あれから、二ヶ月経った。
学年末が終わり、E組行きの生徒が決定されて、その生徒はE組校舎に行っている。
その中の、知っている生徒は2人だった。1人は部活で知り合った杉野という男、もう1人は暴力が目立っていてある意味有名な赤羽という男だった。
俺は、E組行きにはなっていない。現状維持…つまり、A組のままだ。
だがそれを、嬉しく思ってはいない。今の俺はかなり暗い。周りの奴らにもそれは何となく察している事だろう。
日沢に殴られてから、日沢に会う事は無かった。あれ以降、公園に行こうと思えなかったからだ。ひょっとするとあそこで待ってくれているのかもしれない。
けど、それを確かめようと思えず、一歩踏み出す勇気が出せないでいる俺は、学校が終わってからは直ぐに家に帰るだけの日々を過ごしているだけだった。
なんて情けないんだろう、と自分で自分を笑いながら、帰る支度を進めようとした。
「どうしたの?浮かない顔をして」
サッサと帰る支度をしようとしている俺に、1人の男が話しかけた。その男は、窠山だ。
「…別に」
「どの口が言ってんの?誰がどう見ても調子悪そうなんだけど。最近小テストの調子も悪いみたいだし」
そんな事ない、とは言えなかった。実際俺は調子が悪い。授業中の小テストの点数がだんだん下がっていってるのが何よりの証拠だ。
「まぁ、危なかったね。少し前にこんな調子だとE組に行っていたかもしれないし」
…確かにそうだ。もう少し前にこんな調子だとE組行きもあり得た。学年末テストの時はなんとかいつも通りの点数を取っていたけど、授業の内容も頭に入ってこなくなっているし、今の状態でテストを受けていたら、史上最悪の点数を出してしまいかねない。そうなってしまうと落ちこぼれの生徒として…
落ちこぼれ…
「悪りぃ…」
窠山を置いて無理やり教室の外に出た。窠山にはどういう目で見られたかは知らない。俺はそれより先に行きたい場所があった。
◆
E組校舎に続く山道の入り口に立っている。目の前の長く続く坂道、これを渡りきれば、E組校舎にたどり着く。
そう…もしE組判定がつけば、この道を行くことになっていた。そうならなくて良かったと前までは思っていた。
けど、窠山の話を聞いて行くうちに、段々と違う考えを持ち始めた。なんで俺はこの道を通らないでいるんだと。
もともと親父たちの家では、俺は落ちこぼれだった。体も弱く、成績も微妙だった。兄貴に比べて程度が低すぎる出来に、家族の殆どには呆れられていた。
なんとかならないかと必死でもがいて、1年の頃はA組の生徒になる事は出来ていた。けど幾らやっても兄貴に到達出来なくて、何もかも諦めていた。そこから成績が下がり始めていた。このまま下がり続ければ、E組に落ちるだろうと、俺でさえも思っていた。
日沢と如月に会うまでは、それでもいいと思っていた。けどアイツらと関わる事で力を身につけて、そんな考えは無くなっていた。
でも、本当はこの道を通らないといけないんじゃないかと考えるようになった。今の俺は、このエリートまがいの道よりも、本当に通らなければならない道がそこにあるんじゃないかと…
「…あら?本校舎の生徒?」
すると、その山道から誰かが降りてきた。
E組の先生なのだろうか。会った事はないけど、教科書とか持っているし、何よりE組校舎から来たんだからそれしかないだろう。
その先生は、本校舎の先生とは雰囲気が全然違う。女性でありながら元気ハツラツというか、かなり明るそうな先生で、関わっている方も元気になりそうな気がする。
それに……
「…なんですか、そのダサい服」
「ダサ…!?」
…酷くダサかった。女性であるにも関わらず、服が酷い。模様なしの服に大きなイラストで、ダサさを誤魔化してる感があるというか…寧ろ引き立たせてるような感じの服装だ。
「うー…ん。みんなに言われるな〜。これでも自信作なんだけど」
