アルドノアグール   作:柊羽(復帰中)

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Episode.19 悲劇

「全員、黙祷!」

 

その合図と共に、目を閉じる。この空間に静寂が訪れ、空気が一段とひんやりし、重くなった。100名以上はいる参列者は何も見えない暗闇の仲で、殉職者を弔う。

 

今回のアルドノアグール――アセイラム曰く、名をフェミーアン――の討伐に当たって、数多くの捜査官が亡くなった。前回の3区での先頭よりも少し多いとのことだった。

 

後日の捜査等によって発表された犠牲者が書かれたボードの前で、数々の捜査官たちが立ち尽くす。中には涙をこぼしてうずくまる。仲間や先輩後輩、また家族がいたのだろう。そこには、伊奈帆の姿もあった。ただただ、その前から目を離さずに呆然としている様子だったと、私は記憶している。私やカームたちは他の教官だったのでわからないけれど、伊奈帆はその人をとても慕っていたようだ。だからこそ、悲しいのだ。辛いのだ。いつも一緒だったからわかる。彼は今、悲しい顔をしている。

 

 

会場からゾロゾロと喪服を着た捜査官が出てくる。誰一人として笑い、明るい姿で出てくる者などいない。

 

いつも無表情である伊奈帆も、どこか鬱そうに歩いている。

 

「伊奈帆」

 

大声で呼ぶわけにはいかないので、近くに寄りつつ声をかける。

 

「韻子も来てたんだね」

 

「うん。私の知ってる人もいたから……」

 

私たちは話しながら通りの邪魔にならないように隅の方へ移動する。この場だけあって伊奈帆の声も少しトーンが落ちているが、そこからはやはり力が少しばかり感じられない。

 

「伊奈帆は……その、アカデミーの教官だったんでしょ?」

 

「うん。生徒には厳しかったけど、なんだかんだ優しい一面もあって、さらには捜査官としての技術も良くて。とてもいい人だったよ」

 

そう言って伊奈帆は視線を私から逸らしてしまった。その先は葬儀の会場へと伸びて行っている。私は自分の言いたいことがなかなか言えず、とりあえず思いついた内容で会話していたが、どうにも上手くいかない。

 

でもここで無言のまま続いてしまうのは避けたい。余計に気まずくなって逆に自分自身がこの場から逃げてしまいそうだ。

 

「あ、あのね」

 

ほんの少し、前へ出る。私の声に反応して伊奈帆は視線をこちらに戻す。

 

「もし、どうしようもなかったら……私を頼っても、いいんだよ?そ、それに私じゃなくても起助とか、カームとかニーナとかでも、いいんだよ」

 

最後は声が小さくなってしまい、独り言のようになってしまったが、伊奈帆はほんの少し笑う。

 

「ありがとう。でも、韻子だって悲しいんだろう?今は自分のことだけ考えてれば良いよ」

 

伊奈帆は私の肩にポンと軽く掌を乗せる。その手はすぐに引っ込められて「今日はこれから行かなきゃいけないところがあるから」と言って左右に振った。

 

立ち去る伊奈帆の後ろ姿から、どこか決意に似たものを私は感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

助手席に座り、ドアを閉める。運転席には鞠戸が座る。キーが差し込まれてエンジンが掛かる。サイドブレーキが下ろされ、ギアを調節して車は発進した。

 

距離はそんなにないと伊奈帆は記憶している。外の様子は至って普通の街だ。スーツ姿の人が何人も行き交う。信号が赤になってしまったため、一時停止を余儀なくされた。

 

伊奈帆はちらりと横を見てみる。ただ真っ直ぐ鞠戸が前を見ている。車の中は重ったるい空気が充満していた。会話さえ生まれない。

 

それもそのはずである。これから2人で和気藹々と旅に出るわけでもなんでもない。会いに行くのだ、()()()()()に。

 

 

車が止まった先にはとある病院が見えた。ここは5区にある総合病院。21区ほどの規模ではないが設備はちゃんと揃っている、この区で最も大きい病院だ。

 

駐車場スペースに駐車した後、2人は自動ドアをくぐって中へ入る。カウンターで氏名を記入してカードを受け取る。そして目的の人物のいる部屋番号を聞く。

 

