雪原の希望   作:矢神敏一

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「ですから、あの事故の真相は水性ガス爆発ではないかと思うんですね。そうなってきますと、あの判決は果たして正しかったのか、という話になってくるわけでございまして、ですのでこれはすなわち機関士・機関助士の名誉の問題になってくるわけでございます。~中略~つまり、列車乗務員は多大な危険の中、輸送保全の任についているという事であります」
 昭和34年 鉄道事故研究会委員発言 1930年ボイラー爆発事故について


8.~第一仕業~1レ:第二閉塞進行

「はい、大宮君お疲れ様」

 

「ありがとう佐々木さん。1056M、異常なし。定時です」

 

「1056M異常なし、定時!」

 

 列車は途中の尾羽営業所駅に着いた。ここでは、運転士の交代をする。

 

「はいじゃあどうも、ご安全に」

 

「どうもね~」

 

 軽く挨拶をして大宮は詰所に引き上げる。

 

「えーと、次の行路は……」

 

「ああ大宮君、良いところに居た」

 

 大宮が業務を確認していると、落合区長がやってきた。

 

「どうしました? 区長」

 

「いやね、頼みがあってね」

 

「頼み?」

 

 件の騒動以来、区長と大宮は妙に仲がいい。おかげで今ではお互いに頼みごとを持ってくるようになった。

 

「次の乗務なんだが、彼女を添乗させてほしいんだ」

 

 そういう区長の後ろに、白い影があった。

 

 その白い影は、キレイな白髪を持つ長身の女だった。日本人離れしたその容姿に、大宮は面食らう。

 

「どうしたんですか、これ」

 

「聞いてなかったか? 三軍委から派遣されるっていう補充の運転士だよ」

 

「なんです? それ」

 

 区長の言葉に、大宮は訳が分からないといった表情を浮かべる。それを見た口調は、不思議そうな顔で続けた。

 

「ほら、あれだよ。幸谷さんが三軍委を脅して獲得した追加人員の事だよ。このままじゃ業務が回んないからって、幸谷さんが手配してくれただろ」

 

「脅した?」

 

 区長の言葉に、件の女はぎょっとした表情をする。区長はしまったとでも言いたげな顔で、取り繕った。

 

「ああちがう、ちがうよ島崎君。ちがうんだ。いやそのだな、三軍委は我が社と一蓮托生。死なばもろとも、と言うやつだよ」

 

「この会社がつぶれたら、軍のお偉いさんの首も吹っ飛びますもんねエ。そりゃ必死なわけだ。それに付け込むだなんて、幸谷さんは怖いもの知らずなんだから」

 

「コレっ! 付け込むだなんて人聞きの悪い言い方をするんじゃない! ああとにかくだ、紹介しよう。新しく発鉄に来ることになった島崎君だ」

 

島崎冬香(しまざきとうか)です。よろしくお願いいたします」

 

「ああ、こりゃどうも。よろしくお願いします」

 

 お互いにぺこりと頭を下げたことで、区長は満足そうにうなづいた。

 

「と言うわけでよろしくな、大宮君」

 

「ああいいですけれど。免許は持ってるんですよね。線見ですか?」

 

 大宮が聞くと、区長は首肯した。

 

「ああそうだ。彼女と指導係が乗ることになる」

 

「ええと、指導係って誰でしたっけ」

 

「彼女の指導係はー……確か楠木さんだな」

 

「ゲェ! 師匠か!」

 

 楠木は大宮が数カ月前まで指導を受けていた運転士だ。あの鬼のようなツラを思い出し、大宮は身震いする。

 

「嫌か?」

 

「そりゃあ怖いですし……」

 

 区長の問いかけに首をぶんぶん振って肯定する。そんな大宮の後ろに、小さな影がヌッと現れた。

 

「誰が怖いって?」

 

「そりゃお師匠が……って、お師匠!?」

 

 後ろからヌっと現れたのは、その楠木だ。

 

「よう大宮。お前がどれだけ上達したか見せてみろ」

 

 肩にポンと手を乗っけられた瞬間、大宮はしっぽを踏まれた猫のように飛び上がる。

 