…自信作?それで自信作か?この人色々と可笑しいのかもしれない。
そして服に気を取られて気づかなかったけど、その先生はかなり大量の書類を持っている。ここから本校舎の入り口まではかなりあるが、その道を1人で持ち運ぶのはかなり厳しいだろう。
「…良かったら手伝いますよ。この後予定がありませんし」
「え…良いよ。そんな大変じゃ…」
先生が喋っている間、持っている書類がぐらついているのが見える。そう思うと…
書類が地面に見事に落下した。
「……」
「手伝いますね」
「…はい」
この人、服のセンスが皆無な上にかなり天然要素が入っているな。
◆
「へ〜。理事長の息子なんだ」
先生が落とした紙を拾って、一緒に運びながら世間話をしている。その先生は、俺が理事長の息子であるという事に驚いていた。生徒会長の兄貴はともかく、一般生徒の俺のことは知らなかっただろうし。
「…親父が結構迷惑をかけていると思います。こんな過酷な仕事をさせて…申し訳ないです」
思わずお詫びを言った。親父が迷惑をかけているのは、E組の生徒と、この先生だろう。
E組は、1人の先生が全教科を教える仕組みになっている。落ちこぼれであるE組にかける費用を最小限にするためだ。
だからこの先生は、仕事時間ずっと授業をしている。言うまでもなく重労働だ。俺が謝ったところでなんの解決にもなってないけど、謝らずにはいられなかった。
「ううん。寧ろ理事長先生には感謝しているの。私を採用してくれたのは、あの先生だけだったから」
気にしてない、とその先生は言った。嘘をつく表情はしてないから、本当にそう思っていると言う事なんだろう。
親父が感謝される事は無いように思える。採用したと言っても、こんな過酷な仕事をさせる親父は、寧ろ悪口を言われても仕方がないと思うからだ。
「ところで、浅野くん」
「…学真でお願いします」
「うん。それじゃ学真くん」
するとその先生から話しかけられた。一体何を話されるんだろうか。
「何か、悩みがある?先生で良かったら、相談相手になるけど…」
……ッ!
嘘だろ…?そう言う話は全くしていないのに、なんで俺が悩んでいる事に気付いたんだ…?
「なんで…そう思ったんですか…?」
「なんとなく、苦しそうな目をしてたから、悩みがあるのかなと思って…」
思わず衝撃を受けた。まさか目を見てそれが分かるとは思っていなかった。
いや、おかしい事では無いのかもしれない。この人はE組の担任をしているから、そう言う目をして来ている生徒を何人も見て来たから、俺の目が彼らに似ていたという事なのかもしれない。
「でも…俺、E組じゃ…あんたの生徒では無いのに…」
思わず敬語を忘れて尋ねた。自分の生徒じゃ無いのに、なんで心配をするのかが気になってしまった。
「うん…確かにそうなんだけど…なんて言えば良いのかな…」
その先生はかなり難しそうな顔をしている。それを見て俺は思わず自分のした事に後悔している。人の好意に理由を求めて、俺は何をしたいのか…
「先生だから、自分の担当している生徒じゃなくても、助けになりたいと思っているの」
だがそんなモヤモヤした想いは、一瞬にして消え去ってしまった。
先生だからという単純な理由だったけど、それはかなり説得力があった。
いや、それよりも…
なんの迷いもないその目が、凄く印象的だった。
「………ッ」
その目を見て、俺の心に変化が訪れた。自分の気持ちに真っ直ぐで素直なこの先生が、とてもカッコよく思えた。
いま俺は何をしているんだと。大した事ない理由で、自分の気持ちに応えようとしない俺が、とてもバカバカしく思えた。
「あ、着いちゃった。じゃあ学真くん、ありがとね」
話しているうちに、目的の部屋に着いたみたいだ。運んでいた荷物を、扉の隣に置く。
「…ありがとうございます」
「…え?