エレベーターに乗り込んで5階のボタンを押す。ゆっくりとドアが閉まって上へと上がっていく。その間も2人は無言のままであった。

 

5階に到着してエレベーターを降り、すぐ右に曲がって行く。途中で洗濯室やナースステーションを通って、目的の506号室に着いた。

 

ドアは開いていて、中の様子が窺える。4つベッドがあるが、手前の2つはカーテンが掛けられておらず誰も使っていないようだ。奥の2つのうち、片方にはカーテンが掛けられている。もう片方には人がいたが眠っている。それも、知らない人物だ。

 

「失礼するぜ」

 

鞠戸が奥のベッドのカーテンを開ける。ぶっきらぼうに言った鞠戸の目の前には1人の男性がいた。頭や体に包帯を巻き、左手は骨折しているのかしっかりと体に留められている。鞠戸に声をかけられたが、この人物は依然として備え付けられているテレビを見ていた。目は何処か虚ろで、ボーッとしているように見える。

 

「……まぁ元気そうだな」

 

「お久しぶり、翔太(しょうた)

 

2人に改めて呼ばれ、イヤホンを取ってやっと顔を向けた。彼は斉藤翔太一等捜査官。彼は現在14区の担当をしていて、フェミーアン討伐当時は伊奈帆の教官でもあった足立上等と共に行動していた。

 

また彼は伊奈帆と同期でもあり、鞠戸とも面識があった。だからこそだろうか、仄かに顔色が良くなった。

 

「……どうも」

 

「で、どうなんだ、怪我の具合は」

 

「全治一ヶ月半って言ったところですかね。ホント、死んでないだけマシですわ」

 

斉藤はその日、足立たちが追っていた喰種との交戦中に、その喰種の援護でもない奇襲を受けた。その喰種たちの統率者らしき者と戦闘になったが、敗れてしまった。クインケは砕かれ、斉藤自身も赫子でのダメージがかなりあった。そこで彼は死を悟ったのだが、意外なことにトドメは刺さずにその喰種たちは立ち去ったという。他の手下喰種は斉藤の仲間とやり合っていたが、ほとんどが相打ちとなっていた。その喰種たちは、元々斉藤たちが追っていた喰種を追っていたようだった、と斉藤は話している。

 

「お前も意識戻ってから聞かれまくりで大変だろうけどさ、もう少し話させてくれねぇか?」

 

「えぇ、いいですよ。あんまし乗り気ではないですけどね」

 

ゆっくりと斉藤は体を起こす。鞠戸は鞄からメモを取り出し、伊奈帆は鞠戸の横で椅子に座る。

 

「お前らが追っていた喰種は2人いたんだよな?」

 

「ええ。14区で起きた戦闘で工藤上等がやられてしまったんですけど、その時から2人いました。たまたま防犯カメラに映っていたので」

 

「そしてその2人が15区へ向かったとわかり、追跡を試みたと?」

 

「はい。そもそもは、工藤上等の敵討ちが本命だったんじゃないかな、足立さん。それに、最近じゃアルドノアグールの出現もあったし、防犯カメラでも映ってた喰種にその可能性があるってなったんですよ。それで追跡してて、15区や5区の方々からも情報を貰って。結果的に初遭遇は15区でした。その時のヤツらは……そう、戦闘を避けるというか、逃げるようでした」

 

「逃げる、か」

 

鞠戸は小さく呟く。

 

「その後僕と他数人で先回りをして、待機組と合流しました。足立さんの方は僕のバイクを勝手に使ったんですよね。僕らが逃した時のためにさらに先回りだ-、なんて言って。それが最期の会話だとは思ってませんでしたよ」

 

斉藤は、めいっぱい掛け布団を握りしめて俯いた。2人も、走らせるペンを休める。何を言って良いかが、わからなくなったのだ。

 

斉藤の証言、そしてアセイラムからの証言。これらを合わせて考えたところ、斉藤たちが追っていた2人の内の1人はアセイラムだろう。たとえ直接手を出していないにしろ、斉藤がきっと憎んでいるだろうそのアセイラムは、今も生きている。そして、CCGと協力までしている。2人の心情は、とても複雑であった。

 

「……で、確認なんだけど、翔太が見た男の方の喰種のマスクは深緑色だよね」

 

