雪原の希望   作:矢神敏一

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小さな失敗忘れずに、今日も守ろう大きな命
 確認を忘れず今日も一日ご安全に!

【北樺太開発鉄道 尾羽運輸区 標語】


3.~仕業前~入替:点検よいか?

 それは予感だった。何かの流れが変わったことへの。だが、何が変わったのかはわからなかった。

 

 空軍・戦闘機パイロットである小宮雄介(こみやゆうすけ)はその日、何かを感じ取った。それは戦場における嗅覚のようなものだった。

 

 何かが変わった。だが、それはなんだ?

 

 考える間もなく、防空識別圏に不明機が接近したことを示すアラームが鳴る。

 

 ここは最北端の軍事要塞、尾羽。考えることをやめたものと、考えにとらわれて歩みを止めたものから脱落していく、平時においての最前線。

 

 戦闘は終わった。しかし、戦争は終わっていない。たとえ講和条約が結ばれようと。歴史の上で名前が付けられ、時代が変わった、もはや戦後ではないなどと市井がのんきなことを言い出したとしても。

 

 戦後は終わらない。戦争は、続いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

桐谷耕治(きりがやこうじ)。運輸部長です。ご存知の通り、現業のすべてを統括してまさぁ。武蔵野鉄道より出向してまいりました。もともとは車両整備の畑でして、社長とは通ずるところがあるのではないかと。よろしくお願いします」

 

 小柄ながら体格のいい男だった。肌は真っ黒でそのいで立ちは北国にはまるで似つかない男だった。

 

 越谷が尾羽に来た翌日、つまり新社長越谷の書類上の正式な着任日である今日、北部樺太開発鉄道、通称「発鉄」の幹部と社長の初顔合わせが行われた。

 

 社長である越谷の自己紹介に続いて幹部組の自己紹介となるのだが、その先陣を切ったのはこの男だった。

 

「武蔵野鉄道の……西か?東か?」

 

 桐谷の発言を聞いて越谷はこう質問した。

 

 武蔵野鉄道(ぶてつ)とは、西武鉄道(せいぶ)や(旧)武蔵野鉄道・多摩鉄道などの旧西武鉄道系の「西管区」と、東武電鉄(とうぶ)秩父鉄道(ちちぶ)などからなる「東管区」の、二つの「武蔵野鉄道」が合併して生まれた鉄道会社だ。それぞれの出自が異なるため、西管区と東管区では同じ武蔵野鉄道でも大違いである。

 

 越谷は、彼の人間を把握するために、聞いておきたかった。

 

「西ですな。所沢工場(ところざわこうじょう)でした」

 

「所沢か。期待しているよ」

 

 西、それも所沢工場と聞いて安心する。武蔵野鉄道西管区所沢工場(ところざわこうじょう)は、言わずと知れた鉄道会社直営の鉄道車両製造工場だ。この鉄道の車両も所沢工場からの技術供与を基に製造されており、車両製造会社としては後発ながら確固たる技術力をもった会社だ。運輸に関してはこの男に一任していいだろうと越谷は判断した。

 

「次は瀬戸部長、お願いします」

 

 次に、幸谷は瀬戸と言う男を呼んだ。

 

 その男は、細い眼鏡をかけて少しやつれた頼りない風貌の男だった。

 

「経理部長の瀬戸智久(せとともひさ)と申します。飯田の基幹復興道路建設より出向してまいりました。よろしくお願いいたします」

 

 倒れてしまうのではないかと心配になるほどに顔色は青白く、やせ細って疲れ切っている。だが、眼光だけはするどく光っており、越谷はそこに一筋の信念を見たような気がした。

 

 彼の言う基幹復興道路建設は満州系の企業(もちろん元を正せば日本の企業だが)で、尾羽市街の鉄道・道路の建設を担当したところだったはずだ。経理の担当と言うことだが、いざと言うときにパイプが役に立つかもしれない。越谷はしっかり覚えておくことにした。

 

「次は私ですね。宇佐美陶治(うさみとうじ)です。開発部長です。樺太庁の都市開発部より出向してまいりました。樺太中央部の出身で、極北の開発ということで非常に楽しみに感じております。よろしくお願いします」

