授業は、割と普通だった。律の時のように授業中に暗殺を仕掛けたりはしない。普通に授業を受けているだけだった。
まぁ…
「運動部に所属している生徒は全体の2分の1、文化部に所属している生徒は全体の3分の1、この2つの事象は互いに排反ですから部活に所属している生徒の割合は2つの確率の和になります。では霧宮くん、1/2+1/3は幾つですか?」
「そうだな…2/5だ」
「「……」」
あの学力の低さには驚かされるが。
暫くの間霧宮は暗殺を仕掛けなかった。授業中や休み時間でたまに殺せんせーが近くを通る時があるんだが、さっきのようにナイフで切り裂こうとする様子は見せなかった。
そして昼休みになった。霧宮は袋から竹細工の箱を取り出した。あれひょっとして弁当か…竹細工とは珍しいな。弁当といえばプラスチックとかせいぜい木製の箱がほとんどだ。
「霧宮くんって、弁当を食べるの?」
「ああ、いつも作っている。一応得意な方でな」
どうやら自分で作っているようだ。意外にも家事とか出来るんだな。まぁ…割と器用な感じだ。
「なるほど…中身はおにぎりですか。なかなかオシャレなモノを食べますね」
殺せんせーが言った通り、霧宮の持っている弁当の中はおにぎりが数個入っていた。それも数種類。炊き込みご飯をそのまま弁当にしたような感じだ。確かにオシャレなように見える。
「宜しければ1つあげるぞ」
「にゃや!本当ですか。それでは遠慮なく…」
霧宮がその数個のおにぎりの中から1つ取り出し、殺せんせーに渡そうとする。殺せんせーはそれを受け取ろうとした。
「にゃや!」
だが受け取ろうとした瞬間、また殺せんせーが移動する。さっきまで殺せんせーがいた所には、さっきと同じように触手が、それも数本落とされていた。
「…!また!?」
「すげぇ…完全に殺せんせーの不意をついている…」
周りが驚いたように話し合っている。いままで不意打ちを仕掛けようとしても、アッサリとかわされたあげく手入れされるのがパターンだったから、霧宮のように触手を切り落とす事が出来なかった。
朝の時からいままで暗殺を仕掛けようとしなかったから、今のタイミングで仕掛けるとは思っていなかった。だから全員呆気に取られている。
恐らくは…殺せんせーが警戒していない時を狙っている。殺せんせーが無警戒の時に暗殺を仕掛ける。暗殺としては無難な作戦だ。そんな無難な作戦を、あの化け物に仕掛ける事が出来るこの男が、一際恐ろしく感じた。
◇
5限目の体育では、烏間先生が霧宮の実力を確かめるために、一対一で勝負をする事になった。ルールは俺の時と全く同じく、ナイフを烏間先生に当たる事が出来たら霧宮の勝ちと言うやつだ。
この場合はどうなるんだろうか。一対一の戦闘の場なら、不意打ちは通じない。その状態でどう戦うのかと期待して見ている。
「いつでも良いぞ」
「分かった。それでは…」
開始の合図と共に、霧宮が仕掛ける。ナイフで烏間先生を斬ろうとしているようだ。当然、烏間先生は躱したけど。
だが隙を見せずに第2撃を繰り出す。第1撃から第2撃を繰り出すまでの動きが滑らか過ぎて、烏間先生も躱すのに必死だ。
「すっごーい…剣術も上手なんだ」
倉橋が感心して言っている。殺せんせーに仕掛けているあの暗殺に加えて、体術もあんな感じだ。一際凄く感じる。
正に、無駄がないという言葉がしっくり来るほどの剣術だ。剣術については素人だから詳しくは分からないが、攻撃から次の攻撃に移るまでの間に無駄がない。俺らがやると攻撃した後は、次に攻撃が出来るまでに時間がかなりかかる。
だから上手だと思う。剣術の成績なら、磯貝とかに負けないほどの点数を出すんじゃないかと思うほどに。