「勘弁してくださいよお」

 

「何を軟弱な。それとも、俺に見られたら不味いような運転でもしてるのか?」

 

「い、いえ! そんなことは!」

 

「じゃあいいな?」

 

「は、はい……」

 

 楠木に気圧されて、大宮はこれ以上何も言えなかった。

 

「だがな大宮、何も俺はお前をいじめようってんでお前さんを選んだわけじゃねえんだ」

 

「え?」

 

「よし、島崎! 線見の意義を言ってみろ!」

 

「はい! 線見は、列車に添乗し、その路線・車両のの運転曲線、信号・ポイント位置、構造、制限速度等を確認し、また制動時の目印など運転上の諸注意を把握する為に行うものです! 運転取り扱いにおいて、その根幹となる重大な事柄です!」

 

「よろしい。というわけでだ、お手本となる運転には、お前さんが適任だと思ったわけだ」

 

「……それなら、三田さんとか稲地さんとか、他に良い人がいるんじゃ」

 

「一年坊のお前が良かったんだよ」

 

「なら佐々木さんがいるじゃないですか。俺よかよっぽどしっかり運転しますよ」

 

「ああ、あいつは予定が合わなかったんだ。ほんとはあいつが良かったんだがなあ」

 

「やっぱりそういう事じゃないですかあ」

 

 しょぼくれる大宮に、楠木は笑いながら肩を叩いた。

 

「まあいいじゃないか。よろしく頼むよ」

 

「まあいいですけど。えーっと、島崎さん。こんなので悪いけど、よろしくね」

 

 そう言った大宮に、島崎は元気よく、はい、と答えた。その様子が、まだそれほど時がたっていないにも関わらず、なんだか懐かしかった。

 

「島崎さんは三軍委って言ったよね。ってことは軍人さん?」

 

 大宮は島崎にそんなことを聞いてみた。

 

「ええと、厳密には違うというか、派遣の為だけに雇われた人間なんで……」

 

「ああ、軍属さんなの。まあ俺達と似たよなもんか」

 

 その答えに、なんだか大宮は納得したものを感じる。そして改めて、大宮は違和感を感じるのである。話す口ぶり、態度はまったく日本人のそれであるのに、島崎のその容姿は全くそうではない。長身で髪は白髪で目は灰色、肌も製脈が透き通るほどに白く、ドイツ人と言われた方がしっくりくる容姿だった。顔だちは日本人でも、その雰囲気は日本人然としたものではない。

 

 日本軍人と言うのは、少し違和感があった。

 

「島崎君も災難だよなあ。簡単な連絡役を任されるかと思いきや、運転手への転属辞令がでるなんてなあ」

 

 事情を知っているらしい区長がそう漏らす。

 

「あれ、三軍委派遣運転士って鉄道聯隊から来るんじゃないすか」

 

「いや、俺もてっきりそうだとばかり」

 

「ま、まあ、いろいろ事情が……」

 

「そこの辺りは察してあげてくれ。もとはうちの幸谷の脅迫が発端だ」

 

 楠木がそう言うと、区長は()()! と口の前に人差し指を当てた。

 

 事情と言うのはもちろん、幸谷と三軍委の間の駆け引きの事であるが、要するに三軍委はしてやられたわけである。そのままでは癪に障るので、二線級の人材を投げてよこしたというわけだ。

 

 もちろん、二線級の人材たる島崎の前でそんなことは言えまい。それに、楠木にとっては二線級も一線級も関係ない、ただ使い物になるまでしごき上げるだけだった。

 

 不穏な方向に流れた話を、島崎はなんとかして取り繕おうとする。

 

「あ、あの、甲種動力車操縦者免許(鉄道運転免許)は鉄道聯隊の方ので取りました。なのでまあ、聯隊の人間と言えなくもないですけど……」

 

「きえぇ、知取の聯隊で免許取ったの。大変だったでしょう」

 

 それを聞いた大宮は仰天する。軍で免許を取るだなんて、楠木の訓練より厳しいに違いない。大宮の脳裏には瞬時に十倍濃縮の楠木が怒鳴り散らしている姿が浮かんだ。

 