 

 中肉中背の、越谷より少し若いくらいの男が立ち上がって自己紹介を始めた。

 

 越谷は彼を見るなり、吹き出しそうになってしまった。それをどうにか堪えて、自己紹介に耳を傾ける。

 

 宇佐美陶治。本人はどうやら覚えていないようだが、越谷の小学校時代の同級生である。そして越谷が上京した後、その敷香(しすか)という街に残った彼はソビエトとの戦乱に巻き込まれ故郷を焼かれた。

 

 いやしかし、こんなところで旧友に会うとは、それも実に40年弱である。びっくりというより、なにか感慨深いものがある。今ここでこの場所でこういう形で出会ったこと。それがまるで奇跡か運命かであるように。

 

 あとで時間があれば驚かしてやろう。どうやって驚かせてやろうか。きっと奴はびっくりするに違いない。ああ、大いにびっくりしてくれるだろう。

 

 ……。きっと、彼の小学校時代の友人の内、数少ない生き残りの内の一人であろうから。

 

 越谷がそんなことを考えていると次の人の番だった。その人は女性だった。

 

「私で最後ですね。営業・広報部長の久留米千佳子(くるめちかこ)です。海軍の広報より出向してまいりました。精一杯努めますので、よろしくお願いします」

 

 保母のような温かみのある女性だと越谷は思った。海軍人だからだろうか、筋肉質というよりはスラッと細く伸びた体をしている。体型は腰にのみ女性的なラインを確認できる程度で、優しく包み込むような雰囲気を感じた。おおよそ軍人には見えなかったので、越谷は驚いた。

 

「失礼だが、所属は?」

 

「ハッ。海軍特設陸戦隊です」

 

 普通に実戦部隊だ。というより、海軍の中でも白兵戦を行うかなり激しいところであるし、本来は武闘派なのだろうか。陸軍で実戦経験のある越谷は、やはり少しびっくりした。

 

「失礼した。これで以上かね?」

 

「以上です。この4名及び統括本部長である私幸谷尚吾(こうやしょうご)、及び社長がこの会社の首脳陣です」

 

「わかった。社長の越谷卓志(こしがやたくし)だ。よろしく」

 

 越谷が起立し、お辞儀をする。これで一通りの顔合わせは終わったわけである。

 

 越谷が座ると、次に質問を始めた。

 

「報告は一通り聞いている。何か詳細に説明すべきことはあるかね?」

 

 そういうと、桐谷が手を挙げた。

 

「この鉄道の車両の運用状況についてです」

 

 早速、本業たる鉄道の話だ。越谷は先を促した。

 

「続けて」

 

「ようがす。この鉄道は基本的に新性能車両にて運用されます。当然効率的にはいいのですが、導入費用が跳ね上がり編成数は定足数をわずかに上回る程度しか確保できませんでした。それにより、大規模な車両故障などが起こった場合、具体的に言うと鉄道全体でおおよそ3編成の運用離脱があった場合、定足数を割り込みます」

 

 なにが出てくるかと思えば、大問題である。越谷は頭を抱えた。

 

 鉄道はいくら安全と言えど、それは自動車やその他交通機関などの論外レベルで安全性の乏しい下位の輸送機関と比較しているからである。なので、基本的には事故のオン・パレードだ。もっとも、人員に被害が及ぶレベルの事故は極めて少ないのだが。

 

 事故が起こり、それが少しでも車両に問題を与えるものであったら、その車両は即座に運用離脱となり、代替を用意しなければならない。

 

 余裕は3編成分。稼働率にして九割前後。十分に思えるかもしれないが、かなり厳しい数字である。事故や故障が三件連続することなど、よくある事なのだ。

 

「対処としては?」

 

「関係機関に車両の貸し出しの際の取り決めを策定中、いざとなった際に車両を借りれることができるか検討中です」

 

 貸し出しを受けるといったって、それにはかなりの費用を必要とする。継続的に貸し出しを受けるなら、その費用は新造するより高くつくかもしれない。もっとも、その辺を踏まえて検討しているのだろうが。

 

 しかし、表面上だけはきちんとしているとはなんだったのか。これじゃあ見てくれさえもダメではないか。越谷は心の中で毒づく。

 