けど……それ以上に気になる事があった。
「アイツ、左利きなのか?」
そう、いま霧宮は対先生用ナイフを左手に持っていた。剣道で使うような竹刀ならともかく、ナイフとかの小さな物なら利き手で持つ。勿論左手でナイフを扱わない事は無いけど、あそこまで左手を使うと言うなら、左利きという事だ。
「あ、本当だ!よく気づいたな…」
「どうりで違和感があると思っていた」
俺の言葉に、杉野や片岡が気づいた。他のみんなも気づいたようで、少しざわついている。
左利きってのはスポーツでもかなり有利な性質として扱われている。不破曰く、左利きと滅多に戦う事ないから、いつもよりやり辛く感じるらしい。
どことなく霧宮のナイフを使っている様子に違和感を感じたのは、そういう事だろう。烏間先生が避けづらそうにしている理由も、霧宮が左でナイフを使っているのもあるかもしれない。
けど、俺が感じた違和感はそれだけじゃ無い。霧宮について、まだ何か隠されてある事があるかの様な…
「ふっ!」
「!!」
訓練の方を見ると、先ほどまでと同じ様に攻撃を仕掛けるも見せかけ、1番大きく踏み込んで斬りかかる。あの一撃を躱すために、烏間先生は後ろに飛んだ。
流石に踏み込み過ぎたせいか、その攻撃の後すぐ攻撃する事は出来ず、暫く体制を整えていた。だが…
「ハッ!」
まるでフェンシングのように、身体の向きを横にしたまま、後ろ足を踏み込んだ足のそばにつけると、前足を大きく踏み込む。そして、その手にあるナイフを思いっきり突き出した。
「…ぐ…」
避ける事が出来ず、烏間先生は流石に防御した。霧宮の握っているナイフではなく、その手を掴んで防いでいる。手が思いっきりぶつかり、その衝撃でナイフは落ちていった。
「…3分。流石に無理だったか」
「いや、危なかった。防御出来たのは偶然だ。勘が外れていれば、間違いなく当てられていた」
どうやら、今ので3分経ったらしい。ナイフを当てる事が出来なかったから、点数はない。
けど技術の話をすれば、クラスの中の誰よりも強いのは確かだ。磯貝や前原なんかは、2人で一緒に仕掛けてナイフを当てれる。けど霧宮は、恐らく1人でも、ナイフを当てるだけなら出来るだろう。それぐらい、霧宮は強かった。
◇
「霧宮!お前スゲェな!あそこまで烏間先生を追い詰めた奴なんて居ないぜ!」
「いや、まだ修行不足だ。あれではまだ殺せんせーを殺す事は出来ない」
訓練が終わった後、杉野が霧宮に話しかけている。ああいうところは流石だよな。杉野は誰とでも仲良くしようと振舞う。俺が野球部にいた時も、俺と話したのは杉野ぐらいだし。
杉野に話しかけられた霧宮は、まだ修行不足だと言っている。目指している物のレベルが相当高いから、厳しくなるんだろうな。
「本当に凄いね。あの剣術は、誰も出来ないよ」
その会話の様子を見ていた渚が、呟いた。俺の後ろにいたから聞こえたんだけど。
「あの暗殺も、1番上手だったし」
「…でもお前も同じような暗殺をしてたじゃん。あの鷹岡に」
「あれは鷹岡先生だったから。殺せんせーに仕掛けても余裕で躱されるよ」
霧宮に感心している渚に言うと、普通に否定された。まぁその通りなんだけど。
最近なんとなく分かったんだが…渚は自己評価がかなり低い。
自分に対して厳しいと言えるのかもしれないけど、渚の場合はそれではないって感じだ。
例えば、『自分はそんなに大した奴じゃない』っていう言葉はよく使われる。俺も使う時がある。
それを使う理由は大きく2つある。1つ目は、他人と付き合うために謙遜して言っているから。もう1つは、自惚れないようにあえて厳しく言っている時だ。
けど渚はそのどちらでもない。心の底からそう思って言っている感じだ。