「もともと軍人になるつもりはなかったので、それはもう」

 

 げんなりとする島崎に、大宮は同情的だ。

 

「そうだよな。うん、そうだよな。そりゃ大変だよ。島崎君はもともと何だったの?」

 

「もともと三軍委の現地採用の求人がありまして……。仕事は事務作業のみで身分保障もあるしお給金もいいと聞いたので応募したんですが……」

 

「回り回ってこっちに来ちゃったのか。大変だなあ」

 

 区長も、口で「うわあ」の形を作る。

 

「もう、何が何だか」

 

 運転士なんて、なりたくてなった人間でもつらいのに、なりたくなくてやらざるを得ない人間はさらに地獄だろう。そしてさらに、民間の(まだかすかに)人権のある教育ではなく、軍での教育だ。あまり変わらないとはいえ、さぞ辛かろう。

 

「あれ、じゃあ三軍委派遣運転士ってみんな軍属さん?」

 

「あ、いや、何名か聯隊の方もいらっしゃるようで」

 

「じゃあ、同僚が軍人かもしれないんだ」

 

「かもですね。一応三軍委から派遣されているのは10名弱らしいですけれど」

 

 ふーん、と軽く流す大宮。尾羽育ちの人間にとって、日常的に身近に軍人が居るのが当たり前であった。生きるのに窮してた大宮を救ったのは元軍人の教師であったし、一番の友人の親は軍人だった。職場でもしょっちゅう軍人の相手をするし、そもそも石を投げれば軍人に当たるような尾羽で、軍人は特別視されない。

 

 だが、本土生まれの東京育ちである楠木には奇妙なものの様に感じる。

 

 軍人は居るには居たし、日常的なものではあったが、ここまで密になることはそうそうないからだ。

 

「軍人ねえ」

 

「お嫌いですか?」

 

「いや、特にそういうのはないが、ちょっとびっくりするな」

 

「ああ、本土の人はそう言いますよね」

 

 大宮は何でもないように言う。それも、楠木にとっては

 

「やっぱこういうところだよなあ。慣れていかないと」

 

 楠木はため息をつく。この凍てついた大地は、本土の常識では計り知れないことがたくさんだ。

 

「さ、おしゃべりはここまでだ。乗務だぞ」

 

「うひぃ、そうだった。お手柔らかにお願いしますよぉ」

 

「俺が手を抜くとでも思ったのか?新人教育をもう忘れたようだな」

 

「ひぃぃ!」

 

 まるで猫のように引きづられていく大宮に、区長は無責任な応援をした。

 

「がんばれよー」

 

「がんばりまぁすぅ」

 

 帰ってきた大宮の返事は、あまりにも頼りなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当に、この樺太と言う土地は難しいな」

 

「北海道とも違いますからね。苦労しましたよ」

 

 大宮たちが話していた所から電車で数十分、発鉄本社・尾羽市合同庁舎の11階会議室で、越谷と久留米も今しがた同じ様な話をしていた。

 

「まさか、こんなことが尾羽で起こってた、あいや、起こっているとはな」

 

「ええ。ですが、事実です。ここは日本ですが、しかし最前線です。革命戦争時の本土戦闘地域では、今現在も戦闘継続中と言うことですよ」

 

「戦の終わり目が戦の始まり、だな」

 

 だが内容は、比べものにならないほどに物騒だった。

 

「しかし、ソ連か」

 

「ええ、あそこの諜報局です。もうすでにかなりの浸透が見られます」

 

 久留米は顔色を変えずに話すが、その眼には悔しさが浮かぶ。

 

「とりあえず、詳しくご説明します」

 

「ああ、頼む」

 

 久留米が会議室の机に鉛筆で直に書き始める。

 

「現在、尾羽は奴らにとって喫緊の攻略対象です。目的は、(きた)る侵攻作戦への備え」

 

 カリカリと、机に鉛筆を走らせる。

 

「主な活動内容は、現地での活動資金の調達と、武器の確保。そして現地反社会勢力への武器供与」

 

「反社会勢力?」

 

「ヤのつく奴らですよ。抗争を煽って、次々と傘下に入れてるようです」

 