「自分からは以上です」

 

 聞きたいことが山ほどある。あとで個人的に話を聞きに行くとしよう。越谷は国鉄謹製メモセットに「桐谷、話」と短く書きなぐった。

 

 桐谷は粗雑な人間なのか、ドカッと雑に腰かけた。その際に座る位置を間違え、尾てい骨に椅子の手すりを強打した。

 

「ぬわあああああああああん!」

 

 珍妙な奇声をあげてくずれ込む桐谷。助ける人間は誰もいない。

 

「ンッフン。皆さんお気になさらず。次」

 

 幸谷は先を促す。もちろん桐谷には目もくれない。無慈悲。

 

「はい、次は私です」

 

 桐谷を心配そうにのぞきながら、久留米が話を始めた。

 

「ええと、営業からは特にありません。広報としては、雑誌社から密着連載の依頼を受けています。前社長下においてこれを受託、当初の通り開業直後から数年間にわたり専属の記者さんがこちらにいらっしゃいます」

 

 久留米が長く長く垂れた髪の毛をかき分けながら報告してくれる。

 

「雑誌社?どこの雑誌だ?その対応は誰が?」

 

「北方談談社の週刊流氷です。過去の報道を見るにそれほど過激な内容はなく、また一般政治的な内容も少ないです。前社長体制時に関係機関からも了承と共に当該記者・雑誌社が安全である旨を伝えられていますので、問題はないかと。対応は私に一任されています。問題ございますか?」

 

 越谷にとって、正直聞いたことのない雑誌だった。だが、話を聞くとそこまで過激なブンヤではないらしい。なにせ不祥事のあとだ。他人のミスを食べて生きているウジ虫にたかられたら厄介だが、そのようでないならこれは歓迎すべきことだろう。

 

「いや、かまわない。対応は美人の方がいいからね」

 

「そ、そんなことっ!」

 

 会議室に苦笑が漏れる。とうの久留米はもじもじとした後、「以上です!」といって勢いよく座ってしまった。もっとも、尾てい骨を強打するようなヘマはしなかった。

 

 これで会議は終わりだった。この後は越谷の希望だった現場の視察だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 視察は越谷にとってとても興味深いものだった。現場の人間の士気は高く、そして開業へ向けての準備も滞りなかった。

 

 今現在においての不満等も特にないようで、予想していたよりは良い状態のようだ。越谷が見るに、どうやら現場を取り仕切っている幹部、つまり桐谷とその直下の管理職がかなりいい仕事をするようだ。今このギリギリの状態で余裕を持てるのは確実に彼らのおかげだろう。

 

 余裕のないこの状況下において、全員が前向きかつ真摯に職務を全うしている。越谷は彼らに感謝することしかできなかった。

 

 さて、そんな越谷はその視察を終えて、試運転列車に添乗してっちゃん通りの終点・南港駅まで向かった。そして越谷はベンチに腰かけて甘いコーヒーを飲む。

 

 越谷は茫漠と海を見つめていた。波の音がしない海は、新鮮だった。

 

 この時期海は流氷に覆われている。港と言っても、海が凍ってしまえば仕事はない。商用の港である南港も軍艦の寄港は頻繁に行われるが、その為に使用するであろう海軍の南港詰所も今はもぬけの殻だった。

 

 こんな仕事のない港だが、人通りは少なくない。近くにあるフェリーターミナルは欧州人の言うところのショッピングモールのような意味合いを持っているらしく、冬季も営業していた。また、流氷に乗りたいモノ好きがこっそり港の端から海に出ていた。

 

 この時期、凍っていないのは温泉(という名の銭湯。雪解け水を釜で焚いてるだけ。商標的に問題があるのでは?)から温水が垂れ流される河川とその河口ぐらいだ。

 

 主要な道はどうやらその温水で温められているらしく、雪が積もっていない。うまいこと考えたものだ。

 

 後ろでは発鉄の車両の試運転が行われていた。こんな極北の大地で、首都圏で自分の配下にあった車両と同じ車両が使われているのは、なんだか感慨深い。

 