その先生は困惑していた。側から見れば、その先生にお礼の言葉を言う理由が分からないだろう。
でも俺は、お礼を言わずにはいられなかった。この先生を見て、いま自分のすべき事が何なのか、そのヒントを得る事が出来たような気がする。
お礼を言ったあと、その場を後にする。いま俺には、やらないといけない事…いや、やりたい事が出来た。だから、俺は行動し始めた。
◆
学校から離れて、俺が向かっているのは例の公園だった。今さら何が出来るのかは分からないけど、それを考え直す事から始めようと思う。
そのために1番最初に言わないといけない事は、何よりお詫びの言葉だ。日沢は果物が好きだったから、りんごとかの果物がゴロゴロ入った袋を持っている。これで許してくれるかどうかは分からないけど、これぐらい渡さないといけない気がする。
これを渡して、日沢に謝って、許してもらったら、この後どうすれば良いか、相談しよう。ひょっとすると如月にも謝る事になるかもしれない。けど、日沢と仲良くするためならそれぐらいは…
「……ん?」
暫く歩き続け、漸く公園にたどり着く事が出来たけど、そこで違和感を感じた。それは、大勢の人が集まっていたところだ。
もともとその公園には人が殆どいなかった。遊具も殆どなく、道路に近いから、騒音が聞こえてくるため、そこに足を止める人は殆どいない。
なのに、あの公園で…正確にはその公園の周りで人が集まっている。
しかも公園に入ろうとする人はいない。入り口に最前列があるような感じだった。
何に集まっているんだろうかと思い、人が多すぎて後ろからではその様子を見る事が出来ないため人の間をすり抜けて前に出た。前に出ると立ち入り禁止のテープが置かれていて、警察が内側にいた。ここから先には入る事が出来ないということなのか。
なんで公園に入る事が出来ないのか。そう思って公園の中を見る。すると複数の警察が、公園の真ん中にある木に集まっているのが見えた。
その中に1人だけ、周りとは違う格好をしている人がいるのが見えた。警察がしているような服ではなく、学生服のような…
「…え……あの学生服って…」
その学生服をみて、嫌な考えが頭をよぎる。その学生服の事を俺は知っている。何しろ、何回も見たのだから。
まさかと思い、テープを超える。警察が何か言っているのが聞こえてはいるが、その時の俺はその言葉を聞く余裕はなかった。
その学生服を着ている人を、俺は知っているかもしれない。この場所を知っていて、その学生服をしているのは2人しか居ないから。
警察が集まっているところに近づく。そのお陰でその生徒の姿が見えた。
やっぱりそうだった。もう気のせいとは言えない。俺はソイツを知っている。
「日沢!!!!」
倒れているのは、日沢だった。その顔を、間違えるはずはなかった。
警察の中に割り込もうとしたところを、先ほど俺を追っていた警察が止めた。その勢いで俺が持っていた果物の袋が手から離れ、地面に落ちる。
「こらっ!勝手に入るなと言っただろう」
「離してくれ!日沢が…日沢が…!」
大声を出しながら、その手からどうにか抜け出せないかともがいているが、あまり体を動かしていない俺ではそれは出来なかった。
「嘘だろ日沢!何か言ってくれ!聞こえてるだろ!」
日沢はグッタリと倒れていて、意識が全くないように見える。警察はその周りを確認している。
それが、まるで死体の周りを調査しているようにも見えて…日沢が死んだという事を間接的に物語っているようにも見えた。
「お前に言わないといけない事があるんだ!だから来たんだ!お前の好きな物も買って来たんだ!それを食べて…これから如月の事を話し合おうよ!なぁ!」
反応してくれと願いながら、叫び続ける。けど日沢に変化は訪れない。倒れたままでいるだけだった。
そんな事を叫んでいる間にも、日沢から離れて行く。手を伸ばしても、全く届かない。
「おい!行くな!行かないでくれよ!俺を置いて…!」
届かない手を必死に伸ばす。その時の俺は、藁を掴むような気持ちだった。この結論を、俺は認めたくはなかった。
「俺を1人にしないでくれよ!」
しばらく経って、警察の調べが終わり、日沢が自殺した事を告げられる。なんとも言えないこの虚しさに、俺は座り込むことしか出来なかった。
そして、一週間が経った。
学真が直面したのは日沢の死…一体どうしてそうなったのか。
次回『追憶の時間③』