「なんだと、それは初耳だ」

 

 ニュースなんかに流れてこないのは当然として、退役軍人会やその他の情報筋でも、聞いたことがなかった。

 

「まあ、ここら辺はマル暴でもアタリをつけられてないようですし、公安か海情レベルにならないと厳しいですよ。一応、三軍委にも話は通してありますが」

 

 久留米はなおも机に諸々を書き足していく。

 

「尾羽は恐らく、樺太で一番武器の密輸入がしやすいところです。そこら中に武器武具が転がってる様な、そんな環境下で武器ごとの適不適を見分けるのは難儀です」

 

「そこに付け込まれている、と言う訳か」

 

「まあ、木を隠すなら森の中、というところですよね」

 

 カリカリと書いていた図が完成した。

 

「これは?」

 

「今現在判明していることです」

 

 図には、たくさんの組織の名前と構成員の名前、そして活動の内容が示されていた。

 

「最近活動が報告されているのが、大きく分けて二系統のグループ。共赤会系と旧満州連合系です」

 

「共赤会……確か、前社長は」

 

「ええ、そうです。前社長の喜多川康志が関わっていたのが、この共赤会です」

 

 喜多川康志。この発鉄の窮状を創りだした張本人だ。

 

「そうか、まだ尾羽は奴らの勢力圏域にあるのか」

 

「ええ、その可能性が高いです」

 

 考えてみれば、喜多川康志という表の顔を潰しただけである。まだ、奴らの息の根を止めるには至っていない。

 

 この会社から多額の資金を横領し、そして運営を大混乱に陥れた人物の後ろがまだ生き残っている。これは由々しき事態だ。

 

「で、君がこれを私にわざわざ講義してくれた理由はなんだ」

 

 だが、越谷はそれをわざわざ越谷に教えた久留米の意図が気になった。

 

「だって、半官半民の鉄道ですよ?知っておいて損はないでしょう」

 

「いや、まあそれはそうだが、しかし私は今はイチ鉄道会社の社長だ。一般人の社長ごときにここまで詳しく説明するかね。……もしかして私を戦線に引っ張り出すつもりじゃあるまいね?」

 

 越谷の言い方がおかしくって、久留米は噴き出してしまった。

 

「いやだなあ社長。そんなわけないでしょう。まあ、社長ぐらいだったら今でもイケそうですけれどね。試しにヤッてみます?」

 

「断固、拒否するね!」

 

 そういった後で、越谷も久留米につられて笑った。だが、越谷はなおも腑に落ちない。

 

「しかし、本当に理由はないのか?」

 

 越谷がきくと、久留米は肩をすくめた。

 

「まあ、ないと言えばウソになりますね。だって、そうじゃなきゃわざわざ機密情報を渡したりしませんよ」

 

 彼女が机にガリガリと書いていたのは、機密情報をすぐさま消せるようにだ。

 

 ねずみ色の机ならば、黒光りする鉛筆の文字を見つけるのは容易だ。だから、消し忘れも少ない。そもそも紙に比べて、後々の処理がたやすい。

 

 その程度の機密保持で済む情報ではあるが、その程度はしなければならない情報ではある。つまり、気安く漏らせる情報ではないということだ。

 

「なら、何が理由だ?」

 

「簡単です。知っておいていただきたかったんですよ、これから社長が向き合う都市が、今どのような状況にあるか」

 

 こともなげに彼女は言う。越谷はついつい、それの裏の意図を探ってしまう。

 

「それは……海情としてか? それとも何か他の意思系統からか?」

 

「いえ、私個人としてです」

 

 この発言に、越谷は驚く。これが本当ならば、これは彼女の独断専行だ。

 

 では、なぜ彼女はこんなことをしたのか。

 

「それは何故だ?」

 

「社長には、予想外を一つでも減らしておいて欲しいんですよ。これから先、尾羽は少々荒れる可能性がありますから」

 

「というと?」

 

「考えてもみてください。喜多川康志は打倒された。それすなわち、我が社は共赤会の勢力下から脱したということです。これがいかに奴らにとって危険な状態か。わからないわけではないでしょう?」

