須賀京太郎が逆行するお話   作:通天閣スパイス

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プロローグ(前)

 人間五十年、というのは戦国時代の話。

 医療技術の発達、食料事情の改善、戦争の非日常化。その他様々な要因によって、人間の寿命は伸び続けている。

 それによって様々な問題が起きていたりするのだが、そこらはまあ、置いといて。

 

 平成に生まれ、高いレベルの医療と衣食住の恩恵を享受していた自分もまた、ご多分に漏れず。

 九十二年という長い寿命を生き、働き、楽しんで――今は自宅の日本家屋の一軒家、その自室の畳の上にいた。

 

 

 

「………………」

 

 

 

 長年慣れ親しんだ布団に仰向けで寝転び、年金で買った割りと高級な掛け布団に包まれながら、思考を巡らせる。

 

 ……思えば。この人生、幸せに生きてきたと思う。

 長野の片田舎に生まれた俺が、高校を出た途端に地元を飛び出し、東京に来て。色々な困難はあったけれど、知り合いの助けもあって、手に職をつけることが出来た。

 それだけでも幸運と言えるのに、何の因果だろうか、その仕事の業界で成功と言える結果を出すことが出来て。標準以上の環境で日々過ごし、学生時代に出会った妻とも幸せな生活を送ることが出来たのだ。

 

 その妻は十年前に既に鬼籍に入り、妻との間に設けた子供達は外国や地方に行ってしまって、もうこの家には自分以外の誰もいないけれど。

 彼女達と過ごした思い出が、自分が今まで生きてきた証が、この家には詰まっている。だから寂しい、という感情は全く沸き起こらない。

 

 ……本音を言えば、最後くらいは誰かに看取って欲しい、という思いはあるが。

 ここ数日で一気に身体が衰弱し、もう上体を起こすことすら出来ないこの状況となっては、誰かを呼ぶことも出来ない。

 これなら意地を張らず、子供達の勧めに従ってお手伝いでも雇えばよかっただろうかと、そんな冗談混じりのことを考えた。

 

 

 

「……ゴホ、ゴホッ」

 

 

 

 咳が出る。

 その音を聴いて、自分の身体がもうどうしようもないくらいに弱りきっていることが、よく分かった。

 

 老衰か、あるいは何らかの病状か。この状況になった原因に一瞬興味が沸いて、どのみち死ぬんだから関係ないかと、すぐに頭の中から消し去る。

 ……こんなつまらないことを考えるなら、俺の意識もそろそろ限界、ということだろうか。

 

 事実、先程から凄まじい眠気が襲いかかってくる。

 それと同時に力が更に抜けて、もう手足の感覚が徐々に薄れつつあった。

 

 

 

 ああ、ダメだ。眠い。

 意識が、俺が、消えてゆく。

 

 視界が白に染まって、頭の中に靄がかかったようになって。もうなんだか、何を考えているのかすら分からなくなってきた。

 

 

 

『――――京ちゃん』

 

 

 

 ふと。脳裏に浮かんだのは、中学高校と一緒だった、女友達の姿。

 

 そういえば、彼女とは数十年顔を合わせていないなぁ、等と。

 薄れゆく意識の中、そんなことを考えて――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ちゃん。起きてよ、京ちゃん」

 

 

 

 ……声が聞こえる。

 

 懐かしいような、よく慣れ親しんだような。そんな不思議な、少女の声。

 いったいどこで聞いたものだったかと、混濁とした意識を動かして、思考を巡らせる。

 

 

 

「もう、勉強教えてって言ったの京ちゃんなのに……。言い出しっぺが寝てどうするのさ、このこの」

 

 

 

 ツンツンと、頬を触られる感触。

 反射的に頬に当たっている何かを手で掴むと、右後ろから「ひにゃぁ」、というなんとも可愛らしい悲鳴が聞こえてきた。

 

 ……これは、なんだろう。

 未だ覚醒しない意識のまま、寝ぼけ眼を開いてその“何か”を手で掴んだまま、見る。

 

 色は、肌色だ。形状は細くて、根本の部分は大きい何かに繋がっている。

 触った限りでは、すべすべして、柔らかい。先っぽに付いている半透明なものは固いが、それ以外は肉のように柔らかい。

 

 

 

「な、にゃ、なななななな……!」

 

 

 

 先程の声がまた聞こえるが、今は無視しておく。

 

 だんだんとハッキリしてきた意識によると、この何かは指、手に付いている指に酷似しているようだ。

 手、手か。成程確かに、この感触も手を握っている時にそっくりだ。

 

