その場にいる全員は、全く動こうとはしなかった。学真を助けるために集まったのだが、全く想定していない事態に誰もが混乱している。最初にこの場にいた矢田や倉橋も、彼女らに呼ばれて来た磯貝や前原、そして殺せんせーでさえも、大勢の者らによって学真がやられているのではないかと思って来たのに、逆に学真がその集団を返り討ちにしていたのを見れば、当然の反応かもしれない。
1番不気味に見えるのは、いつもと雰囲気が全く違う学真の姿だ。周りから見ると、彼は物事を荒げるタイプとは思えず、寧ろ穏便に物事を済ませようとするイメージがあった。少なくとも、目の前で起こっているような事を起こす人ではなかった。見たものが本当かどうか、誰もが疑う。それ故に、動けるものはいなかった。
「お…オヤジの部下が、全滅…?な、何なんだよ、コイツ…」
そんな中、1人の男が喋った。学真の前でビクビクしながら喋るそれは、先ほど矢田に近づこうとしていた金宮に違いなかった。先ほどまでの傲慢な態度とは打って変わり、明らかに目の前の男を怖がっている。
「……………………」
学真が、ビクビクしている金宮を睨んだ。その目を金宮に向けた瞬間、金宮は「ヒッ」と言ってバランスを崩し、その場で座り込んだ。その仕草や表情から、どれだけ学真の事を怖がっているかがハッキリと分かるが、学真にとってはどうでもよかった。金宮が自分を怖がっていようとも、痛くもかゆくも無い。
「テメェ…強さというのを勘違いしてねぇか?」
ようやく、学真が口を動かした。いつもよりドッシリと重みがかかっているような言葉に、矛先が向いていないクラスメイトでさえも背筋が凍るように感じた。矛先を向けられている金宮に至っては、全身が凍結するかのような感覚だ。
何が学真をそんなに怒らせたのか、というのはこの場の殆どは分かっていない。金宮も最初はどうとも思わなかったが、そのセリフを聞いてようやく悟った。先ほどまで学真に喋ってたことが、学真の逆鱗に触れたのだと。
「望んで弱い体に生まれた奴なんて居ないんだよ。寧ろ元気で有りたいのに、弱い体で生まれ、1人では生きていけないと言うことがどれだけ辛いことか、そして自分のせいで家族が不幸な出来事に会ったと知ったら、どんだけ嫌な思いをするか、テメェは分かんのか?」
先ほど、金宮は矢田の弟の事を『軟弱』と言った。それが学真には許せなかった。彼も丈夫に生まれた方では無い。寧ろ弱く生まれたのだ。だからこそ、弱い体で生まれたことを馬鹿にする事が許せなかった。
学真が言った通り、望んで弱く生まれたものなど居ない。たまたま弱く生まれただけなのだ。それを、たまたま何事もなく生まれる事が出来た者が馬鹿にするのは、侮辱以外の何物でも無い。
「そしてそんな辛い弟の側にいて、弟を支え、弟の為に頑張れる矢田も、俺からすればスゲェと思うよ。本当にツラい思いをしている人の事を考えれる。そんな思いやりの心なんて、誰でも持てるものでは無い。俺から見ればそれも立派な力だ」
そして、学真は矢田の事を話した。修学旅行の時、彼女が弟の為にお土産を買おうとしている現場に居合わせた。彼女が重い病気で寝込んでいる弟の事を考えているのを見て、学真は彼女のことを尊敬した。弟の事を考える様子が、学真には輝いて見えた。弱者の弟を心配する素振りを見せない兄を知っているのだから。
「それに引き換えテメェは何だ?父親の経歴だけで自分の才能だと思い上がり、『天命』だの『エリート』だの『選ばれし者』だのと誇示しやがって。まして矢田の弟やE組が軟弱野郎だと?」
学真の声が、急に低くなった。これから学真が何をしようとしているのか、矛先を向けられている金宮は言うまでもなく、近くにいたクラスメイトにも察した。マズイ、と磯貝が思い、前原と一緒に学真を止めようと動いた。
「調子に乗ってんじゃねぇよ!困難に立ち向かっている奴らを、努力すらした事のないテメェがバカにしていい権利なんか何処にもねぇ!そんな馬鹿が矢田を幸せにしてやるとか、思い上がりも甚だしい!」
大声で叫びながら、学真は今にも金宮に攻撃しようと歩き始める。これ以上被害を大きくすれば取り返しのつかないことになることが嫌でも分かるので、磯貝と前原は2人がかりで止めている。だと言うのに、学真の力があまりにも強く、全く抑えられていない。それどころか、寧ろジリジリと前進しているようだ。