 

「なるほど、それは確かに彼らにとって不都合な状況だ。彼らはその状況を脱したいはず。……と言うことはなんだ? 私を暗殺しに来るとでも言いたいのか?」

 

「現時点では、それも否定できません。切羽詰まって直接的な行動に出ないとも限らないでしょう?」

 

 越谷はやれやれとかぶりを振る。自身が狙われているにしては、冷静な反応だなと久留米は思った。

 

「ふむ、それもそうだ。奴らからしてみれば、意のままにできない私は憎いだろう。いや、なんという貧乏くじを引いてしまった。と言うより、よくも国鉄の連中は私をこんなところにニコニコと送り出してくれたな。あとで意趣返しをしてやろう」

 

「その際はお声掛けください。助太刀いたします」

 

「そうだな。あと、幸谷君あたりにも声をかけよう。あれもなかなかに業が深そうだ」

 

 まあそんなことは良いとして、と越谷は話を元に戻す。

 

「既に行動は始まっているのか?」

 

「はい。これまでも既に二件ほど処理しました。今後も活動は続くと思います」

 

 処理、と言う言葉に先日の大立ち回りを思い出しうすら寒いものを感じるが、それ以上に敵の行動の速さに驚く。

 

「そう遠くないうちに、我が社に影響が出るレベルの行動が起きるか?」

 

「ええ、可能性は低くない……いえ、高いです」

 

「そうか」

 

 厄介だった。経営の事だけに頭を使いたいこの時期に、こんな面倒ごとはごめんこうむりたいものだ。

 

 だが、現実は無常だ。越谷に仕事に専念させることを許さない。

 

「はぁ。なんでこうなるかなあ」

 

「やはり、狙われるのは怖いですか?」

 

 ため息を狼狽だと感じた久留米は、英雄でも恐怖するのかと驚く。

 

「ああいや、家庭内でも問題を抱えていてね。この時期は運営の事だけ考えていたいんだが、どうしてそうは問屋が卸さないかなと思っていたとこだ」

 

「ああ、なるほど。そういえば、娘さんの転校に際して手続き上の厄介があったのでしたね」

 

「やはり君も知っていたかね」

 

「ええ、かなりの大ごとになりましたから」

 

 そう、大ごとになったのだ。書類数枚と少女一人の為にちょっとした大騒動になったのだが、それはまた別の話。

 

「まったく、厄介だ。ああ、厄介だ!」

 

 越谷にしては、どうしてこうも公私ともに面倒ごとが雪だるま式に増えていくのかと、頭を抱えて転がり回りたいくらいの心持ちだった。

 

「社長。できる限り手伝いますから」

 

「ほんと、すまないと思ってるよ」

 

「いいんですよ、部下なんですから」

 

 いい部下を持ったと、越谷は心底感謝した。

 

「ではすみません、社長。今日は少し早く上がらせてもらいます」

 

「構わないが、どうしたんだい?」

 

「すみません、今日中に二人ほど()()しないといけなくって……」

 

 保母のような笑顔なまま部屋を出ていった久留米を見て、越谷は危うく前言を撤回しそうになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 繰り返しになるが、越谷は改めて久留米の素晴らしさに感謝をした。なぜなら、先ほど久留米が教えてくれたことと同じことを三軍委の人間から聞かされたからだ。

 

 それも、限りなく回りくどく、かつ限りなくわかりにくく。

 

「以上が、この尾羽を取り巻く現状です。いかがですかな?」

 

 越谷は何と言っていいかわからない。口が裂けても「もうすでに聞いた」とは答えられないし、まるで初めて聞いたであろうような表情を作るので精いっぱいで、彼らがどこまで説明したかさえも覚えていなかった。

 

「なるほど。それで、それを私に通知した意図は何ですか? 我々にどうしろと」

 

 越谷はとにかく単刀直入に問いかけた。まどろっこしい政治家的な灰色の会話は、根っからのカタギの人間である越谷にとってはあまりにも操ることが困難なものだった。

 

 もっともそれ以上に、越谷はこの三軍委という存在を甘く見ていたのも確かである。

 