「え、ああ。もう1人が、白だった」

 

伊奈帆が少し間を置いて斉藤に質問する。その問いに斉藤は一瞬戸惑ったが、すんなり答えた。すると伊奈帆は再び黙って考え込んだ。その姿をチラリと鞠戸は見たが、すぐに視線を戻していくつか斉藤に質問をした。

 

それも終わると、手に持ったメモ帳をパタンと閉じて鞄にしまう。伊奈帆も黙って立ち上がる。

 

「もうこれでおしまいだ。そんじゃ、邪魔したな。早く治ると良いな」

 

「……まだ、足立さんを殺した喰種はいきてるんです、よね?」

 

穏やかな表情で斉藤に一言授けたところで斉藤が口を開く。その目には、様々な感情が窺えた。

 

「次見つけられたら、その時に僕もいられるように早く体、治します。そうじゃなきゃ、足立さんに怒られちゃいますからね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

病院を後にした2人は車に乗り込んだ。エンジンを付けたが、発進はせずに窓を開けた。ポケットからたばこを取り出してライターで火をつける。

 

「何か引っかかることでも、あるみたいだな」

 

「ええ、まあ」

 

吸った煙を窓の外へ出す鞠戸を見向きもせずに答える。右手を口元にあてたまま足下を見ている。

 

「14区を担当していた工藤上等を殺し、尚且つ足立上等をも殺している。にもかかわらず、翔太たちと最初に会ったときは戦わずして逃げた。その後も翔太は再び対峙したがほぼ戦わずして逃走……」

 

「確かに、ちょいと変だな」

 

「そして深緑のマスクは戦闘現場に残されていた……」

 

「あぁ……。で、結局お前と戦った喰種は足立たちを殺した奴だったのか?」

 

「断言できるまでとは行きませんが、おそらくそうなのでしょう。現にその喰種が足立上等を殺したと言っていましたし、足立上等が自ら追っていた相手を見間違えるはずがありません。アセイラムさん自身も2人で逃げていたと言っていたし、後に見ることができた14区の防犯カメラの映像でアセイラムさんの当時の服装とかなり似た人物も写っていましたし。でも僕が会ったときは、マスクは深緑のものではなかった。黒で、片目を隠したマスク。……いや、アセイラムさんの話から考えれば、追っ手から身を隠すための仮のマスクだったと考える方が自然か」

 

「ま、まぁそうだろうな。それに、さっきの不自然だと思ってたやつだが、複数人いたから逃げただけで、少数だったら戦うとしてたかもな」

 

鞠戸との会話は終始目を合わせずに行われた。というより、伊奈帆が下を向いたままだったためだが。

 

伊奈帆には引っかかっていた。確かに、アセイラムが探してほしいと言った喰種と、足立たちが追っていた喰種は同一と見ていいだろう。鞠戸の意見も最もなものだと言えよう。こちらはアセイラムがいても戦えないため、実質一人しかいない。それに対して相手が何人もいては勝てるはずがない。だけれど。

 

 

『私がヴァースから抜け出してきたときに、1人協力してくれた方がいるんです』

 

『私の、和平についても理解をしてくれて、彼の手助けで逃げてきたんです』

 

 

彼女があれほど信頼を寄せている人物。決して喜んで探してくれはしないだろうその喰種を探してと言うほど、彼女にとっては大切なのだろう。その喰種が、アセイラムの考える和平を理解してくれるその喰種が、はたして捜査官を簡単に何人も殺すのだろうか。そうだとしたら、その喰種はいったい何を考えているのだろう……。

 

……いや、考えすぎだろうと伊奈帆は頭を軽く振った。顔を上げて窓から景色を見る。立体駐車場の屋上。そこからは町並みが見えた。もし、もしかしたら、あの喰種がこの町のどこかにいるのかもしれない。でも、そう考えだしたらきりが無かった。

 

一旦考えるのを止めて伊奈帆はやっとここで鞠戸の方を見た。

 

「鞠戸上等。煙たいのでたばこ止めてもらえませんか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

終始過去の僕は緊張していた。母の隣でちょこんと座ったまま俯いている。頼んだオレンジジュースをちびちび飲みながらアーデル・トロイヤードの方を上目でこっそり見ていたりもした。