「ムシズが走るんだよ!テメェみてぇな勘違い野郎を見ると!テメェがどんだけ偉いんだ⁉︎アァ!?口だけは達者なクソ野郎が!!」
学真は、彼を止めようとしている磯貝や前原が目に入ってない。頭の中には、目の前の男に対する怒りで満たされており、冷静さを欠いていた。周りを気にする余裕は、彼には無かった。
「止めろ学真!これ以上問題を起こすな!」
「…!どうしたんだよお前!こんなに暴れるなんて…!」
磯貝が、前原が、どうにかして学真を落ち着かせようと声をかける。だがその声すらも学真の耳には届かない。学真の歩みは全く緩まない。だがこれ以上被害を大きくするわけにはいかない。磯貝と前原は必死で彼を止めようと抑える。
その時、学真の口元にナフキンが押さえられた。最初はあまり効果が無さそうだったが、突如フッと力が抜けて学真は倒れた。彼を抑えるために必死だった磯貝と前原も体制を崩しかけたが、直ぐに持ち直して倒れる学真を支える。
「…睡眠薬で眠らせました。状況が分からなかったんですが…」
「奥田!」
ナフキンを彼の口に押さえたのは、奥田のようだ。彼女の作った睡眠薬なら、学真は暫くは起きない。そして磯貝たちは、カルマと渚もいたことに気づく。
「なんか妙な事になってるね」
「学真くん……」
3人が来たタイミングはほぼ一緒だった。矢田からのラインを見て店内に入り、騒ぎのした方へ行くと、いつもと雰囲気が全く違う学真の姿を見た。
最初は呆然としていたが、磯貝や前原が彼を止めようとしているのを見て、直ぐに気を取り戻し、学真を押さえようと渚と奥田が動こうとする。
だがどうしたら良いのか分からずにアタフタしていると、カルマは奥田に睡眠薬を使えばと提案して、奥田がそれに従って動いた結果、今のようになった。
ケンカをよくするカルマも、この事態は異常だと思い、ケンカに加担するのでは無く、彼を止める事にした。だがその場にいたもう1人の男の存在に気付き、足を止めてその男を眺める。
「あれ?いつかのいじめ趣味の先輩じゃない?」
「か…カルマ」
挑発する時のように、相手を馬鹿にするような言い方で語りかける。語りかけられている金宮はビクついて、震えて居た。
カルマは金宮の事を知っていた。金宮も、カルマの事を知っていた。一年前、金宮はE組の生徒を数人掛かりで虐めていた。そこを、カルマがE組の生徒を助ける形で返り討ちにした。その事が原因でカルマはE組行きになったのだが、それ以来金宮はカルマを恐れるようになった。
「まだ性懲りも無くE組虐めをしているの?てゆーか、返り討ちにされているけど」
スイッチが入り、金宮に挑発をし始める。いつもの金宮なら言い返しただろう。だがさっき学真に追い込まれて、もうその余裕は彼には無かった。金宮はビクビクするばかりで、反論をする素振りは無かった。
「やめなさいカルマくん。これ以上荒らしてはいけません」
そんなカルマを、殺せんせーが触手で肩を押さえて止めた。止められたカルマは、抵抗せずに素直に止まる。もう既に戦意のない相手には、興味が無かった。
「…ウ、ウアアア!ウワァァァァ!!!」
カルマの動きを止めたと同時に、金宮は泣き声を上げて逃げて行った。それを止めたりする者はいなかった。その場の全員にとって、逃げる金宮の事は
金宮が去った後、気まずい雰囲気が漂う。その場の全員が混乱し、何が起こっているのか、どうすれば良いのかが全く分からず、言葉を発しようとする者がなかなか出なかった。そんな空気を払拭するように、殺せんせーが話し始めた。
「皆さん。いまこの場で全員が思っている事は、おおよそ同じものであると思います。その疑問は最もです。
ですがその前に、学真くんを家に送りましょう。万が一のために先生はこの場に残ります。皆さんは学真くんを家に連れて行ってください。渚くんとカルマくんは、彼の家の場所が分かりますね?」
「うん、だけど…」
「先ずは学真くんの回復です。今の彼から無理に話をさせようとしても彼を追い込んでしまいます」
殺せんせーが話したあと、異を唱える者はいなかった。全員が殺せんせーの言う通りだと思ったからだ。知りたい事は山ほどあるが、優先すべき事は、学真を家に送り、回復させる事だ。