 三軍委――三軍調整委員会――、それは当鉄道を監視するために発足した、陸海空軍からなる組織である。

 

 軍部――特に、国鉄に基地を焼かれた陸軍――は鉄道を敵視している。尾羽における軍用鉄道の民間開放に、最後まで反対したのも陸軍だった。

 

 そんな軍部との利害の調整を図るための三軍委ではあるが、今現在は特に要求を出してきていない。それどころか、鉄道聯隊の人員を発鉄に寄こすようにこちらから要求したり、資金の都合を頼んだり、何かと融通を頼んでいた。

 

 そんな三軍委だが、今日は少し様子が違った。

 

「ここからが本題です。開業から数日間、この鉄道を観察しておりましたが、その結果この鉄道には国防上いくつかの不都合が見受けられます」

 

「不都合。といいますと」

 

「まず、旅客輸送についてです。越谷社長、貴方は発鉄線直通の列車をいつまで運行なさるおつもりですか?」

 

「は?」

 

 越谷はいきなり飛び出てきた言葉に絶句する。

 

 発鉄には、都市間高速鉄道たる北鉄線との直通普通列車が運転されている。

 

 地域輸送のための大切な列車であり、それを廃止するという考えなど毛頭なかった。

 

「ですから、発鉄線内に直通する列車を、いつ頃廃止されるおつもりですか?」

 

「それは以前になにか取り決めのようなものがあったのですか? 申し訳ないが、その委細について私は承知していない。もしよければここでご教授願いたい」

 

 そう答えると、三軍委の人間は大きくため息をついた。

 

「ハァ、英雄越谷サマならお察しいただけるかと思ったのですがねえ。いいですか? この都市はある意味での秘密都市です。そんな場所に直通列車だなんて。少し考えれば国防に差し障りがあることぐらいお判りでしょう。貴方の戦地では、どのように線路は破壊されましたか? 作戦を阻害されましたか? つまり、大規模不特定多数を市街に呼び込むようなそう言った施策のひとつたる、北鉄との直通を取りやめてください」

 

 いきなり不躾に言われたものだから越谷もむっときて、ついつい言い返してしまう。

 

「取り決めはおありですか?」

 

「そんなものがなくとも、こんな場所の輸送を引き受けた鉄道事業者なら、当然ご配慮いただくべきことです」

 

「取り決めはないんですね?」

 

「無かったとしても、そんなものは理由になりません」

 

 議論は全くの平行線だ。これには比較的温厚な越谷も、ついつい語気を強めてしまう。

 

「このダイヤはこの街の為に国鉄・北鉄・尾羽市並びに関係各所と協力して設定したものだ。また、尾羽駅並びに南尾羽駅の施設は当駅どまりの列車を折り返すに不十分である。であるから、直通運転として発鉄の余剰線路へ車輛を振り分け、車輛留置設備を確保している。直通は我が為にやっているわけではない。直通の中止はできない」

 

「南尾羽駅構内の物理的理由によるものであれば、車両基地のある駅まで回送すれば良いだけの話でしょう」

 

「お客を乗せない列車を動かすほどの余裕は、わが社にはない!」

 

「そこですよ。そこ」

 

 三軍委の人間は、越谷の言葉をがっしりと捕まえた。

 

「今、無駄な列車を運行する余裕などないとおっしゃいましたね?」

 

「ええ、そう言いました」

 

「そこなんですよ。そんな列車を運行する余裕が無いくらいに列車本数が詰まっている、又は運行費用がかさんでいることが問題なのですよ。一体、一日に何本の列車を運行するおつもりですか。明らかに過剰です。時間一本でも多いぐらいだ。」

 

「この鉄道のダイヤは、樺太庁や尾羽市の試算に基づいて設定している」

 

「それにしても常識からかけ離れすぎている。ここは東京はおろか、本土ですらないのですよ。それがなんです、ここの鉄道のスローガンは。『待たずに乗れる』ですって? まるで阪神電車の様だ。ハッキリ言って異常です」

 

「それはつまり利便性が高いということじゃないですか。鉄道と街にとって喜ばしいことです」

 