 発鉄の路線図はそこそこ複雑だ。が、落ち着いて考えればかなり容易に理解が可能だ。ぐるっとまわる環状線とその周囲にとりつく幹線。おおよそミニ版の東京・大阪といった風情だ。違いと言えばターミナル駅に環状線が接していないことか。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 こんな小さな町にも環状線は存在するのである。だが、自動車交通がまったく発達していない・発達できない都市においては、これは当然の流れだろうか。街の隅々にまで―――ともすれば商店街アーケードの中まで―――路線を張り巡らせ、交通困難地帯である極北の便を図らなければならない。そうしなければ、人は来ないのである。

 

 人口は急激に増えている。交通網のパンクが起こる可能性も視野に入れなければならないし、逆に鉄道がそっぽを向かれる可能性も考慮しなければならない。

 

 この街が鉄道とどう生きていくのか。越谷達にできるのは、いかに鉄道が魅力的かアピールすることぐらいである。

 

 

 

 寒くなってきた。越谷はてっちゃん通りを歩いて、自宅へ直接帰ることとした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 北方談談社(ほっぽうだんだんしゃ)の週刊流氷(りゅうひょう)記者、久留里美里(くるりみさと)は雪に埋もれていた。

 

「きゃああああああああ!」

 

 腰から先が完全に埋まってしまっている。無理もない。なぜなら少々高い崖から滑落し、深く積もった雪にずっぽりと落下してしまったのだから。命があったことを感謝するべきである。

 

 しかしながら、その助かった命もこのままいけば失われるだろう。強烈な寒さと雪が、華奢(きゃしゃ)な女性から体温をみるみる奪っていく。

 

「あのう、大丈夫ですか?」

 

 そんな声が聞こえた。神の助けか。

 

「す、すみません!助けてください!」

 

 顔をあげると、二人の軍人が立っていた。

 

「隊長、国民から救助要請です」

 

「うむ。要救助者を確認、緊急事態に付き、隊長名をもって救助を許可する。救助はじめ!」

 

 そういうと、若い方の軍人が美里の周囲の雪をかき分け、そこそこ掃けたところで、二人がいっせーのせで美里の腕を引っ張り上げ、美里はなんとか雪の吹き溜まりから抜け出せた。

 

「お怪我は?具合は大丈夫ですか?」

 

「ええ、問題ありません。どうもご迷惑をおかけいたしました……」

 

 若い軍人は美里の言葉にニッコリ笑って、「要救助者救助完了。異常なし!」と若くない方の軍人に敬礼をした。

 

「あの……えっと……軍人さんですよね」

 

「ご慧眼恐れ入ります。我々は三軍鉄道委員会(三軍委)運輸管理局調整員、海原路定(かいばらさだみち)海軍中佐と大熊海幸(おおくまうみさち)海軍大尉です。顔色が優れませんね。我々は海軍の人間ですので、なんでしたら軍の所有する温泉施設で休んでいかれますか?」

 

 美里は仰天した。取材先の発鉄の天敵的存在である三軍委の、その中枢の人間にバッタリ出会ってしまうとは。あわてて申し出を断る。

 

「あ、あの!私、北方談談社所属、週刊流氷の記者をやっております久留里と申します。発鉄に密着取材をしている身ですので、ありがたいのですがお断りしましょうかと……」

 

「国民防護に身分も何もございません!……まあ、海軍の施設に入れるのはチトまずいかもしれんので、とりあえず温泉までご案内します。先のことは、とりあえずあったまってから考えましょう」

 

 美里には、二人がとても眩しくハンサムに見えた。「国民防護に身分も何もございません!」だなんて、そんな映画みたいなセリフ、生で聞けるとは。記者として最高の幸せである。

 

「こちらです。足元が悪いので気を付けてくださいね」

 

 一行は一路、尾羽温泉(おはおんせん)へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蒸気の煙がもくもくと立ち並ぶ。建物と建物の間で増幅された汽笛の音が出迎える。

 

 ここは尾羽のはずれの温泉街。という名の銭湯施設群である。

 

 

 

 一行は温泉協同組合の休憩室を貸してもらうことにした。

 

「コーヒー、どうぞ」

 

「あっすみません」

 