 

その間の2人の様子と言ったら、まさに端から見たら夫婦だ。それもとても仲の良いおしどり夫婦、と言ったところだろうか。まぁ、夫婦になることは確定しているのだが。僕でさえ口元が緩んでくる。近くの空いている席で僕一人が座って、片手で頬杖をしながらその様子を見る。

 

最近のあれこれを互いに話し合っては、たまに面白いこともあったのか笑っている。こんな母を見るのは久しくて、内心嬉しさよりも驚きの方が勝っていたのをおぼろげながらにも覚えている。

 

『あ、それでねスレイン。この人はね、研究者なんだよ』

 

『……え、そうなんだ』

 

"研究者"。このワードは当時小学校高学年の僕からして見れば、魅力が溢れ出るほどのものだっただろう。そもそも、何かを研究しているというだけで、どこかのアニメを思わせる。

 

『……なにを、研究してるんですか?』

 

『実はね、これは秘密なんだ。ごめんね』

 

アーデルは申し訳なさそうに手を合わせてシークレットと告げるが、過去の僕はガッカリするどころか余計に目を輝かせている。人には言えないものを研究する。言うなれば秘密結社、というイメージが過去の僕にはあった。

 

それから3人一緒に話していた。さっきまでの緊張はどこへやら、と僕は呆れるが、それでも何だか久しぶりに母の楽しんでいる様子を見れて満足だった。あいつの存在はマイナス要素なのだが……。

 

程なくして2人は結婚した。といっても、籍を入れただけで式は挙げていなかった。それでも2人は満足だったのだろう。荷物を段ボールにつめて、母と2人で住んでいたアパートと別れた。

 

そうして僕らの新しい生活は始まった。距離的にも今通っている小学校には通えることができた。そして再婚ということだったが、姓名は母のものをそのまま継続して使った。

 

家に帰ると、母が笑顔で出迎えてくれた。家が変わったことによって何回かは間違えて前の家へ行きそうになっていた。我ながら恥ずかしかった。

 

アーデルの方は、というと常に家にいるわけではなかった。研究所が近くにあるらしいが、母にさえも教えていないようだった。それほど厳重なセキュリティーを持ってして守るべきものらしい。でもたまに帰るとソファに座って新聞を読んでいたりしていた。それを見つけると僕は

 

『お父さん、ただいま!』

 

『おお、おかえり』

 

アーデルも笑顔で飛び込んでくる過去の僕を抱きしめてくれた。このとき既に"お父さん"と呼んでいたようだ。それほどまでに心を許していたのだと、自分のことなのに驚いている。

 

けれど、すぐにある疑問にぶつかった。

 

夕食の時だった。テーブルには麻婆が大皿に置かれ、掬うスプーンが添えられている。茶碗にご飯と味噌汁、レタスやトマトを切ったサラダも食卓に彩りが飾られる。しかし、それらは2()()()()()()()()()()()()()()3()()()()()()()()()()()、だ。

 

椅子に座る過去の僕は、ソファで本を読んでいる父の方を見ている。僕はリビングの片隅の壁に寄っかかってその様子を眺める。

 

『ねぇ、お父さん。ごはん食べないの?』

 

『え!?え、ああ』

 

アーデルはいひょうを突かれた様子で目を丸くし、曖昧な感じで返答に困っていた。

 

『お、お父さんはね、お腹空いてないんだって。それにね、食べなくてもへっちゃらな時もあるんだって』

 

ここで母がフォローに入った。今見れば母も少しばかり動揺していたが、即興なのかは知らないが上手い具合に過去の僕を騙せている。当時の感覚としては食べることを忘れるほど研究に集中していて、そのうち食べなくても大丈夫になった、だろうか。表情を見たらそんな感じの顔だったのでそうだろう。

 

このことでアーデルの食についての疑問が払拭された。母の言葉だからこそすんなり信じられたのかもしれない。アーデルもほっとした様子である。

 

 

それからというもの、楽しい時間を過ごした。3人で遊園地に行ったり、山登りや海水浴に行ったりもしている。とても幸せそうだ。当の本人である僕も、こんな時があったことを忘れてしまっていたようだ。そんな自分に嫌気がさした。でも、それもこの様子を見ていれば、いくらかどうでも良いと思えた。