「違います。軍郷にとっては喜ばしくないことです。ここは北方防衛の砦。あまり人の動きを作りたくはないのですよ。今一度、適正な範囲内でのダイヤ作成を要請します。この鉄道は、あまりにも尾羽という土地を理解していない」

 

「それはお互い様でしょう。繰り返しますが、このダイヤは尾羽市などと共同で制作したものだ。直通先の都合もある。今すぐには決められないし、単独では決定できない。まずは尾羽市に話を通してからにしてください。そうでなければ受け入れられない」

 

 越谷はそう言って、拒絶の意思を腕組みで示した。もうこれ以上は、譲歩も交渉もしないという意思表示だ。

 

「……。いいでしょう。しかし、この鉄道はあくまでも軍のための鉄道であるという事実をお忘れなく」

 

 そう捨て台詞を吐く三軍委の人間を、越谷はぶぜんとした表情で見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちょうどその頃、海軍尾羽基地の一角では久留米についての話がなされていた。

 

「鵜沢さん、いい加減何とかしてくださいよ」

 

 そう嘆くのは、公安の二野警部だ。二野警部の眼前には、苦笑いを浮かべる男が居る。今しがた、鵜沢、と二野に呼ばれた男だ。

 

 基地のトイレを除くどの箇所よりも鬱蒼として暗い部屋の中で、二野は煙草を吹かしながらその鵜沢に詰め寄った。

 

 ここは尾羽基地内、海軍情報局の尾羽区支部だった。そして今、鵜沢は二野に詰められていた。

 

「久留米さんは戦闘力も高く、国内のテロ組織に対抗するのにいい切り札です。が、あまりにも狂犬がすぎる。良いですか、我々が依頼したのは『捕縛』です。『手と足だけ捕縛すればよい』等と言った覚えはないのですよ。欠片しか残っていない犯人に、何を聞けばいいというのですか」

 

「二野さん、いつもうちの久留米が本当にご迷惑をおかけしております。いやはや、なんと申していいのやら」

 

 鵜沢は仕立ての良い椅子に腰を掛けながら、申し訳なさそうに笑う。その緊張感のない顔に二野は苛立ちを覚えるが、しかし彼も被害者であることを思い出す。

 

「まったく、彼女はなんなんですか? この間は発鉄の社長相手に大立ち回りを演じたらしいじゃないですか。おかげで、裏ルートを通じてウチまで注意を受けましたよ」

 

「ああ、そちらの方にも話が行っていましたか。本当に申し開きようがありません。何から何までうちの責任です」

 

「本当に、お願いしますよ。()()さん」

 

 海情、海軍情報局。つまり、この鵜沢は、本当の意味での久留米の上司であった。

 

 鵜沢信也。それが本当の名かどうかさえ人は知らない。わからない。この防共最終ラインにおいて、彼は情報戦におけるキーストーンであった。であるから、公安であろうとも彼を無碍にはできない。あくまでも協力体制を敷くという形で、間接的に制御する以外に方法はないのだ。

 

「善処いたしますよ。何分、こちらはそちらにおんぶにだっこの状態ですから」

 

 何を白々しいことを。二野は心の中で毒づく。

 

「まあいいです。……で、件の社長が何者なのかは分かりましたか?」

 

 二野はまるでこれが本題であるとでも言いたげなふりをした。本来は、海情の過ぎた行動に文句をくれてやるのが本分であったが、それでは格好がつかぬとおもったのだ。

 

 だから、あまり情報は期待していなかった。

 

「そうそう。その件ですが、面白いことがありました」

 

 そう言うと、鵜沢は乱雑に綴じられたファイルを目の前に出してきた。

 

「それは?」

 

「久留米君が上げて来たレポートです」

 

「ほう、レポート」

 

 二野は目線で許可を得ると、それを手に取って読み始めた。

 

「対話の結果、間諜の恐れなし。……これだけですか?」

 

「ええ、それだけです」

 

「おかしいですね。彼女がこれだけで済ませるはずがない」

 

「そうなんです。これだけじゃ済まないんですよ。そして、もう一つご覧いただきたいものがあります」

 

 鵜沢は、もう一つのファイルを取り出した。

 