あの鷹岡の暗殺も、烏間先生のアドバイスがあったから出来たとしか言わない。確かに烏間先生のアドバイスのお陰もあるかもしれないけど、成功できた事に対してちょっとぐらい自信を持ってもおかしくない。寧ろそうなるはずだ。
けど渚は、自信を持つどころか、偶然良かった、誰かのお陰で上手くいったとしか思わない。自分に対して評価しない。
どうしてそこまで自己評価が低いのか…なんか理由がありそうな気がする。
気づくとみんなは教室に帰っていく。遅れないようにと、俺と渚も教室に向かった。
◇
6限目、毎週恒例の小テストの時間だ。与えられた小テストを終わらせたら帰っていい事になっている。
俺は一応終わらせた。だが提出はしていない。理由は何となく分かるだろ。
ガタッと椅子を引く音がした。1人の男が終わらせた小テストを提出しようとしている。それが一体誰なのか、何となく分かっていた。
「おや霧宮くん、もう終わらせましたか」
そう、霧宮だ。俺が終わったという事は、他にも終わらせた奴が複数人いるという事だ。けどいままで殺せんせーに提出しようとしている奴はいない。恐らくみんなも、俺と同じなんだろう。
本当に霧宮が、殺せんせーを殺せるのかどうかを、その目で見ておきたいんだ。
「頼む」
暗殺を仕掛けるのかと思いきや、普通に小テストの紙を渡した。それは、今日はもう暗殺を仕掛けないという意味なのか、それとも、暗殺を仕掛けるための布石なのか。
「ええ、それでは、明日も頑張って殺しましょう」
霧宮がこの教室に来て、たった1日しか経っていない。だがその僅かな期間で、俺らは霧宮の強さを実感した。
コイツなら、本当に殺せるのかもしれない。恐らく、いままで仕掛けたどの暗殺よりも完成形に近いその暗殺が、誰よりも可能性が高いという事を実感している。
殺せんせーに紙を渡した後、殺せんせーの後ろを通りながら廊下に出ようとしている時、霧宮のナイフが、殺せんせーに向かって伸びていった。
「…な………!?」
殺せんせーの悲鳴は、出なかった。
教室に響いた声は、驚いた時のそれで。
それを発していたのは、暗殺を仕掛けた霧宮だった。
「ヌルフフフフ、惜しかったですねぇ。今のは防げましたよ」
ニヤニヤとしながら、殺せんせーが話している。毎回あの言い方に腹を立てる。
殺せんせーの頭に向かって、ナイフを刺すようにしていた霧宮の腕が、殺せんせーの触手に捕まっていて、防がれていた。
「うわ…いま俺らは分かんなかったのに、なんで殺せんせーは防げたんだ?」
前原が驚きながら、殺せんせーに尋ねた。暗殺が起こるかどうかを観察しようとしていた俺らでさえ、今の暗殺は気づかなかった。けど殺せんせーは暗殺が来る事を分かっていて、それを防いだ。一体どうして、霧宮がいま仕掛けた事が分かったんだろうか。
「朝の時に一回、昼の時に一回、霧宮くんは暗殺を仕掛け、それ以外では仕掛けようとしませんでした。恐らく霧宮くんは、先生が警戒していない時を狙っていたんです。
なら霧宮くんは、どうやって警戒しているかどうかを判断しているのかを考えました。そこで、先生は一つ仮説を立てました。霧宮くんは、先生の視線で判断しているのでは無いかと」
殺せんせーが『視線』と言ったのをヒントに、いままでの暗殺を振り返ってみる。
最初の暗殺は、朝のホームルームで、殺せんせーが霧宮に自己紹介をさせて席に行くように指示をしていた。思ったよりも普通っぽい感じだったから、少し疑問を抱いたところで暗殺があった。
2回目は、昼休みの頃だった。霧宮の持って来ていた弁当が気になっていた時だった。竹細工の弁当箱が珍しくて、その話題で盛り上がっていた時、殺せんせーにおにぎりを渡そうとしたところで暗殺を仕掛けた。