 

きっと、こんな時間がずっと続けばいいと、続くはずだと思っていただろう。

 

僕も、そう思える。そうとしか思えないだろう。

 

だが現実は、時に残酷だ。

 

それは僕が中学生になった頃。小学校の時とは違って学生服を着る日々。黒の学ランの袖に通す過去の僕はまだ幼さが残っていて、さらに新しい環境になるために緊張していた。2人はそんな過去の僕に応援の言葉をかけている。その言葉で幾分楽になったか、指定鞄を背負ってドアから出て行く。

 

当時の僕ではあまり気にかけていなかったが、少し前からアーデルの様子がおかしかった。やけに外の様子を警戒したり、研究所で泊まり込むことが多くなり、家と研究所との行き来の回数が減った。その理由を当然聞いていたが、母は研究が忙しいのよ、と心配させないように言っていた。

 

だが、当然の話、人は成長する。身体も勿論のこと、知識も増えていく。されば、人がろくに飲食しなければ普通に生きることなんかできないと思うのだ。僕の場合は、もっと早く気づけても良かったのでは、と今目の前にいる過去の自分に言いたかった。もう少し勘の良い人間に生まれたかった。

 

そして、ついに見てしまったのだ。

 

それはある日の深夜、普段は寝てる途中で起きることはなかった僕だったが、珍しく起きてしまった。すぐに目を閉じたが寝付けず、仕方なく布団から出た。気分転換に水でも飲もうと階段を降りてリビングへと足を進める。すると、右手にリビングのドアが見えるのだが、そこから光が差していた。こんな夜中に誰かいるのだ。

 

過去の僕は恐る恐る、まず耳を近づける。聞こえてくるのは誰かが何かを食べている音。それもかなりがっついた食べ方をしているのか、噛みきる音や飲み込む音が大きかった。

 

次にほんの少しだけドアを開けてみた。片目で中を覗いてみる。目の前には丁度テーブルが見える。そこで誰かが座っていた。明かりが付いているのでハッキリと誰かはわかった。

 

アーデルだった。あの普段食事をしている姿を見たことがなかったあのアーデルが、食事をしているのだ。

 

過去の僕はそれに驚いたことだろう。目の前のことに集中してしまったのだろう。この開閉ドアはちょうつがいのところが軋んで音がするものだった。一瞬の油断でそれが鳴ってしまった。

 

その音に反応して、アーデルは手を止めてこちらを見た。その顔は今まで見たことのなかった。引きつった表情が恐怖を感じさせた。

 

『ス、スレイン……』

 

『あ、あの!えっと、その、ごめんなさい。邪魔しちゃって』

 

過去の僕はどう言っていいかわからず、観念してドアを開けてリビングへ入っていく。手をあっちこっちに降りながらこの状況をどう説明するか懸命にまわらない頭で考えている様子だ。

 

『スレイン!……起きてたの、ね』

 

さらにそこには母もいた。パジャマ姿でキッチンのところにいたのだ。ここまでくると何が何だかわからなくなってくる。当時のこの困惑さを今でも覚えている。

 

アーデルは椅子から立ち上がり、過去の僕へと歩み寄る。その姿に恐怖でびくっとなりながらも、逃げようとはしなかった。

 

目の前まで来ると、しゃがんで過去の僕の両肩に手を置く。

 

『今から、本当のことを言おう』

 

その顔は真剣さを醸し出していた。これも、初めて見る表情だった。

 

『俺はね、喰種なんだ。どこかで気づいていたかもしれないけど、今まで黙っててごめん』

 

非常にシンプルな言葉だった。ただ真っ直ぐ見つめるその目には、もはや嘘はなかった。

 

『……そうなんだ。うん、確かに、変だなって思ってた。普通、ちゃんと食べなきゃ人間は生きてけないし』

 

『そうだよな。気づくよな。……でも、これだけは誓える。俺は、ママのことを愛している。そして、スレインも愛している。これだけは変わらない。たとえ、どんなことがあっても2人を守る』

 

アーデルは泣きそうな顔でそう言った。その言葉は、当時の僕の心に響いた。母も近寄って優しく2人を抱きしめる。

 