「それは?」

 

「久留米君と越谷氏のやり取りを監視していた者、まあつまりは三軍委の人間なんですが、それによる報告です」

 

 二野はそれを受け取ると、読み上げた。

 

「久留米は越谷に対し急激に激昂し、刃を振るった。越谷もそれに応戦し、両者激突。久留米の刃が越谷ののど元に迫るを認め、停戦を勧告した。……いつも通りの、()()でしたか」

 

「そう、()()()()()なんですよ」

 

「……なるほど、そりゃ不自然です。彼女が一度()()を始めたら、それを()()できる人間はいない」

 

 つい先ほどの事件のようにね、と二野が混ぜっ返す。

 

「本当にその通りなのですよ。一度中断を余儀なくされたぐらいで彼女は対話を止めない。彼女にとって、行動に出るということはそれほどまでに重いと言う事なんです」

 

「それは我々も重々承知していますよ。彼女の嗅覚は本物だ。止まらないが、冒進することもない。きわめて奇妙なバランスの上に居る。それが彼女です。では、なぜ攻撃を行ったのにも関わらず、彼女はそれを取りやめたのですか? 彼女の柄じゃない」

 

 まったくもってわからない。二野は狼狽した表情を見せる。

 

「まさか久留米君は、他の意思によって動いているわけじゃあるまいでしょうなあ」

 

「他の意思、とは?」

 

 わからない、という表情を見せる鵜沢に対し、二野は語気を荒げる。

 

「とぼけないでいただきたい。久留米君の行動が何かの演技なのではないかと言う話ですよ。陸軍は発鉄を信用したくないと思ってる。そして、発鉄を信用させたくないものと、発鉄を信用させたいものがいる」

 

「だから、何らかの意思によって、発鉄の越谷卓志を信用させる、もしくは信用させないための演技をした、と。なるほど」

 

「今までこちらもノータッチでしたけれど、久留米君が『アカ』でない確証は、ない」

 

 二野は鵜沢を睨みつける。

 

「そろそろ、疑ってかかるべきでは?」

 

 さもなくば、我々はあなたたちを疑わざるを得なくなる。二野は言外にそう付け加えた。

 

 それに対して、鵜沢は悲しげな顔で言った。

 

「彼女はシロですよ。アカでもクロでもない。真っ白だ。ただ……」

 

「ただ?」

 

「悲しみを負っている。その悲しみは、消えることがない」

 

 窓の外を見つめながら、鵜沢は物憂げに言う。似合わない。二野はそう思った。

 

「何のことだかさっぱりわかりませんな。禅問答かなにかですか?」

 

「禅問答、ですか。仏様でも、あの棘を抜くことは不可能でしょう。彼女の心に、それだけ深く刺さっている。棘が抜けるまで、彼女が止まることはありません」

 

 皮肉のつもりで言った言葉も、鵜沢は受け流した。二野はただならぬものを感じる。

 

「……その先に、待っていると信じているから。ありもしない目的地にたどり着くまで、久留米君は復讐の炎を燃やしながら走り続けるんですよ。悲しみの石炭をくべ、復讐の炎を燃やし、涙の水を蒸気の力に変える。だから、止まらない」

 

「本当に何のことだかわかりません。何が言いたいのですか?」

 

「久留米千佳子という女は、何も考えちゃいない、と言うことですよ」

 

 ここから先は、話せない。彼の眼差しがそう言っている気がして、二野はそれ以上の追及を止めた。

 

「……涙が枯れる前に、解決するといいですね。そうでなければボイラー爆発ですよ」

 

 二野はそうとしか言えなかった。そして、久留米と越谷への謎は、深まるばかりだった。

 




 待たずに乗れる阪神電車
・阪神電気鉄道独立時代に、ライバルであった当時の阪神急行電鉄(後の京阪神急行電鉄)に対抗するために打ち出したスローガンの一つ。
 このスローガン通り常時頻発運転(凡そ4分に一本)を行ったことで知られ、「短編成高頻度運転」の礎となった。
 なお、阪神電気鉄道も京阪神急行電鉄も、現在は統合され同じ関西急行鉄道となっている。

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