そして今回、小テストのプリントを渡し、一度帰ろうと見せかけて暗殺を仕掛けた。
なるほど、どの暗殺も、別の何かに視点が行きがちな時に仕掛けているな。
「視線を誘導したという事か?えっと確か…」
「ミスディレクションでしょ。マジックの時に結構使われるけど」
視線を誘導する技術がなんだったかを思い出そうとした時、カルマがその答えを言った。そう、ミスディレクション。影が薄い事が有名などこかの主人公も、その技術を使っていたな。
「今回はわざと、視線を君から外してプリントに集中しました。思った通り、霧宮くんは暗殺を仕掛けた。その技術は見事でしたが、もう少し疑う事を覚えた方が良いですねぇ」
…相変わらずハイスペックだな、殺せんせー。罠であったとしても、霧宮を視界の外にする訳だから、暗殺をどのように仕掛けたかどうかなんてよく分からない筈だ。けど殺せんせーは、霧宮の様子を見ないで防いだんだから。
「…流石、懸賞金として100億円かかる訳だ。並大抵の観察力では無い」
霧宮も思わず驚いていた。あのようにして防がれるとは思っていなかったんだろう。視線を逸らさないように警戒する事はあっても、敢えて視線を逸らして防ぐなんて思ってもいなかったから。
「だがこれで終わってはいない。マッハ20と言っても、動き出すまでに若干時間がかかる。今日の暗殺で分かった。
朝と昼ではその時間の間に斬ることは出来なかったが、この至近距離なら…」
だが霧宮も暗殺を終わらせた訳ではないようだ。話しながら殺せんせーの触手を振りほどき、ナイフを殺せんせーに突き刺す。その動きが、かなり最小限の動きで、俺らは目で追う事は出来なかった。
《ガシ!》
だがまた防がれた。やっぱり殺せんせーの警戒力の方が上だった。そりゃ、毎日俺らの暗殺を躱している訳だから、そう簡単に暗殺は出来ないんだろう。
とは言っても、意表をつくという意味だったら、霧宮が群を抜いている。今日はダメでも卒業までなら…
「……なさい」
…ん?
「その暗殺は辞めなさい。霧宮くん」
……え…?殺せんせーが、霧宮の暗殺を禁止した?
「その暗殺は…それだけは禁止します」
…なんでだ?特に問題があったとは思えない。
いままで殺せんせーはどんな暗殺を仕掛けてもそれについて禁止する事は無かった(酷評はされるけど)。
けど、霧宮の暗殺だけは禁止した。一体なんでだ?
「やり方を変えてください。君の実力ならどの形の暗殺であっても良い形に仕上げてくるでしょう。さもないと…」
「あんたが俺のやり方に口出しをするな!」
殺せんせーが話している途中で、今度は霧宮が大声で怒り始めた。この2人の間で何が起きているんだ…?
「…チッ……!」
軽く舌打ちをして、霧宮は教室を出た。バン!と扉を閉める音が大きく響く。
今の一瞬の間に何が起きたんだ?霧宮が暗殺を仕掛けようとして、殺せんせーが霧宮の暗殺を禁止して、霧宮が怒って…何がどうなっているんだ。
「なぁ、殺せんせー…いったい…」
「…失礼しました。小テストが終わっている人は教壇の上に置いてください。先生は霧宮くんの様子を見ます」
殺せんせーにいったい何が起こっているかを尋ねようとしたが、殺せんせーは俺らに小テストを教壇に提出することだけ伝えて、教室から出た。恐らく、霧宮の様子を見に行ったんだろう。
先ほどまで楽しそうな雰囲気が嘘のようだ。気づけば教室は静かになっていた。この僅かな時間で起きた事は、一体何なのか。そのことに疑問を抱くだけだった。
殺せんせーがなぜ霧宮の暗殺を禁止したのか。それは次回のお楽しみに。
次回『調査の時間』