『……うん!』

 

テレビや雑誌などで見てきた喰種は悪いイメージしかなかった。人を無差別に喰らう化け物と世間は報道していた。

 

けれど、それは今日で180度変わった。なぜなら目の前にいる喰種から、愛情が伝わってきたからだ。大切な母を守ってくれる、とても優しい喰種がいるのだ。

 

 

そう、当時の僕は思った。

 

だが、こうは思わなかった。今までの考え方が180度変わったように、()()()()()()1()8()0()()()()()()()()

 

 

 

それは突然だった。アーデルからの連絡で、指定した場所に向かってくれとのことだった。母も困惑していた。何せ、貴重品や何日間分かの非常食等を持って、とメモがあったのだ。朝から姿がなく、研究所に出ているのかと思っていたが、母が残されたメモを発見したのだ。

 

母はアーデルに連絡したが、つながらなかった。不安になったが、ここにいてもしょうがない。急いで準備をして、家を後にした。

 

時刻は午後3時頃。太陽の光は厚い雲によって遮断されていて、薄暗い。少し冷たい風が吹き、2人の肌を撫でる。電線に止まったカラスたちの鳴き声がやけに耳障りだ。

 

指定された場所に着くとそこには人が何人もいた。だがそれは、全員が人間ではないようだった。すぐ手前にいた人物が説明してくれる。

 

『よかった、奥さんと息子さんは無事だったんだ』

 

『えっと……何があったんですか?主人とは連絡がつかないのですが』

 

『私たちも詳しいことは聞かされていなかったのですが、ここ数年でアーデルさんの仲間が次々と殺されているようで。その犯人がようやくわかったとかで、今日、決着をつけるそうです』

 

その言葉から読み取れる事実に、おそらく当時の僕も気づいただろう。確実に、アーデルに危険が及ぶ。当然母も察し、すぐにきびすを返して外へ出ようとする。

 

『ダメです!僕らはここにいるあなたたちを守るようにとアーデルさんたちから命令されてるんです!それに、あなたは行く当てがあるんですか?』

 

『それでも、あの人が心配なんです!心配で……もう、失いたくない』

 

震える声で、叫んだ。徐々に力なく崩れていく様を、久しぶりに見た。過去の僕は泣きそうになっている。それもそうだと頷ける。この母は、父を失った時の母そのものだったからだ。

 

母をなだめるようにして数人で別室に移動した。僕らもついて行くと、そこにも数人いた。ここにいる方たちは誰なのだろう、アーデルの研究所の関係者なのだろうか、などと考えていたのだろう。

 

しばらく椅子に座って俯いたままの母の側にいる。黙りこくってしまった母が心配でたまらない、という様子だった。

 

 

ガシャーーーン!!

 

 

突然何かが壊れる音がする。それもかなり大きい。驚いて部屋にいた全員が部屋を見回す。この部屋は2階で、どうやら音の発信源は1階のようだ。

 

僕は心臓が押しつぶされそうでたまらなかった。部屋の隅でただ立っているだけの僕だが、この部屋の中で僕だけが知っているのだ。この後に起こる悲劇が。

 

再び大きい衝撃音が響いた。今度はこの部屋の床からだった。いくつもの破片が飛び散り、いくらか弾けた場所から近かった過去の僕は倒れていた。

 

母も飛ばされていた。その近くへと行こうとしたとき、爆発した場所から何かが飛び出してきた。それは黒一色で、且つ動きが素早かった。数人の悲鳴が聞こえたが、それとほぼ同時に、()()が突進してきた。

 

僕はわけがわからなかった、と記憶していた。何せ一瞬のことだったからだ。()()から伸びた黒の牙のような何かが現れ、過去の僕に向かって振り下ろされた。

 

 

 

ここで僕は目を閉じた。見たくなかった。見れるはずがなかった。いや、そもそも見れるはずがないか。これはあくまで僕の記憶なのだから。

 

でも、神様もあまりにひどい。むちゃくちゃだと叫びたくなる。こんな、わけのわからない状況で、僕の()()()()()()()()()()()()()()()()()()()




スレイン君の過去話、あと一話だけお付き合いください(土下座)
そして、少しずつですが真相へのヒントも見えてきます

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