 はて。それならこの手は、いったい誰ものであろうか。

 どう考えても俺のものではないし、手の根本から腕らしき肌色のものが伸びている以上、俺以外の誰かのものだと考えるのが自然だろう。

 ならば、と顔を回転させて、その腕が伸びる方へと視線を向けてみる。

 

 するとそこにはやはりというか、一人の少女がいて。

 黒髪を肩口まで伸ばし、シックな雰囲気の私服に身を包んでいるその少女は、何故だか顔を赤くして口をパクパクと開けていた。

 

 

 

「うう、ん……?」

 

 

 

 ――見覚えが、ある。

 

 何処で会ったかは分からない、しかし確実に見覚えがあるこの少女のことを、俺は絶対に知っていた。

 

 見たところ十代くらいの少女だから……はてさて、いったい何処で出会っていたのだろう。

 年齢的には曾孫と同じくらいだから、それ関係だろうか。しかし曾孫の友人などには会ったことないし、その線は違うと言っていい。

 仕事の客、も多分違う。これでも記憶力はいい方だが、仕事場でこんな少女を見た覚えはない。

 

 思い出せ、俺。思い出せ須賀京太郎。

 喉まで出かかっているこの少女の正体を、何とかして思い出すんだ……!

 

 

 

「きょ、京、ちゃんっ! 寝惚けてないで手、手ぇ離してよぉ!」

 

 

 

 再び、少女の声が聞こえる。

 もう一度無視していようかとも思ったが、彼女が言った言葉の中の、『京ちゃん』という単語。それがどうにも引っ掛かり、思わず彼女をまじまじと見つめていた。

 

 京ちゃん。俺のことをそんなあだ名で呼んでいた奴が、何人かいる。

 それは親戚だったり、友人だったり、様々で。その中で一番印象に残っている奴と言えばやはり、あの女友達だろう。

 

 中一の最初の頃に知り合って、その時はあわあわしてる小動物チックな文学少女だと思ってて。でも高校になって麻雀部に入ったら、隠してた才能で俺なんか手も届かない高みに昇ってしまった、あの少女。

 中学の時はいつも一緒にいたくらいなのに、麻雀で活躍しだしてからはだんだんと疎遠になっていった、あの少女。

 

 咲。

 宮永、咲。

 

 記憶にあるその少女の姿と、目の前の彼女の姿は、寸分違わず重なっていた。

 

 

 

「……咲?」

 

 

 

 え、いや、待て待て待て。

 咲? ほんとに咲? いや、えっと……どういうことだ。

 

 とりあえず、あれだ。一旦落ち着こう。

 俺は須賀京太郎で、歳は九十二歳。学生だったのは数十年前の頃の話のはずだ。

 で、目の前にいるのは、俺の記憶が正しければ宮永咲。俺の同級生で、見たところの姿は十代。

 

 うん、おかしい。

 

 

 

「……咲。お前、いつの間に若返った?」

 

「何の話っ!? それよりもほら、手、握ってる、握ってるからぁ!」

 

「いや、だって、なんで俺と同い年の奴がそんな若い姿でいんの?

 もしかしてあれか、お前麻雀のしすぎでとうとう人間やめちゃった? 小鍛治元プロを鼻で笑うくらいに進化しちゃった?」

 

「ほんとに何の話しだしてるのーーーーっ!?」

 

 

 

 バタバタと、俺に手を掴まれたまま、暴れている咲。

 その姿があまりにも記憶のそれと一致していて、目の前のこれが正真正銘本人であるということを、ありありと分からさせられる。

 

 ……いや、しかし、これは。

 もしかしたらこの状況は、所謂あれというやつなのかもしれない。

 

 小説とか、ゲームとか。そういう創作物でよく題材になる、あれだ。

 

 

 

「……」

 

 

 

 周りを、見渡す。

 

 先程から視界に映っているこの景色にも見覚えがあって、俺の記憶によれば今いるこの場所は、学生時代の咲の自室だったはずだ。

 沢山本が詰まった本棚もあるし、可愛らしいぬいぐるみとか、少女らしい飾りつけだってされている。間違いなく、この部屋は咲のものだろう。

 

 まあ、その辺りはひとまず置いといて。

 その部屋にある姿見、それに視線を合わせると、鏡面に映り込んでいる俺の姿を見つめる。

 

 

 皺の入ってない、若々しい顔。

若い頃と同じ、短めに整えられた金髪。

 曲がっていない背中に、老眼鏡の必要がない視力、みずみずしい肌。

 

 

 その鏡には、十代の頃の若々しい俺の姿が間違いなく映し出されていた。

 

 

 

「……ああ、うん。成程成程」

 

 

 

 なんというか、やはり。

 

 これは、あれらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昔にタイムリープしてるじゃないですか、やだー。

 

 

 

 

 


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