「烏間先生が、車を用意してここに来てくれます。彼を車に乗せて、家に送り届けてください」
殺せんせーは烏間に、ラインを送った。今の現状を伝え、彼にして欲しい事も伝えた。烏間も話を聞いて、直ぐに対処に動いた。彼の部下である鶴田に車でその店に向かわせ、学真を家に届けるように言った。
生徒たちは殺せんせーに従い、学真を連れて店を出た。
◇渚視点
殺せんせーの言うことに従って、学真くんを連れて店から出た。店の前にはもう既に、烏間先生が車を用意してくれていて、直ぐに学真くんの家に向かう事が出来た。
僕たちは学真くんを車に乗せ、学真くんの家を知っている僕とカルマくん、そして今回の件で1番巻き込まれた矢田さんが一緒に乗った。鶴田さんに学真くんの家を案内しながら、僕らは学真くんの家に向かって行く。
車に乗っている間、誰も話そうとはしていなかった。僕の案内している声するだけで、それ以外の声は無かった。僕も、口を開く事が出来ない。学真くんのした事が、あまりにも意外すぎたから。
僕も、最初見たときは呆然とした。普段僕らと一緒にいる時は、学真くんは自分から問題を起こそうとしない。だから、今日のように暴れまわる学真くんの姿は、とても信じれなかった。
僕は学真くんについて気になっている事が1つある。よく分からないけど、学真くんは僕たちに何か隠している。修学旅行の時に見せた微妙な変化も、この前学真くんの家で見つけたあの写真のことも、学真くんには何かしら僕らが知らない事があった。
この間、学真くんの家の前で窠山くんの言っていた事…『学真くんがしでかした事』が何となくその内容を占めてるんじゃ無いかと思った。そうとは分かりながらも、学真くんに無理やり聞こうとはせずにいた。学真くんも望んでは無いだろうからと。
だからこそ思った。ひょっとすると今回の学真くんの豹変が、その全容を明らかにしているのではないか、と。証拠も何もない推測だけど、そう思った。
◇カルマ視点
流石に驚いた。学真がそれなりに喧嘩慣れしているのは分かっていたし、いざ喧嘩になればそこらの相手なら余裕で倒せるだろうとは思っていた。けど、あんなに暴力的に喧嘩をするとは思ってなかった。
喧嘩するにしても、ほんの少し威嚇するだけで無闇に暴れ回らないタイプ…と思ってたけど、さっきの姿は全く違った。相手を徹底的に潰そうとするものだった。
学真がそうなったのは…金宮だっけ?が学真の逆鱗に触れたからだと思う。
学真の逆鱗は大体分かる。学真は、自分の事は悪く言われても、仲間を傷つけたり侮辱する事は許せないんだ。
オレを助けた時も、修学旅行で神崎さんたちを助けた時も、学真はかなり怒っていた。口調も若干乱暴になり、雰囲気がまるで変わる。特に今日のは、雰囲気どころか性格も変わっているような感じだった。
けど自分の事は悪く言われても、そこまでは怒らない。寺坂に罵られた時は、反論こそしていたけど、冷静に威圧するだけだった。
よく分かんないけど、アイツは『仲間』に何かしら強い思い入れがある。前に、学真は仲間とか友情とかに理由とか建前はいらないと言った。確かにその通りだけど、その時の学真の様子は、主張しているというよりかは、後悔しているようだった。
学真がなぜ友情や仲間にそこまで強くこだわるのか…今回の件を見て、少し疑問に思い始めた。
◇矢田視点
正直、私の中ではまだ心配事が残っている。むしろ大きくなってる気がする。未だにさっきの事が信じられない。さっきの場所に戻った時の学真くんの姿が、とても怖かった。
でも、別のことに衝撃を受けている自分が、私の中にいた。
私は弟の看病のためにテストを受けないで、E組に落とされた。私の事を理解してくれる人も、慰めてくれる人も居なかった。テストを受けなかった事の非難だけだった。
弟の看病をした事が間違いだったとは思ってない。テストを優先した途端に、寧ろ罪悪感と自虐が私を苦しめるだろうと思う。だから、あの日の私の行動は間違いだったとは思わない。
でも、非難を聞いている時は、とてもしんどかった。
同情して欲しかった訳じゃないし、慰めて欲しかった訳でもない。けど、弟を助けた事をなんで叱られないといけないんだろう、と思った。
悲しい気持ちのまま私の頭の中には疑問ばかりが浮かぶ。
なんで悪く言われるの?弟を見捨てた方が良かったの?