 美里は大熊と名乗る若い海軍人からコーヒーを受け取った。

 

「ここが尾羽温泉ですか。なんとも珍妙な温泉ですね」

 

 美里の目には、一生懸命にお湯を沸かす()()()()()が写っていた。

 

「すごいでしょう。全国で廃車になったSLを集めてお湯を沸かせてるんです。これぞまさにSL老人保養所……」

 

「これの何がすごいって、ここで生産したお湯を(ふもと)の町に供給して、麓のお風呂や道路温水器を稼働しているところだなあ。そして、それに使う蒸気機関車は全国各地からまだまだ使える蒸気機関をタダで引っ張ってきて、それを活用してるんだ。壊れてもすぐに次が来る。よく考えだしたものだ」

 

 時はSL末期。本線上からSLが消え、亜幹線からもSLが消え去ろうとしている時代である。もっとも、一部ローカル地区では今後50年は消えそうにないのだが、少なくとも名前の通った主要線では、SLはもう見られないだろう。

 

 そんな職を失ったSLは解体されるわけだが、ここで国鉄は考えた。どうせなら活用してしまおうと。

 

 解体するにもお金がかかる。そんなお金ももったいない。だがここなら、タダで引き取ってくれる。後腐れもなしだ。国鉄にとって、いい島流し先であったに違いない。

 

「しかも、SLはきちんと保存さえしてあげれば、電車や気動車に比べて寿命が段違いで長い。ボイラ屋さんや鉄道屋さんがしっかりしていればほぼ永久に使える機関ですものね」

 

 美里はそう相槌を打った。

 

 休憩所は二階にあった。足湯スペースがあり、足湯に浸かりながら尾羽の町が見下ろせるようになっていた。

 

 ちょうど駅に貨物列車が入ってきたところだった。

 

「あれ、無蓋車ですね。積み荷は……真っ白?」

 

「ああ、雪ですね。雪かきしたあとのゴミ雪を集めて溶かして利用してるんですよ。ここらだと雪捨て場が確保できなくてねえ」

 

 なんと、積み荷は雪だった。見れば、なるほど雪捨て場のようなものがある。それにため池のようなものもあり、大量の水を保持しているのが分かった。

 

「でもこれ、夏場は水が足りないんじゃあ」

 

「夏場は暖房要りませんから。水はそれほど要りませんし、ここらの雪は長く残りますからね」

 

「夏場でも雪が?」

 

「雪捨て場では、基本的に消えることはないですね。それだけ雪が深いんですよ、この辺りは」

 

 なるほど、流石日本最北。樺太とは恐ろしい土地だと、彼女は思う。

 

「というわけで久留里さん、もう具合は大丈夫ですか?」

 

「ええ、お騒がせいたしました」

 

「しかし、なぜあんなところで雪に埋まっていたのですか?近くにこれといって何かあるわけでもありませんでしたが」

 

「あの……えっと……写真を取るのに夢中になっていたら、つい……」

 

「ああ……」

 

 美里にとって恥ずかしい話である。取材にかまけて命を落としかけるなど、記者失格である。

 

「ま、まあ、稀によくあることですから。ご無事で何よりです」

 

「うう、ありがとうございます。と、いうわけでついでにいくつか質問させていただいてもよろしいですか?」

 

 こんな時でも取材は忘れない。失敗してしまったなら、なおさらだ。

 

 美里はおずおずとメモとペンを取り出す。もちろんメモ帳とペンは国鉄さんから頂いた国鉄謹製メモセットだ。

 

 それを見て、二人は苦笑いしながらも了承してくれた。

 

「いいですよ。何から話します?」

 

「あ、えっとですね、まず今度開業します発鉄についての印象などをお聞かせ願えましたらと思いまして」

 

 特に意味はないが、ペンを一舐めして備える。

 

「うーんそうですね。まあかなり難産な鉄道でしたし不安が大きいですねえ。でも、社長さんはなんといってもあの()()越谷さんですし、何とかなるんじゃないかなあという思いもあります。と、無責任な感想になっちゃいますねえ。なんてったって、この鉄道に対し一番熱をあげてるのは陸軍の人間ですから……」

 

