっても2人を守るって言ったじゃないか!なのに、なのに!どっちも守れていないじゃないか!母は死んだ。そして、挙げ句の果てに僕は喰種だ!何故だ、何故僕を喰種にしたんだ。わけがわからない。

 

 

『スレイン』

 

 

久しぶりに聞こえた、そう思った。

 

何回か聞こえて来た声。僕の中にいる()()1()()()()()、だと思っていた。

 

だって、僕の中から聞こえてくるんだからそう思ってもしょうがない。

 

僕は、この状況に追いやったアーデルを、憎んでいた。殺したかった。死ぬならあいつだけでよかった。嫌いだった。記憶から消したかった。だからだろうか、()()()()()()()()()()()()()()()

 

僕の中から聞こえてきた。それは確かにそうだ。でも、()()()()()()()()()()()

 

 

目を開けた。そこは一面真っ白な空間が広がっていた。どこまでも白で空と地面の境目がわからない。そもそも、ここは外なのか内なのかすらわからない。

 

一歩、踏み出してみる。足音は聞こえなかった。無音。ただただ、無の世界。

 

「スレイン」

 

また、聞こえた。後ろから聞こえてきた。ほんの少し躊躇したが、僕は振り向いた。そこには、ひとりの男性が立っていた。見覚えのある髪、服装、顔。やっぱり、そうだったんだ。

 

「まさか、また会うなんてな。アーデル・トロイヤード」


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