何が良い事で何が悪い事なの?善悪の基準って何?
浮かび上がるたびに、存在価値がだんだんと分からなくなってきた。何のために頑張って、何のために弟を心配して、何のために看病して。
私がやって来た事って一体……
『本当にツラい思いをしている人の事を考えれる。そんな思いやりの心なんて、誰でも持てるものでは無い。俺から見ればそれも立派な力だ』
学真くんは、そう言った。私をスゴいと褒めてくれた。私のやった事を認めてくれた。
その言葉を聞いた時、とても嬉しかった。それを言ってくれる人が居なかったから、余計にそう思った。学真くんは、私のことを分かってくれる、と思った。
でも反面に、学真くんは辛そうにしていた。怒ってはいたけど、悲しそうだった。
…彼は一体、何に苦しんでいるのだろうか。
そんな気持ちが、段々と強くなっていった。
◇三人称視点
生徒らが学真を連れて店を出た頃、残された殺せんせーはその場の片付けをしていた。具体的には、学真によって倒された黒服の男たちの治療及び壊れたものの修理だ。いま学真が暴れた場所はかなり荒れ果てている。そこを綺麗にしなければ、店を使うときに不便であるだろう。
片付けをしながら、殺せんせーは考え事をしていた。当然、学真のことについてだ。さっきの様子を見れば、一体彼がどうしたのだろうかと、気になるのもしょうがないだろう。
「今まで深くは考えませんでしたが、彼は確か暴力沙汰でE組に堕とされたという事でしたね。
思えば、彼が暴力沙汰を起こすような生徒には見えなかった。彼を避けていた生徒と接しようとしている彼が、他人を傷つけるとは到底思えない。
では何故彼が、そのような事をしたのか…」
殺せんせーは、学真の事をある程度は知っていた。彼は暴力沙汰が原因でE組に堕とされたと聞いていた。
しかし、殺せんせーが見ている限り、彼がそのような事をする男では無かった。寧ろ穏便に済ませようとする男に見えた。
だが今回の学真の様子を振り返り、ひょっとするとそれに関連しているのでは無いか、と思い始めた。金宮の弱者を罵る発言、E組を罵倒する発言…彼はそれを激しく怒っていた。それによって我を忘れて怒り狂って、暴れていた。
E組に堕とされた原因である暴力沙汰ももしかしたら…
「少し、調べてみましょうか」
殺せんせーは、彼のことを知る必要があると認識し、その場の後片付けを続けていた。
◆
あらゆる物事には、原点が存在する。原点とは、いわばきっかけだ。宇宙が生まれるときも、地球が生まれるときも、直前に何かしらのきっかけが生じている。
人生が大きく変わるときも、何かのきっかけがある。嬉しい出来事、悲しい出来事…それをきっかけに、人生が大きく変わった事例も少なくない。
それは
巻き戻す
巻き戻す
巻き戻す
これまで進んだ時間を、巻き戻す。
原点は、過去にある。苦痛の根源は、そこにある。
物事の謎を知るなら、その原点を知るのが手っ取り早い。
それを知るために、巻き戻そう。
これからの話は
彼の人生が変わる、1つ目の原点の話である。
学真について謎を感じ始めた仲間たち。学真の過去を知ったとき、彼らはどう思うのだろうか。
次回は過去編に入ります。
過去編は大きく2つあり、今回の話で1つ目の話を出します。
次回 『学真の時間』