 言われてみて、あぁと気が付く。そりゃあそうだ。海軍さんにしてみてもこの鉄道が成り立たなければ困ったことにはなるんだけれど、そこまで熱心に乗り出すほどではないんだ。それに国鉄・鉄道に対して特別な感情を持っているのは基本的には陸軍さんで。海軍さんはたまに荷物を運んでくれる人程度の認識だろうし、空軍さんに至っては気のいい友人ぐらいの扱いなんじゃないだろうか。

 

 彼は無責任と言ったが、彼ら海軍さんはそういうわけで鉄道に対してほとんど何も思っていない訳で、それはある意味で当然なんだ。というより、こんな風に鉄道に対しプラトニックに考えられる人だからこそ、三軍委の主要な人間になれるんだろう。美里は一人納得する。

 

「あ、でも一つ言えるのは、あの鉄路はすごいですよ」

 

「と、言いますと……設備とかがですか?」

 

 大熊が、思い出したという風に話し始めた。

 

「いやいや、そうではなくて。ずっとこの街を守り続けた線路ですからね。会社はどうなるかわかりませんが、あの線路だけは何が起きても残り続けますよ」

 

「……それは、それだけ重要な路線である、ということですか?」

 

「いやいや、そうじゃなくて。いや、それもあるんでしょうけど、もっとこう気持ち的な所でですよ。鉄道は人が気持ちで動かすものですから」

 

「はあ……なるほど……」

 

 釈然としない回答だった。

 

 

 

 鉄道とは人が気持ちで動かすもの。

 

 

 

 が、美里にはそれはなにか真理なような気がして、妙な説得力があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同じころ、三軍委から発鉄に派遣されてきた島崎冬香(しまざきとうか)は研修を終え家路についていた。

 

 目に映るのは開業前だというのに特に変わらない街並み。

 

 尾羽の町は樺太の一番北(正確には最北ではないが、そこそこの規模を持つ街としては最北だ)にある。もっと正確に言うと、東経53度34分40秒、北緯142度52分06秒の位置にある。モスクワより南に位置しながら、平均気温でいえばモスクワの方が非常に暖かいという地獄みたいな都市だ、と島崎は思う。

 

 そんな尾羽で島崎がそこそこ満足できる暮らしができているのは、今年の冬の終わりから始まった都市暖房、つまり尾羽温泉からながれる温水による道路の暖房、そして集合住宅の暖房のおかげであるが、島崎は思うのである。

 

 これ、本当に大丈夫なの?

 

 かなり離れた山頂からパイプラインでお湯を落としてきているわけだが、そのパイプラインは地表に露出してある。理由は地下の永久凍土を溶かさないためであり、これは地球環境への配慮という世界に先駆けた素晴らしい考え方なのだと満足げに担当者が語っていたが、そもそも永久凍土が存在するようなところでパイプラインでお湯を輸送って、大丈夫なのだろうか。

 

 ……パイプラインで手早く輸送してしまえばいい石油をわざわざ鉄道で運ぶのは、冬季の凍結対策だと聞いた。石油も凍る(何℃か知らないが、たぶん水よりも氷りにくいだろう気がする)寒さで水が凍らないと、本気で思っているのだろうか。

 

 構造上、お湯はいったん蒸留されている。島崎の予想の通りなら、綺麗な透明な氷ができそうだ。

 

 そんなことを島崎は、地面から上がる湯気を見ながら思うのだ。

 

 どちらにしろこの街は島崎を楽しませるにはもってこいのようだ。

 

「今回はどのくらい楽しませてくれるのかなあ?」

 

 そんなことを、彼女は長い銀髪を揺らして微笑みながら言うのだった。

 




てっちゃん通り
 尾羽駅東口から一直線に伸びる幹線道路。発鉄南港線と併用する。名前の由来は軍鉄道時代に、その機関車の物珍しさから軍の統制をかいくぐって写真撮影を試みる鉄道ファンが絶えなかったから。
 現在では一部を除き写真撮影の規制は解除されており、水を得た魚のような鉄道ファンの姿を見ることができる。

※注意:撮影の際は、周りにお気を付けください。

【尾羽市観光協会 パンフレット】

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